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2016年9月

2016年9月30日 (金)

2016年9月期のCMベスト5

 昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、今年からは毎月末に傑作CMを紹介しています。今回もこの9月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。
 
 1位 ホクトプレミアム

 遠藤憲一さんが出演するシイタケのCMだが、松茸狩りのテレビ取材班が、松茸狩りの名人が特殊な方法で松茸をゲットするという噂を聞きつけて撮影にやってきた。そのやり方とは、評判のシイタケの写真が入ったパッケージを森の中で土に向かって見せると、慌てた松茸が土の中から飛び出してくるというもの。さらに、松茸に「ホクトプレミアム」と叫ぶだけで続々と土の中から現れる。素っ頓狂なエンケンさんの表情が傑作だ。

 2位  恋するレオパレス21

 女優の広瀬すずが、CMキャラクターを務めている「レオパレス21」の新CMが6日、公開された。新CMで、元バスケ部の広瀬さんがシュートを華麗に決めるシーンが収められている。広瀬さん演じる主人公が先輩に片思いをする姿が描かれ、広瀬さんは先輩の家に遊びに行く時のドキドキする表情や、先輩に恋心を抱く10代の女子の可愛らしいしぐさなど、さまざまな演技も見せている。CMは9月9日から放送。
 新CMは、広瀬さん演じる高校3年生のすずが、片思い中の先輩が引っ越したと聞き、彼女ができたのではないかとヤキモキ。古泉葵さん演じる親友の葵と、先輩の家に向かう姿を描く「恋するレオパレス 始まり」編と、続編となる「恋するレオパレス 再会」編がある。

 3位 クラッシュリーバー

 高橋ひかるが主演するCM 「帰り道の期待感篇」「渡り廊下の期待感篇」。どちらも思わせぶりな態度が男に勘違いさせる。この期待感が堪らなくいい。

 高橋ひかる

生年月日    2001年9月22日  年齢 14歳
出身地     滋賀県
血液型     O型
出典:オスカープロモーション
身長 160cm
スリーサイズ B70/W57/H84

 4位 ミュゼプラチナムCM 池田イライザ 

 ミュゼプラチナムに行くことで、もっと自分に自信を持って、女性であることを思いっきり楽しんでほしい。そんなミュゼの願いを「ENJOY, GIRLS!」という新スローガンに込めました。
 CMでは、「鏡の世界」を設定。たくさんの鏡が並ぶ部屋で、自分と向き合い、ありのままの自分を楽しむ様子を、池田エライザさんに感情豊かに表現していただきました。
 キラめく素肌でリアルな笑顔を見せるエライザさんの姿を通して、自分を好きになる喜びや前向きな気持ちを、すべての女性へ届けます。

 5位 高畑充希の「かんぽ生命」&キャンバス

 

 NHKの「とと姉ちゃん」で国民的女優となった高畑充希。映画やCMにも引っ張りだこだ。ベビーフェイスがウケているのだと思う。彼女も今、広瀬すず、土屋太凰と並び、CM女王候補だ。

 他にも露出度が高いのは、ビートたけし、劇団ひとり、澤部佑が出演している「ワンダモーニングショット」や広瀬すず、土屋太凰、松井愛莉が真っ赤な服装で出演している「ロッテ・ガーナチョコレート」などだ。

 とかく避けられるCMだが、ここに着目していろいろな視点で見れば結構新しい発見や面白さが沸きあがってくる。ぜひそんな気持ちでご覧いただきたいと思う。

2016年9月23日 (金)

美しきアスリートたち第六弾

 10ヶ月ぶりにこのシリーズ記事を書くこととなった。それは今年がオリンピックなどスポーツイヤーで、美人女性アスリートたちのテレビへの露出度が高かった。近年のスポーツ界は、ビジュアル系にも、目を惹くような美しすぎる人が多く、「えっ、こんな綺麗な人がこのスポーツをやるの?」と驚かされることがある。特に、女子プロゴルフ界は美人が豊作だ。
 では、私が美人アスリートだと思う方々を5人紹介したい。

 森 美穂(女子プロゴルフ)

 1992年12月19日生まれの23歳。三重県出身。福井工大附属高校卒。京セラ所属。
 身長157cm、体重50kg。血液型はA。趣味は釣り。

 2005年、12歳で中部ジュニア(12歳~14歳の部)で優勝し、その後は同大会を3連覇。07年には14歳で国内女子ツアー「フジサンケイレディスクラシック」に出場。予選落ちとなったが、この頃から注目を浴びる選手となる。07年、08年、10年ナショナルメンバーに加わり、09年には「日本女子オープン」で23位タイに入る活躍を見せた。2011年にアマ資格を放棄してプロ宣言した。15年7月に5度目の挑戦でプロテストに合格した。

 出口クリスタ(柔道)

  1995年10月29日生まれの20歳、長野県塩尻市出身。階級は57kg級。身長160cm。血液型はO型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は大内刈。父親がカナダ出身のハーフ。

 野瀬 瞳(競泳)

 1988年12月17日生まれの27歳。競泳選手。専門は平泳ぎ。 スポーツクラブフェニックス(大野城スイミングクラブ部門)所属。

  •  2009年、北九州市の九州共立大学経済学部に入学。直後の日本選手権では50mでは優勝(日本新記録)、100mでは2位、200mでは3位となり、世界水泳ローマ大会の出場切符を手に入れた。
  •  馬淵優佳(飛び込み)

    https://www.youtube.com/watch?v=nwIYGZyVghE

     1995年2月5日生まれの21歳。飛込競技選手(JSS宝塚所属)。 兵庫県宝塚市出身。 両親は中国出身。父は寺内健を育てた馬淵崇英。身長163cm
     3歳で水泳を、6歳から飛込競技を始めた。
     2012年、インターハイの板飛び込みで3連覇を果たす。
     立命館大学スポーツ健康科学部4回生。

     藤田光里(プロゴルファー)

     1994年9月26日生まれの21歳。身長165cm、体重56kg、血液型はO型
     飛鳥未来高校卒業。レオパレスリゾート・グアム所属。趣味は音楽鑑賞とショッピング。

     グアム島にあるレオパレス21所有の施設レオパレスリゾート・グアムを練習の場としている。2015年1月からはレオパレスリゾート・グアムに所属先を変更したが、レオパレス21が所有する、ゴルフ場、ホテル、コンドミニアム、スポーツ施設を持つ、総合リゾート施設であり、練習の場としても最高の環境である。実妹(藤田美里)もゴルフ経験があり、ファッションモデルとして活動していて姉の試合にはキャディーを務める時もある。
     2015年4月のフジサンケイレディスクラシックでは最終日最終組で回り、6人が通算6アンダーで並ぶという混戦の中、最終18番ホールでのグリーンエッジからの第3打をパターで打ち、バーディーを獲って通算7アンダーとしてツアー初優勝を果たした。

     美人の妹「美里」はコチラ

     さて、今回も懲りもせずにこのテーマで記事を書いたが、最近日本では、男性アスリートよりも女性アスリートが国際大会で好成績を挙げるケースが多い。それだけ注目度も増すのだが、それが美人という付加価値が付くと大注目で、その競技自体が脚光を浴びることとなる。今年のリオ五輪でも、競泳の池江選手や新体操の畠山選手のように、美人というだけで話題を独占してしまう。かつてもバドミントンの潮田玲子やシンクロの青木愛、体操の田中理恵、ビーチバレーも浅尾美和などが注目された。どうやら美人は徳らしい。

     記事作成:9月18日(日)

    2016年9月22日 (木)

    この店にはこの名物BGM!

     わが街・郡山は仙台に次ぐ東北第二の都市で、人口約32万人。「中核都市」の指定を受け、商業と工業、経済が融合し、「経済県都」として君臨している。震災以降、県外へ緊急避難した人々や毎年3~4月の自然現象で人口減になったが、それ以降は回復傾向にある。
     交通網の発達がめざましく、高層交通ネットワークが完備し、南北に東北新幹線が走り、4つの在来線が交差し、2つの高速道路が物流や人的交流を活性化してくれている。空港も1時間以内で行ける交通の要衝だ。
     そんな地の利があって、昭和50年代以降、大小さまざまな企業や店舗が進出して来た。代表的なものには、大型スーパーや百貨店の出店で、ダイエー、丸井、西友(西武)がこぞって大型店を駅前に建設し、オープンさせた。従来のイトーヨーカドー(本町)、うすい、丸光、津野、丸藤などが、顧客争奪戦や販売合戦を繰り広げ、それは安売りセールのオンパレードだった。小売業でも、コンビニやファミレス、ファーストフード店などの飲食業を中心に、東京資本のチェーン店が次々と登場するに至った。昭和50年以降の郡山出店は以下の通り。

     コンビニ・・・セブンイレブン、ローソン、ファミリーマート、デイリーヤマザキ、ハローショッ
           プ、セーブオンなど

     ファミレス・・・デニーズ、すかいら~く、ガスト、サイゼリア

     ファーストフード・・・ロッテリア、ケンタッキー、マクドナルド、モスバーガー、ミスタードーナ
               ツ、吉野家、松屋、

     家電量販店・・・よつば電気+デンコードー=ケーズデンキ、イセヤデンキ、コジマ、
              YESそうご電器、第一家電、庄司デンキ→電激倉庫、ヤマダ電機

     ホームセンター・・・ビバホーム、カンセキ、ユニデン→ジャンボエンチョー、ダイユーエイ
               ト、ケイヨーD2、カインズ、ジョイフル山新

     ドラッグストア・・・山口薬品、カワチ、マツキヨ、亀薬局、ツルハ

     100均・・・ダイソー、シルク、キャンドゥ

     飲食・・・幸楽苑(会津っぽ、き伝、チーファン)、雅、牛角、まるまつ、半田屋、夢庵

     紳士服・・・ゼビオ(旧サンキョー、ゼビー)、AOKI、青山(旧テーラー青木)曲、はるやま

     スポーツ・・・ワタスポ、オノヤスポーツ、ゼビオスポーツ、DEPO

     ディスカウントストア・・・トポス、トライアル、ドンキ・ホーテ

     ところで、首都圏資本の流入で、地元の老舗店の経営が窮地に追い込まれている背景も危惧すべき点だが、こうした大型店舗で良く見かける光景がある。それは店に入ると、その店のオリジナルのテーマ曲や宣伝PR用に作られたBGM、専用のメロディーが流れていることだ。このBGMが客の購買意欲を高めるか否かは微妙だが、その店舗に行かないと聞くことの出来ないものだ。逆にその節を聞くとその店が条件反射のように出てくるし、気づいたように行きたくなる場合もある。そしてその店を訪れて、そのBGMを耳にすると、その店に自分が今いることを実感する。たとえば、1時間もその店にいれば、その曲が脳裏から離れなくなるほど、エンドレス状態で流されている。では、私がよく訪れる店で、そうした光景が得られるショップ、ストアを紹介したい。

     1 ケーズデンキ・・・「ケーズデンキはや・す・い~」安さ日本一への挑戦という文字が躍
             る。こちらはポイントではなく、現金値引き主義。緑町と日和田にある。
             よつば電機、デンコードーをカトー電気が買収し、ケーズになった。 

          

     2 ヤマダ電機  「やまーだまーだまだ安いんだ~・・・ヤマ~ダデンキ!」で終わる名調
              子のBGM。実はこれ、『ヤマダ電機の唄』という列記としたタイトルまで
              実在する「ヤマダ電機の歌」だった。しかも作詞が「ヤマダ電機とゆかい
              な仲間たち」、作曲が富田伊知郎という。

     3 コジマ・・・「コ~ジマ」という節回し。かつては4号線沿いと49号線、須賀川の4号線
             にもあったが、今では郡山警察署の斜め向いの一店舗。

     4 ヨドバシカメラ・・・御馴染みのあの「山手線ソング」だが、郡山は歌詞が無く、曲だ
                 け。

     5 まるまつ・・・「まんまるいいことあった日はまんまる顔とパパとママ~まんまる まるま
             つみんなでごはんいつもあったかまるまつで♪」という独特なメロディー。私
             が好きなフレーズは「え・が・お~ありがとう~、げ・ん・き~ありがとう」の  
             部分。実は本日9月22日の朝も訪ね、お決まりの納豆定食を平らげ、ま
             るまつのポイントカードを作った。今年7月から今日で8回目の来店となっ
             た。

     https://www.youtube.com/watch?v=1Qpx0HcjuwI

     6 半田屋・・・小さなおかっぱスタイルの女の子が山盛りの丼飯にかぶりついている写
             真「生まれた時からどんぶりめし」と、あいだみつを張の独特の名言(社
             訓?)が店内に貼ってある。学生寮の食堂のようなセルフスタイルで、予め
             作り置きしたあるおあかずを自分で選ぶ。東部幹線沿いの店舗は潰れて
             はいなかった。H28年9月17日に店の横を通過したら照明がついてい
             た。

     http://www.nicovideo.jp/watch/sm25397905

     7 ベニマル・・・「1・2・3の市」や「ど真ん中得の市」などが有名。

     https://www.youtube.com/watch?v=m3KP2UZKsyk

     8 リオンドール・・・青果コーナーで流れているのは西部劇映画の「黄色いリボン」のBG
                M

     9 au・・・おなじみ「三太郎」シリーズのCMの動画の台詞がいつもどのスマホからも時間
          差で流れている。

    10 コメリ・・・農業資材やガーデニング用品などを扱う、小じんまりとした店舗のホームセ
           ンター。郡山にはあつて10店舗近くあったのに、数が激減した。内環状線沿
           いと喜久田の49線沿いにあったが、両方とも今は「トライアル」になっている。

     いかがですか?一度は聞き覚えのあるメロディーや曲だと思う。毎日耳にタコが出来るほど繰り返し聞いている店員は、寝るときに、布団の中でも頭から離れないほどではないか?こうしたBGMは、CMでも共用していることが多い。客の記憶に残るように繰り返しエンドレス状態で流すことで、週単位、あるいは月単位でリピート誘致に繋がるものと創造できるし期待もできる。

     しかしながら、首都圏の大資本企業との競争に敗れ、郡山からの撤退を余儀なくされた一流企業も少なくない。資本主義社会である以上は、それは回避不可能だが、私たちの生活に一時でも潤いを与える存在であっただけに、感謝の念を抱かざるを得ない。そしてその曲を聴いて、条件反射のようにその店を恋しく思い出され、足を運ぶ一助になるなら、こうしたBGM効果も重要な販売戦略、企業の戦略になりえるということを付記して置かなければならないだろう。

     記事作成:9月17日(土)

    2016年9月21日 (水)

    巨人のチーム別通算対戦成績

     巨人・阪神戦は「伝統の一戦」といわれ、名勝負を展開してきたと言われる。確かに両チームは、歴史が古く、1936年の日本プロ野球の創設年の1リーグ時代から、互いにライバル関係として凌ぎを削ってきた。しかし1950年以降の2リーグ分裂後、現在の体制が整ってからは、巨人軍から見た対戦成績を回顧すると、意外にも圧倒的な対戦成績であることがわかる。そこで今回は、私が幼少の頃から応援してきたジャイアンツの2015年までの66年間のシーズン通算の記録を振り返り、チーム別の対戦成績はどうなっているのか検証したい。

     対阪神戦の戦績 931勝701敗64分 230個の貯金 勝率.570

     66シーズン中、巨人のカード負け越しは10回のみで圧倒的に巨人が勝ち越している。かつては長嶋VS村山の名勝負や江夏ー田淵の黄金バッテリーなど見所満載の対戦カードだったが、それでもON率いるV9などもあって、大差となっている。 

     対中日戦の戦績 894勝746敗50分 148個の貯金 勝率.545

     どうやら巨人は、中日を苦手にしていることが浮き彫りとなった。2016年の今シーズンも大幅に負け越した。それはナゴヤ球場時代から、地元の名古屋のドラゴンズファンの応援は熱狂的で、後楽園や東京ドームの戦績はさほどではないが、名古屋での対戦が悪い。そして高木守道、谷沢、大島、木俣、田尾、宇野、落合、モッカなど名選手が多かったし、星野、三沢、鈴木孝政、郭源治、宣、山本昌など名投手が多かった。

     対広島戦の戦績 946勝690敗58分 256個の貯金 勝率.578

     昭和40年代までの広島は「セ・リーグのお荷物球団」と呼ばれ、弱小球団でだった。ところが、古葉監督が就任し、劇的な変貌を遂げた。昭和50年の赤ヘル旋風に始まり、50年代は最強球団と化した。山本浩二と衣笠の2枚看板に、水谷、高橋慶彦、正田、小早川、西田、達川などスター選手が多かった。毎年投手王国と呼ばれるほど、盤石な布陣だった。池谷、山根、福士、北別府、大野、川口、小林幹英、津田などがマウンドを守った。

     広島は選手育成が上手く、FAなど金のかかる選手補強は出来ない市民球団のため、選手を大事に育てた。

     対ヤクルト戦の戦績 969勝667敗53分 302個の貯金 勝率.592

     ヤクルトはあの400勝投手の金田正一が国鉄時代に対戦した。産経ホームズ、アトムズなどとチーム名が変ったが、私はヤクルトという印象が強い。少年時代には松岡、安田という左右のエースがいて、ロジャーという強力助っ人がいた。マニエル、ホーナー、ペタジーニ、ラミレス、バレンティンなど昔から外国人の獲得が上手かった。また、若松や大杉を始め、杉浦や八重樫など名選手を多く輩出した。野村監督時代には飯田、池山、広澤、伊東、川崎などで黄金期を迎えた。神宮球場は黒いバックスクリーンボードのため、球筋が見やすいため、ボールを芯で捉え易く、ゆえにホームランが出やすい。だから外国人助っ人が、毎年ホームランを量産していた。

     対横浜(大洋、横浜、DeNA)戦の戦績 991勝652敗48分 
                             339個の貯金 勝率.603

     中塚、松原、ボイヤー、シピン、田代、福嶋、平松、高木豊、高木由、加藤などが昭和時代を牽引した。1998年に権藤監督で日本一になった時には、進藤、駒田、鈴木尚典、波留、石井琢、ローズ、佐伯、谷繁、投手陣も三浦、野村、齋藤隆、川村、戸叶、佐々木主浩など黄金メンバーだった。

     現在、残存する球団での対戦成績を見てきたが、意外にも巨人阪神は「伝統の一戦」に相応しい互角に近い戦績とは言いがたい。むしろ中日のほうが善戦している。いずれにしも、かつての常勝巨人軍とか、球界の盟主、「巨人大鵬目玉焼き」などと称された最強時代には及ばないものの、藤田監督や原監督の名采配によって、復権を果たしたことは事実だ。それにしても巨人のやり方で残念なのは、毎年、大枚をはたいてFAや外国人助っ人を連れてくるが、特に外国人はポンコツだらけ。そして他球団で主力として素晴らしい成績を挙げた選手であっても、巨人に来るとダメになる。契約段階で大金を受け取るために、それに似合う活躍が出来ない。広島などは、実績に応じて報奨金というシステムで、あとから年俸が上がる。巨人に来るFA選手も、とうにピークを過ぎて32歳過ぎにやってくるため、5年働ければ御の字だ。
     巨人も2年連続で優勝を逃した反省をし、広島を見習った育成方針に転換してもらいたい。勝利や優勝を期待されるあまり、過度の選手獲得では、外人部隊で愛着も湧かない。2~3年やって使い捨てでは、結束力も無くなる。ぜひ熟考し、10年というスパンでじっくり選手を育て、常勝チームになるよう再建してほしいものだ。

     記事作成:9月17日(土)

    2016年9月18日 (日)

    郡山の魅力再発見!41~映画のロケ地になってほしいスポット~

     今年大ヒットしているアニメ映画に「君の名は」。がある。ロケ地ではないが、舞台となった岐阜県には、その映画に感動し、その余韻に浸ろうと現地を訪れる若者が急増しているという。これも観光客を誘致する町興しの一環として最高の戦略になる。私も以前に、当ブログで、福島県内を舞台にした映画やドラマのロケ地を取り上げ、紹介したことがあった。福島県も震災から5年が経過し、除染が進み、他の都道府県の方々に福島県や郡山市の魅力をもっと知ってほしくて、今回、その岐阜県のプチ観光ブームにあやかって、ぜひ観光誘致策としてテーマに設定させていただいた次第だ。

     1.開成山公園

     五十鈴湖、野外音楽堂などは、映画「春色のスープ」のロケ地になったし、さくら通り沿いの桜並木は「時をかける少女」で使われた。ここは桜の名所であるが、広大なその敷地は市民のオアシスなだけに、ぜひ映画やドラマで使って欲しい。

    Kaiseizan5

     2.県合同庁舎

     故・緒形拳が主演した三島由紀夫の生涯を描いた映画「MISHIMA」。その壮絶な割腹自殺シーンの撮影が行われたのが1984年。昭和初期の面影を残すこの場所は、県の合同庁舎で、行政機関として今もバリバリ現役の庁舎だ。しかし、老朽化が著しく移転が噂されている。

    Goudou

     3.浄土松公園・きのこ岩

     トルコの世界遺産、カッパドキアのミニチュア版ともいえる自然の造形美だ。奇岩が聳え、それはこの世のものとは思えぬ光景。しかし、震災の巨大地震で岩が崩落してしまった。

    Kinokoiwa

     4.逢瀬公園・展望広場

     ちょうど山頂部にある芝生と白亜の展望台。ちょっとした滝も流れ、幸福の鐘も設置されており、カップルのデート場面には最適。また、桜の名所となっており、春は絶好のロケーション。

    Ousepark

     5.大安場古墳

     ピラミッド型の前方後方墳。住宅街のど真ん中にある大型の古墳だ。ここも謎を絡めた事件の現場として使用すると盛り上がる。

    Oyasuba

     6.静御前堂

     静御前の伝説がある数奇なスポット。兄・源頼朝の討伐命により、命からがら落ち延びて東北地方に逃れた義経。その彼を追って、静御前が当地を訪れたが、義経が奥州平泉で討たれたことを知った静御前が、悲観して当地の沼に身を投げた。哀れに思った農民たちが、彼女のなきがらを奉って建てたのが静御前堂だという謂れが残っている。不穏な佇まいだが、ミステリーの要素は過分に感じる。

    Shizukagozen

     7.郡山市公会堂

     オランダの世界遺産の「ゴルドバ聖堂」を模して建てられたこの由緒ある建造物は、絶対に映画で使用して欲しい歴史的価値が高い場所。 

    Cityhall

     8.駅前広場とビッグアイ

     郡山駅前には噴水広場があって、GReeeeNの緑色の扉がある。ビッグアイには、世界一高い場所にあるプラネタリュウムもある。夜景の綺麗なスポットでもある。

    Bigi

     9.菅船神社

     ここは知る人ぞ知るパワースポット。森羅万象を全身で感じ取れる場所だ。私は昨年のGWにここを訪れ、その佇まいにすっかり魅了され、それ以降5回訪れている。何か自分をリフレッシュしたり、リセットできる気がする。苔生した木立の合間を縫って石段を上がれば、立派な門と境内が現れる。本殿歴史を感じる造りだ。論より証拠、一度その足と目で確かめて欲しい。絶対にまた訪ねたい神社だと実感するに違いない。

    Sugafune

    10.銚子ヶ滝

     母成グリーンライン手前の「ふれあい牧場」入り口から入り、山間道路を登っていけば、その登山口に辿り着く。そこから約2km、熊の気配を気遣いながら山歩きをすると、階段が現れ、そこから約500mの遊歩道を下れば、滝壺に辿り着く。見上げると、お酒を注ぐお銚子の形に広がった荘厳な滝が降り注ぐ。圧巻の景色だ。でもここをロケで使うなら、紅葉時期が最適だが、ロケーション的には殺人事件系の遺体発見現場という印象。めったに人は訪れないスポットだ。上り階段は急勾配だけに本当にきつい。

    Cyoshi

    11.布引高原の風車

     8月から9月頃が最適。眼下に見下ろす猪苗代湖とその対岸に聳える磐梯山を一望できる絶好スポットだ。また、ひまわり畑に数万本の黄色い花々が咲き誇り、それは圧巻の景色だ。青空に映える白い風車もまたコントラストがくっきりで美しい。夏の想い出というイメージで作品が作れそうだ。

    Nunobiki

     さて、私が個人的に郡山をPRする上で、観光誘致に繋がりそうなスポットを取り上げた。他にも花木団地や桜の名所である藤田川の土手、御霊櫃峠からの絶景がある。これだけ風光明媚な場所や、歴史的価値のあるスポットがあるのだから、これを県内外にPRしない手はない。あの江ノ電の「鎌倉高校前駅」の手前にある踏み切りも「SLAM DUNK」のオープニング映像で流れただけで、遠く台湾から観光客がどっと押し寄せ、聖地と化した。NHK「あまちゃん」の北三陸地方もまたしかり。ぜひ郡山も映画で取り上げて、きれいな景色や名物を紹介できれば、ちょっとしたブームが起きて、観光客が訪れそうな気がする。 

     記事作成:9月13日(火)

    2016年9月17日 (土)

    貴重な映像~高校野球編~

     私はもの心ついた頃から「プロ野球」の大ファンで、V9を達成した強い巨人を見ながら育った。もちろんONは大好きで、ホームラン王だった王選手にはファンレターを送ったこともあったほどだ。一方で、プロ野球の金の卵たちが活躍する「高校野球」も大好きで、選抜、夏の選手権、ともに毎回見て興奮していたのを覚えている。そんな明日のスター達を見ながら、いつか自分も甲子園に出場し、巨人軍の一員としてプレーしたいという夢を小学生の卒業文集に書いたものだ。残念ながら、夢は叶わなかったが、代わりに多くの球児たちがその夢を実現して、プロでも活躍している。そこで今回は、そうした高校球児たちが繰り広げた筋書きの無い真剣勝負の中から、私が記憶に残る名シーンを取り揃えてみた。しかし、今日はちょっと視点を変えて、珍しい試合や記録が達成された動画をピックアップしたい。

     松井裕樹、高2で甲子園22奪三振

     神奈川代表の横浜・桐光学院出身の松井裕樹(現・楽天)の甲子園デビュー時の映像。2年生の頃に、鮮烈なデビューを飾った。伸びのあるストレートと角度のあるスライダーを武器に27のアウトのうち、22個を三振で奪う新記録の快投を演じた。今見ても凄みを感じる。これが17歳かと目を疑うし、あの小柄な体型から140キロ台の速球とプロ顔負けのスライダーは超一級品。プロ入り後もリリーフエースとして鎮座しているのも頷ける。

     甲子園最速物語

     高校生で150km/h台の剛速球を投げる投手はそうはいない。ひと夏に2人いればいいほうだ。私などは肩や肘を心配してしまうが、あの灼熱のマウンドで、そうした高速ボールを投げ続けるのは至難の業で、ある意味投手寿命に影響しかねない過酷さを物語る。では高校野球史に残る、速球投手列伝をどうぞ!

     かつては江川卓や小松辰雄なども豪腕投手で名を馳せた。しかし、こうした選手達はなぜか短命だったり、名球会に名を刻むような記録を残してはいない。

     斎藤祐樹、田中将大豪華リレー

     夏の甲子園大会では決勝で当たり、延長引き分け再試合となり、壮絶な投げ合いの末に、早実の斉藤祐樹に軍配が上がったが、その後開催された日米野球の海外遠征試合では、先発・斎藤、抑え・田中という超豪華リレーで、奪三振の山を築いた。

     平成の怪物打者・平田良介の豪快な打撃

     大阪桐蔭の主砲として活躍した平田はその後、中日ドラゴンズに入団したが、日本代表としても中軸を打つスラッガーとして成長した。あの当時の大阪桐蔭は最強で、PL学園と双璧の戦績を残した。強豪・仙台育英の投手も投げる球がなく、脱帽の様子。どこへ打っても外野オーバーの大飛球を放つし、その桁はずれたパワーはプロの選手でも敵わないだろう。4打席で3本のホームランに加え、あと一打席でも外野フェンスにダイレクトで当たり、もうひと伸びでホームランだった。あの並外れた長打力は天下一品で、スタンドを大いに湧かせた。

     佐賀北の奇跡「副島の逆転満塁ホームラン」

     絵に描いたようなストーリーだった。甲子園の決勝で、しかも大観衆が見つめる中、こんな奇跡的な光景が現実に起こり得るとは誰も想像できなかったに違いない。

     広陵の投手は、今年広島を25年ぶりの優勝に導くエース級の活躍を見せた野村祐輔で、捕手はなんと巨人の小林誠司という豪華さ。打たれた瞬間、野村は狐につままれたような顔で呆然とレフトスタンドを見上げた。彼にとっては甲子園で経験した悪夢で、最大の屈辱となったに違いない。しかし、その悔しさがあって今の彼の地位を築いていると思う。一方、起死回生の一打を放った副島浩史は、プロには行かず、福岡大学に進学。その後、地元の佐賀銀行に就職した。現在は体育教師になり、指導者として甲子園を目指している。
     早実の齋藤と駒大苫小牧の田中もプロ入り後、運命のいたずらで立場が逆転したケースだが、このふたりもそう言えるだろう。

     記事作成:9月11日(日)~

    2016年9月16日 (金)

    大成しない?夏の甲子園優勝投手

     高校野球で全国の頂点に立つチームはひとつしかない。もちろん優勝投手(胴上げ投手ではない)はひとりということになる。全国各地の予選を勝ち抜いた47都道府県49校の精鋭たちが集う全国大会。甲子園の夢舞台に立つだけでも大変な快挙なのに、全国の並居る強豪校と渡り合い、優勝するとなると至難の業だ。野球は投手力5割、監督2割、打力3割と言われるほど、すごい投手がいるチームは強い。過去、江川卓や桑田真澄などが甲子園で大活躍し、高校野球ファンを魅了してきた。この20年で甲子園を沸かした選手をピックアップしても、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、斉藤祐樹らがいる。では過去の甲子園の歴史の中で、栄えある優勝投手となった選手が、卒業後にどういう進路へ進んだか、もしプロ入りしたならば、その後、いかなる成績を挙げたかを知りたくなり、調べてみた。参考としたサイトは「夏の甲子園大会優勝投手のその後」だ。なお、掲載は平成以降の28年に絞ってお送りします。

        年    優勝投手(チーム名)    卒業後の進路(プリ入り選手は戦績)

    平成 元年 吉岡雄二(帝京)       巨人・近鉄 野手転向
    平成  2年 南  竜次(天理)       日本ハムファイターズ 0勝0敗
    平成 3年 和田友貴彦(東洋大)   
    平成 4年 森尾和貴(西日本短付)  新日鉄八幡  プロ入りせず
    平成 5年 井上靖史(育英)       神戸学院大  プロ入りせず
    平成 6年 峯 謙介(佐賀商)      明治大学    プロ入りせず 
    平成 7年 白木隆之(帝京)       三菱自動車川崎 プロ入りせず
    平成 8年 渡部真一郎(松山商)    駒澤大学 松山フェニックス プロ入りせず
    平成 9年 藤谷俊之(智弁和歌山)  龍谷大学 一光 プロ入りせず
    平成10年 松坂大輔(横浜)       西武ライオンズ 108勝60敗(日) 49勝30敗(米)
    平成11年 正田 樹(桐生一)      日本ハム 24勝37敗(日) 

    Matsuzaka Syoda

    平成12年 松本晋昂(智弁和歌山)  同志社大学(準硬式) プロ入りせず
    平成13年 近藤一樹(日大三)     近鉄・オリックス 28勝37敗
    平成14年 田辺祐介(明徳義塾)    関西大学・トヨタ自動車 プロ入りせず
    平成15年 磯部洋輝(常総学院)    中央大学 室蘭シャークス プロ入りせず
    平成16年 岩田聖司(駒大苫小牧)  駒澤大学 北海道マーリンズ プロ入りせず
    平成17年 松橋拓也(駒大苫小牧)  明治大学 プロ入りせず
    平成18年 齋藤祐樹(早稲田実業)  日本ハムファイターズ 6勝6敗 
    平成19年 馬場将史(佐賀北)     プロ入りせず
    平成20年 福島由登(大阪桐蔭)    中央大学(準硬式)
    平成21年 堂林翔太(中京大中京)  広島カープ野手転向
    平成22年 島袋洋奨(興南)       中央大学→ソフトバンクホークス 0勝0敗

    Saito Dobayashi Simabukuro

    平成23年 吉永健太郎(日大三)    早稲田大学→JR東日本
    平成24年 藤浪晋太郎(大阪桐蔭)  阪神タイガース 41勝32敗
    平成25年 高橋光成(前橋育英)    西武ライオンズ 5勝2敗
    平成26年 福島孝輔(大阪桐蔭)    同志社大学在学中
    平成27年 小笠原慎之介(東海大相模) 中日ドラゴンズ 1勝5敗
    平成28年 今井達也(作新学院)   現在高校在学

    Fujinami Ogasawara

      この四半世紀の25年を眺めただけでも一目瞭然。夏の高校野球全国大会優勝投手は、プロ野球では大成しないという現状が浮き彫りになった。この25年間で一流のプロ野球選手としての活躍を見せているのは、松坂大輔と藤浪晋太郎くらいなもの。つまり12.5人にひとりだ。
     これは、甲子園の決勝まで投げぬくと、僅か13日間の期間中に、4~5回は登板することとなる。連投につぐ連投で絶対に肩や肘を痛める。プロ入り後、数年間は華々しい活躍をしても、数年後にその負担が徐々に現れ、いずれは投げられなくなるのだ。だから、スカウトに言わせれば、大器は3回戦くらいで負けて欲しいという。特に、高校野球は、投手力が5割のウェートを占める。かつて「怪物」といわれた江川卓の作新学院も、エースの出来不出来でチームの浮沈を左右した。PLや池田、大阪桐蔭、智弁和歌山などの強力打線があれば、打撃戦に持ち込むことも出来るかもしれないが、やはり投手への負担は相当大きいといわざるを得ない。松坂も晩年の今は、故障続きで給料泥棒状態だ。

     最近でも、優勝した早稲田実業の齋藤祐樹は泣かず飛ばずだが、準優勝の田中将大は、24勝負けなしで楽天を初の日本一に導き、ニューヨークヤンキース入りを果たし、毎年10勝以上の大車輪の活躍。この差は大きい。しかし、高校野球決勝での延長15回引き分け再試合、楽天時代の日本シリーズでの160球粘投の翌日、リリーフ登板するなどの無理が祟り、肘にメスを入れることとなったのは周知の通り。
     また、ダルビッシュも優勝投手ではないし、西武の菊池雄星や桐光学院の松井裕樹ですら、大谷翔平でさえも優勝投手にはなっていない。もちろん甲子園に出場していない投手で、プロ野球で大活躍をしているエース級の活躍をしている選手は山ほどいる。

     さて、今回の記事でわかったと思うが、高校時代は、甲子園出場や全国制覇が夢であり、一回でも負ければそれでTHE ENDの世界であるため、それに向けてがむしゃらに練習し、肩や肘の負担など重視せずに、投げまくる傾向にある。その時期には「肩なんてぶっ壊れてもいいから優勝したい」と思うかもしれないが、将来プロでやり通す気持ちがあるのなら、絶対に無理はしないで欲しいと思う。前途ある若い選手を潰さないで欲しいと願う。

     記事作成:9月7日(土)~12日(月)

    2016年9月14日 (水)

    CMから観光名所になったスポット

     今回は、そんなにメジャーではなかったのに、CMやポスター、雑誌のグラビアに取り上げられて観光名所になったスポットをテーマにしたい。何気ない風景だったり、見逃されがちな場所に、CMが放映されて以降、話題になったり脚光を浴びて、どっと人が押し寄せる特異現象が生まれることがある。CMではないが、人面魚などもその一例だろう。

     1 江島大橋

     通称「べた踏み坂」。綾野剛が出演した「ダイハツタント」のCMで登場。驚くほどの急勾配の坂道は、島根県松江市と境港市を結ぶ江島大橋。その由来は「アクセルを踏み込まないと上がれないくらい急な坂」という意味らしい。勾配は島根県側6.1 %、鳥取県側5.1 %で44.7 mまで登ります。

     2 美瑛周辺

      ① ケントメリーの木

    北海道美瑛町の「美瑛の丘」に大きなポプラの木があり、「ケンとメリーの木」という名前がつけられています。この「ケンとメリーの木」は、日産スカイラインのCM「地図のない旅編」に登場した木。




      ② セブンスターの木

     この木はかつて「北瑛の一本木」と呼ばれていたが、この木が1976年にタバコのセブンスターのパッケージに採用された事から、以来「セブンスターの木」と呼ばれるようになった。

      ③ マイルドセブンの丘

     昭和52年にマイルドセブンのパッケージに使用された丘で防風林に夕日が沈む景観が写真愛好家に評判となり、にこの丘でマイルドセブンのCMのが撮影された事からこの名前が付いた。丘の正面に並んだ唐松の防風林が特徴的で、多くのマイカーや観光バスが訪れる。

      ④ 嵐の木

     「JAL」のCMで登場し、実際に彼らがこの地を訪れて撮影したことでブレイク。今でも多くの観光客が訪れるが、無断で敷地に入り、撮影するなどマナーが悪く、地元の方が5本あった木をさらに一本増やし6本にして、その場所が特定できないようにしている。

    https://www.youtube.com/watch?v=B-AeKrHvqJ8

    この地区にはほかにも「パフィの木」があるが。美瑛の町から南西に5kmほどの丘の上に立つ2本のポプラの木が通称「パフィーの木」だ。 こちらは1997年に放送されたドラマ「ワイルドで行こう」においてこの木が撮影され、その時の主役が歌手のPUFFYであった事から「パフィーの木」と名付けられた。

     3 幸福駅

     こちらは1973年3月放映のNHKの「新日本紀行」が火付け役であり、CMというわけではなかったが、昭和50年頃に爆発的なヒットとなった。北海道の帯広駅から襟裳岬方面に向かって行き、広尾駅を結ぶ広尾線にあった駅。今は廃線になってしまったが、当時は大ブームになり、「幸せ」を求めにカップルを中心に観光客がどっと押し寄せた。2つ隣りにあった「愛国駅」から「幸福駅」までの記念切符「愛の国から幸福へ」がバカ売れした。今でも駅舎が残され、木造の小さな駅舎には所狭しと切符やメッセージカードが貼られてある。

     4 ゴジラ岩

     男鹿半島の南磯、潮瀬崎にある岩で、シルエットが「ゴジラ」に似ているということで命名された。道路脇にある看板に従って海岸に下り、潮瀬崎灯台に向かって歩くと右手に現れる。私が北海道に住んでいた時には、ゴジラ岩と言えば、知床の宇土呂にあるスポットが有名だったが・・・。

      ここが話題になったのは、ダイハツキャストのCMが理由。ダイハツは車メーカーだけに、日本の名所をドライブする映像が使われ、日本各地でロケを敢行している。

     5 鍋ヶ滝

     「おーいお茶」や「生茶」のCMで使われた場所で、「水のカーテン」と呼ばれるほどの美しい滝。特に新緑の季節には、射し込む光や日差しと相まって、さらに輝きを増すといわれる。熊本県阿蘇郡小国町黒渕にある。松嶋菜々子で名を馳せたあのちょっとお色気のあったCMだ。

     6 尾道

     大林宣彦作品で有名な広島県尾道市。実は映画以外にも多くのCMのロケ地として使われている。「コカコーラ」や北川景子が出演した「ソニーαカメラ」のCMなど。私は震災があった年に、車で訪れた。「てっぱん」のロケ地だったことが訪問理由。

     どうでしたか?私なんかは単純だから、CMで紹介する美しい風景や珍しいスポットにすぐに足を運びたくなる衝動に駆られる。私は北は北海道から南は沖縄まで日本各地を旅してきたが、未だに足を踏み入れていない隠れた名所が数多くある。CMはそうしたスポットを教えてくれる水先案内人のような役目を果たしてくれる。今年も数多くの新作CMが放映されたが、行きたい場所は山ほどある。今は仕事が多忙で、とてもまとまった休みは取れないが、いずれは日本各地を旅してまわりたいと考えている。

     参考サイト

     「あのCMの舞台はここだった!誰もが見たことある国内のCMロケ地10選」
     「あのCMの光景はここだったのか!話題のCMの舞台となった絶景スポットまとめ」

      http://tabippo.net/tv-commercial/

     記事作成:9月10日(土)

    2016年9月12日 (月)

    まるまつ日和

     最近ハマっている店がある。それは「まるまつ」。全国にチェーン店を持つ、和風の店構えのレストランだ。ここの魅力は何と言っても価格の安さだ。メニューのどれを見ても、単価がめちゃ安い。

     「安物食い」とバレバレだが、子ども二人が共に大学生で、親元を離れているため、仕送り生活を送っている私にとって一食あたりいかに安く美味しいものを食べるかに工夫をめぐらしている。以前は、「半田屋」に通い詰めたが、今年4月に訪れた際に、入り口のドアに貼り紙があり、それ以降閉店したと思っていた。昨年の2月には大好きだった「点心」というラーメン・定食屋が店終いをし、馴染みの店が減って残念に思っていた。

     そこに来て、この店を発掘したのだから棚ボタ状態だ。しかも八山田界隈に暮らす私にとって、東部幹線にある「半田屋」は車で片道15分もかかる遠方であり、そこへ来て喜久田の国道49線沿いにある「まるまつ」は片道1.7km、車で3分ほどの至近距離にある、小腹が空いた時に手軽に行ける穴場だ。

     しかも朝7時過ぎに行けば、店内はガラガラ。広い駐車場に車が一台も無いこともある。実は9月10日(土)と11日(日)の朝にも2日連続で訪れたが、先客は広い店内のテーブル一席のみで、私が2人目の来客。すぐに氷水を持った店員がやって来て、注文を伺う。5分後にはもう食にありつけている速さ。

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     私はこの「まるまつ」で注文するのは毎回同じメニューで、「納豆定食」だ。その価格、なんと298円(税込321円)という破格値。内容は、ご飯、味噌汁に納豆、生卵、そして大根の漬物とねぎ、それにひじきまで付いている。ところがもっと凄いことに、この9月から、朝定食を注文すれば、おにぎり1個か豆乳のいずれかがサービスという、絶対に赤字状態でのメニューとなった。そのおにぎりは梅か昆布かを選べる。さらにさらに、おしんこ(きゅうりの漬物)とスープが何回でもおかわり自由!そしてセルフのお茶は、玄米茶、ほうじ茶、煎茶から選べる。有料のドリンクバー(280円)もあるが、これは食事をすれば次回から使える半額券がもらえる。

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     それだけではない。たまに新聞の折込みチラシで、ドリンクバー無料券が付いている時がある。これはもう絶対お徳。朝からボリュウムある栄養たっぷりの朝食が食べられ、朝から元気に仕事ができる。まさに庶民の味方といいえるありがたいレストランだ。

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     正直に言えば、この店は以前にも訪れたことが一度だけあった。それは2011年3月11日のことだった。そう、「東日本大震災」があったまさに当日だった。この日、仕事を早退し、息子の中学校の卒業式に出席した。その後、昼飯を食べに「まるまつ」を訪れたのだった。その約2時間後にあのマグニチュード9.0の巨大地震に遭遇したのだった。
     その恐怖の時間を過ごした日のことだけに、また「まるまつ」を訪れると、何か悪いことが起きるのではないか?「まるまつ」に行くと、どうしてもあの日の悪夢の記憶が甦りそうで、その後、4年以上もの間、足が遠のいてしまっていたのだ。

     しかし、今年6月頃、チラシに入った「ドリンクバー無料券」を見て、再訪することを決めたのだ。行ってみて、気が短い私にはピッタリの店で、味も確かなのでそれ以来、常連になってしまったのだ。もう6月以降7~8回は訪れている。321円で鱈腹食べて満腹状態になる。下手なコンビニ弁当でも一食500円はくだらない。断然お得だ。

     残念ながら、この朝食メニューは6時から11時までなので、毎朝7時には出勤している私にとっては、時間がなく平日には来られないが、土日のいずれかは7時~8時の間に訪れ、朝食を摂っている。

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     もし「時遊人SUZUのひとり言」の作者が誰なのか、知りたかったら、その時間帯に「まるまつ」に来ていただければ会えると思いますよ。毎回ひとりで訪れて、お茶の機械のすぐ前のテーブルに座るので、わかりやすいと思います。その時は店内をじっくり見渡し、たぶんこの人かと思ったら、思い切って声を掛けてみてください。もし人違いだったら、あとは自己責任で(笑)・・・。 

     記事作成:9月11日(日)

    2016年9月 6日 (火)

    国民的人気の有名人

     国民的な人気を誇る有名人がいる。それは好感度No.1とか抱かれたい男やお嫁さんにしたい女優などのランキングなどの調査統計とマッチングする。世代によって、認知度が異なるし、好みは変わるが、今日は私が主観的に判断した「国民的人気を誇る有名人」というテーマでお送りしたい。なお、故人はこのランキングからは外したい。

           男性                  女性

     1位 イチロー     B型     1位 綾瀬はるか    B型

     2位 明石家さんま  B型     2位 浅田真央      B型

     3位 長嶋茂雄    B型      3位 吉永小百合    O型

     4位 木村拓哉    O型     4位 福原 愛       B型

     5位 羽生結弦    B型       5位 上戸 彩       O型

     6位 福山雅治    O型      6位 ローラ        B型

     7位 福士蒼汰    O型      7位 堀北真希     B型

     8位 大谷翔平    B型     8位 石原さとみ     A型

     9位 香取慎吾    A型     9位 宮崎あおい    O型

    10位 所ジョージ    O型    10位 吉田沙保里    O型

     B型は個性的なので、憧れや尊敬の眼差しで見られがちな存在。自分にないものをたくさんもっている印象が強い。それに裏表がなく、自分がやりたいことをストイックに、脇目も振らずとことん追求するので、猪突猛進的な感じを受ける。あまり嫌いだという人はいないし、やり玉に挙げられることも少ないと思う。安倍晋三首相もB型。大政治家だった田中角栄もB型だった。不倫騒動がなければベッキー(AB型)も間違いなく入っていた筈だ。

     一方、失礼かとは思うが、芸能人=公人という位置づけから、毎年某週刊誌でランク付けしている「嫌いな芸能人ランキング」を掲載したい。不思議なことに男性が選ぶ嫌いな芸能人ランキングはない。そしてまた女性が選ぶ嫌いな芸人ランキングはあるが、嫌いな芸能人ランキングというのは見かけない。

     男性が選んだ嫌いな男性有名人  女性が選んだ嫌いな女性芸能人

       男性                       女性

     1位 市川海老蔵   AB型       1位 和田アキ子   O型
     2位 みのもんた     A型       2位 泉ピン子      B型
     3位 古館伊知郎     AB型       3位 安藤美姫          O型
     4位 浜田雅功     A型        4位 久本雅美     A型
     5位 石橋貴明     A型              5位 沢尻エリカ    A型 
     6位 宮根誠司     B型                6位 矢口真里     A型
     7位 ノンスタイル井上 A型             7位 江角マキコ   AB型
     8位 狩野英孝        A型                8位 小林麻耶     A型
     9位 鳩山由紀夫   O型                 8位 鈴木奈々         B型
    10位 小沢一郎     B型               10位 紗栄子      O型

     嫌いな芸能人になると、途端にA型が多くなる。共通しているのは分を弁えない横柄な態度をしたり、暴力的だったり、異性にだらしなかったり、下品な振る舞いというのが嫌われる理由のようだ。

      芸能人の場合、強烈な個性と才能があれば、やはり好かれるようだ。 逆に、問題行動や不祥事があった芸能人がその年の上位にランキングされる傾向が高い。2016年のデータが発表されれば、間違いなくベッキーが1位になるし、話題になる人が注目される。もちろん男性視点と女性視点ではかなり違いがあるようだ。

     これは芸能人に限らず、一般の方々にも言えることなので社会生活でも注意喚起となる分析だけに、ぜひ参考にしてほしいと思う。

     記事作成:7月10日(金)

    2016年9月 4日 (日)

    福島県内の意外なお国自慢

     郷土愛もここまで来るとウザいと煙たがられそうだが、今日はタイトルの通り、ここ福島県内のどーでもいいような「意外なお国自慢」をしてみたい。おそらく、県民ですら知らないことがあるかもしれない。

     1 東日本にひとつしかない「電波時計の送信塔」

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     最近は正確無比な時計として「電波時計」が主流になってきている。私は、その仕組みや狂わないシステムについて無知だったが、その電波の送信所が福島県内にあると知って二度驚いた。それは田村市都路村の「おおたかとや山」にある「標準電波送信所」だ。東日本一帯をカバーするそれは、「40kHz」で、防人の如く、正確な時間を刻む手助けを担っている。東日本と言っても北は北海道、首都「東京」を含む大都市圏、そしてフォサマグナ界隈にまでそのエリアが及ぶ。一方西日本エリアをカバーしている送信所は、九州の佐賀県佐賀市富士町にある「羽金山」山頂付近にある50KHzのものだそうだ。日本にふたつしかない送信所のうち、ひとつがここ福島県内に実在するというのは、自慢できるに違いない。

     2 納豆消費量日本一

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     納豆と言えば水戸という印象が強いが、それはあくまで生産量の話。では消費量はというと、なんと福島県の中通りなのだそうだ。特に郡山市、本宮市、福島市が圧倒している。「本宮納豆」や「あづま納豆」というブランドがあるし、小粒で3個入りのパック納豆が48円~53円という格安価格で売られているのだ。そこにきて優良ヘルシー食品というからありがたい。幾ら食べても大丈夫だ。なぜ郡山市がこんなに納豆好きが多いのかは定かではないが、私が思うに、郡山名物があまりないからではないか?会津はソースカツ、福島は円盤餃子、喜多方や白河はラーメンが有名だが、郡山は酪王カフェオレとクリームボックスなど主食になりそうなものは皆無だった。スイーツも「ままどおる」「薄皮饅頭」「エキソンパイ」があるが、メインの食事には縁遠いものだ。最近はグリーンカレーで食文化の革命を起こそうとしているが、札幌の「スープカレー」には程遠い。だから、主食の付け合せには納豆が必需品になったのだろう。郡山はきゅうりの生産高が日本一だったが、納豆が好かれているのは、全国の方から見れば異例だろう。

     3 発電量が日本一だった!?

     これは皮肉でもなんでもない。震災前は名実ともに「日本一の発電量」を誇った。もちろん国難となる爆発事故を引き起こした「福島第一原発」と「第二原発」を抱えていたことが大きいが、福島県内特有の地形を生かした発電所が数多く点在している。奥会津を中心にダム湖が多い福島県には水力発電所のメッカだし、太平洋沿岸には4つの火力(常磐共同・広野・原町・相馬)、柳津には地熱、そして背炙り山や布引山には風力発電などがある。もちろん「東北電力」もあるが、そのほとんどは東京電力の施設である。福島県内の多くの発電所で発電した電気は首都圏に送られ、数千万人の毎日の暮らしを支えているのだ。

     詳しい記事は、震災前に私が書いた福島「発電地帯」をどうぞ!

     http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/post-f72a.html

     4 新酒鑑評会で4年連続6度目の金賞数(16銘柄)日本一!

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     日本全国にその名を轟かせる超人気酒「飛露喜」やモンドセレクションでグランプリを受賞したこともある「大七」、毎年、地酒の鑑評会で金賞や最優秀賞を総なめにしている二本松の銘酒「奥の松」、会津にも「天明」や「末廣」、アナウンサーの唐橋ユミの実家である「ほまれ」もまた愛好家が多い。
     しかし昔、花春のCMのキャッチコピーだった「会津の良さは酒の良さ」という名句の通り、我が福島県の地酒は、4年連続で金賞受賞数がトップとなっている。灘の酒(兵庫)や地酒ブームの火付け役となった「越の寒梅」や「雪中梅」、「八海山」、「久保田」など名だたる銘酒が揃う、米どころの新潟の地酒を凌ぐ。もちろん「十四代」や「くどき上手」、「出羽桜」などの人気地酒が目白押しの山形にも勝る。清冽な水と確かな醸造技術がこの名酒を育んでいるのだ。

     日本バッシングが過ぎる「韓国」は、未だに放射線をネタに不買運動を繰り広げる、無知で野蛮な国だが、実際に中通りでの福島市や郡山市でも環境放射線値が0.01程度に下がり、会津地方はさらに低く、食の安全は完璧に保たれている。安心して飲んで大丈夫だ。

      5 テレビ番組で日本一となった「天ぷらまんじゅう」

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     「秘密のケンミンSHOW」のお墨付きをもらった名物がある。それは猪苗代湖の北西の強清水(こわしみず)にある。どこにでもありがちな元祖と本家で争っている「清水屋」。そこの名物が「天ぷらまんじゅう」だ。あんこ、ニシン、ゲソを天ぷらで揚げるだけのシンプルな食べ物だが、これがめちゃくちゃ美味い。主食にはならないが、スイーツには最高。天ぷら入りの蕎麦もご馳走だが、私自身は、単品で頼み、あとはお土産にしている。
     この食べ物が、番組で日本一に認定され、ますますその価値が上がった。会津には味噌田楽やソースカツ、こづゆなど美味なものが揃っているが、これはここで食べないと意味がない。ぜひ訪れて自分の舌で味わって欲しい逸品だ。

     記事作成:8月24日(水)

    2016年9月 3日 (土)

    伝説の男⑰~不敗神話を築いた投手~

     2011年、東北地方は未曾有の大震災と大津波に襲われ、非業の土地と化した。沿岸部一帯は、ここに街があったとかという変わり果てた無残な姿を晒した。落ち込む人々に勇気を与えてくれたのが、その年に行われたドイツワールドカップで、なでしこJAPANが一度も勝ったことのない最強アメリカをPK戦の末に破って初優勝を遂げたことと、その2年後の2013年に打ちひしがれた東北地方の方たちに、元気とパワーを与え続けた東北楽天ゴールデンイーグルスの創立9年目にしての悲願の初優勝だった。それは震災直後の開幕戦で嶋主将が呼びかけた「見せましょう、東北の底力を」という言葉が現実になった瞬間だった。
     その歴史的快挙の立役者となったのが、そのシーズン負けなしの24連勝で、伝説を作った「田中将大」だった。これは剛腕で相手をねじ伏せ、バッタバッタと三振の山を築いたかと思えば、頭脳的に相手の打つ気をそらす、角度の大きいスライダーと伝家の宝刀、鋭く落ちるスピリットを駆使する頭脳派タイプのエースだった。

     彼はその年、まぎれもなく伝説を作ったが、その毎回の快挙にはマウンドに立っていた。シーズン初優勝のマウンドにも彼が仁王立ちで、敵地西武球場で優勝投手になったし、楽天Kスタ宮城でのCSシリーズでも優勝の瞬間には彼がマウンド上にいた。そして、人々を感動の渦に巻き込むドラマチックゲームの主役にいたのもやはり彼だった。まさに「千両役者」は彼のためにあるような言葉だ。

     その前日、初優勝がかかった日本シリーズ第6戦で彼は先発したが、巨人打線に打ち込まれ、160球を投げぬいたものの報われず、初めて黒星を喫した。誰もが第7戦の登板などありえないし、ベンチ入りすら回避されるだろうと思っていた。それはつまり、楽天の初優勝が遠のいた瞬間でもあった。しかし彼は、監督に直訴し、ベンチ入りを志願。しかも3-0と楽天がリードした場面で先発の美馬が6回まで完璧に巨人打線を封じ、そして7・8回とリリーフした新人則本が完璧なリリーフ。誰もが、則本が続投し、締めると考えていた。しかし、9回の最後の場面で、満員の観客にコールされたのは「背番号18、田中将大」だった。
     その瞬間、スタジアム中の観客が総立ちとなり、スクリーンに映し出された彼と共に大合唱が始まった。ファンモンの名曲で彼の登場テーマである「あとひとつ」が流れ、誰もが彼に感謝し、大拍手を送り、そして彼の登場を讃えた。その時の模様は、小雨が降り続く中で、ファンと選手の一体感の中、マウンドに向かう彼は、まさに仙台市民のHEROだった。そして前夜のリベンジを果たす格好の舞台が整った。観客席には新婚ホヤホヤの愛妻・里田まいも手を合わせて固唾を飲んで見守っていた。
     解説の古田敦也や工藤公康も震えるほどの信じがたい光景を前に、彼の日本球界最後の伝説の幕がおろされたのだった。
     
     リリーフした彼は、先頭の村田と2死後、ロペスにヒット2本を打たれ、ピンチを迎えながらも、スタジアムを覆うファンの大声援を力に変え、そして最後のバッターとなった代打の切り札の矢野を気迫のスプリットで三振に仕留め、楽天に初優勝をもたらしたのだった。球場中が彼の快投に涙を流し、共に初優勝を祝った。僅か2年前に起きた大震災で、悲しみに暮れていた仙台市民、そして東北の人たちに感動と生きる希望を与えたのだった。

     その時の伝説となった彼の登場シーンから優勝決定までのシーンをどうぞ

     あの日、球場が震えた。大合唱は鳥肌もので、皆、涙を流しながら歌ったに違いない。前日160球を投げた投手が、翌日マウンドに立つなどということがこれまでにあっただろうか?彼のむき出しの闘志と気迫が楽天に勝利を呼び込んだのだろう。ファンも来年はメジャーへ挑戦のため、楽天を去ることを知っていた筈だ。しかし、1年間彼がマウンドに立ち続け、不敗神話を24にまで伸ばし、立派にその役目を果たしたことに誰もが感謝し、彼の背中を優しく見送ることを覚悟していた。だから、これが最後で彼の雄姿の見納めだと悟り、心の底から声援を送ったに相違あるまい。
     あの日、間違いなく楽天スタジアムには野球の神様が降りたし、奇跡を生んだのも間違いなく田中将大がいてこそだった。何を隠そう、生来の巨人ファンの私が、あの日は100%楽天を心底応援したし、田中将大が神に見えた。

     最後に、彼が登場したシーンを多くの楽天ファンが撮影していた。彼を待っていたファンの大歓声と大絶叫、感動的な「あとひとつ」の大合唱を撮り収めた模様をご覧になりながら、今回の記事を結びたい。

    https://www.youtube.com/watch?v=kDc-Pnnwfyk

     駒大苫小牧出身の彼が、今も北海道民に愛されている様子がわかる動画はコチラ。優勝を決めた瞬間の札幌駅構内の様子です。

     「ありがとう、田中将大、ありがとう楽天」。東北に勇気と希望を与えてくれて・・・。次はあなたの雄姿を東京五輪で見てみたいです!

     記事作成:8月29日(月)

    2016年9月 1日 (木)

    私が愛した番組~NHK編~

     「NHK」は日本放送協会の略で、イギリスBBCと同じように、日本で唯一の国営放送だ。その代表的な番組は「紅白歌合戦」、「朝の連続テレビ小説」、「大河ドラマ」の三本立てで、加えて「のど自慢」がそれに続く。誰もが一度は見たことがある国民的番組と言える。私も半世紀に及んだ人生で、いろいろな番組を観てきたが、この歳になって、ようやくNHKのありがたみに気づいてきた。そこで今回は私が大好きで毎回見ていた番組を取り上げたいと思う。

     1位 少年ドラマシリーズ

     1972年から1983年にかけてNHK 総合テレビで放送された、主に小中学生向けのテレビドラマシリーズ。夕刻に放送していた。私は小学生から中学生の頃に見た下の3番組のファンだった。

      1 未来からの挑戦 美男子、飛鳥清明こと熊谷俊哉が大人気で、一昨年亡くなられた。
      2 なぞの転校生 高野浩幸 星野利晴  超能力ブーム
      3 その町を消せ トランザムの「季節」が大好きだった。今でも歌える。

     よくこのオリジナルの動画がアップされていた。たぶん、すぐに削除されてしまうことだろう。

     2位 プロジェクトX~挑戦者たち~

     2000年3月28日から2005年12月28日まで放映されていた。全放送作品は191本。

     番組内容は、主として終戦直後から高度経済成長期までの、産業・文化等の様々な分野において、無名の製品開発プロジェクトなどが直面した難問を、どのように克服し成功に至ったかを紹介するドキュメントである。身近な自動車、家電を初め、当時の日本経済を牽引した重厚長大産業、地図に残る公共事業(ハコモノ、橋梁)などが多く見られる。無名の日本人リーダーと、それに従い支えた多くの人々による挑戦と努力、そしてその成果の紹介がテーマであるが、無名とは言えない本田宗一郎や毛利衛が登場する回もあった。
     技術開発(新幹線、YS-11、ロータリーエンジンなど)の話を中心に取り上げた他、地図(ゼンリン)、辞書(広辞苑)といった人文関係の話、人命救助や環境保護活動などの分野についても数多くの事例を取り上げている。

     技術者にとって光を当てる希望を与えてくれる番組として毎回、視聴率が高かったし、ナレーターの田口トモロヲの語りが最高だった。国井雅比古、久保純子、膳場貴子と超エリートコンビの豪華MCだった。OPの「地上の星」とEDの「ヘッドライト・テールライト」(中島みゆき)の曲も大ヒットした。

     1 窓際族が世界規格を作ったVHS・執念の逆転劇
     2 炎上男たちは飛び込んだ
     3 黒四ダム 断崖絶壁の難工事
     4 友の死を越えて青函トンネル・24年の大工事
     5 不屈のドラマ 瀬戸大橋 ~世紀の難工事に挑む~
     6 東京タワー 恋人たちの戦い~世界一のテレビ塔建設333mの難工事~
     7 ツッパリ生徒と泣き虫先生~伏見工業ラグビー部・日本一への挑戦~
     8 全島一万人 史上最大の脱出作戦 〜三原山噴火・13時間のドラマ〜

     3位 ドラマ(大河ドラマを含む)

      1  天下堂々 

     1973年(昭和48年)10月5日から1974年(昭和49年)9月27日まで、金曜日の20時(午後8時)より放映された。篠田三郎、石橋正次、柴俊夫、村野武範らが出演した。
      2 おんな太閤記 西田敏行、佐久間良子
      3  独眼竜正宗 渡辺謙
      4 篤姫  宮崎あおいと堺雅人
      5 峠の群像

     4位 レッツゴーヤング

     1974年4月7日から1986年4月13日までNHK総合テレビで毎週日曜 18:00 - 18:40に放送されていた若者向けの音楽番組である。私はサンデーズが毎回、若々しい歌と踊りを披露するのが好きで、スクールメイツも愛嬌を振りまいていた。アイドルたちのアピールの場で、旬なシンガーやアイドルがこぞって出演したが、田原俊彦や近藤真彦、植草克秀らがレギュラーで人気があり、女性レギュラーも松田聖子や石川ひとみらががっちり固めた。またMCには、平尾正晃と太川陽介、石野真子らがレギュラーだった。川崎真世、渋谷哲平、新田純一、佐久間レイ、日高のり子、佐藤恵利らがサンデーズのメンバーだった。
     田原俊彦と松田聖子のデュエットは毎回の目玉で、その都度ファンの異様な歓声が響き渡った。

     5位 連想ゲーム 

     1969(昭和44)年から22年間続いたNHKの看板ともいえる番組。 キャプテンの単語によるヒントから連想する言葉を答えるもので、回答者が女性、男性と 紅白に分かれて交互に答え、点数を競った。男性キャプテンが違反ヒントが多い加藤芳郎で、女性チームは天地総子、中田喜子、藤田弓子が名ヒントを与えた。レギュラーは三橋達也、大和田獏、田崎潤、渡辺文雄、江守徹らが懐かしい。女性チームは坪内ミキ子、檀ふみ、岡江久美子、中井貴恵らが印象深い。スリーヒントコーナーとかリンゴゲーム、ワンワンニャンニャンコーナーなどがあった。

     5位 その時歴史が動いた

     2000年3月29日から2006年3月8日まで水曜日の21:15から43分間放送されていた歴史検証番組。歴史が動いた一瞬をクローズアップし、時代背景や人間模様と共に、その時、何があって、そうした事件や事変が生じたのかを回顧する番組で、司会の松平定知が絶妙だった。番組の主題歌も一層感慨や情感を盛り上げた。

     6位 お笑いオンステージ 

     1972年4月8日から1982年4月4日 までNHK総合テレビで放送されたスタジオ公開型バラエティ番組である。主演・MCは 三波伸介、中村メイコ。最後の「減点パパ」が毎回感動的で、こども達が父親への手紙を読むシーンではいつも号泣だった。また三波伸介が描く似顔絵がいつも素晴らしく、毎回楽しみにしていた。 

     7位 朝の連続テレビ小説

     1 てっぱん  尾道と大阪が舞台。瀧本美織、富司純子、竜雷太らが大熱演
     2 あまちゃん 能年玲奈と橋本愛のコンビが大人気に!古川新太、小泉今日子、薬師
              丸ひろ子も熱演。有村架純や福士蒼汰も大人気となった。
     3 元気です 宮崎美子が初ドラマ主演。いじめられ役や汚れ役を熱演した。
     4 おしん   小林綾子、泉ピン子、伊東四朗らが出演。全世界で放送された。 
     5 まんてん 宇宙飛行士を目指す物語。宮地真緒と藤井隆が出演した。

     将来を嘱望されたヤングアイドルや若手女優の登竜門。ここで演技力を磨き、大女優への足掛かりを築く重要なドラマだ。 

     8位 ウルトラアイ

     1978年5月8日から1986年3月17日までNHK総合テレビで放送された科学をテーマにした全296回の情報番組・教養番組である。放送時間は毎週月曜 19:30 - 20:00であった。この後継番組が現在も放送中の「ためしてガッテン」と言われている。司会の山川静夫アナが安定感があって場を盛り上げた。

     9位 NHKスペシャル

     毎回、社会問題になっている事象をピックアップして、解説付きでその実態に迫った。

    10位 生き物地球紀行

     毎回、動物の知られざる生態を地球の裏側にまで出向いて撮影した。その素顔に迫った。

     ほかにも「小さな旅」や「新日本紀行」などの旅番組や「にっぽん釣りの旅」、「趣味悠々」、「You」、「中学生日記」も大好きだった。

     NHKは国営放送という位置づけと受信料をとる唯一の番組だけに、何かお堅くて、高齢者向けのテレビ局だと若い時分には思っていた。しかし、毎週楽しみにして見ていた番組も多かった。心に残る名番組が多く、ビデオライブラリーには最適だ。ぜひ今後も、そうした番組制作に努めてほしいと願う。

     記事作成:8月30日(火)

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