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2013年10月30日 (水)

巨人軍の功罪エピソード

 私は物心ついた時から大の巨人ファンだった。一番影響を受け、感化された小学生時代は、スーパースターONが日本プロ野球界に君臨し、その屋台骨を支え、V9という輝かしい大金字塔を打ち立てた時代だった。華麗な守備と豪快なホームランに魅了され、その当時の男の子は、誰もがソフトボールや野球をしていたと思う。「巨人・大鵬・玉子焼き」という言葉が生まれ、当時の子供の大好きな物であり、流行でもあった。しかし、裏腹にも「常勝軍団」であるが故の葛藤や苦悩があった。特に即席の結果だけを求められる人気球団だっただけに、毎年繰り返された「電撃的トレード」や内部の亀裂や軋轢を生み出すような事変が相次いで起きてしまった。言うなればこれらは負の遺産であり、ファン心理を逆なでするようなものだった。
 私のファン歴は40年以上で、筋金入りではあるが、時として嫌気が差すことも多かった。現場に深入りしすぎるフロントとの深刻な対立や、影響力のありすぎる球団オーナーや代表の不用意な発言によって現場が大混乱する事態を招くこともしばしだった。これが負けが混んだ時の球界の盟主たる巨人の悩みのタネであったことは言うに及ばない。
 では、具体的にはどのようなドタバタ劇があったのか、モデルケースとして幾つかの逸話を交えて例証したい。

 1.江川卓の「空白の一日」騒動(ドラフトに翻弄された怪物)

 これは球界の盟主の巨人が犯した重大な規則違反で、社会問題になったほど不可解な事件だった。高校(作新学院)時代からノーヒットノーラン9回、完全試合2回を達成するなど「怪物」の名を欲しいままにしていた剛速球投手・江川卓。それは手元でホップする伸びのあるストレートが最大の武器だった。打者はバットに当てることも困難なほどだった。
 1973年の高卒時、阪急ブレーブスからドラフト指名を受けたが、巨人入りを熱望していた江川はこれを拒否し、大学進学を表明。慶應受験に失敗した後、拾われるように法政大学へ進学した。大学でも奪三振記録を塗り替え、最多勝利の記録も更新し、「神宮の星」となった。1977年の大学卒業時のドラフトでは、クラウンライターライオンズから1位指名を受けるが、再び入団を拒否。米国野球留学を含む浪人生活を送った。そして1年後(1978年)の3度目のドラフト会議のまさに前日に事件は勃発した。

 当時の正力享オーナーを含む巨人の経営陣が、翌日に控えたドラフトを待たず、突如ドラフトの盲点を突く「空白の一日」を利用して江川との強行契約を交わしたのだった。これは明らかなルール違反であり、非難の目が球団と江川本人の両者に注がれた。無論この契約は無効となったが、これに反発した巨人が翌日のドラフトをボイコットする前代未聞の事態に発展。結果、巨人欠席で行われたドラフトで、江川は阪神が指名して交渉権を獲得した。ここでも江川は巨人への忠誠を貫き、阪神への入団を頑なに拒絶。この非常事態に異例とも思えるコミッショナーが仲介に入り、妥協案を提示。それは「前途ある球界の宝ともなり得るような将来を嘱望された逸材をみすみす無駄にすることは、球界全体の損失」とするもので、前例のない仲裁案だった。それは、江川が一旦、阪神と契約を交わし、その後直ちに巨人へのトレードで入団させるという異例中の異例の裁定だった。阪神側は、その見返りに、当時巨人軍のエースだった小林繁を指名。前代未聞のドタバタ劇は、トレードという形で混乱の幕引きを図り、事態は収束した。

 この出来事は、ドラフト制度のあり方にも一石投じ、大きな波紋を投げかけた。球界のルールを無視し、やりたい放題の江川に対し、マスコミはこぞって彼を悪役に仕立て、ファンの怒りを買った。一方の小林は、突然の江川の身勝手な振る舞いにも努めて紳士的に振る舞い、不満を一切口にせず、この不条理な裁定に従い、トレードを受け入れ、拍手喝采を浴びた。小林は密かに投倒巨人を誓い、猛練習を重ね、翌シーズンに、登板した巨人戦は全試合負けなしの快投を演じた。しかも自身最高の22勝(9敗)を挙げ、最多勝を受賞。一方の江川は、9勝止まり(10敗)でシーズンを終えた。江川が投げた試合はブーイングの嵐で、ファンの野次やバッシングは強烈だった。江川には「手抜き」や「一発病」というレッテルが貼られた。寡黙な小林に軍配が上がったのだった。小林は阪神移籍後、3年連続で15勝以上をマークする戦績を残した。駄々っ子でガキンチョのような江川に対して、冷静で大人の対応の小林というのが世間の見方で、それが通説となった。
 この一連の出来事が、その後の野球人生に大きな遺恨を残し、印象が芳しくなくなっただけでなく、江川はコーチや監督の誘いがないのは周知のところで、未だに野球界(現場)に復帰できていない。王道を歩んだ原辰徳とは対照的に、評論家や解説者として外野から持論を述べるだけの存在に落ちぶれてしまっている。他人を巻き込み、自らの我儘を貫いたことが、後々これほどの悪影響を及ぼしている典型例となっている。

Kobayashiegawa

http://www.youtube.com/watch?v=K9T4VnlCYi4

 関連記事 「ドラフトを蹴った「巨人命」の選手たち」はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-17ec.html

 2.高橋由伸の逆指名(翻意して急転直下の巨人入りの謎)

 東京六大学野球のスーパースターとして活躍した選手は数あれど、「天才打者」の名をほしいままにしたのが、慶應義塾大学のスラッガーだった高橋由伸だった。田淵の持つ大学通算本塁打記録を更新し、三冠王も獲得するほどの実績を残した。慶應出身のプロ野球選手は大成しないというゴシップもどこ吹く風、鳴り物りで、プロのスカウトのみならず、その進退については世間の注目の的だった。結果的に彼は、大どんでん返しの末に逆指名で巨人入りを表明したのだが、ここにも数奇な運命のいたずらが潜んでいた。
 その当時のドラフト制度は、大学生と社会人については、各球団2名までが選手からの逆指名によって入団が認められていた。未成年の高校生以下にはその条項は適用されず、それ以外の選手は、相思相愛であれば、希望球団への入団が可能だった。
 当初、当の高橋本人は、マスコミ等にはヤクルトが第一志望で、入団する意思を固めていることを明言していた。ところが、蓋を開けてびっくり。急転直下で、急遽開かれた会見の席上で、いきなり巨人への逆指名を表明したのだった。「私、高橋由伸は読売巨人軍を逆指名します」と宣ったのだ。ここ、ここに至って、世間を揺るがす突然の翻意の原因とはいかなるものだったのだろうか。その理由について彼は、自身ではなく、父親と祖父が巨人ファンだったというものだった。何とも苦しい弁明だったが、一部では、水面下で多額の現金の授受があったのではと疑る記者もいたし、様々な憶測が飛び交った。つまりは両者しか知らない密約説だ。しかし、入団から十数年経った今、真相は以下の通りが最有力である。

 当時、由伸の父親の会社が倒産寸前だった。そこに、これほどの逸材をみすみす同じリーグの他球団に渡すには惜しいという思惑から、巨人が由伸獲得の名目で60億円もの大金を出して、父親の会社の立て直しに一役買った(週刊文春の記事として掲載)。由伸は神宮で育ったこともあり、ドラフトギリギリまでヤクルトが希望球団だったが、父親のことで球団に恩義があるので、FA権も行使せず、メジャーにも行かず、今日まで「生涯ジャイアンツ」を宣言しているとされる。この事実を隠すために、そのことは公にならず、祖父や父親が大好きな球団だからということが巨人入団の理由と発表されただけで事態は収拾された。不可解な決着だった。

 3.他球団の看板選手の買い占め(トレード、FAでエース級・4番を独占)

 これも当ブログで記事にした内容である。巨人というチームは勝つことを義務付けされた特殊なチーム事情がある。だから時間をかけてゆっくり育てるという方針はチーム事情に合わない。従って即興で戦力を整えられるトレードやFAで他チームの有力選手を金にものを言わせてかき集める傾向があった。そうして集めた外人(多国籍軍)部隊はそうそうたる超一流選手が名を連ねた。では驚きの巨人に在籍した選手を列挙したい。

 投手・・・高橋直樹(日本ハム)、工藤公康(ダイエー)、川口和久(広島)、グライシンガ
      ー、ゴンザレス(ヤクルト)、藤井秀悟(日本ハム)、ホールトン(ソフトバンク)、
      阿波野秀幸(近鉄)、杉内俊哉(ソフトバンク)、シコースキー(ロッテ)

 打者・・・簑田浩二、加藤英司(阪急)、屋敷要(横浜)、石井浩郎、ローズ(近鉄)、広澤
      克実、ペタジーニ、ラミレス(ヤクルト)、マルチネス(西武)、江藤智(広島)、
      清原和博(西武)、小久保裕紀(ソフトバンク)、小笠原道大(日本ハム)、
      村田修一(横浜ベイスターズ)、落合博満(中日)

 いずれも他のチームの主力を根こそぎ獲って来たと言って過言ではない。しかし、巨人に入団した途端、前年までの好成績は影を潜め、鳴かず飛ばずで、数年間在籍し、再び戦力外で放出。すると再び水を得た魚のように活躍する不思議。

 4.第一次原政権下での辞任劇の裏側

 長期政権を担った長嶋監督が勇退し、後任に指名したのは原辰徳だった。巨人の生え抜きの選手で、4番を張った若大将への政権移譲は定石であり、シナリオ通りだった。篠塚、岡崎、吉村、川相、村田真一、斎藤雅樹など戦友たちの信望は厚く、原も腹心たちでコーチ陣を固めたのだった。バトンを受けた翌年にいきなり日本一に輝き、巨人軍の将来は向こう10年間は安泰と思われた。しかし、2年目に故障者が続出し、スタートダッシュに躓き、9月の正念場に泥沼の9連敗を喫し、優勝争いから脱落して3位と低迷した。半ば解任に近い形で原監督が責任をとって辞任をしたものと素人目には映った筈だ。しかし、大多数の巨人ファンは首をかしげた。前年に日本一を獲得して、この年もAクラス入りをしている原監督を、優勝を逃しただけでどうして辞めさせなければならないのかと。これには球団内部しか知りえないような深い事情があったのだ。以下の記載(Yahoo!知恵袋より)が真相だったようだ。

 読売グループのドンであるナベツネの懐刀として読売新聞のエリートコースを歩んでいた三山秀明氏が、将来の読売新聞社長のポストへの布石として巨人の球団代表になったところから端を発する。しかしこの男、野球には全く疎く、厳格な結果第一主義者だったのだ。球団代表という仕事はおろか、野球のこともほとんど知らなかったのに、就任直後に連敗していた原監督を呼び出して采配批判(それが球団代表の仕事だと勘違いしていた)をし始めた。選手起用や采配など、ド素人丸だしの批判をうけた原監督は「人生で最大の屈辱」を味わうこととなった。元から誠実で巨人生え抜きの4番として屋台骨を支えたことで、人一倍プライドが高い同監督は、こうしたなりふり構わぬ外様のぞんざいな振る舞いに不満を募らせた。そしてそのド素人による「チーム再建策」を聞かされるうちにモチベーションがどんどん低下していき、さらに三山代表がマスコミの前で「(巨人の歴史で一度もない)シーズン終了前での途中解任もある」と言った発言によって最後の一本が「プチッ」と切れてしまったのだった。そして三山発言が新聞に載った当日に、ナベツネ氏のところに行って辞表を叩きつけたのだ。
 慌てて慰留に勤めたナベツネ氏に対し、原は「三山代表をクビにするか、自分が辞めるかの二者択一」を迫るが、自分の後継者として期待していた三山氏をすぐに解任させることができずに、双方に丸く収まる決着を求めたものの、それを聞いた原監督は独断専行で辞任会見を開こうとしたのだった。
 ファンや選手の人望が厚い原監督の電撃解任では、ファンに怒りを買うことを恐れたフロントが、窮余の策として考え出したのが「読売グループの人事異動」という屁理屈だったという訳だ。

 こうしたドタバタ劇によって原監督の引退セレモニーは本拠地の東京ドームではしてもらえず、阪神ファンで埋まった甲子園球場で行われるという異常事態を生み、巨人ファンは強い憤りを覚え、フロントへの不信感を強めた。NHKの解説者同士で師弟関係を築いていた星野監督が、直々にセレモニーで花束を手渡し、涙ぐむ原監督に「若いんだからまた帰って来いよ」と声をかけて、熱い抱擁を交わした。そして甲子園球場にて場内アナウンスで原監督が御礼を述べ、阪神ファンからも温かい拍手が送られた場面をはっきり覚えている。もちろん人気、人望ともにあった原監督が辞任したことにより、原信者のコーチ陣もこぞって原に追従して辞めたのだった。



 しかし、結果的にこの騒動の主となった三山氏、上原投手の代理人交渉でも後に「代理人OK」となってしまう失言を繰り返し、さらに一場事件でもナベツネの関与を口にしてしまい、ナベツネをオーナーから失脚させてしまった。原監督辞任にいたる過程の醜聞によって、後釜を任された堀内監督は、コーチ就任を打診しても断られまくり、前年一軍の道具係だった人間を一軍コーチに就任させるという悲惨な状態に陥ることになる。
 さらに川相選手(現中日コーチ)など大事な人材も失うこととなった。ある意味、三山氏は「巨人をぶっ壊した」だけだった。野球を知らない人物を重要なポストに当てること自体が有り得ない人事である。そして三山氏が巨人を去った翌年に、原辰徳が再び巨人の監督に返り咲き就任。実にわかりやすい経緯と構図である。原は第一次第二次政権の11年間で7度の優勝を成し遂げるという好成績を挙げ、盤石のチームを作り上げているのは周知のところだ。

 5.トレード放出選手の復讐心

 以前も同様の記事を書いたが、巨人を追われた選手は、ことさら巨人戦になるとリベンジとばかりに好成績をあげる傾向が強い。かつては広島に移籍させられた萩原外野手がそうだった。外野フェンスに激突し、鎖骨を骨折した時も、古葉監督が直々に病院を訪れ、涙ながらに感謝してくれたそうだ。萩原は人情味あふれる古葉監督の振る舞いに、使い捨てで冷酷な巨人の待遇とは雲泥の差であることを悟り、一生この人の為に身を捧げようと誓ったそうだ。
 また、巨人時代はファームや出番が少なかったが、近鉄に異動した石毛や吉岡もレギュラーを獲得し、リーグ優勝に大きく貢献したし、スキャンダルで巨人を追放された二岡やセットアッパーの林もまた新天地日本ハムで巨人にリベンジを果たした。他にもマイケル中村、小田捕手、駒田徳広もまた然り。特に駒田は、巨人時代は満塁男の異名をとるほどの勝負強い強打者だったが、代打が多く、新外人とのポジション争いでレギュラー獲得が難しかった。しかし、自らの意思で横浜へ移籍後は、2,000本安打を達成するほどの大打者に成長した。
 しかし、一番のリベンジャーは冒頭で取り上げた小林繁であったに違いない。愚痴一つこぼさず、巨人のエースの座を明け渡し、翌年の巨人戦では、無敗の活躍。寡黙の中に復讐心を燃え滾らせ、打者をバッタバッタとなで斬りした姿は格好良く、プロ野球選手のお手本のような選手だった。

 6.桑田真澄強行指名の密約説

 PL学園時代、清原と桑田はKKコンビとして甲子園の人気を二分したスーパーヒーローだった。その二人が、悲運のドラフトによって引き裂かれた瞬間だった。早くから巨人入りを熱望していた清原和博と、そんな清原を気遣って早稲田大学進学を表明していた桑田真澄。しかし、運命のドラフトで、巨人王監督が指名したのは、皮肉にも桑田真澄だった。画面にアップになり、涙を必死でこらえる清原の悔しい表情。対照的に指名されたことすら呆気にとられ唖然とする桑田の表情。あまりにも残酷な結末だった。
 大学進学を表明し、他球団が桑田真澄の指名を回避したその間隙を突いての強硬指名。「読売・桑田真澄」とコールされた時の会場は大変などよめきに包まれた。巨人に出し抜かれた!という雰囲気だった。これまで江川など大物獲得に失敗してきた巨人が取った裏取引で、桑田本人とも密約があったのではとさえ揶揄されたドラフトだった。結果、桑田は悩みに悩んだ末に巨人入団を選択。清原は打倒巨人を胸に秘め、西武に入団したのだった。

 エースだった桑田真澄に関しては、本人が副業で多額の借金を抱えて、球団が肩代わりした事件などもあった。

 7.巨人からメジャー挑戦した面々の顛末

 野茂投手が固く閉ざされた門戸をこじ開け、日本人の有力選手がこぞってメジャーに挑戦するようになって約20年が経過した。野茂に続いて長谷川や伊良部、石井一、新庄、佐々木、イチロー、田口、井口、城島などの一流選手が渡米して活躍した。巨人の選手もその例に漏れず、メジャー挑戦をした選手も多くいた。その方々を紹介したい。

 柏田貴史、木田優夫、岡島秀樹、松井秀喜、松井秀喜、高橋尚成、桑田真澄、上原浩治らがそうだ。

            巨人時代の戦績        メジャー移籍後の戦績

 柏田貴史   4勝  2敗  1S 3.91    3勝 1敗      4.31
 木田優夫  50勝 57敗 20S 3.91    1勝 1敗  4S  5.83
 岡島秀樹  32勝 32敗 37S 3.20   17勝 8敗  6S  3.11 
 高橋尚成  79勝 66敗 15S 3.70   14勝12敗 10S  3.97
 桑田真澄 173勝141敗 14S 3.55    0勝 1敗      9.43
 上原浩治 112勝 62敗 33S 3.01    9勝10敗 35S  2.42 
 
 松井秀喜 巨人時代  1,390安打 332本塁打 889打点 打率.304
        メジャー    1,258安打 175本塁打 760打点 打率.282

 いずれも巨人時代のほうが成績は良い。高い給料と夢を追い求め、メジャー挑戦するが、結局は成績は芳しくなく、引退に追い込まれてしまっている。 

 8.清武氏の謀反(告発)とお家騒動  

 こちらは記憶に新しいドタバタ劇。2011年11月11日に起きたプロ野球チーム「読売ジャイアンツ」の運営会社「株式会社読売巨人軍」球団代表清武英利による、同社取締役会長渡邉恒雄への告発に関する問題である。「読売巨人軍のコンプライアンス上の重大な件」する記者会見を開き、巨人の来季のヘッドコーチ人事を巡って渡邉恒雄球団会長が不当に介入し、告発直前に問題となった大王製紙やオリンパスを引き合いに出して、会社の内部統制とコンプライアンス(企業倫理)を破ったとする声明を発表し、渡邉を批判した。清武はこの問題を理由に、同月18日読売巨人軍におけるすべての職を解任されている。

 9.巨人入団のために浪人した選手たち(巨人神話に惑わされた面々)

 これも以前、本ブログで特集記事にした通りだ。江川卓、元木大介、そして昨年の菅野智之である。プロ野球のルールを無視してまで、そんなに巨人に入りたいのだろうか。小さい頃からの憧れの球団でプレーしたいという 時として我儘とか異端児と捉えられがちだ。逆にこのことで、他球団からは敵視され、ブーイングやらバッシングが凄まじくなり、却ってやりづらくなることは心得ておいたほうがいい。近年はFAも制度化されたので、実績を積めば、いずれは希望球団でのプレーも決して不可能ではなくなった。それを実力もわからないひよっこが生意気ほざいて他の選手から憎まれることのほうがよっぽどやりずらいとは思わないのだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=40sh803TTH4

10.伸びなかったドラ1

 幼少期の野球少年時代からのあこがれで、紳士集団の巨人に入れたことで満足してしまい、ハングリー精神を発揮できずに鳴かず飛ばずで辞めていった選手が大勢いた。特に巨人のドラフト1位選手は大成しないというジンクスまで存在する。では、そうした選手を名指しするのは申し訳ないが、そのテーマに当てはまる選手を取り上げたい。

 S54 林泰宏
 S59 上田和明(慶應大卒内野手)
 H元  大森剛(内野手)
 H3  谷口功一(天理高校卒投手)
 H5  三野勝大(大卒投手)
 H7  原俊介 (高卒捕手)
 H13 真田勇貴(高卒投手)
 H15 辻内崇伸(大阪桐蔭卒投手)
 H17 村田透 (捕手)
 H18 太田泰示(東海大相模高卒内野手)

 既に引退した選手もいれば、もう後がない選手もいる。ぜひ栄光の巨人軍で一軍の切符を手にし、レギュラーを獲得できるよう頑張ってほしい。

11.名球会入りの選手がいかに少ないか

 巨人の生え抜きの選手で名球会入りしている選手がいかに少ないかご存知だろうか?落合や工藤、小笠原など引退間近の選手を他球団からトレードやFAで獲得し、2,000本安打や200勝を達成しているが、生粋の選手では少ない。何と1980年に堀内と柴田が達成して以来、誰も入っていない事実。原監督はもちろん、江川、西本、篠塚、桑田、斎藤雅樹、槙原ですら達成していない。いかに巨人が金に物を言わせ、外人部隊に頼り切っているかがわかる。若手の選手を育てるのも下手だし、ろくな外国人が来ない。期待料とばかりに、入団時に多額の契約料を払ったばかりに、あぐらをかいてまともな練習もせず、試合に出すからこのような結果に陥るのだ。フロン陣にも猛省を促したい。使い捨てがあまりにも多く、5年先10年先を見据えた選手育成プログラムを構築してもらいたい。亀井や矢野などは飼い殺し。プロテクトを外れた一岡など広島に移籍した途端、大活躍。萩原や駒田もそうだった。逆に巨人に来た途端ダメになったのがペタジーニ、広沢、石井浩郎、ローズ、マルチネス、李、グライシンガー、清原だ。

 上記に記載以外にも、私が幼少の頃に起きた「湯口事件」というのもあった。最強V9時代の真っ只中に起きた悲劇である。現役の左腕投手だった湯口敏彦が、無礼講と称した飲み会で飲みすぎ、翌日の紅白戦で打者一巡の滅多打ちに合う。それに激怒した川上哲治監督と二軍監督だった中尾碩志からも厳しく叱責されたことが発端となり、うつ病を発症。1973年3月22日に病院のベッドで変死したことをきっかけに、監督の川上哲治はもとより、球団全体へのバッシングに発展した事件だった。球団側の「死因は心臓発作」の発表にマスコミがこぞって疑惑を取り上げ、世間の非難を浴びることとなった。その年のイメージは低下し、ドラフト会議で指名された新人選手7人のうち、ドラフト1~3位を含む4人が入団を拒否する事態に陥ったのだった。

 他にも原監督と彼を崇拝していた仁志敏久のまさかの不仲トレード事件や、主力だった二岡智宏と山本モナのスキャンダルによる電撃トレード事件、将来の4番を嘱望されていた吉村禎章と栄村忠広の衝突負傷事故などもあった。

 さて、今回の記事だが、巨人に対する批判の意図は一切ないことはここで明言しておきたい。球界の盟主であるが故の半ば宿命とも言えるような苦悩であるからである。巨人の来し方行く末を案じるならば、こうしたゴタゴタ劇は、百害あって一利なしということは明らかである。真の王者でありせば、こうした番外編ではなく、グラウンドで勝負することこそ、本当の野球人であり、野球をこよなく愛するファンへの答えであろう。巨人が強くなければ野球界は盛り上がらない。打倒巨人だからこそ、他球団も燃えるし、ファンも応援に熱が入るのである。巨人を愛するあまり、多少お小言的になったことはお詫びするが、これから10年先、20年先の巨人を考えてこその愛情の裏返しと思っていただけたら幸いである。

 記事作成:10月9日(水)

 追記(10月30日)

 現在、楽天との日本シリーズがたけなわだが、今年に限っては巨人ファンの私でも楽天を応援している。それは私自身が東北人だからだ。震災に苦しんだ仙台や東北の方々に希望を与える存在である楽天。震災の直後、地元の方々をどれだけ元気づける被災者支援活動をしてくれたことか。絶対的エースの田中が、シリーズ後にメジャー挑戦を表明するのは明らかで、もしかするとこれが楽天での見納めになる可能性が高いし、彼が抜けた後、優勝争いに加わるのは、超高校級の松井の成長次第という見方が妥当なところ。東北にさらなる勇気と活力を与える意味で、今年だけは、楽天に優勝してほしいと願っている。

 更に追記したい。この記事を書いた10月9日に、巨人V9時代の監督で、現役時代は赤バットで「打撃の神様」と呼ばれた川上哲治氏の健康状態がとても気になっていた。妙な胸騒ぎや悪い予感がしていた。奇しくも、三週間後の本日(10月30日)に、この記事をアップしたが、奇遇ながら、それに呼応するかのように、「川上哲治氏」が死去したという残念なニュースが飛び込んできた。この訃報は、不思議な因縁を感じるし、何かとても信じられない。偶然とは言え、ただただ、V9の偉業を讃えると共に、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 追記

 H27.1.4(日) 11.の記事を追加

 追記(H27.10.21)

 原監督退任で、高橋由伸監督誕生なるかの大事な時期に、「球界の紳士集団」として君臨してきた巨人軍に泥を塗るような不祥事がまたしても明るみになった。野球賭博問題が暴露し、球界を揺るがす大事件に発展したのだ。しかも巨人の行く末を担う若手投手陣による悪徳行為だ。福田投手単独ではなく、22歳と24歳の若手投手である松本投手と笠原投手も野球賭博と賭け麻雀、バカラ賭博にも関与していたことが発覚した。
 笠原投手は以前から遠征先で「朝帰り」などの素行不良が問題視されていた悪童だった。プレイボーイで女遊びが過ぎた。巨人の選手として相応しくない選手だった。松本投手もまた然り。先輩をいじめたり、ありえない所業を繰り返していたようだ。この問題発覚は、いわば「身から出た錆」であって、まさに「自業自得」いや「自業自損」状態だ。このような選手を野放しにしていた巨人軍の管理責任は極めて重い。
 
 いずれにしても今回の問題は、巨人軍の伝統と格式を総崩しにする暴挙だ。一刻も早く真相を究明し、厳しい処分を望みたい。過去に八百長事件が発覚した「黒い霧事件」では関与した選手は、永久追放処分を受けた。それに匹敵する野球界に泥を塗り、野球少年たちの夢を打ち砕く暴挙である。刑事告発と永久追放処分を科し、再発防止に努めてほしい。

 原監督退任発表以降、本記事にアクセスが殺到している状況から、野球ファンの関心が高かった点を考慮し、ここに追記をした次第だ。

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