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2014年9月 3日 (水)

この夏、最後の感動物語

 8月30日(土)、31日(日)の2日間に渡って放送された「24時間テレビ」。今年で早、37回目を迎えた。中2の頃、第1回目が放送された時、24時間もぶっ続けでやる「チャリティー番組」に衝撃をうけたことを、今でも鮮明に記憶している。いつからか、番組内でマラソンが行われるようになり、数多くのランナーが24時間、長い道のりを駆け、数多の感動シーンを生んだのは衆知のところだ。

 されど、今年に限っては、私はテレビの前にくぎ付けとなった。派手さはないが、日本国民の誰からも「愛されキャラ」である「TOKIO」のリーダー城島茂が、43歳にして101キロもの夜通しマラソンを決意し、そしてそれをこの2日間で敢行したからだ。メンバーからは、「体が壊れるよ」と窘められ、「断ったほうがいい」と諌められても、彼はこの大役を引き受けたのだった。それは、同年代の「40代のおっさんでも頑張ればできるんだ」、という勇気を彼が身をもって証明したかったからだ。そして、仕事の面でもっとも苦労し、大変な思いをしながら日々努力している「おじさん世代」に光と元気を与えたかったのだ。

 しかし、根が優しい彼は、疲労がピークに達し、足に激痛が走り、脚が上がらない苦しい状況下にあっても、沿道を埋め尽くすファンの声援に、健気に笑顔で応え、時には手を振り、その痛みに耐えながら必死に走り続けた。彼の壮絶な激走を目の当たりにした中年・熟年世代の方々は、どんなに励まされたことだろう。例年にも増して、声援を送るファンの数は多かった。それは深夜でも人波が途絶えることはなかった。「リーダーを励ましたい。声を掛けてあげたい」。そんな気持ちがマラソンコースに人々を向かわせたのだろう。彼の人となりや人柄が多くのファンを呼び寄せたといって過言ではなかった。
 私ももうすぐ大台を迎えるが、同じ40代として、彼の不屈の力走に、どれだけ励まされ、エールを貰ったかしれない。何度テレビの前で目頭が熱くなり、頬を伝う涙を見たか知れない。こんな感動は初めてのことだった。

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 そして残り、5km。放送時間内に間に合わないと伴走者に知らされるや否や、満身創痍の体にもかかわらず、もう上がらない足を引きずりながら、必死の形相で渾身のラストスパートを見せたのだった。それまでの苦痛に顔を歪める彼の姿からは想像もできないほどの、何かを超越したような驚異的な走りだった。誰もが息を呑み、目を見張り、舌を巻く激走だった。そしてそれまでの遅れをあっという間に取り戻したのだった。

 彼をそこまで揺り動かしたのは、私自身は薄々感じていたが、実は或る思いがあったのだった。それは、彼が、マラソンの終盤で、もしかしたら完走後に、くたくたとなり、まともにインタビューに受け答えができないことを予測して、事前に書き綴ったメッセージ(手紙)で明らかになった。そして、その文面が、視聴者に多くの感動を与え、涙を誘うこととなった。

 それでは、番組のラストに羽鳥アナによって代読され、日本中を感動の渦に巻き込んだ、彼の直筆のメッセージを紹介したい。

「皆さん、僕は今、どんな感じでしょうか?」
「まだ走れているでしょうか?」
「たぶん、疲れ果てておそろしくみっともない姿でいるのではないでしょうか?」
「きっと武道館に辿り着けたとしても、力を使い果たして、感謝の言葉すら上手く
伝える事が出来ないかもしれません。」

「だから前もって、皆さんにお礼を言わなくてはと思い、この手紙を書きました。」
「まずは関ジャニ∞のみんな。こんなに頼りない先輩を盛り上げてくれて、ありがとう。」
「明るくて、優しい後輩をもって、同じ関西人として、頼もしい限りやで。」

「それから、戦友でもある TOKIOのメンバーへ。」
「これは今に始まった事じゃないけれど、一番年上というだけでなんにもできない僕を
支えてくれてありがとう。」

「そして、差し入れや温かいメッセージ・・・」
「いろんな形で声援を送ってくれた全国の農家さんや漁師さん、働くみなさん、
ありがとうございます。」
「マラソンの練習でつらい時、いつも皆さんの姿を思い出して歯を食いしばりました。」
「大自然を相手に、地道に、毎日、毎年、何十年と汗を流し続ける皆さんの背中。」
「その姿を思うだけで、もっと頑張らなければって力が湧きました。」

「そして何より。テレビの画面の向こう側から、こんな僕を応援してくれた日本中の皆さん。」「本当に、本当に、ありがとうございます。」

「こんな普通の43歳でも、こんな運動神経の無いオジサンでも、101キロ、走りきれることを証明して、おこがましいですが、ほんの少しでも、何かを感じて貰えたら・・・。」
「ただ、それだけを思って、這ってでも、武道館に辿り着きます。」

「最後に、DASH村でお世話になった三瓶明雄さんへ。」

「農業をしている時、いつも僕らに 『まだまだ!』 と言いながら最後まで汗を流していましたね。」
「ゴールできたら、耳を澄ましてみるから またあの時の言葉を下さい。」
「リーダー、まだだま! と。」

                                           TOKIO 城島 茂

 最後に述べた「三瓶明雄さんへ」のメッセージが、今回、彼を過酷なマラソンに立ち向かわせた最大の理由だった。24時間ランナーの依頼が彼のもとに寄せられたのは、5月のことだった。その時期は、DASH村で農業指導で大変お世話になった、三瓶明雄さんが、急性骨髄性白血病という重い病に侵され、病床に伏して闘病中だった。どうにも動かない体を悲観し、気弱になった姿を目の当たりにしたリーダーは、彼を励ましたい一心で、意を決してこの大役を引き受けたのだった。自分が、そして周囲の誰もが不可能だと思えるような試練に敢えて挑戦し、必死にもがいている姿を見せることで、三瓶さんに生きる希望と病に立ち向かう勇気を与え、闘病に少しでも励みになると考えたのだった。

 しかし、その願いもむなしく、その僅か1か月後の6月6日に、三瓶さんは天国へと旅立ってしまった。最期は安らかな表情を浮かべ逝ったという。
 彼は「6人目のTOKIO」と呼ばれるほど、TOKIOのメンバーにお父さんのように慕われ、視聴者にも愛された人物だった。たとえ作物の出来が良くても「まだまだ」というのが口癖だった。そこで満足してしまったら、先がなくなるという不安から出た、明雄さんらしい、自身の人生訓のような含蓄ある、重みのある言葉だった。

 彼はもうこの世にいなくなったが、それでもリーダー城島茂は、その決意を変えなかった。形見となってしまった三瓶さんのトレードマークだったタオルを額に巻き、暑くても決して帽子をかぶらなかった。「自分は明雄さんと一緒に走っているんだ」と思っていたに違いない。つまりそれは、今は天国から見守る、三瓶さんへ捧げる魂の走りだった。

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 同じ福島県に住んでいる私には、城島茂がマラソンを決意した本当の理由を痛いほどわかっていた。DASH村でお世話になった三瓶さんが亡くなったというのに、「鉄腕DASH」の番組内で、訃報として一度だけしか取り上げられず、番組の最後にTOKIOからのメッセージが読み上げられただけだった。村最大の功労者である三瓶明雄さんの追悼番組の企画すらなく、県民ならずとも、「日本テレビはなんと薄情なのか」と呆れ返っていた人も多かったことだろう。しかし、リーダー城島は、明雄さんと一緒に過ごした想い出や恩を決して忘れてはいなかった。やはり彼は、義理と人情に溢れた心優しきリーダーだった。

「追悼メッセージ」はコチラ → https://www.youtube.com/watch?v=xIwzCfbs2gs

 「自分がどんな状況に置かれても、いつも周囲に気をくばり、礼儀、感謝を忘れないあなたこそ真のリーダーです!」と声を大にして伝えたい。

 そして、武道館のゴールの手前300mを切った地点で、突然画面にメンバー4人が割って入り、リーダーの元に駆け寄って来た。それまで、苦しそうなリーダーの表情を見る度に、「どうして他のメンバーは駆けつけて、一緒に伴走しないのか」と心配していた人も多かっただろう。満を持して、ようやくラストで合流し、100mの並走を行った。ひときわ大きなファンの大歓声の中、彼はメンバーの温かい見送りを受けて武道館の中へ・・・・。

 会場からは惜しみない拍手が沸き起こった。しかし、そこでもドラマがあった。メンバー5人でゴールしたいと思った彼は、タラップを降り、ゴール前のステージ下で何度か振り返り、他の4人のメンバーを手招きした。しかし、4人は主役はあくまで城島であるため、気を遣い、更には事務所の後輩の「関ジャニ∞」がメーンパーソナリティーを務めているため、敢えてステージには合流しなかったのだ。彼らの美しき「メンバー愛」やジャニーズの固い「絆」を目にしたような気がした。

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 今回の「24時間テレビ・愛は地球を救う37」のテーマは「小さなキセキ 大きなキセキ」だった。最後の最後で彼自身が大変な奇跡を演じきった。それはシナリオ通りではなく、彼がこれまで送って来た人生の縮図を見ているように思えた。「友情」、「愛」、「人情」、「真の優しさ」、いろんなシーンを目の当たりにし、人生を見つめ直させてくれた24時間だった。

 日本国中の誰もが、リーダーの健闘に涙し、ボロボロの状態で走り続ける姿に感動を覚え、テレビの前に釘付けとなって声援を送り続けたに違いない。ハラハラしながら、一時はもう間に合わないと諦めかけた時に、奇跡は起きたのだ。ラスト5kmからの猛スパートは、誰もが興奮し、涙したことだろう。どこにそんな力が残っていたのだろう。追走するスタッフも驚愕だったに違いない。仲間を信じ、期待に応えようと歯を食いしばり、無我夢中で突っ走る姿は、お世話になった明雄さんに感謝の気持ちを表したいという想いがひしひしと伝わる感動的な激走、いや劇走だった。

 結びに、彼から多くの感動をいただき、勇気と元気を貰い、明日からまた仕事や勉強に頑張ろうと思った人々は数多くいたに違いない。奇しくも、翌日から新学期で学校が始まった人も多かったはずだ。今、彼から学んだ人生知や教訓を実生活の中で生かすことだと痛切に感じている。彼の101キロを走破した根性と頑張りに応え、報いる方法は、挫けそうになっても、最後まで走る抜く精神を持つことだと改めて悟った。

 彼から受け取ったバトンをこれからの人生に役立てていきたい。

 記事作成:9月2日(火)

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