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2014年12月

2014年12月30日 (火)

2014年11~12月期のCMベスト5

 今年放送したCMの中で、印象に残る作品をセレクトしてお送りしてきたが、2014年もこれが最終回。

1位 カッコ良すぎる男のエステ(木村拓哉編)

 2位 三井住友銀行 吉高由里子

 3位 JR東日本 行くぜ、東北。 木村文乃

15秒スポットはコチラ 
 https://www.youtube.com/watch?v=2m5tX1Zz-34&feature=youtu.be

 4位 吉高由里子 モイストダイアンシャンプー

 5位  パナソニック 西島秀俊

西島秀俊さん演ずる『家電にハマッた男』シリーズ第3弾!

 次点 Panasonic 石原さとみ

 次点2 スズキソリオ 亀梨和也

 記事作成:11月24日(月)

2014年12月22日 (月)

2014年 天国から地獄を味わった人々

 年の瀬も押し迫り、2014年ももうじき暮れようとしている。1年を締め括るこの時期には、決まって今年一年を振り返る企画が目白押しだ。私は、今年1年を回顧するにあたり、違う切り口を選んだ。それは今年、天国から地獄を味わった方々だ。運命の悪戯に翻弄されるように、明暗を分けた方々を取り上げたい。一寸先は闇と表現できそうな事件ばかりだった。おそらくは本人でさえ、このような顛末に至るとは思いもよらなかったに相違ない。今回の記事は、個人の中傷ではなく、ひとつ対応を誤ると思いも寄らぬ重大な結果を引き起こすという警鐘を鳴らす意味で掲載することを予めお断りしておきたい。
 では2014年、どのような方々が絶頂から地獄へ叩きのめされたか見てみたい。

 ① 理化学研究所(小保方晴子・笹井芳樹)

 1月の万能細胞(STAP)の生成に成功し、全世界の注目と脚光を浴びた理化学研究所所属の両者だが、その後、次々と明るみになった不正論文作成と捏造の疑惑。4月に釈明会見を開き、その後、内部調査により、不正は小保方氏単独によるものと結論付け、同氏が「ネイチャー」への論文掲載も取り下げる事態に至った。その後も騒ぎは収束せず、8月5日(火)に指導役だった笹井氏が自殺した。1月の栄誉から僅か7ヶ月足らずで自殺に追い込まれるという、「神の見えざる手」による悪戯な運命に翻弄された典型例となってしまった。笹井氏は「細胞研究」の第一人者で、京都大学医学部卒のエリート。僅か36歳で京都大学再生医科学研究所教授に就任したやり手だった。

 不謹慎な言い方かもしれないが、社会的地位や立場を考えれば、責任感の違いから自殺に追い込まれるほほど思いつめる男性は、精神的に脆く弱い。一方で、小保方氏には弁護士がつき、周囲のケアも万全で、一見か弱く見える女性のほうが精神的に図太く、強いということが言える。

Obokata Yoshikisasai

 その後、小保方氏がSTAP細胞再生を試みたが、失敗。やはり始めからこのような夢の細胞はなかったと見るのが普通だ。実験ノートが2冊しか残っていないこと自体不自然としかいいようがない。マスコミも周囲もこの快挙に踊らされて十分に検証をしないまま書き立てて大騒ぎしてしまった。この一連の騒動の責任をとり、遅まきながら小保方氏は理研を退職。しかし、科学者にとっては失敗=犯罪行為であってはならないと思う。何度も失敗に失敗を重ね、やっとの思いで成功に辿り着くからだ。返す返す残念なのは、この件で尊い命が失われたことだ。笹井氏のご冥福をお祈りしたい。

 ②不祥事議員続出(野々村竜太郎・鈴木章浩・山本景)

 1.野々村竜太郎

 2014年7月、大きなスキャンダルが発覚する。特に、1年間に200回近く日帰り出張し、領収書を添付しないまま政務調査費からおよそ300万円を支出していたケースについては、特に問題とされ、兵庫県内のメディアに大きく取り上げられる。兵庫県議の野々村竜太郎氏(47)=無所属、西宮市選出=が2013年度、豊岡市など遠方を日帰りで195回訪問したとして、政務活動費(政活費)から約300万円を支出していた問題で会見したが、「ウワーン!! やっとなった議員なんです!」と号泣し話題になりました。自己弁護に終始する辺りは血液型O型の典型。

 物議を醸した会見はコチラ

 2.鈴木章浩 VS 塩村文夏 

  2014年6月18日の東京都議会本会議における騒動。みんなの党会派の女性議員塩村文夏が妊娠や出産に悩む女性への支援策について都側に質問していた際に、「自分が早く結婚したらいいじゃないか」、「産めないのか」といったセクシャルハラスメント的なやじを受けた事に端を発した騒動。前者の発言者は自民党会派の鈴木章浩であったが、当初鈴木は発言を否定、自民党も発言者の特定に動かなかった。しかし世論の高まりと党内の批判を受け、23日の議員総会後の記者会見で自民党側が発言者の名前を明かし、鈴木も発言を認め、謝罪。この際鈴木は会派離脱を申し出、これが受理されたが議員辞職については否定し、「都議会再生」という新会派立ち上げを届け出た。つい傲慢になって、後先考えない軽率発言で取り返しがつかなくなるのは彼のようなA型の典型例。

 3. 山本景

  大阪維新の会の山本景・大阪府議(34)=交野市選出(大阪大学卒)=が女子中学生と無料通信アプリ(LINE)のやり取りを行い、「キモイ」と書かれたことに腹を立て、この女子中学生に「許さない」などと威圧するようなメッセージを送っていたことが分かった。中田仁公・交野市長から抗議された維新の今井豊・府議団幹事長は、山本府議を口頭で厳重注意した。そしてその後府議団を除団処分(8月)。彼は自己反省として丸坊主にしたものの、この行為は府議団には受け入れられなかった。坊主にした途端、ゴルゴ松本みたいになった。山本議員もゴルゴ松本も共にA型。

 上記の議員は、問題が明るみに出ると、責任感や潔さは微塵もなく、自らの保身を優先した弁解と命乞いの弁明に終始した、公職たる議員の風上にも置けない愚かな方たちだ。

NonomuraSuzukiYamamoto

 4.渡辺喜美

 渡辺氏は2009年、自民党を離党して江田憲司氏らと5人でみんなの党を結成。「官僚主導から政治主導へ、中央集権から地域主権へ」と訴え、13年には衆参両院で36議席まで党勢を拡大した。
 しかし、今年3月に化粧品大手ディーエイチシー(DHC)の吉田嘉明会長からの8億円の借り入れ問題が発覚。党代表を辞任していた。新代表となった浅尾慶一郎氏(50)とは野党再編など党の運営方針をめぐって対立。民放の報道番組で「あなたは不見識」「いや、おかしいのはそちらだ」と罵り合う事態に至った。
 こうした借金問題や内紛で党は分裂。先月28日に解党し、渡辺氏は12月の解散総選挙で比例復活のない無所属で出馬した。安倍首相との関係から、当選後の自民党への「復党」や政権への協力も噂されていたが、有権者は厳しい判断を下した。父親だった故渡辺美智雄氏の地盤を引き継ぎ、長年保ってきた現有議席を失い、失脚する事態を招いた。「政治と金の問題」に有権者がノーを突きつけた形となった。おそらくは、議員を失職することで、東京地検特捜部は捜査の手を一層伸ばすことは間違いない。私はかつてのスキャンダル議員がそうであったように、悲観して思い余った行動にだけは出ないで貰いたい。

 他にも、民主党党首の海江田万里氏や石原慎太郎も落選した。一方、しぶとさで復活したのが小渕優子と松島みどりだ。やはり女性は強い。

 記事作成:8月~12月中旬

 渡辺氏の記事については 12/15付の「Yahooニュース」の記事を一部引用。

2014年12月20日 (土)

私の好きな番組テーマソング

 これまで幾度もこの手の話題に触れてきた。毎日4,000件を超えるアクセスを頂いているのが申し訳ないくらい「またか・・・」という類似した話題で恐縮することしかりだ。これまで半世紀の半生を振り返り、私自身は、やはりテレビの影響を過分に受けてきた。プロ野球、ボクシング、相撲、キックボクシング、プロレスなどのスポーツ中継からアットホームなバラエティ番組、さらには思考力や知識アップに役立ったクイズ番組、夜ヒットやザ・ベストテンなどの音楽番組など。また、刑事ドラマや青春ドラマ、推理力を培ったサスペンス系ドラマなど、ありとあらゆるジャンルを視聴してきた。そんなテレビ通を自負する私が、これまで経験したテレビ番組でお気に入りのテーマソングをランキング形式で紹介したい。今は放送終了した、昔懐かしい番組が数多く登場します。ただし、連続ドラマは多種多様にあり、以前同じ企画でお送りしたので重複を避け、今回は含まないことにします。では早速1位から順にどうぞ!

 1位 「I Must Go ! +喜びの飛行」(NTV箱根駅伝)

 90回を超える伝統を持つ、大学対抗の箱根駅伝。毎年初春の恒例行事となった。福島県出身の神童・新山の神として人気絶頂だった柏原竜二。故郷の誇りだ。その彼が、4年間山登りに果敢に挑戦し、東洋大学の黄金期を築いた。区間新や途中棄権など、数々のドラマや名シーンを生んできた箱根駅伝。その中継を盛り上げたのが、このテーマソングだった。私が好きだったのは、映画「ネバーエンディングストーリー」の主題歌だった「喜びの飛行」。このテーマ曲が更なる感動をアシストした。

 2位 「アメリカ横断ウルトラクイズ」(NTV)

 高島忠夫、石川牧子のスタジオMCの名コンビに、「ニューヨークへ行きたいか!」の名台詞で一世を風靡した福留功男アナ、成田じゃんけんの徳光和夫アナ。多額の予算を使った名物番組だった。一番きつかったのは、機内テストで、グァム島到着後にタラップを降り、一番下のステップで判定が行われ、基準点に達しないと、現地の地面を踏みしめることなく強制送還となることだ。

 番組の模様はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=urqlBv33yfg&list=PLabynCba8cowUlR3VV6GbLqg9xSrUdMY-

 3位 「Walk on」 NHK「サタデー&サンデースポーツ」

 私が好きだった週末のお楽しみがこの番組だった。特に2年間MCを務めた山岸舞彩がキャスターだった時期が毎週欠かさず視聴し、録画もしていた。このテーマソングを聴くと週末が来たと実感したものだ。彼女の笑顔や美貌に完全にやられていた。

 4位 「ザ・ベストテン」

https://www.youtube.com/watch?v=s80iprzGybk

 私の中高生時代の人気絶頂番組。特に初代MCの久米宏と黒柳徹子の掛け合いは最高だった。ゲストへのセクハラ発言が常態化していた久米宏は、当時TBSの看板アナだった。一方、年齢不詳の玉ねぎオバサンこと黒柳徹子は、A型の典型でとにかく早口。マッチや桑田佳祐を息子のように可愛がっていた。常連は沢田研二、松田聖子、中森明菜、田原俊彦、そしてチェッカーズだった。追っかけ中継などが名物だった。小西博之や松下賢二アナになってから、視聴率が急降下し、ランキングゲストが出演しないことが多く、徐々に衰退し、放送打ち切りとなった。

 5位 「地上の星」 (NHKプロジェクトX)

 火曜日の22時から放送していた超人気番組。名もないサラリーマンや企業戦士、技術科発者のあくなき挑戦にスポットライトを照らした番組。そのオープニングを盛り上げたのが、中島みゆきの「地上の星」とエンディングテーマの「ヘッドライト・テールライト」だった。どんな苦難に遭っても、どんな壁が目の前に立ちはだかっても、決して諦めず、屈せずに挑戦を続け、見事目的を達成する姿に、世の技術者たちは励まされた。

 6位以降はアドレスのみ紹介します。

 6位 「なるほどザワールド」(フジテレビ)

https://www.youtube.com/watch?v=8Vac-PpeZRI

 フジテレビの水曜日21時から放送していた世界中を旅してクイズ形式で出題する番組。司会は愛川欣也と楠田恵理子。世界を旅してクイズを出題したのは、迫文代や益田由美だった。

 7位 「水曜&金曜ロードショー」(NTV)

https://www.youtube.com/watch?v=5rGKCefnM_A

 水曜ロードショーのOPはすべてミュート処理されているため、金曜ロードショーのテーマでお送りします。スケールの大きさを感じる夕陽の海の映像と響き渡るトランペットの音色に人々は酔いしれ、この後始まる洋画などに思いを馳せたことだろう。今は亡き水野晴夫が解説を担当していた。「映画ってやぱりいいもんですね」「それではまた一緒に楽しみましょう」

 8位 「8時だよ!全員集合」

 ご存知「北海盆唄」を替え歌にしてドリフが歌った。これを聴くと明日休みだと実感できた。当時は、土曜日は半ドンで、4校時目まで授業があった。だから土曜日が待ち遠しかった。

 9位 「火曜サスペンス劇場」(OP編) 

https://www.youtube.com/watch?v=ntaOkwVpVf0

 私は「聖母たちのララバイ」が大好きだった。岩崎宏美や竹内まりや、杉山清貴、高橋真梨子、沢田知可子らが主題歌を担当した。

10位 横溝正史シリーズ「あざみの如く棘あれば」

https://www.youtube.com/watch?v=IiJNmIANykI

 茶木みやこが歌った名曲。福島では昭和50年代後期に、夜10時から放送していたテレビ版「金田一耕助シリーズ」である。「土曜ワイド」と時間帯が被ってしまい、両方は見られなかった。テレビ版では「古谷一行」が主役を張っていた。大谷直子さんが好きで、このシリーズの常連だった。私が好きだったのは「悪魔の手鞠歌」「八つ墓村」「真珠郎」「不死蝶」など。計9作放送されたが、夜眠れないほどの衝撃があった。そのまま「鶴光のオールナイトニッポン」を聴くのが週末の常だった。

11位 「土曜ワイド劇場」(スポットライト編)

https://www.youtube.com/watch?v=gUZ6w8wG4Q4

 初代の「風船」のOP映像は残念ながらどこを探しても見つからない。
 これは2代目のスポットライトをイメージしたもの。緊迫感が漂う印象。事件記者がスクープを追っかけて奔走するような雰囲気が漂う、スリルとサスペンス感満載。

12位 「ルパン三世」のテーマ

https://www.youtube.com/watch?v=hwJ2GkMycAU

 ご存知、人気絶頂アニメ「ルパン三世」のご機嫌OPサウンド&映像。彼らは大泥棒一味なのだが、しくじり、裏切り、信頼といったモチーフの中で、スピード感とおっとり間抜け感、さらにはお色気も満載。映画にもたびたびなるほど日本では人気がさく裂した。私は山田康雄さんの信者だが、栗田貫一が代役を務めても、さほど違和感がない。物まね芸人のなせる神業だ。OPの拳銃音や「ルパン・ザ・サード」という音声が堪らない。

13位 「ウィークエンダー」 (NTV)

https://www.youtube.com/watch?v=cUC7BXaxA8s

 毎週土曜日の22時から生放送でやっていた番組。いわゆる三面記事を公開番組で伝える報道系バラエティ番組だった。番組中に流す再現VTRは、毎回エッチな場面が多く、目のやり場に困ると共に、中学生ながらドキドキして観ていた。大人のドロドロ世界を垣間見て、ショックを受けたこともあった。

14位 「プロポーズ大作戦」(ラッキーチャンスを逃さないで)

https://www.youtube.com/watch?v=JlnOVzkLUBw

https://www.youtube.com/watch?v=DCf_FtqMoUo

https://www.youtube.com/watch?v=-cQA8oEbQYc

 「やすきよ」が司会を担当し、ABC朝日放送が制作放送した関西系出会い番組の草分けだった。関西人の軽いノリが随所に散りばめられていた。運命の出会いをした方が、大勢の客の前で再会を果たすオープニングコーナー、そして私が好きだったのは大学生同士がQ&Aでお気に入りの相手を見つける「フィーリングカップル 5vs5」だった。そのテーマソングが大好きだった。オープニングはキャンディーズの名曲が使われた。

15位 オレたちひょうきん族」EPO

https://www.youtube.com/watch?v=BbMvyW2ue68

https://www.youtube.com/watch?v=rjdOQ33s8GA

 土曜日の楽しみのひとつだった。高校時代にこの番組が始まり、時間帯が「8時だよ!全員集合」と思い切り被ってしまった。したがって、世の中高生は皆、ひょうきんフリークとなった。番組からは「たけちゃんマン」や「ブラックデビル」、「あみだババァ」や「パーでんねん」などいろいろなキャラが誕生し、若かりし明石家さんまが体を張って頑張っていた。そのエンディングで流れたのがEPOやユーミン、山下達郎の名曲だった。

 16位以下は解説も割愛し、アドレスのみの掲載とさせていただきます。ご了承ください。

16位 「24時間テレビ-サライ」

https://www.youtube.com/watch?v=WFnlieNchUU

17位 「野生の王国」

https://www.youtube.com/watch?v=EJZ_tJYG2Xo

18位 「霊感ヤマ勘第六感」

https://www.youtube.com/watch?v=U7ueUtGSaBA

19位 「ゆうやけニャンニャン」(あの娘とスキャンダル)

https://www.youtube.com/watch?v=wjASdzKyhV4

20位 「すばらしい世界旅行」

https://www.youtube.com/watch?v=n9awgoCiCcU

 さて、本日の記事は楽しんでいただけたでしょうか。ずいぶん懐かし気分に浸ってもらえたでしょうか。昔の話をするのは歳をとった証拠だが、それほど昔は記憶に残るような名物番組があった。それに長寿番組が多かった気がする。今のように視聴率が悪ければすぐに打ち切られるとか、不祥事や捏造でキャンセルになることなどなかった。「サザエさん」や「笑点」「新日本紀行」「びっくり日本新記録」「クイズ100人に聞きました」「アップダウンクイズ」「クイズドレミファドン」、「飛び出せものまね大作戦」「がっちり買いましょう」「スター誕生」「ラブラブショー」「コント55号」「欽どこ」「家族そろって歌合戦」「それは秘密です」「底抜け脱線ゲーム」「クイズヒントでピント」「クイズダービー」「木曜スペシャル」「スーパーテレビ情報最前線」「ニュースステーション」などは大好きで毎週欠かさず見ていた。いずれも息の長い番組だった。

 最近は、このような個性あふれる長続きするような名物看板番組がめっきり少なくなってしまった。1年続けばいいほうだ。ドラマは約3か月、11話で完結する場合がほとんどで、昔の青春学園ドラマや刑事ドラマは数年間続けて放送していた。ぜひ、番組制作に携わる方が観ていれば、ぜひ、他局にはない、個性的かつ独創性あふれる番組をお願いしたい。

 おまけ(笑っていいとも31年半の歴史)

https://www.youtube.com/watch?v=Z9cVcTutby8

 記事作成:9月30日(火)~10月1日(水)

2014年12月16日 (火)

昔話⑩ ~郡山の昔の貴重な写真~

 平成26年11月24日(日)は3連休の中日だったが、実家に戻ったら、兄の嫁に頼んでおいた或るものを見せてもらった。それは9年前に亡くなった祖父のアルバムだった。そこにはお宝と言えるような貴重かつ希少な写真が山ほどあった。アルバムで30冊以上、バラの写真でも数千枚以上もあり、「郡山の昔」の写真集の編集者が泣いて喜ぶ、昔の町並みや歴史を偲ぶような写真がわんさか出てきた。残念ながら、郡山の開成山球場で日米野球(巨人対オリオールズ)が開かれた時、私の姉が花束贈呈をしていた写真は見当たらなかったが、ここでぜひ取り上げて一般公開しておきたいスナップ写真が含まれていた。
 今回は、それらを「昔話」のタイトルで掲載したいが、いっぺんに掲載せず、小出しにしたい。理由は、写真に纏わるエピソードや私の感想なども述べたいからだ。

 私の祖父は明治生まれであり、市議会議員を務め、「政治家は長くやるとろくなことは無い」と2期でスパッと引退し、後は市の役員として慈善活動に専念し、内閣総理大臣賞や文部大臣賞(当時)を受賞、さらには天皇から勲章まで授かった。私腹を肥やす真似は一切せず、市民のことを第一に考えて活動していた。だから私が一番尊敬してやまない、自慢の祖父だった。

 そんな祖父は、当時としてはハイカラな人間で、いつもカメラをぶら下げ、日本全国や中国などさまざまな地を視察で訪れ、昭和初期や戦後の郡山市内の発展をつぶさに垣間見れるような古い写真を撮影し、平成17年に94歳で亡くなった後も書斎には多数存在していた。

 そんな中に、私が生まれた1964年に開催された「東京オリンピック」で、男子マラソンに出場した、須賀川市出身の円谷幸吉選手がいる。自衛隊の痰飲で、マラソンでは無名だった彼が日本代表に選出され、栄えある東京五輪に出場した。国立競技場に2位で帰ってきたが、トラックを一周中に、大観衆が見つめる中で外国人選手に抜かれ、3位でゴールしたのだった。しかし堂々の銅メダル獲得は快挙であり、彼は日本の英雄的存在となった。
 その彼が故郷に凱旋し、戦績を報告に郡山を訪れた。そして後援してくれた関係者に銅メダルを披露したのだ。その時の模様を撮影した写真が下のものだ。

Img_8919_r

 驚くなかれ。自衛隊の制服で写っている円谷幸吉の右側でにこやかに笑みを浮かべているのは、後に郡山市長となった若かりし頃の藤森英二氏だ。私の祖父が、藤森氏がまだ郡山市の職員として勤務していた時に、可愛がっていた部下だった。だから9年前の祖父の死去の報を受けて、当時は現職市長でありながらわざわざ弔問に訪れてくれた。もちろん供物や香典は公職選挙法で違反となるため、仏前に名刺を置いていってくれた。とても誠実で律儀な振る舞いに、私たち遺族は恐縮した覚えがある。

 この写真自体は、私がこの写真の上からデジカメで撮影しなおしたものなので、多少ぼけている。そこにいる円谷幸吉は、実に誇らしげであるが、次回開催のメキシコオリンピックへの過度なまでの期待を一手に背負い、重圧がのしかかり、あわせて故障した怪我が響き、精神的に追い込まれた末に自ら命を断つこととなった。

 祖父のアルバムには、といつ、何のイベントで撮影されたものであるか、新聞記事の切り抜きと共にきちんと保存され、祖父の几帳面さが偲ばれた。写真には昔、画家だった青木久元郡山市長が描き、祖父に贈ってくた花の絵の写真まで残っていた。小さい頃、祖父の応接間で見た記憶が或る懐かしい写真だった。ほかにも、秀瀬市長とテレビ出演した時の模様や、1968年のメキシコオリンピックに出場した重量挙げの大内仁選手の送別会の写真もあった。

 また、円谷幸吉選手と同じページには、「郡山オリンピック」なるイベントで撮影したお宝写真が数枚あった。昔、現在の合同庁舎が郡山市役所だった頃のもので、当時、郡山の開成山陸上競技場で大々的に開かれたスポーツ大会のものらしい。テレビ局も取材に来ている様子も伺え、かなり規模の大きな大会が郡山で開催されたようだ。
 祖父がその団長を務め、入場行進の先頭をひとりで歩き、正面スタンドに向かってポーズを決めているものもあった。そして開会式では、国道4号線の栄町あたりを聖火リレーする場面のもの(下の写真)や開成山陸上競技場の東側のスタンドで、聖火を点火する瞬間の写真もあった。いずれも貴重かつ希少な写真ばかりだった。

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 残念ながら、子供の頃の私を撮影した写真を収蔵したアルバムは見当たらなかった。ひょっとすると、祖父が亡くなった際に、遺品を整理した際に処分してしまったかもしれない。そこには当時まだ砂利道だったさくら通りや、周囲は一面の田畑で何も無かった「ゼビオスポーツ&ケーズデンキ」前の軍用道路(現在のうねめ通り)の写真もあったはずだ。また、開成山にあった野鳥園で遊ぶ私と兄の姿も映っていたし、オープンしたばかりの開成山プールの幼児プールで脚をバタバタさせている私のものもあった。見つかり次第掲載したいと思う。

 さて、今日の記事は、戦後間もない頃の郡山市内を撮影した懐かしい風景写真やイベント時の記念撮影を行ったアルバムが30冊以上出てきたため、それを紹介する趣旨で掲載した。今日紹介した2枚はその中のほんの一部で、全体の1%にも満たない。ネタに困った時など、折を見て掲載していきたい。60代以上の先輩諸氏が見たら、特に懐かしく思うものばかりだと思う。昔の郡山の街並みだけでなく、多くのイベントで集合写真として撮影されたものも多く、今は亡きご先祖様も多く写っているかもしれない。一般家庭にカメラが普及する前の、昭和30年代からのお宝写真がざっくざっくある。ぜひお楽しみにお待ちいただきたいと思います。

 記事作成:11月23日(日)

 

2014年12月15日 (月)

タッチが変わる漫画

  人気があって長く続く漫画は、不思議と連載開始後のタッチと現在のタッチを比較すると、かなり描き方が違う。主人公や登場人物のキャストはもちろん、風景画や背景画すらかなり異なっている。これはテレビでアニメ化されたり、人手が足りず、弟子をとり、スタジオ化してプロダクションで分担して漫画を描くようになったため、漫画家自身のタッチがズレて来たせいかもしれない。では、私が思う、人気漫画の中で、絵づらが劇的に変わったものを幾つか取り上げて比較してみたい。その差に愕然と来るに違いない。

 美味しんぼ

Yamaoka1 Yamaoka2

私の実家にはこの漫画が連載をスタートした直後からずっとコミックがあった。兄が大好きで、その影響で私も読み始めた。私自身はひと回りサイズが小さくて分厚い集約本が揃っている。東西新聞社の山岡史郎と栗田ゆう子がコンビを組み、究極のメニュー作りに取り組む傍らで、宿敵・海原雄山と対決する。水と豆腐の試験の第一話から30年以上が経過。今でもスピリッツに連載が続いているが、まるで別人のように、かなりその絵づらが違う。

 こちら葛飾区亀有公園前派出所

Ryotsu1 Ryotsu2

 私の家にはトイレにも置いてあるし、縮刷版、大入り袋、セレクションなどもある。おそらくは100冊以上ある。それこそ山上たつひこというペンネームでデビューした頃、つまり私が学生時代からのファンで、警察官が主人公でありながら、ルール無視、なりふり構わぬ行動で周囲とドタバタ劇を繰り広げる両津勘吉のキャラ設定も凄いが、彼を取り巻く多くのナイスキャラも秀逸している。大原部長、中川、麗子、本田など毎話、腹を抱えて笑ってしまう。アニメ版や香取慎吾主演で実写版なども制作された。現在は秋本治である。

 サザエさん

Sazae1 Sazae

 国民栄誉賞を授与された故・長谷川町子が手掛け、半世紀を経た今も国民的な漫画として人気がある。磯野家を取り巻く家族関係を描いた漫画で、温かい家族の絆や人間模様を描いた。登場人物が波平、フネ、サザエ、マスオ、カツオ、ワカメ、タラちゃんと海に関するネーミングが親近感を覚える。

 ドラえもん

Doraemon1 Doraemon2

 こちらも国民的人気を誇る漫画。藤子不二雄の代表作で、日本だけでなく、全世界に翻訳され、子供たちの人気をさらっている。こちらも棒にも箸にもかからないようなダメキャラののび太と彼を支えるために未来から送り込まれたネコ型ロボットのドラえもん、ガキ大将のジャイアン、マドンナの静香ちゃん、そして金持ちのスネ夫。こちらも子供同士の遊びから人間関係を学び、子供の頃にありがちな喧嘩や日常を通して成長する場面を描いている。

 ちびまる子ちゃん

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 こちらも「さくらももこ」原作の国民的な漫画だ。今でも毎週日曜日になると楽しみにしている方は多いだろう。テレビアニメは、私が社会人になりたての頃に始まったが、もう25年以上も続いている。作者の子供の頃の出来事やエピソードを描いたもので、秀樹や百恵、リンダなどが劇中に登場する。学校生活では、個性的な同級生や優しい先生との触れ合いが描かれ、家庭では、やはりアットホームな話が展開する。私は友蔵の心の俳句が大好きだ。

 ルパン三世 

Lupin1 Lupin2

 私が中学時代以降、大好きで毎週見ていた。当時は18時から30分間テレビアニメとして放送していた。その後、映画化され、大掛かりな仕掛けで人気が沸騰した。「カリオストロの城」や「マモー」は何回放送され、何回見たかしれない。主役のルパン三世を取り巻くキャストも最高。拳銃の名手・次元大介、斬鉄剣の使い手・石川五右衛門、魅惑の美女・峰不二子と最強。そして彼を地の果てまで追って来る「とっつぁん」こと銭形警部のナイスキャラ。世代を越え、愛されるモンキーパンチの名作だ。

 名探偵コナン

Conan Conan2

 「体は子供、頭脳は大人」の名キャッチフレーズで有名となった「名探偵コナン」。工藤新一は、黒ずくめの男たちに薬を飲まされ、小学生の子供にさせられた。しかし、少年探偵団の子供たちと共に、難事件の解決に挑む。博士が開発したスケボーやサッカーボール、麻酔銃の腕時計を駆使し、時には「眠りの小五郎」の代わりとなり、類まれな推理力を駆使し、大胆に真相に迫る。いつになったら、元の姿に戻り、恋人・蘭との愛は成就するのか。

 いかがでしたか。連載スタートから現在まで、めまぐるしくそのキャラの描き方が違っていることに気づく。人気が出れば、それだけ息が長いロングラン作品となり、少しずつタッチも進化する。もちろん、今日挙げた人気漫画はほんの一握りで、もっと数多くの人気漫画も劇的な変化を遂げている。実際にこうして見比べるとその違いが鮮明になる。

 記事作成:11月8日(土)

2014年12月12日 (金)

歴代首相採点簿

 政治評論家でもない私が、このようなタイトルの記事を書くのはおこがましいが、これまで半世紀の人生の歩みの中で、政治にはことさら興味があった。私の亡き祖父は地元の市議会議員を2期務め、政界引退後は市の要職に就いていた。そして様々な選挙の際には、応援演説者として方々出歩いては熱弁を奮い、いつしか「金べろ」と称されるほどの好評を得、毎回拍手喝采ぶりであった。祖父の演説を聞きたいがために、出席するファンも数多くいた。また、私自身が民主党選出の玄葉衆議院議員とは幼馴染だったこともあり、そんな縁があって政治には子供の頃から親しみを覚えていた。しかし、今週末に衆議院議員選挙の投票日を控えて、このような記事を書く訳ではなく、単なる偶然なので予めお断りしておきたい。

 そんないきさつで、今回はタイトルは「採点簿」になっているが、点数ではつけずに、私が一般国民の目線で政治を見てきて、人物・功績ともに素晴らしいと判断できる政治家を、それぞれベスト10とワースト10に分けて掲載してみたい。ただし、これは個人的見解であり、主観的かつ率直な感想から来るもので、決して好き嫌いから判断するものではない。

 ベスト10  

1位 吉田 茂 O型 

 戦後の混乱期の中、外務大臣として日本の復興と再生に尽力し、最大の功績を挙げた大政治家だ。その後、首相に就任。1946年5月22日〜1947年5月24日、および、1948年10月15日〜1954年12月10日まで在任した。内閣改造を含め、二度首相を務め、第5次改造内閣まで長い任期でその座に君臨した。2,716日は日本で4番目に長い。

優れた政治感覚と強いリーダーシップで戦後の混乱期にあった日本を盛り立て、戦後日本の礎を築いた。恰幅が良くふくよかな風貌と、葉巻をこよなく愛したことから「和製チャーチル」とも呼ばれた。「バカヤロー」解散は有名。

https://www.youtube.com/watch?v=DDEuMQXJG6E

2位 海部俊樹  A型

 彼を2位にしたのは、あくまで私の個人的な好みだ。水玉模様をトレードマークにし、クリーンかつ誠実なイメージで、スマートで調整型の首相だった。しかし、予算委員会の答弁で、衆議院解散を意味する「重大な決意で」と発言したことで波紋を呼び、たったその一言が辞任に追い込まれることとなり、反対勢力に押し切られ失脚させられた。

https://www.youtube.com/watch?v=K49yFqgqcNk&list=PL7eYVAV6H4xKFQyrKBRuKjIvVj9MNiCvA

3位 中曽根康弘 O型

 大平正義が在任中に急死したことを受け、副総裁だった会津出身の伊東正義が首相就任を打診されていながらも固辞したため、鈴木善幸が総理になった。しかし、その後、首相就任以来、一部マスコミからは直角内閣、暗愚の宰相と揶揄されていた。また、世界同時不況の渦中に日本経済が巻き込まれ、税収減の恐れと支出削減の限界が出てきたため、増税無しでは1984年(昭和59年)までの赤字国債脱却が困難な状況に直面し、退陣に追い込まれた。そして、その後釜探しが難航する中で、急遽総理大臣になった。就任時の「9回1点差、無死満塁でマウンドに上がった投手の心境」と語ったことを今でも鮮明に覚えている。

 しかし、実力はぴか一だった。時折、O型特有の「風見鶏」傾向はあったが、最大勢力の田中派の後ろ盾を得て、次々政治改革を断行した。調整もうまく、外交では、強固で盤石な日米関係を築き、レーガン大統領とは水魚の交わりで、「ロン」と「ヤス」と呼び合う親密ぶりだった。また、後任を決める際には、田中派に義理立てして、竹下登を後継首相に指名した一連のドタバタ騒動は、中曽根裁定と呼ばれた。鶴のひと声で決まった異例の展開だった。

https://www.youtube.com/watch?v=7vqUTsFXbwc

4位 小泉純一郎 A型

 この10年では最も長く首相を務めた。白髪の長髪という独特な風貌と弁舌が立ち、爆発的な国民的人気を得た。内閣支持率も継続的に高く、答弁などを見ていても笑いが出るほど滑舌が良かった。また、おとぼけや詭弁も備え、野党の追及を巧みに交わしていた。とりわけ「自民党をぶっ潰す!」と豪語し、郵政民営化に反旗を翻す議員、つまり抵抗勢力には刺客を送り、小泉チルドレンを多数当選させた。そして独自の小泉ワールドを構築し、5年の長きにわたり、総理の椅子に鎮座した。最大の功績は郵政民営化の実現だが、北朝鮮に自ら乗り込み、金正日と直接会談を実施し、拉致の事実を認めさせ、拉致被害者を日本に帰国させた。

https://www.youtube.com/watch?v=2sUfbefdAEw

https://www.youtube.com/watch?v=lEuSKQpnJfE

5位 田中角栄 B型

 ロッキード事件で失脚し、有罪判決を受けたが、彼ほど功罪がはっきりした総理大臣もいなかった。彼は旧制の小学校しか出ていない。しかし、東大出のエリート議員をアゴで使い、最大派閥越山会の長として、その影響力をいかんなく発揮した。真の実力者である。右手を掲げ、「よっしゃよっしゃ」の合言葉で、金脈をバックに、半ば強引に政策を推し進め、「人間ブルドーザー」と呼ばれた。カリスマ的で彼を崇拝する議員が、目白にある田中邸を訪れる様は「角栄詣で」と言われた。取り巻きが凄じく、「数は力」を背景に七奉行が脇を固めていた。首相在任中の1972年の日中平和友好条約を締結。また「列島改造論」で日本中に高速輸送&通信網を張り巡らせ、物流や人的交流を活性化させた。とりわけ地元の新潟には手厚く手当し、いち早く新潟新幹線を開業させた。新潟にとっては神様以上の傑出した大人物である。娘の真紀子もまた彼の血を引く大物の風格は十分だった。

https://www.youtube.com/watch?v=o9i-gbhAP80

6位 原 敬

 平民宰相の名で親しまれた。衆議院で過半数を占める党の総裁として初めて首相になり、閣内をほぼ党内の人事で済ませた。融和外交により、これまでの対中国強硬外交や対アメリカ外交の滞りを取り除いた。それによって国際連盟の常任理事国入りも果たした。
  国内では積極的な鉄道網の開発のために公債を発行したり、高等教育拡大のために大学令を緩和して多くの早稲田・慶応など多くの私立大学が誕生することとなった。選挙への参加条件の負担金を値下げはしたものの、普通選挙制の実現には否定的であったことや、シベリアからの撤退に時間がかかったため、国民からの目は日に日に低下し、1921年(大正10年)11月4日、鉄道省山手線大塚駅職員の中岡艮一によって東京駅乗車口(現在の 丸の内南口)で暗殺(刺殺)された。

https://www.youtube.com/watch?v=k5Heh1PYaWI

7位 小渕恵三 A型

 任期中に脳梗塞で倒れ、そのまま死去した。沖縄サミットを記念して2千円札を製作したが、今では市中に出回ることはほとんどない。官房長官時代に「平成」という年号を国民に知らせた姿が印象的だ。
 総理大臣当時、目指すべき国家像として「富国有徳」を打ち出す。1999年(平成11年)1月、自由党との連立政権発足。この事で政権基盤が安定し、周辺事態法(日米ガイドライン)、憲法調査会設置、国旗・国歌法、通信傍受法、住民票コード付加法(国民総背番号制)などの重要法案を次々に成立させた。
 「日本一の借金王」と自嘲したように、赤字国債発行による公共事業を推し進めた張本人としても批判された。ただ、在任中は、日本銀行のゼロ金利政策やアメリカの好景気、何より積極財政の成果により、経済は比較的好調で、ITバブルが発生した。日経平均株価も2万円台にまで回復させた。合計約42兆円の経済対策の内訳は、公共事業が約4割を占めているが、減税や金融対策などにも充てられた。また公明党の発案で、地域経済の活性化と称し「地域振興券」を国民に配布したが、これは「バラマキ政策の極致」と酷評された。

https://www.youtube.com/watch?v=u67TCWayBQo

8位 濱口雄幸

 その風貌から「ライオン宰相」との異名をとり、国民からも親しまれた。金解禁を断行、ロンドン海軍軍縮条約調印を行う。昭和5年東京駅の現10番ホーム(東海道線)で対向してきた暴漢により短銃で至近距離から撃たれ、その傷が元で10ヵ月後の翌年に死亡した。 

https://www.youtube.com/watch?v=aF6ot0Al-yA

https://www.youtube.com/watch?v=cDvvYRlIsJI

9位 佐藤栄作 A型

 1964年(昭和39)から72年まで自由民主党総裁・首相の座にあり, 高度経済成長政策,日米安保条約自動延長,沖縄返還などの政策を推進した。「非核三原則」により、1974年に日本の首相で、初のノーベル平和賞を獲得した。プライドが高いA型総理らしく、マスコミを怒鳴りつけ、全員退室させ、カメラだけに向かって退陣を表明した。

https://www.youtube.com/watch?v=N0jxKeJ0Sks

https://www.youtube.com/watch?v=DH6IsB97kSk

10位 石橋湛山

 在任が1956/12/23~1957/02/25の65日という短命内閣だった。総裁選で岸支持派とのしこりが残り、更に石橋支持派内部においても閣僚や党役員ポストの空手形乱発が行われ、組閣が難航した。内閣発足直後に石橋は全国10ヵ所を9日間でまわるという遊説行脚を敢行、自らの信念を語るとともに有権者の意見を積極的に聞いてまわった。しかし帰京した直後に自宅の風呂場で倒れた。軽い脳梗塞だったが、報道には「遊説中にひいた風邪をこじらせて肺炎を起こした上に、脳梗塞の兆候もある」と発表した。副総理格の外相として閣内に迎えられていた岸信介がただちに総理臨時代理となったが、2ヵ月の絶対安静が必要との医師の診断を受けて、石橋は「私の政治的良心に従う」と潔く退陣した。

https://www.youtube.com/watch?v=gV37CSevy6Q

 日本の首相はO型が断然多いが、こと好きな首相となるとA型4人、O型2人、B型1人。O型はワンマン宰相という印象が強く、派閥闘争を背景に、力関係を重視し、勝ち馬に乗る傾向が見られる。責任感が薄く、豪腕というだけで、風見鶏、朝令暮改的な首相が多かったように思う。

ワースト10

1位 森 喜朗 O型

 脳梗塞で倒れた小渕恵三の後を受けて、自民党の密室での談合により、森喜朗が総理に就いた。しかし、彼の内閣は自らも含めて不祥事続きだった。 
 「神の国」発言で非難を浴び、解散総選挙にまで及ぶが、その後も森は失言を繰り返していった。
 また、選挙後の改造内閣で官房長官となった中川秀直(現・自民党幹事長)は、右翼団体との交際や、警察の捜査対象だった自分の愛人に捜査情報を漏らしたことが発覚し、そのときの録音テープまで公開され、約3ヵ月で辞任した。
 このように森内閣の不祥事を挙げればキリがないのだが、参議院の選挙制度が変わったのも一つの不祥事がきっかけだった。
 2001年2月10日、ハワイ沖で日本の高校生の練習船「えひめ丸」が、アメリカ海軍の原子力潜水艦と衝突して沈没、日本人9名が死亡するという「えひめ丸事故」が発生した。森は第一報が入ったとき、彼はゴルフ場にいたが、このニュースを耳にしながら、官邸に戻らず、そのままゴルフに興じたり、散々叩かれながらも、未だに要職についている。

2位 鳩山由紀夫 O型

 景気の良いマニフェストを掲げ、国民の支持をとりつけ、総選挙で初の政権交代を実現し、首相に登りつめたものの、途中で頓挫し、自らの無能さを知り、何の前触れも無く退陣表明を行った無責任ぶりだった。しかも、自らは巨額の資産を持ち、国民の困窮する生活には目もくれず、いざ旗色が悪く、政策実施が困難とみるやいなや、責任放棄。その後も小沢一郎と組み、影響力を残そうと画策した。266日での政権丸投げは7番目に短い。

3位 野田佳彦 B型

 東日本大震災があった2011年の12月に、突如何の根拠も無く「福島第一原発事故」の収束を全世界に宣言した。その3年も経過した今でも、放射線被害は著しく、未だに故郷に帰れない避難者が大勢いるというのに、無責任な発言で、自らはそそくさと首相の座を降りた。

4位 宇野宗佑 B型 

 歴代首相の中で4番目に短く、69日で終わった。理由は自ら招いた女性スキャンダル。辞任会見で口を真一文字に結び、ふてぶてしい表情で「明鏡止水の心境だ」と述べたことが今でもまぶたに焼き付いている。

5位 安倍晋三 B型

 小泉首相勇退後の政権を移譲される形で就任。52歳での首相抜擢は5番目に若く、戦後の首相では最年少。これは血筋で、代々政治家として実績が顕著な家系が物を云い、サラブレッドだった。就任時は「美しい日本」と何度もアピールしたが、第一次内閣では、持病の腹痛が災いし、職務継続困難で、突然に退陣発表に誰もが首をかしげた。いわゆる「お坊ちゃん」政治家で、スマートすぎて泥臭さが無い。教育改革を重要視した。

 現在は2度目の首相就任で、消費税率8%への増税を断行。一時は株価が急上昇に転じたが、一部の特権階級だけが生活面で潤い、格差は顕著。円安が進み、外国製品への購買意欲が減退し、加えて増税で家計を圧迫。結果的に消費は下降。なのに、更なる消費税アップを模索し、国民の真を問うとして、2年あまりで衆議院解散・総選挙に踏み切った。

6位 東条英機 B型

 関東軍参謀長・陸軍次官などを経て,1940年(昭和15)第二次近衛内閣の陸相となる。翌年首相に就任し,陸相と内相を兼任,対米英開戦の最高責任者となり太平洋戦争を推進した。44年7月,サイパン陥落直後総辞職。戦後 A 級戦犯として絞首刑。

7位 麻生太郎 A型

 モントリオール五輪にライフル射撃種目に出場した経歴を持つ。2008年9月、08年自民党総裁選に4度目の立候補をし351票を獲得。自民党総裁に就任する。9月24日、第92代内閣総理大臣に就任。首相就任の際、「日本を明るく強い国にする」と述べた。しかし、相次ぐ失言を繰り返し、翌年8月の総選挙で自民党が惨敗し、政権交代により、その責任をとって辞任した。

8位 菅直人 O型

 2010年(平成22年)6月2日の鳩山首相の退陣表明を受け、後継を選出する民主党代表選挙への出馬を表明。6月4日、民主党代表選挙に勝利し、同日の首班指名選挙によって第94代内閣総理大臣に指名された。首相着任後に東日本大震災が発生。原発事故に見舞われその対応に四苦八苦した。
 菅は震災の発生を機に国会のねじれを解消し、復興対策を円滑に進めるため、自民党に対し大連立を打診したが、不発に終わった。さらに2011年4月の統一地方選で与党が敗北するなど、与党・民主党内でも菅政権に対する不満が募り、小沢一郎を中心とする民主党一部勢力が「菅おろし」への動きを活発化させるようになる。
 2011年6月2日、菅の地震・原発災害への対応が不十分であるとして野党の自民・公明両党により内閣不信任決議案が衆議院本会議に提出・上程。小沢に近い議員を中心に野党の不信任案に同調する動きが強まり、前首相の鳩山由紀夫も同調する構えを見せ、一気に不信任決議の可決や党の分裂が懸念される事態となり、退陣に追い込まれた。

9位 羽田孜 O型 

 64日という歴代首相でも2番目に短命政権。細川護煕が退陣した後に首相に座ったが、与野党逆転の逆風の中、政権運営がままならず、辞任を余儀なくされた。

10位 貧乏くじを引いた河野洋平と谷垣貞一

 自民党総裁になりながら、首相になれなかった面々だ。どちらも責任感は人一倍あるが、プライドが高く、世渡りベタなA型。一匹狼傾向でそうなった。河野は細川護熙を首相とした相乗り政権で自民党が野に下った。谷垣は、民主党政権時の総裁。

 歴代政治家の中には暗殺された方もいる。伊藤博文、原敬、濱口雄幸である。いずれも共通しているのが、駅で暴漢に襲われて亡くなっている。伊藤はハルビンで朝鮮人に、原と濱口は東京駅で命を落とした。ほかにも5.15事件の犬養毅、2.26事件で高橋是清と齋藤実がそれぞれ暗殺されている。

 ここで自民党の功罪の歴史とも言うべき動画をみつけたので紹介したい。

 自民党戦国史はコチラ

 ちなみに首相を除いた政治家のベスト3とワースト5

ベスト10

1位 伊東正義・・・大平急死の後、臨時首相を務めた。「首相の椅子を蹴った男」

2位 市川房江・・・金のかからない選挙を実践。婦人の地位向上に尽力した。

3位 池田勇人・・・「所得倍増計画」で高度経済成長。庶民の暮らしは一気に豊かになった。

4位 濱田幸一・・・歯に衣を着せぬ発言で影響力は大きかった。自民党40日抗争の主役として、バリケードを築き、激高した。

https://www.youtube.com/watch?v=h56BBwHbYIY

https://www.youtube.com/watch?v=torFIxmfr0I

ワースト10

1位 小沢一郎・・・自民党離脱後、新進党、自由党、民主党、生活の党と渡り歩いた。ブローカーとして知られる。剛腕は自他ともに認められるが、いかんせん、好き嫌いがはっきりしていて、すぐに仲たがいを起こし、離党や脱党を繰り返し、そのたびに新しい政党を結成して党首の座に収まった。

2位 児玉誉士夫・・・小佐野賢治とともにロッキード事件で一躍有名になった。二人とも政治家ではないが、政界への強い影響力を誇示した。児玉は福島県本宮市出身だった。暴力団・錦政会顧問。「 政財界の黒幕」、「フィクサー」と呼ばれた。 

3位 金丸信 O型・・・政界のドン。陰の実力者。政策通、そして議員を顎で使い、いかんなくその政治手腕を発揮した。どうみても黒幕というポジションだった。

4位 青木幹雄・・・化かし合いにように、権力を利用し、身を翻して世渡りした印象。

5位 谷亮子 B型

 いわゆる小沢信者のひとり。参議院議員に出馬し、当選した際に、「政治家と柔道を両立させる」と言い放ったことで、「片手間にできる仕事ではない」と世間の非難を浴び、現役引退に追い込まれた。

 こうしてみると、昔の政治家は威厳があって、或る意味ふてぶてしく、まさしく「先生」という印象の人が多かった。個性的で存在感があった。

 最後に、政界を揺るがした事件を取り上げたい。

 黒い霧事件・・・1966年後半、自民党を中心に相次いで発覚した不祥事。一連の事件で自民党への国民の信頼は失墜し永田町を「黒い霧」が覆っていると批判されるようになった。

 ロッキード事件・・・アメリカの航空機製造大手のロッキード社による、主に同社の旅客機の受注をめぐって1976年(昭和51年)2月に明るみに出た世界的な大規模汚職事件。現職首相の逮捕に発展した。ピーナッツとか丸紅ルート、「記憶にございません」などの流行語を生んだ。

 自民党40日抗争・・・1979年に起きた自由民主党内の派閥抗争。 自民党史上最大の危機といわれた。 1979年10月7日の第35回衆議院議員総選挙 における自民党の敗北から、11月20日の第2次大平内閣の本格的発足までの約40日の間、党内での抗争があった。

 リクルート事件・・・1988年(昭和63年)に発覚した日本の贈収賄 事件である。リクルートの関連会社であり、未上場の不動産会社、リクルートコスモス社 の未公開株が賄賂として譲渡された。贈賄側のリクルート社関係者と、収賄側の政治家や官僚らが逮捕され、政界・官界・マスコミを揺るがす、大スキャンダルとなった。戦後最大の贈収賄事件とされている。

 佐川急便事件・・・自由民主党・経世会の金丸信 会長が、佐川急便側から5億円のヤミ献金を受領したとし、1992年10月に衆議院議員 辞職に追い込まれた汚職事件。

 記事作成:11月14日(金)

2014年12月 8日 (月)

再建してほしい歴史的建造物

 私は大河ドラマや幕末の動乱を描いたドラマが好きでよく観る。壮大なロマンを感じさせる歴史の渦や一大スペクタクル絵巻に興味があり、当時を生き抜いた武士や英傑たちの生涯にも思いを馳せる。しかし、歴史を紐解けば、かつて歴史を作った重大な事件やそこに確かに存在した筈の由緒ある建物が、震災や火災、あるいは空襲により、その大半が失われ、未だに再建されていないことに気付いた。
 これは国家的損失にほかならず、膨大な予算がかかることから、その後は再建計画すら持ち上がっていないのが現状だ。日本の歴史の証人としての価値を考え、ぜひとも当時の姿や面影を偲ぶ趣旨から再建してほしくて、ここに関連した建造物を取り上げることとした。

 1.江戸城

Edojyo 武蔵国豊嶋郡江戸にあった日本の城である。江戸時代においては江城(こうじょう)という呼び名が一般的だったと言われ、また千代田城(ちよだじょう)とも呼ばれる。江戸城は麹町台地の東端に、扇谷上杉氏の家臣太田道灌が築いた平山城である。近世に徳川氏によって段階的に改修された結果、総構周囲約4里]と、日本最大の面積の城郭になった。
 徳川家康が江戸城に入城した後は徳川家の居城、江戸幕府の開幕後は幕府の政庁となる。
 明治維新後の東京奠都で宮城となった。以後は吹上庭園が御所、旧江戸城西ノ丸が宮殿の敷地となっている。その東側にある旧江戸城の中心部である本丸・二ノ丸と三ノ丸の跡は皇居東御苑として開放されている。南東側の皇居外苑と北側の北の丸公園は常時開放され、それらの外側は一般に利用できる土地になっている。国の特別史跡に指定されている。

 現在の皇居の中に再建は無理だと思うので、東京湾を埋め立てた場所に復元してほしい。よく「暴れん坊将軍」などで目にする江戸城は、白鷺城(姫路)のような石垣の上に白亜に輝く巨城という印象だが、実際は、松本城や熊本城のように黒塗りだったようだ。そこを中心に「江戸八百屋町」がご城下に連なっていたとされている。城はその国の国力を内外に誇示し、権力の象徴の意味合いもあった。ぜひ再建への気運の高まりを期待したい。

 2.安土城

Azuchijyo 織田信長によって、現在の安土山に建造され、大型の天守(現地では「天主」 と表記)を初めて持つなど威容を誇った。建造当時は郭が琵琶湖に接していた。地下1 階地上6階建てで、天主の高さが約32メートル。それまでの城にはない独創的な意匠で絢爛豪華な城であったと推測されている。総奉行は丹羽長秀、普請奉行に木村高重、大工棟梁には岡部又右衛門、縄張奉行には羽柴秀吉、石奉行には西尾吉次、小沢六郎三郎、吉田平内、大西某、瓦奉行には小川祐忠、堀部佐内、青山助一があたった。

 一般的に宗教心が薄いとされる信長であるが、天守内部の宝塔(推定)や絵画、摠見寺の存在など、安土城には宗教的要素が多く見られる。安土城天主及びその周辺の本丸等の建造物は、山崎の戦いの後まもなくして焼失している。あくまで焼失したのは、天主、本丸などであり後に織田秀信が二の丸に入城したように、二ノ丸をもって十分に機能していた。

 3.万世橋駅

 現在の神田駅から中央線沿いに御茶ノ水方面に行く途中の昔、鉄道博物館があった場所あたりに存在した、赤レンガで、東京駅によく似たデザインの駅舎が旧万世橋駅。

Manseibashi 1912年(明治45年)4月1日、万世橋駅の営業を開始した。甲武鉄道は1906年(明治39年)3月31日に国有化されたため、鉄道院の駅となる。なお万世橋駅の開業によって御茶ノ水 - 万世橋にあった昌平橋駅は役目を終えて廃止された。
 初代の駅舎は豪華であった。東京駅と同様に辰野金吾の設計による赤煉瓦造りで、一等・二等待合室、食堂、バー、会議室等を備えていた。また、貨物用のエレベーターも整備されていた。中央本線のターミナルとしてだけでなく、ここから両国駅方面への総武線の敷設計画をも見据えたものであった。駅前には広場が設けられ、日露戦争の英雄である廣瀬武夫と杉野孫七の銅像が建っていた。東京市電が走り、多くの人で賑わった。大正時代に最盛期を迎えた。
 しかし万世橋駅の開業後に、東京駅が完成。1919年(大正8年)3月1日、万世橋 - 東京が開通。中央本線の起終点としての役目は7年で終わった。同年、神田駅が開業。1925年(大正14年)11月1日には、上野 - 神田間の高架線が完成。秋葉原駅が旅客営業を始めた。一方、万世橋駅は1923年(大正12年)の関東大震災で駅舎が焼失し、遺体安置所に利用された後、簡素な駅舎が再建された。

 4.凌雲閣

Ryounkaku 明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。関東大震災で半壊し、解体された。展望室からは東京界隈はもとより、関八州の山々まで見渡すことができた。
 1890年の開業時には多数の人々で賑わったが、明治末期には客足が減り、経営難に陥った。1911年6月1日に階下に「十二階演芸場」ができ、1914年にはエレベーターが再設されて一時的に来客数が増えたものの、その後も経営難に苦しんだ。浅草十二階の下の一帯は銘酒屋街となっており、実際としては私娼窟と化していた。それで浅草で「十二階下の女」と言うと娼婦の隠語を意味した。
 1923年9月1日に発生した関東大震災により、建物の8階部分より上が崩壊。地震発生当時頂上展望台付近には12 - 3名の見物者がいたが、福助足袋の看板に引っかかり助かった1名を除き全員が崩壊に巻き込まれ即死した。経営難から復旧が困難であったため、同年9月23日に陸軍工兵隊により爆破解体された。跡地は後に映画館の浅草東映劇場となるが、現在はパチンコ店になっている。
 2012年10月23日に凌雲閣南側の映画館跡に松竹が建設する再開発ビルが、凌雲閣を再現した構造とする計画があることが報じられた。ただし街並み整備地区計画による36mの高さ制限があるため、当時の高さよりは低くなる見込みである。

 5.鹿鳴館

Rokumeikan 国賓や外国の外交官を接待するため、明治政府によって建て られた社交場である。鹿鳴館を中心にした外交政策を「鹿鳴館外交」、欧化主義が 広まった明治10年代後半を「鹿鳴館時代」と呼ぶ。当時の極端に走った欧化政策を象徴する存在でもあった。
 煉瓦造2階建てで1階に大食堂、談話室、書籍室など、2階が舞踏室で3室開け放つと100坪ほどの広間になった。バーやビリヤードも設備されていた。
1890年(明治23年)、宮内省に払い下げられ、華族会館が一部を使用。1894年(明治27年)6月20日の明治東京地震で被災した後、土地・建物が華族会館に払い下げられた。1898年にコンドルが改修工事を行い、外観が変更された。
1927年(昭和2年)、華族会館の敷地が日本徴兵保険会社に売却された。1930年に保険会社のビル(3階建)が新築されたが、旧鹿鳴館の建物は残されていた。建物は後に華族会館となり、1940年(昭和15年)に取壊された。鹿鳴館の正門として使用された旧薩摩藩装束屋敷跡の通称「黒門」は旧国宝に指定されていたが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失した。千代田区内幸町の跡地には「鹿鳴館跡」のプレートが設置されている。現在、跡地にはNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)が立っている。

 6.池田屋

Ikedaya 幕末の1864年7月8日(元治元年6月5日)に、京都三条木屋町(三条小橋)の旅館・池田屋に潜伏していた長州藩・土佐藩などの尊王攘夷派志士を、京都守護職配下の治安維持組織である新選組が襲撃した事件が発生した。池田屋事変、池田屋騒動ともいわれている。
 御所焼き討ちの計画を未然に防ぐ事に成功した新選組の名は天下に轟いた。逆に尊攘派は吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・大高又次郎・石川潤次郎・杉山松助・松田重助らの逸材が戦死し、大打撃を受ける(彼らは後の新政府により俗に「殉難七士」と呼ばれる)。落命した志士達は三条大橋東の三縁寺に運ばれて葬られた。
 長州藩はこの事件をきっかけに激高した強硬派に引きずられる形で挙兵・上洛し、7月19日(8月20日)に禁門の変を引き起こした。
 事件後、池田屋は人手に渡り、その後別の経営者が佐々木旅館として営業していた。1960年頃まで当時の建物も遺っていたが、その後取り壊され佐々木旅館も廃業。跡地はテナントビルやパチンコ屋など転々としたが、2009年に居酒屋チェーンのチムニーが居酒屋「海鮮茶屋 池田屋 はなの舞」を開業している。
 当地には佐々木旅館の縁者が建立した「池田屋騒動之址」と刻まれた石碑がある。それにしても、あの歴史的大事件で、その名を全国に知らしめ、現代においても英雄として名を刻む「新撰組」の活躍があった場所が、現在は全国チェーンの居酒屋とは・・・。

 7.近江屋

Oumiya_r_2 江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年 12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺 された事件。この事件では、事件当初は新選組が実行犯だとの噂が流れて、それに関連して天満屋事件などが起こったが、実行犯は見つからなかった。しかし、1870年(明治3年)に見廻組隊士だった今井信郎の供述が転換点になり、見廻組が実行犯であることが有力となった。現在の歴史学上では見廻組の佐々木只三郎らを実行犯とする説が通説として扱われている。
 現在、「坂本龍馬 中岡慎太郎 遭難之地」と記された石碑が建っている場所は、当時の近江屋の北隣にあたる。建立場所が隣地になったのは、1927年(昭和2年)の建立の際、土地所有者の了承が得られなかったためとされる。

 こちらも、池田屋と同様、京都に存在したが、今その有名な場所が再現されず、居酒屋や旅行会社、コンビニが建ち、片隅に跡地を示す石碑が残るだけの寂しい状況。どうも腑に落ちない。

 8.吉原遊郭

Yoshiwara 江戸幕府によって公認された遊廓。始めは日本橋近く(現在の日本橋人形町)にあり、明暦の大火後、浅草寺裏の日本堤に移転し、前者を元吉原、後者を新吉原と呼んだ。元々は大御所・徳川家康の終焉の地、駿府城下にあった二丁町遊郭から一部が移されたのが始まり。
 このとき幕府が甚右衛門らに提供した土地は、現在の日本橋人形町にあたる(当時の)海岸に近い、葦屋町とよばれる2丁(約220m)四方の区画で、葦の茂る、当時の江戸全体からすれば僻地であった。「吉原」の名はここから来ている。
 寛永17年(1640年)、幕府は遊郭に対して夜間の営業を禁止した。このことで市中に風呂屋者(湯女)が多く現れるようになり、その勢いは吉原内にも風呂屋が進出するほどだった。明治期以降になると、政界、財界の社交場所は東京の中心地に近い芸者町(花街)に移ってゆき、次第に吉原遊廓は縮小を余儀なくされていった。一方で、次第に主に東北地方から身売りされた少女達が遊女になっていった。
 こちらは歴史的価値として再建し保存してほしい。もちろん建物だけである。

 9.本能寺

Honnoujato 京都府京都市中京区にある、法華宗本門流の大本山。織田信長が明智光秀の謀反に遭い、討たれた「本能寺の変」で知られる。1582年(天正10年)明智光秀の率いる軍勢に包囲され打死する事件(本能寺の変)が起き、その際、堂宇を焼失した。
 1591年(天正19年)豊臣秀吉の命で、現在の寺域(中京区寺町御池下ル)へと移転させられた。伽藍の落成は、1592年(天正20年)。現在の御池通と京都市役所を含む広大な敷地であった。つまり、歴史に名を残す織田信長が命を落とした「本能寺」は、別の場所に移転してある。現在の京都の堀川高校東側の小川通り沿いにあったとされる。2007年(平成19年)マンション建設に伴う遺構調査では、本能寺の変において焼けたと思われる瓦や、「能」の旁が「去」となる異体字がデザインされた丸瓦が、堀跡の屁泥の中から見つかっている。それにしても歴史に名を轟かし、日本人が好きな歴史上の人物のベスト3に挙げられる偉人の終焉の場所が、今やマンションとは・・・。500年も前の出来事とはいえ、「戦」という殺戮が繰り広げられ、大勢の兵士が亡くなった場所に住んでいる住民は、どのような意識と感覚で毎日の生活を送っているのだろう。

10.聚楽第

Jyurakudaiato 安土桃山時代、山城国京都の内野(平安京の大内裏跡、現在の京都府京都市上京区)に豊臣秀吉が建てた政庁兼邸宅である。なお当時の文献には単に「聚楽」、あるいはまれに「聚楽城」と現れる。竣工して8年後に取り壊されたため構造などについては不明な点が多い。
 聚楽第は関白になった豊臣秀吉の政庁兼邸宅として1586年(天正14年)2月に着工され、翌1587年(天正15年)9月に完成した。
 九州州征伐を終えた秀吉が大坂より移り、ここで政務をみた。聚楽第は、「第」(= 邸)とあるが、本丸を中心に、西の丸・南二の丸及び北の丸(豊臣秀次増築)の三つの曲輪を持ち、堀を巡らせた平城であった。建物には金箔瓦が用いられ、白壁の櫓や天守のような重層な建物を持つ姿が「聚楽第図屏風」や2004年に発見された「洛中洛外図」(江戸初期)などの絵図に描かれており、さらに国立国会図書館などが所蔵する「聚楽古城図」では本丸北西隅に「天守」の書き入れがあるので、天守の存在が推定されているが、一方で天守はなかったのではないかという指摘もある。内郭部の規模は、秀次の家臣駒井重勝の『駒井日記』に詳しく記されている。それによると本丸の石垣上の壁の延長は計486間、三つの曲輪も含めた四周に巡らされた柵の延長は計1031間であった。
 聚楽第の建造物の多くは伏見城内へ移築されたとされる。なお、西本願寺の飛雲閣、妙覚寺の大門、妙心寺播桃院玄関、山口県萩市常念寺の山門など聚楽第から移築されたという伝承がある建造物も少なくないが、いずれも伝承の域を出ず、今のところ研究者の間で聚楽第の遺構と認められている建造物は唯一2003年の修理の際に飾り金物から「天正」の銘が発見された大徳寺の唐門だけである。
 聚楽第は、現在では地形にわずかに痕跡をとどめる程度で、明確な遺構は残っていない。現在、中立売通大宮西北角(本丸東堀があったとされる地点)と中立売通裏門南西角(本丸西堀があったとされる地点)の2箇所に『聚楽第址』の石碑があり、聚楽第の在った位置をおおよそ知ることができる。

 さて、今回は、古き佳き時代に、歴史の中心に鎮座していた建造物に焦点を当ててみたが、ぜひ観光などで訪れる際に、候補地のひとつとして参考にしてほしい。そこに、かつて存在し、歴史目撃して来た重要な建造物。今は姿・形が残ってはいないが、その場所に建てば、歴史の足音が聞こえるかもしれない。そこで行われていた華やかな伝統的な行事も見えてくるかもしれない。跡も形もない場所については、再建なり復元して歴史的遺産の建設、および保存を懇願するものである。

 記事作成:10月19日(日)

 追 記

 この日、私がこの記事を昼に書き上げたところ、時を同じくして夜の21時からNHKで、「カラーでよみがえる!東京100年の映像物語」が放送された。なんと、私が記事に記した凌雲閣や万世橋駅まで登場した。私が記事にすると、それが何故かテレビ等で取り上げられ、注目される不思議。ジンクスはまだ続いていたようだ。

2014年12月 6日 (土)

鬼気迫る戦争シミュレーション動画

 本日掲載の記事は、昨日の続編とも呼ぶべきもので、かなり反響があると予想できる。一見現実離れしているが、冷静に考えれば、一触即発の朝鮮情勢や領土問題に端を発す日中関係悪化において、常に念頭に置いておかなければならない問題である。そのことを前置きしておきたい。むろん、戦争を奨励している訳ではないし、危機感を煽ったり、不安に陥れる意図はないので、誤解の無いようにお願いしたい。

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 目に余る韓国の反日行動。日章旗を焼き払い、歴代首相の写真を土足で踏みつけ、引きちぎる野蛮行為。まるで何かに取りつかれたかのように、「反日」を生き甲斐にしているとしか思えない狂気の沙汰だ。しかも、我が国の初代首相、伊藤博文を暗殺した殺人者を英雄として奉る良識の無さ。
 この韓国とは、表向きには「日米韓の軍事演習」など繰り広げているが、果たして有事の際に、同盟国として意思の疎通を図り、協力して某国の仕掛けた戦争に対処できるのか。どうやら物の道理や限度を知らぬ節操のない韓国は、身の振り方や置き方などもなく、自爆と破滅の道を辿っているように思えてならない。

Antijapan Antijapan2

 この民族は、政治の世界にとどまらず、スポーツの分野においてもフェアプレー精神やマナーが欠如している。勝ちに固執するあまり、ルールを無視したラフプレーの連続。判定に不服があると審判にさえ暴行を働く。レフェリーに賄賂を渡して買収していると問題になった。相次ぐ独善的な問題行動で、その愚かさを露呈し、全世界から非難の集中砲火を浴び、嫌われている。しかし、まったく意に介さず、自分本位な概念しか持ち合わせていない。実に哀れな境遇。それにもかかわらず、輪をかけるような過激な反日行動は収まらない。
 そもそも朝鮮人は直情径行で、激高型の民族性である。感情の赴くまま、意にそぐわないと徹底して排除しようと画策する。人権尊重や人命最優先なる概念も希薄だ。そこには礼儀や自己反省なるものは微塵もない。敵対心を植えつける教育を幼少期から強制しているため、労わりの心や公共心が欠如し、素養もない。
 万が一、国際社会から孤立し、歯止めの効かなくなった韓国が暴走し、日本へ戦争を仕掛けようものなら、アジア諸国はこぞって日本に加勢するだろう。アメリカは日本と韓国を両天秤に掛けてもどちらを重視するかは明白。アメリカの強力な後ろ盾があり、日本各地に米軍基地が点在する以上、日米安全保障条約に沿って、韓国全体が戦火に覆われ、滅亡するのは然り。

 当然のことながら、虎視眈々とその機を狙い、不仲の日韓関係を高みの見物をしていた北朝鮮が、ここぞとばかりに南北軍事境界線(38度線)を突破し、韓国へと侵攻して来るのは火を見るより明らか。事実、今年11月にアメリカは、来年2016年12月までに韓国に駐留する米軍陸軍部隊を撤退させることを正式に表明した。これまでの防衛上の安全は保障されなくなった。あまりにも韓国政府が一方的に日本を敵視する姿勢に、日本の同盟国であるアメリカの怒りを買ったとしか言いようがなく、韓国にしてみたら身から出た錆、いや自業自得のしっぺ返しを喰らったことになる。アメリカ軍に守られていた韓国の軍事的バリアーは無くなったことで、一気呵成に北朝鮮が侵攻して来るのは明白。時期を見て屈強の北朝鮮軍が陸空から攻撃を開始する。暴力、民間人虐殺、略奪行為はもちろん、首都ソウルを占領し、朝鮮半島を制圧するに違いない。挟み撃ちにあった韓国はもはや降伏し、服従するしかないのだ。ここに朝鮮半島は南北統一し、金正恩総書記の陣頭指揮による暗黒&恐怖政治が始まる。そして積年の敵である軍門に下った韓国人は奴隷と化すこととなる。かつて従軍慰安婦問題をでっち上げて日本を痛烈に非難してしていた韓国民は、北朝鮮主導による統一政府の絶対服従下に置かれることとなる。
 民主と自由が強制と束縛に変わり、多くの旧韓国難民が救いを求めて日本へ亡命を乞うことになるだろう。ことここに及んで、ようやく己の愚かさを知ることとなるのだ。

 あながちこのような仮想も否定できない現代において、「韓国が狂人的に暴走し、戦争への道を突き進んだらどうなるのか」を想定したシュミレーション動画が存在した!これは自らの暴走に歯止めをかけるための、いわば警鐘を鳴らす意味で制作されたものらしい。
 ではさっそくご覧いただきたい。

 1 韓国最後の日

 日韓両国の不仲に乗じて北朝鮮が韓国に宣戦布告し、最終的には韓国滅亡に至る悲劇を描いた作品。かなり現実味を帯び、緊迫感があり、実際に十分起こり得る内容となっている。日本が参戦した狙いはあくまで竹島奪還。韓国による不当な実効支配が続くこの島を、周到なまでに練られた作戦を遂行して見事に成功。日本は交戦せず無傷で竹島を取り戻すという内容だ。頭脳的でいかにも日本人らしいやりかた。これまで一方的に、韓国から批判を浴び続けた日本人が見たら胸がすくような内容だが、もしこれが具現化するようものなら、日本にもその戦火が及ぶ可能性はある。図に乗った朝鮮半島南北統一国家が、かつて日本がそうしたように領土拡張を目論見、進撃してくる危険性だ。そうなれば傍観者ではいられない。
 しかしながら、もしも韓国が敗戦国になっても、日本人は戦争経験者・震災体験者である立場上、喧嘩を売った相手にさえ、冷静に人道的な行動を起こすに違いない。それが国際社会の中で、日本に課せられた役目や義務を果たすかのように。そもそも民度が高い日本人は、高い教養を身に着け、道徳心や公共心に長けた民族性を有している。助け合い精神が宿り、他人が困っていれば見て見ぬふりはできない筈だ。人の生死が関わる以上、かつての「朝鮮戦争特需」再来など期待することもない。ここが日韓両国の決定的な差だ。

 いきなり、結果ありきというか結論を先にご覧いただいたが、では一体どういう経緯でこのような末恐ろしい事態に陥るのか、その経緯を描いた映像を見てほしい。これは身から出た錆となることを恐れる韓国が、自国民や政府首脳に「最悪の場合、こうなることもあり得るので覚悟してほしい」という警告の意味合いを含む映像集である。

 2 ソウルの一番長い日

 ご存知のように、今から60年以上も前に起きた朝鮮戦争は、休戦協定により、現在も「戦争停止状態」にあるだけ。終結はしていない。今でも両国首脳が一歩対応を誤れば、一触即発の危機的状況にあることになんら変わりない。これまでも「米韓共同軍事演習」に反発する北朝鮮の挑発行為が続き、ミサイル発射など目に余る行動が相次いだ。現に2010年11月23日に最大の緊張が高まった事件が起きた。大延坪島近海で起きた朝鮮人民軍と韓国軍による砲撃戦だ。朝鮮人民軍が北方限界線(NLL)を越えた大延坪島に向けて突然、砲弾約170発を発射、90発が海上に落下し、80発が同島に着弾した。この事件で韓国の海兵隊員2名、民間人2名が死亡、海兵隊員16名が重軽傷、民間人3名が軽傷を負い山火事や家屋の火災が発生した。住人1,300人には避難命令が出された。

 一連の北朝鮮の挑発行為に業を煮やした朴大統領や韓国軍が強固な姿勢に出れば、再び軍事衝突が起き、それが引き金となって朝鮮戦争が勃発する危険性は高い。また、韓国国内でクーデターが発生し、軍が実権を掌握して戒厳令が敷かれれば、もはや大統領は操り人形、もしくはお飾りでしかない。

 しかし過去と違う点は、北朝鮮が密かに核を保有し、生物化学兵器や大量破壊兵器を所有し、それを使用して攻撃する可能性が十分あるということだ。従来の瀬戸際外交が見透かされ、限界を悟った北朝鮮が実力行使に出ることが予想できる。その口火切りたい北朝鮮。若き金正恩主席が、我慢の限界を越え、怒りのあまり国民総自決覚悟で全面戦争を布告することは十分あり得る。北朝鮮の脅威は、民主主義とは異なり、その団結力にある。金正恩総書記が命令を下せば、運命共同体の如く、死をも恐れぬ戦闘力を発揮する。それは毎年派手に行われる軍事パレードでも明らか。一糸乱れぬ行進は、見るものを圧倒する。よほど過酷な訓練をしていないと、あそこまで足並みが揃うことはない。マスゲームもまた然り。意思の疎通が完璧で、一命を投げ打って取り組んでいるのが見て取れる。潜水艇や小型艇の工作員が拿捕される前に集団自決した事件でも明白だ。実戦では想像を絶する戦法で多数の犠牲を払う戦闘が起こり得る。

 こうした不測の事態が現実的に起きた場合、日本がとるべき対応はいかなるものになるのか。この期に及んでも、韓国が反日行動や強烈なバッシングを繰り広げている限り、日本が韓国を助ける大義名分などない。「憲法第9条」を盾にとり、後方支援すらしない。北朝鮮が日本を攻撃するような事態に陥れば話は別だが、イラク戦争のような海外派遣などはまずしないだろう。国際社会と敵対し、一方的に日本を敵視し、我が物顔で振る舞った挙句、嫌韓感情を増幅させた張本人はほかならぬ韓国人自身である。態度を改めない限り、身の程知らずで、手前勝手な威嚇行動を繰り広げて来た韓国が自滅の一途を辿るのは避けられないのだ。

 3 ソウル崩壊の日

 こちらは北朝鮮との戦争を想定した動画。悲壮感漂い、壮絶な最期を迎える。民間人の多数が巻き込まれ命を落とすことになる。ここまで韓国は追い詰められているのかと憐れみさえ感じる。経済が破綻し、内憂外患で先行き不安な情勢下で、破れかぶれの自爆行動に追い込まれた場合の最悪のシミュレーションを想定して制作されたようだ。このような終末的な事態を招くとすれば、全世界を敵に回す偽善行動ばかりを行ってきたツケが回って来たのだろう。つまりは「自業自得」。このような独善的な国家は見捨てるだろうし、誰も助けない。現に朴政権はこのような自滅、いや国家滅亡への道を容認し、確実に突き進んでいるのだ。

 何度も繰り返すが、強固に日本バッシングを続行すれば、アジア諸国全体を敵に回し、ますます孤立化に拍車をかける。最後は自暴自棄で「国民総自決」という自爆の道を選ぶしかない。タイ、インド、フィリピン、インドネシア、ベトナム、香港、シンガポール、ブータン、台湾、パラオ、どこをとっても親日家の国家ばかりであり、韓国に味方する国などあろうはずがない。日本がこければアジア諸国は危機的状況に陥るが、韓国が北朝鮮に抹殺されようが、何の影響も受けないからだ。アメリカも度を越した反日行動には憂慮している。
 韓国は、こうした自分の置かれた状況を認識し、身分相応の行動を心掛けたほうが身のためで、それこそが生きる道なのである。意味のない反日行動=破滅という図式をもう一度国民全体が認識し、考えを改めるべきだ。誤った反日教育を今すぐ正すべきだ。これ以上の無益な「日本叩き」を続けるのであれば、その代償は計り知れない。

 4 日本国自衛隊の決断 韓国海軍の野望

 これは日本と韓国が竹島の領有権を巡る問題が戦争への引き金となる場合を想定した動画。韓国の過度なまでの心配性の胸の内を表している。結局は見せかけの強がりで、いざ戦争状態に突入すれば、韓国軍に勝ち目はない。この動画は韓国が制作した物であり、一歩対処法を誤れば、このような非常事態がいつでも起こり得ることを教訓として描いたものだ。「韓国滅亡」を覚悟しながらも、大統領はそのプライドを優先し、玉砕してでも勝利を掴もうと画策する最後の悪あがきとも見て取れる。これが虚栄心の成れの果てと言う気がする。かつて日本が、徹底抗戦を叫び、沖縄で多大な犠牲を払い、広島と長崎の原爆投下で降伏を決意し、ようやく決着を見た、まさにその再現である。国家と心中しようという大統領決断はどの時代も同じだ。

 次にこのような動画を紹介したい。これは日中両国が尖閣諸島の領土問題から戦争に発展するケースを描いたものだ。度重なる中国の挑発行為に、自衛隊が防衛目的で攻撃を仕掛けるシーンを描いた。それを日本の宣戦布告と曲解した中国と開戦に至るシミュレーション動画だ。

 5 日本国自衛隊 決断の日(東シナ海開戦フィクション)

 6 日本国自衛隊 報復の日(日中開戦フィクション)

 7 日本国自衛隊 近未来戦争(日中開戦フィクション)

 8 尖閣有事 日本政府最悪のシナリオ (動画が削除されてしまいました)

 「安倍首相の判断は正しく、今すぐ憲法改正をしないと日本は滅びる」ことを想定して制作されたシミュレーション動画。一触即発の尖閣。憲法9条がある限り、日本は有事の際には、日米安保に従って、駐在米軍の武力に頼らざるを得ない。刻一刻と状況が変わる尖閣情勢。愚図愚図している暇はない。中国の暴走を食い止めるには武力しかないという趣旨で描かれている。これにも一理ある。これが現実的になれば、今の日本の国防力では防ぎきれないということを暗に表している。

 9 尖閣防衛 日米最悪の日

 もちろんこのような戦争状態に突入することは本意ではない。第二次大戦以降70年間の長きにわたり、平和状態が保たれたのは、お互いの歩み寄りと話合いによる成果である。平和的解決を堅持し、武力行使の危機的状況だけは回避しなければならない。ヒトラーやムッソリーニなどのような独裁者が再出しないことを祈ると共に、平和維持のためには、二国間ではなく、国連を巻き込む包括的な協議で対応を模索するしか方法はなかったわけだが、それもそろそろ限界に来ている。そう考えれば、日本がとるべき手段はひとつしかない。中国に対抗し得る武力を単独で保持することだ。今までのような丸腰では舐められるだけで、だから領土問題を含め、日本の領海まで珊瑚密漁に現れた中国漁船団に何も手出しができないのだ。日本の憲法下では、防衛上の正当な理由であっても、容易には攻撃ができない。所定の手続きを踏んで許可が下りるまで時間がかかりすぎるのだ。

 
 これまで中国の暴走に歯止めをかけていたのは日米安保により、米軍が沖縄をはじめとする日本国内に散らばっていたからだ。下の動画を見れば一目瞭然。

10 もし沖縄から米軍基地が無くなったら

 もし米軍が韓国と同じように、沖縄から撤退したら、誰が有事の際に日本を守れるというのか。中国が積年の恨みを晴らそうと、国民世論を味方に、日本を核攻撃してきたらひとたまりもない。日中が開戦することになれば、アメリカをも巻き込んだ第三次世界大戦に発展する可能性は高い。これを回避する手立てを真剣に考える時期がまさに今で、だから安倍首相は憲法改正を急いでいるのだ。中国の暴走を食い止める手立てはそれしか見当たらない。丸腰での紛争解決は困難だからだ。沖縄県民は、本当に米軍基地を追い出したいのなら、それに替わる強力な武力の保持を日本政府に要求すべきだ。自衛隊という名称ではなく、軍隊として有事の際にも独力で解決できるだけの軍備を進めなければならない。もしアメリカ軍が沖縄から全面撤退したら、中国は間違いなく沖縄に侵攻し、占領する。尖閣と同じことが沖縄でも起こる。これは過去の歴史を紐解けば理解できる。琉球王朝の時代から、中国は沖縄を中国固有の領土として考えていたからだ。
 したがって、国民世論を高め、現在の危機的な状況を国民一人一人が認識し、早急に手を打たないと手遅れになる。基地移転など流暢なことを争っている場合ではないのだ。今回の記事を真摯にとらえ、この問題を先送りすることなく、議論を重ねてほしいものである。

 最後に、各国の軍事力比較の資料を掲載し、戦争が起きればどういう結末が起こるのか、想像して貰いたい。
     
            軍備費予算    兵力      海軍        空軍 

 アメリカ      3,929億ドル  141万人    720隻    3,735機
 極東ロシア     640億ドル   140万人    250隻       630機
 中国        約2.8兆円    227万人    780隻    3,520機 
 北朝鮮          14億ドル    120万人    640隻      590機
 韓国         141億ドル   68.6万人     180隻      610機
 日本         450億ドル   24.7万人     150隻      450機

http://10rank.blog.fc2.com/blog-entry-114.html

 中国は人口世界一。日本の10倍で、兵力もダントツ1位。人を騙すのが得意で小賢しい知恵を身につけた中国人が、今日本をぬいてGDP世界2位にまで上りつめた。経済力を得、豊かな生活を身に着けた。今まで言えなかった不満や批判を実際に行動に移すようになった。もし、これだけの威容を誇る中国が、領土拡大に向け、軍事的活動に動いたら日本はひとたまりもない。中国の軍事力は今や、アメリカと同等、もしくはそれ以上だ。
 また、北朝鮮と韓国の軍事力を比較しても、明らかに北朝鮮のほうが格上。実戦になった場合、こちらもアメリカの軍事支援に頼らざるを得ない。しかも北朝鮮は核搭載可能な中長距離弾道ミサイルも保有し、幾度も「人工衛星ロケット」と称した発射訓練を行っている。

 さて、本日お送りした「鬼気迫る戦争シミュレーション」は、机上の空論でもバトルゲームなどでもない。人の生死に関わる深刻な問題である。決して一個人の偏重した意見と思うなかれ。現に今日紹介した動画映像は、当事者である韓国自身が制作したものだ。危機的状況に置かれていることを認識し、警鐘を鳴らしているわけで、切羽詰まった状況を如実に表している。
 私たち日本人は、平和な状況に慣れてしまい、戦争や紛争はどこか対岸の火事のように考えてしまう。実はそこに油断がある。「日本が戦争に巻き込まれるはずが無い」とどこか高を括っている節がある。それが日本国民の総意だとしたら憲法改正など具現化しない。憲法改正が今の平和状態を阻害する「劇薬」となる懸念を抱くからだ。国際情勢を考えれば、戦争に巻き込まれるのは本意ではないが、中韓の暴走を食い止めるためには、相応の武力保持もやむを得ない、そんな過渡期にあることを認識し、私たち日本人もある種の覚悟を持たなければならない。

 記事作成:12月2日(火)

2014年12月 2日 (火)

男をダメにするCM

 タイトルは大げさだが、男をダメにするとは男が見て、メロメロになったり、恋の虜にしてしまう美しい女性が出ているCMを集めてみた。好みはあるが、私は結構気に入っているCMだ。福島でしか放送していないローカル作品もあるので、他県の方が見れば新鮮でレアな物もあるかもしれない。

 1 栄川

 地元・福島限定の地酒CM。女優の竹村淳子さんという、べっぴんさんが出演して話題になった。艶っぽく色っぽく、そして男心をくすぐる表情。1980年代に放送された希少価値が高い作品。当時の福島県民の男性は、このCMが流れると画面にくぎ付けになった筈だ。今見ても素敵で心奪われそうな美しさだ。

 2 花春

 叶和貴子さんを彷彿させる純日本風の和服美人。大正琴を弾いている姿がまた美しい。会津に本社がある「花春酒造」は、1980年代に、このような和服美人をシリーズでCM作品に起用した。女優さんのお名前は存じ上げていない。

 3 ニッセイレディ友子さん

https://www.youtube.com/watch?v=1BCWgXCZ1mE

https://www.youtube.com/watch?v=LSXClyiMnOk

 以前もこのCMを紹介した。1980年代後半に一世を風靡した日本生命のCM。バブル後期にこのようなセールスレディーのイメージアップを兼ねて制作された。容姿端麗で明るい印象を与えると共に、「フットワークの軽さ」をPRしていた。爽やかで清楚なイメージに世の男性諸氏も「やられた」ことだろう。

 4 井川 遥

https://www.youtube.com/watch?v=Lzuixjmz8M4

https://www.youtube.com/watch?v=YSUZJ6QA4CY

 お酒のCMはどこか艶っぽい。チーママやホステスさんにはそうした色気のある大人の女性がよく似合う。彼女はB型。謎っぽい雰囲気や小悪魔的な魅力に溢れ、男からしたら、絶対に落としたい存在。このシリーズは大好きだった。

 5 広末涼子

 まだ高校生の頃に撮影されたCM。この頃から大女優の雰囲気を醸していた。少女なのにどこか悩ましい表情。思わず守ってあげたくなるような存在だった。O型らしく色白で丸顔が人懐こい印象を与える。

 6 ブルボン by 中山忍&藤井美菜

 中山忍は中山美穂の実の妹。当時はアイドルでロリフェイスのか弱く幼い印象だった。

https://www.youtube.com/watch?v=v9_zTgH8NHo

 藤井美菜は、私が注目し、来年ブレイク間違いなしの国際的女優。超絶美人というだけでなく、バイリンガル。慶應義塾大卒で、在学中に第二言語として韓国語をとったことで好きになり、日常会話はネイティブと遜色ない。現在は日本よりも韓国で有名になっている。その美しさを物語る動画が下。

 彼女は、かつてのアイドルだった山本博美(京本政樹夫人)や若い頃の松坂慶子に似ていると思う。彼女を含め、全員がA型。

 以上、私の好みで取り上げたCM作品を紹介した。多分、男だったら、一度は好きになった、あるいは好きになりそうな方々だ。

 記事作成:11月26日(水)

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