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2016年2月 7日 (日)

昔話⑬ 「2001 うつくしま未来博」の記憶

 21世紀の幕開けに合わせて、福島県で開催された日本万国博覧会。各有名メーカーが出展し、近未来の科学技術を駆使したパビリオンと、当時首都機能誘致に力を注ぎ、緑豊かな都市をめざした福島県がそのPRの起爆剤として開催した。期間は2001年7月7日から9月30日までの約3ヶ月で、入場者数は167万人を越えた。

Fukushima Fukushima5
Fukushima15 Fukushima18

 概要はこちら

 一極集中や環境問題といった20世紀社会の課題を乗り越えるため、21世紀のライフスタイルを提案する博覧会として開催された。首都機能移転を実現するため、多極分散型社会や循環型社会等、さまざまな知恵と技術が展示、運営方法、県民が主役を務めるイベント等を通じて紹介された。
 用地面積は約46ヘクタール。「自然との共生」がテーマの博覧会であり、自然に関するイベントが数多く行われた。これは1999年に和歌山県で開催された南紀熊野体験博の影響を受けている。
 ほぼ同時期に山口県で開催されていた山口きらら博、福岡県で開催されていた北九州博覧祭2001と情報交換を行っていた。開催期間中、200万人(県の総人口とほぼ同じ)の目標に対し165万7,002人が来場した。猛暑の影響で序盤の来場者は低調であったが、中盤からは1日あたりの入場者数が増加、最高となった9月23日には62,621人が来場した。172億400万円の収入に対し、支出は160億300万円、約11億7千万円の黒字を計上した。

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Fukushima14_r Fukushima17

 からくり民話茶屋

 福島県の民話を聞かせるパビリオン。会場内でも特に人気が高く、現在は同様の施設が郡山駅内に設けられている。

 なぜだろうのミュージアム ムシテックワールド

 博覧会終了後、開催地の須賀川市が引き継ぎ、2001年11月から「ムシテックワールド」の名称
で昆虫と科学をテーマにした科学館として開館した。ほとんどのパビリオンは撤去されたが、この建物のみが科学館として残されている。

 広域交流館 産業未来館 農林水産館 21世紀建設館 くらしの知恵袋館 
 水の惑星ジ・アースエコファミリーパーク 90市町村ふれあいパーク 
 国際交流ゾーン・ワールド ビレッジ森のネイチャーツアー&森の学校

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 企業未来館 最先端技術、未来のくらしの体験ゾーン (17)

 富士通館 健康長寿館 丸菱産業館 万博の歴史館 北陸マルタカ パナソニック館 
 日立グループ館 ふれあい造幣館 NTTグループ館 東芝サザエさん館
 IHIそらの未来館資源エネルギー庁館  テラニシ「はだしらんど」
 東北電力・東京電力共同館 トステムクイズギャラリー 
 NECフューチャーネットパビリオン 須賀川テクニカルリサーチガーデン館

Fukushima1 Fukushima7
Fukushima16 Fukushima19

 私は期間中、3回この会場に足を運んだ。家族連れで2回、仕事で1回だった。私の子供達は学校の遠足でも入場者数を稼ぐ意図で強制的に行かされた。
 全国各地から来場者を集客するというより、計画した以上は突貫工事で仕上げ、急を凌いだ内需拡大のイベントという色彩が濃かった。
中央の噴水の出る池では、夜間にカクテル光線の照明が美しい光のファンタジーショー
が行われた。個人的には、どこのメーカーかは忘れたが、3D映像が見られるパビリオン
がお気に入りだった。
 当時は正面ゲートは高校野球の球場のバックスクリーンボードをイメージした、高校の
文化祭で見かけるようなハリボテのやすっぽい印象があった。
 また、門をくぐった先のチケット広場には、険しい丘陵に沿って水力リフトが設置されていた。
 そして園内を移動する手段として上空をスキー場にあるゴンドラが張り巡らしてあった。
このゴンドラ、なんとアルツ磐梯スキー場で使われている物をシーズンオフの3ヶ月間、
借用していたようだ。
 民話茶屋も何か古めかしい印象で、未来博覧会というコンセプトとはおよそかけ離れ、
新旧ごった煮のような印象が否めない内容だった。

Fukushima21 Fukushima20

貴重な15年前の映像をどうぞ!

<関連ホームページ紹介> 

 一部画像を引用させていただきました。この場をお借りして御礼申し上げます。

公式HP http://www.pref.fukushima.jp/miraihaku/

来訪者の体験・感想HP&ブログ
 
http://shinkansen.la.coocan.jp/miraihaku0707.htm

http://shinkansen.la.coocan.jp/miraihaku0924.htm

http://shinkansen.la.coocan.jp/miraihaku0730.htm

http://www.ync-net.co.jp/~kiyoshi/sight/mirai/mirai.htm

http://www.asahi-net.or.jp/~dh9k-wtnb/yama/toku/miraihaku/pre1.html

http://mee.to/tomohiro/album/20010901/

http://ameblo.jp/aikomaki/entry-11839609936.html

http://www.geocities.jp/tunawatari2/others/010729fuku2.html

http://www.kkj.or.jp/contents/watch_inspection/report/1301_010906.html

http://cable.cocolog-nifty.com/sakudo/2005/09/post_8304.html

 閉幕後は会場となった須賀川市の須賀川テクニカルリサーチガーデンは、産業・住宅団地として須賀川市が分譲する計画だったが、交通の便があまり良くないことなどから、2006年の時点で6割以上が売れ残っている。
 会場跡地に韓国系50階建てマンションの建設構想があったが、中止となった。

 私が思うに、トライアングルハイウェイ構想や福島空港開港などで、利便性があるこの場
所が、当時首都機能移転地の最有力候補だったため、石原東京都知事の「鶴の一声」で計画白紙撤回で頓挫するまでは、この場所で博覧会を開催することで国内外に広くPRし、閉幕後はそのまま首都機能を補完する国家の行政機関の中枢を担うスポットに移行する手はずだったに違いない。

 

 今思えば、原発事故の放射線漏れを考えれば、不幸中の幸いだったかもしれない。全国知事会の副会長の要職にあった元知事・佐藤栄佐久氏の肝入りで誘致に名乗りを挙げたが、水の泡に。当時は那須と共に、阿武隈山系が脚光を浴び、「森に沈む都市」というキャッチフレーズを掲げ、多額の宣伝費をつぎ込み、誘致活動を展開したのだった。

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 そんな福島県民の誰もが夢を描いた場所だったが、現在はどうなっているのか気になり、取材した。
 2月6日は朝から雪だったが、じきに上がるという予報。最高気温は4℃。翌日の日曜日は朝から快晴予報だが、放射冷却でマイナス3℃、最高気温も1℃と底冷えの一日、結局編集のことも考え、6日に決行することにした。

 2月6日(土)くもり

 <予定>
 自宅発―R4バイパス―市境分岐点―須賀川デニーズ左折―うつくしま未来博跡地(虹の台テクニカルガーデン)ー大東村(女祈祷師事件現場)―ケーズデンキ―帰宅

 <経過>

 9:12 自宅発 R4バイパス60km/hペース。白のデンジローバー割り込みDQN運転
 9:24 市境立体 GSは98円の安さ
 9:33 須賀川大黒交差点左折R118へ。須賀川署、牡丹園前通過。空港方面へ左折
 9:38 ムシテックワールドへ左折 閑散道路 車来ない 辺鄙な場所。よくこんな奥地
     で「未来博」やったものだ。やがて工場が点在

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 9:47 ムシテックワールドのPへ。27.3k地点。結構遠い。
     懐かしい入り口の左右階段あり。ここの中央に水力エレベーターがあった。周辺
     雪。革靴大失敗。固めの雪質を踏みしめながら、石段を上がる。すると木立の広
     場へ。何も無い雪原。標識は外され、トイレも閉鎖 ズボズボ雪を踏みしめながら
     周辺を散策。大きなカナディアン風の暖炉のある住宅が点在。10軒程度。寂しい
     風情。人っこ一人いない。日差しが出る。プレハブを並べたようなオシャレな建物
     もあった。車で来れた。失敗。ロータリー。ステージ劇場だった観客席の名残あり
     下部まで降りる。宅地はほとんど売れていない。一区画100~150坪。勿体ない
     昔池で、ショーをやったと思われる円形公園に池の名残を2箇所発見。周辺図の
     看板発見。からくり民話茶屋の表示あり。いったん坂道を歩いて下り、ムシテック
     の前へ。車に乗って、再び虹の台へ。路側帯に停車し、再び歩いて観客席の最高
     部の通路を歩き、からくり民話茶屋を目指す。大階段を下りると、その先には道
     が無い。土手。どうしても見つけたくて、車で周辺を2~3回周回するが見当たら
     ず。たぶん、5年前の震災で崩れたのではないか?その高台のテクニカルガーデ
     ン(企業誘致用造成地)まで上がってみたが、売れ残っている感じ。

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 今回は、雪に埋もれた状況だったため、桜の季節に再訪してみたい。

10:32 32km ムシテックワールド発 アクセス道路を戻り、右折して県道138へ

 * ここから先の訪問先である「女祈祷師による6人殺害現場」を一度は公開しましたが、そこを訪れた直後からデジカメのSDカード異常に始まり、得体のしれない怪奇現象や科学では説明できない不可思議な事象に見舞われたため、呪怨や祟りを恐れ、削除させていただきたいと思います。

10:42 川東駅へ。ここでSDカード異常が発生したため、初の怪奇現象に怖気づき、あまり長居したくなく、すぐ出発。R138から右折し、バイパス道路へ。須賀川高校近くのイチイの前を通過し、芦田塚の坂を下る。晴れてくる。
11:05 ケーズへ。前の車右折サイン出ているのに気づかずクラクション。出口から入ってしまい、クラクションを鳴らした相手の車に睨まれる。携帯電話いじり、プリンターが安くなった。
11:38 ケーズ発。R4へ。車多い。ゆっくりペース。気温5℃の表示。

11:47 須賀川立体左折。郡山安積野バイパスへ。山々が近く見える。磐梯山?
     ここから暴走気味。前の軽自動車が小石跳ね、フロントガラス直撃。傷入る。
     これも悪霊の仕業か?
11:59 帰宅 総走行距離59.4km

 (感想)

 15年ぶりに訪れてみて思ったのは、雪の情景だったこともあり、「祭の後」とか芭蕉曰く「兵どもが夢の跡」という寂れた印象で、本当にここに165万人もの人々が訪れ、当時の最新鋭の科学技術と大自然を共生させるビッグイベントが行われたのかと疑問にさえ感じさせるほどの廃れ具合だった。
 かくいう私も、唯一残されたムシテックワールドにさえ、博覧会が閉幕してから一度も訪
れていないし、この15年間は疎遠になっていたと認めざるを得ない。場所さえ忘れていた。

 (付記)

 帰宅してから、ムシテックワールドのタイルのメッセージをチェックするのを忘れたことに気づく。
 そして、何かヤバい雰囲気がしたため、帰宅後に体中に塩を振りかけて身を清めた。やはりいくら帰り際の通り道だったとはいえ、殺人事件現場など訪れるべきではないと悟った。もちろん冷やかし半分で訪れた訳ではないのだが、デジカメが故障したことでもわかるように、科学では説明できないような怪奇現象とも呼ぶべき不可思議な現象が起きたことは紛れもない事実だ。今後はこうした軽率な行動は厳に慎みたい。

 記事作成:2月1日(月)~2月6日(土)

 

 

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