個性派&コミック系バンド
かつて「ヤマハ音楽振興会」主催の音楽イベント「ポプコン」が行われていた。そこで大賞を受賞した曲やバンドは、その後、世界歌謡祭に出場し、グランプリを獲得すれば、メジャーデビューが約束され、決まっていいほど大ヒットに結びついていた。代表的な人に、中島みゆき、世良公則とツイスト、クリスタルキング、円広志などがいた。中にはユニークな個性派バンドも数多く登場した。
まだ「コスプレ」が市民権を得る前の1980年頃、世の中はアイドル全盛期を迎えていた。そんな中、派手な出で立ちでコミカルな楽風で魅了したバンドがあった。今日はそれをテーマにしたい。
TOM★CAT
1978年に東京造形大学で結成されたバンド「FUNKY NOISE」を前身とする。その後、「NOISE MAKER」を経て1984年に「TOMCAT」を結成。同年10月、第28回 ポピュラーソングコンテストに出場して「ふられ気分でRock'n' Roll」でグランプリを受賞。同年11月、第15回世界歌謡祭グランプリ受賞曲でもある同曲でデビュー。顔からはみだす大きなサングラスと宇宙服を思い起こさせるようなビニール地のコスプレが特徴だった。彼女自身はとても小柄で、小学生を髣髴させる外見ながら、キーボードを叩きながら歌い、しかも早口でまくしたてる歌詞で息継ぎもなく一気に歌い上げていた。
アラジン
名古屋商科大学フォークソング同好会のメンバーを中心に結成された。1981年、『第12回 世界歌謡祭』グランプリを獲得した「完全無欠のロックンローラー」でヒットを飛ばしたが、あとはヒット曲に恵まれず、2年ほど活動したのち1983年に解散。後に「一発屋」と呼ばれるバンドである。
彼らもまた世界歌謡祭グランプリ受賞バンド。多人数バンド。ヴォーカルでリーダー高原は、バリバリリーゼントにきんきらきんのド派手衣裳に身を包み、コミカルな振り付けとフィフティーズ時代を彷彿させるコスプレで踊りも決めていた。元祖コミカルバンドのような登場ぶりだった。
たま
1984年に3人で結成され、1986年に4人となり、1990年にメジャーデビューして「たま現象」とも言われるほど話題になった。1996年から再び3人になり、2003年に解散した。フォークロックを基調とした独特の音楽で異彩を放った。
1990年にリリースされた「さよなら人類」では、独特なリズム回しと山下清ばりのランニングシャツで歌うスタイルは評判を呼び、その個性的すぎる楽曲で第32回日本レコード大賞・最優秀ロック・新人賞を総なめにした。
聖飢魔II
1982年(魔暦紀元前16年)12月末に結成。1983年(魔暦紀元前15年)3月23日に初黒ミサ(コンサート)を行う。1985年(魔暦紀元前13年)に大教典(アルバム)『聖飢魔II〜悪魔が来たりてヘヴィメタる』で地球デビューし、翌年に発売した小教典(シングル)「蝋人形の館」の大ヒットで一躍有名になる。デビュー時の公約では1999年(魔暦元年)7月で活動を終えるはずだったが、事情を知らない侍従(マネージャー)がその後の予定を入れてしまったために解散を延期。1999年12月31日23時59分59秒、「地球征服を完了した」として解散し、光の中に消えていった。
デビュー当初は、バンドのコンセプトに沿った奇異な外見や、デーモン小暮閣下らによる独特のパフォーマンスで世間の話題を集めた。赤色や金色に染めて逆立てたヘアスタイル・歌舞伎の隈取り風の顔の模様(本魔たちによれば、それが素顔であり、メイクではない)や、文字通り悪魔的な世界観に則った歌詞、ヘヴィでラウドな演奏などである。音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」であると主張している。目的は地球征服を完遂して解散すること。各構成員は地獄から来た悪魔だとしている。
デビュー当時は「KISS」の二番煎じかと思ったほど、派手な化粧とハードロック調やヘビメタの路線で、他のバンドと一線を画した。
米米CLUB
文化学院のサークル仲間だった石井竜也、小野田安秀、大久保謙作らにより、卒業後の1982年秋に結成。アマチュア時代から積極的にメディア出演を繰り返し、1985年にレコードデビュー。主な代表曲は「浪漫飛行」、「君がいるだけで」。
正式メンバーであるダンサーチーム「SUE CREAM SUE(シュークリームシュ)」の他に、サウンド的に必要不可欠であるインストバンド「BIG HORNS BEE」を筆頭にサポートメンバーを多く抱える大所帯バンドである。石井の手掛ける本格的な舞台美術やコンサートでの寸劇、映像製作などを特徴としていた。
石井の監督作品映画『ACRI』の興行失敗などが影響しバンドの維持が困難になり1997年に解散。
彼らをコミックバンドと評するのは、ファンの怒りを買うし、失礼な話だと思うが、ファンクミュージックをベースとした楽曲や演奏技術、メンバーの音楽センスは、高く評価する声もあったが、奇抜な衣装やメイク、コントのようなMCやキャラクター重視で寸劇混じりの演出などにより、デビュー当初は“イロモノ”として扱われることが多かった。当時、同じソニー系列のレコード会社に所属していた聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「ソニー三大色物バンド」と呼ばれていたこともあった。
ビジー・フォー
こちらはコミックバンドの典型だが、ものまね主体のコンセプトで1980年から今日まで、ものまね番組には欠かせない存在となった。結成時は4人組だったが、リーダーだったウガンダ・トラが他界。以降はグッチ裕三とモト・冬樹の2人組ユニットとして活動継続し、お茶の間の人気を得た。特に、洋楽を完全コピーしたグッチの歌の上手さと、もはや芸人化したモトとの絶妙なやりとりが好評を博し、ひっぱりだこになった。
ゴールデンボンバー
ヴィジュアル系エアーバンド、パフォーマンス集団。メディアでの略称は金爆(きんばく)。2004年にボーカル鬼龍院翔とギター喜矢武豊を中心に結成。エアーバンドという形式を採っているため基本的にボーカル以外のメンバーは「当て振り」であり、ライブではメンバーによるコントや楽曲に合わせた個性的な振り付けなど様々なパフォーマンスを行っている。キャッチコピーは「笑撃のライブパフォーマンスと、奇才・鬼龍院翔の創り出すクオリティーの高い楽曲で注目の究極のエアーバンド」。
2009年10月、7枚目のシングル「女々しくて」がCMソングに起用され、大ヒット。その独特なコスプレが話題を呼び一気にブームに乗り、紅白歌合戦にも出場した。
こうして見ると、現代では「ヴィジュアル系」と呼ばれているが、1980年代は「変った奴ら」くらいにしかなかった。竹の子族が原宿を席巻していた時代頃から、こうした個性派揃いのバンドやコスプレをコンセプトにしたユニットが世に登場してきた印象が強い。
今後はどんな個性派バンドが登場するのか、1990年代を彩った「イカ天」バンド世代が親となり、その子供たちが必ずや影響を受け、再ブームが起きるのは間違いないとみている。それは80年代のアイドルブームの影響で、モー娘。やAKBなどの多人数アイドルユニットが再燃したのと同じだ。どうやらミュージックシーンは、ファッションと同じで時代回帰を繰り返すものらしい。
記事作成:7月18日(月)
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