いぶし銀のプロ野球選手
クリーンアップなどの主軸は打たないものの、いい味を出し、チームには欠かせない役割を果たす特別な存在の選手がいる。人はそれを「いぶし銀」と呼ぶ。ホームラン数は少ないものの、熟達した職人技を大事な局面で発揮して、チームを救ったり、窮地に追い詰められた場面で起死回生の一打を放つ選手だったりする。これらは経験豊かなベテランに多い。
本日は長いプロ野球の歴史の中で、そうした「いぶし銀」の活躍をした名選手を取り上げたい。
平野光泰(近鉄)
悲運の名将・西本近鉄の一番打者。長打力もある中堅手として名を馳せた。実働14年で1,055安打。107本塁打。106盗塁。打率.264.私が大好きだった選手のひとり。
広島に2年連続日本シリーズで敗れたが、昭和55年の頃のミラクル近鉄が大好きだった。栗橋や石渡などもいぶし銀のような選手だった。
弘田澄男(ロッテ)
小柄でながらしぶとい打撃を見せる。犠打もうまい。アルトマンと並んで「ロッテの外野はノッポとチビ」と言われた選手だ。 パ・リーグ時代一度しか記録していない3割を移籍直後の84年に達成。2番センターとして活躍。実働16年。1,506安打。294盗塁。打率.276
正田耕三(広島)
高橋慶彦と不動の1・2番俊足巧打のコンビだった。スイッチヒッターで、ファウルで粘り、四球を選び、盗塁も多く、相手投手からは一番嫌なタイプだった。二塁手として守備も堅実で、俊足を活かして守備範囲が広かった。実働14年で1,546安打146盗塁。打率は.287だった。528三振とミートが上手い分三振が少ないことで有名だった。
辻 発彦(西武)
私の中では守備の名手という印象。清原、秋山、石毛、工藤、郭、渡辺久信などと森・西武の黄金期にあって、鉄壁の二塁手として職人技を披露した。歴代最多の8度のゴールデングラブ賞を受賞している。小柄に見えるが182cmもある。
篠塚和典(利夫)(巨人)
安打製造機の異名をとるほどの小技の利くバットコントロールは有名だった。しかし、高卒で長く現役生活を送り、首位打者も獲得している彼だが、名球会に入っていない。腰痛に泣いたという印象。彼が素晴らしいのは、バッティングだけではなく、その卓越した守備技術にもある。とりわけ1980年代の巨人を支え、河埜和正との二遊間コンビは鉄壁だった。抜けそうで抜けない、まるで牛若丸をイメージさせるような軽やかな守備で、何度もピンチを救い、味方投手にとって、これほどありがたい存在はなかった筈だ。
実働18年。1,696安打。打率.304 三振が540と極端に少ない。1シーズン30個程度だった。いかに選球眼が良く、ミートが上手かったかが窺える。
高木 豊(横浜-日本ハム)
横浜の全盛期の屋台骨を支えた一人。加藤博一、屋敷要らとスーパーカートリオを結成。俊足好打の1番・3番打者として活躍した。1990年は打率.323でリーグ2位。1992年、巨人戦において通算300盗塁を達成。
実働14年 1,716安打。877得点。316二塁打。321盗塁。747四球。打率.297
新井宏昌(近鉄)
彼こそ熟練という言葉がぴったりな名プレーヤー。ミートが上手く、野手のいない場所を狙う単打の天才。現役時代は南海ホークスや近鉄バファローズで活躍。巧みなバットコントロールによる状況に応じたシュアなバッティングが特徴で、2000本安打に加え300犠打をマークするなどチームプレーにおいて欠かせない存在感を示した。18年で2,038安打。通算で422三振しかしていない。年間平均25三振なのでいかにミートが上手かったか。盗塁165で三拍子揃った名選手。
小川 亨(近鉄)
1967年のドラフト3位で近鉄バファローズに入団。膝を深く、体をくの字に曲げ、バットを極端に短く持ってピッチャーに傾ける独特の構えで、勝負強い打撃を発揮。1年目の1968年から一軍に定着し、95試合で打率.256を記録。翌1969年は11本塁打と長打も増え、同年から5年連続二桁本塁打。特に1971年は自己最多の20本塁打に打率も.315と大台を突破し、レギュラーの地位を固めた。また、入団1年目から7年連続で二桁盗塁。1970年、1972年とリーグ最多三塁打を記録。
1975年は打率は3割を切ったものの、最高出塁率のタイトルを獲得したほか、7月10日の対南海戦から9月6日の対太平洋戦まで歴代3位の180打席連続無三振記録を樹立した。1980年には自己最高となる.323を記録してリーグ6位につけた。
近鉄一筋17年のプロ生活で、通算1908試合出場は球団最多記録。1984年に現役を引退。
進藤達哉(横浜)
個人的には最強の2番打者だと思っている。1997年から1999年まで3連続で三塁手部門でゴールデングラブ賞を獲得。小技が利く選手は守備も抜群に上手い。当時12球団でも随一の守備力と呼ばれた横浜内野陣の三塁手として、好守でチーム38年ぶりのリーグ優勝・日本一に貢献。打撃でもいずれも生涯自己最高となる打率.241、14本塁打、54打点を記録し、リーグ優勝決定試合でも勝利打点を叩き出すなど、マシンガン打線の一員として活躍した。実働16年。917安打。104本塁打。100犠打。
川相昌弘(巨人ー中日)
職人という言葉は彼の為にあるようなものだ。小柄でも、何か一つに長けていれば、記録を残せることを身をもって証明した選手だ。川相=バントの名手と誰もが思うだろう。その積み重ねが実を結んだ。2003年8月20日に東京ドームで通算512犠打を達成し、エディ・コリンズのMLB記録を超え、ギネス世界記録にも認定された世界記録を樹立し、その名を刻みこんだ。現役23年。1,199安打。533犠打。打率.266
仁志敏久(巨人ー横浜)
彼は向こう気が強く、切込み隊長として脅威の存在だった。職人技と言えるような安定した守備力に加え、171cmと小柄ながらパンチ力があった。先頭打者ホームランで相手投手の立ち上がりの出鼻を挫くような役割を何度も果たした。私は崇拝していた原監督と性格的に合わなくて、自ら巨人を去った印象が強い。
実働14年。1,591安打。154本塁打。2,348塁打。135盗塁。打率.268
宮本慎也(ヤクルト)
ヤクルト一筋の職人。元日本プロ野球選手会会長。アテネオリンピック野球日本代表(2004年)・北京オリンピック野球日本代表(2008年)ではキャプテンを務めた。また、2009年から現役最終年の2013年までは、一軍のコーチも兼務した。
規定打席に到達したシーズンで4回の打率3割を記録している。若手の頃は2番や8番といった打順を打っていたが、30代後半のベテランになってからクリーンナップを任されるようになった。右打ちやファウルを打ってカットするのが得意であるが、初球から積極的にスイングするため四球が少なく、出塁率はさほど高くない。2002年は519打席に立ちながら、わずか9四球という少なさだった。2001年には世界タイ記録の67犠打を記録するなど、球界最高峰のバントの名手となった。また、名球会入りしている打者で通算2000本安打・400犠打を記録している唯一の選手でもある。
実働19年。2,133安打。111盗塁。408犠打。打率.282
他にも西武などで活躍した平野謙選手や巨人の篠塚なども
<現役選手>(2015年4月時点)
谷 佳知(オリックス)
俊足巧打の秀逸した選手。小柄ながら長打力もある。早いカウントから打ちにいく積極性が持ち味だが追い込まれた後でもミートできるバットコントロールを持ち味とし、三振が少ない。2003年には2ストライク後打率.351を記録し、カウントによっては狙い打ってスタンドまで運ぶ長打力も兼ね備え、得点機にも強く巨人移籍後2010年までの通算得点圏打率.332を誇る。巧みなバットコントロールで球種に関わらず打球を広角に打ち分ける技術を持ち、特に右方向へ流し打つ技術は球界屈指と言われる。
外野守備では俊足を生かした広い守備範囲と強肩を誇り、2001年から2004年にかけて4年連続でゴールデングラブ賞を獲得する活躍を見せた。2002年には41盗塁を記録して盗塁王を獲得するなど活躍。
実働18年。1,923安打 133本塁打 167盗塁 2,718塁打。打率.297
藤田一也(横浜ー楽天)
彼もまた派手さはないがいい味を出している。守備の達人で、打ってつけの2番打者。二塁手・遊撃手・三塁手と複数ポジションをこなす。もっとも多く出場した二塁手での守備率は通算.993。2011年にはシーズンを通して無失策を記録するなど安定した成績を残している。二塁手での守備率は通算.993。2011年にはシーズンを通して無失策を記録するなど安定した成績を残している。ボール球スイング率が高く選球眼に課題を残すが、空振りは少なく三振も少ない。32歳。11年目。632安打。152犠打。766塁打。打率.272
井端弘和(中日ー巨人)
WBCアジア予選の台湾戦で、崖っぷちに追い詰められた時に、同点打を放ったあのバッティングは、ベテランの味。プレッシャーに強いB型そのもの。中日時代は「アライバ」として鉄壁の二遊間コンビを結成。数々のファインプレーを演出した。
2004年から2009年まで6年連続でゴールデングラブ賞を受賞している。走塁面でも20盗塁以上を三度記録し、右打者ながら一塁到達3.98秒を記録するスピードを誇る。柔らかいリストワークを生かしたバットコントロールの良さを持ち味とする。大きく左足を上げるバッティングフォームだが、タイミングやステップを微調整するため対応力が高い。
2006年から2010年までの5年間で左投手に対して打率.307を残し、基準違反統一球が導入されていた2011年から2012年も打率.285を記録するなど左投手を得意としている。空振りは少なく、外角の球に限らず内角の厳しいコースも腕をたたんで右方向へ運ぶ技術を備え、得点圏時には右方向に8割以上の割合で打球を運ぶなど場面に応じたバッティングもできる他、ファウル打ちは球界屈指の技術を誇る。
現役生活16年。1,849安打。261二塁打。2,321塁打。146盗塁。238犠打。665四球。打率.283
今日取り上げた選手は、相手チームからしたらもっとも嫌な存在。主砲や足の速い選手は警戒するが、ノーマークの存在だけに、意外性や勝負強さがあって、ここ一番で思いも寄らぬ力を発揮して結果を出す。これは勝負を決める一打となるケースが多い。新人の若手選手はこういう先輩の功績を見習い、自分スタイルを極めてほしい。周囲に流されず、自分にしか出来ない生きる道を模索し、それを体得できれば、息の長いファンから愛される名選手になれると思う。
記事作成:4月18日(土)
追記(5月14日 木)
巨人首脳はやはり人を見る目が無い。坂本が戦線を離脱し、成績も良くなり2位に浮上。しかし坂本を復帰させ、いきなり4番に据えた。結果は4タコ。つまり、4打数無安打。2戦目も5打数1安打。復帰2戦で9打数1安打はスタメン失格。彼が出ると、打線が湿る。ポンポン打ち上げて凡打。チャンスを無駄にし、意気消沈。打線の流れが悪くなり、他の打者にも伝染する。
彼がスタメン出場した試合は、打線は沈黙状態で、チーム全体で5本しかヒットが出ない。私が監督なら彼は一軍にすら置かない。「打てない・守れない」ではいいところが無い。それをなぜ原監督は辛抱強く彼を4番を任せ続けているのか意図がわからない。それに私なら長野もまたファーム送りだ。両者共にあまり才もない割に、限界まで努力もしないでカッコばかりで野球をやろうとする輩は害であって雇う必要が無い。今の巨人の現状を考えるなら、次のスタメンを組むしかない。
1 片岡 代打 村田 代走 鈴木
2 井端 中井
3 アンダーソン 小林
4 堂上 寺内
5 太田 矢野
6 阿部 高橋由
7 亀井
8 橋本到
~お知らせ~
明日5月16日は10年前に亡くなった私の最愛の祖父の命日にあたります。したがって、亡くなった時刻に、毎年お送りしている追悼の詩を掲載させていただきたいと思います。ご了承願います。(SUZU)
« 名選手は名監督に非ず | トップページ | 人生の落日 ~花散る日~ »
「野球」カテゴリの記事
- 野球の不思議(2018.04.04)
- 名球会入りしていない名選手(2018.03.27)
最近のコメント