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2015年3月28日 (土)

2015年春・福島を去ったアナウンサー第二弾

 お知らせ

 本日は、当初、「登場が衝撃的だったアーティスト」の記事をお送りいたしましたが、我が福島県で愛された長澤彩子アナウンサーが、この日の放送を最後に「サタふく」を卒業し、3月いっぱいで福島テレビも退社することが発表されましたので、急遽記事を差し替えて、彼女の関する記事をお送りいたします。なお、「登場が衝撃的だったアーティスト」は、3月30日(月)に再度掲載したいと思います。

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 2月にも同じテーマで記事を書き、すでに退社してしまったFTV(福島テレビ)の2人の女子アナを紹介した。安河内程子アナと宍戸真詩美アナだ。そしてまた、この3月末を持って、福島のテレビ局を退社し、他県へ行ってしまうアナウンサーがいた。今日はその方を取り上げたい。

 FTV 長澤彩子アナウンサー

 <プロフィール>

 1982年2月12日生まれの33歳。神奈川県相模原出身。女子アナに多い東洋英和女学院大卒。東京アナウンスセミナーを経て2010年に福島テレビ入社。身長151cm。血液型A

 担当番組:「サタふく」「FTVニュース」ほか

 母も姉もピアノの先生と音楽一家で育ち、趣味も歌。

 新鮮なお魚、寒ブリ、カンパーニュ、アイス、メキシコ料理、坂角のえびせんべい。

 <彼女の出演番組の動画>

https://www.youtube.com/watch?v=oyIQjJo2SO4

 <震災時の様子・・・FTV社屋内>(閲覧注意)

https://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 毎週土曜日11時30分~45分、12時~12時55分まで放送している「サタふく」のMCを担当。明るく元気に笑顔いっぱいで番組に出演していた。時々コスプレ(謎のアメリカ人・キャサリンや女教師)を行ったり、得意のチアリーディングも披露して、福島県民に元気を分け与えてくれた。

 <3月28日放送 「サタふく」最後の出演場面はコチラ>

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 「白線流し」風のPVと懐かしいVTRでお別れを惜しんだ。

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 長澤彩子アナ、「サタふく」最後のあいさつ

 「福島のみなさん、5年間本当にありがとうございました。忘れもしない入社一年目、東日本大震災が起きました。避難所で、ご自身の家族を亡くされているにもかかわらず、私の身を案じてくださった福島の方々、その方々に恩返しのために笑顔を届けたく、今日までその一心でやってきました。私は福島に来られて本当に幸せだと思います。なぜなら、福島の皆さんが一番優しいことを知っているからです。最高のスタッフに恵まれ、そして最高の視聴者の皆さんに恵まれ、本当に幸せな5年間でした。離れていても私は福島のチアリーダーです。ありがとうございました。」

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 お別れの挨拶は号泣だった。神奈川県出身でありながら、それほどまでに福島県民を愛してくれたことの証明でもあった。
 5年の長きに渡り、福島県民のお茶の間に笑顔と元気を送り続けてくれた。彼女は、震災前に福島テレビに赴任し、以来、震災で打ちひしがれた福島県民の気持ちを代弁してくれたし、涙脆い彼女は、県内各地を回ってレポートする中で、福島県民のために、数多くの涙を流す人情家でもあった。そして番組を通して県民を支えてくれた女神のような存在だった。本当に感謝したい。異動先は郷里である神奈川県にある「テレビ神奈川」。あの明るい笑顔で頑張ってくれると思う。

 FTVの公式HP内でのお別れの挨拶はコチラ

 http://www.fukushima-tv.co.jp/blog/2015/03/post-187.html

 「テレビ神奈川」の公式HPでの彼女の挨拶はコチラ

 http://www3.tvk-yokohama.com/anamaga/2015/04/post_538.php

 他にも退社ではないが、私の好きな番組である「ドミソラ」の顔だった千原礼子アナウンサーが番組のMCを卒業してしまうなど、担当番組の異動があった。春は別れの出会いの季節だが、やはり一抹の寂しさは拭いきれないものがある。彼女たちの新天地での活躍をお祈りしたい。

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KFB公式HP内の「雨のち晴れいこ」のブログ記事での挨拶はコチラ

http://www.kfb.co.jp/ana/chihara/2015/03/post_71.php

 「2015年春・福島を去ったアナウンサー」はコチラ

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-9f39.html

 記事作成:3月28日(土)

 追記(4月1日)

 この日、福島放送(KFB)の現職アナの千原礼子さんが、私の元同僚(女性)のお嫁さんということが判明し、驚いた。個人情報のため、詳しくは記載できないが、昨年3月まで2年間、席が隣りだった女性だった。そのお嫁さんがKFBのアナウンサーだということは、一度も聞いた験しがなかったが、その事実を知って妙に親近感を覚えた。
 「ドミソラ」の番組内で、単身赴任の夫と離れて生活していることをカミングアウトしていた彼女だが、どうやらご主人はいわき市に勤務しているらしい。これ以上のことは書けませんのあしからず。

 追記(5月吉日)

 4月30日付で、KFBの千原礼子アナウンサーが出産を機に退社してしまった。昨春に結婚し、その後もアナウンサーとしての仕事を続けてくれたが、この度のおめでたい話で、退職されたのだ。彼女は神奈川県出身者だが、福島県の方と結婚し、ずっと福島県民になることを決断してくれた。だから「福島を去ったアナウンサー」にはならない。
 あのにこやかな優しい笑顔を見れなくなるのは残念だが、女子アナフリーク、いや女子アナ応援団を自称する私としては、断腸の思いだが、快く送り出したいと思う。ぜひ元気な赤ちゃんを産んでほしいと思う。「ドミソラ」は番組放送開始から毎回ブルーレイに録画してあるので、彼女の面影を懐かしむために、折に触れて見直したいと思う。

 KFBの公式HPのお別れの挨拶はコチラ(削除される前にお読みください)

http://www.kfb.co.jp/ana/chihara/2015/04/30/008469.html

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