2019年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« CMの彼女⑥ | トップページ | 歴史に触れる旅 ~田中正造編~ »

2013年11月 2日 (土)

「八重の桜」放送記念~会津周辺歴訪~

 今年の大河ドラマ「八重の桜」の放送を記念して思いついた会津の歴史に触れる旅。1980年代にNTV系列の年末大型時代劇「白虎隊」が放送された時も、大変なロケ地ブームが沸き起こり、観光地のそこかしこで「愛しき日々」が流れていたが、それ以来のまともな会津観光を計画。実は仕事で会津若松市内に1年間住み、何度も滝沢峠を往復した経験があり、またその後も会津には何度も仕事で訪れたことがある。おそらく50回程度は訪れている。しかし、「会津観光」と銘打って訪れるのは久し振りだ。今回は「八重の桜」を旅の取っ掛りし、会津戊辰戦争で会津藩士が戦い、最後まで武士の誇りを胸に潔く散った歴史ロマンを回顧する意味で、様々な現場を辿り、御国を思いながら戦場に散って逝ったその英霊を讃え、更にはその鎮魂の意味合いを含め訪れたい。しかるに今回の訪問地は以下の通り。

 <訪問予定地>

 ①十六橋ー②白虎隊奮戦の地ー③強清水ー④旧滝沢本陣跡ー⑦飯盛山(白虎隊士の墓・自刃の地・さざえ堂・洞穴)ー⑧東山温泉天寧寺(近藤勇の墓)ー⑨西郷頼母邸跡ー⑩鶴ヶ城ー⑪七日町通りー⑫泪橋・中野竹子終焉の地(殉節の碑)ー⑬坂下町法界寺(中野竹子の墓)ー⑭新宮熊野神社「長床」ー⑮熱塩加納駅(日中線記念館)ー⑯日中ダムー⑰会津藩校日新館

 少し盛りだくさんで、一日で全部回るのは至難の業。一箇所の見学時間を最小限に留め、日が短くなった秋の一日を有意義に過ごしたい。朝6時半出発で18時帰宅で考えている。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 11月2日(土)晴れ/くもり/快晴

 6:14 起床。6:00起床6:30出発のはずが、冷え込みがきつく起きられず。
 6:43 自宅発。快晴青空。ガソリン半分以下。昨日給油せずヤバイ。割り込み水色
     CUBE遅い。青空の中に安達太良山の稜線くっきり。4℃。
 6:51 右折してR49へ。60ペース。安子ヶ島は40ペースでとろい。1台のせいで車
     列。
 7:00 磐梯熱海分岐。温泉街迂回したパジェロミニにトンネル出口で抜かれる。
 7:05 中山峠二車線。沼上発電所周辺紅葉で綺麗。写メ撮れず。
 7:08 トンネル。会津方面霧の雲と分厚い雲。上戸で曇り。磐梯山全く見えず。薄暗
     い。
 7:12 志田浜。26.2km。気温5℃。ノンストップ。
 7:21 改修工事でシートに覆われた野口記念館前。そこで霧が晴れて真横(右)に磐
     梯山が見え出す。

Img_3993_r Img_3996_r

 7:24 長浜。白鳥丸と亀丸静かな湖面に佇む。周辺は紅葉。十六橋の南にかかる
     R49沿い戸の口付近で「金の橋」を通過し、急停車。Uターンして左折して、十六
     橋方面への細い道へ。500mほど進み左カーブして十六橋へ。
 7:30 予定より15分遅れて戊辰戦争の命運を握っていた十六橋到着。民家の前に駐
     車し、写真。左の猪苗代湖方面は、池を挟んで小さく金の橋が見え、静かなコメン
     から湯気のような煙。幻想風景。右は、無機質な重金属の発電施設。すぐに出
     発。R49に戻り、金・銀の橋を立て続けに渡り、やがて強清水へ向かう見通しの
     良い直線道路へ。たぶん100回以上往復しているが、この左手にあの「白虎隊」
     が奮戦した旧跡があったとは一度も気づかなかった。標識を頼りにY字路を左
     へ。先行車が手前に駐車。その100m先の左手に何やらお墓のような石碑を発
     見。
Img_3999_r Img_4000_r

 7:36 「白虎隊奮戦の地」着。ここまで44.5km。戊辰の役での戦死者の墓だった。こ
     の数ヶ月お墓参りばかりしている。そしてその50m先右手にやや広い場所にいく
     つもの石碑が建つ場所。そこが奮戦の地だった。供養塔が建ち、案内板に説明
     書きが。紛れもなく、この場所でかの有名な白虎隊士が戦ったのだ。ビデオや
     DVDで何度も見た場面が脳を掠める。国道のすぐ陰にあったとは気づかなかっ
     た。怖いのは右端にあった「夜泣き石」。その周囲を囲むように幼い子供の靴が
     無数に置いてあった。気温が低く冷えた。石碑や供養塔の前では何度も頭を垂れ
     て手を合わせて拝んだ。同じ会津の血が流れている身として無礼があってはなら 
     ない。

Img_4004_r Img_4005_r

 7:43 出発。R49に戻り、制限速度を厳守して直線へ。左折して強清水方面へ。天ぷ
     らまんじゅうで有名な清水屋や周辺の店はまだ開店していない。
 7:46 強清水着。46.7km地点。会津への旅路ではここを素通りするわけにはいかな
     い。無人。隣りは馬頭観世音を祀った神社。清水屋の前には、お馴染みの看板
     娘人形。写メのみ。清水も口にせず。

Img_4008_r Img_4010_r

 7:48 出発。R294に出る際、両方向の通過待ち長い。タッチの差で左折して会津若
     松市内への近道の滝沢峠へ入るのに、2台の車に先を許す。しかし、峠の下り道
     で、その2台が先を譲ってくれた。H元年から2年にかけて会津に住んでいた時
     は、毎週末この道を通って往復したものだ。虎丸の実家から東栄町のアパートま
     で最短56分で帰ったことがある。峠道は濃霧。かなり飛ばした。しかし、別の先
     行車2台に追いつき、アタマ打ち。会津若松側の峠は濃霧。市内は晴れ間はな
     く、曇り空。最後の緩い真っ直ぐな下り坂を下り、T字路を右折。旧滝沢本陣の茅
     葺き屋根が見えた。Pはあるだろうか。するとその左隣りに5台程度駐車できるス
     ペースが。先頭で入ったら、直後に別の観光客の車もピットイン。
 8:00 戊辰の役旧滝沢本陣到着。55.1km地点。観光目的で立ち寄るのは、実に大
     学生時代のバイクで訪れて以来、28年振り。柱に生々しい刀傷が残っていたり、
     弾痕もある。しかし、8時から開場のはずが、受付も開いていなさそう。外観の写
     メを数枚撮ってそそくさと退散。30分も待つ気はない。2分で出発。石川ナンバー
     「7777」のガンメタウィッシュが周辺をオロオロ。その後ろを追尾。左折して飯盛
     山方面へ。100mほどで左側に飯盛山の土産屋のストリートと急な階段が見え
     た。その先の交差点を右折。石川ナンバーも一緒。飯盛分店のPへ入れたが、私
     はその隣りの市営の無料駐車場へ。砂利で、一番飯盛山に近い側に駐車。

Img_4013_r

 8:05 飯盛山着。WC。70mほど歩いて道路を横断。じいさんばあさん30名ほどの団
     体客を追い越し、土産ストリートの無人の坂を速攻で写メ。タッチの差でフレーム
     インするところだった。団体客に紛れて坂を登り、階段へ。有料エスカレーターは
     行かず。3段構えの急勾配の石段だが、一度も休憩せず一気に登った。途中で
     団体客を追い越す。一番上に上がったら、胸が苦しく息遣いも荒い。でも疲れた
     素振りを見せない。会津高校生が白虎隊士剣舞を披露する広場へ。左に隊士の
     墓が横一列に並ぶ墓所。正面右には、てっぺんに鷲のレリーフの塔。まずは隊士
     の墓標の前で手を合わせ、冥福を祈る。そして、団体客の前に、順路に沿って自
     刃の地へ向かう。途中の遊歩道の左に、飯沼貞雄(吉)の墓が。写メと参拝。そし
     て石段の前で視界が開け、若松城下が一望。やや霞んでいるが、ラジオ電波塔
     越しに鶴ヶ城の天守閣が確認できた。ここから燃え盛る武家屋敷の炎を見て、落
     城したと勘違いし、切腹して自刃した。急な石段を下りて、慰霊碑や標識が立つ
     「自刃の地」へ。ここに来るのは3度目。来るたびに変わっている。墓標は新しくな
     っているし、隊士の像が設置されている。しかし、がっかりなのは、じじばばたカメ
     ラマンっぽいオジンが4~5人いたのに、慰霊碑の前で手を合わせて冥福を祈っ
     ているのは私だけ。還暦を越えているのに、歳だけ重ねてマナーも礼儀も知らな
     い連中ばかりで嫌になる。来た道を引き返す。上り階段も苦にならなくなった。今
     年、いろんな場所を旅して体力がついたことで自信がついた。広場に戻り、白虎
     隊士の墓標へ。すると20代くらいの若造が、荒い息遣いで座り込んで休憩。やは
     りこの急階段は堪える。ここで隊士の右奥にも何かお墓があるのに気づき、寄り
     道。そこは白虎隊士が山中をさまよい歩いて、実際に登って来たであろう切通し
     のような場所。昔のまま変わっていない印象。ここまでは足を踏み入れる人は少
     ないだろう。しかし、私が先陣を切ったので、この先に何があるのか気になった別
     のカメラマン風の男たちも来た。遠くでSLの汽笛が何度か鳴り響いていた。石段
     を下りて、エスカレーターの到着駅から別ルートへ。サザエさんが訪れた土産物
     屋がある。その左下のスロープを曲がりながら降りると、その先にあるのは「さざ
     え堂」。

Img_4015_r Img_4017_r

Img_4019_r Img_4023_r

Img_4021_r Img_4022_r

Img_4025_r Img_4026_r

 8:27 さざえ堂着。回廊を上って下りても途中ですれ違っわない摩訶不思議な作りだ。
     400円もする。ここは家族旅行で訪れた際、子供たちの上り下りしたのでカット。
     外観鑑賞のみ。寒い。石段の下には小川が蛇行して流れている。赤い鳥居や古
     めかしい木造建造物があって、周辺整備されている。別のスロープから下がっ
     た。すると、白虎隊が命からがら落ち延びた戸の口堰洞穴が現われた。前回訪
     ねた時は気づかず、立ち寄らなかった。あの洞穴はここだったのか。こんな目立
     つ観光ルートにあったとは。写メ。鳥居には厳島神社参道の文字が。そして民家
     が建ち並ぶ緩い下り坂を下りて、たわわ実った柿の木を眺めながらメインの通り
     へ。朝早く、土産物屋が開店前の時刻だからか、3連休初日にしては人影少な
     い。私は混むような観光地は訪れたくない性質なので、できるだけ早朝に巡るよう
     にしている。駐車場に戻ると、隣りに駐車した車の助手席で若い女性がシートを
     倒して就寝中。

Img_4029_r Img_4031_r

Img_4032_r Img_4034_r

Img_4036_r Img_4037_r

 8:39 飯盛山駐車場発。続いて向かうは、新選組組長「近藤勇」の墓。慶山焼を越え、
     東山温泉との分岐点にある味噌田楽で有名な「奴郎茶屋」の脇道を入った山の
     上にあるお寺「天寧寺」に分骨され眠っている。私は大学生の頃にバイクで訪れ
     て墓参りしているが、まったく記憶にない。途中、右側走行する危険な車を発見。
     これが会津人だ。レトロバス発見。Y字路左折し、すぐに左折し細い路地を入り、
     すぐに左折。細いくねくね山道を300mほど上って行くと、天寧寺境内へ。
 8:43 天寧寺着。58.0km地点。境内の案内図が絵で記されてある。何とこの寺には
     幕末の英雄として名高い萱野権兵衛父子の墓も祀られている。両方行きたい。そ
     の右手の参拝路(順路)に従って徒歩で進む。緩い坂道。すぐY字路。直進「萱野
     権兵衛の墓」、右折は「郡長正の墓」とある。まず萱野の墓を目指して直進し、
     100mほどで墓所が途切れ、獣道みたいな山道に。こんな場所に英雄伝として名
          高い彼の墓があるはずがないと思い、道を間違えたと思って戻る。しかし矢印は
     正しい。そのY字分岐路の角は、有名小説家の早乙女貢の墓だった。今度は「近
     藤勇」の墓を目指して左折。これまた細い山道へ分けいる。こんな山上りをした覚
     えがない。京の都で、会津藩お抱えの見廻組をしてくれ、派手な活躍をした「新選
     組」だけにもっと目立つ場所にあったと思った。よもやこんな山登りになると
     は・・・。一度訪れているが、こんな山道を登っていった記憶がない。何度も標識を
     頼りに峠道のように折れて、やがてやや下がった場所に墓はあった。こんな山の
     中腹にあったとは意外だった。

Img_4040_r Img_4041_r

Img_4042_r Img_4043_r

 8:55 「近藤勇の墓」着。さっそくお参り。手を合わせ黙祷した後、周辺そ写真。右隣に
     は、土方歳三の戒名を刻んだ標識が。墓標と慰霊碑が建ち、左手には彼の辞世
     の句があった。彼は、徹底抗戦を叫ばず、敵の軍門に下り、捕らえられて板橋で
     処刑された。近藤勇の戒名は「貫天院殿純忠誠美大居士」で土方歳三のそれは
     「歳進院殿誠山義豊大居士」と記されてあった。土方は明治2年5月11日没とあ
     り、私箱館戦争で流れ弾にあたって戦死した彼の「土方歳三最期の地」にも2度
     訪れたことがある。ここは山中にあるにもかかわらず、訪れる観光客が多いよう
     で、私が訪問した時は無人だったが、花や線香が備えられ、墓の後方にはフラダ
     ンスのレイがたくさん飾ってあった。血なまぐさい政変の世にあって、戦に追われ
     る日々だったに違いない。結局誰も来なかった。来る途中、近藤と並んで、萱野
     権兵衛の墓250Mとの道しるべがあったので、再トライ。せっかくここまで来て帰
     っては後悔すること必至。獣道のような山道をひとりY字路まで下り、そして標識
     通りに再び中央突破。やがて墓所が途切れ、険しい山道へ。こんな山奥に有名な
     武将の墓があるのか。疑問に思いながら幅1mもないような獣道を100mほど登
     った先に、無数の大きな墓石が綺麗に並べられた不気味な場所にたどり着いた。

Img_4044_r Img_4046_r

Img_4047_r Img_4048_r

 9:04 そこは萱野一族の墓所だった。もしかして賊軍の汚名を着せられ、藩の責任を 
     一手に背負って、切腹したため、墓まで幽閉されてしまったのだろうか。郡長正の
     墓石もあった。20以上の墓が不気味なほど整頓されて同じ向きで等間隔で並ん
     でいる。あまり人目につかず、誰も訪れないような寂しい場所だ。夜には怖くて絶
     対に来れないだろう。墓標に刻まれた名を見ても、どれが萱野権兵衛(長修)のも
     のかわからない。もちろん終始私一人。隠れ家的な場所にひっそり眠っている。
     念のため観音様の写真も撮った。後で、それが彼の墓だと判明した。墓に「大姉」
     「童女」と刻まれた墓も多かったため、ここが萱野一族の墓所であることが理解で
     きた。それにしても墓石のデカさは尋常ではない。祟られないよう、何度も礼を尽
     くし、写真を撮る際は、きちんと声を掛けてからシャッターを押した。帰りは別ルー
     トで下った。たぶん、もう二度と来ないかもしれない場所で、訪れて良かった。テレ
     ビドラマ「白虎隊」では西田敏行が彼を熱演した。

Img_4049_r Img_4050_r

Img_4051_r Img_4052_r

 9:15 もう一度案内図で確認。28年前とは全く違う印象。そして天寧寺発。坂を下りて
     武家屋敷方面から来る道へ合流。その角が家族で食べに来たことがある「奴郎
     ヶ前茶屋」だった。店はまだ開店していない。どこかで味噌田楽が食べられれば
     良いのだが。左折して鶴ヶ城方面へ向かう。何度も走ったことのある道だ。「富士
     通」通りを横切り、風雅堂の前を通過。右側に、会津在住時に健康診断を受けた
     ことがある県立会津総合病院の前へ。何とここは潰れてそのまま放置。鶴ヶ城入
     口を通過。次の交番の先の交差点から右折。私が住んでいた東栄町のアパート
     へ行く道。その右手に会津藩筆頭国家老「西郷頼母邸跡」がある。大きな石碑し
     かない。Uターンして消防団小屋」の前に路駐。
 9:22 西郷頼母邸着。60.3km。ここにはかつて大邸宅があった。そして戊辰の役末
     期、敗色濃厚になり、妻千恵子を始め、娘や母親、親類を含め21名が集団自決
     を遂げ、命果てた場所。手を合わせ、写メ。千恵子の辞世の句「なよ竹の 風に
     まかする身ながらも たわまぬ節はありとこそきけ」も案内板に記されてあった。
     路駐なので、すぐに車に戻り、発車。交差点で信号待ちの際、真正面に鶴ヶ城の
     天守閣が見え、つい写メ。左折してGSから右折。県立博物館の西手、陸上競技
     場、市営プール、鶴城体育館への道。左の駐車場はいつの間にかゲートが設
     置。プールはスタート台設置工事中。その先の勤労ホームの駐車場へ。

Img_4054_r Img_4056_r

 9:25 鶴ヶ城臨時駐車場。61.1km。いったん建物内へ。物故作家名品展を催してい
     た。受付でWCの場所を聞き、入る。その後ヤクルトの自販機で100円のペット茶
     を購入。今回の旅で初めての出費。そのまま徒歩で200m歩き、城内公園へ。途
     中、左に「佐川官兵衛顕彰碑」があった。
 9:33 外堀にかかる橋を渡る。八重の桜の幟が立つ。すると二の丸付近にあるソフト
     テニスコートからボール音が。途中、通路沿いに八重の句を紹介した案内板が建
     っていた。落城の賦として詠んだ「明日の夜は 何国の誰かながむらん なれし御
     城に残す月かげ」の句と、壁に刻んだその模様を描いた絵もあって、足を止めて
     読みいった。そして右に折れ、朱塗りの橋を渡る。石垣の上に天守閣の最上部が
     顔を覗かせる。何度も見た光景。去年も訪ねた。石垣に沿って歩き、左折。本丸
     公園や天守閣へ。前回もいたが、藩士に扮装した係員がいた。さすがに9時台で
     もここは観光客が多い。この赤瓦になって印象が変わった。この後、公園内を何
     度も周遊し、連続写真撮影。天守閣は500円だが、登らず。当時の建物の見取
     り図入りのパンフレットを貰う。団体写真撮影場所。茶屋もあり。公園を挟んだ天
     守閣と対面の片隅に「荒城の月」のモニュメントがある。その先の急な石段を上が
     ると、周囲を取り囲む石垣の上の散策路に上がれる。そこからの城の眺めが最
     高だった。遮るものや邪魔がなく、まっすぐ城を見渡せるベストポイント。月見櫓の
     すぐ脇だ。紅葉した木々ともベストマッチ。お堀に沿って歩いた。やがて、天守閣
     から繋がる櫓から人が出てくる。石段を下りて再び、天守閣の近くへ。ここも写真
     撮影には良い場所。先客のグループがいた。一通り周回し、満足して後にした。
     城を象った可愛らしいデザインのミニチュアの記念写真用のモニュメントがあっ
     た。石垣に沿って来た道を戻る。急な石段を駆け上がってみた。城はもう見えな
     い。そして市営プールの前を通って、勤労センターへ。

Img_4057_r Img_4058_r

Img_4059_r Img_4062_r

Img_4063_r Img_4065_r

Img_4074_r Img_4075_r

Img_4076_r Img_4078_r

Img_4079_r Img_4081_r

Img_4083_r Img_4084_r

10:04 鶴ヶ城周辺発。続いて七日町通りへ向かう。左折して旧若女の前を通る。停車
     中の高速バスをすり抜け、右折して神明通りへ。目抜き通りだ。商店街や中合の 
     前の通りを進み、お世話になったリオンドールを通過し、郵便局の交差点から左
     折。大阪屋の歪な交差点で停車中。左斜め前方に見えた「なつかしの昭和館」の
     店を望遠で狙う。七日町通りは、大正時代を彷彿させるようなレトロやノスタルジ
     ックな店が軒を連ねる。しかし、駐車場がないので、車窓しかできない。蔵作りの
     店や歴史を感じさせる古い木造の老舗も多い。私は大正浪漫の渋川問屋という
     宿に泊まったことがある。シーズンオフだったので格安料金だった。踏切の手前
     には、超懐かしい作りの「七日町駅」があった。一旦停止時、写メ。やはり車窓で
     終わってしまった。すると右側にセブンを発見。立ち寄る。

Img_4087_r Img_4090_r

10:14 セブンイレブン七日町店。本当は味噌田楽を食べたいのだが、店を知らない。
     会津まで来てコンビニおにぎりもないのだが・・・。200円の2個入りおにぎりとカフ
     ェオレで310円。レジめちゃ混み。
      その後、700mほど先でY字路を右カーブ。ここが通称「泪橋」と呼ばれる「柳
     橋」。西軍と激しい戦いを演じた婦人軍がここで奮闘した。ここも駐車箇所なし。通
     過。R252を坂下方面へ走らせる。途中右側に川のほうへ行ける道有り。後で行
     ってみることに。この辺は罪人の処刑場があった場所らしい。会津自動車学校の
     教習コースが右側に現れ、その先に次の訪問地「中野竹子終焉の地」の目印とな
     る「会津天宝醸造」がある筈。するといきなり標識が現れ、急ブレーキと急ハンド
     ルでその細い道へ。その先100m先で行き止まり。右に折れるとそのまま工場入 
     口で、正面に緑の原っぱと中野竹子の全身石像があるのが見えた。
10:21 「中野竹子殉節の地」着。65.6km。ここも誰も観光客はいない。私一人。横に
     長い公園みたいな原っぱに石像と大きな石碑。石像は薙刀を振り上げ、勇ましく
     も凛々しいい姿。赤誠と刻まれてあった。何枚も角度を変えて写真を撮るが、逆
     光。最近こればっかり。ここは、照姫の護衛で一度は坂下に向かった婦女隊だ
     が、会うことができず、城下に戻る途中で戦闘に巻き込まれた。いずれも薙刀の
     名手。この地で、美人として知られた中野竹子(大河ドラマでは黒木メイサが演じ
     た)が敵の砲弾を胸に受け、致命傷を負う。苦しむ竹子を前に、介錯を命じられた
     妹の優子が首をはねたとされる。そして有名な辞世「武士の猛き心にくらぶれば
     数には入らぬ我が身ながらも」の句も案内板に記されてあった。

Img_4092_r Img_4094_r

Img_4096_r Img_4098_r

10:28 中野竹子殉節の地発。泪橋(柳橋)の写真を撮りたくて戻る。教習所の先を左
     折。小さな橋の袂に駐車。川面が見えないくらい小さい川。300m先に泪橋が見
     える。この辺を婦人隊が移動したに違いない。処刑場はわからないが、北西側の
     民家の隣りに石碑があるので行ってみたら、「キリシタン塚」だった。ビビった。す
     ぐに立ち去る。10:33発。R252に戻る。やがてこの道は神指でR49と合流す
     る。これから市街地を離れ、田舎へ向かう。燃料心配だ。若松市内ではレギュラ
     ー150円が多い。ここから坂下町や喜多方市に行くと遠いので高くなりそう。この
     時点で残り4分の1近く。日中ダムまでランプを点灯させずに行けるか。エコ運転
     を励行。サイドにあった仁丹を封を切り一粒口へ。これがビリビリ。ここでMDを入
     れ換えて「コナンの主題歌集」に。倉木麻衣の曲が多い。会津界隈は終始くもり
     空。高速の下を潜り、T字路を左折。越後街道だ。すぐに阿賀川にかかる橋を渡
     る。何度か通ったことがある通り。

Img_4100_r Img_4101_r

10:46 会津平和自動車学校前を通過。その1分後に坂下町内とのY字路へ。左折。
     しばらく道なりに街道沿いの道すがら、右手に「曙酒造」を発見。76.8km。1時
     間程度の時間的な余裕が出来たため、急遽酒蔵見学とシャレこもうと右折。する
     と、玄関の先で道が細くて通り抜けできないし、駐車場もなさそう。社員?の女性
     に見られる。バックで後退し、隣りの酒のケースが積んであるスペースへ。同じ目
     的のアウディもバックで出てきた。やむを得ず、帰りに寄ることに。するとその
     300mほど先には左手に全国的に有名な「飛露喜」で有名な廣木酒造が。

Img_4102_r Img_4105_r

10:54 その路地を入るが、ここも駐車場なしだし、蔵自体が休みっぽい感じ。まずは、
     当初の目的通り、中野竹子の墓がある法界寺を目指す。街中で、右奥にお寺らし
     い屋根を見つけ、町役場から右折。細い道を行ってみるが、違うお寺だった。街
     中を通りすぎ、Uターン。猪俣公章や春日八郎のゆかりの地で、街中にそうした表
     示が。別れに一本杉の歌碑まで2kmという入口もあった。また迷い道。燃料もや
     ばいので、坂下警察署で道を聞くことに。
11:05 迂回して警察署へ。正面窓口にいた女性警察官に「法界寺どこですか」と尋ねて
     もイマイチピンと来ない。奥から若い男性警官が地図を持って丁寧に教えてくれ
     た。町役場近くだが、駐車場がないので、目の前のR49からアプローチし、パチン
     コJUMBOから入ってそこの駐車場から入れば良いと教えられた。すぐに向かう。
     いったん左折して店先を借りてUターン。300m先のパチンコ屋の入口を右折。そ
     のまま奥の広い駐車場へ。法界寺の境内の屋根とお墓が見えた。
11:08 80.5km地点。近い位置に駐車し、そのまま徒歩で境内へ。お経が聞こえる。ど
     うやら法事の最中のようだ。先客がいた。男性が中野竹子の墓に線香をあげて
     いた。ひときわ大きな区画が彼女が眠る場所だ。句碑や墓石、墓標やら女を讃
     え、偲ぶ様々な遺構が建ち並ぶ。門には「中野竹子之墓」の標札と塀にも絵図。
     お堂もあるし、彼女のために詠んだ歌もあった。ここは戊辰の役の女傑とともに、
     一般の檀家の墓石が混在し、同居している。ここ、ここに来て晴れてきた。気温も
     上がっている。逆光なので、保険で5~6枚シャッターを切った。

Img_4106_r Img_4108_r

Img_4109_r Img_4112_r

Img_4115_r Img_4116_r

Img_4117_r Img_4118_r

11:18 法界寺発。たまたま廣木酒造の交差点に出て、信号停車時古くて小さな店構え
     の写真。あれだけ儲けているのに、店はこじんまりしている。そしてその先の曙酒
     造へ。アウディの車はなく、再度酒のケースのある倉庫の前のスペースへ駐車。
11:20 曙酒造着。30m細い通路を歩き、意を決してインターホンを押す。さっき顔を見
     られた女性が出てきた。身分を名乗り、蔵を見学できないか申し出た。どうやら留
     守番の事務職員らしく、要を得ない。社長や夫人は皆、出張中らしい。すると、仕
     込み中のの蔵から体格の良い男性社員が出てきた。同じように身分を名乗ると、
     アポ無しなのに、快く酒蔵内を見学させてくれた。それどころか、案内までしてくれ
     た。衛生上問題があるところや写真撮影ができないところをその都度尋ねた。瓶
     詰めする部屋、貯蔵倉庫、タンク、原料の酒米を同じ分量に振り分ける機械や酒
     袋を洗う機械、仕込み中の建物内、職人さんがラベル貼りを手作業で行っている
     作業場なども見せてくれた。温度管理が行届いている。震災で蔵自体が大きな損
     害を受け、半壊した場所もあったそうだ。15分以上も2つの蔵を見学させてくれ
     た。飛び込みで行ったのに、丁寧な対応に敬服した。時間が余ったとは言え、な
     かなか酒蔵を見学などそうはできない。ここは「天明」と「一生青春」が売れ線。遠
     くは福岡や長崎にも出荷しているそうだ。丁重にお礼を述べ、社長さんによろしく
     伝えることを依頼し、後ろ髪を引かれる思いで車へ。

Img_4120_r Img_4127_r

Img_4121_r Img_4124_r

Img_4126_r Img_4128_r

Img_4129_r Img_4130_r

11:40 曙酒造発。次は、熊野神社にある「長床」を見物する予定。出発後、交差点で
     停車時、ナビを確認してセットしたら、Y字交差点を右折するらしい。確認してよか
     った。まだ燃料は大丈夫そう。残りメーターも1/4を下回っているのによく走る。ナ
     ビの指示通りに進路を取る。R49を西に行き、すぐに右折。県道21号だ。名探偵
     コナンの主題歌集が車内に流れる。阿賀川を渡る。交通量が少ない道を北上。T
     字路を左折。県道61号へ。田んぼの中を突っ切るように西に走り、西田原橋を
     渡り、T字路を右折。県道336号。300m先を左に折れる。何と3台連なって熊野
     神社入口へ。警備係りが誘導。大鳥居の前を左に折れると駐車場。ここは有名な
     のか、観光客の姿が10人以上。

11:53 熊野神社到着。90.9km。休憩所を越えて参拝路へ。社務所で拝観料300円
     を支払う。宝物殿とセットで300円らしい。記念スタンプがまたどデカイ。ノートに
     押したが斜めになってしまった。パンフレットとチケットを受け取る。念のため聞い
     たら写真ダメな箇所は無いとの返答。100mほどの杉林の中の石畳を歩くと正面
     に柱が何本も立つ「長床」。手前には大イチョウの御神木。この長床は、和風の
     パルテノン神殿みたいで、木の柱が建っていて壁はなく空洞。観光客に混じって
     見学。靴を脱いでスリッパに履き替えて床の上を歩く。写真も角度を変えて何枚も
     撮る。他の客が写りこまない工夫。一周してみた。裏手には石段があって、最上
     階に神社が。登って見当たら、三つの社殿があって、
     正面が中央新宮、右が本宮、左は熊野那智という名前3つとも二礼二拍一礼の
     作法で、3つとも鈴を鳴らして手を合わせ、今回の旅の安全を願った。大イチョウ
     は幹の太さが7m80cmもある大木らしい。そして戻る途中、左手の離れにある
     「宝物殿」へ。高校合格を祈願する絵馬が掛けてあった。

Img_4131_r Img_4132_r

Img_4134_r Img_4135_r

Img_4136_r Img_4137_r

Img_4141_r Img_4143_r

12:08 宝物殿建屋内へ。不動明王像、懸仏、法螺貝、宝殊印、牛王板木(県重文)、如
     意輪観音坐像、力士像、獅子、狛犬、阿弥陀如来立像、薬師如来坐像、三十六
     歌仙絵巻、三千仏画像、そして入口には国の重要文化財の銅鉢が陳列してあっ
     た。社務所の前を通り、12:16には休憩所へ。俳句ポストなるものが置かれてい
     た。用紙に記入し投句するらしい。個人情報を探られてくないので用紙のみ持ち
     帰り。奥にWCがあり、休憩所内の壁はポスターだらけ。

Img_4146_r Img_4147_r

12:16 新宮熊野神社発。細い道を100m戻り、左折して県道336号へ。次は23年振り
     の訪問となる「日中線記念館・熱塩駅」だ。会津在住時に鉄道オタクの大学時代
     の友人が横浜から訪ねてきた際、彼の愛車「フェスティバキャンバストップ」でドラ
     イブがてら訪ね、それ以来の再訪となる。できればその後、日中ダムにも足を伸
     ばしたいが、燃料が持つかどうか微妙。新宮城跡駐車場と書かれた場所を通過。
     昼時なので、「喜多方ラーメン」でも食べたい。多分3連休なのでどこも混んでいる
     だろう。それに市街地を通らず、郊外を抜けるため、道すがらそうやすやす店が
     登場しないだろう。慶徳で右折し、県道16へ。川を渡り、只見線の高架橋を越え
     る。喜多方市街の外れを進む。
12:28 道路沿い左に、閉鎖された病院のような建物とその後ろにグラウンドを発見。ナ
     ビで確認したら、廃校となった喜多方商業高校だった。桐桜高校に統合されたの
     だった。直後に右にカーブし、交差点を左折。
12:30 R459へ。市街地から遠ざかるように北上。ラーメンは無理。
12:33 右側に「会津ほまれ」の工場。唐橋ユミアナウンサーの実家だ。喜多方の醸造
     元の令嬢だった。曙酒造や廣木酒造とは異なり、工場で、かなりデカイ。病院の
     前を通過。GSメーターとナビの目的地までの残り距離を気にする。山の上にある
     日中ダムでガス欠になったら帰って来れない。かといってこんな田舎での給油は
     高くつく。快晴青空になった。周囲の景色は山々に。かなり紅葉が進み、綺麗。後
     方からバイクが2台追い上げてきたので、ウィンカーを出し、先に行かせた。そう
     いえば、本日、随分ツーリングバイクを見かけた。ポカポカ陽気になってきたの
     で、3連休と紅葉シーズンも重なり、今年最後のバイクだろう。熱塩村の集落へ。
     やがて「日中記念館」左折の標識が現れ、左折。僅か50m先に駅舎があった。

Img_4148_r Img_4149_r

12:42 日中記念館熱塩駅着。ここまでの走行距離は105.6km。まだ給油ランプは点
     灯せず。これなら郡山まで持つかも?懐かしい光景。先客が5~6人いた。廃線
     マニアか?人気スポットになっている。駐車場にも4台あり。駅舎は記念館として
     保存されているが昔のまま。ここの駅長さん役らしい方や、ホーム跡で商売をして
     いるお母さんがいた。そして訪問客のちびっ子が、線路があった草っ原で3台つな
     ぎのカートに乗せられて周辺の広場を数往復していた。駅舎の中は、改装され、
     綺麗になっていた。まず待合室が喫茶室みたいになって、美しい木の横長のテー
     ブルがあり、それを囲むように長椅子。ここで談話できる。雑誌や各種パンフも置
     いてある。コーヒーサーバーもあるが、豆代は寄付方式。旅のノートがあった。早
     速23年振りの再訪を記入。スタンプも押印。パンフを貰う。実名は回避。この駅
     舎は廃線となり、今年夏に再訪した上砂川駅に雰囲気が似ている。其の隣の部
     屋には展示コーナーで、昔の券売機やガラスケースに入った駅帽、閉塞装置の
     輪、駅のプレートや列車マークなどもあった。これほど整備されたとは。改札から
     出て、ホームの写真を撮り、かつてレールがあった地面に降り、北側に保存され
     ているディーゼル機関車(ラッセル車)と客車を見物。階段が設置され、自由に乗
     り降りできる。もちろん機関車と客車の両方を往来。古い客車。10日前に鉄道博
     物館を訪れたばかり。気温は13℃まで上がり、無風で穏やかな日和。日差しが
     あってポカポカ。次はいつ来れるだろうか。

Img_4150_r Img_4151_r

Img_4152_r Img_4153_r

Img_4156_r Img_4158_r

Img_4159_r Img_4161_r

Img_4162_r Img_4164_r

Img_4165_r Img_4166_r

Img_4167_r Img_4168_r

12:55 日中記念館発。R333に戻る際、タッチの差でシルバーの車に入られた。この車
     が40km/hのマイペース走行でとろい。ここから日中ダムはえらく遠い印象で、山
     登りすると記憶していたが、3kmと意外と近い。これならガス欠は回避できそう。で
     も前の車がノロい。ほどなく前方に巨大なダムの岩の壁が姿を見せた。ダムの方
     向へ右折したら、前の車も右折。イライラする。業を煮やし追い越しをかけたら、
     その先で急にウィンカーを右にだし、発電所方面へ右折しようとした。慌ててクラク
     ションを鳴らして回避。細い曲がりくねった峠道を1kmほど進むと、日中ダムの真
     上に繋がる駐車場へ。

13:00 日中ダム到着。109.9km。先客2~3台。公園の記念碑には「ひざわこ」の文
     字。水かさが少ない。周辺の山々は木々が色付き綺麗。ちょうど紅葉の見頃だ。
     静かな湖面。静寂。取水塔、500m先に吊り橋。23年振りだがその時は工事の
     真っ最中で、水は無かった。これを作るために民家が湖の底に沈んだ。複雑に入
     り組んで奥まで続く湖岸線。周囲の山々は黄色、橙色、赤、緑に色付き、それは
     それは見とれる美しさ。秋の深まりを感じる。全く寒さは感じず、ポカポカ陽気。ダ
     ムの真上を散歩。今日は車も開放し、向こう岸まで行けたが、この陽気に釣られ
     て敢えて歩いてダムの上を真ん中まで歩く。対面の吊り橋の見える範囲が広くな
     る。このダムは垂直ではなく、山の斜面のように傾斜があって、しかもゴツゴツし
     た滑りにくい岩で作られてあるので、降りようと思えば湖面まで降りられる。反対
     側は恐ろしい光景。50mほどの高低差があり、発電施設が点在。こちらも斜度が
     あるので、下まで行けないことはない。綺麗な景色に見とれて何枚もシャッターを
     切った。今日だけで200枚は撮っているだろう。湖面は深い緑色。私の真似して
     老夫婦も渡り出した。

Img_4169_r Img_4170_r

Img_4171_r Img_4172_r

Img_4176_r Img_4174_r

Img_4175_r Img_4177_r

13:09 駐車場を出発し、続いて車で吊り橋の方へ。湖の西側の縁を回り込むように道
     路がある。林道らしい。すれ違えない細い箇所もある。1kmほど行くと、右に折れ
     ると吊り橋(日中大橋)だが、直進方向は崩落のため通行止め。通行止めの路肩
     に駐車して、吊り橋を徒歩で渡る。頑丈そうで大きな吊り橋。これも中央部分まで
     歩いて、時々下を覗き込む。水量が少ないので水面が低いために結構高い。自
     殺者と間違われないか。ここで地震が来たら相当怖い。北側の上には、R121
     (大峠道路)の赤い橋。トンネルの入口も見えた。吊り橋の向こう岸に別の車が停
     車。歩いて見物を始めた。すぐに退散。車を切り返し戻る。途中の路側帯に停車
     して再度違う角度での撮影。ランプの不安に駆られ猛スピードで戻る。今回は行
     った来たりが少ないせいか、車酔い症状はない。       

Img_4179_r Img_4180_r

Img_4181_r Img_4187_r

Img_4184_r Img_4188_r

Img_4189_r Img_4192_r

13:20 R333に復帰。BGMはコナン特集。交差点で停車中ナビを次に向かう「日新館」
     周辺にセット。R121と交差するセブンイレブンの交差点から左折(13:26)。給
     油ランプつかず。省エネ運転を励行。交差点ではエンジンを切り、アイドリングスト
     ップ。喜多方市内を経由しないが、信号が多く、何度も停車。郡山までガソリンが
     持つか?結局、昼食抜き?喜多方ラーメン食べたいが、店が出てこない。旅に出
     ても、あまり食物には固執していない。学生の頃から安上がりだ。喜多方市街地
     の東側の外れを走行。しかし、ここで凡ミス。R121で交差点で左カーブするはず
     が、直進レーンにいたら、そのまま自動車専用道路に入ってしまう。一応無料だ
     が、目指す方向から離れてしまう危惧。また迷って遠回り?ガソリン無いの
     に・・・。
13:43 3kmほど行って塩川ICで下車。高崎ナンバーのCoop Busの後ろに付き、左折し
     て県道61に入り、線路を越えて1kmで右折してR121に復帰。結局遠回り。距離
     とタイムロス。無駄走り。しかし、この前のバスが曲者。超のろのろ運転で、イライ
     ラ。これを先頭に長い数珠つなぎ状態。50km/h道路をゆっくり走る。その後、妨
     害するかのようにずっと同じルート。左折して県道7号へ。ずっとイライラ運転。青
     空のため、進行方向に磐梯山がくっきり。ここでMDをいろいろ探り、ZARDを発
     見。BGMとしてかける。しかし、10日前、墓参りしたものの、彼女の声を毎日聴い
     ていたが、とにかく切ないし、彼女の死を未だに受け止められない自分がいる。運
     転しながら感傷に浸る。ランプこそつかないが、金も使いたくないし、くたびれたし
     で、次の日新館訪問をこの時点でキャンセル。R49を経由しないので、帰りに強
     清水で天ぷらまんじゅうを土産にする案も立ち消える。このまま県道7号を突き進
     む。磐梯山が近くなる。

Img_4195_r Img_4196_r

14:00 道の駅磐梯の前を走行。やたら車が多く、賑わっている。実はこの日放送の「サ
     タふく」で植木安里紗」がドライブしてここを訪れていた。磐梯町で大渋滞にハマ
     る。マジガス欠心配。300m先工事中の看板。これが原因かと思ったら、両側が
     狭くなっているだけで、片側通行ではない。信号のタイミングが悪く、自然渋滞だ
     った。工事用の黄色のガードレールの模様が笑える。いろんな絵柄があるよう
     だ。それにしても前のバスは邪魔。やがて真横に磐梯山が。斜面も紅葉して綺
     麗。あちこちで車が路駐して、カメラを向けている。右折して翁島駅方面へ。する
     とそのバスまで右折。やってられない。踏切を渡る。8月7日のミステリー探検以
     来、3ヶ月振り。あれから3ヶ月の間にいろいろな出来事があった。被災地、東京
     旅行など。そして「翁島ペンション」の入口となる鉄塔が・・・。
14:15 今回は趣旨が違うので「翁島ペンション」には立ち寄らず。通過する際に写メの
     み。しつこいバスが、西久保交差点からR49に入るのは間違いないので、高速下
     を通過後、左折して田んぼの中を横切り、右折左折を繰り返し、R49へ。

Img_4198_r Img_4200_r

14:17 R49復帰し、何とかバスをやり過ごす。しかし、野口記念館の前で、バックミラー
     で確認したら、そのバスは世界のガラス館へ入っていった。無理する必要はなか
     った。走行中に磐梯山の写メ。どうやら帰宅するまで燃料は持ちそう。一度もラン
     プつかず。すでに160kmも走ったのに。底なしだ。


14:20 白鳥浜。気温は何と16℃まで上昇。車内では暖かい。無風で穏やかだった。前
     の2台繋がる引越センターのトラックが遅い。追禁解除で一台をパス。ライダー多
     い。志田浜のセブンにもツーリングライダー5~6人が溜まっていた。
14:28 志田浜。ここに来てもランプつかず。161.6km。車が多く、のろのろペース。40
     ~50km/hだ。
14:34 中山トンネル。先頭の軽トラがとろくて長い車列。こういうのは責任を感じていな
     いし、自分が渋滞を作っているという認識がないタコ野郎だ。1kmもの渋滞の発
     端。
14:43 熱海トンネル。17℃に上昇。
14:54 トライアルに立ち寄り買い物。駐車場一杯。182.1km。手巻き寿司などほとん
     ど売り切れ。298円の味ご飯弁当とアンパン、チーズたら2つ、まるごとソーセー
     ジパンなどで634円。15:00発。会津街道、前の軽自動車もとろい。車間距離
     かなり開けてとろとろ運転にイラつく。BGMは大好きな「心開いて」。最後の踏切
     で、ヤマダ方面から荷台に牛のマークのある軽トラが出てきて、割り込まれないよ
     うに猛ダッシュ。わざと時間をかけて、ピタッと停車。すると右手の小さな公園の前
     に、ミニパトが隠れて監視。イヤラシイが、咄嗟に完全停車して良かった。ここに
     来て青切符はシャレにならない。

15:08 帰宅。187.5km。

 <費用>

 ペット茶 100円 コンビニ  310円  拝観料  300円  トライアル 634円

 合計  1,344円

 後記

 NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送を記念して訪れた会津の旅。当初は予定になかった酒蔵見学まで入り、日新館は残念ながらキャンセルしたが、ほぼ諸般の計画は達成できて満足。紅葉も綺麗だったし、一日、穏やかな日和で11月だというのに寒さを感じない陽気だった。唯一の反省点は、やはり出発前に満タンにしておくべきだった。旅行中に気がかりで、安心して旅行を楽しめない側面があった。実は、この2日後には、足尾銅山鉱毒事件で一躍名を馳せた「田中正造」の没後100年にあたり、先輩同僚と群馬県館林市に旅行する予定だ。2013年は旅行プランが目白押しだ。

    

« CMの彼女⑥ | トップページ | 歴史に触れる旅 ~田中正造編~ »

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« CMの彼女⑥ | トップページ | 歴史に触れる旅 ~田中正造編~ »

福島県の天気


無料ブログはココログ