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2015年4月21日 (火)

本当は怖い日本の童謡・童話

 かつて「本当は怖いグリム童話」というタイトルの本がベストセラーになった。突き詰めて考えたり、深く探究してみると、その本当の意味を知り、愕然と来るものだ。日本でも昔話があるが、これについては当ブログで紹介済みなので、今回は割愛し、ここでは「童謡」について掘り下げてみたい。するとやはり、子供の時に国民的唱歌として習ったり、歌い継がれているわらべ歌にも恐ろしいものがあったことが判明した。
 同様の記事がNAVERにも掲載されていたが、けっしてその模倣などではない。私が思いついたテーマというのは、ネットで調べると、よくこのサイトとバッティングしてしまう。それを前置きして、さっそくどうぞ!

 1 赤い靴

 『赤い靴履いてた女の子 異人さんにつれられて行っちゃった
         横浜の埠頭から汽船に乗って異人さんにつれられて行っちゃった』

 これは異人さん(つまり外国の人)に連れ去られる歌で、赤い靴を履いてた女の子を外国人がさらって売り飛ばす歌というのが本来の意味。私はずっと「曾じいさんに連れられて」だと思い込んでいた。 時代背景を考えれば納得。

 2 浦島太郎

「昔むかし浦島は 助けた亀に連れられて 竜宮城に来てみれば、絵にも描けない美しさ  
 乙姫様のごちそうに鯛やヒラメの舞い踊り」

 これは怖い。昔の人のUFO体験だ。地球に墜落したUFOの宇宙人を助け、そのお礼として円盤(その形が手足と首を引っ込めた亀に似ていた)に乗って宇宙旅行した。人が空を飛ぶという認識がなかったので、亀に乗って水中深く潜って行ったと描いた。鯛やヒラメの舞い踊りは火星人か何かだ。だから地球に帰還したときには、時間が経過し、その帳尻合わせでおじいさんにさせられてしまった。言うなれば拉致や人さらいの部類だ。人体実験をしたのかもしれない。これと同じ例は、「かぐや姫」、「鶴の恩返し」、「一寸法師」、「桃太郎」がそうだ。「かぐや姫」は宇宙人が地球に偵察のために送り込んだ。だから月の使者が迎えに来て連れ去って行ったととれるし、「鶴の恩返し」も、まさにそう。宇宙人が自分の姿(正体)を見せたくなかったのだろう。「桃太郎」の桃は絶対にUFOだ。非力なおばあさんがあんなに大きな桃を家に持ち帰れる筈がない。どれだけ怪力なのか?「一寸法師」だって、一寸(約3cm)の人間がいたら怖いし、第一小人が凶悪な鬼をやっつけられる筈がない。ひと踏みでお陀仏だ。これらの話は間違いなく宇宙人との接近遭遇を描いたものだろうし、当時は宇宙人やUFOという概念がないために、そのような昔話や童謡に仕立てて表現したに違いない。そう考えると童話も怖くなる。

 3 ゆびきり

 『指きりげんまん 嘘ついたら 針千本飲ます 指きった』

 昔の遊郭の遊女が、客に変わらぬ愛情を誓う証として、小指を切断していたことがはじまりだと伝えられている。これが大衆にも広まり、約束を守るという意味に変化した。
 また、「げんまん」とは、「拳万」、拳のこと。約束を破った場合、握りこぶしで1万回殴る制裁の意味を持つ。これに似ているには万が一、10,000万回に1回の確率なので、ほぼ実現不可の場合を想定して言う。

 4 サッちゃん

サッちゃんはね サチコっていうんだ
ほんとはね だけど ちっちゃいから
じぶんのこと サッちゃんって呼ぶんだよ
おかしいな サッちゃん

サッちゃんはね バナナが大好き
ほんとだよ だけど ちっちゃいから
バナナを はんぶんしか たべられないの
かわいそうね サッちゃん

サッちゃんがね 遠くへ行っちゃうって
ほんとかな だけど ちっちゃいから
ぼくのこと わすれてしまうだろ
さびしいな サッちゃん

 一見、可愛らしい少女のことを形容して歌詞にしているような印象だが、都市伝説化している歪曲した解説ではこうなる。

 足なし幽霊説

 電車にはねられたサッちゃんは体が真っ二つになって、テケテケのように上半身だけの状態でさまよっているという話を知った人(もしくは歌の4番を歌った人)の元へ夜中に(寝る前などに)現れ、失った脚の代わりとして脚を切断されてしまう(もしくは殺害される)説が、上記の補正版としてある。サッちゃんから逃れるためには、大好きだったバナナ(絵でも可)を寝床に置いておけば、サッちゃんがそっちに気を取られることで助かる。

 病死説

 都市伝説化しているのは2番と3番の歌詞である。2番の「バナナをはんぶんしかたべられないの」の部分と、3番の「サッちゃんがねとおくへいっちゃうってほんとかな」の部分は、実はサッちゃんは病気などの理由で体が衰弱してしまったために「バナナをはんぶんしかたべられ」ず、「とおくへいっちゃう」=死んでしまうと言う説。また、病死説の場合、「とおくへいっちゃう」を漢字変換することで「遠くへ逝っちゃう」となる。

 5 はないちもんめ

 『あの子がほしい あの子じゃわからん この子がほしい この子じゃわからん
相談しよう そうしよう』

花いちもんめの「花」は働きざかりの若者
「いちもんめ」は一文(昔の単価)
あの子が欲しい(そこに居る子が欲しいんだが)
あの子はわからん(あの子を安く買われたら、働き手が居なくなってしまう)
この子が欲しい(じゃぁ、この子供が欲しいんだが)
この子はわからん(この子も安く売られたら、働き手がいなくなってしまう)
相談しよう そうしよう

 これは今で言うドラフト会議のようなもので、悪く言えば人身売買。買い手が働き手を選んで丁稚奉公させようという算段をしている場面と想定できる。

 6 かごめかごめ

 「かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる 夜明けの晩に 鶴と亀滑った 後ろの正面だあれ?」

 一般的な歌詞は以上のものが主流だが、地方によってはさまざまな歌詞が付くようだ。意味にもいろいろな説がある。

 埋蔵金説

 徳川埋蔵金のありかが、この歌詞の中に暗号として歌われているという説

 遊女説

 一日中(夜明けの晩に)男性の相手をさせられ(鶴と亀が滑った)、いつここから抜け出せるのだろう(いついつ出やる)と嘆いているうちにもう次の相手の顔(後ろの正面だあれ)が見え隠れしている、という自由のない遊女(籠の中の鳥)の悲哀を表している。

 囚人説

 かごめは、籠つまり牢屋を指していて「籠め籠め」と牢屋に聞いている様。籠の中の鳥=オニは囚人である。鶴と亀が滑った=縁起の良くないこと、つまり脱走や死刑を表す。後ろの正面だあれ=死刑囚を呼びにきた監視、又は脱獄の手助けをするもの。いったい誰が来るのか? どんな運命になるのか? という説である。

 陰謀説

 「かごめ」は籠女と書いてお腹に籠を抱いているような女=妊婦を示し、「かごの中の鳥」とはお腹の中にいる子供を示す。その妊婦の家は相続争いで争っている最中で、1人でも相続人の候補が増えることに快く思わないものもいた。出産予定日もそろそろというある夜明けの晩、階段を降りようとした妊婦は誰かに背中を押されて落ちて流産してしまった。自分を落とし子供を殺したのは誰だという母親の恨みの歌という説である。

 斬首説 

 「後ろの正面」は、真後ろを表し、「(罪人の首を斬るために)真後ろに立つのは誰?」と尋ねている。
 説斬首された首が転がって、体は正面を向いているけれど首が後ろを向いて、「私を殺したのは誰?」と問ている。

 神示説

 「かごの中の鳥」は「肉体に自己同化し、肉体に閉じ込められた人」、「いついつ出やる」は「いつになったら肉体が自分でないことに気づくのか」、「鶴と亀がすべった」は「陰と陽が統べった」即ち「目覚めた」ときに、「うしろの正面だあれ?」=「自分」とは誰なのでしょう?という意味の、人の精神的目覚め・開悟を歌っているとする説。

 降霊術説

 「カゴの中の鳥は」と歌っているところで円の中に人がいなければ霊を呼び出すという、コックリさんと同様の交霊術に使われる歌であるという説もある。

 7 ずいずいずっころばし

 最近まで、この歌の歌詞の意味がまったく理解できなかった。理由など考えずに口に出していた。手遊び歌としての解釈が一般的だが、本来の意味を聞けば恐ろしい。

ずいずいずっころばし  ごまみそずい
茶壺に追われて  とっぴんしゃん
抜けたら、どんどこしょ

俵のねずみが 米食ってちゅう、
ちゅうちゅうちゅう

おっとさんがよんでも、
おっかさんがよんでも、
行きっこなしよ

井戸のまわりで、お茶碗欠いたのだぁれ

 胡麻味噌を摩っていると、お茶壺道中が来ると言うので、家の中に入り戸をピシャリと閉めて(=トッピンシャン)やり過ごす。お茶壺道中とは新茶を将軍に献上する行列のことで、切捨御免の時代柄、庶民は粗相の無いように細心の注意を払っており、子どもたちは両親に呼ばれても決して外に出てはならないと教えられた。そしてお茶壺道中が通り過ぎるとやっと一息つけたのである(=ぬけたらドンドコショ)。ところで家の中で息を潜めていると、米を齧っているネズミの鳴き声や、井戸の近くで茶碗が割れたような音まで聞こえてくる。

 一方、国語学者などの中には、この歌に性的な意味が含まれていると解釈する場合もある。「茶壺」は女性の意味であり、男が女に追われて家に逃げ込み、戸をぴしゃんと閉める(「とっぴんしゃん」)、というふうにである。「ずいずいずっころばし」、「ごまみそずい」、「俵のねずみが米食ってちゅう」も同様に性的なものだとする説もある。

 8 ちょうちょう

 「ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉に とまれ
 菜の葉に あいたら 桜にとまれ 桜の花の

 花から 花へ とまれよ 遊べ 遊べよ とまれ」

 蝶とは浮気癖のある男のことで、花は遊郭の女たちのことである。この歌の内容から判断すれば、浮気癖のある男をもつ妻が子どもに対し『あなたの父親はこんな人なのよ』

 と皮肉を込めてわかり易く歌に例えたといわれている。当時は男尊女卑の時代で、男性が方々に女を作っていても、あまり文句を言えなかった時代。自分の子供にはそうなってほしくないという女性の切ない願いもあったようだ。

 9 こぶとりじいさん 

 あるところに、頬に大きな瘤(こぶ)のある隣どうしの二人の翁がいた。片方は正直で温厚、もう片方は瘤をからかった子供を殴るなど乱暴で意地悪であった。ある日の晩、正直な翁が夜更けに鬼の宴会に出くわし、踊りを披露すると鬼は大変に感心して酒とご馳走をすすめ、翌晩も来て踊るように命じ、明日来れば返してやると翁の大きな瘤を「すぽん」と傷も残さず取ってしまった。
 それを聞いた隣の意地悪な翁が、それなら自分の瘤も取ってもらおうと夜更けにその場所に出かけると、同じように鬼が宴会している。隣の翁は出鱈目で下手な踊りを披露したので鬼は怒ってしまい、「瘤は返す。もう来るな」と言って昨日の翁から取り上げた瘤を意地悪な翁のあいた頬にくっつけると「今日の宴会はもうやめだ」と興ざめして去ってしまった。
 それから正直な翁は瘤がなくなって清々したが、意地悪な翁は瘤が二つになり難儀した。

10 はなさかじいさん

 「裏の畑でポチが鳴く 正直爺さん掘ったれば~大判小判がざっくざっくざっくざく」

心優しい老夫婦が、川で一匹の白い仔犬を拾いわが子同然にかわいがって育てる。あるとき犬は畑の土を掘りながら「ここ掘れワンワン」と鳴き始める。驚いた老人が鍬で畑を掘ったところ、金貨(大判・小判)が掘り出される。老夫婦は喜んで、近所にも振る舞い物をする。
 それをねたんだ隣人夫婦は、無理やり犬を連れ去り、財宝を探させようと虐待する。しかし犬が指し示した場所から出てきたのは、期待はずれのガラクタ(ゲテモノ・妖怪・欠けた瀬戸物)だった。隣人夫婦は犬を鍬で殴り殺し、飼い主夫婦にも悪態をついた。というのが真相。

 ほかにも「シャボン玉」や「すずめの学校」、「あかとんぼ」なども、その作品が作られた時代背景や本来の意味を知れば、悲しく切ない思いがこみ上げてくるという。

 幼少期には意味など考えずに、メロディとテンポ先行で口ずさんで覚えていた歌も、本当の意味を知ると怖くなる。今回の記事は、子どもに恐怖心を植え付けさせるような意図は毛頭ない。おそらくは先人たちの経験から教訓や戒めとして後世に伝えようとしたのだろう。「夜口笛を吹くと蛇が出る」というのも子供へのしつけの一環だろうし、秋田の伝統民話に登場する泣いてばかりいる子を戒めるために「なまはげ」という鬼を登場させ、丈夫で強い子に育てようとしたのだ。いい例として「ドラえもん」ののび太がいる。最初はいいが、図に乗った横柄な態度を見せると、必ずしっぺ返しがある。注意を怠り、図に乗っていると、今に痛い目に遭うということを大人目線で警鐘を促しているのだろう。

 しかし、今日紹介した動揺や童話には戒めにしては笑えないような内容が多く含まれている。度を越した作り話は、やがて、心霊現象として扱われたり、都市伝説を生むので気をつけたほうがいいだろう。

 参考資料(当ブログ記事より)

 「非科学的空想物~前編~」

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-d2ee.html

 「非科学的空想物~後編~」

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/post-1c1a.html

 上の記事は、震災年の2011年1月に掲載したもので、これをアップして間もなく、震災が発生した。あまりこの手の話題には触れないでいたが、また性懲りもなく類似したテーマで記事を書いてしまった。

 記事作成:3月23日(月)

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