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2015年3月14日 (土)

2015年ぶらり旅② 相馬被災地応援ツアー

  同僚の熱心な誘いを受け、この日は安積町にある郡山観光バス内にある「孫の手トラベル」主催の「相馬被災地応援ツアー」に参加した。自宅までの送迎付きで、イチゴ狩りや美味しい昼食に舌鼓が打てることに加え、震災前まで釣りでさんざんお世話になった被災地・相馬のその後の現状を当ブログで紹介できるのではと考え、申し込んだのだった。年度末の仕事が多忙な時期ではあるが、一服の清涼剤にはうってつけだと思い、参加した。正直、震災前には20回以上訪れた相馬周辺の釣り場だったが、変わり果てた風景と対面するのが辛くて、なかなか勇気を踏み出せなかっただけに、ある意味、先輩同僚に感謝したい。

 では当日の模様をどうぞ。

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 3月14日(土) くもり/吹雪/晴れ

 7:05 起床
 8:16 自宅発(予定より10分近く早く迎えに来る 黒塗りタクシー。同僚と他2名の自宅
     桃見台・深沢を廻り、計4名相乗り乗車)
 8:50 安積町「郡山観光交通」車庫着。中型バスに乗り換える。左側の3列目通路側。
      山口社長じきじきに挨拶。添乗は瀬谷さん。運転手は星さん。しおり有。

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 9:00 郡山観光交通車庫発 安積中前、R4バイパスへ。おしぼり&珈琲差し入れ。
      日和田に皆川自動車ガラスの看板。くもり空。雲行き怪しい。どんより。
 9:23 本宮へ。瀬谷さん、ガイド役でずっとしゃべりっ放し。この日のツアー客は全員で
      21名。うち、19名は私より年上の方々。65歳以上の高齢者の方々が多かっ
      た。
 9:34 二本松へ
 9:46 松川の「道の駅安達」の先からバイパス外れ右折。釣りのルートとまったく同じ。 
      県道39を走行。渓谷の橋の近辺に大きなアーチ橋工事。
 9:53 飯野町交流館のSL。C1260古く錆付いている。
10:00 道の駅川俣 WC シャモが売り。パンフ。小雪舞う。
10:14 道の駅川俣発。吹雪。川俣高校の下の道でパトライト点灯した白の覆面クラウン
     とすれ違う。飯舘町人気なし。避難してゴーストタウン状態。あちこちに除染した残
     土を溜める黒のビニール袋が並んでいたり、県道沿いに山積み。エスティマが軽
     に接近して煽る。

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10:42 石ポロ坂トンネル。八木沢峠。吹雪状態。雨男振りを発揮。長い下り坂。
     雪止まず。畑や田んぼ、木々も雪化粧で冬に逆戻りの光景。
10:55 峠を降りたらようやく雪が止む。空も明るくなる。野馬追い用の馬放牧。放射線
     値0.57m/svの表示。やはり郡山よりは断然高い。
11:00 常磐道・南相馬IC 対面通行で時々片側2車線。70km/h規制。交通量はさほ
     ど多くない。晴れ間出てひと安心。バスはお喋りしていると早い。気分が楽チン。
     青空覘く。阿武隈山系とはまったく違う天気。意外と相馬ICまで距離ある。

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11:12 相馬ICを出る。いつも釣りに行っていた国道115号へ。急勾配オーバーパス。
11:17 相馬警察署交差点(R6)を直進。バイパスに乗る。津波はここで止まった模様。
      松川浦釣具屋、セブン、ローソンは無事。周辺は新しい建物ばかり。Y字交差点
      を右折。松川浦方面へ。5年ぶりの訪問。切ない。入り江が見え出す。

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11:25 相馬松川浦着。カネヨ水産&たこ八の駐車場。2時間25分で到着。夜中の近道
     ルートより1時間は遅い。たこ八は人気で順番待ち有。2階の予約席へ。  
      写真撮っていて一番最後にテーブルへ。同僚と離れた席へ。派手な小柄なおば
     あちゃんと向かい合わせ。復興チャレンジまかない丼。タコの刺身、目ひかり天ぷ
     ら、漬物、いかなご、どんぶりは海老やマグロ、鮭、タコなどを細かく切り刻んだ
     通称「まかない丼」。あさりの味噌汁。ゆっくり食べても10分で平げた。

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12:10 先に隣接の「カネヨ水産」(直売所)で水産物を物色。試食多数。毛がに生きてい
      て、喧嘩状態。何周も見て廻る。でも福島県産はあまりなし。熊本や鹿児島、アメ
      リカ産などばかり。復興支援にならない。三重県産のわさび岩海苔(佃煮)と相馬
      産のいかなご(小女子)大袋を購入。1,040円。派手なおばあちゃんが1万6千
      円分もまとめ買い。きっぷもいい。2万円出してお釣り貰っていた。 いつしか青
      空に。

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      変わりモノのガードレールを写メ。パンダ、キリン、ナース。笑える。かさ上げ工
            事中。井島さんという地元の語り部の女性が予定より早く乗り込む。隣りの家の
            お母さんにそっくり。声もしゃべり方まで酷似。語り部ガイドの被災地の車窓視
            察。

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12:42 たこ八発。戻るように進み、火力方面へ。周辺、広大な荒野状態。見通し良すぎ
     る。かつてはこの辺は家屋があったのに、何もない。「福島復興応援隊」のスタッフ
     は70名て、9割は県外の人がボランティアでやっている。小高区在住で、浪江町
          の旅行会社に勤務していた方で、旧相馬女子高卒。ローソンが新しく改装してあ
     る。このPでよく釣りの師匠と待ち合わせした。大津波襲来により、ここに大型漁船
     が流れ着いたとのこと。中村二中前通過。ここの体育館が震災時に避難所になっ
     ていた。語り部ガイドさんの母校が廃校となった旧相馬女子高校だが、その体育
     館が遺体安置所になっていた。そこでの体験が一番きつかったそうだ。
     家族の遺体にすがりつきながら大声で泣き叫ぶ姿を見るのが辛かった。遺体の泥
     を落としたりもしたそうだ。R272へ。やはりバイパスが堤防がわりとなり、市街地
     までは津波が到達しなかった。東地区工業団地。光陽サッカー場左折。楽天が寄
     贈したこどもドームもあり、おなじみのあのロゴが迎えてくれているようだった。

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12:58 相馬共同火力発電所新地着。コンベンションホールへ。こどもの遊べるフロア。
           パワーポイント&プロジェクターで説明を受ける。題は「東日本大震災時の相馬市
     の対応」。YouTubeで有名な津波の映像を2つ見る。松川漁港と大橋の映像。
     36時間相馬に滞在すると0.005ミリsv=5.0マイクロsv/h。時計台の下の部分(高さ
     約5m)まで津波が到達したと教えられた。ひとたまりも無い高さだ。

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13:33 火力発。5号埠頭~沖堤防の北東側の先端にあった白灯台は確認できた。でも
     堤防自体は途中で途切れている様子。どこも護岸工事だらけ。廃棄物を焼却す
     る処理工場3箇所新設。ガイドさんの話では隣接市長同士の仲が悪く、相馬市民
     の瓦礫しか焼却できないらしい。小高在住のガイドさんにはメリット無し。震災で困
     った時は助け合うという発想が無いことを嘆いていた。井戸川町長もそうだった
     が、どうも自らの権利(利権)ばかり主張して、義務を果たそうとしない首長が相双
     地区には多いらしい。原釜地区を素通り。周辺は何もない。まったくの野原と化し
     ていた。そこにあった「つりエサかめちゃん」の店舗はもちろん、住宅の家屋もな
     し。食堂は再建されてぽつんと建っていた。スーパーマーケットもパチンコ屋も無く
     なっている。そしてバスは松川漁港方面へ。松川浦大橋の手前のS字カーブでバ
     スは停車。

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13:37 相馬伝承鎮魂祈念館着。本当は4月1日開館なのだが、特別に開けてもらった
     ようだ。
     磯部地区で亡くなった251名の名前が刻まれた木製パネルの前で合掌。ゆりの
     花が捧げられていた。とても写真を撮る心境にはなれなかった。その隣りのホー
     ルには震災の状況を伝える資料。パネル。震災前と後の比較。受取人のいない
     泥だらけの個人のスナップ写真アルバム展示。大型スクリーンで津波の映像。
     外の御影石の慰霊碑には献花多数。そこで相馬消防団の立谷さん?の語り部の
     話を聞く。南防波堤、灯台型トイレ、釣り公園のトイレは無事。強風の中、津波と
     捜索の模様を聞く。原釜区と磯辺地区は多数の死者。やはり逃げなくて津波に飲
     み込まれて亡くなった方が大多数。慰霊碑の前ではさすがに写真は自重した。
      私は以前から、あの未曾有の大きな長い揺れに見舞われたのに、海の近くに
     住んでいるにもかかわらず、なぜ逃げなかったか疑問だった。油断なのか。それ
     ともお年寄りは逃げるための手段(足)がなかったのか。寝たきりで山まで逃げる
     体力がなかったのか。地震発生から大津波襲来まで1時間あったのに。それとも
     地震で倒れた家財道具などを復元していたのか。しかし、話を聞けば、原因はや
     はり危機意識の欠如で、ぎりぎりまで避難せず、逃げ遅れた方が犠牲になったと
     いうことだ。津波に巻き込まれた方で、助かった人はほとんどいなかった模様。デ
     イサービスの車の中で発見された人もいたようだ。強風寒い。3輪バギー爆音。
     トラック往来激しい。祖母そっくりのツアー客に驚く。たぶんB型。同じ話を何度も
     繰り返し聞く。立谷さんに「釣りエサかめちゃん」の消息を聞くと、店の人は逃げて
     無事だったようだが、建物はすべて流されて無くなったとのこと。釣り船で沖堤防
     に渡船してもらったのに、残念。出航までの待ち時間中、珈琲をご馳走になった
     想い出とか走馬灯のように脳裏に浮かんだ。
      あの日、沖堤防に渡って釣りをしていた人たちは無事だったのか?船着場には
     戻れないだろうから、そのまま沖へ出て、迫り来る大波を乗り切ったのだろうか?
      もし、私が沖の堤防で実釣中だったら、パニックになっていたかもしれない。すぐ
     に迎えに来て、全員を船に拾っていたら間に合わなかっただろう。余計な心配をし
     てしまう。

     バスに乗車する前、原釜海水浴場の見張り展望台と砂浜方面を写メ。

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14:10 相馬伝承鎮魂館発。原釜海水浴場の前を通過。カレイやヒラメ、シロギスのメッ
     カだった砂浜も、心なしか砂浜のエリアが狭まった印象。津波の影響は必至。カ
     ニを象ったトイレも破壊されて虚しく佇んでいた。漁港を周遊。だいぶ復元、新し
     い建物が新築されているが、交差点周辺は何も無し。漁港にアル3階建てのビル
     の貯水タンク部分まで波が押し寄せたようだ。
     松川浦大橋はダンプトラックのみ通行可能。こちらも渡船でお世話になった「賀都
     屋」の黄色いビルが見えた。未だに沖防波堤への渡船は再開されていない。

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      かつて「かめちゃん」があった道路へ。本当に何もない。食堂が一軒再建された
          だけ。
      市街地方面へ。ガイドの井島さん、息子さんたちが散りじりになった状況を思い
          出し、感極まってむせび泣き。Y字路から松川浦の釣りエサ屋を突っ切りしばらく
     行ってから左折。中型バスの前方を「いちご狩り屋」の車が先導。復興住宅の家並
     みを周回。どこも新しく綺麗な家屋で、同じ造りだ。立派だが、これでも漁師だった
     方々には狭いと不評らしい。贅沢な・・・。田舎道の坂を進んだ先に並び建つ「いち
     ご狩り」のビニールハウス群へ。

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14:27 和田観光いちご園に到着。いちごは放射線地を警戒し、耕土ではなく、腰の高さ
     の棚で栽培。残念ながらお土産用のいちごパックは午前中で売り切れ。販売所の
     プレハブの建物の入り口のドアの上の部分に青いラインが引かれていた。この高
     さまで津波が到達。背丈より断然高い。ビニールハウスは10以上点在&並列。
     同僚と離れ、真っ先にいちご食べ放題の5番ハウスへ。3番目に入場。指示され
     た長さ50mほどの2列の棚台のみ。ミルクパックを持ってトライ。とちおとめ。でか
     くて完熟。めちゃ甘いし大きな粒。へたをとりながら手当たり次第に食い荒らす。
     14:32~14:47の15分でなんと50粒以上も食べまくる。お年寄りは12粒。ミ
     ルク追加。往復して列を変えながら、どんどん口に入れる。満腹。15分残して食
     べきれず。左手真っ赤。個人で来たら、今の時期は1,400円(時間無制限)らし
     い。お土産買えず、ツアー客不満噴出。ビタミンCどれだけ補給するか!腹痛必
     至。これだから貧乏性は困る。はしたない。ここでは強風が収まる。

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14:58 和田観光いちご園発。ここでガイドの井島さんとはお別れ。この辺までも津波で
     水浸し。海側は何もない。車や船など多くが流れ着いた。平原状態。大洲方面ま
     で何もない。工事のクレーンのみ。畑や田んぼも何も作物出来ない。
     右折してバイパス潜り、ダイナムの前通過。まるまつ&相馬警察署の交差点を左
     折して国道6号線へ。途中、百尺観音の標識あるが、街道沿いからは見えず。

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15:13 「道の駅相馬」着。トイレ休憩。15時45分まで長い。トイレに駆け込む。いちご
     のせいで腹痛。隣りの建物で血圧測定。1回目147-87。高すぎ!深呼吸して2
     回目は130-80。右腕は高く出る。土産屋見物。何も買わず。ふたたび隣りへ。
     山元町の小学校の15時20分で止まったままの時計やへこんだ机、橋げたのつ
     なぎ部分、折れ曲がった標識など展示。もう一度トイレ(洋式)に入って出す。スタ
     ンプを押す。

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15:42 道の駅・相馬発。国道6号線を南下する予定が、混む時間帯に差し掛かるため
     に来た道を逆戻り。西日眩しい。珈琲いただく。
15:55 相馬ICから常磐道高速へ。上り(原発)方面はガラガラ。ひと駅間が遠い。
16:06 南相馬IC出る。ETC故障?長い列。八木沢方面へ。西日に向かって進む。
      対向車1台来ると、その後3~4台連なる。先頭車両がペース作れず。
      ずっと上り坂。途中の登坂車線で抜かれる。眠い。
16:23 ポロ坂トンネル。
16:28 飯舘町内。白い建物の駐車場にパトライト屋根に乗せたままの覆面(白クラウ
     ン)が駐車。おそらくは無人町内の空き巣狙い対策の防犯パトロール?7℃の表
     示。道路沿いひと気無し。JENKA庄司酒店、何と朝の6時半~21時半までの営
     業。
16:33 臼井小学校無人。直射日光眩しい。
16:44 川俣高校下。ハンドルがパイプで高すぎる改造バイクと遭遇。3737。
16:53 道の駅・川俣着。ここも休憩長い。ゴミ捨て。テーブルで渡されたアンケート記
     入。朝はあったスープポット無し。旅行企画プランを6つ考え、アンケートに要望。
     「福島県3大名城桜めぐりツアー(霞が城・鶴ヶ城・小峰城)」、「伊達政宗足跡を追
     うツアー(小浜上・小手森城・人取橋)」、「松尾芭蕉足跡ツアー(須賀川・安積山・
     文知摺観音・医王子・飯坂温泉)」、「工場夜景(小名浜製錬)」、「東根さくらんぼ
     狩りと長井・鈴木酒店壽試飲&応援ツアー」など。採用してくれれば面白い。
      連れの同僚は隣接の直売所で400円で林檎を購入。自販機で缶コーヒーを2
     本買って、差し入れ。260円。スタンプ押す。ツアー目印の赤いリボンとアンケート
     を提出。

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17:20 道の駅川俣発。県道12→県道39へ。瀬谷さん、孫の手ツアーの宣伝。7月1日
     の野馬追い御神旗争奪戦のツアーはすぐに満員締め切り。工事中のアーチ橋。
     途中西日で眠くなるが、何とか堪える。
17:38 松川でR4バイパスへ合流。長い車列。安達が原の合流地点まではノロノロ。
17:44 渋滞にはまる。宮脇書店閉店し、真っ暗。枡記念病院から先はずっとノンストッ
     プ。赤信号も何回か突っ込む。

18:12 本宮。真っ暗に。渋滞は左のレーンで、右はスイスイ。信号ノンストップ。RFCの
     大和田新さんが今年で定年退職で、もしかして郡山観光交通にアドバイザー入
     社?八山田周辺自宅を目の前にして通過。ここで降ろして欲しかった・・・。安積
     町までノンストップ。2℃の表示。
18:32 郡山観光車庫。タクシー、私たちが乗る4号車のみ来ていない。古いロッカーが
     並ぶ乗務員待合室で休憩しながらタクシーを待つ。 

18:45 郡山観光駐車場発。朝と同じ黒塗りタクシー。朝と逆で、深沢、桃見台と経由。
19:12 自宅近くで下車。徒歩で帰宅。誰もいない。 

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<出費>

 参加費 11,000円+108円(振り込み手数料)

 土産代: 1,040円 (三重県産わさび岩海苔440円、相馬海の幸小女子600円)

 その他: 260円(缶コーヒー2本)

 合計: 12,408円    写真撮影枚数 105枚。

 <感想>

 私が最後に相馬を訪れたのは、震災前の2010年9月11日だった。したがって今日は実に4年半ぶりの再訪ということになる。私が過去16回も実釣した相馬周辺のフィールド。あの大津波で大打撃を受けて以来、釣り場を直視するのが辛く、再訪を躊躇って来た場所だ。大物カレイを釣り上げた市場東側の堤防、沖堤防、そして釣り公園、南防波堤などが変わり果てた姿をさらしているのを見たくはなかったのだ。しかし、今、だいぶ復旧が進み、釣り場の再興を祈願し、津波で犠牲になった方々へ鎮魂の意図もあり、更には地元の復興への支援の一助になればと考え、縁遠かった場所を訪れる決心をした。

 総じて、やはり今回の旅行は勉強になった。まず、飯舘。ここは避難地域で、人気の無い町と化していた。国道や県道沿いには黒いビニール袋に包まれた汚染土が山積み状態。これをどこに持って行き、どう処理するのか。4年前に起きた悲劇を再認識でき、改めて風化させてはいけないと感じた。原発再稼動などもってのほかだ。活断層や地震が多い日本において、同じ事故が繰り返される確率は決して低くは無い。
 また、語り部の方々の話を直に聞けたのは当時の記憶や出来事を呼び覚ますのに重要だった。どうしてこれほど多くの犠牲者が出たのか、その真実の理由が判明した。やはり「どうせ津波なんて来ないだろう」という油断や過信があって、逃げ遅れた結果、巻き込まれて命を落としていたのだ。災害はいつ何時やって来るのかわからない。「災害は忘れた頃にやって来る」という教訓を私たちに教えてくれた。我が福島県は原発事故の影響が深刻で、未だに帰宅困難者が大勢いる。復興は道半ばだが、私たち被災者が、こうして福島県の現状を報告する事こそが、風評被害を食い止める手段にもなるし、あるいは放射能への誤った見識を払拭する上でも意味のあった旅だったと思う。

 最後に、再び相馬で釣りができることを夢見つつ、さらには改めて震災や津波、原発被害で犠牲になられた方々のご冥福をお祈りし、この旅行記を閉じたい。合掌。

 記事作成:3月14日(土)

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