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2014年4月 8日 (火)

伝説の世界歌謡祭

 ヤマハ音楽振興会が主催し、1970年から1989年までの20年間、毎年秋頃に日本武道館で開催された歌謡曲のコンテスト。通称東洋のユーロビジョンとも言われた。多くの著名なミュージシャンやシンガーソングライターを輩出した「ヤマハポプコン」とタイアップし、そこで上位に入賞すると、世界歌謡祭へのチャレンジ権が得られた。しかし、1988年の第19回大会が昭和天皇の容態悪化(翌1989年崩御)を考慮して開催を中止。1989年の第20回大会はユニセフとの共催で歴代グランプリ受賞者によるチャリティーコンサートとし、その大会を最後に20年の歴史に幕を下ろした。

 この世界歌謡祭では、日本人アーティストが大活躍し、ここでグランプリを受賞してメジャーデビューする例も決して少なくなかった。本日、このブログでは、そうしたグランプリを獲得した日本人のユニットやソロ歌手を取り上げたい。

上條恒彦(1971年)『第2回 世界歌謡祭』 グランプリ・歌唱賞 「出発の歌-失われた時を求めて-」

http://www.youtube.com/watch?v=rWNbtM2jHc0

 中島みゆき(1975年)『第6回 世界歌謡祭』グランプリ「時代」

 私は彼女のデビュー曲というより、「徳光和夫のTVコロンブス」のED曲という印象のほうが強い。根暗な代表のような彼女の楽曲だったが、桜田淳子、研ナオコなど様々な歌手に楽曲を提供。ヒットメーカーとしての地位を確立した。北海道出身の歌姫として「オールナイトニッポン」では、イメージとは似つかわぬほどはっちゃけたDJぶりを見せた。

 世良公則&ツイスト(1977年)『第8回 世界歌謡祭』グランプリ「あんたのバラード」

 http://www.youtube.com/watch?v=TszTuGlbdO4

 大股開きでド派手なアクションが売りだった。この衝撃的なデビュー作で人気が爆発。中高生に絶大な人気を誇った。「宿無し」「銃爪」「性(さが)」「燃えろいい女」と立て続けにヒットして人気、実力ともに不動のものとした。

 円広志(1978年)『第9回 世界歌謡祭』グランプリ「夢想花」

 「飛んで飛んで・・・・」「まわってまわってまわってまわる・・・・」を繰り返すリターンソング。

 クリスタルキング(1979年)『第10回 世界歌謡祭』グランプリ「大都会」

 私が中学生の頃に大ヒットした名曲。特に杯ハイトーンヴォイスの田中昌之の声量は凄まじかった。カラオケで真似してもできる芸当ではなかった。

 明日香(1982年)『第13回 世界歌謡祭』グランプリ「花ぬすびと」

 1982年、第23回ヤマハポピュラーソングコンテスト優秀曲賞受賞。世界歌謡祭グランプリの「花ぬすびと」でデビュー、30万枚を売り上げた­。86年には曲を提供した 。
高井麻巳子さんの「メロディ」もヒット。2007年に乳がんが判明、闘病しながら歌手­を続けていた。昨年10月、49歳の早すぎる死を遂げた。愛知県犬山市出身。

 辛島美登里(1983年)「雨の日」

 http://www.youtube.com/watch?v=Ir0x-Xoa-TM

 彼女=「サイレントイブ」というイメージだが、この「雨の日」でポプコングランプリを受賞した。正統派のピアノ弾き語り。優しくて綺麗な歌声が特徴。

 TOM★CAT(1984年)『第15回 世界歌謡祭』グランプリ「ふられ気分でRoc'n' Roll」



 1978年に東京造形大学で結成されたバンド「FUNKY NOISE」を前身とし、その後「NOISE MAKER」を経て、1984年に「TOMCAT」を結成。同年11月、第15回世界歌謡祭グランプリ受賞曲「ふられ気分でRock'n' Roll」(作詞・作曲:TOM)でデビュー。メンバーチェンジを経て、1987年に事務所を離れ、自主運営での活動を開始した。ヴォーカルのトムこと松崎淳美は超小柄。しかし昔でいうパンチの効いた歌声で私たちを魅了した。どこでブレスしているのかわからぬほどテンポが速すぎる歌だった。歌詞の「たかが~されど・・・」はこの時期、高校野球を席巻した池田高校の蔦監督の名言をパクったと思う。

 武内千佳(1987年)『第18回 世界歌謡祭』グランプリ「No, No, No」

 残念ながら、この曲は映像がない。どちらかというと、竹内千佳の曲で有名なのは「立志社」のCMで流れている「どこま~でもどこま~でも♪」の「夢は終わらない」だ。

 http://www.youtube.com/watch?v=vfcEN0yNhMQ

 さて、かつてはポップス歌手への登竜門だった「ヤマハポプコン」。チャゲ&飛鳥、アラジン、雅夢、伊藤敏博、あみん、

メジャーデビューを果たした実力派シンガーたちがこぞって応募してチャレンジしたコンテストだった。それとリンクして行われた世界歌謡祭。日本だけでなく、腕、いや喉に覚えのある歌自慢たちが出演し、その自らが制作した曲を競い合った。かつて日本テレビのスター誕生などもそうだったが、ファンの目の前でスターが誕生する瞬間が見れたコンテストだった。世界歌謡祭でグランプリ受賞=メジャーデビューが確約された。名だたる名シンガーが誕生し、次々ヒットチャート上位を独占し、街角は彼らの楽曲で溢れかえっていた。世界歌謡祭は、ヒット曲を生み出すためのコンテストだったように思う。今では古き佳き時代の遺産となってしまったことが悔やまれる。

 最後に「ポプコン」の歴史に関する動画をリンクして今回の記事を閉じたい。

 記事作成:2月27日(木)~28日(金)

 

 

 

 

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