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2013年11月 4日 (月)

歴史に触れる旅 ~田中正造編~

 昨年のGWに職場の先輩同僚と栃木県の「谷中村」の遊水地を訪ねた。そこは歴史に名を残す「足尾銅山鉱毒事件」の舞台となった場所だ。時の明治天皇に直訴し、その生涯をかけて現状と改善を訴えた地元政治家が田中正造だった。未だに原発の汚染水問題など、いっこうに収束しない一連の原発事故に苛まれている福島県民にとってみれば、東電や国による隠蔽工作や国家権力で覆い隠そうとする策略が見え隠れし、何か明治時代と現代とがオーバーラップして見えてしまう。
  そこで、今年、彼の没後100周年にあたり、群馬県館林市の「田中正造記念館」が移転して新装開館することになったのを契機に、彼の功績を称える意味と、佐野市の吉澤美術館で催されている、彼の特設展を見に行こうと先輩同僚に誘われたのが重なり、今回の旅路を決意するに至った。

 では決行日の11月4日(月)の模様を記載したい。

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 11月4日(月)文化の日の振り休 くもり→晴れ→雨→くもり

 6:35 起床。余裕をかましてPC作業をしていたら、8時に迎えに来る予定が、17分も
     早くに呼び鈴が・・・。慌てて着替えて準備。
 7:47 自宅発。今回は同僚のクラウンでの往復。私は助手席で専らナビ担当。
 7:56 郡山ICから高速へ。空いている。上空はどんより曇り。路面はウェット。80規
     制。先輩同僚は安全運転。100km/h前後をキープ。気温は13℃。いろんな話。
 8:14 矢吹IC。小雨から雨に。場所によって雨雲垂れ篭める。
 8:21 白河中央IC。降ったり止んだり。
 8:29 那須高原SAへピットイン。ハイカラ移動販売車。レストハウスも綺麗。
      売店でサンドウィッチ(300円)、鮭おにぎり130円、お茶145円。計575円。
      ハイウェイウォーカー無し。8:41発。首都圏ナンバー飛ばしすぎ。
      暗雲地帯通り越し、やがて晴れ間。早く出発したが、飛ばさないので時間かか
     る。冷房効きすぎてざわざわ。悪寒。
 8:50 黒磯板室IC。ふたたび雨。
 9:04 矢板氏家IC。9:07鬼怒川の橋を渡る。水量少ない。オービス2つ。
 9:13 宇都宮IC。3車線に。スイスイ。3連休のUターン渋滞は午後。
 9:20 鹿沼IC。自衛隊車7台連なる。
 9:32 栃木ICで降車。ETCで1,800円。左折して県道32号へ。見通しの良い直線4
     車線道路。50ペースでも遅く感じる。感覚麻痺。ばんどう太郎という和風レストラン。
     黄色のハイカラ小学校。
 9:37 ファミマの交差点から左折。葛生方面へ。R293。急に田舎道へ。山間の一本
     道。右に時計台が立派な寺南小学校。トンネル内で佐野市へ。山を切り崩した採
     石場点在。空明るくなる。石切場多く、石灰の文字。突然、プラント工場街へ。
     左に住友大阪セメント。デカイパイプやタンク類。重々しい雰囲気に興奮。青藍泰
     斗高校あり。葛生市街地へ。「吉澤記念美術館」の標識出てくる。小さな町だ。
     県道123号へ。左折して突き当たり学校をクランク状に左折右折。
     左に小さいが綺麗な作りの美術館。右奥に駐車場。車3台のみ。貸切?
     その周辺は化石館と伝承館が密集。

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 9:49 吉澤記念美術館着。ここで「田中正造をめぐる美術展」を期間限定開催。
      先輩を先に行かせ、外観の写真。とても綺麗で新しい美術館。こんな田舎に何
     故こんな立派な美術館が?受付で入館料500円を支払う。チケットとパンフをい
     ただく。WCも綺麗。先客ひとり。ほとんど貸切状態。写真撮影は不可。でもパンフ
     にほとんどが掲載。第1室~第3室。塚原哲夫作の田中正造の肖像画や小口一
     郎作の版画、川俣事件や明治天皇への直訴の場面などが作品として展示。
      第2室は併催として「板谷波山」の没後50年の展示。焼き物が主流。香炉や青
     磁帯留、茶碗、彩磁草花文水差など。個人で収集したとは思えないコレクション。
      第3室は、「田中正造をめぐる美術」。丸木俊作の「足を銅山鉱毒の図」は鬼気
     迫るものを感じる。骸骨や乳の出ない母親が子供におっぱいを与えている絵など
     衝撃的。ゲルニカのよう。時代風刺も露骨で写実的で生々しく凄まじい。田中正造
     の人生訓「毒流す わるさやめずば 我止まず 渡らせ利ねに血を流すとも」。
     「真の文明は山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし」。そしてこれま
     た鬼気迫る絵図8枚。骸骨。また最後に「伊藤若冲」筆の重要文化財指定「絹本
     著色菜蟲譜」一巻が横長で掲示。これは写しだった。ガラスケースには、鉱毒に
     やられた薬草類が瓶詰めされて多数陳列。
      見学を終え、受付へ。アンケート記入。来館記念のスタンプ押印。WC。
     同僚は図録や絵葉書を購入。田中正造への思い入れが違う。足尾銅山鉱毒事
     件の関係各所を歩いた案内本「田中正造と足尾鉱毒事件を歩く」がとても見やす
     くてガイドブックとしては最適。1,500円で随想舎から発売。パンフや佐野市の
     ガイドマップなど資料を3~4枚貰う。

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10:50 美術館を出る。庭の通路の下がコンクリの池で鯉が泳ぐ。時間があるので、駐
     車場の隣の「傳承館」へ。案内板で「祝い掛け軸展」を開催中。無料なので立ち寄
     る。受付でどこから来たかを告げる。まずスタンプラリーの押印。大漁旗を小さくし
     た、カラフルな絵図(掛け軸)が多数展示。入口には牧歌舞伎の模型。演題は「安
     達原の鬼婆」だった。広い部屋は薄暗い。写真はダメ。歴史の代表的な人物や出
     来事を色とりどりの美しい描写図という印象。加藤清正と豊臣秀吉、牛若丸と弁
     慶、宮様のご成婚、祝言などがテーマになっている。人形浄瑠璃、戦の絵、地芝
     居、お染と久松の人形、郷土かるた、吉澤人形首などがケース入りで陳列。着
     付、打掛などの着物や帯なども掛けてあった。外の壁に壁画が描かれていた。

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11:05 吉澤記念美術館・傳承館発。東武鉄道の線路沿い。葛生駅前を廻る。踏切を横
     切る。県道144へ。交通量少ない。次は「道の駅田沼」で早い昼食。それは国道
     293号沿いで、一本東側を走行。やがてT字路(吉永新田交差点)を右折。立体
     交差の高架橋をアップダウンしたら、ちょうど進行方向右斜め前に「道の駅」が現
     われた。イベントか?巨大なラーメン丼形のエアトランポリンのモニュメント。駐車
     場満車。探して北第2駐車場側へ。ここはレストハウスに近い側にスペース有り。

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11:24 「道の駅田沼」着。遊具(豆汽車)や足湯もある。店内は人だかり、全国ラーメン
     フェアや清原がここを訪れた映像やアド街で取り上げれたVTRを流していた。
11:30 店内を見回った後、中華は苦手だが、「花と華」という中華料理レストランへ。ガ
     ラ空き。落ち着く。先輩は海鮮汁ラーメンとギョーザ、私はカニチャーハンセット
     (半麺とサラダ、点心、杏仁豆腐のデザート付き)で1,030円を注文。到着時は
     ガラガラ店内も徐々に増え、食事終了時は7割は埋まる。ちぢれ麺で味が薄い。
     胡椒回して振りかける。食べごたえあり。ギョーザ2個貰う。会計はまとめて私が
     立替え。2,730円。5千円札を崩す。再来する見込みがないのに「どまん中カー
     ド」を貰う。

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12:11 道の駅田沼発。方位磁石使う。クラウン、ナビないので昔の地図を広げて確認。
     日差しが出てきて暑い。上着不要。次は、いよいよ今回のメインの「田中正造記
     念館」。館林市にある。佐野市を縦断して向かうことになる。R50からR7へ。
     途中、何度も「佐野厄よけ大師」の看板。なんでも関東三大厄除け大師のひとつ
     らしい。あとは小塚大師(千葉)と川崎大師。 
12:26 渡良瀬川を渡る。左側に巨大な「カルピス工場」。先輩はここから先は行ったこと
     がないそうだ。カルピスは夏の定番だったが、最近は見なくなった。館林の市街地
     へ。標識を見つけ、市役所の交差点を右折。ここを直進すれば館林駅に突き当
     たる通りだ。しかし、ここから大手町に移転する「記念館」が不明。右折して路地
     に何回も迷い込む。足利銀行など3つ銀行が並ぶ通りから右折したり、第二小学
     校付近をうろうろ。すると交差点に「田中正造」と書かれた腕章をしている係員
     が・・。またいったん周回して、再びそこに戻り、訪ねたら、直進して市役所の向か
     いの南面駐車場だという。そこでまた別の交差点にいる青い幟を持った係員に聞
     いてくれと言われた。市役所や図書館や三の丸ホールなど公共施設が密集。
12:45 駐車場到着。そこから徒歩。館林酒販会館なる建物あり。交差点まで来ると、右
     側にブックオフがあって、その路地に青い幟。交差点を渡って右折してそこへ。ま
     ず、時間調整で、吉澤記念美術館で見かけたガイドマップ本がないか探す。2Fは
     マンガ。そしてZARDのCDが250円均一で置いてあった。しかし、買わず。13:
     00過ぎにブックオフを出て、会場に向かう。目の前がおしゃれな和風カフェ。移動
     販売車がアイスを売っていた。その先の昔ながらの長い立派な塀が繋がる場所
     に、これまた立派な屋敷風の門があり、そこが移転した「田中正造記念館」だっ
     た。NPOがすべてボランティアで運営している。
13:03 田中正造記念館着。入口に受付テーブル有り。準会員の先輩は入れるが、私も
     入れるか。すると一般受付で記名し、郡山の住所を記入。そして本日のパンフや
     資料を受け取る。準会員者はCD付きだった。内部は、古民家の屋敷を改装した
     ような造り。聞けば、市に無償で寄付提供した市民からの土地と家屋を有効利用
     したらしい。この日のセレモニーに集まった市民やボランテァ、お偉いさんなど30
     名ほどがいた。庭に設けられた特設会場。敷き砂利に置かれた40脚ほどのパイ
     プ椅子の前から3番目の真ん中に陣取った。玄関口には田中正造の肖像写真を
     巨大タペストリーにして掛けてあった。また、縁側では5~6人の市民フォークグル
     ープがアコースティックギター、ベースなどで生演奏。グループ名は「ウッドランド
     (館林)リンギング」。隣りがマンションなので、住民はうるさいだろうに。でも名曲
     を綺麗なハーモニーで歌っていた。オリジナルソング「ふるさとの風に吹かれて」
     は素敵な歌だった。誰も拍手しないので、きっかけを自分がしてやった。何度か断
     続的に演奏。待ち時間を有効活用。するとテープカットの時間となり、いったん門
     の外の道路に移動。

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13:25 一般車両の通行を遮り、2人の来賓がカット。天気回復で晴天に。上着なしでも
     暖かく、寒くはない。ケーブルTVや読売、毎日、地元(上毛・下野)の記者などが
     多数詰めかけ取材。もしかしてまた新聞に載るかも。一般来場者は40名程度。
     13:30過ぎよりオープニングセレモニー開始。来賓は5名。全員が挨拶。まず針
     ヶ谷理事長が挨拶。原稿なしで話が上手い。続いて安楽岡館林市長本人が原稿
     丸読みで挨拶。次の難しい表情の岡村一男市議会議長、松本県議、そして若手
     県会議員の須藤和臣県議が上手い挨拶。来賓たるものこうでないといけない。
      すると、本日急にスピーチを依頼された、早稲田大学名誉教授の安齋氏が15
     分も話。山本太郎が天皇に手紙を渡し、原発問題を直訴した件で、下村文科大
     臣が彼を「けしからん」とたしなめた一件について、怒っていた。文科大臣たる者、
     歴史認識を持って職務を遂行すべきだと憤慨。「彼(山本議員)を批判すること
     は、明治天皇に直訴を試みた田中正造翁を批判しているのと同じで、国家権力
     の横暴の何ものでもない」と憤っていた。福島民報社に最近寄稿し、新聞に掲載
     された。それを読んだ郡山の方が今日来ていると紹介。私らではないと思うが。   
     来賓の方々は、声を揃えて田中正造を「田中正造翁」と敬意を表して呼んでい
     た。
      その後、病院から駆けつけたという布川了氏が記念講演を30分、老いぼれ風
     のじいさんだったが、肩書きは「名誉館長」。彼が田中正造の生涯と彼の性格、功
     績を切々と面白いエピソードを交え、独特のユーモアで時に笑いを誘いながら講
     演した。彼は入院して初めて、田中正造も体験した「病院と牢屋では人間は平等
     である」ことを痛感したそうだ。肺に2Lも水が溜まり、車椅子で話をしたが、話し出
     すと話術に長け、元気が出たようだ。88歳で、ガンであることを自らが公表。もし
     かするともうお目にかかかかれないかもしれない。講演中、隣りに付きっきりで夫
     人が、彼をずっと優しく見守っていた。彼の顔や表情をしっかりと目に焼き付けた
     い風だった。彼自身は、田中正造翁の功績を後世まで語り継ぐことを切望してい
     た。人生知を悟った素晴らしい講演だった。
      その後、桑田郁子女性理事長が、含蓄ある御礼を述べた。館林の方は、いず
     れも弁舌が立つ。田中正造もまた、言葉は悪いし、すぐにキレる正確だったが、
     演説が上手く、グウの根が出ないほど誰も反論できなかったのも合点がいく。喜
     多方・石川町のNPO運営の資料記念館のモデルケースになるので、是が非でも
     成功させたいと語っていた。

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14:35 セレモニーが終了。あまり時間がないので、いの一番で建物内を見学。玄関で
     はなく、縁側から入場。袋に外履きを入れて、順路に従って壁やパネルに貼られ
     た資料や展示物を見て歩く。先頭だったので、弁舌が立つ女性理事長が解説で
     付いてくれた。印刷物は3枚いただいた。①~⑩まで彼の活動を年表順に掲示し
     てあった。この資料は旧記念館と全く同じ。彼は子孫が無く、あまり証拠や資料を
     残していない。だから遺品や「足尾銅山事件」に関する物的証拠も残していない。
     NPOや研究者が手作りで残した資料が多い。私も田中正造の思想や事件を後世
     に伝える契機としたい。
      建物の中は、パネルがある部屋(企画室)と、その隣りがガラスケースの入った
     彼の手紙や書簡などの陳列スペース(展示室)。そして図書スペースと庭に分か
     れている。土地が200坪で、建坪も48坪有り、旧記念館の4倍のキャパがある。
     写真撮影はOKだということで、あちこち撮りまくった。

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15:10 出発。隣りはマンションだが、不思議なことに、屋敷の瓦屋根作りの塀が、マン
     ション内まで続いていた。マンション経営者の土地?駐車場まで徒歩。寒くない
     が、日が傾いてやや涼しくなる。外でのイベントだったが、穏やかな日和で何より
     だった。途中、先輩と離れ、市役所界隈がこんもりした林を散策。そこが館林城
     跡で、石柱にそう刻まれてあった。さて、初期の目的を達成。あとは帰路のみ。時
     間が経つのが早かった。

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15::21 駐車場出発。くもり空。右折して来た道を戻る。カルピス工場を右に見て、渡良
     瀬川を渡る。高電線の鉄塔が並ぶ。変電所あり。
15:30 真上を横切るR50に入るのに、田島高架橋で右にカーブして合流。小山方面
     へ。一般道なのにオービスあり。暗い雲。小雨がぱらつく。
15:33 佐野藤岡ICへ。ETC通過。去年のGW時はここで高速を降りた。上り線は渋滞。
      ノロノロ運転。3車線道路。下り線は渋滞はないが車が多い。90ペースでゆっく
      り運転。眠気覚ましにガムを辛い頂く。
15:43 高速オービス。進行方向に暗くて分厚い雲。一瞬横に稲光の閃光。左側のにし
     の空は明るく日が照っている。睡魔が襲う。
15:49 栃木IC。本降りに。ハイドロプレーニングやりそう。80~90km/h走行。
15:55 都賀西方PAへ。雨の中ダッシュでレストハウスへ駆け込む。マジ食堂で夕食摂
     りたい。缶コーヒーBLACK140円、アンパン136円。計276円。下関の中学生の
     合唱ドキュメンタリーをTVで見て雨が弱まるのを待つが、土砂降り。ダッシュで車
     へ戻る。
16:07 都賀西方PA発。西の空は晴れ間。ここ一帯だけが激しい雨。
16:16 鹿沼IC。小雨に。峠を越す。対向車線渋滞。日光いろは坂の紅葉帰りの車列
     か?
16:22 ループコイル式オービス通過。
16:23 宇都宮・日光IC。路面は濡れたまま。二車線に。
16:29 上河内SA。80~100km/hペース。先輩超安全運転。走行車線から動かず。や
     っと路面がドライに。薄暗くなる。
16:32 鬼怒川を渡る。16:34 矢板氏家IC 気温14℃。
16:46 那須塩原IC。睡魔襲う。16:50黒磯板室IC。左上に廃墟レストラン白鳥。
16:55 那須IC。かなり薄暗い。なかなか遠い。残り距離減らず。
17:05 白河IC。17:19 矢吹IC。気温は13℃。この時期にしては暖かい。眠い・・・。
     先輩超安全運転。70~80km/hペースでゆっくり。決して追い越し車線行かず。
17:28 須賀川IC。郡山南ICから7kmもある。郡山の西を大きく回り込む。助手席座りっ
     放しで腰痛い。もうこの時点で暗闇。車間距離取らず前車を煽るDQN多い。
17:41 郡山IC降車。ETCで2,000円。R49合流、インター線、テニスコート手前左折。
17:48 自宅到着。走行距離は347km。高速代、ガソリン代は翌日割り勘。
      写真撮影枚数は60枚。

 <費用>

 高速代    1,900円     飲食費 1,881円(575円+1,030円+276円) 
 ガソリン代  2,807円     入館料   500円

 合計      7,088円    

 <後記>

 翌5日には、ネットの上毛新聞のオンラインニュースに写真入りで記事が掲載された。私の先輩同僚がちゃっかり写真付きで載っていた。そして、帰宅後、今回同僚と一緒だったから行けなかったが、足利界隈に再訪し、ぜひ森高千里の「渡良瀬橋」の歌詞に登場する場所を歩いて巡りたいという気持ちが芽生えた。隣町の館林市や佐野市まで足を伸ばしたのに、全然この考えは浮かばなかった。これでまた旅のプランが組めるし、旅に出る口実ができた。八雲神社が昨年12月に火災で焼失してしまったのが残念でならない。年内の実施は難しいが、ぜひとも実現にこぎつけたい。もしかすると、そのまま東に平行移動して、村下孝蔵の墓参りも同時開催するかも。

 追記

 田中正造記念館移設の際に、記念講話を行った「布川了」さんが、私がお目にかかった日から僅か23日後の11月27日に88歳でお亡くなりになりました。ここに謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌

  

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