商都・郡山の過当競争
郡山市は福島県の中央に位置し、交通の要衝として古くから奥州街道の宿場町として栄えた。今も国道4号線と49号線、東北自動車道と磐越自動車道が交差。「JR郡山駅」は5つの路線(東北新幹線・東北本線・磐越西線・磐越東線・水郡線)が乗り入れる主要停車駅として、人の出入りや往来が激しく、物流や流通も盛んな土地柄である。したがって、商業が発展し、多くの商店街があり、昭和50年頃を目処に多くの百貨店(丸光・丸井)やスーパー(西友・ダイエー・イトーヨーカドー)の進出が相次いだ。既存だった「うすい」や「津野」、「トキワスーパー」、「ヨークベニマル」も含めると熾烈な集客合戦となったのは言うまでもない。逆に進出したはいいが、加熱する値引き合戦や過当競争に敗れ、撤退する企業・店舗も相次いだ。「ダイエー(後のトポス)」、「丸井」、「丸光」、「津野」、「西友(後の西武)」、「ライオンドー(後のリオンドール)」、「サンショー」、「いげたストア」は今はもう無いし、「庄司デンキ(後の「電激倉庫」)」、「そうご電器」、「第一家電」、「ISEYAデンキ」なども尻尾を巻いて撤退していった。言葉は悪いが、当地・郡山では「負け組」となってしまった。
そんな中、大小乱立し、未だに過激な顧客獲得合戦を繰り広げている業界や業種がある。今回はそれらを取り上げ、存続のために頑張っている企業、店舗にエールを送りたい。
<メガネ販売業界>
メガネトップ、弐萬圓堂、眼鏡市場、メガネセンター、メガネプラザ、オンデーズ、JINS、郡山眼鏡院、めがねのパリミキ、めがねのトミタ、金美堂
価格破壊を実践する「激安ショップ」の進出やネット販売により、既存のメガネ屋さんは経営危機に陥っている。特に長年お世話になっている、県内に本社を持つ「メガネセンター」は、いつ訪れても閑古鳥が鳴いているので心配。また、20代~30代の頃に、私がお世話になった内環状線沿いにあった「金美堂」は移転し、規模も縮小傾向。郡山駅前(フロンティア通り)にあった「メガネスーパー」も撤退してしまった。
郡山市内では、会津街道沿いと八山田地区にメガネ屋さんが乱立している。半径500m以内にパリミキ、眼鏡市場、弐萬圓堂が壮絶バトルを繰り広げているが、日本人にとってメガネは生活の必需品ではあるものの、一度購入すれば、数年間は使い続けるため、売り上げが急伸するような商品ではない。したがって存続できるか否かは、アイディアと販売戦略が大事だろうと容易に察しがつく。
<ケータイショップ>
ドコモ 8店舗、au 9店舗、ソフトバンク 8店舗(タウンページ掲載分で、家電量販店を除く)
1990年代、一方通行だったポケベルから、相互通話が可能となった通信革命以降、携帯電話とシェアを二分していたPHS業界は、もはや風前の灯だ。私もKDDIポケットに始まり、ムーバ、FOMAと移行した。遅まきながら、今秋にスマホに切り替え、タブレッドと二刀流になる見込み。
<コンビニ>
セブンイレブン、ファミリーマート、ヤマザキデイリー、ローソン、セーブオン、ココストア、ミニストップ
「ハローショップ」は衰退。、「HOT SPAR」は「ココストア」に転換され、完全に姿を消した。「セブンイレブン」はなんと郡山市内だけで76店舗もある。ひとり勝ちの様相。
<ファミレス>
びっくりドンキー、まるまつ、ビッグボーイ、デニーズ、サイゼリア、ココス、ガスト、夢庵、ロイヤルホスト、オニオン&トマト、安楽亭、羅布乃瑠 沙羅英慕など
郡山はやたら飲食店が多く、凌ぎを削っている。駅前周辺は居酒屋メインだが、新さくら通り沿い、内環状線&東部幹線沿いにはハンバーガーショップやコンビにとともに飲食店が多く立ち並んでいる。緑町(内環状線交差点)のデニーズは、改築され、おしゃれに生まれ変わった。一方で市内で少なくなったのは喫茶店だ。中心市街地はめっきり減った。「四季」、「Cafe de Cafe」、「開成館」は今も健在。
<家電量販店>
コジマ、ヤマダ電機(2店舗)、ケーズデンキ(2店舗)、ヨドバシカメラ
前述した「庄司デンキ」(電激倉庫)は咲田と安積町に2店舗あった。、いせやデンキは現在の備前舘のトライアルと静町の街道沿いにあった。また、「第一家電」は長者の「インテリアダイイチ」があった建物と日和田のオリエントパーク内にある現在の「ダイソー」にあった。
「YESそうご電器」は、朝日町のゲオ・」リサイクルショップ「DOKIDOKI」にあった。今は、日和田のイオン(旧ジャスコ)内にあるが規模縮小。よつば電機と郡山に2店舗あったデンコードー(日和田の現ケーズと安積町の現HARD OFF)はケーズデンキに買収された。
コジマは、最盛期には郡山に複数店舗(富田町の49号線沿いカワチ手前と図景店)を構えたが、今では国道4号線と49号線の交差点にある図景店のみ。昔、ホテルハマツの西隣りにあった「A電気」も、開成に移転し、頑張って営業を続けている。
<ガソリンスタンド>
この業界も浮き沈みが激しい。郡山の中心市街地にあったGSはことごとく姿を消した。特にひどいのは「さくら通り」沿いで、虎丸町にあったコスモ石油(旧丸善)、郡山二中の向かいにあった昭和シェル(朴)、長者町の安積黎明の西隣りにあったカメイ、内環状線との交差点にあったGS、開成山の49号線の交差点の東側にあったモービル石油も潰れた。ニコニコこども館の隣りの出光スタンドは最近閉店した。つまり、さくら通り沿いにはガソリンスタンドが一軒も無くなるという異常事態となった。
また、神明通りや深沢通り(酒蓋)にあったGSも今は無く、西の内の「マクドナルド」の斜め向いで頑張っていたスタンドも潰れ、今では駐車場になっている。4号線や49号線沿いには数多くのGSがあるが、中心市街地はこぞって廃業に追い込まれた。コンビニもそうだが、建物の構造を見れば、以前ここはGSだったというのが一目瞭然だ。
<ホームセンター>
ビバホーム、カインズホーム、ダイユーエイト、ジョイフル山新
ビバホームは安積店と喜久田店をたたみ、今では桑野店、大槻針生店、横塚店の3店舗。緑ヶ丘団地へ向かう美術館通りにある「ビバホーム横塚店」は、完全閉店となる。
カンセキ(新さくら通り店と国道49号線沿い)、郡山警察署西隣りにあったジャンボエンチョー(旧名ユニデン)は撤退、コメリとケイヨーD2は店舗を縮小した。コメリは極端に少なくなった。昔は市内に10店舗近く点在してあったが、現在は数店のみ。ケイヨーは現在のTSUTAYA桑野店にあったが、現在は安積店のみ。
<パチンコ>
ニラク、ガイア、アラジン、TSUBAME、マルハン、Max301、ダイナム、ジャンボ、パーラージョイクラブ、スロットゴリラ
かつて郡山で栄華を誇ったパチンコTOYO、大番パチンコは無い。それにしても郡山はレジャーと娯楽の町。国道沿いやバイパス沿いなどあちこちに点在し、石を投げればパチンコ屋に当たるような過当競争ぶりである。やはりいつの時代も「娯楽の王様」らしい。
<紳士服>
ゼビオメンズ、洋服の青山、AOKI、コナカ
「ゼビー」はゼビオに統一、柴宮の4号バイパス沿いにあった「はるやま」は撤退した。
<婦人服・子供服・カジュアル>
しまむら、西松屋、シャンブル、Avai、サンキ、SUZUYA、ユニクロ、GU、ライトオン、アメリカ屋
「あかちゃん本舗(郡山インター向かい)」と「ベビーマム(インター線沿い)」は潰れてしまった。また、複合商業施設ビル(モルティ/ザ・モール郡山/サンシティ/アティ郡山/イオンなど)のブティックや小物雑貨を扱う店を交え争奪戦は激しい。生き残れるのか心配してしまう。
<小売スーパー>
スーパー鎌倉屋、ヨークベニマル、ブイチェーン、ザ・ビッグ、シミズストア、ザ・モール郡山
トキワスーパー、赤トリ井、マルエー、サンショー、いげたストア、リオンドールはもう無い。ベニマルの圧勝。イトーヨーカドーは昔、郡山ビューホテルの東の向かい側(秋田銀行の南隣り)にあった。
「ザ・ビッグ」は喜久田に建設中。その向かい側に「震災復興住宅団地」が建設中で、その需要が見込める。しかし、その北隣りには既存の「ブイチェーン」があり、喧嘩を売るような真似である。喜久田(会津)街道沿いは、ヨークタウン八山田店、ブイチェーンと合わせ、熾烈な生き残り合戦が展開されるのは必至。
また、シミズストアの250円弁当はありがたい。郡山には、咲田と田村工業団地に2店舗ある。また、老舗のベニマルが幅を利かせ、市内のあちこちに「ヨークタウン」と称する一大複合型ショッピングセンターを建設し、牛耳っている。市内の北西部には、半径1km以内に3店舗(片平・小山田・希望ヶ丘)が近接し、更には大きな横塚店があるのに、小原田店との間に方八町店を移転改築し、それぞれ凌ぎを削っている。
<ドラッグストア>
ツルハ、マツモトキヨシ、カワチ薬品、山口薬品、カメ薬品、ドラッグセイムス、くすりのシブヤ、ウェルシア
この業界も競争が激しい。大型ドラッグストアが乱立している。特にカワチとツルハは見境ないほど新店舗をぞくぞくオープンさせている。カワチは5店舗、ツルハは13店舗とここ5年で一気に拡張し、急伸展した。
<薬局>
フジ薬局、アイランド薬局、アイン薬局、クォール薬局、げんじろう調剤薬局、郡山調剤薬局、コスモ調剤薬局、さくら薬局、スマイル調剤薬局、ミッテル調剤薬局、みどり調剤薬局
かつては大病院はもちろん、医院や診療所で薬をもらったものだが、今では完全分業制で、医師は患者を診察し、診断を下し、処方箋を渡すだけ。患者は病院に隣接する薬局に足を運び、薬を購入しなければならなくなった。実に煩わしい。しかし、民間のドラッグストアでも薬剤師が常駐する店舗では、購入可能になった。
<カーショップ>
JIMS、オートバックス、タイヤ館、タイヤガーデン、Fujiコーポレーション、イエローハット、タイヤ倶楽部郡山
ドライバーズスタンド(桑野)、オートバックス島店、オートチェッカー(朝日町)、グランドスラム(インター線)などは潰れた。
<教習所>
西部自動車学校、昭和ドライバーズカレッジ、郡山自動車学校、富久山自動車学校、中央総合自動車学校
郡山市は人口33万人。震災で避難し、やや減少傾向が見られたが、歯止めがかかっている。しかし、少子化に伴い、免許人口も減っているのに、教習所を5つ構えているのは珍しい。したがって、予約がとれない首都圏の方々が、短期合宿で教習を受けに来るケースが多い。以前、そうした合宿免許で施設に宿泊していた他県出身者が、喧嘩から傷害致死に発展する事件が起きた。市内富久山町の旧国道沿いにあるアパートが現場となった。
http://www.oshimaland.co.jp/?p=6yivferj
<地元菓子>
柏屋、三万石、よしだや、フルーツショップ青木(AOKI)
柏屋名物は「薄皮饅頭」。最近では「檸檬」も美味。開成山の向かい側のさくら通り沿いにあった。今もあるが、当時は工場という印象だった。確か巨大な三春駒のオブジェがあったように思う。
一方の三万石は駅前のアーケード入口(丸光デパート脇)に店があった。売りは「ままどおる」だが、「エキソンパイ」も捨てがたい。三万石は昔、「三万石不二屋」という名称だった。しかしペコちゃんでお馴染みの「不二家」と混同されやすいために、今の名称になった。
大とら焼きでお馴染みの「よしだや」も本町、若葉町などあちこちにあったが、店舗規模を縮小した。
洋菓子の「松風堂」(清水台)、「東京萬」(虎丸)、きんつばで有名だった「大野屋」も潰れてしまった。今は大福で有名な「丹波屋」、インター線沿いの「菓子舗愛宕屋」、大槻町の「大竹屋菓子店」、開成山の「源平団子」で有名な「旅館源平」、本町の「大黒屋」などは辛うじて生き残っている。
さて、今日の記事はいかがでしたか。生粋の郡山っ子だからこそ、郡山の商業事情やウラ事情にも明るいのだ。そして、郡山を訪れたビジネスマンや引っ越して来た方々が、口を揃えて言うのは、郡山は「ラーメン店」と「パチンコ店」、それに「ホテル」が多いことだ。ホテルが多いのは、宿場町だった歴史や交通事情から理解できるが、ほかの2つは意外だが、「なるほど、言われてみれば確かに・・・」という節もある。
しかしながら、今まであった店舗が無くなったり、潰れたりするのは残念で仕方ない。このままでは共倒れでになるのではないかと不安材料が増える一方だし、中心市街地が空洞化し、周辺ばかりが賑わうスプロール化が懸念される。そして、昔から馴染みだった老舗店が次々姿を消し、全国展開のチェーン店や中央資本に駆逐され、自然淘汰されていくのは実に忍びない。もうドリフのコントに出てくるような商店街はめっきり少なくなってしまった。
最後に、無くなってしまった店で、私が特に残念に感じたお店をランキング形式で紹介し、結びとしたい。
1位 創夢館(並木町) 現在この一帯は再開発のため更地
2位 ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ(桑野・アメリカ村アーク内)ウェスタン調。
3位 アルペン(桜木町・郡山5中東側うねめ通り沿い)内環沿いのヴィクトリアも消えた。
4位 見聞録(桑野・うめね通り沿い)
5位 飛行船(郵便局近く・横塚東部幹線沿い・安積町4号線沿い)何度もデートで使った。
6位 ビデオフォーラム(内環状線沿い)倉庫のような内装がおしゃれで2階建てだった。
7位 蟹の甲羅(内環状線沿い)
8位 サンマルク(郡山インター線沿い)喫茶も備えたおしゃれなパン工房だった。
9位 ユアファクトリー(郡山駅東口) ホームセンターで屋上が駐車場だった。
10位 ぽえむハウス(並木町のマクドナルド隣り)
11位 Cake & Cafe 1024(備前舘)今はケータイショップ。
12位 ビデオボーイ(清水台・桑野)→私は一度もレンタルしたことはない。
13位 BLUE HOUSE(中町)→輸入雑貨やオリジナルデザインが豊富だった。
14位 カラオケヒットスタジオ(富田庭球場前)
15位 東北書店(駅前アーケード内)
16位 角海老(中町・現郡山ビューホテルアネックス)
17位 新星堂(中町ホテルプリシード内)
18位 おもちゃのピノキオ(中町)
19位 お好み焼きのおのざわ(虎丸町)
20位 メンズCAPA&五味田(桑野・アメリカ村アーク内)
関連ブログ
「今は無き郡山の建物・店」
http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-9843.html
「商業激戦都市事情 in 郡山」
http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/in-8e2c.html
記事作成:8月21日(木)
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はじめまして。
少し前から読ませていただいておりましたが、初めて書かせていただきます。
私も生まれも育ちも郡山で今年45になります。
アメリカ村アークや郡山各地にあった飛行船にはよく行きましたし、カラオケといえば富田と安積のヒットスタジオでした
最近はあまりあちこち歩かなくなったせいで(笑)
逆に発見があったりして様変わりする街を見るのも悪くないですね。
・・・・「ゆ。」さん初めまして。ご愛読いただきありがとうございます。こうした昔話は得意中の得意なので、これまでも30回以上、ご当地ネタの記事を書かせて貰いました。詳しくはカテゴリーの「旅行・地域」をご覧ください。
実は本日(9/8)が私の誕生日でして、ようやく半世紀が経ちました。そのうち郡山には、大学時代と勤務の関係で郡山を離れた9年間を除き、41年住んだことになります。年の数だけ郡山にも詳しくなったと自分では思っています。
今は、もっと詳しく郡山市の歴史を調べていて、まとまり次第、掲載したいと考えています。どうしても手に入らないのが、「郡山レジャーセンター」と「磐光パラダイス」の内部の写真、そして駅前にあった「郡山中央スケートリンク」の画像です。誰か情報をお持ちだといいのですが・・・。
拙い文面や記事が多いのですが、また気になった記事があったら、遠慮なくコメントをお寄せいただければ幸いです。なお、職場の勤務状況の影響で、朝8時から17時までは、コメントへのレスができませんのでご了承願います。(SUZU)
投稿: ゆ。 | 2014年9月 8日 (月) 09時49分