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2015年4月17日 (金)

超常現象~祟り~

 どんなに文明が進んだ現代社会であっても、科学では証明できないものが多数存在する。UFOやUMA、それに心霊現象などがある。これらは時に「超常現象」とか「怪奇現象」と呼ばれ、信仰の対象として敬われる場合もあれば、忌々しい事象として避けられる存在でもある。
 今日はそうした超常現象の中でも、「祟り」に纏わる事象を紹介したい。ただし、こうした話題は本来タブーであり、決して興味本位や冷やかしでお送りする意図は毛頭なく、逆に、むやみやたらに「怖いもの見たさ」で、肝試し的発想で訪れる方々への警鐘を促す意味で掲載したい。もちろん祟りを避けるため、画像等は配置しませんのであしからず。アドレスをクリックする際には十分趣旨を理解した上でお願いします。この件で何か予期せぬ出来事が降りかかっても、当方は感知しませんので・・・。

 1 羽田空港の大鳥居

 穴守稲荷神社は明治、大正、昭和を通して人々の信仰を集めたが、第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港の拡張のため、米軍より強制退去を迫られることになった。これに対して地元の有志らは移転先となる現在の鎮座地700坪を寄進し、現在は境内の整備を進めており、神社はほぼ昔日の姿を取り戻しつつある。

なお、移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居だけは撤去できず、そのまま空港の更地(後に駐車場となる)に残され続けた。それは赤鳥居にロープをかけて倒そうとしたところ、ロープが切れて作業員たちに死傷者が出てしまい(後に基礎が頑丈にできておりロープ程度では倒せないことが判明している)、その後も何度か取り壊しや移転案も出たのだが、その度に移転の工事関係者が事故にあったり原因不明の病気になったりと、赤鳥居は“祟る”と言われてきたからである。その後も1954年(昭和29年)に東京国際空港ターミナルビルが建設されるが、同時期に行われた滑走路拡張工事でも工事中に死傷者が続出した。
 しかし、1990年台に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり滑走路に支障するため撤去する計画が出たが、地元住民などの要望で、拝殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)にようやく現在地へ移設された。この際、鳥居をクレーンで吊り上げた時に、突然雨が降り出すという現象も起きている。

https://www.youtube.com/watch?v=zYt0ArDLvJE

 2 平将門の首塚の祟り

 伝承では、将門の首級は平安京まで送られ東の市、都大路で晒されたが、3日目に夜空に舞い上がり故郷に向かって飛んでゆき、数カ所に落ちたとされる。伝承地は数か所あり、いずれも平将門の首塚とされている。その中でも最も著名なのが、東京都千代田区大手町一丁目2番1号外地図にある首塚である。かつては盛土と、内部に石室ないし石廓とみられるものがあったので、古墳であったと考えられている。
 築土神社や神田明神同様に、古くから江戸の地における霊地として、尊崇と畏怖とが入り混じった崇敬を受け続けてきた。この地に対して不敬な行為に及べば祟りがあるという伝承が出来た。そのことを最も象徴的に表すのが、関東大震災後の跡地に大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、工事関係者や省職員、さらには時の大臣早速整爾の相次ぐ不審死が起こったことで将門の祟りが省内で噂されることとなり、省内の動揺を抑えるため仮庁舎を取り壊した事件や、第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって障害となるこの地を造成しようとした時、不審な事故が相次いだため計画を取り止めたという事件である。

https://www.youtube.com/watch?v=-ganmN6mF7w

https://www.youtube.com/watch?v=77KXnpA02_8

 3 関羽の祟り

 219年12月、臨沮において関羽は関平らと共に退路を断たれ、捕虜となり斬首された。関羽の首は、孫権の使者によって曹操の下へ送られ、曹操は諸侯の礼をもって彼を葬った。しかし曹操はこの式の後、然程間を置かずに病に伏せた。その後、華佗は頭痛に苦しむ曹操に召し出され、 「麻肺湯をお飲み頂き、然る後に鋭利な刃を用いて脳袋を開けば、 病根を取り除く事ができます」と治療法を告げた。「わたしを殺すつもりか」と怒った曹操に対し、 華佗は関羽が肘の骨を削られても動じなかった事を引合いに出した。
 曹操は「関羽の仇を討とうとするのか」とさらに怒り、 華佗を投獄して拷問にかけた末に殺してしまった。
 220年3月15日。華佗を殺した後、曹操は間もなく病死してしまう。天下の三分の二を平定した乱世の奸雄もついにここに生涯を閉じた。享年65。

 関羽の死後
 関羽の愛馬、赤兎馬は呉の馬忠に与えられたが、馬草を食わなくなって死んだという。
関羽の愛用した青龍偃月刀は、関羽を捕らえた潘璋に孫権から褒美として与えられた。
しかし後に潘璋は関羽の霊に驚いている隙を、関羽の息子・関興に斬られ、 青龍偃月刀は関興に受け継がれることになる。

 関羽を破り大功を立てた呉都督・呂蒙は、 関羽の死から二ヵ月後に、かねてからの病がぶり返して死んだ。享年42。
(関羽の霊が呂蒙を呪い殺したとされるが、義理堅い関羽の印象にそぐわず、 また非現実的であることなどから近年では物語から削除される事もある。)

 関羽を処刑した後、孫権は祝宴を開いて呂蒙を第一の功労者として上座に座らせ、 呂蒙に親しく杯を渡した。呂蒙は恭しく杯を受け取ったが、 突然その杯を地面に叩きつけるなり孫権の胸倉を掴んで押し倒し 「我こそは関羽なるぞ」と大喝した。
祝宴に列席していた一同が顔色を変えて平伏すると呂蒙はばったりと倒れ、 血を吐いて死んだという。関羽の魂が乗り移ったと言われている。

 関羽の恩徳を慕った民衆は、呂蒙・曹操や、その他の樊城攻撃に携わった人間達が、 次々と死んでいく様を「関公(関羽の敬称)の祟りだ」と噂し、 後世にも伝わる関羽伝承をまことしやかに語ったという

 4 菅原道真の祟り

 菅原道真の死後、京には異変が相次ぐ。まず道真の政敵藤原時平が延喜9年(909年)に39歳の若さで病死すると、醍醐天皇の皇子で東宮の保明親王(時平の甥・延喜23年(923年)薨去)、次いでその息子で皇太孫となった慶頼王(時平の外孫・延長3年(925年)卒去)が次々に病死。さらには延長8年(930年)朝議中の清涼殿が落雷を受け、昌泰の変に関与したとされる大納言藤原清貫をはじめ朝廷要人に多くの死傷者が出た(清涼殿落雷事件)上に、それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御した。これらを道真の祟りだと恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行った。子供たちも流罪を解かれ、京に呼び返された。
 清涼殿落雷の事件から道真の怨霊は雷神と結びつけられた。火雷天神が祭られていた京都の北野に北野天満宮を建立して道真の祟りを鎮めようとした。以降、百年ほど大災害が起きるたびに道真の祟りとして恐れられた。こうして、「天神様」として信仰する天神信仰が全国に広まることになる。やがて、各地に祀られた祟り封じの「天神様」は、災害の記憶が風化するに従い道真が生前優れた学者・詩人であったことから、後に天神は学問の神として信仰されるようになっている。

https://www.youtube.com/watch?v=uutbDh5hznY

 5 新歌舞伎座の祟り

 東京・銀座にある新歌舞伎座は、老朽化のため2010年5月に閉鎖して建て替え工事を進め、2013年4月に開場した。伝統的な装いの劇場の背後に、現代的デザインの29階建の「歌舞伎座タワー」がそびえたつ。12月8日には来場者が延べ100万人に達し、平日昼でも多くの人でにぎわっている。たが、建て替え以降、歌舞伎界では不幸な出来事が続き、「歌舞伎座の呪い」という言葉まで一部で出ているのだ。以下、事件事故に巻き込まれた歌舞伎役者を列挙したい。

2010年9月 中村隼人、交通事故で全治3か月
2010年11月 市川海老蔵、暴行事件
2011年1月 中村富十郎死去
2011年10月 中村芝翫死去
2012年2月 中村雀右衛門死去
2012年8月 市川染五郎、舞台から奈落へ転落事故
2012年12月 中村勘三郎死去
2013年2月 市川團十郎死去
2013年12月 中村福助、脳溢血による筋力低下
2015年2月 坂東三津五郎死去

https://www.youtube.com/watch?v=jJUwXpMHYAU

 6 ツタンカーメンの呪い

 エジプト王家の墳墓を発掘する者には呪いがかかる、という信仰。ファラオの呪い、ツタンカーメンの呪いとも呼ばれる。
 1920年代のエジプトにおいて、王家の谷でツタンカーメンの墳墓を発掘しミイラをとりだしたカーナヴォン卿および発掘に関係した数名らが、発掘作業の直後次々と急死した出来事からこうした伝説が生まれ、現在まで語り継がれている。
 実際に人間が数名急死しており、呪いによるものかどうかはともかく、多くの人が関心を寄せ、その原因について考察する人々がいた。

https://www.youtube.com/watch?v=-x0Ji4MRzDI

 7 水子の祟り

 水子の祟りは恐ろしい霊障である。墜胎や流産した水子の霊は生まれてくるはずだった 親のもとに取りすがる。そうしなければ、彼岸と此岸との間でさまよったまま、いつまで 経っても成仏することができないからだ。 取りすがる場所は産んでくれるはずだった母親の体を完全に没してしまうことさえある。したがって、供養を欠かしてはならない。

https://www.youtube.com/watch?v=1HfPoPBWJIs

 かつて横溝正史の小説を映画化した「八つ墓村」では、「八つ墓村の祟りじゃ~」というセリフが恐怖心を煽った。祟りや呪いは、人を恐怖に陥れ、何人たりとも侵入させないほどの神がかり的な魔力を感じる。それが人間に憑依し、神の雷とばかりに天罰を下す。科学的な説明がつかない以上、やはり恐怖心を抱かせる事象でしかない。
 なお、これは事実だが、この記事を執筆し、保存ボタンを押したところ、二度に渡って「接続不能となり、書き直したことを追記しておきたい。そして急にめまいや吐き気を催してしまった。これらも何らかのサインかもしれない。はやり「触らぬ神に祟りなし」だ。

 記事作成:3月22日(日)

 追記(4月17日)

 「祟り」ではないが、風水を取り入れているわけではないが、その土地の地縛というのはあるように感じている。以前、土地を買ったり、賃貸住宅を借りる場合、そこが宅地にする前、どういう土地だったか調べたり、前の借主は誰だったかを聞いておく必要があるとブログに書いた。いわゆる心理的瑕疵物件というやつだ。
 私の自宅は5軒一緒に売り出された新築の土地付きの建売住宅だった。他の4軒は真ん中に私道が引かれた共有道路で、私の家だけが公道に面していた。そこに平成7年から住んだ訳だが、それ以来、この5軒に立て続けに悪い出来事が起きた。

 まず一軒目。3歳くらいの息子さんが脳腫瘍を患い、手術し、入院生活を余儀なくされ、母親が一時期看病のために休職することとなった。二軒目は、その隣りの家の奥さんが30代でガンを発症し、亡くなった。続いて三軒目は、その向かいのご主人。電気工事関係の仕事に就いていたが、仕事中に電柱から落下し、骨盤骨折で、長期入院を強いられた。さらに四軒目。その隣りの若い美人の娘さんが結婚し、他県に嫁いだが、出産のため実家に里帰り。その後、男の子を産んだが、ある日、突然に亡くなったことを知らされた。たぶん育児ノイローゼで自ら命を絶ったと推測される。そして私はというと、それまでゴール免許を長く続けていたのに、引っ越したその月に大雪となり、坂道でブレーキを踏んでも止まらず、車に衝突する事故を起こした。それだけではなく、信号停車中に4回も追突される事故に遭っている。また、7年前の3月には自宅前の段差で転んで右足を骨折するというアクシデントに見舞われた。

 また、私の家の反対側の家でも、80代のおじいちゃんが入浴中に急死するという出来事が起きた。私の家は、公道で、しかも自宅に神棚を設置しているため、この程度で済んだのかと思っているが、命に関わる不思議な事象が10年以内に立て続けに起きている恐怖。これはやはり、その土地の素性を予め知っておく必要があったかもしれない。幼稚園、小学校、中学校が至近で、便利だというだけで飛びついた代償なのではないかという気がしている。

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