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2013年9月

2013年9月27日 (金)

CMの彼女④

 このシリーズ記事も今回が4回目。本日は、シリーズ作品の多い「LION」の企業広告として製作されたCM。中村一家として数種類のシリーズもののCMとして今も公開されている。その中で、私が最も好きなCMは次の作品。

 中村家のシリーズCMはコチラ

「一日の始まり編」 http://www.youtube.com/watch?v=IOisxNEOIVU

「片付け編」 http://www.youtube.com/watch?v=HdILjEp25uw

「大切なシャツ編」 http://www.youtube.com/watch?v=4hS4e3q4zZY

 何かほのぼのして、癒し効果が感じられる内容に仕上がっていて、共感がもてる人も多い筈だ。

 このCMに出演している中村家3姉妹は、桜めい、早見あかり、赤沼夢羅。私は歯磨きシーンに登場している赤沼夢羅が気になるので、彼女のプロフをここでは紹介したい。

 赤沼夢羅(あかぬまゆら)

 1996年10月11日生まれ(16歳) / てんびん座 / 東京出身 / O型 / 身長160cm
  特技:卓球 /スリーサイズ 82-60-84  / 靴のサイズ 23.5cm
 株式会社ジュピター所属

<映画出演>

 花子の日記(2011年6月11日公開)
 ムンクの叫び(2011年公開)

<テレビ出演>

 鈴木先生(3話、5話) 2-B生徒 役
 放課後はミステリーとともに(4回表/裏) 森野美沙 役

 やはり私が気になる人は、血液型がO型ばかり。不思議なものだ。

 赤沼夢羅の他のCM(エバラ)はコチラ

 http://www.youtube.com/watch?v=8Q9dKEwjbpg

 今後の彼女の活躍を大いに期待したい。

 記事作成:9月8日(日)

2013年9月24日 (火)

緊急掲載~復興応援ソング~

 9月22日(日)の郡山市内は厳重警戒態勢が敷かれ、市内の要所には警察官が立ち、主要道路は通行止めの措置が徹底された。上空にはけたたましく爆音を轟かせて県警のヘリが我が家の真上でホバーリングし、それはものものしい警備だった。それもその筈、この日は午後から皇太子ご夫妻が郡山駅に到着し、待池台にあるハイテクプラザで放射線測定機器の視察を行い、その後、我が家にほど近い喜久田町早稲原にある富岡町民が暮らす応急仮設住宅を慰問、更には東部幹線沿いにある屋内型遊戯施設「ぺっぷきっず郡山」を訪れ、子供たちを激励して歩かれたからだ。皇族方が県内を廻られ、被災者を励ましてくださるのは本当に光栄なことで、未だ収束されていない福島第一原発の放射線被害、風評被害、更には汚染水問題と三重苦に見舞われている県民の苦しみを理解して頂き、国内外に福島の現状を大きくアピールできる機会にもなるからだ。
 福島県民の人口が激減し、農作物や水産物が大打撃を受けたまま、再生の見込みが立たない関係者にとって、これは明日の生活をも知れぬ、窮地に立たされた死活問題にほかならないし、未だに住む家を追われ、避難先の仮設住宅で不自由な生活を強いられたままの被災者にとっては、生計が立たず、どこに怒りの矛先を向けていいのかわからないジレンマに見舞われているのも事実だ。
 先のオリンピック招致の際、安倍晋三総理は「汚染水問題は政府が完全にコントロールできている」との嘘八百を国外にぶちまけた。この軽々しい発言は責任重大で、オリンピック欲しさの詭弁以外の何物でもなく、公言したからには必ずや有言実行を果たして貰いたい。つまり、国主導で対策を講じ、「完全決着」を果たして頂かないことには県民は納得できない。
 近頃の風潮として、震災から2年半が経過し、国民から大震災の記憶が薄らいでしまっているように思えてならないのである。「臭いものには蓋をしろ」的な発想だけは御免被りたい。ここ被災地では、あの悲劇を忘れないために、また二度と繰り返さないために様々な取り組みが行われている。そのひとつが、震災の記憶を過去のものとしないために「復興ソング」を作り、それを被災者達が声を大にして歌い、互いに励まし合っている生きていると共に、福島から今もあの人変わりないの現状を発信している。今日は、そうした復興ソングを取り上げたい。中には涙なくしては見られない感動的な曲もある。挫けそうな時、心が折れそうになった時には、是非とも聞いて欲しい。

 「みんなのうた~南相馬 みんな共和国テーマソング」 みんな共和国 with 松本梨香

 さあ みんな 夢の中へ おいで おいで おいで
 ぼくたちの楽園 みんなのうた

 コトバにできないこと たくさんあるよね
 だけど 君は昨日を 越えてここに 居るんだ 

 さあ みんな 夢の中へ おいで おいで おいで
 手作りの楽園 ぼくらのくに

 あの日観てた夕日と おんなじ色だね
 きっと君は明日を 生きるためにいるんだ
 タンポポの綿毛は風に乗り  
 遠い場所から トモダチを連れてくるのさ

 さあ みんな 夢の中へ おいで おいで おいで
 ずっと続くといいな ぼくらのくに

 さあ みんな 夢の中へ おいで おいで おいで 
 笑顔つないでゆこう ぼくらのくに
 ぼくらのゆめ みんなのうた

http://www.youtube.com/watch?v=dIm9-HL6Kqs

 この感動的な歌は、震災の被害が甚大だった南相馬を励ますために「みんな共和国」が作ったオリジナルソング。ラジオ福島や地元のテレビ局では、くり返し流されている。
  この歌を聞くと「子供は世界の宝」を実感する。明日の社会を築く子供たちは無限の可能性を秘めている。大事に育てたい。彼らの歌声は平和を作るし、元気をくれる。この歌は震災で苦しむ人々に光や希望を与えてくれる、そんな気がしてならない。 

 「虹を架けよう~福島バージョン~」 さとう宗幸&岩崎宏美ほか

 一般社団法人みやぎびっきの会オリジナルソング第二弾。
「虹を架けよう」オリジナル版は宮城県が舞台でしたが、皆様の熱いご要望にお応えして­舞台をうつくしま福島に移しての「虹を架けよう~福島バージョン~」です。
数多くのアーティストの皆様にご協力頂き、完成致しました。
そして今回も、古波津陽監督のあたたかいPVができました。
是非多くの皆様に可愛がって戴ければ幸甚です。

 

 尚、CDはカラオケも入っており、みやぎびっきの会事務局にて通信販売しております。
こちらの収益金はみやぎびっきの会びっきこども基金を通じて、3.11東日本大震災に­て被災した岩手・宮城・福島の東北3県の子ども達の支援に使われます。

 オリジナルはコチラ http://www.youtube.com/watch?v=gWIszAw_CbU

 「桜舞う町で」 普天間かおり・村井敏朗

 この曲は、町全体が警戒避難区域に指定され、未だに故郷を追われ応急仮設住宅での暮らしを余儀なくされている富岡町復興応援ソングとして製作された。ラジオ福島でメインパーソナリティーを務め、ボランティア活動にも従事している歌手・普天間かおりさんが中心となって作られたオリジナルソング。

 富岡町は毎年春に、桜のトンネルが咲き誇る町として有名になった。また5月には、夜の森駅のプラットホームを鮮やかに彩る群生ツツジが旅行客の目を楽しませてくれ、旅人の心を癒してくれていた。一日も早い帰還を願い、魂を込めて歌われている名曲。

 「花は咲く」 NHK復興ソング 

http://www.youtube.com/watch?v=pJtbQvk9WdU 

 この歌はあまりにも有名で、今でもNHKでは流してくれている。被災三県出身芸能人が熱いメッセージを被災者に伝えようとしている。

 「空になろう」 蘭燃

 

 このPVは個人制作なのか、あまりメジャーな復興応援ソングではないが、映像と歌詞がマッチしていて、聞き手に感動を与える。震災当時、街は停電、水道やガスがストップし、ライフラインは断たれた。ガソリンも手に入らず風呂にも入れない。初めて体験する不自由な暮らし。沿岸部の被災者は津波に自宅を流され、愛する家族を失った。悲しみのどん底を味わい、明日をも知れぬ生活。都会では帰宅困難者が駅に溢れかえり、計画停電まで実施された。あの日の出来事を決して忘れてはならない。だから私は2年半を経過した今、このテーマでの記事を執筆した。日本人はあの日の悲しい出来事から教訓として何を学んだのだろう。絆?助け合いの精神?ボランティアの大切さ?健康のありがたみ?もう一度、被災地のことを考えてほしい。きれい事では片付けられない苦しみを今でも被災者には重くのしかかっている。決して過去の出来事で終わらせてほしくはないから・・・。

 なお、スパリゾートハワイアンズ応援ソング「息吹」と猪苗代湖ズの「I love you Fukushima」は過去に何度も当ブログで取り上げたので、今回は掲載いたしません。

 記事作成:9月23日(月)

2013年9月23日 (月)

歴史に触れる旅(伊達政宗の足跡を追って)

 またまた歴史に触れる旅を敢行。今回も突如前夜22時半過ぎに思いついた成り行き任せのプラン。二週間ほど前、同僚と伊藤若冲展と松尾芭蕉の足跡を追って福島へ移動中に国道4号線の本宮市を通った際、偶然道路沿いに見つけた古戦場の標札。同僚曰く、それはかつてその一帯で繰り広げられた「人取橋の戦い」という激戦があった場所だったというのだ。しかもその戦は、かの有名な戦国武将「伊達政宗」が参戦し、南奥諸大名の連合軍と伊達氏が死闘を繰り広げた古戦場であることが判明した。これを放っておく手はない。急遽、3連休の最終日にこのチョイ旅を企画したのだった。歴史に触れるというと聞こえが良いが、さほど重みを感じてはいない。これに学生時代にバイクで訪れた岩角山を再訪してみたくなり、これを追加。更に戦に纏わる本宮周辺の名勝や旧跡を辿ってみることとした。その訪問地は以下の通りだ。

 ①人取橋合戦場ー②日輪寺(観音堂山)ー③太郎丸観音堂ー④安達太良神社(本宮城

 址)ー⑤岩角山(岩角寺)ー⑥観音寺ー⑦小浜城址ー⑧宮森城址ー⑨仁井田館ー

 ⑩高倉城址

 我が街郡山に隣接の本宮市界隈にこれほどの名所があるとは意外だった。早速当日の模様を振り返りたい。もちろん彼岸の渋滞を避ける意味で、早朝6時半発で午前中の帰宅を目論んだ。

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 9月23日(月) くもり/小雨

 6:20 起床、6時半出発の予定がこの時点で狂う。天気はどんよりとした曇り。肌寒
     い。PC作業後、身支度。
 6:45 自宅発。道路空いている。会津街道からR4バイパスへ。気温16℃。70km/hペ
     ースで流れる。
 6:53 アサヒビール園前通過。7.3km。6:54本宮IC前。8.4km。東北病院交差点手
     前の左側に石碑と標札発見。P場なく、田んぼのあぜ道にそのまま頭から突っ込
     む。石碑で行き止まり。
 6:67 人取橋古戦場着。9.6km地点。寒い。無人。ここであの伊達政宗が死闘を繰り
     広げたとは・・・。霊は見えず。寂れた印象。

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 YouTubeの映像

   Wikipediaの「人取橋の戦い」に関する記載はコチラ

 7:01 人取橋古戦場発。バックで出してR4復帰し、東北病院の交差点から右斜めに 
     入る。赤信号停車時、一昨日と同じテリオス(7033)のPCが対向。婦警運転。県
     道8を横断し、直進し、マイナス方向へ細い路地を上がって右手の第一駐車場
     へ。
 
 7:04 日輪寺着。11.0km。門構えは素晴らしい。黒い大きな紋印瓦。石段も立派。
     仁王像立つ。「世界人類が平和でありますように」の標識。女性の小僧がお膳を 
     ゴミ箱へ?石段を登って本堂へ。見学。庭も綺麗に整備されたこじんまりしたお
     寺。ここはかつて観音堂山として戦国武将の本陣として使われた場所。厳かな雰
     囲気。無人。平和の鐘。「一隅を照らす」の刻み文字の石碑。山門から眼下に広
     がる本宮市街の景観が一望。

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 7:13 日輪寺発。太郎丸観音堂を目指すが、地下歩道で行き止まり。迂回して右折
     し、貨物列車が往来する踏切を渡り、旧国道へ。正面に神社の境内が現れる
     が、ロータリーに車停められず。そのまま脇を突っ切り阿武隈川の堤防にぶつか
     り左折したやや太い路肩へ。

 7:17 太郎丸観音堂着。12.0km。古めかしく由緒ありそう。松尾芭蕉も通りかかった
     筈。その痕跡はない。境内には大小様々な石碑や墓標が囲むように綺麗に並
     ぶ。太郎丸観音供養塔の石碑をブランコで塞ぐ。大丈夫か?その隣には小沼貞
     長の碑。北側には「勢至塔」や「湯殿山」の石碑。蜘蛛の巣にアタマ突っ込む。堤
     防沿いに小待従の歌を模した案内板。散歩で行き交う人数人。

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 7:25 太郎丸観音堂発。街中を縦断。途中、本宮郵便局に車を入れ、本宮映画劇場
     に立ち寄る。6月の二本松再訪の際に見学した場所。徒歩で写メのみの往復。

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 7:29 郵便局発。駅前交差点を直進。モットコムも確認。クランク状に左折・右折して緩
     い坂道へ。しかし、左手に安達太良神社への鳥居と石段を見つけるが、駐車場な
     し。坂を上ぼりきり、左カーブ。途中から左折。住宅街をさまよい、半周してゆうや
     く本宮小の北西側へ。もうひとつ石段があってそこへ一旦駐車するが、車道の坂
     道が続いていたので登ってみた。すると一つ目の坂を上ったところが無人の立派
     な白い建物。そのまま左手の急な坂を登ると、忠誠碑と伊藤久男顕彰歌碑のあ
     る花山公園の原っぱへ迷い込む。狭い園路を車で廻る。もしかして入ってはいけ
     なかった?そのまま奥へ進むと境内へ。手前に古峰神社、その裏手の奥に白い
     蔵や社務所、その更に奥に社殿。右にさっき見えた石段。

 7:41 安達太良神社(本宮城址)着。14.8km地点。こんもりして不気味。薄暗い。ど
     こへ行っても無人。水場で手を洗って清め、参拝。説明板では1146年建立で、
     明神様として地元民に慕われたとの記載。立派な御神木が聳え立つ。ここは小浜
     城を居城とした若き伊達政宗が岩角城に進軍した後、この場所へ移動した。そこ
     に排気ガスをかけないように切り返して7:48に出発。来た道を引き返す。狭い道
     で怖い。下りきって左折。みずいろ公園から来る道に合流。そのまま阿武隈川の
     橋を渡る。 

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 7:52 道路右手にセブンを見つけ、ピットイン。サンドイッチ、ツナおにぎり、綾鷹で
     430円。このままでいいと言ったら袋をくれなかった。温めなくて良いの意味だっ
     たのに・・・。カップホルダー初使用。結構操作の邪魔。指と手がぶつかる。
 7:55 セブン発。本宮高校の坂をアップダウン。新幹線の高架橋を下を潜る。岩角山
     まで3kmの看板。本宮岩代線の県道118号線。大学の頃にバイクで訪れて以来
     25年ぶり。右上に照明機。昔姉と来たテニスコート。ナビとgoo地図を併用し、
          19.6km地点から左折。ベージュの和田小学校の手前の交差点を右折してすぐ
     に左折。和田工業団地の下。すると道端(左下の田んぼの一角)に東屋のような
     屋根の建屋が。上りには「わんだの清水」。一旦通り過ぎたが、バックで戻って写
     メ。
 8:01 わんだの清水着。21.6km地点。清水は湧き出ていない。鉢に溜まっているだ
     け。8:04発。途中から右折して坂を上る。カラスが道端に。後は標識通り。

 8:06 ロータリーになっている道の左側に石碑の形の門とその奥に参道を発見。一周
     して岩角農村公園側の駐車場へ。天台宗岩角山(岩角寺)着。22.9km地点。
     一度来ているはずなのに全く覚えがない。25年も前だし、夕方に訪れてしまった
     ので、怖い印象しかない。ひと山の散策路じゅうに石に彫刻が施されてあったり、
     あちこちに石仏像が点在していた覚えしかない。参拝&見物開始。角が酒屋にな
     っている参道も幅2.5mくらいしかない。七福神の石像がお出迎え。正面に石段
     とそれを覆うように石灯籠を模したアーチ。そこを上がると左に本堂、右には様々
     な石仏像や案内図が現われた。小さな池があったり、所狭しと彫像が散在。早速
     順路に従い、登山開始。曇っていて周囲は薄暗く、肌寒い。ここはひと山全部が
     信仰の山で、至るところに石像やら仏像、神社の社殿や境内が点在。各名所に
     は番号が記載され、名前を記した標札があり。三面大黒様、震災と台風の影響で
     あちこち崩れたり修復工事中。急な石段や獣道みたいな箇所もある。岩も突き出
     て歩きにくい箇所有り。

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 8:15 毘沙門堂。撫牛の由来、千手観世音、赤い鳥居、狭い岩間の石段の先に寺宝
     の岩窟弁才天、あちこち写真撮りまくり。パワースポットだが霊が写るかも?木立
     で周辺は薄暗くて誰もいないので不気味さが増す。杉林乱立。でもクマの心配は
     なさそう。岩角稲荷、右に急な岩の石段。5~8番。千手観世音、如意輪観世音、
     11面観世音、巨杉雷神風神(推定800年以上)、ぐんぐん上る。体力的には地
     震つけたため何ともないし、苦にもならない。2日前のあの吾妻小富士の登山や
     銚子ヶ滝の急階段に比べれば楽。足腰を鍛えるにはもってこい。岩に刻まれた千
     手観世音(西国第10番)、中腹の広場へ。六地蔵尊は苔が生えて彫刻が見えな
     い。パワースポットの雰囲気充満。順路に逆らい戻る形で裏側にたたみ石あり。
     ここで座禅を組んで僧が修行。抱きつき石。そこの広場には、授福所の建屋と那
     智堂。その先は急な石段。右に子宝観音、そこを登って一番上の奥の院へ。

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     Img_2518_r Img_2519_r

 8:30頃 奥の院。バテる。左後頭部側が頭痛。左に阿弥陀堂、中央に地蔵堂、右には
     名鐘四面鐘。この時点でかなり薄暗い、デジカメ、オートとプログラム撮影くり返
     し。杉林の乱立する左側の細い散策路へ。まるで山道。14~17の11面観世
     音、天狗腰掛石、左隣には18番の如意輪観世音。その後、急な下り坂。天の岩
     戸、蚊が飛び回る。和労休息石、正面の岩に綺麗な観音像の彫刻。ここで急に
     降雨。しかし林の中で、天然の傘なのであまり濡れない。気温低下。菩提の地
     蔵、右が男胎内、左は低くて小さな女胎内の胎内くぐり岩。男側をくぐり抜けた。
     20~21、船石雨ごい祈願、息切れしたが、疲れてはいない。足腰も大丈夫。強
     気に進む。三山祠跡、その裏側には遥拝石(丹波公)、すると山頂付近まで来て
     東屋を越えた先に別の胎内くぐり。願掛け通路。低すぎて入れず。その裏の建屋
     に回り込んだら、さっき来た奥の院だった。阿弥陀堂再訪。ここがやはりてっぺ
     ん。しかし、左側にあるはずの展望台が見当たらなかった。順路が不明で、落ち
     葉にうもれた崖伝いの急な坂を下る。これでいいのか?羽山祠を左から迂回。迷
     う。27番、狭い岩の隙間をくぐる。岩に服を擦りそう。靴下に草がくっつく。28の
     聖観世音。そしたら那智堂の境内の裏側に出る。たたみ石再。座禅石だが、ここ
     を別ルートで下る。ステンレス製の立派な階段を降りる。29馬頭観世音、30・11
     面観世音、指に止まりそうな蚊を叩いたら、足元とられスリップ。スポシューの左
     側底のソールが剥がれた。罰?33番、ステンレス階段再。小さい祠2つと大日堂
     の祠hが並列。その右隣りは養蚕観音堂。打止観音。やはり展望台は不明。抱き
     込み杉、急な石段を降りると、来た時に最初に訪れた案内板のある広場へ。本堂
     前へ戻った。

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 この場所は連合軍北上の報を受けた伊達政宗が小浜城を出て、この地へ進軍した。岩角山に築かれた岩角城に入り、伊達の軍勢を集結させた。そして二本松城包囲に向け、本宮城(現・安達太良神社)に移動したという史実が残る。

 9:00 下山。終始、山を登っては石造見物、写メ、メモのくり返し。しかし、岩の名前は
     メモしたが、途中の時刻の記録を忘れ、経過時間は不明に。約50分で山を一周
     したようだ。でも体力的にも行けるという自信がついた。結局往復中、誰とも会わ
     なかった。ここにも「一隅を照らす」の文字。石灯籠造りのアーチを潜り参道を下り
     る。やっと黒い服の男とすれ違う。挨拶を交わす。付近の案内看板を見たら、この
     一帯は神楽が多いらしい。しかし、不思議なことに、一度来て山を登ったはずなの
     にあまり覚えがない。山寺や白河の関など似たような場所を随分訪れたので、記
     憶が混同してしまったのか。車に戻ったら雨は上がっていた。

 岩角寺の公式HPはコチラ http://www.iwatsunosan.jp/

 参考 余湖さんのHP 
 http://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/sirasawamura.htm

 9:07 岩角山出発。 今回のチョイ旅も予定を半分消化。早朝に行動を起こすと時間
     に余裕あり。ロータリーを上って来た道を帰らずに東へ向かう。T字路左折。県道
     116号線へ。24.1km地点で二本松の標識の内部へ。右折してふれあい公園
     (広域農道)へ。ひと山を越えてそのまま坂を越えて下った先がT字路。左折する
     予定だったが、すぐ右上の丘に墓地が見え、その隣りに観音寺が見えていたの
     で、予定外だが、立ち寄ってみる。左折して、狭い道路で橋を渡れず、対向車に
     道を譲る。待っているのになかなか来ない。左側の駐車場へ。本日も彼岸なので
     墓参り客の車あり。

 9:11 久安山観音寺着。25.6km。歩きづらいので左足のソールを剥がして外す。2
     段構えの石段をダッシュで駆け上った。きつくない。正面に本堂、右手に真新しい
     阿弥陀三尊像。左側に一段上の丘に別棟の建屋があって、舗装の坂道を徒歩で
     登る。そこには半鐘、神社、奥には毘沙門天で並ぶ。本堂へ下りる急な石段をゆ
     っくり降りた。そして再び広場へ。おばあちゃんが数名座っていた。石段を下りて
     見物終了。

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 9:19 観音寺出発。自宅出発が遅れたがとうに追い越し、予定より早い。次は小浜城
     へ向かう。ここが一番遠い。二本松の岩代町にある。右折して300mほど進むとト
     字路を右折。WATANABEという店とエリカ美容室の交差点だ。山道だ。墓地もあ
     る。くねくね狭い。路肩ズレ、工事中。砂袋で土留め。南ヶ丘牧場入口を通過。正
     面に土の斜面。黄金色の田んぼが美しい。
 9:24 T字路にぶつかり、左折。県道118号線へ。小浜に向かう一本道。途中右折す
     れば宮森城という表示あり。この辺は神社が多い。小浜中通過。火の見櫓あり。
     岩代小浜はメイン街道であっても幅員が狭い。商店街の通りへ。小さな町だ。中
     心街の標識のある交差点を直進して突っ切る。役場下を右へ。分岐路をどっちに
     行けばいいか不明。
 9:28 ステップバスが周回する岩代支所へ。そこで案内図を見るが、小浜城址の位置
     がいまいち不明。宮森城址のほうが遺構が多そう。帰りに立ち寄ることに。試しに
     左側の急坂を上る。狭くてすれ違えない。すると山道に栗が散乱。危うく踏みそう
     になった。下手するとあの刺でパンクするかも・・・。

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 9:31 小浜城の石垣と両側に立つ門へ。右の路肩へ駐車。32.8km地点。小浜城址
     着。復元図の説明板がある。ここは何とあの戦国大名の伊達政宗が若い頃に、
     居城を構えた場所。復元図には砦や城壁、本院、櫓などが鮮やかに描かれ、意
     外にも大きかったことが判明。もちろん初訪問。福島県に居ながら知らない場所
     がたくさんあるということだ。この歳になってようやくだ。興味がなかったからで、城
     や神社、寺院を訪れるなんて歳をとった証拠だ。石垣の上に「小濱城址(下館)」
     の小さな石碑。最近建造されたと思える立派な門には「本丸一曲跡」の文字。石
     段を一気に走って駆け上がる。いきなり蜂が飛び回る。ブンブンうるさい。ブランコ
     滑り台の公園なのだが、この原っぱが本丸跡・・・。呆気ないし大したことがない。
     まぁ建屋も何もなく、ただのだだっ広い殺風景な場所。かつてここが本陣だったと
     は・・・。鎧兜に身を包んだ武者たちがここを登り降りしたと思うと感無量。しかも
     伊達政宗が使った城だ。古の歴史や戦に思いを馳せた。しかしこれだけの旧跡
     なのに、全く手つかずで整備されていない寂れ感が半端じゃない。落胆させられ
     た。奥には「宮森家祖大内氏城跡」という石碑が立つ。その左隣りには、壊れて見
     えない備え付けの望遠鏡が・・・。展望台なのだが、山しか見えない。雑草だらけ
     の遠路を一周。荒れ放題で残念だ。本院跡は隣りの奥にある野原だった。櫓が
     あったとされるのは滑り台付近か?全くその形跡がない。蜘蛛の巣があって、誰
     もいないから不気味そのもの。何故私が訪れる先々は人がいないのか・・・。放射
     線のせいか?ここも終始無人だった。カメラ故障?シャッター押したのに記録され
     ない状況が2~3回あり。伊達政宗によって滅ぼされた二本松城主・畠山義継の
     「首さらしの場」の所在地は不明だった。

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参考HP「余湖さん」 http://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/nihonmatuiwa.htm

 9:45 小浜城発。栗の道を戻りたくなかったので、そのまま20m走りY字路の分岐路を
     右に入り、かなり細い下り坂を下りる。すると左手に支所が。そこを素通りして不
     穏な動きを見せるワンステップバスを間一髪交わし、メインの交差点もギリチョン
     で通過。左に雷神社。メインストリートを戻り、川沿いルートを進む。途中、ベージ
     ュのミニスカ姉ちゃんとすれ違う。右に萬人子守地蔵尊。この辺は神社多すぎる。
     宮森城の入口から左折。両端に工事のゲートがある超狭い道を上る。対向車の
     通過待ち。坂の途中右に、「大河内宗四郎腹切石)」があった。

 9:50 宮森城手前の「腹切石」着。35.1km地点。その前の森も切通し風の作り。この
     謂れは不明だが、戦国時代に大河内宗四郎氏がここで切腹したのは間違いなさ
     そう。歴史に埋もれがちだが、人ひとりの命が絶たれた場所である。そう考えると
     物見遊山では訪れられない。その50m先から標識を見て右折。予定にはない宮
     森城址に立ち寄る。予定時間より早いので問題なし。ゆるい上り坂。その途中の
     左のこんもりした林の下の道端に「御膳清水」の文字が・・・。立ち寄ってみた。

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 9:53 御膳清水着。説明書きや石碑が立つ。伊達政宗の父親の輝宗が宮森城に居城
     し、ここを拠点に畠山連合軍と戦った。しかし二本松城主畠山氏に拉致され、悲
     壮な最期を遂げたとの記載だった。ここの清水はとても綺麗で、柄杓があった
     が、放射線が心配で飲用はせず。石造りの水受けが透明で綺麗だった。写真の
     みで9:56リスタート。その僅か100m先の右側奥に石畳と木製の門があった。こ
     こが宮森城址である。駐車場がなく、そのまま門に向かって急斜面の坂に車を突
     っ込んだ。

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 9:56 宮森城(上館)址着。35.3km地点。石畳の通路が坂道の上まで伸びていた。
     蜂が飛び交う中、歩いて木枠の門を潜って200m。右にカーブした先に狛犬が2
     体。更に30段ほどの石段があって、その丘の上に朱塗りの鳥居と神社の屋根が
     見えた。また一気に石段を駆け上がった。こじんまりした神社だが、奥に開けた野
     原あり。おそらく本丸はそこにあったと察しがつく。しかしここもあまりにも寂れてい
     て、未整備状態。雑草は伸び放題だし、蜘蛛の巣はあちこちに張り巡らしてある。
     輝宗公の功績を蔑ろに扱っている印象。旧跡らしからぬ落ちぶれた感じ。ここだ
     って当時は栄華を誇り。戦の拠点として重宝されたはず。周辺は山と鬱蒼とした
     木々しかなく、軍事拠点だったとは想像できない雰囲気。神社の右脇にこの場所
     を示す石碑。神社と鳥居の間には10個前後の束石のような石が残る。ここに本
     所があったのか?ここも荒れ放題でかつての勢いを見る影もない。畠山氏の命で
     すべて取り壊され、痕跡がわからぬように撤去されたのか。消化不良気味。

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 参考 余湖さんのHP 
 http://homepage3.nifty.com/otakeya/hukusima/nihonmatuiwa.htm#miyamori

10:08 宮森城址発。腹切石の前を下り、工事の狭い箇所を通り、県道118号線へ復
     帰。左に行けば梅木寺の分岐路を素通り。(株)マルサンの工場前を通過。白岩
     生コンを道標に本宮方面を目指す。結構遠い。
10:16 岩角山分岐。40.8km地点。左カーブへ。気温は19℃。晴れ間はない。
10:20 白沢との分岐。左側の丘の上には照明灯。白沢グリーンパークだ。ここでラジオ
     から私が好きな福島県浜通りの復興応援ソング「みんなの歌」が流れた。「おいで
     おいでお~いで~僕らの~国~僕らの夢~♪」という歌詞の曲だ。涙が出そうに
     なる。来る時通った新幹線の高架橋下を潜り、本宮高校の坂をアップダウン。す
     ぐ左が「出動」の表示が見える「南消防署」だ。阿武隈川の手前を左折する予定
     だったが、間違えて直進。10:25にそのまま阿武隈川を渡ってしまった。左折。
     市街地方面へ。9月26日は通行止めとなる予定だ。次は仁井田にある仁井田館
     という神社だ。ここも伊達政宗の戦に関係の深い場所。駅前から来る交差点で停
     車。薄いピンクの建物が「モットコム」の社屋だ。さすがに信号停車中に写真は撮
     れなかった。盗撮と間違われそう。やがて、本宮映画劇場、太郎丸観音堂の前を
     通過。そのまま直進。その先に、道を間違えなければ出てきたであろう橋からの
     道と合流。本宮市街を脱し、仁井田にあるその神社っぽい作りの仁井田館を探
     す。しかしここから右往左往見つからず道に迷う。県道8号の南西側にある筈な
     のだが。周辺を行ったり来たりして、こんもりした木立が密集している、神社があ
     りそうな場所を探して住宅街を迷い込む。申供養碑がある場所や行き止まり、JR
     の線路を越えて本宮斎場を左折して往復。行き過ぎて神武天皇と明治天皇が訪
     問して遥拝した旨の石碑が立つ「冨士神社」まで行ってしまった。行ったり来たり
     で車酔い症状で気分が悪くなる。まったく時間とガソリンの無駄。やがて仁井田公
     民館の標識を見つけ、案内図があることを見越してそこへ。

10:50 中学校で行き止まり。左には公民館、その奥には新昌寺。案内板もなく、諦めて
     高倉城址へ向かう。その矢先、その公民館の前にある松の木が素晴らしく、つい
     写メその名も「寺下のかさ松」。末広がりで美しい形状。思わぬ収穫。西方寺の縮
     小版という感じ。
10:53 仁井田公民館発。県道355号線。正面に三角形の稜線と輪郭が美しい山城だ
     った高倉の山が聳え立つ姿が見えた。そこに向かって一直線。しかし、最後にこ
     こを訪れる予定でいたが、どこにも入口らしき道がない。前後に車がいたため、
     逃げられず、そのまま通過。吐き気も災い。何か最後に来て2箇所、不完全燃焼
     で尻萎みで終わった感がある。旧国道沿いの松並木も少なくなり、見所はなかっ
     た。そのまま日和田の消防署前へ。その隣りは8月末に訪れた安積山公園。芭
     蕉ゆかりの土地だ。

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10:59 安積山公園前通過。松並木を車窓写メ。しかし、あまり見栄え良くない。右折し
     てジョイフル山新方面へ。西方寺付近も墓参りの客の車。ベニマル方面へ左折せ
     ず、直進。信号待ちの車列は無し。

11:03 左折してバイパス合流。後続に抜かれまいとスピードアップ。秋の交通安全運動
     週間のため、白バイや覆面、レーダー取り締まり警戒。20℃の表示。会津街道
     へバイパス降りる。白バイかと思ったら、川崎ナンバーの白のフォルツァだった。

11:08 帰宅。各神社でのお参りが効いて、無事故無違反で帰宅できた。
      走行距離は68.3km。費用は430円だけだった。

 (後記)

 3連休中は、予定の被災地には行けなかったが、初日に磐梯吾妻スカイラインで吾妻小富士一周、最終日の今日は伊達政宗の激戦地を追って本宮・二本松界隈を周回できて無駄に過ごすことがなくまずまず。最後に場所が見つからずヤキモキすることもあって、反省材料は尽きないが、山登りやきつい階段を何度も往復した。体力的に衰えを何とか挽回できたと思うし、メタボ対策にもなった。歳をとると難しいので、体が動くうちに様々な体験をしておきたい一心でここ数ヶ月は動き回っている。福島県内にもまだまだ未知の名勝旧跡など訪れる価値のある場所は点在している。それを見つけ、自分なりのコースプランを立てて実行に移していきたい。

 参考ブログはコチラ

http://yaminabe36.tuzigiri.com/fukusima%20nakadoori/hitotoribasi.htm

 記事作成:9月22日(日)~23日(月)

2013年9月21日 (土)

吾妻小富士ハイキング(我、噴火口に立ちて)

 もともとの予定では、このハイキングは9月21日(土)の早朝に実行する予定でいた。しかし、気仙沼の「第18共徳丸解体」に次いで、突然舞い込んできた「南三陸町防災庁舎撤去」の報を受け、急遽スケジュールを変更し、「被災地慰問」を決意。一旦は3連休の最終日に移動した。しかし、もろもろの準備を万端に整えていた矢先の本日夜半、1時出発で携帯アラームをセットしたにもかかわらず、知らないうちに止めてしまい、目覚めたのは午前3時50分。その時刻からの被災地訪問は、さすがに時間的にアウトなので、キャンセルせざるを得なくなった。更に言い訳がましいが、秋の交通安全運動週間が本日から始まり、取締まりが厳しいこと、この前日の夜中に、「緊急地震速報」のアラーム音に起こされ、震度3の地震に見舞われ、寝不足だったこととで、その翌日にほぼ睡眠ゼロの状態で500kmも走れば、疲れて居眠り運転必至の状況だったため、これは天からの警告として受け入れ、この日の被災地訪問は断念し、再びこの日は当初の予定通り「吾妻小富士」往復に切り替えたのだった。

 まだ、楓やもみじ、ナナカマドの紅葉には早いが、シーズン中は「磐梯吾妻スカイライン」が大渋滞を引き起こすため、早めの行動とした。特段、紅葉見物が目的ではなく、ただ単に中学以来の再訪となる、浄土平から吾妻小富士に登り、火口を一時間かけて一周したかっただけなのだ。ここから見下ろす福島市の風景も一興だし、二本松の市街地を見下ろしたり、その真西に聳え立つ「一切経山」の噴煙もまた見所として打ってつけだと感じた。また、岳温泉の「足だけ湯」もまたそそられるものがあった。それでは、当日の模様の一切合切を報告したい。

  9月21日(土) くもり→快晴

 4:37 起床。身支度を整える。標高1,000mを超える山登りになるため、気温低下を
     想定し、半袖半ズボンを改め、長袖とヤッケを用意する。しかし、下は軽くて登り
     やすい短パンで挑む。PC作業の後、出発にこぎつけた。以下、主な出来事は以
     下の通り。

 5:45 自宅発。肌寒い。車内で昨日購入したコッペパンを齧る。バイパスの温度表示は
    16℃。バイパスから見る安達太良山の稜線はくっきり。雲が一切かかっていない。
          全国秋の交通安全週間初日のため、安全運転励行。しかし、周りは70~80 
     km/hで流れている。人取橋古戦場で対向して来たパジェロのパトカーがUターンし
         て追いかけてきた。自重。サイレンも鳴らしていないのに、赤信号の交差点を直進
     して走り去って行った。トラック、赤信号を平気で無視して通過。ありえない。

 5:58 本宮IC前通過。16:04プラント5の交差点から左折。県道30号で岳温泉方面
          へ。大山コンビニの先で工事現場の片側通行信号1分半も待つ。高原道路の木
     立におしゃれな店点在。ピザ屋、あんぽん炭など。13℃表示。風はない。東の空
          朝焼け。ニコニコ共和国議事堂交差点24.5km。右折。鏡池碧山亭方面へ。狭い
          下り坂の「桜坂」へ途中、道端の右側に「岳温泉足湯」を見つけるが、周辺に駐車
          場なし。駐車スペースを探して右往左往するが、見当たらず路駐。

 6:18 岳温泉足湯着。無人。さっそく靴とソックスを脱いで浸かるが、めちゃ熱い。でも
     心地よかった。本当は登山(トレッキング)の後が好ましいが、帰りに寄っても人
     だらけを予想して先に入る。5分で終了。

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  6:24 足湯発。前を行くもみじマークがのろのろ。国道459号を土湯方面へ。前方にあ
     だたらエクスプレスのゴンドラ山頂駅が見通せる。

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 6:29 塩沢・サファリパーク入口。30.3km。木立の一本道。二本松から福島へ。ラジ
     オのFMはB’z。Lady Navigation。
 6:31 右折して土湯「道の駅」からR115へ。30.3km地点。先行者をパスし、そのまま
         先頭キープ。右手に吾妻小富士の茶色の山肌が望める。38km地点のトンネルの
         直後、右折。旧土湯道路へ。懐かしい。20年振りに走行。当時、交際していた彼
     女と来て以来。裏覚えだが、記憶にあり。狭い峠道。山の斜面伝いに道が連なる。
          林の中の一本道。時折視界が開け、絶景が・・・。青空に山の緑や山の稜線が映
          える。紅葉はまだまだ先。深い緑に芒が転々。気温は14℃。バイクが数台。

 6:42 絶景ポイントで停車して写真。すぐその先に野地温泉。
 6:45 野地温泉ホテルP停車。42.8km地点。湯けむりと湯気立ち上る。硫黄の匂い
     が鼻につく。ここから先は温泉宿が点在。200m先に赤湯、更には鷲倉温泉が隣
     接。そして右に分けいれば幕川温泉の分岐路あり。そして福島方面から上がって
     くる道路と合流。右折してスカイライン方面へ。日本の道100選の標示立つ。幼
     い頃の記憶では、スカイラインの入口の周辺はもっと広いと思っていたが、廃墟
     の峠の茶屋(ドライブイン)もなく、寂れた印象。

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 6:50 磐梯吾妻スカイラインゲート。無料通過。山の中腹を辿る狭い一本道。くねくね
     で、左側は谷底で、遠景では磐梯山が望めるパノラマ道路。親に連れられて小学
     生の頃に通ったり、中学時に遠足で来て以来30年は経過している。紅葉は一切
     していない。快晴青空。風も全くない。絶好のドライブ日和。早起き出発が奏功し
     てスカイラインは車少ない。バイクと半々。絶景ポイントの国見台、石碑のある路
          肩広場で停車し、写メ。磐梯山の絶景が同じ目線で見渡せる。やはり有料道路だ  
     っただけのことはある。V字谷の風景が広がる「天風境」は素通り。帰りに寄ること
     に。ところどころ、福島交通のバス停あり。ここまで路線バスが上る?

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 7:01 湖見台(48.1km地点)の路肩で停車して写メ。木立ち、山の稜線に沿って進
     む。浄土平まであと8km。結構通り。時々きついタイトコーナーあり。ぐんぐん空に
     上っていく感じ。だからスカイライン・・・。納得。道路に標高1,500mなどの標
     示。こんなに高く上ってきても、この日は風がない。白樺。気温13℃。長袖だが下
     は半ズボンの軽装だったが、これならイケそう。双竜の辻というポイントあり。スペ
     ースなく素通り。ここも帰り寄る。ここから西側の風景が最もシャッターチャンスの
     抜群のロケーション。磐梯山が間近に。木立の直線後、正面に茶色い一切経山
     が見え出す。そこのアップダウンが激しい直線がスカイラインの最高地点。標高
     1,622mの道路表示と道路脇にその標示板。その先で駐車。 
 7:12 1,622m地点到達。自宅からは55.8km地点。徒歩で戻って写メ。ひんやりす
     るが風が全くないので寒さは感じない。再出発後、1kmほどで兎平駐車場。そして
     その先で視界が開け、正面に茶色い山肌の「一切経山」、右手に本日上る「吾妻
     小富士」が聳え立つ。

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 7:17 左側の広大な「浄土平レストハウス」駐車場へ。入口にバイク軍団が陣取ってい
     る。無人のゲートを素通りしてシャッターが閉まっているレストハウス前に駐車。自
     宅を出てから1時間32分で到着。58.4kmだった。ひとりで格好悪いが、バイク
     の連中をの視線を尻目に、道路を横断し、吾妻小富士の登山口へ。入口に大き
     な標示板。「1,707m」の文字。私はこの山を一周するつもりだが、半周した東側
     の最高地点から見える福島市街を一望する景色を見たかった。写真はいつもの
     ように逆光・・・。登山道は急勾配。これを目の当たりにすると普通の人は登りたく
     なくなるかも。

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 7:20 登山道を早速アタック開始。誰も登山していない様子。先陣を切る。登山道(散
     策路)は整備されていはいるが、丸太を飛んで上るため、意外と登りづらい。岩も  
     突き出ているので、大股で歩くため、丸太同士の設置ポイントが幅広くてやばい。
      個人のブログを見ると、10分かからないで火口の上に出ると書いてあった。一気
     に上る。ライダー達が注目しているので、息切れや疲れている姿を見られないた
     めに、時々広大なパノラマ風景を写メしている振りで休み、息を整える。結構あま
     り休まずにいいペースで登った。なんと登り始めから4分ほどで火口まで着いてし
     まった。来年大台を迎える年齢なのに、まだまだ体力も捨てたものではない。最
     近、週末ごとに険しい階段を登るショートトリップばかり繰り返していたので、あま
     り苦にはならなかった。しかし、この体力では磐梯山登山など不可能に近い。ジグ
     ザグに設置された散策路(登山道)を上る途中、レストハウスがどんどん遠ざかっ
     ていく。目の前には2箇所白い噴煙を立ち上らせる一切経山が朝日に映えて明る
     く見える。

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 7:24 吾妻小富士の火口上到着。直径500mくらいのすり鉢状の火口を囲むように登
     山道が一周しているが、見たところ、誰も歩いていない。一番乗りだったようだ。
     風もなく穏やかだった。周辺は硫黄の臭いが立ち込める。あちこちに石を積み上
     げた造形物があった。ネットの公式観光案内HPには時計周りをお勧めするとの
     記載があったため、それに従う。しかし、北側の急勾配の坂を見て、恐れ慄く。あ
     れを登るのか?肺と足腰、それに筋肉や呼吸は持つのか・・・。しかしせっかくここ
     まで来たのだから、この機会を逸したら二度と登れないかもしれない。悔いを残さ
     ぬように意を決して進む。眼下を見ると、スカイラインの北側の道路は、森の中で
     はなく、岩石の山の中腹を伝って道がくねりながら続いていた。やがて最初の急
     勾配。向こう側が見えないようなそそり立つ壁のような焦げ茶の岩山が迫る。そ
     の険しさにすぐ息切れ。急坂にへたれながら、途中、突き出た岩で腰掛けて休
     憩。胸が苦しくてきつい・・・。唾を吐く。大きく深呼吸するが、硫黄の臭いがきつ
     く、余計に呼吸困難に。
      すると、ライダー風の男が、遊歩道から時計回りで私の後を追うように、歩き始
     めたではないか。抜かれるのが癪に障るので、懸命に上っていく。もちろん3~4
     回は息継ぎと肺機能回復を図って休み、更に気力を振り絞って上る。火口側は極
     めて危険、怖くて覗き込めない。万が一、足を滑らせて転落したら、まず助からな
     い。火口の最深部は高さ200mくらいありそう。急な坂道はスポシューだと滑って
     危ない。何度も滑ってひやっとした。やっと一番険しい壁のような岩山部分を制
     圧した。

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 7:40 吾妻小富士頂上到達。ゴツゴツの巨岩なので、あまり休憩場所がない。この時
     はまだ、半周していないので、ここを下ってもう一度坂を上った100m先の場所が
     最高地点だと勘違いしていたが、この最初のそそり立つ壁を登りきった岩場が吾
     妻小富士の最高到達点だった。東側の眼下の福島市街地を望めるが、逆光に加
     え、きらきら反射して眩しくてイマイチ街の風景が確認できない。残念。更に一旦
     緩い下り坂の後、また50mほど坂を上らなければならない。この時はそこが吾妻
     小富士の最高地点だと思い込んでいたということだ。途中何度も写真を撮った。

 7:44 距離を縮められながらもやっとこさ2つめのコブを制覇。ちょうど半周した形。個
     人ブロガーの記載には1時間程度かかる見込みとあったが、半周を20分で完
     歩。なぜか蠅や虻が飛び回っている。硫黄の臭いに誘われてなのか?青空で気
     持ちが良いが、唾を吐きながら、よろよろ状態。これが風がなかったからいいよう
     なものの、幅員5mくらいしかない周回路は自然のままなので、所々岩が飛び出て
     いて危険。滑落防止のロープも柵も何もないのが不思議でならない。小学生の遠
     足も実施されるが、誤って転落や滑落する危険は大だ。ここからは下り。こちらの
     ほうが体力的には楽だが、神経は倍遣う。その直後、2箇所、幅が狭く、岩の隙
     間を縫うような道しかなく、慎重を要する。下手すれば崖下転落死の可能性大。こ
     んな場所小学生や子供は無理。ふざけたら間違いなく死ぬ。ただでさえ幅が狭い
     のに、大きな岩が進路を塞ぐようにゴロゴロ転がっていてライン取りが難しい。足
     場が悪いし右も左も崖で滑ったら一貫の終わり。そこを脱した後は急な下り坂。     
     スポシューは滑りやすく、何度も足を取られた。後続に抜かれまいと、逐一確認を
     入れながら進む。途中しっかりと何枚も火口や360度パノラマの風景写真を撮影
     した。外側は、見渡す限りの壮大な風景が広がっていた。障害物が何もなく、普
     段は吹きっさらしの筈なのに、奇跡的にも無風なのが不思議だった。ゆっくり足元
     を気にしながら坂を下る。落ちたらマジでシャレにならない。時々火口に近寄り、
     写真撮影。すり鉢状の火口を隔てた対面の斜面が険しくて、よくぞまぁあそこを登
     ったものだと感心した。

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 7:55 火口の時計周りでの一周を終了。正直きつかったが、今トライしないと多分二度
     とできないと思い、無理して何とか完歩制覇した。何と通常なら1時間近くかかると
     ころを、31分で周回してしまった。レストハウスからでも35分。これは早い。体力
     激減している私だが、まだまだ捨てたものではない。私に釣られたのか、その後、
     12~13人ほどが火口の周りを登っている人影が確認できた。日差しが強く、し
     かも逆光なので、写真撮影に苦慮。そのまま登山道を下りようとしたら、下からギ
     ャル3人を含む4人が上がってきたため、しばらく火口周辺を見納めする。ハエや
     らアブやらがうるさい。帰りも斜度のきつい斜面を転がり落ちるように続く難しい遊
     歩道で、岩に足を取られないよう細心の注意を払った。コケて足を捻ったりしたら
     ヤバイ。下から軽装備の50歳くらいの男性がひとり、ひーひー言いながら休み休
     み上って来る姿が見えた。すれ違いざま、思わず「キツですよね」と声を掛けた。
     帰りは3分程で地上へ帰還・・・。 

 8:03 登山道入口着。結局、駐車場から登山道を上り、火口を一周して駐車場へ戻っ
     て来ての往復は、時間にして43分ほどだった。レストハウスのシャッターが自
     動?で開きだした。標識を入れて写メ。道路を横切り、ライダー達の前を通って車
     へ。正面入口はまだ閉まったままだが、その前で店員の女性2人が団子を焼きだ
     した。美味そう。ひと串300円という文字が。

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 8:09 浄土平レストハウス駐車場出発。隣りはすべて県外ナンバー。つくば、多摩、岐
     阜だった。3連休遠出か?来た道を引き返す。
 8:16 双竜の辻手前で磐梯山の写真。左コーナーでは磐梯山に突っ込むような形の走
     行となる。駐車して写メ撮る度に、バイクが素通りして行く。急なタイトコーナーが
     続く。

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 8:18 天風境のPへ。69.9km地点。右カーブの左に少し大きめの駐車スペース。そこ
     から見える風景は格別。V字形に谷間が広がる。中腹に森に隠れて見えなかった
     が、幕滝という大きな滝があるらしい。その左には、道なき道に旅館風の建物の
     一部が見え、更にその右下には吊り橋らしき構造物が・・・。爆音を響かせてライ
     ダー軍団がコーナリングを決めて下って行った。尾根伝いに作られた道を進む。

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 8:31 スカイラインのゲートを潜った。右折。瞬時に判断。R115を猪苗代方面に向か
     い中ノ沢から母成経由で帰路に着くことを決めた。ということは横向きロッジの前
     を通ることとなる。県道70号線へ。72.4km地点。この道でいいのか不安だった
     が、何度か急カーブを越えるうちに確信が持てた。一度ここは通ったことがあり、
     九十九折の急な坂の途中から真下方向にパラマウント磐梯のホテルが見おろせ
     た。するとまもなく予想通り、廃墟の横向きロッジの裏側へ。

 8:37 横向きロッジ。75.2km地点。8月のミステリーツアーで立ち寄った全国No.1の
     人気心霊スポットだ。左カーブして写メを撮ろうとしたら、70歳くらいのおじいさん
     がロッジから飛び出してきた。私の車を見るなり慌てて道路を横切った。車窓から
     ロッジが見える場所で緊急停車して車内越しに写メ。そのじいさんも私を警戒して
     いた。心霊マニアか?まさか朝から幽霊では・・・。ちゃんと足はあったが。スルー
     して下るとすぐホテル前。そして木立の中を進むと左に箕輪スキー場の建物と、
     奥にゲレンデが見えた。箕輪のゲートを素通りして、R115土湯道路へ迂回して
     合流(8:39)。車4台の先行を許し、横向大橋を渡る。道端に「松たけ販売」の看
     板が置かれている。ほどなく左側に膨らんだ路肩に販売車。誰も客はいない。

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 8:43 ドライブイン高森前通過。やはり営業していない。途中で停車中の黄色の道路公
     団のRV車をパス。それに追いかけられる。姫沼の入口も素通り。先行車4台が高
     速で追いつけない。ネズミ捕り大丈夫か?秋の交通安全運動だぞ?やがて中ノ
     沢の分岐を待たずに沼尻駅前の分岐から左折(8:45)。更に200m先で左折
     し、中ノ沢温泉へ。この時、ガンメタ車に煽られる。前に2台詰まっていてどうしよ
     うもない。腹立つDQN野郎だ。8月以来の母成グリーンライン(無料)を通行。本日
     は山頂付近にあると思われる「母成峠古戦場」の石碑を見落とさないように注意
     深く走行。途中、煽りガンメタは路肩に停車。厄介なDQNを振り切った。しかし、前
     の会津ナンバー銀のハイブリッドホンダ車がとろい。しかし、どこにも石碑は見当
     たらない。そのまま急なコーナーに入る。その下りカーブの途中、右側に銚子ヶ滝
     登山口の駐車場を確認した(8:55)。この急な坂を走って登ってくる人が1名。ラ
     ジオ福島「大和田新のラジオ長屋」でアナウンス噛みまくり。電話はアニマル浜口
     以上の豪快に笑いすぎるオッサンとの対話。

 8:58 母成峠旧ゲートの駐車場。ようやくここで前の車が譲る。ふれあい牧場入口通過
     した。この道路、8月以降でもう4度目の走行。21℃の表示。梨畑収穫作業。
 9:05 奇岩前。高速のガード下を潜る。田んぼは黄金色で稲穂が頭を垂れていた。高
     玉城址通過。
 9:10 味噌屋前から左折してR49へ合流。104.5km地点。23℃の表示。暑くなって
     きた。もし、今日被災地(岩手~宮城)に行っていたら、最高のドライブ日和だった
     筈。なんとも悔しい。寝過ごしと睡眠不足が災いした。帰宅後のブログまとめを考
     えたら本日しかなかった・・・。安子ヶ島の追い越し道路も自重。

 9:17 トライアル。111.0km。食料を818円分の買い物。9:32発。喜久田駅前を通
     り、会津街道(県道286号)に合流。

 9:38 ベレシュに立ち寄る。しかし駐車場は満杯。特設テントで彼岸花販売に客が殺
     到。きゅうり高くなり買えず。試食の枝豆だけ口にし、何も買わずに店を出る。

 9:43 帰宅。走行距離は116.6km。 出費は818円のみ。撮影121枚。

 (後記)

 予定通りなら被災地に訪れるハズだった。天気予報も準備も万端だったが、睡眠不足の中、高速にて500km往復する自信がなくなった。秋の交通安全運動で取締りの危機があり、また気持ち的に、私のような者が大勢の方々が犠牲になった聖地を訪ねていいものかどうか熟慮を重ねた。第18共徳丸はまもなく解体完了、南三陸町の防災庁舎もまた、近いうちに取り壊されて撤去されてしまう。大川小や門脇小校舎でさえ、いつまでもあのまま放置しておけないだろう。震災遺構がどんどん失われて行く中で、指を咥えて待っているのも辛いが、私自身が運転に自信が無くなったことと、申し訳ない気持ちが先立ってしまった。たぶん行かずには後悔しか残らないだろうが、今の私には被災地を訪れる勇気も資格もないように思えてしまう。難しい判断だ。
 さて、その代案という訳ではないが、当初の予定に戻り、「吾妻小富士トレッキング(実はハイキング)」を決行出来たことは何より。たぶん徐々に体の自由が利かなくなるであろう前に、吾妻小富士一周まで実行できて良かった。今夏メタボの診断を喰らい、それからというもの、毎週末には体を動かそうという意図で、様々な旅行プランを組んできた。だんだんネタ切れになっているが、今後も出来る限り、遠出やショートトリップを継続し、健康の保持と体力の増進を図っていきたいと思う。

 記事作成:9月21日(土)

 追記

 帰宅後、ネットでさんざん検索して「母成峠古戦場址の石碑」の位置を掲載したブログを発見。ようやくその場所を探り当てた。本日を含め、過去3度探したが見つからず終いだった。忘れぬようリンクしておきたい。

http://ley.cocolog-nifty.com/hitorigoto/2013/06/post-3ce1.html

http://mo6380392.exblog.jp/18552924

2013年9月20日 (金)

郡山の魅力再発見!③~合同庁舎秘話~

 今回、このシリーズも第3弾を迎えた。今日は人物ではなく建物にスポットを当てたい。郡山市在住の方なら知らぬ人はいないだろう場所が「合同庁舎」だ。しかし、単なる一市町村の役場機能を担う公的な場所と思う勿れ。歴史的に価値があり、貴重な建造物というだけでなく、公私を問わず、様々な観点から自らのエピソードを交えてこの庁舎を眺めてみたい。

 ① 役場としての機能

 かつて郡山市役所は、現在のNTT付近にあった。大正13年9月1日に新生郡山市誕生に伴い、燧田にあった旧町役場を市役所と看板を付け替えただけの庁舎だった。その後、そこが手狭となり、新庁舎移転の気運が高まり、今の細沼町にある福島県合同庁舎が建設され、昭和5年に竣工し、再移転した。当時は斬新な石造りであり、大正浪漫を感じさせるような外観を市民は誇らしげに見上げていたという。しかし、第二次世界大戦の際に、郡山駅前周辺が大規模空襲に見舞われた不遇の時代を乗り越え、戦災復興都市に指定。その後、化学工業や紡績を中心として戦後復興を成し遂げ、昭和39年に新産業都市に指定された。郡部の町村を合併し、大郡山市が形成されると、やはり役場機能が窮屈となり、昭和43年に今の朝日一丁目に新庁舎を建設し、再移転することとなった。

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燧田にあった最初の市役所  昭和5年竣工の市役所(現・合同庁舎)

 ② 世界遺産にも似た歴史的価値の側面

 以前、当ブログで「郡山市にある世界遺産」という記事で取り上げたが、実はこの合同庁舎の建物は、世界遺産に認定されているイギリスの「ブレア宮殿」にそっくりな外観をしている。いかにも厳かで貴品のある造りは、その建物を参考にした感が漂う。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-00b7.html

 ③ 映画のロケ地として脚光を浴び建物

 名作「金閣寺」の作家として知られた三島由紀夫。彼は昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の屋外バルコニーで、突如800人の自衛隊員を前に演説を繰り広げ、運命共同体としての決起を叫んだ。しかし、文字通り命懸けの魂の叫びも虚しく、願いが叶わぬと悟った彼は、割腹自殺という衝撃的な最期を遂げた。

 大義のために死す ~三島由紀夫の命懸けの演説~

 この実話は、後に緒形拳主演で映画化(1985年公開:A LIFE IN FOURCHAPTERS )されたのだが、私が高校時代に郡山市でロケが敢行された。しかもそれは、最も重要な、彼が自決する直前に行った市ヶ谷駐屯地での決起を訴える場面である。市ヶ谷駐屯地に似た造りの郡山市細沼にある「福島県合同庁舎」が使われたのだ。その場面の映像は下のアドレスをクリックしてご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1:45:35以降)

 ④ 子供の頃のエピソード

  最後は全くもって私的な観点から追記したい。この場所は、私の実家からほど近く、遊び場に乏しかった小学生時代には、格好の遊び場だった。それは、この建造物は、土台となっている石垣の基礎部分の床下に、人ひとり潜り込める秘密の出入り口(隙間)があり、友人とよく日中に忍び込んでは、奥深くまで探検したものだ。今振り返ると危険極まりなく恐ろしいの一言だが、暗闇の中、ロウソクに火を灯し、それを道標にして広い床下の基礎部分の隙間を伝っては、かくれんぼや冒険したのだった。バレないように息を潜めたり、それはスリル満点の遊びだった。

 また、小学生の頃は、この場所の駐車場を出発点として、さくら通りを西にパレードする鼓笛隊の集合場所となっていた。私のパートはトランペットで、当時流行っていたダニエルブーンの「ビューティフルサンデー」とH小伝統の「錨をあげて」を演奏した。実家近辺を練り歩くので、家族総出で沿道にて声援を掛けられたりして恥ずかしい思いをした記憶がある。また、今の一本松の資生堂付近には福島テレビのテレビカメラが足場の上に設置され、私の顔が大写しになり、翌日学校で冷やかされた想い出がある。

 この場所は、私にとって、貴重な幼少時代のかけがえのない想い出がぎっしりと刻まれた場所でもあった。現在は、複合的な県の出先機関として、各部局が詰め込まれている。かつては県中教育事務所や建設局の出向機関があった。未だに古い佇まいで、まるで倉庫のごとく、狭い廊下にはロッカーが場所を塞ぐように置かれている。歴史的には価値があるが、役場機能を果たすにはお粗末で、何かみすぼらしい印象すら漂う。私は、ここは現役を退き、かつての由緒ある貴重な施設として、見学できるように保存整備すべきだと思っている。

Goucyo

 記事作成:9月5日(木)

2013年9月19日 (木)

松尾芭蕉~福島路を追って~

 最近、江戸時代に活躍した俳諧人・松尾芭蕉に凝っている。9月7日(土)に、目的を供にする職場の同僚と、松尾芭蕉が印した足取りを追って、福島市近辺を訪ね歩いた。よくよく考えると、これまでに私は、無意識のうちに松尾芭蕉ゆかりの場所を訪ねて、県内各地を相当数訪れていることに気づいた。それならば「奥の細道」で、彼と弟子の曾良が県内を縦断した足跡を追いながら、自分なりに集約してみたくなった。そこで、彼が辿った福島県内の足跡から見ていきたい。

 まず、彼が江戸の深川を出発点とし、遠路はるばる徒歩にて「みちのく路」を旅し、その先々で遭遇した風景や出来事について、彼自身が体得した感慨や雑感を俳句という手段で表現し、それを散りばめて完成した紀行文「奥の細道」に編纂したことは周知のところだが、彼が現在の福島県に入境したのは、旧暦でいう元禄2年4月20日のことだった。これを今の太陽暦(新暦)に直すと、初夏の6月7日にあたる。松尾芭蕉の健脚ぶりは、忍者説があるほど強靭なもので、一日50km以上を踏破することも珍しくはなかった。そこを足がかりとして彼が歩いた旅路を日付を追って記載し、合わせて私が訪れた日付と重ね合わせ、その名勝や訪問時の様子やエピソードを記載したい。

 元禄2年
 4月20日(太陽暦6月7日)

 境の明神ー奥の細道自然歩道ー白河の関(H25.8.14訪問)

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 4月21日(太陽暦6月8日)

 白河の関(白河神社)ー旗宿ー庄司戻しの桜ー関山ー白河市街ー踏瀬の松の木ー矢吹

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 心もとなき日数重ねるままに、白河の関にかかりて、旅心定まりぬ。

 4月22日(太陽暦6月9日)

 矢吹ー鏡石ー須賀川

 4月23日~4月28日滞在

 須賀川(相良等躬宅)ー長松院ー神炊館神社ー翠ヶ丘公園ー可伸庵ー軒の栗小公園

 風流の 初やおくの 田植うた  世の人の 見付ぬ花や 軒の栗

 4月29日(太陽暦6月16日)

 軒の栗ー乙字ヶ滝ー男滝橋ー八流の滝ー守山宿(田村神社)ー金山橋ー郡山

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 乙字ヶ滝はH25.8.14訪問 田村神社はH25.9.14訪問

 5月1日(太陽暦6月17日)

 郡山ー牛ヶ池ー奥州街道松並木ー蛇骨地蔵堂ー安積山ー太郎丸観音像ー本宮ー

 安達太良神社ー二本松ー黒塚(安達ヶ原)ー観世寺ー松川ー福島

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 松並木と安積山はH25.8.19訪問、二本松黒塚はH25.6.29訪問

 5月2日(太陽暦6月18日)

 福島ー文智摺観音ー月の輪の渡しー瀬の上宿ー医王寺ー大鳥城跡ー飯坂温泉(鯖湖湯)(H25.9.7訪問)

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 早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺

 笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟

 5月3日(太陽暦6月19日)

 飯坂温泉郷ー十綱の渡しー不動寺ー松原寺ー桑折ー藤田ー弁慶硯石ー貝田宿ー伊達の大木戸

 松尾芭蕉が福島県内に滞在したのは、須賀川市の6日間を最長に、実に13日間に上る。その間、芭蕉の目に写ったものは何だったのか。緑豊かな田園風景か。それとも代わり映えのしない殺風景な景色だったのだろうか。

 参考ブログ

 http://azusamaya.web.fc2.com/oku/index.htm

 http://www.asahi-net.or.jp/~ee4y-nsn/oku/aaslow.htm#mt1

 今回の記事のとおり、最近、松尾芭蕉の奥の細道にはまり、どっぷりと浸かっている気がする。同じ職場に志を共にする先輩がいるので、仕事の合間に松尾芭蕉談義に花を咲かせることもしばしである。あの大偉人の松尾芭蕉が、当地を訪れたことも奇跡だが、その350年後に同じルート、同じ訪問地を私が歴訪するのも何かの縁かもしれない。しかし、こうして古の歴史浪漫に触れ、今まで気づかなかった数々の奇跡に出会え、何気ない風景に心を寄せることも多くなった。普段では心を砕くこともないであろう事柄や場所に、ふと足を止めてどっぷり浸かってみるのも一興かと思う。忙しい日常を離れ、一時のオアシスを心ゆくまで味わいたいと思う年齢になったのかもしれない。

 記事作成:9月6日(金)

2013年9月17日 (火)

とにかく貴重な映像集

 今日は昭和を代表する「永久保存版」の貴重な映像を取り揃えてみた。懐かしさもあるが、珍重されて然るべき昔の動画集だ。「あの時君は若かった」を地で行くような映像をご覧下さい。もし好評ならば続編も考えたい。

 ON現役時代のカラー映像

 1960~1970年代のプロ野球界をリードし続けたONコンビ。ミスタープロ野球として球界トップに君臨し、スーパースターとしての称号を欲しいままにした長嶋茂雄と一本足打法を編み出し、世界のホームラン王としての地位を築き上げた王貞治。実は2人は好対照だった。燃える男としてチャンスにめっぽう強く、常に注目されるスタンドプレーで「動」のイメージが強かった長嶋と、地道な努力を重ね、苦労の末に栄光を勝ち取った「静」の印象が固定していた王。いずれも国民栄誉賞を受賞したふたりだが、両者とも大病を患い、ともに愛する夫人に先立たれるという不幸も降りかかった。彼らの生き様は人生そのものだ。

 巨人軍投手時代のジャイアント馬場

http://www.youtube.com/watch?v=Aii1rP-4ntI

 16歳で巨人軍入りした2mの巨漢だったジャイアント馬場。投手として入団したものの、その大きな体格が災いし、動きが鈍く、投手としては大成しなかった。しかも3年目には突然視力が衰えるアクシデントに見舞われた。診断の結果は脳腫瘍。短い現役生活に幕を下ろした。長嶋茂雄が入団した時に、初めてキャッチボールをした相手がこの馬場正平だったというエピソードが残る。しかし、彼はこのままでは終わらなかった。その巨体を生かし、プロレスラーとしての道を歩み、全日本プロレスの中心的存在として、生涯現役を貫いたのである。肝不全により61歳という若さで亡くなった。

 プロレス25年史はコチラ→ http://www.youtube.com/watch?v=sveDd_r-4_k

 未来の旦那さまとデュエット(山口百恵と三浦友和)

 実は私は「ラブラブショー」を子供の頃に見ていた。アントニオ猪木と倍賞美津子の出演回も生で見ていたし、この映像もしかと見届けていた。

 山口百恵に三浦友和が遠距離祝福電話

 大義のために死す~三島由紀夫の命懸けの演説~

 名作「金閣寺」の作家として知られた三島由紀夫。彼は昭和45年11月25日、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地の屋外バルコニーで、突如800人の自衛隊員を前に演説を繰り広げ、運命共同体としての決起を叫んだ。しかし、文字通り命懸けの魂の叫びも虚しく、願いが叶わぬと悟った彼は、割腹自殺という衝撃的な最期を遂げた。

 この実話は、後に緒形拳主演で映画化(1985年公開:A LIFE IN FOURCHAPTERS )されたのだが、私が高校時代に郡山市でロケが敢行された。しかもそれは、最も重要な、彼が自決する直前に行った市ヶ谷駐屯地での決起を訴える場面である。市ヶ谷駐屯地に似た造りの郡山市細沼にある「福島県合同庁舎」が使われたのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1:45:35以降)

 渥美清の伝言

 彼の「遺言」とも言うべき、彼がこの世を去る2年前のインタビュー映像。

http://www.youtube.com/watch?v=iPtX2Fofvak

 私は当ブログにおいて常々B型は、カリスマ的で国民的英雄になり得る天性の素質を持っていると説いてきた。スポーツ界では、野村忠宏、田村亮子、伊達公子、杉山愛、青木功、岡本綾子、長嶋茂雄、野村克也、イチロー、野茂英雄、清原和博、北島康介。芸能では、高倉健、森繁久彌、森光子、尾崎豊などがそう。その道の第一人者となり、代名詞として形容される人物となる。渥美清さんもまた然り。「男はつらいよ」の寅さんシリーズで、国民の圧倒的な支持を得、その飾らない人となりを慕い、誰からも愛された。

 原節子「1951年麦秋の一節」

 原節子といえば昭和を代表する銀幕の大スターの一人。小津安二郎作品に多数主演し、「永遠の処女」とまで言われた絶世の美女である。戦前から戦後にかけて活動し、日本映画の黄金時代を体現した。1963年に43歳で女優業を引退した。2000年に発表された『キネマ旬報』の「20世紀の映画スター・日本編」で女優部門の第1位にノミネートされている。小津の監督作品において、原節子が「紀子」という名の役(同一人物ではない)を3作品にわたって演じた、いわゆる「紀子三部作」の2本目にあたる作品である。1949年の『晩春』に引き続き、父と娘の関係や娘の結婚問題を主なテーマにしているが、本作ではそれがより多彩な人間関係の中で展開されている。現在もご存命。

 私はもちろん同時代を生きたわけではなく、私が生まれる1年前に引退されている。しかし、私の亡き父が、常々、スクリーン女優といえば彼女の名前をいの一に出すほど、大人気だったようだ。

 愛国から幸福へ(埋め込み処理不可のため、アドレスのみ掲載)

http://www.youtube.com/watch?v=aATCa9IJMW0

 昭和40年代に一大ブームを巻き起こした旧国鉄の広尾線にあった幸福駅。記念切符が飛ぶように売れ、日本全国からこの駅を目指し、カップルや鉄オタが大挙して訪れた聖地とも言うべき場所。私も北海道に住んでいた昭和59年と60年に訪れた。その頃はまだ廃止にはなっておらず、ディーゼル機関車がホームに滑り込んだ風景をしかとこの目で見届けた。まるで小屋のような小さな木造駅舎。そこに訪れた観光客たちが残した記念切符やメッセージが壁中に所狭しと貼られていた光景が今も胸に・・・。今はもう廃線となり、過去の遺物と化してしまった。栄枯盛衰を感じる場所である。

 記事作成:8月16日(金)~9月4日(水)

2013年9月14日 (土)

古代浪漫へのタイムスリップ

 最近の「進撃のチョイ旅」は留まるところを知らない。何かに追い立てられるかのように、週末になるとどこかへ出かけたくなる。実は、忙しい仕事からの現実逃避もいいところで、何か寒くなる前に、癒しを求めて「何処かに行ってしまいたい」という意識が働く。この8~9月に、俳人・松尾芭蕉の足取りを追う旅を繰り広げて来たが、芭蕉が訪れたとされている、守山にある「田村神社」を見落としていたため、ここだけはどうしても外せなかった。
 更に、8月末のKFBの自社制作番組の「ドミソラ」で紹介され、郡山東部にあり、千原礼子アナが訪れた150本鳥居で有名な「高屋敷稲荷神社」が気になって、そこをどうしても訪れたくなった。この2か所だけでは物足りないため、周辺の名勝旧跡など見所を模索したところ、一度ですべて網羅し、この目でしかと見届けたいとの衝動に駆られ、欲張りにも合計で9か所の訪問を企画した。このところ、週末に天候が崩れるパターンが続いたが、今週もその例に漏れず、台風襲来。秋の行楽シーズンも台無し。せっかくの3連休、気仙沼で解体が始まった第18共徳丸を見に行くプランもちらついたのだが、やはり天気が心配なので近場で堪えた。3連休中、土曜日だけが晴れ間が期待できることから、決行日をこの日に決定。しかるにその訪問先とは以下の通り。

 ①日和田町(西方寺)ー②蛇骨地蔵堂ー③高柴デコ屋敷ー④鹿島神社(ペグマタイト岩脈)

ー⑤雪村庵ー⑥白岩町(高屋敷稲荷神社)ー⑦小川蝦夷穴ー⑧田村神社ー⑨大安場古墳

 見ての通り、テーマはズバリ「古代浪漫に触れる旅」で、古代にタイムスリップしたかのような、大昔の人々の暮らしや文化に触れることで先駆者たちの偉業を讃え、同時に当時を偲びたい。

 約40km、約4時間コース 7:00自宅発で、半田屋経由でも12時前には帰宅見込み。

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 9月14日(土)くもり/晴れ

 6:40 起床 朝はひんやり肌寒いくらい。PC作業に没頭し、予定より出発が遅れる。
 7:54 自宅発。東原セブン廻り。バイパスへ。土曜でも交通量多い。台風のため風強
     い。23℃の表示。日和田から右折。ジョイフル方面へ。信号タイミング悪い。
     東北本線の高架橋の右の坂を下りる予定が、通り過ぎ、T字路を右折。緩やかな
     下り坂を下りる途中、右側に西方寺の駐車場を発見。旧4号沿いにあった。

 8:03 西方寺着。5.7km地点。大きな観音像が立つ。境内を通り抜けて墓地と田んぼ
     の一本道を左へ。100m離れた左側にお堂を発見。「蛇骨地蔵堂」に到着。
     いかにも歴史を感じる佇まい。震災の修復工事が終わり、綺麗な外観。墓参のお
     じさんとバッティング。その隣りにまるで傘のように広がった松の木。これが「笠
     松」。立派で風情を感じる。先客なし。無人。奥には何かの慰霊塔(おおきな石
           碑)が建つ。732年に別の場所に建立されたが、西方寺へ移築。1599年の大
           火で焼失。現在のお堂は1718年に再建されたもの。参道の途中に「日和田のイ
           チイ」という名木が立つ。旧国道側には火の見櫓が聳える。帰りは旧4号線沿い
     から駐車場へ。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-46.html

 8:14 西方寺発。郡山方面へ100mほど下りて、三春方面へ左折。もみじマークの軽ト
      ラに割り込まれ、スローペース。次に向かうは、久々の「高柴デコ屋敷」だ。
      昨春までの通勤ルートだ。小和滝橋を渡り、セブン前を左折。県道115へ。西
      田方面へ。前が詰まっているのにプリウスが煽る。西田中入口を通過。標識が
      あるので迷わず走行。やがて、標識から左折。山間に向かう。しかし、300mほ
            どで高柴の集落へ。片側通行あり。やがて古民家風の佇まいの集落へ。左折し
            て大黒屋の手前の駐車場へ滑り込んだ。

 8:25 高柴デコ屋敷着。13.4km地点。昔の彼女とデートで訪ねて以来22年振りの訪
     問。順路の表示に沿って歩く。民家の庭を跨ぐように設けてある。店自体は9時か
     ら開店のところが多く、まだやっていない。恵比寿屋の軒先を抜け、壁に三春駒
     の模様のある店でT字路。左に折れて小道を20mほど下がると井戸を発見。その
     右の建物が、大きな三春駒の置物が店先を飾る「彦治民芸」。店構えも前庭もと
     ても美しい。茅葺き屋根だ。店先にはお面や張子細工がたくさん展示。店内に入
     ると、主人がすでに製作作業を行っていた。店内には所狭しと民芸品が並び、天
     井には古いランプや古時計、年代物の写真機が吊るしてあったり、壁掛けてあっ
     たりした。有名人が数多く訪れているようで、あべ静江やシブがき隊、王貞治、中
     畑清、高見知佳、沢口靖子の来店時の写真が飾られてあった。天狗や十二支の
     張子細工、三春駒にキーホルダー、ひょっとこのお面なども販売されていた。店主
     がわざわざ明かりをつけてくれたが、意外にも値段が張って手が出ない。パンフ
     をもらって店を出た。標識に従って「夫婦桜」を見に、坂をアップダウンし左へ。土
     手を歩いて上り、写メ。周辺は朝一のせいか観光客は皆無。大黒屋まで戻った
     が、店内に入らず素通り。そのまま車に乗り込む。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail3-0-66.html

http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail4-0-129.html

 8:43 デコ屋敷発。左折して高野小学校方面へ。次は鹿島大神宮にあるペグマタイト
     岩脈だが、ナビや手書きの地図(略図)に頼らずとも標識あり。T字路にぶつか
     り、本宮方面へ左折して100mほど先ですぐ右折。沿道にマリーゴールドが咲き
     誇る整備された道へ。高野小の南側を通り、左折。見通しの良い下り坂で、道端
     に鳥居とそれらしき標識、左奥には社務所らしき建物が。しかし、駐車場らしきも
     のがない。しかも社務所の周辺は、雑草狩りの人たちの軽トラの群れ。一旦通り
     すぎ、Uターンして、やや広い路肩へ。
 8:48 鹿島大神宮着。17.5km地点。鳥居の下が細い砂利だが、そこを潜って車のま
     ま行けるようだ。鳥居が立つ入口には間違いなく「ペグマタイト岩脈」の標札が。徒
     歩で散策。あちこちで草刈機の爆音。社務所の右側が参道。急斜面の石段を上
     がる。いずれ磐梯山登山を目指すので、いい足腰の鍛錬になる。石段の途中に、
     クリスタルっぽい白の岩石があちこちにある。登りきった場所に、本殿。宮司や他
     の人たちが慌ただしく動き回っていた。清掃作業?左手が神楽殿。その間に高さ
     10m、幅5~6mほどのペグマタイト岩脈の岩群が聳え立つ。世界遺産もどきとし
     て取り上げたことがあるが、不思議にもその一帯だけに散在。周辺は杉林に囲ま
     れて、鬱蒼として静かな佇まい。パワースポットとしての厳かな雰囲気が漂う。帰り
     際、草刈りの人と話す。石川からずっと岩脈帯になっているとか、先の震災で本
     殿の石垣が崩れ、修復に500万円費やしたなど。ふと石段の脇を見ると、歌碑の
     ような石碑を見つけ、それを見ようと跨いだら、大きな蜘蛛の巣に頭を突っ込む。
     思い切り引っかかった。髪が蜘蛛の巣だらけに。振り払うがなかなかとれない。そ
     の石碑には薫風という文字が・・・。結構新しい歌碑だ。竹のようににょきにょきと
     白い岩石があちこち顔を出している。台風接近の影響か蒸し暑くなってくる。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-71.html

 9:04 鹿島大神宮(ペグマタイト岩脈)発。県道116へ。T字路左折。本宮から来た道と
     合流。更には西田方面から繋がる県道とも合流。そして延べ9年間通った通り
     へ。雷医院の交差点を右折。懐想記念館の前で工事の片側通行。ダンプに煽ら
     れながら、右へ折れて迂回路へ。

 9:09 雪村庵着。20.9km地点。狭い道にできるだけ路肩に寄せて駐車。晴れて急に
     暑くなる。ここを訪れるのは、3月30日に続いてのこと。通勤ルートで毎日通って
     いたが、桜の季節以外はいつ来ても閑散。前回は工事中で、柵があって中に入
     れず。今回は枝垂れ桜や朱塗りが美しい建物もすべて見物。竹林が周辺を取り
     囲む。昔のままの佇まいを残す。セミの鳴き声が響く。立て看板の説明によれ
     ば、雪村周継は16世紀初めから後半まで生きた禅宗の画僧・山水画やあ人物
     画、花鳥画を多く残した。晩年、この場所に居を構え、この建物の裏手の竹林に
     遺骨が葬られて、地元民によって供養されているという。見学中はあ訪れる客は
     なく、無人。寂しいが、侘び寂びを感じる。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-42.html

 9:17 雪村庵発。予定より45分も遅れての出発だったが、いつの間にか予定を追い
     越してしまった。ここは三春ではなく、なぜか郡山市なのだ。磐越東線沿いの道を
     行く。太田小分岐を直進。狭いブラインドを抜けて、バイパス分岐の交差点を直
     進。左に線路と緑の高速の高架橋、リオンドールも見える。先月にここまで「甘い
     香りのモカブレンド」を買いに来た。右折してR288へ。セブンイレブンの向かいに
     ある、ポケバイが天辺に備え付けてある「みそとんかつ」の看板を通過。やがて
     SLの写真が展示してあるかんのやゆべしの工場側へ左折。9:19に踏切を渡
     る。S字カーブの坂を上がり、三春町内から来る県道54へ右折して合流。しばらく
     進み、右カーブでイベント会場ののぼりが続くのを発見。「田んぼアート」の文字
     が。コースを逸脱して寄り道。左折して迂回路に入り、その道へ。坂を200m進む
     とそのイベント会場。

 9:23 鷹の巣田んぼアート会場。26.1km地点。でも誰もいない。道端に駐車。道路右
     側から見下ろすと、田んぼの所所が刈り取られ、何かの模様が。写真入りの説明
     板によると、三春滝桜の絵らしい。その左上に富士山という構図。しかし、高さが
     ないので、全体像をイマイチ掴めず。Uターンしてすぐ出発。本道合流。ゆっくり走
     っていたら、白のアルファードがバックミラーに。一気に加速して距離を空ける。そ
     のせいで、途中から右折して農免道路へ横切る予定が、ハーブガーデン近くまで
     来てしまう。慌てて、ナビを頼りに細い路地へ右折。田んぼのあぜ道で、対向車が
     来たらすれ違えないような細い一本道を西へ。あちこちカーブしながら、何とか農
     免道路へ。右折。ロードランナーが飛ばして坂を下りて、また登っていった。右折
     した場所が奏功し、200mほど坂を上がったら、左手奥に赤い鳥居群が見えた。
     シャッターポイントを通り過ぎてしまったが、左折し、砂利の広い駐車場へ。

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 9:31 高屋敷稲荷神社着。自宅を発ってから29.6km地点。ここは8月末の「ドミドラ」
     で千原礼子アナが訪れて紹介した場所。朱塗りの鳥居が100本以上連なる謎の
     スポットとして紹介。今回のチョイ旅の中でも、田村神社と並んでメインスポット。
     一旦写真を撮影するため、鳥居の途中から潜りながら一番下へ。ベストポイント
     を探して、田んぼの一本道まで進む。途中、蜘蛛の巣多数。鹿島大神宮の引っか
     かった蜘蛛の巣が取れなくて気落ち悪い。そして再び京都の伏見稲荷を彷彿させ
     る、朱塗りの鳥居が連なる参道を登る。この鳥居は個人のご芳志により建立され
     たものらしい。柱にその名前が書かれてある。小高い丘の斜面に沿うように鳥居
     が続く。郡山の身近な場所に、このような景観があったとは・・・。御鎮座300年の
     看板が。最後の急な石段を登り詰めた場所が本殿。中で数名が正座し、神主が
     祝詞を捧げ、ご祈祷を行っていた。お宮参り?その右に御札を奉納する社務所
     があり、も5~6本、鳥居があった。こんなに鳥居の数が少なかった筈はないと、
     それをくぐって探索してみると、そこから先の下り坂も鳥居が20本ほど連なり、こ
     ちらは舗装路で、車が潜って来れるようになっていた。しかも苦労して登ってきた
     のに、本殿の隣には駐車場もあった。パジェロのナンバーが49で始まっていた。
     やっぱこの不吉なナンバーもあるのだ。そして神社所有の車は白のエスカルゴ。
     その側面の荷台に大きなお札が貼ってあった。そして本殿の奥には、白狐社とい  
     う別棟の小屋のような建物が。見ると数多くの白い狐の置物が祭ってあった。稲
     荷神社なので、これは当然。本殿の前の木のベンチで座って休んでいると、その
     隣りの建物に若い女性がいた。ここで疑問に思っていたことをその方に尋ねてみ
     たくて声をかけた。すると、その女性はとても美しい顔立ちの20代くらいで、お言
     葉も上品で丁寧、今時、このような古風で落ち着いた物腰の女性がいるとは・・・。
     驚きだった。実は前の職場に関連して、私が間接的にお世話になった方が鈴木
     宮司ではないかと聞いてみた。案の定そうであった。私に素性を話、昔、ここで採
     れたお米や割り箸を頂いたことを知り、よろしくお伝えするようお願いした。ドミソラ
     は、突然取材にやって来たらしく、オンエアを見ていなかったらしい。その女性は
     おそらく宮司のお嬢様だと直感した。挨拶すると、畳に三つ指ついて丁寧にお辞
     儀をするほどだった。本日は大安なのでお宮参りをする方が多いという。丁重に
     礼を言ってその場を去った。訪れて良かった。

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 9:48 高屋敷稲荷神社発。県道に戻る。道端に路駐し、ベスポジにて全景を撮影。再
     出発。続いて向かうのは、知る人ぞ知る超マイナーな観光スポットである。剣道を
     アップダウンしながら進み、三春ハーブガーデンから登って来る道と交差。そのま
     ま突っ切り、下り坂へ。500m先正面に荒井浄水場の構造物が・・・。途中で路駐
     して写メ撮影。道なりに進み、やがて昭和シェルの大きなGSがある交差点で右
     折。宮城中のある地点なのだが、新しい大きな道路になっていて、校舎は確認で
     きなかった。県道54+県道65の通り。細い川沿いで、前のダンプがとろい。
     500mほどで方八町から霊園に続く道にぶつかり、左折して毎年3回通う道路
     へ。ダンプを交わし、青花園という植木屋の前を通過。やがてR49から繋がる交
     差点へ。ここを一旦、大安場公園のほうへ曲がり、すぐに左折。狭い一本道の下
     り坂へ。標識もなく、本当にこの道で合っているのかも確認できないまま進むと、
     左側にこんもりとした塚らしき風景が・・・。そしてその下の方の岩肌に幾つかの穴
     が空いていた光景を目の当たりにし、確信を持った。

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10:01 小川蝦夷穴着。38.4km地点。当初の予定より30分早い到着。ここは古代遺
     跡とも言うべき場所で、横穴式のお墓である。大小織り交ぜ10個程度、岩壁に穴
     が空いていて、そこに死者の遺体を安置したという。周囲はもちろん人っこひとり
     いない。今では誰も寄り付かなような陰の場所。写真を撮ってもいいものか思案し
     た。霊が写りこんでいたら怖いとか・・・。でもきちんと礼を尽くし、撮影した。向か
     い側には市の施設の建物と、周辺の案内図の看板。穴はとても人の遺体が入る
     のか疑問なほど狭い。昔の人は小柄だったという証明にもなる。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-123.html

10:04 小川蝦夷穴発。県道に戻って、R49までひた走る。
10:07 R49の守山地区のセーブオン(山中交差点)へ。そのまま直進してすぐに、右手   
     に田村神社の参道と鳥居が見えたが、肝心の駐車場が見当たらない。一旦守山
     の古い建物が軒を連ねる迂回路に入り、信号の手前でUターン。工事の資材置き
     場の手前に斜めに入る細い道を発見。そのまま分け行った。すると運良く、別の
     鳥居があって、そこに空き地を見つけた。しかし、そこにどうみてもデート中の高
     校生らしいカップルがいた。動じず、空き地に駐車。カメラが床に落ちてしまった。

10:09 田村神社着。ここはどうしても外せない場所だった。奥の細道を編纂した松尾芭
     蕉とその弟子の曾良が、須賀川からの道中、この神社を参拝したという記録があ
     るためだ。ここは、鹿島大神宮、高屋敷稲荷神社よりも急勾配の石段。参った。3
     度目の挑戦。途中で止まるときつくなるので、できるだけ上を見ないで、同じ歩調
     で登った。息切れ。山門には「鎮守門」の文字。そして左右には朱塗りの仁王像
     のような巨像が二体門番。なぜかわらじも吊るしてあった。山門をくぐったところ
     に、工事関係者が3人、休んでいた。挨拶をしたところ、「登りごたえあっぱい」と
     声を掛けられた。真正面に本殿、右にお清めの浄場などがあり、期待しなかった
     が、それは立派な神社だった。しかし、肝心の松尾芭蕉が訪れたことを記す説明
     書きも無いし、その痕跡らしき石碑もなかった。境内を一周してみたが、皆無。本
     殿には「大元帥」の文字が・・・。一応、礼節に準じて鈴を鳴らし二礼二拍一礼の
     作法で参拝した。奥には泰平寺の桜が高さ20mほどそびえ立っていた。この時点
     では天候は快晴。蒸し暑くて汗ばむ陽気に。9月中旬とは思えない。30℃を越す
     真夏日になる可能性十分。帰りは山門を潜らず、端伝いに歩き、急な石段を踏み
     外さぬよう一歩ずつ確実に下りた。まだ高校生カップルはいた。でもいちゃつくこ
     ともなく健全で安堵。明日は筋肉痛必至。    

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-80.html

 Wikipediaはコチラ

 ここは曾良随行日記によれば、間違いなくこの場所に松尾芭蕉と弟子の曾良は訪れている。訪問時、私は見落としてしまったが、ここの東側の石段の中腹に、彼が遺した句碑が建っていた・・・。

http://members.jcom.home.ne.jp/michiko328/tamurajinja.html

 個人のブログはコチラ

10:18 田村神社発。長居したつもりだが、結局10分足らずで見物を終えた。R49へ右
     折して合流。次は今回の古代ロマンに触れる旅の最終目的地の「大安場古墳」
     だ。平成12年に文科省の指定を受けた古墳だが、子供が小さい頃に訪ねて以  
     来10年振り以上の再訪だ。ラゴーやコカコーラ、アメ商の前を通過。5年前の深
     夜に、釣りに行く途中、速度違反で青切符を切られた大善寺の交番の前を通りす
     ぎ、やがて交差点をマイナス方面にもどる形で右折。300m先の黄色い「萬壽園」
     の大きい看板を左折。副葬品の形をモチーフにした資料館が見え、その頭上に
     は青々とした斜面が前方後方墳が2つ、まるでラクダのコブのようにそそり立って
     いた。バスの駐車場を避け、右側の一般者の駐車スペースへ。

10:24 大安場古墳着。43.8km地点。まずは、登山をくり返し、この暑さで喉がカラカ
     ラ。建物の外に自販機を見つけ。150円で綾鷹を購入。まずは乾ききった喉を潤
     した。お茶を飲みながら、建物内部へ。中は飲食・撮影禁止。ソファで寛ぎ、流さ
     れていた紹介DVDを見る。その後、他の客も現われた。資料館を一周。この場所
     が古墳と判明するまでの経緯や実際の発掘の模様、出土した遺骨や副葬品の状
     況などを再現する展示物や、実際に古墳から出土した品物も多数展示・陳列して
     あった。ここはどう見ても体験型学習施設の印象。スタンプを押印し、市の職員に
     断ってパンフを3~4種類頂き、屋外へ、いよいよ10年振りの古墳山頂へのアタ
     ック開始。案の定、私以外訪問客はいない。この数ヶ月、有名観光地を訪ねて
     も、私しかいないというお粗末さ。整備された遊歩道の階段を登る。これできょう4
     度目の山登り。足が重い。すぐに段差のある2つの古墳のてっぺんが見えた。左
     に円形の塚のような2号古墳があり、右側には高さが違う2段構えの後方墳が聳
     える。一旦階段を下がるのがもどかしい。改めて20m先の別の階段を登って山
     頂部分へ。

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10:37 前方後方墳に登頂成功!(大げさな)市内が一望できる。西側を見ると左に日
     大の巨大な校舎群、右には帝京安積の後者と、その奥に郡山市街地のビル群が
     眼下に広がる。しかしカンカン照りで暑い。水分が足りず、ペット茶がぶ飲み。こ
     の山頂部から遺骨や副葬品が発掘された。その部分はすでに埋め立てて、アス
     ファルトで固められているが、出土場面を再現するように、どこから何が見つかっ
     たかを記すように刻んで描かれてあった。東側は桜ヶ丘団地の住宅街。目の前が
          古墳整備されて、住民はどう思っているのか。やがて公園ルートから親子連れが
     登って来るのが見えたので、その場を離れた。そして階段を2つ下りて、隣りの円
     形の2号古墳へ。一周した。すると今度は犬を散歩しに来た女性の姿を見つけ、
     とっとと下山。足を踏み外さないように注意深く歩足を進めた。帰りがてら、自販
     機の脇のゴミ箱に飲み干した緑茶のボトルをポイ。車載温度計は28℃になって
     いた。

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http://www.kanko-koriyama.gr.jp/tourism/detail2-0-49.html

10:50 大安場古墳発。当初はここを11:50に出発する予定でいたため、1時間早くな
     った。勝因は、一箇所に長く留まっていないからだろう。単独なので、見学時間は
     さほどいらない。R49へ合流。信号待たず。「田村」の緑色の幟が風にたなびく。
     その後、銘酒「田村」を置いている酒屋の前を通り、その隣りには、「県庁郡山移
     転を実現しよう」の大看板が・・・。旧森永乳業があった交差点から右折。もう更地
     になっていた。シミズストアに入る車3台連続。ここで失敗に気づく。R49を直進し
     て芭蕉が歩いた同じルートを行きたかった。金山橋に架かる阿武隈川を渡ってい
     るのに・・・。田村工業団地内を通り抜け、左折して行合橋を渡る。ここから東部幹
     線までは大渋滞。迂回すればよかった。その後、右折して昭和ドライバーズカレッ
     ジ前を通過。そして朝食&昼食を摂る「半田屋」へ。転がり込んだ。

11:04 半田屋着。今日はいつもの玉子焼き・鮭・カツフライのセットとニラレバ炒めをセ
     レクト。更には納豆とめしミニ、味噌汁で540円。10分足らずで平らげた。大きな
     サーバーに冷水麦茶が作られてあった。冷えた緑茶と合わせて5~6杯飲み、乾
     きを癒した。その後は旧薬師堂火葬場&ドンキホーテの前を通り、逢瀬川沿いに
     右折。更に右折して旧国道に入り、また左折。4号線の下を潜り、会津街道へ合   
     流。ツルハ前で対向もみじマーク車が直前に右折して正面衝突の危機。変電所、
     踏切を渡り、工事中の迂回路を廻り、奥羽大の前を通過。ここでクリーニングの
     受け取りを忘れていたことを思い出し、ホワイト急便へ。ワイシャツ3枚と汗取りし
     たズボンだ。

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11:28 自宅着。何とか無事故無違反で帰宅できたのが幸いだった。当初より40分遅
     れての出発だったのに、1時間程度も早く帰宅できた。一箇所の見学時間は短く 
     て内容薄かもしれなあいがあ、私には十分なチョイ旅だった。

     所要時間 3時間34分  総走行距離55.1km   出費 150円 

 <後記>

  今回のチョイ旅は、地元ながら古代浪漫に充分浸れる内容のものだった。郡山に通算で40年住んだ者として恥ずかしいが、未だに知らない名勝や旧跡は多数点在していることがわかった。また、何の気なしに訪れた場所でも深く探求したり、資料を読んでみたりして調べてみると意外な新発見にぶつかるものだ。歴史を紐解くと、今までわからなかったことも新事実にたどり着くことが証明できた旅でもあった。また、体力が続くうちに、季節を追って再訪したいと思っている。

 記事作成:9月14日(土)

 <来週の予告>

 来週も3連休になる。今週は台風18号襲来で、行動半径を狭められたが、来週は一日は墓参りで塞がるが、残りの2日、錦秋シーズン前だが、少し早めの紅葉見物と洒落込みたい。混むのはご免なので、早朝出発で土湯峠から磐梯吾妻スカイラインを走り、吾妻小富士を徒歩で一周してきたいと考えている。小学生か中学生の頃に登った記憶があるが、それ以来ご無沙汰。35年以上振りで体験したい。後は天気次第だ。

 

  

2013年9月13日 (金)

お騒がせ事件簿

 最近、世の中を騒がせている事件と言えば若者の不適切な投稿による企業への損害を与える行為で、これが後を絶たない。どこかで自分を誇示したいのか、目立ちたい性分なのはわかるが、あまりにも常識を逸脱した軽率極まりない行動が多すぎる。こうした自分勝手(つまり自己中)な振る舞いは過去においてもあった。それが未成年ではなく、いっぱしの大人も例の漏れず、世間を騒がし続けた。日本全国には、他人の迷惑を顧みず、自分本位の生き方をして、大顰蹙を買う愚かな人間が山ほどいる。今日はそうした方々を取り上げたい。

 風船おじさん

 このおじさんは、東京都出身でピアノ調律師だった鈴木嘉和氏。
 1992年4月17日に風船で飛び立ち、民家の屋根に不時着する事故を起こした。府中署防犯課の警察官の制止を聞かずに、多摩川河川敷から千葉県の九十九里浜を目指してヘリウム風船で飛び立った。座った椅子に5メートルと2.5メートルの風船各2個を直接くくりつけて飛行していたが、おもりの15kgの砂袋2個が外れて急上昇して、予定の高度400メートルが5,600メートルの高度に到達したため、ライターの火で5メートルの風船を切り離したところ落下して、午後1時40分頃に出発地点から24キロメートル離れた東京都大田区大森西七丁目の民家の屋根に不時着した。しかし左手に怪我をした程度で済み、駆けつけた蒲田署員に謝罪しつつも、成功すれば次はハワイを目指す予定だったと語り、改めて再挑戦することを誓っていた。一方、民家は瓦が壊れ、テレビアンテナが曲がる被害を受けたが、弁償も挨拶もなかったという。

 1992年11月23日、当時52歳でヘリウム入りの風船を多数つけたゴンドラ「ファンタジー号」の試験飛行を琵琶湖畔で行う。120メートルまで上昇して一旦は地上に降りたものの、16時20分頃、「行ってきます」と言ってファンタジー号を係留していたロープを外した。「どこへ行くんだ」という三輪教授に「アメリカですよ」との言葉を返し、重りの焼酎の瓶を地上に落とし周囲の制止を振り切って、アメリカネバダ州サンド・マウンテンをめざして出発した。

 翌日は携帯電話で「朝焼けがきれいだよ」と連絡が取れたものの、2日後にSOS信号が発信され海上保安庁の捜索機が宮城県金華山沖の東約800m海上で飛行中のファンタジー号を確認した。しかし捜索機に向かって手を振ったり座り込んだりして、SOS信号を止めた。ファンタジー号の高度は2,500メートルで、高いときには4,000メートルに達した。約3時間の監視ののち雲間に消えたため、捜索機は追跡を打ち切った。

 以後、SOS信号は確認されておらず、家族から捜索願が出されたことを受け、12月2日に海上保安庁はファンタジー号が到着する可能性のあるアメリカ合衆国とカナダとロシアに救難要請を出した。1999年の取材によれば、2年に1度の捜索願を家族が更新しており、鈴木は戸籍上は生きていることになっているという。ただその時点で失踪宣告の手続きをしようかと思うようになったとも語っているが、未だ行方不明で、安否不明のまま。

https://www.youtube.com/watch?v=pDOZuDuG3q8

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 ゴミ屋敷おじさん

 平成17年(2005年)に我が町、郡山市でそれは起きた。連日、マスコミがこぞって取り上げて全国にその模様を報道したため、「郡山の恥」とばかりに、市が対策に乗り出した。

 福島県郡山市の男性が自宅に大量のごみをため込んで近隣住民から苦情が出るなど問題になり、郡山市は8日までに、集積場に出された家庭ごみを持ち去ることを禁止する条例制定の検討を始めた。8日、市議会の一般質問で市が明らかにした。

 男性が郡山市赤木町などで集積場からごみを持ち帰るなどしてため込んだ家は4軒で、それぞれ数百メートルの範囲にあり、すべて男性の所有。1メートル前後積み上げて庭や敷地を埋め尽くし、一部が路上にはみ出していた。

 これがマスコミに取り上げられてから、日本全国で同様のケースでゴミを溜め込んで屋敷化している事例が数多く報告されるようになった。

 このゴミ屋敷の主であるHおじさんは、2007年07月07日、午前10時45分ごろ、自宅前の市道上にポリバケツを放置していたことを、 近所の無職男性(73)に注意されて腹を立て、男性を押し倒して馬乗りになった上、顔を殴るなどして軽傷を負わせた。目撃した付近住民がH容疑者を取り押さえ、通報した。 福島県の郡山署は傷害の現行犯で郡山市赤木町11-×のこの無職のH容疑者(64)を逮捕した。

ニュースの詳細はコチラ→ http://news23.2ch.net/test/read.cgi/news/1183866015/

 あれから9年後の今年、再びゴミ屋敷問題で郡山市が脚光を浴びることとなった。市内で4軒の家を所有する男性が、路上にまで溢れんばかりのゴミを溜め込んだのだ。郡山市の行政代執行を巡り、独自の理論を展開し、再び全国ニュースに取り上げられる騒動を起こしている。

 2016/03/02に公開された全国ニュース

 福島・郡山市が、いわゆる「ごみ屋敷条例」に基づき、ごみの撤去命令を出している住宅­。撤去の期限を過ぎたが、変化は見られず、市は「改善の意思なし」と判断した。郡山市から、ごみの撤去命令を受けた住宅は、15日も、敷地内にごみが積み上げられて­いた。郡山市が、条例に基づき、ごみの所有者に撤去の命令を出したのは、2月1日。撤去の期限は、14日だった。
 近くの住民は、「全然だめだね。わたしらからすれば、早く代執行で、きれいにしてもら­いたいんだけど」、「何日か前、強風の日がありましたね。バンバン飛んできまして」と­話した。ごみの撤去命令が出されている場所は、郡山市内の4カ所。 郡山市によると、15日朝、市の担当者が所有者を訪ねたが、接触できなかったという。
 しかし、ごみの状況に変化がないことから、郡山市は「改善の意思なし」と判断した。2月29日には、条例に基づき、ごみ屋敷への対応を検討する審議会が開かれる予定で、­市が所有者に代わり、強制的にごみを撤去する「行政代執行」が行われる可能性が高まる­。

 その問題になっているのは、市内菜根に住む男性と判明した。なんと平成28年3月3日に郡山市がその所有者の男性の氏名を公表したところ、10年ほど前に赤木町にあるゴミ屋敷問題で悪名を売った男性と同じ人物であることが明るみになった。

氏名公表のニュース https://www.youtube.com/watch?v=jg6nvL84lbE

 おそらくは、逮捕されたことで赤木町内には居られなくなり、菜根に引っ越したものの、性格が変わる訳ではなく、結局は同じ行為を繰り返すしかなかったということか。

 どこの土地にもこうした独りよがりで近所迷惑な輩はいる。他人の迷惑を顧みず、自分勝手なことをして、苦情を言うと逆上して暴力を振るう。人生経験を重ねたいい歳をこいたおじいさんが、このような見境ない横暴な振る舞いをされると周囲は大迷惑。精神的に病んでいるとは察しがつくが、こういう輩はゴミ屋敷から豚箱に放り込んでおくべきで、改心し、町内会の全家庭に謝罪して回り、二度とこのような振る舞いをしないと誓うまで、外に出さないほうが社会のためだと思う。

 H28.10.12 ゴミ屋敷から火を出し、家主の男性が遺体で発見される

 深夜、このゴミ屋敷の所有者宅から火を出し、焼け跡からゴミ屋敷として注目と非難を浴びた家主、平野昭太郎氏が遺体で発見された。通路や共有部分は悪臭を放つということで3月に強制代執行で撤去されたが、居宅部分は個人の所有権内ということで、強制執行されなかった。家主は自宅内にも多くのゴミを溜めていたらしく、付近住民が最も恐れていた火災が発生し、家人が犠牲になるという最悪の結果を招いた。この家主の男性は一人暮らしで、身寄りもなく、無縁仏になる可能性が高いという。これを身から出た錆というべきか、自業自得と呼ぶべきか、それとも哀れな一老人の末路と言うべきか、言葉に困る。何とかは死ななきゃ治らないといったことが現実になった形だ。この男性、かつてはNHKの技術職員として40年以上も勤務したようで、市内の赤木町に住んでいたが、住民との折り合いが悪く、トラブルが絶えないことから、菜根屋敷に追いやられたものの、そこでもゴミを溜め込み、代執行される騒ぎとなり、全国的に負のニュースを発信した張本人。やはり神様は彼をお許しにはならなかったようだ。

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 騒音おばさん

 わざと迷惑行為に及び、町内会や近所を恐怖に陥れたおばさんがいた。CDラジカセで大音量の音楽を流し 続けて近所の女性に睡眠障害を負わせたとして傷害罪などに問われたのだった。その舞台は奈良県。

 奈良県生駒郡平群町の主婦が約2年半にわたり大音量の音楽を流すなどの方法で騒音を出し続け、それにより近所に住む夫婦を不眠・目眩などで通院させた事件。布団をたたいて大声で喚き散らしたり、夜中にラジカセで音楽を大音量でかけて睡眠を妨げるなど。2005年4月、傷害罪の容疑で奈良県警に逮捕され、2007年に最高裁で実刑判決が確定した。騒音を出す現場が被害者夫婦により録画、マスコミ各社に提供され、テレビのワイドショーで主婦が「引っ越し、引っ越し」と大声で叫ぶ様子が何度も流れ、騒音おばさんの名前で有名になった。

 人の振り見て我が振り直せではないが、人間なまじ歳を重ねると、なんでも自分の思い通りに行くと勘違いする輩がいる。思い通りにいかないことがあると、他人に八つ当たりして、さも自分の行いが正しいかを堂々と主張するのがこの手のタイプ。こうした反社会行動をとるには、不平不満などの心に闇を抱えているのは間違いない。

 私は個人的に大嫌いだったが、故・横山やすしもまた、勝手な振る舞いをして周囲に迷惑をかけまくった人物だと認識している。司会者の宮根誠司や政治家の橋下徹も独自の基準で物事を処理する傾向がある。いずれも私は好きではない面々。また、冬山登山での遭難や今年起きた、辛坊治郎氏のヨットでの太平洋横断冒険もまたしかり。この救助のために、海上保安庁が嵐の海で命懸けの救助作戦を展開。多額の税金が投入された。個人の夢を追いかけるのは勝手だが、そのために他人や家族を巻き込むことだけではやめてもらいたいものだ。
 それにしても何故か不思議なことに、身勝手な振る舞いで周囲に迷惑をかける方は、血液型がB型の人が多い傾向がある。束縛を嫌い、自由奔放でマイペース。その独自路線の行動が度を越すと他人への迷惑と受け取られかねない。ここで例に出した有名人の方も全員がB型という共通点がある。B型を悪く言うつもりは毛頭ないが、常識を逸脱した行為は、自分がよかれと思っても、周囲には迷惑にしかならないという点を認識して欲しいものだ。

 記事作成:8月31日(土)

 追記(9月12日)

 またしても海外で日本人が命を落とす痛ましい事件が起きた。今度は親日で知られるトルコで、しかも観光客が大勢訪れる世界遺産の「カッパドキア」で惨劇があった。新潟大学の4年生の女子大生2名が、暴行目的のトルコ人に襲われ刃物で首を刺されて死傷した。こういう事件が起きるたびに、神も仏もないものかと嘆きたくなる。まったく何の落ち度も罪もない被害者を、自己の欲求を満たす目的で襲い、殺害に及ぶ行為は鬼畜以外の何者でもない。そこにあるのは本能だけで、理性もなければ規律もない。そういう輩が海外にはうようよいるということだ。被害者となった女子大生の方もあまりにも無防備だったと言わざるを得ない。通常の観光コースではなく、人気のない山中の探索コースを、うら若き女性が2人で歩く行動はいかがなものかと思う。「犯罪に巻き込まれるのでは」という危機意識や身の危険を感じなかったのか。これはプランニングの問題で、十分に回避できた事例だと思う。日本人はあまりにも人を信用しすぎるし、日本と同じような振る舞いは海外では通用しないという点を肝に銘じて行動すべきだろう。
 昨年もルーマニアで、単独で行動し、空港で降りた途端に暴行目的で近づいた男に声をかけられ、疑うこともなく、その男の言われるまま車に乗り、無残で哀れな姿で発見された日本人女性がいた。あまりにも危機意識が欠如している。よもやアバンチュールを求めての軽率な行動ではあるまい。結果、甘すぎる判断が災いをもたらす結果となった。この点を日本人は猛省し、個人行動は慎み、安全な確実な観光ルートを選ぶことが肝要だ。命を奪われてからでは遅い。前途ある若者が、これ以上事件に巻き込まれないためにも、不用意な言動や行動は慎むよう願いたいものだ。 

2013年9月12日 (木)

物見遊山で訪れてはいけない場所

 今年の夏も、全国の川や湖、または海水浴中の思わぬ事故で大勢の方が亡くなった。まさか自分がその日、そこで死ぬなどと思わずに、死んで逝った人もいる。人の寿命とはなぜ儚いのか。全国にある事件事故の現場。そこでは大勢の方が命を落とした場所。それら大惨事になった場所を訪れる際は、決して心霊体験や軽はずみにも物見遊山で行ってはならない。亡くなった方に対し、心からご冥福を祈るような畏敬の念を持って行くべきだ。
 では、日本中に点在する、大勢亡くなった悲劇的な場所はどこかを列挙したい。しかし、スペースの関係で、東日本を中心にお送りしたい。西日本については、申し訳ないが、場所のみを掲載したい。

 苫前(三毛別羆事件)

 1915年に北海道開拓民の家を3mを越す巨大なヒグマが次々襲い、7名の死者を出した惨劇があった地。

  おぞましい事件の一部始終は、以前に掲載した「本当にあった身の毛もよだつ事件」をご覧ください。

 関連記事は下をクリック!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.youtube.com/watch?v=ijIcxPGDp2o

 詳しくは「吉村昭」著の「羆嵐」をお読みください。

 豊浜トンネル

 1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000m3・重さ27,000tと推計)が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した。死因は圧死で、即死だった。一週間後に坑内から運び出されたバスは、高さ1mほどのぺしゃんこ状態で、ビニールシートに覆われていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%B5%9C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 奥尻島

 1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者202人、行方不明者28人を出した(このため、奥尻島地震とも呼ばれる)。さらに、ロシアでも行方不明者3人。

http://www.youtube.com/watch?v=RsHT4LtwVhk

http://www.youtube.com/watch?v=YneZXe8gkig

 函館七重浜(洞爺丸事故現場)

 1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85

 北炭夕張炭鉱

 1981年(昭和56年)10月16日、北海道炭礦汽船(北炭、以下略称で表示)の関連会社が経営する夕張炭鉱の一つ、夕張新炭鉱(北海道夕張市)で発生したガス突出・坑内火災事故である。最終的に93人の死者を出す大惨事となり、日本の石炭産業の崩壊を早めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%82%AD%E5%A4%95%E5%BC%B5%E6%96%B0%E7%82%AD%E9%89%B1%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%AA%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

https://www.youtube.com/watch?v=Hxs291w3qYA

 南大夕張炭鉱

 1985年に三菱南大夕張炭鉱にてガス爆発事故発生、死者62人。この事故があったとき、私は事故現場から20km離れた岩見沢市に住んでいた。事故後、連日のように上空を報道取材のヘリが往来していたのを覚えている。事故の翌年、私は実際、事故現場の工場を訪れた。

 網走刑務所

 本来は刑務所は観光で訪れるべき場所ではない。しかし、ここは高倉健主演の映画「網走番外地」の上映後、北海道でも有数の観光地になった。また、吉村昭の小説「破獄」のモデルとなった「白鳥由栄」が脱獄した刑務所としても有名だが、「網走監獄」の異名があるくらい、厳冬期には、道路開発など重労働で獄中死した囚人が多かった。また、北海道開拓に仮出され、過酷の労働を強いられた末に、過労死や凍死する者も多かった。ここに送られてくる受刑者は、殺人などの凶悪犯がほとんどだった。

 恐山(青森県下北半島)

 下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、 高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。また、霊場内に数種類の温泉が 湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されている。標高878m。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せを聞く。

http://www.youtube.com/watch?v=hqq6wTUl2yg

 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件

 2001年5月8日午前10時49分頃、男(小林)が武富士弘前支店に強盗目的で 押し入った。犯人は現金を要求したものの支店長に拒否され110番通報されたため激怒 。店内にガソリンの混合油をまいて放火、逃走した。火災は店内に一気に広がり、店 延べ約96平方メートルをほぼ全焼 した。支店は3階にあり、小さな窓しかないという建物の構造も災いし、同支店の社員5人(当時20〜46歳)が炎に囲まれて脱出不能となりそのまま死亡。辛うじて脱出できた4人も重軽傷を負う惨事となった。
 早い段階で重要参考人としてタクシー運転手の男(小林)が浮上していたものの、小林が逃走中にアリバイの偽装などを行っていたため捜査は難航した。その後作成された小林のモンタージュの似顔絵や放火に用いた新聞紙などが決め手となり、2002年3月4日に逮捕となった。1審・2審ともに死刑判決が言い渡され、2007年3月27日に最高裁は小林の上告を棄却した。被告弁護人は同年4月2日判決の訂正申し立てを行ったが最高裁は同月12日付けで申し立てを却下。死刑が確定した。
 同年8月29日、仙台拘置支所にて小林の死刑が執行された。

https://www.youtube.com/watch?v=V377MekKo7U

 八甲田山(青森県)

 1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。

https://www.youtube.com/watch?v=b1SCGiUlvmE

 慰霊の森(岩手県雫石町)

 この場所は全日空の旅客機と自衛隊の戦闘機が空中衝突し、人間が空から降ってこの地に落ちてきた悲劇の場所。1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。

 岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。全日空機が墜落した現場は「慰霊の森」として整備され、三十三回忌に当たる2003年まで同所で毎年慰霊祭も開催されていた。現在でも地元住民や全日空社員によって大切に維持・管理されている。

http://www.youtube.com/watch?v=t32do07Hz7M

 次の動画は、不謹慎極まりない輩の投稿動画。最近、このような神聖な場所で、常識もない罰当たりな振る舞いを行う若者らが多すぎる。これを遺族が見たらなんと思うか。猛省を促したいし、やめてもらいたい。

http://www.youtube.com/watch?v=770fLVab4eE

 東日本大震災被災地(岩手・宮城・福島沿岸部)

 2011年3月11日午後2時46分。私たち被災者は、決してこの時刻を忘れるわけには行かない。誰も体験したことがない、あの連続する巨大地震によって、大津波が発生し、岩手県から千葉県まで東日本沿岸部まで大津波が襲来し、多数の犠牲者を出すこととなった。死者・行方不明者は2万人近い。宮古、大槌、山田、田老、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸町、女川、石巻、東松島、若林区、新地、相馬、南相馬、鹿島区、浪江請戸地区、小高、いわき市四倉久之浜地区、薄磯地区、豊間地区、江名、小浜、山田町。多大な犠牲者を出した場所を訪れる際には心して訪れて欲しい。間違ってもピースサインで笑顔で写真に収まるような非人間的な振る舞いは避けて欲しい。
 また、内陸部でも福島県の旧長沼町にある「藤沼湖」は、大震災でダム湖が決壊し、約150万トンもの水が簀ノ子(すのこ)川沿岸に流れ込み、下流にある滝、北町 両集落を襲った。7人の命を奪い、いまだ1人が行方不明のまま。

https://www.youtube.com/watch?v=vEaEaL5h9uA (閲覧注意)

 飯盛山・旧西郷頼母邸

 会津戊辰戦争の最大の悲劇として語り継がれる場所。

 飯盛山は、江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。

http://www.youtube.com/watch?v=iUQNIzsEXt0

 西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言しました。そのため容保公から怒りを買い、家老職を解任されました。戊辰戦争がおこると、家老職に復帰し、白河口総督として、戦いますが、「白河口の戦い」で敗れ、会津へ戻ります。その後、長男・吉十郎を連れて会津から脱出します。
西軍が城下町に乱入したとき、家族ら21人は、屋敷の中で辞世の句を残して自決しました。
http://www.youtube.com/watch?v=BhDk_2ZDKnU

http://www.youtube.com/watch?v=VQmdq-zZ4gA

 弥彦山神社(新潟)

 1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で大晦日から元日にかけて行われる二年参りにおいて、前年から始められた紅白の「福もち」蒔きに約3万人が殺到。拝殿に向かう者と、参拝が終わり戻る者とが中央の15段ある石段付近でぶつかり合い、滞留した。1月1日午前0時10分頃、この重さにより玉垣が崩壊し、支えを無くした参拝客が後ろから押し出されるように次々と石段下へ落下、折り重なるように倒れ込んだ。
 当時の弥彦神社は照明設備が整っておらず周囲が暗かった事、多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかった事も事態に拍車をかけ、この状態が午前1時近くまで30~40分間続き、死者124人・重軽傷者77人を出した。

http://www.youtube.com/watch?v=nJN-EvHVta4

 御巣鷹山(群馬)

 御巣鷹山は群馬県多野郡上野村にある標高1,639mの山である。ここで航空機史上最大の事故が起きた。1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、羽田発伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。

http://www.youtube.com/watch?v=0W_7uS3HVpY

http://www.youtube.com/watch?v=ciDERYL06lk

https://www.youtube.com/watch?v=3FlEcDkEEWg (閲覧注意)

 ホテルニュージャパン跡地(東京)

 1982年(昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故。33人の死者を出した。火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。主に火元の9階と10階が中心に同日12時半過ぎまで9時間にわたって燃え続けた。炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。東京消防庁の調べでは、出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因であった。

 この火災でこのホテルの設備が欠陥だらけだと判明。スプリンクラーはただの飾り。増築を重ね、避難経路は極めて複雑。社長の横井英樹は悪玉に挙げられ、一方、命懸けで救助活動に当たった東京消防庁レスキュー隊の隊員は英雄視された。

http://www.youtube.com/watch?v=BszKkM2nmAU

 この翌日には羽田沖で日航機が着陸に失敗して墜落。多数の死傷者を出した航空機事故が発生したため、前日の火災が薄くなってしまった。流行語を生んだ逆噴射という言葉が有名になったが、乗客を見捨てて真っ先に救命ボートに乗って救出されたK機長。連日世間の非難を浴び、マスコミに叩かれた。

http://www.youtube.com/watch?v=wes8j5gufuo

 新宿西口バス放火事件(東京)

1980年8月19日(火)21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番乗り場で、発車待ちのため停車中だった京王帝都電鉄の運行する中野車庫行きバスの車内に、男が後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両後方へ投げ込んだ。火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。
 刑事裁判で、検察側は犯人に死刑を求刑したが、一審の東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護・検察双方が控訴したが、二審の東京高等裁判所も一審判決を支持。犯人は罪の重さを認識してか「死刑になってみんなにお詫びしなければ」と語っており、死刑になると考えていたが、無期懲役=無罪と勘違いしたのか、「罪にならないんですね」と言った後で傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座した。犯人は1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

http://www.youtube.com/watch?v=3dvFQEFHG3A

 地下鉄日比谷線・千代田線・丸ノ内線(東京)

 1995年(平成7年)3月20日に東京都の 地下鉄で宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発 テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件である。霞ヶ関駅、国会議事堂前駅、小伝馬町駅。

http://www.youtube.com/watch?v=UvM_s1FotsU

 秋葉原通り魔無差別殺傷事件現場

 2008年(平成20年)6月8日に東京都 千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷した。 マスメディアや本件に言及した書籍においては「秋葉原無差別殺傷事件」として報じた。
 2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員である加藤智大の運転する2トントラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷した。さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。
http://www.youtube.com/watch?v=D6D-pKCh3TM

 新宿歌舞伎町雑居ビル火災現場跡

 2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル(みょうじょう56ビル)」で起きた火災である。44名が死亡し、日本で発生した火災としては戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であった為とされる。出火原因は放火とみられるが、2013年7月時点では未確定である。

http://www.youtube.com/watch?v=LSfNju4yD-M

 硫黄島

 1945年2月19日 - 1945年3月26日は、太平洋戦争末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。未だに収集されない遺骨が多数残されている。

http://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY

 玄倉川(神奈川県)

 1999年8月13日より玄倉川の中州でキャンプをしていた横浜市内の廃棄物処理業者の男性社員、子供6人を含むその家族、さらに社員の婚約者・女友達を含む18人が、翌日の熱帯低気圧の大雨による増水によって流され、社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の13名が死亡した。当日は、ダム決壊の危機に有り、放水のため、ダムの係員が二度も警告したにもかかわず、指示に従わずに居座り、放水によって急激に増水した激流に飲み込まれて流され、みすみす命を落とした現場。

http://www.youtube.com/watch?v=p-CQe8sRm8Q

 碓氷峠(群馬・長野)

 碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境に ある日本の峠である。標高は約960 m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺 である。熊の平トンネル工事中、土砂崩壊が発生し、復旧作業中の職員と駅前にあった職員用宿舎5棟を直撃。作業中の職員38名と宿舎に居た家族12名の合計50名が死亡、24名が重軽傷を負うという大惨事となった。
また、明治26年(1893)、明治政府が威信をかけて建設した横川~軽井沢間の旧碓氷線。
まだ重機がない時代、標高差553m、約11kmの今では考えられない難所を工事期間わずか1年半で完成させた。レンガ焼きから建設までの、この凄まじい突貫工事を完成させたのは囚人や朝鮮人に対する強制労働によるもの。工事期間中の死者は500名にものぼっており、ここで噂される幽霊は事故死した工事関係者とも言われている。
 特にアプト道の終点にあたる、めがね橋は幽霊出没の噂が絶えない。1892年(明治25年5月15日)水害による崖崩れ害。10日頃よりの連日の雨のため第16トンネル東口の国道に接する崖の高さ15間巾20間崖崩れ。工事の宿泊所1棟を全壊、3棟を半壊して4人圧死し、3人負傷した。

 山梨県旧上九一色村跡

 かつてのオウム真理教の拠点があった。サティアンと呼ばれる施設が点在していた。猛毒サリンを精製していた建物や、信者と共同生活を送っていた建物、修行と称して頭に電流を流すヘッドギアを被せ、洗脳して行った。警官隊が毒ガス警戒の鳥を携えて、麻原彰晃を逮捕するため、その異様な建屋に乗り込んで行った光景を覚えている。

http://www.youtube.com/watch?v=ZRVU77I-8ko

 富士青木ケ原樹海

 自殺の名所。一度散策路を離れて森の中に迷い込めば、磁石やGPSが受信できない迷路へと入り込む。年間50体以上の自殺遺体がみつかることでも知られている。

http://www.youtube.com/watch?v=JCt2pd0PhQQ

 静岡日本坂トンネル火災

 1979年(昭和54年)7月11日18時40分ごろ、東名高速道路 日本坂トンネル下りトンネル内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む追突事故が起きた。直前に前方で交通事故が起き、トンネル内で事故渋滞が発生していたが、これに気がついた大型トラックが急ブレーキをかけた。しかし、後続の鋼材10トンを積んだ大型トラックが前方不注意でよけきれずAに追突。この大型トラックBにサニーが追突。後ろを走っていたセドリックは追突した3台を左へ避けて大型トラックBの側部に接触して停車。乗用車の後ろを走っていた、合成樹脂を積んでいた大型トラックはなんとか停車したが、これに松脂を積んだ大型トラックが時速100km/hで追突した。Dによって大型トラックCは前に押し出された。サニーは大型トラックCに押されて大型トラックBの下部に車体全体がめり込み、セドリックは車体後部をCに潰され、漏れたガソリンが発火。
 上記の多重衝突で、大型トラックBとDの運転手、サニー乗車の2名が即死。セドリック乗車の3名も脱出できず焼死。あわせて7名が死亡し、加えて2名が負傷した。合成樹脂や松脂といった可燃性の強い積載物も災いし、火はトンネル内で道を塞がれ立ち往生した後続車に次々に燃え広がった。トンネルはスプリンクラー設備や排煙装置など当時最新の消防用設備を備えていたが、火災の勢いが強すぎて有効に機能しなかった。死亡者以外のドライバーや同乗者たちは全員無事に避難できたが、鎮火まで65時間を要した。日本の道路トンネルにおける火災として史上最大規模の事故である。

https://www.youtube.com/watch?v=4INUdLHBuoc

 あさま山荘(長野県)

 1972年2月19日から2 月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」 において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。
 日本の新左翼組織連合赤軍のメンバー5人(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が、浅間山荘の管理人の妻(当時31歳)を人質に立てこもった。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うが難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。人質は219時間監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。
 酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めた。2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%に達した。

https://www.youtube.com/watch?v=WD8dBvKO-Pc

 その他(東日本地区)

 他にも、世田谷の一家殺害の現場となった民家や八王子のスーパーナンペイ大和田店など、むやみに近づいてはいけない場所は数多く存在する。東京丸の内で起きた「三菱重工ビル爆破事件」現場や鶴見駅、三河島などでも多数の死傷者を出す鉄道事故が起きた場所だ。板橋処刑場跡や鈴ヶ森処刑場跡地などを訪れるのは危険だ。

 以下、西日本については、場所のみを掲載。

 黒四ダム(富山県)、東尋坊(福井県)、関ヶ原合戦場(滋賀県)、大阪千日デパート跡(大阪府)、大阪教育大附属池田小学校(大阪府)、三菱銀行北畠支店(大阪府住吉区)、津山事件現場(岡山県貝山地区)、明石歩道橋(兵庫県)、福知山線脱線事故(京都)、化野念仏寺(京都)、広島平和記念公園(原爆ドーム)、三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)、大洋デパート(熊本市)、雲仙普賢岳(長崎県)、沖縄(ひめゆりの塔・ガマ・平和の礎)

 もちろん、合戦場や戦争の激戦地となった場所や殺人事件現場、処刑場、墓地、霊場、心霊スポット、廃病院、廃校、廃トンネル、曰くつきの廃墟、自殺の名所等・・・。

 最後にこのブログを読まれた方へ

 このような場所は、人が大勢亡くなっている。死霊に呼ばれたり、とりつかれる恐れ大。絶対に肝試し的は安易な発想では近寄らないことだ。日本人の悪い点は、場所に関係なく写真を撮りまくり、おまけに大勢死んだ場所でも笑顔でピースサインしてしまうことだ。TPOをわきまえた分別ある行動をお願いしたい。

 くれぐれも下記のような、観光気分としての軽率な発想と浅はかな考えで訪れて、失礼極まりない行動、および絵文字などを使った軽薄な表現を使った訪問記などの掲載は死者の御霊への冒涜であるため厳に慎んでほしい。

 http://ken692.blog118.fc2.com/blog-entry-652.html

 記事作成:8月24日(土)~25日(日)

 追記

 この記事を書いたのは1年半前ですが、平成27年1月20日(火)にアクセス数が急伸したことを受けて、記事を再点検した結果、誤記や変換ミスが多数あることがわかりました。よって訂正等を行い、翌21日(水)に再アップしました。
 なお、誤字や脱字など、お気づきの点があれば、コメント等でお知らせください。(SUZU)

2013年9月 9日 (月)

郡山の魅力再発見!②~悲恋物語~

 郡山はその昔、奥羽街道の宿場町として栄えていた。故に、歴史に名を轟かせる有名な偉人たちの足跡が残る土地柄でもある。それには、真偽のほどは定かでないものの、神話に等しいような歴史上の人物の言い伝えや伝説めいた話が幾つある。念のため断っておくが、私は郷土研究家でもないし、まして歴史愛好家でもない。ただのもの好きが高じた好奇心オヤジである。

 初回の松尾芭蕉に続く第2回目の今日は、鎌倉時代に、愛する源義経を追って奥州路を旅し、悲劇のヒロインとしての末路をたどった、かの有名な「絶世の美女」と誉れ高い「静御前」に纏わる逸話である。信じる信じまいは受け手の勝手だが、ここ郡山に遺る、古くからの伝記を紐解いてみよう。

 まずは、静御前の生涯について振り返りたい。

Sizukagozen  生没年不詳。平安時代末期から鎌倉時代初期の女性、白拍子。母は白拍子の磯禅師。源義経の妾。
 『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。

同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は

                                                               

しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな
(倭文(しず)の布を織る麻糸をまるく巻いた苧(お)だまきから糸が繰り出されるように、たえず繰り返しつつ、どうか昔を今にする方法があったなら)

吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)。

と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。閏7月29日、静は男子を産んだ。安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。9月16日、静と磯禅師は京に帰された。憐れんだ政子と大姫が多くの重宝を持たせたという。その後の消息は不明。

 静の死については諸々の伝承があるが、はっきりしたものはない。自殺説(姫川(北海道乙部町)への投身、由比ヶ浜への入水など)や旅先での客死説(逃亡した義経を追ったものの、うら若き身ひとつでの移動の無理がたたったというもの。静終焉の地については諸説ある)など列挙すればきりがないが、いずれにせよまだ若年のうちに逝去したとする説が多い。

  •  福島県郡山市には、平泉での義経の訃報を聞いた静御前が身を投げたと言われる美女池や、その供養のために建立された静御前堂がある。
  •  この伝記を知り、 私がそこを興味半分に訪ねたのは、この夏のことだった。チョイ旅の道すがら、8月17日(土)に静御前堂を、そして8月24日には、彼女が命果てた場所としての伝承話が残る美女池を歴訪したのだった。

     静御前堂(H25.8/17訪問)

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     案内板によると「静御前堂は里人が静御前の短い命をあわれみ、その霊を祭ったのがこの堂であると言い伝えられています。静御前は、平家滅亡後、頼朝に追われて奥州の藤原秀衡のもとに下った義経を慕い北に向かい、この地までたどりつきましたが、すでに義経は平泉にたったと聞きとほうにくれてついに池に身を投じたという言い伝えがあります。かつぎを捨てた所が「かつぎ沼」(大槻町南原地内)、身を投じた池が「美女池」(大槻町太田地内)であると伝えられています。また、静御前は乳母と下僕の小六を共にして来ました。小六の碑もここに残っています。小六の碑があるのは、全国の静御前遺跡の中でも例が無く珍しいものです。 郡山市観光協会 」とあります。静御前堂は三間四面の宝形造り、鉄板葺きの建物で一間の向拝が設えられ天明年間(1781~89)に造営したとされます。床下には石造塔婆が安置されていて郡山指定重要文化財に指定されています。背後には古墳時代後期につくられた針生古墳があり郡山指定史跡となっています。

     美女池(H25.8/24訪問)

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     美女池は静御前伝説の残るところである。源義経の奥州下りの跡を慕い、従者小六、乳母のさいはらとともにこの地までやって来た静御前が、小六の死と平泉までのあまりに遠い道のりへの落胆から、乳母のさいはらと共にこの池に身を投じたとされている。それにちなんで毎年3月28日、郡山市では御霊を祀る「静御前堂」で例大祭を行なっている。

     また、美女池から東北自動車道を挟んだ西側」(大槻町南原地内)には「かつぎ沼」があり、ここで静御前がかつぎものを捨てたという言い伝えが残っている。

     <関連ブログ>

    http://homepage2.nifty.com/Tetsutaro/Top/Hyoshi-Shiseki/Shiseki01.html

     さて、これらの伝説はの真偽は不明だが、このような話が残るからには、根も葉もないようなでたらめではなく、何かしらの証拠に値するような痕跡があって、それを確証として後世に伝わっているからだろう。確かに義経や静御前に纏わる伝説は、日本全国に存在する。一説には平泉で討たれたとする義経の死亡説が有力だが、それは影武者で、義経自身は蝦夷地に逃げ延び、その後、大陸に渡ってモンゴルのチンギスハンになったという北記行説まである。当の静御前も、様々な憶測が多様な伝記を生み、そこかしこに伝説として伝わっているのも事実。自殺説(姫川(北海道乙部町)への投身、由比ヶ浜への入水など)や旅先での客死説(逃亡した義経を追ったものの、うら若き身ひとつでの移動の無理がたたったというもの。静終焉の地については諸説ある)など列挙すればきりがないが、いずれにせよまだ若年のうちに逝去したとする説が多い。墓もまた兵庫県淡路市、埼玉県久喜市、新潟県栃尾市などに存在する。

     様々な憶測を呼び、伝承されてきた静御前の末路はいかがなものだったのだろうか。追っ手から逃れる身であった義経が、命からがら当地を訪れ、駆け抜けるように縦断したのは揺るぎない事実だし、その愛する義経を追って、奥州路を旅したのもまたありえる話だ。いずれにしても、歴史の重要人物であるこのふたりが、郡山に足跡を遺した事実を正史として考えたいのは、郡山市民共通の願いであろう。これを研究したり、彼らの足跡に触れることで、壮大な歴史絵巻に思いを馳せ、古の偉人たちに畏敬の念を払う機会を得られるのである。郡山に義経と静御前あり。それは900年の時を越えて辿り着いた、現代の歴史浪曼を掻き立てる格好の材料になり得るものである。

     記事作成:9月1日(日)

      <追記>

     H25年9月10日(火)の「めざましテレビ」を見て驚いた。何と私の大好きなお天気キャスター、長野美郷ちゃんが、郡山からお天気生中継。しかもその場所が、カルチャーパークの駐車場からだった。仕事がなければ、美郷ちゃんを生で見に行ったのに・・・。こんなに近い場所まで来てくれたのに、マジで悔やまれる。

    2013年9月 7日 (土)

    奥の細道を辿る旅路~福島市周辺~

     9月に入っても怒涛のチョイ旅ラッシュは続く。今回は9月4日(水)に休暇をとって単独強行しようと練っていたが、3日に台湾旅行に同伴した職場の同僚から誘いを受け、土曜日に変更した。予定としては、メインに県立美術館で開催中の伊藤若冲展を据え、加えて松尾芭蕉の足どりを追い、更には飯坂温泉周辺で、彼や歴史上の人物にゆかりのある寺院を巡ろうという腹積もり。しかるにその予定行程とは・・・。

     ①県立美術館(伊藤若冲展)ー②中華料理「万里」ー③文知摺観音・石ー④医王寺ー

     ⑤飯坂温泉街(駅・松尾芭蕉像・鯖湖湯)ー⑥大鳥城ー⑦松原寺ー⑧中野不動尊

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     では当日の模様をお送りしたい。9月7日(土)

     8:23 自宅発 天候はくもり。分厚い雲で照度不足。肌寒いのに半袖短パン。
          白のオデッセイとろい。
     8:28 同僚宅発 4号バイパスに乗る。交通量多いが流れはまぁまぁ。21℃表示。
     8:38 本宮IC通過。車内では松尾芭蕉談義。信号停車時「相馬物流」のダンプ運転
         手、ゴミクズを平気で投げ捨てる。こういう輩に運転させるな!
         本宮の手前左側の田んぼに石碑。「ひととり橋の戦い」の古戦場。これも初耳。
     8:50 二本松分岐。バイパスは80km/hペースで流れている。
     9:08 伏拝交差点。順調。同僚、走行中のメモ書きに慄く。弁天山鬱蒼として気色悪
         い。

     9:16 大仏橋渡って左折。県庁前。9:20福島駅前。ここまで44.5km。芭蕉と曾良の
         像見えるが超ミニサイズ。左折して曽根田方面へ。青信号になって交差点を渡っ
         たら、後続がついてこない。変速信号?Y字交差点を美術館方面へ右折。見覚え
         のある並木道の通り。右カーブした正面に図書館と隣接の美術館が見える。すで
         に人が大勢並んでいる。最後尾のプラカードを係員が示して整理。左折して駐車
         場へ。何とか一番奥に縦列駐車。他県ナンバーばかり。

     9:26 県立美術館着。「伊藤若冲展」を観賞。この展覧会は、東日本大震災復興のた
         め、被災三県(岩手・宮城・福島)で開催。プライスコレクションと銘打って、プライ
         ム氏所蔵の絵画類を貸出して実現したもの。9月23日までだが、土日は連日、
         満車になるほど超満員。既に200人以上が列。周囲は秋の装いなのに、自分は
         半袖短パン。場違いの格好。曇り空で肌寒いくらい。円を描くように列に並び、25
         分待ってようやく9:58に受付へ。800円で入場券を購入。同僚とはそこで一旦
         別れ、自由見学。台湾の故宮博物館ほどではないが、土曜日なので人の波でご
         った返し。まずは来場記念スタンプを押して中へ。パンフ取り忘れ、戻る一幕有
         り。ショーケースの中の作品を列に並んで覗き込むが、ゆっくり観賞していられな
         い。来場者、20代~80代の女性が多い。若くて美人も多数来場。若冲にたどり
         着くまでに疲れる。水墨画や油絵、水彩画まで多数展示。円山応挙や応震の名
         画も多数展示。でも作品よりも人を見に来た感じで、気づかれ。私が目を引いた
         のは、応挙の作品も秀逸しているが。花鳥風月が際立った作品が目白押しだが、
         鶴や虎、猿、像などの動物を描いたもの。我々が今日訪れる、義経物語で、身代
         わりとなって討ち死にした佐藤忠信と継信の絵巻も物語風に描かれてあった。ま
         た、文庫本サイズで描かれた、源氏物語も細かい絵づらに人気が集中。私自身
         も鮮やかで細かい描写の技法に魅了された。達磨、柳の下の幽霊も迫力があっ
         た。濃淡、陰影に優れ、立体感がある絵が多かった。36歌仙なのに35人しか描
         かれていない構図や屏風絵も数多く展示されていた。1年を通し、各月の代表花
         と季節の風物詩のコラボ作品も目を引いた。他にも動物園をテーマにしたコーナ
         ーや美人が専門もコーナー(なぜかタイトルが「恋文」ではなく「ラブレターを読む
         美人」)もあった。狐の嫁入りの作品も、その細やかさに圧倒された。これで800
         円は安い。なかなかショーケースの前に立つのが難しいほどの混雑ぶりだった。
         11:15に外の売店前で待ち合わせだったが、100作品あるうち、80番代以降
         の若冲の作品が展示されているコーナーへ辿りついたのが10:58.のこり15分
         程度でメインを観賞しなければならない。あまりここで時間を取ると、本日盛りだく
         さんの行程を消化できなくなる。「ブドウの木」の水墨画は圧巻。そこで人だかりが
         できた。「足をなめるトラ」も立体感がすごい。オーラスは、小さいタイルを貼り合
         わせたような巨大な横長の「鳥獣花木図屏風」。説明図も長い。11:12に待ち合
         わせ場所へ。すると同僚が鑑賞中、ふと、隣りに福島市在住で、職場で私の座席
         の隣りの女性同僚と鉢合わせになったという。偶然にしては出来すぎ。次の予定
         があるので、そこで見学終了。外へ。朝方より、更に人の列が長く続いていた。
         広場から車に戻る際、旅館やまとが確認できた。ここは曰くつき。私も泊まったこ
         とがあるが、昨年、除染で連泊している工事関係者が酔っ払って女風呂を覗いた
         りする事件が頻発したり、苦情が多い旅館。昔の民宿そのもので、隣りの声はバ
         ンバン聞こえるし、畳は古くてダニやゴキブリまで出そうな部屋だ。注意されたし。

    Img_1920_r Img_1921_r

    http://www.art-museum.fks.ed.jp/exhibition/jakuchu.html

    11:19 県立美術館発。帰り道、この駐車場に入ろうとする長い車列が300mほど続い
         ていて大渋滞。朝のうちでラッキーだった。駐車場所も確保できたし、並ぶのも30
         分かからなかった。ここから交差点までも長い列で、信号3~4回待ち。次は西口
         のビューホテル地下にある「万里」という中華料理店で昼食。立体でJRと新幹線
         の間を渡らずとも、その手前を右折し、2つの踏切を渡って、駅西口へ。そしてビ
         ューホテル前を右折。200mほど離れた場所にあるゲート式の専用駐車場へ。

    11:35 福島ビューホテル駐車場。ほぼ予定通り。ここまで48.1km。歩いて戻る。
    11:41 中華料理「万里」着。テーブルは10席程度。幸い、予約なしの飛び込みで4人が
               けソファー付きのテーブルを確保。昼食飲茶ランチのみ。大人1,500円でメイン
               ディッシュやデザートを1品ずつ選び、それ以外の8つの料理は1時間の制限時
         間で食べ放題というシステム。ワゴンで女性店員が運んでくる。主菜は牛肉とピー
         マンの炒め、デザートからは胡麻団子をチョイス。烏龍茶は4~5杯おかわり。食
         べ放題の飲茶はシュウマイ、小龍包、海老蒸し餃子、翡翠餃子、春巻き、水餃
         子、焼き饅頭を食べた。どれもパリパリで、プロの技が凝縮。また、鮭入り炒飯が
         旨くて、2杯おかわり。スープも美味。サラダと漬物も付いて十分満腹。デザート
         は、胡麻団子が2つ入りで、メタボには最悪の状況。中華料理は苦手だったが、
         舌ベロ麻痺の辛い料理はセレクトしなかったので、何とかやりそこねた。12:45 
         までだったが、盛りだくさんの行程を控え、12:40に切り上げて会計。いつ来れる
         かわからないが、スタンプカードを作ってもらった。3時間無料の駐車券も貰う。I
         崎さんというべっぴん店員さんが処理。鼻が高く、シンクロ選手似。

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    http://www.fukushima-viewhotel.jp/restaurant/banri/

    12:50 駐車場発。架線の立体交差を渡り、直進なのに間違えて右折レーンに入ってし
         まい、遠回りして元の路線に。信夫山方面へ向かい、右折。
    13:00 サタふくが終わったばかりのFTVの社屋の前を通過。4号線にぶつかり、左折し
         て合流。緑色が派手な福島赤十字病院の前を素通り。
    13:07 岩谷下交差点を右折。片側2車線の広い道路へ。阿武隈川にかかる橋を渡る。
         標識とナビを頼りに歩道橋のあるY字路を左折し、文知摺観音方面へ。県道317
         だ。しばらく進むと正面に文知摺観音の文字が。行き過ぎて、戻るように駐車場
         へ。
    13:13 松尾芭蕉も訪れた文知摺観音着。55.6km地点。ノート記入。小さな川の向か
         い側に鐘楼。小川の橋を渡ると、右手にいきなり松尾芭蕉の立派な銅像が。しか
         し、拝観料を支払う社務所に看板が・・・。なんと「8/17~9/30まで除染作業中
         につき拝観できません」の文字が・・・。本来なら400円かかる。作業員はジェット
         噴水の音もけたたましく、作業に従事しているが、目と鼻の先にある「文知摺石」
         見たさに、内緒で30mほど往復。目の前に石碑と一段高い位置に元禄時代に建
         立された芭蕉の句が刻まれた句碑が。今にも崩れ落ちどうな気配。その奥に、今
         回の目玉である「文知摺石」が鎮座していた。それを見て驚く。予想外に巨大。こ
         れを300年以上前、当地を訪れた松尾芭蕉と曾良が同じ光景を見ているという
         現実。そして歴史ロマン。感慨深い。奥の細道の記述通り、その医師の周りには
         柵が張り巡らされてあった。順路はあったが、隠密行動なので、すべてを網羅で
         きず、その場所の上にあった人肌石のみ見物。同僚は、虎女(とらめ)の墓を見
         たがっていたが、除染作業中では仕方ない。私は初めてだが、彼は3回目の訪問
         らしい。落胆は少ない。そそくさと退散。ここで思いがけず時間短縮となった。

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    13:25 文知摺観音発。僅か12分の滞在。来た道を戻り、阿武隈川の手前から右折。
         東部体育館の前を通る。先行車はダンプで、砂を積み、ドクロのようなマーク。や
         がてY字路で合流。右斜め方面へ。県道4という記載。道端に放射線量の表示。
         0.28だった。郡山より低い。
    13:32 ローソンのT字路を左折。月の輪方面へ。ももの果樹園が多い。阿武隈川を渡
         る。松尾芭蕉はここを渡し舟で渡っている。県道387号。黒のノアがちょこまか車
         線変更してウザイ。R4を渡り、アンダーパス。瀬上。阿武隈急行の福島学院駅の
         ガード下を潜る。JAへ続くお馴染みの道。このあたり
         も右手にはりんごの果樹畑。
    13:40 右折して国道13号へ。本来はもっと手前を右折して、ショートカットしたかったあ
         が、迷い込みそうなので安全パイを選択。飯坂インターを過ぎて飯坂線の線路を
         渡ってすぐ右折。線路沿いの道へ。姉と姪っ子が暮らしている家の近く。
    13:45 途中、飯坂線の医王寺前駅の崎で、標識に従い左折。住宅街の狭い道を進
         む。通りを2つ横切る。駅からは結構遠い、住宅街で右折。200m先の行き止ま
         りが「医王寺」だ。第2と第1駐車場があった。砂利の大きな第1駐車場へ。

    13:48 医王寺着。68.5km。竹林が横一列で聳える。昔、私が小学生の頃、姉が文通
         していた飯坂の女の子に会いに来た際、私も同行したが、もしかしてここかと思っ
         たが、違う印象。入口の右手に下り坂があり、芭蕉が歩いたとされるその名も「芭
         蕉坂」。竹林で薄暗い小路が下っていた。社務所で人の良さげなおばあちゃんが
         門番。入場料300円は同僚が運転代として払ってくれた。念のため撮影禁止箇
         所を尋ねる。宝物殿のみダメ。門をくぐると圧倒される景色。300m先までまっす
         ぐ伸びた杉並木の参道。時代劇に出てきそうな瓦が乗った白い石壁。
          まずは銅像を観て、その後、松尾芭蕉の句碑。「笈も太刀も五月にかざれ上幟」
         と石碑に刻まれるが風化して読み取れない。隣りの黒の御影石に同じ文言。続い
         て本殿へ。何故か菩提寺である如宝寺に似た造りだと思ったら、なんと医王寺は
         開祖が同じ弘法大師空海の真言宗豊山派の宗派と判明。内部に潜入。参拝。掛
         けてあった心経が全く同じ。その後、境内に入って来た20代後半くらいの男と同
         一行動。福島の緑百選に選ばれた美しい杉並木の参道をゆく。途中、石碑が多 
         数。墓地の手前の右手の駐車場のような砂利の空き地の一角に、横並びで佐藤
         忠信像、中央に源義経像、右に佐藤継信像が鎮座していた。妙な場所に建てた
         ものだ。どうやらライオンズクラブが出資して寄贈したようで、平成17年に建立。
         奥の場所に薬師堂。それを囲むように医王寺の歴代住職の墓が立ち並んでい
         た。その奥に、佐藤忠信・継信兄弟の墓、その一族の墓、そして父母(佐藤元治)
         公の墓もあった。一帯は背丈のある木立に囲まれ、曇り空と相まって薄暗く、夕
         方や夜に訪れたら不気味極まりない雰囲気。しかもあの夏の暑さが嘘のようにめ
         っきり肌寒くなった。神妙に参拝を済ませた。周辺はやぶ蚊が多く、腕に止まった
         蚊を一撃で退治。しかし、何箇所か刺された。蜂も飛び回っている。実がつかない
         という乙和の椿が聳えていた。戻る際に、墓地内の一際大きな半球体状のこんも
         りした塚へ。心経を納めるお堂のようだ。そして宝物殿へ。いきなり大きな芭蕉の
         上半身像が鎮座。46歳で彼は飯坂を訪れたようだ。その割には老け顔。人生
         50年と言われた時代なので、どうみてもおじいちゃん。私より若いのにおじいちゃ
         ん風。人生50年の時代だ。宝物殿内、やぶ蚊を持ち込んでしまい、また蜂が飛
         び回ってブンブンうるさくて気が気でない。内部は多数の戦で使われた武器や道
         具が陳列。忠信公、継信公ゆかりの品や、いかにも重そうな甲冑や錆び付いた
         手刀などどれも貴重。絵画も展示。社務所でおばあちゃんに礼を言って去った。

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    14:35 医王寺発。47分も滞在したようだ。元の計画では15:15発なので40分早い。
         小雨がパラつく。フロントガラスを打つ。来た道を戻る。途中で大きな通りを左折。
         T字路を右折。イチイの交差点。穴原温泉の帰りに何回か通った。左でゲートボー
         ル大会。クランク状の道。やがて飯坂線の線路沿いの県道3へ左折。飯坂温泉
         郷へ向かう。この路線は民家沿いで柵もないので、小学生や幼児が多数電車に
         ひかれて命を落としている。やがて温泉街へ。しかし、駅がコンビニだったので、
         見落として通り過ぎる。川沿いに温泉街が連なる橋を渡って、直進し坂を上り、交
         番で左折。迂回して元の道へ戻る。橋を渡り、コンビニの駐車場へ。小雨は降り
         止まず。 
    14:45 飯坂温泉駅着。71.4km。駅前は広くないのが意外だった。芭蕉の像がある場
         所はちょっとした広場。小雨の中見物。若い女性2人組と遭遇。句碑も交えて芭
         蕉像の写メ。ここを訪ねた芭蕉は、ひどい体験をしたようだ。筵のような粗雑な寝
         床に、やぶ蚊に刺されまくり、大変な目に遭ったと記されている。コンビニの裏手
         に階段があり、その下の階が駅の改札口。降りて写メ。切符売り場と改札、その
         先に終点駅であるプラットホームがあったあった。スタンプをノートに押印。上に上
         がるとちゃっかり同僚はりんごを5個で180円という激安特価で購入していた。雨
         が強まる気配。付近の案内板で鯖湖湯の位置を確認。

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    14:52 飯坂温泉駅発。左折して狭い商店街の坂道を上る。
    14:54 鯖湖湯。狭いのに路駐。対向タクシーとすれ違えず通過待ち。一度入ったことが
          あったが、こんな場所だったか?車窓のみ。写メ。その後、ひときわ大きいホテ
         ル聚楽の前で停車して写メ。よく潰れず持っているものだ。次に向かうのは同僚
         のたっての希望の大鳥城址へ向かう。場所が分からず、ナビの示す方角へ向
         け、狭い温泉街の道をさまよう。堀切邸の入口を素通り。右左折を繰り返す。飯
         坂線と並行する県道3号へ入り、花水板から右折。舘ノ山公園方面へ。更に右
         折し、穴原へ行くトンネルを潜り、すぐに左折。戻るように坂を上る。左に飯坂球
         場が。山の麓に沿って右にカーブし、貯水場のような施設の左に駐車場があっ
         て、一旦入ったが、登山できず、車で山頂手前まで行けることを確認し、狭い山道
         を上る。黄色い電力会社風の軽ワゴンが先行する。途中で見失う。ベンチのある
         見晴らしの良い丘があって、その先に包丁塚の石碑。そして左手にトイレと遊歩
         道の階段有り。分からず、同僚の指示に従い進むと、一周して同じ場所へ。

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    15:06 大鳥城着。76.2km。小雨の降りしきる中、階段を上って本丸跡へ。そこにモニ
         タリングポスト有り。何と0.76とホットスポット並みの高い値。本丸後はだだっ広
         い野原。一番奥に巨大な大鳥城址を示す石碑。説明板もあり。二本の柱がある
         だけの神社があり、左隣には祠。放射線量が高い場所なので長居無用。先に降
         りて包丁塚と展望台から眼下の温泉街を見下ろしながら写メ。雨で視界悪い。トイ
         レの横の登山道の土手には「土塁跡」と「空濠跡」の標札が建っていた。見失った
         黄色の軽ワゴンがエンジンをつけたまま駐車していた。松原寺はキャンセル。

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    15:15 大鳥城発。曲がりくねった狭い峠道を下り、飯坂球場沿いの道へ。ここで停車
         し、中野不動尊方面にナビで目的地設定。しかし、左折する場所を通り過ぎ、Uタ
         ーン。右折して舘ノ山公園の西側のヘリを進む。中野不動尊はもっと近い場所に
         あると思ったら、結構遠い。左側にあると思ったら、標識は右折3.4kmとあった。
         そしてそのT字路の合流地点は栗子方面へ向かう国道13号だった。交通量多
         い。登坂車線あり。左折してマイナス方向へ細い道を下る。しかし対向車有り。競
         輪選手のような格好のロードランナーが40km/hで下って、なかなか抜けない。す
         ると前方に橋の上に築かれた駐車場が。しかし、道なりに直進した先の駐車場
         へ。右急カーブの左側だ。峠の途中にあった。これも意外。もっと平坦な場所にあ
         ると思っていたが、山の中腹で、坂の途中にあり、しかも正月に初詣客でごった返
         す場所なのに、駐車箇所が少ない。一番奥に駐車。競輪選手が追いついた。

    15:29 中野不動尊着。83.4km。ここは私の希望で、朱塗りの境内と不動滝のCMが
         頭にこびりついて離れず、一度は訪れたいと思っていた場所だった。20m先に入
         口があるが、ここは参拝無料。参道に露店が並び、ビニール傘持って行ってとお
         ばさん店員が仕切りに勧める。でも小雨程度なので、帰って手荷物増えて動きづ
         らいので丁重に断る。念のため写真撮影不可の場所を尋ねるが、ここは大丈夫
         との返答。さっそく順路に沿って石段を上がる。もう目の前に朱塗りの境内と滝の
         音が聞こえる。大日堂と書かれた矢印。小さな神社でお参り。その先の携帯へ。
         風光明媚。台湾のお寺を彷彿させる赤・赤・赤のオンパレード。2階部分から見
         物。その裏手に不動滝が。しかし、あまりの小ささに唖然。もっと大きいと思ってい
         た。高さはそれなりにある。階段を降りて1階部分へ。すると洞窟の入口になって
         いる。洞窟めぐりができる。ロウソクを2本100円で購入。それを灯代わりにし
         て、防空壕のような洞窟内を探険。内部は等間隔で、20体の童子像が点在。Y字
         路の左が12体。数の多い右側へ。一体ずつこうべを垂れて礼。中はひんやり。し
         かし、途中でろうそくの火が消えて、先輩同僚が供えた童子像に戻って、再点火。
         滝の裏を回り込むように進み、寂光門から出た。その出口にロウソクの火が付い
         たまま供えた。そして滝行を行際に滝壺まで降りられる階段を下りてみた。見ず
         に触れたらかなり冷たい。その後、鎌倉時代に疫病を鎮めたあんど釜を見た。茶
         屋があったが、ここでUターン。洞窟めぐりの左側の童子を回った出口らしき穴が
         2つ開いていた。同僚もここを訪れて良かったと話した。初めてデジカメを取り出し
         て撮影していた。最後に、岩窟の清水で口をすすぎ、ミネラル豊富な飲料水とわ
         かって2口飲み干した。小雨に濡れはしたが傘は不要だった。露店のおばさんか
         らは声を掛けられなかった。以上で、福島界隈の見学は終了。同僚は疲れて17
         時までに帰宅できることを切望。ナビを福島西ICに設定。

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    15:53 中野不動尊発。急カーブを下る。清水の舞台のような鉄骨を組んだ高い駐車場
         を回り込む。1億円は下らないだろう。広大な面積の十六湖公園を通る。ドーム型
         屋根の施設にはどでかいゴムまり状のトランポリン遊具。アスレチックも。その先
         に左カーブの右手には大笹生養護学校。フルーツライン経由でも西ICに行ける
         が、ナビが示す通り、直進。果樹園がそこかしこに点在。
    16:03 Y字路。飯坂線沿いへ。交通事故に遭った同僚が入院していた福島第一病院の
         前を通過。姉の自宅がある泉駅を通過。ちょうど電車が駅に停車。

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    16:07 西道路の立体交差を潜り、すぐ右折して合流。国体記念体育館、右手には天気
         予報で情報カメラでお馴染みのTUFの社屋を通過。こじんまりしてひっそりしてい
         る印象。小野美希アナも中にいるだろうか?西道路の途中から福島西IC方面へ
         入るのに、一旦バイパスを降りて、交差点を右折しなければならないのに、追い
         越しレーンを走行してしまい、オーバーパスを降りたところで、次の交差点の右折
         レーンからUターン。左折して国道115号線へ。

    16:15(推定) 福島西IC。100~120km/hペース。小雨。路面はドライ。結構交通量多
         い。対向車線で白のアスリート覆面。パトライト回転し走行。取締場面。登坂車線
         の一番左側からめちゃ飛ばす車が2台、カーチェイスするかのように猛スピードで
         追い越して、走行車線を斜めに跨いで追い越し車線へ。公道でカーチェイス。こう
         いう無法者こそ取り締まれ!すると前を行くAKBUSとピンクで目立つように書かれ
         たワゴン車が・・・もしかしてAKBが乗って移動する車。追い抜く時に、車を見た
         が、後部座席は一面スモークで目張り。外からは一切中は見えず。もしかしてメン
         バー乗車?

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    16:38 本宮IC下車。ETC休日割引で500円。同僚が悪がって、GSに入れてガソリン代
         を折半しようと提案するが、私が却下。高速代も辞退。その後は、4号国道を法
         定速度遵守で走行。アサヒビール工場、JUSCO前を通過。
    16:50 4号バイパスを下車。16:51、同僚の家に送る。この時点では雨が上がって曇
         り空。りんご2個を頂く。

     16:55自宅着。 走行距離 137.7km

     <費用> 

     伊藤若冲入場料 800円 昼食代 1,500円 ろうそく代 100円 高速代 500円

     合計 2,900円。

     (後記)

     単独であれば、早朝6時出発で時間を最大限有効活用し、「ふくしまスカイパーク」まで足を伸ばしたかったし、廃墟と化した高子沼グリーンランド跡を探険したかった。両者に思惑があって思うようにいかないのが同伴旅行だ。しかし、天気には恵まれなかったが、主だった観光予定地を概ね網羅できたのは幸いだった。芭蕉の足跡を訪ねる旅だったが、県内の道中で、まだ訪れていない箇所もある。できるだけ今年中に回れれば幸いだ。差し当たって近場を攻めたい。守山の田村神社には足を伸ばす必要がある。白河から福島の先までの県内のルートを隈なく歩ければいいのだが、如何せん仕事を持つ身。今後も、出来る範囲で先人たちの偉業に間近で触れられる機会を持ちたいと思う。

     さて、8月・9月は怒涛の旅ラッシュとなったが、今後、年内に実施したい予定を列挙したい。

     ① 被災地訪問(大船渡・陸前高田・気仙沼・南三陸町・石巻周辺)

     ② 芸能人の墓参り(村下孝蔵・坂井泉水・美空ひばり・石原裕次郎)

     ③ 磐梯吾妻スカイライン(紅葉・吾妻小富士一周)

     ④ 磐梯山登山(八方口登山道)9月実施 往復5時間(7:00~12:00)コース

     ⑤ 御霊櫃峠~大将旗山~額取山トレッキング(7:00~10:30)コース

     ⑥ 郷土史に触れる旅(高屋敷稲荷神社・田村神社・大安場古墳ほか)3時間コース
     
     

      

    2013年9月 5日 (木)

    漁夫の利?社員割&家族割

     「専売特許」とか「寡占市場」という言葉があるが、民間企業ならではの福利厚生の充実さを物語る上で格好の材料が、本日のテーマとして検証したい「社員割引」や「社員の家族割引」という特権である。中には羨ましいと思う反面、度を越すと、顧客を舐めているとしか思えないような、一見「差別」と取られかねないようなあからさまな手厚い待遇ぶりが問題視される場合もある。一例を挙げよう。

     これは実話だが、この夏、私の同僚がベトナム旅行をして先日帰ってきた。それがなんと往復の航空券が無料だったというのだ。もちろん懸賞に当たったわけでもないし、マイレージが溜まって、それを利用したわけではない。世の中いろんな裏事情があるので、どんなトリックを使ったのだろう。何ということはない。彼の実兄が日本航空(JAL)の社員であるために、家族の往復の航空券代は、同僚の分だけはタダになるというのだ。羨ましい限りだ。JALという会社は、多額の債務を抱え、会社更生法まで申請し、現在再建に向けて鋭意努力しているハズなのに、この優遇措置は何なのか。同僚は、この社員割引を利用し、これまで10回近くベトナムに遊びに行っているし、通算で30カ国以上も旅しているという。故にパスポートの出国&入国スタンプはページが足りないくらい埋め尽くされている。

     そういえば、大学生の頃、親友の父親が旧国鉄の職員だった時もそうだった。国鉄の家族は原則どの路線でも半額の優遇措置。私がちょっとした旅行でも乗車券のみ2割引の学割を貰うのに苦労しているのに、身分証一つで日本全国5割引で行ける友人を羨ましく、時には嫉妬して見ていた覚えがある。考えようによっては、社員贔屓が過ぎるし、あまりにも不公平ではないかとの疑念を抱く。身内にばかり優しく、一般客には厳しい。これが民間企業で、利潤追求を目指す真の体質だったことに愕然としたものだ。

     本日は、ネットを駆使し、そうした有名企業の社員割引(従業員割引)や家族割などの優遇措置を調べたので、それを列挙したい。あまりにも露骨で理不尽な、月とすっぽんのぞんざいな扱いに呆れるばかりだ。

     JR・・・現在は社員は全線4割引 65歳以上のジパング会員だって年会費を払っても30%引き程度だ。

     JAL・・・社員の家族の海外旅行の場合、家族ひとり分が往復無料

     ANA・・・社員割引は最大9割引 予約なしは90%OFFで予約有りは50%引き 家族は5割引 また株主割などの優遇措置もある。

     マクドナルド・・・クルー割制度がある。セットに限り30%OFF

     日本たばこ産業・・・工場内の喫煙分は無料

     トヨタ自動車・・・ 新型車に限っては、走る広告塔になるため、社員は20~30%割引で購入可能  部品やアクセ、オプション品は3割引 

     ミサワホーム・・・社員値引き12% 元が大きいので、支払額は数百万も安く上がる。

     積水ハウス・・・5%

     ユニクロ・・・定価から3割引

     NTTドコモ・・・30~40%OFFで新型ケータイが購入できる。客に説明するのに操作を覚えなければならないので、社員に安く提供するという狙いがある。

     資生堂・・・化粧品は基本10%引き 無料サンプル支給も多数ある

     任天堂・・・1割引

     パナソニック・・・25%引き

     東芝・・・10%OFF

     イオン・・・5%

     伊勢丹・・・10%OFF

     H&M・・・25%引き

     日産自動車・・・20%OFF程度

     ダイエー・・・2~3割引

     NHK・・・職員の受信料割引制度はないが、NHKの職員は平均給与が1200万円という超高給取り

     高島屋・・・家族販売という名目で5~15%程度の割引を受けることが可能

     阪急百貨店・・・衣料品は2割引

     クロネコヤマト宅急便・・・全国一律600円で配送可能。

     石油元売り会社・・・リッター2円引き

     無印良品・・・50%OFF

     ニトリ・・・10%引き

     ここに挙げたのはほんの一例で、多少の誤差はあると思ってください。実際は、このような社員割りのネタは、当該企業のタブーネタなので、表立ってアピールできないデリケートな部分。あまりあからさまに値引き率が高いと公表すると、一般客が不信感を抱くこともあるので、企業としてはあまり下がられたくないネタだ。まぁ、その会社で汗水たらして企業の利益のために日夜働いてくれている従業員には、手厚い待遇があってもバチは当たらないだろう。このように列挙すると、いかにも優遇されているかのように思えるが、社員は複数の企業に所属できるわけではないので、使える割引は当然一社のみ。タダになったら、一般の消費者の逆鱗に触れるだろうが、自社製品の購入には、そのようなありがたい制度があってもいいだろう。まぁ私も目くじらを立てるつもりで今回の記事を掲載したわけではない。日本の企業の福利厚生の優秀さを知っただけでも収穫だった。

     記事作成:8月21日(水)

     

     

     

     

    2013年9月 4日 (水)

    東北復興祈願(東北の名所・名産・名物)

     全国津々浦々名産品や名所、土地土地の名物は都道府県の数ほど存在する。どこにも「これだけは譲れない」といった「お国自慢」がある。例えば、北海道は世界遺産の知床を始め、函館の夜景、小樽運河、毛ガニやヒグマ、いかめし、白い恋人などが真っ先に思い浮かぶ。今年富士山で脚光を浴びた静岡は、浜名湖のうなぎやみかん、茶の葉で有名。また、九州の佐賀といえば、焼き物(伊万里・有田・唐津)の宝庫を思い浮かべるし、吉野ヶ里遺跡や有明海のムツゴロウも連想できるだろう。このように、日本中にはそこを代表するような名物がある。食文化、伝統文化、自然遺産など多岐にわたり、観光に事欠かない。「よくぞ日本人に生まれけり」である。そこで今回は、約2年半前に発生した東日本大震災で、主に太平洋沿岸地域において未曾有の被害をもたらした東北地方にあって、一日でも早い復興と再興を願い、東北六県について、それぞれの県を代表するような名所や名物、名産を紹介したい。では北から順に見ていきたい。ぜひ、観光で訪れて欲しいし、その参考にしていただけたら今回のテーマは成功だと考えている。アットランダムに列挙するのであしからず。

     <青森県>

     津軽りんご 青函トンネル(連絡船)  ねぶた祭り 八甲田山(雪中行軍)  大間マグロ
     
     太宰治  三内丸山遺跡  マウントラッシュ  青森ヒバ  弘前城(桜)  恐山(イタコ)

     十和田湖  奥入瀬渓流  竜飛崎  南部せんべい  せんべい汁  にんにく

     <岩手県>

     わんこそば  盛岡冷麺  奥州平泉  厳美渓  雫石慰霊の森  宮沢賢治 

     遠野カッパ伝説  龍泉洞  安比高原スキー場   前沢牛  小岩井農場

     あまちゃん  津波被災地(田老、山田、釜石、宮古、大船渡、陸前高田)  岩木山

     南部鉄器  かもめの玉子  リアス式海岸  松尾銅山跡  猊鼻渓


     <宮城県>

     宮城蔵王(御釜)  仙台七夕  青葉城  伊達政宗  笹かまぼこ  牛タン

     ずんだもち  鳴子こけし  秋保温泉  東北楽天ゴールデンイーグルス  杜の都

     光のページェント  松島  松尾芭蕉  ササニシキ  萩の月  中村雅俊 

     サンドウィッチマン  津波被災地(東松島町、石巻市、南三陸町、大川小、気仙沼)

     石ノ森章太郎  ブルーインパルス  栗駒山  浦霞  一ノ蔵  

     <秋田県>

     なまはげ  きりたんぽ  白神山地  八郎潟  比内地鶏  大館曲げわっぱ

     横手やきそば  かまくら  秋田美人  秋田犬  竿燈まつり  あきたこまち

     ハタハタ  田沢湖  角館(小京都)  男鹿半島  稲庭うどん  太平山  高清水

     大曲花火大会  柳葉敏郎  佐々木希

     <山形県>

     さくらんぼ  ラ・フランス  花笠祭り  立石寺(山寺)  最上川  つばさ  米沢牛

     出羽三山(羽黒山・月山・湯殿山)  玉こんにゃく  だだちゃ豆  将棋の駒  おしん

     蔵王  出羽桜   十四代   コシヒカリ  天元台  上杉家   直江兼続

     <福島県>

     磐梯山  猪苗代湖  鶴ヶ城  白虎隊  大内宿  塔のへつり  五色沼

     桧原湖ワカサギ釣り  吾妻小富士  滝桜  静御前  三春駒  あかべこ

     喜多方ラーメン  さざえ堂  喜多方蔵  相馬野馬追い  白河ラーメン  きゅうり

     花春  飛露喜  スパリゾートハワイアンズ(フラガール)  あさか舞  新島八重子

     福島原発  新選組  野口英世  あぶくま洞  ままどおる  ゆべし  こづゆ

     二本松菊人形  二本松提灯祭り  黒塚  高田梅  桃  あんぽ柿  幸楽苑

     ベニマル  ゼビオ   ほんとうの空  安達太良山   高村智恵子  西田敏行

     裏磐梯五色沼ハート型の鯉  エキソンパイ  猪苗代湖ズ

     さて、いかがでしたか。もちろん行ったことがある有名観光地もあっただろうし、初めて耳にしたスポットもあったと思う。東北は広い。まだまだ見足りない場所はあちこちにある。秋の行楽シーズンにあたり、是非とも旅行計画のひとつにリストアップしていただけたら幸いだ。

     結びに、あの震災から2年半。少しずつではあるが被災地に暮らす人々の心の傷も癒え、昔の姿を取り戻しつつある。この夏、NHKのドラマが大ヒットし、岩手では「あまちゃん」、福島では「八重の桜」が起爆剤となり、観光客誘致に一役買った。今後、復興の確かな足取りは未来への架け橋となって、東北に幸福をもたらしてくれると信じて今を生きていきたい。

     記事作成:8月21日(水)

    2013年9月 3日 (火)

    我が永遠のシンガー・村下孝蔵

     彼が46歳という若さで亡くなってから今年で15年という月日が流れた。14歳年上だったのに、いつの間にか自分の歳が追い越してしまった。ようやくこの歳になって、彼の伝えたかった心の叫びとか、メッセージ性が少しずつわかるようになってきた。いつか、茨城県の牛久にある彼の墓前で、一緒に彼の歌を口づさみたい衝動に駆られている。中学時代、箭内道彦と一緒にアコースティックギターを弾いていた私にとって、彼のギター一本で熱唱し、伝えようとしていた魂は痛いほどわかるし、好きな人にストレートに告白できなかった時代背景や心情も理解できる。私が彼の遺した楽曲で、好きな10曲をセレクトすると、定番ソングが多いものの下記のようになる。

     1位 初恋

    http://www.youtube.com/watch?v=mQfEP9KSJt8

     2位 ゆうこ

     埋め込み処理禁止につきアドレスのみ紹介します。

    https://www.youtube.com/watch?v=na-Qb0otk9M

    http://www.youtube.com/watch?v=qfcTzInnme8

    http://www.youtube.com/watch?v=O_hS83s0G8I

     3位 踊り子 1990年

     4位 少女

    http://www.youtube.com/watch?v=K7ATnyQneXY

     5位 冬物語

    http://www.youtube.com/watch?v=G4yzyw988xU

     6位 夢の跡

    http://www.youtube.com/watch?v=MZ-bJZ-shtg

     7位 春雨

    http://www.youtube.com/watch?v=NeGOtlPJp_E

     8位 夢のつづき

    http://www.youtube.com/watch?v=hJoA4UzByZ0

     9位 ロマンスカー  彼のお気に入りの曲で、婦人の意向で葬儀の際に出棺で流された。

    http://www.youtube.com/watch?v=ixnCt8hm8CE

    10位 16才

    http://www.youtube.com/watch?v=tJheJUEYJU0

     とっておき映像。彼がずっと想い続けていた初恋が生まれるきっかけとなった初恋の人との再会場面をどうぞ。

     トーク番組に出演した際の村下孝蔵さんです。

    http://www.youtube.com/watch?v=rfldjCBPKNI

    http://www.youtube.com/watch?v=9ATY0SbZCqU

     デビュー前の貴重な映像はコチラ

    http://www.youtube.com/watch?v=rgiwwlLIjpY

     ベンチャーズのパイプラインを独奏する村下孝蔵さん

    http://www.youtube.com/watch?v=sw6TtxnyF3Q

     彼の死後15年が経ってもなお今、多くの先輩諸氏に支持されるのは、かっこつけや肩肘張った生き方ではなく、心の底にある、紛れもない純情や嘘偽りない真実の気持ちを代弁してくれているからにほかならない。泥臭くても本音で語り、古き佳き青春時代の想い出に浸りながら、当時を懐かしんで偲ぶ。彼の作品に自分自身の生き方を重ね合わせる方々がいかに多いか証明できる。彼が亡くなって、村下孝蔵の肉体は消えても、彼の精神や魂は、永遠に語り継がれていくと信じてやまない。

     最後に、彼が眠る墓所を紹介したい。ぜひ一度訪れて、彼の墓前にて、これまで多くの感動を与えてくれた素晴らしい楽曲の数々に感謝したいと思うこの頃である。

     茨城県つくば市 「筑波茎崎霊園」 http://www.tsukuba1100.jp/

     個人の方のブログ http://blogs.yahoo.co.jp/mikucharat14/17185215.html

     記事作成:8月21日(水)  

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