「郡山のミステリースポット」という記事を書いて以降、今でも一日100件以上のアクセスがある。これを首都・東京で考えたら、歴史的な遺構や事件・事故が起きた場所は数多く存在するに相違ないと思い、企画記事を考えた。しかし、地方に暮らす私では、とても自分の足で踏破するのは厳しいので、私と同じ発想で、試みをされた方の力を借りて、その紹介記事をリンクさせていただくことで勘弁してほしい。なお、記事の文言をそのままコピペして掲載することは出来ないのであしからず。
1 いわくつきの場所
羽田空港大鳥居
http://www.daimeikikou.com/news.html
http://blogs.yahoo.co.jp/to7002/36260900.html
空港建設 のために穴守神社を移転したが、赤鳥居にロープをかけて倒そうとしたところ、ロープが切れて作業員たちに死傷者が出てしまい(後に基礎が頑丈にできておりロープ程度では倒せないことが判明している)、その後も何度か取り壊しや移転案も出たのだが、その度に移転の工事関係者が事故にあったり原因不明の病気になったりと、赤鳥居は“祟る”と言われてきたからである。その後も1954年(昭和29年)に東京国際空港ターミナルビルが建設されるが、同時期に行われた滑走路拡張工事でも工事中に死傷者が続出した。
しかし、1990年代に入り、羽田空港の沖合展開事業にあたり滑走路に支障するため撤去する計画が出たが、地元住民などの要望で、拝殿の移設から半世紀以上経った1999年(平成11年)にようやく現在地(天空橋駅南、弁天橋交番前)へ移設された。この際、鳥居をクレーンで吊り上げた時に、突然雨が降り出した。
板橋刑場
http://www.kurofune-shachu.com/shiseki/itabashi.html
幕末の歴史に名を轟かした「新撰組」総長だった近藤勇が斬首の刑の処せられた場所。
小塚原刑場(荒川区南千住2丁目)
http://www.yuuki.ac/taiken/kodu/kodu.html
http://tokyodeep.info/post_14/
江戸時代から明治 初期にかけて東京都荒川区南千住2丁目に存在した刑場である。江戸時代にはどちらも 江戸の入り口に存在した大和田刑場、鈴ヶ森刑場とともに三大刑場といわれた。1651年(慶安4年)に創設。死体は丁寧に埋葬せず申し訳程度に土を被せるのみで、夏になると周囲に臭気が充満し、野犬やイタチの類が食い散らかして地獄のような有様だったという。
鈴ヶ森刑場(品川区南大井)
http://www.roji-ura.com/reports/suzugamori.html
明治三年まで使われていた処刑場の跡地。火炙り・串刺し・逆さ吊りで溺死・晒し首など残酷な方法で十万人程が死刑された。はりつけ台や火炙台が今でも残っている。
大和田刑場(八王子市)
http://teitowalk.blog.jp/archives/5625436.html
八王子市大和田にあり、浅川を渡す大和田橋の北岸にあったと言われている。しかし、昔は石碑があったようだが、マンション建設に伴い、取り壊されているようで、現在は、その遺構や遺跡など、当時を偲ぶものは何一つ残されていない。
それにしても、かつて刑場として多摩地方の罪人をお仕置きである斬首などが行われている場所に慰霊碑もなく、よって大和田橋界隈の国道20号線の道路では、事故が絶えないという。
他にも現在の東京都には約30もの刑場(朱い塚)があった。
旧小峰トンネル(八王子市)
http://www.k4.dion.ne.jp/~sinrei/kominetonnel.html
過去にこの旧小峰隧道の上で幼女が殺害され放置されていた。よってここはミステリースポットとしての幽霊の目撃例などが絶えない。
旧吹上トンネル(青梅市)
http://www.k4.dion.ne.jp/~sinrei/kyuufukiage.html
吹上峠にあり、すでに現役を退いたトンネル。ここも心霊体験などが数多く報告されている。
平将門首塚
http://www.kmine.sakura.ne.jp/tokyo/machi/masakado/masakado.html
何と東京のど真ん中。東京駅前の丸ビルなどのオフィス街の一角にある。大正時代、首塚を退かせ仮庁舎を建設しようとしたが死亡事故や関係者の謎の急死が起こったため中止。物見遊山や好奇心で足を踏み入れてはいけない場所。
女子高生コンクリート詰め殺人事件
1988年(昭和63年)11月から1989年(昭和64年)1月の間に、東京都足立区綾瀬7丁目で起きた猥褻誘拐・略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄事件の通称。
数名の少年が、女子高校生をレイプ後拉致、仲間の自宅2階の居室に監禁した。集団によるレイプ、性器にビンなどの異物挿入、裸踊りや自慰行為の強要、タバコを2本一度に吸わせる、シンナーを吸わせ、1メートル以上上から鉄棒を腹に落とす、トイレにも行かせず飲料用紙コップに排尿させその尿を飲ませる、1.6キログラムの鉄球付き棒で大腿部を数十回にわたって殴打したり、被害者の脇腹部、脚部等を多数回にわたって手拳で殴打し、全身が血だらけになり目の位置がわからなくなるほど顔を膨れ上がる程の殴る蹴るなどの行為を繰り返し、少年Bが「なんだお前でっけえ顔になったな」と笑う、足にライターのオイルをかけて火で何度もあぶる、真冬の時にベランダに裸で放置、顔面に蝋をたらす、などの苛烈な行為を41日間にわたり行った。 翌年1月4日、リンチによりX子さんが死亡すると、少年らはコンクリート詰めにして江東区の 海浜公園に投棄した。
https://www.youtube.com/watch?v=ATs-pJWSqf8
すでにこの犯人の少年グループは全員出所している。この犯人のひとりの母親が、被害者の女子高生の墓を破壊する事件が発生した。最初の事件の直後、 「わたしの息子はこの女のせいで人生 を狂わされたんだ!」 と逆ギレを起し、 被害者少女のお墓を破壊するという暴挙に出た為に、遺族はやむなくお墓を移した。こんな母親だからこそ、息子が殺人者になったのだろう。本末転倒もいい加減にしろだ。それが証拠にこの息子は再犯で捕まっている。加害者は更生の機会を与えられ、被害者は生き返らない。この理不尽な法体制を見直さないと、凶悪犯罪は無くならない。
https://www.youtube.com/watch?v=uQfrf4InmAU
http://www.oshimaland.co.jp/?p=5qujvqgi
東京拘置所
ここは凶悪犯罪で死刑判決が確定した死刑囚が収容されており、刑の執行を待つ拘置所。逆に言えば、ここで死刑を執行された犯罪者が数多くいる。永山則夫、宮崎勤、金川真大などの世間を震撼させた極悪人がそうだ。
現在は麻原彰晃などのオウム犯や秋葉原通り魔殺傷事件の加藤智大死刑囚、あさま山荘事件を起こした連合赤軍だった坂口元などが収監されている。
千葉景子氏が法務大臣だった時に、刑場公開した。死刑囚の家族や弁護人は面会可能だが、もちろん一般人が見学などできない。
2 今は無き歴史的遺産
鹿鳴館
http://www.miadd.com/meijinotokyo/rokumeikan_3.html
国賓や外国の外交官を接待するため、明治政府によって建て られた社交場である。現在の帝国ホテルの隣りのNBF日比谷ビル(旧大和生命ビル)の敷地にあった。
凌雲閣(浅草)
http://www.tanken.com/ryoun.html
明治期から大正末期まで東京・浅草にあった12階建ての塔。名称は「雲を凌ぐほど高い」ことを意味する。12階建てだったので「浅草十二階」とも呼ばれた。関東大震災で半壊し、解体された。現在その跡地にはコンビニエンスストアのファミリーマートが立地しており、壁面に「仁丹塔跡」のプレートが設置されている。
巣鴨プリズン ・・・東條英機などA級戦犯を処刑した場所
http://teitowalk.blog.jp/archives/25113048.html
http://www.toshiyukimaesaka.com/wordpress/?p=1674
東京裁判で死刑が確定したA級戦犯は、昭和23年12月23日に巣鴨プリズン内の処刑場で刑が執行された。東條英機、土肥原賢二、松井石根、武藤章、板垣征四郎、広田弘毅、木村兵太郎らだ。
第二次世界大戦後に設置された 戦争犯罪人(戦犯)の収容施設。13号室が処刑室だった。跡地はサンシャイン60と東池袋中央公園となっていて、処刑台のあった場所には「永久平和を願って」と書かれた大きな石碑が残っている。
http://www.tanken.com/sugamo.html
加えて東條英機の墓所は雑司が谷墓地にあるが、実は箱の中に遺骨はない。この7人の遺骨は伊豆山中で火葬後、GHQによって東京湾に撒かれる筈だったが、それを哀れに思った弁護士が火葬場担当の手引きで忍び込み、日本人が秘密裏に残灰置場に捨てられた7人分の遺灰と遺骨の小さな欠片を回収したという。そして愛知県の三ヶ根山に埋葬した。同地には現在、殉国七士廟が造営され遺骨が祀られている。これもまたミステリーだ。
八王子城
http://senjp.com/hachi2/
北条氏の本城である小田原城の支城であり、関東の西に位置する軍事上の拠点であっ た。八王子城は標高445m(比高約240m)の深沢山(現在の城山)に築城されており、典型的な中世山城である。小田原征伐の一環として1590年(天正18年)7月24日(旧暦6月23日)、八王子城は天下統一を進める豊臣秀吉の軍勢に加わった上杉景勝・前田利家・真田昌幸らの部隊1万5千人に攻められた。激戦となり1000人以上の死傷者を出した。八王子城攻防戦を含む、この小田原征伐において北条氏は敗北し、城主の北条氏照は当主・北条氏政とともに切腹した。その後新領主となった徳川家康によって八王子城は廃城となった。
3 事件事故の現場
①三菱重工ビル爆破事件(丸の内)
http://matome.naver.jp/odai/2139985624936399001
②新宿バス放火事件(新宿駅西口)
http://matome.naver.jp/odai/2139987315546062301
③ホテルニュージャパン跡(永田町)
http://geinou-news-s.blog.so-net.ne.jp/2015-04-02
④陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地・・・作家・三島由紀夫が割腹自殺を遂げた場所
http://blog.goo.ne.jp/raffaell0/e/37e2fd5b280b1de22d614264375e6b81
⑤秋葉原通り魔殺傷事件
http://gigazine.net/news/20080608_akihabara/
⑥地下鉄サリン事件(霞が関駅) 丸の内線・千代田線
http://www.huffingtonpost.jp/2015/03/20/subway-sarin_n_6908588.html
⑦三億円事件(府中市)
http://jikenshi.web.fc2.com/newpage70.htm
http://blogs.yahoo.co.jp/kaientai1867/42617935.html
http://fushigi.victory-tv.tokyo/2014/12/25/161/
⑧京王プラザホテル(西新宿)・・・人気俳優O・Mが投身自殺
http://laughy.jp/1410114863586180778
「オヤジ、涅槃で待つ」の遺書が当時話題となった。
⑨サンミュージック(四谷)・・・人気アイドルO・Yが投身自殺
http://matome.naver.jp/odai/2140270420996798701
ここは事故現場であるが、ファンにとっては「聖地」として、今も慰霊参拝のため訪れる方が多い。命日には花束や焼香が絶えない。
⑩尾崎豊不審死(足立区千住河原町)
http://blog.livedoor.jp/ussyassya/archives/51882732.html
⑪慶應大学附属病院(信濃町) 坂井泉水転落死
http://89865721.at.webry.info/200706/article_2.html
https://www.youtube.com/watch?v=ZU3TtsqEPR4
⑫三河島事故(荒川区)
http://matome.naver.jp/odai/2140307189421452701
⑬三鷹事件(三鷹市)
http://www.magazine9.jp/don/120125/
⑭下山事件 (足立区・北千住駅~綾瀬駅)
http://www.tokyo-kurenaidan.com/shimoyama1.htm
http://www.tokyo-kurenaidan.com/shimoyama2.htm
下山総裁慰霊碑は五反野駅近くにあります。
http://shimoyamacase.com/etc/etc3.html
4 自殺が多い場所
①新小岩駅
東京都葛飾区にあるJR総武線の駅。2011年(平成23年)7月12日に発生した人身事故のインパクト(電車に飛び込んだ女性がはねられ、駅売店に突っ込む事故)が大きかったためか、 その後も飛び込み自殺などの人身事故が発生し半年余りで10名以上の死亡者が発生。また自殺が多い理由として、ホームがカーブしており列車の運転手からホーム先頭が見えない、成田エクスプレスが高速で通過する等もあるようだ。
②高島平団地
東京都板橋区にある団地です。親子の飛び降り自殺があったため、自殺の名所として有名になった。1972年に5人が飛び降り自殺。1977年には親子三人が飛び降り心中。それ以降は年に10人以上の自殺者を出している。1982年には自殺者が累計100人を超えたらしい。
③三原山
伊豆大島にある活火山。女学生が立て続けに火口への飛び込み自殺をしたために、自殺の名所として有名になった。
④中央線快速
電車への飛び込み自殺が非常に多いので有名。高円寺、阿佐ヶ谷、西荻窪などの駅は特に自殺が多い。
⑤野沢踏切
東京都立川市にある中央線の踏切。電車への飛び込み自殺が多い。
⑥西五条踏切
立川市にある中央線の踏切。電車への飛び込み自殺が多い。
⑦奥多摩湖
西多摩郡奥多摩町と山梨県北都留郡丹波山村にまたがる湖。
東京というのは、言わずもがなだが、日本に首都にして、江戸時代から歴史、政治、経済の中心地となった。江戸時代には流行病いで大勢の人が亡くなり、江戸の大火でも命を落とした人は多数。大正時代には関東大震災があり、また戦時中は東京大空襲で焼け野原と化した。つまり、大都会・東京は、古より多くの事件や事故がついて回ったし、犯罪も暗躍した時代もあった。したがって多くの人が様々な場所で命を落とした。だから東京都はいかなる場所でもミステリースポットになり得る要素を秘めている。
記事作成:8月3日(月)~4日(火)
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