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2014年9月 6日 (土)

福島県の謎めいたスポット(偉人たちの足跡)

 これまで幾度となくご当地ネタを、このブログにて掲載してきたが、今回、私もあまり知らなかった事実を紹介したい。それは歴史にその名を轟かす、かの有名な人物の墓が、意外や意外にも、ここ福島県に点在しているというのだ。墓所だけでなく、ミステリースポットに匹敵しそうな風変わりかつ意味ありげな場所まで存在する。この秋の行楽の参考にしていただきたくてしたためてみた。合計で20か所あります。ではさっそくどうぞ!

 1 新撰組組長・近藤勇の墓

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 幕末時代に活躍した新撰組。徳川幕府の最後の砦として、京都守護職に就いた会津藩お抱えの実働見廻り組として、討幕派の金狼の獅子たちに敢然と立ち向かった彼ら。腕に覚えのある剣士が集い、ひたすら剣術を磨き、厳しい戒律と鉄の掟で同志らを粛正。血なまぐさい政変の世にあってその存在を轟かせ、歴史に名を刻んだ。その隊士は沖田総司、土方歳三など錚々たる面子だが、その豪傑たちを束ねたのが誰あろう、組長・近藤勇だった。彼は、最後まで倒幕派の薩長連合(西軍)と徹底抗戦に挑んだ他の隊士とは異なり、敵の軍門にくだり、やがて板橋で処刑され、その首は極悪人としてさらしものとなったが、その後、その遺骨は分骨された。その遺骨の一部が会津若松市の飯盛山と嶺続きの慶山という地名にある天寧寺に埋葬されてある。私はこれまでに2度訪れ、お参りしている。

 参考ブログ http://www.aizukanko.com/spot/207/

 2 歌舞伎や人形浄瑠璃になった人肉を貪り喰う「鬼婆伝説」(安達ケ原黒塚)

 そこはあまりにも哀れな悲話があったミステリースポットとして全国に知れ渡っている。

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 昔、京都の公卿屋敷に「岩手」という名の乳母がおり、姫を手塩にかけて育てていた。
その姫が重い病気にかかったので易者にきいてみると「妊婦の生き肝をのませれば治る」ということだった。そこで岩手は生き肝を求めて旅に出ることにした。しかし、妊婦の生き肝などたやすく手にはいるはずもなく、いつしか安達ケ原の岩屋まで足をのばしていた。木枯らしの吹く晩秋の夕暮れ時、岩手が住まいにしていた岩屋に、生駒之助・恋衣(こいぎぬ)と名のる旅の若夫婦が宿を求めてきた。その夜ふけ、恋衣が急に産気づき、生駒之助は産婆を探しに外に走った。
 この時とばかりに岩手は出刃包丁をふるい、苦しむ恋衣の腹を割き生き肝をとったが、恋衣は苦しい息の下から「幼い時京都で別れた母を探して旅をしてきたのに、とうとう会えなかった・・・」と語り息をひきとった。
ふとみると、恋衣はお守り袋を携えている。それは見覚えのあるお守り袋であった。なんと、恋衣は昔別れた岩手の娘だったのである。気付いた岩手はあまりの驚きに気が狂い鬼と化した。
   以来、宿を求めた旅人を殺し、生き血を吸い、いつとはなしに「安達ケ原の鬼婆」として広く知れわたった。
   数年後、知らずに宿を求めた紀州熊野の僧・東光坊が岩屋の秘密を知るところとなり逃げたが、鬼婆はすさまじい形相で追いかけてくる。東光坊はこれまでと、如意輪観音が入った笈(おい)をおろし祈願すると、観音像が空高く舞い上がって一大光明を放ち、白真弓(白木のマユミで作った弓)で鬼婆を討ち取ったという。
    鬼婆は阿武隈川のほど近くに埋められ、塚は、その昔から「黒塚」と呼ばれている。

 *「安達ケ原・鬼婆伝説について」 より抜粋させていただきました。実際に私が訪れた旅行記は下をクリックしてご覧ください。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-bc62.html

 3  心霊マニアの聖地「翁島ペンション・横向ロッジ」

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  どちらも猪苗代町にあるが、直線距離で20km離れている。ここは全国の心霊スポットの最上位にランクされている、真夏の肝試しのメッカとなってしまっている。そこで実際に事件があったとは、どこにも記録されていないが、噂が噂を呼び、今では最怖の心霊スポットとして有名になった。呪われたくないので、詳しくは、私が昨夏に訪れた旅行記をご覧ください。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-1e87.html

 4 UFO目撃情報多数 ピラミッド形の千貫森

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 私は今年6月に強行訪問した。「TVチャンピオン」や「サタふく」などで度々取り上げられる珍名所である。地元は真面目に「UFOで町おこし」を敢行している。UFOふるさと館の3Dは必見の価値あり。CIAの極秘文書も展示されてあって、UFOの謎や神秘を十二分に味わえるし、千貫山の山頂の展望台に登れば、いかにもUFOを目撃しそうな雰囲気がある。「ふるさと館」にはなんと日帰り入浴までできてしまう施設がある。多くの芸能人も取材がてら訪れていて、サインが多数陳列してある。また。町中にUFOを象った珍しいオブジェが点在しており、それらを発見するのも一興。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-9fdf.html

 5 富士山が見える北限の山(麓山)

 二本松市の旧:東和町と旧:岩代町の境界に位置する端整な円錐形をした山容の独立峰。ハヤマは羽山とも書く。富士山の見える北限の山として知られる。三角点のある山頂の露岩部には羽山神社が祀られており古くから地元の信仰の対象となっていたことがうかがえる。また山頂は小広く独立峰という山容を活かしてパラグライダーのテイクオフエリアが造られており、天気のよい日はパラグライダーを楽しむ人々をよく見かける。山麓は牧場やリンゴ畑やサクランボ畑が広がる果樹園となっており地元に多くの恵みをもたらしている。
参考ブログ http://yamayama.jp/towahayama/towahayama.htm

 6 原発事故で企画変更を余儀なくされたDASH村

 今年、長年に渡ってTOKIOと一緒に汗水垂らし農業指導にあたってこられた三瓶昭雄さんが亡くなられた。しかし、この番組に出演したことで、豊かな晩年が過ごせたと思っている。かつて「天才たけしの元気が出るテレビ」で常葉町在住だった「エンペラー吉田」というご老人がいた。もうすでに鬼籍に入られたが、興奮すると入れ歯が外れるキャラで大人気を博した。彼もまたひどい訛りで「偉ぐなくとも正しぐ生ぎる」という名言を残した。吉田さんもテレビで注目されなかったら、変わり映えのない老後を過ごし、人知れず亡くなっていた身の上だったと思う。ふとした弾みで脚光を浴びる。これもまた運命の悪戯なのだろう。

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 残念ながら、福島第一原発事故により、浪江町にあったDASH村は避難指定区域となり、そこでの撮影は不可能になった。代わって登場したのが、同時並行で放送していた「DASH海岸」と新たに始まった「DASH島」。いずれも環境問題や無人島でのサバイバル生活で自給自足はできるのかをテーマにしている。福島県人としては、再びTOKIOが当地に集結し、撮影再開となることを願ってやまない。

 7 戊辰戦争で儚く散った英霊を祀る白虎隊士と二本松少年隊士の墓

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 どちらも会津戊辰戦争の激戦地となった会津藩と二本松藩において、勇猛果敢に戦い、若くして敵の砲弾に倒れた勇ましき隊士たち。その年齢はいずれも10代であった。ぜひ壮絶な歴史に触れ、志半ばで戦場に散った若き英霊たちを弔い、供養していただきたい。

 詳しくは私が訪れた旅行記をどうぞ

  会津白虎隊 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-1559.html

  二本松少年隊 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/post-bc62.html

 

 8 「独眼竜正宗」が勢力を拡大のために攻め落とした城の数々

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  戦記に登場する有名人といえば、他にも戦国時代に活躍した「伊達政宗」がいる。俗に言う「独眼竜正宗」である。米沢藩の戦国大名として、東北一円に勢力を伸ばし、我が福島県に点在する城を立て続けに攻め落とした。小浜や二本松、黒川城などである。私は昨年の秋に、彼の足跡を追って人取橋の古戦場跡や実際に彼が落城させた城を見て歩いた。

  小浜城・宮森城址 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-e2bd.html

 

 9 伊達政宗「八百人なで斬り」の現場 「死霊が蠢く山・小手森城」

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 ここは今でも訪れるべきではなかったと悔やんでいる心霊スポット。ここで戦国時代に大量殺戮があった。世にいう若き日の伊達政宗による「八百人なで斬り」である。二本松城主に父親を殺された伊達政宗が逆鱗。大激怒のあまり、小手の森城を総攻撃し、城に立てこもった兵士だけでなく、農民など婦女子供、犬猫の家畜も含め皆殺しにして復讐を果たした事件。私は、迷いながらも、歴史に触れるため当地を訪れ、慰霊登山した。しかし、やはり怨念は500年以上経った今も拭えず、その後、二か月間に渡って、両脚肉離れの怪我に冒された。死霊が眠る神聖な場所に足を踏み入れた報いだと思っている。その時の模様はコチラ。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/06/post-9fdf.html

 10 絶世の世界三大美女「小野小町」生誕の地?

 これも俄かには信じがたい話。小野小町と言えば、クレオパトラ、楊貴妃と並び「世界三大美女」として有名(まぁ小野小町の名を世界中の人が認識している筈はないが・・・)だが、出生は「秋田美人」としてその名が通るほどの美人の産地「秋田県」であることは周知のところ。だが、福島県には小野町というのが阿武隈山系に面した場所にあって、「小野つながりのやらせ」ともいうべき、生誕の地がここだと主張しているのだ。では小野町の公式HPの記載をどうぞ!

http://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/3/onono-komachi.html

http://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/13/history-onomachi.html

http://www.fukutabi.net/fuku/ono.html

 謎だらけ、いや、というよりも訝し気だし、眉唾っぽい。無理やりこじつけも甚だしい印象。

小野小町については、出生や生誕の謎だけでなく、その墓までもが謎だらけ。全国各地に小野小町の墓が多数点在している。いくつかは根も葉もないこじつけと察しが付く。もしかしすると分骨(髪の毛の一部とか指の骨とか)したという話なら理解も得られるが、真相は定かではない。ひょっとすると町おこしのための苦し紛れの作り話かもしれない。同じような話は日本国内にあり、宮城県大崎市や茨城県土浦市、栃木県岩舟町、鳥取県伯耆町、京都市左京区静市市原町、更には山口県下関市、我が福島県喜多方市にも塚がある。それぞれそこが本家と言って憚らない。

 私は小野町にはあまり行く用事がないが、機会があったら真相究明のため訪れてみたい。

 参考ブログ http://bqspot.web.fc2.com/takasato.html

 宮城県大崎市 http://komatide.web.fc2.com/gazo/miyagi/bohi.html
 茨城県土浦市 
 http://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0487.html

 栃木県岩舟町 http://iwafune.shokokai-tochigi.or.jp/kankou_komachi.shtml
 

 京都市左京区静市市原町 http://www.e-kyoto.net/rekisi/84
 
 鳥取県伯耆町 http://www.houki-town.jp/new2/5/3/15/
 山口県下関市 http://www.geocities.jp/kakitutei_pickup/ono/komati1.html
 喜多方市高郷町 
 http://www.jalan.net/kankou/070000/071700/spt_07406af2170128180/

 11 静御前終焉の地

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 これも眉唾っぽい話。時は鎌倉時代。源頼朝の怒りを買い、実弟である牛若丸こと源義経が実兄頼朝の討伐の命により、命からがら都を追われ、家来の弁慶ら側近を伴って奥州へ落ち延びたのは事実。もちろん、最有力な史実では、平泉で藤原氏のまさかの裏切りに遭い、自刃して無念の死を遂げたことは知られている。
 しかし、それは影武者で、本物の義経は、変装して津軽海峡を渡り、蝦夷地に逃げたという逸話が残る。それが証拠に、北海道には義経に纏わる伝説が数多く残っている。たとえば平取村にある「義経神社」、そして道南の日本海側には「弁慶岬」や「刀掛け岩」、積丹半島の神威岬には義経がここから大陸に渡り、チンギスハンになったという話まである。こちらも真相は神秘のベールに包まれた謎である。
 しかしながら、平泉で追っ手の刺客に討たれたのせよ、その道中で我が福島県(岩代)を通ったかもしれないのだ。もちろん、追われる身の人間が、その足跡を残す筈が無く、証拠は何一つない。有力説は日本海ルートらしいのだが、郡山は昔、奥州街道の宿場町として知られていた。一宿一飯を当地で過ごしたことも十分あり得る。しかも、頼朝によって義経との愛息を殺された静御前は、深く傷つき、側近を伴って都を脱出。夫・義経を追って、当地に脚を運んだとの記録がある。そして郡山の地に滞在中、平泉で義経が討たれたことを知り、静御前は悲観して郡山の西部にある池(その後、美女池と命名)に身を投げ、その生涯と閉じたとの言い伝えまである。さらには、彼女の名に因んだ市内静町には、悲劇のヒロインとなった彼女を憐れんだ地元の住民が建立したとされる「静御前堂」という建物まである。

 静御前堂例大祭の模様はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=ETIlXHJrmEU

 歴史ミステリー「義経の謎」 

 https://www.youtube.com/watch?v=GBfTjvZYnsc

 https://www.youtube.com/watch?v=M__nvvf9XyY

 12 木版画界の巨匠・斉藤清

 1907年 福島県河沼郡会津坂下町生まれ。独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に見せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残している。勲四等瑞宝章、文化功労者。1997年に福島県柳津町に「斎藤清美術館」が完成。その年の11月に90歳で死去した。夫妻の墓は会津坂下町「光明寺」にある。

 参考ブログ http://7iis.web.fc2.com/page011.html

 13 赤穂浪士・堀部安兵衛の供養塔と両親の墓

 江戸時代の「忠臣蔵」と言えば、「大石内蔵助」を筆頭家老とし、四十七士が歴史にその名を残す赤穂藩の忠義の家臣。城主・浅野内匠頭が、江戸城「松の廊下」で吉良上野介を刃傷に及び、即日切腹。その亡き君主の敵討ちとして吉良邸討ち入りで本懐を遂げた実話である。その一番弟子とも言うべき剣腕が立つ英傑と言えば堀部安兵衛だが、彼は越後国新発田藩溝口家家臣の中山弥次右衛門(200石)の長男として新発田城下外ヶ輪中山邸にて誕生した。しかし、どうしたことか、福島県の史実では、父の新発田藩士中山安太郎夫妻が知る辺を頼って坂下に移り住み、寛文10年(1670年)に生まれたという。
幼名は安之助、5歳の時に母が亡くなり、父も天和2年(1682年)に亡くなった。詳しいことは、下記をご覧ください。

 参考ブログ http://7iis.web.fc2.com/page011.html

 14 水墨画家の「雪村」が晩年を過ごした活動拠点

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 郡山市と三春町の境にあたる西田町の一角に、水墨画の大家「雪村」が晩年に住まいとして使い、創作活動に勤しんだ「雪村庵」がある。ここは竹林の森を切り開いたかのようにひっそりと小屋が佇んでいる。静寂で街の喧騒を離れ、書に打ち込むには最適な場所。私は通勤として都合9年間も毎日この前を往復した。枝垂桜の名所としても知られるこの場所は、三春滝桜と並び、旅行誌のグラビアを飾ることも少なくない。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/post-e5fa.html

 15 奥の細道で松尾芭蕉が旅した街道

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 芭蕉は江戸時代に、曾良を伴って旧奥州街道を北上し、旅をしながらその土地で俳句にまとめ、「奥の細道」を完成させた偉人である。もちろん、我が福島県もその旅の途上で立ち寄っている。県内では白河の関から飯坂温泉まで旅し、道中、守山、安積山、二本松、文知摺観音に立ち寄ったようだが、特に須賀川市には長期滞在し、その周辺の地区にある名所を句に詠んだ。乙字が滝には彼と曾良の像がある。

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 16 東京五輪銅メダリスト、悲劇のランナー円谷幸吉生家と墓

 
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 1964年に開催された「東京オリンピック」。その男子マラソンで無名だった円谷幸吉が3位の銅メダルを獲得したことが皮肉にも悲劇の始まりでもあった。この快挙で日本中が熱狂し、次のメキシコ五輪では、金メダルの大本命との期待がかかり、彼はその重圧に苦しむこととなる。そして怪我から思うように走れない焦りが、やがて彼を自殺に追い込んだ。私は彼を尊敬してやまない一人だ。彼を偲んで、昨冬に彼の生家と墓参りを実施した。そして親族の厚意で須賀川文化センターの一角に設けられた「円谷幸吉メモリアルホール」で彼の遺品の品々を目の当たりにし、彼への想いや理解を深めて来た。彼が死の間際にしたためた家族宛の直筆の遺書は涙無くしては読めないものだった。その時の旅行記は下をクリックしてご覧ください。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-3151.html

 17 千円札の肖像 Dr. 野口の生家

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 野口英世と言えば世界中にその名を知られるほどの偉人。黄熱病研究の第一人者として知られ、南米やアフリカ各地でその研究に没頭した細菌学者。ガーナで自らも感染し、51歳で死去した。彼は福島県猪苗代町出身。幼少の頃、貧しい農家だった自宅の囲炉裏で火傷を負い、左手に大きな障害をきたす。彼の茅葺屋根の生家は今も郷里の猪苗代町に保存され、記念館として多くの資料が残されている。彼の亡骸はアメリカのニューヨークのウッドローン墓地に埋葬されている。今では千円札の肖像画に描かれるほど、日本を代表する人物として崇められている。

 18 ミニ清水寺?人知れずひっそり佇む左下観音

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 こんな凄い建造物が会津にあったなんて驚き以外の何物でもなかった。まるで京都・清水寺のミニチュア版。私は会津に1年間住み、更に、これまで幾度も会津周辺は旅行で訪れ、「自称・会津通」を自負していた。しかし、よもや人里離れた奥地に、これほどの威容を誇る歴史的遺産があるとは思わなかった。今年5月に実際訪れたが、観光客はゼロ。おそらく地元(会津美里町)の人しか知らないであろうスポットである。観光案内の標識もない寂れた場所に「左下(さくだり)観音」は実在した。私が訪問したのは土曜日の朝8時過ぎだったが、30分ほどの滞在中、誰一人として訪れた観光客はいなかった。

 実際に私が訪れた時の模様はコチラ↓

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/05/post-4925.html

 私がこの記事をしたためた途端、この建造物が県の重要文化財に登録されることとなった。これでようやくアクセス道路も整備されることだろう。標識も少なく、寂しい山奥にひっそり佇んでいたので、ようやく日の目を浴びることとなった。

 それにしても私が記事に取り上げると、その場所が脚光を浴びるというジンクスは生きている。

 19 ウルトラマン・ゴジラ生みの親、円谷英二生誕の地

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 須賀川市と言えば、円谷幸吉と並ぶ二大ヒーローとして名高いのが「ウルトラマン」。なぜならウルトラシリーズやゴジラの生みの親であり、未知の特撮技術を開発した名監督・円谷英二の生まれ故郷がこの須賀川なのだ。よって彼の栄誉を称え、須賀川の町中のそこかしこには、ウルトラマンの銅像や看板、壁画などモニュメントが点在している。それを探すスタンプラリーまであるほどだ。もちろん隣町の玉川村にある「福島空港」にも、ウルトラマンの像が立ちはだかり、2F出発ロビーの展示広場にもイベント期間中は像があり、ちびっ子の人気の的となっている。お土産にもウルトラマンのせんべいや饅頭まで売られている。ウルトラマンで町おこしをしていると言って差し支えない。

 「須賀川市M78光の町」HPはコチラ http://m78-sukagawa.jp/

 「福島空港」のHPはコチラ http://www.fks-ab.co.jp/

 20 どうして白河にアウシュビッツ平和記念館?

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 「アウシュビッツ」と言えば、ナチスドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーによるユダヤ人大量虐殺の舞台となった、オーストリアにある強制収容所。ここで罪なき数十万という群衆が、ガス室送りとなり、壮烈な死を遂げた、歴史上「負の遺産」とも呼ぶべき場所。その記念館が、なぜか遠く離れた日本の、白河市に存在する。
 昨年の夏(8/14)に私も訪ね、第二次世界大戦中に起きた悲劇について学び、平和の尊さを身に染みて感じた。両親が強制連行されている場面を子供が描いた絵や遺品、弾薬、毒物、防毒マスクや収容所の写真なども多数展示されていた。

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-c5dc.html

 余談 福島県にあるイギリス?「ブリティッシュヒルズ」

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 そこは日本に居ながらにして異国情緒満載の場所。羽鳥湖の西側の山麓に広がる英国。広い敷地に建つ建造物は、すべて英国風。しかもそこは日本でイギリス留学体験ができる。一歩敷地に入れば、英語を公用語として話さなければならない。中高を始め、毎年多彩な語学研修プログラムを用意し、国内留学施設として利用されている。

 公式HPはコチラ http://www.british-hills.co.jp/

 他には会津・柳津町にある「ツムジクラの滝」や日本のカッパドキア「浄土松公園(きのこ岩)」も隠れた観光スポットだと思う。

 さて、福島県内の隠れたプレイスポットもふんだんに盛り込んでみたが、いかがでしたか。福島=原発汚染の地というマイナスイメージはもう昔のことで、震災の記憶は決して忘れてはいけないが、私たち福島県民は、避難されている方を除けば、震災前と変わらない生活を取り戻している。ぜひ、秋の行楽シーズンは、「福島」を訪れてみませんか?ガイドブックには載らないような未知のスポットもある筈です。

 記事作成:平成26年8月初旬~18日(月)

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