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2014年11月 4日 (火)

伝説の男⑭ ~銀輪の風・内田慶~

 2008年9月11日、その日、イケメン競輪選手として人気が高かった一人の男が天国に旅立つという悲しい事故が起きた。運命のその日、「第51回オールスター競輪」が一宮競輪場で行われていた。そのS級第7レースの予選1組で悲劇は起きた。ドラの音がリンクに鳴り響き、選手はラスト周回で小競り合いを演じていた。その第3Rコーナーで前を窺おうとした第9レーン出走の内田慶選手(栃木所属)が他の選手に接触し、その弾みで落車。彼は前のめりになり、そのまま堅いリンクに激しく叩きつけられた。レース自体は成立したが、落車現場では、駆けつけた救急隊によって懸命の救命措置がとられた。
 彼は落車直後から意識を失い、身動き一つしなかった。ファンが心配そうに見送る中、そのまま指定救急病院へ搬送された。しかし、関係者の願いも届かず。15時59分、彼は事故の負傷が原因で、帰らぬ人となってしまったのだった。

 その時のレースの模様です。(閲覧注意)

 それでは内田慶選手のプロフをどうぞ。(Wikipediaより)

 内田 慶(うちだ けい、1981年2月11日 - 2008年9月11日)は競輪選手、自転車競技選手。東京都中央区出身。日本競輪選手会栃木支部に所属していた。

 師匠は福田明。弟子には、アテネパラリンピック(2004年)、自転車競技・タンデムスプリント(視覚障害部門)において、葭原滋男のパイロットとして同種目の銀メダル獲得に貢献した大木卓也がいる。
 福島県の学校法人石川高等学校を経て作新学院高等学校に転校し、同校を卒業。2001年、日本競輪学校第87期生として入学。2002年8月3日、ホームバンクであった宇都宮競輪場でデビュー(3着)。

Uchida1 Uchida2

 2003年4月24日、宇都宮で開催されたルーキーチャンピオンレースにおいて、平原康多らを破って優勝。また同年行われた全日本プロ選手権自転車競技大会の4km個人追い抜きで優勝。以後同大会同種目において、2008年まで6連覇を達成。
 2004年、4月、四日市競輪場で開催されたアジア自転車競技選手権大会において、4km個人追い抜きとスクラッチの二冠を達成。スクラッチでは、後に同種目の世界王者に輝くことになる香港のワン・カンポ(3位)らを撃破。この大会の優勝により、両種目のアジアチャンピオンとして同年5月、オーストラリア・メルボルンで開催された世界選手権の出場権を獲得し出場(4km個人追抜15位、スクラッチ11位)。
 同年12月、アメリカ合衆国・ロサンゼルスで開催されたUCIトラックワールドカップクラシックス第2戦のポイントレースで6位入賞。翌2005年3月、ロサンゼルスで開催された世界選手権に出場した(4km個人追抜19位、ポイントレース途中棄権)。
 2006年、カタール・ドーハで開催されたアジア競技大会では、個人、団体の両追い抜き種目に出場。団体追い抜きでは4位入賞を果たした。

 しかし2008年9月11日、第51回オールスター競輪(一宮競輪場)第7レース(発走時刻、午後1時15分)に出走した際、最終周回2センター(3コーナー)付近において、主導権争いに破れて後方へと後退中の選手と、捲りを試みていた選手の3番手を追走していた選手との間に挟まれ 落車。この時他車との接触により前輪のワイヤースポークが全壊したため車体ごと前のめりに崩れ落ち、顔面からバンクに叩きつけられたことによる衝撃が致命傷となってしまった。

 これにより頭蓋骨を骨折し、うつ伏せのまま吐血して動けなくなり、すぐに一宮競輪場の近隣にある大雄会病院へ緊急搬送されたが、同日午後3時59分、外傷性クモ膜下出血のため死去した。享年28(27歳没)。

 通算戦績421戦82勝。優勝17回。選手登録削除日は2008年9月12日。

 死去を伝えるニュースと葬儀の模様


 

 彼は、礼儀正しく、ファンを大切にするナイスガイだった。同僚の競輪選手にも信頼が厚く、甘いマスクでイケメン選手としても人気が高かった。そんな彼が悲劇に遭った後のエピソードを紹介して結びとしたい。競輪を愛し、スピードとファンを愛した男のレクイエムとして亡くなった後のエピソードと、彼の人となりを偲ぶ動画をお送りしたい。

  「2008年オールスター激闘の5日間」 (最後の伏見選手の号泣と絶叫が感動的です。)

 「彼の死後のエピソード」

  •  訃報の日の翌9月12日以降、第51回オールスター競輪最終日となる9月15日まで、一宮競輪場正門横に献花台が設けられた。記帳欄には、地元以外のファンの名前が大勢見受けられ、多くの競輪ファンがその死を悼んだ。
     同大会4日目となる9月14日第10レース準決勝B戦において、出身高校の先輩でもあり、また同じ宇都宮競輪場をホームバンクとしている神山雄一郎が通算700勝を達成。レース後、「今日の勝利は自分1人の力では達成できなかった。内田君とは(オールスター開催の)直前まで車誘導で一緒に練習した。彼の無念の分まで頑張ろうという気持ちでここまで走ってきた。」(日刊スポーツ、2008年9月15日付記事)という内容のコメントを、涙ながらに話した。長塚智広はのちに自己のブログで「神山さんは内田の葬儀で崩れ落ちるように号泣した。」と神山の衝撃の大きさについて記している。

     2008年に開催された全プロ大会(奈良競輪場)で、上述の通り、個人追い抜き6連覇を達成したが、5連覇を達成した前年までとは違って内容が悪く、2位の飯島規之を辛くも退けた形となったことから、レース後の優勝インタビューの途中でマイクを差し向けられた。「自分でも今日の走りは納得いかなかった。」というコメントを残した他、終始落胆した表情を浮かべていた。なお、翌年の全プロ大会(花月園競輪場)では、内田の7連覇がかかるはずだった個人追抜4km種目を「内田慶メモリアルレース」として行ない、場内の大画面モニターに2008年のレース映像を放映する形で内田の偉業を讃えた。
     2009年には内田のホームバンクであった宇都宮競輪場においても、内田の遺志を汲みたいという関係者の意向により、S級シリーズ開催として「内田慶メモリアルカップ」が行われた。
  •  「ファン制作のメモリアル動画」 
  •   私たちは、彼のような優れた才能と人間性に溢れ、ファンのみならず同僚選手たちからも愛された競輪選手がいたことを、ずっと忘れはしない。

      謹んで内田慶選手のご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

     記事作成:11月2日(日)

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    コメント

    内田慶の父親です。
    慶をことをこのようにまとめ、偲んでいただき感謝しております。
    昨年、慶が出生したときから亡くなるまでの記録をアルバムにしてみました。
    亡くなって8年が過ぎますが、今日も競輪ファンの方が墓参りに来てくださいました。
    慶のことを忘れずにいてくれることに有難く思っております。

     ・・・・内田慶さんのお父様からコメントを頂けるようなことがあり、とても恐縮です。私は福島県在住の身ですので、学法石川高校に在籍されていただけに、とても他人事には思えず、その惜しまれつつレース中の事故で亡くなられたことを今でも残念でなりません。もし事故に遭わなかったら、日本を代表するトップ選手としてずっと活躍されていたことと思います。彼の遺した功績を、少しでも多くの方々に知って欲しくて、稚拙な文章で申し訳ないと思いつつ、胸の内を綴りました。
     もしかすると、亡くなられたレースの模様を掲載したことは身内の方には非常に辛い出来事を思い起こさせてしまったかもしれません。でも一瞬の勝負の世界に生きた彼の魂の
    レースをここに残すことで、彼の生きた証をどこかに残してあげたいと考えました。
     彼が天国へと旅立って早8年。私たちファンはいつまでも彼の面影を忘れることはないと思います。(SUZU)

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