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2013年8月28日 (水)

郡山の魅力再発見!①~偉人たちの足跡~

 以前、予告した郡山市に関連した項目を取り上げ、それにまつわる秘話やエピソードをお送りする新シリーズ。めでたく今回が初回。知らなかった郡山の史跡や歴史に触れ、先人たちの偉業や快挙を尊ぶとともに、新たな郡山の魅力を満喫して欲しいという趣旨でお送りしたい。第1回目の本日は、なんと超有名なこの人である。

 「月日は百代の過客にして、ゆき交う人もまた旅人なり・・・」
 
 賢明なブロガーの方なら、これが誰の文言かはもちろんご存知だろう。そう江戸・元禄時代の俳聖にして歌人でもあった松尾芭蕉の「奥の細道」の冒頭の一節である。今回なぜ、学の薄い私が敢えて彼の名を挙げたかというと、かの有名な紀行文にして句集でもある「奥の細道」を編纂するにあたり、芭蕉自身が当地を旅して巡った場所だからである。まず。彼の辿った市内のルートを確認したい。

 須賀川(乙字ヶ滝)・・・守山ー田村神社ー金屋ー日出の山ー郡山ー日和田ー安積山・・・本宮

 彼が当地を訪れたのは、旧暦の元禄2年(1689年)の4月29日頃のこと。324年前の出来事だ。人生50年と言われた時代に、46歳の芭蕉が、お伴の弟子曾良を連れて郡山を縦断して歩いたのは事実だ。これは凄いことではないのか。須賀川から郡山に入った彼は、現在の国道49号線沿いに歩き、守山から田村神社を訪れ、今の日本大学工学部への分岐に架かる「金屋橋」を渡っている。そして東部幹線を越えて右折し、旧4号線である県道355号に入ったのだ。そして宿場町だった郡山市街地を経て、日和田方面へ歩いた。そして奥州街道の松並木を堪能し、今回私が訪れた「安積山」に辿り着いた模様。

 歴史に名を轟かす芭蕉ゆかりの地が郡山だったとは、私たちはその偉業をあまり意識していない気がする。もしかすると、郡山を旅したことすら知らない市民も多いのではないか。そこで 310余年の時を越え、古の歴史に少しでも触れたくて、取材を敢行した。しかもそれは昼休みの僅か1時間足らずの間に行う強攻策。その日は、通販以外は、リオンドール郡山東店(三春)でしか買えない「UCC珈琲・甘い香りのモカブレンド」を購入しようと、事前に電話確認をした後、職場から10km東に離れた店まで行くついでに、帰りがてら立ち寄ろうという強行策。時間の有効活用だ。そして先だって開通したR288の延伸ルートも通ってみたかったのだ。
 取材日は8月19日(月)。昼休みを抜け出しての往復だったので、13:05~13:13の僅か8分間の滞在に甘んじた。それでもその場にいると、その雰囲気の一端を味わうことは出来た。古の偉人の辿った足跡とその歴史的偉業に・・・。ではその時に撮影した画像を掲載したい。

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        あさか山の謂れの記した解説板               松尾芭蕉が残した奥の細道の句碑

 「等窮が宅を出て五里計、檜皮の宿を離れてあさか山有。路より近し。此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども、更知人なし。沼を尋、人にとひ、「かつみかつみ」と尋ありきて、日は山の端にかゝりぬ」。

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       木漏れ日の中を歩く芭蕉の小径                     万葉集「安積采女の歌碑」

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         安積山公園の案内図                   県道355(旧4号線)は松並木が立ち並ぶ

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旧道沿いに建つ松の木(伐採が進んだ)             芭蕉も見とれた見事な松並木 

 <安積山公園> 郡山市のHPより

 芭蕉と曽良が安積山と山の井清水(そして花かつみ)を探し求めて訪れた場所は、安積山公園(そして安積沼)。公園内の遊歩道には「芭蕉の小径」と名前がついている。野球場やトイレの他に子供の遊具もあるので家族連れで楽しめる。「安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を わが思はなくに」と刻まれた采女の歌碑と、「等窮が宅を出て五里計 桧皮の宿を離れてあさか山有 路より近し 此あたり沼多しか津み刈比もやゝ近うなれば いづれの草を花か津みとは 云ぞと人々に尋侍れども更知人なし沼を尋 人にとひ か津みゝと尋ありきて日は山の端にかゝりぬ」と刻まれた奥の細道の石碑がある。山の井清水は大きな駐車場の脇にある。なだらかな安積山の山頂部は松の大木と岩に覆われている。

「みちのくの あさかのぬまの 花かつみ かつみる人に 恋ひやわたらん」『古今和歌集』

 この歌により、「花かつみ」は陸奥国の安積の沼の名物となり、多くの歌が読まれるようになりました。
 元禄2年5月1日(西暦1689年6月17日)松尾芭蕉と曾良は、「奥の細道」紀行でここ安積山を訪れました。
 「安積山」は、「万葉集」や「古今和歌集」に詠まれている歌枕として有名で、芭蕉はここで「「花かつみ」を尋ね歩きました。
 「奥の細道」には、次のように記されています。
  「等窮が宅を出て五里斗、檜皮(ひはだ)の宿を離れてあさか山有。路より近し。
 此あたり沼多し。かつみ刈比もやゝ近うなれば、いづれの草を花かつみとは云ぞと、人々に尋侍れども更知人なし。沼を尋、人にとひ、かつみかつみと尋ねありきて、日は山の端にかゝりぬ。…」
 花かつみには、古より諸説があり、幻の花とされ、松尾芭蕉も花かつみや安積沼を人々に尋ねまわりましたが、知る人がいなかったと書いています。
 明治9年6月17日、明治天皇の東北巡幸のさい、日和田の安積山の麓、横森新田のご休息所で、花かつみを「菖蒲に似て最(いと)些小(ちいさ)き花」なるヒメシャガを花かつみとして天覧に供しました。
 以後、「ヒメシャガ」が「花かつみ」とされ、昭和49年、郡山市の花に制定されました。

 正味な話、その長い行程の旅の一場面に過ぎない「安積山」を私は訪れた訳だが、歴史に名を残す偉人の足跡が確かにそこに実在していたことを目の当たりにし、言い知れぬ感動を覚えた。彼は紛れもなく、この地を旅して歩き、確かに郡山を通っていたのだ。しかもそれは300年以上も前の出来事。容易に想像できないが、草鞋を履き、杖をつき、旅の荷物を背負い、それは道中、ただならぬ困難に襲われただろうと察しがつく。なぜなら、旅した時期を新暦に直すと、6月18日に当たる。この夏の日に、彼は郡山を旅したため、梅雨の雨に晒されたかもしれないし、日差しの強さにほとばしる汗を拭いながらへとへととなって歩いたのかもしれない。あの時代に、この偉業を成し遂げた彼の労苦にただただ感服するばかりであった。そして普段は素通りしていたような気づかない場所ながら、これほど歴史的価値が高い場所だったことを知り、郡山の魅力を再発見でき、目から鱗が落ちる思いだった。

 さて、今回は初回だったが、このように、郡山に関連した事象や歴史、あるいは人物に焦点を当て、毎回異なるテーマでお送りしたい。これまで何の気なしに通り過ぎてきた場所や、そうとは気づかずに見過ごしてきたスポットに光を当てることで、「郡山の魅力再発見!」をしていきたいと思う。できるだけ取材をして、記事が完成次第、漸次触れていきたいと思う。

 <参考ブログ>

「奥の細道歩き旅」 http://www.ne.jp/asahi/m.mashio/homepage/okuhoso-17.html

「みちのくの足跡」 http://www.bashouan.com/psBashou.htm

「奥の細道を辿る」 http://setuoh.web.fc2.com/fukusima/sukagawa/sukagawa.html

 取材&記事作成日:平成25年8月19日(月)

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