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2016年3月 2日 (水)

郡山の魅力再発見!32 ~各時代の息吹を感じる場所~

 このシリーズ記事も今回で32回目を迎えた。自分でも「郡山」に関する記事で、ここまで長く続くとは思わなかった。思いつきでいろいろと書き綴っているが、独りよがりな印象が強いが、好き勝手なことをしたためているだけだ。今回は歴史を振り返り、各時代ごとに、その時代の香りや息吹を感じられるようなスポットや建物などを紹介したい。

 古代

 大安場古墳・・・郡山市田村町。東山霊園の西側にあり、この前のメインストリートは通 
          称霊柩車通り。一日10台は行き来する。古墳の学習施設ではオールシ
          ーズン、様々なイベントが開催される。

 小川蝦夷穴・・・かつての古代人たちの亡骸を納めたお墓。岩に無数の穴が掘られてい
          る。大安場古墳と東山霊園の間に存在する。

 浄土松公園・・・市内西部の三穂田町地区に広がる公園。通称「きのこ岩」という奇岩群
         が並ぶ。少年自然の家と隣接し、ここでフィールドワークという探検コース
         巡りのイベントを行う。天然の要害で、戦時中は防空壕になっていた。
         その外見から日本の「カッパドキア」とも呼ばれている。

 ペグマタイト岩脈・・・鹿島神社境内のあちらこちらに突出する白色の巨晶花コウ岩は、
             国指定天然記念物の「 ペグマタイト」。 境内には1万4,000tもの岩脈
             があると推定されている。

 平安時代

 田村神社・・・国道49号沿いの田村町山中地区にある、大同年間に創立されたといわれ
                 る神社。  田村神社は、昔、坂上田村麻呂の守護神・大元帥明王を祀る霊山
                 だったことから、明治 までは「明王山」あるいは「お山」と呼ばれていた。
         江戸時代にはあの松尾芭蕉が立ち寄ったことでも知られている。

 如宝寺・・・郡山の有力 者、虎丸長者が都に上り、平城天皇より馬頭観音像を賜って帰
               郷、大同2年(807年)に 観音堂を建立して笹久根上人を招いて開眼供養を行
       ったのが始まりと伝えられる。

 鎌倉時代

 王宮伊豆神社・・・鎌倉時代にこの地方を領した伊東氏が、ふるさとの伊豆箱根の三島
           の三社を合祀し、移 したものと伝えられています。 また、本殿背後にあ
           る祠は、葛城王の墓と伝えられている。
 静御前堂・・・源義経を慕って奥州へ下り、悲しみのあまり池に身を投じた静御前の御霊
         を祀ったお堂。現在のお堂は、クギを一本も使わずに、天明年間に改装さ
          れたもの。毎年3月28日には「静香御前堂例大祭」が開催されます。

 美女池・・・福島県郡山市大槻町にある池。 静御前伝説[編集]. 美女池は 静御前伝説
       の残るところである。源義経の奥州下りの跡を慕い、従者小六、乳母のさい
       はらとともにこの地までやって来た静御前が、小六の死と平泉までのあまりに
       遠い道のりへの落胆から、乳母のさいはらと共にこの池に身を投じたとされて
       いる。
 千手観音・・・寛元4年、弘法大師が人々を病と飢えから救うため、霊樹に刻んだと伝え
        られる専修観音立像です。簡略化された背面の彫刻などから地方作である
        ことは明らかながら、鎌倉時代の造像の特徴を示す貴重なものとされていま
        す。
        千手観音像の祀られている千手院には、色鮮やかな種蒔桜、夫婦モミなど
        があります。

 室町時代

 雪村庵・・・郡山市西田町雪村(三春町に隣接)にある庵。室町時代の ... 1658年(明暦4
       年)、三春藩主秋田氏の菩提寺の僧侶一元紹碩が当時の古老から雪村 が晩
       年に隠棲していた地であることを聞き、庵の扁額に書き残している。
 

 江戸時代

 奥の細道(田村神社・安積山公園・奥州街道松並木)

 田村神社は前述の通り。安積山については諸説あり、日和田の安積山公園には、芭蕉の句碑が遺されているが、遠く磐梯山系を仰ぎ見て、その手前に聳える額取山を詠ったとも言われる。また旧国道(奥州街道)の松並木も、奥の細道の道中を同行した曾良日記にも記載がある。

 奥州街道道標・・・郡山市の大町通りは旧奥州街道。 大町1丁目で会津街道と分岐す
           る。 分岐点に道標があった。 道標由緒 一、「従是三春道」石碑一基 こ
           の石碑は、ここから北へ38mの下 枡形(宿場の木戸)に、文政8年に
           建てられた。

 柳橋歌舞伎・・・郡山芸能華舞台と題して 市川猿之助と同じ舞台で地元柳橋歌舞伎など
          が演じられる予定。 柳橋歌舞伎の役者だけでなく歌舞伎ファンも期待に
          胸膨らませている。

 蛇骨地蔵堂・・・日和田町字日和田にあるお堂。養老7年(713年)に開かれたという蛇骨
          地蔵堂であるが、次のような伝説が残されている。 日和田の領主で あっ
          た安積忠繁には、あやめ姫という美しい娘があった。家臣の安積玄蕃が
          求婚したが 、忠繁に拒絶され、それを怨みとして主家を滅ぼしてしまっ
          た。さらに残されたあやめ姫に言い寄ったが、姫はついに沼に身を投げ
          て命を絶ってしまった。しかしあまりの怨みのために姫は大蛇と化し、玄
          蕃一族を祟って滅ぼしたのである。それでもなお大蛇は怒り狂い、村人
          に毎年娘を人身御供とするように求めたのである。
            娘が33人目の人身御供に選ばれた権勘太夫は、娘の命を救うべく大和
          国の長谷観音に詣でて、佐世姫という娘と出会う。佐世姫は話を聞くと、
          自らが代わりに犠牲になると言った。
           佐世姫は人身御供となって、沼のほとりに置かれた。そして一心に法華
          経を唱えていると、大蛇が現れた。ところが大蛇はその法華経によって
          天女の姿に変わっていき、昇天したのである。天女は佐世姫に礼を述
          べ、残された蛇骨で地蔵を作ってくれるように依頼した。それが蛇骨地蔵
          の由来であるという。(日本伝承大鑑より)

 陣屋跡・・・江戸時代に入ると郡山地方は、松前道(奥州街道)の宿場町として栄えるよう
       になり、現在のうすい百貨店の東側に二本松藩の代官所が設置されました。
       そこは現在でも「陣屋」と呼ばれており、郡山随一の飲食店街として賑わいを
       見せていますが、陣屋跡としての名残りは見えません。

 高倉人形日和田資料館・・・江戸時代に関西、四国地方で栄えた人形浄瑠璃ですが、安
                 積郡山ノ井村高倉(日和田町高倉)でも行われていました。
                 これは、全国の人形浄瑠璃分布の最北端に位置するといわ
                 れますが、その始まりは定かではありません。
                  しかし、明治時代に廃絶し、人形など道具一式は、つづらに
                 入れられたまま山清寺に置かれていました。現在は、日和田
                 公民館に保存され、展示されています。

 明治時代

 安積歴史博物館・・・明治22年、県内唯一の中学校として開設された旧福島県尋常中学
             校。文豪高山樗牛、久米正雄、史学者朝河貫一などの著名な出身
             者も多く、現在は安積歴史博物館として公開されています。(国指定
             重要文化財)。明治時代の建造物であり、NHK「坂の上の雲」や「坊
             ちゃん」のロケ撮影にも使用された。


 金透記念館・・・教育の発祥の殿堂。明治時代の西洋様式で明治9年創建時は、県下一
          モダンな校舎で あった。また、金透小学校の歴史が展示されている。

 開成館・・・明治7年、区会所として建設されたもので、明治天皇の東北行幸の際は、 行
               在所として使用されました。 昭和35年、明治擬洋風建造物として県の重要文
       化財に指定されました。
 麓山の滝・・・明治15年に完成した安積疏水を記念して造られました。建設費は 当時の
        富商が寄附を持ちより通水式には歌舞伎や舞踏会などが行われ、それまで
        にないにぎわいを見せたそうです。

 安積疎水土地改良区・・・明治15年8月に完成した安積疏水は、延べ85万人、総事業費
                                  40万7千円(現在の価値に換算すると、約70~470億円)の大事  
               業でした。それから約130年、現在でも脈々と流れる猪苗代湖の
               水を管理しています。また熱海地区には安積疎水神社がある。
 大正時代

 郡山市公会堂・・・大正13年、郡山市制施行を記念して建てられました。大正ロマンの香
           り漂うルネサンス調のしゃれた洋館が魅力です。郡山市のシンボルとし
           て親しまれ、現在でもコンサートなどに利用されています。オランダのコ
           ルドバ聖堂に似ている。

 昭和初期

 郡山合同庁舎・・・昭和5年(1930)に旧郡山市役所として建てられた近代建築。外見が三
           島由紀夫が割腹自殺した自衛隊市谷駐屯地に似ていたことから、映画
                        「MISHIMA」のロケで使われた。

 記事作成:平成27年11月15日(日)~2月初旬

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