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2016年7月

2016年7月31日 (日)

2016年7月期のCMベスト5

 昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、今年からは毎月末に傑作CMを5作品ずつ紹介しています。

 1位 一平ちゃん夜の焼きそば 広瀬すず

 ほとばしる想い。ほとばしるマヨビーム。マヨビームを掛けることの楽しさを、広瀬すずさんのちょっと思わせぶりな演技を通して描くこのシリーズ。若者よ、青春というキャンバスに、マヨビームで想いを描け。

 2位 朝日新聞社『高校野球』を応援 第98回全国高校野球選手権大会CM

光と影の日々/AKB48 (2016ABC夏の高校野球応援ソング/熱闘甲子園テーマソング)

https://www.youtube.com/watch?v=IWLPy_gEREw

 3位 夏競馬 JRA

笑福亭鶴瓶、瑛太、有村架純が「夏競馬」をPRするJRAのCMだが、今回は鎌倉や江の島を舞台に展開。極楽寺駅が登場する場面はなかなか乙。

 4位 家族の思い出 スパリゾートハワイアンズ

 この夏、福島県内ではひっきりなしに放送されている。「ファインディング・ドリー」の公開を記念し、夏休み中の「家族の思い出」作りを支援するストーリー。
 この7月30日のラストステージをもって「フラガール」のリーダーだった大森(モアナ)梨江さんが引退する。震災時は副リーダーだったが、県内出身者にして被災者をずっと励まして来た功労者だ。謹んでお疲れ様を言いたい。

 5位  リクルート・ホットペッパービューティー『衝動ダンス ヘア篇』   

 佐々木希が主演するCMはいつも注目してみている。色白の秋田美人そのもの。壇蜜、藤あや子、桜田淳子など、昔から秋田県出身者は美人が多い。実は7月下旬に3泊4日で秋田県に出張で出向いた。

 記事作成:7月中

2016年7月29日 (金)

素晴らしきテレビ東京

 「テレビ東京」は昔、「東京12チャンネル」という名称だった。他の東京をキーステーションとする放送局とは一線を画し、全国へのネットが少なく、独自路線を歩む傾向が濃かった。

 地方出身の私は、あまり番組を目にする機会は無かったし、正直あまり興味の沸くような内容は無かった。それがどうだ。次第に年齢を重ね、我が福島県でも民放4局で、アットランダムに数週間遅れでネットするようになり、その視聴者を魅了するような素晴らしい番組に圧倒される日々だ。
 それでは私が大好きな番組をランキング形式で紹介したいと思う。

 1位 世界!ニッポン行きたい人応援団

 外国で取材し、日本が大好きで日本を訪れたいと思っている外国人を日本に招待する番組。日本のおもてなしの心や気配りの素晴らしい点が際立っている。念願叶い日本を訪れた外国人は一様に感激し、絶対また再来日したいと心底願って離日して行く。「国際交流」や「国際化」を実感できる番組だ。特にお気に入りは下の3つ

 ① 墨絵を愛するイタリア美女 https://www.youtube.com/watch?v=yntrRH5bbVE
 ② 東京メトロ大好きのハンガリー少年https://www.youtube.com/watch?v=P9Hj5kecftk
 ③ かるたを愛するフランス美人 https://www.youtube.com/watch?v=FJl7FObMtP4

 2位 ローカル路線バス乗り継ぎの旅

 ご存知3~4ヶ月に一度の割合で放送される旅番組。責任感溢れ、見るからにA型リーダーの太川陽介と抜けていて居眠り得意のおとぼけO型の典型の蛭子収さんの凸凹コンビに加え、毎回異なる女性同行者「マドンナ」の3名で、路線バスだけで旅する。毎回、バスが繋がらず、長距離の歩きを余儀なくされたり、スマホやネットは一切使えない厳しいルールの下、泊まる宿さえ、自分で飛び込みでアポを取らなければならないハードさ。出発地と目的地(ゴール)も毎回異なり、地図とにらめっこしながら、三泊四日で日本中を旅して廻る。毎回、太川と蛭子のやりとりが見物。よく蛭子のわがままにキレずに付き合っているの太川リーダーの存在感が際立つ。

 第22弾 https://www.youtube.com/watch?v=dUthoe0Stfo

 私が好きなのは以下の3つ

 ① 第3弾  函館~宗谷岬   伊藤かずえ
 ② 第18弾 御殿場~直江津  野村真美
 ③ 第17弾 山口~室戸岬   宮地真緒

 

 3位 モヤモヤさま~ず2

 初代アシスタントの大江麻理子のときからずっと見続けている。テレビ東京の放送は1時間半だが、ここ福島県で放送される時は、カットされ1時間番組で流れている。英語とピアノが堪能で、それでいてスポーツ万能、少し天然が入った狩野アナが大好きだ。首都圏を中心に3人で歩いてその街の名所や名物、地元の人や店で絡みながら進行する。

 https://www.youtube.com/watch?v=cpmX6d1vDjA&spfreload=10

 https://www.youtube.com/watch?v=xiEX24D1bzU

 4位 開運なんでも鑑定団!

 もう20年も続く老舗番組となった。島田紳助の司会からずっと見てきた。骨董品など興味が無かったが、掛け軸や焼き物、絵画、おもちゃなどこんなに金になる文字通りお宝だとは思わなかった。古木を訊ね新しきを知る」を地で行く番組だ。吉田アシスタントと石坂さんが降板したのが残念。個人的にはアシスタントで登場する「新妻さと子」(見るからにO型)さんが大好きだ。

 5位 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ

 福島では日曜日の13時から放送されている。

  ① 秘境駅 安田大サーカスの団長が地方の利用客がない駅に泊まりこんで利用者
         を探る。https://www.youtube.com/watch?v=0a7_MTkMpAU

  ② 開かずの金庫を開ける 毎回プロの鍵師が開かずの金庫をこじあける。
  ③ 本日閉店します ラーメン店や飲食店の閉店日をドキュメントで取材する。
  ④ ホームセンターで何を買いましたか
  ⑤ 長距離通勤

 6位 出没アド街ック天国

  もちろん好きなのはベスト5前の「○○街コレクション」だ。のテーマ曲に乗せて60名の地元の若き女性たちが登場するあのコーナーが大好きだ。それにきわどい入浴シーンも見ものだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=uFKKX_vzIDg

 7位 空から日本を見てみよう

 くもじぃと雲美のやりとりで進行し、空から街を眺め、気になった建物を紹介する。

 https://www.youtube.com/watch?v=GJGDnDOsBq0

 8位 ザ・フィッシング

 正しくは「テレビ大阪」制作の釣り番組。大物ゲッターの秋丸美帆は可愛い。

 https://www.youtube.com/watch?v=yarDWhLS5jc

 9位 いい旅夢気分

 こちらは私が大学生の頃から見ていた番組で、これで紹介された観光スポットを参考にしてヒントを得て私は旅の計画を立てていた。毎回異なる2人組のゲストが様々な場所を訪れる。

 https://www.youtube.com/watch?v=iI47CLOpzcY

10位 完成ドリームハウス

 こちらは一軒の家が完成するまでの計画から工事の模様をドキュメンタリーで放送する。毎回、数ヶ月も取材を重ね、最後にかかった費用を発表する。

 https://www.youtube.com/watch?v=PyE8J0jA0-o

 記事作成:7月16日(土)

2016年7月26日 (火)

歴代の大ヒットCM集

 時代を彩るCMがある。その時期に人気があった俳優を起用し、鮮やかにその時代背景を描き切ったCMたち。私は大のCM好きだが、若い頃に感化された演出、その背後で流れるヒットソングのBGMもまた懐かしい。
 今日はそんな各時代を華やかに彩ったCM集をお送りしたい。

 1 コカ・コーラ

 コカ・コーラはいつの時代も人気No.1だった。最近はA.Iの出演が多くなったが、かつてはドラマ仕立てで、使われる曲はことごとく大ヒットした。青春群像を描く内容のものが爽やかさを醸して人気を得た。

 2 ポカリスエット

 このCMは若手女優が名前を売って来た。また、CMに起用される曲もまた、次々大ヒットした。

 3 グリコポッキー

 松田聖子や南野陽子、新垣結衣など、このCMはアイドル系の歌手や女優を多く抜擢して来た。

 4 化粧品

 資生堂やカネボウなど、かつてはキャンペーンガールが鎬を削っていた。モデルだけあって、スタイル抜群の小顔の美形な女性を起用して来た。当然、CMソングもベストテン入りするなど大ヒットを連発していた。矢沢永吉や堀内孝雄、ツイストなどの楽曲が懐かしい。

 5 ハウスバーモントカレー

 西城秀樹が長らく務めていたが、最近ではジャニーズが台頭して来た。

 6 三矢サイダー

 こちらのCMも夏の定番で、弾けるようなフレッシュさを売りにした若手女優を多く起用した。若手女優の登竜門とも言えるCMシリーズだ。

 7 JR東海 X'mas Express

 バブル景気の頃に一世を風靡したCM。シンデレラエクスプレスなどのCMも流行し、遠距離恋愛を激励するCMとして脚光を浴びた。

 8 アルペン

 松本典子、田中律子、三浦早苗、坂下千里子、増田裕子、椎名法子などが出演し、ゲレンデへいざなう。このシリーズのBGMは広瀬香美が担当した。

 9 グリコジャイアントコーン

 こちらはなぜか「ホリプロ」所属のタレントが数多く出演した。こういうお菓子の類のCMは昔から女性アイドル限定の感があった。

10 ソニー損保

 松田一沙・佐藤ありさ・瀧本美織・そして2015最新CMの唐田えりかまで、歴代のソニー損保イメージガールが大集合!

 さて、今日の記事は多くを語らなくても、その時代を闊歩したCMを見ていただければ、青春時代に立ち返って懐かしんで貰えると思う。いずれもシリーズ化したCMばかりだ。

 最後に、バブル時期に流れた私が大好きだった「日本生命」のニッセイレディーのCMを取り上げて結びとしたい。

 「ニッセイレディー日下友子さん」のシリーズは、生き生きと働く女性の姿を描いたイメージモデルとして喝さいを浴びたCMだった。

 記事作成:7月10日(日)

 追記

 私がこの記事を書いたのが7月10日だが、その後17日(日)に、黒柳徹子が主演するバラエティ番組で、噂のCMガールとして似たようなものが放送されたが、私の制作が早く、決してパクリではないことを申し添えたい。

 

2016年7月25日 (月)

今は亡き往年のプロ野球選手

 私が子供の頃に活躍されていた名選手が鬼籍に入られることが多くなった。それだけ私も歳をとったということだが、少年野球に夢を与え、誰もが野球選手に憧れた昭和の時代。「巨人・大鵬・目玉焼き」などという昭和を形容する名句まで誕生するほどの人気ぶりだった。
 そんな野球が一世を風靡していた時代に、大活躍していた現役選手で、今は亡くなってしまった名選手をピックアップして紹介したい。現役時代の活躍は、動画サイトのリンクをクリックして頂ければご覧になれます。

山内一弘

 1932年5月1日 - 2009年2月2日。愛知県一宮市 出身の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。旧名「山内 和弘」。所属球団は「毎日(大毎)」、「阪神」、「広島」。
 2,235試合2,271安打。396本塁打。1,286打点 三振820 打率.295

https://www.youtube.com/watch?v=JutYvXphitc

https://www.youtube.com/watch?v=CIj3RkRWsFs

土橋正幸

 1935年12月5日 - 2013年8月24日。東京都台東区 出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。 現役時代は東映で主力投手として活躍し、 引退後は東映・日拓ホーム・日本ハム、ヤクルトでコーチ・監督を務めた。

 455試合登板162勝135敗 勝率.545 1,562奪三振 防御率2.66

Dobashi1 Dobashi2

 土橋さんの映像が動画サイトにはありませんでしたので画像にてお送りしました。

西本幸雄

 1920年4月25日 - 2011年11月25日)は、和歌山県和歌山 市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。選手よりも闘将としての監督業のイメージ。
西鉄、阪急、近鉄などを率い、リーグ優勝8回の名将ながら日本一には一度もなれず、悲運の名将とも呼ばれた。

 監督としての戦績
 2,665試合 1,384勝1,163敗118分 勝率.543 リーグ優勝8回(20年間)

https://www.youtube.com/watch?v=atqDZJ7EEms

青田 昇

 1924年11月22日 - 1997年11月4日。兵庫県三木市出身 の元プロ野球選手(外野手)・コーチ・監督、解説者・評論家。愛称は「ジャジャ馬」。 2009年、野球殿堂入り。巨人、阪急、大洋などで活躍。

 1,709試合1,827安打 265本塁打 1,034打点 593三振 打率.278

https://www.youtube.com/watch?v=6EwqFKIok_4

川上哲治

 1920年3月23日 - 2013年10月 28日。熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。 赤バットを駆使し「打撃の神様」と呼ばれた。好調時には「ボールが止まって見えた」との名言を残した。監督としても一流の管理野球理論で、ONなどを率いてV9を達成した。

 選手時代
 1,979試合2,351安打 181本塁打1,319打点 422三振 打率.313

 監督時代
 1,866試合1,066勝739敗61分 勝率.591(14年間で優勝10度は全て日本一)

https://www.youtube.com/watch?v=DgplX1BAisE

近藤貞雄

 1925年10月2日 - 2006年1月2日。プロ野球選手(投手 )・指導者・監督、野球解説者。 現役時代は西鉄軍、巨人、中日・名古屋で活躍し、引退 後は中日、ロッテ、大洋、日本ハムのコーチ・監督を歴任した。

 選手時代
 222試合登板 55勝71敗 勝率.437 274奪三振 防御率2.91

 監督時代(9年)
 1,050試合 470勝521敗59分 勝率.474(優勝1回、Bクラス8回)

https://www.youtube.com/watch?v=HRrBbr4Kzt8
 

稲尾和久

 1937年6月10日 - 2007年11月13日。大分県別府市 出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家。現役時代は西鉄一筋に14年間。日本シリーズ対巨人戦で3連敗からの4連投4連勝で、奇跡の大逆転優勝を成し遂げた立役者。「神さま仏さま稲尾さま」は流行語になった。

 選手時代
 756試合登板 276勝137敗 勝率.668 2,574奪三振 防御率1.98

 監督時代(西鉄、ロッテなど8年)
 1,040試合 431勝545敗64分 勝率.442 (Aクラス2回、Bクラス6回) 

https://www.youtube.com/watch?v=HDHlJc8yne8
 

村山 実

 1936年12月10日 - 1998年8月22日は、兵庫県神戸市北区生まれ、尼崎市出身のプロ野球選手(投手)・コーチ、監督、解説者。
 闘志むき出しで全身を使った「ザトペック投法」で知られ、二代目「ミスタータイガース」と呼ばれる。天覧試合で長嶋にサヨナラホームランを喫したが、1,500奪三振、2,000奪三振を長嶋から奪った。

 選手時代(阪神14年)
 509試合登板 222勝147敗 勝率.602 2,271奪三振 防御率2.09

 監督時代(阪神5年)
 528試合241勝271敗16分 勝率.471(Aクラス2回、Bクラス3回)

https://www.youtube.com/watch?v=bvEA6_87PII

宮田征典

 1939年11月4日 - 2006年7月13日。群馬県前橋市 出身の元プロ野球選手(投手)、野球指導者、野球解説者。日本野球界におけるリリーフ 専門投手の草分け的存在で「8時半の男」と呼ばれた。セーブという制度が無かった時代のリリーフ投手だった。 

 選手時代(巨人8年)
 267試合登板 45勝30敗 勝率.600 460奪三振 防御率2.63 

https://www.youtube.com/watch?v=qh2zsMpJ22E

津田恒美

 1960年8月1日 - 1993年7月20日。山口県出身

 「弱気は最大の敵」と帽子のつばに書き記し、闘志を剥き出し、ピーク時153km/hの剛速球と縦横の鋭いカーブを武器に相手打者に敢然と立ち向かう姿は、『炎のストッパー』と形容された。広島の黄金期にリリーフエースとして活躍した。
 野球人として絶頂の時に、悪性の脳腫瘍を発症。復活を信じ、入退院を繰り返しながら闘病生活を送っていたが、1993年7月20日14時45分に同病院において32歳の短い人生を閉じた。

 選手時代(10年)
 286試合登板 49勝41敗90S 勝率.544 542奪三振 防御率3.31 

https://www.youtube.com/watch?v=HbppXZYaGYk

尾崎行雄

 1944年9月11日 - 2013年6月13日。大阪府泉大津市 出身
 甲子園で優勝投手となり、怪童と呼ばれ、鳴り物入りでプロ野球東映入り。1年目の1962年には初登板で勝利投手になるなど20勝9敗、防御率2.42の成績で新人王に選出された。18歳での新人王は現在に至るまで史上最年少である。1964年から1966年まで3年連続で20勝を記録し、1965年には27勝を挙げて最多勝を獲得した。しかし指にマメの出来る体質に苦しみ、また酷使の影響もあって肩を痛め、1968年以降は勝星から遠ざかる。1973年に29歳で現役を引退。プロ通算107勝を挙げ、夏の甲子園の優勝投手としては戦後初のプロ通算100勝投手となった。

 選手時代(12年)
 364試合登板 107勝83敗 勝率.563 1,010奪三振 防御率2.70

https://www.youtube.com/watch?v=p5Usd0RDTTM

大杉勝男

 1945年3月5日 - 1992年4月30日)は、岡山県勝田郡 奈義町出身のプロ野球選手(内野手)。 NPBにおける通算本塁打数・通算打点数共に 歴代9位(2015年シーズン終了時点)。月に向かって打つというキャッチフレーズだった。日本シリーズ、対阪急戦の疑惑のホームランが印象深い。

 選手時代(東映・日本ハム・ヤクルトなど19年)
 2,235試合 2,228安打 486本塁打 1,507打点 打率.287

https://www.youtube.com/watch?v=HReAsyyhGQA

小林繁

 巨人のエースだった小林は、江川事件で阪神へのトレードを余儀なくされた。その騒動の際も、冷静かつ紳士的に振る舞い、その翌年以降、巨人戦には滅法強く、移籍後、初の20勝投手となり、見事成績でリベンジを果たした。
 2010年より日ハムの一軍投手コーチに昇格し、新シーズンへ向けて準備を進めていたが、キャンプインを2週間後に控えた1月17日、福井市内の自宅で「背中が痛い」と体調不良を訴え、福井県立病院に救急搬送された。病院搬送時には心肺停止状態であり、蘇生措置が施されたが午前11時頃に心筋梗塞による心不全で死去した。57歳没。

 選手時代(巨人6年、阪神5年)
 374試合登板 139勝95敗17S 勝率.594 1,273奪三振 防御率3.18

https://www.youtube.com/watch?v=K9T4VnlCYi4

土井正三

 1942年6月28日 - 2009年9月25日。プロ野球選手(内 野手)・監督、野球解説者。兵庫県出身。二塁手として巨人のV9に貢献した。阪急との日本シリーズで魅せた彼の、捕手のブロックを掻い潜った奇跡の走塁術は圧巻だった。

 選手時代(巨人14年)
 1,586試合 1,275安打 65本塁打425打点 135盗塁 393三振 打率.263

 オリックス監督では3年間でいずれも3位と優勝できなかったが、195勝183敗12分。

https://www.youtube.com/watch?v=nMxGX2_701g

 
仰木 彬

 1935年4月29日 - 2005年12月15日)は、福岡県出身のプロ 野球選手、プロ野球監督、野球解説者。. 昭和30年代の西鉄ライオンズ 黄金時代に正二塁手として活躍し、引退後は西鉄、近鉄、オリックスのコーチ・監督を 歴任し、優勝請負人になり、オリックスではイチローを育てた。ベンチでは、パンチパーマにサングラスに腕組みがトレードマークで、親分スタイルだった。

 選手時代(西鉄14年)
 1,328試合 800安打 70本塁打 326打点 116盗塁 打率.229
 
 監督時代(近鉄・オリックスで14年)
1,856試合 988勝815敗53分 勝率.548 優勝3回(Aクラス11回)

https://www.youtube.com/watch?v=OGrBgE4Z97Y
 

盛田幸妃

 1969年11月21日 - 2015年10月16日。北海道茅部郡 鹿部町出身のプロ野球選手(投手)。現役時代に脳腫瘍に罹患しながら、リハビリにより復活を遂げた。

 選手時代(大洋・横浜・近鉄で14年)
 345試合 47勝34敗29S 勝率.580 434奪三振 防御率4.05

https://www.youtube.com/watch?v=MFJP_Psi1bs

 ちなみに勘違いされると困るので、2016年7月現在、今もご健在で、評論家などで活躍されている往年の名選手をピックアップしたい。

 王貞治、長嶋茂雄、野村克也、金田正一、豊田泰光、中西太、福本豊、吉田義男、森昌彦

 子供の頃、憧れの的だったO.Nですら寄る年波には勝てず高齢になり、両者共に命に関わる大病を患った。強靭な肉体と、凡人には及びもつかない体力の持ち主であるプロ野球選手でも、引退後の衰えは著しく、あたかもビフォーアフターのようだ。

 記事作成:平成27年3月~平成28年7月

 追記

 この記事を掲載後、西鉄ライオンズの主力として活躍した豊田泰光さんが亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

2016年7月23日 (土)

女性ヴォーカリストバンドの名曲集

  今日は古い記事で申し訳ない。実は3年も前に執筆を開始したのに、その後ずっとストップしていたものだ。記事のストックが少なくなってきたことを鑑み、これから、そんな出し惜しみしてきた記事を断続的にアップしていきたいと思います。あしからず。

 1990年代に「イカ天」が流行し、バンドブームが隆盛した。1960年代のGSブーム、1970年代のニューミュージックブーム、1980年代のアイドルブーム、そしてこの90年代のバンドブームと、ミュージック界は、歴史を繰り返すものらしい。そんな90年代において、特に際立って登場してきたのが女性ヴォーカルのバンドや女性だけで結成した「ガールズバンド」だった。ビジュアル系という新たな分野も誕生し、ミュージックシーンはより華やかになった。
 今日は、90年代を鮮やかに彩ったガールズバンドや女性ヴォーカルのバンドを取り上げたい。
 

 My Little Lover ~Hello Again~昔からある場所

http://www.youtube.com/watch?v=2LsYMrG1cr4

 Every Little Thing  ~出逢った頃のように~

http://www.youtube.com/watch?v=hcU_9vhXWYE

  globe ~Can't Stop Fallin' in Love~

http://www.youtube.com/watch?v=4ctWvVAmQpo

 Zone ~Secret base~君がくれたもの

http://www.youtube.com/watch?v=mRgcXn9P_OY

  Whiteberry ~夏祭り~

http://www.youtube.com/watch?v=Fty3wMAxVjI

 Princess Princess ~Diamonds~

http://www.youtube.com/watch?v=z9q4D_vbSi8

  PINK SAPPHIRE  ~P.S. I Love You~

http://www.youtube.com/watch?v=AMdR2fvcfhw

 リンドバーグ ~今すぐKiss me~

http://www.youtube.com/watch?v=RcubEBboyyY

 Dreams come true  ~決戦は金曜日~

http://www.youtube.com/watch?v=4ZQxNmeKgEU

 レベッカ ~フレンズ~

http://www.youtube.com/watch?v=LJP68KO4bTs

 JITTERIN JINN  ~プレゼント~ 

http://www.youtube.com/watch?v=LwtuFLaSkwE

 Hysteric Blue 春~spring~

http://www.youtube.com/watch?v=mekNXuwPfLs

 ZOO ~Choo Choo Train~

http://www.youtube.com/watch?v=rWzpAsiiDV8

 ガーデンズ ~エンドレスサマー~

http://www.youtube.com/watch?v=IgDkLF3Moj0

 SHOW-YA ~限界 LOVERS~

http://www.youtube.com/watch?v=v0AKfZGCNMs

 JUDY AND MARRY ~そばかす~

http://www.youtube.com/watch?v=nq_j3k8XY7g

 パーソンズ ~DEAR FRIENDS~

http://www.youtube.com/watch?v=EsHMwnl0t_M

 思いつくだけでもこんなにある。それほど賑わいを見せていた時代だ。この時代はバブルの遺産で、その後の不況に立ち向かう頃合だった。
 しかし、ジャンルはロック系が多く、パワーとエネルギーを与えてくれるような楽曲が幅を利かせていた。
 2000年以降は「モーニング娘。」や「AKB48」グループの登場で、やや1980年代に戻った感が強いが、いずれまたそのバンド世代に青春時代を過ごした方たちが、親世代となり、その影響をモロに受けた子供世代が再びバンドに目覚め、再びバンドブームが尾きりのは間違いないところだ。
 アイドルの曲はメロディーやテンポがよく、万人受けするが、本格的に音楽を追求するとかパワーという面では見劣りする。時代背景に適応したよりエネルギッシュな、そしてハードなミュージックの再興が待たれる頃だ。

  記事作成:平成25年10月5日(土)

2016年7月21日 (木)

今はもう聞けない名台詞・名調子

 時は昭和。敗戦から復興し、ベビーブーム、東京オリンピック、高度経済成長などいろいろな出来事があった。暗い世相からバブル経済など悲喜こもごもの時代背景の中、一世を風靡した名文句や今で言う「流行語」があった。その時代を描写するのに最適な言葉だと思う。今日は、今は亡き有名人たちの遺言とも言えるそうした名調子の言葉や名句、名台詞を取り上げたい。一緒に懐かしんで貰えたら幸いです。

 1. 小沢昭一 「小沢昭一の小沢昭一的こころだ~」

 TBSラジオの制作、TBSラジオをキーステーションに、JRN加盟各局で平日の異なる時間に日本国内で放送されていたラジオトーク番組であり、小沢昭一の冠番組であった。

 放送期間は1973年(昭和48年)1月8日ら2012年(平成24年)12月28日まで。

 2. 高倉健 「不器用ですから」

 「沈黙は金」を地でいくような名俳優だった高倉健さん。寡黙こそ男の美学を貫いた。無口でありながら、独特の存在感があって、孤高の人という印象だった。

 「不器用ですから」とは、1980年代に彼が出演していた「日本生命」のCMの中で話された台詞だ。しかし、そのずっと以前から、健さんは、自身そのように話したことが何度かあって、それをCMの台詞に転用したようだ。

 3. 永六輔 「咳・声・のどに浅田飴」

 永さんも、今年7月に惜しまれながら天国へ旅立ったひとりだ。放送作家であり、作詞家としても「見上げてごらん、夜の星を」などを世に送った。CMでは浅田飴で流行語となった名句を生んだ。呂律が廻らない独特の言い回しが個性的だった。

 4. いかりや長介 「いってみようか~」「ダメだこりゃ」

 ご存知、1970年代を代表するバラエティ娯楽番組だった「8時だョ!全員集合」。ザ・ドリフターズの冠番組にして出世作だった。そのリーダーとして活動したのがいかりやさんだった。緻密に計算され尽くしたコントの演出を手掛け、客を喜ばせたり、笑わせる天才でもあった。「ダメだこりゃ」は、フジテレビの「ドリフ大爆笑」シリーズの中で、「もしもシリーズ」のコント内において、志村けんとのやり取りの中で誕生した。
 私はいつか「いかりや長介」さんの墓参りに行きたいと思っている。

 5.ハナ肇 「アッと驚く為五郎~」

 『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』 内でのクレージーキャッツのハナ肇による、番組を代表するギャグ。

 6. 植木等 「およびでない」「こりやまた失礼しました」

植木等のギャグ。「シャボン玉ホリデー」で出番を間違えて出てきてしまった植木等が咄嗟に言った言葉が大ウケ。以来、植木等がオチに使うフレーズになった。場違いなキャラクターとして登場した植木等が状況に気づき、このセリフをいうと、全員がコケるというコントが多数作られた。(笑辞典より)

 https://www.youtube.com/watch?v=N-LdqYNHEAk

 7. 玉置宏 「一週間のご無沙汰でした」「歌は世につれ人につれ」

 昭和の名司会者だった玉置宏さん。彼がMCを担当した「ロッテ歌のアルバム」は1958年から1979年まで21年の長きに渡り放送された昭和を代表する歌謡番組だった。日曜日の昼下がりの放送だったため、一家が揃ってみた高視聴率を連発した人気番組だった。

 https://www.youtube.com/watch?v=G1n2vyPc6qA

 8. 谷啓 「がちょ~ん」

 クレイジーキャッツのメンバーであった谷啓のギャグ。追い詰められたときやCM前のオチに使用される。 マージャンの牌を引く動作から思いついたという。
 谷さんのギャグはネタが豊富で、「ビローン」、「ムヒョー」、「ハラホロヒレハレ」などが世に知れ渡った。

 https://www.youtube.com/watch?v=MR4k4g2QEVQ

 9. 牧伸二 「あ~あんあやんなっちゃった、あ~んああんあ~驚いた」

 ウクレレ漫談で一世を風靡した「牧伸二」さん。残念ながら多摩川への入水自殺でその人生を終えられたのは残念だが、彼が命を削ってまでして編み出したギャグは未来永劫残る。
 彼の真骨頂であるウクレレ漫談で、必ず囃子として伴奏として演奏されたのがこの節。自虐ネタや世の中の矛盾や解決困難な事象を明るく笑い飛ばそうという趣旨。

 https://www.youtube.com/watch?v=yurLttt1jFQ

10. 林家三平 「どーもすいません」

 右手の拳をおでこに当てながら、「どーもすいません」というのが彼のトレードマークだった。つまらないことや今で言うオヤジギャグで場をしらけさせたときに打ってつけの弁解だった。
 落語家としては大御所で、「昭和の爆笑王」と呼ばれ、様々な落語家に影響を与えた。
 1980年9月20日、肝臓がんで54歳で死去。 

https://www.youtube.com/watch?v=zX0nF2K_g8E

https://www.youtube.com/watch?v=px9AptJQUgk

11.大橋巨泉 「はっぱふみふみ」

 数十年前、「万年筆」のコマーシャルで、当時非常に人気があった大橋巨泉というタレントがその万年筆を手にして、短歌のようなフレーズ(万年筆をほめるような・・・)を言うのですが、その語調を合わせるために、575・77の最後の「7」の部分に、まったく意味のない、ただ語呂のよい7音節の語として、(おそらくは即興的に)言ったことばです。
 「短歌のようなもの」とは、「みじかびの、きゃぶりきとれば、すぎちょびれ、
すぎかきすらの、はっぱふみふみ」キャップの形の工夫で「短くなる」のがウリの万年筆でした。

 平成28年7月20日(水)に亡くなられた。大橋巨泉さんは、記事執筆時は下の「今もご健在の方」の項目に入れておいたが、その2日後に亡くなられてしまった。「11PM」の司会で一世を風靡した巨泉さん、謹んでご冥福をお祈りいたします。

 私がブログで取り上げた方が、その数日後に話題になるというジンクスは生きているようだ。

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 今もご健在の方の名調子

 
 大村昆 「嬉しいとめがねが落ちるんですよ」

 大村昆がオロナミンC(1965年から放映)等の大塚製薬の各CMに出演。「姓はオロナイン 名は軟膏」「うれしいと眼鏡が落ちるんですよ」「オロナミンCは小さな巨人です」等のCMコピーで知られる。昭和40年代には街中に「ソフト帽にずれ落ちた眼鏡姿」でオロナミンCを手にする大村のホーロー看板が設置された。その看板のインパクトは抜群で、大人から子どもまで知らないものはいないまでのものとなった。

https://www.youtube.com/watch?v=onMwcPZ4k_0

 志村けん 「だっふんだ」

 変なおじさん(へんなおじさん)は、コメディアンである志村けんが演じているギャグ キャラクター。 かつてフジテレビで放送されていたバラエティ番組『志村けんのだいじょぶだぁ」の中で、「このおじさん変なんです」と言われた志村が、最後は周囲の 雰囲気を察し「だっふんだ!!」というセリフを発し、ガラスが割れるSE(効果音) とともに前者は全員が踊り、後者は全員がズッコケたりするというオチがつく。

https://www.youtube.com/watch?v=ifN1Is4kI9U

 加藤茶 「ちょっとだけよ あんたも好きね~」「加トちゃんぺッ」

 「8時だョ!全員集合」で使われたギャグの一つ。 (プクシブ百科事典より)

  1. 寸劇の最中に突然(なんの脈絡もなく)「淫靡な曲」が演奏されはじめる。
  2. 加藤茶がストリップのようなポーズをとりはじめ「ちょっとだけよ」と言う。
  3. 他のメンバーは「来た来た!」「待ってました大統領!」などとはやしたてる。
  4. 加藤茶はポーズを変えながら「あんたも好きねぇ」
  5. いかりや長介が黄色いメガホンで加藤茶の頭を叩き、「やめなさいバカ!」と叱る。
  6. いかりや以外のメンバーが「いかりやにっ、あ、おこられたっ」と唱和する。

https://www.youtube.com/watch?v=dqePz5qg6d0

この一連のギャグは「タブー」と呼ばれ、1970年代に流行った。

 「加トちゃんペ」は鼻下に指をあてて、ヒトラーのチョビひげを象徴するジェスチャー。調子に乗った時にオチとして使われたが、これをナチスドイツ時代にやったら、ヒトラーを愚弄するものとして刑務所行きになるとか。

 松鶴家千とせ 「わかるかなぁ~わかんねでだろうな」

 浅草の松竹演芸場をホームグラウンドに、テレビなどで活躍した。トレードマークのあごひげとアフロヘアーは、当時、大流行した。最近はカツラを、使用中。
 時代劇のネタのほか、本来はジャズ歌手志望だったこともあって、ジャジーなスキャットに、民謡や童謡などを融合させた独特の和風メルヘンの世界を築き、「わかるかなぁ、わかんねぇだろうなぁ〜」のフレーズで、大人気になった。1974年頃「ヘェヘェヘェ〜イ!、シャバダバダディ〜!、イェーイ!。俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けで、父さんは胸やけで、母さんは霜やけだった。」と、哀愁を込めて歌いかける『夕焼け小焼け』の替え歌の漫談で注目を浴びた。

https://www.youtube.com/watch?v=1EHKyWvFIAo

 さて、一挙昭和を彩った代表的な流行ギャグをお送りしましたが、懐かしんでもらえたでしょうか?残念ながら、すでに鬼籍に入られ、もう二度と生でお目にかかれない方々ばかりだ。昭和が終焉し、28年が経過した。昭和天皇崩御の際に50歳だった方ももう80歳近い。亡くなられても不思議ではないが、自分も同時代を生きた者として、テレビの世界で活躍し、流行語を生み出した方々が天国に旅立ってしまったのは残念至極だ。

 記事作成:7月18日(月)~7月20日(水)

2016年7月20日 (水)

アンチエイジングの女性⑦

 今日は橋田壽賀子ファミリーで、「渡る世間は鬼ばかり」に出演している美人女優の野村真美さんがこのテーマに打ってつけだと思い、セレクトした。実は彼女は私と同い年。映画「大奥十八景」で、その美しいヌードと将軍役の「あおい輝彦」と大胆な絡みシーンを披露した時には、相当ショックを受けた覚えがある。あの絶世の美女なのに、未だに独身を貫いているのには、何か訳があるのだろうか?
 最近は、路線バス乗り継ぎの旅で、登山が趣味であることをカミングアウトした。あの清楚でおしとやかそうな外見とは裏腹で、本人曰く、体育会系でアウトドア派だと自分の性格を告白した。
 彼女は色白で、もちろんO型。同じ型の星野知子さんや「なんでも鑑定団」でアシスタントを務めている新妻さと子さん、井上和香さんに似ている。O型はみかけによらずバイタリティがあって、困難にもめげない生命力に溢れ、たくましく強い女というのが真の姿だ。同じO型の市毛良枝さんも、トレッキングなどを趣味にしている。

 ではここで女優・野村真美さんのプロフを紹介したい。

Nomura2 Nomura1

 1964年10月19日生まれの51歳。てんびん座 神奈川出身で、血液型はO型 
 趣味はバレエで身長165cm、体重47kg。
 
 横浜学院女子高等学校卒業。高校在学中にホリプロタレントスカウトキャラバンで関東地区代表となり、その後の1985年、『金曜劇場 ママたちが戦争を始めた!』で、テレビデビューする。
 『渡る世間は鬼ばかり』の四女・岡倉葉子役で有名。旅番組への出演も多い。さらにはWWEファンでもある。
 映画『大奥十八景』(1986年)、『吉原炎上』(1987年)ではヌードを披露している。
 2009年1月6日、2歳年下のテレビ番組制作プロデューサーと結婚。
 2012年には世界で最も寒い村ロシアサハ共和国オイミャコンを訪問し、マイナス50度の世界を体験している。また当地を訪れた唯一の日本人の女優でもある。
 登山(槍ヶ岳、北岳、富士山等に登山経験あり)や海外への一人旅、キャンプ等が趣味。また、料理も得意(2009年5月10日放送のフジテレビ系『ウチくる!?』で本人談)。

Nomura4 Nomura3

彼女はもう五十路を過ぎているとは思えないほどの美貌を保っている。肌艶が若々しく、お茶目で明るく朗らかな性格が、一段と彼女を若く見せている秘訣ではないかと思う。女優は、テレビや映画で人に見られてナンボの職業だから、普段から紫外線対策や化粧にも気を遣っていると思うが、陰での努力は相当に違いない。あの吉永小百合さんもアンチエイジングの代表格だと思うが、いずれもこのテーマに該当する方々はいぞれもO型であるという不思議な現実にたどり着くのだ。何か因果関係があるとしか思えない。それがこのテーマ記事を毎回執筆するにあたっての結論だ。

 記事作成:7月7日(木)

2016年7月18日 (月)

芸能人の元夫婦

 芸能界というのは華があって、何かと注目される世界だ。芸能ニュースや週刊誌では連日のように恋の噂や結婚、妊娠などが報道される。しかし、一方ではせっかく大々的に何億円もかけて豪華な披露宴をしたにもかかわらず、その理由が残念だ。「お互いに忙しくて会話が少なくすれ違い」とか「性格の不一致」、「価値観の相違」など言い訳がましいものだ。お互いにその溝や距離を埋める努力をしたのか?性格など一致する筈がない。育った環境も違うのだから。
 今日は、有名人同士の結婚で、残念ながら離婚した「元夫婦」を取り上げたい。意外なカップルもあるかもしれない。

玉置浩二と薬師丸ひろ子(A型同士)

長渕剛と石野真子(A型同士)

吉田拓郎と浅田美代子(A型とB型)

渡瀬恒彦と大原麗子(AB型同士)

森進一と大原麗子(O型とAB型)

森進一と森昌子(O型とA型)

真田広之と手塚さとみ(理美)(A型とAB型)

松方弘樹と仁科明子(A型とAB型)

小林旭と美空ひばり(AB型とO型)

高倉健と江利チエミ(B型とA型)

沢田研二と伊藤エミ(A型と不明)

明石家さんまと大竹しのぶ(B型とA型)

桑名正博とアンルイス(A型同士)

松平健と大地真央(B型同士)

金山一彦と芳本美代子(O型とB型)

斉藤和巳とスザンヌ(AB型とO型)

保阪尚希と高岡早紀(A型同士)

高橋ジョージと三船美香(A型同士)

押尾学と矢田亜希子(A型とO型)

中村昌也と矢口真理(B型とA型)

神田正輝と松田聖子(A型同士)

前田宣輝と飯島直子(A型同士)

高岡蒼佑と宮崎あおい(B型とO型)

郷ひろみと二谷友里恵(A型とAB型)

IZAMと吉川ひなの(A型同士)

安室奈美恵とSAM(O型同士)

布袋寅泰と山下久美子(B型とO型)

大沢たかおと広瀬香美(A型同士)

中村獅童と竹内結子(O型とA型)

アントニオ猪木と倍賞美津子(AB型とB型)

吉岡秀隆と内田有紀(A型とO型)

永瀬正敏と小泉今日子(B型とO型)

西川哲と菊池桃子(A型とB型)

布川敏和と土屋かおり(B型とA型)

陣内智則と藤原紀香(O型とA型)

花田勝と花田美恵子(B型同士)

清原和博と清原亜希(B型とO型)

石田純一と松原千明(A型とAB型)

辻仁成と中山美穂(O型同士)

布施博と古村比呂(B型とO型)

大澄賢也と小柳ルミ子(A型同士)

石井浩郎と岡村孝子(O型同士)

萩原聖人と和久井映見(B型とA型)

大鶴義丹とマルシア(A型とO型)

井戸田潤と安達祐実(B型とA型)

ダルビッシュ有と紗栄子(A型とO型)

西川貴教と吉村由美(A型同士)

紀里谷和明と宇多田ヒカル(宇多田はA型)

三谷幸喜と小林聡美(A型とAB型)

遠藤章造と千秋(O型同士)

 思いつくだけでもこれだけいる。昔に比べれば芸能人に限らず離婚率は実社会でも高くなっている。現に私の周辺でも離婚してバツイチだと言っている人が複数いる。語弊があるかもしれないが、それだけ離婚が一般化し、市民権を得てしまっている。私からすると堪えしょうがなく、離職と同じで嫌になったら辞めてしまえばいいとか、ゲーム感覚でリセットすればオールクリアになるような感覚なのだと思う。しかし、そうした夫婦間のトラブルで、もっとも被害を受けるのはその子供たちだ。夫婦仲が悪く不和が原因で離婚を余儀なくされた場合、その子供の離婚率も高くなる傾向にある。
 例えばDVなどが原因で離婚というのなら、同情できるし、それもやむなしとは思うが、子供を不幸にするような対応だけは避けて欲しい。

 他にも複数回離婚しているのが芸能人の特徴だ。思いつくだけでも下の通り。

 郷ひろみ、松田聖子、膳場貴子、藤圭子、角川春樹、木村祐一、玉置浩二、六角精児、萩原健一、石田純一、掘ちえみ、佐藤B作、堺正章、山本美憂、松崎しげる、五月みどり、仲本工事、秋吉久美子。

 最後に、何度も夫婦間の危機があっても、離婚せずに持ちこたえている夫婦を列挙して結びとしたい。

 内田裕也と樹木希林(A型同士)
 
 ビートたけしとその妻(B型とA型)

 浜田雅功と小川菜摘(A型とO型)

 やはり夫の不貞というか浮気が原因となるケースが多いようだ。

 記事作成:平成27年11月~

2016年7月16日 (土)

郡山の魅力再発見!39 ~郡山ゆかりのキャスター~

 今日はかなり強引なこじつけかもしれないが、郡山にゆかりのある人物を取り上げたい。それは、3月28日から「NEWS ZERO」のキャスターを務めている「小正裕佳子」さんだ。聡明かつ才色兼備を彷彿させるその容姿は伊達ではなく、東京大学医学部卒の折り紙付き。毎晩、彼女のその美しさと知性溢れるニュース報道とコメントを聞いて癒されている。

 ではなぜこのテーマに合致するのかを説明したい。彼女の秀才ぶりが際立つ筈だ。まずは彼女の美貌がさく裂するグラフィティーからどうぞ!

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 小正裕佳子さんのプロフ

 1983年、兵庫県出身の33歳。血液型はA型。宝塚市立宝塚第一小学校、神戸女学院中学部・高等学部、東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同大学院医学系研究科修士課程修了後、2009年NHKに入局。

 2003年度のミス東大に選ばれ、同年、首都圏の大学のミスキャンパスの中からさらに「ミス」を選ぶ「ミスオブミスキャンパスクイーンコンテスト」でグランプリを受賞した(準グランプリは2003年ミスソフィア杉浦友紀(現NHKアナウンサー)。大学でサークルはバスケットボール部と弁論部に所属した。
 
 2007年 東京大学医学部健康科学・看護学科卒業、同大学院医学系研究科進学。
 2008年 ミス・インターナショナル日本代表選出大会、出場。
 2009年3月東京大学大学院医学系研究科修士課程修了

 2009年5月にNHK新潟放送局配属。
 NHK退職後は、東大大学院医学系研究科博士課程に籍を置く一方で福島県郡山市に居住し二本松市を拠点に、医療従事者として東日本大震災による福島第一原発事故の健康への影響について被災地域で調査や研究を行ない、健康面での避難者相談の支援活動にもあたった。
 福島県での放射線被爆実態調査や被災地支援の現場経験にもとづく防災への提言を、同県のみならず、大規模な震災(1964年/2004年/2007年)、水害(2004年)、火山災害(1974年)を経験し、原発では世界最大出力(福島第一原発の1.75倍)の柏崎刈羽原発がある新潟県でもメディアをはじめ行政や民間主催の場で発表している。

 2016年に芸能事務所セント・フォースと業務提携し、キャスターとして報道の立場で手腕を発揮している。その一方で、日本の疫学者(修士(保健学)、獨協医科大学特任講師も兼任するなど、多彩でマルチな才能を発揮している。

 実に輝かしい経歴。自分で選ばなくても、周囲がお膳立てをする凄さ。顔立ちは同じA型の元フジテレビの平井理央アナに似ている。

 さて、私が郡山の魅力再発見と銘打った意味が少しは理解いただけましたか?彼女は何の縁もゆかりもない福島県の郡山市に住み、震災後の放射線被害の調査研究を行い、専門家としての立場で被災者への支援だけにとどまらず、、国に助言等を行ってきたのだ。

 こういう優秀な人材がわが街にとどまり、その手腕を発揮してくれていることは感謝の念に堪えない。しかもあの美貌にして日本テレビの深夜のニュース報道番組で、時機をとらえて福島原発の状況を伝えてくれるのは、本当に心強い存在だ。
 今後の彼女の一挙手一投足から目が離せないと同時に、活躍をお祈りしたい。

 記事作成:7月10日(日)

2016年7月14日 (木)

衝撃の世界新記録達成の瞬間

 何のスポーツ競技であっても、世界一になることは至難の業だ。その頂点に立てるのは世界でたったひとりだからだ。まして世界新記録を樹立することなど、並大抵のことではなし得ないからだ。世界新記録を達成する瞬間。それは歴史を塗り替える瞬間でもある。今日はそんな歴史的な一ページに立ち会っていただきたい。

 200m平泳ぎ 

 岐阜国体競泳競技第1日にとびだした、高校生山口観弘による男子200m平泳ぎ世界新記録のワンシーン。主役は北島康介ではない。なんと国内で行われた国体で、しかも高校生が屋外プールで樹立したのだからこれは大殊勲だ。その達成の瞬間の観客の総立ちの大興奮をどうぞ!
 インタビューでは「正直狙っていたのは2分6秒台だった」とさらりと言ってのけるのは超大物の片りんをのぞかせる。

 2009年世界陸上男子100m 驚異のタイム

 ベルリン世界陸上の男子100m決勝でウサイン・ボルトが驚愕の世界新記録9"58で金メダルを獲得しました。黒褐色の筋肉が盛り上がる肉体がまるで弾丸のように疾走する。実況アナの興奮がすべてを物語っている。この映像は7年前のものだが、未だに破られていない。それもそのはず、この記録が樹立される前は、ボルト本人が出した7秒73だった。それを0秒15も縮めたのだから凄い。9秒6台を一気に超えて9秒5台に突入した。「人類は一体どこまで速くなるのか」という絶叫がすべてだ。

 池江璃花子 中学3年生が100mバタフライで日本新記録、世界ジュニア新で優勝

 今年のリオオリンピック代表に選ばれた天才高校1年生スイマー・池江璃花子選手が、中学生時代の僅か15歳にしてW杯東京大会にてジュニア世界新記録を打ち立てた。

 ダイナミックなフォームと、腕の両翼の角度や指先の角度が他の選手と全然違う。

  世界選手権フライングヒルで驚異の世界新記録250mの瞬間

 2015,2,15 ノルウェー・ビケルスン
スキージャンプ フライングヒルでペテル・プレヴツが250mの大ジャンプ。通常スキーのジャンプ競技と言えば、ラージヒルを思い浮かべる。昔でいう90m級ジャンプだ。そこでは130mも飛べばK点(これ以上飛ぶと危険)を超える大ジャンプとなるが、世界最大のノルディックスキーの種目がこのフライングだ。しかもラージヒルの平均的飛躍の約二倍もの距離を稼ぐのがこのフライングだ。その距離、実に250m。素人の私から見れば、飛ぶというより、100km/h前後のスピードで、生身の人間が崖から落ちていく印象。もちろん転べばただでは済まない。日々の鍛錬と精巧な技術が兼ね備わって初めて成功する世界だ。まさに超人(鳥人)と形容するに相応しい競技だ。

 王貞治、世界新記録の756号を放った瞬間

 昭和52年9月3日、後楽園球場でその瞬間は訪れた。この年、列島は巨人軍の王選手のホームラン記録一色となった。その前日も放送時間を延長して彼の打席を追いかけた。列島中が新記録への期待が注がれるプレッシャーの中、フランチャイズの後楽園のヤクルト戦で鈴木康二朗投手から放った一打はライナーでライトスタンドに吸い込まれた。大殊勲となるホームランに列島中が大フィーバーに包まれた。大ジャンプして祝福する張本勲選手の姿やセレモニーでは王選手のご両親が登場し、感謝を示すシーンも繰り広げられた。歴史に名を残すことを嫌い敬遠の四球に逃げた投手もいる中で、鈴木投手は真っ向勝負で立ち向かった。その姿勢も賞賛に値する。その証拠にこの年彼はチーム一の14勝(9敗)を挙げ、その翌年も13勝(3敗)を挙げる活躍を残した。

 2008年北京五輪100m平泳ぎ 世界新記録達成

 オリンピック2冠のプレッシャーとレザーレイサーという特殊素材の水着導入に翻弄されたこの年のオリンピック。従来型の水着で勝負し続けた北島康介は大スランプに陥っていた。Tシャツにプリントされた文字「泳ぐのは僕たちだ」という無言のアピールを打ち出した彼は、B型らしく反骨精神の塊であった。静かに闘志を燃やす彼は、本番でその力量をいかんなく発揮し、見事世界新記録となる58秒91で優勝したのだった。ゴール直前、強敵のオウエンやブレンダン・ハンセン選手を交わし、先頭でゴールタッチしたその姿は日本全国を感動の嵐に巻き込んだ。従来の世界記録59秒13を0秒22も短縮する快挙だった。両手を突き上げて喜びを爆発させる彼の姿がそれまでの苦労のすべてを物語っていた。

 記事作成:7月4日(月)~

2016年7月13日 (水)

相方を失った漫才コンビ

 時代は移り変われど、お笑いの世界は普遍的なものらしい。これまで幾度となく漫才ブームが沸き起こったかしれない。そして次々と新しいコンビやトリオが登場して来た。それは上方漫才を主流に、吉本芸人が幅を利かせている構図に違いはない。そんな漫才が隆盛し、様々なコンビがテレビで客の笑いを誘う中で、人気絶頂だったが、その後、相方が亡くなるというショッキングな出来事に見舞われた方たちがいる。今日は、コンビ愛で長年漫才やコントを続けながら、惜しまれつつこの世を去った芸人さんを取り上げたい。

 横山やすし(やすしきよし)

Yasukiyo 1966年6月1日にコンビ結成。コンビとしての初舞台は京都花月。1960年代の演芸ブームで世に出て人気者となる。その後1980年代に至るまでテレビ番組の司会などで活躍。1980年代初頭の漫才ブームでは東西のリーダー格として頂点に達していた。しかし1986年、きよしが国会議員(参議院)に当選。やすしは度重なる不祥事で活動機会が激減し、吉本興業の専属契約を解除されたことでコンビは解散。
 横山やすしはB型を絵に描いたような性格で、歯に衣を着せぬ問題発言で物議を醸したり、自由奔放すぎる行動でトラブルメーカーでもあった。息子の木村一八も暴力行為などで逮捕されるなど不祥事だらけであった。

 内海好江(内海桂子・好江)

Utsumi 1950年の14歳の時に内海桂子とコンビ結成。1961年には『文部省芸術祭奨励賞』を受賞し、1982年には『芸術選奨文部大臣賞』を受賞した。
 長くコンビを組むうちに桂子との間に軋轢が生まれ、デビュー以来ギャラ配分が4:6だったことがきっかけで解散騒ぎに発展。事務所などが間に入り解散は免れたものの、このことがきっかけで1人で仕事をしたいと思い至り、単独での番組出演をするようになる。その後、長期間にわたってコンビ仲が悪く舞台以外は口も聞かない状態が続いた。また、好江も桂子に対して「意地を張ったり反発したことはあったが、素直に心からの礼を言ったことがあっただろうか」と考え、芸術選奨文部大臣賞の受賞パーティーで桂子に対して初めて心からの礼を述べた。
 1997年10月6日、胃癌のため死去。満61歳没。

 鳳啓助(唄子・啓助)

Kyokokeisuke

 1956年に京唄子とコンビ「唄子・啓助」を結成。お馴染みの挨拶である「エーッ、鳳啓助でございます」や「ポテチン」、「あら、言いそこ間違いよ」、「君の事は忘れようにも思いだせない」などのギャグで人気を博した。後、鳳と結婚するが1965年に離婚。1994年8月8日、上顎洞癌のリンパ節転移により死去。71歳没。

 春日照代(春日三球・照代)

Kasugateruyo 1965年に三球と照代で『春日三球・照代』を組み直し、夫婦漫才コンビで出発した。 売れる前は三球がウクレレを、照代がギターを持ち、テーマソングの「線路は続くよどこまでも」を歌ってから音曲漫才を展開していたが、次第にボケを活かしたしゃべくりに徹するようになり、1970年代中頃には「地下鉄漫才」が大ブレークして全国区になった。「地下鉄の電車 はどこから入れたの? それを考えてると一晩中寝られないの」が名台詞。
 地下鉄ネタに続き、新幹線ネタや山手線ネタなどの鉄道ネタ、タクシーやエスカレーターといった乗り物全般に関するネタをシリーズ化して人気を維持した。
 1987年に照代が急死した。

 カンニング中島(カンニング)

Cunning

 中島忠幸。お笑いコンビ「カンニング」のツッコミ担当であった。お笑いのネタ中では相方の竹山隆範があまりにもキレるため、専らなだめ役となっていた。しかし、稀に竹山が暴走しすぎた時など、竹山以上の勢いでキレて竹山を黙らせていた。
急性リンパ性白血病で、35歳で死去。

 今いくよ(今いくよくるよ)

Ikuyokuruyo_2 1970年、OLを辞め、島田洋介・今喜多代に弟子入り。、1980年になってようやく「花王名人劇場」に出演するチャンスを得たものの、吉本興業から「これでウケなかったら最後」と通告されていた。リハーサルやネタ見せの段階では全く受けなかったが、本番になってくるよがお腹を叩いたところこれが受け、2人の漫才はカットされずに全国放送された。翌日よりテレビ、ラジオその他からの出演依頼が殺到。苦難の末、ようやく本格女流漫才師として日の目を見ることとなった。その後1984年には上方漫才大賞を受賞している。
 しかし、今いくよが胃がんの治療に専念するため2014年9月17日より休業、12月3日に舞台復帰したが2015年5月28日に逝去した。67歳没。

 外見のイメージから、いくよがツッコミ、くるよがボケのような印象を持たれがちだが、実際の漫才では逆でいくよがボケ、くるよがツッコミである。

1981年 上方お笑い大賞 金賞
1982年 花王名人大賞 最優秀新人賞
1982年 上方漫才大賞 奨励賞
1984年 上方漫才大賞 大賞
1984年 咲くやこの花賞 大衆芸能部門 漫才
1986年 上方お笑い大賞 大賞
1987年 花王名人大賞 名人賞
1988年 花王名人大賞 大賞

 松本竜助(紳助・竜助)

Shinsukeryusuke 1970年代後半から1980 年代前半にかけて活動した、吉本興業に所属していたお笑いコンビ。略称「紳助・竜介」( しんすけ・りゅうすけ)、「紳竜」(しんりゅう)。当時の漫才ではスタンダードとされた背広のスタイルを廃して、リーゼントヘアにつなぎ作業着という不良スタイルの「ツッパリ漫才」で、漫才ブームを牽引するコンビとなる。
 松本はツッコミ、合いの手担当。元々は花月劇場の進行役。解散後は事業家へ転向したものの借金を抱え、自己破産を申し立てた。2006年4月1日に脳幹出血の為、49歳という若さで逝去。

 レオナルド熊(コントレオナルド)

Reonardo Reonardo2

 1979年に結成され、 1985年に解散、石倉三郎とレオナルド熊のコンビ。泥臭い毒舌キャラとおとぼけ路線で、ナンセンスなやり取りで笑いを得るという芸風は「チャーリーカンパニー」が彼らの手法を引き継いでいる。不条理コントを基本に、社会・時事問題の深層を抉る切れ味があった。締めは、(熊)「いつもニコニコ現金払い」(石倉)「違う!」。

 基本的にレオナルド熊は見るからにO型で、同じビートたけしや綾小路きみまろとタイプがダブる。
 1994年10月に末期の膀胱癌と診断され、ホープ、マギー司郎らの『田端グループ』によって「ガン祝いの会」を開かれた。2ヶ月後の12月11日、家族と焼肉を外食した直後に容体が急変し、搬送先の国立第二病院で死亡が確認された。59歳没。

 亀山房代(里見まさと・亀山房代)

Masatofusayo

 1989年、元ザ・ぼんちの里見まさと(ツッコミ)と亀山房代(ボケ)によって結成。亀山は 元々ピン芸人であったため、まさとから漫才のいろはを教わった。

 2009年11月10日、自宅で劇症型心筋炎を発症し意識不明となり、同月23日に心室細動のため神奈川県内の病院で死去した。42歳没。

 両者ともに亡くなった芸人

 星セント・ルイス

Sentluice

 「田園調布に家が建つ」-などのギャグで、80年代の漫才ブーム時に一世を風靡(ふうび)した漫才コンビ。1971年結成、2003年解散。。2004年にはセントが、2005年にはルイスが相次いで他界。ともに死因は肺癌であった。 セントが他界した際、ルイスは「俺を置いて逝くなんて、大馬鹿者だよ」と発言したが、その8か月後には同じ病で亡くなることになった。

 亡くなったメンバーがいるお笑いグループ

 ハナ肇とクレージーキャッツ・・・昭和を代表するお笑い芸人グループ

Crazycats

 故人・・・ハナ肇、谷啓、植木等、桜井センリ、安田伸
存命・・・犬塚弘

 ザ・ドリフターズ・・・「8時だヨ!全員集合」「ドリフの大爆笑」

Drifters

 いかりや長介・・・「ドリフ」のリーダー。愛称は「長さん」。「ダメだこりゃ」が決め台詞。その後は俳優、タレントとして活躍。先に挙げた2番組での「お笑い」のイメージとは一線を画した、味わい深く「渋い」演技を見せた。

 2003年5月末、「原発不明頚部リンパ節がん」により緊急入院。闘病生活を経て、同年7月17日に一旦退院する。2004年3月15日、がんの転移により東京都港区の東京慈恵会医科大学附属病院に再入院したが、同年3月20日、死去。満72歳没(享年74)。

 チャンバラトリオ

 時代劇風のチャンバラを主題とした、体を張ったネタを 披露した。 結成時は3人組だったためトリオを名前に使用したが、4人組だった時期や 活動を続ける生存メンバーが2人となって以降も一貫して名前は変更されていない。
 2015年5月12日、リーダーの山根伸介が京都・祇園花月の舞台で会見を行い、52年続いたグループの解散を発表した。

Chanbara

 山根伸介・・・リーダー。2015年5月12日のグループ解散発表の際に、みずからが肝臓癌を患っていたことを公表した。同年11月14日、肝臓癌のため死去。78歳没。

 南方英二・・・2010年2月26日午後8時33分、肝硬変のため大阪府内の病院で死去。77歳没。

 前田竹千代・・・2008年11月9日9時22分、胃癌のため入院していた大阪市内の病院で死去。55歳没。

 レッツゴー三匹

 ルーキー新一率いる「ルーキー爆笑劇団」の座員だった正児、じゅん、一修が、同劇団の活動停止に伴い旗揚げした昭和後期から平成初期に活動 し、それ以降は永らく休止状態にある。

Lets_go_2

 レツゴー じゅん・・・2014年5月8日午後5時29分、脳出血により大阪市内の病院で死去。68歳没。

 ビジー・フォー 

 1978年に結成されたコミックバンド。コミックソング・ものまね・アメリカナイズされたコントなどを得意とする。メンバーは、リーダーの島田与作(異名:イタッケ島田、ベース)、グッチ裕三(ボーカル)、スリム冬樹(現モト冬樹、ギター)、ウガンダ(ウガンダ・トラ、ドラム)の四人。
 当時のネタとしては、歌謡曲やらオールディーズの替え歌で「ウガンダ=デブ、モト冬樹=ハゲ、島田与作=若作り」を歌に交えて、イジって笑いを取っていた。歌(コーラス)・演奏がうまいコミックバンドとして人気を得るが、メンバーの方向性の違いなどを理由に1984年頃解散、島田は引退し、ウガンダはピン芸人となる。

Busy_four

 ウガンダトラ・・・2008年に入ると体調不良が顕著になり、死期を悟ったのか一方的に離婚して店も畳んだ。Vシネマのロケ先に向かう同年5月10日の朝、「足元がふらつく」と訴えて緊急入院し、復帰叶わず5月31日に死去、55歳没。永年の鯨飲馬食による肝臓病、糖尿病、心臓病、脳梗塞などの悪化が懸念されていたが、解剖の結果、死因は急性呼吸不全だったと6月2日に発表されている。

 参考記事:Wikipedia、NAVER

 記事作成:6月30日(木)

2016年7月11日 (月)

郡山の魅力再発見!38 ~郡山の建造物高さ比べ~

 郡山に足掛け46年も住んでいると、いろいろな知識が植え付けられ、物知りになる。このテーマ記事も今回で  回を迎え、そろそろ飽きて来た頃だと思いますが、もう少しお付き合いください。しかるに、今回のトピックは、郡山に多種多様にある建造物の中で、高さを比較しようという浅はかな発想から生まれた記事となる。以前、鉄塔については記事にしたため、それを除き、商業複合施設や公共施設のビルとマンションなどに大別してお送りしたいと思います。

 <商業複合ビル・公共施設の高層ビル編>

 第1位 ビッグアイ 24階建て 高さ132.6m 2001年3月竣工

 商業テナントが入るMOLTI(1~5階)と市民プラザ(6~7階)、定時制高校の郡山萌世高校(8階~14階)、オフィスフロア(15~19階)が入る複合型高層ビル。
 20階から最上部までは「ふれあい科学館」で、大きな球体のプラネタリュウムが聳え、「スペースパーク」という宇宙を体感できるアトラクションがある。また、展望室も兼ねた最上階には、巨大ジオラマと鉄道模型が走る展示もある。
 「ビッグアイ」という愛称も市民からの公募で採用された。市内のどこからも見えるラウンドマークとしての役割がある。また、このビルの竣工に合わせ、長年懸案だった郡山駅前の西口広場の整備やバスとタクシープールの改築も完工した。
 ここは福島県内で最も高いビルとなっている。

 第2位 フロンティアタワー郡山 24階建て 高さ94.994m 2010年竣工

 救急指定病院の「寿泉堂病院」と上部がマンションという珍しい形態の病院型複合施設。真夜中でも救急車が乗り付けるため、住民は安眠を妨げられるのではという不安がよぎる。地下1階~地上11階が「寿泉堂綜合病院」、12~24階が分譲マンション「シティタワー郡山」(78戸)。

 第3位 ダイワロイネットホテル郡山(建設中)

 大和ハウスが郡山駅西口の旧丸井跡地に建設中の複合施設併用の都市型高層ホテル。1階から3階までは金融機関や衣料品販売店などのテナントが入居、4階から13階までをビジネスホテル「ダイワロイネットホテル」として客室は200室ほどの規模となる。

 第3位 ビューホテルアネックス 13階建て 駅前大通り 総部屋数157室

 
 第4位 うすい百貨店 11階建て 高さ54.17m 

 1999年(平成11年)11月3日に現店舗へ移転し、従来の約2倍の31,000m²で東北最大級の売り場面積を持つ都市型百貨店を開業した。しかし、過大投資により業績が低迷したため、2003年(平成15年)8月にメインバンクの秋田銀行からの申請で産業再生機構による支援が決定され、再生計画が実行されることになった。

 第5位 Ati郡山 2001年(平成13年)5月25日開店

 JR郡山駅西口近くにあるファッションビルで、複合商業施設。 かつて、西友郡山西武店(郡山西武)が出店していたビルを、閉店後に所有者の 東邦精麦(現:TOHOピクス)がファッションビルとしてオープンさせた。1階には「ヨドバシカメラ」が移転して入店した。アティ開業時には、郡山駅西口駅前広場側には大型ビジョンが設置され、福島県初進出となるタワーレコードやABCマート、スターバックスコーヒーが誘致された。

 <高層マンション>

 第1位 D'グラフォート ザ・タワー郡山 27階建て 高さ92.34m 2008年3月竣工

 郡山駅西口の北側にで~んと聳え立つ超高層マンション。総戸数は102戸もある。このようなマンションでは、高所恐怖症でなくともベランダに建つことさえ怖い。小さいお子さんがいれば下をのぞき込んでそのまま転落死の危険性大。また、上部は風が相当強いと想像できるので、洗濯物をベランダに干そうものなら、強風で遠くまで飛ばされそうだ。

 第2位 D'グラフォート サウスマークタワー 17階建て 高さ56m 2007年3月竣工

 郡山市本町1丁目に建つ、96戸もの超高層巨大マンション。東北本線の線路沿いに聳え立つ。賃貸マンションだが、3LDKで家賃が15万円台という高級マンション。Dはダイワハウスが施主のため。

 第2位 パサージュ猪苗代レイクサイド 17階建て投資型マンション 255戸

 第4位 サーパス鶴見坦 15階建て 74戸 穴吹工務店
 第4位 グランフォセット郡山ステーションフロント 15階建て56戸 大町 金田建設
 第4位 ポレスター郡山パークサイド 15階建て 堤下70戸 

 第7位 サンロードステーション郡山Ⅰ 14階建て 78戸 

 太陽観光開発が松村組に受注して建設した売りマンションで、3LDKで中古価格が1,200万円。コンシェルジュ付のハイグレードマンション! オール電化だ。

 第7位 サーパス咲田 14階建て 69戸 穴吹工務店
 第7位 ファミール郡山開成山公園 14階建て 65戸 丸紅
 第7位 ネオグランデ池ノ台 14階建て 46戸 ダイワハウス
 第7位 チサンマンション桃見台 14階建て 91戸 西松建設
 第7位 ライオンズガーデン郡山 昭和一丁目 14階建て 195戸 大京
 第7位 サーパス神明町 14階建て 80戸 穴吹工務店
 第7位 ネオハイツ西ノ内 14階建て 49戸
 第7位 レジーア並木 並木3丁目 65戸

第16位 朝日プラザ郡山セントラルステージ 13階建て 106戸 朝日住建
第16位 ウィスペリア郡山 13階建て 46戸 向河原町 植木不動産
第16位 レーベンヴィラ郡山若葉町 13階建て 49戸 タカラレーベン
第16位 ライオンズマンション清水台 13階建て 113戸 大京
第16位 ライオンズマンション清水台第2 13階建て 108戸 大京
第16位 エクレール郡山壱番館 13階建て 223戸 ホリウチコーポレーション
第16位 エクレール郡山弐番館 13階建て 223戸 ホリウチコーポレーション
第16位 サンデュエル長者 13階建て 76戸 金田建設
第16位 アーバンスクエア郡山 本町 13階建て 全室シングルルーム(マンスリー)
第16位 サンシティ郡山セントラルステージ 方八町13階建て 72戸 
第16位 レールシティ桃見台 13階建て 64戸 三井建設
第16位 ヴェルビュ鶴見坦 13階建て 67戸 大和団地
第16位 ネオハイツ郡山南 13階建て 山根町 78戸

 郡山市は今、空前のマンションラッシュで、美術館通りには15階建ての高層マンションが建設される計画がある。しかし、都市部建設の良いマンションの条件は14階までと言われる。建設基準法の制限があり、耐震性や採光などを配慮すれば、限度があるからだ。また15階以上になると、戸数を稼ぐために天井高が低くなるという短所も。
 しかし、実際問題として、私が暮らす八山田界隈には、アパートが多数あるし、そんなにマンションを建てて、住む人が本当にいるのだろうか?浜通りから避難して来た方々の需要があるのだろうか?それとも投資目的で首都圏在住の方が買い上げるのか?あるいは東京方面で退職した方々が、余生を田舎暮らしに憧れて、セカンドハウス目的などで買うのだろうか?

 

 記事作成:6月29日(水)~

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