2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

« 有名人の墓参りと鉄道博物館の旅①(10/22) | トップページ | 郡山の魅力再発見!⑤~知られざる郡山の素顔~ »

2013年10月23日 (水)

有名人の墓参りと鉄道博物館の旅②(10/23)

 2日目の旅程は以下の通り。

 カプセルホテルー大森駅ー新橋駅ー築地市場(高級玉子焼「山勇」)ー新橋駅ー信濃町

 駅ー慶應義塾大病院(坂井泉水転落現場)ー新宿駅ー大宮駅ー鉄道博物館ー大宮駅

 ー郡山駅ー自宅

 <実際の旅行記>

 10月23日(水)くもり

4時過ぎ 早朝まだ暗い中、4時過ぎに隣りのカプセルのアラームが鳴り出して、叩き起さ
     れる。しかも消し忘れたらしく、いつまでも鳴り止まない。その後、15本ほどやか
     ましい苦痛に耐えながらウトウト。熟睡を妨げられた。
 6:25 カプセルを出て、5Fのラドン温泉へ。昨夜のネット時、隣りのオヤジがタバコをプ
     カプカ吸い、全身に臭い匂いが染み着いたので、それを振り払おうという試み。体
     重は72.7kgだった。せっかく徒歩で減量したのに、昨夜の夕食で0.5kg増え
     る。この時、湯船につかりながら、本日の出発を早めようかと思案。通勤ラッシュ
     に遭遇する時間帯(8時)にチェックアウトする予定だったが、最初の訪問地が築
     地なので、早朝からやっていることも鑑み、早出しようと画策。
 6:50 カプセル(2030号)に戻る。布団の下に隠しておいた財布やPCやらは無事だっ
     た。すだれは降ろすが、中に人がいると思わせるように、ルームライトは点灯した
     まま出るのが安全策。ここから急ぎの行動。
 6:55 4階のレストランで、洋食セットを注文。右側の9番の席。内容はボリュウムある
     トーストとサラダ、ハムエッグ。それに室内が暖房使用で暖かいので、アイスコー
     ヒーを頼んだ。これがすべて宿泊費に含まれる。ワンドリンクと朝食付きで一泊
     3,600円は、どう見ても激安価格。アメニティも部屋着も付いている。この時点
     で、通勤ラッシュを回避すべく、予定より早い出発を決意。2階のカプセルに戻り、
     急ぎ出発準備。

Img_3714_r

 7:16 荷支度を整えて、カプセル内を何度も見渡して忘れ物がないか確認後、1階フロ
     ントへ。チェックアウト手続き。前回異なり、追加の昨夜の夕食分の2,200円の
     みの決済。もちろん楽天カードでサインのみ。靴箱の81番の鍵を受取り、ホテル
     を出発。外は曇り空だが寒くはない。
 7:21 徒歩で大森駅へ。既に駅からサラリーマンやOL達が出てくる。券売機で新橋ま
     で160円の切符を購入。他の客は皆、携帯でタッチして改札通過。階段を上がる
     途中で先発列車が発射。僅かの差で乗り遅れる。ラッシュは8時半前後かと思い
     きや、この時間帯でも既に車両は満員。
 7:24 女性専用車両に間違って乗らぬよう注意して乗り込んだ。大森駅出発。新橋は
     大森からは京浜東北線で5つ目。3年前もこうして満員電車に揺られ、田町で降り
     たっけ。あれは震災の前年だった。
 7:40 新橋駅着。1月に劇団四季の芝居を見に来た時のルートと同じ。地上に出ず
     に、そのまま階段を下りて地下通路へ。通勤のサラリーマンの歩く速度は速い。
     人の波。これが嫌で東京在住時はバイクで走っていた。ぶつからないように人ご
     みを避けて歩くのが難しい。この時点で既に昨日痛めた足と脚が痛む。付け根部
     分も酷いが、両足の裏が水ぶくれで、地面に着くたびに激痛が走る。まずい・・・。
     今日も相当歩くはずだ。湿布やトクホンチールを持参すべきだった。パナソニック
     ショールームの広場の先に、見覚えのある「四季劇場海」の広場。
 7:44 四季劇場海に到着。いったんそこで写真撮影。現在上演中の新作「ウィキッド」
     の宣伝用垂れ幕が下がっていた。昨日の夕方に、それを見ようと計画を練ったこ
     ともあったが、キャンセルした。その後、階段をどうにか登って地上へ。車の往来
     が激しい通り。浜離宮周辺は工事中で、歩道と車道が柵で仕切られ、歩道は迷
     路のようにくねくね廻っている状態だった。首都高速の高架橋の下を渡るが、脚
     の激痛に耐えながらの徒歩移動。早足のサラリーマンに追い越される。右手には
     浜離宮の庭園とその右隣りには首都高のランプ。都会の風景だ。左の頭上に
     は、朝日新聞社のどでかい社屋が聳えていた。左カーブを進むと、青果市場の入
     口が見えた。しかし!ショッキングなことに、「本日休場」の文字看板と共に「青果
     門」の門扉が閉鎖。「まさか!」築地市場自体が本日休みで中へ入れない?店も
     休みでやっていない?立て続けに嫌な予感。「朝日新聞社」と「国立がんセンタ
     ー」の巨大にして豪勢なビルの前を歩き、築地市場の正門へ。

Img_3715_r Img_3716_r

Img_3720_r Img_3721_r

 7:57 角に交番有り。写真を撮っていると、不審人物のような眼差し。やはり門は閉
     鎖。がっかり。通り過ぎて、その先のGSの角から右折。その周辺は「築地外市
     場」だった。何軒かは店を開いていた。ここの目的は私が大好きなZEROキャスタ
     ーの山岸舞彩さんの実家の「高級玉子焼き 山勇」を訪ね、土産に玉子焼きを購
     入すること。脚の痛みに耐えながらやっとこさ来たのに、いきなり出鼻を挫かれ
     た。水曜日は「水産デー」で一番賑わう曜日ではないのか?」ネットでちゃんと定
     休日を調べてきたのに・・・。
 8:00 一字違いの「山長」という玉子焼き屋は開店していて、外国人観光客の人だかり
     が出来ていた。もしやここの市場外にあるのでは?と勘ぐって、何度か周辺を歩
     き回った。同じ目的なのか、カップルも店を探している様子だった。一部の鮨屋は
     早朝から開店していたが、軒並みシャッターが閉まった市場商店街を周回した
     が、目当ての「山勇」はどこにも無かった。閑散とした市場の周辺。神社があっ
     た。ここまで来て店にたどり着けずに帰るのも癪に障る。「山長」の前に戻ってき
     た。その前に休憩所があり、自販機でお茶を150円で購入して足の痛みを和ら
     げようと休息。すると中に入れないと思っていた築地市場内を観光客が入って歩
     いている人影を目撃した。もしや?その建物の中の通路を渡る。その際、壁に
     「玉川村の野菜」をPRするポスターと直売所を発見した。何という偶然。そのまま
     外へ出て、GSの前を通って、再び交番のある市場入口(正門)へ。中から外国人
     観光客たちが出てきたのを見て、「行ける!」と確信した。その角に事務所らしき
     プレハブ小屋があったが、何食わぬ顔で入場。 市場の機能は完全停止している
     し、人影の少ない市場内に潜入。ここまで来たのに門前払いは悲しすぎ。築地市
     場内も足を引きずりながら歩いた。この界隈のどこかに「山勇」はあるはず。しか
     し、シャッター街の商店街を何度も往復するが、なかなか見つからない。2~3周
     した頃、偶然に丸昌近くの角地に「山勇」の文字を店先に発見。やっとたどり着け
     た。感動的だった。いきなり現われた。

Img_3723_r Img_3724_r

Img_3728_r Img_3730_r

 8:26 「山勇」に到達。周辺はひっそりして誰もいない。私一人の状況。休業日の模
     様。土産を買えずがっかり。若いお父さんとも話したかったし、携帯の待ち受けが
     彼女の画像なので、それを見せて大ファンですと伝えたかったのだが・・・。10枚
     以上店構えの写真を撮影した。10分近い滞在中、誰もここを訪れる人はいなか
     った。店が閉まっているのだから、当然といえば当然。お店はここだが、自宅はこ
     こではない。たぶんここからほど近い下町のどこかだろうが、彼女は親と一緒に
     住んでいるようだ。帰る頃になって、別々の二人の観光客がマップ片手でこの辺
     に姿を現した。たぶん「山勇」が目当てに違いない。私が写真を撮っていたため、
     それが目印になっただろう。次回来る時のために、正門からそこまでの地図をメ
     モした。正門から結構近い位置にあった。「魚がし横丁」という名称だった。

Img_3732_r Img_3733_r

Img_3735_r Img_3737_r

Img_3743_r Img_3749_r

Img_3748_r Img_3751_r

 「山勇」のホームページはコチラ

 「山勇」の位置はコチラ → 「yamayu.jpg」をダウンロード

 8:36 築地市場発。正門から出た。足の裏、水ぶくれが更に膨らんで少しでもショック
     が加わると痛む。右脚の付け根部分は激痛。びっこ状態の歩行。来た道を戻る
     がしんどいし、歩くペースが極端に落ちる。ラッシュの時間帯は過ぎたかに思えた
     が、出勤途中のOL、サラリーマンの集団と何回もすれ違う。東京の若き女性は
     皆、綺麗だ。ビル風なのか結構風が強く吹いていた。至近の大江戸線に乗れば
     良かった。国立競技場前で下車すれば、次の訪問地の信濃町の「慶應大学病
     院」が近かった。 
 8:48 激痛に耐えかねてパナソニックショールームのテーブル椅子で休憩。痛みを癒
     す。ポケット地図をバックから出して、近道がないか探る。バインダーから慶應病
     院付近の地図と写真入りの資料を出して差し替えた。胸ポケットにはデジカメと全
     体の行程表。風が強くて肌寒い。通りの方では緊急自動車のサイレンが鳴り響い
     ていた。
 8:57 パナソニック広場を出発。地下道に入ると風はおさまった。でも9時を回っても人
     並みは途絶えない。ぶつからないように細心の注意。一度も地上に出ずにJR新
     橋駅の構内へ。秋葉原で総武線に乗り換えるが、信濃町までは160円。
 9:03 新橋駅発。京浜東北線のほうが速度が速いので山手線には乗らず。しかし、神
     田で下りて隣りのホームの中央線に乗り換えるべきだった。

 9:15 秋葉原駅で乗り換え。上りと下りのホームを間違えて電車一本を逃す。
 9:17 後続列車に乗る。しかし、満員状態。立ちっぱなし。御茶ノ水駅で、同時にホー
     ムに滑り込んできたオレンジ色の中央線の車両がガラガラ。ホームを渡ってダッ
     シュで乗り換え。しかしこれが裏目。その電車は特別快速で信濃町は通過。手前
     の四谷で降りて、再度後続の黄色の中央線各駅停車に乗り換える羽目に。向か
     い側の男性が寝ていて乗り過ごし、慌てて出ようとしたが、扉がしまって出れなか   
     っ方と一緒に降りた。しばらく待つ。
 9:29 後発の電車に乗り、次の信濃町へ。結局乗り換え失敗。
 9:32 信濃町駅着。駅を出ると、そのすぐ斜め向かいが、次の訪問地の慶應大学病
     院。スクランブル交差点で信号待ちの人だかりが、皆同じ場所へ吸い込まれてい
     く。

Img_3753_r Img_3764_r

 9:35 正門を通り、駐車場を横切って、すぐ右手に見えていた1号棟の問題のスロープ
     へ。そこはZARDのボーカル・坂井泉水さんが転落して亡くなった現場だった。しか
     し、意外にも門のすぐ脇で、もっとも人の往来が激しい場所。早朝とはいえ、この
     ようなひと目につきやすい場所で彼女が転落したとは・・・。その前に警備員がい
     たので、念のため断って写真を撮らせてもらった。本などに掲載する目的でなけ
     れば、個人として保存目的であれば構わないという返答。もちろん、両手を合わ
     せ、黙祷し、彼女の冥福を祈ってから臨んだ。そのスロープは、上部にステンレス
     製の手すりがあり、乗り越えない限りは、事務所が発表したような足を滑らせて転
     落したなんてことは絶対に不可能だ。しかし、病気を苦にしての覚悟の自殺なら
     ば、高さ3mしかないこの場所では死にきれない可能性があったはず。事故の直
     後は真相を探ろうと、マスコミが勝手気ままに掻き立て、噂が飛び交うこととなっ
     た。ここの4階に彼女は子宮頸がんで入院していたのだった。それが肺に転移し
     てしまったために、悲観したのだろうか。大ファンだった身としては、これ以上のこ
     とは詮索できない。この裏手の人影少ない場所が悲劇の現場だが、周辺には車
     やバイクが所狭しと駐車してあった。6年前の事故の痕跡や面影は全くない。何
     事もなかったようにひっそりしているし、花一輪さえ供えていない。角度を変えて5
     ~6枚シャッターを切った。あの日の出来事は、開けても触れてもいけないパンド
     ラの箱状態で、封印されてしまったようだ。救命センターの入口の前を通って正面
     玄関から病院内へ潜入。入口に上半身のでかい福沢諭吉先生の銅像が置かれ
     てあった。内部は多数の患者でごった返していた。作り自体は大病院そのもの
     で、南東北病院のそれと似ていた。受付も全て機械処理だ。中央の総合案内所
     で、館内図を貰う。1号棟に行けないか尋ねたが、入院患者専用なのでそれは無
     理そう。試しにどこかに通路がないか探検しに、東側の1Fの通路を歩いてみた。
     どこを探しても1号棟への表示は皆無。放射線科の通路を50mほど行ってベンチ
     でメモ書きして、再び戻った。
      その後、ふたたび正面玄関から出て、軒先を辿り、再度転落現場へ。どうしても
     信じたくなかったし、受け入れたくなかったが、この場所で彼女が転落して、それ
     がもと(脳挫傷)で亡くなったのは揺ぎのない事実なのだ。あの時に時計の針を戻
     せたら・・・。何度もその付近を往復。再び写真撮影。時折、人が通るが、何も気
     にする素振りはない。ここで有名な人気アーティストが命を失ったというのに・・・。
      最後にもう一度合掌してからその場を立ち去った。たぶん、この場所に来ること
     は二度とないだろう。

Img_3754_r Img_37552_r

Img_3756_r Img_3757_r

Img_3759_r Img_3761_r

Img_3762_r Img_3763_r

 http://www.youtube.com/watch?v=Nu8rZIsTXdA (当時のニュース映像)

 http://www.hosp.keio.ac.jp/ (慶應義塾大学病院のホームページ)

 (ミステリー作家戸松淳矩さんの「転落死の謎」のHP)

 http://89865721.at.webry.info/200706/article_2.html

      実は、もうひとつこの場所には或る思いがあった。それは昭和の時代に、石原
     裕次郎が心臓の大動脈瘤の手術を受け、3%の生存率しかない難しい大手術の
     末に生還を果たした場所だったのだ。屋上で、渡哲也と石原まき子夫人に付き添
     われて、ガウン姿の彼が車椅子から立ち上がり、詰めかけた報道陣に向かって
     手を振って歓声に応えたのがここだった。
 9:52 慶應大学病院発。ここまで当初の予定よりも1時間半も早い。やはり、築地がい
     きなりの休場だったせいで、時間が余ってしまったのだ。こういう事態に陥った時
     の時間の潰し方を知らない。東京ドーム?新宿下車で遊び?アメ横?くらいしか
     思い浮かばない。とても「東京スカイツリー」まで足を伸ばして戻れる時間ではない
     し、岡田有希子が投身自殺した四谷の「サンミュージックビル」は今回の趣旨に合
     わない気がした。「あまちゃん」でブレイクした原宿のNHK放送センターや靖国神
     社再訪なども頭にはなかった。あまり歩きたくないので、このまま大宮に向かい、
     鉄道博物館で時間を調整することにした。やはり都会の雑踏は苦手だ。

10:00 信濃駅でスタンプを押し、大宮までの450円の切符を券売機で購入。中央線乗
     車。メモすることは足の痛みばかり。それと仕事でしくじり、人間関係を悪くしたこ
     とが旅行中ずっと脳裏から離れなかった。この中央線はシートが跳ね上げてあっ
     て、広々空間。10時まではラッシュを意識してこのような配置に。10時過ぎたら 
     近くに立っていたサラリーマンのおじさんが急にシートを手動で倒して座り始め
     た。
10:04 新宿駅到着。乗り換え。階段の途中で発車のベル。タッチの差で先発列車に乗
     れなかった。

10:17 4番線から「湘南新宿ライン」の特別快速に乗車。最初は満員で座
     大宮まで直通運転。有難い。しかも停車駅は、池袋、赤羽、浦和のみ。周囲の人
     は相変わらず携帯でネット通信。少し居眠りした。ずっとどんよりした曇り空。都会
     から逃げるように電車は都心から離れていく。
10:31 赤羽駅、10:40浦和駅停車。時々日差しが降り注ぐ瞬間があった。大宮駅のす
     ぐ手前に「スク水専門店の可愛子ちゃんの大看板」。妖しい誘惑。
10:45 大宮駅に到着。ここからさらに地獄体験。歩きたくないのに足を引きずってニュ
     ーシャトル乗り場へショッピングモールのような通路を北へ。痛くて急いで歩けな
     い。対向してくる歩行者が多い。都会は人の波が半端じゃない。ニューシャトル
     (埼玉新交通)の乗り場は結構離れた外れの場所にある。券売機で180円(ひと
     駅間でこれは高い)の切符を購入していると、いきなり発車のメロディとアナウン
     ス。猛然と駆け込み乗車。間一髪で乗れた。
10:50 大宮駅発車。その路線は、レールがなく、札幌地下鉄のようにゴムタイヤ走行?
     ゆりかもめみたいな感じで、車両が短く、マッチ箱を連ねて走っている印象。しか
     もくねくねと蛇行した進路で、車両同士が曲がりくねって走行。急に雲行きが怪しく
     なり、上空真っ暗。いつ一雨来ても不思議ではない状況。
10:53 鉄道博物館(大成)駅着。皆、ここで下車。そこから階段を下りて、更に博物館の
     入具とまで200mほど歩く。辛い、広い通路に車輪やSLの前面部などが壁に埋
     め込まれていたり、すでにこの通路から展示物が始まっている。やがて右に折れ
     て、両側に入場券購入の券売機を発見。最初液晶画面のどこをタッチすればい
     いのかわからずに戸惑う。1,000円を投入し、磁気のパスカードを受け取る。改
     札機のようなゲート機にタッチして入場。
10:56 鉄道博物館初入場。6年越しの夢だった。やっと来れた。日本語版の館内案内
     パンフを取り、館内へ。いきなり床に、複数のSLのプレートがガラス張りの奥に埋
     め込まれてある。エスカレーターの付近に、遠足と思しき幼稚園児の集団が。賑
     やか。右に折れ、まずは1Fフロアから攻める。広大なフロアに圧倒される。いきな
     り旧国鉄時代の古い車両が現れ、順追って国鉄の歴史に触れられるような仕掛
     け。黎明期の超レアな客車や蒸気機関車が所狭しと展示されている。年代物の
     客車やSLが目を引く。衝突防止の閉そくシステムなどの機械類も陳列。このフロ
     アだけで、大小30以上もの車両があちらこちらの様々な向きで並んでいた。ひと
     きわ目を奪われたのは、やはり、自分が幼少期に乗った車両。それはクリーム色
     に赤のラインが入った「L特急ひばり号」、小豆色とクリーム色のツートンの急行車
     両。あづま・ばんだい・まつしまなど、かつて自分が乗車した懐かしい車両だ。亡
     き父親に連れられて東京見物した際には、行きがひばり、帰りが急行だった。こ
     れに何度乗ったことか。涙が出そうなくらい懐かしい。本日は先頭車両のマークが
     「あいづ」ではなく、「ひばり」だった。日替わりで交互に表示が変わるが、ラッキー
     だった。早速車両に乗り込み、久し振りにシートに腰掛けて、当時の感慨に浸っ
     た。隣りの東北新幹線の初期型車両(緑のライン)には、お爺さんお婆さんの団体
     客が座っていた。階段で昇れば、車両の屋根の上から見物でき、パンタグラフを
     間近で見れる。また、車両の下に潜れる階段もあって、台座を下から眺められる
     スペースもあった。東海道新幹線の初期の0系新幹線の先頭車両、ブルートレイ
     ン「あさかぜ」、昔の国電(高尾行のオレンジ車両)も並列していた。所々に黒子の
     人形も効果的に配置し、ストーリー性を持たせた演出も施されていた。2F・3Fの
     南側は、ラーニングスペースで、電車が止まる仕組みや、衝突しない仕組み、あ
     るいは燃料の変化(石炭・軽油・電気)と動力の違いなどがつぶさに学べるコーナ
     ーもあった。信号も実物の模型もあった。自由にタッチして切り替えられる。また、
     1Fの屋外には駅弁販売コーナーと、本物の「あさま」と「とき」の車両が並べてあ
     り、車内で自由に食事が摂れるゾーンがあった。また、子供はミニ電車に乗れる
     アトラクションもあった。至れり尽せりで来訪者を飽きさせない仕掛けが多数。あ
     まり何回も来訪できないと思い、ここぞとばかり、脚の痛みを忘れてしゃにむに見
     学。3~4回同じフロアを往復して見物して回った。
      運転室や内部に入れない列車も多い。かつて実際に新幹線司令室で使われて
     いた、運行状況を示す大型パネルもあったし、運行開始した頃の新幹線の貴重
     な映像をテレビで放映していたり、子供が遊んだ新幹線のおもちゃも陳列してあっ
     た。家にも同じものがあった気がする。

Img_3767_r Img_3772_r

Img_3773_r Img_3771_r

Img_3774_r Img_3776_r

Img_3777_r Img_3781_r

Img_3784_r Img_3790_r

Img_3792_r Img_3788_r

Img_3798_r Img_3796_r

Img_3793_r Img_3794_r

Img_3804_r Img_3805_r

Img_3810_r Img_3808_r

Img_3812_r Img_3813_r

11:30 フードコートへ。2FのTDというレストラン。オープンスペース。デミグラスハンバー
     グ+ドリンクバーのセットを注文。1,080円。席を移動し、線路が見える窓際の
     一番奥のテーブルへ。やはり一人の見物は寂しい。No.1の立札。カルピス、ウー
     ロン茶、メロンソーダ(半分)、アイスティー(氷入り)、アイスコーヒー2杯で計6往
     復。貧乏性丸出し。悲しい性。曇り空に変化なし。コックスタイルでやや肥満気味
     の男性係員が料理をテーブルまで届けてくれた。

Img_3814_r Img_3815_r

11:55 食事終了。トレイと食器類はセルフで棚へ戻す。2Fの壁に沿って囲むように設
     けられ回廊通路を歩いているとちょうど時計の針が12時を指し示した。
12:00 転車台に乗った本物の巨大なSLがゆっくりと回転するアトラクションが始まった。
     汽笛を3~4回、館内中に鳴り響かせ、煙を噴いていた。そして360°ゆったりと
     時間をかけて台座が回転した。運転士もギャラリーに手を振っていた。女性の制
     服を纏った係員がMCを務めていた。
      更に館内を右往左往したり縦横無尽に片っ端から見て回る。これほどの車両群
     を間近で見られるスポットはそうそうない。一堂に会し、滅多にお目にかかれない
     レアな古い汽車も多数展示されている。鉄道の初期の頃のSLや豪華すぎる天皇
     家御用達の御前用の客車まであった。さすがにこれは立ち入り禁止。ガラスの向
     こうにあった。ただ残念だったのは、2Fの通路にある「運転シュミレーター」が予
     約制で、時間外で閉められてあったこと。有料で500円だった。その隣りの展示
     室には実物のパンタグラフや機械類、そして記念運転の際に車両のフロント部分
     に設置するプレートが飾ってあったり、東海道新幹線で使われていた列車の発車
     時刻を表示する回転ボードなども陳列してあった。

Img_3817_r Img_3818_r

Img_3816_r Img_3824_r

Img_3828_r Img_3836_r

Img_3838_r Img_3840_r

Img_3842_r Img_3844_r

12:30 WCの後、エレベーターで屋上のパノラマデッキへ。左側は、走行する新幹線の
     車両が生で間近に見られるコーナー、右側は、眼下に在来線が見渡せた。線路
     の数は10本では利かないくらい多い。オレンジと緑のカラーの車両が多く通過し
     ていた。鉄オタには堪えられない絶景スポットだろう。

Img_3850_r Img_3848_r

12:40 エレベーターで2Fに降りたら、巨大ジオラマのコーナーが開場していた。13時開
     演の運行プログラムまで、最上階中央のベンチに陣取って待つ。縦横無尽に
     様々な列車が走り回っている。子供には堪らないスポットだ。ガラス張りの奥に築
     かれたジオラマは、幅20mはあろうかという巨大な作りで、鉄道もHOゲージ。山
     あり谷あり、海あり市街地ありの凝ったレイアウトで、大規模なものだった。次第
     に客足が増え、幼稚園児たちも乱入。一気に煩くなる。
13:03 運行プログラム開始。女性係員の案内付き。でも園児の大歓声で聞こえない。
     前面の上部に備え付けられた4つのモニターに走行する「はやぶさ」が映し出され
     ると大歓声。照明が明るくなったり暗くなったりと24時間の情景を再現していた。

Img_3856_r Img_3857_r

Img_3859_r Img_3860_r

Img_3863_r Img_3862_r

Img_3866_r Img_3867_r

Img_3871_r Img_3872_r

13:30 その後、再び館内を巡回。5~6回目か。1Fには高崎線の特設コーナーがあっ
     た。傾斜のある坂道を汽車が登るのが、当時はどれだけ大変だったかを模型を
     使っていじって学べた。ここは写真撮影禁止だったのに、わからず撮ってしまっ
     た。この館内は、一部を除いて、基本的にフラッシュを炊かなければ写真撮影は
     OK。また、スイッチバック方式を説明する模型では、自分で電車の発着をスイッ
     チ操作できた。その仕組みを学べた。また、入口近辺のコーナーに衝突防止装
     置の閉そく区間を体験できる機械やその仕組みをVTRで見た。大きなワイヤーの
     付いた鍵のような物を各駅間で受け渡しして連絡手段にしていたは・・・。アナログ
     世界というか、ステレオタイプすぎる。見どころは無数にあり、ここで時間を費やし
     て大正解。1,000円でこれだけ見て回れれば安すぎ。何度も往来し、目に焼き
     付けた。平日で何より。ガラガラ状態で、心ゆくまでじっくりと見物できた。充実して
     いた。予定では2時間半程度の見物時間だったが、3時間半も見て回れた。おか
     げで脚はもう動かない。鉛を引きずっている感じだ。明日仕事なのに・・・。支障を
     来すことは必至。

Img_3873_r Img_3875_r

Img_3877_r Img_3889_r

Img_3881_r Img_3894_r

Img_3885_r Img_3888_r

Img_3891_r Img_3892_r

      最後に、再び2Fへエスカレーターで上がった。もう歩くのも辛いので、壁沿いに 
     設置された、国鉄時代からJRまでの鉄道の歴史を記した年表とガラスケースの
     中の展示物を見物した。古い切符や新幹線の模型もあった。年表にて自分が生
     きて来た時代を重ねて、いろんな出来事を確認。なかなか発見できなかったの
     が、「ひばり号」の運行開始時期と昨日訪れた鶴見事故の概要。後者は見つか
     り、昭和38年の発生で、死者は161名にも上ったとの記載。前者は、昭和57年
     の東北新幹線大宮駅暫定開業により、廃止された。「はつかり」「やまびこ」「つば
     さ」「やまばと」「あいづ」などの特急は相次いで廃止に追いやられた年だ。
      ぎりぎりまで歩き通して限界を感じたので、お土産ショップへ。めぼしい候補が幾
     つかあって迷った挙句、お菓子を3つ購入。1,575円で1万円を崩した。

Img_3897_r Img_3901_r

Img_3902_r Img_3903_r

                 Img_3906_r

14:23 後ろ髪を引かれる思いを振り払い、カードを返却して外へ。その際、新品のパン
     フと来場記念のカードを2枚取った。足を引きずりながら鉄道博物館駅へ。券売
     機で180円区間の切符を購入。左奥のエスカレーターから1番線ホームへ。先頭
     で電車の到着を待つ。線路のない風景は奇妙。進行方向のアスファルトの路は
     急に盛り上がっていた。そこから見下ろす駐車場は平日のためガラ空き。上りと
     下りのホームがかなり離れた場所にある。先に到着したのは緑色の下り車両。音
     が少なくて静か。ほどなく赤い車両の大宮駅方面行きも到着。すかさずシャッター
     を切った。先頭車両の一番前に陣取り、運転手の背中越しに進行方向の風景を
     観察。まるで子供。隣りには下校途中の中学生グループ。

Img_3907_r Img_3908_r

Img_3909_r Img_3910_r

 鉄道博物館の公式ホームページはコチラ

14:34 鉄道博物館駅発車。60km/h未満の走行なのに速く感じる。急坂をアップダウン
     しているのに、鉄製の車輪ではないためか異様に静か。
14:39 右に大きくカーブして大宮駅に滑り込んだ。凄いアングル。すでにこの電車の到
     着を待っていた乗客が多数並んでいた。コンコース通路を渡って再びJRの改札
     前の広いスペースへ。北口改札や南口改札などたくさんあって迷う。しかし、帰り
     の新幹線までは1時間近くある。さて、どうやって時間を潰すか。いつもこれで頭
     を痛める。どこか行こうにも足が痛くてどうしようもない。歩けない。NEWDATSのコ
     ンビニで綾鷹を147円で購入。
14:54 やむを得ず長いエスカレーター乗り、17番ホームへ。その前には連結車両数と
     乗るはずの7号車の位置を何遍も表示板で確認しておいた。この辺りは用意周
     到。ホームのベンチに座り、新幹線を3本見送る。自由席でもいいから、目の前
     の車両に飛び乗りたいくらいだった。でも列車指定なので、所有しているチケット
     では、変更が不可。結局30分以上も待たされた。郡山に帰れば、現実に戻され
     る。嫌な気分を残しての旅立ちだったので気が重い。ホームを行き交う綺麗な女
     性たちを眺めて目の保養。この旅行で硬いアスファルトの上を20km以上歩き通
     したせいで腰も痛いし、もう動きたくない心境。今回の旅行では、靴が合わないせ
     いもあるが、とにかく歩き疲れた。足の裏の水ぶくれがあまりにも痛い。でも後悔
     だけはしたくなかった。いかんせん田舎者なので、しょっちゅう東京に行けない。

                Img_3911_r

15:34 やっとこさ「やまびこ143号」が滑り込み、乗り込んだ。7号車2番E。窓際だ。し
     かし、東京駅、上野駅と経由しても私の座席の隣りには意外にも乗客なし。という
     かこの先も郡山駅までは隣りに誰もいない状況が続いた。そして車内はガラガ
     ラ。曇り空。この2日間、2つの台風襲来で、晴れ間はなかったものの、傘をさす
     場面は一度もなかったので幸いだった。次第に、郡山を出る時に、不愉快な思い
     を残して来たことが蘇ってきて、胸糞悪くなって、ムカついてきた。
15:58 宇都宮駅着。相変わらずの曇り空。小高い山の上にタワーが建つお馴染みの
     光景。ここでも車内はガラガラ。隣り不在。なのに何故30%割?これだったら
     35%引きでもOKだったのでは・・・。トンネルが増えだし、白河駅をノンストップ通
     過。8月に訪れている見慣れた風景。須賀川~安積町の景色。ビッグパレット、
     49号線の東陸橋が左側に流れゆく。スピードダウン。
16:28 郡山駅着。夕暮れ。つい4日前に、この駅前広場で或るパフォーマンスを実施し
     たが、遥か昔の出来事のよう。それくらいいろんな出来事があったということ。改
     札を抜け、エスカレーターにて1Fへ降りた。そして迷わずバスターミナルへ。やや
     肌寒い。7番のりばの「さくら循環」が間違いないが、2分前に出発したばかりで、
     後続は20分以上も待たなければならず、至近のバス停の時刻表と路線図を見て
     回った。すると16時40分発のバスがあった。それは9番乗り場から出る「あすな
     ろ循環バス」だった。それを待つ。
16:40 郡山駅発。郡山駅前の大通り、中央大町、R4をまたぎ、清水台経由。
16:50 第二中学校前バス停で下車。170円。ちょうど小銭の持ち合わせがあった。
16:52 そこから徒歩で100mほど歩き、車を預けた実家へ。お土産のチョコを渡し鍵を
     受け取る。仏壇に手を合わせ、線香を手向ける。母親に石原裕次郎の墓参りに
     行ってきたことを告げる。そんな目的でわざわざ東京へ行ったのかと半ば呆れら
     れた。実家に行った際には必ず出てくるお茶と梅干、みかんとりんごをゴチになっ
     た。薄暗い。
17:28 実家を出て、車で神明通り、会津街道経由で帰路に着く。
17:42 自宅到着。自宅には、小学校の同窓会の案内ハガキが届いていた。平成9年1
     月以来、17年振りの開催だ。またイベントが続くことにニンマリした。

 2日目の費用

 宿泊代(前日の夕食を含む) 5,800円
 電車代 160円+160円+450円+180円+180円+4,400円
 お茶代 150円+147円
 入場料 1,000円
 昼食代 1,080円
 土産代 1,575円
 バス代   170円

   計 15,452円          2日間の合計額  22,927円  

  後記

 さて、22日(火)、23日(水)の振替休日を利用しての東京旅行の一部始終を記載したが、いかがでしたか。個人の備忘録のつもりで紀行文形式で書き留めてみた。あまり参考にはならないかもしれないが、所詮人間の記憶なんて曖昧なもので、大切な旅行の想い出も、数年もすれば立ちどころに忘れてしまうもの。だから、忘れないためにこのような紀行文をしたためている次第だ。
 今回の旅行は、10月の一大イベントを無事乗り切った自分へのご褒美として計画していたもので、今年中に行っておきたい場所を幾つか事前にセレクトしていた。しかし、2つの超巨大台風の襲来で実行が危ぶまれたり、前日には、人間関係をしくじって、その余韻を引きずったままの旅立ちとなり、やや心底楽しめないものとなってしまった。決して逃避行とするつもりはなかったのだが・・・。これが唯一の反省材料。

 旅行自体は、初期の計画をほぼ達成できて充実していたし、満足している。しかし、築地市場が休みとなったことで、山岸舞彩キャスターの実家の玉子焼き屋で土産を買えなかったことが残念な出来事だった。初日の墓参りは出来すぎ。天知茂、石原裕次郎という昭和の大スターの墓を相次いで訪れて、実際にお参りできたことは収穫だった。そしてメインだった、坂井泉水のお墓参りを実現出来きたことは奇跡に近いことだった。数少ないネットの情報を頼りに、そこに映し出された建物を手がかりに自分で予想を立て、ここが最有力地との予測を立て、それがまんまと当たった。本当に彼女のお墓を発見できた時は、この上ない幸せ感を得た。でも彼女の墓前で思ったことは、彼女は6年半近く前に、紛れもなくこの世から去ってしまったという、信じ難く、受け入れがたい現実だった。心にポッカリと穴が開いたような虚脱感。2日目には転落した現場も訪れ、心から彼女のご冥福を祈りつつ合掌したが、6年の月日は、彼女の存在すら薄くしてしまうほど、何事もなかったかのような日常がそこにあった。悲しい現実を突きつけられて、身につまされた。だけど幾ら時が経とうとも、大好きだった彼女のことは決して忘れないでいたい。この記事を執筆している最中でも、イヤホンで聴いているのは彼女の曲だ。本当は涙が出るくらい悲しい出来事だったが、彼女のお墓参りを実現できたことで、生前会うことが叶わなかったのに、こんなにも彼女を身近に感じることができている。少しはお墓の位置が判明し、行こうと思えば毎年でもお参りに行ける状況を得たことで、彼女を失った悲しみの傷が癒えそうな気がしている。
 そして締めくくりに訪れた「鉄道博物館」。6年越しの夢が叶った。初見参となったが、幼少の頃から鉄道ファンだった私としては、何もかもが新鮮で、ノスタルジックな感慨に浸る場面が随所にあった。特に亡き父親に連れられて東京見物した時に乗ったのは、毎回「ひばり1号」だったし、帰りは21時台の急行「あづま」や「ばんだい」、「まつしま」だった。その両方が展示されているのには正直シビレた。亡き父との想い出がここに来れば鮮やかに甦るような気がした。マイナス材料は、今夏の北海道旅行時もそうだったが、靴が合わず、歩き通した結果、脚の付け根と足の裏の水膨れを拵えたことによる激痛を伴い、思うように歩けなくなったこと。激痛と闘いながらの旅路となってしまった。次回は、このようなことが起きぬよう、万全の態勢で臨みたい。

 最終記事作成:10月25日(金) 22:36

 

 

« 有名人の墓参りと鉄道博物館の旅①(10/22) | トップページ | 郡山の魅力再発見!⑤~知られざる郡山の素顔~ »

旅行・地域」カテゴリの記事

福島県の天気


無料ブログはココログ