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2014年6月19日 (木)

有名スポーツ選手の末路

 タイトルだけ読むと、何か人聞きが悪い印象があるが、そういう趣旨ではない。「末路」と言っても、決して悪い意味ではなく、劇的ビフォーアフターのように、イメチェンやポジショニングが変わった人たちを特集するもので、引退後の近況報告に近い趣旨だ。とどのつまりは全盛期には華々しい活躍をした有名スポーツ選手が、引退後、思いもよらない変わりようを見せている方々がいることを取り上げる。まるで運命に弄ばれているかのように、あまりにも浮き沈みが激しいというか、「天国から地獄」とでも言おうか、それとも「栄華と衰退」(栄枯盛衰)と言ったらいいのかわからないが、あまりにも激変したお姿に、お気の毒という雰囲気さえ漂う。その「ビフォー・アフター」のギャップは相当なもので、当の本人ですら、予想だにし得なかった事態かもしれない。いじられ役やお笑い系に走ってしまった方までその末路は様々だ。
 では、私が感じるそれらの方々をピックアップしたい。ファンの方には申し訳ないが、誹謗中傷の意図は毛頭ないので、広い心でお読みいただきたい。

 1 プロレスラー

  ザ・デストロイヤー

DestroyerDestroyer2

 古くはその特異なキャラクターで一世を風靡したアスリートタレントの草分けが彼だと思う。必殺「足4の字固め」を得意技とし、ブレーンバスターも持ち技だった。なんと力道山とも戦ったことがある古き佳きプロレス時代を担った覆面レスラーだった。徳光和夫や和田アキ子と共に「金曜10時うわのさチャンネル」に出演し、芸人ばりのエンターティナーぶりを発揮し人気を博した。

 アニマル浜口

Animal1 Animal2

 今でこそ、レスリングの浜口京子の強烈キャラのオヤジとして君臨しているが、かつてはボディビルダー出身のプロレスラーだった。国際プロレスや新日で活躍した。タッグでは世界チャンピオンにもなった。それが今では「気合だ~」を連発する異色キャラが定着。浜口京子を溺愛し、娘のためならなんでもする親バカぶりも発揮し、オリンピックや世界選手権大会には欠かさず応援と観戦に訪れている。血液型はO型。

 ストロング小林

Strong1 Strong2

 彼は国際プロレスから新日に移籍して活躍し、怪力プロレスラーとしてそのポジションを確立した。顔立ちや背格好がアントニオ猪木と似ていた。団体の屋台骨として順調に活躍していた矢先の1974年2月、小林はアントニオ猪木への挑戦を表明し、IWA王座を返上して国際プロレスを退団する。小林が自己主張が得意でない性格であったことから、後年この事件は新日本プロレスの選手引き抜きであったと目されているが、小林自身は「グレート草津らをエースに立てようとするフロントとの意見の対立が元々背景にあり、以前から離脱を考えていた」としてこれを否定している。
 引退後は芸能界に転身し、ストロング金剛と改名し、『痛快なりゆき番組 風雲!たけし城』、『超電子バイオマン』で怪人役を演じるなどした。愛嬌のあるキャラクターでお茶の間、子供に親しまれる。キャラクターもアーキタイプとして認知され、スキンヘッドの怪人で「ストロング○○」という名を持つパロディキャラクターも多数誕生した。

 2 バレーボール

 川合俊一

Kawai1 Kawai2

 バレンタインデーにはトラック数台分のチョコが届いたという伝説を持つほどの長身と甘いマスクを兼ね備えた超人気アスリートだった。強豪「富士フィルム」に所属し、日本代表を長らく務めた。熊田康則、井上謙と共に「バレーボール界のビッグ3」と言われ、日本男子バレーボール界をリードした(ポジションはセンタープレーヤー)。奥様は女優の中野みゆき。潔癖症な性格と警戒心・防犯意識が強く、寝室にスタンガン、3段警棒、木刀、手錠を備えている。1990年代前半には、日本テレビの『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』、『マジカル頭脳パワー!!』『スーパークイズスペシャル』において様々な珍解答ぶりを見せ、天然ぶりを発揮し、次第に自虐ネタとも相まってお笑い系に走るようになった。今ではスポーツ番組というより、バラエティ専門という印象が強い。交遊関係は広いが、 血液型がA型なので、多少、自己犠牲を払っても、相手を楽しませたいというサービス精神が働き、時としてそれが裏目となり、攻撃のターゲットにされてしまう傾向がある。

 大林素子

Obayashi1 Obayashi2

  彼女も日本のバレーボール界を背負って来た中心選手だった。所属した常勝「日立」でもサウスポーのエースアタッカーとして大黒柱の活躍。日本代表でもオリンピックに出場。日本女子バレーボール界氷河期の時代にあって、ひとり光彩を放った。引退後は、芸能界でタレント活動を行ってきたが、あまりもの長身がネックで、バレーボールの解説やコメンテーターの仕事が中心。血液型は球技に長け、エースストライカーに多いO型。
 彼女の場合、長年にわたって全日本に所属し、中心選手としてリードしてきた功労者だ。バレーボール協会は、もっと彼女を手厚い待遇をしても良いのではないかと思う。たとえばコーチや監督として招聘するとか。久光製薬の監督としてその才を存分に振るっている、往年の名セッター、中田久美とは雲泥の差だ。

 3 マラソン

 松野明美

Matsuno1 Matsuno2

 かつては「ニコニコドー」所属のマラソンランナーだった。女子マラソンのパイオニア増田明美と同様、華奢で小さな体ながら、抜群のスピードで駆け抜けた。松野の実質上の全国デビューはなんといっても女子駅伝である。全日本実業団対抗女子駅伝や全日本都道府県対抗女子駅伝などでは、小さな体で自分より大きなランナーを次々とごぼう抜きしていく姿が各メディアで鮮烈に取り上げられた。1992年1月、バルセロナオリンピックの代表選考レースを兼ねた大阪国際女子マラソンでは、当時の日本最高記録を上回る2時間27分02秒の好記録で2位(初マラソン世界最高でもある)に入る。
 しかし、陸連関係者の間では国内選考レースで記録の良い松野よりも、世界陸上東京大会女子マラソンで2時間31分08秒で4位入賞の実績を残した、有森裕子を推す声が高いという噂が出たこともあったのか、女子マラソン代表選手発表の2日前に、松野は地元熊本で自ら異例の記者会見まで開くこととなる。松野は岡田監督らの同席の下、会見の席で駆け付けた新聞記者達やマスコミ陣、そして日本陸連に対しても「私、オリンピックに出たらメダルを獲れるとは本当に確実に思っていますので、そのためにも一生懸命頑張って練習してますので、どうぞ…選んで下さい」「やっぱり、強い人は強いと思いますので、強い人を選んでほしいです」と笑顔でアピールする。一方、有森は国内選考レースには出なかった(当初有森も大阪国際女子マラソンにエントリー、松野との直接対決が注目されたが左足のケガで欠場)ものの、10km等のロードレースを出走し、故障の不安が無いことをアピール。選考決定の当日まで松野と有森のどちらに当落となるのか、全く分からない混迷状態となっていた。1992年3月28日、結局バルセロナ五輪の女子マラソン代表へ正式に選ばれたのは山下・小鴨と、そして最後の3人目は有森裕子だった。松野の名前はそこに無く、無念の落選となってしまったのである。退社独立後の近年はそのおしゃべり好き(小学生時のあだ名はスピーカー、自称7時間はしゃべり続けられる)から、バラエティ番組にゲストとして頻繁に出演している。早口でおしゃべりなA型そのもので、いじられ役となった。

 4 サッカー

 武田修宏

Takeda1 Takeda2

 高校時代は静岡の名門の清水東高校でエースストライカーだった。全国サッカー選手権にも出場し、華々しい活躍を見せ、鳴り物入りで当時の日本サッカーリーグのトップチームとして君臨した「読売サッカークラブ」に入団し、得点王にも輝いた。読売はラモス、三浦と知良、北澤豪、柱谷哲二、中村、都並、加藤、菊池、ビスマルクなどそうそうたるメンバーが揃い、黄金時代を築いていた。もちろん、日本代表にも何度も選抜され、「ドーハの悲劇」ではピッチ上にいた。
 引退後は、サッカーの解説やそれ以外のタレント活動を行ったが、根っからのプレイボーイでモデルなどとのゴシップや浮いた話ばかりで、テレビではイメージダウン気味。血液型はサッカー選手に多いO型。

 ちなみに現在、開催中のブラジルW杯、日本代表のO型選手は、川島、香川、岡崎、内田、長谷部、長友、大迫、清武というように主要スタメンの大部分を占める。

 5 テニス

 松岡修造

Matsuoka1 Matsuoka2

 一時は日本を代表するトップテニスプレーヤーの座に君臨した。東京都出身の日本の元男子プロテニス選手、テニス指導者。身長188cm、体重85kg。右利き、バックハンド・ ストロークは両手打ち。ATP自己最高ランキングはシングルス46位、ダブルス95位。日本のテニス選手としては大柄な体躯から繰り出される威力の高いサービスショットを最大の武器とした典型的なビッグサーバータイプの選手の一人であり、1995年ウィンブルドン選手権で日本人男子として62年振りのシングルスベスト8に進出した人物である。血液型 は AB型。 
 1998年2月に元テレビ東京アナウンサーの田口惠美子と結婚し、まもなくして30歳という若さで現役を引退した。引退会見では、引退という言葉は使わず「卒業」という表現にこだわった。その後はジャパン・オープンのトーナメントアドバイザーとして大会運営に携わる他、後継者育成のための指導を行っている。またスポーツコメンテーターとしても活動しており、日本テレビの『スポーツMAX』(2004年3月まで放送、月曜日)に出演。近時はその好感度からイメージキャラクターとしての人気が際立って高く、2008年のCM起用ランキングでは木村拓哉と並ぶ男性1位(10社)に輝いた。
  また、性格的にテニスにかけてはひたむきで厳しい指導方針。元来練習の鬼で妥協を許さない完ぺき主義だった。熱血漢にして、常に燃えたぎって熱い男だ。しかし、そのイケメンに似つかわず、とんねるずとのお笑いマッチでは従来と異なるキャラも披露している。

 6 ボクシング

 具志堅用高

Gushiken1 Gushiken2

 沖縄出身の彼は、「カンムリワシ」の異名をとり、WBAフライ級で13戦連続防衛記録(6連続KOを含む)を打ち立てた天才ボクサーだった。トレードマークのアフロヘア―と喋り方に特徴があり、片岡鶴太郎の物まねで「チョッチュね」のフレーズがウケ、その後、お笑いネタにされ、イメージダウン。本人はインタ後、飲食店のオーナーとなり、実業家として大成した。しかし、クイズ番組などタレント業も継続し、おバカキャラとしていじられる存在である。血液型はA。

 赤井英和

Akai2 Akai3

 人気絶頂の「浪速のロッキー」として、喧嘩ボクシングスタイルで連続KO記録などを打ち立て、世界チャンピオンも秒読みと誰もが思っていた矢先、試合中、カウンターを浴び続け、マットに沈んだ。意識朦朧、心肺微弱に近い状態で救急車で病院に搬送され、急性硬膜下血腫の緊急開頭手術を受け、奇跡的に一命を取り留めたものの、ボクサーとして再起不能に陥り、俳優として転機を図った。今ではボクサー時代の面影がないほど、俳優業に没頭している。血液型はA

 7 大相撲

 高見山

Takamiyama Takamiyama2

 ご存知、「ジェシー」の愛称で活躍した日本初の外国人力士。巨漢でありながら、器用に踊ったり、巧みな話術で愛されキャラだった。「丸八真綿」のCMに長らく起用され、マルチタレント振りを十二分に発揮した。血液型はA

 小錦(KONISHIKI)

Konishiki1Konishiki2

 彼もまた巨漢力士。しかし曙や武蔵丸は横綱になれたのに、自分が外国人だから横綱にして貰えないと発言したことで周囲の顰蹙を買った。本人も、もとより、自分を粗末に扱ったと思い込んでいる節から、そんな業界には未練など持たず、廃業し、芸能界へ転身した。しかし、あの体型では俳優などやれるはずもなく、マルチタレントとして転身を図ったものの、限られた仕事だけを行っているのが現状。血液型はAB

 3代目若乃花(花田勝)

Wakahanada Wakahanada2

 彼はB型の典型。束縛されるのが大嫌い。自分本位のマイペース主義者。従って、散々お世話になった大相撲界に恩返ししようなどという発想はないし(たぶん優しい性格の彼は、弟を立てるために自ら身を引いたとも考えられるが)、角界への未練もない。当初は、年寄藤島を襲名し、後進の育成に専念するような発言をしていたが、引退相撲を終えて間もない2000年12月18日に突如日本相撲協会を退職した。私見では、元から彼が横綱を張る資質などなかったと思うし、横綱としての品格を疑うような振る舞いが多く、相撲界から追放してほしいとさえ思っていた。横綱でありながら年寄株を持たない廃業力士は、双羽黒(北尾光司)と三代目若乃花(若花田)くらいのものだろう。一時は実弟の貴乃花(花田光司)との確執があったり、美人CAだった妻と離婚、かと思えばすぐに別の女性と再婚というように、母親(藤田紀子)と同様に生活が派手で、何かとお騒がせなのも、型にはまらないB型ならではだと感じている。

 今回の記事は、やや個人的な見方や偏屈ばった私見がほとんどであり、他者を罵倒したり、批判するものではないことを、ここでもお断り申し上げます。

 記事作成:6月5日(木)

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