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2013年10月24日 (木)

郡山の魅力再発見!⑤~知られざる郡山の素顔~

 このシリーズ記事も今回で5回目を迎えた。タイトルは多少なりとも大げさだが、今日は郡山市民でもあまり馴染みのない隠れた部分にスポットを当てたい。

 「赤木遊郭」

 赤木町と言えば、その名を一躍全国区に押し上げたのが、皮肉にも、ありがたくない汚名となった「ゴミ屋敷」である。旧コマツ醤油屋の坂を上がって、日の出屋酒店があった交差点を左折し、細い一方通行路を4号線に向けて進む道すがらにあった。赤木町と咲田二丁目にかけて4軒またがって民家にゴミを溜め込んで放置していた。連日マスコミが押し寄せてワイドショーの中継を行っていた。しかし、それはもう10年近く前の出来事で、町内会の働きかけもあって、一掃作戦を展開。70トンものゴミを清掃処理センターに運んで処分。その一角は整備され、もはやその面影すら感じられないほど綺麗になったという。

 それはさておき、郡山は江戸時代に奥州街道の宿場町として繁栄した。交通の要衝だったこともあり、旅人の疲れを癒すために一宿一飯を提供する御宿も数多くあったと聞く。温泉場でもないのに、よくもまぁ郡山の礎を築いた産業が宿貸しだったとはいささか戸惑うし歯がゆい感じがする。しかも当時は、現在の4号線沿いに、旅人へ遊興を提供する場と称して「遊郭」が築かれたと文献には記されている。そして時が明治に移ると、今の赤木町の一角へと移転したようだ。そうした記述がある史実は以下の通り。

 明治32年、郡山市街地からの移転問題が起こった。もともと街道宿駅として発展した郡山は、江戸時代には飯盛女が名物として道中記にも紀行にも知られていた。明治5年10月の人身解き放し令で、娼妓廃止となったが、翌年貸座敷規則によって復活、明治34年赤木へ移転。郡山の歓楽地となって夜毎に太鼓の音や絃歌が響いていた。

 当時のその建物は赤木の高台にドンと聳え立つ大御殿で、それは豪勢な造りで圧倒されるような威容だったとされる。下の白黒写真がそのかつて豪邸「赤木遊郭」である。

Img_2940_r

 「遊郭」といえば江戸の「吉原」が有名だが、赤木のそれも、吉原を模した造りで、入口には大門が聳え、華やかな様相だった。朱塗りの格子窓から艶やかに化粧して、華やかな着物を身に纏った遊女たちが夜毎男たちを色仕掛けで誘い、一夜を共にしたに違いない。男心をくすぐる遊郭は、今で言うと性風俗で、まさに「夢の世界」だが、よもや郡山にもそのような大掛かりな建屋があったとはいささか疑問だった。実際にそのような客引きをしたか否かは不明だが、芸妓達が小太鼓叩き、三味線を弾いてのいわゆる芸者遊びをしたのは間違いないところだ。

 そこで、実際にその痕跡をこの目でしかと見届けようとその地を訪ねてみた。それは10月6日(日)のことであった。

 小学生時分に野球をしに行った空き地がある狭い道路を下って上がり、周囲を注意深く調べながら車を走らせたが、やはりもうゴミ屋敷らしき建物は確認できず。家主が改心したか、引っ越したかだろう。その後、それらしき十字路で右折し、2年前まであった筈の大門があった道路へ。右側にビジネスホテルが・・・。目印となる下宿「一登苑」は跡形も無くなっていた。

 9時12分に到着し、10分ほど滞在。アスファルトの路面には、大門の支柱を移動した部分を埋めたような痕跡も皆無。その近くに小さな石柱の欠片が転がっていただけ。

Img_2935_r Img_2936_r

上の写真の電柱がある付近に石柱の門があった。もちろん道路の両側に。

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 複数のブロガーの方の訪問記事を読めば、その大門が最近まで壊されずに残っていたのだが、2年半前の震災で「特定危険物件」に指定され、崩壊の危険度が高いことから、敢え無く撤去されたらしい。訪れた方の記事をリンクさせていただいた。

http://blog.goo.ne.jp/erotomania_2006/e/a3b9fbe2f61094e6485f35110e54b8ef

http://www42.tok2.com/home/kaidoweb/waki/mati.htm

http://huusan.exblog.jp/6177836/

 撤去前のそれは、結構な高さがあり、石造の門柱には「明治三十四年九月建立」と彫られていた。『消えた赤線放浪記』によると、この遊郭は旧街道沿いに点在していた妓楼を集めて建造されたもので、昭和初期には妓楼十軒に六、七十人ほどの女性がいたらしい。残念ながら現在はこの大門跡を含めて周囲は住宅街になっており、往時を物語るものは何一つ残っていない。当時の面影を偲ばせるものは無いのは残念だが、意外な新発見を得られ、40数年郡山に居を構える私としては収穫だった。

 記事作成:10月5日(土)~7日(月)

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