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2015年3月

2015年3月31日 (火)

さらば、愛しき「点心」

 その店は私の行きつけだった。たぶんこの3年間で30回以上訪れ、随分とお世話になった場所だ。それは郡山市八山田の某工業高校の東隣りにあった「点心」という名前の中華料理店だった。テーブルが5つしかないこじんまりした小奇麗な飯屋さんだった。60~70代くらいの夫婦がふたりで切り盛りし、駐車場も車4台停めればいっぱいで、奥には別棟の自宅が建っていた。

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 私がその店を知ったのは、3年前の4月に転勤し、今の職場に勤務してからだ。同僚に連れて行かれ、その手頃な値段、料理のボリュウム、そして何より、そのおじちゃんとおばちゃんの人柄に惚れたのだった。
 特に私が好きだったのはBランチだった。このご時勢にあってなんと税込み700円。消費税が8%になった際も、値上げをしないで客思いの価格で頑張ってくれた。しかもそのランチのボリュウムたるや半端じゃなかった。大きな器に醤油ベースの鶏がらスープ系のあっさりラーメンに、半チャンと言っても大盛りのチャーハン、これに大きな鶏の唐揚げが5~6個もつく。そして飲み物はウーロン茶かジュースを選ぶことができた。
 今どきこんなサービス満点の店などないくらいの出血大サービスぶりだった。まさしく儲ける気など毛頭なく、あたかも趣味やボランティアでやっているような店だった。食後は、大食漢の私でも、満腹状態で、夕飯抜きでも胃もちしそうな量だった。ちなみに夏場はラーメンを冷やし中華に変えることも出来た。

 これが私がいつも注文していたBランチ(税込み700円)

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 その店は月曜日が定休日だが、普段は11時半から営業をしていて、スープが無くなったら閉店という具合だった。ランチは14時半までとなっていた。ランチというと普通は平日と相場は決まっている物だが、ここは土日だって特別価格にてランチをご奉仕してくれた。
 12時過ぎに行くと、縦列駐車で車が出せなくなるため、私はいつも11時半には暖簾をくぐるようにしていた。土曜日は、私一人で訪れることが多かった。

 私のささやかな楽しみでもあったし、そこでたらふく食べるのが至福のひとときでもあった。そこのテレビで「サタふく」を見ながら食すことも多かったし、カラーBOXに並んだ、我が愛読書の「美味しんぼ」の漫画本も何冊も読んだ。

 昼時には、周辺のオフィスのサラリーマンや建設関係の常連客がいて、客が少ないことはなかった。

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 しかし、今年に入って、店を開けない日々が続いた。
 「どうしたんだろう」と気にはなっていたが、平日は「オフィスミール」提供の職場の350円仕出し弁当を食べていたため、なかなか足が向かなかった。

 そのうち、2月頃から店の工事が始まった。何気なく通りかかった時に、店の南側の入口を壊し、ブルーシートがかかっていた。私はてっきり、店を改装するのかと思っていた。しかし、その期待は見事に裏切られ、3月にはシャッターが取り付けられ、まるで物置小屋として使うかのような改築を施してしまった。この時点で私はおじさんが寄る年波に勝てず、店をたたむ決心をしたのだと悟った。よもや健康を悪くされたのではあるまい。

 最後に時すでに遅しだが、もう一度あのBランチを味わいたかった。おじさんとおばさんに、「ご苦労様」とねぎらいの言葉もかけられないまま、閉店してしまった。店を辞めるなら、事前に知らせてほしかった・・・。
 残念ながら、私の楽しみの一つが奪われてしまい、しばらくは落ち込んでしまった。3年しか通い詰めていないが、気さくなおばさんとの想い出が尽きない。

 直接お別れを言うことができなかったので、このブログを通して伝えたい。

 「私にとって『点心』は心から寛げる最高のお店でした。3年間ありがとう。そして、おじさん、長年の料理人人生、そしておばさんの内助の功、本当にお疲れ様でした。あとはゆっくり休んでください。」

 「私はここに『点心』があったことを絶対に忘れませんよ。」

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 最後の2枚の写真は「hybirdな日々」さんのブログ記事よりお借りいたしました。この場をお借りして御礼申し上げます。

 記事作成:3月29日(日)

2015年3月28日 (土)

2015年春・福島を去ったアナウンサー第二弾

 お知らせ

 本日は、当初、「登場が衝撃的だったアーティスト」の記事をお送りいたしましたが、我が福島県で愛された長澤彩子アナウンサーが、この日の放送を最後に「サタふく」を卒業し、3月いっぱいで福島テレビも退社することが発表されましたので、急遽記事を差し替えて、彼女の関する記事をお送りいたします。なお、「登場が衝撃的だったアーティスト」は、3月30日(月)に再度掲載したいと思います。

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 2月にも同じテーマで記事を書き、すでに退社してしまったFTV(福島テレビ)の2人の女子アナを紹介した。安河内程子アナと宍戸真詩美アナだ。そしてまた、この3月末を持って、福島のテレビ局を退社し、他県へ行ってしまうアナウンサーがいた。今日はその方を取り上げたい。

 FTV 長澤彩子アナウンサー

 <プロフィール>

 1982年2月12日生まれの33歳。神奈川県相模原出身。女子アナに多い東洋英和女学院大卒。東京アナウンスセミナーを経て2010年に福島テレビ入社。身長151cm。血液型A

 担当番組:「サタふく」「FTVニュース」ほか

 母も姉もピアノの先生と音楽一家で育ち、趣味も歌。

 新鮮なお魚、寒ブリ、カンパーニュ、アイス、メキシコ料理、坂角のえびせんべい。

 <彼女の出演番組の動画>

https://www.youtube.com/watch?v=oyIQjJo2SO4

 <震災時の様子・・・FTV社屋内>(閲覧注意)

https://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 毎週土曜日11時30分~45分、12時~12時55分まで放送している「サタふく」のMCを担当。明るく元気に笑顔いっぱいで番組に出演していた。時々コスプレ(謎のアメリカ人・キャサリンや女教師)を行ったり、得意のチアリーディングも披露して、福島県民に元気を分け与えてくれた。

 <3月28日放送 「サタふく」最後の出演場面はコチラ>

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 「白線流し」風のPVと懐かしいVTRでお別れを惜しんだ。

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 長澤彩子アナ、「サタふく」最後のあいさつ

 「福島のみなさん、5年間本当にありがとうございました。忘れもしない入社一年目、東日本大震災が起きました。避難所で、ご自身の家族を亡くされているにもかかわらず、私の身を案じてくださった福島の方々、その方々に恩返しのために笑顔を届けたく、今日までその一心でやってきました。私は福島に来られて本当に幸せだと思います。なぜなら、福島の皆さんが一番優しいことを知っているからです。最高のスタッフに恵まれ、そして最高の視聴者の皆さんに恵まれ、本当に幸せな5年間でした。離れていても私は福島のチアリーダーです。ありがとうございました。」

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 お別れの挨拶は号泣だった。神奈川県出身でありながら、それほどまでに福島県民を愛してくれたことの証明でもあった。
 5年の長きに渡り、福島県民のお茶の間に笑顔と元気を送り続けてくれた。彼女は、震災前に福島テレビに赴任し、以来、震災で打ちひしがれた福島県民の気持ちを代弁してくれたし、涙脆い彼女は、県内各地を回ってレポートする中で、福島県民のために、数多くの涙を流す人情家でもあった。そして番組を通して県民を支えてくれた女神のような存在だった。本当に感謝したい。異動先は郷里である神奈川県にある「テレビ神奈川」。あの明るい笑顔で頑張ってくれると思う。

 FTVの公式HP内でのお別れの挨拶はコチラ

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2015/03/post-187.html

 「テレビ神奈川」の公式HPでの彼女の挨拶はコチラ

 http://www3.tvk-yokohama.com/anamaga/2015/04/post_538.php

 他にも退社ではないが、私の好きな番組である「ドミソラ」の顔だった千原礼子アナウンサーが番組のMCを卒業してしまうなど、担当番組の異動があった。春は別れの出会いの季節だが、やはり一抹の寂しさは拭いきれないものがある。彼女たちの新天地での活躍をお祈りしたい。

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KFB公式HP内の「雨のち晴れいこ」のブログ記事での挨拶はコチラ

http://www.kfb.co.jp/ana/chihara/2015/03/post_71.php

 「2015年春・福島を去ったアナウンサー」はコチラ

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-9f39.html

 記事作成:3月28日(土)

 追記(4月1日)

 この日、福島放送(KFB)の現職アナの千原礼子さんが、私の元同僚(女性)のお嫁さんということが判明し、驚いた。個人情報のため、詳しくは記載できないが、昨年3月まで2年間、席が隣りだった女性だった。そのお嫁さんがKFBのアナウンサーだということは、一度も聞いた験しがなかったが、その事実を知って妙に親近感を覚えた。
 「ドミソラ」の番組内で、単身赴任の夫と離れて生活していることをカミングアウトしていた彼女だが、どうやらご主人はいわき市に勤務しているらしい。これ以上のことは書けませんのあしからず。

 追記(5月吉日)

 4月30日付で、KFBの千原礼子アナウンサーが出産を機に退社してしまった。昨春に結婚し、その後もアナウンサーとしての仕事を続けてくれたが、この度のおめでたい話で、退職されたのだ。彼女は神奈川県出身者だが、福島県の方と結婚し、ずっと福島県民になることを決断してくれた。だから「福島を去ったアナウンサー」にはならない。
 あのにこやかな優しい笑顔を見れなくなるのは残念だが、女子アナフリーク、いや女子アナ応援団を自称する私としては、断腸の思いだが、快く送り出したいと思う。ぜひ元気な赤ちゃんを産んでほしいと思う。「ドミソラ」は番組放送開始から毎回ブルーレイに録画してあるので、彼女の面影を懐かしむために、折に触れて見直したいと思う。

 KFBの公式HPのお別れの挨拶はコチラ(削除される前にお読みください)

http://www.kfb.co.jp/ana/chihara/2015/04/30/008469.html

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2015年3月27日 (金)

感動CM~福島県編~

 この手の話題もずいぶん多く掲載したが、今日は我が居住地、福島県で放送された、感動的なCMを取り上げたい。他県の方たちは、あまりお目に掛かることがない作品で、貴重かもしれない。ではさっそくどうぞ!

 DoCoMo東北 CM智恵子のふるさと編

 二本松出身で高村光太郎の妻となった智恵子。戦前の女性には珍しいほど、恋愛に積極的で、前向きな行動を有していた。不治の病に冒されて、長らく病床に伏した。最後は鬱傾向に陥り、発狂寸前の状態だった。その智恵子の在りし日の面影を辿るような作風。

 こころネット企業

 福島県民は誰でも一度は見たことがあるCM。人生を実感させるような映像と美しいメロディライン。人生を味わい深くするのは、きっと心の仕事。感動のある人生を。心という字を組み合わせて、人生を体現しようとしたCMに心が揺り動かされた。

 スパリゾートハワイアンズ「ありがとう編」

 2011年3月11日に起きた「東日本大震災」で、施設が破壊され、長期休館を余儀なくされた。フラガールを始めとする従業員が、仕事を奪われ、一時は廃業の危機に陥った。しかし、存続を願う多くのファンと、それを支援する地元の励ましによって、スパリゾートハワイアンズは不死鳥の如く甦った。その立役者として頑張ったのは誰あろうフラガールたちだ。開業時に実施した全国キャラバンで「いわきは元気です」ということをアピール。全国に支援の輪が広がった。そして仮オープンを経て、ハワイアンズは見事復活を遂げたのだった。

 「光のきづなメッセージショー『night rainbow』」

 常磐音楽舞踊学院50年の歩み

 さて、感動的なCMというと、震災の後、復興支援のために、体を張って被災者たちを激励し続けた「フラガール」をおいてほかに考えられない。彼女たちの頑張りを書き漏らすわけにはいかない。彼女たちの笑顔にどれだけ勇気を貰ったかしれない。

 記事作成:平成26年12月26日(金)~平成27年3月23日(月) 

2015年3月23日 (月)

「ポスト百恵」争奪戦

 昭和を代表する大スターと言えば「山口百恵」だろう。「スター誕生」から彗星の如くデビューした時、彼女はまだ弱冠15歳。つまり中学生だった。桜田淳子や森昌子と中3トリオを結成し、互いに切磋琢磨し、歌手として成長した。そして彼女は押しも押されもしない超一流アイドルとしてファンの人気を得、絶頂期の22歳で、俳優・三浦友和との結婚を機に芸能界を潔く引退。その後は、一度もマスコミの前に姿を見せることはなく、家庭に入り、良き主婦、良き母親として良妻賢母を励行。したがって、私たちが知っている彼女の姿は、人気絶頂期の若かりし頃の姿のままで、伝説の歌手としてその栄華が色褪せることはない。

Momoe2 Momoe

 彼女が芸能界を引退したのが1980年10月。つまり、1970年代を鮮やかに彩り、そして駆け抜けた青春歌手と表現することも出来る。キャンディーズ解散、ピンクレディー解散と相次いでトップアイドルたちが芸能界を去ったことに加え、山口百恵まで引退。芸能界全体がアイドル不毛時代を懸念し、危機感を抱いたのは当然の成り行きだった。彼女の座を狙い、各芸能事務所がいきり立ち、こぞって新人アイドルを世に送り出したのだった。つまりこれが「ポスト百恵」争奪戦だ。この相次ぐアイドル投入の風潮が、やがて1980年代の空前のアイドルブームをもたらしたのだ。

では、「ポスト百恵」を目指したアイドル達を振り返ってみたい。コンセプトが酷似している方もいれば、歌い方を真似していた方など様々だ。

 1 三原順子 

 1979年放送の「3年B組金八先生」(第一シリーズ)でデビューした彼女。その中学生には似合わぬ大人びた雰囲気と「ツッパリ少女」を地のまま熱演。雰囲気も「ロックンロールウィドウ」や「絶体絶命」などを歌った時の山口百恵に似ていたことで、「ポスト百恵」最有力候補と見られた。1980年9月に「セクシー・ナイト」でデビュー。オリコン8位に入ったが、爆発的なヒットまでは至らなかった。その後も「ド・ラ・ム」などをリリースするが、毎回楽曲のコンセプトやイメージがブレるため、ブレイクするのは難しかった。その後、彼女の言動や行動は劇的に変化した。「ケンちゃんシリーズ」で人気子役だった宮脇康之との交際宣言をしたかと思えば、カーレースに没頭したり、実業家として活躍したり、介護施設まで経営している。現在は「三原じゅん子」と改め、国会議員にまで上り詰めた。輝かしい芸歴と職歴だ。私と同い年の50歳。血液型はB型。

Mihara1 Mihara2

https://www.youtube.com/watch?v=onOPQZ3Ely4

https://www.youtube.com/watch?v=JW7850T9T1o

 2 浜田朱里

 1980年のデビュー当時、芸能界引退を表明した山口百恵の持つ独特の雰囲気に彼女が似ていたため、周囲のスタッフは「ポスト百恵」を狙っていた。だが同期に松田聖子、河合奈保子、柏原芳恵、三原順子、岩崎良美、などの強豪がいたため、セールス的には伸び悩んだ。それでも、ややハスキーで独特の雰囲気の歌声と整ったルックスのアンマッチさは、当時の女性アイドルの中では目立つ存在だったため、現役時代も現在も根強いファンが存在している。
 彼女はA級とまではいかないまでも、テレビの歌番組やアイドル系の番組への露出度は高かった。O型特有の色白で丸い顔がチャームポイントで、声や歌というよりも、顔が似ている印象だった。

Hamada1 Hamada2

 上の「さよなら好き」のレコードジャケットは、いかにも百恵を意識した、似せた髪型や表情。「百ロス」のファンに、彼女を想い出させ、重ね合わせる意図がありありだ。

https://www.youtube.com/watch?v=uA3CIufqqZ4

https://www.youtube.com/watch?v=XiH3BW7fUYc

 3 小出広美

 中学生の頃より名古屋の芸能事務所巣山プロダクションに在籍。
 1981年、『ぱろぱろエブリデイ』(CBCテレビ)に火曜日アシスタントとしてレギュラー出演。番組内で彼女をモチーフにしたドラマも作られ、番組を見たキングレコードの関係者にスカウトされ、東京に進出。 『レッツゴーヤング』(NHK)の番組内グループサンデーズのメンバーに選抜され、1983年にはキングレコードより「タブー」でアイドル歌手としてデビュー。デビュー時のキャッチフレーズは「'83 誰もがKOIDE(恋で)狂いです」。マイナー調の中森明菜路線の歌謡曲で、「ポスト山口百恵」というより、“ポスト明菜”として注目を浴びた。可愛い顔立ちとは裏腹に、曲のイメージはハード系だったため、そのギャップに苦しんだに違いない。「タブー」、チェンジLOVE」などだ。1984年に、シングル「最近のム・ス・メ」を発売する予定がお蔵入りとなり、研音から契約を破棄され、事実上の引退となる。血液型はA

Koide1 Koide2

https://www.youtube.com/watch?v=UjwrouTqxxg

 4 佐藤恵利

  •   ポスト山口百恵として売り出され、『レッツゴーヤング』のサンデーズのメンバーとして活動した。期待の新人であったが、なかなか人気が出なかった。
  • アイドル活動終了後は、女優として活動している。特にドラマでは、1980年4月3日から1992年3月26日まで日本テレビ系で放送された「木曜ゴールデンドラマ」の脇役出演の常連の一人でもあった。
  • 「木曜ゴールデンドラマ」と「オフィス・ヘンミ製作のドラマ」に出演することが多かった。血液型はB
  • Satoeri1 Satoeri2

    1. 「ラブ・スケッチ/サヨナラの陽ざし」(1980年1月10日)
    2. 「まぶしいねチャイニーズ・ハーフ/シャワー」(1980年4月25日)
    3. 「ラブ・ギャンブル/傷だらけのピリオド」(1980年9月10日)

    https://www.youtube.com/watch?v=iSWvsNpQWhQ

     5 中森明菜

     彼女もまた「スター誕生」出身。この番組で初めて彼女を見た時、1970年代のアイドルだった「香坂みゆき」に似ていると思った。あどけなく可愛らしい雰囲気で、誰もがスターになると確信したに違いない。案の定、過去最多の芸能事務所のスカウトのプラカードが上がった。そして1982年5月に「スローモーション」でデビュー。たちまち人気が上昇し、女性ファンにも好かれた。しかし、おっとり系でお嬢様風の彼女の印象とは裏腹に、その後は「ツッパリ」路線を歩むこととなった。「少女A」や「禁区」、「十戒」、「飾りじゃないのよ涙は」などだ。これは明らかに事務所の意向であり、イメチェンを図ったもの。「百恵」のロック調の歌を意識していることは見栄見栄だった。ベストテン番組やオリコンでも常に1位を獲得するトップアイドルとなったが、近藤真彦との失恋で自殺未遂騒動を起こすなど、気まぐれや気性の激しい面が顔を覗かせると、徐々に人気に陰りが見え始め、一時期活動停止するに至った。山口百恵と同じA型。

  • Nakamori1 Nakamori2

  • https://www.youtube.com/watch?v=AMCRPkAiflY

  •  ちなみに「香坂みゆき」さんはコチラ

    Kousaka1 Kousaka2

  • https://www.youtube.com/watch?v=s3YFiotI3N8

     「ポスト百恵」は、1980年代のトップアイドルとして君臨した「松田聖子」というファンが多いが、私は彼女の場合、コンセプトやポジショニングが異なると考えている。彼女は「ポスト」や「○○二世」などではなく、紛れもなく「松田聖子一世」なのだ。「ぶりっ子」や「聖子ちゃんカット」などブームを巻き起こし、トップスターとしての地位に君臨した。誰かの二番煎じなどではない。

  •  さて、今日もまた性懲りもなくアイドルの話題に落ち着いてしまった・・・。私が小中高の学生時代を回顧する際に、やはり野球とアイドルは欠かせないものがある。当時、夢中になったアイドルは、今日挙げた方々ではないが、やはり1970年代~1980年代に登場し、鮮やかに音楽シーンにその名を刻んだ方々達だ。ご本人達は「ポスト百恵」などと言われたら憤慨するかもしれないが、そうした触れ込みでテレビに登場し、活躍された歌手だと思う。今は、引退された方々が多いが、若い頃に打ち込んで輝いた時代があったことは誇りに思って頂きたいと思う。

     記事作成:2月21日(土)

  • 2015年3月19日 (木)

    アンチエイジングの女性②

     昨年の7月に同名のタイトル記事を執筆し、老いを感じない美しさを保っている女性を紹介した。第1回目はつまみ枝豆夫人で、テレビタレントやアシスタントとして活躍している「江口ともみ」さんを取り上げた。あれから半年余り、ようやく第2弾に相応しい女性を発見した。その方は気象予報士として活動している「中川祐子」さんだ。ではまず彼女の画像を掲載しますので、普通に考えて何歳に見えるか考えてください。

    Nakagawa1 Nakagawa3
    Nakagawa4 Nakagawa2

     誰もが驚くと思うが、彼女の実年齢は何と「43歳」だ。三十路でもなく、四十路である。20代にしか見えない。誰もが羨む美しさだと思うし、この若さの秘訣を知りたくなるだろう。では彼女のプロフを紹介したい。

     「中川祐子」

     1972年1月9日生まれの東京都出身のフリーアナウンサー、気象予報士である。気象予報士の資格を活かして気象事業会社で8ヶ月の修業後、NHKの国際放送気象アドバイザーとしても活動している。

  • 身長:158cm 体重:43Kg BWH:80 - 54 - 80 血液型:O型
  • 最終学歴:津田塾大学学芸学部英文学科
  • 特技:英会話、実年齢よりかなり若く見られること
    英会話は、6年間アメリカに在住していたため。
  • 趣味:ベリーダンス、マウンテンバイク、BMX、入浴、読書
    資格:気象予報士、英検準1級、TOEIC855点、中学校・高等学校英語教員免許
    フリーアナウンサー、気象予報士、健康気象アドバイザー
  •  「中川祐子のTenki生活」(ブログ) → http://ameblo.jp/nakagawa-yuko/

     まさに才色兼備。あの美しさは、知性と教養からにじみ出るもので、まやかしや作った美しさではない。

    Nakagawa5 Nakagawa

     在学中は異文化間コミュニケーションを専攻し、英語教職課程を修了。 卒業後は総合商社に入社。社内の外国人に日本語を教えるという特殊な業務を任され、人前で話をする楽しさに目覚める。 一念発起し商社を退社、1997年にNHK教育「3ヵ月英会話」でアナウンサーデビューを果たす。 その後はTBS「スポーツマンNO1決定戦」、フジテレビ「おはよう茨城」など多くの番組で活躍。 TBS「モーニング天気」の出演をきっかけに気象に興味を持ち、2006年、独学で気象予報士の資格を取得。 その後、InterFMで環境番組のMCやNHK国際放送局の英語ニュース番組で世界の天気の原稿作成・解説を行う英語気象アドバイザーを務める。 現在は気象キャスターとして各種メディアに出演、また各地の小学校で環境教育の講師としても精力的に活動している。
     私生活では2009年に5歳年下の男性と結婚。2014年に開催された「第5回国民的美魔女コンテスト」ではファイナリストに。

     やはり前回の江口ともみさんと同様、彼女もまたO型だ。あのきめ細やかな白い肌、どことなく愛嬌を感じる顔立ちは、O型そのもの。

    https://www.youtube.com/watch?v=pOEdkAd4o6E

    https://www.youtube.com/watch?v=3hhq7yQjTgc

     どうです?とても43歳には見えないでしょう。彼女の若々しいお姿は、世の女性に希望を持たせる意味もある。四十路を越えても尚、女性として恋愛対象として十分見ることができるし、結婚して子育てに追われる毎日でも、どこかで女性らしさを保てるし、或る意味「女性を捨てたくない」と願う世の女性のシンボル的存在となる。熟女呼ばわりしたらお叱りを受けるだろう。美魔女という言葉が使われて久しいが、その言葉は彼女から生まれたと言って等しいくらいの美しさだ。

     記事作成:2月21日(土)

    2015年3月17日 (火)

    甲子園の怪物たち(打者編)

     「春はセンバツから」と言われる。今年も間もなく、甲子園球場に球音がこだまするのを待ち遠しく思うファンが大勢いるだろう。「高校野球」がまるで国技であるかのように盛り上がる日本では、甲子園は高校球児たちの憧れの地であり、夢の舞台でもある。そんな夢の場所で、これまで筋書きのない名ドラマが数多く誕生して来た。すでに春は86回、夏は96回開かれているが、そうした長い歴史の中で名場面を振り返る時、欠かせないがドラマの主人公である高校球児達。その中でも、ファンを熱狂させた名物スラッガー達だろう。今日は、球春間近かの時世にあって、大会を大いに盛り上げた怪物達を取り上げたい。
     なお、お断りしておきますが、私が実際にテレビ等で見て、印象に残った選手という条件で掲載したい。

     香川伸行

     彼は100キロを超す巨漢捕手で、その愛くるしい外見から「ドカベン」として高校野球ファンに愛された。浪商で牛島投手とバッテリーを組み、準優勝した。その体型だけでなく、実力もあった。当たれば飛ぶ、その飛距離は群を抜いていた。ほとんどがスタンド中段に飛び込んだ。高校通算41本で、甲子園では歴代4位タイの5本。内訳は3年次の春に2本、夏に3本打った。この3本は史上初の3試合連続ホームランだった。

     昨年、急死してしまった。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。合掌

     清原和博 

     彼は名実ともに歴代高校野球の中で最強打者だ。1年生からあのPL学園の4番を張り、 高校通算は64本と歴代13位だが、甲子園などの大舞台でには滅法強く、ダントツ1位の13本ものホームランを放った。もちろん当時はラッキーゾーンがあったが、彼の本塁打はほとんどがスタンドインという格の違いを見せつけた。ちなみに2位はPL学園のチームメイトだった桑田と大阪上宮高校の元木大介だ。つまり倍以上のホームランを残したことになる。内訳は1年夏1本、2年春が3本、夏が3本、3年春が1本、最後の夏でなんと5本放っている。

    「甲子園は清原のためにあるのか~!」

    https://www.youtube.com/watch?v=Vfmz7drlNrI

     元木大介

     ハンサムボーイとして、甲子園を沸かせた元木だが、実力も素晴らしかった。どうも巨人入団後のおちゃらけキャラやクセモノというイメージが強くなってしまったが、高校野球ではモテモテで、プロ注目の逸材だった。ポジションも遊撃手、しかも主将としてリーダーシップも発揮した。2年の春に1本、2年の春で3本、夏にも2本放った。彼の打球はライナー性で、突き刺さるように飛んだ。

     鈴木一朗(イチロー)

     彼は、甲子園でホームランこそ打っていない。地方大会では線が細い体型ながらも類まれな野球センスがあり、愛工大名電高では、投手で4番。俊足好打で光っていた。高校通算19本。

    https://www.youtube.com/watch?v=fOU_W1GjR94

     松井秀喜

     松井は超高校級スラッガーとして名を馳せた。3年次の最後の夏の大会では、バットを振らせてもらわず、記録が伸びなかったが、もしあの伝説となっている5打席連続敬遠がなければ、あと3~4本は上積みしていただろうと言われる。名門「星陵高校」で、4番を任され、サードで主将、しかも成績優秀で、誠実にして非の打ち所がないスラッガーだった。
     2年次の夏に1本、3年次の春が3本、計4本のホームランしか打っていないが、凄いのはその飛距離で、優にスタンドの中段に届く実力を持っていた。通算は16位の60本。

    https://www.youtube.com/watch?v=eNxt8XhLA1o

    https://www.youtube.com/watch?v=FVpgps2APIE

     5打席連続敬遠

    https://www.youtube.com/watch?v=bmDMmfc8hUA

    https://www.youtube.com/watch?v=cpAMjCSLT1A

     平田良介

     彼の1試合3本のスタンドインは語り草で、実は3打席目も、逆風をついて、フェンスの最上部に当たった2塁打だったため、実質は4打席連続ホームランだった。バットを担ぐような構えが印象的で、豪快なスイングは見るからに怪力。下半身の重心が低く、パワーでスタンドまで運んでいたという感じだが、ミートも上手かった。ボールの高さに応じて水平打法とアッパースイングを使い分けていた。高校通算70本塁打は歴代6位。

     中田 翔

     彼の体型は大柄で、肉付きが良すぎる。プロに入ると、焼き肉を食いすぎて、皆太ってしまう。彼はスラッガーに多いやんちゃ坊主風のO型だが、この型は太りやすい。江川、松坂、佐々木主浩、松井らも同型。高校通算は歴代2位の87本。甲子園では大阪桐蔭のスラッガーとして4本塁打を放ち、2度の優勝を勝ち取った。1年の夏1本、2年の夏1本、3年の夏では2本放ち、優勝に貢献した。

     以下、甲子園でホームランを3本以上放った選手を記載したい。

     6本 桑田真澄(PL学園)
     5本 鵜久森淳志(済美)
     4本 土肥梅之助(市岡中) 戦前
     4本 山下実(第一神港商) 戦前 
     4本 藤井進(宇部商)
     4本 内之倉隆志(鹿児島実業)
     4本 萩原誠(大阪桐蔭)
     4本 原島正光(日大三)
     4本 北條史也(光星学院)
     3本 福留孝介(PL学園)
     3本 筒香嘉智(横浜)
     3本 古木克明(豊田大谷)
     3本 吉岡雄二(帝京)

     ちなみに「高校通算ホームラン数ベスト5」はコチラ

     さて、こうした動画映像を見ていると、長距離ヒッター(主砲)は、その構えがまず違う。いかにも狙いすました印象。死角がなく、投手はどこに投げても打たれてしまう気持ちになる。やはりスラッガーなのだ。こうしたスターたちが、やがてプロに集まるのだから、NPBも花形スター達が腕を振るうに十分な舞台である。おそらくは、こうした強打者は、日本のプロ野球は実績を積むための通過点にしか思っていないはずだ。日米野球やWBCなどに日本代表として出場した選手は、一様にMLBで自分の実力を試したいと思うのも理解できる。

     今年巨人に入団した智辨学園の岡本和真選手は通算74号を放った。その模様は下。

     https://www.youtube.com/watch?v=PA_h90CN41w

     では、最後に、高校通算最多本塁打94本をマークした選手を紹介し、結びとしたい。

     

     記事作成:2月7日(土)

    追記(3月22日)

     今年も球音高らかに、春のセンバツ高校野球が始まった。敦賀気比高校の篠原主将の宣誓があまりにも涙を誘う名言だったために、ここで紹介し、記憶にも記録にも残したい。

     宣誓

     高校野球の全国大会が始まって100年。戦争による中断や震災など、いくつもの困難を乗り越えて、今、多くの皆さんに支えられ、大好きな野球ができることに感謝します。

     「グランドに チームメートの 笑顔あり 夢を追いかけ 命輝く」

     生まれ育ったふるさとで、移り住んだところで、それぞれの思いを抱きながら見てくださっている全国の皆さんに、生きていることを実感してもらえるよう、この甲子園で、自分らしく精いっぱいプレーすることを誓います。

     「 」の部分は正岡子規の短歌を引用。未だに避難生活を余儀なくされている被災者を励まし、犠牲になられた方々に鎮魂の念を表したもの。感動的であり、青春の清清しささえ感じ取ることが出来た。また今年もこの季節が訪れた、若い力が躍動する高校野球を存分に楽しみ、ありったけの声援を球児たちに送りたい。

    2015年3月14日 (土)

    2015年ぶらり旅② 相馬被災地応援ツアー

      同僚の熱心な誘いを受け、この日は安積町にある郡山観光バス内にある「孫の手トラベル」主催の「相馬被災地応援ツアー」に参加した。自宅までの送迎付きで、イチゴ狩りや美味しい昼食に舌鼓が打てることに加え、震災前まで釣りでさんざんお世話になった被災地・相馬のその後の現状を当ブログで紹介できるのではと考え、申し込んだのだった。年度末の仕事が多忙な時期ではあるが、一服の清涼剤にはうってつけだと思い、参加した。正直、震災前には20回以上訪れた相馬周辺の釣り場だったが、変わり果てた風景と対面するのが辛くて、なかなか勇気を踏み出せなかっただけに、ある意味、先輩同僚に感謝したい。

     では当日の模様をどうぞ。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     3月14日(土) くもり/吹雪/晴れ

     7:05 起床
     8:16 自宅発(予定より10分近く早く迎えに来る 黒塗りタクシー。同僚と他2名の自宅
         桃見台・深沢を廻り、計4名相乗り乗車)
     8:50 安積町「郡山観光交通」車庫着。中型バスに乗り換える。左側の3列目通路側。
          山口社長じきじきに挨拶。添乗は瀬谷さん。運転手は星さん。しおり有。

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     9:00 郡山観光交通車庫発 安積中前、R4バイパスへ。おしぼり&珈琲差し入れ。
          日和田に皆川自動車ガラスの看板。くもり空。雲行き怪しい。どんより。
     9:23 本宮へ。瀬谷さん、ガイド役でずっとしゃべりっ放し。この日のツアー客は全員で
          21名。うち、19名は私より年上の方々。65歳以上の高齢者の方々が多かっ
          た。
     9:34 二本松へ
     9:46 松川の「道の駅安達」の先からバイパス外れ右折。釣りのルートとまったく同じ。 
          県道39を走行。渓谷の橋の近辺に大きなアーチ橋工事。
     9:53 飯野町交流館のSL。C1260古く錆付いている。
    10:00 道の駅川俣 WC シャモが売り。パンフ。小雪舞う。
    10:14 道の駅川俣発。吹雪。川俣高校の下の道でパトライト点灯した白の覆面クラウン
         とすれ違う。飯舘町人気なし。避難してゴーストタウン状態。あちこちに除染した残
         土を溜める黒のビニール袋が並んでいたり、県道沿いに山積み。エスティマが軽
         に接近して煽る。

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    10:42 石ポロ坂トンネル。八木沢峠。吹雪状態。雨男振りを発揮。長い下り坂。
         雪止まず。畑や田んぼ、木々も雪化粧で冬に逆戻りの光景。
    10:55 峠を降りたらようやく雪が止む。空も明るくなる。野馬追い用の馬放牧。放射線
         値0.57m/svの表示。やはり郡山よりは断然高い。
    11:00 常磐道・南相馬IC 対面通行で時々片側2車線。70km/h規制。交通量はさほ
         ど多くない。晴れ間出てひと安心。バスはお喋りしていると早い。気分が楽チン。
         青空覘く。阿武隈山系とはまったく違う天気。意外と相馬ICまで距離ある。

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    11:12 相馬ICを出る。いつも釣りに行っていた国道115号へ。急勾配オーバーパス。
    11:17 相馬警察署交差点(R6)を直進。バイパスに乗る。津波はここで止まった模様。
          松川浦釣具屋、セブン、ローソンは無事。周辺は新しい建物ばかり。Y字交差点
          を右折。松川浦方面へ。5年ぶりの訪問。切ない。入り江が見え出す。

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    11:25 相馬松川浦着。カネヨ水産&たこ八の駐車場。2時間25分で到着。夜中の近道
         ルートより1時間は遅い。たこ八は人気で順番待ち有。2階の予約席へ。  
          写真撮っていて一番最後にテーブルへ。同僚と離れた席へ。派手な小柄なおば
         あちゃんと向かい合わせ。復興チャレンジまかない丼。タコの刺身、目ひかり天ぷ
         ら、漬物、いかなご、どんぶりは海老やマグロ、鮭、タコなどを細かく切り刻んだ
         通称「まかない丼」。あさりの味噌汁。ゆっくり食べても10分で平げた。

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    12:10 先に隣接の「カネヨ水産」(直売所)で水産物を物色。試食多数。毛がに生きてい
          て、喧嘩状態。何周も見て廻る。でも福島県産はあまりなし。熊本や鹿児島、アメ
          リカ産などばかり。復興支援にならない。三重県産のわさび岩海苔(佃煮)と相馬
          産のいかなご(小女子)大袋を購入。1,040円。派手なおばあちゃんが1万6千
          円分もまとめ買い。きっぷもいい。2万円出してお釣り貰っていた。 いつしか青
          空に。

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          変わりモノのガードレールを写メ。パンダ、キリン、ナース。笑える。かさ上げ工
                事中。井島さんという地元の語り部の女性が予定より早く乗り込む。隣りの家の
                お母さんにそっくり。声もしゃべり方まで酷似。語り部ガイドの被災地の車窓視
                察。

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    12:42 たこ八発。戻るように進み、火力方面へ。周辺、広大な荒野状態。見通し良すぎ
         る。かつてはこの辺は家屋があったのに、何もない。「福島復興応援隊」のスタッフ
         は70名て、9割は県外の人がボランティアでやっている。小高区在住で、浪江町
              の旅行会社に勤務していた方で、旧相馬女子高卒。ローソンが新しく改装してあ
         る。このPでよく釣りの師匠と待ち合わせした。大津波襲来により、ここに大型漁船
         が流れ着いたとのこと。中村二中前通過。ここの体育館が震災時に避難所になっ
         ていた。語り部ガイドさんの母校が廃校となった旧相馬女子高校だが、その体育
         館が遺体安置所になっていた。そこでの体験が一番きつかったそうだ。
         家族の遺体にすがりつきながら大声で泣き叫ぶ姿を見るのが辛かった。遺体の泥
         を落としたりもしたそうだ。R272へ。やはりバイパスが堤防がわりとなり、市街地
         までは津波が到達しなかった。東地区工業団地。光陽サッカー場左折。楽天が寄
         贈したこどもドームもあり、おなじみのあのロゴが迎えてくれているようだった。

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    12:58 相馬共同火力発電所新地着。コンベンションホールへ。こどもの遊べるフロア。
               パワーポイント&プロジェクターで説明を受ける。題は「東日本大震災時の相馬市
         の対応」。YouTubeで有名な津波の映像を2つ見る。松川漁港と大橋の映像。
         36時間相馬に滞在すると0.005ミリsv=5.0マイクロsv/h。時計台の下の部分(高さ
         約5m)まで津波が到達したと教えられた。ひとたまりも無い高さだ。

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    13:33 火力発。5号埠頭~沖堤防の北東側の先端にあった白灯台は確認できた。でも
         堤防自体は途中で途切れている様子。どこも護岸工事だらけ。廃棄物を焼却す
         る処理工場3箇所新設。ガイドさんの話では隣接市長同士の仲が悪く、相馬市民
         の瓦礫しか焼却できないらしい。小高在住のガイドさんにはメリット無し。震災で困
         った時は助け合うという発想が無いことを嘆いていた。井戸川町長もそうだった
         が、どうも自らの権利(利権)ばかり主張して、義務を果たそうとしない首長が相双
         地区には多いらしい。原釜地区を素通り。周辺は何もない。まったくの野原と化し
         ていた。そこにあった「つりエサかめちゃん」の店舗はもちろん、住宅の家屋もな
         し。食堂は再建されてぽつんと建っていた。スーパーマーケットもパチンコ屋も無く
         なっている。そしてバスは松川漁港方面へ。松川浦大橋の手前のS字カーブでバ
         スは停車。

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    13:37 相馬伝承鎮魂祈念館着。本当は4月1日開館なのだが、特別に開けてもらった
         ようだ。
         磯部地区で亡くなった251名の名前が刻まれた木製パネルの前で合掌。ゆりの
         花が捧げられていた。とても写真を撮る心境にはなれなかった。その隣りのホー
         ルには震災の状況を伝える資料。パネル。震災前と後の比較。受取人のいない
         泥だらけの個人のスナップ写真アルバム展示。大型スクリーンで津波の映像。
         外の御影石の慰霊碑には献花多数。そこで相馬消防団の立谷さん?の語り部の
         話を聞く。南防波堤、灯台型トイレ、釣り公園のトイレは無事。強風の中、津波と
         捜索の模様を聞く。原釜区と磯辺地区は多数の死者。やはり逃げなくて津波に飲
         み込まれて亡くなった方が大多数。慰霊碑の前ではさすがに写真は自重した。
          私は以前から、あの未曾有の大きな長い揺れに見舞われたのに、海の近くに
         住んでいるにもかかわらず、なぜ逃げなかったか疑問だった。油断なのか。それ
         ともお年寄りは逃げるための手段(足)がなかったのか。寝たきりで山まで逃げる
         体力がなかったのか。地震発生から大津波襲来まで1時間あったのに。それとも
         地震で倒れた家財道具などを復元していたのか。しかし、話を聞けば、原因はや
         はり危機意識の欠如で、ぎりぎりまで避難せず、逃げ遅れた方が犠牲になったと
         いうことだ。津波に巻き込まれた方で、助かった人はほとんどいなかった模様。デ
         イサービスの車の中で発見された人もいたようだ。強風寒い。3輪バギー爆音。
         トラック往来激しい。祖母そっくりのツアー客に驚く。たぶんB型。同じ話を何度も
         繰り返し聞く。立谷さんに「釣りエサかめちゃん」の消息を聞くと、店の人は逃げて
         無事だったようだが、建物はすべて流されて無くなったとのこと。釣り船で沖堤防
         に渡船してもらったのに、残念。出航までの待ち時間中、珈琲をご馳走になった
         想い出とか走馬灯のように脳裏に浮かんだ。
          あの日、沖堤防に渡って釣りをしていた人たちは無事だったのか?船着場には
         戻れないだろうから、そのまま沖へ出て、迫り来る大波を乗り切ったのだろうか?
          もし、私が沖の堤防で実釣中だったら、パニックになっていたかもしれない。すぐ
         に迎えに来て、全員を船に拾っていたら間に合わなかっただろう。余計な心配をし
         てしまう。

         バスに乗車する前、原釜海水浴場の見張り展望台と砂浜方面を写メ。

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    14:10 相馬伝承鎮魂館発。原釜海水浴場の前を通過。カレイやヒラメ、シロギスのメッ
         カだった砂浜も、心なしか砂浜のエリアが狭まった印象。津波の影響は必至。カ
         ニを象ったトイレも破壊されて虚しく佇んでいた。漁港を周遊。だいぶ復元、新し
         い建物が新築されているが、交差点周辺は何も無し。漁港にアル3階建てのビル
         の貯水タンク部分まで波が押し寄せたようだ。
         松川浦大橋はダンプトラックのみ通行可能。こちらも渡船でお世話になった「賀都
         屋」の黄色いビルが見えた。未だに沖防波堤への渡船は再開されていない。

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          かつて「かめちゃん」があった道路へ。本当に何もない。食堂が一軒再建された
              だけ。
          市街地方面へ。ガイドの井島さん、息子さんたちが散りじりになった状況を思い
              出し、感極まってむせび泣き。Y字路から松川浦の釣りエサ屋を突っ切りしばらく
         行ってから左折。中型バスの前方を「いちご狩り屋」の車が先導。復興住宅の家並
         みを周回。どこも新しく綺麗な家屋で、同じ造りだ。立派だが、これでも漁師だった
         方々には狭いと不評らしい。贅沢な・・・。田舎道の坂を進んだ先に並び建つ「いち
         ご狩り」のビニールハウス群へ。

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    14:27 和田観光いちご園に到着。いちごは放射線地を警戒し、耕土ではなく、腰の高さ
         の棚で栽培。残念ながらお土産用のいちごパックは午前中で売り切れ。販売所の
         プレハブの建物の入り口のドアの上の部分に青いラインが引かれていた。この高
         さまで津波が到達。背丈より断然高い。ビニールハウスは10以上点在&並列。
         同僚と離れ、真っ先にいちご食べ放題の5番ハウスへ。3番目に入場。指示され
         た長さ50mほどの2列の棚台のみ。ミルクパックを持ってトライ。とちおとめ。でか
         くて完熟。めちゃ甘いし大きな粒。へたをとりながら手当たり次第に食い荒らす。
         14:32~14:47の15分でなんと50粒以上も食べまくる。お年寄りは12粒。ミ
         ルク追加。往復して列を変えながら、どんどん口に入れる。満腹。15分残して食
         べきれず。左手真っ赤。個人で来たら、今の時期は1,400円(時間無制限)らし
         い。お土産買えず、ツアー客不満噴出。ビタミンCどれだけ補給するか!腹痛必
         至。これだから貧乏性は困る。はしたない。ここでは強風が収まる。

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    14:58 和田観光いちご園発。ここでガイドの井島さんとはお別れ。この辺までも津波で
         水浸し。海側は何もない。車や船など多くが流れ着いた。平原状態。大洲方面ま
         で何もない。工事のクレーンのみ。畑や田んぼも何も作物出来ない。
         右折してバイパス潜り、ダイナムの前通過。まるまつ&相馬警察署の交差点を左
         折して国道6号線へ。途中、百尺観音の標識あるが、街道沿いからは見えず。

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    15:13 「道の駅相馬」着。トイレ休憩。15時45分まで長い。トイレに駆け込む。いちご
         のせいで腹痛。隣りの建物で血圧測定。1回目147-87。高すぎ!深呼吸して2
         回目は130-80。右腕は高く出る。土産屋見物。何も買わず。ふたたび隣りへ。
         山元町の小学校の15時20分で止まったままの時計やへこんだ机、橋げたのつ
         なぎ部分、折れ曲がった標識など展示。もう一度トイレ(洋式)に入って出す。スタ
         ンプを押す。

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    15:42 道の駅・相馬発。国道6号線を南下する予定が、混む時間帯に差し掛かるため
         に来た道を逆戻り。西日眩しい。珈琲いただく。
    15:55 相馬ICから常磐道高速へ。上り(原発)方面はガラガラ。ひと駅間が遠い。
    16:06 南相馬IC出る。ETC故障?長い列。八木沢方面へ。西日に向かって進む。
          対向車1台来ると、その後3~4台連なる。先頭車両がペース作れず。
          ずっと上り坂。途中の登坂車線で抜かれる。眠い。
    16:23 ポロ坂トンネル。
    16:28 飯舘町内。白い建物の駐車場にパトライト屋根に乗せたままの覆面(白クラウ
         ン)が駐車。おそらくは無人町内の空き巣狙い対策の防犯パトロール?7℃の表
         示。道路沿いひと気無し。JENKA庄司酒店、何と朝の6時半~21時半までの営
         業。
    16:33 臼井小学校無人。直射日光眩しい。
    16:44 川俣高校下。ハンドルがパイプで高すぎる改造バイクと遭遇。3737。
    16:53 道の駅・川俣着。ここも休憩長い。ゴミ捨て。テーブルで渡されたアンケート記
         入。朝はあったスープポット無し。旅行企画プランを6つ考え、アンケートに要望。
         「福島県3大名城桜めぐりツアー(霞が城・鶴ヶ城・小峰城)」、「伊達政宗足跡を追
         うツアー(小浜上・小手森城・人取橋)」、「松尾芭蕉足跡ツアー(須賀川・安積山・
         文知摺観音・医王子・飯坂温泉)」、「工場夜景(小名浜製錬)」、「東根さくらんぼ
         狩りと長井・鈴木酒店壽試飲&応援ツアー」など。採用してくれれば面白い。
          連れの同僚は隣接の直売所で400円で林檎を購入。自販機で缶コーヒーを2
         本買って、差し入れ。260円。スタンプ押す。ツアー目印の赤いリボンとアンケート
         を提出。

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    17:20 道の駅川俣発。県道12→県道39へ。瀬谷さん、孫の手ツアーの宣伝。7月1日
         の野馬追い御神旗争奪戦のツアーはすぐに満員締め切り。工事中のアーチ橋。
         途中西日で眠くなるが、何とか堪える。
    17:38 松川でR4バイパスへ合流。長い車列。安達が原の合流地点まではノロノロ。
    17:44 渋滞にはまる。宮脇書店閉店し、真っ暗。枡記念病院から先はずっとノンストッ
         プ。赤信号も何回か突っ込む。

    18:12 本宮。真っ暗に。渋滞は左のレーンで、右はスイスイ。信号ノンストップ。RFCの
         大和田新さんが今年で定年退職で、もしかして郡山観光交通にアドバイザー入
         社?八山田周辺自宅を目の前にして通過。ここで降ろして欲しかった・・・。安積
         町までノンストップ。2℃の表示。
    18:32 郡山観光車庫。タクシー、私たちが乗る4号車のみ来ていない。古いロッカーが
         並ぶ乗務員待合室で休憩しながらタクシーを待つ。 

    18:45 郡山観光駐車場発。朝と同じ黒塗りタクシー。朝と逆で、深沢、桃見台と経由。
    19:12 自宅近くで下車。徒歩で帰宅。誰もいない。 

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    <出費>

     参加費 11,000円+108円(振り込み手数料)

     土産代: 1,040円 (三重県産わさび岩海苔440円、相馬海の幸小女子600円)

     その他: 260円(缶コーヒー2本)

     合計: 12,408円    写真撮影枚数 105枚。

     <感想>

     私が最後に相馬を訪れたのは、震災前の2010年9月11日だった。したがって今日は実に4年半ぶりの再訪ということになる。私が過去16回も実釣した相馬周辺のフィールド。あの大津波で大打撃を受けて以来、釣り場を直視するのが辛く、再訪を躊躇って来た場所だ。大物カレイを釣り上げた市場東側の堤防、沖堤防、そして釣り公園、南防波堤などが変わり果てた姿をさらしているのを見たくはなかったのだ。しかし、今、だいぶ復旧が進み、釣り場の再興を祈願し、津波で犠牲になった方々へ鎮魂の意図もあり、更には地元の復興への支援の一助になればと考え、縁遠かった場所を訪れる決心をした。

     総じて、やはり今回の旅行は勉強になった。まず、飯舘。ここは避難地域で、人気の無い町と化していた。国道や県道沿いには黒いビニール袋に包まれた汚染土が山積み状態。これをどこに持って行き、どう処理するのか。4年前に起きた悲劇を再認識でき、改めて風化させてはいけないと感じた。原発再稼動などもってのほかだ。活断層や地震が多い日本において、同じ事故が繰り返される確率は決して低くは無い。
     また、語り部の方々の話を直に聞けたのは当時の記憶や出来事を呼び覚ますのに重要だった。どうしてこれほど多くの犠牲者が出たのか、その真実の理由が判明した。やはり「どうせ津波なんて来ないだろう」という油断や過信があって、逃げ遅れた結果、巻き込まれて命を落としていたのだ。災害はいつ何時やって来るのかわからない。「災害は忘れた頃にやって来る」という教訓を私たちに教えてくれた。我が福島県は原発事故の影響が深刻で、未だに帰宅困難者が大勢いる。復興は道半ばだが、私たち被災者が、こうして福島県の現状を報告する事こそが、風評被害を食い止める手段にもなるし、あるいは放射能への誤った見識を払拭する上でも意味のあった旅だったと思う。

     最後に、再び相馬で釣りができることを夢見つつ、さらには改めて震災や津波、原発被害で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、この旅行記を閉じたい。合掌。

     記事作成:3月14日(土)

    2015年3月13日 (金)

    歴史を変えた戦後の出来事(日本人目線)

     かつて、NHKの松平定知の名司会で放送していた「その時、歴史が動いた」。教科書では知りえない裏話や、新たな歴史的発見によって、諸説が覆されたり、日本史の分野も奥が深いことを世間に知らしめた。世界史となるとその範囲は広大で、世界から見た日本となると、その世界観は狭められてしまう。私たち日本人は、島国に暮らし、長らく鎖国などで外国との文化交流を断たれてきた経緯もあって、なかなか世界に目も向けられない状況があった。
     近年は、「国際化」の旗印のもと、異文化交流が盛んで外国の情報が容易に入手できるし、外国製品も入手することが簡単になった。私たち日本人も、戦後、先人たちのたゆまぬ努力によって、復権し、国際社会の一員として、名誉ある地位を取得するに至った。世界中から飛び込んでくる様々なニュースに一喜一憂している。
     そうした歴史的な背景に肖って、今日は、「その時歴史が変わった」と題し、世紀の一瞬とも言うべき「戦後の歴史的変化」を日本人目線で取り上げたい。戦争終結の1945年から今年で70年。この記念すべき年に、何か記念に残せる話題ということで考えてみた。どうせだから、私の個人的偏見で、衝撃度が高い出来事をランキング形式でお送りしたいと思う。

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     第1位 東日本大震災発生&原発事故(2011年3月)

     第2位 アポロ11号月面着陸(1969年7月)

     第3位 アメリカ同時多発テロ(2001年9月)

     第4位 JFK暗殺(1963年11月)

     第5位 ソ連崩壊&独立国家共同体へ分割(1991年12月)

     第6位 あさま山荘事件(連合赤軍)(1972年2月)

     第7位 ザ・ビートルズの登場と来日(空前のGSブーム)(1966年6月)

     第8位 王貞治756号(1977年9月)・・・ハンクアーロンの755号を抜く世界新。

     第9位 黒人初のアメリカ大統領誕生(バラク・オバマ)(2009年1月)

    第10位 昭和天皇が崩御(1989年1月)

    第11位 ベトナム戦争終結(反戦運動)(1975年4月)

    第12位 ジョン・レノンがニューヨーク自宅前で殺害される(1980年12月)

    第13位 JAL123便墜落事故(1985年8月)520名死亡、生存者4名

    第14位 日米安全保障条約(安保闘争)1959年~1960年、1970年 

    第15位 東西ドイツ統一(ベルリンの壁崩壊)(1989年11月)

    第16位 3億円事件(1968年12月)・・・時効で迷宮入り

    第17位 野茂英雄、メジャーへの扉を開く(1995年2月)

    第18位 湾岸戦争勃発(1991年1月)・・イラク戦争へ

    第19位 山口百恵引退(1980年10月)・・・俳優・三浦友和と結婚

    第20位 ビキニ環礁水爆実験で第五福竜丸が被爆(1954年3月)

    第21位 オウム真理教事件(1989年11月~1995年3月)

    第22位 長嶋茂雄、現役引退(1974年10月)ひとつの時代が終焉した。V9の立役者。

    第23位 チャレンジャー号爆発事故(1986年)

    第24位 マハトマ・ガンジー暗殺(1948年1月)

    第25位 東京オリンピック開催&再開催決定(1964年・2020年)東洋の魔女・円谷

    第26位 オクラホマシティ連邦ビル爆破事件(1995年4月)

    第27位 マイケルジャクソン急死(2009年6月)

    第28位 ロッキード事件で田中角栄首相逮捕(1976年7月)

    第29位 阪神淡路大震災(1995年1月)

    第30位 キャンディーズ解散(1978年4月)

    第31位 マザー・テレサ死去(1997年9月)

    第32位 キング牧師の名演説と暗殺(1963年8月/1968年4月) 

    第33位 高橋尚子、シドニー五輪で女子陸上界初のマラソン金メダル(2000年9月)

    第35位 イチロー、メジャーリーグで数多くの金字塔(2001年~)

    第36位 三島由紀夫、自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺(1970年11月)

    第37位 日本人人質2名がイスラム国のテロリストに殺害(2015年1月)

    第38位 双葉山69連勝(1936年1月~1939年1月)

    第39位 ダイアナ元皇太子妃の事故死(1997年8月)

    第40位 尾崎豊の登場と衝撃の死(1983年~1992年4月)

    第41位 「We Are The World」発売(1985年) 有名アーティストが夢の共演

    第42位 北朝鮮による日本人拉致事件発覚(1970年代~)

    第43位 映画「ゴジラ」誕生(1954年)特撮技術の黎明期 円谷英二

    第44位 毛沢東死去(1976年9月)文化大革命・天安門事件

    第45位 フセイン大統領処刑(2006年12月)

    第46位 金日成総書記死去(1994年7月)

    第47位 朴正煕韓国大統領暗殺(1979年10月)

    第48位 チェルノブイリ原発爆発事故(1986年)

    第49位 三原山噴火、全島避難(1986年)

    第50位 金正日総書記死去(2011年12月)

     さて、いかがでしたか。本当は30位までを記事にする予定が、あれもこれも加えているうちに、これほどの大作になってしまった。世界を震撼させた出来事が数多くランキングしましたが、これらはすべて私の私見、つまり個人的見解による順位付けです。他意はありません。
     しかしながら、こうして一覧にしてみると、人の生死にかかわる重大な歴史の転換期が数多く勃発した。えてしてそれらは、膨大な歴史の中では一通過点に過ぎないが、明らかにひとつの時代の終焉を意味したり、あるいは新たな歴史の一ページを刻む快挙的な出来事であるかもしれない。
     おそらくは「イスラム国」の一連のテロ行為も、いずれこの中の上位に入ってもおかしくない。中国の動向や朝鮮半島の情勢もまた注視しなければならない懸案事項になるだろう。私個人は、東京オリンピックが開催される2020年までが激動の時代と位置づけている。それに向かって、世界中がさまざまな紛争や戦争行為が後を絶たない気がしている。破滅の道を進むか、地上の楽園となるかは、各国首脳の判断にかかってくる。
     このような時代の反省に立ち、同じ過ちを繰り返さないようにしていただきたいものだ。

     記事作成:2月12日(木)~13日(金)

    2015年3月11日 (水)

    震災の記憶(4周年)

     今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸4年が経過し、5年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸4年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

     平成23年3月11日(月)午後2時46分

     その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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    左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

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    間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。

                         ↓
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    この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

                         ↓

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    車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

     そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

     動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

     ① ラジオ福島(2分41秒から)

     スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

     ② 郡山市内の店舗のカメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

    http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

    http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

    http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

     ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

    http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

     ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

    http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

     ⑤ FTVの社内カメラ

    http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

     ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

    http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

     ⑦ うすい百貨店周辺

    http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

    http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

     ⑧ 郡山駅

    http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

    http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

     ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

    http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

     ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

    http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

    http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

     ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

    http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

    http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

    http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

     「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

     「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

     「1000年後に残したい映像」

    http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

     今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

     最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

     <普天間かおり 「Smile Again」

      ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

               がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

     

      福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

     また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

     記事作成:平成27年2月8日(月)

     

     

    2015年3月10日 (火)

    福島県の発電所事情

     まもなく震災4周年を迎える。福島第一原子力発電所の爆発事故により、未だにその爪痕が大きい福島県。大熊、双葉、浪江、富岡町民を中心に、数多くの方々が避難生活を送っているのも事実。仕事を追われ、学校も転校し、知らない土地で新しい人間関係を始めなければならない困難。あの事故は福島県の浜通りの方々の人生を狂わせたと言える。しかもそれは東京を始めとする関東地方への電力供給施設であり、福島県民には何の恩恵も無い。給付金を受け取るツケはあまりにも大きかった。

     それでは、一体、福島県の電力事情はどうなっているのか調べてみた。震災前は、福島県に発電所は180箇所あった。以下の通りだが、ついでに発電能力も掲載したい。

    原子力   福島第一原子力発電所<廃炉>    東京電力株式会社   4694     1 

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

    火力 広野火力発電所<1,2,3,4,5,6> 東京電力株式会社 4400 2
    原子力 福島第二原子力発電所<1,2,3,4> 東京電力株式会社 4400 3
    火力 原町火力発電所<1,2> 東北電力株式会社 2000 4
    火力 新地発電所<1,2> 相馬共同火力発電株式会社 2000 5
    火力(バイオマス) 勿来発電所<6,7,8,9,10> 常磐共同火力株式会社 1875 6
    揚水 下郷発電所<1,2,3,4> 電源開発株式会社 1000 7
    水力 奥只見発電所 電源開発株式会社 560 8
    揚水 第二沼沢発電所<1,2> 東北電力株式会社 460 9
    水力 田子倉発電所 電源開発株式会社 400 10
    水力 大鳥発電所 電源開発株式会社 182 11
    水力 秋元発電所 東京電力株式会社 107.5 12
    水力 宮下発電所 東北電力株式会社 94 13
    水力 滝発電所 電源開発株式会社 92 14
    水力 本名発電所 東北電力株式会社 78 15
    水力 柳津発電所 東北電力株式会社 75 16
    風力 郡山布引高原風力発電所<33> 株式会社ジェイウインド 65.98 17
    水力 只見発電所 電源開発株式会社 65 18
    地熱 柳津西山地熱発電所 東北電力株式会社 65 19
    水力 上田発電所 東北電力株式会社 63.9 20
    水力 猪苗代第一発電所 東京電力株式会社 63.4 21
    水力 片門発電所 東北電力株式会社 57 22
    水力 上野尻発電所 東北電力株式会社 52 23
    水力 新郷発電所 東北電力株式会社 51.6 24
    火力 サミット小名浜エスパワー小名浜発電所 サミット小名浜エスパワー株式会社 50 25
    風力 滝根小白井ウィンドファーム<23> 株式会社ユーラスエナジー滝根小白井 46 26
    水力 山郷発電所 東北電力株式会社 45.9 27
    火力(バイオマス) いわき大王製紙株式会社火力発電所<3,4> いわき大王製紙株式会社 41.093 28
    水力 第二新郷発電所 東北電力株式会社 38.8 29
    水力 蓬莱発電所 東北電力株式会社 38.5 30
    水力 大津岐発電所 電源開発株式会社 38 31
    水力 猪苗代第二発電所 東京電力株式会社 37.5 32
    水力 猪苗代第四発電所 東京電力株式会社 37.1 33
    水力 小野川発電所 東京電力株式会社 34.2 34
    風力 桧山高原風力発電所<14> 株式会社ジェイウインド 28 35
    火力(バイオマス) 勿来工場発電所 日本製紙株式会社 26.5 36
    水力 猪苗代第三発電所 東京電力株式会社 23.2 37
    水力 第二山郷発電所 東北電力株式会社 22.9 38
    水力 大川発電所 東北電力株式会社 21 39
    水力 黒谷発電所 電源開発株式会社 19.6 40
    水力 伊南川発電所 東北電力株式会社 19.4 41
    水力 沼ノ倉発電所 東京電力株式会社 18.9 42
    水力 木戸川第二発電所 東北電力株式会社 14.3 43
    水力 第二上野尻発電所 東北電力株式会社 13.5 44
    太陽光 「小名浜太陽光プロジェクト」日本化成株式会社小名浜工場<1,2> 小名浜ソーラー合同会社 12.2 45
    火力(バイオマス) 大信発電所 株式会社白河ウッドパワー 11.5 46
    水力 大笹生発電所 東北電力株式会社 11.4 47
    水力 日橋川発電所 東京電力株式会社 10.6 48
    水力 石神発電所 東北電力株式会社 8.7 49
    水力 湯野上発電所 昭和電工株式会社 7.2 50
    水力 鶴沼川発電所 東北電力株式会社 7.1 51
    水力 金川発電所 東京電力株式会社 6.5 52
    太陽光 LIXIL須賀川SOLAR POWER 株式会社LIXIL 6.35 53
    太陽光 小名浜・泉ソーラー<1,2> 小名浜・泉ソーラー合同会社 6.2 54
    水力 信夫発電所 東北電力株式会社 5.95 55
    水力 丸守発電所 東京電力株式会社 5.9 56
    水力 高瀬川発電所 東北電力株式会社 5.8 57
    火力(バイオマス) 新あらかわクリーンセンター 福島市 5.1 58
    火力(バイオマス) 河東発電所 株式会社グリーン発電会津 5 59
    水力 柿の沢発電所 JX日鉱日石金属株式会社 4.8 60
    太陽光 福島県いわき市メガソーラー事業 林サッシ工業株式会社 4.6 61
    水力 四時川第一発電所 東北電力株式会社 4 62
    水力 夏井川第一発電所 東北電力株式会社 4 63
    水力 竹ノ内発電所 東京電力株式会社 3.7 64
    火力(バイオマス) 南部清掃センター発電所 福島県いわき市 3.5 65
    水力 夏井川第二発電所 東北電力株式会社 3.5 66
    水力 小谷発電所 東星興業株式会社 3.3 67
    水力 荒川発電所 東北電力株式会社 3.1 68
    風力 天栄風力発電所<4> 福島県天栄村 3 69
    水力 摺上川発電所 東北電力株式会社 3 70
    水力 小玉川第二発電所 東北電力株式会社 2.92 71
    太陽光 郡山ソーラー発電所 日本太陽光発電2013合同会社 2.809 72
    水力 奥只見維持流量発電所 電源開発株式会社 2.8 73
    水力 小玉川第一発電所 東北電力株式会社 2.8 74
    水力 鮫川発電所 東北電力株式会社 2.6 75
    水力 木戸川第一発電所 東北電力株式会社 2.57 76
    水力 古道川発電所 東北電力株式会社 2.49 77
    水力 小川発電所 東北電力株式会社 2.4 78
    水力 土湯発電所 東北電力株式会社 2.38 79
    水力 安積疏水管理用発電所 安積疏水土地改良区 2.23 80
    太陽光 いわき発電所 三峰川電力株式会社 2.2 81
    太陽光 福島矢吹メガソーラー発電所 福島矢吹環境発電株式会社 2.196 82
    水力 本郷発電所 東星興業株式会社 2.1 83
    水力 沼上発電所 東京電力株式会社 2.1 84
    水力 戸の口堰第一発電所 東京電力株式会社 2.08 85
    太陽光 エネルギーパーク泉崎 森トラスト株式会社 2 86
    太陽光 テンワスソーラー浅川発電所 テンワスエネルギー株式会社 2 87
    太陽光 メガソーラー那須白河 リゾートトラスト株式会社 2 88
    太陽光 岩通泉崎メガソーラー発電所 岩崎通信機株式会社 2 89
    風力 浮体式洋上風力発電設備「ふくしま未来」 福島洋上風力コンソーシアム 2 90
    太陽光 相馬第一発電所 株式会社トーヨーエネルギーファーム 2 91
    太陽光 福島太陽光発電所 伯東株式会社 2 92
    太陽光 相馬太陽光発電所 ニューパワー相馬合同会社 1.998 93
    太陽光 ソーラーパーク吉野相馬発電所 吉野石膏株式会社 1.996 94
    太陽光 ソーラーパークならはI 株式会社エイブル 1.99 95
    太陽光 岩瀬牧場岩瀬第二牧場 福島ソーラーパワー株式会社 1.99 96
    太陽光 白河太陽光発電所 エルナーエナジー株式会社 1.99 97
    太陽光 福島県塙町発電所 株式会社レオ・ソーラー 1.99 98
    火力(バイオマス) 富久山クリーンセンター 郡山市 1.95 99
    水力 穴原発電所 東北電力株式会社 1.85 100
    太陽光 南相馬太陽光発電所 加藤道路株式会社 1.84485 101
    水力 夏井川第三発電所 東北電力株式会社 1.8 102
    水力 日中発電所 東星興業株式会社 1.7 103
    太陽光 福島太陽光発電所 グンゼ株式会社 1.675 104
    太陽光 スーパーセンターPLANT-5大玉店 オリックス株式会社 1.657 105
    太陽光 福島工場 奥地建産株式会社 1.6 106
    水力 高柴ダム発電所 福島県土木部 1.6 107
    太陽光 伊達メガソーラー 日本重化学工業株式会社 1.59 108
    太陽光 福島矢吹工場太陽光発電設備 レンゴー株式会社 1.535 109
    太陽光 わんだメガソーラー発電所 矢田工業株式会社 1.5 110
    太陽光 三春物流センター 東日運送株式会社 1.5 111
    水力 庭坂発電所 東星興業株式会社 1.5 112
    太陽光 郡山工場太陽光発電所 京セラケミカル株式会社 1.5 113
    太陽光 ふぁーむ・デル・ソーレ 有限会社アサカサービスセンター 1.494 114
    水力 川前発電所 東北電力株式会社 1.4 115
    水力 戸の口堰第三発電所 東京電力株式会社 1.4 116
    太陽光 小名浜発電所 出光興産株式会社 1.32 117
    太陽光 DREAM Solar福島二本松 大和リース株式会社 1.2516 118
    太陽光 Nツアーソーラープラントいずみざき発電所 株式会社農協観光 1.238 119
    水力 四時川第二発電所 東北電力株式会社 1.23 120
    太陽光 福島空港メガソーラー<北,南,ソーラーパーク> 福島発電株式会社 1.2 121
    太陽光 福島県白河市プロジェクト 株式会社ウエストホールディングス 1.187 122
    水力 摺上川ダム管理用発電所 国土交通省東北地方整備局 1.14 123
    太陽光 ソーラーパーク郡山安積 株式会社Looop 1.128 124
    太陽光 IHI相馬事業所 株式会社IHI 1.1 125
    太陽光 保原日の出太陽光発電所 株式会社ユアソーラー保原 1.1 126
    水力 小瀬川発電所 東北電力株式会社 1.1 127
    水力 新宮川ダム発電所 農林水産省東北農政局 1.1 128
    水力 真野発電所 東星興業株式会社 1.1 129
    水力 三春ダム発電所 国土交通省東北地方整備局 1.05 130
    太陽光 ソーラーエナジー・いわき太陽光発電所 株式会社ソーラーエナジー・いわき 1.014 131
    太陽光 太陽のめぐみ 福島県・本宮市発電所 中部自動車販売株式会社 1.00156 132
    太陽光 いわきメガソーラー発電所 JX日鉱日石エネルギー株式会社 1 133
    太陽光 いわきユアサ太陽光発電所 株式会社いわきユアサ 1 134
    太陽光 原町太陽光発電所 東北電力株式会社 1 135
    水力 大利第一発電所 東北電力株式会社 1 136
    水力 奥川第一発電所 東北電力株式会社 1 137
    太陽光 富士通セミコンダクター会津若松工場 富士グリーンパワー株式会社 1 138
    水力 木戸川第三発電所 東北電力株式会社 1 139
    火力(バイオマス) 河内クリーンセンター 郡山市 1 140
    太陽光 雄国発電所 会津電力株式会社 1 141
    水力 真船発電所 東北電力株式会社 0.999 142
    太陽光 ナガホリ・ソマ ソーラー発電所 ソマ株式会社 0.995 143
    太陽光 太陽光発電所 有限会社とまとランドいわき 0.9705 144
    水力 滝野発電所 東北電力株式会社 0.9 145
    太陽光 FSG安積発電所 学校法人新潟総合学院FSGカレッジリーグ 0.87 146
    水力 戸の口堰第二発電所 東京電力株式会社 0.85 147
    水力 宮川発電所 東北電力株式会社 0.82 148
    火力(バイオマス) あぶくまクリーンセンター 福島市 0.8 149
    水力 川上発電所 東北電力株式会社 0.8 150
    太陽光 相馬事業所 オリエンタルモーター株式会社 0.75 151
    水力 東山ダム発電所 会津若松市 0.7 152
    水力 鹿又川発電所 東北電力株式会社 0.68 153
    太陽光 JOTソーラーステーション郡山 日本石油輸送株式会社 0.591 154
    水力 大平沼発電所 会津北部土地改良区 0.57 155
    水力 塩田発電所 東北電力株式会社 0.56 156
    水力 奥川第二発電所 東北電力株式会社 0.56 157
    水力 内川発電所 東北電力株式会社 0.53 158
    水力 雨谷発電所 東北電力株式会社 0.52 159
    太陽光 南相馬ソーラー・アグリパーク 福島復興ソーラー株式会社 0.5 160
    水力 昼曽根発電所 東北電力株式会社 0.5 161
    風力 羽鳥平和郷風力発電所<2> 平和観光開発株式会社 0.45 162
    水力 滝谷川発電所 東北電力株式会社 0.445 163
    水力 沢上発電所 東北電力株式会社 0.34 164
    水力 移川発電所 東北電力株式会社 0.33 165
    風力 福島再生可能エネルギー研究所 独立行政法人産業技術総合研究所 0.325 166
    水力 大利第二発電所 東北電力株式会社 0.316 167
    太陽光 いわき市都市計画課計画係 いわき市 0.31 168
    水力 東山発電所 東北電力株式会社 0.28 169
    風力 中山峠風力発電設備 国土交通省東北地方整備局 0.25 170
    水力 前田川発電所 東北電力株式会社 0.25 171
    水力 飯野発電所 東北電力株式会社 0.23 172
    水力 青石発電所 東北電力株式会社 0.2 173
    水力 仏台発電所 東北電力株式会社 0.15 174
    火力(バイオマス) 田村西部環境センター 田村広域行政組合 0.1 175
    太陽光 中央台公民館 いわき市 0.06 176
    水力 檜枝岐発電所 東北電力株式会社 0.06 177
    太陽光 株式会社ひまわり 株式会社ひまわり 0.05 178
    太陽光 泉電設株式会社 泉電設株式会社 0.05 179
    風力 いわき市フラワーセンター風力発電設備 いわき市 0.04 180

        福島県の発電所の総発電出力・・・・・  23,809.5MW(180箇所)
        日本全国の発電所の総発電出力・・・ 278,966.8MW(5,269箇所) 

     この記事をまとめてみて驚いた。我が福島県には180もの発電所が点在していたという事実。しかも総発電数でみれば、日本全国の12分の1(約9%)が福島県に集中している。柏崎刈羽原発のある新潟(20,030MW/158箇所)を凌いで、単独では全国最多だ。
     確かに山あいを車で走らせると、どこにでも高圧送電線の鉄塔が聳え立っている風景を見かける。しかも福島県は、広大な面積を有し、山あり谷ありで、起伏に富んだ地形と豊かな自然を有している。水源も豊富で、海は太平洋、川は阿武隈川や阿賀野川、湖だって代表的なものに猪苗代湖、羽鳥湖、檜原湖などがある。その独自の風土を利用し、水力や火力、地熱、原子力などの発電所を効率よく配置していたのだった。長年、福島県に住んでいながら、震災前まではそうした事実を知らないでのん気に過ごしていた自分が情けない。
     そして、今では憎き「東京電力」の発電所が180所中、18箇所もあった・・・。やるせない。東京電力は、未だに高濃度汚染水が海に垂れ流ししていた事実を、この2月末まで伏せて、世間に公表しなかった。これまでも度重なる隠蔽工作や虚偽の報告やデータの改ざん、報告の遅れなどが大問題になってきたが、今でも福島県民を馬鹿にしているとしか言いようが無い。プルサーマル計画については、佐藤栄佐久元知事が、東京電力の対応に不信感をあらわにし、頑として首を縦に振らなかった。いわれの無い汚職の汚名を着せられ、あれほど福島県民に尽くした県知事が辞職に追い込まれ、代わって、佐藤雄平氏が知事になった途端、この計画への協力と推進を表明。その矢先、この未曾有の大惨事が起きてしまった。原子力は一歩対応を誤れば、このような人間では制御不能に陥ることを身に染みていたはずなのに、人間は「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ようで、早くも原発再起動に向けて政府も頃合いをみて動き出す始末。

     ここで考えてほしい。原子力は本当に必要なのか。日本全国の原発が、ほぼ停止している現状において、原子力なくしても十分に代替エネルギーで代用できているではないか? それでも安全を無視し、生命の存続を脅かしかねない原発に頼る日本政府は、運命共同体とばかりに破滅の一途を辿ろうとしている。日本は火山国のみならず台風直撃、地震国家として、自然の脅威と戦い続けて来たことは周知の事実だ。まして原子力発電所爆発事故も経験した。ならば、何ゆえ原子力にしがみつく必要があろう。あえて「火中の栗を拾う」ことは杞憂すべきだし、回避すべき事項だ。経済効率ばかりを最優先せず、自然と共存共栄できるエネルギー構築を望みたい。

     最後に、福島県民のひとりとしてもう一度声を大にして言いたい。今すぐ原発は全炉廃止し、環境にやさしいクリーンエネルギーを開発して欲しいと思う。

     明日は震災から4年が経過するメモリアルデーのため、毎年掲載している記事をお送りします。地震発生時刻の14時46分にアップしますのでご了承ください。

     記事作成:3月2日(月)

    2015年3月 4日 (水)

    福島県企業CMのキャッチコピー

     旅先でたまたま見かけることはあっても、全国の方には馴染みが無いものに、地方のローカルCMがある。これまで5~6回、同様のテーマで記事を書いたが、CMには付き物の「キャッチコピー(フレーズ)」についてはあまり触れてこなかった。震災以降、我が福島県の企業も栄枯盛衰さまざまあったが、あの巨大地震や津波、原発事故に負けず、前を向いて頑張っている地元企業が多数ある。今回は、惜しいことに潰れてしまった店や倒産した企業も含め、福島県民なら誰もが知っている有名なフレーズのCMを取り上げたい。「あ、懐かしい」とか、「そういえばこんな会社あったな~」と当時を振り返り、懐かしく感じて貰えたら幸いです。

    「うすい百貨店」・・・「しゃれたセンスのうすい」「幸せ売ってるデパート」「デートもうすい」

    https://www.youtube.com/watch?v=iCI9CPAPeDs

    「ヨークベニマル」・・・「1・2・3ヨ~クベニマル1・2・3の市~」「ど真ん中得の市」もある。

    https://www.youtube.com/watch?v=IipfCcwuPOg

    「大七酒造」・・・「酒は大七、旨さは第一」

    https://www.youtube.com/watch?v=CwidNDJdgag

    「花春酒造」・・・「会津のよさは酒のよさ」 

    https://www.youtube.com/watch?v=fXABboA0GAk

    「栄川酒造」・・・「東北に酒あり」 https://www.youtube.com/watch?v=t9lmykxnYdU

    「星総合印刷」・・・伏せ目がちからの「プリンティング・・・メッセージ」 あの微妙な間が堪ら
              ない。

    「福島民友」・・・「友達に、なろうよ!」 by 西尾舞生・・・今から20年以上前のCM

    https://www.youtube.com/watch?v=Ai54d5iNK0c

    https://www.youtube.com/watch?v=zuBgVzO7b8U

    「ホテル聚楽」・・・「あ~そびきれないホテルは聚楽~!」「聚楽よ~ん」 by激似モンロー

    https://www.youtube.com/watch?v=hcn-n3B1uFc

    「キャラバンモータース」・・・「グズグズガダガダ言うと安くしてくれんのがい」

    https://www.youtube.com/watch?v=MRO1bS3UPm8

    「石倉クリニック」・・・「きれいにきれいにきれいにしよう!で~もちょっと疲れちゃった!」

    https://www.youtube.com/watch?v=QluhtCQlKco

    「城本クリニック」・・・「0120-107-929城本クリニック」

    https://www.youtube.com/watch?v=WDSDXUufx7Q

    「阿部紙工」・・・「伝えたい心のニュアンスまで、美しく、永遠を彩ります。」

    https://www.youtube.com/watch?v=2_8McsmYgUs

    「東北レジャー」・・・「東北レジャーはアフターがいいね!」ホステス&ホスト多数出演!

    https://www.youtube.com/watch?v=M5v87yWifr4

    「石のカンノ」・・・「石が生きとる生きとる。わしゃ~お任せするわい、カンノさんよ」

    https://www.youtube.com/watch?v=xq1EdPOQymg

    「澤田屋」・・・「びっくりあげまんびっくりあげまん、びっくりあげまんじゅう。澤田屋」
            かぶり物が微妙・・・。

    https://www.youtube.com/watch?v=Ssq1hMHQ1cY

    「喜多方ラーメン村」・・・小さな女の子が「♪は~るは喜多方、な~つも喜多方、あ~きも喜多方、ふ~ゆも喜多方~」とホールで歌い、その家族が笑顔で拍手を送る内容だった。

    https://www.youtube.com/watch?v=B6R_4fIAXsw

    「福島のりょうぜん漬」・・・故郷の逸品。フレーズよりあのBGMが独特。望郷や郷愁誘う。

    https://www.youtube.com/watch?v=QKjt7MlN9s0

    「赤トリ井」・・・「ショッピング~はたのしい~赤トリ井~」

    https://www.youtube.com/watch?v=jd2pRSQfRos

    「福島テレビ」・・・・開局50周年キャッチ「FTVあっとホーム」「一緒に歩こうふくしま」

    https://www.youtube.com/watch?v=deoAgEsxhxM

    「福島中央テレビ」・・・「FCTはChuてれ中!」

    「佐藤石材店」・・・「そろそろいらっしゃる頃だと思っていました。もう3年になりますか」「えぇ、あれから3年・・・」  彼岸やお盆近くなるとしょっちゅう流れているCM。

    https://www.youtube.com/watch?v=AoHImiOMlXo&feature=youtu.be

    http://www.sato-sekizai.co.jp/index.html

    「石の店やまき」・・・「おじいちゃんの笑顔がいつも心の中に」

    https://www.youtube.com/watch?v=NFwrzjrppb0

    「石の丸正」・・・「自分の墓を自分で選んで何が悪いんだい!」と爺さんが怒鳴る!

    https://www.youtube.com/watch?v=PY8vmDTl4j0&feature=youtu.be

    「今野貴石」・・・「身に着ける喜びをあなたに」 今野飛行倶楽部も有名だった。

    https://www.youtube.com/watch?v=I5_A_wsgaH8

    「湯本自動車学校」・・・「運転免許Dreams come true. 楽しく取っちゃおう。君の未来が開ける」
    https://www.youtube.com/watch?v=0jz3FzrhTt8

     他には郡山市水道局前「躾(きもの)会館」や「はまつグループ」、「平安閣」、「あさかやの磐梯そば」、「宝来屋のたからみそ」などのCMも有名だった。
     

     「キャッチコピー」は、昔はよく「標語」、「スローガン」、「キャッチフレーズ」と言った。では、キャッチフレーズとキャッチコピーの違いはどこか。調べてみた。

    【標語(ひょうご)】とは
    ある集団の行動や判断における基準、規範、指針、理念を、簡潔に表した文章や言葉や句である。

    【キャッチコピー・キャッチフレーズ】とは
    主に商品や映画、作品等の広告など、何らかの告知や宣伝に用いられる文章、煽り文句である。 (出典:Wikipedia)

    さらに細かく調べると
    【キャッチコピー】とは
    「消費者の心を強くとらえる効果をねらった印象的な宣伝文句。」
    【キャッチフレーズ】とは
    「宣伝・広告などで、人の心をとらえるように工夫された印象の強い文句。うたい文句。惹句。」 (出典:大辞林)

     つまり、「キャッチコピー」は、商用目的の意味合いが強くなるということか。ん~勉強になる。

    記事作成:平成27年1月中旬~2月

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