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2015年10月 5日 (月)

プロ野球史に残る涙の名場面セレクション

 スポーツは筋書きのないドラマだ。だからこそ、真剣勝負が展開される。そこに至るまでの目に見えないところでの苦痛や練習の積み重ね、とても筆舌には尽くしがたいような汗と涙の努力があったに相違ない。そこから生まれる名勝負は、嘘偽りのない涙と感動を呼ぶドラマだと言えよう。今回は「そしてドラマが生まれた」、そんなフレーズがピッタリのプロ野球においてファンの心にしかと刻まれてる名場面を紹介したい。

 WBCイチローの8球

 2009年の第2回WBC決勝、対韓国戦。3対3の同点のまま延長に突入した10回表、ランナーを2人置­いてチャンスに代打の川崎が内野フライで2アウトになってしまう...。このままチャ­ンスを潰してしまうと日本にとっては、嫌なムードになってしまうところだった。打順は­イチロー。2ストライクと追い込まれるが、ファウルで粘る。そして、カウント2-2か­らの8球目・・・振り抜いた打球は一直線にセンター前へ!走者2人が生還し、勝ち越し­に成功した。今大会中、不調に苦しんだが、最後の最後にイチローが魅せてくれた!「神­が降りた」瞬間だった。

 北川代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン

 2001年、この年は1月4日に藤井寺球場で自主トレを開始、「こんなにバットを振ったことはない」とコメントするほど練習した。梨田昌孝に認められて一軍に定着し、4月28日にプロ初本塁打を記録。5月27日は29歳の誕生日だったが、生まれて初めてサヨナラ安打を放ち、お立ち台で涙を流した。その後2週間後にもサヨナラ打を放ち、9月24日の対西武戦では代打として出場し、松坂大輔から本塁打を放ち勝利に貢献している。これでチームは優勝へのマジックナンバーを1とした。そして、9月26日の対オリックス・ブルーウェーブ戦で代打逆転サヨナラ満塁本塁打を放ち、チーム12年ぶりのリーグ優勝を決めた。続くヤクルトスワローズとの日本シリーズでは1勝4敗と敗れたが、全試合に出場して14打数7安打、打率.500の好成績を残した。

 天覧試合

 1959年6月25日の後楽園球場でその伝説は生まれた。、昭和天皇、香淳皇后が初めて観戦した巨人対阪神戦の天覧試合で、長嶋茂雄選手は同点で迎えた九回裏、阪神のエース・村山実投手から本塁打を打ち、巨人がサヨナラ勝ち。入団2年目の長嶋選手はこの日、2本の本塁打を放つ大活躍をした。ルーキーの王貞治選手もこの試合で本塁打を放った。天皇にとって1929年の早慶戦、47年の都市対抗、50年の早慶戦に次ぐ4度目の野球観戦だった。(毎日新聞より)

 楽天初優勝

 球団創設以来、負けに負け続けた東北楽天ゴールデンイーグルス。球団創設時に、旧近鉄選手が、オリックスと楽天に振り分けられ、有力選手はオリックスが大部分獲得、2軍同様の選手が楽天に入団した。初代監督の田尾の時代は歴史的大敗を喫した。高校野球の優勝チームより弱いと揶揄された。僅か1年で田尾が解任され、その後、野村、ブラウンが指揮を執った。そしてチーム再建策として託されたのが、星野仙一だった。平成23年に監督に就任し、東北のファンはこぞって優勝を期待した。しかし、就任した途端に、東日本大震災が発生。選手たちは被災者の慰問や激励活動を繰り広げた。嶋選手会長が「見せましょう東北の底力を」と呼びかけ、観衆の涙を誘ったのは記憶に新しい。そして就任3年目の平成25年に、絶対的エースの田中将大の開幕から無敗の24連勝もあり、パリーグを制し、迎えた原巨人との日本シリーズ。3勝3敗のタイで迎えた第7戦、、前日(第6戦)の160球の力投から一夜、エース田中が志願しての連投により、東北悲願の日本一を達成した。スタジアムは歓喜とともに、涙・涙に覆われた。未曾有の大震災から2年後、打ちひしがれ、深い悲しみに暮れる東北の人々の心の闇にふと灯りをともしてくれた、そんな優勝だった。この試合後、田中は伝説となり、翌年、アメリカメジャーへと旅立った。

 鈴木引退試合でファールで粘り続け、フライをわざと落とした村田の温情

 2007年9月20日に、現役引退を表明。持病の腰痛が悪化し、歩くことすら辛い状態であった。引退セレモニー・現役最終打席は10月4日の横浜ベイスターズ戦(神宮)で、8回裏1死の場面で宮本慎也の代打で出場。横山道哉からファウルで粘りながらも15球目をセンター前にヒットを放った。この場面で伝説は誕生した。消化試合とはいえ、横山投手は変化球を一切使わず、鈴木が打ちやすいように真っすぐ一本で勝負。鈴木がファウルで粘っている中で、三塁ファウルフライを打ち上げた。通常なら簡単に捕球できる凡フライだったが、横浜のサード・村田がわざと捕りに行かず、鈴木に打ち直しする機会を与えたのだった。真剣勝負のスポーツ界において、男の花道を飾ってあげたいという、粋な計らいに、解説者も涙ぐんでいた。もちろんこの場面はファンの記憶に深く刻まれたことだろうと思う。一選手が築き上げてきた功績とプライドに、最大の礼儀で送った心に残る名シーンだった。

 涙の花道DeNA小池引退試合でホームラン2本

 2013年、10月1日に15年間の現役引退を発表。今季14試合目の出場となったチーム最終戦の10月8日の対阪神戦(横浜)が引退試合になった。「7番・一塁手」でスタメンに起用された小池は、4回裏の打席で、この年の一軍初本塁打となる左中間への2ランを放ち、現役最終打席となった8回裏の打席では、目に涙を浮かべ鼻をすすりながらもこの試合2本目の本塁打となる決勝のソロ本塁打をレフトスタンドへ放った。泣きながらダイヤモンドを一周しホームベースを踏んだ直後に敵チームのキャッチャー藤井彰人に手を差し伸べ異例の握手を求め、藤井は戸惑いながらも握手に応じながら会釈した。これは現役最終打席をホームランで飾れた配球に対する感謝の意と思われる。この試合で4打数で3安打3打点を記録した。試合後に開かれた引退セレモニーでは、ファンへの挨拶の後に、ナインから胴上げされている。

 巨人V9達成

https://www.youtube.com/watch?v=ndJtd96sWSQ

 読売ジャイアンツが1965年(昭和40年)から1973年(昭和48年)まで、9年間連続してプロ野球日本シリーズを制覇したことである。この期間をV9時代ともいう。それは私が1歳から10歳までであり、私が野球好きとなるきっかけとなった時期だ。巨人の第3次黄金時代かつ、究極の栄光期とも称される。この時代の巨人は、1961年(昭和36年)に就任した川上哲治監督のもと、王貞治・長嶋茂雄という二人のスーパースター(いわゆるON砲)に加え、森昌彦・柴田勲・黒江透修・高田繁・土井正三といった名選手や、堀内恒夫・高橋一三・城之内邦雄といった球史に名を残す投手が揃い、バッテリー、内野、外野と全てにおいて選手配置が適した、「精密機械」の様な守りチームだった。日本における管理野球、スモールベースボールの先駆けとなった。

 特に私が力説したいのは、セ・リーグ9連覇のかかった最終試合。前日、ナゴヤ球場で、阪神が中日に敗れた際に、巨人軍が球場のレフトスタンド後方を新幹線で通過したこともミラクルだが、最終決戦にもつれ込んだ、甲子園球場での阪神戦。ここでエース堀内が2塁を踏ませない好投と、巨人打線が爆発し、9-0の大差で巨人が大逆転優勝でV9を達成したのだった。その瞬間を私はテレビの生中継で見ていた。優勝の瞬間。親父と万歳したのを覚えている。

 江夏の21球

 1979年 のプロ野球日本シリーズ第7戦において、広島東洋カープの江夏豊投手が9回裏に投じ た21球は伝説として語り継がれている。実際、私もテレビの前で生中継を固唾を飲んで見守っていた。
 1979年11月4日に大阪球場で行われたプロ野球日本シリーズ第7戦、近鉄バファローズ対広島東洋カープの9回裏の攻防である。
 両チーム3勝3敗で迎えた第7戦は、小雨が降る中で試合が進み、7回表を終了した時点で4対3と広島がリードしていた。広島・古葉竹識監督は万全を期すため、絶対的なリリーフエース、江夏豊を7回裏からマウンドへ送っていた。迎えた9回裏、近鉄の攻撃。この回を抑えれば広島は優勝、球団史上初の日本一となる。ところが、同じく初の日本一を目指す近鉄もただでは終わらなかった。先頭の6番打者・羽田耕一が初球に安打を放って出塁し、にわかに場面は緊迫する。その後無死満塁のピンチを迎えた江夏が魅せた真骨頂が、代打佐々木が三振に倒れた後の次打者、石渡へのスクイズ外しだった。敵ながらあっぱれだった。その直後、その石渡が三振に倒れ、近鉄の優勝はならなかった。

 日本ハムとソフトバンクの友情物語

 2012年小久保裕紀が現役を引退する際、日本ハムの選手も一緒に胴上げに加わるという敵味方を超えた感動的な場面があった。その2年後、日本代表を務めるなどプロ野球の発展に貢献した日本ハムの稲葉篤紀選手が引退した際には、再びソフトバンクの選手が両軍入り乱れて胴上げを行った。プロ野球界の勝負を超えた友情を感じた一コマが行われた。

 このような選手は幸せな野球人生だったと思う。最近ではヤクルトの宮本慎也もそうだったし、今年は小笠原道大選手もそうだった。

ヤクルト、巨人両軍の胴上げ https://www.youtube.com/watch?v=X4P5O9_gxXw
中日、巨人両軍の胴上げ https://www.youtube.com/watch?v=If2OzqQMGZY

 天国の母親に捧げる投球

 1イニングを完璧に抑えた魂のピッチングはコチラ

 https://www.youtube.com/watch?v=3CCfAR0Ee9w

 楽天が球団創設9年目で初優勝を成し遂げたシーズン。話題は田中将大の24連勝ばかりだった。しかし、その陰で楽天投手の長谷部の感動秘話があった。母親が亡くなった2日後、告別式の日に登板し、見事に抑えた。楽天ナインも彼の母親を亡くした境遇を知っていて、抑えきってマウンドに戻る際、全員で出迎えた。そしてウイニングボールを彼に手渡し、母親の仏前に供えられた。ベンチの片隅で亡き母を想い、泣きじゃくる長谷部投手。そっと寄り添い、声を掛ける兄貴分の斉藤隆投手。彼は若い時に父親を病気で亡くし、以来女手ひとつで長谷部を育て上げたのだった。
 母親の苦労を直に見ていた長谷部。誰よりもお母さん子だった彼。天国の母親に捧げる投球をきっと空の上から笑顔で見守ったことだろう。
 星野監督の人間味溢れる言葉の重みに人生を感じる一コマだった。

 職人井端のWBCで魅せた起死回生の同点打

 WBCのアジア予選(2次ラウンド)で、台湾の猛攻の前に、劣勢だった日本代表。土壇場9回、二死1塁の絶体絶命の場面で走者の鳥谷が盗塁成功。そして井端がツーストライクと追い込まれてからの粘りの同点打。球場内が大熱狂した執念の一打だった。

 ハイライトはコチラ https://www.youtube.com/watch?v=a6FXgTYkBJE 

 さて、いかがでしたか?私の独断と偏見で選んだベスト10だったので、他人とは違う見解かと思うが、本日紹介したシーンは、長いプロ野球史に燦然と輝く名勝負だったと思う。

 最後に「YouTube」にアップされていた、往年のスポーツ名選の動画をリンクし、結びとしたい。

 記事作成:9月21日(月)

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