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2016年8月22日 (月)

福島県が生んだ著名人ベスト10

 今日は手前味噌かもしれないが、我が福島県を代表する著名な偉人を紹介したい。しかも私が独断と偏見で選んだ傑出した人物を10人選出し、勝手に順位付けしてしまうという企画。結構我が福島県にも、社会に多大な影響を与えた素晴らしい功績を挙げた方々が大勢いることがわかる。では早速10人紹介したいと思う。

 1位 円谷英二

 須賀川市出身。ゴジラやウルトラマンを世に生み出し、日本の特撮 怪獣映画の基礎を作った人物。 人呼んで「特撮の神様」である。 昭和における特殊撮影 技術の第一人者。今でこそ映画製作の現場では当たり前になった手法や技術を初めて 導入した編集者でもあり、発明家でもあった。  

 2位 野口英世

、日本の細菌学者。福島県出身。 猪苗代高等小学校卒業、済生学舎修了後、ペンシルベニア大学医学部を経て、ロックフェラー医学研究所研究員。細菌学の研究に主に従事し、黄熱病や梅毒等の研究で知られる。現在は千円札の肖像画になっており、日本の偉人ベスト10に入るほどの偉人である。

 3位 古関裕而

 福島に住みながら仙台に通い、金須嘉之進に師事して、1929年、チェスター楽譜出版社募集の作曲コンクールに入選、日本人として初めて国際的コンクールの入選履歴を得た作曲家である。多数の軍歌、歌謡曲、早稲田大学第一応援歌「紺碧の空」、慶應義塾大学応援歌「我ぞ覇者」、東京農業大学応援歌「カレッジソング」、中央大学応援歌「あゝ中央の若き日に」、 全国高等学校野球選手権大会の大会歌「栄冠は君に輝く」、阪神タイガースの応援歌大阪(阪神)タイガースの歌(「六甲颪」)、読売ジャイアンツの応援歌「巨人軍の歌(闘魂こめて)」、東京五輪のオリンピックマーチ、NHKスポーツ中継テーマ「スポーツショー行進曲」など、実に数多くの応援歌、行進曲の作曲を手がけ、和製スーザと呼ばれた。1969年(昭和44年)、紫綬褒章受章、1979年(昭和54年)、勲三等瑞宝章を受章。

 「栄冠は君に輝く」 https://www.youtube.com/watch?v=A3pd2U_6Fxk

 4位 円谷幸吉

 昭和15年5月13日生まれ。陸上競技長距離走選手。須賀川高校卒業後自衛隊に入隊,同体育学校で長距離選手としての才能を開花させる。1963年のニュージーランド遠征で2万mと1時間走に世界新記録を樹立し,その後マラソンに進出。自衛隊にはいり,昭和39年東京五輪では1万m6位,マラソンで銅メダルにかがやく。次回のメキシコ五輪での金メダルを期待されたが,昭和43年1月9日自殺した。

 5位 市川昭介

 1933年(昭和8年)1月4日 - 2006年(平成18年)9月26日
  福島県郡山市出身。福島県立郡山工業高等学校卒。昭和26年)歌手・高倉敏(びん)氏を慕い 上京。 歌手・鶴田六郎氏、作詞家・藤間哲郎氏等の「カバン持ち」を10年間続けながら、独学で作曲法・ピアノを勉強する。
 昭和36年~昭和46年 日本コロムビア専属
 昭和47年~昭和49年 クラウンレコード専属
以後フリーとなり3,000曲以上の作品を世に送り出した。平成18年没。享年73歳。

 都はるみの楽曲を主に担当し、アンコ椿は恋の花、涙の連絡船、大阪しぐれ、さざんかの宿が代表作。

 6位 柏原竜二

 箱根駅伝で往路五区の山登りを4年連続で担当し、東洋大学の4連覇に貢献した立役者。当時の5区の記録を3回も塗り替え、「山の神」と呼ばれた。

 7位以下は埋め込み動画を割愛させていただきます。

 7位 猪俣公章

 河沼郡会津坂下町出身。開成 高校、日本大学芸術学部音楽科を経て、古賀政男に師事。 森進一のデビュー作にして 大ヒットとなった『女のためいき』(1966年)を作曲、その後も森に『港町ブルース』、『おふくろさん』、『冬の旅』などの大ヒット曲を提供する。他にもテレサ・テンに『空港』、藤圭子に『京都から博多まで』や『女のブルース』、水原弘に『君こそわが命』、五木ひろしに『千曲川』など、数多くのヒット曲を提供し成功を収めた。

 8位 西田敏行

 郡山市出身。オフィスコバック所属。明治大学付属中野高等学校卒業、明治 大学農学部中退。身長166cm、体重80kg超。主演の映画『釣りバカ日誌』は1988年(昭和63年)から2009年(平成21年)まで22作続いた代表作。

 9位 春日八郎

 河沼郡会津坂下町塔寺出身の演歌歌手。『赤いランプの 終列車』『お富さん』『別れの一本杉』などが有名である。

10位 加藤 茶

 1943年、東京都世田谷区生まれ。5歳の夏の1カ月間だけ、母親の実家・愛媛県新居浜市に住む。父親が癌を患ったため、母親、妹と共に父親の郷里・福島県福島市に転居し、高校卒業まで福島で育った。実父も元バンドマンである。学校法人松韻学園福島高等学校卒業後、1961年叔母を頼って上京。1962年、碇矢長一(後のいかりや長介)と同時期に、「桜井輝夫とザ・ドリフターズ」にメンバー入りした。「加トちゃんぺ」のギャグが受け、一躍人気者になる。『全員集合』で毎週たった一度だけ「タブー」の曲に合わせて踊る「ちょっとだけよ」は大ブレイクした。

 次点 斎藤清

 河沼郡会津坂下町生まれ。 独学で独自の木版画技法を確立。浮世絵版画の技法や 西洋作家の近代的造形を取り入れ、日本的感情を表現した。安井曽太郎の木版に魅せられ、版画を研究した。版画の他に油彩や水墨画も数点残している。
1981年 勲四等瑞宝章
1995年 文化功労者。

 さて、我が福島県には全国、あるいは世界に誇れる有名人が数多くいるということだ。もちろん他にも大勢の方々がいるが、私が個人的に選出したい有名人は上記に方々ということになる、大多数は故人になるが、今もご健在で活躍されている方も多くいる。こうした功績を世に知らしめたい一心で今回の記事を認めてみた。

 記事作成:8月15日(月)

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