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2015年2月

2015年2月28日 (土)

2015年1~2月期のCMベスト5

 2カ月に一度ずつお送りしている、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事、今年最初の1~2月分は以下の5作品です。

 1位 JR SKISKI 広瀬すず 

 私は以前から彼女に注目し、何度か当ブログで記事にしたことがあったが、今年大ブレイクするのは間違いない。同じA型の新垣結衣や能年玲奈に似ている。純情を絵に描いたようなお嬢さん。ゼクシィのCMで注目を浴びた彼女だが、まだ17歳の新鋭。姉の広瀬アリスもまたタレント。この「JR SKI SKI」は冬季限定CMで、これまでに川口春奈や本田翼が出演して好評を得た。

 甘酸っぱい青春の香りが漂う。自分にも、若い時分にこういうゲレンデ冬物語のようなドラマを経験しただけに、つい微笑ましく見てしまう。「答えは雪に聞け」か・・・。

別ナレーションVer.はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=s4OhmA9XHOE

 2位 新型ムーブ 小松菜奈

 「愛って何ですか?」はコチラ https://www.youtube.com/watch?v=FMr1o4ncMSE

 このCMは去年から流れていたが、アンドロイド役の小松菜奈は、宮沢りえの若い頃やモデルの佐藤美希に似ている。すらっとした細身スタイルに長いストレートが良く似合う。広瀬すずと並び、今年の注目株。19歳で血液型はO

 3位 ライザップ 赤井英和

 「結果にコミットする」、ライザップでお馴染みのこの会社。驚異的な減量で話題騒然。次々減量に成功したタレントをCMに登場させ、その逞しく引き締まったお腹や、筋肉隆々の体に、誰もがCG?と疑った。元ボクサーで俳優の赤井英和さんは、あの中年太りの太鼓腹から、まるで現役時代を彷彿させる外見。変に勘ぐれば、一瞬ビフォー・アフターが逆なんじゃないか?って思った。大金を渡し、食うだけ食わせて太らせたたのではないかと・・・。

https://www.youtube.com/watch?v=A3lJCaoH88U

 4位 ソフトバンク 「お父さん回想する(登場)」篇 「お父さん回想する(ダイジェスト)」篇 
             「お父さん回想する(歴史)」篇  広瀬すず

 広瀬すずの勢いが半端ない。今年大ブレイク中の彼女。CM作品も多くなった。若いのに、存在感があって、今年のショートヘア―流行のけん引役となっている。

 5位 日本香堂

 こちらは2014年から放送されていたが、最近になってしみじみ見て、感動する内容だと知り、急遽ランクイン。長く語り継ぎたいCM作品だと思う。

 次点 NTTドコモ光

60秒バージョン→ https://www.youtube.com/watch?v=zid4JM7KzAI

 最後の千葉真一の不敵な笑い声が最高!

 この2ヶ月間でも、これだけの傑作CMが登場し、私たちを楽しませてくれている。CMは企業や製品や商品の宣伝だけでなく、エンターテイメントの役割も果たしている。

 記事作成:2月1日(日)~2月21日(土)

2015年2月27日 (金)

郡山の歴代重大ニュース(30傑)

 郡山在住の私にとって、こうのような記事を書き記すことは「生きた証」を残すことになる。まだ半世紀しか生きていないが、縁あってこの地に産声を上げ、足かけ41年もの長きに渡って暮らした街。嫌いになれるわけがない。学生時代に「北海道」と「東京」に住んだことがあるが、私にとっての故郷は「郡山」をおいてほかにないだからだ。そんな「郡山」に関しての話題を随分多く書いて来たつもりだが、私が知る限りにおいて、当地に纏わる重大ニュースを30個取り上げ、それぞれ簡単な説明を加えたい。

 第1位 東日本大震災・・・郡山は震度6弱。市役所展望室で見学者1人が犠牲に。

 第2位 原発事故・・・富岡町などから大勢の町民が避難して移住。あちこちにモニタリン
              グポストが立つ異常事態。未だに汚染水が海へ流れ込み、事態は
              悪化。野田元首相が宣言した収束など全くしていない。

 第3位 安積疎水開通・・・明治15年。オランダの土木技術師ファンドールンの功績は市
               民は誰でも知っている。この安積開拓によって市民は猪苗代湖
               の綺麗な水を飲めるようになった。

 http://www.city.koriyama.fukushima.jp/063000/gaiyo/asakasosui.html

 第4位 郡山空襲・・・昭和20年に計4度に渡って駅前周辺を中心に爆撃された。

 http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/kusyu-kooriyama.htm

 第5位 東北新幹線開業・・・昭和57年に大宮発着で暫定開業。東京が近くなった。

 http://ktymtskz.my.coocan.jp/sinkansen/toohoku.htm

 第6位 新産業都市指定・・・昭和39年に認定された。地の利を生かし、産業発展。当
                 時は日本一のマンモス議会を抱えていた。

 第7位 音楽都市宣言・・・合唱王国として平成20年に宣言。「がくとくん」がマスコットに

 https://www.youtube.com/watch?v=9Qk5nv3Ysxg

 第8位 中核市(平成9年)・・・昭和59年に人口30万人を突破して条件クリア。

 http://www.city.koriyama.fukushima.jp/061000/gaiyo/chukakushi.html

 第9位 ビッグアイ竣工・・・平成13年完成。プラネタリュウムや県立高校が入居。

 https://www.youtube.com/watch?v=b19EyUb8qM4

第10位 駅前西口再開発・・・ペデストリアンデッキ、バス&タクシープールなど整備。

第11位 自然災害・・・2度の大規模水害とクリスマス豪雪による大規模停電が発生

 http://ja.wikipedia.org/wiki/8.5%E6%B0%B4%E5%AE%B3

第12位 合唱王国・・・安積女子(現・安積黎明)高校が連続日本一の快挙

第13位 大手百貨店の進出と撤退・・・丸光、西友、丸井、ダイエー

 http://oyamamati.yu-yake.com/koriyamasta_2008.html

第14位 都市型ホテルラッシュ・・・スター、シティ、ワシントン、ビュー、東横イン、アパ、
      αー1、ルートイン、ドーミーなど

第15位 昭和の大合併で大郡山市誕生。日本一のマンモス市議会開催。

第16位 うすい再生・・・第一、第二うすいが取り壊しで、三越資本の新生うすい誕生。

 https://www.youtube.com/watch?v=d-kWHa6LIt4 

第17位 ビッグパレットふくしま竣工・・・平成10年、操車場跡地に誕生。イベント多彩に。

 https://www.youtube.com/watch?v=GO_3_mwgSTw

第18位 東北のシカゴ・・・ヤ~さんが多く、アーケード内で暴力団の発砲事件が発生。

第19位 真夏の祭典「ワンステップフェスティバル」・・・昭和49年開成山競技場で開催。

https://www.youtube.com/watch?v=ean0uqN6NAg

第20位 市役所が朝日に新築・・・昭和43年に移転。旧市役所は合同庁舎に。

第21位 大安場古墳で発掘。整備しオープン。 

 https://www.youtube.com/watch?v=o2gCOJsCDZk

第22位 4つの巨大総合病院が相次ぎ移転&増改築
      寿泉堂、星は移転、太田(中町の記念病院廃院)、南東北病院は規模拡大

     http://weblogkoriyama.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

第23位 GReeeeN・・・奥羽大卒のメンバーで結成され、全国区の人気に。

第24位 カルチャーパーク&ユラックス熱海・・・平成元年にオープン。

第25位 大規模公園整備・・・平成15年に21世紀記念公園「麓山の杜」、平成記念こど
                 ものもり公園(日和田)が完成

第26位 郊外に大規模店・・・ジャスコ、イオンタウン、ザ・モール、ヨークタウン

第27位 駅前が空洞化深刻・・・ダイエー、東北書店閉店、アーケード街は閑散。

第28位 内環状線開通・・・現在は安積町から富久山町の旧国道まで開通した。

第29位 周辺地域が活性化・・・喜久田街道沿い、八山田が発展。大小の店舗続々開店 

第30位 郡山消防本部改築 ・・・平成11年に竣工
      郡山北警察署開署・・・平成13年(2001年)カインズホーム北西側に誕生。

 https://www.youtube.com/watch?v=_2Lf5PpBm3E

 どうです?懐かしいでしょう。「あ~そういえばそんなこともあったな」と思い返していただければ幸いです。

 最後に、私にとっての想い出に残るスポットを列挙し、結びとしたいと思います。他人が見てもなんとも思わないでしょうが、備忘録として残したいと思います。

 1 磐光パラダイス・・・金粉ショーで有名。有名タレントがコンサートも開いた。 
 2 うすいデパート・・・切手をよく買いに来た。7階のレストランや屋内遊園地が有名。
 3 丸光デパート・・・屋上で様々な催しがあった。ラジコンカー対決は人気だった。
 4 郡山レジャーセンター・・・安積町にあった。5~6回は訪れた。気の毒な事件が発生。
 5 麓山公園 私が脚を大怪我した場所。初デートで失敗した場所。
 6 山ノ井・・・漫画を描く道具を揃えた。L字型に曲がった店内。照明が暗かった。
 7 東北書店・・・時間つぶしに最適。飲み会の時間調整に使った。
 8 郡山セントラルホール・・・プロレスやボクシングなどを開催し、よく見に行った。
 9 お好み焼きのおのざわ・・・小学生の頃、よく玉子焼き丼を食べた駄菓子屋。
10 椿山荘・・・私が結婚した場所。現在は「記憶の森」となっている。
11 富士館ビル東宝・・・昔はここで「ゴジラ」や「ガメラ」を見に連れて行ってもらった。
12 ザベリオ小学校(現在ホテルハマツ)・・・同級生にここの卒業生が多い。
13 眺望苑・・・郡山の夜景を楽しめた秘密の場所。土曜日はカップルの車だらけ。
14 児童文化会館・・・今の中央図書館になった。機械仕掛けの宇宙模型などが人気。
15 回想記念館・・・久留米にあり、私の父親の葬儀告別式をした場所。
16 浄土松公園&少年自然の家・・・キャンプやフィールドワークの想い出がいっぱい。
17 福島高等予備校(緑町)・・・私が浪人生活を送った。あまり行かなかったが。
18 コマツ醤油・・・小学生の頃に社会科見学で訪れた。暗くて臭いが凄かった・・・。
19 元禄寿司(アーケード内)・・・親によく連れて行ってもらった。郡山の1号店。
20 F学習塾・・・可愛いT子ちゃんと出会った。勉強せずに遊んでばかりいた。
21 文具のまるせい・・・サンドウィッチを買い食いして親に怒られた。
22 市民会館・・・合奏で舞台で演奏した。スター誕生、のど自慢の公開録画を見た。
23 合同庁舎・・・小学生の頃の遊び場。ろうそく片手に石組みの土台内部を探検した。
24 虎丸マンション(初のエレベーター)・・・珍しくて何度も乗り降りした。
25 福島中央テレビ(FCT)・・・小学生の頃、友達とスタジオ見学させてもらった。
26 鐘堂公園・・・紙芝居屋が来る場所で、放課後、ベニマルと行き来していた。
27 ワタナベスポーツ(富士館ビル)・・・ワタスポが郡山一のスポーツ専門店だった。
28 巨大迷路(社会保険事務所北側)・・・社会人になってすぐの頃にブームで建設。
29 えびやレコード店(虎丸)・・・何度もレコードを買った。1枚500円だった。
30 久留米水天宮・・・今は亡き父親に連れられて、野球をしに来た。まむしを捨てた。
31 郡山東映(堂前)・・・小6の頃、友人と「キングコング」を見た。
32 西武デパート・・・展望エレベーターに驚き、エレベーターガールに見とれた。
33 ONE DAY・・・20代の頃、何度も男女15人くらいで訪れカラオケを歌いまくった。
34 御霊櫃峠・・・別れた彼女と登り、パラグライダーを見た。
35 河童Ⅱ世・・・15人のグループでよく2次会で立ち寄ったカクテルバー。
36 インターナショナルスイミングの西隣にあった空き地・・・ソフトボールをよくやった。
37 アルペン・・・桜木にあったスキー専門店。ウェアや板を何度も買い換えた。
38 室町寿司(咲田)・・・回転すし屋。何回食べに行ったことか。墓の真下にある。
39 荒池公園 ・・・小学生の頃、早朝野球をした。
40 郡山ピカデリー・・・中1の頃に「スターウォーズ」を立ち見で見た場所
41 ベニマルさくら通り店・・・高校時代にバイトをした場所。
42 芳山小学校校庭・・・キャンプで寝たり、かまくら作ったり、毎日ソフトボールをした。
43 芳山小学校屋上・・・金網で守られていたので遊び場だった。ドッジボールなどをした。
44 十字屋楽器店・・・中高生の頃にギターの弦を買いによく訪れた。松英堂楽器も。
45 樽川模型店・・・R4に面した場所にあった。Nゲージをよく買いに行った。 
46 ナナウミ(R4の安積町にあった倉庫のディスカウントストア)・・・自転車を買った。
47 開成山・・・花見や花火大会、初詣、勉強などで何度も脚を運んだ想い出の場所。
48 カフェ&レストラン「四季」・・・家内と初めて会った場所。
49 附属幼稚園・・・私が卒園した幼稚園。確かうめともみじ組だった。
50 郡山市公会堂・・・祖母の葬儀告別式をした場所。友人がフォークコンサートを開催。

 今となっては懐かしい想い出の場所(写真・イラスト)

Tohokusyoten Kadoebi_2

 本当は「山の井」や「チロンヌップ」(雑貨店)を掲載したいのだが、どこにも画像が無い。

 郡山西武の閉店の記事はコチラ ↓

 http://gold.zero.jp/tomi103pc2008/depart/pref_fukushima/seibu_k.htm

 丸井郡山店閉店の記事はコチラ ↓

 http://gold.zero.jp/tomi103pc2008/depart/pref_fukushima/marui_k.htm

 記事作成:2月12日(木)

2015年2月26日 (木)

郡山市の半世紀の変遷(歴史年表)②

 本日も昨日に引き続き、私が長年居住する福島県郡山市の歴史を振り返りたいと思う。今日は50年分をふたつに分けた後半部分で、平成の歴史をお送りしたいと思います。これはいつ何が郡山で起きたかを記録する意味合いと、自分自身の年齢を記載することで、自らの生きた証を残す意図、さらには備忘録も兼ねている。
 本日掲載するのは、平成2年から26年までの25年間なので、記憶に新しい出来事ばかりだが、「あれってそんなに前だっけ?」というように、人の記憶には怪しい部分が多いので、ここで明記しますので、郡山在住の方は、その歴史を知っていただければ幸いです。

 1990年(平成2年)26歳

 保健センター・総合福祉センター開所
 テキサスA&Mユニバーシティ郡山校が1期生69人で開校、
 明健・緑ヶ丘第一小学校開校、磐越自動車道郡山-熱海間開通

 1991年(平成3年)27歳

 ホテルハマツ開業
 郡山ビューホテルアネックス開業
 東横イン郡山オープン
 麓山の滝復元
 東北新幹線東京駅乗り入れ
 ハイテクプラザが完成

 1992年(平成4年)28歳

 週休2日制開始
 郡山市立美術館開館
 郡山勤労者総合福祉センター(サンフレッシュ郡山)開所
 東部の住宅団地で散弾銃を持った男が警官と銃撃戦

 1993年(平成5年)29歳

 福島空港開港(2000m、玉川村)
 ホテルプリシード郡山オープン
 富田西小学校開校
 郡山市役所分庁舎落成
 駅前コミュニティ・フロンティア通りが完成
 冷夏による農作物被害過去最悪の101億円
 12代市長に藤森英二氏が就任
 
 1994年(平成6年)30歳

 ホテルサンルート郡山閉館
 市制施行70周年
 テキサスA&Mユニバーシティ郡山校閉校190名の学生がアメリカ本校へ移籍
 ヨークベニマルさくら通り店閉店

 1995年(平成7年)31歳

 ふくしま国体開催
 磐越自動車道郡山-いわき間開通
 
 郡山市第四次総合計画スタート
 石筵ふれあい牧場オープン
 ふくしまFM開局

 1996年(平成8年)32歳

 ゴールドマイン高玉オープン
 郡山日和田にジャスコ郡山フェスタ店を開業
 富久山清掃センター完成
 緑ヶ丘中学校開校
 片平ふれあいセンター・河内ふれあいセンター完成
 全農協合併「JA郡山市誕生
 大安場古墳が発掘される。

 1997年(平成9年)33歳

 中核市移行、市保健所オープン、人口33万人突破、安積開拓120年記念事業開催、
 磐越自動車道全線開通、開拓者サミット開催

 1998年(平成10年)34歳

 ビッグパレットふくしま開館
 三春ダム竣工、荒井浄水場が給水を開始。
 農業センター、喜久田ふれあいセンター・緑ヶ丘ふれあいセンターオープン
 総合教育センター設置、せせらぎこみち完成、郡山駅西口駐車場オープン
 8月に集中豪雨災害発生

 1999年(平成11年)35歳

 新うすい百貨店オープン
 消防本部新庁舎完成
 勤労者総合スポーツ施設完成
 阿武隈川、平成の大改修着工

 2000年(平成12年)36歳

 磐梯グランドホテル営業終了
 こおりやま文学の森資料館開館
 ザ・モール郡山オープン
 日和田行政センター・日和田地域交流センター完成、富田西ふれあいセンター完成、
 リサイクルプラザ完成、介護保険スタート、南川渓谷完成

 2001年(平成13年)37歳

 郡山ビッグアイ竣工(24階地下1階、高さ133m)
 郡山萌世高校・福島大学大学院サテライト教室開講、
 こおりやま男女共同参画プランスタート、総合教育支援センター移転、
 総合行政ネットワークスタート、ふれあい科学館オープン、柳橋歌舞伎伝承館完成
 うつくしま未来博開催
 郡山市総合地方卸売市場が竣工する。
 安積高校、21世紀枠で選抜高校野球出場
 郡山北警察署が開署

 2002年(平成14年) 38歳

 フェスタ観覧車開業(セガワールドフェスタ)
 ・駅東口広場・野鳥の森学習館オープン
 河川防災ステーション・湖南浄化センターオープン、
 せせらぎこみち完成、男女共同参画都市宣言
 郡山駅東口広場が完成。学校完全週5日制となる。

 2003年(平成15年)39歳

 佐久間学園トップの横領に絡み、ジェイク国際ビジネス&医療福祉技術専門学校閉校。
 二十一世紀記念公園「麓山の杜」オープン
 ホテルはまつが民事再生法適用申請(負債240億円)
 平成記念郡山こどものもり公園オープン
 うすい百貨店、業績悪化により、産業再生機構による支援が決定する。

 2004年(平成16年)40歳

 ホテルハマツオープン
 市制施行80周年
 郡山市公会堂大規模改修
 サンシティがS-PAL郡山に改称

 2005年(平成17年)41歳

 湖南小学校開校、鳥取市と姉妹都市提携
 第13代市長に原正夫氏が就任

 2006年(平成18年)42歳

 コンフォートホテル郡山オープン
 中田ふれあいセンタービッグハート

 2007年(平成19年)43歳

 郡山市布引風の高原オープン
 明健中学校開校
  西田ふれあいセンターオープン

 2008年(平成20年)44歳

 音楽都市宣言
 アパホテル郡山駅前オープン
 丸井郡山店閉店(32年の歴史に幕)
 ホテル西小野屋がスマイルホテル郡山に改称
 ホテルルートイン郡山インター開業

 2009年(平成21年)45歳

 ドーミーインEXPRESS郡山プレオープン
 大安場史跡公園ガイダンス施設オープン
 ニコニコこども館(こども総合支援センター)オープン
 郡山ミュージック劇場閉館

 2010年(平成22年)46歳

 郡山コミュニティ放送(kocoラジ)が清水台に開局
 ジュンク堂書店が郡山うすい9階に開店(10月29日)
 内環状線富田工区完成し、開通。市内中心部から八山田経由で旧国道まで繋がる。

 2011年(平成23年)47歳

 寿泉堂総合病院が移転オープン。シティタワー郡山の1階から11階に入居
 3月11日東日本大震災発生(震度6弱)
 かっぱ寿司、岸本精肉店ビル、市役所展望台など崩落 1名死亡
 「ジャスコ郡山フェスタ店」から「イオン郡山フェスタ店」へ改称。
 ペップキッズこおりやまが横塚にオープン
 

 2012年(平成24年) 48歳

 郡山カルチャーパークでジェットコースター点検中の作業員死亡
 ホテルリッチフィールド郡山がホテルクラウンヒルズ郡山に改称
 郡山市開成館全館再オープン
 ミュージカルがくと館オープン
 

 2013年(平成25年)49歳

 星総合病院が大町から向河原町へ移転しオープン
 市長選で現職を破った品川萬里氏が第14代市長に就任。

 2014年(平成26年)50歳

 B-1グランプリ開催

 2015年以降の郡山の主な予定

 郡山駅~喜久田駅間に新駅設置
 郡山開成山公園に屋内型プール建設
 旧丸井郡山店跡地複合ビルオープン
 郡山ワイナリーオープン

 さて、いかがでしたか。過去半世紀分の郡山市の歴史をざっと振り返りました。これをご自分の半生と照らし合わせ、あの出来事は自分が何歳くらいに起きたのかと確認していただければ幸いです。この25年を見ても、時間の経過は早く感じるし、様々な事象が起きている。市長も何人も変ったし、いろいろな建物が出来た。めまぐるしく市街地も変っている。歴史の変遷を見てきた生き証人として郡山を見てきた私ですが、これからどんな変貌を遂げるのか楽しみでもある。

 参考HP http://web2.nazca.co.jp/xu3867/page620.html

 記事作成:2月6日(金)~25日(水)

2015年2月25日 (水)

郡山市の半世紀の変遷(歴史年表)①

 私は1964年(昭和39年)に郡山市大町にあった「馬場産婦人科医院」でこの世に生を受けた。大変な難産で、母親は大変な思いをして私を産んでくれた。未熟児だったせいもあり、出産直後から生死の境をさまよい、棺おけ代わりのみかん箱まで用意されたほどだった。そんな私が、早いもので半世紀、何とかこれまで生きてこれた。大学時代の4年間と就職後、会津といわきに計5年間住み、それ以外の41年間を郡山の発展と共に過ごしてきた。だから、郡山市内の移り変わりをしかとこの目で見届けてきた。しかも私自身は市内の中心地で過ごしたため、駅前周辺を含め、市街地のことで知らないものは無いし、どこの道もわかると自負している。もちろん今は亡き祖父母や父はもっとたくさんのことを知っていたが・・・。
 今回は、その変遷を辿る意味で、郡山に関わるこの半世紀の歩みを、私の年齢と共に年表形式で回顧してみたい。

 1964年(昭和39年) 0歳

 常磐・郡山新産業都市の指定を正式に受ける。
 東京オリンピック聖火歓迎大会が開成山競技場で開催される。
 「十万人コーラス」運動
 

 1965年(昭和40年) 1歳

 日本女子工業高等学校が開校。現在の尚志高校の前身。東大卒の佐藤信氏が開学。
 郡山市と安積9ケ町村、田村町が合併。その後、中田村、西田村も郡山市に合併。
 東洋一の国鉄操車場の建設が進められる。
 第1回うねめまつりが開催される。湖南町では、湖まつりが始まる。
 「二十万人コーラス市内パレード」

 1966年(昭和41年) 2歳

 第1回こどもまつりが浄土松公園で開催される。
 富久山町に衛生処理場が完成する。
 開成館の復元工事が完成する。

 1967年(昭和42年) 3歳

 郡山レジャーセンターオープン(3/25)
 国鉄磐越西線が電化される。
 仙台市より「丸光デパート」が進出し、駅前にオープン。
 
 1968年(昭和43年) 4歳

 細沼から朝日一丁目に郡山市庁舎が新築移転。旧市庁舎は合同庁舎に。
 桑野小学校が開校。
 磐光パラダイスオープン(5月)

 1969年(昭和44年) 5歳

 磐梯観光ホテル火災30名の死者を出す大惨事に。
 イトーヨーカドー進出

 1970年(昭和45年) 6歳

 終末処理場完成。
 福島中央テレビ(FCT)が池の台に開局。
 行徳小学校が開校。
 気機関車D51264を開成山公園に保存・展示

 1971年(昭和46年) 7歳

 市民交響楽団発足。
 永盛小学校が開校。
  郡山総合計画スタート。
 奈良市と姉妹都市調印。
 磐梯グランドホテル、磐光パラダイス開業

 1972年(昭和47年) 8歳

 東北歯科大学が開校。
 労働福祉会館が虎丸町に建設される。
 全国都市問題会議開催。
 郡山地方広域市町村圏協議会発足
 ダイマツボウルがオープン
 開成山公園が開園
 郡山グランドホテル開業

 
 1973年(昭和48年) 9歳

 中学校給食センターが横塚に完成。
 郡山地方広域消防組合発足。
 東北高速道路(白河~郡山間開通)
 麓山に「中央公民館」が新築落成。
 ホテルサンルート郡山開業。

 1974年(昭和49年) 10歳

 市の花、木、鳥を制定。花は「ハナカツミ」、木は「ヤマザクラ」、鳥は「カッコウ」に。
 県営体育館が落成。
 市制50周年記念事業。
 駅前アーケードで銃乱射事件発生(5月15日) 
 こども祭りと「ワンステップフェスティバル」が開成山公園で開催。
 郡山レジャーセンターでヒグマが小学生女児の腕を噛み千切る事件発生。(11/4)

 1975年(昭和50年) 11歳

 東北高速道路(郡山~白石間開通)
 西友ストア・クレジットデパート丸井・ダイエーが相次いで出店
 久留米市と姉妹都市調印
 休日夜間急病センター開設

 1976年(昭和51年) 12歳

 南東北総合卸センターが完成。
 食品工業団地落成。
 大島小学校、柴宮小学校が開校。
 高玉金山閉山
 母成グリーンライン供用開始

 1977年(昭和52年) 13歳
 
 郡山市初の映画館「郡映」が閉館。
 郡山北工業高校、郡山高校が開校。
 小山田小学校開校。
 第10代市長に高橋尭氏が就任。
 清水台遺跡で縦穴式住居発掘。

 1978年(昭和53年) 14歳

 郡山北工業が全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。
 全国高校総体開催(郡山・福島)
 郡山ビューホテル、スターホテル郡山が開業
 大東銀行深沢支店に強盗が入り、1700万円奪われる。

 1979年(昭和54年) 15歳

 安積商業高校が全国高等学校野球選手権大会(甲子園)に出場。
 郡山スケートセンターが阿武隈川沿いにオープン。
 郡山第七中学校が柴宮山に開校。
 郡山シティホテルオープン

 1980年(昭和55年) 16歳

 児童文化会館が開成山地内に新築移転し、開館。
 安積第三小学校・逢瀬中学校が開校。
 12月24日に大雪で三万戸の大規模停電が起こる。
 丸光撤退
 チサンホテル郡山開業

 1981年(昭和56年) 17歳

 郡山中央図書館が麓山の児童文化会館跡地に新築完成し、開館。
 福島放送(KFB)が桑野に開局。
 職業訓練センター・消費生活センター開館
 郡山サンシティオープン。

 1982年(昭和57年) 18歳

 東北新幹線が大宮駅暫定開業。
 麓山に婦人会館が新築開館。
 郡山市歴史資料館が開館。
 富田東小学校が開校。
 

 1983年(昭和58年) 19歳

 駅西口市街地再開発事業促進を決議。
 テクノポリスの指定対象地域に決定。
 身体障がい者福祉センター開館、河内清掃センター完成
 郡山ワシントンホテルが開業

 1984年(昭和59年) 20歳

 郡山市民文化センターが堤下町に完成。
 人口30万人に達する(東北では仙台・いわき市に続き3市目)
 安積歴史博物館開館
 東北自動車道郡山南インターチェンジオープン

 
 1985年(昭和60年) 21歳

 磐越自動車道起工式
 11代目郡山市長に「青木久」氏が就任。
 がん撲滅都市宣言

 1986年(昭和61年) 22歳

 「郡山そごう」、青木市長の方針転換で出店計画を断念。
 8.5水害が発生。工業団地など床上浸水被害。死者3名。
 郡山テクノポリス開発計画が承認される。

 1987年(昭和62年) 23歳

 郡山市と東海大学の校舎誘致協定を解消。
 ファンドールン生誕150周年記念祭を開催。
 郡山中高年齢労働者福祉センター(サンライフ郡山)開所
 津野本店廃業

 1988年(昭和63年) 24歳

 市内待池台に「ハイテクプラザ(工業技術センター)」を建設決定。
 テキサスA&M大学分校の誘致を本格検討
 市議会「暴力追放都市宣言」を議決
 朝日が丘小学校が開校。
 郡山国際ホテル(現ビューホテルアネックス)が開業

 1989年(昭和64年/平成元年) 25歳

 郡山市南IC近くにカルチャーパーク・ドリームランドを開園。
 国道49号線中山トンネルが完成し、共用開始。
 テキサスA&M大学分校の誘致の基本協定に調印。
 郡山ユラックス熱海オープン
 第一イン(現ホテルリッチフィールド)開業
 ホテルハマツ開業

  今日はここまで。前半部分の「四半世紀」分を一挙にお送りしました。明日は1990年(平成2年)から2014年(平成26年)までの後半の「四半世紀」分をお送りします。

 ちなみに、私が生まれる前に起きた出来事で、注目すべきものを一挙記載します。

 1933年(昭和8年)・・・橘小学校開校。麓山プール設置。赤木小学校開校。
 1934年(昭和9年)・・・水郡線が全線開通。
 1937年(昭和12年)・・・日東紡績富久山工場設立
 1939年(昭和14年)・・・郡山淑徳女学校(現郡山東高校)校舎新築
 1940年(昭和15年)・・・富田村(大徳)に陸軍部隊設置
 1941年(昭和16年)・・・阿武隈川が大氾濫する。NHK郡山放送局設置。
 1943年(昭和18年)・・・三菱電機郡山工場設立。
 1944年(昭和19年)・・・郡山図書館設置。強制疎開。軍都指定。
 1945年(昭和20年)・・・郡山大空襲。4度に渡る。530余名が犠牲に。
 1946年(昭和21年)・・・戦災復興都市指定。
 1947年(昭和22年)・・・日本大学専門部工科設置。赤木小学校焼失。
 1948年(昭和23年)・・・郡山自治警察署設置。柳内大火。郡山第一中学校開校。
 1949年(昭和24年)・・・郡山市民会館が開館。日大第二工学部開校。
 1950年(昭和25年)・・・郡山女子短期大学開校。水道拡張工事開始
 1951年(昭和26年)・・・郡山駅舎改築。市内小学校給食開始。日本大学附属東北工
                業高校が開校。
 1952年(昭和27年)・・・第7回国体が郡山で開催される。開成山競技場完成。
 1953年(昭和28年)・・・郡山駅前に平和の女神像が建つ。
 1954年(昭和29年)・・・郡山に初のテレビ登場。ラジオ福島郡山放送局が開局。
                大同合併で大郡山市が誕生。安積町、富田など
                郡山市民の歌が出来る。
 1955年(昭和30年)・・・国民健康保険実施
 1956年(昭和31年)・・・麓山遊園地が開設。薫小学校新設。郡山競馬廃止。
 1957年(昭和32年)・・・国道4号線、須賀川~郡山間開通。荻姫まつりが開催。
                 東橋架け替え工事完了。郡山女子短大附属高校が開校。
 1958年(昭和33年)・・・郡山公会堂の隣りに郡山図書館新築落成する。
                 郡山市民会館が落成。
 1959年(昭和34年)・・・開成山公園築造工事始まる。
                 東北本線(白河~福島間電化完了)       
                    9代目市長に秀瀬日吉氏が就任。
 1961年(昭和36年)・・・児童文化開館、麓山に新築落成する。
                 国道49号線、郡山~喜久田間開通。小原田中学校が開校。
 1962年(昭和37年)・・・三森峠開通。
 1963年(昭和38年)・・・県立西工業高校が新設。桜小学校が開校。

 記事作成:2月4日(水)

2015年2月24日 (火)

郡山市の誘致活動失敗事例

 これまで当ブログで、我が故郷の郡山市についての記事を30回以上に渡って掲載してきた。本日お送りするのは「負の遺産」である。郡山市は、福島県の中央に位置し、東西南北に高速交通網や鉄道が整う交通の要衝である。昔から宿場町として栄え、人や物資の交流が盛んな土地柄であり、人口33万人の中核都市および県内では商都となっている。
 そんな郡山市において、過去に予算を計上し、誘致や招致活動を展開しながら、実現に至らなかった事例が数多く存在する。いずれも各方面の利権が絡んで失敗したケースが殆どだ。今日のテーマは、「地方都市の誘致運動失敗」の事例報告としたい。税金の無駄遣いで、余計な予算を支出しないための反面教師として貰いたい。

 「郡山そごう」

Sogo 昭和50年頃の商都・郡山は駅前に首都圏資本の大型百貨店やスーパーをこぞって誘致し、競争が活発化した。1959年に既存の「丸伊デパート」を買収して誕生した「うすい百貨店(第2うすい)」、1967年には呉服屋の色合いが濃かった「津野本店」、同年12月に駅前に進出した老舗の「丸光デパート」に加え、1969年には「イトーヨーカドー」、1975年には「西友ストア」、「クレジットデパート丸井」、「ダイエー」が立て続けに出店し、駅前を取り巻く商戦は大激戦となった。
 
 しかし、競争が激化したことで、客が分散化し、売り上げが一気に激減。マイカー族が増えたこともあり、駅前では駐車場の確保がままならず、結果的に客足が遠ざかることとなった。するとまず、丸光デパートが1980年(昭和55年)1月に閉店して撤退、昭和57年頃から駅前周辺の空洞化が深刻化し、一気に斜陽を迎えた。個人的には丸光が12年と1か月間の営業で閉店したとは思えないほど慣れ親しんだデパートだったし、各フロアは古い印象があった。こうした相次ぐ撤退劇で、郡山市は危機感を抱いた筈だ。そして1987年(昭和62年)には、郡山の地場百貨店だった「津野デパート」までもが廃業した。
 百貨店業界が衰退を見始めたその頃に、当時の「高橋堯」市長が、商業活性のための起爆剤として「そごう」の誘致に乗り出した。これに対し、地元の「うすい百貨店」を中心とした百貨店業界の労働組合が頑なに誘致拒否を表明。昭和60年の郡山市長選で、誘致反対を表明した現職の県議会議員だった「青木久」氏が無所属で立候補し、現職を破り初当選を果たした。

 私はこの選挙戦は記憶に新しいが、選挙最終日の夕方から夜にかけて、青木久支持者がシュプレッヒコールをあげながら大挙してさくら通りの歩道を行進したのを目の当たりにし、その切れ目なく続く人の波に、「青木新市長誕生」を予感した。私の祖父が、現職の応援に回り、市内各地で演説などを行っていたため、落選の報には驚いた。
 その青木氏が新市長に就任すると、直ちに「そごう誘致白紙撤回」に着手。郡山市民の理解が得られなかったとして「そごう」側も、一旦はまとまりかけていた郡山進出を1986年に正式に断念した。
 政治は一寸先は闇をこの時痛感した。市長が変われば方針が180度転換するのだと。

 その後も業績悪化による百貨店の撤退に歯止めがかからず、ダイエーから変った子会社の「ディスカウントストア・トポス」も1994年(平成6年)に撤退し、その後、「イトーヨーカドー」が西ノ内の「西部自動車学校」跡地に移転し、「ジャスコ」(現在「イオン」)が日和田町の4号バイパス沿いにオープン。2000年(平成12年)には、郡山駅前の「西友(郡山西武)」が閉店し、「ザ・モール郡山」として長者の日東紡績第2工場跡地へ移転したことで、駅前はますます活気を失った。

 最後まで粘った「丸井」もまた2008年(平成20年)に遂に閉店してしまった。人の流れは駅前から郊外へと移ってしまい、駅前はますます空洞化が顕著になった。その後も、駅の東側の「イオンタウン」のオープンや「ベニマル」の増設などで、ますます郊外の住宅街が賑わう皮肉な結果となった。ここに商都・郡山のネームバリューは脆くも崩れ去った。
 しかし、ここで素朴な疑問がある。もしも「郡山そごう」が実現していたら、その店舗はどこにできていたのだろうか?駅前?それとも郊外?駅前だとしたら、駅の西口再開発の目玉だったろうし、ビッグアイは無かったかも知れない。

 「東海大学」

 1984年に誘致準備事業団が設立し、85年には財政負担80億円程度なら誘致すると青木市長が表明。1986年6月には2学部6学科540人の計画と東海大郡山校舎“直営で”大学側が構想を打ち出したことで設立準備財団は白紙に。そして同年11月には、募金分の40億円が目処が立たず、昭和64年開校が宙に浮く。翌年1987年2月には東海大学誘致を断念。郡山市議会で青木市長が誘致協定解消を正式に表明した。
 以下、「郡山シティー」の「文教都市をめざせ」のサイトを引用します。

  東海大誘致では、それまで話し合いを進めていた高橋氏が'85年の市長選で敗れ、青木氏に交代した直後から条件面での厳しい要求が前面にあらわれ、結局、誘致は実現に至りませんでした。その後、東海大は他の地方都市に進出したと聞きます。その時の進出条件はどうだったのか、大いに気になるところです。初めに密約があったのか、青木市長(当時)との話し合いの過程で総長の心変わりがあったのかどうかは謎のままです。

Tokai

 この話が立ち消えた後、東海大学は1986年に法学部を新設、1991年には5学科(感性デザイン学科、情報通信工学科、物質化学科、生物工学科、医用生体工学科)からなる開発工学部を沼津市に開設した。よって、もし郡山に東海大学が出来ていたら、このいずれかの学部だったと想定できる。

 その後も郡山市は、'88~'89年には「暁星国際大」、「交通科学総合大」、「日本医大」の進出話が浮上しましたが、青木市政が積極的に取り組んだ「暁星国際大学」も議会と対立する局面が多々あり断念に追い込まれた。青木氏は教育にはあまり関心がなかったと見え、再三に渡る誘致政策は頓挫の連続で、結局は積極的な誘致はT&Mだけで、教育改革は大失敗に終わった。

 当時、郡山には「日本大学工学部」、「東北歯科大学」、それに「郡山女子大学・女子短期大学部」しかなかった。ここに東海大学の学部があれば、学生が全国からやって来て、街も活性化していたと思う一方、大学側は学生の奪い合いとなり、死活問題になっていたかもしれない。

 「テキサスA&M」

 1980年代、郡山市は地域振興のため東海大学の誘致を目指していたが、失敗に終わ
る。そこで1990年頃に海外の大学の日本校がブームになると、当時の青木久市長はアメリカのテキサス州にあるテキサスA&M大学(Texas A&M University)の日本校誘致に方針を転換する。1990年(平成2年)5月19日、学校法人郡山国際学園の運営により郡山市本町に仮校舎で開校した。

 郡山駅に近く、立地には比較的恵まれていたものの、プレハブの校舎とそれに囲まれる形で中庭に位置するバスケットボールコート1面以外には何もない、極めて小規模なキャンパスであり、当初の予定では、いずれは本校舎を建設してそちらに移る予定だった。
 しかし、1990年度の入学者は、170 - 200人の定数に対して69人、1991年度の入学生は、定員 300人に対して82人と入学者が予想を大きく下回ったため、開校直後から税金の無駄遣いではないかと、市を二分する大問題になり、やがては駅西口再開発と並ぶ市長選挙の争点の一つになった。
 1993年(平成5年)の市長選挙で、青木市長に代わって藤森英二市長が当選すると、翌1994年(平成6年)に閉校になった。「そごう誘致白紙」で当選した青木久市長は、「T&M」誘致で失脚し、その存続に異論を唱えたかつての部下(市役所幹部)だった藤森英二氏に敗れる皮肉な結果となった。青木氏の誘致策は失敗の連続だった。

Tamu

 この事業が失敗した理由には、日本の大学卒業資格が得られない、単なる専修学校扱いだったこと。日本の大学と同等の単位認定が不可能だったことで、アメリカの本学に編入しなければ、何の意味もないことがバレたためだ。結局は平成6年8月31日で閉校になり、190名いた学生はアメリカの本校へと移籍することとなった。名前に踊らされて飛び付き、大失敗した典型例。市県民税の無駄遣いで終わった情けない施策だった。 

 ​場所は、東北本線沿いの本町の高層マンション「サンロードステーション21」の北隣りで、住所は「〒963-8871 福島県郡山市本町1-20-22」 
 しばらく更地状態だったが、今は、福島県看護協会会館看護研修センターがある。

 「東北文化学園大学薬学部」

 2003年、8月突然に出てきた薬学部誘致の話は、計画が立ち行かなくなった大学側の一方的な判断で、中止となった。
 2004年2月国税庁の査察、3月仙台育英高校の水増し受験、財務諸表の数字の違いの問題が発覚、そして4月20日、平成9年の大学認可申請時の架空寄付問題が決定的になり大学の存続の危機に、4月27日の二重帳簿発覚から大学側が薬学部断念を決意、そして6月21日民事再生法を申請した。 
 郡山市は、5月7日全員協議会を開き、薬学部断念を正式に発表し、6月2日『東北文化学園大学薬学部設置に関する基本協定及び土地使用貸借契約の解消及び清算契約書』を締結。郡山市は大学側に誘致のために予算執行した費用(2億168万円余り)を請求した。しかし、東北文化学園大学は、2004年6月21日民事再生法を申請、大学は存続の道をたどれますが、郡山市が求めている賠償保障は請求額が圧縮され平均的には、多くて10%から2%とのことだった。
 また、郡山市の大学誘致の失敗を巡り、市民17人が同市を相手取り、藤森英二・前市長に約2億円を請求するよう求めた住民訴訟で、仙台高裁は16日、請求を棄却した1審判決を支持し、住民側の控訴を棄却した。小野貞夫裁判長は「予算執行の適正確保の見地から見過ごし得ない瑕疵(かし)があるとまでは言えない」と指摘した。

Tohokubunka

 この失敗を補填するかのように、既存の「奥羽大学」に薬学科が誕生した。しかし「薬剤師」の資格が4年制から6年制に変更され、私大だけに巨額な学費がかかるため、倍率が1~1.3倍程度と苦しい経営が見られる。

 「立志館大学」

 広島県安芸郡坂町に本部を置いていた日本の私立大学で、2000年に設置された。 学校法人広島女子商学園が経営する広島女子商短期大学を母体として、2000年4月に広島安芸女子大学として開校した。
 開校当初より定員割れで経営難に陥り、2001年にジェイク医療福祉技術専門学校(現・郡山健康科学専門学校)などを運営する学校法人佐久間学園が経営支援を表明。
 2002年4月に男女共学になり立志舘大学と改称。佐久間学園の地元である郡山市への保健福祉学部の新設等も計画したが、理事長による資金横領等が発覚し、同年10月に理事長が辞職し佐久間学園が支援から撤退。その結果経営に行き詰まり、2003年3月に一度も卒業生を出さずに廃校となった。

Rissikan

 「新設医学部系の大学」設置構想の失敗

 医学部脳神経疾患研究所を中核とする南東北グループ大学の設置を検討し、「国際復興記念大医学部医学科」(仮称)を福島県郡山市にそれぞれ新設する計画があった。そして厚生労働省の認可申請を行ったが、無慈悲にも認可されなかった。将来的にも継続的な放射線被害による健康問題に対処するために、是が非でも研究機関を有する大学病院の新設が必要だった。陽子線治療施設や現在工事中のホウ素中性子補促療法施設の運営にも弾みがつくことを期待した。
 しかし国は、こうした事情を百も承知で拒絶し、仙台への設置を許可した。

 これ以外にも、誘致ではないが、郡山市内の学校関係の不祥事は多い。廃校に追い込まれた「ジェイク」(国際ビジネス専門学校&医療福祉技術専門学校)のトップの横領事件、「アイシーケア介護福祉専門学校」もまた、指導者の数が充足していない問題が明るみに出て、一時経営が停止した経緯もある。また、ホテルハマツの西隣りの細長いビルで運営していた同じ系列の「アイシービジネス専門学校」も今はもう無い。実に残念でならない。

 他にも福島県自体が「首都機能移転」のPRで使った宣伝広告費や誘致にかかる費用は莫大で、そのツケは大きいし、県民が負担した額は相当大きい。行政は市民や県民目線で考えるべきである。

 首都機能移転推進CM https://www.youtube.com/watch?v=p7v_PJPxxLQ

 さて、今回は郡山に足掛け40年以上住み、税金を払い続けている私が、行政の失敗に対する不満めいたことをまくし立てた感が強い。私の家庭では、毎月夫婦合わせて5万円以上もの住民税を払っている。ということは、年間60万円。仕事に就いてから会津といわき勤務を除き、郡山市に21年間も居住し、税金を払い続けている。通算すると実に1,200万円以上にも上る。これだけ税金を郡山市に払っているのだから言う権利は十分あるだろう。源泉徴収だと見えずらいが、冷静に考えると多額である。だから税の無駄遣いは腹立たしく感じるし、許しがたい。行政の窓口は、「親方日の丸」のお役所仕事で、いつ市役所を訪れても、利用者からは罵声が飛び交っている。この現状をどう考えているのか。市民あっての役所ではないのか。それをぞんざいに扱いすぎる。
 市は、実にもならないくだらない誘致のために、無駄に財政を投資するのではなく、シフトチェンジして被災者を含めた福祉関係に予算を支出したほうがいい。昭和60年以降、この30年のうちに学校招致や企業誘致関連で、これだけ失敗しているのを真摯に反省すべきだ。もう少し、為になる予算執行をして貰いたい。重ね重ねだが、同じ轍を踏まないよう厳粛に受け止め、市政運営をお願いしたいものだ。

 記事作成:1月30日(金)~31日(土)

 

2015年2月23日 (月)

郡山の魅力再発見!⑨~今は無き建造物~

 今週は、「郷土愛ウィーク」として地元・郡山市に関する記事を掲載致します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 このシリーズ記事も今回で9回目を迎えた。我が故郷にして居住地である福島県郡山市。震災以降、原発の放射性汚染物質拡散を含んだ被災地というイメージが定着してしまったが、その記憶が薄れてしまうほど活気に満ちた街だ。最近は「郡山ナンバー」が交付されるなど、故郷への帰属意識にも熱が入っている。そんな郡山市に関する記事で、今日は、昔あって、今は無くなってしまった建造物をクイズ形式で取り上げたい。50歳以上の方には懐かしいと思うし、簡単だと思いますが、ぜひ昔の記憶を甦らせて、一緒に考え、お答えください。
 では、次の写真をご覧ください。いずれもかつては郡山に実在した建物です。さて、それらはいったいどこでしょうか?

<クイズ!この場所はどこだ!?>

 Q.1

Img_9673_r 

 ヒント:左下に重要な建物が映り込んでいる・・・。
      高さはまさかの20m越え。当時としては群
          を抜く高さの建造物だった。てっぺんには2
         人の人が立っている!見るからに怖い。
     


                                                        

  Q.2

Img_9682_rImg_9703_r

ヒント:郡山市民憩いの場。現在の郡山市民文化センターが竣工するまではここで
    いろいろな催しが開催された。

 Q.3

Img_9674_r 


   ヒント:かなり歴史のある建造物。この時代は、
     社屋や店舗を中心に石造りの外観が多
     く建造された。

 

 

 Q.4

Img_9675_r 

 ヒント:これは明治時代にあった建造物で、90歳
     以上の方でもなかなか当てるのが難しい。
     よくこんな歴史的な建築物があったものだ。
     映画のセットでよく見かける。

 

 Q.5

Img_9690_r 
 

   ヒント:さくら通り沿いにあった商店街。結
     構、市街地にある。その南側には、
     平屋の老舗旅館という風情の「染
     本ホテル」があった。 

  Q.6

Img_9700_r 

  ヒント:さくら通り沿いにあった。右側の店舗
     が大ヒント。このスーパーの隣りには
     決まって東邦銀行が寄り添うように建
     っている。Q.5の建物と至近。

 

                                                       
 Q.7

Img_9677_r 

 

 ヒント:昭和初期に落成された建物。この時代に
     しては大きな建造物だ。ヒントは3代目会
     頭の太田三郎氏がこの建設に尽力した。
     

 

                                                       
 Q.8

Img_9680_rImg_9696_r

 ヒント:さくら通り沿いにあった巨大工場。今は巨大ショッピングモールになっている。

 Q.9

Img_9692_r Img_8001_r

ヒント:郡山市内から16キロ北東に行った温泉街にあった遊戯施設。今は更地
     となっている場所。

 Q.10

Img_9686_r  
  ヒント:こんな一見長閑な風景だが、なんと市
     街地にほど近いさくら通り沿いにあった
     名物の建物だった。

 

 

 

 <解答編>

 A.1 麓山の高架水槽
     現在の中央図書館の付近に立っていた。麓山の滝の西隣り辺りだ。
     それが証拠に、左下に郡山市公会堂が映り込んでいる。高さ21.3mで、
     直径は7.2mあった。

 A.2 郡山市民会館
     「スター誕生」や「NHKのど自慢大会」、「笑点」などの公開録画も行われた。
     私が小学生時代、ここで合奏コンクールに出て、金賞をいただいた。また、
     高校時代には、谷村新司コンサートも見に行った。ラジオ福島の公開録音で
     抽選で当たって景品をもらった記憶がある。場所は今のNHK郡山放送局の
     西隣りで、現在は駐車場になっている場所だ。

    
 A.3 郡山電力株式会社
     今は細沼町の合同庁舎北側に「東北電力」があるが、当時は国道4号線沿いの
     中町にあった。

 A.4 駅前にあった「凱旋門」
     日露戦争に出兵した地元の兵隊を迎えるために建てられたと言われている。日
     露戦争では、郡山郡やその周辺の村(大槻・富田・喜久田・桑野など)から数多く
     の若者が戦争に駆り出された。郡山駅前の交差点付近にあったと推測される。

 A.5 清水台商店街
     アイスキャンディーや洋菓子屋の松風堂や星鑑定所なる古本屋などがあった。
     桜通りを挟んだ南側の真向いでは、かつて遺跡が発掘され、調査が行われた。
     

 A.6 ヨークベニマルさくら通り店
     高校時代に私が短期間、アルバイトをしていた。今は虎丸公園になっている。昭
     和初期には第二尋常小学校(現在の芳山小)があった。この向かい側にはトキワ
     スーパーと赤トリ井があった。さくら通りとは名ばかりで、開成山付近にしかなかっ
     た。昭和60年頃までは、柳並木の通りだった。しかも秋には葉が伸びすぎて、こ
     んもり車道にまで垂れ下がり、夜中は薄気味悪かった。だから伐採し、すべて植
     え替えた。このベニマルは、現在のツルハドラッグとドコモがある交差点に移転し
     たが、5年ほどで撤退した。斜め向かいに「ザ・モール郡山」があり、駐車場が手
     狭で面積も狭すぎて、品数も少なかったためだ。

 A.7 郡山商工会舘
     現在は郡山市清水台にあるが、平成23年に発生した「東日本大震災」で損壊し、
     平成26年に全面的に改築され、リニューアルされた。
     この写真は、昭和8年12月に旧郡山町役場後に建築された商工会館。

 A.8 日東紡績第二工場
     もちろん細沼と麓山の間に第一工場があった。私の実家のすぐそばにこの第二
     工場が平屋建てのように低く長く繋がるように建っていた。私はその壁にボール
     当てをして遊んだ。一方通行だった。今の安積黎明高校の東南の向かい側で、5
     階建てくらいの女子寮も敷地内にあった。とにかく敷地が広かったことを覚えてい
     る。守衛室は南東側の角地に遭って、その通りを東に100m先に日東病院があ
     って、その斜め向かいに第一工場への入口(裏門)があった。現在は21世紀記
     念公園になっている場所だ。

 A.9 磐光パラダイス
     昭和40年代、郡山市内には「郡山レジャーセンター」とこの「磐光パラダイス」が
     あった。3階の座敷のステージで行われる金粉ショーなどが名物だった。私は小
     学生の頃、ここで「フィンガー5」ショーを見た。ここのゲーセンで、メンバーの玉村
     妙子を追いかけ、サインを貰おうとしたら、私の前の人で切られてがっかりした覚
     えがある。この東に磐光グランドホテルが隣接していて、ホテルに潜入して宿泊部
     屋を探してうろちょろしていたら、エレベーターのドアが開いて、いきなりメンバー5
     人が目の前に登場し、マジでビビったことを思い出した。このホテルは、前身の磐
     光ホテル時代、1969年(昭和44年)2月5日に大火に見舞われ、30名もの方が
     亡くなられた。当時4歳だった私は、さくら通りを何台もの消防車が通過したのを
     覚えている。

     CMはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=VHavUr4hdfA

A.10 百軒長屋
     長者町にあった。現在の「真澄院」と駐車場があるところ。芳山小学校の南隣りか
     らさくら通りに至るあの広大な土地に長屋が並んでいたのだ。アパートや同級生
     の自宅も多数あった。日東サービス、印刷所、八百板正議員の自宅、さくら通り
     沿いには商店街があった。理容所、焼き鳥屋、写真屋、釣り具屋もあった。私が
     小3の頃、ピアノを習っていたS先生の自宅もあった。そこには日東紡第二工場
     側へ渡れる歩道橋もあったし、安積女子高校の東隣りにはカネボウ化粧品の大
     きな店舗が聳え立っていた。その後、そこは取り壊され、大きな駐車場になった
     が、その後は宗教団体の近代的な寺院と広い駐車場となっている。

 その他の懐かしい写真

Img_9681_r 

 これはかつて郡山駅前に建っていた「平和の女神像」。郡山のシンボリックな役目を果たした石造だった。駅前拡張工事に伴い、現在は「郡山総合体育館」の一角に移築した。昔は駅前に、アルファベット筆記体の「M」のような白いモニュメントもあった。一時、旧星総合病院のY字路の真ん中に鎮座していた。今もあるのだろうか?

 

 

 

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 これは、昭和50年代頃の中町商店街。駅前はとにかく活気があった。うすいの前のこの通りは、日曜日には銀座のように歩行者天国と化し、多くの買い物客で賑わった。今は閑散としていて淋しい限りだ。この通りは現在は綺麗に整備されたが、肝心の店が次々潰れてしまった。関川本店、会津屋洋品店、鈴屋、ツタヤ、靴のタカマツ、アメリカ屋、チロンヌップ、山ノ井、関川本店など名店が多かった。第一うすいとその隣にはトミヤという観覧車が屋上に建つ百貨店もあった。この時代は、津野デパート、丸光デパート、うすい2店舗、イトーヨーカドー、ダイエー、西友、丸井と相次いで出店し、競争が激化した。

 

Img_9685_r こちらは今も細沼町に現存する県の合同庁舎。由緒ある石造りが歴史を感じさせる。今でこそ合庁だが、昭和42年に朝日町に移転するまで、ここが市役所だった。小学生の頃、土台の床下に忍び込んで蝋燭片手に探検ごっこをした覚えがある。建物の前は、昔は池だった。そしてここは、あの三島由紀夫が割腹自殺を遂げた自衛隊市ヶ谷駐屯地に造りが似ていることから、再現映画「MISHIMA」(緒形拳主演)のロケに使われた。

 

 今度は逆。駅前のこの建物は、25年前は何と言う名前だったでしょうか?

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 答え:「丸光デパート」です。地下1階の食品売り場に小学生の頃に入り浸っていた。ここのラーメンを食べては時間を潰したものだ。また、床が木のフロアだった。エレベーターで6階のおもちゃ売り場と屋上の遊園地は小学生には堪らない遊び場だった。大型の電動遊具があって、回転飛行機やコーヒーカップなどもあった。子供だましのゲーセンもあった。駅前大通りを横切る地下道には時々ストリートミュージシャンやアクセサリー細工を売る行商人もいた。そこから直接丸光に出入りできる階段があった。何とも懐かしい。

 今は無き建物

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 こちらは麓山にあった中央公民館。平成23年3月11日起きた「東日本大震災」で、ここ郡山市内は震度6弱の激震に1分以上もの間さらされた。これによりこの建物も大規模損壊した。この麓山地区は、古い建物が多く、キシモト肉屋の店舗兼マンションも1階の土台部分が崩れ落ちてしまった。NHKやFCTにほど近かったせいもあって、全国ニュースに出るほどの崩壊だった。あれで死者が出なかったのは不幸中の幸いだった。現在は再建中。間もなく完成の見込みだ。右上の写真は東日本大震災写真保存プロジェクトのHPよりお借りしました。ありがとうございます。

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 旧国道本町方面から北に向かって撮影。中央に「第2うすい」の表示が見えるが、その屋上(写真右上)には昔あった観覧車が見える。そして写真右下に入口の庇が見えるのは、当時ここにあった「イトーヨーカドー」だ。現在の「オーディオのだや」の前あたりだが、この付近には「ヤマト無線」があった。今となってはお宝写真だ。走っている年代物の車を見れば、時代の古さをうかがい知れる。おそらくは昭和40年代初期くらいだろう。

 記事作成:1月29日(木)~30日(金)

2015年2月20日 (金)

「THE 異変」(天変地異)

 私が幼少の頃を送った1960年代から70年代にかけてと今を比較して、劇的に変わってしまった事象や自然現象を羅列したい。すでに1990年代に「阪神淡路大震災」、2011年3月に「東日本大震災」に見舞われ、多数の被害と犠牲者を出したのは周知の通り。「天災は忘れた頃にやってくる」の教訓を再認識する意味でも、このテーマで記事を書くことは極めて重要だと考え、設定した。

 1 台風シーズン

 私の子供の頃は、台風といえば8~9月と相場が決まっていた。梅雨時の6月に台風が押し寄せるなどということはまずあり得なかった。それが昨年、今年と2年連続で大型で強い台風が日本列島を直撃。震災と台風の二重苦で大変な思いをしている被災者も大勢いる。そして今や温暖化の影響で、12月の真冬にも台風が自然発生する時代となってしまった。

 2 熱中症

 私の中学時代は、野球部に所属し、休日には朝から晩まで炎天下で練習を行ったものだ。しかし、「熱中症」などという言葉はなく、唯一「日射病」というくらいで、死に至るほど重症化するような暑さには見舞われず、それこそ練習中は水を一滴も飲めず、それでも何とか耐え抜いたものだ。それが今はどうだ。猛暑を越える酷暑となる35℃前後にも上昇し、空気も乾き、汗がほとばしる、うだるような暑さになることも珍しくない夏を経験している。部屋の中にいても熱中症で亡くなる方までいる始末。考えられない。これも世界的規模で起こっている地球温暖化によるものだ。

 3 噴火

 昨年は御嶽山が噴火し、大勢の犠牲者が出た。日本は火山列島だけに、いつ噴火がおきても不思議ではない。私の予想では、今年は桜島が大規模噴火の予感。また阿蘇山もまた危険レベル。この20年余年で、有珠山や雲仙普賢岳、三原山が大噴火を起こし、我が福島県の吾妻山も登山規制が出る有様。磐梯山も富士山もいつ大爆発し、山体崩壊しても不思議ではない状況だ。

 4 ゲリラ豪雨

 これもまた昔はあまり起きなかった。日本はに「四季」があって、一時的ではあるが亜熱帯のように雨季がある。梅雨や秋雨前線、台風シーズンだ。また夏場は積乱雲の大発生で雷雨が起きやすい。ある特定の地域に雨雲が溜まり易く、それが集中豪雨やゲリラ豪雨をもたらす。洪水によって床下・床上浸水が多数発生。毎年避難を余儀なくされている。地盤が緩み、傾斜地ではがけ崩れの危険度が増す。河川の近くや裏山がある場所には家を建てるべきではない。
 郡山近辺でこうした土砂降りになる地域は、本宮。高速を走っていると、郡山ICから二本松ICの間は、黒い雨雲が垂れ込めて、その間を通行する時は、夏場を中心に前が見えないほどの豪雨に見舞われることが多く発生する。

 5 PM2.5+黄砂

 昔、「高度経済成長期」には公害問題が深刻化した。喘息や水銀中毒などで多数の被害が出た。京浜工業地帯などの工場から排出される光化学スモッグで大気汚染や水質汚濁、悪臭、騒音などが大問題となった。健康被害が相次ぎ、大規模かつ長期的訴訟に発展した。その忌忌しき事態が今の中国だ。日本から遅れること40年。かつて日本が体験した問題を今の中国が抱えている。たちが悪いのは、その汚染物質が偏西風に乗り、黄砂と同様、日本上空に流れてくることだ。中国とアメリカは「京都議定書」に批准していない。我が物顔で経済発展、産業発展を優先し、公害対策がなおざりになっている。あと数年で中国も大規模な健康被害が顕著に現れることだろう。この問題は天災ではなく、防ぐことのできる人災である。

 6 全世界で発生する大規模テロ(天変地異以外・・・)

 平成27年の1月7日にパリで発生した記者を狙った銃の乱射による大量殺人テロ事件。犯人グループのひとりは未成年だった。人命を厭わない身勝手な行為で、何の罪もない人間が命を断たれてしまう現実。神や仏があるならば、このような殺戮を許す筈がない。テロリストたちに天罰が下るはずだ。逆に宗教を殺人の道具にするなどもってのほかだ。宗教は人を救うために存在しなければならない。
 イスラム国に入隊する若者が後を絶たない。将来を悲観し、テロリストの仲間入りをし、手当たり次第に殺人を行う行為は、かつてのオウムを見ているようだ。入信して世間から隔絶し、善悪の判断もできない状況に自らを追い込み、神の名の下に平気で人を殺める。社会に反発し、希望を持てない若者が集う殺戮集団として増殖していく。まるで地下組織。世界は病んでいる。2001年9.11に発生した「アメリカ同時多発テロ」と同じ悲劇が再び起きるのではないかという危惧さえ抱く。北朝鮮の不穏な動きも戦争への引き金になりかねない。「世界の警察」を自認していたアメリカだではもう防ぎきれないのが現状なのだ。

 7 蔓延する病原菌

 O-157、エイズ、デング熱や鳥インフル、エボラ出血熱、狂牛病など世界中で発生している死に直結した感染症をもたらす病原菌。人類への神の警鐘だと思っている。いざこざや戦争行為、殺人や迫害が無くならない現代社会。過去の過ちを反省できていない。 同じ歴史を繰り返すだけだ。昔、不治の病とされた天然痘、肺結核、破傷風、コレラなども、人間は克服してきた。神はその上を行く試練を与えるということは、人間のおろかな行為に天誅を下しているとしか思えない。このままでは地球も人類も滅びるということを暗にほのめかしているように思えてならない。

 8 温暖化による弊害

 北半球の氷河が減退し、北極ですら激減している。これはCO2排出による地球温暖化の影響が大で、この状態が続けば、北極の氷が解け、海面(水面)上昇をもたらす。すでに水の都「ヴェネツィア」は水没の危機に瀕している。また、オホーツク海沿岸でも1月から3月まで海岸線一帯を埋め尽くす「流氷」の規模も小さくなっている。生態系への影響も懸念されるし、食物連鎖が破壊される恐れも否定できない。

 9 竜 巻

 日本ではつむじ風とかかまいたち程度のものなら昔もあったが、台風でもないのに日本各地で竜巻などというものが発生し、大きな被害をもたらすという自然災害はあまり聞いたことがない。それが地球温暖化と共に発生するようになった。やませとか空っ風という生易しいものではなく、建物や車、コンテナなどが飛ばされたり、ガラス窓が破壊されたり、大木が根こそぎ倒れるような状況も見られる、年々その被害の規模が大きくなっており、対策が急がれる。

10 洪水・地盤沈下・浸水

 日本では梅雨時や台風シーズン、秋の長雨などで、たまに各地で浸水被害をもたらすことがある。最近では南岸低気圧で大雨や大雪に見舞われることも度々起きている。
 しかし、世界はもっと凄い。「水の都」で知られるイタリアのヴェネチアでは、秋から 春にかけて「アクアアルタ」と呼ばれる高潮が発生。中心部のサンマルコ広場などが 冠水することも珍しくないが、それが年々水量が増し、水害が発生している。本島周囲の 水位が上昇、サンマルコ広場などの観光名所が完全に水没し文字通りの“水の都”と化 した。観光客や市民らが膝まで水に漬かってしまう異常事態となっている。
 自然現象が猛威を振るう中で、人間の対策が追いついていないことが浮き彫りとなっている。

 このような記事を長々と長期間に渡って書き綴っていたところ、東北北部を中心に、東日本大震災の余震と思われるような地震がふたたび頻繁に起き始めた。4年という歳月は、実は自然現象からすれば、ほんの刹那的時間のようだ。だから、まだ沈静化しない自然災害の恐怖を、私たちはもう一度考えておく必要がある。二度あることは何度でもある。創考え、対策を万全にし、最小限の被害で食い止める努力を継続していくことが、先の震災で亡くなられた方々に報いる唯一の方法だろうと思う。同じ過ちを繰り返さないことが・・・。

 記事作成:平成26年9月~平成27年1月28日(水)

2015年2月18日 (水)

昔話⑫ ~懐かしいもの~

 このテーマ記事も12弾を迎えた。歳を重ねるたびに、昔、特に少年時代の頃の思い出が愛おしくなって来た。平成も今年で27年目を迎えたが、私が生まれたのが昭和39年で、昭和を25年間生きたが、それを越えて平成のほうが長くなってしまった。私としては昭和の時代が学生時代を過ごしたことで、時間が緩やかに過ぎたため、想い出の大部分は昭和に置いてきた感が強い。
 そこで今日は、昔あった懐かしいものにスポットを当てて当時を振り返ると共に、先輩諸氏と共に青春時代に立ち返ってみたい。なお、今日はリストが多いため、URLのみの掲載とし、画像や埋め込み映像はできるだけ割愛させていただきたいと思います。

 1 赤チン(マーキュロ)

 子供時代は、鬼ごっこやソフトボールなど屋外で遊び、友達づきあいも自然に学んだ。転ぶことはしょっちゅうで、その都度膝小僧に擦りむき傷をこさいたものだ。そんな時に重宝したのが「赤チン」だった。正式には「マーキュロクロム液」というが、切り傷にも使え、当時の子供にとっては即効性のある魔法の塗り薬だった。同様にあかぎれやひび割れには大塚製薬の「オロナイン軟膏」が手放せなかった。CMには女優の松山容子さんが出演し、亡き祖母に似ていた浪花千栄子さん、香山美子さんと受け継がれた。
 また、絆創膏も、今ではカットバンだが、昔はサビオと言った。これが登場したのが昭和50年頃で、それまでは白い絆創テープ(ニチバン)だった。
 この記事を作成した後、「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」で、この制作会社が取り上げられた。何と、世田谷区北烏山の住宅街にある「三栄製薬」で今も作り続けられている。赤チンは今でも根強い人気がある薬だ。一時期、水銀中毒になるなどという風評被害で製造中止に追い込まれたが、子供の頃にお世話になったオールドファンの熱き要望に応えて、製造を再開したとのこと。
 やはり私がブログで紹介した製品が、TVでも取り上げられるジンクスは生きている。「所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ」で取り上げられた。もしかしてTV関係者が私の記事を読んで参考にしているのか?

https://www.youtube.com/watch?v=3SLutmB6HEE

 2 エメロンシャンプー

 レポーターが街角で見かけた髪の綺麗な美女に突撃インタビューを敢行し、「カメラのほうを振り向いてください」と声を掛ける。カメラに気づいた女性の反応を楽しむ、今で言うサプライズ的な趣旨のCM。BGMはハニーナイツの「ふりむかないで」。このCMは昭和40年代を彩ったシリーズで、名古屋や博多、銀座、札幌、広島など大都市圏を巡った。

https://www.youtube.com/watch?v=94gJ5jjnDxI

 3 ブルーダイヤ

 こちらは昭和を代表するロングランCM。広場に白さが際立つTシャツを100枚以上並べて干し、「輝く~白さ~です~ブル~ダ~イヤ♪」というメロディだった。そして最後に「♪金、銀パ~ル、プレゼント」という節回しが流行った。どうしてブルーダイヤではなくて金銀パールなのか不思議でしょうがなかった。

https://www.youtube.com/watch?v=DCscXrYDxzA

 4 ハイライト

 こちらは専売公社時代の売れ線だったタバコ。古めかしいパッケージデザインだった。箱の中央に水色で四角く塗られただけの至ってシンプルなものだった。その後、セブンスターが登場してからは一気に斜陽を迎えた。

https://www.youtube.com/watch?v=_an0biXZU-4

 5 牛乳の蓋開け器

 少年時代に牛乳の蓋をひっくり返してゲットする遊びも流行ったが、この瓶の牛乳の蓋を簡単に刺して取り外せる優れものグッズだった。今はとんと見かけなくなった。

 6 輪回し

 これはフラフープのような車輪を転がし、棒で方向を操りながら進んで遊ぶ玩具だった。女の子が好んで遊んでいた。今はゲーム主流で、公園など屋外で出来るこうした古典的な遊びは見られなくなった。

 7 知恵の輪

 今でも100均で売られているが、昭和40年代後半に流行った。知恵を絞って、リングを外す単純な遊び。偶然に外せる場合もあるが、考えてやらないと戻せなくなる。

 8 ケロヨン

 コチラは薬屋の店先に必ずあったマスコット人形。不二家のペコちゃん、電気屋のエスパー君、大阪の道頓堀人形、ケンタッキーのカーネルサンダースと同じ役目。首から上が可動式で押したり叩いたりすると上下左右に不規則に動いた。

https://www.youtube.com/watch?v=bf82ngNpqCk&list=PL2028F845D8B835B4

 9 ウォーターフルリングトス

 これは今でも家内の実家にある。こちらも古典的な遊び。ボタンを押すと水中にリングが散らばり、それをフックに掛けるとポイントになり、多くフッキングした者が勝者となる。

10 首チョンパ人形

 コチラはトンボ鉛筆が販売促進用に売り出した。鉛筆のキャップとして取り付け可能で、指人形としても使えた。何とデザインはドリフターズの顔で、本体を押して空気を溜めて手を離すと空気圧で一気に飛ばせる代物だった。子供の頃、どこまで遠く飛ばせるか競争したものだ。

Watergame Neckdoll

11 ブロマイド

 コチラはアイドルの人気のバロメーターで、原宿などで飛ぶように売れた。私も桜田淳子、石野真子、林寛子、岡田奈々のブロマイド写真を持っていた。また、文通でアイドルたちの生写真を交換したこともあった。もしかすると実家の物置に今でも眠っているかもしれない。

12 ピコタン

 コチラはあまり遊んだ記憶がないが、女の子が好んで遊んでいた。何かのおまけについてきて、人の形のスポンジで、繋げて輪っかを作って遊んだりした。

https://www.youtube.com/watch?v=6cOHNKhKBxA

13 グリコのおまけ

 コチラはいろんなおまけがあった。特に多かったのはプラスチック製の人形や車のフィギュアなどであった。男の子用と女の子用があった。何が出てくるかわからないドキドキ感があった。それはピーコック(ガチャガチャ)と同じ理論。
 また、チョコボールの金のエンジェルを見たことがないし、銀のエンジェルは5枚貯めるのが至難の業。遠足のおやつの時にしか買わなかったし、いつの間にか親に捨てられているのが関の山だった。

https://www.youtube.com/watch?v=3M103OB16wQ

14 ビスコ

 コチラはグリコの定番人気ビスケット。子供用のサイズで、箱の中に入っていた。そのデザインは40年以上変わっていない。歴史と伝統を感じるし、今でもグリコのロングセラー商品で、栄養も満点。

https://www.youtube.com/watch?v=IrONXXYKxck

15 電動ミキサー

 昭和40年代後半にちょっとした健康ブームがあって、生野菜を機械に無造作に投入し、蓋をしてスイッチを押せば、電動で高速で具材が混ぜ合わさって、一定期間スイッチを入れてかき混ぜれば、栄養たっぷりの生野菜ジュースが完成した。

16 五玉そろばん

 これは実家にあった。今は亡き祖父母が流暢な手さばきで帳簿などの計算に使用していた。私は通常の4玉を使い、珠算検定3級は取得したが、今はもうできない。おばあちゃんに怒られたが、それをひっくり返し、その上に乗って、スケボー代わりにして遊んだこともあった。

17 マジックハンド

 コチラも不思議な玩具だった。手前のレバーを左右に閉じたり開いたりすると、ボヨヨ~ンと伸びて、UFOキャッチャーの先端にあるようなつまみで挟んで物を掴めるという玩具だった。くさしするが、遠くに居てもそれを使って手が届かない物を挟み取るというイメージだった。

18 サイクリング用自転車の泥除け

 デザインがカラフルで多彩。アメリカの星条旗やイギリスのユニオンジャックをあしらった絵柄が人気だった。1970年代の小学生は結構これをみんなオシャレでつけていた。

Magic_hand Doroyoke

19 超合金ロボコン(人形)

 マジンガーZやゲッターロボの超合金人形もあったが、ロボコンは人気だった。お腹が開閉式で、機械が見え、ハートマークも付いていた。また背中のプロペラが回ったり、足が可動式でタイヤと入れ替わり、走らせることも出来た。ずんぐりむっくりの愛嬌ある体型で、ちびっ子から人気があった。

https://www.youtube.com/watch?v=pSOmJMkRy1I

20 バッティングマシーン

 電動式で卓球玉ほどの軽くて小さな玉がバネの回転力によって飛んできて、それを空バットで打って飛ばすという玩具。二階の大広間で遊んで、祖父所有の大事な掛け軸に当てて遊んでいた。ボールの縫い目がぎざぎざで、凹凸があって、勝手に変化する優れものだった。これで野球のバッティング練習をして腕を上げた。

https://www.youtube.com/watch?v=gAaURFOMq5M

 他には「珠のれん」や 「ハエ取り紙(ハイトリ紙)」、「水飲み鳥」などがあったが、これらは以前紹介済なので、今回は割愛しました。

 まだまだ紹介しきれないが、今日はここまで。この続きは、掲載未定ながら続編記事で紹介できれば良いと考えています。
 こうしてみると、45歳以上の方は、ライブで見たり遊んだりしたグッズの数々で、今でもお宝にしている方がいるかもしれない。あえてそれを「昭和浪漫」と呼ばせて貰うが、こうした時代の品々をすべてわかるし、懐かしく感じる世代になったと痛感する。開発者への敬意を表し、感謝しつつ今回の記事の結びとしたい。

 記事作成:1月9日(土)

2015年2月17日 (火)

雑誌付き組み立て模型?

 かなり以前に、「ディアゴスティーニ」の商法について当ブログで取り上げたことがある。最近は、従前に輪を掛けて製作模型が凄みを増している。その商法を模倣した別雑誌も便乗登場するケースもあとを絶たない。なぜ流行るのか?創刊号を激安にして、手頃な値段設定で発売し、一度でも購入すれば、その模型を完成するまでは、毎回購入し続けなければならないからだ。途中で購入を忘れたり、買いそびれると、せっかくの大作模型が未完成で終わってしまう。
 これらは、1970年代頃に流行ったプラモデル愛好家から大絶賛されている。年のころで言えば、50代~70代の方々だ。ボケ防止や手先の衰えにももってこい。屋内でできる趣味がひとつ増える。ひとたび作品が完成すれば、この上ない喜びだし、苦労が報われるし、自らの組み立て、ひとつの作品として完成するため達成感も味わえる。また、部屋のインテリアとして飾ることで、毎回眺めることもできるし、何より出来栄えがよければ訪問客にも自慢できる。それを話題に話に花を咲かせることもできる。
 さらに嬉しいのは、孫が喜ぶことだ。男子なら誰もが一度は憧れた鉄道、戦車、飛行機、自動車、バイク、お城などの工作模型。孫とのコミュニケーション向上にも一役買う。孫に尊敬されることうけあいだ。

 では、これまでどんな「付録?模型」があったか振り返りたい。下のURLがあるものは、紹介動画を見ることができます。

 「週間フェラーリを作る」

http://yaplog.jp/987dreams/archive/740

 「零戦をつくる」

http://hobbycom.jp/workshop/special/13.html

Ferrari Zero_battle

 「HMSヴィクトリを作る」(帆船模型)

 「スズキ HAYABUSA GSX1300R」

Victory Hayabusa

 「隔週刊 ハーレーダビッドソン・プレミアムコレクション」

 「ランボルギーニ・カウンタック」

Harrey Countac

 「隔週刊 自衛隊モデル・コレクション」

 「マイ3Dプリンターを作る」

Selfdefence 3d

 「ロボット(ロビ)を作る」

 「蒸気機関車C57を作る」

Robi C57

 「F14トムキャットを作る」 販売元:アシェット・コレクションズジャパン

 http://www.f14tomcat.jp/home.html

 「国産鉄道」

F14 Railway

 「日本の貨物列車」

http://www.kamotsu.jp/home.html


 この手の作品は、往年の模型愛好家、つまりはオールドファンにはたまらないシリーズだろう。時間の無い方でも、毎週付いて来るパーツだけを組み立てていけば、相応の時間は要するものの着実に完成に近づける。しかも毎回少ない部品のため、雑に扱わないだろうから、仕上がりも一味違う筈だ。

 マイナスポイントは、創刊号こそ「釣り値段」のため、ついつい買ってしまうと、途中でやめられなくなる。これまでの苦労が水の泡なので途中で、飽きたとしてもついつい買わざるを得なくなる。また多忙で一度でも購入しそこなえば、これまた未完成になり、悔いだけが残る。結果的には完成する頃は、ふつうにプラモデルを買うよりも高くつく。パーツごとだと何号まで購入すれば完成なのか先が見えない。毎週1,000円程度の出費だとそんなに負担にはならないという皮算用だ。しかし、敵もさるもので、毎回販売価格が異なることがある。精巧なパーツを付録に付ける時は、特に値が張る。最初は格安でも、徐々に値段を吊り上げていく。冷静に考えれば、悪徳商法に値するが、それでも完成が見えれば、読者は購入せざるを得ない。そのあたりも出版社(制作会社)は、模型愛好家の心理まで計算しているに違いない。

 ところで、記憶を穿り返せば、昔からこの手の付録付きの雑誌はあるにはあった。学研の「学習」と「科学」などはまさにそうだった。しかし、最近は「雑誌(解説書)付きの模型」という意味合いが濃い。これは本末転倒で、ここまで来ると、書籍ではなく、玩具であり、どちらがメインだかわからなくなっているのが現状だ。

 しかしこの手の雑誌は需要があるのは間違いない。書店では、過去の売れ残りなのか、バックナンバーが結構平台に並んでいたりする。販売時期を過ぎればすぐに撤去や返品はしないようだ。このあたりは通常の雑誌の販売形態とは一線を画している。

 最近、活字離れで出版業界が危機に瀕している中で、こうした手法がひとり勝ちのように思える。最近は100万部を突破するようなベストセラーが少なくなっているだけに、関係者は一筋の光明を見た思いだろう。だから類似した模倣雑誌が自ずと増えるのだろう。

 しかしながら、今はある意味ブームに乗っかって追い風が吹いているが、やがては飽きられる時が来る。要は企画勝負で、ファンが食いつくようなシリーズ物が毎回出せるか、編集者の腕の見せ所かもしれない。

 最後に、私が考えた企画を列挙し、結びとしたい。

 1.「自分だけの街を作ろう」 自分でジオラマを制作する。建築に興味のある人には人気が出る筈。毎回、商店や学校などのミニチュアの建物模型が付録で付く。

 2.「86レビン製作」 かつてFRで人気があったかっとびマシン。峠でのローリングに嵌った人必見。

 3.「CBX400F」を作る。 30年前にブームになった旧車なのに未だに高値で取引される。後輪が動けば完璧。

 4.「ボーイング747」 いわゆる製造&運行中止したジャンボジェット。屋根が開いて内部(客室や操縦席)が見れる。 

 5.「姫路城を作る」 いわゆる日本のお城シリーズ。「熊本城」「大阪城」も続編として有。

 6.「世界遺産を作る」 版権が難しいが、「ピラミッド」、「エッフェル塔」などを組み立てる。

 7.「エンジンを組み立てる」 動力の仕組みを学べる優れもの。メカに強くなれる。

 8.「アポロを組み立てろ!」 「サターンロケット」「アポロ月面着陸船」「司令船」など

 9.「宇宙ステーションを作る」 ISSの模型を組み立てる。

10.「バッティングマシンで遊ぼう」 子供が大喜びの遊びを自宅で組み立てる。

11.「L特急はつかり」 先頭車両を作る 廃止された人気寝台特急 座席などリアルに 

12.「リニアモーターカーを製作せよ」 リニアモーターカーの原理も同時に学べる。

13.「食品サンプルの作り方」 外国人に大人気の食品サンプル。リアルさに驚愕。これを携帯ストラップやキーホルダーに加工する。自分だけのオリジナルを作れる。

14.「陶芸入門」 自分だけの器を簡単に作る 焼いてくれるレンタル窯の紹介も。

15.「人体模型」 等身大の人体模型を組み立てる。医学志望の学生がヒトの体の内臓や脳の配置、血管や神経、筋肉などの構造を学べる。

 また、他社で古谷一行主演の「金田一耕助」のDVDシリーズが発売された。ということは、天知茂主演の「江戸川乱歩」の「美女シリーズ」も解説付きで商品化されるのでは・・。

 中には版権が難しいものもあるが、ぜひ採用を検討して欲しい。

 記事作成:1月27日(火)

2015年2月16日 (月)

2015年春・福島を去ったアナウンサー

 春は出会いと別れの季節だが、今年もまた福島県民に愛されたアナウンサーが旅立って行った。契約満了に伴い県内テレビ局を退社して行った。しかしそれは毎年のことながら、突然にやって来る。FTV(福島テレビ)のHPで確認したら、1月末日で、安河内程子アナウンサーと宍戸真詩美アナウンサーが、アナウンサー紹介のページから削除されてしまったため、このほどの退社を知った。短い期間の福島在住だっただけに残念でならない。彼女たちが縁あって福島県のTV局に赴任し、この地に記した足跡を辿るとともに、かくなる上は新天地でのご活躍を祈りたいと思う。

 安河内程子(やすこうちみなこ)アナ

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 <プロフィール>

 1990年2月20日、長崎県平戸市生まれの24歳 

 2013年 - NHK松山放送局契約キャスター。
 2014年2月 - NHK松山放送局との契約を解除。福島テレビ契約アナウンサー。
 2015年1月 - 福島テレビとの契約を解除

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%B2%B3%E5%86%85%E7%A8%8B%E5%AD%90

 退社理由は不明だが、1年との契約満了という見方が大筋。退社後、どちらに異動されたのかは不明。フリーでどこかの事務所に所属するのか、あるいは日本全国のどこかのテレビ局に新たに採用になるのか、それらのHPに掲載されるのを待ちたい。

 ご本人からの挨拶(福島テレビ掲載の「アナウンサーの日記」掲載)

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2015/01/

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 宍戸真詩美(ますみ)アナ

Sisido2 Sisido1

 <プロフィール>

 1987年2月10日、宮城県仙台市出身 学生時代にモデル事務所に所属
 血液型A型 28歳
 趣味日本茶・ハーブティーを飲むこと。 ハーブティーアドバイザーの資格を持っているので、常に10種類以上常備しています。

http://www.maniado.jp/community/neta.php?NETA_ID=22603

 彼女に関しては、入社間もない頃、「いっしょに歩こうふくしま!」のCMに出演した映像が印象に残っている。

 ニュースを読み上げる宍戸アナ・・・彼女がニュースに登場するのは珍しく貴重です!

 彼女の場合は退社理由が全く不明。福島テレビに1年3か月勤務し、局アナとしてリポーターなど様々な番組に出演されていたが、FTVの「アナウンサー日記」のHPでもお別れの挨拶などは全くなく、急に辞めてしまった印象。HPからもすべて彼女に関する記事が削除されており、謎が謎を呼ぶ退社だった。まさか、某お天気お姉さんみたいに不倫騒動などの不祥事ではないと思うが・・・。寿退社も考えたが、おそらくは契約アナウンサーだったために、安河内アナと一緒に1月いっぱいで契約満了を迎えたのだろうと思う。
 視聴者に正式なご挨拶がなく、残念というか寂しい限りだ。もし、理由等が判明したら追記したいと思います。彼女の人柄がよく出ているあのCMをリンクしたいと思います。

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2013/12/

http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2014/03/

 さて、今日は、最近になって退職を知ったお二人のアナウンサーを急遽取り上げましたが、年度途中のため、今後も3月末日で退社や異動になるアナウンサーが多く出ることが予想される。今回は途中経過ということで、時期を見計らって続編も考えたいと思います。
 しかし、放送局の定期異動は3月末日とは限らないため、特に契約アナウンサーの場合だと、番組の中で唐突にご本人のお別れの挨拶があって知ることが多い。アナウンサーのそうした人事やプライベートの面について、視聴者は知る由もないため、突然の発表に戸惑ってしまう。つい最近、私自身もKFB(福島放送)の人気アナウンサーの猪俣理恵アナと千原礼子アナが二人とも結婚していたことを「ドミソラ」の放送中の告知で知り、大変に驚いた次第だ。
 本日紹介した福島県民に愛されたFTVの2人のアナウンサーには、他県のテレビ局に採用され、そちらへ赴任するであろう新天地でのご活躍をお祈りしたいと思う。また、どこかで元気に活躍されている姿をテレビ画面を通じて拝見できたら嬉しく思う。

 追記(H27.4/4)

 宍戸真詩美さんは、現在、生まれ故郷の仙台を拠点にタレント業として活動中だと判明しました。以前していたモデル業も含め、マルチタレントとしてマスコミに登場しそうです。以下、彼女のブログを掲載します。

「宍戸真詩美の全国遠征日記」 http://ameblo.jp/40masumi40/

 それによると、福島テレビを退社してから、垢抜けして、別人のように急にべっぴんさんになった印象がある。

* この続編記事「2015年春・福島を去ったアナウンサー第二弾」はコチラ

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2015/03/post-c129.html

 関連記事(これまで掲載した「福島の女子アナ」に関する記事です。)

「2013年春・福島を去ったアナウンサー」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-c518.html

「2014年春・福島の女子アナ異動」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/04/post-526b.html

「想い出の福島県内テレビ局女子アナ(前編)」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-ef07.html

「想い出の福島県内テレビ局女子アナ(後編)」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-e86f.html

「福島県の人気女子アナ10傑」(2010年9月24日掲載)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-1ce1.html

「福島県ゆかりの女子アナ」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/post-3229.html

「福島県若手女子アナ特集」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/post-be45.html

「福島県出身のアナウンサー①」(唐橋ユミ)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-5c6f.html

「福島県出身のアナウンサー②」(柳沼淳子)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-232c-1.html

「福島県出身のアナウンサー③」(小野美希)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-026d.html

「福島県出身のアナウンサー④」(猪俣理恵)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-f6fb.html

「福島県出身のアナウンサー⑤」(池田麻美)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-2647.html

「福島県出身のアナウンサー⑥」(杉本麻紀・林朝子)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/post-0cd9.html

「福島県出身のアナウンサー⑦」(小野紗由利)

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-6b5d.html

「FCT・小野紗由利アナウンサー」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2014/10/fct-7724.html

「FCT・小野紗由利アナウンサー②」

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2015/01/fct-de04.html

 記事作成:2月14日(土)~15日(日)

2015年2月13日 (金)

福島県内の名物CM ~教習所編~

 今日は変わり種トピックを紹介したい。それは全国の方はまずお目にかかることがない我が「福島県の自動車学校(教習所)」のローカルCMだ。さっそくどうぞ!

 タイヘイドライバーズスクール

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 若いカップルが、「タイヘェ~!」「ヨーコ!」とお互いを呼び合い、波打ち際でじゃれあった後、どういうわけか彼女がジャイアントスイングで彼氏を太平洋の大海原にぶん投げるストーリー。彼氏は大の字で回転しながら飛んでいく絵づら。笑える内容となっている。
 ヨーコ役は慶應義塾大学在学中のタレント「白河理子」(血液型はB)さんだ。
 残念ながらこの傑作CMは動画サイトにはアップされていません。あしからず。

http://www.taihei-ds.co.jp/index.htm

 昭和ドライバーズカレッジ

 以前、当ブログで取り上げたが、毎シリーズ、可愛いい女の子を起用。若さや情熱、元気をアピールする内容となっている。明るい希望に満ち溢れるCMだ。何パターンかあるが、これが一番人気らしい。モデルの菅原梨央さん出演作。

 郡山自動車学校

 スーパーカー編 https://www.youtube.com/watch?v=OzZVSeaMAkg

 私としては40年前にRFCエキサイティングナイター中継のCMで流れていた「♪遠く~と~お~く~♪」という節回し歌が心に残っている。

 南湖自動車学校PR動画

 福島自動車学校

 或る結婚式に招待された若者の友人同士。「今日飲もうな」と仲間から声を掛けられた市原隼人似のイケメンが「ごめん。今日車なんだ」とオーバーアクション。「そう、みんな大切な未来を持っているんだからね」と飲酒運転撲滅キャンペーン協賛のような出来すぎたコメントをナレーターが呟く。



 福島県内では夕方の地元制作ニュース情報番組の提供として結構流れているお馴染みのCM。

http://www6.ocn.ne.jp/~fds/cm2004/cm.html 路上教習編

 杉妻自動車学校

 福島市北部の清水町にある自動車学校。モデルは中村典子さん。出身は中国で中国名はSUZU(スース)。血液型はB(中国人に多い)。

 西部自動車学校 

西部自動車学校がまだ西ノ内のイトーヨーカドーの西側、現在のケーズとゼビオスポーツのビルと駐車場にあった時の懐かしいCM。立体駐車場教習を売りにしていた。

 湯本自動車学校

 平日の夜22時過ぎになると急に流れるCM。 「Dreams come true、運転免許、楽しく取っちゃお!君の未来が開ける」が名文句となっている。

 さて、47都道府県には、独自に制作されたオリジナルローカルCMがある。我が福島県には地元企業の個性溢れる作品が目白押しだ。名物CMが多数あるが、残念ながら倒産してもうお目にかかれないCMもあるし、CM自体がリニューアルして別編のものが流されていたりする。今回は、教習所編に特化したが、今後、動画サイトを探しながら、懐かしい名物CMも取り上げていきたい。

 うすい、赤トリ井、福島のりょうぜん漬、地酒(花春、栄川、末廣、大七、ほまれ、名倉山、夢心など)、郡山眼鏡院、今野貴石、高子沼グリーンランド、安積屋の磐梯そば、ヨネヤボウル、タイラボウル、ゼビオメンズ、躾(きもの)会館、福島民友、ふくしまの米、東北レジャー、キャラバンモータース、サンシティー、エンドーチェーン、会津中合、ダイエー、丸井など

 記事作成:平成26年11月7日(木)~平成27年1月下旬

2015年2月10日 (火)

昔話⑪ ~大リーグが郡山にやって来た!~

 昭和46年10月28日に郡山っ子たちが熱狂する試合が開成山球場で行われた。川上監督率いるV9を継続中の巨人と大リーグの「ボルチモア・オリオールズ」が対戦するという、今では夢物語のようなゲームだった。O.N(王貞治・長嶋茂雄)がバリバリの現役選手で、巨人が黄金時代を迎えていた頃の最強メンバーと、当時はまだメジャーリーグ(MLB)という名称は使わず、「大リーグ」と呼んでいた頃の夢の対戦だった。

 私の今は亡き祖父が、郡山市の役職に就いていたため、孫娘(つまり私の実姉)が急遽、ゲーム前の花束贈呈役に抜擢されたのだ。祖父が生前、大事に保管していたアルバムには、その場面を撮影した白黒写真が数枚あって、ミニのワンピースにタイツを履いた、9歳くらいだった姉が確かに花束を渡していた。

 (花束贈呈の写真を貼ったアルバムが発見できないため、見つかり次第、その当時の貴重な写真をここに掲載いたします。)

 この年の来日チームは、ア・リーグ優勝のオリオールズ。20勝投手を4人を擁し、第7戦の巨人戦でドブソンがノーヒットノーランを達成した。また他のゲームでは、ONのアベックホーマーもあり見所が多かった。この年は、迎え撃つ日本側は、全日本、巨人、南海巨人連合、 阪急巨人連合、広島巨人連合、 西鉄巨人連合、中日巨人連合が試合を実施した。対戦成績は2勝12敗4分だった。

 なぜ、一地方の小さな都市・郡山で行われたかは不明だが、当時は「巨人・大鵬・目玉焼き」といわれた時代で、野球観戦が庶民の夢だった。それを片田舎で開催にこぎつけたのは、郡山市の秀瀬市長(当時)と招致活動を行った方々の努力の賜物だったに違いない。

 また、その3年後の昭和49年10月31日には、再び日米野球が実現し、ニューヨークメッツが来日した。この年、またしても郡山で試合が開催された。その時のメッツは、ほぼメジャー(1軍)のメンバーを揃えて来日していたのに、巨人と接戦を演じていた。この年のメッツは、全日本、巨人、南海巨人連合、 広島巨人連合、太平洋巨人連合、中日巨人連合とゲームを行い、対戦成績は7勝9敗2分という拮抗した成績だった。川上監督が「今年のメッツは眠っている」とコメントした記事が地元新聞紙に掲載されていたのを今でも覚えている。

 
 トム・シーバーをはじめとした投手力に魅力のあったメッツは、前年のリーグ王者ながら、日本の投手陣に苦戦した。特別参加のハンク・アーロン(ブレーブス)と王貞治による世紀のホームラン競争などイベントにも注目が集まった。私は後楽園球場で行われたその競争をテレビの生放送で見て大興奮したことを覚えている。確か1本差でアーロンが勝った。この3年後に、王貞治は、同じ球場でアーロンの755号を抜く756号を放った。

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 上の映像は、昭和49年のももではなく、後楽園球場が昭和51年に全面人工芝にリニューアルした後、巨人軍の50周年を記念して再来日し、2回目のホームラン競争を行った時の模様です。

 

 この記事を書いている11月中旬は、おりしも8年ぶりに開催された日米野球の真っ最中。小久保監督率いるオールジャパンがメジャーの選抜チームと対戦している。経験を積ませ、勉強させたいという意味合いから、若手重視の布陣だが、やはり参考になるプレーは多々ある。いくら日本がWBCを連覇したといっても、現役メジャーリーガーの飛距離やパワー野球にはとうてい太刀打ちできない。若手選手の勉強にはもってこいだ。迎え撃つ日本も、柳田や山田、中田などの好選手を揃え注目の投手陣も今シーズン大活躍した中心選手をこぞって起用した。前田、金子、藤浪、大谷など、いずれはメジャーでプレーするであろう注目選手が強打者揃いの選手と直接対決する場面は見ごたえ十分だった。11月12日の初戦に中継ぎで1イニングだけ登板した大谷翔平は、僅か9球で三者凡退に退けたが、159キロのストレートは圧巻。メジャーのバッターでさえ、振り遅れてポップフライを打ち上げていた。

 この日米野球は、自分をメジャーのスカウトに売り込む絶好の機会ともいえる。かつては秋山幸二や桑田真澄など、メジャーの監督やコーチが惚れ込む選手が大勢いた。「幸二をアメリカにつれて帰りたい」と言わしめた秋山の運動能力はずば抜けていたが、当時は今のように簡単に海を渡ってメジャーでプレーできるような環境はなかった。その重い扉をこじ開けたのは、誰あろう「野茂秀雄」だった。

 私は個人的には日本代表に巨人の坂本を選んだのか理解できない。彼はここ2年、芳しい成績をあげていない。単に原監督の強い推薦があったのか?巨人はチームとしては選手層が厚いからこそ、リーグ優勝する戦力があるのだが、個々の選手を見れば、たいした強打者もいなければ、実力者もいない。だから他球団の有望選手のほうが期待できる。
 昔なら石毛や清原、落合、柏原純一、門田、掛布、福本豊、大石、山本浩二、江夏、田淵、若松、長池、有藤、山田久志、村田兆治、江川らを出場させたほうが、断然成果も上がったはずだ。現に今の日本代表でも、内川や山田、岩田、菊池、糸井、中村、則本、能見、西、牧田、松田らを選んだのは正解で、何か好成績を上げそうな気がしてしまう。

 また、このシリーズは、かつての中畑清が抜擢され、メジャー投手からホームランを打って自信を付けたように、若手には本物のベースボールを体験させる上では重要な位置づけだった。だから、WBCに出るような選手はあまり選抜しない。松井稼、岩村、福留などのベテランは選んでいない。

記事作成:平成26年11月13日(木)

 後 記

 この記事は、3ヶ月前の昨年の11月に執筆したものです。郡山で行われた日米野球の写真を探していて、公開日が遅れてしまいました。多少、現状に合わない部分があることをご了承願います。

2015年2月 6日 (金)

韓国と日本の「Xデー」

 はじめに

 今回の記事は、戦争を煽ったり、人々を恐怖に陥れるような意図はまったくありません。今年(2015年)の年末を境に、国際情勢が急転直下かつ不穏な動きを示すのは確実で、予期せぬ非常事態に対し、我々日本人も予め心の準備と相応の覚悟をしなければならないことを警鐘する意図でお送りするものです。したがって、多少、飛躍する見解もあるかもしれませんが、あながち否定も出来ない内容になっていることを予めお断り致します。

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 2014年11月に、アメリカ政府は韓国に駐留するアメリカ陸軍を、2015年12月末までに撤退させる方針転換を打ち出した。これは同盟国である日本を「従軍慰安婦問題」や「領土問題」などであからさまに敵視する国策を強固にした韓国の外交姿勢に対し、アメリカが怒った印象は否めない。しかもアメリカ政府高官が「アメリカ軍は同盟国の日本を守るために韓国に駐留している」と明言。「韓国が日本を攻撃するなど言語道断で、韓国人は勘違いするなと!」という主旨の発言だった。

 もしアメリカ軍が撤退したら、韓国は中国と北朝鮮両国の脅威にさらされる。最も危険なのは北朝鮮で、食糧難が著しいこの国は、「南北統一」を目論見、南へ侵攻するのは必定。それは「領土拡大」という名目だけでなく、これまで国際世論を無視して軍備を万全に整えて来た北朝鮮の国力を誇示する絶好の機会だからだ。若き指導者は時に暴走する傾向が強い。ただでさえ貧困に苦しむ北朝鮮。韓国の生活レベルとは雲泥の差で、それを実力行使で奪い取ろうと画策するのは当然の成り行きだろう。
  それに危機感を抱いてか、最近の朴大統領の動向を見れば歴然で、明らかにアメリカよりも、中国に擦り寄っている外交姿勢が見受けられる。政界再編ならぬ軍事力再編を狙っている。北朝鮮や日本の脅威と対抗するためには、「虎の威を借る狐」と化す必要があり、そのためには中国を隠れ蓑にしてずる賢さを発揮するしかない。去年来からの朴大統領の風見鶏的かつ日和見的なコウモリ外交は、韓国のプライドを微塵もない、生き残りを模索した「捨て身外交」以外の何物でもない。
 しかし、このような画策を目論むことなど日米政府はお見通しで、韓国の愚直さは端から計算済み。だからアメリカは愛想を尽かし、敢えて突き放したのだ。
 よって韓国を取り巻く国際情勢は、アメリカ軍が完全撤退した翌2016年に激変する。その時、中国はどうでるのか?北朝鮮は?
 前回の「鬼気迫る戦争シミュレーション」の記事で書いた通りのシナリオが展開するのは見え透いている。

https://www.youtube.com/watch?v=BVoW9ihmkCY

https://www.youtube.com/watch?v=6H5NdRJS4TM

 一方の日本もまた然り。アメリカ軍は、いっこうに埒が明かない対アジア重視政策を見直しし、明らかな方向転換を打ち出した。従前は、軍事大国化する中国への牽制で、従来ならばアメリカ海軍の主力を日本付近に多数駐留して来た。しかし、2015年の韓国に引き続き、2020年にアメリカ軍が日本国内から全面的に撤退したら、状況は一変する。
 まず間違いなく、ここぞとばかりに尖閣諸島に中国海軍が進出し、武力をもって不法に占領するのは見え透いている。それだけでは収まらず、沖縄本土にも牙をむくだろう。日本国憲法第9条がある限り、日本は武力を行使して尖閣を奪還することは現段階で不可能だ。交戦権も認められていない。中国の暴挙をただ指を咥えて見ていることしかできないのだ。韓国もまた「竹島」を我が物顔で領土化するだろう。

 
 だから安倍首相は、憲法改正を急ぎ、軍事力を強化する必要が急務となるのだ。是が非でも韓国や北朝鮮、中国の脅威と互角に渡り合えるだけの軍備を整えておく必要があるのだ。もし、アメリカ軍が沖縄から撤退すれば、軍事境界線は日本が自己防衛しなければならない。現在の軍事力を比較すれば、中国、北朝鮮、韓国に大きく引けを取る日本。現憲法下では、自衛隊員にさえも出撃命令は出せず、犠牲者を出すことも許されていない。

 また、日本人自身も、世論が過去の戦争当事者としての反省に縛られて、「戦争参加」や「宣戦布告」など到底許さないだろう。しかし、全ての日本人が認識し、或る意味覚悟が必要なのは、かつての東西(米ソ)冷戦のような図式ではなく、何時でも一触即発の事態にあるということだ。北朝鮮から予告なくミサイルが上空から落ちて来るかもしれないし、追い詰められた韓国が想定外の行動をとる場合がある。もちろん中国の戦闘機や艦隊が日本の領空や領海を侵犯し、攻撃を仕掛けて来る可能性があり得ることだ。これまでのような単なる警告や威嚇では済まされない。十中八九、被害者や犠牲者が出るのだ。中国国民は、日本憎しの感情が増幅している昨今、過去の歴史的屈辱を晴らす絶好のチャンスとばかりに日本への宣戦布告を歓迎するだろう。日本と中国が戦争を始めれば、一番喜ばしく歓迎するのは韓国に違いない。この機に乗じて、積年の恨みを晴らす機会が到来するのだから。

 私見だが、個人的には戦争には巻き込まれるのは御免こうむりたいし、そうした政策など支持しない。断固反対するが、現代の国際情勢を考えれば、先進国である日本が、自国の防衛力を高めるためには、他国と同等程度の軍事力や軍備を整えておく必要がある。丸腰で国際問題に対処できないし、紛争を解決できる時代ではないのだ。ましてこのたび起きたイスラム国による邦人殺害事件で、政府は何一つ効果的な対応が出来なかった。人質を見殺しにしたも同然。生きたまま斬首という卑劣で残虐極まりない悪行を前にしても何も手出しできない。慙愧に絶えず、一番苦虫を噛み潰したのは安倍首相本人だ。だから、対等の軍事力を所持してこそ、舐められずに同等の話し合いができるのだ。そのためにも憲法改正を急ぎ、「目には目を」「歯には歯を」の強固な姿勢を貫くに違いない。

 私たち日本人もまた、長年の平和に慣れっこになってしまい、敵国からの攻撃などあり得ないと思い込んでいる。日本を再び戦火に晒さないためには、やはり必要な軍事力は保持しなければならない。アメリカ軍にとって代わる戦力を整え、沖縄などの軍事境界線地域に「防衛軍」を配置し、常に中国の暴走や暴挙を監視し、牽制しなければならない。先進国として培って来た日本の科学技術と最先端技術をもってすれば、中国は恐れるに足らない筈だ。
 日本がその優れた技術力と知能を備えていることに加え、軍事力も備えれば、中国や北朝鮮は迂闊に日本に手出しはできない。かつて日本が侵攻し、日中戦争や日韓併合で日本の強さを身に染みて感じている両国だからだ。再び日本が軍事力を持つことを、どれだけ脅威に感じているかは両国民が一番わかっている。

 私は、2016年から2020年までに極東アジア周辺の有事が必ず起きると思っている。奇しくも2018年には韓国平昌で、2020年には東京でオリンピックが開催される。恐ろしいほどの偶然の一致だ。現状の日韓関係を考えれば、共催などありえないが、私は、「イスラム国」との対立もあり、大規模テロの脅威に脅かされると見ている。大変危険な状況に陥る筈だ。
 したがって、タイトルにも掲げたように、韓国にとっての「Xデー」は「2016年」、日本の「Xデー」は「2020年」で間違いないと思っている。つまり、あと5年以内のうちに日韓両国の運命が決まってしまうと言って過言ではないのだ。

 アジアの有事は、当事者がGDP世界第2位で国連の五大国である中国と、同3位で、先進国である日本であり、この両国が一線を交えることになれば、必ずや全世界に飛び火する。つまり第三次世界大戦へと発展する危険性をも秘めている。世界各地でテロや紛争が頻発し、おそらくは核戦争へと移行し、かつてノストラダムスが予言したような地球滅亡=終末説が再燃する事態に至る。

 本日書き綴った文面は、決して机上の空論ではないし、SFのような絵空事ではない。数年後に起こり得る現実的なシミュレーションとしてとらえて頂きたい。安倍首相があからさまと感じるほど、歴代首相がこれまで「聖域」や「タブー」として敬遠して来た領域にまで首を突っ込むのはそのためだ。昨冬に衆議院を解散し、国民に真意を問い、政権を盤石に保持したのもそのための布石だ。「絶対安定多数」を占めた以上は、思い切った改革が可能で、これは有事を意識した大胆な取り組みや改編、改革を望んでいるからにほかならない。

 1月は、日本人人質事件の対応に追われたが、やがて時期を見計らい、首相の談話を発表し、来るべき有事への具体的な対応策、政府としての対処案を明確に打ち出すに違いない。事態は急を要するのだ。今年の12月に、まず最初の転換期が訪れるため、そこで、日本の取るべき道筋が明らかになると思う。同盟国のアメリカ軍が撤退すれば、これだけ日本を敵視している韓国を助ける筋合いはもうないのだ。韓国は自滅の一途を自らが選んでしまったのだ。
 そして、日本国民ならば、ぜひ安倍首相の今後の動向を注視してほしい。そして道を外しそうな場合には、マスコミ主導で世論を盛り上げて、方向性を見誤らないように鋭く指摘し、平和維持を貫くよう常に軌道修正を促していかねばならない。

 記事作成:1月31日(土)

2015年2月 4日 (水)

燗して旨い福島の地酒

 これまで過去五度、当ブログで「日本酒」について記事を書いたことがある。第一弾は「日本酒の魅力」と題して2009年5月に公開した。以来、「日本酒天国福島」、「この秋おすすめの福島の地酒」、「会津清酒のCM」、「福島県の地酒CM」というように、好き勝手に書き綴っては、日本酒の利点について紹介してきた。 
 私自身は、近所に酒屋さんがあったこともあり、20歳を過ぎてからは足しげく通い、その魅力に取りつかれたものだ。もっとも20代はもっぱらビール、30代は焼酎やチューハイ、40代は日本酒というように酒の嗜好も年齢とともに変わった。昔は日本酒といえば、酔っ払いを思い出すくらいのあのアルコール臭い匂いを思い浮かべる筈だ。それは添加された醸造用アルコールの臭いであってまともな純米酒はそのような激臭はしないものだ。もちろん、ちゃんぽんせずに、自分が好きなお酒だけを適量飲んでいれば、悪酔いするこことも無い。
 もとより「酒は百薬の長」の呼ばれるほど、節制し、飲み過ぎにさえ気をつければ、健康には欠かせないものとなっている。実は女性の美容にも日本酒は効果覿面なのである。今のような寒い季節には、熱燗でキューっと一杯やれば、身も心も温まるというものだ。

 そこで私が当ブログにリンクするほど通いつめている酒屋さんの情報から、この一段と寒さが身に染みるこの季節に、ぜひとも燗で召し上がりたい地酒についてリサーチしたので、それを紹介したい。

 まずは基礎知識から。熱燗は徳利に入った日本酒を温め、お猪口に注いで召し上がるのが一般的だが、何でもかんでも燗して良い訳ではない。冷酒を燗しても、風味が飛んでしまい、逆に不味くなる。その適温も大事だし、酒の種類について知らなければ名酒と呼ばれる銘柄も台無しになってしまう。ではまずはその辺から攻めてみたい。

 1 (熱)燗に良い日本酒

 日本酒にも色々な種類があるのをご存じだろう。1989年の酒税法改正までは、一級酒、二級酒、特級酒という区分だった。それが今や、製法や精米度合いなどに細分化され、大吟醸酒、吟醸酒、純米酒、本醸造酒、普通酒などに分けられるようになった。 
 最近は冷酒がブームで、大吟醸酒、吟醸酒がもてはやされているが、これらは熱燗には向かない。一般的には左側にいくほど熱燗に向かないと思って間違いない。しかし等級が低く、安いからといって何にでも飛びつき、熱燗にすれば良いという発想は愚の骨頂。熱燗に向いている銘柄というのもあるので日本酒の世界も奥が深い。
もしも、「ぬる燗」のほうが好きというのなら、純米酒、本醸造酒、普通酒がおすすめで、熱燗のほうがお好みなら本醸造酒、普通酒から選ぶのが得策。日本酒は高温に熱すれば熱するほど、その風味が飛んでしまう生き物であり、本当に日本酒本来のお米本来の味や麹を味わいたいならば、冷酒が一番だ。また、 熱燗は香りが強く出るので、辛口の(日本酒度が高い)日本酒が適していることになる。

 仕込みの段階で熱燗仕様にしている「燗あがり」(お燗でおいしくなる)するお酒は生もとつくりとか山廃のお酒に多い。吟醸酒というよりは、純米酒もしくは特別純米酒程度のお酒のほうが向いている。とはいえ熱燗よりはぬる燗でというお酒のほうが多く存在する。
 いくら熱燗好きでも、間違えても純米大吟醸以上のモノや高い酒を熱燗にしてはいけない。ハッキリいってもったいない。丹精込めて醸した杜氏や蔵人が泣きます。

 2 適温

 お燗の温度は55℃~60℃を「熱燗(あつかん)」、40℃~45℃を「ぬる燗」、その中間の50℃前後を「適燗(てきかん)」または「上燗(じょうかん)」とい言う。お燗の温度は、45℃~55℃位(適燗)が最も好まれるようだ。60℃以上の温度になるとお酒本来の風味が損なわれますし、熱すぎて徳利が持てなくなる。

 燗した酒の温度

燗温度 40℃ 45℃
ぬる燗      
50℃
適燗      
55℃
熱燗      
60℃
好まれ方 4% 33% 38% 25% 0%

  お酒の種類とお燗の相性 ... また、吟醸酒、生貯蔵酒はお燗よりも「冷やして 」もしくは「常温」がお薦めですが、日本酒は嗜好品なので目安としてお考えください。

冷やして
7~10℃      
常温
        約15℃      
ぬる燗
        約45℃      
適燗
        約50℃      
熱燗
        約55℃      
吟醸酒 × ×
純米酒
本醸造酒
普通酒
樽 酒 ×
生貯蔵酒 × × ×

 3 効用

 健康効果を期待するなら醸造酒である日本酒がおすすめ。醸造酒には原料や発酵で生じる栄養成分がそのまま含まれているからだ。さらに、米と米麹を発酵させて造った日本酒はとりわけその栄養成分が多く、なんと700種類も含まれているという説もある。アミノ酸、ビタミン、肝臓によいペプチドといった新陳代謝を高めるものや、体に必要な微量栄養素であるミネラルも豊富だ。特にアミノ酸はワインの10~20倍もあるという。

 また、日本酒は生活習慣病などの予防にもつながると言われている。糖尿病、がん、心臓疾患、アレルギー抑制、ストレス解消、うつ病…。そして、特に注目されているのが動脈硬化予防だ。動脈硬化は血中のコレステロール値が高くなることで促進されるが、このとき問題になるのが悪玉コレステロール。
だからと言って悪玉コレステロールがひたすら悪者というわけではない。最近の研究では、悪玉コレステロールそのものが悪いわけではないことがわかってきている。悪玉コレステロールを摂り過ぎると血中に長く留まることになる。すると、活性酸素の影響を受けて酸化変性を起こし、動脈硬化を引き起こすのだ。日本酒など醸造酒に含まれる抗酸化物は、悪玉コレステロールの酸化変性を抑制してくれる。そして日本酒には、血栓を溶かす作用もあり、生活習慣病予防には心強い味方と言えそうだ。

 4 「熱燗」「ぬる燗」にお勧めの福島の地酒

 第1位 「大七酛元(きもと)」 地元よりも全国で高い評価を得ている。毎回金賞受賞。
                                           福島県民はさほど有難味を感じないが、世界モンドセレ
                    クションで金賞など日本でも燗酒日本一に輝いた名酒!

 第2位 「奈良萬」 熱燗日本一に選ばれた純米酒

 第3位 「國権 純米酒」 口当たりが優しく、ぬる燗に最適

 第4位 「天明 焔 山廃酛 特別純米」 温められた酸味から来る、ふくよかな香りと伸び
                         やかな味わいが口の中で豊かに広がります。

 第5位 「金寶自然酒・燗誂」 キレが良くしっかりとした味わい

 上に挙げた酒はすべて私の行きつけの酒屋さんで正規価格にて手に入ります。

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 上の写真は、店の人に頼んで酒を並べて撮らせて貰ったものです。

 5 「燗」に最適な県外酒 

 第1位 「宗玄」(石川県)

 第2位 「十旭日」(島根県)

 第3位 「玉乃光」(京都府)

 第4位 「刈穂山廃純米酒ひやおろし」(秋田県)

 第5位 「枯山水」(山形県)

 第6位 「刈穂・燗あがり」(秋田県)

 第7位 「豊盃 ん」(青森県)

 第8位 「弐乃越州」(新潟県) 特別本醸造酒   純米酒の「参乃越州」も旨い

 日本酒を燗して飲む地域は、冬の気象条件が厳しい寒い地方ばかりだ。体を温める効果的な方法として実践しているからだ。

http://www.meimonshu.jp/modules/xfsection/article.php?articleid=1869

 熱燗に合う日本酒ランキング

 第4位から第8位までは私の行きつけの酒屋さんでも手に入ります。

 続いて私が行きつけの酒屋さんは、郡山でも一・二を争う老舗で、大正時代創業という昔ながらの郡山に根差した酒屋さんだ。利き酒師の資格を持つ、本物の味がわかるお店だ。品質管理も行き届き、温度設定や照明を控えめにするなどの徹底ぶりだ。たぶん店に入るとひんやりするのですぐにわかるだろう。その酒屋さんは、郡山でもそこでしか手に入らない酒を置いている。山形の「くどき上手」(現在は取引停止)、秋田の「能代」などがそうだ。
 県内の地酒は大部分が手に入る。本数は極少で、なかなか手に入らないが、郡山で2店舗しか取り扱っていない「飛露喜」も月一回入荷するし、花泉や春一番、大七、箕輪門、天明、栄四郎、千功成、奥の松、蔵粋など、全国で人気が高い銘柄も定価で販売している。

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 「飛露喜」について

 飲み屋などでは比較的容易に「飛露喜」を飲むことができるので、簡単に買えると思っている方が多いようだが、これはとんでもない間違い。郡山で正規価格で入手できるのは、僅か2店。ほとんどは東京など大都市圏に流れている。裏ルートで入手した店などは、1万円ものプレミア価格で売り出しているし、ネットオークションでは3万円台の高値がつくこともある。ではなぜ正規の取扱店が少ないのか。
 もともと蔵元は丹精込めて、わが子同然に酒を大切に仕込み、多くの工程を経て醸造している。もちろん、時期によって仕込めるタンクの量は決まっていて、また、日本酒自体が「生き物」であることから、温度や湿度、照明など品質管理が難しいため、たくさん仕込むとそれだけ目が行き届かなくなる。つまり日本酒はそもそもが大量生産(醸造)できないものなので、管理体制が万全でないとすぐに味が落ちてしまうのだ。したがって、一時期に醸造できる量は常に一定であり、小売店に卸せる量も予め決まっているのだ。

 逆に言えば、その1年がかりで醸した大切な酒を、照明調節や温度管理もせず、ぞんざいに扱うような小売の酒販店には絶対に卸さない。したがって、取り扱い酒店は、あししげく蔵元を訪れ、その年の酒の出来具合や酒質、味などを社長や杜氏に直に尋ねるなど、陰ながら企業努力をしているのです。また、その蔵元の人が、抜き打ちで取引のある酒販店を訪れて、酒の保管状態をチェックして回ることもあると聞く。

 だから、ここまで酒屋さんが頑張っているからこそ、お客さんにもきちんと説明ができるし、私たち消費者は酒本来の味が落ちない状態で美味しくいただけるのだ。
 だから、「人気のある酒だから試しに飲んでみるか」程度の感覚や「ご贈答にしたら喜ばれる」くらいの考えで買おうとしても、日本酒に対する知識や確かな舌がなければ「酒がもったいない」ということになってしまうのです。

 そして、この「飛露喜」は、正規取り扱いになっている郡山のその2店舗でも、簡単には手に入らないのが実状だ。予約は不可だし、入荷日は未定で、月によって異なる。いきなり店に行ってもまず買えることはない。毎月1回60本入荷したとしたら、それを欲しがる客は300人はいると思ったほうが間違いない。つまり5人にひとりしか入手できない超人気酒だ。本当に欲しい方は、こまめに店に通ったほうが良い。間違ってもいきなり電話をかけて、「飛露喜ありますか?」などと聞かないほうがいい。酒のことを何も知らないズブの素人としか映らないからだ。
 大量生産、大量消費のビールなどとは違い、日本酒は手をかけている分、いかにも奥が深い飲み物で、逆に言えば、安売りするような酒などは何の値打ちもないということになる。だからネームバリューに躍らせれるのではなく、実際に幾つかの銘柄を飲み比べてみて、自分の舌に合う日本酒を選んで欲しいと思う。

 以下、その店の主な取扱銘柄を列挙したい。(酒を買えば「取り扱い一覧」が貰えます。)

 県内酒           県外酒

 國 権            南部美人
 天 明            浦  霞
 飛露喜            一ノ蔵 
 泉 川            刈  穂
 春一番            田  酒
 大 七              ん
 花 泉            燗あがり
 花 春            良  寛
 栄 川            能  代
 名倉山            くどき上手   
 奈良萬            出羽桜(雪漫々・枯山水・桜花) 
 末 廣            豊   盃
 栄四郎            久保田(生原酒・百寿・千寿・紅寿・碧寿・翠寿・萬寿) 
 自然郷            ゆく年くる年
 金 寶            元旦しぼり
 雪小町            立  山
 穏(おだやか)       天狗舞
 石 背(いわせ)      越  州
 玄 宰            洗  心 
 月 弓            得  月
 笹の川            麒麟山
  開当男山          美の川
 さかみずき         ばっけ
 壺中有天          喜三郎の酒 
 福島の心          六  舟
 千 駒            親父の小言
 七十郎            喜一郎の酒 
 会州一            喜久泉 
 宮 泉            荒澤岳
 東豊国「超」        
 三春駒                
 金水晶
 磐城「壽」
 会津中将
 辰 泉
 南郷「ひやおろし」
 蔵太鼓
 春高楼
 龍ヶ沢
 風のうつろひ
 
 

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 店主いわく、遠くからわざわざ買い求めに来てくださるお客さんや足しげく通ってくれる顧客を大切にしたいため、本来はこのようなブログ記事に掲載されるのは気が引けると話していた。したがって、私の独断で今回掲載させていただいた。今どき、なかなか入手困難な地酒を多数取り揃え、しかも良心的にも、価格を一切釣り上げずに、正規の価格で販売している、その心意気に惚れたから、敢えて取り上げさせて頂いた次第です。

 さて、あることないこと書き並べたが、日本酒はあくまで嗜好品なので、人によって好き嫌いがあるのは必然。要は、自分の舌に合う日本酒を飲み比べてみて、お気に入りの一献を選んでほしいと思う。もちろん料理や酒の肴との相性も考えてだ。
 そして、ひとつだけ覚えておいて欲しいのは、日本酒は日本の文化そのものだということ。ビールや洋酒のように、雰囲気を楽しんだり、大量に飲むためのものではない。まして酔えればいいという発想ではない。その酒の素性、つまり原料米の品種、精米歩合、アルコール度数、日本酒度、酸度、酒質などをよく知り、じっくりと自分の舌で心ゆくまで味わってほしい。酒本来の味、言ってみれば、その銘柄の「酒の力」を味わってほしいのだ。

 若い人の中には、「日本酒一升飲んでも肝臓はなんとも無い」などと酒の強さを自慢する人がいるが、それは愚の骨頂。酒の質や味など一切感じていないからそんな真似が出来るのだ。賢い酒好きは、決してそんな振る舞いはしない。行きつけの酒屋さんを持ち、店員さんと仲良くし、四季を通じて今が旬の酒を買い求め、内臓をいたわりながら、毎日少しずつ晩酌するのが本当の酒呑みだと思う。
 それに本当の日本酒通は「純米酒」しか買わない。見栄を張って大吟醸を買ったとしても、本当に味がわかるのは日本人の10人にひとりだ。あとは能書きやウンチク垂れで、さも知ったかぶりし、自分の好みを人にひけらかしているだけのホラ吹きだ。
 本当の日本酒通は、特定の銘柄を何度も買い求めるものなのだ。それは自分の味を追求し、本当に自分に合っている酒を見出している。だから呑み飽きることがないのだ。

 ここで地元の方が制作した「ふくしま日本酒」を紹介した動画をどうぞ!



 さて、私が本日紹介した日本酒は、どちらかと言えば万人受けするもので、クセがないものばかりだ。どうせ酒を飲むなら、美味しい日本酒を、じっくりと心ゆくまで味わいたいものだ。
 こんな話をしていたら、無性に日本酒が飲みたくなってきた。そうだ!週末にはあの酒屋さん行って、この時期お勧めの日本酒を楽しむとしよう!

 記事作成:1月26日(月)

2015年2月 2日 (月)

私の好きなナレーター(男性編)

 本来、画面には登場しない裏方のスタッフにもかかわらず、近年番組の案内役のナレーターと言う職業が脚光を浴びている。例えば名物番組である時代劇にはこのナレ―ションが付き物とか、バラエティ番組に欠かせない裏の声とか、あるいは旅番組、クイズ番組などでは抜群の合いの手を入れ、番組を盛り上げる貴重な存在だ。
 最近では、声優や俳優が番組のナレーションを務めることも多いが、それを本業や本職にしている方のアクセントやイントネーションを含む独特の声には聞き惚れるし、安心して聞き入ることができる。こうしたナレーターは、番組の進行には欠かせないし、その美しい発声や滑舌の良いナレーションは心地よく番組を視聴できる。
 本日は、普段はお目にかかれないナレーターの中で、特に私が好きな方々をセレクトしてお送りしたい。ただし、紹介したい人が多いため、映像等の埋め込み処理は行わずに、動画サイトのURLだけを記載したいと思います。ぜひクリックして「あっ!この人の声か!」と納得してほしいと思います。

1位 城達也 「ジェットストリーム」

https://www.youtube.com/watch?v=TdOitzTLcXM

https://www.youtube.com/watch?v=aJdqLAIu4cg

2位 田口トモロヲ 「プロジェクトX」

htt映像等のps://www.youtube.com/watch?v=x2oKE8VHud4

3位 窪田等

https://www.youtube.com/watch?v=xlz9QGcAaxk

4位 羽佐間道夫

https://www.youtube.com/watch?v=klA-mx1pp64

5位 芥川隆行 「水戸黄門」

https://www.youtube.com/watch?v=DwodrVuHw0U

6位 平野義和 「鉄腕DASH」「青空レストラン」

https://www.youtube.com/watch?v=Fbhn_C6rnK4

7位 槇大輔 「警察24時」「スーパーテレビ」「所さんのそこんトコロ」

https://www.youtube.com/watch?v=o-hGYV9Z9vg

8位 武田広 「チューボーですよ」「真相報道バンキシャ」「アド街ック天国」

https://www.youtube.com/watch?v=8fUp5WRjK3g

9位 立木文彦 世界の果てまでイッテQ

https://www.youtube.com/watch?v=vE6S7hhlPr4

10位 木村匡也 「電波少年」「めちゃイケ」

https://www.youtube.com/watch?v=iNM0w8ca1ss

https://www.youtube.com/watch?v=_BONcKmO69c

11位 増谷 康紀 「未来日記」

https://www.youtube.com/watch?v=H9_8yMu5Ufs

12位 真地勇志 「笑ってこらえて」

https://www.youtube.com/watch?v=dEEhwkamRkU

13位 緒方賢一

https://www.youtube.com/watch?v=X_X-IXyPQ80

14位 若本規夫 「名探偵コナン」

https://www.youtube.com/watch?v=qM30HhW24Js

15位 佐藤 賢治 「スクール革命!」「VS嵐」

https://www.youtube.com/watch?v=bXB1f8yYgUc

 さて、今日は15名もの男性ナレーターを紹介しました。聞き覚えがあったり、どっかで聞いたことがある声だと思ったことでしょう。彼らの仕事は裏方で、番組や他の出演者の引き立て役かもしれないが、こういうプロ意識で頑張っているスタッフがいての番組制作だし、視聴率アップの秘訣だと思う。彼らの存在を知り、番組をご覧いただくと、またテレビ業界も違った楽しみができるかもしれません。

 記事作成:1月15日(木)~16日(金)

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