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2013年8月

2013年8月31日 (土)

銚子ヶ滝ハイキング(8/31)

  8月最終日のこの日。ゆく夏を惜しむかのように、私はまた家を飛び出し、アウトドアのハイキングに出た。この8月は、自分でも信じられないくらいの行動力を発揮。北海道に始まり、磐梯・猪苗代周辺ミステリー、白河周辺散策、郡山の公共施設訪問、更には那須往復と、思いついたら即実行的な発想で、県内各所を見て歩いた。そして今回は、台風15号接近の中、今週末のチョイ旅は一度は断念したのだが、思いのほか天気が持ち直し、朝方のYahoo!天気では、くもり時々晴れの予報に変わった。そうなれば、もっと涼しい時間帯の早朝に出発したかったのだが、ダイエット中にもかかわらず、夕べ久々にビールを飲み、リビングで夜中遅くまで寝てしまい、それで朝8時過ぎ起床という失態を演じてしまった。したがって、今回のこのハイキングも、ギリギリ8時半過ぎに決行を決断した。酒を飲んだ翌日は、息切れするような山登りは避けたいのだが、翌日は台風最接近で風雨ともに強まる気配だし、散髪にも行かなければならず、この日に当日即決の強行(凶行?)となった。

 9:39 自宅発 会津街道へ。2台前の軽、50km/h道路を40km/hでノロノロ。デイパッ
     ク忘れ。失敗。若干、予定より遅れ。
 9:49 トライアル(5.5km)着。ペット茶2本やパン、手巻き寿司などで731円。コッペ
     パンを買い忘れた。
 9:54 トライアル発。向かう方向に雨雲がかかる。判断は正しかったか自問自答。
10:02 味噌屋右折。廃棄されている筈の歩道橋、国道から確認できず。すでに撤去?
     県道24号へ。8月だけでここは3回目の走行。29℃。高玉城跡(手前には城跡
     入口の標札)。高速のガード先に、あのヤバイ形の奇岩・・・。帰り立ち寄ることに
     する。正面に謎の三角山。古墳?左には古戦場の野原、右には高玉鉱山の
     山々。今にも雨降りそうなどんよりとした曇り空。

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10:10 石筵ふれあい牧場入口より右折。ここまで20.5km。駐車場を横切り、牧場の
     へりを回り込むように一本道を山に分け入る。結構牧場内は来園者で賑わう。デ
     ィスクゴルフやバーベキューに興じていた。その先の草原地帯で、おじさんが犬と
     昼寝していた。クマ出没は大丈夫なのかマジ心配。くねくねの山道。幅員は1台半
     分。対向車なし。結構登る。全面舗装路だが、峠のような急坂も一部あり。

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10:15 銚子ヶ滝登山口到着。ここまで23.5km。いきなり右側に標札現れる。先客は
     青いステップワゴン1台のみ。周囲は深い森と静寂に包まれている。奥の東屋の
     前に駐車。周辺は土曜日にもかかわらず無人で誰もいない。単独プチ登山にな
     るのでマジで怖い。車内に蜂か虻が入り込み、軍手でつまんで出す。登山なのに
     半袖半ズボンの超軽装。山を舐めくさっている。「熊出没注意」や「6月14日に目
     撃情報」につき注意喚起の貼り紙表示あり。単独ハイキングにつき、万が一クマ
     に襲われたり、崖から転落の際には発見されず危険極まりない状況。ここから銚
     子ヶ滝までは1.4kmの表示あり。意外に遠いことに気が重い。

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10:20 登山開始。散策路を歩く。バークチップの緩い坂道だが、路面の所々、岩が突き
     出て躓きそうになる。スポシューでは厳しい。結構坂を上って息が切れたのに、ま   
     だあと1.2km表示。200mしか進んでいない。周辺は雑木林が無造作に乱立す
     る森林地帯で、今にも林の中から枝や笹をかき分けてクマが出てきそうな雰囲
     気。四方八方に注意を張り巡らせながら登る。持参したラジオをかけているが、
     山間なので、NHKしか入らず、感度も悪い。しかもポケットラジオなので、音量が
     小さく、全く用を足さない。クマよけの鈴のほうが効果的。誰とも擦れ違わず不安
     が増す。こんな行動ばかり・・・。やがて道が細くなる。途中、熊の糞や足跡のよう
     な痕跡が・・・。怖くなって、意味もなく大きな声を上げたり、口笛を吹いてクマに対
     して警戒心を与える工夫。もう汗だく。曇り空だが、蒸し暑い。この辺は戊辰戦争
     の激戦地となった母成峠界隈。落ち武者の霊の目撃例もあって怖い。どこかしこ
     も雑木林や笹が生い茂る。セミの鳴き声がうるさい。単独ハイキングではやはり
     場違い。すると緩い下り坂へ。気づけば900m歩き通し、いつの間にか安達太良
     山方面と銚子ヶ滝の分岐路へ。

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10:33 分岐路着。小路に沿ってベンチがある。ここから滝まで300mの表示。手すり付
     きの階段で急な下り勾配が谷底まで続いている。しかし先が見えない、半端じゃ
     ない急斜面を足元を気にしながら進む。地上が見えない。しかし、ここまで来る
     と、清涼感漂う、滝の流れ落ちる爆音が森林の中にこだまする。しかし、一向に滝
     は見えず。帰りが思いやられるほどの険しい下り坂。急な岩場を鎖伝いに降りる
     箇所があるとの情報を得ていたので軍手を持参した。だが一方では、せっかく買
     った500mlのペット茶を車内に忘れていた。後の祭り。手首にぶら下げたデジカ
     メとメモノートを携え、ラジオも手に持っていたので両手塞がる。崖沿いに設けら
     れた手摺りの付いた階段をゆっくり下りて行く。その手摺りですら、ところどころ、
     谷側に曲がって傾いている。まだ滝は見えないが、次第に音が大きくなる。マジで
     帰りの上りがヤバイ。散策路が大きな岩で塞がれている箇所にステンレスの階段
     が設置されてあった。鎖は使用しなくてもイケそう。木々の緑が濃く、紅葉シーズ
     ンはさぞかし美しいだろう。辺りはひんやり涼しい。急崖が続く。見上げると落石
     防止ネットに「落石注意」の立て札。すると雑木林の隙間から滝が見えるポイント
     へ。ようやく谷底に下りた。青いワゴン車の先客がいると思ったのに、周囲は無
     人。幸い階段周辺はクマの気配なし。心臓バクバクでへとへと。

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10:41 銚子ヶ滝着。35~40分はかかると聞いていたが、20分程度でたどり着いた。
     岩場でゴツゴツ。滝の説明書きの看板や標札が立つ。滝壺を含め、見上げる滝
     は豪快そのもの。岩に砕けて広がってしぶきが周囲を濡らす。苦労して訪れた価
     値アリ。40代の私できつく感じるため、もっと歳をとってからではムリ。今のうちに
     来て良かった。辺りは滝が砕ける爆音がこだまし、幽玄な世界を演出。銚子ヶ滝
     は、高さ48mあるらしいのだが、実際はそんなには無い印象。燗酒を入れるお銚
     子に似ているからこの名が付いたらしい。滞在中、銚子ヶ滝も終始無人で私一
     人しかいない。もしクマの襲撃を受けたらそのままエサになるしかない・・・。滝壺
     から溢れ出て、周辺に溜まった水に手で触れたら冷たい。飲まなかったものの、  
     口に含んだ。少し元気を取り戻す。体力回復に努める。岩の上は苔が生えて滑り
     やすい。川下の方面は森林に沿って大小取り混ぜた岩場を転げ落ちるように流
     れ落ちて行く。そこに滞在中、人っ子一人来ない。まさに孤独なハイキング。

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10:52 銚子ヶ滝発。ゆっくり滞在したつもりが、結局10分ほど。誰もいないのが不安。
     上りはキツイ。なるべく上を見ずに足元を見て脚を上げる。ステンレスの階段や各
     カーブで座り込み休憩。疲労と息の回復を図る。300m登るのに5~6回座り込
     んで休憩。胸が苦しい。でもクマへの警戒は怠らず。心臓バクバク。汗だく。昨夜
     のビールが効いて、頭痛までしだす。20m登っては休むのくり返しで何とか分岐
     路へ。足も重い。もしもここでクマの襲撃を受けたら、反撃できないしひとたまりも
     ない。頭からポタポタと汗が滴り落ちる。

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      見よ!この急勾配の斜面を!ステンレス階段付きだがキツイ・・・。

11:02 分岐路到達。ここでクマよけの鈴の音が聞こえた。やっと人に会う。登山客は重
     装備だ。ベンチに二人、60代くらいの夫婦が休んでいた。そこへ「疲れた~」と言
     ってたどり着き、挨拶を交わして話をする。疲労感いっぱいの私の様子を見て、
     滝まで下るか迷っている感じ。でもデジカメ写真を見せて、下は誰もいないことや
     行くだけの価値はあると伝えたら、覚悟を決めた様子。

11:07 ベンチに座ってすっかり上がった息を整えた。その夫婦と別れた後、ポケットに
     入れおいた筈の新品で、おろしたての軍手が行方不明に気づく。きっと上ってくる
     途中、休憩した階段のどこかに落したに違いない。分岐路に戻り、階段を下りて
     いった夫婦に「もし白い軍手を見かけたらお使いください」と叫び、返事を貰った。
     また登山口まで単独ハイク。ラジオをかけるが音が小さく役目果たさず。番組は
     NHKの英会話講座だった。帰りの方がえらく遠く、長く感じた。汗だくでクタクタ。ク
     マに襲われてもどってことない、「来るなら来てみろ」と開き直る。蜂が飛び回って
     いた。それでもAKB(恋するフォーチュンクッキー)やB'z、ファンモンの歌を口ずさ
     んだり、口笛を吹いてクマ避けに代用した。
      最後は緩い下り坂。バークチップと突き出た岩の悪路だ。でもやたら長く感じ
     た。やがて木々の隙間から車のブレーキランプが見え、車を駐車した東屋がが視
     界に入った時は生還できた喜びが溢れた。両サイドに車が停まっていて、ちょうど
     重装備の登山者(夫婦2名)が身支度を整えていた。車上荒らしが出没する警告
     板があったが、大丈夫だった。他にも車は4台。滝壺からここまで急な上りを休憩
     をとりながらでも30分ほどで戻れた。この登山口~銚子ヶ滝往復で1時間4分。
     初心者向きの身近なハイキングコースとしては最適。秋の紅葉シーズンには打っ
     てつけだろう。

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11:24 銚子ヶ滝登山口に到着。
11:25 銚子ヶ滝登山口出発。予定より40分近く早い。帰り際、白いFitとすれ違う。峠道
     を下る。木々の間を進む。麓の木々も色付き始めていた。それは山には秋の訪
     れが近いことを示す兆候でもあった。時々、眼下に母成の山々や麓の景色が見
     える。白い煙が立ち上る。ほどなくふれあい牧場へ。さっきの昼寝おじいさんは影
     も形もなかった。バーベキュー小屋には老人会?の20名が陣取っていた。雨に
     降られず、夏のうちに強行して良かった。

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11:31 ふれあい牧場の入口のT字路を左折して母成峠から降りてくる県道24号に合
     流。直前で入られた前車を追いかける。おしゃれな喫茶店や釣り堀、茶屋が点
     在。高原道路だ。道路沿いでは野焼きをしていた。
      次は、往路の際、立ち寄りを決めたあの場所。それは高速のガードを潜る手前
     の橋のそばにある。母成側からだと山陰だが、削り取られた岩肌に問題の奇岩
     がつっ立って居るのだ。

11:38 橋の手前の路側帯に駐車。歩いてそれが見上げられる場所まで行き、車の往
     来が途切れたところで写メ。まぁ、見方によっては松茸にも見えるが・・・。

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      どうもてもマル秘写真。男性のシンボルそのものではないか・・・。なぜこんなとこ
     ろにこんな形状のモノが・・・。あまり知られていないし、私のように写メを撮る人間
     もいないだろう。何かのご利益があればいいのだが・・・。

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     怖いのは、その橋を渡ったガードの手前が膨らんでいて、そこに6~7体の石碑
     が立ち並んでいること。ミステリースポットになってもおかしくない雰囲気。高玉神
     社や高玉城跡を通り過ぎて、磐梯熱海ICの入口を素通り。

11:43 味噌屋のR49号交差点の手前の空き地に車を駐車。ここでかつて4号線の消
     防署前にあった歩道橋を捜索。10年ほど前からここを通るたび、それらしき残骸
     を見かけていたのだ。空き地からぶどう畑の横を通って50mほど歩いて、廃棄物
     置き場のような「重点警戒」と書かれた看板のチェーンを乗り越えて探す。すると
     撤去されたのか見当たらない。一瞬諦めかけたが、勇気を出して、更に奥まで入
     ったら、そこに残骸が放置されていた。これがR4号にあったものなのか、あるい
     は現在のザ・モール郡山前のさくら通りに架かっていた歩道橋かは判別できない
     が、いずれにしても私が幼少の頃に渡った懐かしい思い出が詰まったものだけ
     に、それを発見した時は嬉しかった。ぶどう畑はひと房ずつ丁寧に袋掛け。台風
     で落下の懸念。出荷に間に合うか?

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11:48 昼時で、玄関先に行列ができるほど賑わっている味噌屋前を出発。R49を郡山
     市街地方面へ。28℃の表示。追い越し車線を行かず、あえて走行車線へ。
11:52 安子ヶ島の歩道橋の信号。その先の左にある、これまた懐かしい旧大野屋の店
     舗(廃屋)を写メ。後続車がいなかったのが幸い。やがて事故がダントツに多いジ
     ェットコースター道路へ。添田自工、磐梯ドライブインを素通り。予定ではこの後、
     富田のコパル周辺にあるという心霊スポットのA阿部氏邸を捜索する予定だっ 
     たが、あるかどうかも不明なネタ情報なので、今回は銚子ヶ滝に特化したハイクと
     いうことでキャンセル。帰路に着く。

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11:55 トライアル交差点を左折。会津街道へ。磐越西線の高架橋を渡り、右折して喜
     久田方面へ。スポーツ広場にはブルドーザーが常駐。住吉神社前通過。ガード下
     を潜る。ここでキュウリを切らしたことを思い出し、ヤマダ電機隣りのべレッシュへ
     立ち寄ることを決断。
12:02 ベレッシュへ。車多く、店内は客で賑わう。30人はいた。ミニサイズきゅうり10
     本入りで100円。それを2袋。夏は暇さえあれば冷やしたキュウリを齧っている。
     この夏、200本以上は齧った。でも放射線は大丈夫か?
12:08 自宅着 走行距離は47.1km 費用は931円のみ。

 記事作成:8月31日(土)

 (後記)

 翌日には台風15号が最接近し通過するという気象条件の中、雨に降られず、さほど暑さを感じない曇空の中で決行出来て幸いだった。クマに出くわす危険を省みずの強行突破だったが、どうしても夏のうちに訪れたいという強い気持ちが今回の行動に結びついた。汗をかくことでダイエットにも効果があるし、日頃の運動不足解消にはこうしたハイキングやハードではない山登りもまた良し。2時間半足らずの時間に、これだけ内容の濃いハイクが実現できて何よりだった。隠れた郡山の魅力を再発見できたし、また季節を変えて行きたいという気になった。再訪する際は、重装備で臨みたいし、クマよけの鈴は必須だ。実際に直に見ると、新たな感動があった。こんなに美しい豪快な滝が地元にあったとは驚き。水不足で水量が不足しているのかと思いきや、期待を裏切らない景観に、ただたじろぐばかりだった。来年には50代を迎えるので、スキーも疎遠になってしまっているが、足腰が衰えないよう、こうした適度な運動を今後も心がけ、今夏の人間ドックでくだされたメタボ(178cm・73kgだが、胴回り85cm、中性脂肪高くてメタボの診断)を少しでも解消したい。  

 なお、さらなる予告だが、9月7日(土)には同僚から誘いを受けた、伊藤若冲展に加え、芭蕉の足跡を訪ねて文知摺石、福島市飯坂周辺(駅・芭蕉像・温泉街・医王寺・中野不動尊)を訪れたい。

 

2013年8月29日 (木)

好きだった有名人の墓参りプラン(予告)

 最近は予定の告知ばかりに終始している感が否めない。今日は、以前告知したプランの細案をカミングアウト。生前は恐れ多くてなかなかお会いできなかった有名芸能人たち。大物俳優や歌手など、個人的にファンだった方たちでも、お墓参りならそんなに敷居が高いわけではなく、すぐに会いに行けるというもの。もちろん神聖な場所を訪れるわけなので、おふざけや冷やかし半分ではなく、生前の活躍に敬意を払い、心からご冥福をお祈りするとともに、彼らの遺した足跡を改めて偲びたい。私がお気に入りでファンだったり、尊敬する方々で、是が非でもお墓参りを実施したい有名人の墓の所在地は以下の通り。(ここに掲載するのは、既に公開されている方々のお墓です。)

  芸能関係

 村下孝蔵 茨城県つくば市「筑波茎崎霊園」 http://www.tsukuba1100.jp/

   個人の方のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mikucharat14/17185215.html

 忌野清志郎 八王子市「高尾霊園」 http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/06-54.html
 
 尾崎 豊 埼玉県「狭山湖畔霊園」 http://www.boenf.org/reien/sayama/

   個人の方のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/foukusong/40168611.html

 天知 茂 世田谷区野沢「龍雲寺」http://blogs.yahoo.co.jp/syutentoku/27386445.html

 石原裕次郎 横浜市鶴見区「総持寺」http://www.adrichb.com/entame/yujiro_haka.html

   地図はこちら http://teishoin.net/soji/yujiro.html

   個人の方のブログ http://www.uchiyama.info/oriori/shiseki/bochi/yuziro/

 美空ひばり 横浜市港南区「日野公園墓地」

 http://www.city.yokohama.lg.jp/kenko/kankyoshisetu/bochi-reidou/hi-bochi.html

 個人の方のブログ http://tiny-coco.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_d1ed.html


 坂井泉水・・・・今夏に彼女のお墓の場所を知ることとなったが、遺族の強い意向により公表は差し控えさせていただきます。個人的にお知らせすることもできませんので何卒ご了承ください。  

  個人の方のブログ http://ameblo.jp/muroitakashi/entry-11463279665.html

 他にも河島英五(奈良県奈良市十輪院)や岡田有希子(愛知県愛西市成満寺)、テレサ・テン(台湾新北市金宝山墓園)の墓所もお参りに訪れたいが、非常に遠いため、その機会を待ちたい。

 
  政治家・歴史上の人物

 徳川家康 東京都港区「増上寺」 http://www.zojoji.or.jp/keidai/detail_01.html

 乃木希典 東京都港区「青山霊園」 http://www.hakaishi.jp/tomb/tomb/04-38.html

 中野竹子 会津坂下町「法界寺」 http://www53.tok2.com/home2/osanpo/sanpo2.html

 代表的な方々はざっとこんなところだ。今秋にも実施したいと考えているが、まず真っ先に行きたいのは、国民的大スターだった石原裕次郎、国民栄誉賞歌手の美空ひばり、是が非でも生前会いたかった、大好きだったZARDのヴォーカル坂井泉水の3人。共通しているのは慕われ惜しまれる人ほど早く逝ってしまうという現実・・・。天はなんと無慈悲で残酷なのだろうか・・・。

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 それでは訪れる予定の行程を記したい。

 <日帰りの場合>

 郡山7:53ー大宮ー渋谷ー 神奈川県某所11:00(坂井泉水の墓参りにつき公表できませ

ん)ー港南中央13:00ー日野公園墓地(美空ひばりの墓)ー横浜ー鶴見・総持寺15:30(石

原裕次郎の墓参り)ー鶴見16:30ー有楽町17:15(電通四季劇場・劇団四季「ウィキッド」観

劇)21:20ー東京21:44ー郡山23:07

 <1泊2日の場合>

 郡山8:40ー大宮9:50(鉄道博物館)14:30ー大宮ー有楽町17:15(電通四季劇場・劇団四

季「ウィキッド」観劇21:20ー21:50大森(カプセルみづほ泊一泊朝食&ビール付で3,600円)

  大森8:30ー鶴見・総持寺9:00(石原裕次郎の墓参り)ー鶴見10:30ー桜木町ー港南中央

11:00ー日野公園墓地11:30(美空ひばりの墓)12:30ー港南中央ー神奈川県某所13:50(坂

井泉水の墓参りにつき公表できません)14:45ー大手町ー東京16:40ー郡山17:57

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 首都圏に暮らしている方なら、時間があればわけもなく巡れるだろうが、そこはいかんせん、悲しいかな、地方在住の身。なかなか簡単には行けない。しかし、歴史に名を残し、私たちを魅了した大スターの墓参りだけに、気合を入れて臨みたいと思う。彼らの伝説的な偉業を讃え、墓前でいろいろな話をして、感謝の意を表したいと考えている。今のところ定かではないが、日帰りならJRの「トクだ値」を使って、10月22日(火)を予定している。もちろん、実施後は速やかに本ブログにて報告したい。

 記事作成:8月21日(水)

2013年8月28日 (水)

郡山の魅力再発見!①~偉人たちの足跡~

 以前、予告した郡山市に関連した項目を取り上げ、それにまつわる秘話やエピソードをお送りする新シリーズ。めでたく今回が初回。知らなかった郡山の史跡や歴史に触れ、先人たちの偉業や快挙を尊ぶとともに、新たな郡山の魅力を満喫して欲しいという趣旨でお送りしたい。第1回目の本日は、なんと超有名なこの人である。

 「月日は百代の過客にして、ゆき交う人もまた旅人なり・・・」
 
 賢明なブロガーの方なら、これが誰の文言かはもちろんご存知だろう。そう江戸・元禄時代の俳聖にして歌人でもあった松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭の一節である。今回なぜ、学の薄い私が敢えて彼の名を挙げたかというと、かの有名な紀行文にして句集でもある「奥の細道」を編纂するにあたり、芭蕉自身が当地を旅して巡った場所だからである。まず。彼の辿った市内のルートを確認したい。

 須賀川(乙字ヶ滝)・・・守山ー田村神社ー金屋ー日出の山ー郡山ー日和田ー安積山・・・本宮

 彼が当地を訪れたのは、旧暦の元禄2年(1689年)の4月29日頃のこと。324年前の出来事だ。人生50年と言われた時代に、46歳の芭蕉が、お伴の弟子曾良を連れて郡山を縦断して歩いたのは事実だ。これは凄いことではないのか。須賀川から郡山に入った彼は、現在の国道49号線沿いに歩き、守山から田村神社を訪れ、今の日本大学工学部への分岐に架かる「金屋橋」を渡っている。そして東部幹線を越えて右折し、旧4号線である県道355号に入ったのだ。そして宿場町だった郡山市街地を経て、日和田方面へ歩いた。そして奥州街道の松並木を堪能し、今回私が訪れた「安積山」に辿り着いた模様。

 歴史に名を轟かす芭蕉ゆかりの地が郡山だったとは、私たちはその偉業をあまり意識していない気がする。もしかすると、郡山を旅したことすら知らない市民も多いのではないか。そこで 310余年の時を越え、古の歴史に少しでも触れたくて、取材を敢行した。しかもそれは昼休みの僅か1時間足らずの間に行う強攻策。その日は、通販以外は、リオンドール郡山東店(三春)でしか買えない「UCC珈琲・甘い香りのモカブレンド」を購入しようと、事前に電話確認をした後、職場から10km東に離れた店まで行くついでに、帰りがてら立ち寄ろうという強行策。時間の有効活用だ。そして先だって開通したR288の延伸ルートも通ってみたかったのだ。
 取材日は8月19日(月)。昼休みを抜け出しての往復だったので、13:05~13:13の僅か8分間の滞在に甘んじた。それでもその場にいると、その雰囲気の一端を味わうことは出来た。古の偉人の辿った足跡とその歴史的偉業に・・・。ではその時に撮影した画像を掲載したい。

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        あさか山の謂れの記した解説板               松尾芭蕉が残した奥の細道の句碑

 「等窮が宅を出て五里計、檜皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ」。

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       木漏れ日の中を歩く芭蕉の小径                     万葉集「安積采女の歌碑」

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         安積山公園の案内図                   県道355(旧4号線)は松並木が立ち並ぶ

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旧道沿いに建つ松の木(伐採が進んだ)             芭蕉も見とれた見事な松並木 

 <安積山公園> 郡山市のHPより

 芭蕉と曽良が安積山と山の井清水(そして花かつみ)を探し求めて訪れた場所は、安積山公園(そして安積沼)。公園内の遊歩道には「芭蕉の小径」と名前がついている。野球場やトイレの他に子供の遊具もあるので家族連れで楽しめる。「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに」と刻まれた采女の歌碑と、「等窮が宅を出て五里計 桧皮の宿を離れてあさか山有 路より近し 此あたり沼多しか津み刈比もやゝ近うなれば いづれの草を花か津みとは 云ぞと人々に尋侍れども更知人なし沼を尋 人にとひ か津みゝと尋ありきて日は山の端にかゝりぬ」と刻まれた奥の細道の石碑がある。山の井清水は大きな駐車場の脇にある。なだらかな安積山の山頂部は松の大木と岩に覆われている。

「みちのくの あさかのぬまの 花かつみ かつみる人に 恋ひやわたらん」『古今和歌集』

 この歌により、「花かつみ」は陸奥国の安積の沼の名物となり、多くの歌が読まれるようになりました。
 元禄2年5月1日(西暦1689年6月17日)松尾芭蕉と曾良は、「奥の細道」紀行でここ安積山を訪れました。
 「安積山」は、「万葉集」や「古今和歌集」に詠まれている歌枕として有名で、芭蕉はここで「「花かつみ」を尋ね歩きました。
 「奥の細道」には、次のように記されています。
  「等窮が宅を出て五里斗、檜皮(ひはだ)の宿を離れてあさか山有。路より近し。
 此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。…」
 花かつみには、古より諸説があり、幻の花とされ、松尾芭蕉も花かつみや安積沼を人々に尋ねまわりましたが、知る人がいなかったと書いています。
 明治9年6月17日、明治天皇の東北巡幸のさい、日和田の安積山の麓、横森新田のご休息所で、花かつみを「菖蒲に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」なるヒメシャガを花かつみとして天覧に供しました。
 以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。

 正味な話、その長い行程の旅の一場面に過ぎない「安積山」を私は訪れた訳だが、歴史に名を残す偉人の足跡が確かにそこに実在していたことを目の当たりにし、言い知れぬ感動を覚えた。彼は紛れもなく、この地を旅して歩き、確かに郡山を通っていたのだ。しかもそれは300年以上も前の出来事。容易に想像できないが、草鞋を履き、杖をつき、旅の荷物を背負い、それは道中、ただならぬ困難に襲われただろうと察しがつく。なぜなら、旅した時期を新暦に直すと、6月18日に当たる。この夏の日に、彼は郡山を旅したため、梅雨の雨に晒されたかもしれないし、日差しの強さにほとばしる汗を拭いながらへとへととなって歩いたのかもしれない。あの時代に、この偉業を成し遂げた彼の労苦にただただ感服するばかりであった。そして普段は素通りしていたような気づかない場所ながら、これほど歴史的価値が高い場所だったことを知り、郡山の魅力を再発見でき、目から鱗が落ちる思いだった。

 さて、今回は初回だったが、このように、郡山に関連した事象や歴史、あるいは人物に焦点を当て、毎回異なるテーマでお送りしたい。これまで何の気なしに通り過ぎてきた場所や、そうとは気づかずに見過ごしてきたスポットに光を当てることで、「郡山の魅力再発見!」をしていきたいと思う。できるだけ取材をして、記事が完成次第、漸次触れていきたいと思う。

 <参考ブログ>

「奥の細道歩き旅」 http://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/okuhoso-17.html

「みちのくの足跡」 http://www.bashouan.com/psBashou.htm

「奥の細道を辿る」 http://setuoh.web.fc2.com/fukusima/sukagawa/sukagawa.html

 取材&記事作成日:平成25年8月19日(月)

2013年8月27日 (火)

郡山の魅力再発見!(予告編)

 これまで当ブログで、わが故郷にして居住地である「郡山」に関する記事を書いてきた。おそらく30以上に上ると思う。今回は既に「郡山にある世界遺産」や「郡山発!おもしろオブジェ大集合」というテーマ記事を読んだ方にはネタバレしてしまうが、ここ郡山市内にある珍しい建造物や歴史的、文化的に希少にして価値のある物に毎回一点ずつスポットをあてて紹介してしまおうというシリーズ記事である。不定期掲載だが、取材した順に全20回程度を予定している。今のところ掲載を考えているのは以下の通りだが、各取材終了後、順序不同でお送りしたい。

 福島県合同庁舎・・・映画「mishima」(1985年公開)では、三島由紀夫が自害した陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地のシーンをロケとして使った。

http://www.pref.fukushima.jp/kenchu/shinko/

http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1時間45分から)

 浄土松公園(きのこ岩)・・・世界遺産のカッパドキアを彷彿させる奇岩群

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet;jsessionid=FC3CD4ED3AD89AD4ACD689E88D252A4D?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=14811

 御霊櫃峠の景観・・・西に猪苗代湖、東に郡山市街地(ビッグアイも見渡せる)の大パノラマ。名前は怖いが景色は最高!

http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail1-0-2.html

 銚子ヶ滝・・・母成峠の東にある。野生の熊と落ち武者の霊の目撃が後を絶たない名勝

http://www.pref.fukushima.jp/mizu/30sen/taki/03.html

 実は古墳王国・郡山(大安場古墳・針生古墳・正直21&23号&27号墳・北山田2号墳)

http://www.jpn-hayashi.com/cgi-bin/pjlist.cgi?mode=%8Es%93%E0&title0=%8CS%8ER%8Es&title2=%82%C9%82%A0%82%E9%8C%C3%95%AD&choice1=%8Es%93%E0&area0=%8Es%93%E0&area1=%95%9F%93%87%8C%A7&area2=&area3=%8CS%8ER%8Es&item0=1&item2=7&item3=100&browser=99&colum=24&font=20&screen=240&life=

 防空壕と空襲があった場所・・・咲田や清水台、駅前、中町、本町など市内のあちこちにもあったらしい。

 有名人たちの足跡(西田敏行・市川昭介・久米正雄・宮本百合子)

http://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/okuhoso-17.html

 先人たちの偉業が見れる場所・・・麓山の滝・安積疎水・雪村庵・安積山

 ファンドールン、雪村、松尾芭蕉など偉人たちが足跡を残している。

http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_06.html

http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-42.html

http://www.city.koriyama.fukushima.jp/pcp_portal/PortalServlet?DISPLAY_ID=DIRECT&NEXT_DISPLAY_ID=U000004&CONTENTS_ID=15178

 郡山消防署前にあった歩道橋を探せ!・・・実は磐梯熱海町のR49バイパスにあるラーメン味噌屋前の交差点の手前、郡山方面から向かうと右側に、分解されて放置してある。

 パルテノン神殿と自由の女神のある街・・・前者は片平町にある「東北歯科専門学校」、後者は富久山ベニマルの南西側の或るアパートの前に建っています。

http://www.touhoku-ds.com/

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-00b7.html

 城の町・郡山?・・・信じられないかもしれないが、広域郡山にはなんと20以上もの城があったと聞く。
 詳しくは余湖くんのHPをどうぞ!http://homepage3.nifty.com/yogokun/yogozuhukusima.htm

 静御前終焉の地?・・・静御前堂と美女池、かつぎ沼

http://homepage2.nifty.com/Tetsutaro/Top/Hyoshi-Shiseki/Shiseki01.html

 磐越西線旧中山宿駅スイッチバック

今年、8月9日に私が訪れた場所。昔は急勾配を蒸気機関車が一気に登れず、いったん中山宿駅に入線し、その後、後方にスイッチして下がり、また別の路線に入線して坂を登る、つまりジグザグ走行してこの難所を乗り切っていた。

http://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/banetsusaisen_line/05_nakayamajuku2.html

 今は無き懐かしい建物(廃墟・廃屋編)・・・大野屋、磐光パラダイス、保科病院、森永乳業、サンショー、磐梯熱海駅前スーパー、東北書店、ダイエー&トポス、丸井、日東紡績第1&第2工場、インテリアダイイチ、野替ビル、女鳥羽そば、ブックオフさくら通り店、丸光、コマツ醤油、平安閣、第1うすい、第2うすい、かっぱ寿司さくら通り店

 郡山の名物老舗・・・たけや・うなぎ大伴・大友パン

http://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7001860/

http://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7000801/

http://tabelog.com/fukushima/A0702/A070201/7001485/

 郡山版大内宿?・・・古き日本の佇まい「でこ屋敷」(西田町)

http://www.dekoyashiki-daikokuya.co.jp/

 三森峠 休石の太郎茶屋・・・夜通ると幾つもの赤い照明が暗闇の峠道に映えて不気味だった。

http://blogs.yahoo.co.jp/gobansho/52712531.html

 郡山の日本一(戦後276人のマンモス議会・安積黎明合唱部・初の24時間営業コンビニ・米の生産量市町村一)

 郡山の三大銘菓・・・ままどおる・エキソンパイ・薄皮饅頭 (ゆべしは三春)

http://www.chuokai-fukushima.or.jp/ksk/mamador/

http://www.usukawa.co.jp/home.html

 郡山の五大工場・・・保土ヶ谷化学・日東紡・日本化学・コパル・三菱電機

http://www.ko-cci.or.jp/k_bank/02.php?id=2512

http://www.nittobo.co.jp/corporate/subsidiary.htm

http://www.nippon-chem.co.jp/profile/fachuku1.html

http://www.nidec-copal.co.jp/01/06.html

http://www.mitsubishielectric.co.jp/news/2012/0612.html

 郡山の今は無きレンタルビデオ屋・・・ビデオボーイ(清水台・朝日町)・ビデオフォーラム(内環状線)・創夢館

 郡山の今は無き飲食店・・・ニコニコ寿司・ぽえむハウス・カフェレストラン飛行船・小僧すし・味の民芸・ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ

 どこか似ている福島県民の歌と郡山市民の歌

http://www.youtube.com/watch?v=W7aRqWdho7w

http://www.youtube.com/watch?v=9lCU_Q-dlPs

 郡山広報(防災無線)のメロディ

 朝7時・・・「野ばら」 http://www.youtube.com/watch?v=hbOPDe-sHQ4

 正午・・・郡山市民の歌 (5年前までは歓喜の歌だった)

http://www.youtube.com/watch?v=cmxDF-cCATU

 午後6時・・・七つの子

 郡山市にある震災避難の仮設住宅

 2年半経つのに、浜通り沿岸地域に暮らす方々は、未だに故郷を追われ、慣れない土地で不便な仮設住宅での生活を強いられている。その元凶は福島第一原子力発電所の放射線漏れであり、未だに汚染水がタンクから漏れ、海に流失している。その被害、実に10兆ベクレルという感覚が麻痺する天文学的数値。今後、福島県沿岸では50年以上、漁が難しいとさえ言われている。福島県のいわき沖は暖流と寒流が交わる潮目で、たくさんのプランクトンが発生し、食物連鎖が盛んな場所。名産のメヒカリを始め、コウナゴ漁、ヒラメ、アイナメ、それにカジキマグロの漁場だった場所に高濃度汚染水が撒き散らされた。釣り場も追われた。一日も早く、原発が収束し、元の平穏な生活に戻れることだけを切に願いたい。もちろん、私の自宅の近くにも富岡町の人々が暮らす仮設住宅がある。ここは取材というわけではなく、激励やボランティア活動ができれば良いと考えている。

http://www.actiz.jp/kasetu/index.html/?pref_id=07&muni_id=203

 アットランダムで列挙したが、郡山市民ですら意外と知らないことが多いはず。そうした暗い場所にスポットを当てることで、改めて郡山の魅力に気づいて欲しいというのが今回のシリーズ記事を開始するにあたっての趣旨だ。まぁ、どこまで取材ができるかは正直不明だが、もしもうまくことが進んだ暁には、よければご覧下さい。

 記事作成:8月18日(日)

 

 

2013年8月26日 (月)

郡山市内の交通死亡事故マップ

 福島県警の公式HPに、同様の記事が掲載されていることをヒントに、より地図上でその現場を記載できれば、ドライバーや歩行者、高齢者にとって、危険箇所の掌握ができ、ハザードマップとしての機能も兼ね備え、事故回避に役立つのではないかと考え、「goo地図」を加工して作成してみた。交通安全の啓蒙や交通法規の遵守、死亡事故の抑止にお役立ていただければ幸いです。なお、この記事およびマップは、事故等で亡くなられた方のご遺族の方々の心情を逆なでする意図はないことを申し添えます。

Koriyama

 なお掲載したのは市街地のみであり、「広域郡山」において、交通死亡事故現場はこの地図上では記載できない地域にも点在している。そこで、記載不可能だった場所で、死亡事故が多い順にワースト6位を文面にて公表したい。

 ワースト1位 大槻町・三穂田町界隈(多田野~大槻交差点、市場界隈、南IC周辺)
 ワースト2位 八山田界隈(R4号線沿い。R288交差点から南東北病院を経て岩瀬書店までの区間)
 ワースト3位 富田町・喜久田町界隈(インター線、R49号線沿い、待池台、会津街道)
 ワースト4位 安子ヶ島~磐梯熱海町界隈
 ワースト5位 田村町(旧森永乳業交差点~栃本のR49号線沿い)
 ワースト6位 西田町・日和田界隈(旧4号国道沿い)

 参考資料

 「福島県警 福島県下交通事故発生情報」

 http://www.police.pref.fukushima.jp/oshirase/kikaku/jiko_toukei_index.html

 記事作成:8月17日(土)

2013年8月25日 (日)

被災地訪問(予告)

 今週は、山岸舞彩キャスターが夏休みのために番組出演がなかったことから、毎週お送りしている「今週の山岸舞彩キャスター」の記事をお休みさせていただきます。

 突然だが、8月23日(金)に、急遽このプランを強行しようと思いついた。理由は、震災のシンボルがまたひとつ姿を消すこととなり、矢も盾もたまらずに重い腰を上げたのだ。それは気仙沼にある大型漁船のことだ。港に停泊していた時に、大津波が襲来し、3kmも離れた内陸部まで押し流された。その直後の強大な引き波でもその場所に居座り、孤立したままとなっていた。津波の威力をまざまざと見せ付けられる遺物であると同時に、震災の記憶をとどめておく唯一の遺産でもあった。しかし、被災者の心情を最優先し、このほど解体される運びとなった。したがって、震災がれきを始め、津波の爪痕が次々失われていく中で、どうしてもこの目に焼き付けておきたくて、今回の被災地訪問を決断したものである。実は、この漁船「第18共徳丸」には或る思いがあった。それは2008年1月6日のこと、私が今は無き小名浜のボッコ灯台の前で釣りをしていた時、目と鼻の先をいわきの小名浜漁協所属のこの船が通過し、思わず写真を撮っていたのだった。だから余計に親しみがあった。解体される前にひと目見ておきたかった。
 そのため、23日(金)に「YouTube」で、今回の訪問予定である被災地の津波の映像を久しぶりに見た。様々な生と死のドラマがあった場所。多くの方が命を落とした神聖な場所。そのような場所に私が訪れていいものか自問自答して苦悩した。しかし、もちろん物見遊山などでは断じてない。自分も罹災証明書を持つ被災者の一人として、絶対にこの震災を風化させてはならない。時間は経っても、脳裏に焼き付けて後世に語り継ぐ必要があると思うのだ。
 そのためではないが、21日(水)にはオイル交換と洗車を行っておいたし、23日(金)の仕事上がりにはガソリンも満タンにするなど準備を整え、24日の深夜から強行しようと画策した。しかし、このところの睡眠不足と23日(金)が雨天で、24日(土)の天候も優れないことからあえなく延期となった。そうした経緯から、24日は那須往復強行となった。
 では、23日(金)に立てたばかりのプランを紹介したい。実施は「第18共徳丸」解体寸前の9月アタマになりそうだ。その頃にはこの夏の猛暑も収まっていることを期待したい。実施前には、改めて予告するつもり。ではその旅程を記載したい。

 Xデー 9月?日(土) 

 01:00 郡山発
 01:15 本宮IC 東北自動車道
 02:45 長者原SA
 03:00 長者原SA発
 03:45 一関IC 197.2km 2,300円
 05:15 気仙沼
 05:45 陸前高田
 06:15 大船渡着(南リアス線駅・かもめの玉子を見下ろす丘・市街地)
http://www.youtube.com/watch?v=SR2kOR2Ihf0

 08:00 大船渡発
 08:20 陸前高田着(駅・市役所跡・市民体育館跡・県立高田病院跡・市街地・奇跡の一本松・諏訪神社生死を分けた階段)
http://www.youtube.com/watch?v=XYWzOa7DlSc
http://www.youtube.com/watch?v=zVfpPQ2lAPA
http://www.youtube.com/watch?v=8Xb0cASakf0

 10:00 陸前高田発 大理石海岸
 10:30 気仙沼着(鹿折唐桑駅前の座礁大型漁船第18共徳丸・駅・港周辺・河北新報
       社付近・昼食)
http://www.youtube.com/watch?v=v1V3wCpdAvY
http://www.youtube.com/watch?v=sIgh19-4CVU
http://www.youtube.com/watch?v=UPv_Ypg7RJg

 12:00 気仙沼発
 12:45 南三陸町着(防災庁舎跡・旧志津川病院跡・志津川高校モアイ像・他)

http://www.youtube.com/watch?v=egjEIFP7Y-Q
http://www.youtube.com/watch?v=IBUWQVrbdn4
http://www.youtube.com/watch?v=CVbO785OPBA
http://www.youtube.com/watch?v=OJvxYF2NIzw
http://www.youtube.com/watch?v=FlQ5iywCLMs

 13:45 南三陸町発
 14:15 石巻着(大川小・日和大橋・石ノ森章太郎館・石巻港・他・GS満タン)

http://www.youtube.com/watch?v=DW0dqWR4S7M
http://www.youtube.com/watch?v=HNJWV0pmUcc
http://www.youtube.com/watch?v=eBs7yfl8Se0

 16:00 航空自衛隊松島基地
http://www.youtube.com/watch?v=29QzVktn-HU

 16:30 野蒜駅・東名駅
http://www.youtube.com/watch?v=t0ZDszt_RPo
http://www.youtube.com/watch?v=onSEawFhtNA
http://www.youtube.com/watch?v=VJ6dQF2CwyA

 17:00 松島北IC・仙台若林JCT
http://www.youtube.com/watch?v=NKyhWnEgwSQ

 17:50 仙台南IC
 18:35 国見IC(夕食&GS) 
 19:15 本宮IC 145.5km 2,300円 
 19:30 郡山着

 費用  ガソリン代 6,000円  高速代 4,600円   食事代 2,500円
      その他 2,000円    合計 15,600円 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 あの震災から2年半が経過するが、果たして被災地はどう変わっているのかをドキュメントで紹介したいと考えている。もちろん復興の一助となるべく、散財もして来るつもり。今回は日帰りとなるため、時間の都合上どうしても北限が大船渡がめいっぱいだが、本音では、それより北の田老町、山田町、大槌町、釜石市、宮古市まで足を伸ばしたいし、ボランティア活動にも携わりたいところがやむを得ない。
 実際の旅行記(詳細)は、帰宅後に編集が終了次第、掲載する予定です。

 記事作成:8月23日(金)

     
 

2013年8月24日 (土)

那須往復強行記(8/24)

 後日、行程を紹介する予定だが、本来なら今日は、気仙沼の「第18共徳丸解体決定」に伴い、深夜発で岩手・宮城の被災地訪問を強行するつもりだった。しかし、最近の寝不足で事故る危険性が高いことと、ガソリン代値上げ(1L=160円)、更には天候が優れないとの理由でギリギリまで迷って、結局キャンセル。その代案ではないが、北海道旅行中の7月30日に中学時代の同級生だった親友(写真家)から、那須で写真展を開催するという案内が来ていたことを思い出し、それが27日が最終日ということもあって、急遽こちらに切り替えた。土曜日だと那須アウトレットパーク渋滞にハマる可能性大だが、動ける日があまりなく、この日の決行とあいなった。この夏のチョイ旅はまだまだ終わりではなかった。では実際の行程を紹介したい。

 8月24日(土)くもり/晴れ

 10:10 自宅発 インター線のローソンの狭い路地でいきなり物陰からじいさんがチャリ
      で飛び出し、接触寸前で焦る。左右確認もせずに出てくるとは・・・。だから高齢
      者の交通死が多いのだ。バイパス27℃。静町方面へ折れ、カインズからコスモ
      ス通り、市場前を走行。連続で信号引っかかる。この時点で、帰りに免許センタ
      ー前にある美女池に立ち寄ることを決意。そこは静御前が身を投げて命を果て
      た場所。
 10:24 郡山南ICからETCで入線。いきなりブースの先の対向側に覆面が獲物を捕ら
      えて切符切り場面に出くわす。デジカメ間に合わず。9X53シルバー。25℃。
 10:30 須賀川IC ループコイル100km/hで通過。追い越し車線をキープしている赤
      のフィット。 完全違反。自衛隊の車両が7台連なる。荷台に隊員が乗ってい
      て、走行中丸見え。矢吹IC付近で小雨。28℃。JHパト。白河で雨上がる。更に
      その先にも自衛隊車両3台。なぜか火という漢字に丸いマーク。Pの進入線を利
      用し、大型トラックが左から追い越し。乱暴運転。
 10:41 白河中央IC
 10:50 那須高原SAへピットイン。57.2km。デジカメとノートを車内忘れ。ハイウェイ
      ウォーカー貰う。記念スタンプ押す。Nゲージのジオラマ有り。750円豚汁定食
      (納豆・マカロニサラダセレクト・ひじき・漬物付き)
 11:06 那須高原SA発。
 11:10 那須IC。道譲らない車
 11:14 黒磯板室ICで降車。ETC出口がOUT。しばし待つ。一般ゲートの方が早い。
      900円。県道351へ合流。

 11:18 那須ガーデンアウトレット交差点左折。県道53へ。並木道。別荘風の黄色い
      家が可愛い。高林へ。60km/h道路なのに40で走る地元の軽トラ。

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 11:24 木綿畑交差点(セブン)左折し、県道30へ。500mほどで目的地。

 11:27 「かふぇあん着」。宇都宮ナンバーのジープが同着。79.8km。二度目の訪
      問。車内でメモ後、建物へ向かうと同級生が手を振って出迎え。1年ぶりの再
      会。今回の写真展は地球温暖化に伴う生態系への悪影響がテーマ。ワンフロア
      ー1ヶ月貸切。前回はポルトガルの石の家だった。カナダ東部の沿岸部の流氷
      の上で暮らすアザラシ一家。14日で育児放棄するタテゴトアザラシの母親と子、
      流氷が薄くなり、生息困難な状況や南米ボリビアのウユニ塩湖でのチリフラミン
      ゴの子の危機的状況などが四方に貼り巡らされてあった。
       また、一角には福島県内の震災の爪痕を撮り収めたスペースもあったし、私
      がずっと購入したくてできなかった、いわき市に住んでいて、津波の犠牲になっ
      た小学4年生、鈴木姫花ちゃんの黄色いハンカチも展示されていた。ここで販売
      していたので、迷わず800円で購入した。すると、私と同時に入った方は、地元
      の下野新聞の記者で、いろいろと彼に質問をしながら解説に聞き入っていた。
       やがて、中1の頃の同級生で、現在は筑波学園都市に住むI田くん夫妻が現
      れ、10年振り以上の旧交を温めることとなった。実は本日、同じ同級生のM井く
      んも来ることになっているそうだ。残念ながら写真家の奥さんとは、2年前と同様
      会えず・・・。残念。新聞記者の依頼で、私とI田くんの2人に写真の説明をしてい
      る構図で写真を撮られた。おそらく地元の明日の新聞に載る見込みだ。
       また、彼のザベリオ小学校時代の同級生を名乗るY子という女性とその家族も
      現れた。賑わう。本当は被災地に行こうとしたが、ここへ来て正解。何と、今日、
      行く予定だった志津川高校のモアイ像とチリとの心の交流の書籍も読めたし、
      彼がボリビアで体験したそうだが、結納を終えて14日後、ボリビアで交通事故
      に遭って車が炎上し、爆死した女性の書籍「恵里子へ」も読んだ。
       また、彼は今、三春のかみすきの里の近くにログハウスを建てていて、拠点を
      現在住んでいる愛媛県を離れ、福島に戻ってくるそうだ。彼の名前は「橋本直
      樹」という。本人から許可を貰っているので、ここで敢えてカミングアウトした。み
      なさんも覚えておいて欲しいと思う。あの箭内道彦と、ふたりとも、同じクラスだ
      ったのだ。
       帰りがけら、世界の果てまでイッテQでカナダの流氷地帯に現れたイモトの生
      写メも見せてくれた。更には惜しげもなく、自分が撮った可愛らしいアザラシの赤
      ちゃんのポストカードを12枚もくれた。更には奥さんともスマホで喋った。初めて
      なのに、私を「○○ちゃん」と呼んでくれ、長年付き合っている感じがした。

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 津波で亡くなった「鈴木姫花」ちゃんが、生前描いた塩屋崎灯台の絵。デザイナーになるのが夢だった彼女の遺志を、この話を聞いた京都のデザイナーが協力を申し出て実現した「黄色いハンカチ」。地元のテレビで何度か紹介され、機会があれば購入したいと考えていた。彼女が遺したメッセージを私たちはしっかり後世に語り継がなければならないと思う。親友が自然環境の変化によって生態系がピンチであることをテーマにした個展を開くと聞いた、姫花ちゃんのお父さんも賛同してくれ、このハンカチをここに置けることになったそうだ。天国の姫花ちゃんのことをひとりでも多くの方に忘れないでいてほしいという親心がこのハンカチにはいっぱい詰まっている。

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 13:07 かふぇあん発。宇都宮共和大(旧那須大)の脇を通る。試しに那須ガーデンア
      ウトレットへ。しかし駐車場渋滞で、そそくさと駐車場を大きく周り、その広さだけ
      を確認。すぐに戻る。
 13:19 黒磯板室IC 26℃。すぐ左側に怪しい廃墟建物。ホテル風だが、レストラン白
      鷺の文字が・・・。ミステリースポットか?

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 13:27 那須SA通過。120km/hペースで流れている。23℃。風速2m
 13:32 福島県に入る。
 13:37 白河中央IC ほどなくループコイルを95km/hで慎重通過。
 13:42 矢吹IC通過。ついこの前、ここから高速に乗った。鏡石の4号線で昨日正面衝
      突の乗用車が炎上し、運転していた男性が焼死する事故があった。
      日赤のPC走行。
 13:47 須賀川IC 30℃の表示が・・・。
 13:53 郡山南ICで高速を降車。900円。Nシステム通過。
 13:57 左折してコスモス通りへ。市場前の通りだ。ここは信号待ち多い道路。
       セブンから左折。40km/h道路。
 14:00 免許センター向かいの美女池着。池の西側の駐車場にとめた。
       釣りの車か?無人だが4~5台駐車。免許センターは休み。池は広いが、本
       当にこんな寂れた場所で、かの有名な静御前が身を投げ亡くなった終焉の地
       なのか?移動して南側に説明板と古ぼけた標札が立つ。写メ。

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 14:04 美女池発。「まうチュー」の人形を見ながら進み、このところ3回連続で通って
       いるカワチ&ベニマルの交差点へ。直進。カインズの交差点から右折し、バイ
       パスとの交差から左折。金髪のチャリ2人乗り少年が赤信号も無視して交差
       点横断。こういう無法者は死ねよ!バイパスに乗り、白バイ警戒しながら巡
       行。テニスコートで降り、インター線へ。
 14:18 自宅着。本日の走行距離 163.9km。往復4時間8分の那須往復劇だった。

 費 用 

 朝食代 750円  高速往復 1,800円   ハンカチ 800円   合計 3,350円

 

 <後記>

 久しぶりに親友に会えて何よりだった。彼はすごい。自分の腕一本で世界をまたにかけて写真を撮り収め、そしてプロのカメラマンとして生活している。彼の生き方は真似できないが、十分尊敬に値する。それを支えている奥様の内助の功も凄いものがある。幸い、来年には愛媛県から福島県に引っ越すだろうから、また酒を酌み交わしながら、いろいろな話に花を咲かせたい。やはり、気心知れた同級生は、片意地張ることもないし、変にカッコつけることもないので、本音で話ができる分、気が楽。また、彼の世界中の話を聞いてみたいと思う。

 記事作成:8月24日(土) 

  追記(8/25)

 この日、橋本くんから添付メールが届いた。下野新聞に記事が載った旨の報告。しかも私とI田くんの2人もちゃっかりカラー写真で載ってしまった!笑える。たまたま訪れて、記者と鉢合わせになり、おまけに新聞沙汰になるとは・・・。偶然が生んだ産物だ。

Nasu

↑こんな感じ 

 

 

2013年8月21日 (水)

日本人の姓10傑と有名人

 以前も似たような記事を書いたことがあるが、日本人の姓名について、そのルーツとは一体何なのか。同じ姓の人は、もしかしてどこかで繋がっているのではないかとさえ思う。そこで今回は、日本人に多い姓を10個取り上げ、そのルーツを辿ると共に、その姓の有名人を取り上げたい。参考HP:日本人の名字べすと200

 1位 佐藤

 藤原氏の一族が、藤原氏の「藤」と、「佐」をつなげて名乗ったもの。この「佐」には、職名の左衛門尉や、地名の佐渡、下野佐野など、いくつかの由来がある。それらの中では、平安時代後期に左衛門尉となった藤原公清が、役職の左衛門尉の「左」ににんべんを付けた「佐」を使って「佐藤」と名乗った佐藤一族が本家とされている。平安末期に佐藤本家の当主だった義清は朝廷に仕えていたが、のちに武士を捨てて出家し歌人西行となったことから、以後佐藤本家は凋落した。現在では東日本に多く、東北に集中している。なかでも、秋田県には非常に多い。

 佐藤姓の有名人

 さとう珠緒、佐藤藍子、佐藤友美、佐藤唯、佐藤江梨子、佐藤ありさ 

 佐藤浩市、佐藤蛾次郎、佐藤B作、佐藤隆太、佐藤アツヒロ、佐藤健

 2位 鈴木

 鈴木氏のルーツは紀伊半島。この地域では稲藁を干すために積み上げたものを「すずき」と読んだことに由来する。姓も穂積氏である。平安時代、朝廷で多大に信仰を集めた熊野信仰を司った一族が共通の名字として鈴木氏を名乗った。つまり、鈴木氏とは特定の一人を祖としているわけではない。そして、熊野信仰の拡大とともに全国に広がっていった。とくに、三河の鈴木氏は松平家草創期の家臣となったことから、江戸時代には旗本として関東で栄えた。神主が祖先ということで、羽振りの良い佐藤姓よりは、堅いイメージや真面目なイメージの人が鈴木氏には多い。

 鈴木姓の有名人

 鈴木保奈美、鈴木紗理奈、鈴木奈々、鈴木杏樹、鈴木えみ、鈴木砂羽、鈴木京香、鈴木早智子、鈴木蘭々、鈴木亜美

 イチロー、鈴木一平、鈴木ヒロミツ、鈴木雅之、鈴木浩介

 3位 高橋

 大和国添上郡高橋(現在の奈良県天理市)がルーツ。孝元天皇の末裔で、大和の古代豪族の1つ。安曇氏とともに朝廷の食膳を担当した他、万葉歌人の高橋虫麻呂が有名。
一方、名字としての高橋氏は地形姓の一種のため各地にみられる。渓谷など、水面から高い場所に架けられた橋が「高橋」で、これにちなむものだ。こうした場所は各地にあったことから、各地に高橋氏がある。

 高橋姓の有名人

 高橋尚子、高橋真梨子、高橋みなみ、高橋ひとみ、高橋由美子

 高橋由伸、高橋尚成、高橋克典、高橋ジョージ、高橋克実、高橋英樹

 4位 田中

 米を経済の基本としていた日本では、水田はすべての経済活動の基本で、一面に広がる水田は富の証しでもあった。こうした水田の中に家を構えたのが田中さんである。つまり、田中さんのルーツは全国各地にあるといえる。
また、こうした場所は田中という地名になったところも多く、こうした地名に由来する田中氏も各地にある。なお、江戸時代以前、米の産地は西日本だったため、田中さんは現在でも西日本に多い。

 田中姓の有名人

 田中真紀子、田中麗奈、田中美佐子、田中美里、田中裕子、田中涼子、田中律子

 田中角栄、田中健、田中義剛

 5位 渡辺

 現在の大阪市の中心部である中之島付近は、かつて渡辺と呼ばれ、畿内から瀬戸内海に出るための港であった。ここに住んだ嵯峨天皇の子孫が、渡辺党という同族集団をつくったのが渡辺氏のルーツ。
一族は船を操る技術で各地に広がり、全国に渡辺一族が広がった。その中でも、とくに三河に移って松平家に仕えた三河渡辺氏が栄えた。
三河渡辺氏は、のちに家康に従って関東に転じ、江戸時代は和泉伯太藩主や尾張藩家老などになった他、一族は東日本に広がっている。

 我が郡山市にはやたらと多い。もしかすると佐藤や鈴木よりも断然多いかも。高校時代、クラスに鈴木さんは3人くらいだったが、渡辺(渡邊・渡邉)は5~6人いた覚えがある。

 渡辺姓の有名人

 渡辺満里奈、渡辺美奈代、渡辺真知子、渡辺直美、渡辺真理

 渡辺徹、渡辺篤史、渡辺謙、渡辺正行、渡辺哲

 6位 伊藤

 伊藤も下に「藤」がつくことでわかるようにも藤原氏の末裔。
伊藤氏は、伊勢国(三重県)の藤原氏が、伊勢国の「伊」と藤原氏の「藤」を組み合わせて名乗ったもの。藤原北家で佐藤氏一族の基景が伊勢守となったのが祖で、以後伊勢国に広がった。平安時代の終わりには伊勢平氏(平清盛の家系)に従うことで全国に勢力を広げた。現在でも三重県北部には伊藤さんが非常に多く、三重県全体でも伊藤さんが最多。ここから、濃尾平野一帯に伊藤さんはたいへん多い。

 伊藤姓の有名人

 伊藤蘭、伊藤咲子、 伊藤かずえ、伊藤さやか、伊藤つかさ、伊藤みどり

 伊藤淳史、伊藤英明、テリー伊藤
 
 7位 山本

 本氏は地形由来の名字のため、そのルーツは全国各地に無数にあるといっていい。山の麓に1本の道があり、その道に面して家を建てるというのは農村部ではごく普通のことだった。こうした場所に住んでいたのが山本さんである。したがって、山本さんのルーツは無数にあり、公家から庶民まで実に様々なルーツの山本氏がある。

 山本姓の有名人

 山本リンダ、山本未来、山本梓

 山本太郎、山本小鉄、山本浩二、山本譲二、山本寛斎、山本圭、山本裕典

 8位 中村

 中村氏は方位由来とも地名由来とも考えられる。というのも、「中村」とは、中央の村、あるいは中心となる村という意味で、もともとは方位由来だが、そういう場所は「中村」という地名になっていることも多く、そうした場所に住んだ一族が中村氏を名乗った。こうした由来のため、そのルーツは全国各地に無数にあるといっていい。とくに「中村」という地名は、全国一多いという説もあるほど各地にみられ、各地に中村一族が住んでいたことが知られている。

 中村姓の有名人

 中村あづさ、中村綾、中村玉緒、

 中村雅俊、中村敦夫、中村梅之助、中村獅童、中村七之助、中村勘九郎

 9位 小林 

 小林とは文字通り小さな林であり、まだ若い成長途上の若林の意味にも使われた。また、小林の小は「オ」と呼んで美称の接頭語を表し、名字としては林と同じであった。名字としての小林は全国的に分布するが、とくに目立つのは上野と信濃の小林氏である。
 上野の小林氏は桓武平氏の出で、緑野郡小林と多野郡御厨小林を根拠とした秩父氏高山党の分かれという。源頼朝の奥州征伐に際して、同族の高山氏や大胡・佐貫氏らと参加している。南北朝の争乱期、山名氏にしたがって上洛、その有力部将として守護代に任じられたものもいる。丹波篠山にある沢田城主小林氏は、その子孫といわれている。また、室町時代初期、上野一揆の有力国人としてもみえている。一方、信濃の小林氏は伊那郡と諏訪郡から発祥した二つの流れがあり、いずれも諏訪神家にゆかりがある。諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族であり、伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。知久氏は清和源氏満快流だが、諏訪氏と姻戚関係があり諏訪氏とは同族とみなされる。
 その他、木曽義仲の子孫、藤原氏の流れという小林氏があり、戦国時代はじめの甲斐国東山梨郡に小林尾張守・和泉守という豪族があり、巨摩郡には信濃から移住したという小林氏がいた。信濃の隣の越後国では上杉謙信の侍大将の一人に小林左馬介の名が見え、魚沼郡にある越後一宮弥彦神社の神官に小林氏がいた。江戸時代の長岡藩士や米沢の上杉の家臣にも小林氏が見られる。

 小林姓の有名人

 小林聡美、小林麻央、小林麻耶、小林綾子、小林幸子、

 小林克也、小林清志、小林稔侍、小林亜星

10位 加藤

 加藤も下に「藤」のつく名字で、藤原氏の子孫。「加藤」の「加」は加賀国(石川県)の「加」で、藤原北家利仁流の末裔というものが多い。加藤氏は、藤原利仁から七代目にあたる景通(道)が加賀介となり、「加賀の藤原」として「加藤」を名乗ったのが始まり。その子景員(清)は伊勢国(三重県)に転じて伊勢加藤氏の祖となり、以後加藤氏は東海地方に広まっていった。とくに、景員の二男景廉の子孫は美濃国で広がり、武家の加藤家は美濃国の出というものが多い。戦国武将加藤清正も美濃の加藤氏の出という。
現在でも岐阜県で最多となってるい他、東海地方に集中している。

 加藤姓の有名人

 加藤夏希、加藤あい、加藤紀子、加藤治子、加藤ローサ、加藤綾子

 加藤茶、加藤武、加藤晴彦、加藤雅也

 11位以下は吉田、山田、佐々木、山口、斎藤、松本、井上、木村と続く。いずれも地域によって相当ばらつきがある。姓名は土着に根ざしていることの証明だろう。

 記事作成:7月21日(日)

2013年8月20日 (火)

CMの彼女③

 今回、「CMの彼女」シリーズも第3弾を迎えた。本日の彼女は、現在放送中のNHK朝の連続テレビ小説「あまちゃん」で、主人公アキ(能年玲奈)の母親・天野春子(小泉今日子)役の娘時代を演じている女優さんだ。彼女は前々から可愛いと思っていたが、NHKの超人気番組に抜擢されたことで注目を集めることとなった。もうおわかりでしょう。あの聖子ちゃんカットで、アイドル歌手を夢見て北三陸町から上京した女の子を演じている。その彼女がオファーを受けて出演したCMがリクルート情報誌の「フロム・エーナビ!」だが、私がここでイチ押しで紹介したいのは、伊藤園の「TEAS' TEA」だ。さっそくご覧下さい。

 フロム・エーナビはコチラ

 彼女の名前は「有村架純」だ。若手タレントだが、芸能歴は長く、水着モデルやグラビアにも度々登場したアイドルだ。撮影秘話は下をご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=balQtkExD1Q

 ABCマート(コンバース)はコチラ

 亀田製菓 柿の種

 ほっともっと

 あまちゃんの画像はコチラ http://www.youtube.com/watch?v=QybbJkG1zz4

 有村架純

 <プロフィール> Wikipediaより

 1993年2月13日生まれ / みずがめ座 / 兵庫出身 / B型/ 163cm

  •  中学3年の時、ドラマを見ていて「自分ならこう演じる」と自然に考えている自分に気づき、女優を志すようになる。
  • 2009年 - 12月、兵庫県内の高校に在学中に、FLaMmeのオーディションを受けて合格した。翌年4月に上京。
  • 2010年 - 1月、サンケイスポーツの新春企画「新春ガールズ」が芸能界の初仕事となる。
    5月、『ハガネの女』でドラマ初出演。12月、携帯ブログをスタートする。
  • 2011年 - 1月、東京ディズニーシー「春のキャンパスデーパスポート」でCM初出演。11月、『ギャルバサラ -戦国時代は圏外です-』で映画初主演。
  • 2013年 - 4月、出生地である伊丹市より「伊丹市大使」に任命される。7月、アメーバブログをスタート。
  • 連続テレビ小説 あまちゃん(2013年4月1日 - 、NHK) - 天野春子(少女期) 役
  • CMは数多く出演している。東京ガス、大塚製薬、AC JAPANなど。ケツメイシの「仲間」のPVにも出演した。

    http://www.youtube.com/watch?v=rqbm-npiTMY 東京ガス

    http://www.youtube.com/watch?v=NnKSWvdtSgU カロリーメイト

    http://www.youtube.com/watch?v=mt5RhzUtHok AC JAPAN

     私の印象としては、堀北真希と長澤まさみ、それに前田敦子を足して3で割ったような顔立ち。渡辺美奈代や福田沙紀にも似ている。いかにも純粋培養でお嬢さん風の彼女。現在20歳。今後、演技にもますます磨きをかけてもっとメジャーになっていくに違いない。 

     お宝映像はコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=kA56QIepgV8

     記事作成:8月10日(土)

     

    2013年8月17日 (土)

    郡山の公共施設探訪記(8/17)

     このチョイ旅は、前日に考え出した単なる思いつきプラン。市内周遊の近場ではあるが、前回8月9日(金)決行の「磐梯熱海・猪苗代周辺ミステリーツアー」で行きそびれた箇所のリベンジも兼ねて実施。前日も34℃を超える猛暑のため、早朝出発、午前中帰宅は前回同様。今回の計画段階の旅程は以下の通りだ。

     「郡山の公共施設探訪記」 実施日 8/17(土)

     6:00起床ー6:30自宅発ー7:00磐梯熱海・東京電力丸守水力発電所ー7:40中山峠・東京電力沼上水力発電所ー8:30高玉金山選鉱所ー9:30御霊櫃手前。堀口浄水所ー10:15多田野・浄土松公園(きのこ岩)ー11:15静御前堂ー11:30自宅着

     訪問箇所はほんの5箇所だが、中身が濃いと思っている。本当は、今週末に大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸・大川小跡・石巻へ慰霊訪問したいとも考えたが、思いのほかガソリン代が値上げとなり、断念。気仙沼の大型漁船の解体が決まったため、その前に、しかと震災の爪痕をこの目に焼き付け、更には復興支援の一助となるべく散財して来たかったがやむを得ない。従って、今回が近場だがこの夏クライマックスとなるチョイ旅である。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     実際の行程は以下の通り  8月17日(土) くもり/晴れ

     6:45 起床6:30出発のはずが、この時点で寝坊して遅れる。その後、PC作業などで
         更に遅延。今回は4箇所なので、時間はさほど影響なし、暑くはないが、分厚い雲
         に覆われ、雨が降りそうな空模様。
     7:52 自宅発 GSメーター半分以下。会津街道に入り、白のオデッセイの煽りを受け
         る。喜久田小の前を通りT字路を左折。
     8:02 トライアル5.3km。ペット茶2本。手巻き寿司2パック、パン2個で771円。1万
         円札を崩す。8:08発。出光の中型タンクローリーの後ろ。でも早い。熱海界隈の
         山々が靄っている。無法ライダー、追禁道路を平気で車線オーバーして追い越し
         ていく。
     8:13 R49から温泉街の道へ。前の黒のエリシオンがやたら飛ばす。レーダーパトが
         いるかもしれないのに・・・。自重して50km/h厳守。駅前を通り次の信号を左折。
         細い下り坂を降りて小さな橋を渡ると、右手に鮮やかなレンガ色の建屋がある水
         力発電所へ。

     8:17 東京電力丸守発電所着。もちろんここは立ち入り禁止で、堅く門扉が閉ざされて
         いる。山の斜面を利用して太いパイプが3本走り、その高低差を利用して水を流
         し、その勢いでタービンを回して発電する。中の見学は事前の予約が必要。土日
         は元々ダメらしい。ここは福島県民の敵である「東京電力」の施設だが、原子力で
         はないので・・・。ここは福島県内でも古く、大正10年に建設された施設。左側に
         は巨大な碍子の形をした変圧器の施設。発電機で発電した電気を送電用に昇圧
         させる変圧器だ。富久山町久保田の変電所にあるような施設だ。橋の袂に車を
         移動し、橋の上からも撮影。こちらのほうがベストアングル。

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     8:21 丸守発電所発。金蘭荘隣りには例の「河鹿荘」廃墟跡。まもなく解体が始まりそ
         うだ。8/5に人間ドックでお世話になった太田熱海病院前を通過。黄色く映える大
         和の五角形の建物を川越えに見て、やがて左折してR49本線に合流。旧中山宿
         駅手前の国道から右上を見たら、訪れた車庫の屋根が見え、ちょうど赤べこ号が
         郡山方面に走り去って行った。風車のあるうどん屋「風神」の前へ。妙に寂れてい
         て「おかしい」と思ったら、どうやらここも廃業。がっかり。中山峠への左カーブの
         右手にあるモーテル「きょうの午後」だが、前回営業中と告知したが、どうやら入
         口にロープが敷かれ、やっている様子がない。登坂車線の右側をゆっくり進行。
          途中の「沼上発電所」への入口を見落とさないためだ。喫茶店のすぐ先にそれは
          あった。右折して細い道を下り、磐越西線の小さいガード下を潜り、100m先に草
         っぱらの空き地があって、その右側に「沼上発電所」はあった。

     8:30 東京電力沼上発電所着。19.5km。虻や蜂が車の周囲を取り囲み、ドアや窓を
         開けられない。いきなりフロントガラスに巨大なバッタが体当たりしてくる。クマが
         出そうな雰囲気もある。案の定、窓の隙間から4~5匹の虻が入る。
          明治15年に竣工した安積疎水(あさかそすい)の沼上滝の落差を利用し、郡山
         絹糸紡績会社(現在の日東紡績株式会社)が明治32年6月に運転開始した発電
         所。当時は、出力300kW、電圧1万1000Vで、22kmあまり離れた現在の郡山市に
         送電し、同市の産業発展の原動力となった。この沼上発電所は県内で2番目に
         古い。
          そしてここに来た目的はもう一つ。それは或るブログを見て、しらじらしい東電
         の注意書きの立札を見つけるためだ。それは左側の雑草の中にひっそり立って
         いた。アップで写メ。すると水力発電のパイプの左側に大きな滝が流れ落ちてい
         るのを発見。壮観だが、この枝や木の葉に隠れて全景を拝むことは不可。滞在
         中、辺りはひっそり静まり返り、無人。施設はもちろん立ち入り禁止。ここも見学
         は事前予約必要。外観の写メのみ。

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    右側の立札にはマジ腹が立つ。福島県に放射性物質のゴミを捨てまくり、未だに高濃度の汚染水を海に垂れ流し、沿岸漁業や水産業者、漁協に大損害を与え続けている。震災前もさんざん隠蔽工作して福島県民を欺いてきた張本人が何を偉そうに・・・。良心の欠片も無いくせに、自分のことは棚に上げて、「どの面下げてどの口が言う」という感じだ。

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     8:35 沼上発電所発。走りながら窓を開放してなんとか車内の虻を外へ出した。
         間違えて右折してしまいUターン。峠道を下り温泉街方面へ戻る。途中、廃屋と化
         した「風神」を写メ。R49沿いには「大野屋」とか潰れて何年も放置されたままの店
         が多く点在している。
     8:41 熱海トンネルへ。長さ1,340mある。ラジオ使用可。

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     8:43 味噌屋の交差点を右折。すぐに左折してスケート場と球場の坂を上って下る。こ
         こは、2年前にLIVE福島の会場になった場所。福山雅治や長澤まさみ、猪苗代湖
         ズ、西田敏行らが熱唱した。また、隣りの全天候型の熱海球場は、子供がスポ少
         に所属していた時、「まさかり投法」で活躍したロッテのエースだった村田兆治の
         野球教室が開かれた場所。懐かしい・・・。左折して会津街道復帰。
     8:46 熱海中入口の200m先の集落から「熱海カントリークラブ」側に左折。集落の細
         い道を分け入る。いきなり左に急な石段の神社らしき名勝が。入口に「横川館跡」
         の文字。写メを撮り損ねたので帰り際撮影を決意。次に向かうは前回断念した高
         玉金山選鉱所跡」。航空写真だと熱海C.Cの手前を左に入れる道があるが・・・。
         標識を頼りに左折して狭い田んぼの一本道へ。3.5km先がゴルフ場。磐越自動
         車道のガード下を潜る。くねくね道路。やはりここもいつクマが出てもおかしくな
         い山間。対向車もあまり来ない。後続車は皆無。
     8:54 開けた場所へ。左の山にはところどころ山肌が禿げている。するとフェンスが張
         り巡らされ、「高玉鉱山管理地」の文字が。そう、この一帯がもう金山なのだ。2回
         止まって写メ。何台か車通過。しかし、左側に入れそうな道無し。林道っぽい道す
         らない。幅員狭く、対向車を手前で止まってやり過ごす。

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     8:56 ついに熱海C.C入口まで来てしまった。34.5km。写メしてUターン。暑い・・・。

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          すると右側民家の隣りに草で覆われた幅2mほどの山道があった。しかし車は  
         通行止め。しかも脇に「動物よけの4500Vの電磁柵あり」の立札。ここから徒歩
         で1時間の山登りはキツイしクマに襲われる危険があり断念。渋々戻るが、先ほ
         どの管理地のフェンスの中に立派な広い砂利道が山奥まで続いていた。衛星写
         真はこれだったのだ。せっかくリベンジでここまで来たのに無駄骨だった。急に対
         向車が増えた。ゴルフ場へ向かう車っぽい。

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     9:03 七瀬山の部落の先で左に空き地。そこから剥き出しになった山肌が見え、写メ。
         何か気持ちが悪い感じ。行ったり来たり、アップダウンの道で車酔いのような症
         状。すれ違えないような狭い箇所あり。この辺り、立ち入り禁止場所多い。ガード
         下を潜ってふたたび集落へ。
     9:11 史跡・横川館の前で停車し、車の窓越しに急いで写メ。神社という佇まい。急な
         石段はお年寄りでは無理。

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          左折して会津街道に復帰して、Y字路を右へ。スキーの帰りによく通ったR49の
         添田自工へ抜けるショートカットだ。安子ヶ島の集落を抜ける。更に右折し、踏切
         を渡る。前回もここを通った。R49を横切って工業団地方面へ。緩いS字カーブ。
         モーテルが2軒「Asian」と「Fuji」。アップダウンとカーブが多く、またしても気分悪く
         吐き気模様す。右の路側帯に木で出来た小さな鳥居・・・。怖い。下り坂の後、大
         きな十字路へ。一旦右折して県道29に入ったが、Uターンして右折。広い道路を
         登って行くと、TAAという企業が。ここは待池台の西武工業団との端。間違えたこ
         とに気づき、またUターンして先ほどの県道29に入り直す。無駄走りばかり。河内
         (こうづ)&逢瀬公園方面へ。次の予定は「堀口浄水場」だが、その途中に「眺望
         苑」の入口があるはずなので、注意深く進行。セミの鳴き声響く。ぐるり回り込む
         ように進む。一箇所、集落中の狭い道で対向車2台に道譲る。
     9:22 河内小分校。森の中の綺麗な校舎。沼にかかる橋を渡る。中学生のチャリ軍団
         4人すれ違う。その先で、それっぽい入口を発見。 

     9:25 眺望苑入口。路肩に停車。49.0km。歩いて戻って入口へ。昔と雰囲気が違う。
         かつては、非常にわかりずらく、森の木や雑草が多くて、この入口も確認できない
         感じだったが、広くなっていて、「高篠山森林公園案内図」まで立っている。残念な
         がらその先の林道はゲートで車両通行止め。ここは、平成2~3年頃、昔付き合
         っていた彼女と3回訪れた想い出の場所。すれ違えないような狭い峠の山道を上
         がると、郡山市内を遠景で夜景を楽しめた知る人ぞ知るナイトスポット。週末には
         カップルが乗った車でごった返した場所だ。それももう20年以上も前の出来事。
         もう行けないようだ。土砂の撤去工事中のようだ。その道を挟んだ反対側には古
         めかしい石碑が建っていて不気味。

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     9:29 眺望苑入口発。その先左に「河内埋め立て処理場」あり。昔、実家をリフォーム
         した際に、粗大ゴミがわんさか出て、トラックで数往復して捨てに来た場所。重さで
         処理代が決まるシステムだった。十字路へ。その右手には、幼少時代にお世話
         になった、お手伝いのおばちゃんがいた家がある。生きていればもう100歳近い
         筈。そしてその先には右手が片平クリーンセンター(清掃工場)、左手が問題の逢
         瀬公園駐車場。殺人事件が起きてから、訪れる人が激減。気持ち悪く吐き気最
         悪。
     9:34 堀口浄水場・御霊櫃峠方面へ右折。田んぼの中の一本道。プッシュ式のペンが
         戻らなくなり、直す。ケアホームひまわりの前を通過。間違えて多田野小堀口分校
         へ。更にその先を左折したら。浄水場の門扉で行き止まり。写真撮影してUター
         ン。更にその先、標識が出てきたので左折。

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     9:43 やっとのことで堀口浄水場へ到着。しかし、駐車場には7~8台車がいたが、人
         影なし。土曜日なので休み?門に「御用の方はインターホンで」という記載があっ
         たので、それで「見学できたのですが、連絡。しかし!「職員に何も聞いていない
         し、委託業者なので判断しかねる。写真も許可の判断できない」というそっけない
         応え。昔から役所仕事は融通が利かない。私が暮らす八山田界隈は、ここの水
         を飲んでいるのに・・・。せっかく遠くまで来たので、自己判断で遠目にシャッターを
         一枚だけ切った。冷たい応対にそそくさと帰る。

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    9:47 堀口浄水場発。帰り道の坂で、前方の丘の上に、一度スポ少で訪れたことがある
        高篠山森林公園の建物が!しかし、この山奥の大久川で山岸さんという若い女性
        が他殺死体で発見されたことを思い出した。こんな人目につかない場所に運ばれて
        捨てられたなんて・・・。未だに犯人は捕まっていない。人を殺して平気でいられるの
        だろうか?無職の少女だったが、交友関係が広くて特定できないらしい。
         御霊櫃峠も心霊スポットとして有名。私がドライブで昔の彼女と訪れたりしていた
        のは平成2~3年頃。当時は9割方が林道の典型である砂利ダートだったが、近
        年、全面舗装化され、頂上まで難なく行き来できるようになったようだ。この辺りは
        野生クマの生育域になっているし、リスやハクビシン、タヌキなども出没する。

         右折して来た道を戻る。競輪選手らしい2人が対向。近くに旧うすいの女子寮跡
        があるため、立ち寄ることにした。ナビと照合して一本南の一本南の道路にそれら
        しき建物が見えたので、田んぼの中の一本道をショートカット。すると妙な光景が。
        入口が工事用の塀で囲まれ、「解体工事中」の文字が・・・。なんとここもか!私が
        ブログで取り上げたミステリースポットがことごとく解体という憂き目に・・・。これも時
        代の流れか?それとも心霊スポットなどというありがたくないレッテルを貼られたか
        らか?こんな人気もない市街地から15kmもかけ離れた場所によくぞ「うすい」は女
        子寮を建てたものだ。これでは隔離とか軟禁状態ではないか?遠巻きに写メ。隣り
        は「平川倉庫」。左折して県道6号へ。通称安高通りの延長線で三森峠に通じる道
        だ。続いて浄土松公園へ向かう。
         多田野の神社前を通過後、すぐに小学校の脇の細い道を右折して分け入る。グ
        ラウンドには誰もいない。やがて田んぼの真ん中の道にその公園を示す標識が現
        れた。しかし、直進して緩い坂を上った先で通行止め。Uターンした場所にも道端に
        2つの小さな鳥居が置かれている。切り返す際にぶつからないよう細心の注意。戻
        って右折。200m先に公園の駐車場有り。

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    解体工事中の「旧うすい女子寮。「心霊スポット」のレッテルに耐え切れずの解体か?


    10:00 浄土松公園駐車場着。64.4km。気持ち悪くて吐きそう。なのに、これから山登
         り。最悪。案内図で「きのこ岩」の場所を確認。そこは広場でキャンプ場とアスレチ
         ックの遊具があるが、無人。モニタリングポストの数値は0.277。園路を回り込
         み、折れた標札には「きのこ岩」まで20分かかりますの文字。ここから草をかき
         分け、悪路の細い山道を進む。すぐに息が上がる。階段や段差もあり。息を整え
         たいが、虻とか蜂が集ってくる。汗だくで息苦しい。誰ともすれ違わない。こんな
         30℃近い真夏の暑い日に、ハイキングする奴はいない。やがて下りに。板の橋
         が2箇所。草木の間から、右下にそれらしき白茶の巨岩群が・・・。蜘蛛の巣をか
         いくぐって獣道のような散策路の坂を下りる。いつクマが出ても不思議ではない。
         襲われたら疲れているし、ひとたまりもない。20分かかるというが、10分ほどで
         広場へ到着。蟻もでかい。クタクタ。

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    10:10 きのう岩到着。意外と近い。子供が小さい頃に訪れて以来、10年振り以上の再
         訪だが、妙に狭く感じる。それは震災の影響で岩が所所崩れ、立入禁止となり、
         ロープで仕切ってあるから。しかも周囲は雑草だらけで手入れも整備もしていな
         い。寂れた印象。昔は少年自然の家に宿泊し、フィールドワークで大勢の小学生
         が訪れ賑わった場所。廃れたものだ。ベンチもなく、休憩ができない。唾を吐いて
         呼吸を整えるが、照りつける太陽と滝のようにほとばしり、滴り落ちる汗。周囲は
         誰もいないし、もし心臓発作で倒れたら、誰も助けに来れない。クマに襲われても
         同じ・・・。人知れず死んでいくしかない状況。カッパドキアに似た風情だが、景色
         をゆっくり堪能している余裕などなかった。スタンプラリー用の木箱にスタンプ有
         り。一応ノートに押印。怖いので、疲れがとれないまま、来た道を引き返す。

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     郡山市の公式HPはコチラ

    10:14 きのこ岩発。僅か4分の滞在。最初の上りを乗り切れば後は楽だが、精神的負
         担は大きい。帰りも板の橋で息継ぎ休憩。心臓バクバク。汗が止まらない。暑す
         ぎ・・・。何とか戻れた。キャンプ場の広場を周り、整備されたWCで用を足す。水分
         補給したい。

    10:24 ナビをセット後、浄土松公園駐車場発。どこへ行っても無人。そんなに孤独が好
         きなのか?次は本日のラストの訪問先「静御前堂」だ。右折して県道6号へ戻る。
         東へ。途中、右手に尚志高校の巨大な校舎が見える。高速のガード下を潜って、
         やがて分岐(10:29)。娘もここまで通わずに済んで良かった。遠すぎ!怪しい自
         販機が隠すように置いてある「こっそり堂」の前を通過。ナビに従い、Y字路を右に
         入り、大きな道路へ左折して合流。ここは郡女通りの延長線上。ベニマル、カワ
         チ、エネオスのGSの交差点。3日前もここを通ったばかり。直進し、500m先左側
         にお堂を発見し、左折。駐車スペースがなく、切り返してUターンして、お堂の前に
         路駐。
    10:35 静御前堂着。70.7km。この一角だけ空気が違う。周囲は住宅街なのに、この
         一体だけ鬱蒼としている。お堂も古そうだが、その左隣りに慰霊碑(お墓)と石碑
         が多数。さすがにいくら静御前のものとはいえ、墓の写真は撮れなかった。案内
         板には義経との悲恋話が・・・。義経を追って奥州街道を旅して来た静御前姫。こ
         の地で、義経の訃報を耳にし、悲観してこの地で自ら命を断ったというのだ。その
         際、かつぎ沼にかつぎ物を捨て、自身は大槻町の免許センターの向かい側のあ
         る美女池に身を投げ、自害したという。そして哀れに思った地元民が、ここに骨を
         埋葬し、墓を建てたという言い伝え。東北や北海道各地に静御前に纏わる伝説や
         伝承があるため、真偽のほどは定かではない。
          この裏手はこんもりとした場所で、なんと古墳。「針生古墳」という名称。びっく
         り。パワースポット的な場所。見学の間、車2台が不穏な動き。もしかして俺がい
         なくなるのを待っている?黒のアスリートとガンメタのフィット。

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     郡山市の公式サイト 
     http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-50.html

     http://www.fukutabi.net/fuku/kooriyama/sizuka.html

     静御前の生涯についてはコチラ

     http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%99%E5%BE%A1%E5%89%8D

    10:42 静御前堂発。そのままR4バイパスの高架橋まで直進し、左折。アミューズパーク
         の前を通過し、そのまま直進してバイパス合流。

    10:44 R4バイパス。交通量多い。追い越し車線も流れが悪いと思ったら、先頭に白バイが悠々と走行中。60km/hペースで巡行。やはりここの路線は多い。
    10:47 テニスコート脇でバイパスを下り、自宅へ向かう。
    10:50 自宅着。無事故無違反で帰宅できて良かった。車載温度計は30℃。帰宅後、
         花巻東が済美の安楽を打ち崩したことを知る。
     
     総走行距離 76.4km GSメーターは残り1/3程度。

     費用 トライアル 771円

      (後記)

     予めお断り申し上げますが、今回はやや不完全燃焼の旅となりましたが、ご覧いただいたように、立入禁止区域や危険箇所には決して立ち入ってはおりません。ここを訪れる方は、法に触れる真似や公共のマナーに反する行為は絶対にしないようにお願い致します。 

     さて、高玉金山といい、堀口浄水場といい、予約がないと見学できないので残念な旅となった。そして何度も行ったり来たりしている間に、また車酔いで気持ち悪くなり、めまいやら吐き気。最後の山登りも暑い中、蜂と闘いながら汗だくで苦しかったが、運動不足解消に少しは役立った筈だ。これで夏のショートトリップ(チョイ旅)は最後となる。釣りにも行かず、よくやっていると思う。某女性アーティストの墓参りを兼ねた鉄道博物館付き東京往復プランは、秋か冬に日帰りで行こうと思う。

     記事作成:8月17日(土)

     (追記・8月20日)

     東京電力の電力施設を見て回った矢先の8月20日(火)に、東電側が高濃度の汚染水が敷地内に建設した貯蔵タンクから漏れていることを明かした。震災から2年5ヶ月以上が経過した今でも、こんな状態。いっこうに解決への糸口が見えない。2011年の12月の時点で「原発事故収束宣言」を強硬的に出した野田元首相への強い憤りを新たにした。50cmの高さの地点での放射線量はなんと100ミリシーベルト/hである。極めて危険な状態である。しかも汚染水を貯蔵するタンクを建設する場所が周辺の東電の社有地にはもうないという危機的状況。しかも、これを発表した東電の担当者は何一つ悪びれた様子はなく、淡々と報告するだけ。感覚が麻痺しているのではないか。平和な日々の暮らしを一方的に奪っておいて、この傲慢な態度は一体何なのか?責任を感じていないかのような対応だ。福島県民をどこまで馬鹿にする気なのか?今でも数万人が避難し、故郷を追われて仮設住宅暮らしを余儀なくされている。この現状を東電は真摯にとらえ、誠意ある対応をして貰いたい。

    2013年8月16日 (金)

    THE いじられキャラ

     「いじめ」が再び社会問題化している。というか常套化している感すら否めない。全国でいじめを苦に自殺する小中学生が相次ぎ、事態は深刻な状況下にある。人が自ら命を断つからには、他人には計り知れない相当の苦痛を伴うものだし、いじめている本人は、その自覚に乏しく、そこまで追い込んで初めて、自分の罪深さに気づくことが多い。しかし、その時点で自覚しても時既に遅しである。人命は地球より重い。失われた命は二度と甦らないという事実を身をもって知る必要がある。いじめまでいたらずとも、どの地域にも、どの学校にも、どの職場にも「いじられキャラ」と呼ばれる方々がいる。私は、勝手な思い込みかもしれないが、血液型がA型の人がそうなる確率が高いような気がする。 A型の性格は、もとよりサービス精神旺盛で、おやじギャグや自虐ギャグをかまして場を盛り上げようと涙ぐましい努力をするが、結構それが滑ってしまう。だから、いじられてしまう雰囲気を自分自身が無意識のうちに作ってしまう傾向がある。もちろん血液型で決まるものではないが、いじられキャラには不思議なくらい似た傾向がある。では、そのことを例証するために、芸能界で「いじられキャラ」として取り上げられる方をピックアップし、検証してみたい。

     児嶋一哉(アンジャッシュ)

     彼は、からかわれると一応反論らしきことは言うが、そこは芸人の哀しい性。強く言えない立場を自らが認識している。それを笑いにつなげようとして却って墓穴を掘っている印象。相方にも愛想をつかされている感じが否めない。へらへら対応が招いた自業自得的ないじられキャラと化してしまった。

     磯野貴理

     行列のできる法律相談所では、島田紳助にさんざんいじられた。その状況を今でも引きずり、東野幸治にまでからかわれるキャラに落ち着いている。中途半端で思わせぶりなリアクションが災いし、それが周囲にウケてしまい、現状に至っている。個人的な意見では、彼女は黙っておしとやかに振舞っていれば、美人で通ったのに、自らの対応のまずさから墓穴を堀り、傷口を広げてしまい、哀しい性(サガ)としか言い様がない。

     大野智

     ご存知、ジャニーズの超人気グループ「嵐」のリーダー。性格が穏やかで、リーダーとして常に周囲を円満にしようと心がけた言動や行動をしていることが、逆にいじり連中にツッコミの機会を与えている印象。それでもそこはジャニーズ。彼の存在はピカイチで、もし彼がいなければ、嵐は今のリレーションを保てていられるかは微妙。外見は穏やかだが、プライドが高く、本性をなかなか見せないA型中心のグループだけに、彼のようなゆるキャラは緩衝材になり、欠かせない存在。TOKIOも城島茂がいなければ、もしかして衝突や軋轢が多くて、とっくに解散に陥っていたかも。

     狩野英孝

     芸人の中でも独特な性格。ネタで自分がイケメンだと勘違いしているから、周囲からツッこまれて然り。自らの言動やスタンスを取り違えたことが今のいじられキャラを作り出している。そして自分自身の存在や位置関係を認識していないため、余計にからかわれる場面を自らが作ってしまう。しかも実家は神社ということで、プライドは高く、上から目線の傾向。それが災いし、自らの非を認めないだろうし、謝ることも苦手。それがドツボにはまるなかなか抜け出せない要因となっている。

     トシ(タカトシ)

     タカは友人も多く、愛されキャラだが、トシはプライドが高い。冗談で悪口を言われても「誰が~だよ」とまともに受けてしまい、O型のようにおとぼけで受け流すことができない。逆に言うとツッコミ甲斐があって、その反応を楽しみたいといういじり方だろう。

     近藤春菜

     角野卓造似と言われ、「誰が卓造だよ」といいつつ、それを自らのネタのレパートリーにしてしまっていることで、逆にからかわれる回数を増やしている。本人は嫌に決まっているが、それをギャグにしていることで、強く否定できなくなってしまった感じ。自分を犠牲(ネタ)にしてまで相手を喜ばせるタイプ。

     ブラマヨ吉田

     負け犬の遠吠え的な存在。たいしてネタも個性や才もないのに、威張り、虚勢を張るタイプ。かつての高慢を絵に描いたような性格の石橋貴明もそうだった。気分次第で当たり散らして周囲を不機嫌にしたり、友達にしたら一番厄介な人物。それを指摘されると、自分のことを棚に上げて逆ギレするタイプだ。

     山田隆夫

     ご存知、座布団運びの山田君だ。元アイドルグループの「ずうとるび」のメンバーだった。NTV系列の「笑点」に松崎真の後任として、座布団運び役を任されて以降、たびたび大喜利メンバーにいじられている。

     一応、「いじられキャラ」として世間が認知している面々だが、不思議なことに全員がA型である。他にもドランクドラゴンの鈴木拓もこのテーマに合致する人だが、彼もA型。彼等の様子を窺うと、いじられキャラには共通の特徴があるように思える。以下、列挙したい。

     ・優しくおとなしい人が多い。
     ・からかわれても反論できず、自らもそれを面白がってしまい、ますますいじられる機会を与えてしまう。
     ・本心を言えず、いじられてもニヤけてしまう人に多い。
     ・からかわれた時のリアクションが面白いため、余計にからかわれてその反応を楽しまれてしまう。
     ・からかわれてもめげないタイプ。凹まないので、へこむまでからかわれてしまう。
     ・自分の欠点を素直に認めない特徴。
     ・本気と冗談の区別がつかないタイプ。
     ・優柔不断で長いものには巻かれろタイプ。
     ・個性や才能がなく、平凡タイプ。なのに強がって自己主張だけはいっちょまえにする人。
     ・ちょっかいを出されても強く否定しない。嫌がる素振りを見せないタイプ。
     ・からかわれるとマジギレしたり、ムキになって怒るタイプ。その反応を楽しまれる格好のいじりターゲットとなる。
     ・冗談を真にうけ、うまく交わす処世術を身につけていない。
     ・自己主張がなく、受身で自分から行動できない。
     ・冗談が通じない生真面目タイプ。自己抑制が強い。
     ・自虐ギャグやオヤジギャグをよく言うタイプも、空気が読めずからかわれる原因となる。
     ・たいした才もないのに、自慢したり、自分を大きく見せようと虚勢を張るタイプ。威張り腐ったりするのもマイナス。

     いずれもA型の性格を代弁しているかのような特徴傾向である。

     ではA型以外でいじられキャラというと誰か?

     出川哲朗(B型)、山崎弘也(アンタッチャブル)(B型)、堤下敦(インパルス)、山崎邦正(O型)、上島竜兵(AB型)あたりか。それでもいじられ方はA型の比ではない。それはB型は個性的で、いじられてもそれを逆手にとって、自分のウリにしてしまうし、O型は対人関係がうまいので、おとぼけやするりと交わす術を心得ている。いじられる雰囲気を作らせないし、あまりいじり甲斐がないのだ。

     さて、最後に断っておくが、A型の皆さん、悪く思わないで欲しい。そうした特徴をA型の方は知らず知らず自然に作り上げてしまうということを知ってほしいだけなのだ。この型は、とにかくプライドが高く、人付き合いがあまり得意ではないため、相手との距離感を常に意識したり、その場の雰囲気を盛り上げようと斟酌しているA型ならではの性格が災いしている。また、「異端児」と見られたり、社会からはみ出すことを嫌う性格のため、自己抑制が強く、周囲に合わせ、自らの主張を押し殺し、凡庸や平凡さを装うとする傾向が強い。したがって、多少、自分を自虐しても周囲に馴染もうとする性格がいじられ傾向を強めているのだ。
     しかし、いじられキャラは決して悪いことだらけではない。それは、周囲から放り出されて孤独に陥るのではなく、人間関係において「優劣関係」はあるものの、放っておけない存在となるからだ。ある意味「ひとりぼっち」になることは少なく、からかわれながらも、そのグループではなくてはならない存在になることが多いからだ。意外とお得な性格なのかもしれない。自分はいじられキャラだと嘆いているそこのあなた。全然落ち込む必要はない。問題なのは、誰からも相手にされず、存在感や所属感もなく、生きがいを見失ってしまうことほど恐ろしいものはないからだ。そこで180度考え方や発想を変え、「それが自分の生きる道」と今の境遇を逆手にとって前向きに生きてみてはいかがだろう。つまり欠点を長所に変えるのだ。そうすれば、あなたが思っている以上に周囲はあなたに好意をもって接してくれるだろう。

     

     記事作成:7月25日(木)

     

    2013年8月15日 (木)

    神が授けた天賦の才能 ②

     先月、「神が授けた天賦の才能」(7月12日公開)という記事を書いたところ、大変な反響をいただいた。また、3年前には「天使の歌声」という記事もまた、未だに数多くのアクセスを頂いている現状を踏まえ、この手の記事は、やはり人の関心を呼び寄せ、その類まれな才能に酔いしれる傾向が強いようだ。世の中、まだまだ広く、そのような人には真似できないような特殊な能力や天賦の才能を若くして発揮する天才ちびっ子はいるようだ。今回は未成年限定で、そうした凄すぎるちびっ子たちを取り上げ、賞賛してみたい。

     福本まなか(11歳の奇跡の歌声)

    http://www.youtube.com/watch?v=TOOgwRHHL3M&list=RD02zZgNSwEI7Dg

    http://www.youtube.com/watch?v=FU8aiMn1NPU

     僅か11歳にしてプロ顔負けの小学生の驚愕の歌声!あの「仁-JIN-」のテーマ、MISIAの「逢いたくていま」をここまで熱唱するとは・・・。彼女の第一声を耳にした観客のどよめきと感嘆の声・・・。まさに天使の歌声。鳥肌もの。末恐ろしい気がする。

     メリッサ・クニヨシ

     彼女は日系ブラジル人で、彼女がこの動画映像に登場したのは僅か8歳の時。歌が大好きな一少女だった彼女が、ブラジルののど自慢大会に出場して以降、あっという間に注目を浴び、人気者となり、テレビ局の歌番組に引っ張りだことなった。8歳にしてシンデレラストーリーを歩んだ彼女のその奇跡の歌声を聴けば、誰もが酔いしれ、彼女の才能を認めないわけには行かない。持ち歌は「ハナミズキ」、「瀬戸の花嫁」、「愛燦燦」など渋い懐メロが多いことにも驚きだ。

    http://www.youtube.com/watch?v=1cCSLGIPiPg

     青野紗穂

     14歳の女子中学生シンガー青野紗穂がアポロシアターで優勝!
    ニューヨークの名門アポロシアターのアマチュアナイトに出場した弱冠14歳、兵庫県の­学校に通う中学3年生の日本人女性シンガー青野紗穂が優勝を果たした。
    青野紗穂が歌唱したのは先日惜しまれつつも他界したあの、ホイットニー・ヒューストン­の名曲「アイ・ハヴ・ナッシング」。ホイットニー・ヒューストンは青野がもっとも敬愛­するシンガーである。
    青野紗穂が出場したのはアマチュアナイトのキッズ部門「Stars of Tomorrow」。参加資格は5歳~15歳までが対象で、全米に留まらず、世界中か­ら才能あふれる子供たちが歌唱力を競い合う。
    観客の拍手と歓声によって勝敗が決まる、アマチュアナイトで、他の出場者の2倍の得点­を獲得し、青野は圧倒的大差で優勝を果たした。
    青野の圧倒的なパフォーマンスにイベントMCも「ものすごい実力だ!14歳とは思えな­い!」と驚愕のコメントを寄せた。
    「もしも、アポロのステージに立てて、賞をもらうことができたら、海外で認められるた­めの第一歩になるんじゃないかと思い、自信を勝ち取るために出場したいと思いました。­ステージでは最初は緊張していて歓声が聞こえませんでした。でも、途中から声援と喝采­がだんだん大きくなって聞こえてきて、歌いながら全身に鳥肌がたちました!判定で、ス­テージに戻った時に最初の2人の出場者への拍手もすごくて、負けるかと思いましたが、­自分の時も大きな歓声をもらい、振り向いたら最高スコアが目に入り、優勝を実感しまし­た。一般の観客のかたから、すごくよかったと次々に声をかけられ、実力を評価されたの­を実感できました。すごく嬉しかったです。次もがんばりたいです。」(「YouTube」の紹介文より)

    ● 青野紗穂プロフィール
    1997.10.19生まれ 14歳  中学3年生  兵庫県在住 血液型O型
    好きなアーティスト: ホイットニー・ヒューストン、ビヨンセ、クリスティーナ・アギレラ、レディ・ガガ、浜­崎あゆみ、安室奈美恵
    2007年に開催された「キラット☆エンタメ・チャレンジコンテスト2007」におい­て、全国約2千人の子供が参加したなかモデル部門の特別賞に選ばれる。それを機に、エ­イベックス・アーティストアカデミーにてダンスと歌唱の勉強をはじめる。

    http://www.youtube.com/watch?v=FCPQ5wd5WKA

     いかがでしたか。本日は3人の天才少女の奇跡の歌声を紹介したが、誰にも容易に真似できるものではないことは一目瞭然。だから人の心を惹きつけ、サプライズで迎えられ、感動を呼び起こすのだと思う。そんな神に選ばれし天賦の才能を持った彼女たちの行く末は前途洋洋。今後の活躍から目が離せない。

     記事作成:8月5日(月)

    2013年8月14日 (水)

    歴史に触れる旅・白河方面周遊記

     この夏、北海道再訪、磐梯熱海猪苗代ミステリー探険に続き、3度目のショートトリップ。まさかお盆のド真ん中に決行することになろうとは思わなかった。墓参り客や帰省客のUターンラッシュと遭遇する可能性は高いものの、有給休暇ももう使い果たし、この日しかなかった。例のごとく、朝イチで出発し、午前中で帰還したい考え。理由は猛暑対策。今年の夏は異常気象を絵に描いたような酷暑状態。高知県の四万十市では、日本最高気温を更新する41.0℃を記録した。灼熱地獄による熱中症を避ける意味で、早朝出発、午前中帰宅は当然といえば当然。では早速、当日の旅程と実際の行程を振り返りたい。

     事前の計画

     6:00起床ー6:30発ー7:15須賀川乙字が滝&ゴジラの卵跡ー8:00矢吹町文化セン

    ター(特攻隊訓練飛行場跡)ー8:15トイショップ・ウエダー8:45中島村童里夢公園(小室

    哲哉寄贈からくり時計)ー9:40白河の関跡ー10:15アウシュビッツ平和博物館(500

    円)ー11:15海(白河ラーメン・南湖公園南)ー11:45小峰城ー12:45矢吹ICー13:00

    郡山南IC(500円)ー13:15自宅

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     実際の行程 8月14日(水)快晴(34℃)

     6:20 起床 快晴青空。PC速度遅く、フリーズしたり動作不良でイライラ。出発も遅れ
          る。
     6:40 自宅発 ゴミ捨て(ゴミ捨て場にβデッキが・・・)
     6:43 バイパス 白の古いランクルが煽って来る。24℃で朝は涼しい。
     6:52 市境 流れ速い。他車、飛ばしすぎ。
     6:58 須賀川左折 失敗。須賀川二中前のショートカット行くが、5箇所の信号すべて
         アウト。左折してようやくR118へ。
     7:06 牡丹園前通過。須賀川署前のルートより3分以上遅い。
     7:11 乙字ヶ滝方面へ左折。S字下りカーブ。赤い橋の付け根に停車。22.3km。
         ゴジラの卵&足跡への入口に到着。私有地。雑草やら水溜りやらで、ここに卵と
         足跡があったなんて痕跡無し。祭りの後状態で寂れた印象。周辺は鬱蒼として何
         もなし。写真撮影のみ。時代は変わったものだ。
         
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     7:15 橋を渡って乙字ヶ滝側の駐車場へ。早朝にして車4台。森の中の散策路。あちこ
         ちに慰霊碑やら石碑やら。芭蕉の句碑と滝見台の標識。辺りは木立で薄暗くて不
         気味。どこにでもある湯殿山の石碑。芭蕉とお伴の銅像。神社。句碑は次の通
         り。「五月雨の滝降るうづむ水かさ哉」。
          その周辺に遭難の慰霊碑が・・・。怖そう。何人か散策。虫取り家族とおっさん2
         人立ち話。綺麗なトイレまで設置。

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     7:20 乙字ヶ滝P発。R118合流。結構朝一なのに車多い。
     7:23 水郡線のガード下の手前の信号を右折。両側田んぼの一本道。川を渡る。腹
         痛。
     7:25 左折。R283へ。東部工業団地入口前を素通り。桃の畑と直売所。町内。三神
         郵便局を右折。その先を左折。県道42号線へ。S字カーブ。
     7:32 丘の上右手に「曙ブレーキいわき工場」が見える。仮設住宅分岐。するとその隣
         りが矢吹文化センターだった。

     7:34 矢吹町文化センターの広いロータリー駐車場へ着。32.6km。中央にある巨大
         な岩を発見。球場のスコアボードが隣接。写真撮るもここも逆光。石碑と松の木
         があるだけ。そこには「矢吹飛行場跡」の文字。そう、ここはかつて、第二次世界
         大戦中に、特攻隊の訓練飛行場だった場所。正式名称は熊谷陸軍飛行学校」。
         福島県民でさえ、その存在を知らない人が多いに違いない。神聖な場所につき、
         神妙な面持ちで滞在。

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     「熊谷陸軍飛行学校」に関するブログはコチラ

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E8%B0%B7%E9%99%B8%E8%BB%8D%E9%A3%9B%E8%A1%8C%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E7%9F%A2%E5%90%B9%E5%88%86%E6%A0%A1

    http://www.town.yabuki.fukushima.jp/view.rbz?cd=937

     7:38 矢吹文化センター発。ナビと手書きの地図を頼りに矢吹町内を行く。スーパーわ
         しおの交差点を右折。ゴミゴミした通り。JR東北本線の踏切を渡る。そして小さい
         交差点を右折。すると200m先の左側にセブンイレブンを手がかりにし、その手
         前の隣りに「トイス・ウエダ」が見えた。

     7:42 トイス・ウエダ着。まず隣りのセブンの駐車場に停めて、朝食を購入。ペット茶と
         2個入りおにぎり、サンドイッチで値引き期間につき505円。続いて「トイショップ・
         ウエダ」へ。もちろんお盆期間につき休み。シャッター下りたまま。しかし、店構え
         の上にとウルトラマンとセブンの等身大オブジェが・・・。ここを「自転車でGO!」で
         藺草さんが2度訪問し、変わり者の店主とおもちゃ談義を繰り広げた。レスラーの
         マスクが売り。その向かいは「矢吹復興まちづくりセンター」だが。巨大なマスコッ
         トキャラのオブジェが。やはり逆光。日差し眩しい。梅雨明け遅いが今年は酷暑。

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     7:48 トイス・ウエダ発。間違えて十字路を右折してしまいR4へ。懐かしい歩道橋。
     7:51 左折してR58へ。JRの跨線橋を越えて右折。高速下を潜り、県道44へ。眩し
         い。
     7:58 中畑小前。トラック1台がノロノロのせいで長い車列。
     8:02 中島村役場前。小さい庁舎だ。戻るようなY字路を左折。角が見覚えのある和風
         作りの白河ラーメン屋。300m先の右側に目的の公園が。車止めの間ギリギリ。

     8:04 中島村童里夢公園の駐車場へ。43.3km。おばちゃん、カメラ持って車に戻る。
         4分間に合わずか?Pのすぐ隣りがからくり時計のある広場。おしゃれな作り。正
         式名は「ヨカッペ時計」。これは小室哲哉氏が寄贈したもの。彼の祖父が中島村
         出身という縁で贈ってくれたもの。何と総工費1億円。彼のサインと手形が展示。
         周辺には誰もおらず、またしても無人状態。この時計は10時に作動する模様。ま
         たしても逆光。暑くて眩しい中、ベンチに腰掛けて朝食を摂る。時間が早く、余りそ
         うなので、周辺の散策路を散歩。遊歩道の東屋などがある。犬の散歩数人。池は
         雑草だらけ。夜来たら幽霊でも出そう。よく整備された広大で綺麗な公園。バラ園
         やイベント広場あり。ミニライブとか出来そう。知り合いに似た人が自転車で・・・。
         綺麗なWCに入り、スッキリ。

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     童里夢公園の公式HPはコチラ

    http://www.vill-nakajima.jp/forms/info/info.aspx?info_id=12734

     8:21 中島村童里夢公園発。左折してR44復帰後。白河方面へ向かう。
     8:25 阿武隈川の常陸橋を渡る。間違えて一本早く右折。セブンの周りを一周し、復帰
         後、その先の交差点を右へ。
     8:30 R278へ。かなり時間早い。理由は一箇所の滞在時間が短い。道に迷わないた
         め、タイムロスがない。この分だと余りそう。集落に蔵点在。ナビを「白河の関」に
         セット。わかりやすい。山間の周り田んぼの一本道。一旦停止信号。橋を渡る。
         狭い道なのに、スクールバスが猛スピードで対向。
     8:40 左に表郷小学校。右折してR280へ。郵便局前通過。集落。細い。その先クラン
         ク状に左折、右折。エネオスのGSあり。40km/h道路。石碑、地震で倒壊。道沿
         いに神社多い。ハイカー2名。古関郵便局。道端に小さな石碑が点在。怖そうな
         鳥居が突然現れる。左に滝沢林道入口あり。Y字路を左折。県道76へ合流。目
         指す白河の関はあと僅かだが、アップダウンなく、平坦な道。意外。しかも道も広
         い。やがて左手に白河の関が・・・。一旦素通りして50m先にある社務所向かい
         の和風造りのWCのある駐車場へ。

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     8:50 白河の関着。ここまで64.9km。歩いて白河の関へ。無人。またしても逆光。こ
         こは見るからにパワースポット。関所跡といっても、もともとは白河神社の境内。
         案内板によれば、ここが奥羽街道の関所だと判明したのは近年。それまでは場
         所が特定できなかったらしい。江戸時代ではなく、もっと大昔の奈良時代から平安
         時代頃まで使われていた模様。狛犬が二体。鳥居もあって雰囲気十分。朝なの
         に周辺は薄暗い。一帯は森。背の高い杉木立ちが辺りを包み込む。心霊現象と
         か起こり得る雰囲気を醸す。時折木漏れ日が射す。お清めの水を取る。右側に
         「古関蹟の碑」と幌掛の楓」。鳥居を潜り、順路に従い、境内に繋がる苔が生えた
         石段を駆け上がる。斜面右側には祠もある。「白河神社」と記された幟が立つ。神
         妙な面持ちでお参りする。お盆のこの時期、神聖な場所に吸い寄せられる。森林
         浴。延喜式内社「白河神社」の文字が・・・。古歌碑もあり。平兼盛、能因法師、梶
         原景季の三歌人。その後順路を辿る。空堀跡、土塁跡。やぶ蚊が多い。鬱蒼とし
         て不気味。誰もいない。木立の中、蝉時雨。小丘を越えて下り、反対側の入口
         へ。カタクリの群生地の看板あり。一周。死んだ蝉が落ちている。やがて物凄い
         大きさと高さの大木が聳える場所に。それは「従二位の杉」。その隣りには「旗立
         の桜」。これは義経が植えたとされる。木漏れ日が眩しい。左には白河の関公園
         の建物がある。本日は水曜日なので定休日。9:12見学終了。時間的に早すぎ
         て、次の訪問地の「アウシュビッツ平和博物館」はまだ開館していない。ナビを白
         坂のその周辺に再セット。右手の丘の上には天文台のドームがあった。

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     9:16 白河の関駐車場発。来た道を戻る。霊桜碑の先のY字路を左に舵を取る。伊王
         野白河線県道76号線だ。途中から左折して「飛」、「金堀」方面へ。26℃表示。で
         も暑い。汗が滴る。平坦だがくねくね道。周りは山と田んぼ。道端に石碑。鳥居。  
         呼金神社。するとナビに境神社の文字が・・・。懐かしい。学生の頃、東京のアパ
         ートに帰る際、寄り道で訪れた想い出の場所。1987年以来、26年振り。時間が
         余りそうなので、近場につき、寄り道を決める。
     9:26 十字路をナビを無視して左折。R294。緩い坂の途中、右手に境明神と書かれ
         た境内が・・・。うすら記憶では、峠道の狭い道の途中にあるイメージだったが、意
         外と道路が広い。しかも峠道ではなく、坂道でもない。

     9:27 境明神着。路肩にハザード点滅駐車。ここまで72.5km。懐かしい風景。ここも
         パワースポットという雰囲気。ここが文字通り県境で、下りに入るポイントに栃木
         県那須町の表示。坂の途中なので見通し悪い。反対側の階段の上に石碑あり。

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     9:31 境明神発。一旦栃木県に入り、その先の「境明神専用駐車場」で切り返してUタ
         ーン。ナビでは「福島県に入りました」のアナウンス。10時開園には早いが、アウ
         シュビッツに向かう。ここが今回の旅のメインだ。白坂郵便局の先の十字路から
         ナビに従って左折。県道183号へ入る。白河五小の前を通過。次の十字路を左
         折。交番の前を通過。あまりにも細い道だったため、看板を見落とし、行き過ぎた  
         ことに気づき、右折して池のほとりでUターン。南湖自動車学校の教習コース。左
         折してすぐ細い道へ左折。300mほど対向車が来たらすれ違えないような狭い一
         本道。その先が開け、広場に。最初、新築の木造りのがらんどうの建物かと思っ
         た。右には何故か線路と貨車が2両。その奥に「本日休館日」と書かれた看板
         が・・・。昨日は火曜日で定休日だと知っていたが、まさかお盆休み?車を草むら
         の間の轍に無造作に停車。

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     9:37 アウシュビッツ平和博物館着。76.9km女性がひとりいたため、「今日は休館日
         だったんですね」と言い、写真だけ撮って帰ろうかと思ったら、「いや休館日じゃな
         いんです」の回答。10時からだが、すぐにでも入れてくれそうな感じ。「じゃあ待ち
         ます」と言い残し、車に戻り、邪魔にならない場所に車庫入れ。その後、線路と貨
         車の写真を撮っていると、時間まで20分ほど早いが、中に入れてくれた。黄色い
         軽自動車は品川ナンバー。

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     9:46 建屋内へ。そこは博物館とは名ばかりで、普通の民家。ボランティアの頑張り
         で、アウシュビッツの負の遺産を現世に、そして後世まで残そうと福島とポーラン
         ド、何の縁もゆかりもないのに、この地に建てたらしい。小さくこじんまり。まさしく
         庶民が結束で建てた手作りの博物館だ。土間を改造した受付で500円の入場料
         を払う。チケットとパンフを貰う。写真やビデオ撮影はダメだが、展示物を直接撮
         らないければOKという了解を得た。つまり、遠目に雰囲気が掴めるように撮るぶ
         んにはOKという意味だ。那須町にあった古民家を移築して改良しただけの建物
         だが、中はログハウス調で綺麗。もちろん先客は無く、私一人。順路はあるが、先
         に勧められて大量虐殺(ホロコースト)が行われたポーランドのアウシュビッツ強
         制収容所の歴史やここで行われた残虐な行為の一部始終を収めたDVDを20分
         間見ることにした。奥に案内されたら、そこでなんと「足尾銅山鉱毒事件・田中正
         造展」を開催しているではないか!彼をこよなく尊敬する同僚が知ったらどれだけ
         喜ぶか。それは後で見ることにし、まずは一人で20分間、凶悪極まりないナチス
         ドイツの悪行と、150~180万人も犠牲者が出た当時の模様を見て、その悲惨
         さに愕然ときたと同時に、あまりの現実に泣きそうになった。幼い赤子まで容赦な
         く殺害したナチス。強制連行、強制労働、120cm未満の子供や病人、老人は無
         条件でガス室送り。健康な者も過酷な労働の末に殺され、あるいは餓死、病死。
         結局は死ぬ運命にあった。ヒットラーに忠誠を誓ったSS部隊は、まるで人間を虫
         けら同然に扱い、結果的に無差別に大勢の人間を大量殺害。
          敗戦後、ソ連が解放するまで証拠隠滅を図ってガス室や収容所の施設を解体し
         た。また口封じのためにドイツ軍の作業兵まで殺したのだった。ありとあらゆる残
         虐の粋を尽くした殺戮現場だが、後世にこの浅ましい出来事を伝え、二度と戦争
         を繰り返さないために、決意を新たにし、意思表示のためのこうした施設は絶対
         に必要だ。尊い命の代償、犠牲の多大さ、生命の尊厳を見つめ直す機会にもな
         る。日本にはここにしか無いため、記帳ノートには県外の方々ばかり記されてい
         た。写真展示やナチスドイツの品々、強制労働させられ、ガス室で殺害された
         人々の顔写真や身につけていた囚人服、没収された遺品なども陳列されてあっ
         た。展示物こそ少ないが、当時の残虐性を知る証拠品たちである。神聖な気持ち
         と神妙な面持ちになった。
           以下、メモのまま記載。
          シャワー室と見せかけたガス室、一日300体を火葬した焼却炉、死の壁の前で
         2万人を射殺、空気に触れると猛毒ガスを発生するチクロンB、バラック、棚がベ
         ッド替わり、風呂やトイレがない、門に書かれた「ARBEIT MACH FREE」(働けば
         自由になれ)の文字、女性の髪の毛をむしり取り、羽根布団や枕の中綿としての
         材料に・・・。ナチスドイツのありとあらゆる悪の限りをつくした施設。残虐、残酷、
         極悪非道、人間の所業ではない。ヒットラーは悪の化身。ユダヤ人、スラブ人、シ
         ンティロマを抹殺。情け容赦なく殺す。1947年、保存決議。命の尊厳と平和の価
         値、エリー・ウィーゼルの言葉。
          その後、田中正造に関する展示物を順路に従って見学。パネル。実際に行った
         水没した旧谷中村、雷神神社、渡良瀬遊水地、あらましや年表など。
          更には、入口付近になる、アウシュビッツ関連の展示物を反対側から廻って後
         から気づいて再巡回。120cmの横棒(120cm以下、14歳以下は強制的にガス
         室へ。パンフレットをいくつも貰った。

          正直なところ、今回、ここを訪れて来て良かった。普段では考えも及ばないこと
         に思いを寄せることができ、自身の意識改革も含めて感化され、有意義で人生観
         を変えるほどの衝撃を受け、良い意味で社会勉強になった。私たちは今、平和の
         世に生まれたことに感謝し、先人たちの多大な犠牲の上に、今の平和が保たれ
         ていることを、常に頭の片隅に置き、その尊い犠牲を敬い、絶対悪である戦争の
         惨禍を二度と繰り返してはいけないと誓いたい。人として、忠誠と道義を重んじ、
         戦争のない平和な時代をいつまでも保つことこそが、英霊たちに報いる唯一の方
         法である。そういう思いを強くした。

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    (これらの内部の写真は係の方の許可を得て撮影したものです。)

          その後、礼を言って外へ。貨車のドアが開いていたのでそちらへ。中は蒸し風呂
         状態。「子供たちが見た戦争」という表示。中には家族を殺された子供が描いた
         絵がパネル展示。直視できないほどの衝撃。タイトル「ドイツ兵に僕のお母さんは
         殺された」。切実で胸が痛む・・・。小さな子供が、肉親や家族が殺される場面や
         連行される場面を絵に描いたものばかり。その裏側にある深い悲しみや憎悪を
         思うと涙が出た。

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     「アウシュビッツ平和博物館」の公式ホームページはコチラ↓

     http://www.am-j.or.jp/index2.htm

          その後、女性係員に声を掛けられた、今年5月にオープンしたばかりの、工事
         途中だが、別棟の木造の建屋へ。いつの間にか、車が3台。いずれも首都圏ナン
         バー。そこは「原発災害情報センター」という。木の香りが充満。まずは記帳。あち
         こちにパネル。係りのボランティアのおじさんが説明してくれた。退職した元教員
         風。なんでも立命館からの借り物の資料なのだそうだ。20を超えるパネルが展示
         され、原発に関する説明書きが多数。8月26日に田中正造に関するイベントあ
         り。丁重にお礼を述べて後にした。常設のアンネフランク関係の書物や展示物は
         無かった。

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    10:55 アウシュビッツ平和博物館発。ハンドル熱い。
    10:57 狭い道路を抜けて左折。交番の前を素通り。その先で左折してR294へ。朝日
         食堂前を通過。住宅街。パワーストーンの店あり。南湖公園を目指し右折して
         R289へ。結構車多い。次は湖畔にある「海」というラーメン店。やはりここまで来
         たら、白河ラーメンを食べなければ帰れない。しかし、ここに来て腹痛再発。
    11:02 フラワーワールド前。族のバイク7台対向。

    11:04 左折して南湖公園駐車場へ。82.3km。木陰に停める。東屋に5~6人の先
         客。その空き地の右側になんとラーメン屋。湖のほとりだ。ロケーションは良い。
          「なんこ家」という。まず、結構な広さがある南湖の写真。人がいたことと、ラーメ
         ンで頭の中がいっぱいで、それ以上の散策はぜず。タイミング良く青信号。R289
         に復帰したと思ったら、すぐ右側に「海」の看板が。しかし・・・まだ準備中。結局、
         さっきの「こなん家」の表側の駐車場へ。ここは店の両側から入店可能。

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    11:07 「なんこ家」着。営業中。ちょうど11時から開店らしく、先客なし。座敷を陣取る。
         メニューを見て、880円の「ミニラーメン付き野菜炒め定食」にする。細かくオーダ
         ーできる。とんこつベース、細麺、薬味なし。すぐさま、客が立て続け3組入る。水
         がぶ飲み。注文品が出てきてびっくり。野菜炒めの量が尋常ではない。食いきれ
         るか?コンビニのおにぎり食わなければよかった。大食漢の俺が根を上げたほど
         の量。時間かかった。精算表の裏にアンケート有り。一応差し障り無い箇所を記
         入。ちょうど今、済美の安楽投手が投げている頃。甲子園最速は?気になる。
          カウンター席もあって、そこから湖を眺めながら食事が可能。ロケーションは良
         い。営業時間は昼が11:00~15:00。月曜が定休日。電話は「0248-27-
         5228」。家族経営か?店員同士のおしゃべりは多い。頭痛。脳天を親指で強く
         押さえつけられている感じの痛み。熱中症もあり。だから水がぶ飲み。肝心の味
         だが、野菜炒めは量ばかりで油ギトギトでベチャベチャでイマイチだが、ラーメン
         は美味い。とんこつだが、色が白くてとろとろ。具はメンマ、長ネギ、わかめ。これ
         に野菜炒めとミニ豆腐とお新香。BGMは倖田來未の「あいのうた」。

    11:35 完食。暑い。汗だく。時間がかかった・・・。ナビセット。

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     「なんこ家」を紹介するHPはコチラ

    http://shirakawa315.com/ramen/post_476.html

     (帰宅後にネットで調べたら、元来白河ラーメンは醤油味で鶏ガラメインでシンプルなあっさり系が多いのだが、ここは非白河ラーメンの店で、評判は麺がイマイチという書き込みが多いようだが、好みの麺の細さを選べるので、質より量の私には合っていた。要は個人の好みなのだろう。)

    11:38 なんこ家発。R289から左折して小峰城へ向かう。須賀川の通りに似ている。
    11:44 ベニマルの過度の交差点を右折し、R294へ。JRのガード下を潜り、床屋から
         左折。法務局の手前、両側に仮設住宅。左カーブし、右手に門とその奥に丘の上
         に聳える小峰城三重櫓が確認できた。白い城壁。白河幼稚園の前を通り、右にカ
         ーブして公園を回り込み、右手にある駐車場へ。

    11:47 小峰城公園着。87km。ただただ暑い・・・。ここで気になってラジオで高校野球を
         聴く。済美の安楽が153km/h出す。歩いて東門から入る。青空に櫓の黒がよく映
               える。広い芝生の公園も綺麗。二本松の霞ヶ城公園に似ている。ボランティア
         のおじさんが、先客に説明していた。残念ながら、先の震災で石垣が崩れ、現在
         は修復工事のため、立ち入り禁止。白い塀が張り巡らしてあり、景観を損ねてい
         た。事実、2年5ヶ月前に発生した東日本大震災で、震度6強に見舞われた白河
         界隈において、櫓自体は無傷に思えたが、それを支える石垣のダメージは酷い。
         あちこちで石垣が崩れ、その無残な姿を顕にしている。2年以上経過し、未だに
         この状態では、修復が捗っているとは言えない。東北への玄関口にあたる白河の
         シンボルだけに、一日も早い原状回復を祈りたい。
          ところで、この白河は、会津藩があるために天守閣は置けず、そのため櫓と呼
         ばれる三重の建造物を建てた。でもそれは立派な造りで、松本城や熊本城を彷
         彿させる。私自身がこの地を訪れたのは、実に22年振りで二度目のこと。最初
         は昔の彼女とだった。あれから20数年の月日が流れたとは、俄かに信じ難い。     
          トイレも白河の関と同様「殿方」「奥方」表示。しかし用を足そうと入ってびっくり。
         金隠しが低くて丸見え状態。幸い誰もいなかったから良かったが・・・。ここのWC
         は過去に2度も便器が割られる犯罪があった模様。その告知文書が掲示されて
         あった。写真撮りまくり。駐車場まで徒歩で戻る。するとその反対側がちょうどJR
         の白河駅。ちょうど電車が到着し、発車メロディーが鳴り響いた。

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     土台の石垣はかなり崩れていましたが、地元の方に配慮し、その模様は掲載しません。

    12:00 ちょうど小峰城を出発。「ホテルニュー白河」跡は行かず。来た道を引き返し、左
         折してR294へ。緩い坂道を上がっていくとT字路にぶつかる。
    12:05 右折して国道4号線へ。矢吹ICから高速利用に予定。不気味は廃墟と化した
         GS。33℃表示。高速道路並行。上り線は車多いが流れている。だるまラーメン。
         道端に紅白の巨大なダルマのオブジェ。国道をそのまま帰って鏡石のグレートの
         ある「みどりラーメン」に立ち寄っても良かったが、前回訪問のように長話になると
         思い、キャンセル。その先にカメラ。オービス案内せず。60km/h以下で走行。
         30℃表示。秋田商は富山第一に完敗し、史上初の東北全勝ならず。
    12:14 泉崎分岐の交差点。33℃。この辺の国道沿いはラーメン屋多い。事故でPC2
         台停まって現場検証。
    12:20 矢吹ICから高速へ。しかし下り線なのに交通量多い。34℃表示。
    12:27 須賀川IC出口通過。その後、走行車線にワゴン車タイプのPC100~110km/h
         ペースで流れ悪い。

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    12:32 郡山南ICで降りる。121.8km。500円。 走行12分間。左折。Nシステム?ア
         ナウンスせず。カルチャー前左折。

    12:35 市場前通過。まいチューのオブジェの前を通過。
    12:39 コスモス通り。エネオス・カワチ・ベニマル交差点を右折。失敗。これだとバイパ
         スに入れず。静御前堂前通過。前のトラック遅すぎ。信号まとも。
    12:43 左折。バイパスに沿ってその下を北進。アミューズパーク前を通過し、12:45に
         安高通りからやっとバイパスに乗る。ここに来て腰痛。
    12:48 バイパス下り、右折後インター線へ。
    12:50 自宅着。 総走行距離 131.6km

          
     費 用  アウシュビッツ平和博物館   500円
           朝食代               505円
           白河ラーメン                   880円
           高速代                        500円        合計  2,385円 

     後 記

     毎回、朝起きたときは行くべきか行かざるべきか迷う。暑い中、睡眠不足を押してまで行く価値があるのかと迷ってしまう。また、帰宅後に、このようにブログにまとめるのが面倒くさく感じることもある。しかし、旅の記憶として残すことが大事だと誰よりも感じているし、記念になる。夏の予定はほぼ消化した。有給も使い果たし、16日からは通常勤務なので、またこれをリフレッシュとしてまた多忙の仕事に励みたい。

     記事作成:8月14日(水)

    2013年8月12日 (月)

    懐かしいアナウンサー・キャスター

     最近、テレビのアナウンサーを取り上げる記事が多くなってきた。理由は物心ついた頃からのテレビっ子を自称する私にとって、アナウンサーは身近な存在だった。歌謡番組、ニュースキャスター、ワイドショーの司会までマルチにこなし、それは喋りのプロとして憧れの存在だった。しかも有名一流大学を卒業していることから、賢くて知性の塊のように子供の目には映ったのだ。そこで昔から今日まで活躍してきたアナウンサーやキャスターで、今は引退したり、退職し、一線から退いた型、あるいは華麗なる転身を成し遂げた方々をピックアップしたい。

     小林完吾

     國學院大學卒。1974年から『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとなり、独特の低音による「あ、さて」の名調子で知られた。同番組では、櫻井よしこと深夜の時間帯に落ち着いたニュースを伝え、地味ながらも次第に幅広い支持を受け、根強いファンを得るに至った。真面目で堅物という存在が誰もが抱く印象だろう。血液型はA

    Kobayashikango

      大橋照子

     日本短波放送の看板アナだった。山口県周南市生まれ。東京都立駒場高等学校、慶應義塾大学文学部ドイツ文学科卒業。大学在学中にFM東京で、『ファッション・クラシック』という番組を持つ。卒業後に日本短波放送(現日経ラジオ社)にアナウンサーとして入社。公開番組『ヤロウどもメロウどもOh!』などの番組を担当し、深夜放送・BCLブームに乗って「チェリーちゃん」の愛称で一躍人気DJとなった。人気となった時期には熱狂的なファン(親衛隊)が会社の通勤に同行していた事もあり、結婚後も同行していた(本人も公認。買い物の荷物を持って同行していたファンも存在していた)。幾度か週刊誌にも取り上げられたり、放送時期は不明だが、テレビのドキュメント番組でも取り上げられた事もある。

     その後フリーアナウンサーとなり、『ポップス・ベストテン(ニッポン放送)』、『ラジオはアメリカン(TBSラジオ)』、『ルックルックこんにちは(日本テレビ)』、『これキメ(文化放送)』などに出演した。1985年から5年間、アメリカ・サンフランシスコに住み、現地で日本語放送の番組に出演していた。 また、サンフランシスコの小学校で、スピーチ教育に携わる。NPO「日本スピーチ・話し方協会」代表。血液型はA

    Ohashi

     見城美枝子

     フリーアナウンサー、エッセイスト、ジャーナリスト、評論家、ニュースキャスター。青森大学社会学部教授、サイバー大学客員教授(日本語文化論)、日本リーダー養成協会理事長。三越の元社外取締役で現在は顧問。群馬県館林市出身。群馬県立館林女子高等学校、早稲田大学教育学部英語英文学科卒業後、1968年にTBSへ入社、アナウンサーとして活動した。「ケンケン」の愛称を持ち、おはよう720→おはよう700(1975年 - 1980年)の司会を務め、同局の五木田武信らと「キャラバンII」の海外ロケも多くこなす。この間1973年に退社し、フリーとなる。1981年、24時間テレビ「愛は地球を救う」(第4回、日本テレビ系)で徳光和夫とともに総合司会を務めた。

    Kenjyoumieko

     櫻井良子(よしこ)

     ベトナム・ハノイの野戦病院で日本人の両親の間に生まれた。新潟県立長岡高等学校卒業後、慶應義塾大学文学部に進学するが中退してハワイに渡り、奨学金とアルバイトで学費と生活費を稼ぎながら、ハワイ大学マノア校歴史学部卒業。
     英字新聞『クリスチャン・サイエンス・モニター』東京支局などを経て、1980年(昭和55年)5月より日本テレビ『NNNきょうの出来事』のメインキャスターとなった。以来、同番組で1996年(平成8年)3月までの16年間に渡ってアンカーパーソンを担当した。女性ニュースキャスターの草分けである。実に華やかな経歴を持ち、現在はジャーナリスト。国家基本問題研究所理事長。血液型はO。

    Sakurai

     幸田シャーミン

     1980年代の故・逸見政孝と共に夕方のニュース番組「スーパータイム」のキャスターを担当し、一世を風靡した。
     聖心インターナショナルスクールを経て、1979年(昭和54年)に聖心女子大学英文科を卒業。大学在学中にはパリ大学ソルボンヌに留学、パリ滞在中にはジャン=ピエール・フルリモン(Jean-Pierre Fleurimon)メイクアップスクールにも学んだ。幸田は当時、弁護士かメイクアップアーティストになりたいと思っていたという。大学卒業の後、『海外ウィークリー』(NHK)や『FNNスーパータイム』(フジテレビ)に出演するようになった。後者へは1984年(昭和59年)から3年半に渡って出演、逸見政孝とともにキャスターを務めた。同番組のオープニングでの幸田のタイトルコール、鼻にかかった「こんばんは、幸田シャーミンです」という喋りは特徴的であり、タレントの明石家さんまや清水ミチコから声優の生天目仁美までに物真似されたこともある。現在は国際連合広報センター東京所長、東京農業大学客員教授を歴任。

    Kodacharmine

     露木茂

     早稲田大学高等学院を経て早稲田大学政治経済学部経済学科に入学。高校・大学時代はボート部、大学途中でアナウンス研究会に所属。夕方の報道番組キャスターを5年務め、『あさま山荘事件』『日本航空123便墜落事故』の報道でフジテレビの報道特別番組を担当(日航機墜落事故の際は、本来のキャスターである逸見政孝が夏期休暇中だったため)。この功績が認められ、日本新聞協会賞を受賞した。そのかたわら1978年から18回の長きにわたり『FNS歌謡祭』の司会を担当するなど、バラエティでも活動した。また山田祐嗣が退職した1989年からはフジテレビで最年長・最古参のアナウンサーだった。社内では29歳で報道局解説委員になったのを皮切りに、アナウンス部担当部長、編成局専任局次長、編成局専任局長、役員待遇メディア事業本部専任局長、役員待遇解説委員兼エグゼクティブアナウンサーを歴任(いずれもアナウンサー兼務)。2000年12月31日の定年退職までフジテレビで勤め上げた。。東京国際大学特命教授・客員教授。元早稲田大学客員教授。日本記者クラブ企画委員。血液型A。現在72歳。

    Tsuyuki

     俵孝太郎

     大仏を彷彿させる外見とビートたけしにモノマネされたほどの決め台詞で時代を作ったアナウンサー。東京高等師範学校附属高等学校(現・筑波大学附属高等学校)卒業。東京大学文学部倫理学科卒業。産業経済新聞社大阪本社社会部記者。産業経済新聞社大阪本社政治部記者。サンケイ新聞社東京本社政治部記者などを歴任。文化放送ニュースキャスター。フジテレビニュースキャスターを務めた。

  • 1984年12月~1987年8月 臨時教育審議会第1部会専門委員(審議会廃止により辞任)。
  • 1987年11月 大蔵省財政制度審議会委員(4期8年在任)。
    2001年1月~2010年 財務省財政制度等審議会財政制度分科会専門委員 。

     とにかく輝かしいキャリアの持ち主。血液型はA。現在82歳。

    Tawara

     木村太郎

     アメリカ合衆国カリフォルニア州バークレーに生まれる。慶應義塾幼稚舎から進学した慶應義塾高等学校を放校後(ビリヤードに通いつめたとの弁)、1957年に東海高校、1964年に慶應義塾大学法学部卒業(新聞研究所、現メディアコミュニケーション研究所修了)で学位は法学士。3年間、外国に遊学に行っていたため大学に7年間在籍し学部を卒業した。1964年NHKに入局後、報道記者として活動。NHK徳島放送局記者、NHK神戸放送局社会部記者(~1969年)、東京本部社会部遊軍記者(1969年~1974年)、パリ支局中東・アフリカ担当(ベイルート駐在、1974~1976)、ジュネーヴ支局特派員(1976~1978)、東京本部外信部記者(1978~1980)、アメリカ総局(ワシントン支局)特派員(1980~1982)と主に海外支局特派員を経験する。
     1982年からは同局の総合テレビでの看板ニュース「ニュースセンター9時」のメインキャスターを務め人気を博し、1985年8月12日に発生した日航ジャンボ機墜落事故では日本航空広報部からの記者会見を差し置いて、乗客名簿の読み上げを優先させるようにするなど、記者時代の感覚でニュースの重要度を判断した。NHKを退職。木村太郎事務所を設立し、フリージャーナリストに転身並びにフジテレビと専属契約を結ぶ。その年のアメリカ大統領選挙をフジテレビの現地キャスターとして取材した。

     1989年4月からはフジテレビ「FNN DATE LINE」のメインキャスターに就任。1990年4月からは「FNN NEWSCOM」のメインキャスターを務め、エンディングのダジャレが話題となった。1994年4月からの「ニュースJAPAN」ではコメンテーターとして出演、2000年4月からは「FNNスーパーニュース」のコメンテーターとなる。2010年4月より、それまで月~金曜日の全日レギュラーであった「FNNスーパーニュース」への出演を、月~木曜日に変更。

     生涯現役キャスターを貫いたエリート。血液型はA

    Kimuratarou

     國弘正雄

     国際商科大学(現・東京国際大学)教授、上智大学・お茶の水女子大学講師、「百万人の英語」講師を務め、1978年からは日本テレビの「ジャストニュース」「きょうの出来事」キャスターを務めた。
     東京府立六中(現・東京都立新宿高等学校)に入学するが、父親の転勤により、神戸一中(現・兵庫県立神戸高等学校)に転校する。同級生に小松左京と高島忠夫がいた。神戸空襲に遭い、親しくしていた知人の最期を看取った経験から、強い反戦思想を持つようになる。
     中学時代、「太平洋の架け橋」となった新渡戸稲造の伝記に感銘を受け、英語の猛勉強を開始した。神戸に進駐していた様々な国籍の兵士に手当たり次第英語で話し掛け、教科書のモデル音読を頼んで発音を自主学習した。後にこの勉強を自著などで語り、ひたすら音読を繰り返したりする「只管朗読」という言葉を英語界に浸透させた。1955年にハワイ大学卒業。
     政界入り後は強固な護憲派として活動し、「ミスター護憲」の異名を取ったが、村山内閣発足後は自民党への協力を表明。1995年に落選、政界から引退。現在82歳。

    Kunihoro

     田丸美寿々

     広島県高田郡吉田町(当時)出身。埼玉県立川越女子高等学校を経て、東京外国語大学外国語学部英米語学科卒業。「女性報道キャスターの草分け」、またフジテレビアナウンサーを経てフリーランスに転身して成功、「女性フリーアナウンサーの草分け」でもあり、同時に、略奪結婚で話題となって「不倫女子アナの草分け」ともいわれる。また、また頼近美津子らとともに、「美人女子アナ」といわれる存在の先駆けでもあった。田丸はテレビに出演するほか、自著や翻訳の出版なども多く行っている。
     大学卒業後の就職先は三井物産に内定していたものの、好奇心から、親には内緒でフジテレビへも応募した。田丸は当時低迷期にあった同局の就職試験に合格、1975年(昭和50年)に報道局解説放送室付リポーターとして入職した。「重要なニュースは男が読まなければ信頼されない」と思われていた時代、女性アナウンサーの出番は天気予報やお知らせ、街の話題、番組司会者のアシスタントなどだった。天気予報を3年半務めた田丸は念願かない1978年(昭和53年)10月、『FNNニュースレポート6:30』として始まったニュース番組に、同僚の逸見政孝と共にメインキャスターとして抜擢された。略奪婚後、一時は美里美鈴という名前で出演していた。現在はフリーランス。血液型はA

    Tamaru

     小川光明

     日本テレビ系列のプロ野球ナイター中継の実況でお馴染みのアナウンサーだった。

     東京都出身。東京都立赤坂高等学校を経て中央大学法学部卒業。同じ日本テレビアナウンサーの吉田填一郎は大学の後輩に当たる。1962年、アナウンサーとして日本テレビに入社。箱根駅伝中継、ゴルフ中継、プロ野球中継などを担当する。2000年に定年退職した後も、契約社員として同局に留任する。2004年5月2日の読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦(東京ドーム)を最後に、42年間の日本テレビアナウンサー歴に終止符を打った。
     2006年4月からは日テレ系列のBS日テレの「ボウリング革命 P★League」の実況を務める。日テレ局アナ時代を彷彿とさせる冷静沈着な実況で戦況を伝えており現在の所、全大会の決勝戦を担当している。2008年には「スカイ・Aスタジアム・LIVE RAKUTEN わしづかみ」(東北楽天ゴールデンイーグルス主催試合)の実況を担当した。現在はフリーのスポーツコメンテーターとして活動中。血液型はAB

    Ogawa

    小川アナの名実況はコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=0-Z1l_ZlUsY

     浅見源司郎

     NTVの巨人戦の実況担当アナ。早稲田大学を卒業後、1962年に日本テレビへ入社。日本テレビ時代には主としてプロ野球を中心としたスポーツ放送担当。1977年9月3日の読売ジャイアンツ(以下、巨人)対ヤクルトスワローズの試合における、鈴木康二朗投手から打った王貞治選手の756号本塁打(当時世界新記録)の実況を担当した(但し、生放送できず)。この他にも実況した名シーンは数多く、以下に挙げる試合にも立ち会っている。1993年にRFラジオ日本へ出向。スポーツ放送からは撤退し早朝番組のキャスターを担当した。現在74歳。

    Asami

     個人的にではあるが、私が小学生だった頃、郡山の開成山球場で巨人戦があり、友人と巨人軍選手の定宿だった「サンルート郡山」の地下道側の玄関で張っていたところ、彼が出てきて、直接サインをもらった想い出がある。ハードボイルド系な顔立ちだったが、人柄は優しい印象だった。

     吉田塡一郎

     千葉県出身。千葉県立千葉高等学校、中央大学経済学部卒業。
     1969年4月にNTVへアナウンサーとして入社。以来、プロ野球とゴルフを中心としたスポーツ中継アナウンサー一筋に活動してきた(スポーツ以外では『笑点』のアナウンサー大喜利に1度参加したことがある)。2003年末に日テレのグループ会社であるRFへ出向し、2004年には『ラジオ日本ジャイアンツナイター』で初めてラジオでのプロ野球実況を担当。同年シーズンオフには冠番組『吉田填一郎の巨人王国』を担当した。また、取締役編成局長も兼任していた。2008年6月の異動で営業局長となり、アナウンス職から離れた。2009年6月より常務取締役。

    Yoshida

     お亡くなりになった方々

     筑紫哲也、逸見政孝、古谷綱正(ニュースコープ)、入江徳郎(ニュースコープ)、田英夫、渡辺謙太郎、頼近美津子らも想い出に残るアナウンサー達だった。生前のご活躍に敬意を表すと共に謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

     記事作成:6月下旬~8月4日(日)

    2013年8月10日 (土)

    福島県出身のアナウンサー⑦

     久し振りにこのシリーズ記事を掲載することとなった。郡山に本社のある福島中央テレビ(FCT)に、この春、本県出身の女子アナが配属された。では早速紹介したい。

     小野紗由利(おのさゆり)

    Ono  FCTのアナウンス室の公式プロフより

     生年月日:3月5日

     出身地:福島県いわき市

     血液型:A型

     趣味:早朝ランニング、物産展巡り、美味しいソフトクリーム探し

     東京アナウンスセミナー13期出身で、同期で同じセミナー出身の野尻英恵アナ(長野県出身)も入社した。

    http://anasemi.jp/index.html

    http://anasemi.jp/word_05.html#nojiri

    Ono2 Ono3

    2つの写真ともに、左が小野アナ、右が野尻アナ(FCTには珍しく可愛い系)

     自己PR

     私はよく色々な方から「君って本当、東北人っぽいよね~」と言われます。上京し進学してからの4年間にも、友人や大学の教授、時には電車で隣に座った初対面の方からもそう言われました。「東北人ぽいって?」と気にした時期もありましたが、いまは、「東北っぽいこと」は「私の魅力のひとつ」と思えるようになりました。生まれ持った素朴さ、ぽろっとでる東北人の魅力をこれからも活かしてまいります!一日一日を大切に、感謝の気持ちを忘れずに、頑張ります。よろしくお願いします。

     彼女の新任の挨拶

    はじめまして。
    今年4月に入社いたしました新人アナウンサーの小野紗由利です。
    福島県いわき市出身で、東京の大学に入学するまでの18年間、
    豊かな自然と温かな県民の皆様に囲まれて伸び伸びと育ちました!
    このたび、再び大好きな故郷に戻ってくることができたこと、とてもうれしく思っています。

    入社して3か月が過ぎましたが、日記を書くのは今回が初めてです。
    何を書こう(´・ω・`)と悩んでいるうちに今日になってしまいました。
    これからはちゃんと更新しようと思います!

    さて、私は昼の天気予報や夜のニュースを担当し、
    県内の様々な場所に取材に伺うようにもなりました。

     ~ 中 略 ~

    これから私は、みなさんに
    「あ~コレ食べてみたい」
    「ここ行ってみたい」と思ってもらえるような
    行動の「きっかけ」を作れるようなリポートをめざしたいと思いました。

    まだまだわからないことばかりの私ですが、
    いろいろな方からご指導をいただいて、
    一歩一歩成長していきたいと思っています。
    のんびり者の私ですが一生懸命にがんばりますので
    どうか、よろしくお願いします。

    Ono4_2

     公式ブログ「アナウンス日記」はコチラ

     女子アナフリークの私としては、彼女の今後を温かく見守っていきたい。同じ郡山というよしみもあり、彼女の出演する番組は欠かさずチェックしていきたい。

     記事作成:8月5日(月)

     

    2013年8月 9日 (金)

    磐梯熱海・猪苗代周辺ミステリー探険

     このプランは先月15日に予告編としてカミングアウトしたもの。北海道旅行や工場見学などの行事を経て、ようやく実施にこぎつけた。「古きを温めて新しきを知る」ではないが、幼少の頃に現役だった物が無くなり、今は過去の遺物や遺産と化してしまったものにスポットを当ててみたい世代になった。かつての石炭のように、今では廃れて見向きもされなかったものに、妙に惹かれる自分がいる。今回は少々怖い物件も含まれているが、かつての栄光と挫折、繁栄と衰退をテーマに、古き佳き時代の建造物や今は遺構と化してしまったスポットを探検という名目で訪ねてみたい。決行日は8月9日(金)。帰省ラッシュの前に片付けてしまおうという魂胆。そして30℃を超える猛暑が予想されるため、当初の予定を更に簡略化し、早朝出発で13時過ぎには戻って来るプランに予め小変更した。では早速その模様をご覧下さい。なお、各訪問地には、補足説明の意味で「関連ブログ」をリンクしてあります。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     探検日 平成25年8月9日(金)5時52分~10時25分  天気:くもり/小雨/快晴

     5:40 起床 4:50に目覚ましをセットしたが、寝不足を懸念し、また決行を散々迷う。
         おそらく明日以降は、帰省ラッシュが始まり、各幹線道や観光地には帰省客が
         押し寄せて身動き取れなくなることを予想。ギリギリのところで決行を決断した。 
         7月下旬、或るイベントで野外テントに頭を4回もぶつけ、頭痛が止まず。家内の
         視線を気にしながら、出発準備。妻は先日恩師を失い、意気消沈気味。    
     5:52 自宅発 40分遅れのスタート。早朝の犬の散歩多い。
     5:59 会津街道から堀之内交差点からR49へ。60km/hペース。24℃。安子ヶ島の歩
         道橋下、信号無視してじいさんが自転車を押して横断。危ない。高齢者の事故死
         の典型。トラックの間、鬼門を走行。
     6:05 R49から左折して会津街道へ入り、スケート場方面へ左折して右カーブ。交番を
         突っ切り、郵便局の前を左折。右手に広大な空き地が・・・。

     6:08 旧磐光パラダイス&ホテル跡地着。
          かつてここに磐梯グランドホテルと磐光パラダイス、大駐車場があった。何度遊
         びに来たことかしれない。また、昭和44年には30人が亡くなる大火災があった
         場所。手を合わせてから写真を撮影。朝イチなのに、車が行き交う。

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     6:10 JR磐梯熱海駅。寂れた印象。駅前のスーパーも廃屋。足湯あり。温泉街を突っ
          切る。一方通行路を軽自動車の後を尾行。栄楽館と四季彩一力の前を通って、
                踏切渡り、右折。金蘭荘花山の隣りの河鹿荘跡へ。東隣りの駐車場へ。黒のマ
                ークXが駐車。

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     6:12  河鹿荘着。ここは廃墟ホテルとして有名。旧49号線沿いで、不気味に佇む。散
          歩中のおじいさんがいて、駐車場に入るのを躊躇。ホテルは足場が組まれ、解
                体間近。雑草だらけで容易に人を近づけず、不気味さを増す。このホテルは奥
          行がなく、薄っぺらな作り。内部には骨壺らしきものがあったという噂。
           違法な家宅侵入を回避し、内部への潜入は控え、外観の写真のみ。
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     誰かが侵入して内部を撮影した動画はコチラ↓

     https://www.youtube.com/watch?v=Cpoo_YkL8qU

     6:15  河鹿荘発。旧道沿いのモーテル「ローラー」も空き地になっていた。旧国道左手
          の山の斜面に沿って建造されている水力発電所も本プランに組み入れて見物す
          れば良かった・・・。

     6:17  R49本線合流。旧中山宿駅へ向かう。2つ目の休憩用の駐車場を越えたすぐ
          先、右側が目的地。しかし、車を停められる場所や線路まで上がって行けそうに
          なく、右往左往。集落へのY字路を右折し、路駐。そこから獣道のような草むらの
          間の道を散策することにした。民家に迷い込み、住人に睨まれた。

      6:23  磐越西線旧中山宿駅跡とスイッチバック遺構探検。草むらの間の幅2mほどの
         道を進む。すぐに車で一周できそうな小さな広場に出た。そこから一本径を歩く。
         誰もいないし、獣道のような道。朝露で草が濡れていて、靴がびしょ濡れに・・・。
         草に覆い隠されていたが、右側に石造りのプラットホームが道沿いに200mほど    
         連なっていた。ということは、今歩いているあぜ道はかつて線路だった。寂しい一
         本道で、今にもクマが出そう。わざと口笛を拭いたり声を出して歩く。
          すると100mほど先に緑色の屋根の機関庫が見え、線路が伸びていた。左側
         の斜面の上には、現在のJR磐越西線の線路が並行して走っている。ちょうど列
         車が走っていった。その先にはポイントがあった。手動切り替えのレバーまで。線
         路は錆び付いて、廃墟マニアや鉄オタが見たら泣いて喜びそうな廃れ具合。やが
         て左側にJR線路に上がれる階段を発見。登ってみた。写真撮りまくり。そしてもう
         少し先に、昔、スイッチバック式の線路の面影を残す、ポイントがあった。つまり現
         在のレールと旧中山宿駅の分岐だ。草がボウボウで、昔の引き込み線は見えな
         かったが、雰囲気はつかめた。上空くもりで、小雨がぱらついた。ポイントでUター
         ン。来た道を引き返す。ホームが時代の繁栄と衰退を物語る。旧ホームも今では
         雑草と無動作に木々が生い茂ってるだけ。そして路駐の車に戻ってから、カメラケ
         ースが見当たらないことに気づく。車で広場まで行き、再びダッシュで来た道を戻
         り、車庫付近まで来てケースを探す。レールに沿って、周囲を確かめながら歩い
         ていくと、途中の道に落ちていた。安堵。しかしタイムロス。車を止めた場所がちょ
         うどホームの端だった。そして私が歩いた轍のような一本径は、かつてレールが
         敷いてあった汽車道(鉄路跡)だと後でわかった。

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     磐越西線旧中山宿駅(スイッチバックの遺構を訪ねて)

     http://home.a00.itscom.net/yosan/jyoki/banetusaisen/banetusaisen.html

     http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3737283.html

     http://www.cafe-dragoon.net/trip/rosen/banetsusaisen_line/05_nakayamajuku2.html

     6:46 旧中山宿駅スイッチバック遺構発。R49線に戻り、西へ。モーテル「きょうの午
         後」は営業中だと聞いていたが、入口にはロープで入れない措置が施されてあっ
         た。そして登坂車線の左を行く。そして「峠」と書かれた看板の路側帯に停車。
     6:50 モーテル「峠」跡着。ここで徒歩でR49を横断し、旧沼上隧道が見えるか確認。
         残念ながら見えず。線路と旧道の写真のみ。戻り際、廃屋のモーテルの屋根群も
         撮影。R49は朝の出勤が始まっていて、ドライブ中の方に不審者と間違われそう
         な動き。再出発。トンネル手前、右側の旧中山峠(旧道)の東側の通行止め停車
         不可。トンネル内走行。西側の出口から左折すれば旧沼上隧道の西側の入口に
         行ける筈だが、駐車スペース無しとクマが出そうなのでキャンセルした。
         トンネルの出口の「風車の広場」から右折。

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      磐越西線旧沼上隧道跡(東側と西側)の情報はコチラ

     http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/zuido/numa1.htm

     http://www.tetsuhai.com/banetuw2.html

     http://ameblo.jp/doblog5/theme-10037601642.html

     http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3777616.html

     http://blog.livedoor.jp/dob_hp3/archives/3754845.html

     6:57 旧中山峠通行止めガードレールまで 道路沿いにあったモーテルは取り壊し?
          R49復帰。上戸界隈走行中、ゴールドのレガシィ猛追。道を譲ったらPC対向。

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      上戸トンネル後右カーブ。しかし曇っていて磐梯山見えない。

     7:02 志田浜P。売店や民宿も休業で廃屋状態。湖水浴、今が掻き入れ時なのに。
          志田浜湖畔駅(臨時)の銅像の写真。次はいよいよ「幽霊ペンション」との悪名
          高き「翁島ペンション跡」へ。やはり天神浜はパス。ここは来る度によからぬこと
          が起こる。私にとっては元凶にして鬼門のため、今回は回避。道端の温度計は
          21℃表示。金曲~白鳥浜ダットサントラック煽る。
     7:08 白鳥浜セブンにピットイン。カフェオレとペット茶で235円。
     7:10 焦げ茶の高架橋型レーダーに探知機反応。アラーム鳴る。靴ぐじゃぐじゃ気持ち
          悪い。
     7:14 野口英世記念館前通過。

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     7:15 左カーブのY字西久保交差点を右折。よく白バイが待機している交差点だ。緊張
         で胸が高鳴る。道なりに進む。右側は田んぼ、左側は深い森という絵づら。墓地
         があって不気味。やがて目印となる磐越自動車道のガードを潜る。ここから注意
         して走行するも、入口におばあちゃんが邪魔して左折のタイミングつかめず行き
         過ぎる。またしてもUターン。やがて鉄塔の脇の細い道を斜めに分け入る。車一台
         分の雑木林の中の舗装路の一本径を進む。すると意外にも県道から200m程度
         で、森の中の木立ちの奥に、突如それらしき洋館が姿を現した。道路からかなり
         近い。50m手前の車道が膨らんだ通行の妨げにならない路肩に駐車。
     
     7:20  翁島ペンション跡に到着。車ではたどり着けないような、徒歩でもっと森の奥深く
         に探険しなければ見つからないと思っていたため、拍子抜け。あたりはひっそりし
               ている。先客なく無人。確かに不気味だが、実際に朝方に訪れてみると、「幽霊ペ
         ンション」という異名をとるほどのおどろおどろしさはないし、幽霊が出そうな気配
         はしない。クマも心配なさそう。一本道からペンションまで至近で、稲川淳二の「恐
         怖の現場」で取り上げられたほどの恐怖感はない。だから夜にわざわざ訪れる来
         る輩が多いようだ。しかし、なぜこんな人目もつかないような森の中に、このような
         洒落た洋風作りのペンションを建てたのか疑問。湖畔までは遠いし、周りには何
         もなく不便そう。
          肝心の内部には潜入できなかった。なぜなら入口は1m以上の段差があるの
         に、階段は朽ち果てて無いし、内部は火事にでもなったのか、壁や天井が黒焦げ
         状態。玄関から問題の暖炉までは近くて、外からも間近に確認できた。人の顔の
         ような物はポスターの白黒写真のようだった。とても中に入れる状態ではなかっ
         た。怖いからではなく、地震の影響でかなり傷みが激しく、屋根は落ち、迂闊に入
          ると崩落しそうな危険を感じたからだ。外観だけの写真に留めた。落書きは酷い
               し、入り組んだ複雑な形状。あまり長居すると祟られそうなのですぐに引き上げ。
         終始訪問者は私だけで皆無。ここは郡山の自宅から41.8kmの地点だった。

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     稲川淳二 「恐怖の現場」の映像はコチラ(閲覧注意)

     https://www.youtube.com/watch?v=pHVokxrSg3o

      <場所のおさらい>

      国道49号線を郡山方面から来て、野口記念館を通過し、左カーブの信号(西久保交
      差点)を右に入る。県道205号線を磐梯山の方角に向かって進み、磐越自動車道の
      ガードを潜る。そして300mほど先の緩い左カーブのところに、電力用の高圧線の鉄
      塔が左手に見える。その手前の細い道を左に分け入る。すると雑木林の中の一本道
      を200mほど直進した突き当たりがT字路で、その正面右側にある。

      地図はコチラ → 「okinajima.jpg」をダウンロード

      航空写真はコチラ → 「okinajima2.jpg」をダウンロード

     7:28 翁島ペンション跡発。県道に戻り、JR翁島駅へ向かう。踏切の手前を左折。そ
         の100m先に駅舎があった。
     7:29 翁島駅着。ここは野口英世が凱旋した時に、多くの方に出迎えの歓迎を受けた
         由緒ある駅らしい。無人駅で、ホームに出て写真撮影。

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     7:34 翁島駅発。踏切を渡り、信号を右折。県道へ入る。
     7:38 猪苗代リゾート方面へ左折。9時から営業だが、「緑の村」へ行ってみる。緩い坂
         の途中、右側にあり。緑豊かな池のある公園と広い駐車場が隣接。 

     7:40 「緑の村」駐車場着。ゲートはなく、駅舎と機関車と客車は無料で見学可。ラッキ
         ー!スキップしなくて良かった。駅舎は旧国鉄時代の駅舎をここに移築したもの
         で、今は内部が「駅舎亭」という名の食堂になっていた。その上に列車が展示され
         ていた。緑色の客車は2両とも内部見学可能。「高原列車は行く」のモデルになっ
         た「磐梯急行電鉄」(略称は沼尻鉄道)で実際に使われていた車両。レトロな外見
         に歴史を感じる。何か悲別駅に似た雰囲気。
         ここも私以外は終始無人。みぞおち焼けるような痛み。車酔いの症状でめまいや
         気持ち悪い。もしかして霊の仕業?呪いか?

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     7:45 「緑の村」Pを出発。坂を下り、左折して県道に復帰。猪苗代町内を横断。
     7:55 国道115号線へ。右手に沼尻鉄道の線路跡の面影をチェック。やがて左前方
         に沼ノ上水力発電所の巨大土管が見え出す。22℃。遅い軽自動車。60km/h道   
         路を45km/hでノロノロ。ダンプ猛追。ボールペンの下半分取れて行方不明。
     8:04 中ノ沢分岐。そのまま直進。坂道を上る。雲が広がり、雨が降りそうな空模様。
         姫沼の入口らしき場所を見つけるも、標識などの目印が何もなく、素通り。ナビで
         確認し、通り過ぎたことを知り、その先の箕輪ホワイトビレッジの駐車場を借りてU
         ターン。今回は道迷いばかり。駐車場と思しき広場に入る。何か寂れた印象。

     8:07 姫沼の入口の広場へ。1台、工事関係者らしき車と人が携帯中。「危険なので入
         ってはいけない」という標識あり。その方に訪ねても要領を得ない。桟橋は壊れて
         無いと言われた。「クマが出るか?」尋ねても不明。10分だけ写真を撮りに入るこ
         とを告げ、中にも車が駐車できるスペースあるというので車で狭い一本径を分け
         入る。するとハイオクと化した食堂兼管理事務所らしき建物の先に広場があっ
         た。目の前に湖面が広がるが、柵がなく危ない、写メ。遠くに壊れた桟橋の残骸
         が見えた。ここに来た訳は、小学生の頃、亡き父親と魚釣りに来た思い出があっ
         た。爆釣だったが、針を木々の枝に引っ掛けて何度も怒られた記憶があった。懐
         かしい。40年ぶりの訪問だった。朧げ覚えていた。秋の紅葉シーズンにはカラフ
         ルに彩られたもみじや楓が湖面に映えてさぞかし綺麗だろう。桟橋までは悪路の
         ため、タイヤが泥だらけになることを避け、断念。壊れたボールペンを直す。いつ
         クマが出てきても不思議ではない状況。

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     8:15 姫沼発。廃墟と化したレストハウスだが、荒らされている様子。帰り際には、さっ
         きのおじさんは車ごと消えていた。R115を箕輪方面へ向かう。

     8:20 高森という地名で、無料となったレークラインとの分岐点へ。その角に、見覚え
         のある大きなドライブインを発見。後続をやり過ごそうと左折して立ち寄る。ここ
         は、廃墟ではなく、綺麗な状態で残っていた。内部も座席や厨房も綺麗。時間帯
         によっては営業する?写真のみ。工事によるシケインを通過。果物の直売所あ
         り。坂を上がる。次は全国の心霊マニアの人気のスポットである「横向ロッジ」。

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     8:25 箕輪スキー場方面へ左折。箕輪のゲートを通過。車4台の3番目。林の中の高
         原道路。急坂の一本道。4台とも横向ロッジならキツイので、やがて現れた「横向
         温泉森の旅亭マウント磐梯」というホテルの駐車場に一旦停止し、やり過ごす。
         (8:27)
         自分で運転なのに車酔いで吐き気とめまいで気持ち悪い。頭痛も。やっぱミステ
         リーツアーの呪いか?祟りか?そのホテルの300mほど峠道を登った最初のタイ
         ト右コーナーの右側にその問題の巨大廃墟はあった。すれ違う若者たちのワゴン
         車がスローダウンして覗き込んでいた。もしかしてギャラリー多い?その左側の空
         きスペースに駐車。

     8:29 横向ロッジ着。ここまで自宅から72.8km走行。ここも意外。峠道から近すぎ。
         道路を横切り、たるんだロープを乗り越え、アスファルト地の敷地へ。2Fへ通じる
         外階段があったが、朽ちていて、危なくて登る気になれず。手早く外見を撮影。他
         の正面入口に通じる階段を上り、2Fの玄関から内部潜入。しかし、簡単に入れた
         ものの、周囲は人っ子ひとりいない無人。落書きだらけ。荒らさないように告げ、
         合掌して2階のフロア部分の写真撮影のみ。もちろん内部に入らず玄関口から。
          車が通りかかって誰かに見られることを懸念し、早めに切り上げ。日中来るとさ
         ほど恐怖心は無い。肝試しに夜訪れる者が多いらしい。
          車に戻り、坂を上がって、裏側を見る。写メ。確かに、磐梯吾妻スカイラインを下
         りてきて、この景色が見えたら、ぞっとする。その左カーブの先の路側帯を利用し
         てUターン。すると急に車が対向して登って来てヒヤッとした。一応足跡は印した。
          とても一人では奥深くまで潜入は無理。何かあったら取り返しがつかない。外の
         奥は雑草だらけで、プールまでは行けず。そのまた奥にスキー場のゲレンデが見
         えた。

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     http://ameblo.jp/jimotylife/entry-10001165550.html

     本当に怖い心霊スポットベスト13の2位に入った時の映像(閲覧注意) 

     https://www.youtube.com/watch?v=rEEvVkrh6Yo 36分47秒から

     火事になって逃げ遅れた少年の霊が3階のベランダに見えるとか、殺されて外のプールで血だらけになっている父親の姿を、3階のベランダから少年が見てしまったとか、稲川淳二が分析している実際にこの建物が火災に見舞われたという記録はない。

      <場所のおさらい>

      猪苗代方面から土湯トンネルに向かって国道115号線を上り、トンネルの手前の分岐
      点から「箕輪スキー場」方面へ本線から左へ折れる。100m先右手に「箕輪スキー場」
      のゲート。そこを素通りし、木立の中の坂道を上っていく。すると左側に「ホテルマウン
      ト磐梯」が現れ、そこを通過し左カーブして最初のタイトな右コーナーの右側に建ってい
      る。県道からすぐ。

      地図はコチラ → 「yokomuki1.jpg」をダウンロード

      航空写真はコチラ → 「yokomuki2.jpg」をダウンロード

     8:33 全国にその名を轟かせる横向ロッジ発。来た道を引き返す。あまり車は通らな
         い。

     8:38 R115合流。その合流地点から山の中腹に横向きロッジが見渡せる。来る時も
         抜いたロードランナーの2人とすれ違う。すごい。こんな山の上まで自力で上って
         きたのか・・・。

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     8:45 姫沼前。一旦停車し、目印も看板もなくなった入口を写メ。
     8:46 中ノ沢温泉口の分岐路へ。左折してすぐ左に旧沼尻鉄道の駅舎を発見し、その
         駐車場へ。道端に標識あり。駅舎の写真撮影。ゴミ収集車。

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      中ノ沢温泉旧沼尻駅跡

     http://www.pref.fukushima.jp/bunka/kindai/page_05.html

         3分ほどで再スタート。温泉街を通り抜ける。具合悪い。吐き気。めまい。ヤバイ。
         10年以上前まで何度も走っていた母成の高原道路へ。緑深い。道路に覆い被さ
         んばかり。無料化。牧草地を縫うように進む。沼尻スキー場の帰りによく通った。
         タヌキの轢死体。聖光学院1-2で負けている。国有の原生林。山頂を越え、下り
         坂からタイトコーナー出現。

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     8:58 くねくね道路。ローリング族のタイヤ痕。晴れてくる。セミが大挙して鳴き出す。
     9:03 料金所があった場所まで下る。その先にトイレ有りスタンバイ駐車場。石筵ふれ
         あい牧場の牛舎などはあったが、入口不明。聖光学院、無死満塁のチャンスでト
         リプルプレーで潰す。ここから右側にあるはずの戊辰戦争の古戦場石碑を注意
         深く探して進が、一向に無い。古戦場という看板も無くなる。気持ち悪さに耐えな
         がら、快調に進むと、なんと磐梯熱海ICまで2kmの地点まで来てしまう。
     9:10 高架橋下でまたしてもUターン。右側の崖に男性器に似た奇岩が聳え立つ。ここ
         から料金所まで往復16kmもの無駄走り。それでも石碑が見つからない、もしかし
         て、母成峠の山頂にあるのか?ピラミッド型の三角山も回り込む。

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     9:20 再び料金所まで来て再度Uターン。胸焼け&吐き気治まらず。その後、ガソリン
         スタンドがある石筵の集落に入り込む。町人のおばあちゃんに聞くが、湯殿山の
         神社でもない。
     9:27 熱海小学校石筵分校前通過。やむを得ず探索断念。聖光学院、酒谷が代打ホ
         ームランで1点差。9:33石筵町内発。牛小屋。ラジオニュース、秋田県大雨被害
         で知事が緊急声明。命を守る最善策を取るよう訴え。避難命令。    

     9:35 高玉城址。県道沿いに碑が建つ。写真撮った途端に、後ろから車。じっくり見物
         できず、既成事実のみ。しかし城址っぽい遺物は何もない。単なる雑草地と田ん
         ぼや畑のみ。次に向かうはずだった高玉金山跡(金の選鉱所、精錬所、煙突跡な
         どは、みぞおち痛など、あまりにも体調不良がひどく断念。熱中症もあってフラフ
         ラ状態。これ以上峠道行ったり来たりは死活問題。

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      高玉金山跡に関する資料はコチラ

     http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/takatama/takatama.html

     http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/stop/kin02.htm

     http://cd125t.blog39.fc2.com/blog-category-42.html

         次に、帰る途中に立ち寄れる、最後の訪問地である安子ヶ島城跡へ向かう。味噌
         屋からR49に合流。交通量多い。歩道橋の信号から左折。踏切を渡ってすぐ左
         折。線路沿いの一本道を戻るような形。すると田んぼの道端に「安子ヶ島城跡」と
              書かれた標識を発見。

     9:44 安子ヶ島城址着。車から身を乗り出して写メ。ここでなんと聖光学院の酒谷がタ
         イムリーヒットを放ち、7回裏に逆転に成功。迂回して国道復帰。32℃。後は帰る
         のみ。R49をそのまま南下。添田自工、トライアル、西部工業団地入口、東洋健康
         センター、消防喜久田分駐所、岸波、郡山ICと通過。安全速度キープ。養護学校
              側の道をショートカットし、9:55にインター線へ。

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     9:58 東邦銀行東隣りのD銀行ATMで現金を下ろす。そのままブイチェーンの駐車場
         を横切る。そして橋の後の交差点を右折し、カーブを回り、KFBの交差点へ。その
         まま直進し、秋田銀行のPへ。ここで聖光学院が勝利!4対3の小差であの愛工
              大名電を振り切る。

    10:05 秋田銀行着。息子のためにまとまった金を振り込む。免許証コピー。来た道を戻
         るが、クマの等身大剥製があった酒屋さんが跡形もなくなっていた。その後、空腹
         に耐え兼ねて、道すがらのデイリーストアで305円のそばを購入し、駐車場で食し
         た。醤油を短パンにこぼす失態。

    10:25 自宅着。最後はフラフラ。頭痛、吐き気、めまいなどがトリプルでやって来た。

     走行距離 16kmの無駄走りがあって 137.1km。 費用 540円。 

     (後記)

     残念ながら、当初の予定から「天神浜湖水浴場」と中山峠にある沼上隧道、高玉金山遺構は時間の都合上、プランから外した。前者は、行くと必ず不吉な事象が降りかかって来ることを懸念して、後者の「高玉金山遺構」は体調不良を考慮し、割愛させていただいた。帰宅後、ネットで調べたら、母成の戊辰戦争古戦場碑は峠の山頂付近にあることが判明。Uターンしても意味がなかった。
     今回の旅は、行き過ぎて戻ることが多数あった。ナビがあっても、下調べをしていてもこの有様。情けない。時間とガソリンの無駄遣い。ミステリーツアーということだったが、暑い中、なんとか初期の目的は達成できた。体調を壊し、寝不足で行くか行くまいか迷ったりしたこともこの難儀を引き起こした原因。予兆はあったが、何とか無事故無違反で、多少端折ったが、予定よりだいぶ早く帰還できたことは収穫だった。
     最後に、念のためお断りしておくが、私は廃墟マニアでも心霊マニアでもない。まして鉄オタでもない。35℃を越えるような酷暑の中、一時の納涼を求め、全国に名高いミステリースポットを放っておく手はないと考えたのだ。もちろん冷やかし半分ではなく、真剣モードで臨み、各スポットに入る際には場を荒らさないことを約束し、ちゃんと一礼し合掌してから立ち入った。
     しかしながら、帰宅後、頭痛・肩こり・めまいが尋常ではない。もしかして霊の仕業か?一応お清めの塩で除霊を試みた。
     
     賢明なブロガーの方は、立ち入り禁止区域にはくれぐれも無断で入らぬようにご注意ください。今回紹介した訪問地は、危険箇所もあり、また法に触れないように十分に配慮して訪れました。不法侵入や家宅侵入などの違法行為、落書きや破壊行為、持ち帰り行為などは犯罪ですので、絶対にしないようにお願いします。

     記事作成:8月9日(金)

     追記 (H27.9.21)

     福島民報の記事によると、H27.9/20未明に、心霊スポットとして全国にその名を知られる「横向ロッジ」において、建物3階の2部屋から火を出し、床や壁など約30平方メートルを焼いた。警察では不審火として捜査を始めた。おそらくは心霊マニアがシルバーウィークを利用し、この建物に肝試しか何かで不法侵入し、灯りをとるために火を起こし、それが燃え広がったのではないか?全国からこうした不心得者が侵入し、犯罪行為を犯す輩がいるのは残念でならない。以前も、裏磐梯五色沼近辺にあった「国民宿舎五色荘」でも同じような類焼事件があり、取り壊されてしまった。放火は立派な犯罪だ。このような行為は厳に慎んで貰いたい。

    2013年8月 8日 (木)

    引き際の美学

     男には「紳士協定」と「ダンディズム」、それに「哲学」と「引き際の美学」が人生訓としてある。今回は後者にスポットを当て、一流アスリートの晩年の生き方や引退に至る決重大な断を下した男たちの姿をクローズアップして描きたい。

     「限界を悟って引退を決意した選手たち」

     こちらは傍目にはまだできそうな印象を受けるが、自らの限界を知り、落ちぶれた姿をファンに見せたくないとの理由から自らの意思で第一線を退いた一流アスリート達である。

     千代の富士

     幕内通算1045勝、横綱在位81場所、横綱在位51場所(足掛け9年)、幕内優勝31回、53連勝と実績十分の大横綱。

     ウルフの愛称で親しまれた大横綱。小柄な体格ながら、筋肉隆々で前みつをとって素早く攻め、相手が反撃する暇も与えないスピーディーな早業でケリをつけていた。また、豪快な投げ技も持ち味だった。現在もクリーンな印象がある。彼の引退決意は、後継者としての若手の台頭である。とりわけ貴花田関に敗れたことが引退の布石となった。かく言う彼も父親の大関・貴ノ花にに勝ち、彼に引退の引導を渡した経緯があり、親子二代の対戦で今度はその息子に引退に追い込まれたという因縁はあまりにも有名。引退発表の席で、彼が声を詰まらせながら口にした「体力の限界・・・。気力も体力もなくなり、引退することになりました」と気丈に話したことが彼の真面目さと責任感の強さを物語っていた。やはり彼はA型を絵に描いたような人物だった。

     具志堅用高

     沖縄出身で「カンムリワシ」の異名をとり、トレードマークがアフロヘアの世界チャンピオンである。引退後はものまねされて「チョッチュネー」という独特の語り口調がパロディに使われることが多く、芸人化してしまったが、押しも押されもせぬ、日本最多の防衛記録を持つ世界王者である。通算23勝1敗。15K.Oという圧倒的な強さを誇った。13度の防衛を果たした末に、初めて負けてタイトルを返上した瞬間に、引退を決意した。25歳での引退は早く、まだリターンマッチもできると思ったファンも多かったが、それが彼の引き際の美学だった。

     長嶋茂雄

     昭和49年10月14日、彼が後楽園球場でのあの名文句を残して引退したセレモニーから遡ることひと月、当時の川上監督同席のもとで行われた引退発表会見で、ミスタープロ野球と異名をとり、スーパースターだった彼が口にした言葉は、「体力の限界」だった。プロ入り後17年間、常に球界のスーパースターとして君臨し、巨人のV9の立役者ともなった。O.N時代を築き、特に30年代から40年代にかけては不動の4番打者。ホットコーナーを死守し、王貞治と数々のタイトルを分け合った。39歳での引退だった。「今日私は引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」というセリフは、彼でなければ格好がつかない希代最高のスピーチだった。

     王貞治

     ご存知世界のホームラン王。868号本塁打は未だに世界記録。長嶋が天才なら、彼は努力の人。一本足打法を荒川コーチと編み出し、16年連続で最多本塁打記録を樹立した。彼が凄いのは、スーパースターで華があった長嶋とは正反対で、性格は穏やかで、派手さがない物静かなタイプだった。そして彼は何とシーズン30本の本塁打を打った昭和55年に、「王貞治としてのバッティングができなくなった」との理由だけで引退を決意し、発表した。世界のホームラン王で長嶋と人気を二分したスター選手だったにもかかわらず、長嶋の時のようなド派手な引退セレモニーを固辞。質素な彼らしい引退セレモニーとなった。

     新庄剛志

     攻走守三拍子揃った野球少年。強肩で、敬遠球をサヨナラヒットしたりやることなすことが派手派手。ルックスもよく、人気実力ともに抜群で、才能に溢れた選手だった。阪神時代、自分には才能がないと口走り、突然引退を口にしたかと思えば、野村監督に弟子入りを志願、その後、メッツ入りし、ド派手なパフォーマンスでメジャーでも人気を得た。日本ハムに復帰してからも抜群の野球センスとその運動神経で北海道のファンの人気を独り占めした。そして「新庄劇場」という新語まで生んだ。そんな折、シーズンが始まってまもなく、お立ち台でいきなり「今シーズン限りでの引退」を自らの口で発表。ファンの動揺を招いた。そして公約通り、9月27日の本拠地での引退セレモニーでは、場内を消灯して大型ビジョンに流された野球人生を振り返るVTRを、中堅の守備位置から新庄の恒例となっている帽子の上にグラブを被る姿で見守った後、ユニフォーム、グラブ、リストバンド、タオルをその場に置き、涙を浮かべながらグラウンドを後に。ユニフォームを脱いで現れたアンダーシャツの背中には「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!!」とファンへ向けるメッセージがプリントされていた。スピーチは行わなかったが、去り際には大型ビジョンに「残りわずかな野球人生 明るく楽しく白球をおいかけることを今日この日 みんなに約束します」との署名つきの直筆メッセージが表示された。いかにも彼らしい演出だった。

     松井秀喜

     松井の引退も唐突だった。昨年暮れにいきなり引退を発表し、周囲を落胆させた。巨人時代には4番に居座り、年間50本を放った絶頂期に海を渡り、最高の形で誰もが夢に描くニューヨークヤンキースに入団。4番の座を射止め、ワールドシリーズでもMVPに輝くなど、野球選手としては常に王道を歩いた。彼の引退で口にした言葉は「松井秀喜として、ファンが期待するようなパフォーマンスを見せられなくなった」ことだった。大打者の証でもあり、それゆえの苦悩があったに相違ない。彼は今年、尊敬する長嶋茂雄氏と一緒に国民栄誉賞を受賞した。いずれ巨人の次期監督として日本球界に復帰するだろう。派手なパフォーマンスはしないが、口数が少ない分、結果で範を示すタイプだった。

     総括すれば、上記の方々は「名誉ある撤退」を選択した一流選手である。

     スポーツ選手ではないが、元首相の小泉純一郎もまたこのカテゴリーに該当する大人物だ。5年の長きに渡り政権を握り、国民の圧倒的支持を取り付けて首相の座に君臨した。後継者に任せた安倍晋三が辞任するやいなや、国民の復活再登板待望論が叫ばれる中、スパッと次期総選挙に出馬しないと事実上政界引退を表明。引き際の美学を国民に印象づけた幕引きだった。

     「ボロボロになるまで完全燃焼したアスリート」

     周りが現役続行を気の毒に思うほど、最後の最後まで体力を使い果たし、納得して現役を去った選手達である。

     野村克也

     現役時代はとにかく長嶋茂雄をひたすらライバル視し、彼に勝つためだけに努力を重ねた選手だった。監督としての実績と彼独自の毒舌が有名で、選手時代の彼を覚えている人は少ないが、中島治康以来の三冠王を獲得したり、本塁打王も9度獲得し、通算657本塁打は歴代2位である。しかも26年間も現役生活にしがみついた。当時としては最高齢の45歳まで現役を貫いた。
     野村の著書によると、引退を決めたのは現役最後の年である1980年9月28日の阪急戦だという。この日、野村は捕手としてスタメン出場。4-3と西武が1点を追う展開の8回裏、一死満塁で迎えた野村の打席で、実働26年の選手生活で唯一の代打(鈴木葉留彦)を送られる。犠牲フライくらいはいくらでも打てると思っていた野村は愕然とし(野村は犠飛数のプロ野球記録保持者であり、横変化の球種をやや遅れ気味に打つという犠飛を打つコツも体得していた)、ベンチに下がった後、代打策の失敗を祈っていた。結局鈴木はショートゴロ併殺打に倒れ、その瞬間「ざまあみろ」と思ったという。この逸機が響いて西武は試合に敗れた。野村は帰途の車中、自分の気持ちが勝利を目指すチームとは逆の方向に向いてしまったことを悔い、引退を決めたという。
     引退セレモニーは西武全選手が一・三塁間に横一列で並び、一人ずつピッチャーマウンド上のマイクで言葉を贈った後キャッチャーズボックスで構える野村に投球し、それを野村が受けるというものだった。南海の高卒新人捕手香川伸行から花束贈呈された。その後の記者会見終了後の野村の肩にはハローキティのカメラを持った当時小学1年生の息子・克則が乗っていた。

     魁皇

     魁皇関も怪我続きで体がボロボロになりながらも土俵に立ち続け、限界ギリギリまで現役にこだわり、完全燃焼したひとりである。老骨にムチ打ってという言葉は彼のためにあるような、粘り強さを披露し、ファンも彼の力士としての半生をしかと見届けた。晩年は怪我や加齢による体力の衰えも顕著となり、立合いの鋭さ・重さに欠け、かつて握力計を振り切ったほどの握力は衰え、70キロ台にまで落ちていた。左四つに組むことが難しくなり、組んでも左四つ得意の若手(稀勢の里、琴奨菊など)や、もろ差しがうまい豊ノ島には分が悪くなってきた。太ももの故障を抱えてからは左右の動きの対処できずあっけなく土俵を割ることが増え、また上手投げが難しくなり叩きが増える相撲も多く、魁皇らしさが半減した。30代も半ばを過ぎた2007年7月場所から2010年9月場所まで20場所連続で二桁勝利を上げられず、休場と角番が増えた。しかし何度もカド番を迎えながらも、瀬戸際で踏ん張り、8勝7敗での勝ち越しや休場明け、ギリギリの8勝での勝ち越しで大関陥落を免れてきた。彼はファンの懸命な声援を力に変えて戦った一人だ。長年の努力が実を結び、幕内通算出場1444回と幕内通算1047勝、さらには幕内在位107場所は歴代1位の記録である。

     金本知憲

     彼は鉄人・衣笠祥雄と並び称されるほどの強靭な体力の持ち主だった。13,686連続イニング・1,766連続試合フルイニング出場数の世界記録保持者である。彼の野球人生もまたケガと故障の連続だった。死球を受けて指を骨折した時も、翌日の試合を欠場せず、志願出場するなど、並大抵の精神力では成し得ない大記録を樹立した。また、右肩が痛み、満足のいく外野からの返球ができなくても、ファンの期待を裏切らず、当時の監督も彼を使い続けた。
     2012年9月12日に同年限りでの引退の意思を固めた事が明らかになり、その日の会見で本人の口から改めて2012年シーズンでの現役引退が発表された。会見の中で金本は自らの進退について「10日くらい前に考え始め、本当の決断は2日前くらいに決断した。いろいろ理由はあるが、自分に対して『限界かな?』という思いと、時代の流れ。いつまでもいい時のパフォーマンスを出せない自分が居るのも」と語り、また家族の話になると「子供は大泣きしていたが『いつかはやめるんだよ』と言った。母親には一番最初に伝えたが、『体のケアをしてくれと…』」と言う所で涙を堪えるために言葉に詰まり、更にファンの話になると「落ちぶれてからはバッシングもあったけど、励ましてくれたファンには…」とついに涙を流す場面も見られた。

     清原和博

     高校時代は1年時からPL学園の4番を打ち、本塁打記録を塗り替え、KKコンビとして一大旋風を巻き起こした。鳴り物入りでプロに入団。運命のいたずらで、あれほど入団を熱望していた巨人には、チームメイトの桑田が指名される皮肉的なドラフトを経て、西武に入団。その後は1年目からその悔しさをバネに打ちまくり、4番の座を獲得。高卒ルーキーながら30本塁打以上をマークし、その大器ぶりをいかんなく見せつけた。しかし巨人への愛着は忘れられず、FAにより巨人移籍。そこからは重圧とスランプ、そしてケガとの戦いであった。あれほどの実績を保ちながら、22年間現役生活で、打撃三部門のタイトルを一度も取れず、「無冠の帝王」の異名をとった。その後、巨人を追われて終の棲家のオリックスへ移籍。その後もケガに泣かされた。
     2007年もキャンプ中に左ひざを痛めて離脱し、2月28日に左膝の軟骨除去手術を行う。交流戦での復帰が報道されたこともあったが回復具合は思わしくなく、7月6日に神戸市内の病院で左膝に移植手術をし、この年はプロ入り以来初めての一軍試合出場なしに終わった。2008年7月31日、532日ぶりに一軍に合流。しかし、8月2日に記者会見を開き、「こんな状態なので、来年はグラウンドに立てないと思う」と話し、同年限りでの現役引退を事実上表明した。9月29日、プロ入りから11年間を過ごした西武ドームでの西武とのカード最終戦終了後、グラウンドに出てライトスタンドの西武ファンの清原コールに応えた後、オリックスと西武の両軍選手が清原を胴上げするというセレモニーが行われた。西武時代のチームメイトで、合宿所で同部屋だったこともある監督の渡辺久信からも花束を贈呈された。数奇な運命に弄ばれ続けた彼は、未練を残しながらグランドを去ったのであった。

     野茂英雄

     日本球界を離れて以降、メジャーのマウンドに立ち続けるために、故障しようが勝敗から見放されようが、体力に陰りが出ようが、マイペースで復帰を模索し、最後まで夢をあきらめずに戦い続けた。最盛期には「トルネード投法」を引っさげて、ドクターKの異名をとるほど三振の山を築き、相手バッターを翻弄し、きりきり舞いさせてきた。メジャーで2度のノーヒットノーランは圧巻だった。その後、好不調の波が激しく、トレードを重ね、新天地で新境地を切り開いた。引退は、契約のオファーが来なかったためであり、彼自身はどこであっても投げたかったに違いない。やや不完全燃焼気味かもしれないが、彼の日米通算200勝越えは大いに賞賛すべきだし、彼のメジャーへの門戸をこじ開けたパイオニアとしての功績はあまりにも偉大である。 

     さて、昨年のプロ野球界においても、自らの限界を悟り、城島健司、石井琢朗、小久保裕紀、金本知憲と人気・実力ともに十分だった一流選手が相次ぎ引退した。今季になって、秘密裏に飛ぶボールに一部変更され、もしかするともう一年やれたのではないかという懸念が巻き起こった。40代を越えたアスリートは誰もが「引退」という二文字が脳裏をちらつき、自らの引き際を考え、どの時期にユニホームを脱ぐかを決意するものだ。

     最後に、おそらく、あと5年以内には超有名な選手が現役を引退することが予想される。

     1 イチロー 5年後は45歳

     2 三浦知良(キングカズ) 5年後は50歳

     3 谷繁元信(現在42歳)

     4 山本昌(現在47歳)

     5 中村紀洋(現在39歳)

     6 高橋由伸(現在38歳)

     7 小笠原道大(現在39歳)

     8 谷佳知(現在40歳)

     9 宮本慎也(現在42歳)

    10 岩瀬仁紀(現在38歳)

     さて、彼等の引き際の美学はいかがなものか。トップアスリートであればあるほど厭がおうにも注目されることになる。そしてどのようなパフォーマンスで引退に至るのか、じっくり観察したいものだ。

     記事作成:7月15日(月)

    2013年8月 7日 (水)

    THE 工場見学(8/7)

     今日は唐突だが差込み記事をお送りしたい。それは先月に「参加者が少ないから」と担当者に泣きつかれ、急遽メンバー入りした「事業所(工場)訪問」。早い話が、お得意様の会社や工場を訪ねて見学し、その後のリレーションを向上させるという狙いで、我が職場が毎年行っている恒例行事。社会勉強のつもりで参加したその一部始終を報告したい。

     昨年は仁井田本家という酒蔵を訪ねたが、今回は事業所が2箇所に加え、三春ハーブガーデン内にある「SARARA」という名前のバイキングレストランでの昼食付きという内容。工場見学は、去年私が担当だった、待池台の西部工業団地内にある「東成イービー」という工場と田村工業団地内にある、味噌や甘酒を製造している「宝来屋本店」である。工場見学など久しく体験していない私は、ブログネタに打ってつけだし、社会勉強にもなると考え、人助けとなるし承諾した。では早速エピソードも含め、時系列を追っての紹介していきたい。

     9:45 職場玄関にて受付。昼食代の1,575円を前納し、領収証を貰い、十六茶を受
         け取ってバスに乗り込む。今回の参加者は総勢26人。中型バス。

     9:55 職場発。西部バスの運転手、あまりよくルートを知らない。インターン線まで出
         て、右折して国道49号線へ。何故か途中から左折、右折をくり返し、田んぼの中
         の一本道を行く。すると西部工業団地内の道路に合流。しかし、ここから運転手
         が道を間違い、迂回する羽目に。バスの車内では、初対面の方々もいるため、ひ
         とりずつ自己紹介。私は先週北海道でさんざん美味しいものを食べて来て、一昨
         日、人間ドックに行ったら、人生初のメタボ宣告を受けたことをカミングアウト。今
         日の昼食は野菜中心と宣言した。

    10:17 「東成イービー」着。1年前の7月に3度、企業訪問で訪れた場所。対応してくれ
         たさんは今回は不在。女子社員も笑顔でお出迎え。感じのいい会社だ。
         まず、2Fのフロアで全員がプロジェクターで投影されたPCパワーポイントによる
         会社概要について聞く。

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    10:45 その後、A班とB班に分かれ、工場内を見学。私はA班。さほど大きくはないが、
         今、最先端技術を駆使し、業績を伸ばしている優良企業だ。
         1Fの工場では、まずレーザービームを照射して行う金属同士の溶接工程を見物
         した。一台数億円もしそうな高価な産業機械類がズラリ。ロボットアームや様々な
         計器類が居並ぶ。そこで機械操作をしていた若者は、なんと私と面識のあった今
         年4月に入社した新入社員。すでに即戦力として働いている。次に隣りのスペース
         で、更に巨大な産業機械が数台並ぶ。そこで金属同士を溶接し、加工、別の部屋
         で若い男女2人が検査していた。僅か数ミリの金属の間からレーザーを照射し、
         その奥の金属を溶接・加工するという技術を垣間見た。実際に異なる素材同士を
         加工した金属部品が展示され、手にとって見ることができた。接合部分が美しく、
         滑らか。この技術は産業機械や宇宙ロケット、人工衛星「はやぶさ」、国際宇宙ス
         テーションの部品に実際応用され、受注もあるという。まさしく時代の最先端をリー
         ドする企業だった。もともと東京に本社があったが、郡山に移転したらしい。

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    11:20 2Fノフロアーに戻り、トイレへ。すると手洗いが面白い。水受けがなく、斜めに板
         があって、手を洗った水は、器ではなくてその板の上に落ちる仕組み。トイレまで
         ハイテクだった。帰りがてら、工場長や案内説明してくれた社員らと全員で工場社
         屋をバックに記念撮影。√2は?とか8÷4は?とかお決まりの掛け声。

    11:33 東成イービーを出発。社員4人が我々のバスが見えなくなるまで律儀にも見送り
         してくれた。なんという素晴らしい会社なのか・・・。社員教育もできた会社は、やは   
         り業績が伸びることの証を垣間見た気がする。

         西部工業団地内を国道に向かって東へ走行。右手に体育館の手前、こんもりとし
        た森が見える。昨年ここで、本宮の無職の22歳の男性が夜に禁止されている釣り
        に興じ、酒を飲んで池に入って泳ぎだし、溺死する事故が起きた。その翌日、私が
        この会社を訪れたのだが、警察やマスコミ車両が多く、福島県警の黄色いテープで
        立ち入り禁止措置が取られていた。
         その後、T字交差点を右折してR49へ合流するが、その交差点には、以前に私の
        ブログにクイズ形式で載せた招き猫の石像が未だに置いてあった。

        次の工場見学は「味噌」でお馴染みの「宝来屋本店」だが、その前に腹ごしらえ。最
        初の工場見学が予定より長引き、遅れそう。しかも、運転手が近道を行かずに、わ
        ざわざ混む郡山市街地を横断しようという腹。R49を南進し、桑野のコナカの交差
        点から左折し、うねめ通りへ。ビバ、COWBOY、ロッテリア、ゼビオ、イトーヨーカドー
        シミズストアの前を通過し、右折してR4へ。そして旧星総合病院の交差点を左折
        し、JRのアンダーパスの地下道を東へ。つまり美術館通りだ。その信号でバスが明
        らかに信号無視。すぐ右にパトカーが先頭で信号待ちしていたのでOUTかと思っ
        た。そして旧薬師堂火葬場があった場所のすぐ脇を通り、横塚界隈を進む。よくネ
        ズミ捕りを行う美術館前のアップダウンを抜け、緑が丘団地へ入る手前のセブンの
        交差点を左折。この道は何度も通ったことがある。そして「こばりどん」の前を右折
        し、「三春ハーブガーデン」の敷地内へ。私はおそらく、20年ほど前に一度訪れた
        きり、とんとご無沙汰だった。平日にもかかわらず、駐車場にはすでに多くのマイカ
        ーが駐車してあった。

    12:15 三春ハーブガーデン「サララ」に到着。26名分はすでに予約席として手配済み。
        さっそく食事開始。レストランの中は広い。200席はありそう。客は半分程度。しか
        も意外とメニューは豊富。炭火のエリンギ焼きが楽しめるコーナーまであった。私は
        ダイエット宣言したにもかかわらず、その美味そうなメニューに驚き、つい元を取ろ
        うとして6回もおかわりしてしまった。私はサラダ6~7種類、パスタ、ピザ、日本そ
        ば4杯、うどん、スペアリブ、唐揚げ、天ぷら、温泉たまご、オムレツなどありとあら
        ゆるおかずをセレクト。どれも健康食で、いくら食べても満腹にならず、つい調子に
        乗っておかわりしすぎ。ドリンクやお茶も充実。オレンジ2杯、烏龍茶、プアール茶、
        アイスコーヒーをセレクト。更にデザートはヨーグルト、アイス3回などとにかく貧乏性
        丸出しで食いまくった。一緒に訪れた同僚や上司も呆れていた。私は飲まなかった
        が、ハーブティーも種類豊富で、10種類以上は優にあった。
         満腹中枢が満たされ、またしても後悔。その後、隣りの棟にあるポプリやハーブを
        使った様々なお土産コーナーに。建物の中は広く、可愛らしいグッズや小物でいっ
        ぱい。店員さんに断って許可を貰い、店内の写真も撮影した。十分見物した後、バ
        スに戻る。さすが日本人、出発時刻の5分前には全員が着席。

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    Img_1419_r Img_1421_r

    13:15 三春ハーブガーデン発。来たルートを緑が丘団地入口のセブンまで戻る。信号
         をそのまま直進する。私のかつての同僚が退職後、古民家を改造して独学で蕎
         麦屋を始めたのだが、その店を探すが、道端には確認できず。狭い坂道を登って
         下って、変電所の脇に出て、そのまま水門町へ。右折して右手にテクノアカデミー
         の校舎を見ながら、行合橋の手前を左折。田村工業団地に向かう道で、しょっち
         ゅういわきに釣りに行くときに通る道。従兄弟が務めるパナソニックの前を素通り
         し、やがて右手に「宝来屋本店」の看板が見えた。

    13:30 1分も遅れず、ジャストに到着。幹事の目や計画に狂いはない。玄関から入り、
         靴を脱ぎ、スリッパに履き替えて2Fの会議室へ。そこで挨拶後、63歳のベテラン
         男性が会社&工場の説明。彼がまた面白い。商業高校卒業後、この道に入った
         が、技術は奥が深く面白いらしい。宝コージくんのマスコットキャラのシールや「み
         そ知り博士Q&A」、「みそができるまで」のパンフとガイドブックを貰った。   
          彼の話を端折って紹介すると、味噌の原料は大豆だが、国産は僅か3%。額国
         産の輸入品が97%を占めるそうだ。もちろん大豆だけでは味噌はできない。麹 
         菌が必要だが、この菌は今では兵庫の灘と京都でしか手に入らないらしい。この
         菌は空気中から採取する。その元となるコウジには二種類あって、糀は味噌とな
         り、麹は酒や醤油になる。また酒の流通ルートで水を足していくことから水増しと
         いう言葉が生まれたことや菌についての講話があった。キムチは韓国の国菌、ヨ
         ーグルトはブルガリアの国菌、糀は日本の国菌となっている。また、日本米や食
         料は台湾や香港に大人気だそうで、中でも日本ではあまり知られていない佐賀県
         のお米が大人気で、日本の技術はどこにも負けず、どんなに不況であっても日本
         の製品は生き残れると自信を持って熱く語っておられた。結構ためになるありが
         たいご高説だった。

                  Img_1438_r

          その後、福島第一原発の作業員が着るような白い防菌服と帽子、それに靴を丸
         ごと覆うカバーを履いて、本社社屋の北隣りに隣接する工場へ案内された。
          中に入ると異様に暑い。ましてこの格好。昔のパナウェーブ研究所のようだ。臭
         いが鼻につくような感じの温度管理が行き届いた各部屋や材料の備蓄倉庫、商
         品の保管庫などを次々見て回った。味噌作りには欠かせなかった詰める木の樽
         ではなく、最近はステンレス製の四角いユニットバスのような箱型の樽に入れて発
         酵させたり、熟成させるのだそうだ。だから、昔ほど味噌の匂いはきつくないらし
         い。本日は昨日までの雨天とは違い、30℃を超える猛暑。産業用の巨大扇風機
         は要所にあって回っていたが、熱中症になりそうなほどだった。「三五八」などの
         製品を袋に詰める工程まで見て、最初に入ったスペースに戻った。質疑応答し、
         上司が感謝の言葉を述べて終了。なんでも近場の工場見学できる場所は次々閉
         鎖されてしまった。森永も撤退し、コマツ醤油屋も無くなった。残念で仕方たいと話
         しておられたが、ここは工場見学は前向きに受け入れているとのこと。老人ホー
         ムや小学生の工場見学も何度も受けているそうだ。お土産はないが、一見の価
         値ありである。別棟では、今、世界中で注目されている冷やし甘酒を製造してい
         る。モンド・セレクションでゴールドを獲得し、受注が間に合わず、朝の5時から20
         時まで工場はフル稼働だそうだ。熱心に説明してくれたベテラン社員に、私たちも
         拍手で感謝の意を表した。ここでも来社記念の集合写真撮影。

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    14:37 宝来屋みそ本店発。最後は社員に見送られての出発となった。
         帰りは水門町経由。行合橋を渡り、東部幹線に出て、いつもの昭和ドライバー
         ズカレッジ、KEISEN、自転車でGOで藺草アナが訪ねた中華料理屋「一番」の前、
         そしてお気に入りの「半田屋」の前を通過。例の薬師堂火葬場跡(現・浄化センタ
         ー)を右手に見ながら進行。チラ見したところ、私の祖母を火葬した時の建物がそ
         のまま残っている気がした。その前のロータリーの植え込みも確認できた。昭和
         62年5月、祖母を見送った時、今は亡き従兄弟と座り込んで真っ直ぐに立ち上る
         煙を力なく眺めていたことを思い出した。もうそれも27年も前の出来事になった。

          帰路のルートはカワチ前、旧郡山卸市場前を通過し、昔住んでいたアパートを
         右手に見ながらR288に合流。旧国道を横切り、コナカ前へ。左折してR4へ。そ
         して南東北病院の前の信号から左折し、右折して職場に戻った。カウントダウン
         だったが、名幹事のため、予定通り15時ちょうどに職場に帰着となった。

    15:00 職場帰着。参加者にお礼を述べて解散となった。
     
     結構、最初は単なる頭数合わせで渋っていた今回の工場見学だが、目からウロコの事実や実際に目で見て触れて確かめないとわからない事柄が多々あった。また、参加者同士の親睦や交流にも一役であった。また、来年も同じ企画があれば参加したいものだ。

     追記

     帰着後、報告書を記入して提出したが、その後、熱中症の症状から頭痛がひどくなりズキズキ。水分補給をこまめに行い、休養室のソファで仮眠した。

     明日か明後日は、懸案だった「磐梯熱海・猪苗代周辺のマジやばスポット」ツアーか「白河周遊プラン」を決行したいと考えている。睡眠不足で連続のチョイ旅となるが、休暇もそんなに多くないので、天気も良さげなことを鑑みて実施に踏み切りたい。詳しくは下をチェック!

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/post-9063.html

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-ef25.html

     もし偶然、同じ行動をされる方で、たまたま私と遭遇したら「SUZUさんですか?」と一声お願いします。

     記事作成:8月7日(水)

     

     

    2013年8月 6日 (火)

    CMの彼女②

     昨年夏に放送されたCMで、大好きになったのがこの作品。郷ひろみ似の男性(河野達郎)が休日にひとりで海岸線をドライブしながら、昔の彼女との想い出を蘇らせて感慨に浸る。砂浜のデートで彼女が無邪気に波打ち際でおどける。その光景を優しく見守る彼。カップルには誰しも経験があるだろう若かりし日のワンシーン。まるで映画のひとコマを彷彿させる。
     まずは、私のお気に入りのその作品をどうぞ!

     三菱電機 DIATONE SOUND. NAVI(2012年7月 - )

     このCMの公式HPはコチラ↓

    http://www.mitsubishielectric.co.jp/carele/club-diatone/tvcm/index.html

     昔の彼女と思ったこの美しい女性は、現在、男性の妻になっていて、「想い出の記憶の中から回想シーンとして蘇らせている」というストーリーだったことが判明しました。実に羨ましい・・・。

     続いてこのCMに登場する女の子(彼女)を紹介したい。

      團 遙香

     1993年6月2日、東京生まれの20歳。ボックスコーポレーション所属。身長162cm。女優、タレント、ファッションモデル、CM、舞台をこなすマルチタレントとして活躍。血液型はA。

     2010年(平成22年)に東京・渋谷の商業施設、「109」でスカウトされて芸能界デビューした。愛称は「だんちゃん」、「だんだん」。特技は水泳(遠泳4km)、三味線、ピアノ、バドミントン。趣味はキャンドルやポストカードの観賞。

  • 父は、日本建築学会賞業績賞受賞の建築家、團紀彦。
  • 伯父は、群馬大学教育学部美術専攻教授の團名保紀。
  •  どうりでお嬢様風の雰囲気と印象は筋金入りの本物だった。育ちの良さそうで、清楚なイメージは私の好み。

    Dan4

    Dan3 Dan1

  •  <主なテレビ出演>

    古代少女隊ドグーンV(2010年10月6日 - 12月22日、毎日放送) - ドリちゃん 役
    月曜ゴールデン 女タクシードライバーの事件日誌5(2010年11月29日、TBS)
    Dr.伊良部一郎 第7話(2011年3月20日、テレビ朝日) - 女子高生 役
    生まれる。 第5話(2011年5月20日、TBS) - 林田美子の同級生 役
    主に泣いてます 最終話(2012年9月8日、フジテレビ) - やすこ 役
    Piece 第1話(2012年10月6日、日本テレビ) - 成海皓の彼女 役
    青春アルゴリズム(2012年12月24日、テレビ東京)
    警部補 佐々木丈太郎5(2013年3月15日、フジテレビ) - 白石由加(高校時代) 役
    タガーリン 第2 - 最終話(2013年4月20日 - 6月22日、フジテレビ) - ハルカ 役
    でたらめヒーロー 第7話(2013年5月16日、読売テレビ)
    高梨さん 第10話(2013年6月3日、NHKワンセグ2)
  • 月曜ゴールデン 血痕 警科研・湯川愛子の鑑定ファイル4(2013年6月17日、TBS) - 宇田川薫 役

     <バラエティ>

    ZIP!(2013年4月4日 - 、日本テレビ)

     <映画>

    Little Angels(2010年制作) - 主人公の友人 役
    貞子3D(2012年5月12日、角川映画)
    リアル鬼ごっこ3(2012年5月12日、ユナイテッド・シネマ)
    メンタリスト響翔II〜心からの生還〜(2012年10月19日、セントラルメディアプロモート) - 野中みなみ / 成瀬美紀 役

     <主なCM出演>

    日本コカ・コーラ
    Coca-Cola Happy Meal(2010年3月 - )
    い・ろ・は・す(2013年4月 - )
    日清ペットフード(2010年4月 - )
    Canonデジタルカメラ(2010年11月 - )
    NTTファイナンス(2011年 - )
    HITACHI(2011年 - )
    八景島シーパラダイス アクアナイトマジック(2012年7月 - )
    三菱電機 DIATONE SOUND.NAVI(2012年7月 - )
    ダイハツ工業
    TANTO(2012年9月 - )
    エコカー免税ラインナップ(2012年10月 - )
    花王 フレアフレグランス(2012年9月 - )
    プレナス ほっともっと 「カキフライ御膳 / カキフライ弁当」(2012年10月 - )
    AOKI AOKI×CanCam 「Can流スーツで春デビュー!」(2013年2月 - )

     今後、ますます露出度が増し、メジャーになっていくであろう彼女の活躍を見守っていきたい。

     記事作成:8月5日(月)

    2013年8月 3日 (土)

    今後の旅行プラン(白河周遊と東京散策)

     プライベートのチョイ旅なので、わざわざブログでカミングアウトするほどのことでもないが、何かの参考になればと思い、敢えて告知したい。これまで旅行前の告知は、3年前の我が大学(慶應義塾)のスクーリング、2年前の尾道強行旅行、そして去年の山寺、そして記憶に新しい今年1月の台湾旅行、春先の三春界隈、それに今夏の二本松回顧の旅と磐梯・猪苗代周辺ミステリープラン(8月3日)、加えて北海道旅行プラン(7月30日~8月1日)に次いでのことである。旅すがら、誰かに声を掛けられることを期待しての事前告知なのだが、未だにそれらしきことは皆無だ。その度に私のブログもまだまだ認知度が低いことを思い知らされる。

     さて、今回は7月22日(月)の仕事の合間にふと思いついたチョイ旅である。方面は白河周辺の散策である。昨年、鏡石の「ラーメンみどり」の「ガンダムもどき」や藤沼湖、布引高原の風車群を見て回ったが、それ以外は学生の頃に立ち寄って以降、とんとご無沙汰であり、久方ぶりに再訪してみたくなった。白河方面は観光地が少なく、縁がないというのが実情だった。そこで今回は、見どころを情報収集し、個人の好みを優先しつつ、皆さんにも紹介できるスポットを選んで回遊することにした。しかるにその行程を紹介したい。

      「気のまま白河周遊プラン」

     自宅発8:00ーR4バイパスー郡山南IC・・・白河中央スマートIC(500円)

     1 白河の関址 9:15~9:45 南湖公園

     おそらくここは訪れた記憶がない。大学時代、バイクで東京に帰る際、寄り道して一本西側の県道を通ったことがあったが、ここは初。県内に2箇所ある関所のうち、勿来の関は訪れたことがある。

    http://shirakawa315.com/sightseeing/seki.html

     2 白坂アウシュビッツ平和博物館 10:00~11:00(500円)

     まさか福島県内にこのような施設があったとは知らなかっただろう。ポーランドにある、ナチスドイツのヒットラーによるユダヤ人大虐殺の舞台となった負の遺産であるが、それがなぜか遠く離れたここ日本の、白河の白坂という地名にあったとは・・・。当時を偲ぶ収容所(ガス室を含む)写真の展示や「アンネ・フランク」の日記に関する資料が常設展として展示されている。

    http://www.am-j.or.jp/index2.htm

     3 白河ラーメン(白実斜め向かい手打ち中華すずき)11:15~11:50

     白河ラーメンは、昔ながらのクラッシックスタイル。シンプルな具で、濃い醤油ベースで豚骨や鶏がらスープが多い。あっさり系である。

    http://ramendb.supleks.jp/s/4441.html

     4 小峰城三重櫓 12:00~12:40

     20年前に、当時付き合っていた彼女と訪れたきり、疎遠になっていた。震災の影響が大きく、未だに石垣が崩れ、修復不能で立ち入り禁止。一国一城で、白河には天守閣付きの城を築城できなかったため、櫓としてたてられた。松本城や熊本城を彷彿させるシックな佇まい。

    http://shirakawa315.com/news/post_521.html

     5 中島村童里夢公園内からくり時計(村役場東側) 12:55~13:10  

     あの小室哲哉氏の祖父が中島村出身という縁で、小室氏本人が1億円を寄付して建てた大仕掛けのからくり時計。曜日によって異なるが、見る価値はあるらしい。

    http://www.vill-nakajima.jp/forms/info/info.aspx?info_id=12734

     6 矢吹町トイショップ・ウエダ(矢吹駅南側セブン近く) 13:30

     ここは、FTVのサタふくの「自転車でGO!」で藺草アナが何度も訪問している、マニアックなおもちゃ屋。プロレス好きの店主が集めたタイガーマスクのマスクが豊富に展示されている。昔ながらの駄菓子屋風の店構えと陳列。

    http://www.fukulabo.net/shop/shop.shtml?s=749

     7 矢吹町文化センター(旧矢吹飛行場跡ー特攻隊訓練所) 13:45

     かつて矢吹町内に陸軍の飛行場があったことを知る人は少ないだろう。何と、特攻隊員を養成する訓練所があったのだ。そこから、鹿児島県の知覧なあどに赴き、戦地へと旅立っていったのだった。そういう過去の歴史を多くの方に知って欲しく、この場所を観光地に選んだ。しかし、今は石碑が静かに佇んでいるだけだ。

    http://www.town.yabuki.fukushima.jp/view.rbz?cd=937

    http://rakuras.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-307c.html

     8 須賀川乙字ケ滝・ゴジラの卵跡地 14:10~14:25

     こちらは芭蕉の句にも詠まれた有名な場所。ナイアガラの滝の形状をしているが、その極小ミニチュア版。期待しすぎるとバカを見る。ゴジラの卵は、昭和末期に「町おこし」の一環で作られた。ウルトラマンやゴジラの生みの親・円谷英二監督の出身地であり、そこから集客できないかと思案し、ゴジラで人を呼ぼうと画策し、このような巨大卵のオブジェとゴジラの足跡を築いたが、火災(不審火)に遭い焼失、今は影も形もない。

    http://www.city.sukagawa.fukushima.jp/kanko/spot09.html

    http://www5f.biglobe.ne.jp/~punch-ht/chinsp/c016002.html

     9 須賀川牡丹園 14:40~15:40

     私が勿来に4年間住んでいた時、毎週のようにこの前を車で通った。おそらく200回以上は通っている。しかし、小学生時分と平成初期に牡丹台球場を訪れて以降、すっかり疎遠になっていた場所。時期はずれだが、久し振りに訪ねてみたくなった。何かしらの花は咲いているだろう。シーズンオフは無料なのが嬉しい。

    10 帰宅 16:00    8時間コース

     今のところ、実施は8月11日(日)を予定している。どうなるかはわからないが、どこかで私らしき人物を見かけたら、気軽に声を掛けてください。今回は、この4月~7月まで多忙を極め、ストレスが溜まっている自分への発散の機会を与え、リフレッシュして秋からの仕事に取り組めるように計画を立てたものだ。あまり足を運ぶことの少ない県南地方に出向くのに絶好の機会と捉えたい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     続いてもう一つ。こちらは、7月23日(火)にネットを調べに調べ上げてようやく判明した、とある場所をメインとした東京周遊弾丸往復プラン。6年前の5月に若くして惜しまれながら亡くなり、私の大好きだった或る美人女性歌手の墓参りを兼ねて実施したい。彼女の遺族の強い意向でその墓所の在り処が固く伏せられ、一部のファンにしか知られていない秘密の場所に眠っていた。もちろん、大ファンだった私は、他言無用で密かに参るつもりだし、それを口外することは一切しない。無論、冷やかしや物見遊山ではなく、生前に会うことが叶わなかった彼女に心から感謝し、鎮魂とご冥福を祈る意味で真剣モードで訪れるつもりだ。こちらは決行日は未定だが、有休を利用して平日に訪れたい。白河周遊プランと日程的に前後するが、お盆の帰省が始まる前の8月8日(木)、9日(金)あたりが有望。

      「東京周辺散策」

     初日

     1 郡山発8:18「やまびこ122号」ー大宮着9:18乗り換え 5,580円(得だね15%)

     2 鉄道博物館10:00~13:30 1,000円

     3 (未定)14:00~18:00ー大森駅18時30分

     4 カプセルホテルみづほ  3,600円  夕食は居酒屋で

     2日目

     1 カプセルみづほ(朝食)7時45分発ー大森駅7:58ー大井町ー?駅ー?駅 

     420円 横浜市内某所(ある女性歌手の墓参り) 9:00~10:00

     2 ?駅ー?駅ー二子玉川ー大井町ー浜松町(昼食)12:00~12:45 450円

     3 劇団四季秋劇場「夢から醒めた夢」13:30~16:00 C席3,000円

     4 浜松町16:15ー東京駅16:40

     5 東京駅17:08発「やまびこ215号」ー郡山18:28 7,350円(得だね10%)

     ー自宅着19:00   予算は2.4万円

     この夏は、北海道、磐梯猪苗代湖周辺ミステリーツアー、東京散策、白河周辺と方方にショートステイで出歩きたい。もちろんその合間には釣りにも出かけるが、今年は寺泊の中央埠頭を予定している。なお、旅行後、速やかに本ブログに記事として紹介したいと考えている。万が一仕事の都合で実施できない場合は、予めご容赦を・・・。

     記事作成:7月22日(月)・23日(火)

     

    2013年8月 1日 (木)

    北海道再訪記(8/1)

     3日目(8/1・木)の予定

     6:30起床 朝食バイキング 8:30ホテルチェックアウト・出発-札幌駅コインロッカー

     -バスターミナル 8:50~12:10「札幌すずらんコース」(大倉山シャンツェ・羊が丘展

     望台・札幌ドーム)-12:10すすきの下車

     12:30~14:00(ラーメン横丁・狸小路)-14:00札幌駅14:25発(エアポート142号)

     -15:01新千歳空港着 チェックイン 16:30新千歳空港発・・・・17:50福島空港着

     18:20福島空港発-19:00自宅着

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     実際の行程は以下のとおりです。

     8月1日(木)くもり

     5:30  起床。あまり眠れず。時間がもったいなくておちおち寝ていられない。名残惜しい 
        が、早くも最終日の朝を迎えた。TVで昨夜、AKBのコンサートが本日行く札幌ドー
        ムで開催された模様。PC作業。
     6:25 朝食のために2Fの「フォーレスト」に行ったらドアが閉まっていた。先客4人が待っ
        ていた。今日は6時半開場。5分待って5番目に会場へ。昨日と若干メニューが違
        う。和洋折衷でセレクト。最後の雑炊マズイ。くるみパンとアップルパイは美味い。
        部屋に戻って出発準備。何度も忘れ物の確認。カミソリや櫛などアメニティ、ミネラ
        ルを頂く。

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     8:05 部屋を出てチェックアウト。精算無し。やはりミネラルはサービス。カートを引いて外
        を歩いて札幌駅北口へ。
     8:10 札幌駅構内でコインロッカーを探す。東口改札近くのサツエキイートの左側の通路
        のコインロッカー。画面操作がムズイ。300円でレシート保管。No.7418でリスマー
        ク。ここからバスターミナルの2F受付窓口へ行くのに苦労する。迷子状態。エスタビ
        ルへ行くのにビックカメラのシャッター閉まっている。バス乗り場やら日航ビル内、デ
        パートを一周したり行ったり来たり。途中、外の有料駐車場の角の自販機でペット
        茶150円。焦ったが冷静に考え、何とかたどり着く。またしても脚に負担。
     8:33 やっとの思いでバス受付窓口にたどり着く。15分前にチケット購入。ネット予約して
        いた「すずらん午前コース」で2,400円。カード決済。その後、広場で待っていた
        ら、団体が大挙してやって来て、瞬く間に長い列。危なかった。今並んでたら、8時
        50分の出発に間に合わず。中国語飛び交う。どこにでも出没。台湾人か?No.17
        乗り場。座席は3番。客はたったの8人。ベテランガイド、そっけないし無愛想。年増
        に限ってひどい態度。
     8:50 バスターミナル出発。ガイド一方的にしゃべりまくる。コミュニケーションなし。旧道庁
        前通過。速攻車窓&写真。大通公園沿いに西へ進む。最初の訪問地の大倉山は
        本日、サマージャンプ札幌市長杯の公式練習。故にリフトで山頂まで上れず。元々
        リフト代はバス代には含まれず。大通公園はビアガーデン会場。あちこちに座席。
        正面の大倉山シャンツェに向かって進む。次第に近くなるが、霞んでいる。
        西11丁目の厚生院(昔の裁判所)で右折。すぐに左折。uhbテレビ局前を通過。
     9:09 北海道神宮の大鳥居を潜る。円山公園・北海道大神宮、円山球場を廻る。

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        宮の森との分岐。時々正面の山頂の斜面にジャンプ台が見え隠れする。右側に中
        学校の敷地内にミニジャンプ台あり。分岐を右折し、坂道を上る。

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     9:15 大倉山ジャンプ台へ。一旦坂を下りた先の右側に無料駐車場あり。急勾配37度の
        エスカレーターで入口へ。パンフセルフ。小雨パラつくが傘をさすほどではない。左
        側の植え込みに紫のはまなすの花が咲く。ここからは10時25分まで1時間以上も
        自由見学。ミュージーアムは有料。最初はランディングバーンの人工芝に散水。
        この場所は思い出の場所。1985年に開かれたワールドカップ札幌大会で日本の秋
        元正博が強豪のニッカネンやバイスフロクらを逆転で破って初優勝を遂げた。それ
        を私は生で観戦したのだった。また、今年1月に放送された「バッケンレコードを超
        えて」の舞台となったジャンプ台。金子祐介とその妻長井ひとみさんが命を燃やして
        戦った場所。それを福士誠治と比嘉愛未が演じた。写真撮りまくり。9時半から公
        式練習スタート。テストジャンパーは小学生。女子から練習スタート。なんとテレビで
        しか見れない選手が続々登場。私好みの渡瀬あゆみが目の前に。伊藤由希、そし
        てびっくり「高梨紗羅」のアナウンス。生でジャンプが見られるとは・・・。来てラッキ
        ー。周囲の声援にお辞儀で応える高梨沙羅。晴れ間が出たのでサングラス着用。
        男子は中高生から始まる。吉岡和也も飛んだ。しばらく見学し、レストハウスでガイ
        ドさんお勧めのソフトクリームを購入。半券見せて50円引き。ブルーべリーソフト。
        300円。今シーズン参加の選手の写真が展示。岡部孝信・船木和喜・葛西紀明ら
        も参戦。外に戻ると客が増える。57番目に何と船木和喜のコールが。ジャンプ後
        拍手が湧き起こる。生で船木が見られた。しかし、バスの時間が近づき、ギリギリま
        で粘ったが、葛西や岡部を見ることはかなわず。ここのバッケンは伊東大貴の
        146.0m。金子の記録は抜かれたようだ。帰る寸前、69番の選手が大ジャンプし
        たが、着地の際大転倒。起き上がれず係員近寄る。132mとんだが怪我した模
        様。10:16ギリギリまで見物。バスに戻ってガイドに話しかけるが愛想ない。

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    高梨沙羅選手の練習ジャンプシーンと観客の声援に応えるご本人(10m先に彼女が)

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    長野五輪金メダリスト・船木和喜選手の着地シーンとご本人のスナップ(ゼッケン57)

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     ドラマ「愛はバッケンレコードを超えて」はコチラ

     伊東大貴のバッケンレコード更新ジャンプはコチラ

    10:16  バス発車。案の定ガイド、金子祐介の話。宮の森チラ見。写真は撮れず。次は羊
        が丘へ向かう。円山動物公園の西側を走行。
    10:40  路面電車の車庫(基地)。右前方に藻岩山とロープウェイが見えた。
        ガイドの話。ナナカマド、プラタナス、アカシアの花がこの季節。ミュンヘンと札幌姉
        妹都市にちなんでミュンヘン橋を渡る。

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    10:44  豊平川を渡る。地下鉄の高架橋の下を潜る。地下鉄はゴムタイヤ(経費かさみ赤
        字の原因)とエアコン無し。夏は風鈴。くもり空。雨は降らなそう。眠気襲う。
    10:56  羊が丘のゲートへ。「わ」と「れ」ナンバーのレンタカー多い。広大な敷地。左側斜
        面。草原なのに畑。たんぽぽもどき、のら人参。左手に札幌ドーム見える。夕べは
        AKBコンサート。その片付けトラック車両多い。だから本日はドームの見学ツアーは
        中止。ここのレストランは可愛い羊を眺めながらラム肉を食べる恐ろしいレストラン
        とのアナウンスに苦笑。ここへ来て咳が止まらず。クラーク博士の像すごい人だか
        り。写真撮影の順番待ち。下車。たった30分の見学時間。クラーク像の写真、人
        が途切れず絶対に他人がフレームイン。好きですサッポロの看板未だにある。日
        本ハムファイターズの選手の手形、小笠原や新庄のもある。また、石原裕次郎と浜
        口庫之助の銅像と「恋の町札幌」の歌碑があった。羊も放牧。足痛いがあちこち散
        策。土産屋2F小学生でいっぱい。レジ占領。WCで用を済ませる。チャペル。
        雪まつり資料館へ。すべての回の雪まつりのポスターと写真、模型展示。2Fはオリ
        ンピック関係の記念グッズ。大好きな「トワエモア」の「虹と雪のバラード」がエンドレ
        スで流れていた。歌詞の「飛び去るナイフのように~♪」の部分が気になる。メダル
        やバッジも多数。記念スタンプ押印。
    10:20 「羊が丘ほっと足湯」であったまる。足の疲れ&痛みが引くように。他のバスガイド美
        人!

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    10:27  羊が丘展望台出発。ガイド説明。ポプラは1年で1m育つ。ヤナギ科。ポプラ並木は
        単に農場を区切る役割。札幌ドームのすぐ脇を通過。屋根がシルバーで楕円形。
        丸みがあるため、雪が滑り落ちやすい形状。AKBのコンサートの片付けトラック多
        数。交差点で停車中、写メ。くもり空。月寒経由。高橋はるみ道知事。今年は豪雪
        で除雪費用不足。200億円でも足りず、予算を崩す。人口は現在191万人。280
        万人という説もあったが・・・。りんごの並木。会津人が入り開拓。グリーンベルト。
        R12号線美唄~滝川29.2km直線道路。

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    11:56  すすきののバス停で下車。サマージャンボ買えば良かった。3日連続で周回。    
        足が痛いのにまたしてもすすきの界隈周遊。コンビニ茶125円。東急ホテルの1F
             ダメ。昼食摂れそうな場所を探して方々歩くが見つからず。ウィンズの地下を巡り、
        最初に見かけた寿司屋のランチ広告で安いのを見つけて、行ったり来たりした挙
        句、入店。
    12:36  「活一鮮」。寿司ランチが何と11巻で700円。本来は回転寿司だが、ランチは握
        り。僅か8分で平らげる。1万円札を崩す。

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    12:44 僅か8分で平らげて店を出る。この後の約1時間の行動は個人情報を含むプライバ
        シーに関わるため、非公開と致します。あしからず。

    14:00 某所を出る。時間との戦い。昔同僚を送り届けた或る建物有り。未だに潰れず。
    14:06 地下鉄すすきの駅。200円。札幌駅下車でJR駅まで地下通路歩く。
        しかし、東口がわからず。迷い込む。東口改札に来るも目印のイーストが見つから
        ず。或る店で尋ねると地下1Fなので地上への指示。焦る。結局14:25発は間に合わ 
            ず。

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    14:24  やっとコインロッカーを発見。レシートで開錠するのにも手間取る。
    14:26  発券機でJR切符購入。1,040円。プラットホームへ。

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    14:40  札幌駅発の6番線、スカイポート144号。2号車乗車。何とか座れる。
    14:47  新札幌駅。野幌森林公園の塔が目の前に。こんな所まで都会になった。隣りに黄
        色でミニスカの女性が乗り込んで座る。小説読む。文学少女。デッキには色白で白
        い服のお嬢さん風の美人女性が二人で話。時折目が合う。
    15:03 恵庭 隣りの女性は次の千歳で下車。更にデッキの彼女は南千歳で下車。
    15:16 定刻通り、終着の新千歳空港へ到着。エスカレーターを上がり2階の出発ロビー
        へ。
    15:25 エアドゥのカウンターでチェックイン。領収証を貰う。隣のデスク可愛い係員。何とか
        間に合った。危なかったかも。WC。荷物預け。その後、広いスペースの土産売り場
        で、740円の白い恋人5個と雪花青を1つ。計4,440円分。カード決済。こちらは
        手荷物として機内へ。その後、X線検査。そこの係員の女性がまた超可愛い。ヤバ
        イ。空港職員は美人ばかり。

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    15:40 やっと搭乗待合室へ。売店で石狩鮨弁当を980円で購入。機内で食べる予定。
        結局今回の旅行。天気予報は悪かったが、一度も傘をささずに済んだ。福島行は
        6番搭乗口。若干遅れて案内。往路と同じく、お年寄りや妊婦、3歳以下の子供連
        れ、10~21列目の人が優先。今回は4Aの座席。多分満員に近い。ポケモンジェ
        ットに子供歓声。空港のグランドホステスもまた可愛い。盗撮ばりの撮影・・・。
             左足の裏激痛。新潟からの便が大雨の影響でかなり遅れている模様。

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    16:24  ようやく機内へ。今回はチケットのバーコードタッチうまくいく。隣りが子供と母親。
        予想通り混む。満席状態。救命胴衣説明時のモデルCA.最後の最後で超可愛い。
        柏木由紀と潮田玲子を足してほっぺを丸く膨らませた感じ。色白お目目パッチリ美
        人。F原さんという女性。大和撫子風で優しい印象。
    16:36  タラップ離れる。アプローチスタンバイ。北海道名残惜しい。
    16:40  出力アップし、急加速開始。あっという間に離陸。すぐに雲の中。雲の上に出て10
        分後には水平飛行。ベルトサイン切れる。烏龍茶を貰い、さっそく押し寿司の弁当
        を食す。その頃には青森上空。下界は雲の白と少々顔を出す海の青のみ。すると
        雲がすぐ脇を流れたり、モクモクと様々な形状の雲がまるで蔵王モンスターの樹氷
        の柱のような形で一面埋め尽くす。時々雲の中を通過すると振動。
        F原さんが通路を通るたびに凝視。最後に遠めだが横顔を撮影成功。盗撮?
        雲に西日に照らされた機体の影が写り、周囲を虹が覆うブロッケン現象が幾度も
        見られた。雲の綿飴。真っ白な世界。濃霧。よくこれで操縦できる。下降中でベルト
        締めるようアナウンス。この先、終始真っ白な雲の中を飛行。怖い。全く下界の様
        子見えず。山にぶつかりはしないか心配。やがて急に雲が切れ、間近に民家や山
        の緑が迫る。すぐ下に地上が現れる。いつの間に南側に旋回していて、北向きに
        飛行し、そのままウェット状態の滑走路に滑り込んだ。

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    17:40 ちょうど1時間でタッチダウン・着陸。逆噴射で減速。無事帰還。滑走路は濡れてい
        るものの、雨は降っていない。何とか旅行中天候は持った。
            4番目の座席なので、CAの顔を拝めずに早めにタラップへ。ターンテーブルからな
        かなか荷物が出てこない。
    17:59 ようやく荷物を受取り、足早に空港を出た。車は無事のよう。足びっこ引く。水膨れ
        で皮が伸びきり、痛みが増す。車内から空港の写真。

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    18:02 空港を出発。前の車とろいせいで信号一個見送る。路面濡れているが雨は無し。
        70km/h前後で巡行。オーバーパスの上部に白バイ待機。アクセス道路距離ある。
    18:10 右折して国道へ。牡丹園の前を通過。須賀川警察署経由。
    18:16 デニーズから右折してR4へ。18:18カワチ交差点。
    18:26 郡山市との境へ。バイパス経由。
    18:39 自宅着。娘も前夜、オーストラリアから無事帰宅とのメール。
        自宅~福島空港往復距離 55.8km。

     <最終日の支出>

     コインロッカー         300円    地下鉄                           200円
     お茶(自販機・コンビニ)   275円    JR(札幌~新千歳空港)1,040円
     バス代           2,400円   土産            4,440円
     ソフトクリーム         300円   弁当(石狩鮨)        980円  
     昼食寿司ランチ        700円   その他            5,980円
                              計             16,615円 

    <総費用>                    <3日間の合計>

     初期費用 往復飛行機代 40,700円     47,854円
            宿泊費     16,000円

     

                                      総合計 104,554円 

     3日間の旅行の総括

     当初の目的の9割方は達成。天気も何とか持ち、食事やバス周遊、レンタカーなど多彩な交通手段で道内を満喫。キタキツネとの予期せぬ遭遇や、小樽札幌の見所を網羅。高梨沙羅や船木和喜を生で見れたり、最終日の出来事など良い思い出を作れ大満足。3日間では物足りなさは残るが、片道1時間で北海道の大地を踏みしめることができるなんて、学生時代の16時間半コースと比べれば夢のよう。これからは、度々気兼ねなく第二の故郷である北海道を訪れたいと思う。

     記事作成:8月3日(土)

      

     
     
        

     

     

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