裏方なのにテレビで脚光を浴びた人たち
以前、「異色のおじさん芸人」という記事を執筆して当ブログに掲載したところ、今でも多くの方がアクセスしてびっくりしている。芸能界とは不思議なところで、例え犯罪に手を染めた人でも、容易に復帰できてしまい、世間一般の法規範や概念、あるいはモラルが通じない特異分野のような気がする。それをいとも簡単に許してしまう社会通念や今の感覚もどうかと思うが。流行り廃りが激しいこの世界で、話題性があって珍しければそれで脚光を浴び、テレビのレギュラーにまで抜擢される世界である。それが例えば本来、タレントや芸能人を陰で支えるスタッフや裏方であってもだ。今日は、そうした方々に焦点を当て、芸能人でもないのに売れてしまった方々を紹介したい。
1 石井光三
東京都出身のタレント・芸能プロモーター 。また、自分の名前を冠した芸能事務所、石井光三オフィスの会長(前社長)でもある。
幼少から子役や端役をこなすも突如裏方に転身。芸能マネージャーの中においても、タレントの売り込みのための押しの強さ、挨拶のやかましさなど、彼の強烈な個性は業界内でもインパクトが強かった。そのため、内輪ネタとして所属タレントのラサール石井に『オレたちひょうきん族』などでものまねされ(『ひょうきん族』では1985年頃から)、一般視聴者にもよく知られるようになる。東京出身であるにもかかわらず、関西弁を使うことでも知られる。かつて松竹芸能に所属しており、1977年に独立したため。放送局の仕出し弁当が大好物で、『ひょうきん族』では石井社長に各局の弁当を当てさせるクイズを行なったことがある。とにかく元気がよく、営業向きで、バイタリティの塊である。現在82歳。
http://www.youtube.com/watch?v=l5bjbcgwshQ
2 太田光代
芸能事務所「株式会社 タイタン」の代表取締役社長・芸能プロモーター、タレント。夫は太田光(爆笑問題)。 かつては本名(松永 光代)で活動していた。血液型はB型。
吉本興業などの大手事務所の芸人が主要な昨今に無名時代の太田光を支え、個人事務所社長として手腕を振るう。爆笑問題が干されていた時期に、どちらも下戸である爆笑問題に代わって、お笑い番組のディレクターやプロデューサーを積極的に接待し、「爆笑問題の漫才を見てやってください!」と土下座するなど、熱心に営業活動をしていた。
2009年、バラエティ番組『魔女たちの22時』(日本テレビ系)に「女性企業家のスペシャリスト」として初期にレギュラー出演していた。現在49歳。
http://www.youtube.com/watch?v=69-HoO76gzY
3 日景忠男
日本の実業家。芸能プロダクションJK プランニング元社長。美少年評論家。俳優の沖雅也の養父。東京都出身。
台湾人の父親と日本人の母親の間に生まれる。実家は台湾の大病院で、裕福な少年時代を過ごし、台湾の大学を卒業後、東京大学大学院に進学。その後は就職もせず、親の仕送りでゲイバーを開いたりと、本人曰く「放蕩息子のような生活を送っていた」。
ある日、ひょんなことから役者志望の青年(後の沖雅也)と出会い、間も無く共同生活を始める。彼の夢を叶えるべく、プロダクション・JKプランニングを設立。1975年、沖の実父の逝去に伴い養子縁組、養父となった。当時は現在と異なり、同性愛者は完全に奇異の目で見られていた時代であり、生まれながらのホモである日景は、自分は沖の黒子だと言い聞かせ、裏方に徹した。しかし、沖雅也が京王プラザホテルから投身自殺し、マスコミに登場して、その風変わりな容姿に世間の関心は集中した。
沖の死の翌年である1984年には著書『真相・沖雅也』を発表。この本では自身の生い立ちやセクシャリティについての悩み、沖との出会いから別れなどを赤裸々に綴っている。この頃から、それまで隠してきたホモキャラを前面に押し出したタレント活動を開始した。現在77歳。
http://www.youtube.com/watch?v=tPzwd6tBTM0
4 横澤 彪(1937年12月15日 - 2011年1月8日)
元テレビ プロデューサー。通称「オジン」。東京大学文学部卒業。1995年から2005年6月までは吉本興業で常務東京 本社代表、専務取締役東京本部本部長などを務める。鎌倉女子大学児童学部教授を 経て、晩年はフリーの立場で活動した。群馬県出身。
1974年に『ママとあそぼう!ピンポンパン』で初プロデューサーを経験し、1980年に『THE MANZAI』で頭角を現し始めた。その後も『らくごIN六本木』『スター千一夜』『笑ってる場合ですよ!』『森田一義アワー 笑っていいとも!』『オレたちひょうきん族』などを手掛け、視聴率低下で苦境に立たされていたフジテレビの立て直しを果たした。また、お笑い界のビッグ3ことタモリ、ビートたけし、明石家さんまをスターダムへと押し上げることに一役買った。『オレたちひょうきん族』では、同番組内コーナー「ひょうきん懺悔室」で神父役として出演していた。ただし、家族は彪の娘がキリスト教系列の学校に通学していた関係から、彪が演じていたこの役を嫌がったという。同じく『ひょうきん族』時代には、TBSテレビで裏番組として放送されていた『8時だョ!全員集合』を意識した、今では考えられない数々の演出を行った。
http://www.youtube.com/watch?v=g64J-9zicxo
5 保沢紀(おさむ)
日本のテレビ番組のスタッフであり、元東京衣裳 社員である。「フジテレビ衣裳部の鬼・保沢紀」としてバラエティ番組に出演したことで知 られる。栃木県出身で、地元の高校を卒業後、東京衣裳に入社し、フジテレビ衣裳部詰めとなり、番組の多くの衣裳を手がけた。1985年(昭和60年)7月2日、『爆笑 オールスターものまね王座決定戦』に「フジテレビ衣裳部」という肩書きで審査員として登場、その後、1980年代から1990年代にかけて、同局のバラエティー番組に出演。『ものまね王座決定戦』や、『夕やけニャンニャン』の「アイドルを探せ」コーナーでの審査員として、自らのつくったラメ入りの衣裳を着用し、審査対象の出来に関係なく常に10点を押していた。『ものまね王座決定戦』では、当初、他の審査員同様、1人で1投票枠をもっていたが、ピーコや神山三岬と2人で1枠となった時期もあった。
フジテレビの組織上「衣裳部」は実在しないが、テレビスタジオ、撮影所に伝統的慣習的に存在する職能名である。保沢の所属した東京衣裳は、フジテレビ衣裳部のほか、東映東京撮影所衣裳部にも常駐している。現在73歳。
6 渡部陽一
日本の戦場カメラマン、フォト ジャーナリスト、タレント。初代・富士市観光親善大使。
スローテンポと独特なイントネーションで切々と語るその口調に加え、いかにもカメラマンらしいベレー帽とチョッキ姿がトレードマーク。その存在がウケて2010年頃からテレビ番組からオファーが集中し、マスコミやテレビ番組への露出が多くなった。
平均して1年の半分は海外に滞在して仕事をしており、これまでにルワンダ紛争、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、イラク戦争など、130の国と地域の紛争地域を取材している。EMBED(従軍記者)として紛争地域に赴く。雑誌、テレビ番組などで作品を配信しているほか、ラジオ番組でも現地から直接リポートをしている。血液型はA
http://www.youtube.com/watch?v=z_1n5pJpgEM
他にも演出家の和田勉さんや付き人から人気が出て正式にメンバー入りした志村けんや斎藤清六もまた、本業よりもメジャーに躍り出た変わり種だった。やはり何より他を圧倒する個性が光った面々だった。
また、「モヤモヤさまぁ~ず2」に時々出て来るADの円城寺や「サンジャポ」に登場するジャーナリスト軍団もこの類だろう。曵地伊智朗; 十文字岳; 小日向アツシ; 山田晃久. 宮川剛史; 秋山健太; 海老原沙季. ヒロ田中; 内堀杏美; 鈴木秀明. 小林のん; 山川俊司らがそうだ。特に、サスペンダー姿のぽっちゃり系中年男の鈴木秀明は、番組内で嫁さんさがしのコーナーまで立ち上がったし、番組の裏の顔としてエンディングには欠かせなくなった。
一方、アットホームな番組作りを提供してきたフジテレビの名物ディレクターやプロデューサーも画面に突出することが多かった。港浩一ディレクター、石田弘プロデューサーなどは、よくその顔が放送されていた。
また、確かに芸人ではあるが、一時期露出度が激しかった方をピックアップしたい。
南洲太郎
かつて1980年代に、フジテレビの「夕やけニャンニャン」の準レギュラーとして出演し、おっさん顔と体型ながら、「南洲ちゃんですっ!」というそのなよなよした喋りで脚光を浴びた。
参考記事 「異色のおじさん芸能人」
http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-ad72.html
記事作成:1月26日(日)
追記
このような記事を書いた後に、「サザエさん」の磯野波平お父さんの声を担当された永井一郎さんが急逝された。ずっとあの声を聞いて育った私としては、あまりにも急で信じられない気持ちで一杯だ。知らないうちに歳を重ねていた。彼は80歳を越えていたとは・・・。フネの声を担当されている声優さんも87歳で、もうすぐ90歳になられる。「ドラえもん」のように声優を総入れ替えになる時期が近いかもしれないが、できるだけサザエさんファミリーは今のスタッフのまま頑張っていただきたいと思う。永井一郎さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。合掌。
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