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2015年2月10日 (火)

昔話⑪ ~大リーグが郡山にやって来た!~

 昭和46年10月28日に郡山っ子たちが熱狂する試合が開成山球場で行われた。川上監督率いるV9を継続中の巨人と大リーグの「ボルチモア・オリオールズ」が対戦するという、今では夢物語のようなゲームだった。O.N(王貞治・長嶋茂雄)がバリバリの現役選手で、巨人が黄金時代を迎えていた頃の最強メンバーと、当時はまだメジャーリーグ(MLB)という名称は使わず、「大リーグ」と呼んでいた頃の夢の対戦だった。

 私の今は亡き祖父が、郡山市の役職に就いていたため、孫娘(つまり私の実姉)が急遽、ゲーム前の花束贈呈役に抜擢されたのだ。祖父が生前、大事に保管していたアルバムには、その場面を撮影した白黒写真が数枚あって、ミニのワンピースにタイツを履いた、9歳くらいだった姉が確かに花束を渡していた。

 (花束贈呈の写真を貼ったアルバムが発見できないため、見つかり次第、その当時の貴重な写真をここに掲載いたします。)

 この年の来日チームは、ア・リーグ優勝のオリオールズ。20勝投手を4人を擁し、第7戦の巨人戦でドブソンがノーヒットノーランを達成した。また他のゲームでは、ONのアベックホーマーもあり見所が多かった。この年は、迎え撃つ日本側は、全日本、巨人、南海巨人連合、 阪急巨人連合、広島巨人連合、 西鉄巨人連合、中日巨人連合が試合を実施した。対戦成績は2勝12敗4分だった。

 なぜ、一地方の小さな都市・郡山で行われたかは不明だが、当時は「巨人・大鵬・目玉焼き」といわれた時代で、野球観戦が庶民の夢だった。それを片田舎で開催にこぎつけたのは、郡山市の秀瀬市長(当時)と招致活動を行った方々の努力の賜物だったに違いない。

 また、その3年後の昭和49年10月31日には、再び日米野球が実現し、ニューヨークメッツが来日した。この年、またしても郡山で試合が開催された。その時のメッツは、ほぼメジャー(1軍)のメンバーを揃えて来日していたのに、巨人と接戦を演じていた。この年のメッツは、全日本、巨人、南海巨人連合、 広島巨人連合、太平洋巨人連合、中日巨人連合とゲームを行い、対戦成績は7勝9敗2分という拮抗した成績だった。川上監督が「今年のメッツは眠っている」とコメントした記事が地元新聞紙に掲載されていたのを今でも覚えている。

 
 トム・シーバーをはじめとした投手力に魅力のあったメッツは、前年のリーグ王者ながら、日本の投手陣に苦戦した。特別参加のハンク・アーロン(ブレーブス)と王貞治による世紀のホームラン競争などイベントにも注目が集まった。私は後楽園球場で行われたその競争をテレビの生放送で見て大興奮したことを覚えている。確か1本差でアーロンが勝った。この3年後に、王貞治は、同じ球場でアーロンの755号を抜く756号を放った。

Homerun_race Homerun_race2

 上の映像は、昭和49年のももではなく、後楽園球場が昭和51年に全面人工芝にリニューアルした後、巨人軍の50周年を記念して再来日し、2回目のホームラン競争を行った時の模様です。

 

 この記事を書いている11月中旬は、おりしも8年ぶりに開催された日米野球の真っ最中。小久保監督率いるオールジャパンがメジャーの選抜チームと対戦している。経験を積ませ、勉強させたいという意味合いから、若手重視の布陣だが、やはり参考になるプレーは多々ある。いくら日本がWBCを連覇したといっても、現役メジャーリーガーの飛距離やパワー野球にはとうてい太刀打ちできない。若手選手の勉強にはもってこいだ。迎え撃つ日本も、柳田や山田、中田などの好選手を揃え注目の投手陣も今シーズン大活躍した中心選手をこぞって起用した。前田、金子、藤浪、大谷など、いずれはメジャーでプレーするであろう注目選手が強打者揃いの選手と直接対決する場面は見ごたえ十分だった。11月12日の初戦に中継ぎで1イニングだけ登板した大谷翔平は、僅か9球で三者凡退に退けたが、159キロのストレートは圧巻。メジャーのバッターでさえ、振り遅れてポップフライを打ち上げていた。

 この日米野球は、自分をメジャーのスカウトに売り込む絶好の機会ともいえる。かつては秋山幸二や桑田真澄など、メジャーの監督やコーチが惚れ込む選手が大勢いた。「幸二をアメリカにつれて帰りたい」と言わしめた秋山の運動能力はずば抜けていたが、当時は今のように簡単に海を渡ってメジャーでプレーできるような環境はなかった。その重い扉をこじ開けたのは、誰あろう「野茂秀雄」だった。

 私は個人的には日本代表に巨人の坂本を選んだのか理解できない。彼はここ2年、芳しい成績をあげていない。単に原監督の強い推薦があったのか?巨人はチームとしては選手層が厚いからこそ、リーグ優勝する戦力があるのだが、個々の選手を見れば、たいした強打者もいなければ、実力者もいない。だから他球団の有望選手のほうが期待できる。
 昔なら石毛や清原、落合、柏原純一、門田、掛布、福本豊、大石、山本浩二、江夏、田淵、若松、長池、有藤、山田久志、村田兆治、江川らを出場させたほうが、断然成果も上がったはずだ。現に今の日本代表でも、内川や山田、岩田、菊池、糸井、中村、則本、能見、西、牧田、松田らを選んだのは正解で、何か好成績を上げそうな気がしてしまう。

 また、このシリーズは、かつての中畑清が抜擢され、メジャー投手からホームランを打って自信を付けたように、若手には本物のベースボールを体験させる上では重要な位置づけだった。だから、WBCに出るような選手はあまり選抜しない。松井稼、岩村、福留などのベテランは選んでいない。

記事作成:平成26年11月13日(木)

 後 記

 この記事は、3ヶ月前の昨年の11月に執筆したものです。郡山で行われた日米野球の写真を探していて、公開日が遅れてしまいました。多少、現状に合わない部分があることをご了承願います。

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