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2015年5月

2015年5月27日 (水)

坂井泉水の命日に寄せて

 今日5月27日は、2007年のこの日に不慮の死を遂げたZARDのヴォーカル、坂井泉水さんの8回目の命日にあたる。あの日から早8年とは、月日の経つのは何と薄情なのかと一抹の悲しみを覚える。私は、デビュー当時からずっとZARDの熱烈なファンだった。いやもっと遡れば、彼女が本名の「蒲池幸子」名義で、モデルとして登場していた頃から、ピュアで清楚でお嬢さん風の容姿に心惹かれていた。そしてどこか悲しげで影があって、謎めいた雰囲気にも。彼女のCDは毎回欠かさず購入し、聴き入っていた。
 しかし、あの日、NHKのニュースで彼女の急死が報じられ、我が耳を疑ったものだ。「何かの間違いだ!嘘であってほしい・・・」。そんな気持ちと共に、打ちひしがれた絶望感が全身を襲ったのだった。その衝撃のニュースはコチラ。

 https://www.youtube.com/watch?v=gqBj2x-eTwo

 彼女は生前、照れ性で自己表現が苦手な性質でありながらも、精一杯音楽を通じて私たちにメッセージを送り続けてくれた。時に悩みを吹き飛ばすような曲も書いてくれたし、人間が抱える内面の葛藤、悩みも打ち明けるように書き綴った詩歌は琴線に触れた。その美しくも儚い印象の詩は、人々の心に安らぎと癒しを与えてくれていた。それは今も変わらない。現に、私の車のCDにはいつも彼女のアルバムを入れている。彼女がその限られた命を燃やして訴えたかったことは何だったのか。切ない乙女心か?生への執着か?美しいものへの憧れか?人間の本質を包み欠かさず表現したと個人的には思っている。

 本日は彼女の命日にあたり、以前も当ブログで紹介した記事「坂井泉水FOREVER」を再掲することで、彼女を偲び、彼女の存在を永遠の記憶の中に閉じ込めたいと思う。10年経っても20年経っても、坂井泉水という素晴らしいアーチストがこの世に存在していたことを忘れないために。そして彼女の遺した遺作とも思える楽曲の数々を後の世代に語り継ぐために・・・。8年越しとなる哀悼の意を捧げたいと思います。ではお送りします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「坂井泉水FOREVER」

 1990年代、その女性は日本のポップス界において最も光彩を放ち、輝いていた。彼女が出すシングルやアルバム曲は、毎週ヒットチャートの上位を独占。テレビアニメの主題歌に幾度となく起用され、誰もが口ずさめるシンプルでアップテンポでリズミカルなメロディーライン。しかし、神は無慈悲にも彼女に永遠の輝きを与えることはなく、試練を授けた。傍目には順風満帆の歌手人生に見えていたが、いつしか忍び寄る病魔に蝕まれ、あのような非業の死を遂げるとは思いもしなかっただろう。いやそれともそれも承知の上での覚悟の事だったのだろうか・・・。

 生前、彼女のデビューは秘密のベールに包まれていた。覆面歌手(ユニット)として、公の場に姿を見せることを頑なに拒むかのような身の置き方であった。まるで正体不明で、一時「彼女はこの世に実在しないのではないか」との憶測も飛び交うほどであった。デビュー当時の松山千春を彷彿させる、そんな不思議な存在だった。一体どんな人が歌っているのだろうと興味津々だった。独特な鼻にかかった甘ったるい声質。それでいて艶やかで伸びのある美声。初めて彼女の姿を見た時、私は言いしれぬ衝撃と感動を覚えた。「何て美しい女性なのだろう」と。ピュアな印象と透明感を醸し、現代の若い人には珍しいくらい独特な落ち着き。そしていつも伏し目がちで少し影を感じさせる妖しい雰囲気の持ち主。何もかもが魅惑的で神秘的。
 彼女はデビュー前、様々な職業をこなしていた。OL、レースクイーンやモデル、カラオケのPV出演、そして時には、その美形な顔立ちとスタイリッシュな体型を活かしてイメージビデオにも出演した。しかしそれは自らの身を立てる為の手段で、内心は歌手になることを捨て切れなかったということで、何も引け目を感じることではないし、ファンへの裏切り行為でも何でもない。
 しかし、もしかすると、そうした過去を包み隠そうとしてテレビ出演を拒み、CDリリースのみで自分の感性を発表する場とし、そのような存在形態を確立しようと模索していたのかも知れない。そして彼女の雰囲気の中にあるそうした「影」の部分を自然に作り出していたのかもしれない。彼女のCDジャケットやZARDのボーカルとして撮影された画像は、殆どがカメラ目線はなく、素顔を見せることを避けているかのように伏し目がちかあるいは遠目に撮影したものばかりである。ファンならずともここで言う「彼女とは誰なのか」もうおわかりだろう。そう、彼女とはポップス系ユニット「ZARD」のボーカルだった「坂井泉水」である。

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 彼女の歌声は1990年代、世の中を席巻し、テレビ、ラジオ、CDショップなどでは毎日のようにBGM替わりに流されていた。リリースする曲がすべてメガヒット。私は8cmCDの時代から、ずっとZARDのシングルを所有していた。デビュー曲の「Good-bye My Loneliness」から遺作となった「グロリアスマインド」まで。シングルは実に45枚発表された。オリコン調べによる(2009年6月現在)ランキングによると、アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数)は3,743万枚で歴代7位の記録。シングル:1,768万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位) 、アルバム:1,971万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位) 、シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)、 90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位) 、シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位) 、シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)、アルバムミリオン獲得数:9作(歴代4位タイ)、アルバム連続ミリオン獲得数:9作(歴代1位)、アルバム1位獲得数:11作(女性ボーカルグループ1位タイ)という実に輝かしい記録である。

 <私の好きなZARDの曲ベスト20>

 1位 「揺れる想い」・・・1993年5月19日発売 最高位1位
 2位 「マイフレンド」・・・1996年1月8日発売 最高位1位
 3位 「永遠」・・・1997年8月20日発売発売 最高位1位
 4位 「負けないで」・・・1993年1月27日発売 最高位1位
 5位 「心を開いて」・・・1996年5月6日発売 最高位1位
 6位 「君に逢いたくなったら」・・・1997年2月26日発売 最高位2位
 7位 「きっと忘れない」・・・1993年11月3日発売 最高位1位
 8位 「この愛に泳ぎ疲れても」・・・1994年2月2日発売 最高位1位
 9位 「風が通り抜ける町へ」・・・1997年7月2日発売 最高位3位
10位 「愛が見えない」・・・1995年6月5日発売 最高位2位
11位 「こんなにそばに居るのに」・・・1994年8月6日発売 最高位1位
12位 「Good-bye My Loneliness」・・・1991年2月10日発売 最高位9位
13位 「眠れない夜を抱いて」・・・1992年8月5日発売 最高位8位 
14位 「君がいない」・・・1993年4月21日発売 最高位2位
15位 「運命のルーレット廻して」・・・1998年9月17日発売 最高位1位
16位 「息もできない」・・・1998年9月17日発売 最高位3位
17位 「瞳閉じて」・・・2003年7月9日発売 最高位4位
18位 「もう少しあと少し」・・・1993年9月4日発売 最高位2位
19位 「あなたを感じていたい」・・・1994年12月24日発売 最高位2位
20位 「痛いくらい君があふれているよ」・・・1999年10月14日発売 最高位5位
次点  「この涙  星になれ」・・・1999年12月1日発売 最高位5位

  シングル曲ではないが、「Oh my love」も大好きな曲だった。

 タイトルを見ると、彼女はまるで自らの死期を悟り、悲しい別れを暗示しているかのような意味深なネーミングばかりである。タイトルを知らなくても、そのサビの部分やメロディラインの一部を聴いただけでも一度は聞き覚えのある曲ばかりに違いない。

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 次に、デビュー前から彼女がスターダムにのし上がるまでの経歴をここで簡単に振り返ってみたい。
 彼女は1967年2月6日神奈川県平塚市生まれ。秦野市育ち(小学校4年より)。本名は蒲池幸子。血液型はA型。秦野市立西小学校、秦野市立西中学校、神奈川県立伊志田高等学校卒業。中学時代は陸上部で活動をする傍ら、ギタークラブでも活動していた。高校時代は硬式テニス部に所属。松蔭女子短期大学を卒業後、不動産会社にOLとして約2年間勤務した。
 しかし、転機が訪れた。街頭でスカウトされ、スターダストプロモーションに所属し、本名「蒲池幸子」でモデル活動を行う。モデル時代の公式プロフィールは1969年生まれとなっていた。この時期、セミヌード写真集「nocturne」を出している。1989年(22歳) からドラマや人気歌手のPV、更にはバラエティ番組のアシスタントなどに多数出演する。東映カラオケのPR活動などで地方のカラオケ店を巡業する。この企画はZARDでの歌手デビュー後の1991年3月まで続いた。日本エアシステムのフルロードキャンペーンのキャンペーンガール。
 1990年(23歳)の時には日清カップヌードルレーシングチーム(2輪)のレースクイーン。岡本夏生は同期。 6月、写真集『Body Works』出版。 6月21日、ビデオ『SEXY SHOOTING』(サザンクロスビデオアーツ)発売。7月24日、写真集『NOCTURNE出版。モデルやグラビアアイドルとして順調に仕事をこなしていた。 冬にはフジテレビ系番組『オールナイトフジ』のグラビア美少女のコーナーに出演。 その他、雑誌グラビアに多数掲載される。これらは華やかで決して下積みとは呼べないが、彼女がひた隠しにしたかった過去だったのかもしれない。
 そしてまたまた一大転機が訪れた。1990年8月に所属の「スターダストプロモーション」の代表取締役、細野義朗にビーイング社長、長戸大幸を紹介されオーディションを受ける。長戸に才能を認められ、坂井泉水として音楽ユニット「ZARD」結成の準備に入る。そして念願だった歌手デビューを1991年(24歳)で果たすこととなった。2月10日にシングル「Good-bye My Loneliness」でデビューし、 以降、音楽活動を続ける。それ以降の活躍については前述の通り。

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 「美人薄命」とは彼女のために用意された言葉なのかも知れない。運命の悪戯に翻弄され、天国と地獄の両方を味わい、人知れず病気と闘い、ひとり天国へと旅立っていった。ファンにあまりにも突然の悲しい訃報を残しただけで・・・。彼女は素顔を晒すことはあまりなかった。あれだけの美貌の持ち主ながら、結婚もせず、女性としての幸せを掴むことすら望まなかったように思える。ここから先の文面は、ややショッキングなため掲載するかどうか迷いに迷ったが、彼女の人生を締め括るエピローグなので、やはり包み隠さず全てを掲載したい。

Sakai11  2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。その年のNHK紅白歌合戦を「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。 2007年年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗ガン剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。しかし、5月26日朝の5時40分頃、目撃者の証言によれば、入院先の病院内のスロープの手摺りに腰をかけていたのだが、そこから3メートル下に予期せぬ転落をして、駐車場で仰向けに倒れているのを通行人に発見される。ICUで緊急処置を受けたが、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急死し、還らぬ人となってしまった。倒れていたのが早朝6時前という時刻で、あまりにも不自然で不可解な突然死に、事件事故の両面から検証が行われたが、自殺とみられる兆候はなかったことから事故として処理された。これからという矢先の40歳という若さでの孤独な旅立ちであった。しかし真相は本人にしかわからない。闘病生活に疲れ、死を予感して、または先行きを不安視しての発作的に自ら落ちたのかも知れない。彼女の葬儀は青山葬儀所で、しめやかに親族だけの密葬として執り行われた。そして、レコード会社と所属事務所の合同音楽葬としてファンとのお別れ会が6月27日に青山斎場で開かれ、往年のヒット曲が会場に流れる中、四万人を越える大勢のZARDファンが詰めかけ、あまりにも唐突で早すぎる死を悼むと共に、彼女との永遠の別れを惜しんだ。

 彼女の衝撃的な死から早いもので3年以上の月日が流れた。私は未だに彼女がもう過去の人だという事実を受け止めきれないでいる。彼女のPVを見ると居た堪れない気持ちになる。今でも「名探偵コナン」のエンディングテーマに坂井泉水の声が鳴り響く時がある。私は毎日のように彼女のベスト盤CD(MD)を聞きながら、職場までの道のりを往復運転している。彼女の甘い歌声、時には「彼女が生涯をかけて伝えたかったことは何だったのか」という文字通り命題に至るまで深く考えさせられ、身につまされて感じることもしばしである。もう二度と生で歌う姿を見ることは叶わないが、彼女のあの愛らしい、そしてちょっと照れた素振りで歌う姿やスタイル、笑顔、そしてその美声を永遠に忘れはしない。
「坂井泉水、フォーエバー(永遠なれ)!」

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 最後に在りし日の彼女の歌声をどうぞ!私が一番好きな「揺れる想い」もあります。

http://www.youtube.com/watch?v=lvYW1KDIPlI&feature=related

 「心を開いて」

「♪人と深く付き合うこと 私もそんなに得意じゃなかった
でもあなたを見ていると 私と似ていてもどかしい
そういうところが たまらなく好きなの♪」

 この部分歌詞が大好きで、おそらく彼女自身もこういう生き方をしていたのだと思う。

 Oh my love

http://www.youtube.com/watch?v=dbqrY2vmSQ4&list=RD02OZEt21pk6pM

 関連記事(我が永遠なる歌姫)はコチラ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/post-abd8.html

 彼女を追悼するファンの想い

 ZARD 坂井泉水さん 追悼◆その足跡と魅力

 彼女の面影を偲ぶ「ZARD Small Live」はコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=fU494K-3cps

 
 記事作成:3/26(木)

 坂井泉水さんのお墓参りの記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1022-6804.html

 * ご親族の強い意志により場所が特定できないような処置を施してあります。予めご了承ください。

 坂井泉水さんの転落事故現場訪問の記事はコチラ ↓

http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/1023-1efb-1.html

2015年5月26日 (火)

磐梯山(表磐梯と裏磐梯)

 民謡にも歌われている磐梯山は「宝の山」と呼ばれていた。今でも活火山で、日本百名山に選ばれている。その宝の山に形容される威容を誇る磐梯山は、過去、3度に渡って大規模噴火を起こし、特に1888年の明治21年噴火ではその山の形が大きく変わってしまう「山体崩壊」を引き起こした。ではWikipediaに記載された資料を引用したい。

<磐梯山>

 1888年、水蒸気爆発が引き金となって磐梯火山で大規模な崩壊が発生。岩屑なだれによって長瀬川がせき止められ、桧原湖、小野川湖、秋元湖、五色沼などの湖沼ができた。磐梯山の場合、山から湧いていた温泉により岩石の風化が進んでいたことが崩壊の要因となった。

 猪苗代湖の北にそびえる活火山(成層火山)で、標高は1904年(明治37年)に設置された三角点「磐梯」の1,818.61mを公式に用いていたが、同点が侵食されて消失したため2010年(平成22年)10月に同じ場所に新設して計測し直し、同年12月27日に1,816.29mに改められた。広義的には、主峰磐梯山のほか、赤埴山(1,430m)、櫛ヶ峰(1,636m)を含めて「磐梯山」ともしている。磐梯高原を含めて磐梯朝日国立公園に属する。

 元は『いわはしやま』と読み、『天に掛かる岩の梯子』を意味する。磐梯山の麓は南が表磐梯、北が裏磐梯と呼ばれる。表磐梯から見る山体は整った形をしているように見えるが、裏磐梯から見ると、一変して山体崩壊の跡の荒々しい姿を見せる。2007年(平成19年)には日本の地質百選に選定された。また、2011年(平成23年)には日本ジオパークに認定された。

 表磐梯

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 麓には日本で4番目に大きく、かつては透明度日本一にもなったことがある美しい猪苗代湖が広がっている。
 私は上戸(じょうこ)方面のから国道49号線を会津方面に向かう途中、上戸の長さ10mもない短い隧道を抜け、その先の右カーブを曲がった先、志田浜越しに望む磐梯山が大好きだ。空気が澄んで、雲ひとつかかっていな好天時には、間近に巨大な磐梯山に圧倒される。それほどの絶景が広がる。ナイタースキーへ向かう時には、リフトの帯が夜空を照らし、それは絵にも描けぬ美しさだ。

 裏磐梯

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 噴火によって堰き止められ、桧原湖、五色沼の湖沼群、秋元湖、小野川湖が誕生した。旧檜原村は、檜原湖の湖底に沈んだ。紅葉シーズンとスキー、ワカサギ釣りシーズンには観光客で賑わう。桧原湖は湖を一周できる遊覧船があり、大きく割れた火口部分と山体崩壊した概容が見て取れる。磐梯山のもうひとつの顔をあらわにしている。「磐梯山噴火記念館」では、貴重な資料が展示されているし、磐梯山の噴火時の様子や、周辺の地形の変化を3D映像で楽しめ、勉強になる。五色沼のハイキングコースを散策するのも良し、毘沙門沼で手漕ぎボートを楽しむも良し、キャンプにバス釣りなど楽しみ方はいろいろだ。

 これだけ、同じ山でありながら表磐梯(南側)と裏磐梯(北側)の外観が異なるのも少ないだろう。それほど、噴火の勢いは凄まじく、周辺の地形や風景を一変させてしまったことになる。山は一種の信仰の対象となるだけに、当時の人々は山神が怒ったと例えたのも無理はない。

 有史以降の噴火

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  806年(大同元年)に噴火し、それまで2,000m以上あった富士山型の山から、1888年噴火前の4峰(大磐梯、小磐梯、赤埴山、櫛ヶ峰)になったといわれているが、富士山型の山の崩壊については有史以前からの何度かの噴火によるものとの研究もある。崩壊の推定規模 5*108m3

  • 1787年頃 水蒸気噴火?
  • 1888年 7月15日 水蒸気噴火:岩屑なだれ、 火砕流、降灰、死者 461、堰止めにより檜原湖・秋元湖などが生じる。
  • 1938年 5月9、15日 ラハール(火山泥流) 死者 2
  • 1954年 4月3日 小規模岩屑なだれ
  • 1965年 気象庁による観測開始。
  • 1988年 火山性地震多発。
  • Bandai2 Bandai3

     外国の火山での山体崩壊から磐梯山の噴火前の全体像を推測してみたい。

     セイント・ヘレンズの噴火前と山体崩壊後の比較 

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     右側の山頂部がふたつに分かれた噴火後の様子は、檜原湖から眺めた裏磐梯そっくりだ。2,500m程度あったとされる磐梯山は、水蒸気噴火で700mが吹き飛んで崩れ落ち、現在の1,816mとなった。つまり3分の1が失われた形だ。

     磐梯山の山体崩壊前の予想図と現在の姿

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     私たち福島県民が、何気なく見ている磐梯山。実は郡山市内からでも見ることができる。それは国道4号バイパスを安積町から市街地方面に向けて走っていると、バイパスの高架橋からその山頂部分を確認できる。また、ビッグアイの展望室からも確認できる。

     しかし、最後の噴火から126年が経過した今、蔵王や吾妻山で火山性微動が継続発生し、小規模噴火の兆候が見られる。昨年の御嶽山と言い、阿蘇山や桜島でも断続的に噴煙を上げている。そろそろ磐梯山も・・・という意識が芽生えて来る。たぶんあと10年は水蒸気爆発が起きる危険は少ないだろうが、御嶽山の噴火を教訓とし、危機意識の高揚と災害への備えは怠ってはいけない。ただでさえ、福島県は群発地震の多発地帯である。福島県沖を震源地とする地震も頻繁に起きている。したがって、私たちは、東日本大震災を経験した身として、同じ過ちを繰り返さないような手立てを常日頃から実践しなければならない。

     最後に、磐梯山の噴火で湖底に沈んだ旧桧原村の現在の様子をお伝えして結びとします。画像は季節によって水面から姿を見せる「大山祇神社」の鳥居。

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     記事作成:5月4日(月)

     ~お知らせ~

     明日5月27日は、私が愛してやまなかった「坂井泉水」さんの8回目の命日にあたることから、過去何度か掲載した彼女の追悼記事「坂井泉水の命日に寄せて」(坂井泉水FOREVER)をお送り致します。予めご了承願います。(SUZU)

    2015年5月22日 (金)

    芸能人そっくりさん3

     このテーマでお送りするのは今回が3回目。芸能人は結構似ている人が多い。血液型が同じであれば、雰囲気まで似ているように思う。たぶん性格も・・・。今回は10組の有名人を取り上げるが、私見や主観が大半を占めているので他人が見たら似ていないと思うかもしれない。それを先にお断りしたい。

     有安杏果と鶴見虹子

    Ariyasu Turumi

     ももクロの有安杏果と女子体操選手で日体大の鶴見虹子(こうこ)。横顔が特に似ている。有安はA型だが、鶴見は不詳。たぶん同型だと思う。

     宮脇咲良と武田玲奈

    Miyawaki Takeda

     HKT48&AKB48兼任の宮脇と「めざましテレビ」の「もっとイマドキ」に出演中の武田はそっくり!武田はなんと福島県いわき市出身の17歳。宮脇と同い年。宮脇はA型で武田は福島県に多いB型。

     玉山鉄二と長瀬智也

    Tamayama Nagase

     男くささムンムンの2人。顎鬚が良く似合い、野生的で男っぽい印象。ふたりともO型。玉山鉄二は、父親の祖国が韓国であることをカミングアウトした。

     徳井義美と高橋光臣

    Tokui Takahashi

     徳井は芸人でチュートリアル。高橋はNHK連続テレビ小説「梅ちゃん先生」で松岡役を熱演。両者ともに血液型はA型。

     向井理と田中圭

    Mukai Tanaka

     両者ともO型。年齢も近く、向井は33歳で田中は30歳。向井は昨年、女優の国仲涼子と結婚し、世の女性を落胆させた。このほど妊娠が発表された。田中はNHKの大河ドラマ『軍師官兵衛』で石田三成役を務めた。

     実はこの二人に似た爽やか系イケメンだったのが、同じO型の「田中実」だった。残念ながら、自ら命を断ってしまった。

     佐藤健と松坂桃李

    Sato_2 Matsuzaka

     両者共にA型。好青年という印象。

     中山優馬とさかなクン

    Nakayama Sakanakun

     ジャニーズのNYC所属の男性アイドルと東京海洋大学客員准教授で、魚類学者でもあるさかなクン。意外な取り合わせだが、顔立ちは似ている。両者共に血液型はA。一部サイトにO型と掲載してあるものもあるが、A型で間違いない。中山の姉のアイドル山田菜々もA型。

     田中麗奈と岩本乃蒼

    Tanakarena Iwamoto

     田中麗奈はCM「なっちゃん」が出世作となり、今では数々の映画やドラマに出演する女優。一方の岩本乃蒼(のあ)は、慶應義塾大学卒の日本テレビの女子アナ。両者共にA型。お嬢さん風の外見はやっぱり・・・。

     佐藤かよと眞鍋かをり

    Satomanabe Satokayomanabe

     眞鍋と佐藤かよの両者ともA型。眞鍋は高学歴のタレントとしてブログの女王に君臨。一方の佐藤は、男性でありながら整形は一切しておらず、誰が見ても女性にしか思えない容姿。ふたりが並ぶと美人姉妹にしか見えない。

     志田未来と高畑充希

    Sida Takahata

     両者ともにAB型。高畑は有村架純(B型)にも似ている。ABはB型の血も混ざっているからか?

     他にも女優の上野樹里とSKEの松井珠理奈は似ていると思っている。元アイドル「きゃんきゃん」のメンバーで現在、京本政樹夫人の山本博美とグラビアアイドルの柳ゆり菜も似ている。

     今日紹介した10組のうち、宮脇咲良と武田玲奈を除く全員が同じ血液型という不思議。やはり顔立ちは似てくるものか。これはもはや他人の空似の域を越えている。女性は髪形でイメージチェンジを図れるが、「ざわちん」の力を借りなくても、これなら誰が見ても似ていると思ってくれるだろう。芸能界では似ていることは、二番煎じと言って致命傷になることも多いが、誰かの真似ではなく、個性を発揮してくれれば、生き残れる確率は増すだろう。厳しい世界に身を投じ、プライバシーもなく、変装しなければ街も歩けない特殊な世界にあって、頑張っている方々にエールを送りたい。

     記事作成:4月26日(日)

    2015年5月19日 (火)

    映画・ドラマのロケとなった福島県の桜の名所

     今年はいつになく桜の開花が早かった。4月初旬に見ごろを迎えた。日本三大桜に謳われる「三春滝桜」は、全国から観光客を呼び寄せる花見のメッカとなっている。
     ところで、ご当地福島県は、桜の花々が美しいことから、映画やテレビドラマなどに度々取り上げられている。今日は、それをテーマにお送りしたい。

     1.石部の桜(NHK大河ドラマ「八重の桜」)

     大河ドラマ「八重の桜」のオープニングに登場した。 「石部桜」は 田んぼ の中でのびのびと枝を広げていて堂々たる姿。 老木ながら花は可憐、この桜の見るべき は隆起した根元に広がる迫力の景観。 淡いピンクの花が咲き誇る満開時の姿はまるで桜の森。樹高11m、幹が根元から8本に分かれ、幹全体の枝張りは20mに及ぶ巨大なエドヒガンで会津五桜の中で1番早く開花する。 昭和43年、市の天然記念物に指定された。

    Ishibe

     2.小沢の桜(映画「はつ恋」)

    https://www.youtube.com/watch?v=W_bPC9ZPexI

     17歳の高校生・聡夏の春休みは、初めての失恋と母・志津枝の突然の入院で始まった。父・泰仁とのギクシャクしたふたり暮らし、思わしくない母の病状に、動揺する聡夏。そんなある日、病床の母の頼みで彼女が大切にしていた古いオルゴールを探し出した聡夏は、その中から投函されていない一通の手紙と一枚の写真を見つける。手紙は24年前に母が藤木真一路という父ではない誰かに認めたラヴレターで、色褪せた写真には若い頃の志津枝と藤木と思われる男性が写っていた。「私たちはこのまま終わりになってしまうのでしょうか?あの願い桜の下でもう一度会ってください…、桜が咲いたらもう一度」切ない母の想いが綴られた文面。それを読んだ瞬間、聡夏は母に内緒で藤木を探し、24年前の母の願いを叶えてあげることを決意する。その「願い桜」と呼んだ桜が、船引町(現田村市)にある「小沢の桜」だ。

    https://www.youtube.com/watch?v=epGYJxJiRzw

     3.開成山公園(映画「時をかける少女」)

     さくら通り沿いの市役所の南向かい側の土手で撮影。桜のシーズンにはこの土手には上がれないようにロープが張られる。夜間はライトアップされる。陸上競技場&野球場へ入る門の西側部分(球場方向)がロケで撮影に使われた場所。ラストシーンに登場する。

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     4.映画「春色のスープ」

     ロケ地マップ

    https://www.google.com/maps/d/viewer?ie=UTF&msa=0&mid=z_B1xCp_e1VY.ke9FuT2rlhlQ

     桜が綺麗な土手は、県立南会津高校西側の南郷保育所の裏手の川沿い。この映画では福島県内をくまなく撮影している。

     さて、桜のシーズンが終わった後に、このような記事も無いかと思うが、県内だけを見ても、これだけ多くの桜の名所が撮影等に使われている。満開時には駐車場を埋め尽くすくらい、そして周辺は大渋滞を引き起こすが、今は葉桜になっていて、見物客もいない。私は旅行では、放送中や、観光客が多く押し寄せている時には、そうした名所には行きたいとは思わない。ブームが去った後に、ひっそりした静寂な感じに堪らなく魅力を感じる。兵どもが夢の跡のような雰囲気を味わいたいのだ。だから、新緑や初夏の頃が最も旅に出たい時期となる。

     記事作成:5月2日(土)

    2015年5月18日 (月)

    巨人軍エピソード

     私はもの心ついた頃から巨人ファンだ。それはO.Nの活躍もあって、V9時代の強い巨人が野球界を牛耳っていた全盛の頃、小学生時代を過ごしたこともあって、野球少年だった私にとっては憧れの的だった。しかし、長年G党を続けていると、不思議なことが多くあることに気づく。今日は巨人に関する疑問をエピソードとして取り上げてみたい。

     1 巨人軍の名前の由来

     唐突だが、私が子供の頃の12球団は以下の通りだった。

     セ・リーグ・・・巨人、阪神、中日、ヤクルト、大洋ホエールズ、広島
     パ・リーグ・・・阪急ブレーブス、南海ホークス、ロッテオリオンズ、日拓ホームフライヤー
             ズ、 太平洋クラブ(クラウンライター)ライオンズ、近鉄バファローズ

     特に人気が無く、経営が危うかったパ・リーグで身売りや合併など入れ替わりが激しかった。そんな日本のプロ野球にあって、12球団の中でもっとも古い歴史を誇り、かつ人気球団として球界の盟主として長年君臨しているのが「東京読売巨人軍」。つまりジャイアンツ。しかしなぜか軍隊ではあるまいし、唯一軍隊のような名称を使用しているのには理由があるのか? 

     「読売巨人軍」という名称は、野球規約上の正式な球団呼称である「読売ジャイアンツ」を日本語に意訳したものです。「ジャイアンツ」は球団のニックネームです。もともと読売新聞社が昭和10年に日本初のプロ野球チームを立ち上げたときの球団名は、「大日本東京野球倶楽部」(野球クラブ)という大変長い名前だったのですが、球団結成直後に行なわれたアメリカ遠征中、現地で同球団の世話役を務めていたフランク・オドール氏(大リーグのニューヨーク・ジャイアンツに所属していた元左腕投手)が、「“大日本東京野球倶楽部”という名前はなんとかならないか。宣伝ポスターを作るにも名前が長すぎて字が入らないくらいだ。私が昔ニューヨーク・ジャイアンツにいたから、とりあえずチームのニックネームは“トーキョウ・ジャイアンツ”にしたらどうだろう」と球団側に提案し、球団の親会社である読売新聞社もこの提案内容について、「渡米中に行う対外試合だけは、とりあえず“東京ジャイアンツ”でやってよろしい」とこれを承諾したため、ここに初めて「ジャイアン
    ツ=巨人軍」というニックネームが誕生することになりました。(Yahoo!知恵袋より)

     2 巨人は昔から左投手に弱い

     「巨人キラー」という言葉がある。巨人戦になると野球中継があって、しかも超満員のスタンドで、いつも以上に燃える選手が多くなる。巨人は人気球団だけに何かと注目される存在だけに、相手の選手のモチベーションがいつもより断然高くなる。逆に言うと、巨人は他球団よりもマークが厳しく、エース級の投手をぶつけることが多々ある。
     とりわけ不思議なのは、巨人は昔から左投手にめっぽう弱いという統計がある。これは事実で、左投手に好投手が多いというのもあるが、巨人キラーには左投手が断然多い。

     セ・リーグの左投手と言えば、古くは金田(国鉄)、江夏(阪神・広島)から始まり、山本和行(阪神)、下柳(阪神)、大野(広島)、川口(広島)、安田(ヤクルト)、山本昌(中日)、 野口(中日)、今中慎司(中日)、岩瀬(中日)、土肥義弘(横浜)、野村(横浜)、藤井(ヤクルト)、石井一久(ヤクルト)、石川(ヤクルト)だが、いずれも巨人が苦手としていた投手たちだった。ではどれくらい苦手だったか、そしてそれぞれのサウスポーがどれほど「巨人キラー」だったか探ってみたい。通算成績と対巨人戦の成績を見れば一目瞭然。

                      
     1 金田正一   国鉄時代通算353勝267敗、対巨人65勝72敗
     2 江夏 豊    対巨人通算31勝34敗
     3 山本和行   阪神の抑えの切り札100勝と100セーブを巨人戦で達成した。
     4 下柳      阪神での通算80勝54敗中、対巨人16勝7敗
     5 大野      巨人戦通算成績は22勝33敗27セーブ
     6 川口和久   広島での通算131勝122敗、対巨人33勝31敗
     7 安田猛     対巨人戦通算成績は16勝20敗
     8 山本昌     通算210勝160敗、対巨人41勝44敗
     9 野口      対巨人成績も中日での通算80勝78敗中、14勝15敗
    10 今中      通算91勝69敗、  対巨人通算25勝20敗
    11 岩瀬             今年も現役だが407セーブの日本記録を更新中
    12 土肥 横浜での通算25勝35敗中、対巨人13勝4敗
    13 野村弘樹   通算101勝88敗、対巨人25勝17敗
    14 藤井秀悟   対巨人通算13勝15敗
    15 石井一     対巨人通算21勝23敗
    16 石川雅規   対巨人通算13勝16敗
    17 井川慶     対巨人通算19勝13敗
    18 松本幸行   中日での通算98勝89敗、対巨人17勝18敗

     「巨人キラー」とか左投手に弱いと言っても、大きく負け越しているのは僅か。実際は巨人戦に負け越している投手が多い。あの江夏ですらそうだ。勝ち越しているのは下柳、川口、今中、土肥、野村、井川くらいなもので、そんなに大負けしている訳ではない。私が思うに、テレビ中継で負けたときの印象が色濃く残ってしまうから、完封されることも多く、それがまったく打てずに苦手意識として記憶に取り込まれてしまうのではいか。

     右投手でも平松(51勝47敗)、板東英二(対巨人通算17勝9敗)、星野仙一(35勝31敗)、川上憲伸(対巨人戦24勝18敗)、川崎憲次郎(対巨人29勝24敗)、齋藤隆(対巨人19勝17敗)、池谷公二郎(対巨人通算24勝20敗)、広島の変則フォームの山内泰幸は巨人戦10連勝を含む13勝4敗)と巨人をお得意としていたキラーが数多くいた。今年8年ぶりに古巣に復帰した黒田博樹は広島での通算103勝89敗のうち、対巨人20勝17敗だった。

     現役では、能見にも苦手意識が強い。能見の巨人戦通算成績は49試合登板、17勝10敗、防御率2・73。これは前述したように、他球団が巨人の独走を阻むべく、包囲網を形成し、主力選手を巨人戦にぶつけて出鼻を挫こうという魂胆が見える。だから左投手に好投手が多いため、必然的に攻略が難しくなるという図式だ。   

     3 巨人を追われた選手の復讐心

     巨人は人気抜群だったために、テレビ放送が毎試合あって、何かと注目される球団だった。その反面、他球団の選手やファンからは目の敵にされる存在でもあった。巨人に入団を熱望していても、ドラフトというクジに自らの運命を託さなければならない不思議な世界。残念ながら巨人ファンであった選手やトレードなどで巨人を追いやられた選手は、人一倍巨人戦になると燃えたものだ。

     谷沢、田淵、平松、星野、清原などはその典型だ。

     4 巨人は初物に弱い?

     中日の近藤真市投手の1987年初登板は巨人戦だったが、いきなり初顔合わせでノーヒットノーランを食った。また、長身の外国人投手にもめっぽう弱いというデータがある。でも初物に強いチームもあまりない。その投手の球種や持ち味、配球、決め球、クセなどは初対決だとなかなかつかめない。だからこれは巨人だけの傾向ではないが、テレビ中継が多く、注目されたり話題になることが多いために、目立ってしまうだけの話ではないのか。だとしたら、交流戦などではあまり対戦しない選手との対決があったり、新人投手を打ちあぐねているケースはどこにでもありそうだ。

     5 巨人ファンはO型で成り立っている?

     巨人・大鵬・目玉焼きという流行語があった。いずれも時代の寵児であり、日本国民の多くから支持される人気者である。でも私の周りもそうだが、血液型O型は、なぜか巨人ファンが断然多いという衝撃的事実がある。O型は勝ち馬に乗る傾向が強い。勝負師が多く、賭け事が好き、そして力関係に敏感なのだ。だから長いものに巻かれやすい性質がある。風見鶏傾向で日和見的なところも見え隠れする。強いものに憧れる傾向は強い。私の身の回りにいるO型10人に好きな球団を聞いたら、7人が巨人と答えた。好きな色は赤という人が5人と半数を占めたのも納得だった。

     6 巨人移籍のビフォー・アフター(スラッガー編) 打率・本塁打・打点比較

     トレードやFAで巨人に移籍してきた他球団の主力選手たち。しかも4番を張っていたスラッガーがいかに多いことか。
           
                     移籍前          巨人             移籍後

     張本 勲(日ハム)   .276  15   46     .355   22    93       .261  12  39
     蓑田浩二(阪急)    .241  13   50     .234    6    18       引 退
     石井浩郎(近鉄)      .286    0    0      .333   1    14        .266  10  51
     清原和博(西武)      .257   31  84      .249   32   95       .222  11  36
     マルチネス(西武)  .283   30  95     .324   16   56         引 退
      ペタジーニ(ヤクルト).322  41  94      .323   34   81       .281   1    9
     ローズ(近鉄)          .276   51 117     .287   45   99        .291  42  96
      李(ロッテ)            .260   30  82      .323   41  108       .201  15  51
     小久保(ダイエー)    .292   32  89      .314   41   96        .277  25  82
     小笠原(日本ハム)   .313  32  100     .313   31   88        .301   1  18
     広沢(ヤクルト)        .271  26   73     .240   20   72        .217   5   16
     
     
     さて、ご覧頂いた通り、巨人に纏わる不可思議エピソードをお送りしましたが、中には納得というのもあるし、巨人の盟主たるプレッシャーに押しつぶされた例もあった。

     これらのデータは一部の項目を切り取って検証しただけなので、パーフェクトではないが、多角的視点でプロ野球を観戦すれば、興味深く見ることも可能かもしれない。異論反論はあるかもしれないが、ひとつ視野が広がったくらいの感覚で見てもらえたら幸いです。

     記事作成:5月14日(木)

     追記

     巨人というのは不思議なチームで、昨年、今年とチーム状態は良くないのに、なぜか優勝し、今年は2位と好位置につけ、優勝争いに絡んでいる。しかし、今年は3割打者が皆無で、打撃15傑にひとりも入っていない。打撃部門の最高は打率.257の井端が最高。主力も怪我で二軍落ちもいた。投手陣だって、エース菅野も勝ち星が先行せず苦しいやりくりだ。新人の高木が頑張ってはいるものの、チームの防御率は2.78。これはセ・リーグ6チーム中4位で決して良くない。打てない、投げれないのに首位争いをしている。これは原監督の采配が凄いのか?まったくもって不可解だ。しかも対戦5チーム中、2チームに負け越している状況。これはよほど運が良いか、勝ち方が上手いのか?まったくもって不思議なチームだ。
    そしてやはり打線は貧打。その現況は4番と主将の役目をまったく果たしていない坂本。復帰後5戦、20打数4安打。16回も凡打で終わり、チャンスを作れない、好機を潰す。スタメン出場させないでほしい。二遊間は井端と片岡で固定し、三塁に大田をコンバート、一塁に阿部、外野を亀井、アンダーソン、橋本到で固定してほしい。
    牽制でチャンスにタッチアウトになっても、へらへら笑っているような野球に執着心のない坂本は不要。さっさと二軍送りにしてもらいたいものだ。

     追記2 6/13(土)

    6月11日に衝撃のトレードがあった。それは私が買っていた矢野謙次外野手を巨人が放出。すると翌日のゲームで日本ハムに異動した矢野が大爆発。DH6番で抜擢された初戦でいきなり3安打固め打ちで勝利に貢献。しかもお立ち台でヒーローインタビューの活躍。巨人は層が厚いが、使い物にならない選手が多い。外野では高橋由、亀井、堂上くらいで、後は飼い殺し状態。だからベテランの矢野もまったく出番が回ってこなかった。それが日本ハムに移った途端、仕事場が見つかり、生き生きプレー。

     巨人のフロント陣の節穴ぶりがまたまた露呈した。私には信じられない無能ぶりだ。巨人を追われた選手は昨年、プロテクトを外れ、広島に移った一岡もそうだが、矢野の放出はあまりにも痛い。巨人の選手の実力を見抜く眼力の無さがありありとなった。実に情けない。日本ハムは儲けものだ。たぶん、巨人に加入した2選手は使い物にならない筈だ。

    2015年5月16日 (土)

    人生の落日 ~花散る日~

     この日(5月16日)は私にとって尊敬してやまなかった亡き祖父の命日という特別な日にあたるため、今回で6度目になるが、この詩を再掲載し、亡き祖父に捧げたい。

     人生の落日 ~花散る日~

    また僕は人生で大切な人を失った 
    親父が死んで ずっと父親代わりだった心の支え
    あなたは僕にとって大きな存在 
    幼少の頃は未熟児だった僕に剣の道を説いた
    尊敬する人は誰かと聞かれれば 
    僕は迷わず祖父の名前を挙げるだろう・・・

    明治生まれの生粋の会津人 
    「ならぬものはならぬ」の精神が体の髄まで宿り
    威厳と風格に満ち溢れ怖い存在 
    でも孫には優しく自分にとって良きおじいちゃん
    あなたは僕の人生そのもの 
    身を持ってその手本を示してくれた

    忙しく日本中を駆け巡る姿 議員 市の役員 
    そして自らが創設した踊りの協会
    幾つもの役職をこなし 
    すべて一銭にもならない慈善活動 
    社会貢献に身を投じ一生を捧げた 
    そんなあなたの実直で懸命な生き方に周囲は
    黙ってついて行った 
    苦労の甲斐あって功績が世に認められ 数々の褒章と受勲
    それでもあなたは驕ることも偉ぶる素振りも見せなかった
    その人柄を慕って多くの人が寄ってきた 
    あなたの演説は「金べろ」と称され 
    あなたが話せば爆笑の渦と拍手喝采の嵐

    そんなあなたでも僕が困った時は必ず
    救いの手を差しのべてくれた
    いつもあなたは眩しい存在 強くて大きくて 
    そして近くて遠い存在 僕の誇りだった

    しかし人生七十五年の節目に大きな転機が訪れた 
    長年連れ添った妻との死別
    それでもあなたは悲しい顔ひとつ見せず気丈に振る舞い 
    元気を装っていた

    その後あなたは寂しさを振り払おうと
    孫娘を連れだって講演や踊りに没頭した
    やがては一人身の暮らしにも慣れていった 
    でも寂しくない筈はなかった

    その自慢の健脚も八十歳を過ぎて翳りが見え 
    あなたは健康を患い入院をした
    年を重ね 徐々に体の自由が効かなくなり 
    気弱な面を見せるようになると
    不思議にあなたは穏やかになり 
    とても身近な存在に思えてきた

    そして平成十五年 あなたが卒寿を迎えたばかりの冬 
    長男の突然の死 愛する妻と息子に先立たれ 
    どんなにあなたは辛かったことだろう
    戦友 親友 仲間を毎年少しずつ見送り 
    次は自分の番がいつ来るのかと
    背中合わせの死の恐怖に怯え 闘うことを強いられた 
    そして周囲の誰も気づかぬうちに 
    少しずつ病魔が忍び寄っていた
     


    その後 あなたはすっかり元気を失くし 
    表舞台から身を引き 寝たきりとなった
    「命ある者はいつかは必ず朽ちる 
    命の期限は人によって違うが 太く短く生きるか
    細く長く生きるかの何れかだろう 
    長く生きることは悲しみをすべて受け入れること」

    やがてあなたの体に病変が見つかり 
    少しずつ蝕んでいき 入退院を繰り返した
    剣道で鍛えた強靭な精神と体も 
    寄る年波の前でたじろいで見えた
    「年内持てば良い」と医師から宣告され
    十六年の暮れ 誰もが覚悟した最後の入院
    初めてあなたは病院で正月を迎えた 
    見舞い客の前では決して弱気を見せず 
    何度も「大丈夫だ」を繰り返し強がって見せた 
    それが自分への勇気づけ 

    その後 あなたは不屈の精神で命の炎を燃やし続け 
    何度も危機を乗り越えた
    春 「桜を見たい」という最後の願いを己の気力で叶えた
    誰もが奇跡を信じた 一時退院が認められ 
    車内から通りすがりに見る卯月の空に映える満開の桜
    あなたがこよなく愛し 
    何度も足を運んだ公園のソメイヨシノの桜並木 
    桜吹雪が車道を埋め 
    その中をあなたを乗せた車がゆっくりと潜り抜けた 

    「嗚呼 綺麗だな・・」
    あなたはポツリ独り言のように呟き 
    静かに瞳を閉じ いつまでも余韻に浸っていた

    そしてその数日後 花びらが散るようにあなたの命も散った

    朝 仕事先にかかった兄からの一本の電話 
    「危篤 すぐ来い・・・」
    とるものもとりあえず 病院へ向かう車の中 
    涙で滲んで前が見えない

    前日あなたは珍しく気弱で 初めて僕に我儘を言った 
    「このまま死んでしまうんじゃないか」「眠るのが怖い」 
    付き纏う不安
    あなたが眠りに着くまで僕は傍に寄り添い 
    励ましながら痛がる背中を擦ってあげた
    これが僕にできる最後の孝行となった

    「待っていて もうすぐ行くよ」
    焦る気持ちと裏腹に無情に変わる信号 一秒が惜しい
    仕事帰りに通い慣れた病院への道 
    来るべきものが来たことを悟った
    階段を駆け上がるといつもと違う病室 
    扉を開けると一縷の望みを賭け
    懸命の救命処置が続いていた 
    しかしその甲斐なく再び息を吹き返すことはなかった

    別れの時刻が主治医から告げられ 
    張りつめていた力が一瞬で抜け床に崩れ落ちる
    「おじいちゃん よく頑張ったね お疲れ様」
    その言葉しか見つからなかった

    ベッドの上であなたは これまでの苦しみから解き放たれ
    安らかで それでいて 満足そうな死に顔を湛え 
    「悔いのない人生だった」と周囲に伝えているようで
    それは立派な大往生だった・・・

    愛妻と死に別れてから十八年後 
    ようやくあの世で再会を果たした

    今 同じ位牌に二つの戒名 
    それだけが残された僕たちにできるせめてもの恩返し

    ほどなくして昔世話になったという見覚えのある人たちが
    最期の別れに集まる
    皆が「会長」と過ごした時間の思い出話に花を咲かせ
    故人を偲んで語り合う 

    晩年あなたが過ごした一軒家にて 
    遺品の整理で出てきた想い出の品々
    従軍時代の貴重な日記 
    そして人生を物語る数々の色褪せた白黒写真
    戦争で一度は死を覚悟し 家族に宛てた手紙 
    そして所々に添えられた見事な挿絵
    隠居後は孤独に耐えて 本当の死の恐怖と闘い続けた 
    そんな祖父の生涯だった

    耳を澄ませば 今も聞こえる電話の向こうの
    凛としたあなたの声
    背筋をしゃんと伸ばし 茶の間で寛ぐあなたの面影が 
    この胸に去来する

    「ありがとう 僕の大切な人 でもさよならは言わない」

    だってあなたはいつでも僕の人生そのものだから・・・・


     平成十七年五月十六日 祖父他界 享年九十二歳 合掌



    Cherry_trees

     あれから丸10年。あの日は月曜日だった。祖父との思い出はいつも「大徳」にある。祖父の生き様を手本とし、自分があの世へ導かれた時に、恥じない生き方をして、胸を張って報告をしたいと考えている。

    http://homepage3.nifty.com/tmsuzu/jinseinorakujitu.htm

    2015年5月15日 (金)

    いぶし銀のプロ野球選手

     クリーンアップなどの主軸は打たないものの、いい味を出し、チームには欠かせない役割を果たす特別な存在の選手がいる。人はそれを「いぶし銀」と呼ぶ。ホームラン数は少ないものの、熟達した職人技を大事な局面で発揮して、チームを救ったり、窮地に追い詰められた場面で起死回生の一打を放つ選手だったりする。これらは経験豊かなベテランに多い。
     本日は長いプロ野球の歴史の中で、そうした「いぶし銀」の活躍をした名選手を取り上げたい。

     平野光泰(近鉄)

     悲運の名将・西本近鉄の一番打者。長打力もある中堅手として名を馳せた。実働14年で1,055安打。107本塁打。106盗塁。打率.264.私が大好きだった選手のひとり。

     広島に2年連続日本シリーズで敗れたが、昭和55年の頃のミラクル近鉄が大好きだった。栗橋や石渡などもいぶし銀のような選手だった。

     弘田澄男(ロッテ)

     小柄でながらしぶとい打撃を見せる。犠打もうまい。アルトマンと並んで「ロッテの外野はノッポとチビ」と言われた選手だ。 パ・リーグ時代一度しか記録していない3割を移籍直後の84年に達成。2番センターとして活躍。実働16年。1,506安打。294盗塁。打率.276

    Hirano Hirota

     正田耕三(広島)

     高橋慶彦と不動の1・2番俊足巧打のコンビだった。スイッチヒッターで、ファウルで粘り、四球を選び、盗塁も多く、相手投手からは一番嫌なタイプだった。二塁手として守備も堅実で、俊足を活かして守備範囲が広かった。実働14年で1,546安打146盗塁。打率は.287だった。528三振とミートが上手い分三振が少ないことで有名だった。

     辻 発彦(西武)

      私の中では守備の名手という印象。清原、秋山、石毛、工藤、郭、渡辺久信などと森・西武の黄金期にあって、鉄壁の二塁手として職人技を披露した。歴代最多の8度のゴールデングラブ賞を受賞している。小柄に見えるが182cmもある。

    Syoda Tsuji

     篠塚和典(利夫)(巨人)

     安打製造機の異名をとるほどの小技の利くバットコントロールは有名だった。しかし、高卒で長く現役生活を送り、首位打者も獲得している彼だが、名球会に入っていない。腰痛に泣いたという印象。彼が素晴らしいのは、バッティングだけではなく、その卓越した守備技術にもある。とりわけ1980年代の巨人を支え、河埜和正との二遊間コンビは鉄壁だった。抜けそうで抜けない、まるで牛若丸をイメージさせるような軽やかな守備で、何度もピンチを救い、味方投手にとって、これほどありがたい存在はなかった筈だ。

     実働18年。1,696安打。打率.304 三振が540と極端に少ない。1シーズン30個程度だった。いかに選球眼が良く、ミートが上手かったかが窺える。

     高木 豊(横浜-日本ハム)

     横浜の全盛期の屋台骨を支えた一人。加藤博一、屋敷要らとスーパーカートリオを結成。俊足好打の1番・3番打者として活躍した。1990年は打率.323でリーグ2位。1992年、巨人戦において通算300盗塁を達成。

     実働14年 1,716安打。877得点。316二塁打。321盗塁。747四球。打率.297

    Shinozuka Takagi

     新井宏昌(近鉄)

     彼こそ熟練という言葉がぴったりな名プレーヤー。ミートが上手く、野手のいない場所を狙う単打の天才。現役時代は南海ホークスや近鉄バファローズで活躍。巧みなバットコントロールによる状況に応じたシュアなバッティングが特徴で、2000本安打に加え300犠打をマークするなどチームプレーにおいて欠かせない存在感を示した。18年で2,038安打。通算で422三振しかしていない。年間平均25三振なのでいかにミートが上手かったか。盗塁165で三拍子揃った名選手。

     小川 亨(近鉄)

      1967年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団。膝を深く、体をくの字に曲げ、バットを極端に短く持ってピッチャーに傾ける独特の構えで、勝負強い打撃を発揮。1年目の1968年から一軍に定着し、95試合で打率.256を記録。翌1969年は11本塁打と長打も増え、同年から5年連続二桁本塁打。特に1971年は自己最多の20本塁打に打率も.315と大台を突破し、レギュラーの地位を固めた。また、入団1年目から7年連続で二桁盗塁。1970年、1972年とリーグ最多三塁打を記録。
      1975年は打率は3割を切ったものの、最高出塁率のタイトルを獲得したほか、7月10日の対南海戦から9月6日の対太平洋戦まで歴代3位の180打席連続無三振記録を樹立した。1980年には自己最高となる.323を記録してリーグ6位につけた。
    近鉄一筋17年のプロ生活で、通算1908試合出場は球団最多記録。1984年に現役を引退。

    Arai Ogawa

     進藤達哉(横浜)

     個人的には最強の2番打者だと思っている。1997年から1999年まで3連続で三塁手部門でゴールデングラブ賞を獲得。小技が利く選手は守備も抜群に上手い。当時12球団でも随一の守備力と呼ばれた横浜内野陣の三塁手として、好守でチーム38年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献。打撃でもいずれも生涯自己最高となる打率.241、14本塁打、54打点を記録し、リーグ優勝決定試合でも勝利打点を叩き出すなど、マシンガン打線の一員として活躍した。実働16年。917安打。104本塁打。100犠打。

     川相昌弘(巨人ー中日)

    職人という言葉は彼の為にあるようなものだ。小柄でも、何か一つに長けていれば、記録を残せることを身をもって証明した選手だ。川相=バントの名手と誰もが思うだろう。その積み重ねが実を結んだ。2003年8月20日に東京ドームで通算512犠打を達成し、エディ・コリンズのMLB記録を超え、ギネス世界記録にも認定された世界記録を樹立し、その名を刻みこんだ。現役23年。1,199安打。533犠打。打率.266

    Shindo Kawai

     仁志敏久(巨人ー横浜)

     彼は向こう気が強く、切込み隊長として脅威の存在だった。職人技と言えるような安定した守備力に加え、171cmと小柄ながらパンチ力があった。先頭打者ホームランで相手投手の立ち上がりの出鼻を挫くような役割を何度も果たした。私は崇拝していた原監督と性格的に合わなくて、自ら巨人を去った印象が強い。
     実働14年。1,591安打。154本塁打。2,348塁打。135盗塁。打率.268

     宮本慎也(ヤクルト)

     ヤクルト一筋の職人。元日本プロ野球選手会会長。アテネオリンピック野球日本代表(2004年)・北京オリンピック野球日本代表(2008年)ではキャプテンを務めた。また、2009年から現役最終年の2013年までは、一軍のコーチも兼務した。
     規定打席に到達したシーズンで4回の打率3割を記録している。若手の頃は2番や8番といった打順を打っていたが、30代後半のベテランになってからクリーンナップを任されるようになった。右打ちやファウルを打ってカットするのが得意であるが、初球から積極的にスイングするため四球が少なく、出塁率はさほど高くない。2002年は519打席に立ちながら、わずか9四球という少なさだった。2001年には世界タイ記録の67犠打を記録するなど、球界最高峰のバントの名手となった。また、名球会入りしている打者で通算2000本安打・400犠打を記録している唯一の選手でもある。
     実働19年。2,133安打。111盗塁。408犠打。打率.282

    Nishi Miyamoto

     他にも西武などで活躍した平野謙選手や巨人の篠塚なども

     <現役選手>(2015年4月時点)

     谷 佳知(オリックス)

     俊足巧打の秀逸した選手。小柄ながら長打力もある。早いカウントから打ちにいく積極性が持ち味だが追い込まれた後でもミートできるバットコントロールを持ち味とし、三振が少ない。2003年には2ストライク後打率.351を記録し、カウントによっては狙い打ってスタンドまで運ぶ長打力も兼ね備え、得点機にも強く巨人移籍後2010年までの通算得点圏打率.332を誇る。巧みなバットコントロールで球種に関わらず打球を広角に打ち分ける技術を持ち、特に右方向へ流し打つ技術は球界屈指と言われる。
     外野守備では俊足を生かした広い守備範囲と強肩を誇り、2001年から2004年にかけて4年連続でゴールデングラブ賞を獲得する活躍を見せた。2002年には41盗塁を記録して盗塁王を獲得するなど活躍。
     実働18年。1,923安打 133本塁打 167盗塁 2,718塁打。打率.297

     藤田一也(横浜ー楽天)

     彼もまた派手さはないがいい味を出している。守備の達人で、打ってつけの2番打者。二塁手・遊撃手・三塁手と複数ポジションをこなす。もっとも多く出場した二塁手での守備率は通算.993。2011年にはシーズンを通して無失策を記録するなど安定した成績を残している。二塁手での守備率は通算.993。2011年にはシーズンを通して無失策を記録するなど安定した成績を残している。ボール球スイング率が高く選球眼に課題を残すが、空振りは少なく三振も少ない。32歳。11年目。632安打。152犠打。766塁打。打率.272

     井端弘和(中日ー巨人)

     WBCアジア予選の台湾戦で、崖っぷちに追い詰められた時に、同点打を放ったあのバッティングは、ベテランの味。プレッシャーに強いB型そのもの。中日時代は「アライバ」として鉄壁の二遊間コンビを結成。数々のファインプレーを演出した。

     2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。走塁面でも20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇る。柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い。
     2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年も打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る。
     現役生活16年。1,849安打。261二塁打。2,321塁打。146盗塁。238犠打。665四球。打率.283

     今日取り上げた選手は、相手チームからしたらもっとも嫌な存在。主砲や足の速い選手は警戒するが、ノーマークの存在だけに、意外性や勝負強さがあって、ここ一番で思いも寄らぬ力を発揮して結果を出す。これは勝負を決める一打となるケースが多い。新人の若手選手はこういう先輩の功績を見習い、自分スタイルを極めてほしい。周囲に流されず、自分にしか出来ない生きる道を模索し、それを体得できれば、息の長いファンから愛される名選手になれると思う。

     記事作成:4月18日(土)

     追記(5月14日 木)

     巨人首脳はやはり人を見る目が無い。坂本が戦線を離脱し、成績も良くなり2位に浮上。しかし坂本を復帰させ、いきなり4番に据えた。結果は4タコ。つまり、4打数無安打。2戦目も5打数1安打。復帰2戦で9打数1安打はスタメン失格。彼が出ると、打線が湿る。ポンポン打ち上げて凡打。チャンスを無駄にし、意気消沈。打線の流れが悪くなり、他の打者にも伝染する。
     彼がスタメン出場した試合は、打線は沈黙状態で、チーム全体で5本しかヒットが出ない。私が監督なら彼は一軍にすら置かない。「打てない・守れない」ではいいところが無い。それをなぜ原監督は辛抱強く彼を4番を任せ続けているのか意図がわからない。それに私なら長野もまたファーム送りだ。両者共にあまり才もない割に、限界まで努力もしないでカッコばかりで野球をやろうとする輩は害であって雇う必要が無い。今の巨人の現状を考えるなら、次のスタメンを組むしかない。

     1 片岡          代打 村田  代走 鈴木
     2 井端              中井
     3 アンダーソン         小林
     4 堂上              寺内
     5 太田              矢野
     6 阿部              高橋由
     7 亀井
     8 橋本到

     

     ~お知らせ~

     明日5月16日は10年前に亡くなった私の最愛の祖父の命日にあたります。したがって、亡くなった時刻に、毎年お送りしている追悼の詩を掲載させていただきたいと思います。ご了承願います。(SUZU)

    2015年5月14日 (木)

    名選手は名監督に非ず

     戦前から歴史がある日本プロ野球の歴史。その中で名選手の証として「名球会」という組織がある。投手ならば200勝以上、打者ならば2,000本安打以上が入会資格となっている。これをクリアすることで一流選手としての称号が与えられる。近年は、とりわけ投手の分野で、完全分業制が実施され、これに250セーブが加えられた。この資格を満たしている選手は、平成26年末時点で200勝以上の投手が24名、2,000本安打以上が44名、そして追加された250セーブで1名。NPB合計で69名。これに日本人メジャーリーガーを含めた日米通算記録となると、野茂英雄、イチロー、松井秀喜、佐々木主浩、そして高津臣吾がいるため、総人数で有資格者は74名ということになる。実際は入会を辞退した方や、中途で脱会した方もいるため、名球会在籍者はもっと少ない。

     では、これら名選手が、皆、引退後に球界発展のために球界に残り、指導者の道を歩んでいるかといえば決してそうではない。今も現役の岩瀬とイチロー、小笠原、山本昌、中村紀洋を除く引退者68名をテーマに沿って検証してみたい。なお谷繁は監督兼任のため、ここに含み、分母に加えた。

    順位投手勝利  監督での戦績(勝数ー敗数・リーグ優勝・日本一)
    1 金田 正一 400 (1950-1969)   1011試合 471‐468      1回  1回
    2 米田 哲也 350 (1956-1977)
    3 小山 正明 320 (1953-1973)
    4 鈴木 啓示 317 (1966-1985)   390試合  183-196
    5 別所 毅彦 310 (1942-1960)     342試合  143-190
    6 スタルヒン 303 (1936-1955)
    7 山田 久志 284 (1969-1988)     260試合  128-127
    8 稲尾 和久 276 (1956-1969)    1040試合 431-545
    9 梶本 隆夫 254 (1954-1973)     260試合  133-111
    10 東尾 修 251 (1969-1988)   937試合 489-425     2回  0回
    11 若林 忠志 237 (1936-1953)   740試合 390-324     2回  0回
    11 野口 二郎 237 (1939-1952)
    13 工藤 公康 224 (1982-2010)    H27監督に就任
    14 村山 実 222 (1959-1972)   528試合 241-271
    15 皆川 睦雄 221 (1954-1971)
    16 * 山本昌 219 (1986-2014)
    17 杉下 茂 215 (1949-1961)     405試合 182-215
    17 村田 兆治 215 (1968-1990)
    19 北別府 学 213 (1976-1994)
    20 中尾 碩志 209 (1939-1957)
    21 江夏 豊 206 (1967-1984)
    22 堀内 恒夫 203 (1966-1983)     284試合 133-144
    23 平松 政次 201 (1967-1984)

      24 藤本 英雄200(1942-1955)  140試合 83-53

     

    順位

    選手安打           監督での戦績(勝数ー敗数・リーグ優勝・日本一)
    1 張本 勲 3085 (1959-1981)
    2 野村 克也 2901 (1954-1980) 3204試合 1565-1563   5回  3回 
    3 王 貞治 2786 (1959-1980) 2507試合 1315-1118   4回  2回
    4 門田 博光 2566 (1970-1992)
    5 衣笠 祥雄 2543 (1965-1987)
    5 福本 豊 2543 (1969-1988)
    7 金本 知憲 2539 (1992-2012)
    8 立浪 和義 2480 (1988-2009)
    9 長嶋 茂雄 2471 (1958-1974) 1982試合 1034-889    5回  2回
    10 土井 正博 2452 (1962-1981)
    11 石井 琢朗 2432 (1989-2012)
    12 落合 博満 2371 (1979-1998) 1150試合 629-491     4回  1回
    13 川上 哲治 2351 (1938-1958)  1866試合 1066-739  11回 11回
    14 山本 浩二 2339 (1969-1986) 1359試合 649-681     1回  0回
    15 榎本 喜八 2314 (1955-1972)
    16 高木 守道 2274 (1960-1980)   940試合  445-465 
    17 山内 一弘 2271 (1952-1970)   712試合  336-313
    18 大杉 勝男 2228 (1965-1983)
    19 大島 康徳 2204 (1971-1994)  413試合   181-225   
    20 若松 勉 2173 (1971-1989)   975試合  496-461    1回  1回
    21 稲葉 篤紀 2167 (1995-2014)
    22 広瀬 叔功 2157 (1956-1977)   390試合 136-227
    22 秋山 幸二 2157 (1981-2002)   865試合 456-369     3回  2回
    24 宮本 慎也 2133 (1995-2013)
    25 清原 和博 2122 (1986-2008)
    26 前田 智徳 2119 (1990-2013)
    27 * 小笠原 道大 2107 (1997-2015)
    28 中村 紀洋 2101 (1992-2014)
    29 古田 敦也 2097 (1990-2007)   290試合 130-157 
    30 松原 誠 2095 (1962-1981)
    30 * 谷繁 元信 2095 (1989-2015)   144試合  67-73 
    32 山崎 裕之 2081 (1965-1984)
    33 藤田 平 2064 (1966-1984)   170試合 65-105
    34 谷沢 健一 2062 (1970-1986)
    35 江藤 慎一 2057 (1959-1976)   130試合 58-62
    35 有藤 道世 2057 (1969-1986)   390試合 153-213
    37 加藤 英司 2055 (1969-1987)
    38 小久保 裕紀 2041 (1994-2012)  日本代表監督
    39 新井 宏昌 2038 (1975-1992)
    40 野村 謙二郎 2020 (1989-2005) 718試合 321-370 
    41 柴田 勲 2018 (1962-1981)
    42 ラミレス 2017 (2001-2013)
    43 田中 幸雄 2012 (1986-2007)
    44 駒田 徳広 2006 (1983-2000)

     現役を除く名球会在籍で、監督経験者は、投手が13名、打者が18名、合計31名いる。しかし、リーグ優勝を飾った監督は11名しかいない。名選手が名監督かと言えばそうとも言い切れない。中には監督にすら招聘されない名選手も多い。張本、福本、門田、衣笠などがそうだ。監督向きではないという球団側の判断だと思うが、やはり人間、向き不向きがあるようだ。

      最後に、一時期華々しい活躍をし、私たちの記憶に刻まれている名選手なのに、意外にも名球会に入っていない選手を列挙し、結びとしたい。

     投手

     桑田真澄、大野豊、江川卓、尾花高夫、山本和行、齋藤雅樹、高橋直樹

     打者(野手)

     篠塚利夫、原辰徳、高木豊、高橋慶彦、島田誠、柏原純一、田淵幸一、掛布雅之、

     高橋由伸、弘田澄男、真弓明信、岡田彰布、木俣達彦、福嶋久晃、田代富雄、宇野勝、

     杉浦享、松永浩美、山崎武司、石毛宏典、大石大二郎

     記事作成:4月5日(日)

    2015年5月13日 (水)

    巨人の歴代外国人成績(打者編)

     巨人に来た「ダメ外人」を検証するこの記事。今日は打者編。投手に比べればまだマシなほうだが、それでも他球団に入団した優秀な助っ人と比べれば月とスッポン状態。マニエル、バース、レオン&リー兄弟、ブーマー、モッカ、テリー、デストラーデ、ブライアント、ローズ、カブレラ、オマリーのような秀逸した外国人は巨人に来たためしがない。三振の山を築き、チャンスではことごとく凡退を繰り広げ、よほど巨人は外国人には恵まれないと見た。V9時代には純国産選手で大記録を樹立し、助っ人の力など借りるまでもなかった。どうしてこういうダメ外人ばかり雇うのか、そして巨人に集まってしまうのか不思議でならない。
     では早速、今日は打者編をお送りし、私のテーマ設定が間違いでないことを証明したい。

     打者  

      名前   時期  年数 試合数 安打 本塁打 打点 三振   打率      採点

    ジョンソン 1975       2        199     159      39      112     133      .241        △
     リンド   1977       1          65      47       9        23       48      .237        ×
     シピン  1978       3         308     302     52      158     177      .294        △         
    バーフィールド 1979      1    出場機会無し                       ×
    ホワイト  1980     3      362     348     54      172     188      .283        ○
    トマソン  1981       2    167     119     20        55      151     .249        ×
    スミス   1983       2    186   134     45      122      127     .271        △   
    クルーズ  1983       1    58       31       4        17       36      .240        ×
    クロマティ 1984     7    779   951     171     558      370    .321        ○ 
      呂     1988      4    113    89      18       49        57     .260        ×
    ブラウン    1990      1     70       64       7        29    43      .282        △

     シピンは大洋では実績十分だった。巨人に来てトレードマークだった顎髭を落とし、威圧感が無くなった。トマソンは史上最悪の助っ人と言われ、振り回すだけで三振の山を築き、「トマソン」=「無用の長物」として流行語にまでなった。
     ウォーレン・クロマティは打撃は良かったが、肩が弱く、守備が怠慢でボーンヘッドも多く、対戦相手からは舐められた。呂は「アジアの大砲」の異名をとり、台湾から大きな期待を背負って入団した。一時期はクリーンアップを打ち、ホームランを量産したが、在籍4年間で18本塁打では及第点はあげられない。

     名前      時期  年数 試合数  安打  本塁打 打点  三振   打率    採点

    ブラッドリー 1991       1   121       124      21       70       68       .282       ○
    ゴンザレス  1991       2    41         31       9        27       27       .248       ×  
    デラクルーズ  1991   1     5           1        0         0        2        .250       ×
    モスビー   1992      2       133       134      29       84      117      .289       △ 
    バーフィールド  1993      1      104       74       26       53      127      .215       △
    ブラントリー 1993      1     13          8        0         4         5       .182       × 
    グラッデン 1994       1    98    100   15       37       64     .267       △
     コトー    1994       1    107         96      18       52       82       .251       △ 
    ハウエル   1995      1     66          61      14       41       66       .279       ×
      マック       1995      2    247        273     42      127     161      .284       ○
     マント   1996      1       10           3        0         1         7       .111       ×
    サントス   1997      1    39          27       0        14       15       .237       ×
    カステヤーノ  1997      1    64          24       4        23       31      .197       ×
    ダンカン  1998    1    63     48      10        34       58       .232      ×
    マルチネス 1999      3      275        209      43       147     157       .291       △

     1990年代は今でも記憶に残る選手が多いが、成績はあまり芳しくない。ブラッドリーとマックが頑張ったと言えるほどで、高額の年俸を貰った割にはたいした成績を収められなかった。いずれも、いわゆる「黒人選手」のほうが活躍した。

     名前   時期  年数 試合数  安打  本塁打  打点 三振  打率    採点

    クレスポ    2002     1   24          5          2         7      17      .122        ×
    ペタジーニ  2003     2   217        218       63       165    148     .305       ○
    レイサム  2003     2       60         29         7        17      59      .221       ×            
     ローズ   2004     2   235        241       72       169    272     .267       ○
    キャプラー  2005     1    38         17         3         6       19      .153        × 
    ディロン   2006     1   31         17         2         7       17      .195        ×
      李     2006     5   458        421       100      256    373     .275       △
    アリアス   2006    1   17     10          2         5      15     .167       ×
    ゴンザレス  2007    2   57          53         5        29      35      .250       ×
    ホリンズ   2007    1   124         95        12       45       85      .257       ×
    ラミレス   2008     4      569       666       148      430    348     . 307       ◎ 
    アルフォンゾ  2009  1   21     6           2        4        10     . 146       ×
    ウレーニャ   2010     1   出場機会無し                       ×

     他球団の強力助っ人だったペタジーニ(ヤクルトの本塁打王)、タフィ・ローズ(近鉄の本塁打王)、李(韓国の本塁打王でロッテのスラッガー)の3人を獲得したが、いずれも巨人に来る前の所属での活躍のほうが遥かに優れていた。ペタジーニはヤクルト4年間で160本塁打で2度の本塁打王、巨人では無冠。ローズは近鉄の8年間で288本塁打を量産し、3度のホームラン王に輝いた、巨人では2年で72本塁打。巨人では最後の年に27本だったが、翌年オリックスへ移籍したら42本、40本と2年連続で大台突破。不思議としか言いようが無い。この年代には割と最近なのに、「こんな助っ人いたっけ?」と首をかしげるような記憶にない選手もいる。

     名前   時期  年数 試合数  安打  本塁打  打点 三振  打率  採点

    フィールズ 2011    1    40         22         2          9       32     .202      ×
    ライアル  2011     1   33         19         0           4       31    .198      ×
    エドガーG 2012     1      157       117        16         63    113    .253      △
    ボウカー    2012     2   174        107       17         56     133    .235      △
    ロペス   2013     2   255        221       40        112    123    .275      ○
    アンダーソン  2014     2    87         94        15         50      44     .319   ○
    セペダ   2014     2      52         21         6         18       38  .194      × 
    フランシスコ2015 今季途中入団

     今年在籍のアンダーソンは故障で出遅れ。キューバの怪物として鳴り物入りで巨人に入団した筈のセペダはからっきしダメ。今季も開幕から20試合目で無安打。

     さて、今日は巨人の歴代助っ人の中で、打者編をお送りしたが、私が合格点を付けたのは46人中たったの7人。後は役立たず。話にならない散々な結果だった。打撃で助っ人に求められるのはズバリ長打力と破壊力。一発で流れを変えるホームランだったり、打点が多くなければ意味がない。ミートが上手いアベレージヒッターではない。パワー野球こそがベースボールの原点であると感じさせるような凄まじい存在感だ。

     ところが見て来たように、巨人にやって来た外国人はどれも使えない。唯一、ラミレスだけは◎印だったが、彼だって、ヤクルトで実績を積んだ結果、移籍で巨人に入団してきた。まるっきりの生え抜き選手ではない。やはり、巨人は昔から外国人には恵まれず、国産打線でやりくりして来たのが手に取るようにわかる。
     もう巨人は外国勢に頼らずに、日本人選手だけでオーダーを固めたらどうだ?そして選手の育成を上手くやれば、きっと最強チームが出来上がると思う。巨人関係者が見ていたら、ぜひ参考にしてほしい。

    <参考資料>

     http://www.my-favorite-giants.net/giants_data/player/foreign-year.htm

      私が6年前の2009年に書いた「最強助っ人列伝」はコチラ↓

     http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/post-57b8.html

     記事作成:4月20日(月)

     追記(5月6日(水))

     私が予想したように、鳴かず飛ばずのセペダの代役として急遽巨人が獲得したフランシスコは使い物にならないダメ外人の典型。太り過ぎの巨漢体型も問題外だが、バッティングは芯に当たらないし、守備もまるでダメ。私が一発でその実力を見抜いたように、日本の細かい野球や多彩な日本の投手の変化球に対応できる器用さは微塵も感じられない。セペダがダメだからと言って慌てて獲得したが、「打てない・走れない・守れない」では、何の役にも立たない。私が監督ならすぐにお払い箱にしたい選手だ。
     逆にロペスを放出したのは痛すぎる。DeNAでは水を得た魚の如き、DeNAの春の珍事とも呼ぶべき単独首位に一役買っている。
     総じて巨人のスカウトマンの見る目は全く節穴だし、役目を全く果たしていない。実に情けない。大層なことを言うが、ぜひ私をアドバイザーとして雇ってほしいものだ。

    2015年5月12日 (火)

    巨人の歴代外国人成績(投手編)

     私がV9時代から長年ファンを続けて来た巨人は、どういうわけか昔から外国人助っ人に恵まれない。戦前のスタルヒンや戦後まもなく活躍した与那嶺要やは別として、本格的に助っ人を獲得しだした昭和50年以降、巨人が自ら獲得した外国人(国内他球団からの移籍を除く)で誰もが賞賛すべき成績を残した選手はほとんどいない。この賞賛すべき成績とは、投手なら12勝以上、打者は打率3割、30本塁打、90打点以上だ。

     他球団の助っ人には数多く存在するこの成績を何故か達成できない。今年もキューバの怪物セペダも開幕から20試合、18打数無安打という散々な成績だ。その代役として急遽獲得したフランシスコは論外。

     では、巨人に来た歴代の外国人助っ人の戦績を比較したい。

     投手

     名 前   時期 年数 登板数  勝利 敗戦 セーブ 勝率  奪三振   防御率 採点

      ライト    1976     3        59        22     18       0       .550     142       3.97    △
    クルーガー  1979     1        18         2       1       0        .667      16        4.66   ×
    カムストック 1985     2        24         8      10       0       .444       94       4.47   ×
    サンチェ   1986     2        76         4       4       28      .500       59       2.54   △
     パセラ   1987      1       登板機会無し                         ×
    ガリクソン  1988      2       41        21      14       0       .600      231      3.29   ○

     1970~80年代の外国人投手で、唯一評価できるのは1988年のガリクソン。14勝9敗という好成績を挙げた。しかし翌年は7勝5敗で、2年後にはMLBに戻った。

    名 前    時期 年数 登板数  勝利 敗戦 セーブ 勝率  奪三振   防御率 採点

    ケアリー   1992    1        14        0       0        1        .000      35       3.61      ×
     ペレス      1992    1         3        0       1         0       .000        6        7.11      ×
    ジョーンズ  1994    2         1        0       0         0       .000        0        0.00      ×
     趙成珉   1996    8        53      11      10       11      . 524      127      2.84      △
    ガルベス  1996  5       106      46      43       0        .517      443     3.31    △
    ブリトー   1996  1        39       3        2       19       .600       43       3.33      △   
    ヒルマン   1997     2        2        0        1        0        .000        3        3.00     ×
    パブラス     1997  1    7       0        0        4        .000        4        6.00     ×
    ホセ・パラ   1999     1        12       2        3        0        .400       25       5.32     × 
    デセンス   1999    1         8        0        1        0        .000       6        3.86      × 
     メイ     2000    2         50      22      15       0        .595       333     3.55      ○
    鄭チョン   2000  2         12       3        2        0       .600        44      3.70      × 

     1991~2000年の10年間で、巨人の投手で及第点はダレル・メイのみ。メイは巨人の前に2年間阪神で活躍したが、阪神在籍は39試合登板で10勝16敗だった。

    名 前   時期 年数 登板数  勝利 敗戦 セーブ 勝率  奪三振   防御率 採点

    アルモンテ 2001    2       31          0       1         1       .000      23         2.28      ×
     ラス    2003    1       13           3      4          0      .429       42         4.14      ×
     ベイリー 2003    1       30          1       0         0       1.000     32         4.79      ×
    ランデル   2003    2       27          4       3         1       .571      47          5.88     ×
    サンタナ    2003    2       25           2       1         5       .667      21         4.94      ×
    ペドラザ  2003   1        7           1       1         0       .500       0          12.00    × 
    シコースキー  2004    2       132         12      4         5      .750      183         2.99      ○
    コーリー   2004    1        21          1       1         0      .500       17          5.48     ×     
     ミセリ   2004   1         4          0        2         0      .000        3         23.62    ×
     マレン  2005    1        22          6       8         0       .429       80         6.22      ×
    ミアディッチ2005   1       15          0       0         0       .000       29         7.17      ×
    姜ジャン  2005    4         27         5       6         0       .455       61         3.20      ×
    グローバー2006    1        20         5       7         0       .417       63         4.97      ×    
    パウエル  2006    2       35         10      12        0       .455      151        3.76      ×

     2001~2010年では、巨人入団前の4年間ダイエーで抑えの守護神として117Sを挙げたペドラザが、巨人移籍後はまったく振るわず。この頃は、在籍1年の鳴かず飛ばずで終わった外人投手が大多数。即戦力で結果が求められる。そのために高額年俸を払う。結果が出なかったら、規模しいが即レイオフはプロ野球には当たり前。巨人に来る外国人は前評判とは裏腹で、期待はずれが多すぎる。だから覚えていない選手が大部分。

    名 前   時期 年数 登板数  勝利 敗戦 セーブ 勝率  奪三振   防御率 採点

    ゴンザレス2007    1         5          1        2         0      .333      17        6.52      ×
    オビスポ 2007     4        30         8        4         0      .667      71        3.67      △
    林イーハウ  2010    4         2          0        0         0      .000       2       12.60      ×
    クルーン 2008     3       159        6       10       93      .375      221      2.56       ○
    グライシンガー2008    4        71        31       22       0       .585      307      3.45       ○
    バーンサイド 2008     2       15         5         3        0       .625      47       3.48       △
     ロメロ  2009    4        48         2         3       11      .400      46       2.72       △
      黄   2010    2         3          0         1        0       .000       6       10.57     ×      
    トーレス  2011    1         6          1         2        0       .333      19       6.26      ×  
    アルバラデホ2011  1        46         2         2         2      .500      44       2.45       △ 
    バニスター2011   1        登板機会無し                          × 
    ブライト  2011   1          3         0         0         0      .000       0        2.45       ×

     この頃はFAや自由契約による高額年俸で、日本の他球団で活躍した外国人を移籍させる手法が定着した。しかし、クルーンにしても前在籍の横浜のほうが成績は良かったし、グライシンガーもヤクルトでの成績のほうが遥かに良い。巨人に来てダメになる典型例。

    名 前   時期 年数 登板数  勝利 敗戦 セーブ 勝率  奪三振   防御率 採点

    マシソン  2012    3       167       10       8      40       .556     200        2.19     ○   
    ホールトン 2012    2        43        21      12       0       .636     199        2.96     ○
    アコスタ    2013    1     14         1       0        0      1.000     12         5.54     ×
     セドン     2014    1     10        4        5        0       .444      37        6.40     ×   
    メンドーサ 2014    2    前季転入 実績なし
     ホレダ    2015    1     今季転入 実績なし
    マイコラス 2015    1    今季転入 実績なし

     今日は、思いのほか投手だけでスペースオーバーになってしまい、これにて記事をいったん差し止め、明日に打者編をお送りしたいと思う。
      それにしても巨人が獲得する外国人は使い物にならない、いわゆるポンコツだらけ。48名の投手をピックアップしたが、及第点(○印)を付けたのは僅かに5人。◎印は皆無。それ以外の43人は、お世辞にも額面通りの活躍などしていない。ハッキリ言って給料泥棒だ。これには巨人なりの悪しき理由がある。高い契約金を支払って連れて来た割に、その高給に満足してしまい、ハングリー精神が欠如し、己の腕一本で勝負して、実績を上げて給料を上げようという気構えが薄い。だから年俸以上の仕事をしたいという気が薄れてしまうのだ。やはり歩合制にしないと人間、お国柄に関わらず堕落することの証明でもあるように思う。外国人選手も考え方は、メジャーや3Aよりも劣る日本へ出稼ぎ的な感覚でやって来る。ジャパンマネーを稼ぎ、1~3年程度で戻るという概念があって、あまり思い入れがない。自分の成績が振るわなくても、ちまちました日本の野球(スモールベースボール)に自分が合わなかったくらいの話で、いつでもMLBに帰れるという感じなのだろう。
     
     さて、巨人へやって来た外国人助っ人のふがいなさをご覧入れたが、それは巨人ならではの問題点もある。それは昔から巨人は球界の盟主で、その規律の厳しさも外国人の個性を摘み取ってしまう一因だ。金髪や長髪、髭すらも許さない超絶エリートの紳士集団。ゆえに型にはまった野球になりやすい欠点がある。入団した段階で持ち味を殺いでしまう。
     一方、外国人の実力分析に優れていて、獲得が上手い球団は西武、中日、ヤクルト、ロッテだろう。これまで優秀な選手の獲得を幾度も実践してきた。この違いは何なのか?まぁスカウトの見る目、つまり眼力不足だ。過去の実績重視ではなく、日本で通用するか否か、よく観察してから連れて来てもらいたいものだ。

      明日は打者編をお送りします。

     記事作成:4月20日(月)

    2015年5月11日 (月)

    THE 変化球

     今週は5日連続で「野球」ネタをお送りします。

     昭和の頃は、野球の変化球と言えば、「カーブ」、「シュート」、「フォーク」、「シンカー」くらいしかなかった。もっと昔になると落ちる系のボールはすべて「ドロップ」と言った。それがメジャーへの門戸が開かれてから、聞きなれない名前の変化球が使われるようになった。その主なものはスライダーだ。かつてカーブと呼ばれた球種は、あまり呼ばれなくなり、スライダーが主流となった。他にも最近多く耳にするのは「スプリット」とか「カットボール」という名称だ。英語かぶれのこの言い回しに戸惑う人も多いに違いない。
     では、最近の変化球事情について、その球種を紹介し、それらがどのような変化をするのか探ってみたい。

     スライダー

     人差し指と中指でボールに回転 を掛けることにより利き腕と反対方向、または下方に変化する。バックスピンとサイドスピン(利き腕と反対方向)の間の回転軸を持ち、投手の利き腕と反対方向へ滑るように曲がる物と、ジャイロ回転の成分を有して縦に落下する物の2種類がある。両者を区別するために前者を「横スライダー」(日本人選手では伊藤智仁や岩瀬仁紀が代表的)、後者を「縦スライダー」(日本人選手では松坂大輔や田中将大、大塚晶則などが代表的)、「落ちるスライダー」、または「ヴァーティカル・スライダー」 (英: Vertical Slider) 、「Vスライダー」と呼ぶことがある。投法が近いことから両方を投げる投手も多い。「カーブ」や「カットボール」など他の球種との区別が曖昧な場合があるからややこしい。

     高速スライダー・・・郭泰源や伊藤智仁、松坂大輔

     スピリット・フィンガード・ファストボール(SFF)

     フォークボールよりもスピードがあり、落差の小さな変化球です。わかりやすく言うと、握りの浅いフォークボールのことです。 フォークボールが空振りを奪うボールであるのに対し、「スプリットフィンガード・ファストボール」はあくまで打者の芯を外す変化球。ストレートと思って打ちにいくと、微妙に芯を外されます。
     スプリット・フィンガード・ファストボールの投げ方はストレートと同じ。握り方はフォークボールの握りを浅くしたもの。縫い目に指を掛けないほうが抜け易くなり、親指はボールを支える程度。リリースの瞬間は、人差し指と中指の間から抜くようなイメージ。

     カットボール

    ストレートと同じ軌道で、手元で微妙にスライドする変化球です。「真っスラ」とよばれるボールに近く、文字通り真っ直ぐとスライダーの中間のような変化球です。空振りを奪うためのボールというよりも、バットの芯を少し外して打ちとるボールです。

     ツーシーム

     ストレートと同じ軌道で、打者の手元で微妙にスライド、シュートする変化球です。実際には変化球というよりも、自然と変化するストレートと言ったほうが正しい。ツーシームは鋭く変化するボールではないので、空振りを奪うために投げる球ではありません。バッターからすると、くせ球のストレートといった感じで、微妙に芯を外される。

     ナックル

     現代の魔球と呼ばれる球種。メジャー出投げる投手がいるが、日本人はあまりいない。人差し指~薬指までの3本指を折り曲げ、親指と小指でボールを支えて押し出すようにして投げる。無回転状態となるため、ゆらゆらと左右に揺れ、ブレながら打者の手元に届く。キャッチャーも捕球困難な魔球と呼ばれ、風のある日などは、球筋が定まらず、どういう変化をするかわからない。

     パームボール

     最近はあまり聞かない。真ん中お3本指を伸ばした状態のまま手のひらでボールを支え、抜くように投げる。リリースした瞬間に一瞬浮いたように見える。そこからカーブの軌道で大きく沈み込む。手が大きく指の長い外国人投手が投げるが、日本人はほとんど使い手はいない。球威は遅いが、ナックルと同じように、無回転状態となるため、ブレながら打者の手元に届く。

     チェンジアップ

     ストレートと同じ軌道で、速度が遅く、シュート回転して多少沈む変化球です。バッターからするとストレートを予測して待っていても、ボールがなかなか来ないのでタイミングを崩されます。チェンジアップの一番の目的は打者のタイミングを外すことです。
     チェンジアップは別名「OKボール」と呼ばれています。これは握った時の指の形が「OKサイン」に似ていることによります。親指と人差し指でOKサインをつくり、親指、人差指、中指でボールを押さえます。リリースする瞬間に、親指、人差指、中指を抜くような感覚で投げます。

     スクリューボール

     野球における球種の 一つで、投手の利き腕方向に曲がりながら落ちる球種。人差し指と中指を揃えてボールを握り、回転をかけて投げる。投手によっては中指と薬指でボールを弾きながら手首を外側に捻る場合や、中指と薬指の間から抜くように投げる場合もある。ボールに回転を与える動作の制約からサイドスロー・アンダースローの投手がこの変化球を使うことが多い。

     ジャイロボール

     投手が投げるボールの回転の一種。投げ方や握りがスライダーに近いことや縦に落ちる変化から縦スライダーとされるのが一般的であるが、減速が少ないことから速球とされることもある。マンガ「MAJOR」でクローズアップされ、主人公が投げるボールの回転がジャイロ回転の初速と終速が変らない伸びのあるボールを指した。

      フォークボール

     投手の投げたボールが打者の近くで落下する変化球である。代表的な投げ方は、人差し指と中指の間にボールを挟み、手首の関節を固定しリリースする。この指で挟む握り方がフォークに似ていることから名付けられた。親指をボールの下に添える投手が比較的多いが、親指を人差指の横へ添えるように握る投手もいる。この投げ方によりボールのバックスピンが直球より減少して上向きのマグヌス効果も小さくなり、ボールは重力に引っ張られ放物線に近い軌道を描く

     代表的な日本人投手・・・杉下、野茂、佐々木主浩

     <テレビアニメの魔球>

     ちかいの魔球
       止まる魔球、消える魔球、分身魔球

     黒い秘密兵器
    黒い秘球、まぼろしの秘球、魔の秘球、光る秘球、0の秘球、かすみの秘球
     ミラクルA
    ジェット快球、スモーク快球
     巨人の星
    大リーグボール1号、2号=消える魔球、3号
     新・巨人の星
    大リーグボール右1号=蜃気楼の魔球
     アストロ球団
    三段ドロップ、殺人L字ボール、スカイラブ投法、七色の変化球、ファントム大魔球、ファイナル大魔球
     侍ジャイアンツ
    ハイジャンプ魔球、エビ投げハイジャンプ魔球、大回転魔球、分身魔球(横)、分身魔球(縦)、ミラクルボール=ハイジャンプ+大回転+分身魔球
     野球狂の詩
    ドリームボール

     近年、NPBでは投高打低傾向が強い。打撃戦となったり、10得点を上げるのは稀で、好投手による投げあいの様相を呈している。これは過去よりも多彩な球種を操るピッチャーが多くなり、打者の手元で鋭く変化することで、芯を食わなくなり、凡打で終わったり、バットが空を切るケースが多くなったためだ。大谷翔平のように、160km/h台の剛速球を投げる長身ピッチャガーがいたり、10種類近い球種を使い分け、打者に的を絞らせない好投手が次々登場しているからだ。

     記事作成:4月14日(火)

    2015年5月 9日 (土)

    郡山の魅力再発見!⑫ ~インフラ整備~

     近年、郡山市周辺の公共事業工事、いわゆるインフラ整備は目覚しいものがある。震災以降、多くの箇所でその整備は進んだ。より快適な暮らしを支えるこの公共事業。時に税金の無駄遣いでは?と思われる節があるが、年々住み良い環境は整っているように思う。私が20年前に住み始めた八山田周辺も、大手スーパー3店舗とホームセンターが出店し、20を超える病院が隣接している。また、大型家電量販店が2軒建ち、警察署まで出来て、ひっきりなしに自宅周辺をパトカーが往来しているため、治安がとても良い。
     そこで今回は、我が街・郡山市の、過去・現在・未来において、どのような主な公共事業が行われているか検証したい。

     <すでに完了したインフラ整備>

     1.内環状線(富田~八山田)開通

      震災の直前に開通となったが、これまでは八山田方面から市内中心部に抜けるのは、
     狭い踏切を渡り、中学校の坂を越えなければならなかった。それが、直で内環状線一本
     で乗り入れることが可能となり、車の流れが大きく変った。しかし、田村地区方面から郡
     山市に流入して来る車の交通量が増え、富久山町福原地内の旧国道との交差点付近
     の渋滞は著しい。

     2.R288三春西バイパス工事

      郡山東ICの東側から三春バイパスまでの山越え工事区間が開通し、田村市までは近
     くなった。私が三春の職場に通っていた時には間に合わなかったが、私の家から三春中
     心街までは15分とかからなくなった。早朝なら10分だ。

    Uchiknjyousen R288

     3.奥羽大学東側の道路整備

      喜久田街道は、磐越西線と並行し、この線路越えが長年の課題だった。今も踏み切り
     を渡らなければ、駅前方面には抜けられないが、行徳小や善方池周辺の住宅街からは
     喜久田街道に出やすくなった。おそらくは、迂回路状態になっているこの道路が高架橋
     で線路の上を越え、インター線へと接続できるようになる筈だ。

     4.中央公民館・勤労青少年ホーム

      市内麓山にある公会堂。その隣りにあった公民館が東日本大震災で大規模全壊し、
     このほど建て替えられ、完成を見た。かなり立派な公共施設だ。屋上には市内中心部を
     一望できる展望台を完備。防災設備も完備。その拠点として運用が行われる。

     5.郡山ナンバー交付開始

      インフラ整備ではないが、一応掲載したい。昨年から始まったご当地ナンバーの交付。
     「郡山ナンバー」。新車の登録や買い替えの場合は、従来の「福島ナンバー」ではなくな
     り、すべてこのナンバーとなる。すでに市街地を走っていれば、郡山ナンバーを数多く見
     かけるようになった。若い頃は福島や郡山は田舎の地方都市で、東京をこのナンバーを
     ぶら下げて走るのは嫌いだったが、この年齢になってみれば、さほど抵抗は無い。
      福島は原発事故の影響が大きく、色眼鏡で見られそうだっただけに、「郡山」という記
     載だと、すぐに福島県と結びつかない人が多い。

    Kouminkan Koriyamanumber

     6.その他

     西部地域子育て支援センター(大槻町)、北部地域子育て支援センター(富久山町)

     <現在工事(建設)中の整備事業>

     1.安全性評価センター

      医療機器産業を集積する目的で、134億円の国の補助金で建設・運営する。医療機器
     メーカーが商品を開発したものを安全か否かを検査し、認証を与える施設。電気検査、
     生物学検査、機械検査を集約して行う。これに伴い、雇用も増えることが期待される。

     2.旧丸井跡地

      ビジネスホテルを全国展開しているダイワロイヤル(本社・東京都千代田区)は、JR郡
     山駅西口の旧丸井郡山店(郡山市駅前1)跡地などに「ダイワロイネットホテル郡山」を
     建設する計画を発表し、4月に着工され、来年秋の開業を目指している。1~3階はショ
     ッピングモールなどの商業施設で、4階~13階までが都市型ホテル。デザインが斬新
     で、三角形の建物となる予定。郡山市は元から宿場町として栄えた土地柄。駅前周辺は
     首都圏資本のホテルが林立し、過当競争気味だ。これは公共事業ではない。

    Anzen Hotel

     <今後、工事が始まる予定のインフラ整備事業>

     1. インター線の延伸。これは市街地方面側。久保田変電所の手前で途切れている同
       路線を延長し、変電所の東南側に繋がる幹線道路。 

     2. 屋内水泳場の工事

       旧開成山プール跡地に建設が始まる長水路(50m)完備の屋内水泳場。すでに更
      地に整地済みで、まもなく工事が着工となる見通し。財源は震災復興費らしい。

     3.旧磐梯グランドホテル・磐光パラダイス跡地

       28,000㎡もの広大な磐梯熱海駅前の市有地に、このたび、人工芝を有したフット
      ボールセンターを始め、行政センターや公民館を兼ね備えた複合型施設の建設が予
      定されている。平成29年度の開所を目指し、今後予算化し、順次着工する見通し。

     4.JR東日本・磐越西線の新駅設置

      すでに設置箇所の用地買収が済んでいる。ここは旧農業試験場跡地の敷地内で、市
     の所有地だった場所。喜久田街道のカインズホームの東側のセブンイレブン交差点の
     南側に駅舎とホームが出来る予定。この周辺は、もともと住宅街で、大学や高校があっ
     たり、震災後は市内でもっとも大きな仮設住宅ができ、マンション建設も行われているこ
     とから、利用者はかなり多くなりそうだ。私も宴会がある際には、非常に助かる。平成27
     年度は1億66万円の予算が計上された。

    Banko New_station

     5.その他

       遊び場(旧行健二小跡地・大槻公園内・大安場史蹟公園内・カルチャーパーク内)

       郡山中央スマートICの整備

     <今後、工事が必要な不具合発生箇所>

     1.ヨークタウン(八山田)東側及び喜久田街道周辺の断続的な交通渋滞

      極楽湯の北側のバイパスへのアクセス道路は下り方面しか行けなかったが、上記の大渋滞区間解消のため、近日上りへの誘導アクセス路の工事が始まる見込み。

     2.内環状線の早期完全開通

      東部幹線もそうだが、内環状線とは名ばかりで、まったく環状していない。北側は富久
     山町地内で途切れ、芳賀周辺でも工事が滞っている。南側は安積町の長沼街道との交
     差点で終わっている。全面開通すれば、市内を通過するだけの車の流れが変り、市街
     地の渋滞解消に役立つはずだ。完成しても環状しない不思議な道路だ。

     http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1b974dc4489905104daa8b7f46cbf716

     http://www.pref.fukushima.lg.jp/uploaded/attachment/54956.pdf#search='%E9%83%A1%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%86%85%E7%92%B0%E7%8A%B6%E7%B7%9A'

     3.市役所の駐車場の拡張

     いつ訪れても駐車場が満杯の状態で、満足な行政サービスを受けられない。利用者、つまり市民に不便を掛けているようでは、税金を有効活用しているとは言えない。

     4.国道4号線のバイパス完全立体化

     針生のオーバーパスの先、柴宮団地入口から須賀川手前の4号国道との合流地点まで信号が6か所もあり、そこだけ立体になっておらず、慢性的な渋滞の発生地点となっている。早急に立体化工事を実施し、郡山市街地を通過するだけの車両をスムーズに抜けるように整備して貰いたい。

     課 題

     郡山市は先人たちの知恵と献身的な精神により、かなり都市整備が進んで暮らし向きが良い場所だ。しかし、市街地を見渡せば慢性的に渋滞が発生している箇所も多い。道路整備は都市開発の基本なので、物流の流れがスムーズに行くように、解消するための方策をお願いしたい。また、大小合わせ、市内には数多くの公園が点在し、緑豊かな市街地というのは環境面においても子育て面、あるいは健康増進にも役立っている。しかし、やたら多すぎて土地の有効活用が出来ていない。市街地の公園には駐車場が足りないし、防災機能を兼ね備えているのは僅かしかない。税金の使い道として箱物が多いのはわかるが、スケジュールが埋まらずほとんど利用価値が無い施設も多い。では、どうすれば市民から不満がでないような税の有効活用が可能か?ならば、市主導でエネルギーの安定供給を目指すことと、米や野菜などを安全供給のための具体策を具現化してほしい。風評被害は未だ多く、「あさか舞」などのブランド米は震災前と比べ、売り上げ激減。きゅうりなどの基幹農業も頭打ち。地産地消しかないのが実情。このへんの改善策をお願いしたいのだ。

     ところで、県外から来た方に言わせれば、郡山は公園と病院、それにホテルとラーメン屋が多いと口を揃えて言う筈だ。しかし反面、郊外に人の流れが映り、駅前周辺は閑散としている。金曜日であってもアーケード内は人影少なく、呼び込みの店員のほうが多いことさえある。丸光、ダイエー、西武、丸井と大型百貨店が相次いで撤退し、大学誘致はことごとく失敗を繰り返してきた。ホテルハマツ、うすい百貨店、福島交通は一時は多額の負債を抱え、会社更生法適用で、再建の道半ばである。大都市圏の大型資本の助けを借りて、何とかやりくりしているのが現状だ。駅前のタクシープールをのぞいても、客待ち車両がまったく減らない状況。これでよく採算が合うと感心してしまう。

     インフラ整備が幾ら進んでも、市の財政状況は厳しい。税金は半端なく高い。郡山は商都として有名だが、特定の業界しか潤っていないし、年度内に予算を使い切る目的で、無理やり道路整備に無駄な税金を投入している節も見受けられる。血税であることを認識し、実りある施設をぜひ充実させて貰いたいものだ。

     記事作成:4月27日(月)

     

    2015年5月 7日 (木)

    伝説の男⑮ ~華麗なる舞い~

     今も現役バリバリの現役アスリートを「伝説」呼ばわりするのは大変失礼だが、誰もが認めるその道の第一人者で、日本の至宝と言えるようなアスリートがいる。その男は飽くなき挑戦を続け、絶えず攻めの姿勢を貫き、異次元の世界へと進化を続け、新たな技に挑む若手アスリートだ。ここまで書いても「いったい誰のことか?」と疑問に思うだろうか。その人は、世界大会で何度も優勝し、オリンピックで金メダルを獲得するほどの有能な選手だ。そして勝ち続けても奢ることがない爽やか好青年。加えて母親思いであることから、誰からも好かれる存在だ。「北島康介」?それとも「羽生結弦」?いやいや今回取り上げたいのは体操日本の屋台骨を支える内村航平選手だ。

     ではまず、完璧とも言える彼の卓越した技の数々をご覧いただきたい。

     鉄 棒

    https://www.youtube.com/watch?v=lmmnz_MNspQ

     跳 馬

     床

     男子体操は6種目あり、個人総合はその総合成績で順位を決する。体操の原点は美しいフォーム、そしてブレない着地姿勢だ。それをいとも簡単に、かつ完璧にやってのけている印象がある。彼はこの点にこだわりをもっている。他の選手も呆れ返るほどのピタッと止めるそのスゴ技。何人たりとも寄せ付けない圧倒的な強さ。しかしこうした技の数々は一長一短にできるわけではない。彼曰く、自分は天賦の才能を有していた訳ではないという。事実、練習に練習を積み重ねた努力の結晶が、今の彼の実績を支えている。もちろん両親が体操教室を営み、幼少期からそうした体操にどっぶりつかれる恵まれた環境があったのは言うまでもないが、彼が凄いのは、全日本8連覇、世界選手権個人総合5連覇の快挙、そしてアスリートたちの最高の舞台であるオリンピックに於いて金メダリストになった今でも、謙虚な姿勢を崩さず、常に新技に挑み続けている点だ。決して奢らず、鼻にもかけず、周囲の気遣いや気配りにも長け、何より親思いというその態度が、老若男女を問わず、ファンの心を虜にする所以だろう。

     最後に、私が好きな彼を取り上げたCMを紹介し、結びとしたい。

     記事作成:4月25日(土)

    2015年5月 4日 (月)

    ふくしまの誇りベスト20

     「うつくしまの誇り」というDVDが刊行されているが、それとはまったく別で、私が個人的に思う、福島を代表する観光名所をランキング形式で取り上げ、ぜひ一度は訪れて欲しいとの願いから発表するものである。地元で40年以上暮らした地元住民が素晴らしいと唸る名所ばかりだ。このゴールデンウィーク中のお出かけの参考にして頂けたら幸いです。
     ではさっそくどうぞ!

     1位 鶴ヶ城と飯盛山

     幕末に起きた会津戊辰戦争で、朝敵の汚名を着せられた会津藩。その最後の砦となったのが若松城。薩長連合のアームストロング砲を連日打ち込まれ、城は傷ついた。一方白虎隊の悲劇を後世に語り継ぐのが飯盛山。白虎隊自刃の地として知られ、隊士が眠る墓には、線香が絶えることはない。

    Tsurugajyo Iimoriyama

     2位 三春滝桜

     さくら湖のほとりに佇むその威容は、全国から観光客を呼び寄せる。日本三大桜に数えられるが、私は日本一だと思っている。4月下旬の満開時には周辺は大混雑となる。その子孫は全国各地に散らばっている。

    Takizakura

     3位 大内宿と塔のへつり

     江戸時代にタイムスリップしたかのような茅葺屋根の宿場町。民宿や民芸品屋が軒を連ねる。ここの名物は曲がりネギ一本で食べる高遠そば。塔のへつりは鮎の塩焼きが名物。

    Ouchijyuku Tounohetsuri

     4位 磐梯山と猪苗代湖

     志田浜手前の上戸の小さな隧道を抜けた後の右カーブの先に猪苗代湖の海岸越しに見える磐梯山の眺望は息をのむ美しさだ。

    Bandai

     5位 第一只見川橋梁(三島町)

     ここは鉄道マニアや撮り鉄には堪らない場所。グラビアを色鮮やかに飾り、またカレンダーの背景に使われることもある。春夏秋冬様々な表情を見せる。朱塗りの逆アーチ型。で川面に映る光景は圧巻。列車通過時刻には大勢のカメラマンや鉄道写真家たちが居並ぶ。真冬のSLは幻想的。

    Tadami

     6位 喜多方の蔵

     ラーメンや蔵の町として全国に有名な喜多方。目抜き通りには大小さまざまな古い蔵が立ち並ぶ。そこを蔵をモチーフにした馬車が観光客を乗せて悠々と闊歩する。特に市街地から数キロ北に上った三津谷地区は赤煉瓦の壁や土蔵、そして登り窯などが点在する喜多方最大の見せ場。 

    Kitakata

     7位 紅葉狩り(磐梯吾妻スカイライン・柳津虚空蔵尊・裏磐梯・安達太良山・ほか)

     10月下旬から11月中旬にかけて、福島県各地で紅葉シーズンを迎える。赤く色づく木々は外国では珍しい。楓、もみじ、ななかまどなどが色鮮やかに彩り、観光客に癒しを与えてくれる。安達太良エクスプレスの紅葉見物は最高だ。磐梯吾妻スカイラインは無料化し、シーズン中は多くの観光客を呼び寄せる。

    Skyline1

     8位 熱塩加納駅と日中ダム

     熱塩加納駅は桜の時期が最高。駅舎自体がミュージーアムで、昔の鉄道風景や実際に廃線前に日中線で使われた機材や器具などが展示されており、古の郷愁を誘う。また、ラッセル車も片隅に置かれている。日中ダムは紅葉のシーズンに訪れて欲しい。 

    Atsushio Niichudam

     9位 裏磐梯五色沼と檜原湖 

     五色沼は裏磐梯にある湖沼群。毘沙門沼では手漕ぎボートを楽しめる。大小さまざまな沼が点在し、豊かな自然風景を満喫できる探勝路が整備されている。一方の檜原(桧原)湖はバス釣りとわかさぎ釣りのメッカとして知られ、大型の遊覧船で湖を周遊できる。磐梯山の北側の大噴火で山体崩壊をした様が間近に観察できる。スケールの大きさとその大パノラマに大自然の営みをまじまじと実感できるだろう。

    Goshikinuma Hibarako

    10位 新宮熊野神社・長床(喜多方)

     天喜3(1055)年建立。藤原時代の貴族の住宅建築としての寝殿造りの主殿の形式を ふんだもの。熊野神社の拝殿といわれている。また長床の前には大イチョウの大木が鎮座している。喜多方市では最大のもので、高さは30m、胸高の幹回りは7.73m。植栽の由来は 明らかではないが、樹齢は600年ともいわれており神木となっている。落葉後も黄色い 絨毯のような様が美しく、拝殿「長床」とのコントラストは沢山の観光客を魅了している。

    Nagatoko

    11位 磐梯山周辺のスキー場

     磐梯山の周辺には多くのスキー場が点在している。私は全て走破した。1980年代中頃のスキーブーム時には全国からツアーを組み、大挙してスキーヤーが訪れた。リフト待ちが30分以上もザラだった。箕輪、グランデコ、アルツとオシャレで大規模なゲレンデが続々オープンしたのもこの頃だ。

    Alts Adatara_express

    12位 スパリゾートハワイアンズ・フラガール

     震災前、映画『フラガール」が上映された。常磐炭坑閉鎖で、行き場をなくした常磐地区の炭坑マンたちの苦悩とフラダンスで危機打開を図ろうとする人々の生き様を描き、人気を博した。震災でスパリゾートハワイアンズの施設が破壊され、一時は完全閉鎖も検討されたが、再開を望む多くのファンの声に後押しされ、フラガールたちも一年発起。半世紀ぶりとなる全国キャラバンを展開。「福島は元気です」とアピールした。

    Hawaiians

    13位 小峰城と白河の関所跡 

     小峰城もまた震災で石垣が崩れるなど大打撃を受けた。ようやく復元工事にも目処が立ち、間もなく再公開される見込み。白河の関は未だに正式なその所在は明らかではない。有力説として現在白河神社がある場所となっている。しかし、奥羽への玄関口として、重要な場所だった割には、いつ訪れても閑散としている。

    Komine Shirakawanoseki

    14位 花見山公園(福島市)

     福島市の信夫山の東5kmの場所にある小高い山が花見山公園。阿部一族の私邸だが、一般に公開開放され、四季を通じ様々な花々が訪れる人々の目を楽しませている。

    Hanamiyama

    15位 温泉(岳・東山・芦ノ牧ほか)

     福島と言えば温泉。福島県は東西に広く、面積も北海道、岩手に続き、全国団3位を誇る。奥羽山脈、阿武隈山地などがあり、南北に火山帯が走り、あちこち掘れば、温泉が湧く土地柄だ。

    Dake

    16位 高柴でこ屋敷  三春駒や張り子人形などが有名

     江戸時代にタイムスリップしたかのような異空間にいざなう。古民家風の田舎屋が立ち並ぶ風情は、ふるさとや昔の日本の長閑な原風景を思い起こさせてくれる。その民家風の店舗では、色とりどりの三春駒や十二支をあしらった張子人形が所狭しと並んでいる。

    Dekoyashiki Dekoyashiki2

    17位 天鏡閣

     猪苗代湖の長浜より更に北西側の丘に上った先に、天皇家御用達の天鏡閣がある。明治浪漫のようなエキゾチックな様式の建造物が聳え立つ。ここから猪苗代湖を望む景観は抜群。そして衣装を身に纏い、記念撮影に収まることも可能。NHKドラマ「坂の上の雲」でも撮影された。

    Tenkyokaku

    18位 左下観音堂(会津美里町)

     猫の駅長で人気の芦ノ牧温泉駅から北西方向に3kmほど分け入った山の中腹に岩壁にへばりつくようにその謎の建造物はある。清水寺のミニチュア版を思わせる、舞台造りのそれは、歴史と伝統の重み、そして格調を感じさせる威容だ。このような風変わりな建造物の存在を福島県民ですら知らない人が多い。ひっそりと森の奥に佇む風情は侘び寂びの世界だが、このほど遅まきながら県の重要文化財に認定された。標識や看板もなく、近くに行ってもわからず終いということもある。

    Sakudari Sakudari2

    19位 吾妻小富士

     雪うさぎが斜面に現れると福島にも春を告げる。火口一周50分、一切経山登山など楽しみ方も様々。ただし、今年は火山性微動があり、小規模噴火の兆候があるため、立ち入り(入山)を制限している。

    Adzumakofuji

    20位 牧場(ふれあい牧場・岩瀬牧場・殿上牧場・南ケ丘牧場)

     自然や動物と触れ合ったり、乳搾り体験や農業体験も出切る。そして特産のアイスクリームやヨーグルト、搾りたて牛乳も飲める。

    Fureaibokujyo Iwasebokujyo

      それ以外では、霞が城址と二本松少年隊の足跡を辿るツアーや、同じ二本松にある黒塚(鬼婆伝説)、勇壮な相馬野馬追いなど観光には事欠かない。

     食の名物

     1. てんぷらまんじゅう(強清水)・・・絶品。どっちの料理ショーでもNo.1になった。

     2. 喜多方ラーメン(喜多方)・・・坂内食堂、まことなど多くのラーメン食道がある。

     3. 粟まんじゅう(柳津名物)・・・黄色い粒粒の皮に黒餡がたっぷり。

     4. 玉羊羹(二本松玉嶋屋)・・・爪楊枝で突いてビニールを割って食す。

     5. 円盤餃子(福島市)・・・福島名物。一つが大きい。

     6. 白河ラーメン(白河)・・・とらやの分家が点在。あっさりスープが本道。

     7. ソース味噌カツ(会津)・・・ほかほかごはんの上にサクサクキャベツを敷き、揚げたてカツをオリジナルソースで絡めた逸品。

     8. 郷土料理こづゆ(会津)・・・会津の伝統郷土料理。ホタテの貝柱を出汁に戻した上でほぐし、豆麩、ギンナン、一口大に刻んだサトイモ、ニンジン、しらたき、シイタケ、キクラゲ インゲンなど(地域により材料は若干変わる)を加えて煮込む。日本酒、醤油で薄めの味に整えるのが特徴。

     9. 味噌田楽(会津)・・・こんにゃくを長方体に切り、各店舗の秘伝のゆず味噌

    10. クリームボックス(郡山)・・・郡山のソウルフード。四角形の食パンの上にてんこ盛りクリーム!

    11. 白土屋のジャンボシュークリーム(好間)・・・半端ない大きさ。グループでどうぞ!

    12. かんの屋ゆべし(三春)・・・煎りごまが最高。

    13. めひかり(いわき)・・・深海魚だが、いわき市近海の名産。唐揚げが最高!

    14. あんこう鍋(いわき)・・・こちらも深海魚。いわきの名産だ。

    15. さくら肉(会津)・・・市役所ウラの「はせがわ」は最高。

    16. 太陽堂のむぎせんべい(福島) ・・・ぱりぱりとした麦煎餅。ゴマ入りもある。

    17. かりんとう饅頭(船引)・・・こちらも甘い。一度食べたら病み付きだ。

    18. 地酒(大七・末廣・ほまれ・奥の松・花春・栄川・夢心・天明・花泉・飛露喜ほか)
        ・・・福島県は新酒鑑評会で2年連続金賞受賞数全国一に輝くほどの地酒天国。  

    19. 浪江焼きそば(浪江)・・・2013年のB1グランプリで優勝した太麺焼きそば。

    20. イカ人参(福島県全般)・・・福島の家庭料理。イカと人参の千切りを漬物にした逸品

    21. 川俣軍鶏(川俣)・・・こちらも地域の特産品。雄は噛み応えがあって、肉汁に含ま
    れるうま味が濃いが、筋繊維が粗いのが特徴。

    22. じゃんがら(いわき名産)・・・水を使わず、小麦粉と卵で焼き上げたサックリとした皮に大納言小豆を挟んだ特有の個性的な味わい。 郷土芸能に由来する伝統の味と技が光るいわきの代表銘菓。 (株)みよしで製造・販売

    23. グルメンチ(三春)・・・ピーマンが入ったメンチカツ。鳥文肉店で購入できる。

    24. 天神さま(会津)・・・太郎庵提供。ふんわりカステラに十勝産の小豆入り。餡子・クリーム・抹茶がある。

    25. 鳥もつ(塩川町)・・・鳥皮のことを塩川では「鳥もつ」と呼ぶ。

     以下、コメントを割愛します。

     民芸品

     1. 唐人凧(会津)
     2. 本郷焼(会津美里)
     3. 相馬焼(相馬・原町)
     4. 三春駒(三春)
     5. 白虎隊竹刀(会津)
     6. おきあがりこぼし(会津)
     7. 会津漆器(会津)
     8. 白河だるま(白河)
     9. 土湯温泉こけし(福島)
    10. 赤べこ(会津・喜多方)

     学習施設

     1. ムシテックワールド(玉川)
     2. 野口英世記念館(猪苗代)
     3. 磐梯山3Dワールド(猪苗代)
     4. いわき石炭化石館(いわき)
     5. ビッグアイ・スペースパーク(郡山)
     6. 大安場古墳(郡山)
     7. 諸橋近代美術館(猪苗代)
     8. 福島県立博物館・美術館(福島)
     9. 会津藩校日新館 (会津)
    10. 白虎隊資料館(会津)
    11. 芭蕉記念館(須賀川)
    12. 英国村(ブリティッシュヒルズ)
    13. アクアマリンふくしま

     テーマパーク

     1. 安達が原ふるさと村(二本松)
     2. 東北サファリパーク(二本松)
     3. アウシュビッツ記念博物館(白河)
     4. 会津村(会津・磐梯町)
     5. 会津武家屋敷(会津若松
     6. 円谷幸吉メモリアルミュージーアム(須賀川)

     震災を伝える学習施設があって然るべき。防災意識を高めるために、地震体験や津波がどこまで来たか、原発事故の経緯と放射線値比較などを後世に伝えるための施設を建設してほしい。

     記事作成:4月29日(水)

    2015年5月 3日 (日)

    2015年ぶらり旅④ ~三春富士と小沢の桜~

     前日にふとしたことから急遽思いつき、決行することにした。前日、夜中の1時までPC作業し、5時半起床。つまり4時間程度しか寝ていないが、釣りに行くことを思えば、近場の往復なので、さほど重荷ではない。今回は、前日に、「福島県内の映画・ドラマで使われた桜の名所」という記事を執筆していて、思いついた。一度、訪れてみたかった場所だ。

     ひとつは地元テレビや「ナニコレ珍百景」にも取り上げられた、田村市船引町にある「自作の富士山」。そして映画「はつ恋」(2000年放映)の舞台となった同じ町内にある「小沢の桜」だ。果たしてどんな珍道中になったのか、その顛末やいかに?

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     <予定>

     6:00自宅発ー6:25佐藤氏宅「三春富士」6:40ー7:10小沢の桜7:40ー半田屋(朝食)8:00ー8:15帰宅

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    5月3日(日)くもり/晴れ

     5:30 起床 デジカメ電池充電
     5:58 自宅発 R4を横断し、宝沢池の南岸を進み、いったん旧国道に出て左折し、
         R288へ(6:04)。法定速度厳守。清掃工場、阿武隈川渡る。その先、東ICまで
         のアクセス道路を制限速度の60km/hで走っていたら、後ろからグレーの商用ワ
         ゴン車が追い越し禁止区間を平気で抜いていった。しかもその先の郡山東IC入り
         口の赤信号を、停車もせずに当たり前のように無視して左折。たぶん90km/h以
         上は出ていた。こういう公道を我が物顔で走る無法者を警察は捕まえてほしい。
     6:08 郡山東IC入り口交差点通過。三春方面へ。道路はガラガラだが、速度厳守。
     6:12 三春入口。曇っている。軽トラに追いつく。なんとバイパスを40km/hのマイペー
         ス走行。後ろ、5~6台の車列、黄色のセンターライン解除後、追い越す。三春・
         船引IC入り口手前を右折。高速下を潜ったら、目の前に富士山が見える。わかり
         やすい。
     6:20 三春富士山着。自宅から17km地点。
         ここは有名な佐藤さんという方が自作したもの。高さは5mほどか。車をターンし、
          自販機のある路肩に停車。カメラを持ってさっそく見物。隣りが佐藤さんの大きく
         て新しい自宅。奥さんが玄関前で作業。おはようございます。「ここで写真を撮って
         もいいか」尋ね、O.Kを貰う。もっと広大な場所に聳えていると思ったが、敷地が
         思ったより狭く、こじんまりしている。10枚以上写真。やはり逆光。青空ならいい
         が、曇っていて白く、ファインダー越しだと富士山の冠雪部分同化してと区別がつ
         かない。よくぞ個人でここまで作ったものだ。その麓には小さな池があり、そこに
         手漕ぎボートが浮かんでいた。道路側から見ると、山頂まで登るための鎖が出て
         いたが、これが東側の急斜面で、見るからに危険。切れたら一巻の終わり。

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    http://www.fukulabo.net/is/tv/008.html

     6;27 田村富士山発。そのまま農道を南下する。そして左に急カーブし、アップダウン。
         正面に片曽根山(田村富士)が見える。懐かしい。火の見櫓あり。ナビ通り。お地
         蔵さんのような人形が並ぶ石碑を通り、ハイキングコースの看板を見つつ、T字路
         へ、正面に人形様の案内看板。左折し、すぐにまた左折。狭い山道へ。県道
         113。常葉芹沢線。小沢の桜の標識。あと3km。田んぼの道あああ。火の見櫓
         多い。いわき常葉駅方面から左折し、再び小高い山越え。R349。丁字路で合流
         したら、すぐ右手の畑を挟んだ先に祠と逆L字型に折れた風情の「小沢の桜」が
         見え出す。案内看板と手作りの観光客用の駐車場が2か所あり。

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     6:41 小沢の桜着。自宅から26.4km地点。映画「はつ恋」のロケ地を示す看板あ
         り。しかし、周辺は無人。作業着のおっさんが歩いているだけ。田んぼのあぜ道を
         迂回して桜へ。やはり逆光。菜の花の黄色に映える。2週間遅かった。おかげで
         誰もいない。お堂の中は或る地元の建設が設置した「はつ恋」の看板に、地元の
         風景を描いた板が設置。お地蔵さんも数体。芳志者の名前も壁に記載。この桜
         は枝が横に伸び、他と風情や趣が異なる。映画では「願い桜」として、重要な役割
         担う。余命いくばくもない母親の願いを兼ねようと、手紙の相手を探し、そしてこの
         場所で、二人を合わせようと奔走する。この場所が命の、そして生へのモチーフと
         なっている。バックには遠景で「移ケ岳」の富士山の如き山の稜線と、火の見櫓、
         そして菜の花と緑の葉桜が、長閑な田園風景に見事にマッチしていた。

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     映画「はつ恋」の予告編はコチラ(22秒に登場します。)

    https://www.youtube.com/watch?v=W_bPC9ZPexI

     満開時はこんな感じです。



     6:54 小沢の桜発。予定より早い。農免農道七郷地区から右折し、来た道を引き返
         す。途中、是哉寺の地蔵桜0.2kmの標識を見つけ、急停車。左折。青空に。
     6:58 「是哉寺(ぜさいじ)地蔵桜」。もちろん葉桜あが、ソメイヨシノの大木。樹齢は約
         350年。高さ15.5mと立派。船引や三春は桜の名所で、こうした大木があちこ
         ちに点在している。3分ほどですぐに出発。その先の民家の土手になぜか巨大な
         ボウリングのピンが置いてあった。何かの目印か?来た時曲がった商店の丁字
         路を直進。船引南小学校へ通じる道路で、過去に何度か通った記憶がある。
         JAたむらふれあいセンター・福島部品の丁字路交差点を左折。思い付きで近くを
         通るため、もう花が散った後の三春滝桜の様子を窺いに立ち寄ることにする。県
         道57へ、坂道のアップダウン。右の丘の上に綺麗な芹沢小が見えた。やがて細
         い川沿いの道へ。さくら湖が近いことを認識。鯉のぼり。丁字路を右折し、県道
         40号と合流。200mほどで滝桜の身障者用の駐車場へ。無人。

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    満開時はこんな感じ↓→ https://www.youtube.com/watch?v=B4vD1ShAWQE

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     7:10 滝桜着。ここまで36.7km。2週間前までは花見客が全国から押し寄せ、道路
         は大渋滞を引き起こしていたのに、今日は閑散。というより俺一人。園路や散策
         路は人っ子ひとりいない。しかし、その周辺は圧巻の景色。滝桜自体は葉桜で
         青々とした緑の葉に覆われていたが、その周りは菜の花が咲き誇り、真っ赤なツ
         ツジの生け垣が取り囲む光景。赤と黄色、そして新緑の緑のコントラストが眩しか
         った。こんな原風景を独り占めできるとは。その後、桜の真下を歩き、間近で見
         物。遠くでライダーが遠巻きに見物している。地元の民家のおばあさんが引き戸
         を開け、目が合ったので挨拶を交わす。そして一度も行ったことが無い、ツツジの
         手摺の階段を登って、滝桜の裏手へ。初めて一周した気がする。私はブームが
         去った後や、時期外れの時に観光地を訪れるのが大好きで、人影少なくなった真
         の姿や本来の姿を目の当たりにし、それに人生を照らし合わせ、人生を実感する
         のが好きだ。だから今回も散った後の寂しさを満喫したかった。根っからの孤独
         主義者なのかもしれない。今回も、「兵どもが夢の跡」状態だった。ここだけで写
         真を30枚以上撮影した。帰ろうと車に戻る時、ジムニーが停車し、女性が見物に
         現れた。

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     満開時はこんな感じです。



     7:24 滝桜発。郡山市街地方面へ。さくら湖の縁を周る道路だ。左折、右折を繰り返
         す。県道297を西方面へ。
     7:31 こばりどん(亡くなった同僚が訪れた想い出の場所)&三春ハーブガーデン前。
         交通量増える。
     7:35 美術館通り。飛ばさず自重。60km/h以上は出さない。信号モロ。
     7:42 半田屋へ。久し振り。ここまで48.8km。ハムエッグ・納豆・野菜炒め・ミニめし・
         味噌汁で560円。5分で平げる。麦茶2杯。客は6~7人。

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     7:53 半田屋発。ROUND1、左折。逢瀬川沿い。右折して旧国道、左折。4号線下。
         喜久田街道・奥羽大前通過。

     8:02 自宅着。

     所要時間2時間4分   走行距離:54.1km   写真67枚撮影。

     まったくの前日の思いつきで実行した。私にしては珍しくノープランに等しい。GW中、ずっと晴天に恵まれ、どこにも行かないのがもったいなかった。旅とは言えないが散歩程度の周遊。郡山周辺にもこのような見どころがあるということを紹介したいという意味合いもあった。朝2時間程度の散策でもこれほど時間を有効に使えるのだから、今後もどんどん出歩きたい。

     記事作成:5月3日(日)  9時45分

              
     

    2015年5月 1日 (金)

    2015年ぶらり旅③ 森羅万象を感じるスポット

     ~お知らせ~ 

     5月1日(金)午前1時に、福島県民を敵に回すような名前を名乗る者から、いわれのない誹謗のコメントがあったため、その身元特定調査のため、しばらくの間、コメントの受付を停止します。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     1月に鎌倉、3月に相馬を旅して以来、どこにも行かず終いだった。このGW中、滅多にない快晴に恵まれ、夏日を記録するなど、家に閉じこもりっきりでは勿体ないということで、重い腰を上げた。
     今日、訪れるのは遠出ではない。地元・郡山の隠れた魅力に迫りたい。どこがいいか思案していたところ、近場に穴場スポットがあった。それは4月26日(土)に熱海某所を訪れた際に、たまたま置いてあった「逢瀬町」のガイドマップだった。そこに記載してあった、人知れず、山奥にひっそりと建つ「菅船神社」に妙に魅かれてしまった。そこは逢瀬公園から西へ500m程度山側へ入った場所にあり、郡山市民ですら滅多に足を踏み入れない秘境に存在する神社だった。しかし、パンフの説明によれば、「小高く石段が続く先に由緒ある神殿を備えており、ご利益は「災いを清め、幸へと導く神様が祭られてある」とあった。五つの鳥居を潜り、山間の苔むした石段を登ると、風格のある拝殿が現れると、いかにもそそられる文言が並んでいた。「これは行くっきゃない!」ということで、今回は、昨年石段上りでえらい目に遭った山登り必至の神社を訪問し、参拝することとした。

     テーマは「森羅万象を感じるスポット」(菅船神社)だ。実施日はGW中の5月1日。近場なので、午前中、或る用事を済ませ、途中から訪問に切り替え向かうことにした。
     以下、経緯を記載したい。

    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

     <予 定> 

     9:30自宅ー10:00熱海某所ー10:20菅船神社11:00ー11:10夏出の大キャラと大イチョウ11:30ー11:45熱海某所ー12:00自宅

    参考ブログ:http://ameblo.jp/idjericho/entry-11011030296.html

     5月1日(金)快晴

     前日缶ビールを1本飲み、一週間病院の薬を飲み続けても風邪が治っていない体調不良の中、石段登りを決行。心臓が持つか、そして翌日以降の筋肉痛はどれほどのものなのか不安要素は多いが、何もしないでGWを過ごすよりはマシ。しかもこの前日の4月30日に、予想外のことが3つ立て続けに起き、予定が大きく狂う災いがあった。これは何かの災いで、お祓いが必要という判断から、それにはパワースポットに出向くことが邪気を鎮める唯一の方策と考えたことも今回背中を押した要因だ。

     5時55分にいったん起床するが、再び就寝。最近寝不足が続き、少しでも睡眠時間を確保したかった。6時45分に再び起きる。以下時系列掲載。

     9:20 自宅発 ラジオから懐かしい曲。某所で同行者を乗せ、9時35分発。
     9:55 熱海某所着。14.1km。仕事上の事由のため非掲載。5,000円支出。領収証。
    10:18 熱海某所発。安子ヶ島の手前の信号を右折。山間走る。制限速度厳守。 
          右折して旧道の県道29長沼喜久田線へ。川沿い、異種の桜並木綺麗。この
          道は2度目。集落で道幅狭くなる。看板あるが、夏出大キャラのではなさそう。
          河内小夏出分校前通過。道の両側に沼。分岐路を新道へ。旧道で良かったの
          に。清掃工場。逢瀬公園の手前を右折し、川沿いへ。狭い。田園風景へ。くねく
          ねで途中、農作業のおばあちゃんに「菅船神社」の場所を聞き、くねくね進み、可
          愛らしい明神橋を渡り、道なりに進むと100mで菅船神社に突き当たる。

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    10:38 菅船神社着。自宅から27.3km。無人。周辺は人気なし。赤鳥居。狛犬怖い。
          山登り覚悟が拍子抜け。長い石段を5つの鳥居を潜って延々登ると思いきや、
          目の前に第二、第三の鳥居が短い間隔で連なる。しかも傾斜は緩やかな石段。
          厄払いを兼ね、神妙な面持ちで、各鳥居で礼をしながら上る。周囲は誰もいな
          い。第三の鳥居まで僅か50m。そこで左に折れるが、右手に清めの手洗い場。
          手を洗い、口をゆすぐ。
          
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                 左に折れ、第四の鳥居に社務所。無人。絵馬・願い事は高校・大学合格。
          その10m先に最後の第五の鳥居。正一位菅船大明神の文字。そこが頂上部。
          立派な門。そして配置。門には二対の木の像。歴史を感じる木目の「健惣門」を
          潜る。境内も美しい造り。天皇在位60周年記念植樹などあり。本殿の拝殿で、
          礼法を守り、小銭だが賽銭を投げ入れ、最近の不調を振り払うべくお祓いを受
          ける。赤鳥居2つ。ひとつは左側の蔵の左手。その石段の上には祠体。右奥の
          赤鳥居は急勾配の石段。愛宕神社の文字。杉林が乱立、パワースポットを実 
          感。井戸もある。鳥居は15~30m間隔で、駐車場から100m、3分で本殿へ。
          狛犬の最初の鳥居の北隣りには「忠魂碑」が建っていた。

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    10:54 菅船神社発。長閑な田んぼのあぜ道のような一本道。明神橋後、直進。集落
          へ。そこで、探していた参道入り口を示す「菅船神社」と刻まれた石の標札を発
          見。結局分岐路へたどり着く。旧道で良かったのだ。

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          左折して県道29へ。ほどなく眺望苑入り口。バーが掛かり、未だに通行止め。
          キャラボクの所在不明。河内小夏出分校でUターン。それらしき森のある方角
          へ、その脇の狭い道を分け入る。集落。Uターン。左折。農作業の若い男性に尋
          ね、戻る。そして例の狭い道路の先の集落へ。工業所やなぜかキビタンの実物
          大オブジェあり。標識にはキャラの文字。駐車場なく、路上駐車も狭くて無理。右
          カーブの後、夏出バス停が砂利の広場。時刻表確かめて、11時台のバスがな
          いことを確かめて端っこに駐車。歩いて50m戻る。標識見ても、どこがアクセス
          道か不明。鯉のぼりを出していた隣の民家のおばさんに聞く。丁寧に教えてくれ
          て、徒歩で民家の細い坂道を登る。「新奥の細道」などの文字が標示板にあった
          が、観光客を誘客する目的?これで町おこし?民家の庭先に低木の藤の花。
          青紫で綺麗に咲いている。今年は花の開花が早い。すると50mも行かぬうち
          に、草っぱらの空き地へ。そこに小さなお堂(薬師堂)があって、そこに高い大銀
          杏の大木が聳える。左手の上は鳥居と神社。

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    Img_1018_r Img_1019_r

    11:10 夏出の大イチョウ着。しかし、肝心の大キャラは見当たらず。逆光だが、数枚写
         真。あまりにも高く、ファインダーに全容が収まらない。蛇でも出そうな原っぱ。暑
         い日差し。時計を気にし、すぐに戻る。周辺の民家には鯉のぼり。田舎のほうで 
         は土地があるためか、どこも飾ってある。羨ましい。

         追記

         帰宅後、パンフで確認したところ、お堂を挟み、左側の大木がイチョウで、その右
        側に立つのが大キャラだったようだ。結果的に両方見上げていたし、写真にも撮っ
        ていた。写真のお堂への石段を上がれば大キャラの説明看板があったらしい。

        http://www.takamikk.jp/sys/index.asp?ID=3197

        http://blog.goo.ne.jp/u-child/e/05a292e859d18045734992f5a1e5b7cc
         
    11:18 夏出の大イチョウ発。焦る。11時半には戻れるか?来た道をバイクと車2台連
         なって戻る。R49への近道の狭いくねくね道路を行く。
    11:26 熱海某所着 41.2km
    11:46 熱海某所発
    12:03 帰着  走行距離 53.8km  

     (出費) ペット茶150円 お賽銭100円 計 250円   

     気まぐれとは言え、あまり旅っぽくはないが、久々に神社仏閣を訪ねることが出来た。5~8月は仕事の面で、かなり忙しいシーズンなので、こうした時間が取れる時には、積極的に外に出歩きたい。今年は仕事で沖縄に4日間も行くので、「釣り」に行けない分、できるだけ回数を稼ぎたい。

     記事作成:5月1日(金)

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