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2015年7月27日 (月)

私の中学時代に流行ったもの

 本日の話題は備忘録とか想い出話の類だ。私が思春期の中学時代を送っていたのは昭和52年4月から55年3月までだ。最も多感で人間関係に思い悩んだのもこの時期だ。過ぎ去った時間は美しく記憶に刻まれるというが、私にとっては暗黒の時代だった。唯一慰めで、自己主張できたのは、箭内道彦と一緒に盛り上がっていたフォークギターだった。
 ではそんな昭和の時代、世の中では何が流行り、注目を浴びていたか振り返りたい。なお、本日リンクした動画サイトの映像は、極めてレアであり、予告なしに削除されることがあることを前もってお断りしておきたいと思います。

 インベーダーゲーム

 1回100円でボーリング場やラーメン屋などいたるところにゲーム機があった。私は内環状線沿いの緑町にあった札幌ラーメンの店に入り浸って、点数アップを目論見、無駄遣いしてしまった。50円の格安店もあった。

Invader Invader2

 玩具ではスライムなども流行った。

  スターウォーズ

 私は記念すべき第1作目を郡山ピカデリーで見た。しかし、狭い映画館は満員で、立ち見した想い出がある。ピカデリーは、清水台の八幡坂沿いの地下にあった古い場末の映画館だった。

Starwars

 銀河鉄道999

 星野哲郎とメーテルの切ない物語。空飛ぶSLが主題で、ゴダイゴがテーマソングを歌って大ヒットした。

 24時間テレビ始まる

 私が中2の夏に第、第1回目の24時間テレビが始まった。東京であちこちにこの告知を兼ねた大看板を見かけた。

24hours_tv

 西遊記

 私が中2の頃に始まったドラマ。毎週日曜日の8時からNTV系列で放送していた。孫悟空に堺正章、猪八戒に西田敏行、沙悟浄に岸部シローという豪華キャストだった。加えて三蔵法師にはなんとカネボウモデル出身の夏目雅子を起用し、彼女の丸坊主姿も様になっていた。私が兄と二人で夏休みに上京して東京見物していた時、有楽町の今は無き日劇の前で、このドラマを宣伝する大看板を見かけたことが記憶にある。当時・かくし芸などで起用達者な堺正章の孫悟空役はハマっていて、適役だった。

 高校野球(PL学園・箕島)

 私が中1の時は、実際に甲子園まで見に行った。1年生エースのバンビ坂本投手の東邦と大鉄の準決勝を見た。決勝は松本投手率いる東洋大姫路と東邦高校が戦い、東洋大姫路が優勝した。この年は投手が豊富で、小松(星稜)や山口(智弁)、三浦(福島商)、三谷(今治西)が活躍した。2年生の時は、PL学園ブームで、西田投手(後に打者転向で広島カープ入団)が大活躍して優勝した。3年次は、尾藤監督が采配を振るう箕島(和歌山)が石井ー島田のバッテリーで奇跡の逆転を演じ、観衆を魅了した。愛甲の横浜、荒木の早実、金村の報徳学園、畠山と水野の池田高校、KKコンビのPL学園が活躍するのは高校時代だった。

Bitou Minoshima

 ロッキード事件

首相の犯罪として政界を揺るがした。超大物田中角栄元首相が、在職時代にアメリカロッキード社に便宜を図ったとして逮捕される事態に至った。ピーナツとかハチの一刺し、記憶にございませんなどの流行語を生んだ。結局、一審で懲役刑が出されたが、公判中にも影響力を与え続け、政治を陰で操った。ヨッショヨッシャが口癖で、「まぁ~この~」など物まねされることも多かった。結局は裁判途中で天国へ旅立ってしまった。

Kakuei2 Kakuei1

口裂け女

日本全国を恐怖に陥れた謎の女だった。整形手術に失敗し、口が大きく裂け、マスクをして街角に立ち、道行く子供に、「私、綺麗?」と尋ね、「きれい」と答えると、徐にマスクを外し、「これでも?」と醜く裂けた口を見せ、怖がって逃げる子供を追いかけるという話。あっという間に全国に飛び火し、郡山でも安積国造神社に出たとかいう噂が立った。騒ぎ立てないようにとの教育委員会が異例の通達を出した。

Kutisake2 Kutisake

  756号

  巨人の王貞治選手が、大リーグのハンクアーロンの持つ755号のホームラン記録を更新する756号を放った。その数日前から、野球中継を度々延長し、国民的な行事となった。ヤクルトの鈴木康二朗投手からライトスタンドに放った一打で、日本中が大フィーバーと化した。一本足打法は美しかった。滞空時間の長い放物線を描くホームランはもはや芸術だった。

 

 キャンディーズ解散

 どちらかと言えば小学生の頃のアイドル。最終シングルとなった「微笑がえし」が大好きだった。「普通の女の子に戻りたい」との名言を残し、引退を表明。当時の熱狂的なファンは落胆した。後楽園球場でのファイナルコンサートは多くの紙テープが入り乱れ、涙涙だった。引退後、伊藤蘭(ラン)と田中好子(スー)は芸能界に復帰し、女優として活躍したが、藤村美樹(ミキ)は、一途に芸能界復帰を拒んだ。スーちゃんが亡くなり、告別式に参列した際に、久し振りに公の前に姿を見せ、亡き親友の死を悼んだ。

 彼女たちが去った後の芸能界は心にポッカリ穴が開いたようだったが、ピンクレディーや山口百恵が歌謡界をリードした。私はファンクラブに入るほど石野真子が大好きだった。

 山口百恵

 1970年代を鮮やかに彩った歌姫が静かにマイクを置いた。俳優の三浦友和との結婚を理由に引退を決意。それまで数多くのレコードやテレビドラマ「赤いシリーズ」、映画に出演し、桜田淳子、森昌子と共にスター誕生出身の3人娘を結成。中3トリオ~高3トリオまでアイドルの頂点に君臨した。良妻賢母の模範として引退後は、現在まで一度もテレビ出演をしていない。

 今年、東京国際キルトフェスティバルに「三浦百恵」の名前で出品。大反響となった。

https://www.youtube.com/watch?v=BXv_z4_ml1Q

 出逢うきっかけとなったラブラブショー https://www.youtube.com/watch?v=fwtJkBc9IpU

 三浦友和から電話に涙ぐむ山口百恵https://www.youtube.com/watch?v=ArSou7S8DGo

 ピンクレデイー

 スター誕生から誕生したスーパーアイドルユニット。根本美鶴代(ミー)と増田恵子(ケイ)のコンビ。あの超ミニスカートと激しいダンスで一大ブームを築いた。ちびっ子は彼女たちの歌真似や振り真似をし、芸能界はピンク台風が吹き荒れた。そして当時はアイドルは取れないと思われていた「日本レコード大賞」を「UFO」であっさりと受賞し、ジンクスを破った。「ペッパー警部」で華々しくデビューし、「渚のシンドバッド」、「ウォンテッド」、「サウスポー」、「モンスター」、「透明人間」など大ヒットを連続した。阿久悠、都倉俊一の名コンビだった。私は中学時代だったがあのミニスカートもセクシー振り付けにドキドキしながら見ていたし、ある意味セックスシンボルだった。

 ニューミュージック(シンガーソングライター)ブーム

 アリス、オフコース、ゴダイゴ、チューリップ、ツイスト、甲斐バンド、クリスタルキングなどのバンド系と八神純子、中島みゆき、長渕剛、さだまさし、松山千春、井上陽水、荒井由実、渡辺真知子、竹内まりやのソロシンガーなどが登場。自分で作詞作曲を手掛け、歌唱まで行うシンガーソングライターという地位を確立した。ヤマハポプコン出身のシンガーが牛耳っていた。

 私自身も彼らの楽曲をコピーしてギターの腕を磨いたものだ。3コードで弾けてしまう「冬の稲妻」からスリーフィンガーなども次々覚え、様々なアーティストの歌を歌いまくった。

 沢田研二

 「ジュリー」の愛称で時代を築いた。男の色気を感じさせる男性シンガーの草分けだった。化粧も嵌り、いやらしさが無く、コスプレも決まっていた。GS時代は「ザ・タイガース」のヴォーカルとして活動し、人気抜群だったが、ソロに転向してからは、「勝手にしやがれ」

 毎回、いろいろなパフォーマンスでスーパースターでありながら私たちを楽しませてくれた。レコード大賞を受賞した「勝手にしやがれ」では帽子を客席に投げ入れ、「ダーリング」ではセーラー(水兵)の格好で指を舐めるセクシーポーズ、「TOKIO」ではパラシュートを背負うド派手なパフォーマンス、そして「カサブランカダンディ」ではウィスキーボトルを取り出して口に含み、天井に向かって霧吹きのように飛ばす振りなど、何をやっても絵になった。

 マジソンスクェアガーデンバッグ&アディダスの薄手のジャンパー

MadisonAdidas

 中学時代の部活では、みんなこの神器を持っていた。いずれも紺色。特にアディダスの3本線入りの薄手のナイロンジャンパーはみんな着ていた。

 ザ・ベストテン

 久米宏と黒柳徹子の絶妙な掛け合いで盛り上げるTBSの看板番組だった。追っかけ中継や注目曲を取り上げる今週のスポットライトなどのコーナーがあった。たのきんや松田聖子・中森明菜らが登場したのは高校時代で、中学時代はもっぱらニューミュージック曲が席巻し、アイドルは山口百恵の独壇場だった。

 オープニングテーマ https://www.youtube.com/watch?v=s80iprzGybk

 19歳当時の松下由樹がピアニカ演奏するという超レア映像をどうぞ!可愛すぎ!

 深夜放送(オールナイトニッポン)

 ツボイノリオやくり万太郎、ジキルとハイド、笑福亭鶴光が真夜中を闊歩していた。タモリ、ビートたけし、中島みゆきは高校時代だった。土曜日ということもあって鶴光が大好きで、毎週欠かさず聴いていた。「わんばんこ」や「かやくごはん」などブームになった。歴代のアシスタントも花を添えた。私は特に「青山墓地」からの生中継が印象に残っている。その生放送を録音し、何度も聴いていた。

 BCL(短波放送・ベリカード)

 今は亡き山田耕嗣氏が草分けとして監修したBCLの世界が中高生を中心にブームとなった。海外の短波放送を受信し、受信報告書なるものを書いて送ると、絵葉書のベリカードが貰えた。これを集めてその数を友人と競い合ったものだ。ラジオオーストラリアや北京放送、エクアドルの声、Voice of America、モスクワ放送など片っ端から聴いてはベリカードを貰った。また、国内のラジオ放送のベリカードも集めまくった。100枚以上はあったと思う。私はこの海外放送で英語のリスニング力を養った。

NipponCbcFukusima

Toukai TbsBunka

 また、BCLを趣味として行うには短波放送を受信できるラジオが必需品だった。当時は3大メーカーから発売されたレシーバーが売れに売れた。以下の3機種だ。
 1.パナソニッククーガー カムフラ模様系のT字型の開店するアンテナが付いていた
 2.ソニースカイセンサー 
 3. 東芝トライエックス 縦長のTRY-X2000を私は所有していた。

Tryx2000

 いずれも3万円前後するオールバンド指向の高級機だった。

 「懐かしのBCLブーム」はコチラ↓
 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-8860.html

 本日掲載したグッズや人以外で流行ったものはソニーのウォークマン、ジョギングブーム、ディスコ、竹の子族などが流行した。

 さて、いかがでしたか?昭和39年生まれの私ですが、同年代の方にとっては懐かしすぎる流行グッズが出て来たことでしょう。今思えば古いが、当時は斬新で夢中になったものばかりだ。しかし、携帯やPCが当たり前の世の中と比べ、今ほど物資的には便利ではなかったとはいえ、自分自身は古き佳き時代を過ごしたと思っている。中学時代の成績は酷く、アピールできるものが何一つなく、自分を見失っていた暗黒時代だったが、世の中のエンターテイメントが、そんな私を慰めてくれた。

 昔を思い返すとき、人は時として過去を美化してしまいがちだが、あの時代がったからこそ今の自分があるのだと思う。多感な時期、いろいろなものから刺激を受け、自分の意思で判断し、取捨選択して情報を取り入れ、それを自分の趣向の中に生かしたのは事実だ。生きた証としてどこかに刻みたくて、ここに記したいと思う。

 記事作成:7月24日(土)

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