2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

« CMの彼女③ | トップページ | 那須往復強行記(8/24) »

2013年8月21日 (水)

日本人の姓10傑と有名人

 以前も似たような記事を書いたことがあるが、日本人の姓名について、そのルーツとは一体何なのか。同じ姓の人は、もしかしてどこかで繋がっているのではないかとさえ思う。そこで今回は、日本人に多い姓を10個取り上げ、そのルーツを辿ると共に、その姓の有名人を取り上げたい。参考HP:日本人の名字べすと200

 1位 佐藤

 藤原氏の一族が、藤原氏の「藤」と、「佐」をつなげて名乗ったもの。この「佐」には、職名の左衛門尉や、地名の佐渡、下野佐野など、いくつかの由来がある。それらの中では、平安時代後期に左衛門尉となった藤原公清が、役職の左衛門尉の「左」ににんべんを付けた「佐」を使って「佐藤」と名乗った佐藤一族が本家とされている。平安末期に佐藤本家の当主だった義清は朝廷に仕えていたが、のちに武士を捨てて出家し歌人西行となったことから、以後佐藤本家は凋落した。現在では東日本に多く、東北に集中している。なかでも、秋田県には非常に多い。

 佐藤姓の有名人

 さとう珠緒、佐藤藍子、佐藤友美、佐藤唯、佐藤江梨子、佐藤ありさ 

 佐藤浩市、佐藤蛾次郎、佐藤B作、佐藤隆太、佐藤アツヒロ、佐藤健

 2位 鈴木

 鈴木氏のルーツは紀伊半島。この地域では稲藁を干すために積み上げたものを「すずき」と読んだことに由来する。姓も穂積氏である。平安時代、朝廷で多大に信仰を集めた熊野信仰を司った一族が共通の名字として鈴木氏を名乗った。つまり、鈴木氏とは特定の一人を祖としているわけではない。そして、熊野信仰の拡大とともに全国に広がっていった。とくに、三河の鈴木氏は松平家草創期の家臣となったことから、江戸時代には旗本として関東で栄えた。神主が祖先ということで、羽振りの良い佐藤姓よりは、堅いイメージや真面目なイメージの人が鈴木氏には多い。

 鈴木姓の有名人

 鈴木保奈美、鈴木紗理奈、鈴木奈々、鈴木杏樹、鈴木えみ、鈴木砂羽、鈴木京香、鈴木早智子、鈴木蘭々、鈴木亜美

 イチロー、鈴木一平、鈴木ヒロミツ、鈴木雅之、鈴木浩介

 3位 高橋

 大和国添上郡高橋(現在の奈良県天理市)がルーツ。孝元天皇の末裔で、大和の古代豪族の1つ。安曇氏とともに朝廷の食膳を担当した他、万葉歌人の高橋虫麻呂が有名。
一方、名字としての高橋氏は地形姓の一種のため各地にみられる。渓谷など、水面から高い場所に架けられた橋が「高橋」で、これにちなむものだ。こうした場所は各地にあったことから、各地に高橋氏がある。

 高橋姓の有名人

 高橋尚子、高橋真梨子、高橋みなみ、高橋ひとみ、高橋由美子

 高橋由伸、高橋尚成、高橋克典、高橋ジョージ、高橋克実、高橋英樹

 4位 田中

 米を経済の基本としていた日本では、水田はすべての経済活動の基本で、一面に広がる水田は富の証しでもあった。こうした水田の中に家を構えたのが田中さんである。つまり、田中さんのルーツは全国各地にあるといえる。
また、こうした場所は田中という地名になったところも多く、こうした地名に由来する田中氏も各地にある。なお、江戸時代以前、米の産地は西日本だったため、田中さんは現在でも西日本に多い。

 田中姓の有名人

 田中真紀子、田中麗奈、田中美佐子、田中美里、田中裕子、田中涼子、田中律子

 田中角栄、田中健、田中義剛

 5位 渡辺

 現在の大阪市の中心部である中之島付近は、かつて渡辺と呼ばれ、畿内から瀬戸内海に出るための港であった。ここに住んだ嵯峨天皇の子孫が、渡辺党という同族集団をつくったのが渡辺氏のルーツ。
一族は船を操る技術で各地に広がり、全国に渡辺一族が広がった。その中でも、とくに三河に移って松平家に仕えた三河渡辺氏が栄えた。
三河渡辺氏は、のちに家康に従って関東に転じ、江戸時代は和泉伯太藩主や尾張藩家老などになった他、一族は東日本に広がっている。

 我が郡山市にはやたらと多い。もしかすると佐藤や鈴木よりも断然多いかも。高校時代、クラスに鈴木さんは3人くらいだったが、渡辺(渡邊・渡邉)は5~6人いた覚えがある。

 渡辺姓の有名人

 渡辺満里奈、渡辺美奈代、渡辺真知子、渡辺直美、渡辺真理

 渡辺徹、渡辺篤史、渡辺謙、渡辺正行、渡辺哲

 6位 伊藤

 伊藤も下に「藤」がつくことでわかるようにも藤原氏の末裔。
伊藤氏は、伊勢国(三重県)の藤原氏が、伊勢国の「伊」と藤原氏の「藤」を組み合わせて名乗ったもの。藤原北家で佐藤氏一族の基景が伊勢守となったのが祖で、以後伊勢国に広がった。平安時代の終わりには伊勢平氏(平清盛の家系)に従うことで全国に勢力を広げた。現在でも三重県北部には伊藤さんが非常に多く、三重県全体でも伊藤さんが最多。ここから、濃尾平野一帯に伊藤さんはたいへん多い。

 伊藤姓の有名人

 伊藤蘭、伊藤咲子、 伊藤かずえ、伊藤さやか、伊藤つかさ、伊藤みどり

 伊藤淳史、伊藤英明、テリー伊藤
 
 7位 山本

 本氏は地形由来の名字のため、そのルーツは全国各地に無数にあるといっていい。山の麓に1本の道があり、その道に面して家を建てるというのは農村部ではごく普通のことだった。こうした場所に住んでいたのが山本さんである。したがって、山本さんのルーツは無数にあり、公家から庶民まで実に様々なルーツの山本氏がある。

 山本姓の有名人

 山本リンダ、山本未来、山本梓

 山本太郎、山本小鉄、山本浩二、山本譲二、山本寛斎、山本圭、山本裕典

 8位 中村

 中村氏は方位由来とも地名由来とも考えられる。というのも、「中村」とは、中央の村、あるいは中心となる村という意味で、もともとは方位由来だが、そういう場所は「中村」という地名になっていることも多く、そうした場所に住んだ一族が中村氏を名乗った。こうした由来のため、そのルーツは全国各地に無数にあるといっていい。とくに「中村」という地名は、全国一多いという説もあるほど各地にみられ、各地に中村一族が住んでいたことが知られている。

 中村姓の有名人

 中村あづさ、中村綾、中村玉緒、

 中村雅俊、中村敦夫、中村梅之助、中村獅童、中村七之助、中村勘九郎

 9位 小林 

 小林とは文字通り小さな林であり、まだ若い成長途上の若林の意味にも使われた。また、小林の小は「オ」と呼んで美称の接頭語を表し、名字としては林と同じであった。名字としての小林は全国的に分布するが、とくに目立つのは上野と信濃の小林氏である。
 上野の小林氏は桓武平氏の出で、緑野郡小林と多野郡御厨小林を根拠とした秩父氏高山党の分かれという。源頼朝の奥州征伐に際して、同族の高山氏や大胡・佐貫氏らと参加している。南北朝の争乱期、山名氏にしたがって上洛、その有力部将として守護代に任じられたものもいる。丹波篠山にある沢田城主小林氏は、その子孫といわれている。また、室町時代初期、上野一揆の有力国人としてもみえている。一方、信濃の小林氏は伊那郡と諏訪郡から発祥した二つの流れがあり、いずれも諏訪神家にゆかりがある。諏訪郡の小林氏は諏訪氏と同族であり、伊那郡の小林氏は知久氏の分かれである。知久氏は清和源氏満快流だが、諏訪氏と姻戚関係があり諏訪氏とは同族とみなされる。
 その他、木曽義仲の子孫、藤原氏の流れという小林氏があり、戦国時代はじめの甲斐国東山梨郡に小林尾張守・和泉守という豪族があり、巨摩郡には信濃から移住したという小林氏がいた。信濃の隣の越後国では上杉謙信の侍大将の一人に小林左馬介の名が見え、魚沼郡にある越後一宮弥彦神社の神官に小林氏がいた。江戸時代の長岡藩士や米沢の上杉の家臣にも小林氏が見られる。

 小林姓の有名人

 小林聡美、小林麻央、小林麻耶、小林綾子、小林幸子、

 小林克也、小林清志、小林稔侍、小林亜星

10位 加藤

 加藤も下に「藤」のつく名字で、藤原氏の子孫。「加藤」の「加」は加賀国(石川県)の「加」で、藤原北家利仁流の末裔というものが多い。加藤氏は、藤原利仁から七代目にあたる景通(道)が加賀介となり、「加賀の藤原」として「加藤」を名乗ったのが始まり。その子景員(清)は伊勢国(三重県)に転じて伊勢加藤氏の祖となり、以後加藤氏は東海地方に広まっていった。とくに、景員の二男景廉の子孫は美濃国で広がり、武家の加藤家は美濃国の出というものが多い。戦国武将加藤清正も美濃の加藤氏の出という。
現在でも岐阜県で最多となってるい他、東海地方に集中している。

 加藤姓の有名人

 加藤夏希、加藤あい、加藤紀子、加藤治子、加藤ローサ、加藤綾子

 加藤茶、加藤武、加藤晴彦、加藤雅也

 11位以下は吉田、山田、佐々木、山口、斎藤、松本、井上、木村と続く。いずれも地域によって相当ばらつきがある。姓名は土着に根ざしていることの証明だろう。

 記事作成:7月21日(日)

« CMの彼女③ | トップページ | 那須往復強行記(8/24) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« CMの彼女③ | トップページ | 那須往復強行記(8/24) »

福島県の天気


無料ブログはココログ