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2013年11月

2013年11月30日 (土)

福島の英雄・円谷幸吉の功績を讃えて

 私は東京オリンピックが開かれた1964年に生まれた。「東洋の魔女」などの活躍により、日本列島中が五輪一色に染まり、国際色豊かに華々しく開催されたのだった。私自身は9月生まれなので、10月10日に開会式を迎えた時には、この世に生を受けていたものの、もちろん熱狂に包まれていた当時の様子など知る由もないが、その記念すべきオリンピックで、大活躍した、福島県ゆかりの或る孤高のマラソンランナーが今日の話題に上る人だ。
  その人とは、福島県民なら誰もが知っている、誰あろう「円谷幸吉」である。それまで無名で一地方ランナーに過ぎなかった彼が男子フルマラソンの代表として栄えあるオリンピックに出場し、国民の期待を背負って懸命に走り続けた。国立競技場に、エチオピアの英雄・超人アベベ・ベキラに続く2位で入ってきた。彼の姿を見るやいなや、競技場は割れんばかりの大声援に包まれた。しかし、そのすぐ50m後方には3位選手が。人間機関車の異名をとった「ヒートリー」だった。残りトラック一周。しかし、その大観衆の目の前で、彼は追い抜かされ、3位でゴールテープを切ったのであった。されど観衆は彼に歓喜と温かい、惜しみない拍手を送ったのだった。オリンピック競技の長距離走で、日本に初のメダルをもたらしたのであった。

 本日は、以前(2012年1月27日付当ブログで「伝説の男⑦~栄光と挫折の果てに~」という記事を書いたことがあったが、それ以来になるが、「円谷幸吉」の遺した偉業に敬意を表して、彼に纏わる伝説をお送りしたい。

 <円谷幸吉の横顔>

 1940年5月13日、福島県岩瀬郡須賀川町(現・須賀川市)出身。自衛隊体育学校所属。最終階級は2等陸尉。中央大学経済学部卒。

須賀川市立第一中学校を経て福島県立須賀川高等学校卒業後、1959年陸上自衛隊へ入隊。郡山駐屯地に配属となり、同僚と二人で郡山自衛隊陸上部を立ち上げる。次第に陸上競技の実績が認められ、自衛隊の管区対抗駅伝や、県対抗東日本縦断駅伝などに出場した。一方、オーバーワークから腰椎のカリエスを持病として抱え、後年悩まされるようになる。
 東京オリンピック開催年の1964年(昭和39年)に、同年3月20日の中日マラソンで初マラソンに挑戦。2時間23分31秒で5位となる。それからわずか約3週間後の4月12日、オリンピックの最終選考会となる毎日マラソン(現在のびわ湖毎日マラソンの前身。このときは東京オリンピック本番と同じコースで実施)に出場、2時間18分20.2秒で君原健二に次ぐ2位となり、マラソンでもオリンピック代表となる。
 東京五輪本番では、まず陸上競技初日に行われた男子10000mに出場し、6位入賞と健闘。これは日本男子の陸上トラック競技では戦後初の入賞であった。しかし、男子マラソン本番では君原と寺沢がメダル・入賞(当時五輪入賞は6位迄)争いから脱落する中、円谷だけが上位にとどまり、ゴールの国立競技場に2位で戻ってくる。だが、後ろに迫っていたイギリスのベイジル・ヒートリーにトラックで追い抜かれた。これについては、「男は後ろを振り向いてはいけない」との父親の戒めを愚直にまで守り通したがゆえ、トラック上での駆け引きができなかったことが一因として考えられている。とはいえ、自己ベストの2時間16分22.8秒(結果的に生涯記録となる)で3位となり、銅メダルを獲得した。これは東京五輪で日本が陸上競技において獲得した唯一のメダルとなり、さらに男子10000mと合わせて2種目入賞も果たして「日本陸上界を救った」とまで言われた。

 この東京五輪で銅メダルを獲得したことで、国民の期待はいやがおうにも高まった。次のメキシコ五輪では、金メダルの期待が日に日に強くなり、このプレッシャーが怪我に苦しむ円谷幸吉を追い詰めていった。

 次の目標を「メキシコシティオリンピックでの金メダル獲得」と円谷は宣言した。しかし、その後は様々な不運に見舞われ続けた。円谷は幹部候補生学校に入校した結果トレーニングの時間の確保にも苦労するようになる。その中で周囲の期待に応えるため、オーバーワークを重ね、腰痛が再発する。病状は悪化して椎間板ヘルニアを発症。1967年(昭和42年)には手術を受ける。病状は回復したが、すでにかつてのような走りをできる状態ではなかった。

 メキシコシティ五輪の開催年となった1968年(昭和43年)の、年明け間もない1月9日に、円谷は自衛隊体育学校宿舎の自室にてカミソリで頚動脈を切って自殺。27歳での夭折だった。戒名は「最勝院功誉是真幸吉居士」。

「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました」から始まり、「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれている遺書にしたためた家族達への感謝と、特に「幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」の言葉は、当時の世間に衝撃を与え、また円谷の関係者ら多くの涙を誘った。また、同年のメキシコシティ五輪男子マラソンで銀メダルを獲得することになる君原も、大きなショックを受けたという。

 円谷幸吉の遺書

 銅メダリスト円谷幸吉さんの遺書【一人の道】はコチラ 

 川端康成は『円谷幸吉選手の遺書』を発表し「繰り返される《おいしゅうございました》といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐる。そして、遺書全文の韻律をなしてゐる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」と語り「千万言も尽くせぬ哀切」と評した。(「風景」1968年3月号)当時の関係者からは「ノイローゼによる発作的自殺」「選手生命が終わったにもかかわらず指導者に転向できなかった円谷自身の力不足が原因」など様々な憶測が語られたが、三島由紀夫は『円谷二尉の自刃』で、これらの無責任な発言に対し「(円谷の自殺は)傷つきやすい、雄雄しい、美しい自尊心による自殺……この崇高な死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の思い上がりの醜さは許しがたい」と強い調子で批判した。

 友の自殺に衝撃を受けた君原だったが、2人で誓った約束事を果たそうと、君原は4年後のメキシコ五輪に出場。高地のため酸素不足に陥り、有力選手が次々脱落する中、「円谷さんの分まで頑張る」との強い意思で、まるで夢遊病者のようにフラフラになりながらも完走し、見事銀メダルを獲得し、2大会連続で日の丸を掲げた。

 君原健二「友に捧げる銀メダル」

 さて、こうした偉業を称えるために、この度、彼にゆかりのある場所を訪ね歩いた。予定は以下の通り。

 自宅ー須賀川アリーナ(円谷幸吉メモリアルホール)ー芭蕉記念館ー可伸の庵跡ー

 円谷幸吉生家(大町・以前はこの隣りに遺族が開設した円谷幸吉記念館があった)ー

 十念寺(円谷幸吉の墓・芭蕉句碑)ー自宅

 参考HP&ブログはコチラ

 http://sukagawa-sports.or.jp/arena/memorial.html

 http://nasukougen.web.fc2.com/tubu/tubu.html

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 実際の旅行 11月30日(土)くもり

 昨日は職場の忘年会だった。今日のショートトリップを考え、胃カメラを飲むと嘯き、ウーロン茶とメロンソーダ、ノンアルコールで過ごした。しかし、帰宅後、23時半からセブン往復で2本目のマヨネーズをもらい、夜中の1時まで溜まり溜まった予約録画のCMカット作業に手間取り、就寝が遅くなり、朝起きられず。

 8:15 起床。9時出発予定が大幅に狂う。どんより曇り空。しかし放射冷却はなし。でも
     風があって空気は冷たい。ダビング作業とPCいじって出発おくれる。
 9:28 自宅発。いきなりワインレッドのセレナが妨害トロトロ。小雨がフロント叩く。
     5℃。風強い。バイパスを順調に巡行。MKGトラック暴走。蛇行運転。
 9:43 市境。6℃。R4を流れに乗って南下。カワチ交差点より右折。
 9:52 須賀川アリーナ(釈迦堂川沿い)のPへ。16.8km。建物の外壁に「円谷幸吉」
     の写真が。早速メモリアルホール内へ。受付で芳名記帳。綺麗で整備されたホー
     ル。ただし、狭い。展示品も少なめ。厳粛な面持ちで見学。ホール内は東京オリン
     ピックのマラソンの競技場内のラジオ実況がBGMで流れ、またピンクピクルスの
     「一人の道」が哀愁と情感を誘う。くまなく時間をかけて見物。受付のシルバー人
     材の係員にパンフを貰い、写真撮影OKの返答を頂く。先客ひとり。でも閑散。彼
     の生涯を振り返る年表や東京五輪も模様、新聞記事や遺品(パスポート・スパイ
     ク・ユニホーム・メダル・勲章・表彰状・カップ・日本代表ブレザー・色紙・足型、遺
     書・父母に充てた手紙・川端康成の「一草一花」の草稿)を見て、彼の生涯を振り
     返るVTRを6分間で見た。感動で涙が出た。特に、彼の自筆の「遺書」には彼の
     誠実さ、真面目さ、実直で親思いの本心が垣間見れた。涙が溢れでた。身長
     163cm、55kg、足の大きさ25.0cm、血液型Bと記された調査書があった。
      予想以上に素晴らしい施設。あまり全国的には知られていない、地元が生んだ
     英雄を讃える場所。何度も隣の文化センターや近くに来ていながら、このような立
     派な彼の功績を偲ぶ場所があるとは知らなかった。訪れる価値は十分あった。今
     年、2020年の東京五輪開催が決まり、俄かに取材が増えているという。芳名帳
     を見ると、何とロンドン五輪メダリストの小原日登美の名が・・・。しかも来館日は
     昨日。埼玉県と書かれてあった。その後、お礼を言い、10分ほど係員と話す。生
     家に行くなら事前にお兄さんにTELしたほうがよいと助言を頂く。

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 「一人の道」  by  茶木みやこ

10:34 須賀川アリーナ発。左折して川を渡り、左折。工場街を東へ。R4を横切り、須賀
     川警察署の前を通過し、次の信号を右折。左に古い建物。50m先右に芭蕉記念
     館があった。右折し、広い駐車場に駐車。結構満杯。
10:41 松尾芭蕉記念館着。19.3km。そして記念館へ。無人。若くて綺麗な職員に声
     をかけ、見学させてもらう。写真OK。良識の範囲内で。内部は広く、茶店風。床が
     土間なので底冷え。パンフを大量に頂く。スタンプを押す。壁中に展示品。ここは
     俳句を学ぶ施設でもある。掛軸や版画など展示物を見た後、テーブルにて観光マ
     ップを見ながら、位置関係を確認。芳名帳には他県(山口や鳥取)の住所ばか
     り。他客なし。ゆかりの品が多数。2階には茶室があるらしいが入れず。

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10:55 芭蕉記念館発。徒歩で周辺散策。記念館の向かい側の古い作りの建物の外壁
     に巨大看板マップ。標識を頼りに50m先を右折し、細い路地へ。70m先左に小
     公園の「軒の栗」があった。2~3段登ったところに石碑や句を詠むためのベン
     チ、案内標識や説明板があった。最初、ここが「可伸庵」と分からずに周辺を彷徨
     った。その後、芭蕉が須賀川滞在中、7日間も泊まっていた「相良等躬」の墓があ
     る「松長院」という寺院へ向かう。25年前、須賀川に1年間勤めていたのに、こう
     した由緒ある歴史的遺産に触れることが一切なかった。まぁそれだけ自分が歳を
     とった証拠だが。R118を渡り北へ向かう。50m先で最初に現れたのが「妙林
     寺」。綺麗で大きなお寺。道路を挟んでその隣りが「松長院」。

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11:07 松長院着。何と曹洞宗の寺院。こちらは境内広い。墓地が裏手にあって、そこか
     しこに「相良等躬の墓」の標識(道しるべ)あり。裏手には、高さ25mもあろうかと
     いうピラミッド型の巨大な白い供養塔らしき建造物が・・・。しかも全ての石に一文
     字が書かれてあった。その左側に案内板が。すっかり忘れていたが、須賀川城の
     土塁跡を示していた。その裏手がそれらしき土手。ここにかつて城があったと
     は・・・。粗末。巨大供養塔を回り込むと、墓地の真ん中に一軒家が。幽霊など怖
     くないのか?そして供養塔の北側に「相良等躬」の一族の墓所があった。礼をし、
     手を合わせていると、他の客がひとりの男がやって来て、私の動きを監視してい
     た。何なんだ!供養塔は「須賀川萬年観音寳塔」と記載されていた。凄いのは、
     その供養塔に「金美堂」提供の丸い時計が設置されて時を刻んであったこと。そし
     て傍らには「平和記念塔」という石灯籠が。祈念塔の間違いでは?その後、目抜
     き通りを横切り、メインストリートへ。かつて飲んだ「まちかど」という店舗があった
     が、店名は変わっていた。地図を片手に途中から右折し、100m先にある「十念
     寺」へ。ここに「円谷幸吉」が眠っている。厳かに訪問。通り沿いから、ひときわ大
     きな黒い墓石を見つけ、すぐにそれだと悟った。

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11:22 十念寺着。入口に高さ3mほどの石柱が2本立つ。無人。冷える。顔や手が冷た
     い。ここは本堂も巨大だが、広い敷地。まず入口左の神社へお参り。鐘つき堂、
     観音像や心洗、奥の細道の碑などもある。墓地の方(左)へ向かうと、震災で崩れ  
     た墓石や石像などが倒壊したまま放置されてあった。衝撃の映像。もう2年半が
     経過するのに、まったく修復しておらず、手つかずのまま。ほとんどが倒壊。地面
     にはほぼ散り終えた銀杏のカーペット。黄色に染まっていた。30m先にひときわ
     立派な黒い御影石の墓石が南向きに立つ。それが「円谷幸吉」の墓。墓前には
     名刺入れや墓誌があった。震災で倒れたのか傷があった。
      まず、礼節通りにお参り。心の中で写真を撮らせていただきますと念じ、シャッタ
     ーを切る。反射で文字が見えない。亡くなられて日付がどこにも無い。オリンピッ
     クの偉業などが墓石全面に記されてあった。私が生まれた昭和39年に開催され
     たオリンピックで日本初の快挙、銅メダルを表彰台に掲げた功績は顕著。この墓
     の下に、自ら命を絶った彼の遺骨が眠っている。墓石には「故2等陸尉従七位勲
     六等圓谷幸吉之墓」と刻まれてあった。参拝する方も多いのだろう。菊の花が墓
     前に供えてあった。ここには有森裕子さんや小掛陸連会長も訪ねていた。

11:31 十念寺発。2本の石柱から出て南へ向かう。目の前が高層マンション。こんな有
     名な方が眠る墓地の前に住み、どのような気持ちで毎日の生活を送っているのだ
     ろうか。冷える。ボウリング調査している場所を素通り。R118へ右折し、道沿い
     に300mほど戻る。ホテルサンルート須賀川は昔からあるが、どこか廃れてい
     る。潰れたかと思えるくらい内部も暗い。通りがてら「相良等躬」の自宅跡を探す
     が見当たらず。仕方なく、芭蕉記念館へ戻って、職員に聞くことに。ここ須賀川は
     震災で被害が大きかった場所。瓦屋根が崩れ、未だに修復されずブルーシートで
     覆われていた。記念館前では客待ちタクシーが昼寝。車に観光マップを忘れたの
     が痛かった。再び記念館で美人職員に道を尋ね、今は跡しか残っていないとい
     う。車に乗り換える。

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11:44 記念館発。言われたまま、旧奥州街道沿いの角に車を止めた。しかし、どうみて
     もゴミ置き場の木造小屋。20mほど徒歩で平行移動。すると、何とNTTの入口と
     なる狭い入口に表札が・・・。「相良等躬宅跡」の文字。つまりはNTTの敷地内にか
     つては、芭蕉と弟子の曾良を七日間も足止めさせたお宅がこの辺にはあったの
     だ。当時を偲ぶものがなくてがっかり。

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11:48 相良邸跡発。Uターンして旧奥州街道を南下。次は圓谷幸吉の生家へと向かう。
     そこは2006年に須賀川アリーナに移転するまで、実家を記念館にしていた場
     所。南郵便局の交差点を左折。100先の危険な二股道路を右カーブ。やがて下
     り坂。200m先に二股があって、御岳神社の幟と法律事務所の看板が。そこを細
     い方の左側に入る。下る途中の右側にある民家がそう。表札には黒くて見づらい
     が、確かに「円谷幸吉記念館」と刻まれていた。

11:50 旧円谷幸吉記念館着。20.4km。通行の妨げにならない路肩に停車。扉がしま
     っているので中には入れず。外側から写メのみ。歩いて周辺を回り、何枚かシャ
     ッターを切った。かつてはこの生家を記念館にしていた。数々の故人を偲ぶ品々
     を展示していたが、兄が高齢になり、その遺品の管理がままならなくなったため
     に、市に寄贈したのだった。それが2006年だったので、7年前の出来事だ。そ
     れ以来、元の生家は無人で放置されているようだ。日本中を歓喜に包む、あれほ
     どの功績があった英雄・「円谷幸吉」なのに、あまりにも待遇が悪く、粗末な扱い
     にショック。郷土が生んだヒーロ-なのに、長年身内によって保管・管理。運営さ
     れていたのだった。

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11:56 円谷幸吉の生家発。300m先左折で整備された県道へ。R118を横切り、カワ
     チやイチイのスーパーを通過し、400m先の交差点をマイナス方向に右折。かつ
     て私が通った道へ。そして円谷幸吉の銅像がある、彼の母校「須賀川高校」へ。
     懐かしい。当時のままだ。門扉が開いていたので、写メだけ撮りに中へ。すると見
     覚えのある青いアウディが・・・。一番奥に銅像がある。玄関のすぐ右隣りだ。

11:58 須賀川高校着。22.4km。忍耐と書かれた彼そっくりに出来た銅像を写メ。今で
     も毎年、メモリアルマラソンが開かれ、彼の親友でメダルを誓い合ったライバル君
     原健二さんも欠かさず墓参りとマラソンに出場している。ここが本日の須賀川界
     隈ショートトリップの最終訪問地となった。直ちに出発。

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12:01 須賀川高校発。「松明明かし」で有名な五老山、翠ケ丘公園のヘリを回り、芦田
     塚、大きな店舗が建ち並ぶスーパーセンター街を抜ける。
12:08 国道4号線へ合流。無理な車線変更を自重し、流れに身を任せる。
12:15 市境。この界隈が一番ガソリン代が安い。
12:17 トライアル安積店へ。食料を調達。今日ここまで、朝食も昼食も抜き。腹がグウ
     グウ鳴っていた。1,059円分買う。ホットウェア上下やウォームパンツが欲しくな
     る。
12:36 トライアル発。気温は8℃の表示。
12:42 バイパス降りる。トラックとろくてまた先頭で信号待ち。小雪がちらつく。明日、午
     前中に散髪し、午後からスタッドに交換予定。
12:44 帰宅。 走行距離は40.2kmだった。

 今回の訪問にあたって、参考にしたHP・ブログは以下の通りです。

http://sukagawa-sports.or.jp/arena/memorial.html

http://www.geocities.jp/robin119jp/suburaya/tsuburaya.html

http://nasukougen.web.fc2.com/tubu/tubu.html

http://hosomiti.skr.jp/hosomiti/murabun/aruku/okuno_hosomiti/aizune_hosomiti/sukagawa_toukyu.html

 記事作成:11月20日(水)~30(土)

2013年11月28日 (木)

芸能人そっくりさん

 他人の空似という言葉も存在するが、世の中には自分にそっくりな人が3人いるという。こと芸能界は、選りすぐりの美男美女の宝庫ではあるが、そこにいる人はごく少数に限られる。しかし、そんな狭い芸能界を見渡しても、似ている人というのは不思議と実在するものだ。そこで今日は、個人的な主観かもしれないが、私が見て似ていると思う方々を紹介したい。おそらくは、血液型が同じとか、何らかの共通点があると思う。

 山岸舞彩と重盛さと美

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 今年4月から「ZERO」キャスターとなった山岸舞彩。今春までNHKの週末番組「サンサタ」でスポーツキャスターを務めていたが、NHKを卒業し、いよいよ報道に進出。ミニスカ美脚を封印し、中身で勝負している。元から日本女子大学を首席卒業、書道は師範で、ゴルフと水泳はプロ並みという才色兼備。一方の重盛は、お笑いピン芸人としてエンタの神様で持ちネタがブレイク。今では「めちゃイケ」ファミリーの一員として活躍。抜群のプロポーションでモデルとしても活躍している。すっとんきょうな感じがウケている。山岸舞彩はO型で重盛さと美はB型。

 「山岸舞彩の18歳の頃のお宝映像」はコチラ

 「重盛さと美」のエンタの神様出演動画はコチラ

 蛇足だが、元フジテレビアナの「松尾翠」(O型)やAV界のアイドル「つぼみ」(O型)もこの二人に似ていると思う。

 「松尾翠」はコチラ 「つぼみ」はコチラ (AV映像ではありません)

 坂井泉水と吉川美穂

Izumi Yoshioka

Izumi2 Yoshioka2

左が坂井泉水(故人)で右が吉岡美穂(IZAM夫人)。雰囲気から顔までそっくりだ。両者ともにA型。

 吉永小百合と曽田麻衣子

Yoshinaga Soda

 吉永小百合の若い頃の写真や映像を見ると、「ミス立教」でその後、めざましテレビに出演している島根県出身の曽田麻衣子にそっくり。曽田麻衣子を初めてテレビで見たとき、透き通るような肌色や目鼻立ちまで吉永小百合の再来かと思ったほどだ。どちらも清純派で正統アイドル。こういう人は田舎にひっそり置いておいてはいけないと思う。両者ともにO型。

Yoshinaga2 Soda2

 さて、今回は3組の女性を取り上げてみた。やはり私が興味を持つ女性は決まってO型が多い。同じ血液型だと顔の輪郭や肌の白さ、その人が持つ雰囲気から性格まで似てくるように思える。アクセス数が多くなれば、続編も考えてみたい。

 記事作成:11月14日(木)~17日(日)

2013年11月26日 (火)

THE DRAMATIC CM

 心揺さぶるCM、人生を実感するようなスケールの大きい感動を呼ぶCMをセレクトしてお送りしたい。

 JR東海 東海道新幹線 発見26年目の新幹線

 JR SKISKI

http://www.youtube.com/watch?v=vusB9OBseCs

 toto「最後の試合」

 カロリーメイト「新社会人へ」

 読売新聞

 ソニー生命「父の夢」

 生命保険のCMとして最高傑作でしょう。松木氏のなだめ役のスーツ姿の人が、いなくなった父親の代わりに声を枯らしている姿が涙を誘います。ドラマの中に、生命保険の役割をちゃんと説明している、当にCMとして最高の出来だと思う。

 典礼会館

 葬儀屋さんのCMですが、とても良いお話だと思います
おじいちゃんが亡くなって、それぞれに家族がお別れを言って最後におじいちゃん独りに­なる

 コカ・コーラ「Live the Momentココロが踊りだす・春が来た編」

 こちらは人生観ではなく、初々しさ、みずみずしさ、そして若々しさなど躍動感を感じる作風。

 本日は、1ヶ月半以上も前に企画し、執筆したが、途中で頓挫していた記事。従って何の捻りも工夫もない怠惰な内容になったが、それでもアップした映像は、人生を雄弁に物語るスケールが大きいCMで、感動を覚える。繋ぎ的な印象だったかもしれないが、私が大好きでハマったCMなので、敢えてここで掲載致しました。

 記事作成:10月5日(土)

2013年11月20日 (水)

郡山の魅力再発見!⑦ ~映画・ドラマのロケ地~

 この郷土愛に満ちたご当地シリーズも早6回目を迎えた。毎回、コメントを頂き有難い限りだ。震災以降、福島県や郡山への愛着が増し、それまでは単なる田舎の地方都市にしか思わなかった我が故郷だが、郡山に骨を埋める覚悟をした私にとっては愛おしくて仕方がないといったところだ。全国の方に「汚染地帯」とか「福島=原発」というような偏見で見られようが、風評被害で福島産が敬遠されようが、自分が故郷を思う気持ちに変わりはない。
 さて、第6弾を迎える今日は、かつて映画やテレビドラマのロケ地として使われた場所を取り上げてみたい。この記事を読んで、少しでも郡山へ観光で訪れていただけたら幸甚だ。

 1 NHK「坂の上の雲」のロケ地 「安積歴史博物館」

Asaka

 安積歴史博物館は、郡山随一の進学校、安積高等学校の敷地内にある。かつては「ザ・ベストテン」の中継で中森明菜の歌が生放送されたことがある由緒ある歴史的建造物だ。

http://www.youtube.com/watch?v=TJfEZEQUXk0

 2009年11月29日から2011年12月25日まで 足掛け3年に亘ってNHKで放送された3部構成のテレビドラマ。
 日本が近代国家へと歩み始めた明治時代、伊予国(現在の愛媛県)・松山に3人の男がいた。後に連合艦隊参謀として日本海海戦の勝利に貢献する秋山真之、その兄で日本騎兵の父となる好古、俳句・短歌の中興の祖となった正岡子規。彼らはただ前のみを見つめ、明治と言う時代の坂を上ってゆく。
 第1回放送の神田共立学校の表と第2回放送の海軍兵学校の食堂のシーンで福島県郡山市の安積歴史博物館が使用された。海軍兵学校の生徒役として参加し、食堂でカレーライスを食べる設定の撮影だった。

 公式HPはコチラ   ロケ地案内は コチラ    詳細は コチラ

 2 映画「時をかける少女」(2010年版)のロケ地 「開成山公園」

 今まで何度も映像化・映画化されてきた筒井康隆原作のSF短編小説「時をかける少女」­を新たな視点で映画化した上質の青春映画。母の代わりに1970年代にタイム・リープ­した娘の切ない体験を丁寧に描写する。ヒロインを演じるのは、アニメーション版『時を­かける少女』でも主人公の声を担当した仲里依紗。その相手役の純朴な青年を『ROOK­IES -卒業-』の中尾明慶が演じている。今も昔も変わらない人を思う気持ちにじんわりと胸­が熱くなる。配給: スタイルジャム
 シーンで使われたのは、さくら通り沿いの開成山公園の土手の上に連なる桜並木。ラストシーンで満開の桜の下で昔を回顧する場面。ちょうど市役所の斜め向かい側である。



http://www.youtube.com/watch?v=UWEkdwnvKGw ←この動画に登場します。

公式HPはコチラ http://www.tokikake.jp/

仲里依紗&中尾明慶へのインタビュー http://www.cinematoday.jp/page/A0002528

Kaiseizan1 Kaiseizan2

Kaiseizan3 Kaiseizan4

 ロケ地案内は コチラ  来訪者のブログはコチラ      

 もう既にご存知かと思うが、この映画で主演した仲里依紗と中尾明慶は、この映画での共演をきっかけに恋愛に進展。その後、ゴールインに至った。

 3 映画「MISHIMA」のロケ地 「福島県合同庁舎」

 大義のために死す ~三島由紀夫の命懸けの演説~

 この実話は、後に緒形拳主演で映画化(1985年公開:A LIFE IN FOURCHAPTERS )されたのだが、私が高校時代に郡山市でロケが敢行された。しかもそれは、最も重要な、彼が自決する直前に行った市ヶ谷駐屯地での決起を訴える場面である。市ヶ谷駐屯地に似た造りの郡山市細沼にある「福島県合同庁舎」が使われたのだ。その場面の映像は下のアドレスをクリックしてご覧下さい。

http://www.youtube.com/watch?v=T_aaPW1rASo (1:45:35以降)

 4 映画「春色のスープ」のロケ地 「21世紀記念公園」と「開成山野外音楽堂」

 2008年に公開された。注目の若手女優・佐津川愛美 主演。 美しく広大な自然広がる福島県を舞台に、思春期の少女の成長を描く感動ストーリー!思­春期の不安と苛立ちを抱える女子高生・桃子は、自分のことを厳しく管理しようとする母­とぶつかり、毎晩のように仲間と夜の街で遊び過ごしていた。そんなある日、桃子はラジ­オから流れてきた詩を聴き、心を奪われる。それは長田弘の「最初の質問」という詩だっ­た。その後、詩の朗読をバイト先の先輩から頼まれた桃子は断りきれずに盲学校まで行き­、そこで一人の少年と出会う。偶然にもその少年は桃子と同じラジオを聴いていて、その­ことをきっかけに二人は急速に距離を縮めるが...。

<キャスト>

阿部桃子:佐津川愛美
阿部由樹:鈴木砂羽
大久保亮太:栩原楽人
矢島三津子:美保純
松浦透:池内万作
藤崎和義:国広富之
岡島隆三:鶴見辰吾

 5 テレビ朝日「西部警察」のロケ地 「郡山警察署」と「福島放送」

 1983年6月12日・19日と2週に渡って放送した「西部警察Ⅲ」では、全国縦断ロケの一環として福島県各地でロケが展開された。おなじみの大門軍団の来県とあって、県民は熱烈大歓迎。大病から奇跡的に復帰した石原裕次郎も訪れた。日中ダムに築かれた敵のアジトを、建物ごと木っ端微塵に爆破する壮大なスケールの爆破シーンが撮影された。当時、開局間もなかった福島放送の一室を捜査本部に見立て、更には郡山警察署を中央警察署という名前で登場させた。その正面玄関前で、石原裕次郎と渡哲也が事件解決後のエンドロールで寄り添ってタバコに火を付け合う名場面は語り草となった。この「西部警察」シリーズは爆破シーンが売りだったが、とにかくやることなすことが派手で強烈だった。

 ストーリー概略

 前後編で一つのストーリーが展開。夢の超合金「メルカロイX」と開発者の教授を、海外の死の商人に売り渡そうとする組織と大門軍団とのバトル。

 ロケ日程:1983年3月12日~3月22日

 撮影協力:三万石、福島県会津農林事務所、あいづダストセンター、羽鳥サバイバルランド、ホテルリステル猪苗代、福島観光自動車、日中ダム(大成建設・鹿島建設共同企業体)、日産自動車福島販売

 制作協力:福島放送(観光バスのシーンなどではエキストラ役として同社社員が登場した)

 破壊された主な建造物・乗り物

 犯人のアジト1棟(爆破:建設費3000万円。日中ダム建設現場に建設)

「全国縦断ロケ」はコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=3MjjqywZj9g

http://www.youtube.com/watch?v=3zJV266epq4

 日中ダムに築かれた敵のアジト爆破シーンは7分からです。

 6 TBS「湯けむりバスツアー桜庭さやかの事件簿」のロケ地 磐梯熱海温泉「金蘭荘花山」

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 2009年4月27日放送の「月曜ゴールデン」で放送された2時間ドラマ。シングルマザーのベテランバスガイド・桜庭さやか(萬田久子)は、しっかり者の子供たちに今日も起こされ、元気いっぱいで仕事へ向かう。今回のツアーは、猪苗代湖~安達太良山~会津若松を巡り、山形へと向かう旅。盛り上がるサンライズ商店街御一行様を前に、さやかの名調子が冴える。ツアー客の中には、フラワーショップを営む佐野雄二(大浦龍宇一)と香織(酒井美紀)の兄妹も参加していた。2人はツアーの途中で、22年ぶりに兄・修一(石橋保)に再会できることを楽しみにしていた。しかし、その修一が安達太良山で死体となって発見される。当初は、強盗殺人かとも思われていたが、そこにはリゾート開発をめぐる人々の対立欲望がうごめいていた。「幸せを運ぶバスガイド」が信条のさやかは、年下のイケメン運転手・富田林太郎(葛山信吾)と共に、事件の核心に迫っていく。

 Wikipediaの番組紹介はコチラ   TBSチャンネルの紹介はコチラ

 「金蘭荘花山」のホームページはコチラ

 7 アニメ「逮捕しちゃうぞ」でのシーンで登場 「ビッグパレットふくしま」

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 美人婦人警官(女性警察官)コンビを主人公とするコメディー。アクション、カーチェイス、メカなどの要素が満載で、日本国外でも人気が高い。テレビドラマ版は、テレビ朝日系列「木曜ドラマ」枠にて、2002年10月~12月まで放映。全9話。平均視聴率9.1%。主題歌(エンディング)にマライア・キャリー、オープニングテーマには片瀬那奈を起用。ゲスト出演者としてボブ・サップや水泳のイアン・ソープが登場した。

 <キャスト>

原沙知絵、伊東美咲、長嶋一茂、金子昇、乙葉、吉岡美穂、市川由衣、曲山えり、速水もこみち、
金児憲史、渡辺えり子、伊東四朗

 12/12FINALでのシーンで、美幸と夏実が逮捕した山口亨を連れて行ったオープニングセレモニー会場として安積町にある「ビッグパレットふくしま」が描かれた。

http://www.youtube.com/watch?v=F6DdC1_lZqM 

 上記以外では、あの名作映画「あゝ野麦峠」の山間部の風景は、郡山の御霊櫃峠から撮影されたものであることがわかった。

Goreibitsu

http://www6.plala.or.jp/ebisunosato/nomugi.htm

 最後に郡山市の観光名所案内の動画映像をどうぞ!

 参考資料「福島県ロケ地情報」

http://loca.ash.jp/info/addr/thfs.htm

 記事作成:11月15日(金)

 追記

 公開後に、私のオリジナルの発想で考えた記事だったのだが、世の中には同じようなことに興味を持つ方がいるようだ。私より先に、福島県全土を対象にした同様の記事を考えていた方のブログをリンクします。

 「まちなかハーモニー情報館」プチマップ 「気になるロケ地」はコチラ 

http://www.mazasse.com/machinaka/news/2511

http://www.mazasse.com/machinaka/news/2513

http://www.mazasse.com/machinaka/news/2517

http://www.mazasse.com/machinaka/news/2519

2013年11月19日 (火)

CMの彼女⑦

 今回も地元・福島県内で流れているローカルCMに出演する可愛らしい女の子にスポットを当てたい。これは郡山市にある「昭和ドライバーズカレッヂ」という教習所のCM。毎回可愛い女の子が出演しているのだが、この作品は3~4作目。

 菅原梨央

 彼女は宮城県出身のモデル。
 1995年6月29日生まれの18歳。出身地は宮城県。
 血液型は色白の典型O型。
 身長は162cm。スリーサイズ:B85(Dカップ) W61 H86
 所属事務所は仙台エス・オー・エスモデルエージェンシー。

 経歴は、元アイドルユニット「テクプリ」メンバー。現在後継ユニット「アイリス」メンバー。ヤングチャンピオン「ミスヤングチャンピオン2011」グランプリ受賞(堀川美加子、松嶋ののかと同時受賞)。

 彼女のPVはコチラ

http://www.youtube.com/watch?v=3bfZSJS9bSs

 記事作成:10月6日(日)

2013年11月16日 (土)

坂井泉水が歩んだ道のり ~総集編~

 昨日で終わりにしたはずのこの記事。しかし、余韻に浸ってしまい、今更ながら、彼女を失った深い悲しみは癒えない。7回忌を今年終えたのに、未だにその事実を受け止められず、先月末に彼女が亡くなった信濃町にある「慶應義塾大学病院」と彼女のお墓参りに行き、その現実をひとり噛み締めて来た。彼女の身体は消えても、彼女の遺した魂や歌声は、これからもずっと私たちファンの心に響き渡り、折に触れてそっと優しく寄り添ってくれることだろう。
 本日は、番外編として、シングルだけでは伝えきれなかった彼女の魅力をお届けして結びとしたい。

 全曲PV(Single Sales Ranking 45→26)

 

45.ハートに火をつけて
44.不思議ね...
43.今日はゆっくり話そう
42.悲しいほど貴方が好き/カラッといこう
41.もう探さない
40.瞳閉じて
39.かけがえのないもの
38.素直に言えなくて
37.もっと近くで君の横顔見ていたい
36.明日を夢見て
35.さわやかな君の気持ち
34.星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように
33.翼を広げて/愛は暗闇の中で
32.グロリアス マインド
31.promised you
30.痛いくらい君があふれているよ
29.この涙星になれ☆
28.MIND GAMES
27.世界はきっと未来の中
26.新しいドア〜冬のひまわり〜

 全曲PV(Single Sales Ranking 25→1)

25.Good-bye My Loneliness
24.GOOD DAY
23.息もできない I can't even breathe
22.Get U're Dream
21.運命のルーレット廻して Spinning the roulette wheel of destiny
20.風が通り抜ける街へ To the town where the wind passes through
19.IN MY ARMS TONIGHT
18.My Baby Grand〜ぬくもりが欲しくて〜 (I want warmth)
17.眠れない夜を抱いて Hold onto the sleepless nights
16.サヨナラは今もこの胸に居ます Your farewell is still in my heart
15.Don't You See!
14.永遠 Forever
13.君に逢いたくなったら... When I decide I want to see you...
12.Just believe in love
11.愛が見えない I can't see the love
10.あなたを感じていたい I want to feel you
9.心を開いて Open up your heart
8.こんなにそばに居るのに Even though I'm this close to you
7.君がいない You're gone
6.もう少し あと少し... Just a bit more Just a bit longer...
5.きっと忘れない I certainly won't forget
4.この愛に泳ぎ疲れても Even though I'm tired of swimming in this love
3.マイ フレンド My Friend
2.揺れる想い Swaying thoughts
1.負けないで Don't give up

 雨が降り出す前に(アルバム未収録)

http://www.youtube.com/watch?list=RD03wRJJxv-0bFY&v=iAgdtU-9YkY

 pray

http://www.youtube.com/watch?v=iTAwCmjlHNw

  君とのふれあい

http://www.youtube.com/watch?v=gUUD7-1ukzU

 DAN DAN心魅かれてく

 Forever you

http://www.youtube.com/watch?v=HZj9X4Qq0iw

 雨に濡れて

http://www.youtube.com/watch?v=D79xC6L67NE

 切なくて

http://www.youtube.com/watch?v=jKgIRZkTaeY

 あなたを好きだけど

http://www.youtube.com/watch?v=bTV3BM7TAg8

 彼女の超レアコメント集

 坂井泉水 TV初公開 秘藏影像

 ALBUM COLLECTION MEDOLEY

 今回のシリーズ記事の締めくくりはこの曲とPVにしたいと決めていた。彼女の美しい横顔と歌声を永遠の輝きとするために・・・。

 淡い雪が溶けて

 

 他のアーティストに詞を提供した方々

http://www.youtube.com/watch?v=xa2IhCHIkBM&list=RDEyRwfkKxtoA

 坂井泉水の詩の世界

http://www.youtube.com/watch?v=5xx8w7EpCqA

http://www.youtube.com/watch?v=WwUpxPHIlmk

http://www.youtube.com/watch?v=ZsiIZwWyCJA

http://www.youtube.com/watch?v=fTLXjuylxzA

http://www.youtube.com/watch?v=xa2IhCHIkBM

http://www.youtube.com/watch?v=fYV0hHN-xqc

http://www.youtube.com/watch?v=kTj_zIG-l7Q

 彼女のお墓参りの模様はコチラ

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

 遺族の方の意思を尊重し、墓の所在については記載致しておりません。

 記事作成:10月30日(水)~11月6日(水)

2013年11月15日 (金)

坂井泉水が歩んだ道のり⑤

 今週はZARD特集をお送りしています。最終日の今日は、2000年代初頭から彼女が衝撃的な死を遂げる2006年までの楽曲。彼女にとっては、死の恐怖と向き合い、命の病気と闘っていた時期にあたる。もしかすると、彼女自身は、死期が近いことを悟り、自ら自分の人生を締めくくる劇的なエピローグを、自らの手で演出したのかもしれない。今日の最終章では、シングルカット37曲目から45曲目までをお送りします。

 37 「もっと近くで君の横顔を見ていたい」 (2003年11月12日) 

http://www.youtube.com/watch?v=mc6XlVy1Q_I

 最高位8位。『月桂冠「月」』のCMソングとして、発売前からオンエアされていた。タイトルの変更、収録曲の変更、発売日の変更と共にジャケット写真も一度変更されている。元々は別メロディのサビで制作されていたが、CMのイメージに合わないと判断されクライアントから作り直しを請求された。その結果、既存のメロと新しく作り直したサビを組み合わせたので、パッチワークのように、曲調が次々に変わる構成となった。

 38 「かけがえのないもの」 (2004年6月23日)

http://www.youtube.com/watch?v=a2N69e-OZe8

 最高位4位。TBS系列の『恋するハニカミ!』に起用された。また同番組にて動画コメントが放送された。2曲続けて発売予定日が変更になった。詞はライヴ終了後の帰り道、移動の車の中で感じた事を中心に書かれた。

 39 「今日はゆっくり話そう」 (2004年11月24日)

 最高位5位。月桂冠『月』のCMソングとして早くからオンエアされていたが、売り上げは低迷した。

 40 「星の輝きを/夏を待つセイル(帆)のように」 (2005年4月20日)

http://www.youtube.com/watch?v=EcjnPo4n3KA

http://www.youtube.com/watch?v=FDM3vVA4n2s

http://www.youtube.com/watch?v=fv2z9U_v250

 最高位2位。前作から5ヶ月経って発売された11thシングル「この愛に泳ぎ疲れても/Boy」以来の両A面シングル。「明日を夢見て」以来4回目の、アニメ『名探偵コナン』のタイアップ(映画を含めると5回目)。坂井いわく、「集中して短い時間で作り、"キラキラ星"の感覚で、お子さんから年輩の方まで簡単に覚えていただける「童謡」のような曲にしたかった」。

 41 「悲しいほど貴方が好き」 (2006年3月8日)

http://www.youtube.com/watch?v=YaJu9u-bBug

 最高位6位。前作から10ヶ月のブランクがあった。この頃に病状が悪化したのは明らか。前作に続いて両A面シングルとなっており、これは、ZARDにとっては3度目となる。『めざましどようび』の「カラッといこう!」の初回放送日と発売週の土曜日に、番組内で坂井のコメントが音声で放送された。ZARDにとって6度目、坂井泉水の生前最後の『名探偵コナン』のタイアップ作品で第24期エンディングテーマ。

 42 「ハートに火をつけて」 (2006年5月10日)

http://www.youtube.com/watch?v=qgRVutIjPRQ

 最高位10位。ZARDにとって最初で最後の昼ドラタイアップ。TOP100登場回数、このシングルで女性ヴォーカルアーティスト シングルTOP10入り通算40作品となった。初回限定盤はデジパック仕様で、表題曲のピアノによるインストアレンジが収録されている。また、ディスクの色が異なっているなどの違いがある。2007年の坂井の死去により、生前に発売されたシングルとしてはこの作品が最後で遺作となった。TBS系愛の劇場『すてきにコモン!』主題歌。

 43 「グロリアスマインド」 (2007年12月12日)

http://www.youtube.com/watch?v=tKEe3HrF6M8

 最高位2位。坂井泉水の死後に発売された曲。坂井泉水が2006年4月に人生で最後にレコーディングした曲であり、オフィシャルブック『きっと忘れない』にレコーディングの様子や歌詞が掲載され、大きな反響を呼び発売が決定。坂井泉水追悼ライブ『What a beautiful memory』でサプライズ発表された。
 オリコンチャートでは2000年に発売された「promised you」以来7年ぶりにシングル初動売上が5万枚を超え、2005年に発売された「星のかがやきよ/夏を待つセイル(帆)のように」以来2年半ぶりにTOP3入りとなる2位を記録。初動のみで前作「ハートに火をつけて」、前々作「悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!」の累計を上回った。
 「グロリアス マインド」が2007年6月から行われたファン投票で5位となり、それから約1か月後の2008年1月に発売されたベストアルバム『ZARD Request Best 〜beautiful memory〜』に収録が決定したため、先行シングルのような扱いとなった。レコーディングには癌を患っていた坂井の安全のため、母親も付き添った。
2007年12月31日のNHK『第58回NHK紅白歌合戦』の第一部のラスト企画として設けられた坂井の追悼コーナーで、代表曲の「負けないで」と「揺れる想い」と共に流された。

 44 「翼を広げて/愛は暗闇の中で」 (2008年4月9日)

 最高位3位。2006年3月発売の「悲しいほど貴方が好き/カラッといこう!」以来2年ぶり4度目の両A面シングル。初回限定盤には追悼ライブ『What a beautiful memory』で使用された『きっと忘れない』のライブ映像を収めたDVDが付属している。CDジャケットにはレコーディング中の坂井泉水のカメラ目線の写真が使われている。なお両楽曲ともに日本テレビ系テレビアニメ『名探偵コナン』のオープニング主題歌、映画主題歌に起用されており、これにより『名探偵コナン』のタイアップは通算で9回となった。週間オリコンチャート3位を記録。これによりシングルトップ10獲得数が42作になり、ランクインの時点でサザンオールスターズ、SMAPと並んで歴代トップとなった。

 45 「素直に言えなくて」 (2009年5月27日)

 最高位5位。初回限定盤(JBCJ-6013)と通常盤(JBCJ-6014)の2種リリース。生前、坂井泉水がリアレンジを求めていたと言われる楽曲で、三回忌を迎えるにあたりリリースが決定した。シングルの表題曲で坂井泉水作曲になるのは初めてである。シングル45作目にして初めて、表題曲、カップリングともにノンタイアップとなる作品である。オリコン・週間シングルチャートでは5位を獲得し、シングルトップ10獲得数が43作となった。

 名実ともにこの曲が、ZARDにとってのラストシングルとなった。

 平成の歌姫「坂井泉水」を語る時、誰もが思う、容姿端麗で謎めいた女性・・・。実は、ハニカミ屋で照れ症で、あまり多くを語らず、それでいて芯がしっかりした女性。彼女が短い生涯、全力でかけぬけた季節は、誰にも追いつけない彼女だけの時間だった。それをひとつひとつゆっくり時間をかけて紐解いて行くと、彼女特有の詩の世界があって、誰よりも寂しがり屋で、誰よりも人恋しくて、そして誰よりも女の子らしくて、でも不器用で上手に自己表現ができずに苦しむ自分を描写していたように思う。晩年の楽曲には、死と向き合い、それを暗示するような触りがあちこちに見られる。「かけがえのないもの」は、人生と向き合った彼女が、自分の中で総決算した時に、一番大切なものは何かを再確認している意図も含まれる気がするし、「今日はゆっくり話そう」は、過ぎ行く時間を惜しむかのように、今この時を大切に思う気持ちが表されている。「星のかがやきを」は、自分の命の灯火が尽きた後で、魂が天高く昇り、輝く星になってほしいという願いが込められているきがする。
 「悲しいくらい貴方が好き」では、生涯独身を貫いた彼女が、本当は誰かに恋し、告白できない自分をもどかしく思い、詩情世界に想いを託したように思える。また、病状を公表できず、ファンへの感謝の意をどこかで表現したくてこのようなタイトルにしたのかもしれない。遺作となった「ハートに火をつけて」では、死に直面した彼女が、もう一度生への執着から、自らの精神力を奮い起こそうとする意味とも受け止められる。今となっては真相は暗い闇の中だが、死後6年半以上の月日が流れても、彼女が遺した名曲の数々は、決して色褪せることはないし、後世まで語り継がれていくということだ。彼女と同じ時代に生まれ、彼女の歌に触れられたことに感謝し、彼女が命を賭けて伝えたかった言葉の意味をいつまでも胸に刻み込んで、彼女の分も生きていきたいと思う。

 記事作成:11月6日(水)

 

2013年11月14日 (木)

坂井泉水が歩んだ道のり④

 今週はZARD特集をお送りしています。4日目の今日は、1990年代末期から21世紀初頭の年までの彼女にとっては意味深なタイトルの楽曲が多かった時期にあたる。もしかすると、彼女自身が自らが侵されていた病魔の存在を知り、必死にもがき苦しんでいたのかもしれない。特に33曲目と34曲目の間は、体調不良で1年半も活動を停止してブランクがあった。今日の記事では、シングルカット28曲目36曲目までをお送りします。

 28 「MIND GAMES」 1999年4月7日

http://www.youtube.com/watch?v=EwzL24A_cCQ

 最高位1位。シングルでは最後の1位獲得曲となった。シングルとしては初めてリミックスバージョンが収録された。難解な歌詞で構成されており、ギターの音が前面に押されている。フジテレビ系『プロ野球ニュース』テーマソング。

 29 「世界はきっと未来の中」 1999年6月16日

http://www.youtube.com/watch?v=8jPmrwE0jdg

http://www.youtube.com/watch?v=xw--suB_La8

 最高位2位。カップリングなしのワンコインシングル(500円)で発売。テレビ朝日系ドラマ『舞妓さんは名探偵!』主題歌。

 30 「痛いくらい君があふれているよ」 1999年10月14日

http://www.youtube.com/watch?v=lq07l-11TxM

http://www.youtube.com/watch?v=-xwvK7Qur1o

http://www.youtube.com/watch?v=cxT-GLl4VRk

 最高位5位。ZARD最後の8cmシングル。現在でラップの曲はこの曲のみである。歌詞はラブソングになっており、当初の仮題は「Love & Peace」。ジャケット写真の坂井の右足首の白いものは湿布で、撮影中に坂井が足を捻挫してしまったため足に湿布を貼っての撮影となった。ネスカフェモーメントCMソング。

 31 「この涙 星になれ」 1999年12月1日

http://www.youtube.com/watch?v=URWz7vYoQWA

 最高位5位。ZARD初のマキシシングル。発売直前に「寂しいと人は意地悪になる」という部分が「少しの笑顔でよかったのに」と一部歌詞とキーが変更されたが、CMでは録り直し前のものがそのまま放送された。坂井は「少しの笑顔でよかったのに…いつからか気軽に 君と話せなくなってた」というフレーズが気に入っていた。

 32 「Get U're Dream」 2000年9月6日

http://www.youtube.com/watch?v=YoHjwHEKgdw

 最高位4位。NHKのシドニーオリンピックのテーマ曲。タイアップ先の番組がスタートする前に発売された(オリンピック開始は9月15日)。2000年8月2日に放送されたNHK「サンデースポーツ」において、坂井泉水のコメント映像が放送され、「Get U're Dream」のビデオクリップが放送された。NHKの番組テーマと言うことで、当局スタッフが熱心に同年の『第51回NHK紅白歌合戦』への出演依頼をした。その甲斐もあり、坂井も出場に前向きな姿勢だったと報じられるも、「坂井泉水の体調がすぐれないため」として紅白出場を辞退したため、坂井の紅白出場が幻となった。

http://www.youtube.com/watch?v=PZZJwus5WJs

 33 「promised you」 2000年11月15日

http://www.youtube.com/watch?v=rm6AK3QrI1E

http://www.youtube.com/watch?v=vLXO4-XunAs

 最高位6位。「土曜ワイド劇場」エンディングテーマとして起用された。

  • このシングルの発売後、ボーカルの坂井泉水が急病になり、アルバム『時間の翼』発売後に休養を取っている。シングルもこの後1年半発売されなかった。
  •  34  「さわやかな君の気持ち」 2002年5月22日

    http://www.youtube.com/watch?v=Rxuh5bTqwWw

    http://www.youtube.com/watch?v=Nfw6ZzmrqU0

     最高位4位。花王「8×4」CMソング。このCMバージョンは2012年1月発売の「ZARD ALBUM COLLETION~20th Anniversary~」に収録された。前作より約1年半という長い期間を経て「ZARD第2章スタート」という、キャッチフレーズが付いたシングルとなった。『ときめきメモリアル3』テーマ曲。

     35 「明日を夢見て」 2003年4月9日

    http://www.youtube.com/watch?v=85JCOufGLYU

     最高位4位。『名探偵コナン』のタイアップ。「明日を夢見て」「探しに行こうよ」の2曲とも、「生きていてこそ」という共通のテーマがあって制作された。彼女の死生観が表現された形となった。

     36 「瞳閉じて」 2003年7月9日

     最高位4位。『すぽると!』のテーマソング。タイアップから動画コメントが放送された。テレビ出演は3年振りである。本作のテーマは、前作「明日を夢見て」のテーマ「life=生きている」からさらに男女の色香を足したものである。PVは坂井のアップのカットが多数登場する。

     冒頭で記載した通り、彼女がこの時期に闘病生活を強いられ、死と向き合い、人知れず苦しんでいたことは明らかで、今思えばそれが作品のタイトルや彼女自身が紡ぐ詩の中に如実に表現されていることが見て取れる。

     記事作成:11月3日(日)

    2013年11月13日 (水)

    坂井泉水が歩んだ道のり③

     今週はZARD特集をお送りしています。第三弾の今日は、1990年代末期にあたり、ZARDにとっては完成期を迎えた時期にあたる。今日の記事では、シングルカット19曲目から27曲目までをお送りします。

     19 「Don't you see !」 1997年1月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=SO9T1LY-b3Q

     最高位1位。アニメ『ドラゴンボールGT』エンディングテーマ。

     20 「君に逢いたくなったら・・・」 1997年2月26日

    http://www.youtube.com/watch?v=hwYMQhQVQ6w

    http://www.youtube.com/watch?v=nXCYhmJgoHs

     最高位2位。初動売り上げは30万枚を突破(オリコン調べ)し、初登場2位。累計売り上げは、前作を上回る65万枚近くを記録した。TBS系ドラマ『理想の結婚』主題歌。

     21 「風が通り抜ける街へ」 1997年7月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=Jpa8ywqnPfE

     最高位3位。'97 SUMMER JRA キャンペーン・ソングとして、ZARD初の競馬CMタイアップとなった。

     22 「永遠」 1997年8月20日

     最高位1位。当時の流行語にもなった日本テレビ系ドラマ『失楽園』の主題歌。キヤノン「Eos kiss」CMソングにも起用されている。

     23 「My Baby Grand ~ぬくもりが欲しくて~」 1997年12月3日

    http://www.youtube.com/watch?v=wAKIzqRhqk4

     最高位3位。タイトルの「Baby Grand」とはレコーディング時に音程チェックのため、愛用していたトイピアノのことを坂井自身がそう呼んでいた。NTTドコモ'97冬CMソング。「あなたを感じていたい」以来の同CMソングのタイアップとなる。

     24 「息もできない」 1998年3月4日

    http://www.youtube.com/watch?v=KdTRuRKSvJk

     最高位3位。フジテレビ系アニメ『中華一番!』2代目オープニングテーマ。「Don't you see!」以来のアニメタイアップシングル。ZARDの楽曲の中では最もミックスの多い楽曲であり、タイアップのオープニングテーマ(TV Mix)版とシングル版ではアレンジが異なっている

     25 「運命のルーレットを廻して」 1998年9月17日

     最高位1位。自身初の『名探偵コナン』のタイアップ。以降生前に6回、その後3回担当することになる。

     26 「新しいドア ~冬のひまわり~」 1998年12月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=2iSQO8mEn3A

    http://www.youtube.com/watch?v=fOXlJ8SkvPw

     最高位3位。27thシングル「GOOD DAY」と2枚同時リリース。カップリング曲なしのワンコインシングル(500円)として発売。サッポロビール「冬物語」CMソング。

     27 「GOOD DAY」 1998年12月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=ZefzqOM8deA

    http://www.youtube.com/watch?v=vR8ss85Mv_I

     最高位2位。ビューティーラボ「ナチュラルカラー」CMソング。

     

     「彼女が生涯をかけて残した足跡を決して忘れたくない」という一途な思いが今回の記事執筆の出発点となっている。今でも彼女の歌声を聴くと切なくなる。そして過去の人と思いたくない自分がいる。ZARDのコンサートを一度も行ったことがなく、全シングルCDを所有し、ドライブ中のBGMや「YouTube」のPVで見たり、聴いたりしているにすぎない私だが、1990年代に一番輝き、そして彼女の楽曲を心待ちにしていた私にとっては、常に特別な存在だった。シャイで、あまりテレビに出たがらなかった彼女。ピュアで控えめ、それでいて慈しみの心を持ち合わせていて・・・。摩訶不思議な魅力を持った女性だった。彼女の歌やその存在に触れていたくて、今も毎日のように聴いている。
     彼女が生前、歌を通して伝えたかったことは、すべて彼女が自ら作詞したその中に包み隠さず表現されている。素直で飾らない言葉の数々。まるで自らの死期を暗示しているかのような謎めいたタイトルの数々・・・。今日紹介した曲のタイトルを見ても、「別れ」や「死」を意識しているかのようなネーミングだ。彼女の人生の最終局面もまた、多くの謎を秘めたエピローグだったが、覆面歌手としてのデビュー当時、実体がないとまで騒がれた。蓋を開けてみれば超美人アーティスト。その「坂井泉水という歌手」としての存在は、彼女に自身にしかわからない「偶像」だったのかもしれない。

     明日は第4弾。いよいよ後半に入る。ぜひ最後までお付き合い頂きたいと思います。

     記事作成:11月1日(金)

    2013年11月12日 (火)

    坂井泉水が歩んだ道のり②

     本日は、私が20代から30代にかけてもっとも光り輝いていたZARDの坂井泉水さんを偲んでの、追悼記事の第二夜となる。今日はシングルCDの10曲目から18曲目までの楽曲を取り上げたい。

     10 「きっと忘れない」 1993年11月3日

    http://www.youtube.com/watch?v=oxZNcr52xsw

    http://www.youtube.com/watch?v=MbtFqqrpKNg 

     最高位1位。累計80万枚を突破し、ZARD自身5番目のヒット曲となっている。テレビドラマ『白鳥麗子でございます!』エンディング曲で使用されたが、最終話のタイトルともなった。

     11 「この愛に泳ぎ疲れても」  1994年2月2日

    http://www.youtube.com/watch?v=uOp6FrSIjYU

     最高位1位。シングル売り上げでは「負けないで」、「揺れる想い」、「マイ フレンド」のミリオンセラー作品に続く4番目に当たる曲である。フジテレビ系ドラマ『愛と疑惑のサスペンス』エンディングテーマ。読売テレビ製作映画『夏の庭 The Friends』エンディングテーマ。

     12 「こんなにそばに居るのに」 1994年8月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=p5dfwZWCF_A

     最高位1位。三貴「ブティックJOY」CMソング。

     13 「あなたを感じていたい」 1994年12月24日

    http://www.youtube.com/watch?v=Cp8HFFNdI1k

     最高位2位。NTTドコモ・ポケベル「パルフィーV」CMソング。

     14 「Just believe in love」 1995年2月1日

    http://www.youtube.com/watch?v=FybLJAGHohY

     最高位2位。TBS系ドラマ『揺れる想い』主題歌。

     15 「愛が見えない」 1995年6月5日

    http://www.youtube.com/watch?v=BZMox8vtWwQ

     最高位2位。PVにはジープが登場するが、坂井泉水がハンドルを握っているのはクライスラー製で、走行シーンに出てくるのは三菱・ジープ)である。エフティ資生堂「SEA BREEZE 1995」CMソング。

     16 「サヨナラは今もこの胸に居ます」 1995年8月28日

    http://www.youtube.com/watch?v=vY1MkAqiO8w

     最高位1位。テレビドラマ『白鳥麗子でございます!』の映画版の主題歌として起用された。『J-ROCK ARTIST Count Down 50』エンディングテーマ曲。

     17 「マイフレンド」 1996年1月8日

    http://www.youtube.com/watch?v=iZ_qTmT9BW4

    http://www.youtube.com/watch?v=q3_oXhysXV0

     最高位1位。アニメ『SLAM DUNK』のエンディングテーマに起用され、ZARD初のアニメ主題歌となった。ZARDのシングル作品で最高の初動枚数と初登場1位を記録し、累計枚数は前作を倍近く回復した。チャートイン最終週の21週目にミリオンセラーを記録。

     18 「心を開いて」 1996年5月6日

    http://www.youtube.com/watch?v=WJUqSbxTqac

     最高位1位。ポカリスエットのCMソングとして使用された。累計枚数は70万枚を突破している。

     「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉であるかのように、彼女はファンに、子宮頸がんを患っていたことも知らせないまま、人知れず命の病気と闘っていた。命の炎の灯火が弱まっていることを、誰にも悟られず、そして静かに「坂井泉水」としての歌手人生を締め括り、やがてエピローグを迎えた。
     彼女の聡明さ、シャイな感じ、そして大好きな歌に真っ直ぐな気持ちで、ひたむきかつ真摯に取り組んでいた。彼女の紡ぐ詩の世界は、どれも人間の深層心理を如実に物語り、意味深で女性らしさ、言葉ひとつひとつに魂が宿っているような印象を与えた。それは死と向き合い、「人生知」をも表現しているように思えてならない。未だに「YouTube」でZARDと検索すると、ファンが独自に作成・編集した映像の数々がアップされ、彼女が輝いていた時期を、当時のまま残そうという意図が見て取れる。彼女とともに歩み、同じ時代を生きた証をどこかに残しておきたいという気持ちが痛いほど伝わってくる。生前、多くは語らなかった彼女だが、寡黙な中に煌くその美しさ、内面から滲み出て来るその人柄。そんな奥ゆかしさの魅力に人々は心惹かれるのだと思う。彼女の死後、6年半が経過してもなお、私も含め多くのファンがZARD・坂井泉水の幻影に取りつかれているのは、そういう理由によるところが大きい。

     さて、明日は、徐々に円熟期に入った1997年の19曲目のシングルから1998年27曲目までをお送りしたいと考えている。

     記事作成:10月31日(木)

    2013年11月11日 (月)

    坂井泉水が歩んだ道のり①

     公開後に、タイトルを「ZARDが歩んだ道のり」から「坂井泉水が歩んだ道のり」に変更させていただきました。ご了承願います。

     今秋、6年越しでようやく実現した坂井泉水さんの墓参り。そして転落事故現場でも手を合わせ、彼女のご冥福を祈ることができた。それ以来、何故か彼女の存在が日に日に大きくなり、今更ながら彼女が遺してくれた作品やその存在までもが愛おしく感じている。彼女が不慮の事故でこの世を去ってから6年半。亡くなった人は早いというが、私たちファンを置き去りにして天国へと旅立った彼女。彼女が命をかけて残してくれたものを、いつまでも大切な宝物として守り抜き、決して過去のものとしてはいけないような気がする。それが彼女への何よりの供養だし、ファンとしてできることだと思った。
     従って、今週は5回に渡ってZARDのPVを特集したい。特にシングルとしてリリースされた彼女の作品の数々を、その容姿端麗な映像を交えてお送りしたい。もしかすると映像は、心無い方の通報によって予告なく削除されるかもしれないが、彼女を永遠に忘れないために、敢えてここにその足跡を記し、生きた証をここに刻みたい。

     1 Good-bye My Loneliness(1991年2月10日)

    http://www.youtube.com/watch?v=JggXmhSV7xc

     記念すべきZARDの坂井泉水としてのデビュー作品。最高位9位。フジテレビ系ドラマ『結婚の理想と現実』主題歌。クラリオンCMソング。

     2 不思議ね・・・(1991年6月25日)

    http://www.youtube.com/watch?v=Vc02fJvqoEU

     美しい長髪、色白の肌、均整のとれた顔立ちと抜群のプロポーション。すべてが完璧で美少女ぶりを早くも発揮。最高位30位。日本テレビ系『マジカル頭脳パワー!!』エンディングテーマ。

     3 もう探さない(1991年11月6日)

    http://www.youtube.com/watch?v=I-lIRNi9624

    http://www.youtube.com/watch?v=g3-Kj9y8yrQ

     素敵な曲の割にブレイクとまでは行かなかった。最高位39位。雰囲気は1990年代のOL風。清楚なイメージでお嬢様的な印象を醸していた。当時、人気絶頂だった森高千里にも雰囲気が似ていた。マイナーコードの楽曲。失恋した女性の都会に生きる孤独を歌っている。テレビ朝日系ドラマ『七人の女弁護士』の主題歌。

     4 眠れない夜を抱いて(1992年8月5日)

    http://www.youtube.com/watch?v=Sx3ufRF97hU

    http://www.youtube.com/watch?v=qviao2BXbzM

    http://www.youtube.com/watch?v=PbmvB3wQyqQ

     私がZARDを知るきっかけとなった曲。当時はマスコミやテレビ番組に姿を見せない覆面歌手のような存在だった。しかし、この曲がヒットして、徐々に歌番組に出演するようになった。ボーカルの顔を見て、あまりの美人にびっくり仰天し、ますます惹きつけられた。もちろん当時は8cmCDだったが、購入した。最高位8位。テレビ朝日系『トゥナイト』エンディングテーマ。

     5 IN MY ARMS TONIGHT(1992年9月9日)

    http://www.youtube.com/watch?v=ILqNPvaPPwU

    http://www.youtube.com/watch?v=FHIW2cmx1Nk

    http://www.youtube.com/watch?v=Nr_FEk66zJI

    http://www.youtube.com/watch?v=J4g_0DJjaQg

    http://www.youtube.com/watch?v=fJBybpPZ7NU

     最高位9位。Mステに頻繁に出演し、顔が売れるようになった頃。どんどんメジャーになっていく手応えを感じていた。TBSドラマ『学校があぶない』主題歌。

     6 負けないで(1993年1月27日)

    http://www.youtube.com/watch?v=7pdJwS-OJy8

    http://www.youtube.com/watch?v=cmq124bsvWQ

     翌年の春のセンバツ高校野球の入場行進曲に選ばれた名曲。200万枚を売り上げ、ZARD初となる1位を獲得した。今でも「24時間テレビ」のマラソンでBGMとして使われている。この曲で励まされ、勇気と希望をもらった人は多いに違いない。
     「負けないで もう少し 最後まで 走り抜けて」
     素直で前向きな詩は共感を呼んだ。

     7 君がいない(1993年4月21日)

    http://www.youtube.com/watch?v=sG125PIpltg

     最高位は2位ながら売上げは80万枚を記録した。日本テレビドラマ『彼女の嫌いな彼女』の主題歌となった。

     8 揺れる想い(1993年5月19日)

    http://www.youtube.com/watch?v=zVvy4jNUMxc

    http://www.youtube.com/watch?v=ZqsTp1S3b38

     「ポカリスエット」 CMソング。爽快なボーカルとサウンド、透明感のあるブルーのジャケット写真も印象的­なZARD夏の定番ナンバー。個人的にZARDの楽曲で、一番のお気に入り。坂井泉水らしさがもっとも素直にストレートに出ている気がするからだ。声質と声量にぴったり合っている。2曲目のミリオンセラーを達成し、最高位はもちろん1位。

     9 もう少しあと少し…(1993年9月4日)

    http://www.youtube.com/watch?v=x8znjeekLdc

     歌詞中に「神戸」や「追伸:」などのユーモアを少し取り入れてある。不倫のことを歌っている。最高位2位。テレビ朝日系ドラマ『ララバイ刑事'93』エンディングテーマとして使われた。

     さて、初回はここまで。毎回9曲ずつ取り上げ、5回シリーズでシングル全曲45曲を網羅したい。彼女が亡くなってからというもの、心にポッカリと穴が開いたままだ。未だに「悲しいくらい君があふれている」。彼女のPVを観るのが、正直切なくて居た堪れなくなるが、聡明で賢明な女性像というのが彼女の印象そのものだった。ファンだった方は、ぜひこの記事とPVをご覧になって、いつまでも彼女を青春のシンボルとして忘れないでいてほしいと思います。

     記事作成:10月30日(水)

    2013年11月 9日 (土)

    名曲と出逢う旅 ~渡良瀬橋編~

     このプランは、11月4日(月)に、職場の同僚と訪れた「田中正造記念館」がきっかけとなった。館林市まで出向いたのに、その隣りにあった、ぜひとも私が訪ねてみたかった足利市をすっかり忘れていた。学生時代に、バイクで通りがてら、「足利學校」を訪れた経験はあったが、じっくりと見た記憶がない。そして、合わせて私の20代のマドンナ、森高千里の名曲「渡良瀬橋」の歌詞に登場する場所をいつか巡ってみたいと思っていた。今回、近辺まで行ったことで、ぜひここで実現させたいという思いを強くした。しかるにそのプランとは・・・。

     自宅→郡山南IC→清滝IC→足尾銅山(松木村跡・本山精錬所・足尾駅・わたらせ渓流

    鉄道トロッコ列車・沈殿湖)→草木ダム→桐生→足利市(緑町八雲神社・バーバー小沢電

    話BOX・八雲神社・織姫神社・足利駅・足利学校・渡良瀬橋歌碑・渡良瀬橋ほか)→足利

    IC→岩舟JCT→郡山南IC→自宅      参考ブログはコチラ  歌詞はコチラ

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     <経緯と経過>

     このプランの実施は正直きつかった。11/4(月)の佐野・館林往復で、風邪をひいてしまい、体調を崩して病院通いをし、今も7種類の薬を服用している身の上での強攻策。放射冷却は厳しいが、天気が良いのと雪が降ってからでは身動きがとれなくなること、更には思い立った時に動かないと、興味関心が薄らいでしまうなどを総合的に勘案して決めた。本当はこの日、先輩同僚宅で、採れたての大根祭りを実施しようと約束していたのに、それを反故にしての決行となった。では、さっそく当日の模様を見ていきたい。

     11月9日(土) 晴れ→くもり

     5:51 起床。家内は子供のための朝食作り。出づらい。風邪薬の顆粒剤をばらまく。食
         事なしで服用。台湾で着用したダウンを着込む。
     6:18 自宅発。朝日。気温は4℃。放射冷却で冷え込む。バイパス空いている。安積通
         りを右折。静町から左折してコスモス通りから市場前へ。まうちゅう。「統商」のトラ
         ックを交わす。カルチャー先で右折して県道47へ。Nシステム通過。
     6:32 郡山南IC。気温6℃。統商トラック暴走140km/h以上出し追い抜く。
     6:39 ループコイル。95km/hで通過。2℃。手巻き寿司齧る。伊藤園のペット茶まず
         い。
     6:44 矢吹IC。晴れ。BGMはZARD。坂井泉水の声が切ない。100~120km/hペー
         ス。統商を抜き返す。
     6:49 白河中央IC。昨日のゴミ箱から焼死体発見の「メガステージ」の近くを走行。那
         須連邦の山々の稜線がくっきり。また統商猛追を振り切る。:54栃木県へ。
     6:58 那須高原SAへ。57.4km。ハイウェイウォーカーあり。入手。ナビを足尾にセッ
         ト。7:03発。
     7:07 那須黒磯IC。7:11黒磯板室IC。蛇尾川渡る。
     7:13 西那須野塩原IC。順調。紅葉した那須の山々に朝日が当たり美しい。
         150km/hで前の車を煽る那須ナンバー車。
     7:22 矢板・氏家IC。:25鬼怒川通過。:26レーダー95km/hで通過。
     7:28 上河内SA。120km/h~。
     7:32 宇都宮IC出口。1,450円。ETC出口を通過してから日光道路へ。交通量多い。
         道路の両側の木々が紅葉。
     7:39 大沢出口。料金所ETC通過200円。茶色の禿山に向かって突っ込んでいく。
     7:42 土沢出口。:44今市出口。料金所150円。50km/h制限。対面通行。910mトン
         ネル。楓や紅葉、黄色や赤彩りめちゃ綺麗。

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     7:52 清滝ICで有料道路を出る。車多い。2℃表示。R120号。山間道路。細尾大谷
         左折。橋を渡って足尾方面へ。紅葉超綺麗。左沢川。山の斜面にいろは坂のガ
         ードレール。日足トンネル。2,675m。R122小さな隧道急カーブ連続。神子内
         川。河原。木立の間。
     8:02 堰堤で写真。5℃。絶景スポットでUターン。
     8:08 セーブオンPの端っこから徒歩往復。写メ。160.7km地点。:12リスタート。イ
         チョウも綺麗。赤のアーチ橋。

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     8:15 田元交差点右折。県道250号へ。細いガード下の道。断崖の川沿いの縁の道。
     8:17 古河キャスティック工場の路肩に駐車。歩いて戻って「藤間駅」へ。ちょうどチョコ
         レート色の電車(1両)が到着。展望台に登って写メ。WC。駅舎でパンフ貰い、ス
         タンプ。乗降客数名。

     

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     8:23 藤間駅発。赤倉郵便局。地元の住民が道路沿いに。川向こうに青い屋根の作
         業夫の住居が連なる。やがて前方左に、足尾銅山精錬所のシンボルの煙突
         が・・・。意外に近い。「足尾みんなの家」。やがてロータリー分岐路へ。古河橋は
         ここにあった。赤茶けて古ぼけていた。崩落危険で立ち入り禁止。地面は木製の
         板。細い道を川沿いに進む。川向に巨大煙突。タンクが2~3個。廃墟の工場。し
         かし、大部分は解体撤去された。結構車が来る。狭い道も何箇所かある。旧線の
         踏切が放置。線路はなく、アスファルト。右にお寺。渓谷沿い。愛宕下で右に住居
         跡と石塁。向かい側はお地蔵尊。旧松木村までは道路無し。川向こうの左の山の
         斜面に滝が2つ流れる。前方左に吊り橋。カモシカの道から写真。高原木の看板
         あり。九段に九十九折の段差となった堰き堤。段々畑のように滝になっている。や
         がて「銅親水公園」で行き止まり。ゲートあり。一般車はここまで。ダンプは自動で
         ゲートオープン。左急カーブして吊り橋へ繋がるところの駐車場へ。

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     8:37 銅親水公園着。168.0km。松木渓谷の吊り橋。立派。まるで仮面ライダーのエ
         ンディングでショッカーが滝から次々振り落とされる絵づらのまま。その大壁状の
         滝の左隣には、武者返しのようにそそり立つ壁に巨大壁画。ここは何と渡良瀬川
         だった。周辺はV字谷間渓谷。紅葉はまだ上のほうだけ。降雪した形跡あり。東
         側は断崖で、落石防止の工事。寒くはない。徒歩にて橋の渡り終わりまで散策。

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     8:44 銅親水公園発。ゲートから旧松木村方面のV字谷を写メ。帽子をかぶった女性
         が道沿いをウォーキング。結構写真撮っている。バッテリー持つか心配。くもり
         空。来た道を戻る。古河橋のロータリーから右折。どうやら足尾銅山精錬所はゲ
         ートが閉まっていて、立ち入り禁止。その先の鉄道のガードを潜って道が細くなる
         手前に駐車。ここまで170km地点。マップ確認。赤茶色に変色した沈殿湖に行き
         たいのだが。マップで何度も確認してタイムロス。熊出没の注意書き看板有り。そ
         の立ち入り注意の橋を渡り、何とその頭上にも吊り橋のようなものが。向こう岸か
         ら鉄道のガードを先を眺めるが、中には入れず。雑木林や枯れ草を分け入り、レ
         ールへ。ガード側の反対側の短い隧道確認。クマの心配はなさそう。マップ確認。
         行きたい箇所をピックアップ。どこにも負の遺産の沈殿湖の表示無し。

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     9:05 松木渓谷方面に戻って、左側の「龍蔵寺」の駐車場へ。何と親水公園のウォー
         キング女性が早くも到着して墓地周辺を歩き回っていた。ここにはまるで墓石が
         ピラミッドのように積まれた「無縁仏の供養塔」がある。短い坂を上がって境内
         へ。本堂の左には霊安堂があり、その向かい側に小高く積まれた無縁仏塔
         が・・・。真っ黒で不気味。しかもその背後には、あの精錬所の煙突が聳える。そ
         れを死後まで見守るかのように眠っていた。礼を尽くし、何度も頭を垂れた。その
         傍らには「つばめ来る・・・」で始まる句碑が置かれていた。その後、来た道を引き
         返す。途中、左折して細い急坂を上がる。発電施設のようなものがあったが、そこ
         は赤煉瓦防火壁だった。その裏手には桜の木の植樹。Uターン。穴ボコでタイヤ
         ショック。パンク心配。R250へ。
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     9:18 道沿いの山の麓に団地が2棟並び、そのそそり立つ崖下に藤間の旧水力発電
         所のパイプ菅のモニュメントを発見。空き地のような駐車場に停車。昔の写真と
         解説板あり。赤茶けた歴史を感じる銅管。旧踏切、藤間駅、キャスティック前を通
         過。田元交差点を右折してR250へ。次は足尾駅。
     9:25 橋を渡った先の左に水掛赤煉瓦倉庫を発見。通り過ぎてバックで戻る。草ボウ
         ボウボウのテニスコート。立ち入り禁止。外観の写真のみ。そこは水掛倶楽部と
         いう迎賓館なのだが、休み。ジジババの団体観光客20人以上。そこの渓谷にか
         かる橋が何と「渡良瀬川」に架かる「渡良瀬橋」という。足利のそれと同名。3階建
         ての立派なアパートの先右側に足尾駅あり。そのご老人グループが列車待ち。駅
         舎の前に陣取っていた。

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     9:30 足尾駅着。174.4km地点。駅の右の空き地に駐車。オレンジ色の昔の国電を
         払い下げたような車両がポツンと置いてあった。駅舎内でスタンプを押し、ホーム
         の風景を観察。写メ。長居無用ですぐ出発。川沿いの昔ながらの街道。コンビニ
         やGSもある。ほどなく右折して通洞駅へ。客待ちタクシーが3台占拠。右に入り、
         蓮慶寺の路肩に駐める。100m歩いて駅舎へ。隣が公園。駅舎は何もない無人
         駅。ホームで写メのみ。海抜636mにある駅らしい。沈殿湖まで続く九十九折の
         道がちらっと見えたが、その入口が車両通行禁止。つまり登山しないとたどり着け
         ない?案内図の看板ではわかりづらいし、沈殿湖の表示が無い。タクシーの運ち
         ゃんに聞けばよかった。わたらせ渓谷鉄道なのだが、トロッコ列車も走っている。
         本数が極端に少ない。鉄道唱歌足尾編という看板があった。7分ほどで出発。

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          結局、沈殿湖の入口見つけられず。足尾銅山観光のテーマパークが左下に確
         認。マイナス方向へ戻る形で右折して坂を登り、足尾歴史館とその先のグラウン
         ドに迷い込み、Uターンしたり、廃墟工場群を通過。更には右折して住宅団地に入
         り込んだり、道に迷う。この時点で沈殿湖は断念。紅葉が綺麗な川沿いルート。
         青い鉄橋と紅葉と河原の図。カメラマン三脚撮影。その先の分岐点。右折。銅山
         の遺構を探りに谷間の道を行く。R293の山道へ。秘境感あり。紅葉美しい。測
         量中。くねくねですれ違えない箇所あり。いろいろな銅山の跡がある。小滝の里
         P。182.5km地点。カップル紅葉見。石碑。小滝応援歌と小滝小学校歌が刻ま
         れ、裏には、かつて住んでいた村民全員の名前が刻まれてあった。反対側の斜
         面に石塁あり。探索。その後、旧小滝橋の迂回路。実は参加し回っていた浴場が
         あった。10mほどのアーチの錆び付いて朽ち果てた橋。坑道跡は鉄製の門扉で
         立ち禁。その先、左には火薬保管庫跡。行動閉鎖。狭い道。小川沿いルート。紅
         葉絶景スポットで写真。適当にUターンするつもりが奥地の銀山平キャンプ場、そ
         の先のかじか荘の庚申山登山口の通行止めまで来てしまう。184.4km地点。結
         構距離走る。ラジオはNHKの寄席。チャーリーカンパニーの漫才と松鶴亭千歳の
         懐かしの「わかるかな、わかんねぇだろうな」のフレーズ。中国人の慰霊碑もあっ
         た。すると帰り際、坑夫浴場跡を発見し、緊急停車して写メ。 

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    10:25 小滝坑夫浴場跡発。

    http://www.nishida-s.com/main/categ4/ashiodouzann/ashiodouzann.htm

    10:32 右折してR122へ復帰。交通量少ない。前方にパトライト回転のパジェロパトカ
         ー。足尾トンネル後、群馬県に入り、道を譲ってくれる。対向バイクにパッシング。
          次は関東の水瓶の群馬県草木ダムへ。水不足のたびにTVに出る。一本道。
    10:42 草木ダムの北側の端へ。赤いアーチの橋が湖に架かる。サンレイクの文字。
    10:47 赤い橋のたもとへ。何故か電話ボックスが。投身自殺を未然に防止?徒歩で橋
         を50mほど渡って絶景スポットで両側の風景を写メ。対岸の展望台にセットした
         が行かない。そこは199.3km地点で、草木橋という名前で昭和51年7月竣工。
         向かい側が喜龍苑という蕎麦屋?石庭公園。
    10:49 道の駅へ。草木ダム展望台Pへ。駐車場満車。斜線部分に停車して顰蹙。バイ
         ク多い。ダムの真上の通路を写メのみ。スケールがよくわからない。御霊橋。そ
         の先長い車列。後ろ車間距離取らずくっつく紺の車。50km/h道路を45km/h走
         行。イラつく。予定よりも1時間近く早いがノロノロ運転。10台連なる。渋滞の先頭
         は気づいていない。花輪。どんよりした空模様。

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    11:02 桐生市に入る。足利渡良瀬橋での夕日は難しそうな分厚い雲。天気予報大外
         れ。11:04 水沼へ。わたらせ渓流鉄道水沼駅。
    11:08 道の駅くろほねやまびこ。城下トンネル。川沿いだが併走してレール。貴船神社
         表示。R333とR122が共有。紺の車くっつきすぎ。スリップストリーム状態。右
         折。バイパス方向へ。左折。なかめ公園。踏切ちょうど列車通過で待たされる。菊
         人形。ノロノロ。T字右折。左方向。右方向。踏切り。ダンプを避けようと左折却っ
         て遅い。右折。桐生市街地へ。桐生高校先を右折。渡良瀬川の北側の川沿いル
         ートへ。街道沿い。じいちゃんが自転車で中央を逆行。230km地点で県道67
         へ。信号多い。何回も引っかかる。30~40km/hゆったりペース。
    11:46 橋の先から栃木に入る。ようやく足利へ。「とちぎ」ナンバー車。やっぱり天気はく
         もり。R67。300~500mごとに信号アウト。電化された両毛線の単線の線路沿
         い。
    11:54 足利工大入口。:59右に巨大な「赤十字病院」。渡良瀬橋方面へ向かう。左折し
         て坂を上がってR40の立体へ。進行方向に電話ボックスがある目印の高層マン
         ションを確認。下ってすぐに左折。T字路を左折。右手に八雲神社を見つけた。駐
         車場にタクシー3台客待ち。先客1組。
    12:02 緑町八雲神社着。242.1km。ここは昨年12月に不審火で火災になり、本殿が
         消失してしまった。森高千里のPVでも紹介され、ここを「渡良瀬橋」の歌詞のモデ
         ルになった。早速、「渡良瀬橋」にBGMを変更。早速見物開始。左側のお水取りで
         手を洗う。石段を上がるとすぐ目の前に仮の本殿。中から工事の人の話し声が。
         一応お参り。ここに彼女も来ている。裏手に回る。酒樽が置かれていた背の高い
         社殿は跡形もない。右には神社の鳥居。おじさんが一人お参り。ここの絵馬はカ
         ラーで「渡良瀬橋」の絵と「心の通う渡良瀬橋」の文言入り。夕日期待薄。

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    12:07 八雲神社発。すぐにR40へ戻り、通7丁目の交差点へ。赤信号時にデジカメスタ
         ンバイ。通過時に電話ボックスの写メ。予告信号で停車。慌てて左折。迂回した
         ら、ちょうどお寺(三宝院)の第一駐車場が。ここを借りて床屋と電話ボックスを訪
         問。
    12:10 三宝院着。R67方面から攻めるが、交差点の車の視線を気にして恥ずかしくて
         写メ撮れない。通り過ぎる。電話ボックスの中を覗き込むと、森高千里の写真もな
         ければ、「渡良瀬橋」のパンフもない。このままでは埒があかないので、勇気を出
         して床屋「バーバー小沢」に入った。「こんちは~」と声を掛けても誰も出てこない。
         すると待合の椅子とテーブルにあのパンフがあった。一枚貰い、そのまま店を出
         た。一旦R67側から戻る。メモ後、再び逆側からアタック。歩きながら、森高のPV
         の目線で写メ。信号待ちの車が少ないことを良いことに道路を渡って反対側から
         写メ。すると、族車が爆音を立てながら走行。結局3周した計算。最後は車で通
         過。この電話ボックスが「渡良瀬橋」に登場する。NTTは維持費が掛かるために
         撤去を申し出たが、地元の強い要望で残されたという。訪問した今日もまだ残っ
         ていて嬉しく感じ、安堵した。

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          続いて、県道40を東へ。次は3つある八雲神社の2つ目に向かう。すると西宮
         町の主要交差点で、左側に朱塗りの神社と石段を確認。右手がどうやらそれらし
         き社殿の屋根と境内。ちょうど右手に駐車場らしきスペース。右折して入った。し
         かし、10台分のスペースは満車。反対側の入口からも車が。すると運良く、私の
         後方の車が出て、速攻で割り込み駐車。
    12:25 243.7km。早速対面にある織姫神社から攻める。信号待ち長い。すると長い
         石段の中腹に、コスプレ制服にピンクのカツラを纏った少女が・・・。三脚を立てて
         渡良瀬橋方面の風景を写真撮っている。石段を一段飛ばしで一気に駆け上がっ
         た。残り何段の表示あり。コスプレ少女を追い越し、石段を登った。最後から2つ
         目の段で息切れ。でも歩調は確か。振り返ると、視界が開け、待望のシルバーの
         下路平行弦6連ワーレントラス橋が見えた。橋長243.27m、幅員5.5mもある。一気
         に登りきると右にこじんまりした茶室のよう食事処。すると砂利で色鮮やかな本殿
         が。
    12:31 織姫神社到着。ここは縁結びで名高い。右に塔。すると丘の上の展望台からス
         カイツリーが眺望できるとのフレーズが。あいにく雲がかって見えず。周辺には6
         ~7名もコスプレマニア。今日はここでコステレのイベントを実施。受付があった。
         景色を堪能。今目の前に夢にまで見た「渡良瀬橋」が・・・。信じられない光景。月
         曜日の館林訪問に続いてのドライブ。寒くはない。逆に階段上りの汗で暖かい。
         地上の鳥居には大正12年の文字が。  

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    12:42 続いて八雲神社着。参道ではなく、脇道から侵入。誰もいない。寂しい感じ。参
         道は長いが、萎びた印象。一応鳥居まで往復。入口には大イチョウ。その後、車
         でマップ確認。順調に予定を消化。1時間程度早い。次は足利學校跡。織姫交番
         前を左折。県道67号線へ。そして通2丁目交差点を左折し、鑁阿寺のお堀の手
         前を右折。駐車場を探すが一周半しても見つからず。お寺では門前町でイベント
         らしきことをしていた。R293昭和通りを横切った先に市営駐車場があったが、有
         料っぽかったので素通り。ぐるぐる回って、R67に戻り、R116へ左折し、踏切を
         渡る。中橋が正面に。しかし、その手前の信号を左折。渡良瀬川の北側の川沿
         いを渡良瀬橋方面へ向かう。途中、歌碑がある場所を見つけた。しかし、50代く
         らいの夫婦が先客。車を停められそうもない。そのまま左折して、シルバーの「渡
         良瀬橋」を渡ってみた。走りながら写メ。結構長い。幅が狭いのに対面通行だし、
         右側に並走して歩道有り。渡った後、信号を左折し。川沿いに走り、また左に曲
         がりS字カーブ。R116で中橋を渡って、市街地方面へ戻る。どうしていいのか右
         往左往しても仕方ないので、予定表を見て、駅へ向かうことにした。踏切をいった
         ん停止して渡り、右折。R67の目抜き通りを東に走り、標識に従い、右折。小さな
         足利駅へ。ロータリーの左に交番。そこで停車し、駅舎の写メ。盗撮と間違われる
         のでは・・・。対面には青のFE機関車が展示。駐車できないので、たまたま通りか
         かった駅前の「はなまるうどん」のPへ。

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    13:10 はなまるうどん着。まず駅舎へ。スタンプのを駅員に尋ねる。何と改札の脇に設
         置。ちょうど電車の発車時刻だった。駅構内を散策。パンフを目一杯もらう。駅前
         の案内板見やすいが3つ目の八雲神社は載っていない。そしてうどん屋へ。注文
         のシステムがわからず。トレイにトッピングとして150円のイカゲソ(太い2本でこ
         の値段)とレジで「塩豚ネギうどん400円」を頼んで、合計550円の会計。天かす
         追加し、水を汲んでテーブルへ。バックを違うテーブルに置き去り失敗。メモしな
         がら昼食。水を何杯もおかわり。食後には持参した風邪薬5種類を服用。撮影済
         みの写真もチェック。この後、学生時代からの持ち越しである「足利學校」へ是が
         非でも行くことに。

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    13:33 駅前うどん屋発。通1の交差点を右折。R293昭和通りへ。歩道橋のある「太平
         記館」から右折。先ほども通った、市営駐車場へ逆方向から回り込んで入庫。「観
         光ですか?」と聞かれ、観光なら2時間程度無料ですと言われた。車線部分に停
         めさせられた。
    13:35 太平記館駐車場着。251.1km。デカイ案内看板。さっそく歩道橋を渡って、順
         路に従い足利學校方面へ。古書屋の前を歩き、T字路を右折。
    13:39 30m先右手に門が。するとその真向かいの「銀丸本店」の店先で、小柄な女性
         店員が小さな紙コップに入った味噌汁を振舞ってくれた。参拝路の50m先に見覚
         えのある「校學」の標札が。まず、右側の社務所で拝観料400円を支払う。写真
         は方丈のみフラッシュ撮影不可で、フラッシュを炊かなければすべてOK。ボランテ
         ィアガイドが仕切りに勧めて来る。門を潜って中へ。植樹した方々の木々がお出
         迎え。湯島聖堂諧樹やかなふり松など。直進方向には孔子廟大成殿。孔子坐像
         など。南庭園は立派で格式高い。茅葺き屋根の方丈へ。皇太子夫妻もここに来て
         いる。展示物多数。歴代将軍の金位牌まで。衆寮、土蔵、菜園場、北庭園、歴代
         学長の墓所、木立の中、北京語が響く。前の夫婦。竹林も見事。境内は銀杏の
         刺激臭が強い。見学終了。寒くはない。日差しなし。マジで夕日は無理。同じタイミ
         ングで見学した中年女性10名の集団が角の店へ。陸橋の下の横断歩道を渡
         る。太平記という観光案内兼売店のような建物へ。パンフを根こそぎもらう。する
         と、ここで3つ目の八雲神社へ行くのを忘れていた。再度、横断歩道を渡り、また
         しても銀丸本店前を通る。味噌汁は1回のみ。声もかけない、T字路を右折してす
         ぐ左折。松村記念館の前を通り、その隣りに八雲神社があった。

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    14:18 3番目の八雲神社着。しかし、ちょうどのタイミングで、わざとらしく中年オバンが
         乗った薄い緑色の配達用バンが停車。シャッターチャンスを逃した。苦慮して撮
         影。この八雲神社は、森高千里が訪れていない筈。PVには見られない作り。通り
         沿いすぐに境内。どうも雰囲気が違う。そして、3度銀丸本店前を通過。横断歩道
         を渡って、再び太平記館(インフォメーション)案内所へ。ここで重大なことに気づ
         く。新品の渡良瀬橋のパンフを探していたら、足利學校の入校許可証が無くなっ
         ていることに気づく。多分、来る途中、どこかに落としたに違いない。再び横断歩
         道を渡って、銀丸の前へ。5度目。すると門の前に落ちていた。助かった。

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    14:32 市営駐車場発。次は時間的に早いが、メインの「渡良瀬橋」だ。夕日が期待でき
        ない天候の今、その時間まで待つ必要はないという判断。BGMは、運転中は繰り
        返し「渡良瀬橋」をリピートし、気分を高める。しかし、付近を車で周回したが、駐車
        場らしきスペースは無し。踏切渡り郵便局を探すが一方通行。歌碑の下のT字路を
        右折。渡良瀬橋を正面に見て、右折。隕石が中央にある狭い路地に入り込む。四
        輪通り抜け不可に迷い込み、Uターン。左折して、再び踏切を渡る。すると信号の左
        斜め前にスーパーが。そこは「FRESSAY」という大型スーパー。
    14:40 スーパーの駐車場着。ようやく駐車スペース確保。今度は歩いてR67を渡り、
        踏切を渡って、200m先のT字路を右へ。その公園には、歌碑という立て看板があ
        って、青い螺旋階段があって、それを上がった先がちょうど「渡良瀬橋」の歌碑に出 
        られる近道。やっと無人のその歌碑へ。14:43着。本当に離れた場所にあった。
        石碑は大きい、写メすると歌詞のプレートに影が映り込む。脇の鉄柱にある森高本
        人も押した再生ボタンをプッシュ。すると頭上から彼女の歌声が。何とフルコーラ
        ス。そして紛れもなくシルバーに塗装された渡良瀬橋が目の前に。渡良瀬川沿いの
        道路は交通量は多い。反対車線に横断し、橋の写真を撮っていると、緑色だが黄
        色の2本ラインを入れたロードスターが歌碑で急停車、妙にはしゃいで「あったここ
        に!」と叫んでいた。駐車できないので、そのまま走り去ったが、これが目当てだっ
        たのは一目瞭然。また戻ってくるだろう。結構ここは観光客が多いようだ。もう20年
        前の曲なのに、未だに観光地としての価値は十分。風邪をひいている身だが、歌
        の通り、河原への土手を降りてみた。やぶ蚊がいる。車からの視線を気にしつつ、
        橋桁の下をくぐった。何枚も写メ。西側へ。ここで森高千里がPVの撮影を行った。
        東西の各側では表情が違う。寒さは感じなかったが、曇り空で、この分では綺麗な
        夕日や夕焼けは無理と判断。橋の名前のプレートを至近から撮影。竣工のプレート
        は無かった。歩き回って汗をかいた。そして、戻ってみると、案の定、公園に横付け
        して、見物を終えたさっきの緑のオープンカーの若者が。立ち去ったのを見届けて
        から、歌碑へ。再生ボタンをまた押した。螺旋階段に公園の前にある酒屋(大黒
        屋)で、「渡良瀬橋」という清酒を販売しており、その宣伝が貼られていた。歌が鳴り
        止まないまま、歌碑を後にした。

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    15:00 FRESSAYへ。ベニマルと同規模店舗。店内を見て回り、安くなった弁当を購
        入。278円のチキンステーキ弁当。レジでポイントカード持ってるか聞かれる。「旅
        の者だ」 と告げると、丁寧に教えてくれた。休憩所で食すことにした。箸を一膳貰
        い、そのスペースへ。隣りのばあさんがずっと見ている。レンジなし。お茶はがぶ飲
        夕日を断念し、この時点で15時半を目安に足利から帰路に向かうことを決断。

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    15:23 スーパー発。252.9km地点。最後にあと一回、渡良瀬橋を渡ってUターンして
        逆方向からも横断してみた。これが見納めとなった。橋を渡りきった後の信号を右
        折。川沿いへ。歌碑には別の30代くらいのカップルがいて、森高千里の歌に聞き
        入っていた。やはりここは人気のスポットになっているようだ。滞在中の車内では、
        エンドレスで「渡良瀬橋」を聴いていた。この歌に出てくるスポットは網羅した。雰囲
        気を味わい、旅愁に浸れたし、歌詞の通り綺麗な街だと悟った。残念ながら、天気
        予報が外れ、肝心要の夕日が拝めなかったのが唯一の心残り。次回再訪する際
        の宿題にしたい。左折してR116へ入り、踏切を渡り、R67へ左折。通1を直進。足
        利ICを目指す。足利と惜別時刻は15:30。もうすでに薄暮。北関東自動車道の標
        識があって、その通りに右折したら、急に標識が消える。ここから無駄な走りを展
        開。右折左折を繰り返し、迷って遠回りに。足利女子高の手前を右折し、さらに左
        折。市民会館横、ブックオフを通過。右折し350.1kmでようやく標識が出てくる。
        高速入口まではずっと「渡良瀬橋」をBGMにして流して余韻に浸っていた。  

    <今回の足利市内の観光ルート>

     「ashikaga.jpg」をダウンロード

    15:43 足利ICから、すったもんだの挙句、ようやく高速に乗る。結構車の量多い。
    15:48 佐野田沼IC。トンネル多い。何故か走行車線のほうが右の追い越し車線より早
         い珍現象。

    15:51 岩舟JCT。:52レーダー。12℃。3車線でも交通量多い。
    15:56 栃木IC。バイク車線変更斜めに横断して危険。
    16:10 大谷PA。滅茶苦茶飛ばす。:11 LHシステム。
    16:15 上河内SA。飛行機が前方正面に浮かぶ。
    16:21 矢板IC。飛ばしまくる。抜く方が断然多く、抜かれたのは数台。120~130km/h 
         ペース。10℃。
    16:31 西那須野IC。
    16:34 黒磯板室IC。359.0km。SA寄らず。遅い車が追い越し車線をブロク。腹立つ。
    16:42 那須SA。立ち寄らず。9℃。独走状態。白のエスティマとバトル勃発。
    16:45 福島県内に突入。
    16:47 白河IC。ループコイルくぉ100km/hにてクリア。燃料メーター急落。
    16:55 矢吹IC。11℃。眠いが一気に帰る。
    17:01 須賀川IC。かなり暗い。こっち曇り空。
    17:06 郡山南IC下車。1,950円。左折、カルチャー前左折。市場前走行。そしてまう
         ちゅう前。信号が変わり、右折して左折して住宅街へ。柴宮の住宅街に入る。柴
         宮幼稚園からの道。大東前。しかし、R4バイパスの合流地点大渋滞。失敗タイム
         ロス。右折車がいて、信号一回棒に振る。
    17:18バイパス合流。
    17:27 自宅着。  総走行距離 451.4km    撮影枚数 199枚

     <費用>

     高速代 1,450円+200円+150円=1,800円
     食事代   550円+278円=828円
     拝観料   400円

     合計  3,028円

     その他 前日の朝食代(巻き寿司・くるみパン)、ペット茶2本分
           GS   40Lは使用

     「関連ブログ」

    http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/post-98af.html 

     「後 記」

     風邪をこじらせている中での強攻策だった。何かに急き立てられているかのような進撃の旅行ラッシュを今回も実践。二週連続で栃木県・群馬県界隈を周遊することとなった。今回は、以前から思い描いていたプランだった。20代の時分に大好きだった森高千里の名曲「渡良瀬橋」。情緒に溢れ、昔付き合っていた彼氏を今でも忘れられず、その思い出に浸るという、私好みのストーリー。そこに美しい足利市内の風景が絡み、旅情と郷愁を誘う作品に仕上がった。学生時代に、寄り道して「足利學校」を訪れたことはあったが、それ以来、実に27年振りに訪れた。
     実際に訪問してみての感想は、歌詞を裏切らない、とても綺麗な町並みで、人を優しい気持ちにさせてくれる印象。長閑で、それでいて日本らしい風景や人情など大切なものがたくさん残っている。願わくは、「夕日が綺麗な街」を実感したかった。天気予報はこの日一杯晴天で、日曜日から下り坂となる見込みだったのだが、あいにくの曇天に「不完全燃焼」となったのが心残り。でももう一度来るための口実になった。今度は緑町の八雲神社が再建された時に訪れたい。

    2013年11月 8日 (金)

    懐かしのスポ根ドラマ

     昭和39年の「東京オリンピック」開催以降、テレビが一般家庭に普及し、昭和46年頃を境にして、カラーテレビ、クーラー、カーといういわゆる3Cが時代の顔となった。民放のテレビ局が続々と開局し、福島県内のテレビ局もNHKに加え、福島市に本拠地を置く福島テレビ、交通の利便性を考慮して郡山市に置かれた福島中央テレビと3局態勢となり、県民の娯楽は映画から大幅な路線変更を実現した。昭和40年代はテレビの革命期にあたり、テレビドラマも学園ドラマと並行してスポーツ根性もののドラマ、いわゆる「スポ根もの」が主流となった。その代表格は、立木大和の活躍を描いた「サインはV」だった。コーチ役の中山仁、選手役の岡田可愛、中山麻理が大人気となった。回転レシーブや稲妻サーブ、X攻撃も流行った。もちろん、これだけでなく、様々なスポーツを題材にして、躍動するスポ根ものは次々と制作され、テレビ業界を彩った。

     サインはV(バレーボール) 

     神保史郎、望月あきらの漫画作品。『サインはV』はその 漫画を原作とした実写映画もしくはテレビドラマ。
     1969年版のテレビドラマはTBS系で放送。実写スポ根ドラマの草分け的番組。大人から子供まで広い年齢層に熱狂的な支持を受け、最高視聴率39.3%、平均視聴率32.3%を誇る大ヒット・ドラマとなった。その後1973年版もTBS系で放送されている。『アタックNo.1』とともに、1964年の東京オリンピック・女子バレーボール"東洋の魔女"の登場から始まった日本のバレーボールブームを巻き起こしたが、当作はもともと「『アタックNo.1』への対抗馬が欲しい」という少女フレンド編集部の要請から企画された。
     1969年版は朝丘ユミが主人公。彼女は、バレーボールの練習中に姉を亡くしたため、天性の才能を持ちながらもバレーボールを憎み一度は離れようとしていたが、「立木大和」の牧圭介にスカウトされ、再びバレーボールと向き合おうと決意する。「立木大和」は立木製作所の新設バレーボール部だが、厳しい練習のために退部する選手が続出していた。

    朝丘ユミ:岡田可愛
    椿麻理(立木大和 → レインボー):中山麻理
    ジュン・サンダース:范文雀(第10回 - )
    松原かおり:岸ユキ
    久保田さち子:青木洋子
    小山チイ子:小山いく子
    岡田きみえ:和田良子
    泉洋子:泉洋子(第27回 - )
    朝丘ミヨ(朝丘ユミの姉):西尾三枝子
    朝丘志津(ミヨ・ユミ姉妹の母):三宅邦子
    立木大和・社長:十朱久雄
    牧圭介(立木大和チーム・コーチ → 監督):中山仁

     美しきチャレンジャー(ボウリング)

     1971年4月4日から1971年10月17 日まで、国際放映が制作し、TBS系列で日曜19:30から30分枠『不二家の時間』( 不二家一社提供)にて放送されたテレビドラマ(テレビ映画)である。全29話放送。
     高校時代、大学のボウリング部員「高峰明久」にボウリングの楽しさと厳しさを教わった少女「小鹿みどり」は、ボウリング部を推奨する会社(日本PM商事)に入る。先輩の天才的ボウラー「七瀬茜」に激しいライバル心を燃やしつつ、偶然にもボウリング部のコーチに招かれた高峰と共に勝利を目指して戦い抜いていく。ボウリングが大ブームを巻き起こした頃に登場したスポ根ドラマで、魔球を武器にしのぎを削る。最終回のラスト、アメリカ遠征に旅立つみどりは空港で高峰に思いを告白する。しかし、その言葉は飛行機の轟音にかき消され、高峰の耳には届かなかった…。
     当時の人気女子プロボウラー である中山律子や石井利枝などもゲスト出演し、全盛期の映像を見られるのも特典である。出演者は以下の通り。

  • 小鹿みどり:新藤恵美
  • 高峰明久:森次浩司

  • 七瀬茜:進千賀子
  • 松木幸恵:高樹蓉子
  • 庄司千恵子:泉洋子
  • 三波玲子:左時枝
  • 堀川敏江:戸部夕子
  • 上田亜子:紅理子
  • 里見のり子:松尾悦子 など 
  •  金メダルへのターン(競泳)

    1970年(昭和45年)7月6日 - 1971年(昭和46年)9月27日、毎週月曜日19時00分 - 19時30分→木曜日19時00分 - 19時30分→月曜日19時00分 - 19時30分にフジテレビ系列で放送されていたドラマ。全65話。
     豊島区の東京スイミングセンターが舞台(ドラマでは「中央スイミングセンター」となっていた)。「飛び魚ターン」(空中を飛んで全ての選手を追い越す)や「ジェットターン」(津波をおこし両脇の選手を妨害する)といった荒唐無稽な技が多数登場した。

  • 速水鮎子(千葉鮎子) - 梅田智子
  • 速水理恵(千葉理恵) - 青木英美
  • 速水四郎 - 小泉博
  • 速水よしえ - 三ツ矢歌子
  • 黒木進介 - 水谷邦久
  • 木原美知子 - 木原美知子
  • 海門政美 - 吉田未来
  • 聖園泉 - 森田敏子
  • 水島コーチ - 前田吟
  • 沢木久美 - 大田黒美波
  • 立花一平 - 沖雅也
  •  柔道一直線(柔道)

     原作:梶原一騎、作画:永島慎二・斎藤 ゆずるによる日本の劇画漫画、および、それを原作としたテレビドラマ。『週刊少年キング 』(少年画報社)誌上に1967年から1971年まで連載された。 「地獄車」など荒唐無稽な技が多く出てくるが、柔道の知名度アップなどで当時の柔道界に果たした貢献度は計り知れない。
     作品の時代背景は1968年のメキシコ五輪の前後に相当し、1972年のミュンヘン五輪を目指す日本勢を描いている。梶原一騎が『巨人の星』、『侍ジャイアンツ』と『柔道讃歌』で親子を描いたのに対し、本作では『あしたのジョー』と同様、師弟の絆を描いている。

  • 一条直也(演:桜木健一)
  • 車周作(演:高松英郎)
  • 嵐先生(演:牧冬吉)
  • 高原ミキ(演:吉沢京子)
  • 一条トメ(演:青木和子)
  • 高原三平(演:藤江喜幸)
  • 鶴田先生(演:名古屋章)
  • 香川先生(演:岸田森)
  • 結城真吾(演:近藤正臣)
  •  コートにかける青春(テニス)

     志賀公江による日本の漫画作品・『 スマッシュをきめろ!』を原作とした同国のテレビドラマ。1971年9月3日から1972年8月 25日まで毎週金曜日19時から19時30分までフジテレビ系列にて放映された。テニスの天才プレーヤーだった東城博之はあまりにテニスに熱中しすぎて家庭を顧みず、妻・晴子と離婚し一人娘の真琴を連れ信州へ向かった。晴子は亡くなった姉の子・さおりを実の子として育てた。
      やがて博之は病に倒れ、死の直前「東京にいる母と姉の元へ行き、さおりとともにウィンブルドンの栄光を目指せ」と遺言を残す。真琴は父の形見である「銀のラケット」を手に東京へ向かった。しかしさおりが「実の姉ではない」ことは全く知らなかった……。時にダブルスでコンビを組み、またある時は敵味方に分かれてさおりと真琴はテニスプレーヤーとして成長していく。

  • 槇さおり - 紀比呂子
  • 東城真琴 - 森川千恵子
  • 甲山健 - 大出俊
  • 水島譲二 - 小野進也
  • 高岡美津子 - 皆川妙子
  • 尾崎 - 中尾彬
  • 東城博之 - 安井昌二
  • 槇晴子 - 稲垣美穂子
  • 沢田京子 - 黒沢のり子
  • 堀川絵美 - テレサ野田
  • 田淵豪 - 睦五郎
  • 田中友子 - 児島美ゆき
  • 藤沢悦子 - 戸部夕子
  • 清水 - 桐生かほる
  • 実況アナ - 逸見政孝(フジテレビアナウンサー)
  •  飛び出せ青春(サッカー)

    http://www.youtube.com/watch?v=PdM9XF-FetI

    http://www.youtube.com/watch?v=t3KLxzdRmvE

     村野武範主演による東宝制作、テアトル・プロ 共同制作の日本テレビ系で放送された『青春とはなんだ』(1965年)を起点とする青春 学園シリーズの1作である。1972年2月から翌年2月にかけて一年間放送された。スポ根というより、学園ドラマの要素の方が強い。
     「来る者は拒まない」という校長の方針により、無試験入学制度をとっている太陽学園高等学校には全国から落ちこぼれが集まっていた。中でもサッカー部は劣等生の集まりだった。新任の教師・河野武は、赴任早々のトラブルで教頭に疎んじられ、さっそくサッカー部の部長を押し付けられる。だが、河野は持ち前のチャレンジ精神と同僚の女教師・本倉明子の協力を得て生徒たちに熱き思いを伝えてゆくのだった。第1話のタイトルでもある「レッツ・ビギン Let's begin!」がこのドラマを通しての合言葉でテーマである。

    河野武(英語):村野武範
    本倉明子(国語):酒井和歌子
    杉田良策校長:有島一郎
    江川俊介教頭:穂積隆信
    塚本信二(世界史):柳生博
    後藤梅子(寮母):菅井きん
    名和半次郎(ラーメン屋):名古屋章
    本倉惣之介(理事長):佐藤慶
    瀬川陽子(養護室担当):増田佳子(第30話・第34話・第43話)
    高木勇作:石橋正次
    片桐次郎:剛達人
    柴田良吉:頭師佳孝
    山本大作:保積ぺぺ

     われら青春(ラグビー)



     中村雅俊主演の太陽学園ラグビー部を舞台とした青春 学園ドラマ。製作は東宝。前作『飛び出せ!青春』と同じ太陽学園を舞台とした続編的な手法で製作された。主人公の沖田俊は、河野先生(村野武範)の大学の後輩であるという設定。前作より卒業できずに2年留年した生徒・山本大作(保積ぺぺ)、ラーメン屋の店主(名古屋章)、その店で働く真樹(青木英美)、杉田校長(有島一郎)に江川教頭(穂積隆信)、教頭の腰ぎんちゃく塚本先生(柳生博)、寮母の梅子(菅井きん)といった面々が前作から引き続いての出演となっている。
     取り扱うスポーツは、『青春とはなんだ』以降の青春学園シリーズの恒例(ラグビーとサッカーをできるだけ交互に取り上げる)にのっとり、前作のサッカーからラグビーとなっている。よって山本大作は、『飛び出せ!青春』時のサッカー部のユニフォームを着てラグビー部の設立に参加している。これにラグビーの名門校・星山学院の部員だった神野吾郎(千葉裕)を中心とする男子生徒と、ボス的存在の白川梨絵(大原福美)を中心とした女生徒たちが絡み合って物語が展開していく。中村雅俊の出世作だが、半年で放映終了となった。ボールパスしながらホームを走るシーンは語り草。青春群像の決定版。

     スクールウォーズ(ラグビー)

     TBSで1984年10月6日から1985年4月6日まで放送された大映テレビ制作、TBSで放送されていた日本の テレビドラマである。正式名称は『スクール☆ウォーズ 〜泣き虫先生の7年戦争〜』。 続編は『スクールウォーズ2』。京都市立伏見工業高等学校ラグビー部と同部監督で元日本代表フランカーの山口良治をモデルとして、作家・馬場信浩が執筆したノンフイクション『落ちこぼれ軍団の奇跡』を基に制作されたフィクションドラマ。高校ラグビー界において、全く無名の弱体チームが、ある一人の教師が赴任してから、わずか数年にして、全国優勝を果たすまでの軌跡をあますことなく描くことで、健全な生徒の育成に取り組もうとする教師と生徒の葛藤と成長を表現したドラマである。ドラマの舞台は神奈川県内の「川浜市」という架空の自治体である。また同校が、常に生徒の非行問題が絶えなかったというところもドラマの中のみのことである。

     ウォーターボーイズ(水泳) 

    http://www.youtube.com/watch?v=j5pmYpoMT2A

    http://www.youtube.com/watch?v=Qu8rlnbiTHo

     2003 年から2005年にフジテレビ系で放送されたテレビドラマである。男子高校生たちが、シンクロに挑む青春活劇。モデルは男子校の埼玉県立川越高校の水泳部が実際に1988年から文化祭の演目として行っているシンクロ公演。1999年、プロデューサーが『ニュースステーション』(テレビ朝日)で放送された川越高校水泳部のドキュメンタリーを見て映画化を決意。後に矢口史靖監督が加わり2001年に映画化された。公開から徐々に口コミと地方キャンペーンで話題となり、結果的に大ヒット映画となった。

  • 鈴木智:妻夫木聡
  • 佐藤勝正:玉木宏
    早乙女聖:金子貴俊

  • 太田祐一:三浦哲郁(現:三浦アキフミ)
  • 金沢孝志:近藤公園
  • 木内静子:平山綾(現:平山あや)
  • 伊丹弥生:秋定里穂
  • 佐久間恵:眞鍋かをり
  • 杉田:杉本哲太
  • 尾崎校長:谷啓
  • 磯村:竹中直人
  •  プロゴルファー祈子
  •  フジテレビ系列で1987年10月21日 - 1988年4月20日に放送されたテレビドラマ。全23話。大映テレビ製作のいわゆる「大映ドラマ」の一つ。製作者の談話によれば、漫画『プロゴルファー猿』にヒントを得て作られた作品だという。主人公・神島祈子役はオーディションで選ばれ、安永亜衣と土家里織が最終選考に残った末に安永が主演の座を獲得し、ドラマの製作が行われた。また同オーディションには常盤貴子も参加していた。
     神よ、父の祈りの中、九死に一生を得てこの世に生を受けた祈子(れいこ)。“祈る子”と書いて祈子。 今、祈子は神に何を祈るか…。 

    安永亜衣
    風見慎吾
    沢向要士
    生田智子
    土家里織
    松居直美
    音無美紀子
    萩原流行
    中条静夫
    久我美子
    岩本多代
    長門裕之

     ROOKIES(高校野球)

     2008年4月19日から7月26日まで、TBS系列で毎週土曜19:56 - 20:54で連続テレビドラマとして放送。
     二子玉川学園高校(通称ニコガク)へ赴任してきた新人教師・川藤幸一(かわとうこういち)。そこで彼が出会ったのは部員の起こした不祥事により活動停止中の野球部。かつては春のセンバツ甲子園出場まで果たしていた伝統ある部も、現在では不良達の溜まり場と化し、部員達は自暴自棄になっていた。しかしそんな部員達の心の奥底に残る情熱を見抜いた川藤。彼は野球の「や」の字も知らなかったが自ら顧問となって、野球部の再建に乗り出す。そんな川藤の親身になって根性を叩きなおそうとしてくれる態度に動かされた不良部員達が、やがて夢の甲子園を目指す物語。「夢にときめけ!明日にきらめけ!」は名言。

    佐藤隆太
    市原隼人
    小出恵介
    城田優
    中尾明慶
    高岡蒼甫
    桐谷健太
    村川絵梨
    浅野和之
    吹石一恵
    大杉漣
    伊武雅刀

     他には「姿三四郎」(柔道)、「俺は男だ」(剣道)などもあった。挙げたらキリがないかもしれない。

     一方、同時期にアニメでも「スポ根」ものは脚光を浴びた。アニメでは、「巨人の星」(野球)、「エースをねらえ」(テニス)、「アタックNo.1」(バレーボール)、「タイガーマスク」(プロレス)、「キックの鬼」(キックボクシング)、「あしたのジョー」(ボクシング)など、その時代思想を語る上でも格好の材料だろうと考える。いずれも一時代を築き上げ、ちびっ子たちの熱い視線を浴びたのは言うに及ばない。現代では、時代を反映してサッカーやバスケマンガが人気。「SLAM DUNK」、「黒子のバスケ」。「キャプテン翼」や「テニスの王子様」、「MAJOR」(野球)など。マイケルジョーダンやマジックジョンソンなどが活躍して一躍NBAが大ブームを博した時期がその頃で、またJリーグが発足し、ワールドカップ出場を果たした頃に人気が出たのも納得。「MAJOR」では、野茂英雄がメジャー挑戦の門戸を開放し、またWBCが開催され、スモール野球が世界を席巻した時期。「実に面白い!」しわかりやすい仕掛けだ。かつては「ドカベン」や「侍ジャイアンツ」、「あぶさん」など野球が主流だったことを考えれば、その時代での子供に人気のスポーツも窺い知ることができる。私は個人的に「ドカベン」と「プロゴルファー猿」が大好きだった。そのマンガでそのスポーツのルールを覚え、自らも実践した。スポーツドラマやマンガはやはり、「時代を映す鏡」と言うことが出来る。

     記事作成:11月5日(火)

    2013年11月 7日 (木)

    航空業界を舞台にしたドラマ

     以前「客室乗務員の出身大学」という記事を書いたら、1年以上が経つのに未だに相当なアクセスをいただいている。かつてフジテレビで「東京コントロール」(川原亜矢子主演)と「東京エアポート」(深田恭子主演)が放送された。この手の航空業界を取り上げたドラマが放映されると、CAやグランドホステス、パイロットの人気が高まり、航空会社への入社は狭き門になることを記事にした。これまで数年おきに、このような航空業界を舞台にしたドラマや映画が制作されてきた。私が幼少の頃から、スチュワーデス(現在・キャビンアテンダント)といえば、女の子の人気職業の最上位にランクインしていた花形職業であった。では、これまでどのようなドラマがあったのかを今回のテーマとしたい。

     1 アテンションプリーズ

     「アテンションプリーズ」と言えば、紀比呂子。彼女はこのドラマがきっかけで国民的女優となった。タイトルの由来は空港及び航空機内での旅客向けアナウンスに際して前置される「Attention Please」(皆様にご案内申し上げます)に由来しているが、この文言が大流行した。1970年代にTBSで放送された。あらすじは、九州・佐賀県出身の主人公が高校卒業後、スチュワーデス試験に合格して上京し、厳しい訓練を経て国際線スチュワーデスとして活躍するまでを描いている。スチュワーデスという職業への認知を高めたといわれる。表現されるテーマは「美しい心」、名セリフに「大空は私の恋人」「私は世界一のスチュワーデスになる」がある。

     2 虹のエアポート

     1975年10月7日から1976年1月6日までTBS 系列の火曜20時00分 - 20時55分(JST)に放送されたテレビドラマである。全14回。パイロットを目指し航空学校から航空会社へと進み、厳しい訓練を重ね、一人前に成長していく若者たちの様を、教官やスチュワーデスたちの交流を絡ませながら描く、青春群像ドラマ。航空大学校および全日本空輸(ANA)が撮影に協力しており、オープニングでは当時のANAの主力機であったボーイング727やロッキード L-1011 トライスターの飛行シーンが使われている。

     このドラマはライブで見ていた。刑事くんや柔道一直線で国民的な俳優となった桜木健一が熱演した。私は彼と絶世の美人女優だった松坂慶子の恋の行方が気になった。確か実家に当時購入した主題歌「青春の時刻」のレコードが今もあったと思う。

     3 大空港

     1978年(昭和53年)7月24日から1980年(昭和55年)3月24日に全78話が放送されたフジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ。開港直後の新東京国際空港内に設けられた警察庁刑事局国際刑事課の分室「空港特捜部」が空港または空港近辺で発生した事件を解決する姿を描く。空港特捜部のメンバーは戦中派の加賀と若手の部下たちで構成されている。
     私は中学時分にこのドラマを見て、大ファンになった。鶴田浩二の名演技が光ったし、若手歌手としてデビューしたての石川さゆり(シスター刑事)が可愛かった。そしてこの主題歌と映像が大好きだった。

     4 スチュワーデス物語

     風間杜夫がスチュワーデスの訓練の教官役を演じ、その卵を演じたのが堀ちえみ。「ドジでのろまな亀」というセリフは一世を風靡した。また片平なぎさの義手も凄みがあった。客室乗務員(CA)がまだスチュワーデスと呼ばれていた頃の話だ。

     やまとなでしこ

     フジテレビ系で2000年(平成12年)10月9日から12月18日まで 放送されたテレビドラマである。素敵な王子様を見つければ、幸せなお姫様になれると信じる女性と彼女に振り回される貧乏な男性を通して、男と女の出会いの不思議を描くロマンスコメディ。コメディの基本である「本質の取り違え」を押えながら夢を見ずにいられない女性の孤独を演じた松嶋菜々子の代表作となった。裏話として、内容が生々しいことから、日本航空などの航空会社からの協力を得ることができなかったこともあり、製作時に現役の客室乗務員や、日本航空の客室乗務員を解雇されタレントになった島田律子などに取材し、作品のディテールを作った。

     GOOD LUCK!!

     2003年1月19日から3月23日までTBS系の日曜 劇場枠で放送された木村拓哉主演のテレビドラマ。ハイビジョン制作。ANAを舞台に、木村演じる若手パイロット・新海元を中心に、恋愛と仕事に生きる人達を描く青春ドラマ。ヒロインは柴咲コウ。共演に堤真一、黒木瞳、竹中直人、いかりや長介など豪華俳優陣が脇に集まった。
     第1話放送後から、撮影に全面協力していたANAの株価が上昇。ドラマ放送後、JALなど航空業界への就職希望者が急増する現象が起き、柴咲演じる整備士を志願する女性も多くいた。この航空業界への就職ブームについては、当のTBSのニュース番組の中で当時取り上げられた。

     TOKYOエアポート

     2012年10月14日から12月23日までフジテレビ「 ドラマチック・サンデー」枠で放送されていた連続ドラマである。地上波の連続ドラマとしては史上初の航空管制官がテーマ。東京国際空港(羽田空港)を発着経由する乗客の命を預かる航空管制官と、航空業界で働く様々な人々の人間模様をリアルに描く。本作は、フジテレビNEXTで放送された東京航空交通管制部(東京ACC)が舞台の「TOKYO コントロール」の2年後を描いた続編である(ただし本作は3D制作はされていない)。この為、前作の出演者の一部が東京ACCからの異動など、何らかの形で引き続き出演している。また前作が「航空路管制業務」と「進入管制業務」を取り上げているのに対し、今作は「飛行場管制業務」及び「ターミナルレーダー管制業務」がテーマである。キャッチコピーは「命を運ぶ責任、空を守る使命。」

     他にも「トップスチュワーデス物語」や「スチュワーデスの恋人」、「ビッグウィング」、「東京コントロール」などもあった。

     航空業界も格安航空航空会社の参入により、様変わりが激しい。私の幼少の頃は、「日本航空(JAL)」と「全日本空輸(ANA)」、それに「東亜国内航空(TDA)後の日本エアシステム」だった。外国の三大航空会社と言えば「パンナム」「ノースウエスト(現在はデルタ航空」、「アメリカン航空」だった。

     記事作成:10月18日(金)~19日(土)

    2013年11月 6日 (水)

    郡山の魅力再発見!⑥ ~郡山今昔物語~

     平成25年10月14日(月)体育の日のこの日、予てから兄嫁にお願いしていた「写真集・郡山」(昭和55年発行)と「郡山の歴史」(昭和39年発刊)という名の書籍を借りた。8年前に94歳で亡くなった祖父が生前、本棚に忍ばせておいた写真集だ。実は職場の本棚にも同じ物があり、「赤木遊郭」をメモらしてもらったのだが、それと全く同じ郡山の歴史を記した写真集を祖父も持っていたのだ。昔、祖父は市会議員だった。そのため、市の実情や歴史には明るかった。遺品を整理していた時、昔の写真や新聞記事、歴史的価値のある資料がわんさか出てきたのだ。祖父が出版社に資料提供した写真も一部含まれている。よって今回は、諸事情に配慮しつつも、営利目的ではないため、自主規制と自己判断により、郡山の町並みについて今昔事情を写真で比較し、古き佳き時代時代の郡山を懐かしもうという企画をお送りしたい。ではさっそく一緒に見て行きましょう。

     1 「郡山駅」と「駅前広場から見た駅前大通り」

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     昭和40年代頃の駅舎と駅前の風景

     子供の頃、うっすら覚えている。昔の駅舎の頃から亡き父に連れられ、毎年夏に「特急ひばり1号」で東京見物に行った想い出が残る。 私の実家はさくら通り沿いの郡山第2中学校学区だったため、駅前は遊び場だった。友達と街に繰り出しては、いろんな店をはしごした。山の井、うすい、丸光、ダイエー、西友(西武)、丸井、模型の樽川などあちこちに出没して遊んだものだ。駅前大通りにあった様々なモニュメント(平和の女神像)や筆記体の「ℓ」を象ったような白い像は一体どこに行ったのだろう。

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     その後、この平和の女神像が、現在の郡山総合体育館の一角に移築されてあることが判明しました。

     2 「郡山市役所」

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    今のNTT付近にあった市役所と昭和初期の市役所(現合同庁舎)

     私が小学生時分には、市役所は既に朝日町に移転していた。細沼にあるのは市役所ではなく、合同庁舎だ。そこも子供時分の遊び場で、石垣の隙間からろうそく片手に潜り込んで、床下を探検して隠れ家にしていた。合庁の駐車場は、昔は池だった。

     3 「駅前大通り」

     駅前大通りとアーケードが一番の繁華街だった。今では寂れてしまった。残念ながら資料が無く、見つかり次第、ここに掲載する予定。従って、3「駅前通り」は、項目だけはここに残して取っておきたいのであしからず。

     4 「郡山消防署」

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    昭和30年代末期の頃の郡山消防署周辺

     この火の見櫓は、郡山のラウンドマークだった。一心坂の堂前の下にあったので、私の実家から見ることはできなかった。昭和50年代まで郡山を見守っていた。今も同じ場所に、近代的なビルとなった。この裏手で、訓練中の消防士が、はしご車から落下して亡くなった痛ましい事故が起きた。 

     5 「さくら通り」

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    4号線からみた八幡坂(郡山信金付近)と右は清水台付近(昭和30年代)

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    昭和40年代初期のさくら通り(津野デパートが見える)と清水台付近(道幅が狭い)

     私の庭的場所。八幡坂に2軒あった本屋(叶屋と松文堂)で立ち読みしたり、この周辺は皆、同級生や先輩の店が多かった。この清水台から虎丸(第1方部)にかけて、2軒ある花屋、そば屋、履物屋、パーマ屋、理美容室、蕎麦屋、印刷所、仏壇仏具屋、左官屋も皆同級生達の店だった。

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     昭和40年代初めの頃のさくら通り。なんとこの写真に私の実家が写っている。当時私は2~3歳。さくら通りは舗装されていなかった。さくら通りとは名ばかりで、柳の並木だった。

     6 「麓山近辺」

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    市民会館とその隣りになった昭和50年代まであった児童文化会館(現:中央図書館)

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     麓山周辺も子供時代の遊び場。池ノ台の荒池公園は早朝野球の練習場だったし、市民会館では、西城秀樹がゲスト出演した「スター誕生」の公開録画、そして榊原郁恵が出た「NHKのど自慢」も見に行った。ラジオ福島の公開録音で、くじが当たり、景品を貰いにステージまで行った記憶もある。また、現在の中央図書館がある場所には、児童文化会館があった。手前が2階建てで、大小の様々な模型や子供騙しの遊具が置いてあった。別棟とは繋がっていて、工作ができる大きなテーブルが置いてあって、多目的ホールのような教室があった。

     7 「開成山周辺」

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    開成山前の国道49号線と新装オープンなった開成山水泳場

     開成山まで来ると田舎だった。私は「附属幼稚園出身」なので、バスで定期券をぶら下げて通ったのだった。開成山プールも何度泳ぎに行ったかわからない想い出の場所だ。成長するにつれて、幼児プール、25mプール、50mプールと出世していった。 

     8 「4号線沿い」

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     この写真は相当古い。消防署方面から南へ向かって走り、三菱電機の工場(古舘交番)を通りすぎた先で、国道4号線がやや右斜めに曲がっているが、ちょうどどこにあったエッソのGS付近。写真は歴史を雄弁に語ってくれる。

     9 「中町周辺」

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    中町通り(昭和30~40年代の頃の第1うすいと第2うすい)

     第1うすいと第2うすいに分かれていた。第2うすいは7階がレストランで、母親と訪れ、お子様ランチを食べるのが楽しみだった。エスカレーターが一方方向しかなく、いちいち各階を回り込んで行かないと次の階へのエスカレーターに乗れない仕組みだった。私はここでは、よく珍しい切手や古銭を買いに来たし、屋上近くのやや出っ張ったスペースに遊具が置いてあって、それに乗った記憶がある。エレベーターも北西側と東側の奥の階段の隣りにあった。

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    写真左は「丸光」の屋上にあった遊園地/右はうすいの最上階にあった遊具たち。
    子供の頃の記憶が甦る涙ものの写真だ。

    10 「警察署」

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    左は自衛警察署で、右は昭和40年代まで堂前(消防署の隣り)にあった警察署

     今は4号線と49号線の交差点に移転したが、かつては現在の消防署の北隣りにあった。悪いことをすると、よく両親に「連れて行くぞ」と言って脅かされたものだ。その隣りは善導寺だが、カルチャースクールを行う善導寺文化会館なる建物があった。

    11 「その他」

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    我が母校の芳山小学校と清水台の現存する商工会議所

     私が小学時代を過ごした昭和40年代は、近代的で新しい校舎だった。3階建てで、屋上にも昇れた。当時は珍しいアナライザー教室も備えていた。私は毎日放課後に友達とやっていたソフトボールと小6の頃に目覚めて入部した合奏(メロフォン)、鼓笛隊のトランペット演奏が一番の想い出となっている。演奏曲は「錨を上げて」と「ビューティフルサンデー」だった。当時は鼓笛隊パレードが市内の小学生の憧れで、合同庁舎から総合体育館の西側の駐車場まで練り歩いた。途中の一本松の資生堂のところでFTVのテレビ撮影が行われていた。
     一方、右の写真の商工会議所は昔と同じ作りのまま。小学生の頃、クリスマス会を楽しんだ記憶がある。市内在住のマジック好きなおじいさんのネタバレしている手品を見た気がする。あの震災でよく崩れなかったものだ。

     ~その他 貴重な写真~

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     45歳以上の方は記憶にあると思うが、郡山市安積町の須賀川市との市境付近に、「郡山レジャーセンター」(上の写真)という遊園地があった。植物園や蝋人形のようなもの、万国旗が一杯天井から四方に掛けられて、それは派手だった。また、動物園のような檻があったし、豆列車のような遊具があった。また、うすい百貨店が郡山一のデパートだった頃に、その向かい側には「富谷(トミヤ)」という百貨店があった。丸光より早く、ミニチュアの観覧車を備える屋上観覧車があった。それ以外で郡山には迷路のようなL字型の作りの「山ノ井」があったし、4号線の角には「丸藤」という婦人服専門の店があった。津野デパートの真向かい角地だった。

     ~今は無き建造物たち~

     1 郡山駅の凱旋門

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    相当古い。もしかすると日露戦争の頃、つまりは明治時代にあった建造物かも。

     2 郡山地方専売局

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    現在の市民文化センター付近にあった専売公社。洋風の大正浪漫風の出で立ち。

     3 布袋館

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    大正時代の洋風建築の旅館。駅前にあったとされる。

     4 「赤木遊郭」

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     前回に紹介した建物。明治時代に、江戸の吉原を模して作られたとされる。震災前までは、石柱の大門が遺っていたが、東日本大震災で崩壊危険物に指定され、その後撤去された。

     5 「日東紡第2工場」

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     現在の「THE MALL 郡山」にあった広大な紡績工場

     6 「東部電力株式会社社屋」

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     7 「中町記念アーチ」

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     5の日東紡績第二工場を除いて、他の建造物は全く知らない。今ではその面影すら偲ぶ手段もない。本当にあったのかさえわからない。亡き祖父は明治生まれだったため、知っていたかもしれない。亡き父親も昭和8年生まれだったので、いろいろと昔話を聞かせて欲しかったが、もうこの世にいないのでそれも叶わない願いだ。郡山市は福島県の中央に位置し、昔から交通の要衝であり、宿場町として栄えたが、戦前は重化学工業、戦後は新産業都市に指定され、商業が発展した。現在は、中核市として指定を受け、さらなる発展を続けている。震災で打撃を受けたが、「楽都」として活気が漲っている。そんな故郷の古に触れるのも一興かと思い、本日のテーマを設定した次第だ。なお、今回の記事は「郡山の歴史」と「写真集郡山」から一部引用をさせていただいていることを付記しておきたい。

     記事作成:10月14日(月)~15日(火)

     追記情報

     H25.11.13 写真を追加

    2013年11月 5日 (火)

    私が好きだったドラマエンディング

     私が中高生時代は、昭和の頃で刑事ドラマが主流。様々な俳優陣が事件解決に向け奔走していた。そのイニシアチブを発揮していたのは「太陽にほえろ」と「西部警察」、そして「特捜最前線」だった。ドラマが全盛だったその時代を振り返って、今日は「エンディングロール」にスポットを当ててお送りしたい。懐かしい歌もきっと多いはず。では早速どうぞ!

     「明日の刑事」エンディング曲 「愛に野菊を」 by鈴木ヒロミツ

     http://www.youtube.com/watch?v=XMuxpMu_JDg

      大映テレビ制作。ヤクザ映画専門だった梅宮辰夫をボスに迎え、主役に人情味あふれる話術で犯人を投降させる刑事役に坂上二郎。アクションができる女刑事として志穂美悦子(現・長渕剛夫人)も出演していた。主題歌を歌っていた鈴木ヒロミツは味のある俳優さんだったが、すでに鬼籍に入られた。

     「Gメン’75」 面影

     TBS系列の最高傑作刑事ドラマ。ボスに丹波哲郎。刑事役の顔ぶれが凄い。藤木悠、夏木陽介、倉田保昭、志穂美悦子。岡本富士太、原田大二郎らである。空港の滑走路を横一列で歩いてくる絵づらは当時、話題になり、皆、真似をしたものだ。エンディングテーマは「しまざき由理」で、第1話から58話まで使用された。59話からは「追想」となった。

    http://www.youtube.com/watch?v=rncvneFGgZo

     「噂の刑事トミーとマツ」 ワンダフルモーメント by 松崎しげる

     パロディー刑事もの。ボスは清水章吾と林隆三。トミーとマツの掛け合いが最高で、普段は気の弱いハンサム刑事のトミーだが、「おとこおんなのト・ミ・コ~」と叫ぶと豹変する。あの設定は最高だった。

     「特捜最前線」 私だけの十字架 by ファウスト・チリアーノ

     テレビ朝日系列で火曜日と水曜日の22時から放送していた。この番組の出演者も大部分がお亡くなりになった。神代課長に二谷英明、大滝秀治、荒木しげる、本郷功次郎、夏夕介が他界、誠直也、横光克彦、藤岡弘など敏腕刑事たちが犯人を追い詰めていった。

     熱っぽいの SUAGAR BABY LOVE by WINK

     南野陽子がナース役で、田代まさしと熱愛を演じたパロディー風ドラマ。この曲をきっかけにWINKは大ブレイクした。

     大空港 

     1978年7月から放送され、私が昭和の刑事もので一番好きだった番組がこれ。開港間もない成田空港を舞台に、その治安を守る航空警察隊の活躍を描いた。鶴田浩二、中村雅俊、片平なぎさ、岡本富士太、緒形拳、田中邦衛らが出演。私は、このドラマで石川さゆりが好きになった。

     俺はあばれはっちゃく はっちゃく音頭 by 堀江美都子

     初代「俺はあばれはっちゃく」の吉田勇紀のシリーズが大好きだった。父親役に東野英心、母親役には久里千春、お姉さん役には、ロボコンでロビンちゃんを演じた島田歌穂、先生役に山内賢、ヒロインの宮村ひとみちゃんに早瀬優香子が出演していた。

     プロジェクトX ヘッドライトテールライト by 中島みゆき

     名も無き星たち(企業戦士や開発者、技術者)にスポットを当て、苦難の末に一大プロジェクトを成功に導いたその経過と功績を描いた。サラリーマンに勇気と活力を与えた名番組だった。番組主題歌の中島みゆきの「地上の星」が大ヒット。エンディングで使用されたこの歌は、毎回涙を誘う名曲だった。

     「すてきな片想い」 愛してるっていわない! by 中山美穂

     1990年10月から放送されたフジテレビのいわゆる月9ドラマ。中山美穂がヒロイン与田役。「切ない恋」。海苔問屋「大黒海苔店 代々木営業所」に勤務する地味なOL・与田圭子が、小さなおもちゃメーカー「BANBI」勤務のサラリーマン野茂俊平と相思相愛になるまでを描く、コメディタッチのせつない純愛ストーリー。この主題歌が大好きだった。柳葉敏郎(野茂)、石黒賢(潮崎)、相原勇(落合)、和久井映見(仁科)らが出演していたが、配役名が当時のプロ野球選手の名前が使われていた。映像はないが、おもちゃの世界に迷い込むストーリーのOPが大好きだった。

     「逢いたい時にあなたはいない」 遠い街のどこかで by 中山美穂

     1991年10月から放送されたフジテレビのいわゆる月9ドラマ。中山美穂がヒロインで、 遠距離恋愛模様を描いた秀作。大鶴義丹、渡辺梓、七瀬なつみ、設楽りさ子、生田智子、風間トオルらが出演した。

     さて、いかがでしたか。懐かしいでしょう。同年代の方は、自分が青春時代を過ごした際に夢中で毎週見ていたものや、恋愛バイブルとして参考にしていたかもしれない。また、主人公の着ているファッションや髪型を参考にした人も少なからずいるのでは。それほどドラマは視聴者に与える影響は 大きいし計り知れない。今後も心に残る名作を残して欲しいものだ。

     記事作成:10月4日(金)

     

    2013年11月 4日 (月)

    歴史に触れる旅 ~田中正造編~

     昨年のGWに職場の先輩同僚と栃木県の「谷中村」の遊水地を訪ねた。そこは歴史に名を残す「足尾銅山鉱毒事件」の舞台となった場所だ。時の明治天皇に直訴し、その生涯をかけて現状と改善を訴えた地元政治家が田中正造だった。未だに原発の汚染水問題など、いっこうに収束しない一連の原発事故に苛まれている福島県民にとってみれば、東電や国による隠蔽工作や国家権力で覆い隠そうとする策略が見え隠れし、何か明治時代と現代とがオーバーラップして見えてしまう。
      そこで、今年、彼の没後100周年にあたり、群馬県館林市の「田中正造記念館」が移転して新装開館することになったのを契機に、彼の功績を称える意味と、佐野市の吉澤美術館で催されている、彼の特設展を見に行こうと先輩同僚に誘われたのが重なり、今回の旅路を決意するに至った。

     では決行日の11月4日(月)の模様を記載したい。

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     11月4日(月)文化の日の振り休 くもり→晴れ→雨→くもり

     6:35 起床。余裕をかましてPC作業をしていたら、8時に迎えに来る予定が、17分も
         早くに呼び鈴が・・・。慌てて着替えて準備。
     7:47 自宅発。今回は同僚のクラウンでの往復。私は助手席で専らナビ担当。
     7:56 郡山ICから高速へ。空いている。上空はどんより曇り。路面はウェット。80規
         制。先輩同僚は安全運転。100km/h前後をキープ。気温は13℃。いろんな話。
     8:14 矢吹IC。小雨から雨に。場所によって雨雲垂れ篭める。
     8:21 白河中央IC。降ったり止んだり。
     8:29 那須高原SAへピットイン。ハイカラ移動販売車。レストハウスも綺麗。
          売店でサンドウィッチ(300円)、鮭おにぎり130円、お茶145円。計575円。
          ハイウェイウォーカー無し。8:41発。首都圏ナンバー飛ばしすぎ。
          暗雲地帯通り越し、やがて晴れ間。早く出発したが、飛ばさないので時間かか
         る。冷房効きすぎてざわざわ。悪寒。
     8:50 黒磯板室IC。ふたたび雨。
     9:04 矢板氏家IC。9:07鬼怒川の橋を渡る。水量少ない。オービス2つ。
     9:13 宇都宮IC。3車線に。スイスイ。3連休のUターン渋滞は午後。
     9:20 鹿沼IC。自衛隊車7台連なる。
     9:32 栃木ICで降車。ETCで1,800円。左折して県道32号へ。見通しの良い直線4
         車線道路。50ペースでも遅く感じる。感覚麻痺。ばんどう太郎という和風レストラン。
         黄色のハイカラ小学校。
     9:37 ファミマの交差点から左折。葛生方面へ。R293。急に田舎道へ。山間の一本
         道。右に時計台が立派な寺南小学校。トンネル内で佐野市へ。山を切り崩した採
         石場点在。空明るくなる。石切場多く、石灰の文字。突然、プラント工場街へ。
         左に住友大阪セメント。デカイパイプやタンク類。重々しい雰囲気に興奮。青藍泰
         斗高校あり。葛生市街地へ。「吉澤記念美術館」の標識出てくる。小さな町だ。
         県道123号へ。左折して突き当たり学校をクランク状に左折右折。
         左に小さいが綺麗な作りの美術館。右奥に駐車場。車3台のみ。貸切?
         その周辺は化石館と伝承館が密集。

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     9:49 吉澤記念美術館着。ここで「田中正造をめぐる美術展」を期間限定開催。
          先輩を先に行かせ、外観の写真。とても綺麗で新しい美術館。こんな田舎に何
         故こんな立派な美術館が?受付で入館料500円を支払う。チケットとパンフをい
         ただく。WCも綺麗。先客ひとり。ほとんど貸切状態。写真撮影は不可。でもパンフ
         にほとんどが掲載。第1室~第3室。塚原哲夫作の田中正造の肖像画や小口一
         郎作の版画、川俣事件や明治天皇への直訴の場面などが作品として展示。
          第2室は併催として「板谷波山」の没後50年の展示。焼き物が主流。香炉や青
         磁帯留、茶碗、彩磁草花文水差など。個人で収集したとは思えないコレクション。
          第3室は、「田中正造をめぐる美術」。丸木俊作の「足を銅山鉱毒の図」は鬼気
         迫るものを感じる。骸骨や乳の出ない母親が子供におっぱいを与えている絵など
         衝撃的。ゲルニカのよう。時代風刺も露骨で写実的で生々しく凄まじい。田中正造
         の人生訓「毒流す わるさやめずば 我止まず 渡らせ利ねに血を流すとも」。
         「真の文明は山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし」。そしてこれま
         た鬼気迫る絵図8枚。骸骨。また最後に「伊藤若冲」筆の重要文化財指定「絹本
         著色菜蟲譜」一巻が横長で掲示。これは写しだった。ガラスケースには、鉱毒に
         やられた薬草類が瓶詰めされて多数陳列。
          見学を終え、受付へ。アンケート記入。来館記念のスタンプ押印。WC。
         同僚は図録や絵葉書を購入。田中正造への思い入れが違う。足尾銅山鉱毒事
         件の関係各所を歩いた案内本「田中正造と足尾鉱毒事件を歩く」がとても見やす
         くてガイドブックとしては最適。1,500円で随想舎から発売。パンフや佐野市の
         ガイドマップなど資料を3~4枚貰う。

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    10:50 美術館を出る。庭の通路の下がコンクリの池で鯉が泳ぐ。時間があるので、駐
         車場の隣の「傳承館」へ。案内板で「祝い掛け軸展」を開催中。無料なので立ち寄
         る。受付でどこから来たかを告げる。まずスタンプラリーの押印。大漁旗を小さくし
         た、カラフルな絵図(掛け軸)が多数展示。入口には牧歌舞伎の模型。演題は「安
         達原の鬼婆」だった。広い部屋は薄暗い。写真はダメ。歴史の代表的な人物や出
         来事を色とりどりの美しい描写図という印象。加藤清正と豊臣秀吉、牛若丸と弁
         慶、宮様のご成婚、祝言などがテーマになっている。人形浄瑠璃、戦の絵、地芝
         居、お染と久松の人形、郷土かるた、吉澤人形首などがケース入りで陳列。着
         付、打掛などの着物や帯なども掛けてあった。外の壁に壁画が描かれていた。

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    11:05 吉澤記念美術館・傳承館発。東武鉄道の線路沿い。葛生駅前を廻る。踏切を横
         切る。県道144へ。交通量少ない。次は「道の駅田沼」で早い昼食。それは国道
         293号沿いで、一本東側を走行。やがてT字路(吉永新田交差点)を右折。立体
         交差の高架橋をアップダウンしたら、ちょうど進行方向右斜め前に「道の駅」が現
         われた。イベントか?巨大なラーメン丼形のエアトランポリンのモニュメント。駐車
         場満車。探して北第2駐車場側へ。ここはレストハウスに近い側にスペース有り。

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    11:24 「道の駅田沼」着。遊具(豆汽車)や足湯もある。店内は人だかり、全国ラーメン
         フェアや清原がここを訪れた映像やアド街で取り上げれたVTRを流していた。
    11:30 店内を見回った後、中華は苦手だが、「花と華」という中華料理レストランへ。ガ
         ラ空き。落ち着く。先輩は海鮮汁ラーメンとギョーザ、私はカニチャーハンセット
         (半麺とサラダ、点心、杏仁豆腐のデザート付き)で1,030円を注文。到着時は
         ガラガラ店内も徐々に増え、食事終了時は7割は埋まる。ちぢれ麺で味が薄い。
         胡椒回して振りかける。食べごたえあり。ギョーザ2個貰う。会計はまとめて私が
         立替え。2,730円。5千円札を崩す。再来する見込みがないのに「どまん中カー
         ド」を貰う。

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    12:11 道の駅田沼発。方位磁石使う。クラウン、ナビないので昔の地図を広げて確認。
         日差しが出てきて暑い。上着不要。次は、いよいよ今回のメインの「田中正造記
         念館」。館林市にある。佐野市を縦断して向かうことになる。R50からR7へ。
         途中、何度も「佐野厄よけ大師」の看板。なんでも関東三大厄除け大師のひとつ
         らしい。あとは小塚大師(千葉)と川崎大師。 
    12:26 渡良瀬川を渡る。左側に巨大な「カルピス工場」。先輩はここから先は行ったこと
         がないそうだ。カルピスは夏の定番だったが、最近は見なくなった。館林の市街地
         へ。標識を見つけ、市役所の交差点を右折。ここを直進すれば館林駅に突き当
         たる通りだ。しかし、ここから大手町に移転する「記念館」が不明。右折して路地
         に何回も迷い込む。足利銀行など3つ銀行が並ぶ通りから右折したり、第二小学
         校付近をうろうろ。すると交差点に「田中正造」と書かれた腕章をしている係員
         が・・。またいったん周回して、再びそこに戻り、訪ねたら、直進して市役所の向か
         いの南面駐車場だという。そこでまた別の交差点にいる青い幟を持った係員に聞
         いてくれと言われた。市役所や図書館や三の丸ホールなど公共施設が密集。
    12:45 駐車場到着。そこから徒歩。館林酒販会館なる建物あり。交差点まで来ると、右
         側にブックオフがあって、その路地に青い幟。交差点を渡って右折してそこへ。ま
         ず、時間調整で、吉澤記念美術館で見かけたガイドマップ本がないか探す。2Fは
         マンガ。そしてZARDのCDが250円均一で置いてあった。しかし、買わず。13:
         00過ぎにブックオフを出て、会場に向かう。目の前がおしゃれな和風カフェ。移動
         販売車がアイスを売っていた。その先の昔ながらの長い立派な塀が繋がる場所
         に、これまた立派な屋敷風の門があり、そこが移転した「田中正造記念館」だっ
         た。NPOがすべてボランティアで運営している。
    13:03 田中正造記念館着。入口に受付テーブル有り。準会員の先輩は入れるが、私も
         入れるか。すると一般受付で記名し、郡山の住所を記入。そして本日のパンフや
         資料を受け取る。準会員者はCD付きだった。内部は、古民家の屋敷を改装した
         ような造り。聞けば、市に無償で寄付提供した市民からの土地と家屋を有効利用
         したらしい。この日のセレモニーに集まった市民やボランテァ、お偉いさんなど30
         名ほどがいた。庭に設けられた特設会場。敷き砂利に置かれた40脚ほどのパイ
         プ椅子の前から3番目の真ん中に陣取った。玄関口には田中正造の肖像写真を
         巨大タペストリーにして掛けてあった。また、縁側では5~6人の市民フォークグル
         ープがアコースティックギター、ベースなどで生演奏。グループ名は「ウッドランド
         (館林)リンギング」。隣りがマンションなので、住民はうるさいだろうに。でも名曲
         を綺麗なハーモニーで歌っていた。オリジナルソング「ふるさとの風に吹かれて」
         は素敵な歌だった。誰も拍手しないので、きっかけを自分がしてやった。何度か断
         続的に演奏。待ち時間を有効活用。するとテープカットの時間となり、いったん門
         の外の道路に移動。

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    13:25 一般車両の通行を遮り、2人の来賓がカット。天気回復で晴天に。上着なしでも
         暖かく、寒くはない。ケーブルTVや読売、毎日、地元(上毛・下野)の記者などが
         多数詰めかけ取材。もしかしてまた新聞に載るかも。一般来場者は40名程度。
         13:30過ぎよりオープニングセレモニー開始。来賓は5名。全員が挨拶。まず針
         ヶ谷理事長が挨拶。原稿なしで話が上手い。続いて安楽岡館林市長本人が原稿
         丸読みで挨拶。次の難しい表情の岡村一男市議会議長、松本県議、そして若手
         県会議員の須藤和臣県議が上手い挨拶。来賓たるものこうでないといけない。
          すると、本日急にスピーチを依頼された、早稲田大学名誉教授の安齋氏が15
         分も話。山本太郎が天皇に手紙を渡し、原発問題を直訴した件で、下村文科大
         臣が彼を「けしからん」とたしなめた一件について、怒っていた。文科大臣たる者、
         歴史認識を持って職務を遂行すべきだと憤慨。「彼(山本議員)を批判すること
         は、明治天皇に直訴を試みた田中正造翁を批判しているのと同じで、国家権力
         の横暴の何ものでもない」と憤っていた。福島民報社に最近寄稿し、新聞に掲載
         された。それを読んだ郡山の方が今日来ていると紹介。私らではないと思うが。   
         来賓の方々は、声を揃えて田中正造を「田中正造翁」と敬意を表して呼んでい
         た。
          その後、病院から駆けつけたという布川了氏が記念講演を30分、老いぼれ風
         のじいさんだったが、肩書きは「名誉館長」。彼が田中正造の生涯と彼の性格、功
         績を切々と面白いエピソードを交え、独特のユーモアで時に笑いを誘いながら講
         演した。彼は入院して初めて、田中正造も体験した「病院と牢屋では人間は平等
         である」ことを痛感したそうだ。肺に2Lも水が溜まり、車椅子で話をしたが、話し出
         すと話術に長け、元気が出たようだ。88歳で、ガンであることを自らが公表。もし
         かするともうお目にかかかかれないかもしれない。講演中、隣りに付きっきりで夫
         人が、彼をずっと優しく見守っていた。彼の顔や表情をしっかりと目に焼き付けた
         い風だった。彼自身は、田中正造翁の功績を後世まで語り継ぐことを切望してい
         た。人生知を悟った素晴らしい講演だった。
          その後、桑田郁子女性理事長が、含蓄ある御礼を述べた。館林の方は、いず
         れも弁舌が立つ。田中正造もまた、言葉は悪いし、すぐにキレる正確だったが、
         演説が上手く、グウの根が出ないほど誰も反論できなかったのも合点がいく。喜
         多方・石川町のNPO運営の資料記念館のモデルケースになるので、是が非でも
         成功させたいと語っていた。

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    14:35 セレモニーが終了。あまり時間がないので、いの一番で建物内を見学。玄関で
         はなく、縁側から入場。袋に外履きを入れて、順路に従って壁やパネルに貼られ
         た資料や展示物を見て歩く。先頭だったので、弁舌が立つ女性理事長が解説で
         付いてくれた。印刷物は3枚いただいた。①~⑩まで彼の活動を年表順に掲示し
         てあった。この資料は旧記念館と全く同じ。彼は子孫が無く、あまり証拠や資料を
         残していない。だから遺品や「足尾銅山事件」に関する物的証拠も残していない。
         NPOや研究者が手作りで残した資料が多い。私も田中正造の思想や事件を後世
         に伝える契機としたい。
          建物の中は、パネルがある部屋(企画室)と、その隣りがガラスケースの入った
         彼の手紙や書簡などの陳列スペース(展示室)。そして図書スペースと庭に分か
         れている。土地が200坪で、建坪も48坪有り、旧記念館の4倍のキャパがある。
         写真撮影はOKだということで、あちこち撮りまくった。

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    15:10 出発。隣りはマンションだが、不思議なことに、屋敷の瓦屋根作りの塀が、マン
         ション内まで続いていた。マンション経営者の土地?駐車場まで徒歩。寒くない
         が、日が傾いてやや涼しくなる。外でのイベントだったが、穏やかな日和で何より
         だった。途中、先輩と離れ、市役所界隈がこんもりした林を散策。そこが館林城
         跡で、石柱にそう刻まれてあった。さて、初期の目的を達成。あとは帰路のみ。時
         間が経つのが早かった。

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    15::21 駐車場出発。くもり空。右折して来た道を戻る。カルピス工場を右に見て、渡良
         瀬川を渡る。高電線の鉄塔が並ぶ。変電所あり。
    15:30 真上を横切るR50に入るのに、田島高架橋で右にカーブして合流。小山方面
         へ。一般道なのにオービスあり。暗い雲。小雨がぱらつく。
    15:33 佐野藤岡ICへ。ETC通過。去年のGW時はここで高速を降りた。上り線は渋滞。
          ノロノロ運転。3車線道路。下り線は渋滞はないが車が多い。90ペースでゆっく
          り運転。眠気覚ましにガムを辛い頂く。
    15:43 高速オービス。進行方向に暗くて分厚い雲。一瞬横に稲光の閃光。左側のにし
         の空は明るく日が照っている。睡魔が襲う。
    15:49 栃木IC。本降りに。ハイドロプレーニングやりそう。80~90km/h走行。
    15:55 都賀西方PAへ。雨の中ダッシュでレストハウスへ駆け込む。マジ食堂で夕食摂
         りたい。缶コーヒーBLACK140円、アンパン136円。計276円。下関の中学生の
         合唱ドキュメンタリーをTVで見て雨が弱まるのを待つが、土砂降り。ダッシュで車
         へ戻る。
    16:07 都賀西方PA発。西の空は晴れ間。ここ一帯だけが激しい雨。
    16:16 鹿沼IC。小雨に。峠を越す。対向車線渋滞。日光いろは坂の紅葉帰りの車列
         か?
    16:22 ループコイル式オービス通過。
    16:23 宇都宮・日光IC。路面は濡れたまま。二車線に。
    16:29 上河内SA。80~100km/hペース。先輩超安全運転。走行車線から動かず。や
         っと路面がドライに。薄暗くなる。
    16:32 鬼怒川を渡る。16:34 矢板氏家IC 気温14℃。
    16:46 那須塩原IC。睡魔襲う。16:50黒磯板室IC。左上に廃墟レストラン白鳥。
    16:55 那須IC。かなり薄暗い。なかなか遠い。残り距離減らず。
    17:05 白河IC。17:19 矢吹IC。気温は13℃。この時期にしては暖かい。眠い・・・。
         先輩超安全運転。70~80km/hペースでゆっくり。決して追い越し車線行かず。
    17:28 須賀川IC。郡山南ICから7kmもある。郡山の西を大きく回り込む。助手席座りっ
         放しで腰痛い。もうこの時点で暗闇。車間距離取らず前車を煽るDQN多い。
    17:41 郡山IC降車。ETCで2,000円。R49合流、インター線、テニスコート手前左折。
    17:48 自宅到着。走行距離は347km。高速代、ガソリン代は翌日割り勘。
          写真撮影枚数は60枚。

     <費用>

     高速代    1,900円     飲食費 1,881円(575円+1,030円+276円) 
     ガソリン代  2,807円     入館料   500円

     合計      7,088円    

     <後記>

     翌5日には、ネットの上毛新聞のオンラインニュースに写真入りで記事が掲載された。私の先輩同僚がちゃっかり写真付きで載っていた。そして、帰宅後、今回同僚と一緒だったから行けなかったが、足利界隈に再訪し、ぜひ森高千里の「渡良瀬橋」の歌詞に登場する場所を歩いて巡りたいという気持ちが芽生えた。隣町の館林市や佐野市まで足を伸ばしたのに、全然この考えは浮かばなかった。これでまた旅のプランが組めるし、旅に出る口実ができた。八雲神社が昨年12月に火災で焼失してしまったのが残念でならない。年内の実施は難しいが、ぜひとも実現にこぎつけたい。もしかすると、そのまま東に平行移動して、村下孝蔵の墓参りも同時開催するかも。

     追記

     田中正造記念館移設の際に、記念講話を行った「布川了」さんが、私がお目にかかった日から僅か23日後の11月27日に88歳でお亡くなりになりました。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌

      

    2013年11月 2日 (土)

    「八重の桜」放送記念~会津周辺歴訪~

     今年の大河ドラマ「八重の桜」の放送を記念して思いついた会津の歴史に触れる旅。1980年代にNTV系列の年末大型時代劇「白虎隊」が放送された時も、大変なロケ地ブームが沸き起こり、観光地のそこかしこで「愛しき日々」が流れていたが、それ以来のまともな会津観光を計画。実は仕事で会津若松市内に1年間住み、何度も滝沢峠を往復した経験があり、またその後も会津には何度も仕事で訪れたことがある。おそらく50回程度は訪れている。しかし、「会津観光」と銘打って訪れるのは久し振りだ。今回は「八重の桜」を旅の取っ掛りし、会津戊辰戦争で会津藩士が戦い、最後まで武士の誇りを胸に潔く散った歴史ロマンを回顧する意味で、様々な現場を辿り、御国を思いながら戦場に散って逝ったその英霊を讃え、更にはその鎮魂の意味合いを含め訪れたい。しかるに今回の訪問地は以下の通り。

     <訪問予定地>

     ①十六橋ー②白虎隊奮戦の地ー③強清水ー④旧滝沢本陣跡ー⑦飯盛山(白虎隊士の墓・自刃の地・さざえ堂・洞穴)ー⑧東山温泉天寧寺(近藤勇の墓)ー⑨西郷頼母邸跡ー⑩鶴ヶ城ー⑪七日町通りー⑫泪橋・中野竹子終焉の地(殉節の碑)ー⑬坂下町法界寺(中野竹子の墓)ー⑭新宮熊野神社「長床」ー⑮熱塩加納駅(日中線記念館)ー⑯日中ダムー⑰会津藩校日新館

     少し盛りだくさんで、一日で全部回るのは至難の業。一箇所の見学時間を最小限に留め、日が短くなった秋の一日を有意義に過ごしたい。朝6時半出発で18時帰宅で考えている。

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     11月2日(土)晴れ/くもり/快晴

     6:14 起床。6:00起床6:30出発のはずが、冷え込みがきつく起きられず。
     6:43 自宅発。快晴青空。ガソリン半分以下。昨日給油せずヤバイ。割り込み水色
         CUBE遅い。青空の中に安達太良山の稜線くっきり。4℃。
     6:51 右折してR49へ。60ペース。安子ヶ島は40ペースでとろい。1台のせいで車
         列。
     7:00 磐梯熱海分岐。温泉街迂回したパジェロミニにトンネル出口で抜かれる。
     7:05 中山峠二車線。沼上発電所周辺紅葉で綺麗。写メ撮れず。
     7:08 トンネル。会津方面霧の雲と分厚い雲。上戸で曇り。磐梯山全く見えず。薄暗
         い。
     7:12 志田浜。26.2km。気温5℃。ノンストップ。
     7:21 改修工事でシートに覆われた野口記念館前。そこで霧が晴れて真横(右)に磐
         梯山が見え出す。

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     7:24 長浜。白鳥丸と亀丸静かな湖面に佇む。周辺は紅葉。十六橋の南にかかる
         R49沿い戸の口付近で「金の橋」を通過し、急停車。Uターンして左折して、十六
         橋方面への細い道へ。500mほど進み左カーブして十六橋へ。
     7:30 予定より15分遅れて戊辰戦争の命運を握っていた十六橋到着。民家の前に駐
         車し、写真。左の猪苗代湖方面は、池を挟んで小さく金の橋が見え、静かなコメン
         から湯気のような煙。幻想風景。右は、無機質な重金属の発電施設。すぐに出
         発。R49に戻り、金・銀の橋を立て続けに渡り、やがて強清水へ向かう見通しの
         良い直線道路へ。たぶん100回以上往復しているが、この左手にあの「白虎隊」
         が奮戦した旧跡があったとは一度も気づかなかった。標識を頼りにY字路を左
         へ。先行車が手前に駐車。その100m先の左手に何やらお墓のような石碑を発
         見。
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     7:36 「白虎隊奮戦の地」着。ここまで44.5km。戊辰の役での戦死者の墓だった。こ
         の数ヶ月お墓参りばかりしている。そしてその50m先右手にやや広い場所にいく
         つもの石碑が建つ場所。そこが奮戦の地だった。供養塔が建ち、案内板に説明
         書きが。紛れもなく、この場所でかの有名な白虎隊士が戦ったのだ。ビデオや
         DVDで何度も見た場面が脳を掠める。国道のすぐ陰にあったとは気づかなかっ
         た。怖いのは右端にあった「夜泣き石」。その周囲を囲むように幼い子供の靴が
         無数に置いてあった。気温が低く冷えた。石碑や供養塔の前では何度も頭を垂れ
         て手を合わせて拝んだ。同じ会津の血が流れている身として無礼があってはなら 
         ない。

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     7:43 出発。R49に戻り、制限速度を厳守して直線へ。左折して強清水方面へ。天ぷ
         らまんじゅうで有名な清水屋や周辺の店はまだ開店していない。
     7:46 強清水着。46.7km地点。会津への旅路ではここを素通りするわけにはいかな
         い。無人。隣りは馬頭観世音を祀った神社。清水屋の前には、お馴染みの看板
         娘人形。写メのみ。清水も口にせず。

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     7:48 出発。R294に出る際、両方向の通過待ち長い。タッチの差で左折して会津若
         松市内への近道の滝沢峠へ入るのに、2台の車に先を許す。しかし、峠の下り道
         で、その2台が先を譲ってくれた。H元年から2年にかけて会津に住んでいた時
         は、毎週末この道を通って往復したものだ。虎丸の実家から東栄町のアパートま
         で最短56分で帰ったことがある。峠道は濃霧。かなり飛ばした。しかし、別の先
         行車2台に追いつき、アタマ打ち。会津若松側の峠は濃霧。市内は晴れ間はな
         く、曇り空。最後の緩い真っ直ぐな下り坂を下り、T字路を右折。旧滝沢本陣の茅
         葺き屋根が見えた。Pはあるだろうか。するとその左隣りに5台程度駐車できるス
         ペースが。先頭で入ったら、直後に別の観光客の車もピットイン。
     8:00 戊辰の役旧滝沢本陣到着。55.1km地点。観光目的で立ち寄るのは、実に大
         学生時代のバイクで訪れて以来、28年振り。柱に生々しい刀傷が残っていたり、
         弾痕もある。しかし、8時から開場のはずが、受付も開いていなさそう。外観の写
         メを数枚撮ってそそくさと退散。30分も待つ気はない。2分で出発。石川ナンバー
         「7777」のガンメタウィッシュが周辺をオロオロ。その後ろを追尾。左折して飯盛
         山方面へ。100mほどで左側に飯盛山の土産屋のストリートと急な階段が見え
         た。その先の交差点を右折。石川ナンバーも一緒。飯盛分店のPへ入れたが、私
         はその隣りの市営の無料駐車場へ。砂利で、一番飯盛山に近い側に駐車。

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     8:05 飯盛山着。WC。70mほど歩いて道路を横断。じいさんばあさん30名ほどの団
         体客を追い越し、土産ストリートの無人の坂を速攻で写メ。タッチの差でフレーム
         インするところだった。団体客に紛れて坂を登り、階段へ。有料エスカレーターは
         行かず。3段構えの急勾配の石段だが、一度も休憩せず一気に登った。途中で
         団体客を追い越す。一番上に上がったら、胸が苦しく息遣いも荒い。でも疲れた
         素振りを見せない。会津高校生が白虎隊士剣舞を披露する広場へ。左に隊士の
         墓が横一列に並ぶ墓所。正面右には、てっぺんに鷲のレリーフの塔。まずは隊士
         の墓標の前で手を合わせ、冥福を祈る。そして、団体客の前に、順路に沿って自
         刃の地へ向かう。途中の遊歩道の左に、飯沼貞雄(吉)の墓が。写メと参拝。そし
         て石段の前で視界が開け、若松城下が一望。やや霞んでいるが、ラジオ電波塔
         越しに鶴ヶ城の天守閣が確認できた。ここから燃え盛る武家屋敷の炎を見て、落
         城したと勘違いし、切腹して自刃した。急な石段を下りて、慰霊碑や標識が立つ
         「自刃の地」へ。ここに来るのは3度目。来るたびに変わっている。墓標は新しくな
         っているし、隊士の像が設置されている。しかし、がっかりなのは、じじばばたカメ
         ラマンっぽいオジンが4~5人いたのに、慰霊碑の前で手を合わせて冥福を祈っ
         ているのは私だけ。還暦を越えているのに、歳だけ重ねてマナーも礼儀も知らな
         い連中ばかりで嫌になる。来た道を引き返す。上り階段も苦にならなくなった。今
         年、いろんな場所を旅して体力がついたことで自信がついた。広場に戻り、白虎
         隊士の墓標へ。すると20代くらいの若造が、荒い息遣いで座り込んで休憩。やは
         りこの急階段は堪える。ここで隊士の右奥にも何かお墓があるのに気づき、寄り
         道。そこは白虎隊士が山中をさまよい歩いて、実際に登って来たであろう切通し
         のような場所。昔のまま変わっていない印象。ここまでは足を踏み入れる人は少
         ないだろう。しかし、私が先陣を切ったので、この先に何があるのか気になった別
         のカメラマン風の男たちも来た。遠くでSLの汽笛が何度か鳴り響いていた。石段
         を下りて、エスカレーターの到着駅から別ルートへ。サザエさんが訪れた土産物
         屋がある。その左下のスロープを曲がりながら降りると、その先にあるのは「さざ
         え堂」。

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     8:27 さざえ堂着。回廊を上って下りても途中ですれ違っわない摩訶不思議な作りだ。
         400円もする。ここは家族旅行で訪れた際、子供たちの上り下りしたのでカット。
         外観鑑賞のみ。寒い。石段の下には小川が蛇行して流れている。赤い鳥居や古
         めかしい木造建造物があって、周辺整備されている。別のスロープから下がっ
         た。すると、白虎隊が命からがら落ち延びた戸の口堰洞穴が現われた。前回訪
         ねた時は気づかず、立ち寄らなかった。あの洞穴はここだったのか。こんな目立
         つ観光ルートにあったとは。写メ。鳥居には厳島神社参道の文字が。そして民家
         が建ち並ぶ緩い下り坂を下りて、たわわ実った柿の木を眺めながらメインの通り
         へ。朝早く、土産物屋が開店前の時刻だからか、3連休初日にしては人影少な
         い。私は混むような観光地は訪れたくない性質なので、できるだけ早朝に巡るよう
         にしている。駐車場に戻ると、隣りに駐車した車の助手席で若い女性がシートを
         倒して就寝中。

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     8:39 飯盛山駐車場発。続いて向かうは、新選組組長「近藤勇」の墓。慶山焼を越え、
         東山温泉との分岐点にある味噌田楽で有名な「奴郎茶屋」の脇道を入った山の
         上にあるお寺「天寧寺」に分骨され眠っている。私は大学生の頃にバイクで訪れ
         て墓参りしているが、まったく記憶にない。途中、右側走行する危険な車を発見。
         これが会津人だ。レトロバス発見。Y字路左折し、すぐに左折し細い路地を入り、
         すぐに左折。細いくねくね山道を300mほど上って行くと、天寧寺境内へ。
     8:43 天寧寺着。58.0km地点。境内の案内図が絵で記されてある。何とこの寺には
         幕末の英雄として名高い萱野権兵衛父子の墓も祀られている。両方行きたい。そ
         の右手の参拝路(順路)に従って徒歩で進む。緩い坂道。すぐY字路。直進「萱野
         権兵衛の墓」、右折は「郡長正の墓」とある。まず萱野の墓を目指して直進し、
         100mほどで墓所が途切れ、獣道みたいな山道に。こんな場所に英雄伝として名
              高い彼の墓があるはずがないと思い、道を間違えたと思って戻る。しかし矢印は
         正しい。そのY字分岐路の角は、有名小説家の早乙女貢の墓だった。今度は「近
         藤勇」の墓を目指して左折。これまた細い山道へ分けいる。こんな山上りをした覚
         えがない。京の都で、会津藩お抱えの見廻組をしてくれ、派手な活躍をした「新選
         組」だけにもっと目立つ場所にあったと思った。よもやこんな山登りになると
         は・・・。一度訪れているが、こんな山道を登っていった記憶がない。何度も標識を
         頼りに峠道のように折れて、やがてやや下がった場所に墓はあった。こんな山の
         中腹にあったとは意外だった。

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     8:55 「近藤勇の墓」着。さっそくお参り。手を合わせ黙祷した後、周辺そ写真。右隣に
         は、土方歳三の戒名を刻んだ標識が。墓標と慰霊碑が建ち、左手には彼の辞世
         の句があった。彼は、徹底抗戦を叫ばず、敵の軍門に下り、捕らえられて板橋で
         処刑された。近藤勇の戒名は「貫天院殿純忠誠美大居士」で土方歳三のそれは
         「歳進院殿誠山義豊大居士」と記されてあった。土方は明治2年5月11日没とあ
         り、私箱館戦争で流れ弾にあたって戦死した彼の「土方歳三最期の地」にも2度
         訪れたことがある。ここは山中にあるにもかかわらず、訪れる観光客が多いよう
         で、私が訪問した時は無人だったが、花や線香が備えられ、墓の後方にはフラダ
         ンスのレイがたくさん飾ってあった。血なまぐさい政変の世にあって、戦に追われ
         る日々だったに違いない。結局誰も来なかった。来る途中、近藤と並んで、萱野
         権兵衛の墓250Mとの道しるべがあったので、再トライ。せっかくここまで来て帰
         っては後悔すること必至。獣道のような山道をひとりY字路まで下り、そして標識
         通りに再び中央突破。やがて墓所が途切れ、険しい山道へ。こんな山奥に有名な
         武将の墓があるのか。疑問に思いながら幅1mもないような獣道を100mほど登
         った先に、無数の大きな墓石が綺麗に並べられた不気味な場所にたどり着いた。

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     9:04 そこは萱野一族の墓所だった。もしかして賊軍の汚名を着せられ、藩の責任を 
         一手に背負って、切腹したため、墓まで幽閉されてしまったのだろうか。郡長正の
         墓石もあった。20以上の墓が不気味なほど整頓されて同じ向きで等間隔で並ん
         でいる。あまり人目につかず、誰も訪れないような寂しい場所だ。夜には怖くて絶
         対に来れないだろう。墓標に刻まれた名を見ても、どれが萱野権兵衛(長修)のも
         のかわからない。もちろん終始私一人。隠れ家的な場所にひっそり眠っている。
         念のため観音様の写真も撮った。後で、それが彼の墓だと判明した。墓に「大姉」
         「童女」と刻まれた墓も多かったため、ここが萱野一族の墓所であることが理解で
         きた。それにしても墓石のデカさは尋常ではない。祟られないよう、何度も礼を尽
         くし、写真を撮る際は、きちんと声を掛けてからシャッターを押した。帰りは別ルー
         トで下った。たぶん、もう二度と来ないかもしれない場所で、訪れて良かった。テレ
         ビドラマ「白虎隊」では西田敏行が彼を熱演した。

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     9:15 もう一度案内図で確認。28年前とは全く違う印象。そして天寧寺発。坂を下りて
         武家屋敷方面から来る道へ合流。その角が家族で食べに来たことがある「奴郎
         ヶ前茶屋」だった。店はまだ開店していない。どこかで味噌田楽が食べられれば
         良いのだが。左折して鶴ヶ城方面へ向かう。何度も走ったことのある道だ。「富士
         通」通りを横切り、風雅堂の前を通過。右側に、会津在住時に健康診断を受けた
         ことがある県立会津総合病院の前へ。何とここは潰れてそのまま放置。鶴ヶ城入
         口を通過。次の交番の先の交差点から右折。私が住んでいた東栄町のアパート
         へ行く道。その右手に会津藩筆頭国家老「西郷頼母邸跡」がある。大きな石碑し
         かない。Uターンして消防団小屋」の前に路駐。
     9:22 西郷頼母邸着。60.3km。ここにはかつて大邸宅があった。そして戊辰の役末
         期、敗色濃厚になり、妻千恵子を始め、娘や母親、親類を含め21名が集団自決
         を遂げ、命果てた場所。手を合わせ、写メ。千恵子の辞世の句「なよ竹の 風に
         まかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」も案内板に記されてあった。
         路駐なので、すぐに車に戻り、発車。交差点で信号待ちの際、真正面に鶴ヶ城の
         天守閣が見え、つい写メ。左折してGSから右折。県立博物館の西手、陸上競技
         場、市営プール、鶴城体育館への道。左の駐車場はいつの間にかゲートが設
         置。プールはスタート台設置工事中。その先の勤労ホームの駐車場へ。

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     9:25 鶴ヶ城臨時駐車場。61.1km。いったん建物内へ。物故作家名品展を催してい
         た。受付でWCの場所を聞き、入る。その後ヤクルトの自販機で100円のペット茶
         を購入。今回の旅で初めての出費。そのまま徒歩で200m歩き、城内公園へ。途
         中、左に「佐川官兵衛顕彰碑」があった。
     9:33 外堀にかかる橋を渡る。八重の桜の幟が立つ。すると二の丸付近にあるソフト
         テニスコートからボール音が。途中、通路沿いに八重の句を紹介した案内板が建
         っていた。落城の賦として詠んだ「明日の夜は 何国の誰かながむらん なれし御
         城に残す月かげ」の句と、壁に刻んだその模様を描いた絵もあって、足を止めて
         読みいった。そして右に折れ、朱塗りの橋を渡る。石垣の上に天守閣の最上部が
         顔を覗かせる。何度も見た光景。去年も訪ねた。石垣に沿って歩き、左折。本丸
         公園や天守閣へ。前回もいたが、藩士に扮装した係員がいた。さすがに9時台で
         もここは観光客が多い。この赤瓦になって印象が変わった。この後、公園内を何
         度も周遊し、連続写真撮影。天守閣は500円だが、登らず。当時の建物の見取
         り図入りのパンフレットを貰う。団体写真撮影場所。茶屋もあり。公園を挟んだ天
         守閣と対面の片隅に「荒城の月」のモニュメントがある。その先の急な石段を上が
         ると、周囲を取り囲む石垣の上の散策路に上がれる。そこからの城の眺めが最
         高だった。遮るものや邪魔がなく、まっすぐ城を見渡せるベストポイント。月見櫓の
         すぐ脇だ。紅葉した木々ともベストマッチ。お堀に沿って歩いた。やがて、天守閣
         から繋がる櫓から人が出てくる。石段を下りて再び、天守閣の近くへ。ここも写真
         撮影には良い場所。先客のグループがいた。一通り周回し、満足して後にした。
         城を象った可愛らしいデザインのミニチュアの記念写真用のモニュメントがあっ
         た。石垣に沿って来た道を戻る。急な石段を駆け上がってみた。城はもう見えな
         い。そして市営プールの前を通って、勤労センターへ。

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    10:04 鶴ヶ城周辺発。続いて七日町通りへ向かう。左折して旧若女の前を通る。停車
         中の高速バスをすり抜け、右折して神明通りへ。目抜き通りだ。商店街や中合の 
         前の通りを進み、お世話になったリオンドールを通過し、郵便局の交差点から左
         折。大阪屋の歪な交差点で停車中。左斜め前方に見えた「なつかしの昭和館」の
         店を望遠で狙う。七日町通りは、大正時代を彷彿させるようなレトロやノスタルジ
         ックな店が軒を連ねる。しかし、駐車場がないので、車窓しかできない。蔵作りの
         店や歴史を感じさせる古い木造の老舗も多い。私は大正浪漫の渋川問屋という
         宿に泊まったことがある。シーズンオフだったので格安料金だった。踏切の手前
         には、超懐かしい作りの「七日町駅」があった。一旦停止時、写メ。やはり車窓で
         終わってしまった。すると右側にセブンを発見。立ち寄る。

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    10:14 セブンイレブン七日町店。本当は味噌田楽を食べたいのだが、店を知らない。
         会津まで来てコンビニおにぎりもないのだが・・・。200円の2個入りおにぎりとカフ
         ェオレで310円。レジめちゃ混み。
          その後、700mほど先でY字路を右カーブ。ここが通称「泪橋」と呼ばれる「柳
         橋」。西軍と激しい戦いを演じた婦人軍がここで奮闘した。ここも駐車箇所なし。通
         過。R252を坂下方面へ走らせる。途中右側に川のほうへ行ける道有り。後で行
         ってみることに。この辺は罪人の処刑場があった場所らしい。会津自動車学校の
         教習コースが右側に現れ、その先に次の訪問地「中野竹子終焉の地」の目印とな
         る「会津天宝醸造」がある筈。するといきなり標識が現れ、急ブレーキと急ハンド
         ルでその細い道へ。その先100m先で行き止まり。右に折れるとそのまま工場入 
         口で、正面に緑の原っぱと中野竹子の全身石像があるのが見えた。
    10:21 「中野竹子殉節の地」着。65.6km。ここも誰も観光客はいない。私一人。横に
         長い公園みたいな原っぱに石像と大きな石碑。石像は薙刀を振り上げ、勇ましく
         も凛々しいい姿。赤誠と刻まれてあった。何枚も角度を変えて写真を撮るが、逆
         光。最近こればっかり。ここは、照姫の護衛で一度は坂下に向かった婦女隊だ
         が、会うことができず、城下に戻る途中で戦闘に巻き込まれた。いずれも薙刀の
         名手。この地で、美人として知られた中野竹子(大河ドラマでは黒木メイサが演じ
         た)が敵の砲弾を胸に受け、致命傷を負う。苦しむ竹子を前に、介錯を命じられた
         妹の優子が首をはねたとされる。そして有名な辞世「武士の猛き心にくらぶれば
         数には入らぬ我が身ながらも」の句も案内板に記されてあった。

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    10:28 中野竹子殉節の地発。泪橋(柳橋)の写真を撮りたくて戻る。教習所の先を左
         折。小さな橋の袂に駐車。川面が見えないくらい小さい川。300m先に泪橋が見
         える。この辺を婦人隊が移動したに違いない。処刑場はわからないが、北西側の
         民家の隣りに石碑があるので行ってみたら、「キリシタン塚」だった。ビビった。す
         ぐに立ち去る。10:33発。R252に戻る。やがてこの道は神指でR49と合流す
         る。これから市街地を離れ、田舎へ向かう。燃料心配だ。若松市内ではレギュラ
         ー150円が多い。ここから坂下町や喜多方市に行くと遠いので高くなりそう。この
         時点で残り4分の1近く。日中ダムまでランプを点灯させずに行けるか。エコ運転
         を励行。サイドにあった仁丹を封を切り一粒口へ。これがビリビリ。ここでMDを入
         れ換えて「コナンの主題歌集」に。倉木麻衣の曲が多い。会津界隈は終始くもり
         空。高速の下を潜り、T字路を左折。越後街道だ。すぐに阿賀川にかかる橋を渡
         る。何度か通ったことがある通り。

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    10:46 会津平和自動車学校前を通過。その1分後に坂下町内とのY字路へ。左折。
         しばらく道なりに街道沿いの道すがら、右手に「曙酒造」を発見。76.8km。1時
         間程度の時間的な余裕が出来たため、急遽酒蔵見学とシャレこもうと右折。する
         と、玄関の先で道が細くて通り抜けできないし、駐車場もなさそう。社員?の女性
         に見られる。バックで後退し、隣りの酒のケースが積んであるスペースへ。同じ目
         的のアウディもバックで出てきた。やむを得ず、帰りに寄ることに。するとその
         300mほど先には左手に全国的に有名な「飛露喜」で有名な廣木酒造が。

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    10:54 その路地を入るが、ここも駐車場なしだし、蔵自体が休みっぽい感じ。まずは、
         当初の目的通り、中野竹子の墓がある法界寺を目指す。街中で、右奥にお寺らし
         い屋根を見つけ、町役場から右折。細い道を行ってみるが、違うお寺だった。街
         中を通りすぎ、Uターン。猪俣公章や春日八郎のゆかりの地で、街中にそうした表
         示が。別れに一本杉の歌碑まで2kmという入口もあった。また迷い道。燃料もや
         ばいので、坂下警察署で道を聞くことに。
    11:05 迂回して警察署へ。正面窓口にいた女性警察官に「法界寺どこですか」と尋ねて
         もイマイチピンと来ない。奥から若い男性警官が地図を持って丁寧に教えてくれ
         た。町役場近くだが、駐車場がないので、目の前のR49からアプローチし、パチン
         コJUMBOから入ってそこの駐車場から入れば良いと教えられた。すぐに向かう。
         いったん左折して店先を借りてUターン。300m先のパチンコ屋の入口を右折。そ
         のまま奥の広い駐車場へ。法界寺の境内の屋根とお墓が見えた。
    11:08 80.5km地点。近い位置に駐車し、そのまま徒歩で境内へ。お経が聞こえる。ど
         うやら法事の最中のようだ。先客がいた。男性が中野竹子の墓に線香をあげて
         いた。ひときわ大きな区画が彼女が眠る場所だ。句碑や墓石、墓標やら女を讃
         え、偲ぶ様々な遺構が建ち並ぶ。門には「中野竹子之墓」の標札と塀にも絵図。
         お堂もあるし、彼女のために詠んだ歌もあった。ここは戊辰の役の女傑とともに、
         一般の檀家の墓石が混在し、同居している。ここ、ここに来て晴れてきた。気温も
         上がっている。逆光なので、保険で5~6枚シャッターを切った。

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    11:18 法界寺発。たまたま廣木酒造の交差点に出て、信号停車時古くて小さな店構え
         の写真。あれだけ儲けているのに、店はこじんまりしている。そしてその先の曙酒
         造へ。アウディの車はなく、再度酒のケースのある倉庫の前のスペースへ駐車。
    11:20 曙酒造着。30m細い通路を歩き、意を決してインターホンを押す。さっき顔を見
         られた女性が出てきた。身分を名乗り、蔵を見学できないか申し出た。どうやら留
         守番の事務職員らしく、要を得ない。社長や夫人は皆、出張中らしい。すると、仕
         込み中のの蔵から体格の良い男性社員が出てきた。同じように身分を名乗ると、
         アポ無しなのに、快く酒蔵内を見学させてくれた。それどころか、案内までしてくれ
         た。衛生上問題があるところや写真撮影ができないところをその都度尋ねた。瓶
         詰めする部屋、貯蔵倉庫、タンク、原料の酒米を同じ分量に振り分ける機械や酒
         袋を洗う機械、仕込み中の建物内、職人さんがラベル貼りを手作業で行っている
         作業場なども見せてくれた。温度管理が行届いている。震災で蔵自体が大きな損
         害を受け、半壊した場所もあったそうだ。15分以上も2つの蔵を見学させてくれ
         た。飛び込みで行ったのに、丁寧な対応に敬服した。時間が余ったとは言え、な
         かなか酒蔵を見学などそうはできない。ここは「天明」と「一生青春」が売れ線。遠
         くは福岡や長崎にも出荷しているそうだ。丁重にお礼を述べ、社長さんによろしく
         伝えることを依頼し、後ろ髪を引かれる思いで車へ。

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    11:40 曙酒造発。次は、熊野神社にある「長床」を見物する予定。出発後、交差点で
         停車時、ナビを確認してセットしたら、Y字交差点を右折するらしい。確認してよか
         った。まだ燃料は大丈夫そう。残りメーターも1/4を下回っているのによく走る。ナ
         ビの指示通りに進路を取る。R49を西に行き、すぐに右折。県道21号だ。名探偵
         コナンの主題歌集が車内に流れる。阿賀川を渡る。交通量が少ない道を北上。T
         字路を左折。県道61号へ。田んぼの中を突っ切るように西に走り、西田原橋を
         渡り、T字路を右折。県道336号。300m先を左に折れる。何と3台連なって熊野
         神社入口へ。警備係りが誘導。大鳥居の前を左に折れると駐車場。ここは有名な
         のか、観光客の姿が10人以上。

    11:53 熊野神社到着。90.9km。休憩所を越えて参拝路へ。社務所で拝観料300円
         を支払う。宝物殿とセットで300円らしい。記念スタンプがまたどデカイ。ノートに
         押したが斜めになってしまった。パンフレットとチケットを受け取る。念のため聞い
         たら写真ダメな箇所は無いとの返答。100mほどの杉林の中の石畳を歩くと正面
         に柱が何本も立つ「長床」。手前には大イチョウの御神木。この長床は、和風の
         パルテノン神殿みたいで、木の柱が建っていて壁はなく空洞。観光客に混じって
         見学。靴を脱いでスリッパに履き替えて床の上を歩く。写真も角度を変えて何枚も
         撮る。他の客が写りこまない工夫。一周してみた。裏手には石段があって、最上
         階に神社が。登って見当たら、三つの社殿があって、
         正面が中央新宮、右が本宮、左は熊野那智という名前3つとも二礼二拍一礼の
         作法で、3つとも鈴を鳴らして手を合わせ、今回の旅の安全を願った。大イチョウ
         は幹の太さが7m80cmもある大木らしい。そして戻る途中、左手の離れにある
         「宝物殿」へ。高校合格を祈願する絵馬が掛けてあった。

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    12:08 宝物殿建屋内へ。不動明王像、懸仏、法螺貝、宝殊印、牛王板木(県重文)、如
         意輪観音坐像、力士像、獅子、狛犬、阿弥陀如来立像、薬師如来坐像、三十六
         歌仙絵巻、三千仏画像、そして入口には国の重要文化財の銅鉢が陳列してあっ
         た。社務所の前を通り、12:16には休憩所へ。俳句ポストなるものが置かれてい
         た。用紙に記入し投句するらしい。個人情報を探られてくないので用紙のみ持ち
         帰り。奥にWCがあり、休憩所内の壁はポスターだらけ。

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    12:16 新宮熊野神社発。細い道を100m戻り、左折して県道336号へ。次は23年振り
         の訪問となる「日中線記念館・熱塩駅」だ。会津在住時に鉄道オタクの大学時代
         の友人が横浜から訪ねてきた際、彼の愛車「フェスティバキャンバストップ」でドラ
         イブがてら訪ね、それ以来の再訪となる。できればその後、日中ダムにも足を伸
         ばしたいが、燃料が持つかどうか微妙。新宮城跡駐車場と書かれた場所を通過。
         昼時なので、「喜多方ラーメン」でも食べたい。多分3連休なのでどこも混んでいる
         だろう。それに市街地を通らず、郊外を抜けるため、道すがらそうやすやす店が
         登場しないだろう。慶徳で右折し、県道16へ。川を渡り、只見線の高架橋を越え
         る。喜多方市街の外れを進む。
    12:28 道路沿い左に、閉鎖された病院のような建物とその後ろにグラウンドを発見。ナ
         ビで確認したら、廃校となった喜多方商業高校だった。桐桜高校に統合されたの
         だった。直後に右にカーブし、交差点を左折。
    12:30 R459へ。市街地から遠ざかるように北上。ラーメンは無理。
    12:33 右側に「会津ほまれ」の工場。唐橋ユミアナウンサーの実家だ。喜多方の醸造
         元の令嬢だった。曙酒造や廣木酒造とは異なり、工場で、かなりデカイ。病院の
         前を通過。GSメーターとナビの目的地までの残り距離を気にする。山の上にある
         日中ダムでガス欠になったら帰って来れない。かといってこんな田舎での給油は
         高くつく。快晴青空になった。周囲の景色は山々に。かなり紅葉が進み、綺麗。後
         方からバイクが2台追い上げてきたので、ウィンカーを出し、先に行かせた。そう
         いえば、本日、随分ツーリングバイクを見かけた。ポカポカ陽気になってきたの
         で、3連休と紅葉シーズンも重なり、今年最後のバイクだろう。熱塩村の集落へ。
         やがて「日中記念館」左折の標識が現れ、左折。僅か50m先に駅舎があった。

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    12:42 日中記念館熱塩駅着。ここまでの走行距離は105.6km。まだ給油ランプは点
         灯せず。これなら郡山まで持つかも?懐かしい光景。先客が5~6人いた。廃線
         マニアか?人気スポットになっている。駐車場にも4台あり。駅舎は記念館として
         保存されているが昔のまま。ここの駅長さん役らしい方や、ホーム跡で商売をして
         いるお母さんがいた。そして訪問客のちびっ子が、線路があった草っ原で3台つな
         ぎのカートに乗せられて周辺の広場を数往復していた。駅舎の中は、改装され、
         綺麗になっていた。まず待合室が喫茶室みたいになって、美しい木の横長のテー
         ブルがあり、それを囲むように長椅子。ここで談話できる。雑誌や各種パンフも置
         いてある。コーヒーサーバーもあるが、豆代は寄付方式。旅のノートがあった。早
         速23年振りの再訪を記入。スタンプも押印。パンフを貰う。実名は回避。この駅
         舎は廃線となり、今年夏に再訪した上砂川駅に雰囲気が似ている。其の隣の部
         屋には展示コーナーで、昔の券売機やガラスケースに入った駅帽、閉塞装置の
         輪、駅のプレートや列車マークなどもあった。これほど整備されたとは。改札から
         出て、ホームの写真を撮り、かつてレールがあった地面に降り、北側に保存され
         ているディーゼル機関車(ラッセル車)と客車を見物。階段が設置され、自由に乗
         り降りできる。もちろん機関車と客車の両方を往来。古い客車。10日前に鉄道博
         物館を訪れたばかり。気温は13℃まで上がり、無風で穏やかな日和。日差しが
         あってポカポカ。次はいつ来れるだろうか。

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    12:55 日中記念館発。R333に戻る際、タッチの差でシルバーの車に入られた。この車
         が40km/hのマイペース走行でとろい。ここから日中ダムはえらく遠い印象で、山
         登りすると記憶していたが、3kmと意外と近い。これならガス欠は回避できそう。で
         も前の車がノロい。ほどなく前方に巨大なダムの岩の壁が姿を見せた。ダムの方
         向へ右折したら、前の車も右折。イライラする。業を煮やし追い越しをかけたら、
         その先で急にウィンカーを右にだし、発電所方面へ右折しようとした。慌ててクラク
         ションを鳴らして回避。細い曲がりくねった峠道を1kmほど進むと、日中ダムの真
         上に繋がる駐車場へ。

    13:00 日中ダム到着。109.9km。先客2~3台。公園の記念碑には「ひざわこ」の文
         字。水かさが少ない。周辺の山々は木々が色付き綺麗。ちょうど紅葉の見頃だ。
         静かな湖面。静寂。取水塔、500m先に吊り橋。23年振りだがその時は工事の
         真っ最中で、水は無かった。これを作るために民家が湖の底に沈んだ。複雑に入
         り組んで奥まで続く湖岸線。周囲の山々は黄色、橙色、赤、緑に色付き、それは
         それは見とれる美しさ。秋の深まりを感じる。全く寒さは感じず、ポカポカ陽気。ダ
         ムの真上を散歩。今日は車も開放し、向こう岸まで行けたが、この陽気に釣られ
         て敢えて歩いてダムの上を真ん中まで歩く。対面の吊り橋の見える範囲が広くな
         る。このダムは垂直ではなく、山の斜面のように傾斜があって、しかもゴツゴツし
         た滑りにくい岩で作られてあるので、降りようと思えば湖面まで降りられる。反対
         側は恐ろしい光景。50mほどの高低差があり、発電施設が点在。こちらも斜度が
         あるので、下まで行けないことはない。綺麗な景色に見とれて何枚もシャッターを
         切った。今日だけで200枚は撮っているだろう。湖面は深い緑色。私の真似して
         老夫婦も渡り出した。

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    13:09 駐車場を出発し、続いて車で吊り橋の方へ。湖の西側の縁を回り込むように道
         路がある。林道らしい。すれ違えない細い箇所もある。1kmほど行くと、右に折れ
         ると吊り橋(日中大橋)だが、直進方向は崩落のため通行止め。通行止めの路肩
         に駐車して、吊り橋を徒歩で渡る。頑丈そうで大きな吊り橋。これも中央部分まで
         歩いて、時々下を覗き込む。水量が少ないので水面が低いために結構高い。自
         殺者と間違われないか。ここで地震が来たら相当怖い。北側の上には、R121
         (大峠道路)の赤い橋。トンネルの入口も見えた。吊り橋の向こう岸に別の車が停
         車。歩いて見物を始めた。すぐに退散。車を切り返し戻る。途中の路側帯に停車
         して再度違う角度での撮影。ランプの不安に駆られ猛スピードで戻る。今回は行
         った来たりが少ないせいか、車酔い症状はない。       

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    13:20 R333に復帰。BGMはコナン特集。交差点で停車中ナビを次に向かう「日新館」
         周辺にセット。R121と交差するセブンイレブンの交差点から左折(13:26)。給
         油ランプつかず。省エネ運転を励行。交差点ではエンジンを切り、アイドリングスト
         ップ。喜多方市内を経由しないが、信号が多く、何度も停車。郡山までガソリンが
         持つか?結局、昼食抜き?喜多方ラーメン食べたいが、店が出てこない。旅に出
         ても、あまり食物には固執していない。学生の頃から安上がりだ。喜多方市街地
         の東側の外れを走行。しかし、ここで凡ミス。R121で交差点で左カーブするはず
         が、直進レーンにいたら、そのまま自動車専用道路に入ってしまう。一応無料だ
         が、目指す方向から離れてしまう危惧。また迷って遠回り?ガソリン無いの
         に・・・。
    13:43 3kmほど行って塩川ICで下車。高崎ナンバーのCoop Busの後ろに付き、左折し
         て県道61に入り、線路を越えて1kmで右折してR121に復帰。結局遠回り。距離
         とタイムロス。無駄走り。しかし、この前のバスが曲者。超のろのろ運転で、イライ
         ラ。これを先頭に長い数珠つなぎ状態。50km/h道路をゆっくり走る。その後、妨
         害するかのようにずっと同じルート。左折して県道7号へ。ずっとイライラ運転。青
         空のため、進行方向に磐梯山がくっきり。ここでMDをいろいろ探り、ZARDを発
         見。BGMとしてかける。しかし、10日前、墓参りしたものの、彼女の声を毎日聴い
         ていたが、とにかく切ないし、彼女の死を未だに受け止められない自分がいる。運
         転しながら感傷に浸る。ランプこそつかないが、金も使いたくないし、くたびれたし
         で、次の日新館訪問をこの時点でキャンセル。R49を経由しないので、帰りに強
         清水で天ぷらまんじゅうを土産にする案も立ち消える。このまま県道7号を突き進
         む。磐梯山が近くなる。

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    14:00 道の駅磐梯の前を走行。やたら車が多く、賑わっている。実はこの日放送の「サ
         タふく」で植木安里紗」がドライブしてここを訪れていた。磐梯町で大渋滞にハマ
         る。マジガス欠心配。300m先工事中の看板。これが原因かと思ったら、両側が
         狭くなっているだけで、片側通行ではない。信号のタイミングが悪く、自然渋滞だ
         った。工事用の黄色のガードレールの模様が笑える。いろんな絵柄があるよう
         だ。それにしても前のバスは邪魔。やがて真横に磐梯山が。斜面も紅葉して綺
         麗。あちこちで車が路駐して、カメラを向けている。右折して翁島駅方面へ。する
         とそのバスまで右折。やってられない。踏切を渡る。8月7日のミステリー探検以
         来、3ヶ月振り。あれから3ヶ月の間にいろいろな出来事があった。被災地、東京
         旅行など。そして「翁島ペンション」の入口となる鉄塔が・・・。
    14:15 今回は趣旨が違うので「翁島ペンション」には立ち寄らず。通過する際に写メの
         み。しつこいバスが、西久保交差点からR49に入るのは間違いないので、高速下
         を通過後、左折して田んぼの中を横切り、右折左折を繰り返し、R49へ。

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    14:17 R49復帰し、何とかバスをやり過ごす。しかし、野口記念館の前で、バックミラー
         で確認したら、そのバスは世界のガラス館へ入っていった。無理する必要はなか
         った。走行中に磐梯山の写メ。どうやら帰宅するまで燃料は持ちそう。一度もラン
         プつかず。すでに160kmも走ったのに。底なしだ。


    14:20 白鳥浜。気温は何と16℃まで上昇。車内では暖かい。無風で穏やかだった。前
         の2台繋がる引越センターのトラックが遅い。追禁解除で一台をパス。ライダー多
         い。志田浜のセブンにもツーリングライダー5~6人が溜まっていた。
    14:28 志田浜。ここに来てもランプつかず。161.6km。車が多く、のろのろペース。40
         ~50km/hだ。
    14:34 中山トンネル。先頭の軽トラがとろくて長い車列。こういうのは責任を感じていな
         いし、自分が渋滞を作っているという認識がないタコ野郎だ。1kmもの渋滞の発
         端。
    14:43 熱海トンネル。17℃に上昇。
    14:54 トライアルに立ち寄り買い物。駐車場一杯。182.1km。手巻き寿司などほとん
         ど売り切れ。298円の味ご飯弁当とアンパン、チーズたら2つ、まるごとソーセー
         ジパンなどで634円。15:00発。会津街道、前の軽自動車もとろい。車間距離
         かなり開けてとろとろ運転にイラつく。BGMは大好きな「心開いて」。最後の踏切
         で、ヤマダ方面から荷台に牛のマークのある軽トラが出てきて、割り込まれないよ
         うに猛ダッシュ。わざと時間をかけて、ピタッと停車。すると右手の小さな公園の前
         に、ミニパトが隠れて監視。イヤラシイが、咄嗟に完全停車して良かった。ここに
         来て青切符はシャレにならない。

    15:08 帰宅。187.5km。

     <費用>

     ペット茶 100円 コンビニ  310円  拝観料  300円  トライアル 634円

     合計  1,344円

     後記

     NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送を記念して訪れた会津の旅。当初は予定になかった酒蔵見学まで入り、日新館は残念ながらキャンセルしたが、ほぼ諸般の計画は達成できて満足。紅葉も綺麗だったし、一日、穏やかな日和で11月だというのに寒さを感じない陽気だった。唯一の反省点は、やはり出発前に満タンにしておくべきだった。旅行中に気がかりで、安心して旅行を楽しめない側面があった。実は、この2日後には、足尾銅山鉱毒事件で一躍名を馳せた「田中正造」の没後100年にあたり、先輩同僚と群馬県館林市に旅行する予定だ。2013年は旅行プランが目白押しだ。

        

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