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2013年9月12日 (木)

物見遊山で訪れてはいけない場所

 今年の夏も、全国の川や湖、または海水浴中の思わぬ事故で大勢の方が亡くなった。まさか自分がその日、そこで死ぬなどと思わずに、死んで逝った人もいる。人の寿命とはなぜ儚いのか。全国にある事件事故の現場。そこでは大勢の方が命を落とした場所。それら大惨事になった場所を訪れる際は、決して心霊体験や軽はずみにも物見遊山で行ってはならない。亡くなった方に対し、心からご冥福を祈るような畏敬の念を持って行くべきだ。
 では、日本中に点在する、大勢亡くなった悲劇的な場所はどこかを列挙したい。しかし、スペースの関係で、東日本を中心にお送りしたい。西日本については、申し訳ないが、場所のみを掲載したい。

 苫前(三毛別羆事件)

 1915年に北海道開拓民の家を3mを越す巨大なヒグマが次々襲い、7名の死者を出した惨劇があった地。

  おぞましい事件の一部始終は、以前に掲載した「本当にあった身の毛もよだつ事件」をご覧ください。

 関連記事は下をクリック!

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

http://www.youtube.com/watch?v=ijIcxPGDp2o

 詳しくは「吉村昭」著の「羆嵐」をお読みください。

 豊浜トンネル

 1996年2月10日午前8時10分頃、古平町側の坑口付近において岩盤(最大高さ70m・最大幅50m・最大厚さ13m・体積11,000m3・重さ27,000tと推計)が崩落。トンネル内を走行中だった北海道中央バスの積丹町余別発小樽駅前行き路線バス(乗客18名、運転手1名)と、後続の乗用車(1名乗車)の2台が直撃を受け、20名全員が死亡した。死因は圧死で、即死だった。一週間後に坑内から運び出されたバスは、高さ1mほどのぺしゃんこ状態で、ビニールシートに覆われていた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E6%B5%9C%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB

 奥尻島

 1993年(平成5年)7月12日午後10時17分12秒、北海道奥尻郡奥尻町北方沖の日本海海底で発生した地震である。マグニチュードは7.8、推定震度6(烈震)で、日本海側で発生した地震としては近代以降最大規模。震源に近い奥尻島を中心に、火災や津波で大きな被害を出し、死者202人、行方不明者28人を出した(このため、奥尻島地震とも呼ばれる)。さらに、ロシアでも行方不明者3人。

http://www.youtube.com/watch?v=RsHT4LtwVhk

http://www.youtube.com/watch?v=YneZXe8gkig

 函館七重浜(洞爺丸事故現場)

 1954年(昭和29年)9月26日に青函航路で台風第15号により起こった、国鉄の青函連絡船洞爺丸が沈没した海難事故である。死者・行方不明者あわせて1155人に及ぶ、日本海難史上最大の惨事となった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E7%88%BA%E4%B8%B8%E4%BA%8B%E6%95%85

 北炭夕張炭鉱

 1981年(昭和56年)10月16日、北海道炭礦汽船(北炭、以下略称で表示)の関連会社が経営する夕張炭鉱の一つ、夕張新炭鉱(北海道夕張市)で発生したガス突出・坑内火災事故である。最終的に93人の死者を出す大惨事となり、日本の石炭産業の崩壊を早めた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E7%82%AD%E5%A4%95%E5%BC%B5%E6%96%B0%E7%82%AD%E9%89%B1%E3%82%AC%E3%82%B9%E7%AA%81%E5%87%BA%E4%BA%8B%E6%95%85

https://www.youtube.com/watch?v=Hxs291w3qYA

 南大夕張炭鉱

 1985年に三菱南大夕張炭鉱にてガス爆発事故発生、死者62人。この事故があったとき、私は事故現場から20km離れた岩見沢市に住んでいた。事故後、連日のように上空を報道取材のヘリが往来していたのを覚えている。事故の翌年、私は実際、事故現場の工場を訪れた。

 網走刑務所

 本来は刑務所は観光で訪れるべき場所ではない。しかし、ここは高倉健主演の映画「網走番外地」の上映後、北海道でも有数の観光地になった。また、吉村昭の小説「破獄」のモデルとなった「白鳥由栄」が脱獄した刑務所としても有名だが、「網走監獄」の異名があるくらい、厳冬期には、道路開発など重労働で獄中死した囚人が多かった。また、北海道開拓に仮出され、過酷の労働を強いられた末に、過労死や凍死する者も多かった。ここに送られてくる受刑者は、殺人などの凶悪犯がほとんどだった。

 恐山(青森県下北半島)

 下北半島の中央部に位置する外輪山、霊場であり、 高野山、比叡山と並ぶ日本三大霊場の一つである。また、霊場内に数種類の温泉が 湧き、湯治場としても利用されている。下北半島国定公園に指定されている。標高878m。火山岩に覆われた「地獄」と呼ばれる風景と、美しい宇曽利湖の「極楽浜」との対比が特徴である。地蔵信仰を背景にした死者への供養の場として知られる。下北地方では「人は死ねば(魂は)お山(恐山)さ行ぐ」と言い伝えられている。恐山大祭や恐山秋詣りには、イタコマチ(イタコがテントを張って軒を連ねている場所)に多くの人が並び、イタコの口寄せを聞く。

http://www.youtube.com/watch?v=hqq6wTUl2yg

 武富士弘前支店強盗殺人・放火事件

 2001年5月8日午前10時49分頃、男(小林)が武富士弘前支店に強盗目的で 押し入った。犯人は現金を要求したものの支店長に拒否され110番通報されたため激怒 。店内にガソリンの混合油をまいて放火、逃走した。火災は店内に一気に広がり、店 延べ約96平方メートルをほぼ全焼 した。支店は3階にあり、小さな窓しかないという建物の構造も災いし、同支店の社員5人(当時20〜46歳)が炎に囲まれて脱出不能となりそのまま死亡。辛うじて脱出できた4人も重軽傷を負う惨事となった。
 早い段階で重要参考人としてタクシー運転手の男(小林)が浮上していたものの、小林が逃走中にアリバイの偽装などを行っていたため捜査は難航した。その後作成された小林のモンタージュの似顔絵や放火に用いた新聞紙などが決め手となり、2002年3月4日に逮捕となった。1審・2審ともに死刑判決が言い渡され、2007年3月27日に最高裁は小林の上告を棄却した。被告弁護人は同年4月2日判決の訂正申し立てを行ったが最高裁は同月12日付けで申し立てを却下。死刑が確定した。
 同年8月29日、仙台拘置支所にて小林の死刑が執行された。

https://www.youtube.com/watch?v=V377MekKo7U

 八甲田山(青森県)

 1902年(明治35年)1月に日本陸軍第8師団の歩兵第5連隊が青森市街から八甲田山の田代新湯に向かう雪中行軍の途中で遭難した事件。訓練への参加者210名中199名が死亡(うち6名は救出後死亡)するという日本の冬季軍事訓練における最も多くの死傷者が発生した事故であるとともに近代の登山史における世界最大級の山岳遭難事故である。

https://www.youtube.com/watch?v=b1SCGiUlvmE

 慰霊の森(岩手県雫石町)

 この場所は全日空の旅客機と自衛隊の戦闘機が空中衝突し、人間が空から降ってこの地に落ちてきた悲劇の場所。1971年7月30日に発生した航空事故(空中衝突)である。

 岩手県岩手郡雫石町上空を飛行中の全日本空輸の旅客機と航空自衛隊の戦闘機が飛行中に接触し、双方とも墜落した。自衛隊機の乗員は脱出に成功したが、機体に損傷を受けた旅客機は空中分解し、乗客155名と乗員7名の計162名全員が犠牲となった。1985年8月12日に「日航ジャンボ機墜落事故」が発生するまで、最大の犠牲者数を出した国内の航空事故であった。全日空機が墜落した現場は「慰霊の森」として整備され、三十三回忌に当たる2003年まで同所で毎年慰霊祭も開催されていた。現在でも地元住民や全日空社員によって大切に維持・管理されている。

http://www.youtube.com/watch?v=t32do07Hz7M

 次の動画は、不謹慎極まりない輩の投稿動画。最近、このような神聖な場所で、常識もない罰当たりな振る舞いを行う若者らが多すぎる。これを遺族が見たらなんと思うか。猛省を促したいし、やめてもらいたい。

http://www.youtube.com/watch?v=770fLVab4eE

 東日本大震災被災地(岩手・宮城・福島沿岸部)

 2011年3月11日午後2時46分。私たち被災者は、決してこの時刻を忘れるわけには行かない。誰も体験したことがない、あの連続する巨大地震によって、大津波が発生し、岩手県から千葉県まで東日本沿岸部まで大津波が襲来し、多数の犠牲者を出すこととなった。死者・行方不明者は2万人近い。宮古、大槌、山田、田老、釜石、大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸町、女川、石巻、東松島、若林区、新地、相馬、南相馬、鹿島区、浪江請戸地区、小高、いわき市四倉久之浜地区、薄磯地区、豊間地区、江名、小浜、山田町。多大な犠牲者を出した場所を訪れる際には心して訪れて欲しい。間違ってもピースサインで笑顔で写真に収まるような非人間的な振る舞いは避けて欲しい。
 また、内陸部でも福島県の旧長沼町にある「藤沼湖」は、大震災でダム湖が決壊し、約150万トンもの水が簀ノ子(すのこ)川沿岸に流れ込み、下流にある滝、北町 両集落を襲った。7人の命を奪い、いまだ1人が行方不明のまま。

https://www.youtube.com/watch?v=vEaEaL5h9uA (閲覧注意)

 飯盛山・旧西郷頼母邸

 会津戊辰戦争の最大の悲劇として語り継がれる場所。

 飯盛山は、江戸時代後期、戊辰戦争に際して新政府軍と幕府方の会津藩の間で発生した会津戦争に際して、会津藩では藩士子弟の少年たちで構成される白虎隊と呼ばれる部隊が結成され抗戦するが、そのうち士中二番隊が戸ノ口原の戦いにおいて敗走し撤退する際に飯盛山に逃れ、鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを落城と錯覚し、もはや帰るところもないと自刃した地でもある。「白虎隊十九士の墓」には、年間200万人ともいわれる観光客が訪れ、墓前には早すぎる死を悼む香煙がたえない。

http://www.youtube.com/watch?v=iUQNIzsEXt0

 西郷家は重臣(藩祖以来)で戊辰戦争の際の当主は国家老1700石の西郷頼母近悳(ちかのり)でした。頼母は田中土佐と共に会津藩主松平容保に京都守護職辞退を進言しました。そのため容保公から怒りを買い、家老職を解任されました。戊辰戦争がおこると、家老職に復帰し、白河口総督として、戦いますが、「白河口の戦い」で敗れ、会津へ戻ります。その後、長男・吉十郎を連れて会津から脱出します。
西軍が城下町に乱入したとき、家族ら21人は、屋敷の中で辞世の句を残して自決しました。
http://www.youtube.com/watch?v=BhDk_2ZDKnU

http://www.youtube.com/watch?v=VQmdq-zZ4gA

 弥彦山神社(新潟)

 1956年(昭和31年)1月1日午前0時過ぎ、新潟県西蒲原郡弥彦村の彌彦神社で大晦日から元日にかけて行われる二年参りにおいて、前年から始められた紅白の「福もち」蒔きに約3万人が殺到。拝殿に向かう者と、参拝が終わり戻る者とが中央の15段ある石段付近でぶつかり合い、滞留した。1月1日午前0時10分頃、この重さにより玉垣が崩壊し、支えを無くした参拝客が後ろから押し出されるように次々と石段下へ落下、折り重なるように倒れ込んだ。
 当時の弥彦神社は照明設備が整っておらず周囲が暗かった事、多くの警察官がバス駐車場の交通整理に割り振られて境内にいなかった事も事態に拍車をかけ、この状態が午前1時近くまで30~40分間続き、死者124人・重軽傷者77人を出した。

http://www.youtube.com/watch?v=nJN-EvHVta4

 御巣鷹山(群馬)

 御巣鷹山は群馬県多野郡上野村にある標高1,639mの山である。ここで航空機史上最大の事故が起きた。1985年(昭和60年)8月12日月曜日18時56分に、羽田発伊丹)行同社定期123便ボーイング747SR-46(ジャンボジェット、機体記号JA8119)が、群馬県多野郡上野村の高天原山の尾根(御巣鷹の尾根)に墜落した事故である。乗員乗客524名のうち死亡者数は520名、生存者(負傷者)は4名であった。

http://www.youtube.com/watch?v=0W_7uS3HVpY

http://www.youtube.com/watch?v=ciDERYL06lk

https://www.youtube.com/watch?v=3FlEcDkEEWg (閲覧注意)

 ホテルニュージャパン跡地(東京)

 1982年(昭和57年)2月8日に、東京都千代田区永田町のホテルニュージャパンで起こった火災事故。33人の死者を出した。火災は、1982年(昭和57年)2月8日の午前3時24分に発生。主に火元の9階と10階が中心に同日12時半過ぎまで9時間にわたって燃え続けた。炎は7階にまで達しており、延焼面積は約4,200平方メートルに達した。ホテルの宿泊客を中心に死者33名(台湾人12、日本人11、韓国人8、アメリカ人1、イギリス人1)・負傷者34名を出す大惨事となった。東京消防庁の調べでは、出火の原因は9階938号室に宿泊していたイギリス人の男性宿泊客の寝タバコが原因であった。

 この火災でこのホテルの設備が欠陥だらけだと判明。スプリンクラーはただの飾り。増築を重ね、避難経路は極めて複雑。社長の横井英樹は悪玉に挙げられ、一方、命懸けで救助活動に当たった東京消防庁レスキュー隊の隊員は英雄視された。

http://www.youtube.com/watch?v=BszKkM2nmAU

 この翌日には羽田沖で日航機が着陸に失敗して墜落。多数の死傷者を出した航空機事故が発生したため、前日の火災が薄くなってしまった。流行語を生んだ逆噴射という言葉が有名になったが、乗客を見捨てて真っ先に救命ボートに乗って救出されたK機長。連日世間の非難を浴び、マスコミに叩かれた。

http://www.youtube.com/watch?v=wes8j5gufuo

 新宿西口バス放火事件(東京)

1980年8月19日(火)21時過ぎ、新宿駅西口バスターミナル20番乗り場で、発車待ちのため停車中だった京王帝都電鉄の運行する中野車庫行きバスの車内に、男が後部ドアから火のついた新聞紙とガソリンが入ったバケツを車両後方へ投げ込んだ。火は瞬時にして燃え広がり、6人が死亡、14人が重軽傷を負う惨事となった。
 刑事裁判で、検察側は犯人に死刑を求刑したが、一審の東京地方裁判所は「被告人は心神耗弱状態にあった」として無期懲役の判決を下した。弁護・検察双方が控訴したが、二審の東京高等裁判所も一審判決を支持。犯人は罪の重さを認識してか「死刑になってみんなにお詫びしなければ」と語っており、死刑になると考えていたが、無期懲役=無罪と勘違いしたのか、「罪にならないんですね」と言った後で傍聴席に向かって「ごめんなさい」と言いながら土下座した。犯人は1997年10月に千葉刑務所内で首吊り自殺した。享年55。

http://www.youtube.com/watch?v=3dvFQEFHG3A

 地下鉄日比谷線・千代田線・丸ノ内線(東京)

 1995年(平成7年)3月20日に東京都の 地下鉄で宗教団体のオウム真理教が起こした神経ガスのサリンを使用した同時多発 テロ事件で、死者を含む多数の被害者を出した。警察庁による正式名称は地下鉄駅構内毒物使用多数殺人事件である。霞ヶ関駅、国会議事堂前駅、小伝馬町駅。

http://www.youtube.com/watch?v=UvM_s1FotsU

 秋葉原通り魔無差別殺傷事件現場

 2008年(平成20年)6月8日に東京都 千代田区外神田(秋葉原)で発生した通り魔事件である。7人が死亡、10人が負傷した。 マスメディアや本件に言及した書籍においては「秋葉原無差別殺傷事件」として報じた。
 2008年6月8日12時30分過ぎ、東京都千代田区外神田四丁目の神田明神通りと中央通りが交わる交差点で、元自動車工場派遣社員である加藤智大の運転する2トントラックが西側の神田明神下交差点方面から東に向かい、中央通りとの交差点に設置されていた赤信号を無視して突入、青信号を横断中の歩行者5人をはねとばした。トラックを運転していた加藤は車を降りた後、道路に倒れこむ被害者の救護にかけつけた通行人・警察官ら14人を、所持していた両刃のダガーで立て続けに殺傷した。さらに、加藤は奇声を上げながら周囲の通行人を次々に刺して逃走。事件発生後まもなくして近くの万世橋警察署秋葉原交番から駆けつけた警察官が加藤を追跡し警棒で応戦、最後には拳銃の銃口を加藤に対して向け、ダガーを捨てるよう警告した。それに応じナイフを捨てた加藤を非番でたまたま居合わせた蔵前警察署の警察官とともに取り押さえ、旧サトームセン本店脇の路地で現行犯逮捕にて身柄を拘束した。これらはおよそ5 - 10分間ほどの間の出来事だった。
http://www.youtube.com/watch?v=D6D-pKCh3TM

 新宿歌舞伎町雑居ビル火災現場跡

 2001年9月1日に東京都新宿区歌舞伎町の雑居ビル「明星56ビル(みょうじょう56ビル)」で起きた火災である。44名が死亡し、日本で発生した火災としては戦後5番目の大惨事となった。多くの死傷者を出した原因は、ビル内の避難通路の確保が不十分であった為とされる。出火原因は放火とみられるが、2013年7月時点では未確定である。

http://www.youtube.com/watch?v=LSfNju4yD-M

 硫黄島

 1945年2月19日 - 1945年3月26日は、太平洋戦争末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。日本軍に増援や救援の具体的な計画は当初よりなく、守備兵力20,933名のうち96%の20,129名が戦死或いは戦闘中の行方不明となった。一方、アメリカ軍は戦死6,821名・戦傷21,865名の計28,686名の損害を受けた。未だに収集されない遺骨が多数残されている。

http://www.youtube.com/watch?v=wc9Cq5CkUZY

 玄倉川(神奈川県)

 1999年8月13日より玄倉川の中州でキャンプをしていた横浜市内の廃棄物処理業者の男性社員、子供6人を含むその家族、さらに社員の婚約者・女友達を含む18人が、翌日の熱帯低気圧の大雨による増水によって流され、社員5名と妻2名、1歳から9歳の子供4名、社員が連れてきた女性2名の13名が死亡した。当日は、ダム決壊の危機に有り、放水のため、ダムの係員が二度も警告したにもかかわず、指示に従わずに居座り、放水によって急激に増水した激流に飲み込まれて流され、みすみす命を落とした現場。

http://www.youtube.com/watch?v=p-CQe8sRm8Q

 碓氷峠(群馬・長野)

 碓氷峠(うすいとうげ)は、群馬県安中市松井田町と長野県北佐久郡軽井沢町との境に ある日本の峠である。標高は約960 m。信濃川水系と利根川水系とを分ける中央分水嶺 である。熊の平トンネル工事中、土砂崩壊が発生し、復旧作業中の職員と駅前にあった職員用宿舎5棟を直撃。作業中の職員38名と宿舎に居た家族12名の合計50名が死亡、24名が重軽傷を負うという大惨事となった。
また、明治26年(1893)、明治政府が威信をかけて建設した横川~軽井沢間の旧碓氷線。
まだ重機がない時代、標高差553m、約11kmの今では考えられない難所を工事期間わずか1年半で完成させた。レンガ焼きから建設までの、この凄まじい突貫工事を完成させたのは囚人や朝鮮人に対する強制労働によるもの。工事期間中の死者は500名にものぼっており、ここで噂される幽霊は事故死した工事関係者とも言われている。
 特にアプト道の終点にあたる、めがね橋は幽霊出没の噂が絶えない。1892年(明治25年5月15日)水害による崖崩れ害。10日頃よりの連日の雨のため第16トンネル東口の国道に接する崖の高さ15間巾20間崖崩れ。工事の宿泊所1棟を全壊、3棟を半壊して4人圧死し、3人負傷した。

 山梨県旧上九一色村跡

 かつてのオウム真理教の拠点があった。サティアンと呼ばれる施設が点在していた。猛毒サリンを精製していた建物や、信者と共同生活を送っていた建物、修行と称して頭に電流を流すヘッドギアを被せ、洗脳して行った。警官隊が毒ガス警戒の鳥を携えて、麻原彰晃を逮捕するため、その異様な建屋に乗り込んで行った光景を覚えている。

http://www.youtube.com/watch?v=ZRVU77I-8ko

 富士青木ケ原樹海

 自殺の名所。一度散策路を離れて森の中に迷い込めば、磁石やGPSが受信できない迷路へと入り込む。年間50体以上の自殺遺体がみつかることでも知られている。

http://www.youtube.com/watch?v=JCt2pd0PhQQ

 静岡日本坂トンネル火災

 1979年(昭和54年)7月11日18時40分ごろ、東名高速道路 日本坂トンネル下りトンネル内で乗用車2台と油脂を積んだトラック4台が絡む追突事故が起きた。直前に前方で交通事故が起き、トンネル内で事故渋滞が発生していたが、これに気がついた大型トラックが急ブレーキをかけた。しかし、後続の鋼材10トンを積んだ大型トラックが前方不注意でよけきれずAに追突。この大型トラックBにサニーが追突。後ろを走っていたセドリックは追突した3台を左へ避けて大型トラックBの側部に接触して停車。乗用車の後ろを走っていた、合成樹脂を積んでいた大型トラックはなんとか停車したが、これに松脂を積んだ大型トラックが時速100km/hで追突した。Dによって大型トラックCは前に押し出された。サニーは大型トラックCに押されて大型トラックBの下部に車体全体がめり込み、セドリックは車体後部をCに潰され、漏れたガソリンが発火。
 上記の多重衝突で、大型トラックBとDの運転手、サニー乗車の2名が即死。セドリック乗車の3名も脱出できず焼死。あわせて7名が死亡し、加えて2名が負傷した。合成樹脂や松脂といった可燃性の強い積載物も災いし、火はトンネル内で道を塞がれ立ち往生した後続車に次々に燃え広がった。トンネルはスプリンクラー設備や排煙装置など当時最新の消防用設備を備えていたが、火災の勢いが強すぎて有効に機能しなかった。死亡者以外のドライバーや同乗者たちは全員無事に避難できたが、鎮火まで65時間を要した。日本の道路トンネルにおける火災として史上最大規模の事故である。

https://www.youtube.com/watch?v=4INUdLHBuoc

 あさま山荘(長野県)

 1972年2月19日から2 月28日にかけて、長野県北佐久郡軽井沢町にある河合楽器の保養所「浅間山荘」 において連合赤軍が人質をとって立てこもった事件である。
 日本の新左翼組織連合赤軍のメンバー5人(坂口弘、坂東國男、吉野雅邦、加藤倫教、加藤元久)が、浅間山荘の管理人の妻(当時31歳)を人質に立てこもった。山荘を包囲した警視庁機動隊及び長野県警察機動隊が人質救出作戦を行うが難航し、死者3名(うち機動隊員2名、民間人1名)、重軽傷者27名(うち機動隊員26名、報道関係者1名)を出した。10日目の2月28日に部隊が強行突入し、人質を無事救出、犯人5名は全員逮捕された。人質は219時間監禁されており、警察が包囲する中での人質事件としては日本最長記録である。
 酷寒の環境における警察と犯人との攻防、血まみれで搬送される隊員、鉄球での山荘破壊など衝撃的な経過がテレビで生中継され、注目を集めた。2月28日の総世帯視聴率は調査開始以来最高の数値を記録し、18時26分には民放、日本放送協会(NHK)を合わせて視聴率89.7%に達した。

https://www.youtube.com/watch?v=WD8dBvKO-Pc

 その他(東日本地区)

 他にも、世田谷の一家殺害の現場となった民家や八王子のスーパーナンペイ大和田店など、むやみに近づいてはいけない場所は数多く存在する。東京丸の内で起きた「三菱重工ビル爆破事件」現場や鶴見駅、三河島などでも多数の死傷者を出す鉄道事故が起きた場所だ。板橋処刑場跡や鈴ヶ森処刑場跡地などを訪れるのは危険だ。

 以下、西日本については、場所のみを掲載。

 黒四ダム(富山県)、東尋坊(福井県)、関ヶ原合戦場(滋賀県)、大阪千日デパート跡(大阪府)、大阪教育大附属池田小学校(大阪府)、三菱銀行北畠支店(大阪府住吉区)、津山事件現場(岡山県貝山地区)、明石歩道橋(兵庫県)、福知山線脱線事故(京都)、化野念仏寺(京都)、広島平和記念公園(原爆ドーム)、三井三池炭鉱(福岡県大牟田市)、大洋デパート(熊本市)、雲仙普賢岳(長崎県)、沖縄(ひめゆりの塔・ガマ・平和の礎)

 もちろん、合戦場や戦争の激戦地となった場所や殺人事件現場、処刑場、墓地、霊場、心霊スポット、廃病院、廃校、廃トンネル、曰くつきの廃墟、自殺の名所等・・・。

 最後にこのブログを読まれた方へ

 このような場所は、人が大勢亡くなっている。死霊に呼ばれたり、とりつかれる恐れ大。絶対に肝試し的は安易な発想では近寄らないことだ。日本人の悪い点は、場所に関係なく写真を撮りまくり、おまけに大勢死んだ場所でも笑顔でピースサインしてしまうことだ。TPOをわきまえた分別ある行動をお願いしたい。

 くれぐれも下記のような、観光気分としての軽率な発想と浅はかな考えで訪れて、失礼極まりない行動、および絵文字などを使った軽薄な表現を使った訪問記などの掲載は死者の御霊への冒涜であるため厳に慎んでほしい。

 http://ken692.blog118.fc2.com/blog-entry-652.html

 記事作成:8月24日(土)~25日(日)

 追記

 この記事を書いたのは1年半前ですが、平成27年1月20日(火)にアクセス数が急伸したことを受けて、記事を再点検した結果、誤記や変換ミスが多数あることがわかりました。よって訂正等を行い、翌21日(水)に再アップしました。
 なお、誤字や脱字など、お気づきの点があれば、コメント等でお知らせください。(SUZU)

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