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2013年8月 8日 (木)

引き際の美学

 男には「紳士協定」と「ダンディズム」、それに「哲学」と「引き際の美学」が人生訓としてある。今回は後者にスポットを当て、一流アスリートの晩年の生き方や引退に至る決重大な断を下した男たちの姿をクローズアップして描きたい。

 「限界を悟って引退を決意した選手たち」

 こちらは傍目にはまだできそうな印象を受けるが、自らの限界を知り、落ちぶれた姿をファンに見せたくないとの理由から自らの意思で第一線を退いた一流アスリート達である。

 千代の富士

 幕内通算1045勝、横綱在位81場所、横綱在位51場所(足掛け9年)、幕内優勝31回、53連勝と実績十分の大横綱。

 ウルフの愛称で親しまれた大横綱。小柄な体格ながら、筋肉隆々で前みつをとって素早く攻め、相手が反撃する暇も与えないスピーディーな早業でケリをつけていた。また、豪快な投げ技も持ち味だった。現在もクリーンな印象がある。彼の引退決意は、後継者としての若手の台頭である。とりわけ貴花田関に敗れたことが引退の布石となった。かく言う彼も父親の大関・貴ノ花にに勝ち、彼に引退の引導を渡した経緯があり、親子二代の対戦で今度はその息子に引退に追い込まれたという因縁はあまりにも有名。引退発表の席で、彼が声を詰まらせながら口にした「体力の限界・・・。気力も体力もなくなり、引退することになりました」と気丈に話したことが彼の真面目さと責任感の強さを物語っていた。やはり彼はA型を絵に描いたような人物だった。

 具志堅用高

 沖縄出身で「カンムリワシ」の異名をとり、トレードマークがアフロヘアの世界チャンピオンである。引退後はものまねされて「チョッチュネー」という独特の語り口調がパロディに使われることが多く、芸人化してしまったが、押しも押されもせぬ、日本最多の防衛記録を持つ世界王者である。通算23勝1敗。15K.Oという圧倒的な強さを誇った。13度の防衛を果たした末に、初めて負けてタイトルを返上した瞬間に、引退を決意した。25歳での引退は早く、まだリターンマッチもできると思ったファンも多かったが、それが彼の引き際の美学だった。

 長嶋茂雄

 昭和49年10月14日、彼が後楽園球場でのあの名文句を残して引退したセレモニーから遡ることひと月、当時の川上監督同席のもとで行われた引退発表会見で、ミスタープロ野球と異名をとり、スーパースターだった彼が口にした言葉は、「体力の限界」だった。プロ入り後17年間、常に球界のスーパースターとして君臨し、巨人のV9の立役者ともなった。O.N時代を築き、特に30年代から40年代にかけては不動の4番打者。ホットコーナーを死守し、王貞治と数々のタイトルを分け合った。39歳での引退だった。「今日私は引退いたしますが、我が巨人軍は永久に不滅です」というセリフは、彼でなければ格好がつかない希代最高のスピーチだった。

 王貞治

 ご存知世界のホームラン王。868号本塁打は未だに世界記録。長嶋が天才なら、彼は努力の人。一本足打法を荒川コーチと編み出し、16年連続で最多本塁打記録を樹立した。彼が凄いのは、スーパースターで華があった長嶋とは正反対で、性格は穏やかで、派手さがない物静かなタイプだった。そして彼は何とシーズン30本の本塁打を打った昭和55年に、「王貞治としてのバッティングができなくなった」との理由だけで引退を決意し、発表した。世界のホームラン王で長嶋と人気を二分したスター選手だったにもかかわらず、長嶋の時のようなド派手な引退セレモニーを固辞。質素な彼らしい引退セレモニーとなった。

 新庄剛志

 攻走守三拍子揃った野球少年。強肩で、敬遠球をサヨナラヒットしたりやることなすことが派手派手。ルックスもよく、人気実力ともに抜群で、才能に溢れた選手だった。阪神時代、自分には才能がないと口走り、突然引退を口にしたかと思えば、野村監督に弟子入りを志願、その後、メッツ入りし、ド派手なパフォーマンスでメジャーでも人気を得た。日本ハムに復帰してからも抜群の野球センスとその運動神経で北海道のファンの人気を独り占めした。そして「新庄劇場」という新語まで生んだ。そんな折、シーズンが始まってまもなく、お立ち台でいきなり「今シーズン限りでの引退」を自らの口で発表。ファンの動揺を招いた。そして公約通り、9月27日の本拠地での引退セレモニーでは、場内を消灯して大型ビジョンに流された野球人生を振り返るVTRを、中堅の守備位置から新庄の恒例となっている帽子の上にグラブを被る姿で見守った後、ユニフォーム、グラブ、リストバンド、タオルをその場に置き、涙を浮かべながらグラウンドを後に。ユニフォームを脱いで現れたアンダーシャツの背中には「今日、この日、この瞬間を心のアルバムに刻んで、これからも俺らしくいくばいっ!!」とファンへ向けるメッセージがプリントされていた。スピーチは行わなかったが、去り際には大型ビジョンに「残りわずかな野球人生 明るく楽しく白球をおいかけることを今日この日 みんなに約束します」との署名つきの直筆メッセージが表示された。いかにも彼らしい演出だった。

 松井秀喜

 松井の引退も唐突だった。昨年暮れにいきなり引退を発表し、周囲を落胆させた。巨人時代には4番に居座り、年間50本を放った絶頂期に海を渡り、最高の形で誰もが夢に描くニューヨークヤンキースに入団。4番の座を射止め、ワールドシリーズでもMVPに輝くなど、野球選手としては常に王道を歩いた。彼の引退で口にした言葉は「松井秀喜として、ファンが期待するようなパフォーマンスを見せられなくなった」ことだった。大打者の証でもあり、それゆえの苦悩があったに相違ない。彼は今年、尊敬する長嶋茂雄氏と一緒に国民栄誉賞を受賞した。いずれ巨人の次期監督として日本球界に復帰するだろう。派手なパフォーマンスはしないが、口数が少ない分、結果で範を示すタイプだった。

 総括すれば、上記の方々は「名誉ある撤退」を選択した一流選手である。

 スポーツ選手ではないが、元首相の小泉純一郎もまたこのカテゴリーに該当する大人物だ。5年の長きに渡り政権を握り、国民の圧倒的支持を取り付けて首相の座に君臨した。後継者に任せた安倍晋三が辞任するやいなや、国民の復活再登板待望論が叫ばれる中、スパッと次期総選挙に出馬しないと事実上政界引退を表明。引き際の美学を国民に印象づけた幕引きだった。

 「ボロボロになるまで完全燃焼したアスリート」

 周りが現役続行を気の毒に思うほど、最後の最後まで体力を使い果たし、納得して現役を去った選手達である。

 野村克也

 現役時代はとにかく長嶋茂雄をひたすらライバル視し、彼に勝つためだけに努力を重ねた選手だった。監督としての実績と彼独自の毒舌が有名で、選手時代の彼を覚えている人は少ないが、中島治康以来の三冠王を獲得したり、本塁打王も9度獲得し、通算657本塁打は歴代2位である。しかも26年間も現役生活にしがみついた。当時としては最高齢の45歳まで現役を貫いた。
 野村の著書によると、引退を決めたのは現役最後の年である1980年9月28日の阪急戦だという。この日、野村は捕手としてスタメン出場。4-3と西武が1点を追う展開の8回裏、一死満塁で迎えた野村の打席で、実働26年の選手生活で唯一の代打(鈴木葉留彦)を送られる。犠牲フライくらいはいくらでも打てると思っていた野村は愕然とし(野村は犠飛数のプロ野球記録保持者であり、横変化の球種をやや遅れ気味に打つという犠飛を打つコツも体得していた)、ベンチに下がった後、代打策の失敗を祈っていた。結局鈴木はショートゴロ併殺打に倒れ、その瞬間「ざまあみろ」と思ったという。この逸機が響いて西武は試合に敗れた。野村は帰途の車中、自分の気持ちが勝利を目指すチームとは逆の方向に向いてしまったことを悔い、引退を決めたという。
 引退セレモニーは西武全選手が一・三塁間に横一列で並び、一人ずつピッチャーマウンド上のマイクで言葉を贈った後キャッチャーズボックスで構える野村に投球し、それを野村が受けるというものだった。南海の高卒新人捕手香川伸行から花束贈呈された。その後の記者会見終了後の野村の肩にはハローキティのカメラを持った当時小学1年生の息子・克則が乗っていた。

 魁皇

 魁皇関も怪我続きで体がボロボロになりながらも土俵に立ち続け、限界ギリギリまで現役にこだわり、完全燃焼したひとりである。老骨にムチ打ってという言葉は彼のためにあるような、粘り強さを披露し、ファンも彼の力士としての半生をしかと見届けた。晩年は怪我や加齢による体力の衰えも顕著となり、立合いの鋭さ・重さに欠け、かつて握力計を振り切ったほどの握力は衰え、70キロ台にまで落ちていた。左四つに組むことが難しくなり、組んでも左四つ得意の若手(稀勢の里、琴奨菊など)や、もろ差しがうまい豊ノ島には分が悪くなってきた。太ももの故障を抱えてからは左右の動きの対処できずあっけなく土俵を割ることが増え、また上手投げが難しくなり叩きが増える相撲も多く、魁皇らしさが半減した。30代も半ばを過ぎた2007年7月場所から2010年9月場所まで20場所連続で二桁勝利を上げられず、休場と角番が増えた。しかし何度もカド番を迎えながらも、瀬戸際で踏ん張り、8勝7敗での勝ち越しや休場明け、ギリギリの8勝での勝ち越しで大関陥落を免れてきた。彼はファンの懸命な声援を力に変えて戦った一人だ。長年の努力が実を結び、幕内通算出場1444回と幕内通算1047勝、さらには幕内在位107場所は歴代1位の記録である。

 金本知憲

 彼は鉄人・衣笠祥雄と並び称されるほどの強靭な体力の持ち主だった。13,686連続イニング・1,766連続試合フルイニング出場数の世界記録保持者である。彼の野球人生もまたケガと故障の連続だった。死球を受けて指を骨折した時も、翌日の試合を欠場せず、志願出場するなど、並大抵の精神力では成し得ない大記録を樹立した。また、右肩が痛み、満足のいく外野からの返球ができなくても、ファンの期待を裏切らず、当時の監督も彼を使い続けた。
 2012年9月12日に同年限りでの引退の意思を固めた事が明らかになり、その日の会見で本人の口から改めて2012年シーズンでの現役引退が発表された。会見の中で金本は自らの進退について「10日くらい前に考え始め、本当の決断は2日前くらいに決断した。いろいろ理由はあるが、自分に対して『限界かな?』という思いと、時代の流れ。いつまでもいい時のパフォーマンスを出せない自分が居るのも」と語り、また家族の話になると「子供は大泣きしていたが『いつかはやめるんだよ』と言った。母親には一番最初に伝えたが、『体のケアをしてくれと…』」と言う所で涙を堪えるために言葉に詰まり、更にファンの話になると「落ちぶれてからはバッシングもあったけど、励ましてくれたファンには…」とついに涙を流す場面も見られた。

 清原和博

 高校時代は1年時からPL学園の4番を打ち、本塁打記録を塗り替え、KKコンビとして一大旋風を巻き起こした。鳴り物入りでプロに入団。運命のいたずらで、あれほど入団を熱望していた巨人には、チームメイトの桑田が指名される皮肉的なドラフトを経て、西武に入団。その後は1年目からその悔しさをバネに打ちまくり、4番の座を獲得。高卒ルーキーながら30本塁打以上をマークし、その大器ぶりをいかんなく見せつけた。しかし巨人への愛着は忘れられず、FAにより巨人移籍。そこからは重圧とスランプ、そしてケガとの戦いであった。あれほどの実績を保ちながら、22年間現役生活で、打撃三部門のタイトルを一度も取れず、「無冠の帝王」の異名をとった。その後、巨人を追われて終の棲家のオリックスへ移籍。その後もケガに泣かされた。
 2007年もキャンプ中に左ひざを痛めて離脱し、2月28日に左膝の軟骨除去手術を行う。交流戦での復帰が報道されたこともあったが回復具合は思わしくなく、7月6日に神戸市内の病院で左膝に移植手術をし、この年はプロ入り以来初めての一軍試合出場なしに終わった。2008年7月31日、532日ぶりに一軍に合流。しかし、8月2日に記者会見を開き、「こんな状態なので、来年はグラウンドに立てないと思う」と話し、同年限りでの現役引退を事実上表明した。9月29日、プロ入りから11年間を過ごした西武ドームでの西武とのカード最終戦終了後、グラウンドに出てライトスタンドの西武ファンの清原コールに応えた後、オリックスと西武の両軍選手が清原を胴上げするというセレモニーが行われた。西武時代のチームメイトで、合宿所で同部屋だったこともある監督の渡辺久信からも花束を贈呈された。数奇な運命に弄ばれ続けた彼は、未練を残しながらグランドを去ったのであった。

 野茂英雄

 日本球界を離れて以降、メジャーのマウンドに立ち続けるために、故障しようが勝敗から見放されようが、体力に陰りが出ようが、マイペースで復帰を模索し、最後まで夢をあきらめずに戦い続けた。最盛期には「トルネード投法」を引っさげて、ドクターKの異名をとるほど三振の山を築き、相手バッターを翻弄し、きりきり舞いさせてきた。メジャーで2度のノーヒットノーランは圧巻だった。その後、好不調の波が激しく、トレードを重ね、新天地で新境地を切り開いた。引退は、契約のオファーが来なかったためであり、彼自身はどこであっても投げたかったに違いない。やや不完全燃焼気味かもしれないが、彼の日米通算200勝越えは大いに賞賛すべきだし、彼のメジャーへの門戸をこじ開けたパイオニアとしての功績はあまりにも偉大である。 

 さて、昨年のプロ野球界においても、自らの限界を悟り、城島健司、石井琢朗、小久保裕紀、金本知憲と人気・実力ともに十分だった一流選手が相次ぎ引退した。今季になって、秘密裏に飛ぶボールに一部変更され、もしかするともう一年やれたのではないかという懸念が巻き起こった。40代を越えたアスリートは誰もが「引退」という二文字が脳裏をちらつき、自らの引き際を考え、どの時期にユニホームを脱ぐかを決意するものだ。

 最後に、おそらく、あと5年以内には超有名な選手が現役を引退することが予想される。

 1 イチロー 5年後は45歳

 2 三浦知良(キングカズ) 5年後は50歳

 3 谷繁元信(現在42歳)

 4 山本昌(現在47歳)

 5 中村紀洋(現在39歳)

 6 高橋由伸(現在38歳)

 7 小笠原道大(現在39歳)

 8 谷佳知(現在40歳)

 9 宮本慎也(現在42歳)

10 岩瀬仁紀(現在38歳)

 さて、彼等の引き際の美学はいかがなものか。トップアスリートであればあるほど厭がおうにも注目されることになる。そしてどのようなパフォーマンスで引退に至るのか、じっくり観察したいものだ。

 記事作成:7月15日(月)

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