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2014年9月 5日 (金)

今は無き私が訪れた遊園地

 「東京五輪」の年に生まれた私にとって、私の小学生時代は高度経済成長の真っただ中で、経済情勢は飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。それと同時に公害問題が深刻化し、光化学スモッグや多摩川の水質汚濁などを始め、全国的に公害病が蔓延した。そんな昭和40年代から50年代初めにかけて、私が亡き父親に、毎年のように東京見物や様々な観光地や行楽地、あるいは遊園地に連れて行って貰った。仕事が忙しい身の上ながら、よくぞあちこちに旅行に連れ出してくれたものだと感心する。そんな、幼少期に楽しませてもらった場所で、残念ながら、今では姿を消してしまったスポットを取り上げ、個人的に懐かしんでみたい。

 1 那須ロイヤルセンター

 東京ディズニーランドや那須ハイランドパークなどなかった時代に、福島交通グループが主体となって建てられた屋内型巨大アミューズメントパークが「那須ロイヤルセンター」だった。屋内ながら、縦横無尽に張り巡らせた水路をボートで回りながら、世界中の建造物や民族、音楽を旅できるアトラクションがあった。今で言う「It's a small world」と同じものだった。世界のショーが見られた。

 「ショー」の模様はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=ByZwhAkGvxc

 「ブラボーロイヤル実況録音」 https://www.youtube.com/watch?v=j30NjAaN0cU

 2 「横浜ドリームランド」

 実はここには2回訪れている。一度目は小1くらいの頃。泊まりで訪れた。聳える大船観音。恐怖に怯えながら、モノレールかなにかに乗って入園したと思う。英国の兵隊さんの行進や門番で立っている場面を覚えている。そして一番印象に残っているのが、潜水艦だ。当時は、NTV系列放送で村野武徳と小林桂樹が出演した「日本沈没」というテレビドラマが流行し、そこに登場した「わだつみ号」と「ノーチラス号」がまさに潜水艦で、私はモーターで動くプラモデル模型も製作した。風呂で湯船に浮かべて走らせたものだ。その潜水艦は実際は水面から上部が出ているが、人が乗り込むのが船底のため、あたかも窓から見える光景は水の中で、模型で泳がない魚などが出迎えてくれた。この潜水艦の最大のハイライトは、洞窟を潜り抜けた先にある滝の中から現れる点。天井に叩きつける滝の音が響き渡り、子ども心ながら怖かった覚えがある。確か園内にある高層ホテルに宿泊したと思う。そこのロビーやホールで鬼ごっこをした記憶がある。赤いカーペットが敷き詰められていたように思う。その園内で書いてもらった似顔絵がずっと実家や祖父の家の寝室に飾られてあった。

 補足:「日本沈没」は大好きなドラマだった。主題歌の五木ひろしが歌った「「明日の愛」のレコードを持っていた。

 私は東京の遊園地では「後楽園遊園地(6~7回)」、「豊島園」(3回)に次いで多く訪れた場所だった。

 3 向ヶ丘遊園

 しょっちゅうテレビドラマや歌手のPV撮影などで使われ、都会っ子のオアシスとして楽しまれた。NTVドラマ「陽あたり良好!」(竹本孝之、伊藤さやか、木内みどり出演)で一度は訪れたかった。私が高3の夏に、大学受験を控え、一度だけ大学見学で小田急線に乗ってその前を通ったことがあった。生田にあった某大学を見学した際に、その向ヶ丘遊園駅を通った時に、大学生になって東京に住んだら、一度は彼女とデートしたい場所だった。正面ゲートを潜った先のカラフルな大階段がメインスポットだった。残念ながら肝心の彼女がいなかった私は、その役目を果たせず、ぼやぼやしているうちに、平成14年に廃園となった。おそらく30代以上の方は、ここでたくさんの想い出を作ったことでしょう。

 

 4 地元の遊園地・遊戯場

 ① 郡山レジャーセンター 

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 1967年5月に市内安積町に開園した娯楽施設。当時は郡山にそうした遊戯施設などなく、市民の憩いの場所となった。園内を周遊できるトレインや回転しながら飛び上がる飛行機遊具などがあり、また、ミニ動物園や屋内にはヘルスランド、ボウリング場などもあった。屋内は万国旗が天井からホールじゅうに張り巡らしてあって、ジャングルを彷彿させる熱帯植林のようなフロアもあった。私も、親に連れられ、3~4回は行ったと思う。
 しかし、開園から7年後の1974年11月4日に悲劇が起きた。屋外に設立された動物園で、檻の中にいたヒグマに餌を与えようとした、市内在住の小学4年生(10歳女児)が、腕を食いちぎられるという事故が起きたのだった。当時10歳ということは、私と全く同い年の同級学年だったと思われる。この事故以降、この遊園地への足が遠のいて、その後、赤字となり廃園となった。その後、その敷地はパークホテルとなり、今では結婚式場「迎賓館グランプラス」となっている。

 ② 郡山中央スケートリンク

 私が中学生の頃まであった。郡山駅の西口、今のスカイパークの南側(今の住友生命ビル)あたりにあった。入口は狭いが、中に入ると、縦長のスケート場が広がり、市民の娯楽に一役買った。階段で上がった2階から、スケートリンクが見渡せた。私は1~2度しか訪れたことがないので、寒かった印象しかない。残念ながら画像はどこにも残っていない。

 ③ 郡山スケートセンター(アミューズパーク)

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 郡山中央スケートリンクが潰れ、郡山市民の楽しみが減ったものの、東部幹線と国道49号線が交差する北側の阿武隈川沿いに昭和50年代中頃にオープンした。それも平成に入ると、採算が合わず、経営を断念。一時は屋内ゴーカート場になったし、屋外にはパターゴルフ場や釣堀ができて賑わった。震災時には動画サイトにここもアップされた。

https://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

 ④ 郡山セントラルホール

 ここは郡山市安積町の国道4号線沿いにあった多目的催場。確か昔の「ジョイフル山新」があったマンションの東向かいで、中古車販売の「サンキョウ」の南隣りにあった。天井がやたら低く建物で、ここでは、プロレスやボクシングのタイトルマッチなども行われた。何を隠そう、小6の頃、地元出身の「小熊(大熊)正二」のプロボクシングのタイトルマッチを観に行ったが、それがテレビで全国放送された。惜しくも微妙な判定で敗れたが、熱気があったことを覚えている。また、親に連れられ、猪木が出場するプロレスも見た記憶がある。その後、総合体育館にその場を移した。
 最近までは、仙台に本社のあるディスカウント店が3か月に一度の割合でmその催し物場を借りて、一大マーケットを開いていた。今はいつの間にか取り壊され、空き地となっている。

 ⑤ 巨大迷路

 郡山市役所の隣にある「ニコニコ子ども館」。そこは以前は「郡山会館(その後、ラフィーネ郡山と改称)という結婚式場兼ホテルだった。その北側には今でも郡山社会保険事務所があって、その北東側の広大な駐車場に突如作られたのが、木製の扉とログ式の巨大迷路だった。平成元年頃~3年頃のことで、テレビの人気ドラマ「男女7人秋物語」でも取り上げられた巨大アトラクション。それがよもや我が街、郡山市の市街地に誕生しようとは夢にも思わなかった。私は物珍しさから、当時交際していた彼女とその仲間グループと一緒に遊んだことがあった。確か1回500円で、各ポイントに設けられたスタンプを押し、制限時間内にゴールするというものだった。迷い込んで、出られない場合には、所々に設けられた緊急脱出用扉を開けて外へ出られた。

 ⑥ 大島バッティングセンター

 KFB(福島放送)の北東側(大島小学校の南西側)の角地にあった。平成17年頃に潰れた。私は20代~30代にバッティングはもちろん、屋内のゲームコーナーや卓球場、オートテニスコート、スピードガンなどで遊びまくった。バッティングセンターは私が小中学校時代の走りで、本町の旧4号線沿いにもあった。よく友達とチャリで出かけてかっ飛ばしたものだ。

 ⑦ 虎丸卓球場

 ここは知る人ぞ知る隠れたスポット。郡山市の野替薬局の交差点の北西側に、昔は郡山利用学校があった。その隣にこじんまりと廃屋のように佇んでいたのが虎丸卓球場。部活で一緒だった友人と、1回50円という安さに釣られてよく週末に訪れ、2時間以上も粘って遊んだ。ここの漫画や週刊誌を読むのも楽しみだった。1階は倉庫で2階が板張りの部屋に卓球台が2台置いてあるだけの貧想な造りだった。

 ⑧ 磐光パラダイス

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 磐光ホテルは、磐梯観光株式会社という会社が経営していた。同社は元来は不動産会社であり、裏磐梯五色沼周辺を開発し別荘地として分譲していたが、1963年頃に国鉄磐越西線磐梯熱海駅から東に100mほどの街外れにあった旅館を買収してホテル経営に乗り出した。1965年にホテル本館(鉄筋コンクリート4階建て)が完成、その後新館・別館などが次々に建設され、1968年5月には演芸娯楽施設や食堂などを擁するレジャー施設磐光パラダイス(鉄筋コンクリート3階建て)、同年9月にはホテルニュー磐光が隣接地に落成した。同社はここまでの段階で当時で約10億円規模の資本を投入し、その結果、客室220室・収容可能人数1,300人の豪華ホテルが誕生した。
 磐光パラダイスは、キャバレー・温水プール・映画館・こどもの楽園などを一体化し、地方としては当時珍しかった大型総合レジャー施設に加えてヌーディストクラブをはじめとしたユニークなショーを売り物としており、週刊誌等のマスメディアでしばしば話題となっていた。また、東日本を中心にテレビCMも頻繁に放送されていた。金粉ショーが売りだったし、2階の畳敷きのステージフロアでは様々なショー(歌謡ショー)も繰り広げられた。実際有名歌手も多数出演した。私は当ブログで何度も書いたが、「フィンガー5」ショーを見た。

 他には、うすいの向かいにあった第1うすい、そしてその隣にあった「トミヤ百貨店」。私は記憶が無いが、屋上に小さな観覧車があって、市民の憩いの場になっていたらしい。そして、麓山公園にはトレインがあって、園内を一周できたとの記録もある。

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 そして、今でもあるとは思うが、本宮から東に行った山の上(岩代町?)にあったテニスコートに姉とナイターでゲームをしに行った想い出がある。平成元年頃で、2~3回行ったと思う。また、郡山警察署と五百渕の中間地点の国道49号線沿いの空き地に、よくボリショイサーカスや木ノ下大サーカスがやって来て、巨大テントが設営された覚えがある。今では専ら場所をカルチャーパークの駐車場に移した。そして、今も健在なのが、「スパリゾートハワイアンズ」で、しかし、私はオープン間もない「常磐ハワイアンセンター」の頃、確か昭和43年頃、家族でここの屋内プールで迷子になってしまい、危うくプールに落ちそうになっている所を家族に発見され、事なきを得たということがあった。もちろん私は4歳頃なので、まったく覚えがない。

 記事作成:8月12日(水)

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