経営破綻して倒産・再建した企業
これまで日本経済を支えてきた多くの会社や企業がある。しかし、各時代の景気動向や経済不況によって多くの会社が倒産してきた。それは銀行や証券会社、生命保険会社など金融機関も同様だ。まず、東京商工リサーチ調べの、多額の負債額を抱えて経営破綻し、倒産を余儀なくされた「歴代大型倒産企業10傑」を見てみたい。
1 協栄生命保険 4兆5296億円
2 リーマンブラザーズ証券 3兆4314億円
3 千代田生命 2兆9366億円
4 日本リース 2兆1803億円
5 マイカル 1兆6000億円
6 日本航空インターナショナル 1兆5279億円
7 クラウンリージング 1兆1874億円
8 日榮ファイナンス 1兆円
9 東京生命保険 9802億円
10 ライフ 9663億円
負債額が天文学的すぎてイマイチピンと来ない。日本経済の屋台骨である金融機関が大多数を占める。銀行などは絶対に潰れないという「神話」があったが、今では三井・三菱・住友などの旧財閥系の大銀行ですらその例に漏れず、吸収合併を繰り返し、急場を凌いできた印象が強い。このような企業倒産は、特にバブル崩壊以降に急増した。
日本経済の主幹的企業は、万が一倒産すると、連鎖的な産業崩壊を招くため、決して潰せない企業や会社がある。それは電力事業や鉄道運輸関連事業、そして銀行などの金融機関である。これらはいわば公共事業に近く、業績が悪化し、存続が危ぶまれようものなら、直接国が介入し、手厚く対策を講じ、保護されるであろう。
しかし、歴史を遡れば、一流企業が投資に失敗したり、事業拡大で業績が悪化し、多額の負債を抱え込んで倒産に追い込まれた事例があった。そして会社更生法や民事再生法で破産手続きを行い、その後、再建にこぎつけた大企業も数多くあった。ではそんな企業を年代ごとに振り返ると・・・・
1960年代・・・王子製紙、サンウェーブ
1970年代・・・富士観光
1980年代・・・吉野家、リッカー、三光汽船
1990年代・・・日活、近畿放送、京樽、三洋証券、山一證券(倒産)、
ヤオハン、三田工業、日本国土開発、日本リース
2000年以降・・長崎屋、マイカル、日本重化学工業、ハウステンボス、
シーガイア、NOVA、穴吹工務店、日本航空、ウィルコム、
武富士
一般的に会社は、二度不渡り手形を出すと、銀行業務停止になり、経営の存続は困難になる。そして倒産となると、多額の負債、つまり借金を抱えることになり、その返済は滞り、債権者もまた債権回収不能の状況に陥る。もちろん従業員は解雇の事態になり、生活が成り立たなくなることから、経営者は出来る限りの対策を講じて、再建策を模索する。その一手段が裁判所に和議を申し立て、破産手続きを完了し、その後、会社更生法や民事再生法を申請し、その適用を求める行動に出る。認められれば、多額の負債の返済を免れる代わりに、第三者機関による管理の下、指導やアドバイスを受けながら、再建を目指すことになる。個人で言う自己破産と同じような措置で、この行政指導によって、吸収合併して巨大資本の傘下に入り、その子会社として存続したケースも少なくない。また、大企業に買収されるケースもある。
これまで、ある事件を契機に業績が悪化し、倒産に追い込まれたケースを見てみたい。
1929年 世界恐慌
ウォール街の株価が大暴落し、世界中の企業が倒産に追い込まれた。
1973年 第1次オイルショック
原油価格高騰による経済混乱。10月、第4次中東戦争が勃発するとOAPEC
が戦争中の原油の生産削減を宣言、同時にOPECは原油価格の70%引き上
げを通告。さらにアラブ産油国は次々とイスラエル支 援国であるアメリ
カ、オランダに対する石油禁輸措置を発表した。これら一連の措置は石油を
武器として中東戦争を支援する「石油戦略」とよばれる。停戦後生産削減・禁
輸措置は緩和されるが、価格はさらに引き上げられ、それまでほとんど変動
のなかった原油価格はわずか3ヶ月ほどで3ドルから11.65ドルに急騰した。
1979年 第2次オイルショック
1979年2月イラン革命によりホメイニ政権が誕生、それによる混乱からイラン
の石油輸出が停滞し、国際需給が逼迫した機に乗じてOPECは原油価格を3ヶ
月ごとに引き上げることを決定。同年11月にはテヘランの米大使館占拠事
件、翌年9月にはイラン・イラク戦争開戦と中東情勢は緊迫が続き、原油価格
は18ドルから39ドルまで高騰した。
1986年 バブル崩壊 バブル景気に沸き、地価が高騰。
1987年 ブラックマンデー
1987年10月19日に起こった、史上最大 規模の世界的株価大暴落。暗黒の月
曜日ともいう。 ダウ30種 平均の終値が前週末より508ドルも下がり、この時の
下落率22.6%は、世界恐慌の引き金となった1929年の暗黒の木曜日(ブラック・
サーズデー、下落率12.8%)を上回った。翌日アジアの各市場にこれが連鎖。
日経平均株価は3,836.48円安(14.90%)の21,910.08円と過去最大の暴落を起
こした。
2008年 リーマンショック
2008年9月15日に、アメリカ合衆国の投資銀行であるリーマン・ ブラザーズが
破綻(Bankruptcy of Lehman Brothers)したことに端を発して、続発的に 世界
的金融危機が発生した事象を総括的に呼ぶ。
2009年 ドバイショック
2009年11月25日に、 アラブ首長国連邦 (UAE) ドバイのドバイ政府・政府系持
株会社ドバイ・ワールドの 債務返済繰り延べを要請する事態に陥った。
日本のみならず、世界各地で起きる周辺事態も産業に多大な影響を及ぼす。たとえば、エネルギー革命による関連事業の衰退や株価暴落などによる損失、回収困難な不良債権、多重債務問題などが要因となる。また、戦争勃発が経済に影響を与える懸念は計り知れない。
福島県内の企業で会社更生法や民事再生法適用、産業再生機構主導で再建した企業
1 ホテルハマツ(2003年)
2 うすい百貨店(2003年)
3 福島交通 (2008年)
これらは福島県に根ざした地場産業を支える礎であった企業だった。これ以外にも中央資本の会社が倒産した場合は、その支社や支店は同時に閉店となってしまう。良い例が「日本航空」で、業績悪化で福島便撤退により、駅前にあった営業所も閉所してしまった。それに伴い、福島空港内1Fにあった空港カウンターも無くなるなど、とんだとばっちりを受けることになった。須賀川市にあった「山水電気」もまた同様。また、大型店同士の過当競争やバブル崩壊の煽りを受け、撤退を余儀なくされたのが、全国展開する大型スーパーや百貨店であった。
商都・郡山は1980年の丸光デパートを皮切りに、1987年には老舗の津野デパートが閉店。1989年のダイエーが撤退、2000年には郡山西武、2008年には丸井が相次ぎ閉店したのだった。
生き残ったのは三越資本に生まれ変わったうすい百貨店と郊外へ移転したイトーヨーカドー、それにJUSCO(現イオンフェスタ)、ザ・MALL郡山だった。
県都・福島では1991年のエンドーチェーンや1999年長崎屋の撤退は福島県の商業衰退を招き、駅前の空洞化に拍車をかけた。
福島県内の近年の企業倒産の状況
2014年度、福島県内で倒産した企業の負債総額は、119億8,700万円と前年度から大幅に増加した。民間の信用調査会社「帝国データバンク」によると、2014年度に、県内で1,000万円以上の負債を抱えて倒産した企業は39件で、その6割以上が、販売不振や累積赤字を原因とした不況型倒産だった。
また、5億円以上の負債を抱えて倒産した企業は、前の年度の1件から7件に増加し、負債総額は、119億8,700万円にのぼった。 帝国データバンクでは、円安による輸入コストの上昇や原材料価格の高騰などで、今後も厳しい環境が続く可能性があるとしている。
このことから、今後の県内の景気動向は、東京五輪開催に伴ってのインフラ整備や建設ラッシュ、製造関連事業の需要がアップし、雇用情勢もや新卒者を中心に好調が続いているが、今後は先行きが不透明の状況だ。
記事作成:11月12日(木)
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