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2014年11月15日 (土)

プロ野球・大型トレードの歴史

 日本シリーズが終わると、プロ野球界はオフシーズン、いわゆるストーブリーグを迎える。例年この時期の話題を浚うのが、最近は「結婚ラッシュ」というのもあるが、ドラフト会議とトレードだった。現在は1993年に導入されたFAにも注目が集まるが、例年、金持ち球団(巨人・ソフトバンク等)が根こそぎ他球団の主力選手を、金に糸目をつけない大盤振る舞いで引き抜き工作を謀っている。一方で人的補償でプロテクトを外れた選手は、泣く泣く他球団へと移籍することとなる。昨年は、一岡投手が巨人から広島へ渡ったが、巨人時代は選手層が厚く、出場機会に恵まれなかった若武者は、水を得た魚のごとく大活躍したのはいうまでもない。 
 この季節、野球人生の転換期となる様々な場外ドラマを生むが、今回は「大型トレードの歴史」と題して、過去のプロ野球の中で、電撃的かつ衝撃的な大型トレードをピックアップし、ランキング形式でお送りしたい。なお、順位は、まったくの個人的な主観に基づくものであり、世間の野球ファンの意見によるものではないのであしからず。また、ここでいう大型トレードとは、複数限定ではなく、ビッグネーム同士の単独交換というのも含みたいと考えている。

 1位 江夏豊(阪神)と江本孟紀(南海)

 江本は南海のエースとして活躍。野村克也とバッテリーを組み、リーグ優勝を果たした。1974年にはオールスターゲームへの出場を果たして第2戦に先発。阪神タイガースの江夏豊と投げ合い、翌1975年オフに両投手はトレードされた(ホークスからは島野育夫、長谷川勉、池内豊。阪神からは望月充を加えた4対2の交換トレード)。
 江夏は伝説の「オールスター9人連続奪三振」という快記録を残した、正真正銘の阪神のエースとして君臨した。田淵と夢のバッテリーを組んだ。また、優勝請負人として、その後、抑えの切り札に転向し、日本ハム、広島、西武、マイナーと渡り歩き、引退した。

Enatsu Emoto1

 生涯成績比較 (現役生活:江夏豊18年、江本孟紀11年)
 
        登板数  勝利  敗戦  セーブ 勝率  奪三振  失点  防御率
江夏 豊   829   206  158  193 .566 2,987  985  2.49
江本孟紀   395   113  126   19 .473 1,130  885  3.52

 江本は阪神入団後、「ベンチがアホやから野球でけへん」という捨て台詞を吐いて退団した。その後、現場からは遠ざかり、1982年には現役時代のエピソードを赤裸々に書いた本「プロ野球を10倍楽しく見る方法」が200万部を超える大ベストセラーとなり、作家としても成功した。現在も現場とは一線を画し、フジテレビ系の野球解説者として活動している。

 2位 田淵幸一(阪神)と真弓明信 (クラウンライターライオンズ)

 1978年オフ、クラウンライターライオンズから生まれ変わったばかりの西武ライオンズにトレードされる。阪神から田淵・古沢憲司の2人、クラウンから真弓明信・竹之内雅史・若菜嘉晴・竹田和史の4人という主力同士の大型トレードであった。

Tabuchi Tabuchi2

 生涯成績比較 (現役生活:田淵幸一16年、真弓明信23年)

        打数      安打   本塁打    打点  四死球  三振  打率 
田淵幸一  5,881  1,532   474 1,135    951    972 .260
真弓明信  6,624  1,888  292   886     551   953 .285

 田淵はホームランアーティストとして滞空時間の長い豪快なホームランでファンを魅了した。相手ピッチャーが対戦を嫌がり、極端な内角攻めでデッドボールが多く、手首の骨折も度々あり、これが原因で引退を早めた。西武移籍後は、「がんばれタブチくん!」のアニメキャラで登場し、人気が再燃した。西武の創世期に、太田や東尾、松沼兄弟らとともに黄金期のメンバーとして君臨した。

 3位 張本 勲(東映・日拓)と高橋一三(巨人)ら

 1976年、巨人の左のエースだった高橋一三+内野手の富田勝との交換トレードで巨人へ移籍。憧れであった巨人に入団した。この年、親友だった王貞治とチームメイトとなり、OH砲を結成し、長嶋巨人の前年最下位からのV奪還に大いに貢献した。

Harimoto

 生涯成績比較 (現役生活:高橋一三 19年、富田勝 13年、張本勲 23年)
 
        登板数  勝利  敗戦  セーブ  勝率  奪三振  失点   防御率
高橋一三   595   167  132   12 .559  1,997 1,107  3.18 

        打数       安打   本塁打    打点  四死球  三振   打率
富田 勝  4,028 1,087  107    451   446   566    .270
張本 勲  9,666 3,085  504  1,667  1,352  815   .319  

 富田勝は田淵幸一、山本浩二とともに「法政大学三羽ガラス」として活躍し、鳴り物入りで南海にドラフト1位で入団したが、その後、巨人に移籍した。しかし、長嶋茂雄の控え三塁手だったため、出場機会に恵まれず、新天地を求めての移籍となった。

 4位 落合博満(ロッテ)と牛島和彦・上川誠二ら4選手(中日)

 シーズン終了後、理解者であった稲尾和久監督が成績不振で解任されると、落合は「稲尾さんのいないロッテに自分はいる必要がない」と発言。これがきっかけで、その後、牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂の4選手との1対4の交換トレードで中日ドラゴンズに移籍。ロッテも、三冠王を複数回取った落合の実力は評価していたものの、年棒交渉で毎回決裂していた落合に嫌気がさしての放出だったと噂された。そして中日移籍後、日本人初の年俸1億円プレーヤーとなった。インタビューで彼自身が口にした「(選手4人との交換されたことで)私もそういう選手になったのか」との感想を今でも忘れない。

Ochiaihiromitsu Ushijima

 生涯成績比較 (現役生活:牛島和彦 14年、上川誠二 12年、落合博満 20年)
 
        登板数  勝利  敗戦  セーブ  勝率  奪三振   失点   防御率
牛島和彦     395    53   64   126  .453   746   374   3.26

         打数       安打    本塁打    打点   四死球    三振     打率
上川誠二  3,214   872    51    282    198   186    .271
落合博満  7,627  2,371   510  1,564  1,538  1,135    .311

 牛島は、高校時代に浪商の投手として高校野球で活躍。ドカベンこと故・香川伸之とバッテリーを組み、揃ってプロ野球へと進んだ。その後、多彩な変化球を操り、特に伝家の宝刀であるフォークボールは切れ味抜群で、三振の山を築き、鈴木孝政引退後のストッパーを任された。上川も俊足巧打の好選手で、中日ではレギュラーを獲得し、将来を嘱望されていた。
 一方の落合は、オレ流の調整法でありながら、結果はきちんと残し、広角に打ち分けるシュアなバッティングで三冠王を3度獲得した大物スラッガーだった。面白いのは練習方法で、打撃練習では、打者と正対する90度の方角からボールを送らせ、それを投手側に向かって打つという独特なバッティングを行った。もし打ち損じれば、体に硬球が当たるというぎりぎりの練習だった。これで集中力と確実性を養っていた。

 5位 小林繁(巨人)と江川卓(阪神)の前代未聞のトレード劇

 空白の一日を突いて、巨人が江川卓と電撃契約。これを無効としたNPBに対し、翌日のドラフト会議を巨人側がボイコット。江川の契約有効を主張する正力オーナーとNPBで意見が衝突。最終的にコミッショナー・金子鋭の「強い要望」により1979年1月にドラフトで指名した阪神に入団した上で、小林繁を相手とする交換トレードで巨人に移籍することとなった。球団の非情な裁定に極めて紳士的に振舞った小林に対し、この事件により江川は一躍悪役に仕立て上げられ、マスコミは大挙して江川を批判すると同時に、小林を悲劇のヒーローとして報道した(江川事件)。このことから考えると、江川は1日だけ、阪神に所属していたことになる。

Egawa Kobayashi

 生涯成績比較 (現役生活:小林繁11年、江川卓9年)
 
         登板数  勝利  敗戦  勝率  奪三振  被本塁打 失点  防御率
 小林 繁   374   139  95  .594  1,273  218   836  3.18
 江川 卓   266   135  72  .652  1,366  253   690  3.02

 大学卒業後、1年間の留年生活が仇となり、選手寿命を自ら縮めた。僅か現役生活9年で豪腕投手が姿を消すことになった。江夏に次ぐオールスターでの8者連続三振の快投をやってのけたと思えは、「手抜き」投法による「一発病」がお決まりスタイルだった。それでも9年間で通算135勝(1シーズン平均15勝)は並みの投手ではないことを物語っていた。帳尻あわせがうまく、シーズンオフの年棒交渉では、毎回一発サインは無く、揉める対象であった。最後は対広島戦で、肩に痛み止めを打って強硬出場した際に、主砲の小早川毅彦に決勝ホームランを浴び、それで引退を決意したという。元祖怪物もプロ野球の世界では平凡な成績しか残せなかったが、記憶に残る選手だった。それにしても巨人入りを熱望し、3回のドラフト指名を受けながら、一度もクジに恵まれなかったのは運命のいたずらとしか言いようが無い。

1981年の日米野球での江川の快投 https://www.youtube.com/watch?v=aeItv8ZmxiA

1984年オールスター8者連続三振 https://www.youtube.com/watch?v=kXOVks_lm1E

 スピードガンは140キロ台がほとんどだが、球速はそれ以上速く見える。

 6位 小山正明(阪神)と山内一弘(大毎)

 1963年シーズンオフに「世紀の大トレード」といわれた阪神のエースだった小山正明と大毎主砲だった山内一弘の交換トレードが成立した。

Koyama_yamauchi

 生涯成績比較 (現役生活:小山正明 21年、山内一弘 19年)

        登板数  勝利  敗戦  勝率  奪三振  被本塁打 失点   防御率
小山正明   856   320  232 .580 3,159   365  1,567  2.45

         打数       安打    本塁打    打点   四死球   三振    打率
山内一弘  7,702  2,271   396  1,286  1,089  820   .295

 7位 秋山幸二(西武)と佐々木誠(ダイエー)

 1993年は、30本塁打を放つ(=9年連続30本塁打以上は現在もパ・リーグ記録)も低調なシーズンとなり、日本シリーズでは6番で出場した試合がある。シーズンオフに渡辺智男、内山智之とともにダイエーの佐々木誠、村田勝喜、橋本武広との大型トレードが発表される。

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 生涯成績比較 (現役生活:秋山幸二20年、佐々木誠16年)

        打数      安打   本塁打   打点  四死球  盗塁  三振   打率 

秋山幸二 7,997  2,157  377   1,312  985  303 1,712 .270
佐々木誠 5,775  1,599  170   638   447  242   933 .277 

 8位 不可解な小久保裕紀の無償トレード

 それは誰もが首をかしげるトレード劇だった。2003年のシーズン終了後、多くのファンから来季の活躍を期待されていた小久保が、読売ジャイアンツへ前代未聞の無償トレードで移籍することとなった(小久保事件)。移籍の理由は、当時の球団社長である高塚猛と意見が合わなかったことや、アメリカでの治療費・渡航費である約2000万円が球団から一切支払われなかったことが挙げられ、小久保はアメリカから一時帰国した2003年6月中旬に球団に対して自由契約の意思を伝えていた。無償トレードとなったのは、当時のオーナーである中内正が、金銭トレードの分を小久保の年俸に上乗せするよう巨人側へ伝えたからとされる。だが、この一件はチームメイトやダイエーファンのみならず、球界全体に大きな衝撃を与えた。

Kokubo Kokubo2

 9位 二岡智宏、林昌範(巨人) ⇔ MICHEAL、工藤隆人(日本ハム)

 2008年オフの電撃的な放出劇となった。二岡は走攻守揃ったクールなイケメン選手として遊撃手の定位置を確保していた。長嶋巨人の優勝決定打を放つなど勝負強さもぴか一だった。しかし、山本モナとの密会不倫報道が汚点となり、スキャンダルをもっとも嫌う巨人の首脳陣が、セットアッパーとして定着していた林とセットで電撃トレードに打って出た。見返りは、日本ハムの守護神のひとりとして活躍していた日系アメリカ人のMICHEL中村と工藤だった。どうみてもファンが承服できない巨人不利の移籍劇だった。場外ゴシップでナベツネの怒りを買ったのが原因とも言われている。

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<番外編>

 野村克也

 野村は「生涯現役」を掲げ、息の長い選手として君臨した。そのため、監督兼任選手であるプレイングマネージャーとしても活躍したし、南海からロッテ、西武と渡り歩き、45歳で引退するまで26年間も現役生活を継続した。

 さて、主力同士の交換トレード。現在のようなFA制度がない時代、移籍交渉といえば聞こえはいいが、裏では多額のお金が動いて成立したようなケースは山ほどある。戦力補強のために、金に物を言わせて、毎年のように大物選手を引き抜く某球団のなりふり構わぬ行動は目に余るものがあるが、こうしてトレードで新天地で活躍できる選手はまだいい。なぜなら、今年もまた、120名もの選手たちが戦力外通告を受けているからだ。他球団から誘いがなければ、任意引退選手となり、現役続行はかなわない。また、最後の望みをかけて、プライドを捨てトライアウトに参加し、自分を売り込む選手もいる。入団時には多くの期待をかけられ、身の丈以上もの契約金をもらい、プロ野球界に身を投じた若者たち。

 完全実力主義のまさに戦国時代に巻き込まれ、自分の実力を発揮できずに球界を去る者も多い。また、実力はあっても、出場機会に恵まれず、泣かず飛ばずでファーム暮らしを余儀なくされている選手もいる。さらには、怪我や故障で泣く泣く引退する者も多いのが現状だ。引退後の身分の保証はない。それは厳しい世界である。

 ところで、私は主に入浴中や起床後にこのようなネタを思いつくが、いざその思いを記事に落とすのが大変だが、でもこうして苦心して考え出したネタだが、ネットで調べるとNAVERというサイトで、すでに掲載されていることが多い。なので、一見私が真似したり、パクッているかのような印象を持たれるかも知れないが、決してそうではないことをここで申し添えておきたい。

 記事作成:11月5日(水)

 追記(11/15)

 今年もまた、毎オフ恒例の巨人による見境ない「外様大名の買占め」行為が始まった。中日から「素行不良」の吉川に続き、「バット投げ名人」の堂上を獲得する方針。また、引退間近のDeNAの金城とヤクルト相川をFAで獲得。昔から最後のご奉公とばかりに「定年」近い選手を手当たり次第に集める方針は旧態依然だ。
 逆に私が買っていたロペスを放出したり、補強とは言いがたいような行動に走っている。今年の巨人の日本シリーズを逃した元凶は打撃低迷。ところが、川口和久投手コーチを解任するなど意味不明。

 そして、現在日米野球の真っ盛りだが、巨人の坂本勇人を日本代表に選出し、しかも6番を打たせているのが考えられない。坂本はそのような実力がある選手ではない。まるでわかっていないことに呆れてしまう。案の定、まったく打てない。この2年、彼は巨人のレギュラーとしては失格だ。守備での失策も多い。打てない・守れない選手をなぜ1軍に置いておくのかしれない。CSシリーズで懲りたはず。若くてイケメンでファンが多いから選んだのか?だったら客寄せパンダと同じだ。
 私が監督だったら、彼を2軍に追いやり、結果が出るまで1軍には呼ばない。プロとして失格だ。巨人の首脳陣は彼を買いかぶりすぎ。私は井端と片岡に二遊間を任せる。
 そろそろ彼には一軍失格の烙印を押したほうがいい。

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