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2016年10月

2016年10月31日 (月)

2016年10月期のCMベスト5

  昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、今年からは毎月末に傑作CMを紹介しています。今回もこの10月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。

 1位 pray for one

 あなたは誰の幸せを祈りますか?このCMの中に人生の縮図が詰まっている気がする。

 2位 ラ王 「食べたい男 遠くの幸せ 篇」

 遠い記憶を蘇らせてくれそうなシチュエーション。街角で偶然に、学生時代の出来事を思い起こさせるような相手に遭遇。しかし、相手には子供が・・・。ろくに会話も交わせずその場を離れる二人・・・。続きが気になるストーリーだ。

 3位 貫地谷しほり トミーリージョーンズ タモリ CM サントリー プレミアムボス「プレミアムTOKYO」   

 4位 エネオス 吉田羊 丁寧なプロの仕事

 5位 ダイハツキャスト 「そびえ立つ道」編

 10月に何度も放映されたCM。ダイハツは綾野剛出演のベタ踏み坂など、日本全国の隠れた面白い道路事情を紹介するCMを制作して来た。今回は山崎賢人が出演。

2016年10月28日 (金)

1980年代福島県内の週末のお楽しみテレビ番組

 1980年代は、私が高校時代、そして大学時代を過ごした時期で、世間はバブル景気を迎え、飽食の時代と呼ばれていた。文化的には洋楽が持て囃されたり、アイドルブームで親衛隊が闊歩し、竹の子族やなめ猫、ツッパリブームなどが沸き起こった。
 我が福島県でも民放2局に加え、テレビ朝日系列をネットする福島放送(KFB)、そしてその数年後にはTBS系列をネットするテレビユー福島(TUF)が開局した。様々なテレビ番組がLIVEで見られるようになった。では、昨日に引き続き、私が1980年代の週末に楽しみにしていた番組を取り上げたい。

 土曜日

 7:00 巨人戦のナイター中継が多かった。 まんが日本昔ばなし

 常田富士男さんと市原悦子の巧妙な話しぶりが大人気となった。龍にまたがって登場するオープニング映像は長年見ていた。私は「三枚のお札」が大好きだ。

https://www.youtube.com/watch?v=3XkKD4vA7sQ

 7:30 クイズダービー

 やはり70年代から80年代はこれが定番。高視聴率で回答者も宮崎美子や齋藤慶子、井森美幸、北野大と入れ替わった。漫画家のはらたいらの知識量は半端なく、大橋巨泉をもってしても「宇宙人」と言わしめた。

 8:00 オレたちひょうきん族

 「全員集合」がマンネリ化し、80年代の漫才ブームを支えたコンビやトリオがこぞって出演し、パロディーを繰り広げた。「ひょうきんベストテン」や「たけちゃんマン」などの冠コーナーから「懺悔コーナー」まであり、人気歌手であってもバケツの水を喰らった。山村美智子や寺田理恵子アナもよくかぶっていた。

 9:00 土曜ワイド劇場 池中玄太80キロ

 西田敏行がカメラマンで、娘役に杉田かおる、同僚に坂口良子、長門裕之、三浦洋一などが出演し、ファミリー的なドラマだった。北海道のタンチョウヅルが舞う映像に憧れて、私は北海道に住むことを決意した。主題歌の「もしもピアノが弾けたなら」と挿入歌の「鳥のうた」が大ヒットした。あまりの高視聴率と反響につき、第二弾(続編)も制作された。

11:00 ねるとん紅鯨団

 深夜に放送していたとんねるず司会の出会い系番組。カップル誕生までをとりもつ。「ちょっと待った」コールや「お任せ」コールが生まれた。中高生は毎週欠かさず視聴していたと思う。現在はナインティナインのお見合い大作戦に受け継がれている印象。

11:15 プロ野球ニュース

 佐々木信也やみのもんたが司会を務めた情報スポーツ系番組。プロ野球の全試合を細かく解説付きで回顧する。珍プレー好プレーコーナーや今日のホームランのコーナーもお馴染みのBGMに載せてお送りされた。

 0:50 テレビ海賊チャンネル

 これは私が北海道に住んでいた頃に放送されていた。所ジョージがMCを務めるお色気系バラエティ番組。「ティッシュタイム」や「シャワータイム」などがあった。同じ深夜の時間帯に松山千春がMCを務めた「ハローミッドナイト」も放送されていた。

 日曜日

 7:00 巨人戦のナイター中継が多かった。

 7:30 クイズヒントでピント・テレビ探偵団

 土居まさる司会のクイズ番組。白組と紅組に分かれてクイズに答え勝敗を決める。デジタル技術を用いたハイテク映像などを駆使した。回答者は中島梓、小林千登勢、薬丸裕英、高田純次などがいた。

 テレビ探偵団は懐かしのテレビ番組や懐かしのテレビCMを紹介するバラエティ番組。三宅裕司とデビュー間もない時期の山瀬まみが総合司会を務めていたほか、当時『週刊TVガイド』の編集記者だった泉麻人が本名の朝井泉名義でコメンテーターとして出演していた。

  8:00 TVスクランブル 天才たけしの元気が出るテレビ

 1985年 4月14日から1996年10月6日まで日本テレビ系列ほかで放送されていたバラエティ 番組で、ビートたけしの冠番組。いろいろなコーナーがあった。初代元気村、やカフェド半魚人、元気温泉などがあった。ほかにもダンス甲子園が人気があった。オスマンサンコン、松方弘樹、兵頭ユキ、高田純次などがレギュラーだった。

 9:00 知ってるつもり?!

 関口宏の冠番組。当時関口が司会する番組は多かった。1989年10月8日から2002年3月24日まで日本 テレビ系列局で毎週日曜日 21:00 - 21:54 (JST) に放送されていた。教養番組で、毎回歴史上の人物を取り上げて紹介していた。大半がその人物の生涯を振り返るものだった。主題歌も何度か変わったが毎回名曲ばかりだった。

10:00 アイアイゲーム  

 山城新伍が司会を担当するバラエティ系クイズ番組。フジテレビ系列局ほかで放送されていたフジテレビ製作のクイズ番組である。フジテレビ系列局では1979年10月14日から1985年9月29日まで放送された。解答者(いわゆるパネリスト)には名高達郎、クロード・チアリ、芹沢博文、中尾ミエ、デヴィ・スカルノ、せんだみつお、高見知佳、島田紳助、成田三樹夫、山下規介などがいた。また、当初はアシスタントとして出演していた川島なお美も、後期には解答メンバーに加わっていた。この番組で生まれた「チョメチョメ」とは「×」「駄目」「いけない」を意味する俗語だった。

 https://www.youtube.com/watch?v=SfNG3ODc5hk

 記事作成:10月8日(日)

2016年10月27日 (木)

1970年代福島県内の週末のお楽しみテレビ番組

 1964年には歴史的な出来事があった。東京オリンピックが開催され、戦後日本の復興を世界にアピールできた時期だった。さらには首都高速や東海道新幹線開業により、インフラ工事が進み、その後の高度経済成長につながった。いうなれば副産物として公害問題を生み出したが、ベビーブームと相まって、人々が夢と希望に満ち溢れていた時代と言える。
 そんな1960年代に私はこの世に生を受けたが、その頃は、テレビと言えば街頭テレビであり、各家庭へのテレビの普及はさほど高くはなかった。力道山が外国レスラーと対峙したり、シャボン玉ホリデーやてなもんや三度笠などが盛り上がっていた。

 一方、1970年代と言えば、私が小学生~中学生の時期にあたる。その頃は高度経済成長期で、3Cが持て囃され、「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代であった。テレビが急速に普及し、脚付きの白黒テレビでは、コンバーターでUチャンネルを見て、そして大きく見えるスクリーンを取り付けたり、そしてほどなくカラー化した時代だ。テレビを小さい頃から見て過ごした私だが、当時はNHK2局と民放2局(福島テレビと福島中央テレビ)しかなかった。だから、東京地区では放送されても、ここ福島県内では見られなかった番組も多かったし、数か月遅れで見ることができた番組もあった。そんな中、私が週末に一家団欒で楽しみに見ていた番組があった。今日は1970年代に、福島県内で放送していた番組で、特に想い出に残っている番組表をお送りしたい。

 土曜日

 7:30 巨泉のクイズダービー

 1枠 篠沢教授、2枠 長山藍子 3枠 はらたいら 4枠 竹下景子 5枠 ゲスト

 ロート製薬提供の高視聴率を獲得していたTBSの人気長寿番組だった。

 8:00 8時だヨ!全員集合

 ザ・ドリフターズが生放送でコントや合唱隊を繰り広げ、お茶の間の人気をつかんだ。多彩なゲストが持ち歌を歌い、多くの流行語を生み出した。

 9:00 どてらい男・土曜グランド劇場・横溝正史シリーズ

 あおい輝彦が主演したフジテレビ系列の4年越しの長編ドラマ。昔は1年以上の長きに渡り、ストーリーが続いた。土曜グランド劇場は、NTV系列の数回完結のドラマで、私は「おとこ同志おんな同志」、「姿三四郎」、「パパの結婚」が大好きだった。とにかく竹下景子さんの大ファンだった。

 

 横溝正史シリーズは古谷一行が金田一耕介役で出演。各シリーズごとに難事件に挑んだ。シリアスかつおどろおどろしい殺戮シーンが怖かった。昔はフィルム撮影だったので、重々しく臨場感があった。テーマ曲 茶木 みやこ 「あざみの如く棘あれば」も大好きで、エンディングの映像もどこなのか気になっていた。富岡製紙工場らしい。

10:00 土曜ワイド劇場(福島放送)・大江戸捜査網・ウィークエンダー 

 土曜ワイドは、東京では21時からの放送だったが、こちらでは1時間遅れての放送。明智小五郎の「美女シリーズ」や「幽霊温泉シリーズ」が大好きだった。結構エッチなシーンが多く、家族で見るには抵抗があった。

 大江戸捜査網は痛快時代劇の大江戸捜査網も楽しみだった。

 ウィークエンダーは三面記事を各レポーターが取材した内容をより詳しく解説報道する。再現VTRはかなりエロかった・・・。

 この頃の「大人のテレビ」と言えば、「11PM」「アフタヌーンショー」、「あなたの知らない世界」、「独占おとなの時間」、「トゥナイト」で、週末は「テレビ海賊チャンネル」、「オールナイトフジ」だったと思う。

 日曜日

 7:00 アップダウンクイズ

 クイズに答えるたびに、回答者が乗ったワゴンが上がり、10問正解すると海外旅行が当たる。タラップでスチュワーデスに扮したアシスタントのミニスカートが見えそうでヤバかった。

 7:30 シルバー仮面・猿の軍団

 幼少の頃は「赤影」や「シルバー仮面」を放送し、小学生の頃に「猿の惑星」をパクったドラマが制作された。子供ながらにマジで猿に世界が支配されるものと思い込んで怖くて眠れなかった想い出がある。

 8:00 笛吹童子・日本沈没

 笛吹童子はかつて山城新伍が扮したが、そのリメイク版。ヒーローの笛吹童子が横笛を吹いて登場し、勧善懲悪の如く、悪い奴らは成敗した。
 そしてその後、1974年に始まったのが「日本沈没」。村野武範と田所博士役の小林桂樹が地殻変動や大地震によって日本列島が海の底に沈むという悪夢に挑んだ。ケルマディック号やノーチラス号などの潜水艦が登場し、私もプラモデルでこれを作り、風呂の湯船に浮かべて遊んだものだ。五木ひろしが歌う主題歌「明日の愛」が大ヒットし、私もレコードを購入した。

 9:00 花王名人劇場

 漫才は1980年代に若手漫才師ブームを迎えるが、その前にやすきよや漫談、落語が娯楽の頂点に立った。

10:00 ラブラブショー

 1970年4月5日から1979年9月30日までフジテレビ系列局で放送 されていたフジテレビ製作のトーク番組である。 芳村真理が司会を務め、旬なタレント同士がトークと歌で一夜限りの番組デートをスタジオで行う出会い系番組だった。近年の「恋するハニカミ」や「ラストKISS」、「もしもの二人」的な番組だった。ここからアントニオ猪木と倍賞美津子、三浦友和と山口百恵などのビッグカップルが誕生した。

 さて、1970年代と言えば、もう50代以上の方々しか記憶にないかもしれない。そして全国区と我が福島県では放送曜日もその時間帯も異なる。だからこのような感慨に浸ることもないだろうが、少なくとも同郷出身者には懐かしく思えると思う。明日は、1980年代の番組を続編としてお送りする予定です。

 記事作成:10月8日(日)

2016年10月24日 (月)

V9戦士の監督としての戦績

 過去何度もプロ野球の話題に触れてきたが、今回はかつてプロ野球界を席巻し、9年連続の日本一の栄冠を獲得するという大金字塔を打ち立てた川上哲治監督。ONを中心に役割分担をきっちり決め、分業制を確立し、手堅い管理野球を徹底した結果だった。この時活躍した黄金世代をV9戦士と呼び、伝説として語り継がれている。
 大変な実績を残した彼らは、指導者、つまりコーチや監督として他チームからも引く手あまたで、三顧の礼をもって招聘されることが多かった。 しかし、「名選手は名監督に非ず」という言葉がある通り、現役時代と比べ、監督としての成績はお世辞にも良かったとは言い難いものだった。それを数字で検証したい。

 先ずは、あの野村監督も崇拝し、管理野球を継承して成功した広岡達朗、藤田元司、森昌彦らを育て、大監督として君臨した川上哲治の戦績から。

  1,866試合1,066勝739敗61分 勝率.591

  実に14年の監督生活でリーグ優勝11回。その全てで日本一!

 打撃の神様と称された川上哲治は監督としても超一流で、野球を通して人間を育てるという人生哲学が随所に見られた。そのゆるぎない信念はあの野村克也も彼の管理野球を参考にし、データ重視をプラスしたID野球を編み出した。牧野茂を参謀役として配し、緻密で徹底した分業制による適材適所に駒を置いた。その常勝巨人の勝利の方程式は、その後、川上野球の愛弟子で、監督に転身した広岡達朗、藤田元司、森昌彦に受け継がれ、名将を生み出すお手本となった。
 しかし一方で、V9戦士が監督に招聘された後、ファンがその実力を認める名監督は藤田氏だけであり、ONもまたその偉大さゆえに監督としては棘の道を歩くこととなった。

 それでは9戦士たちの戦績を挙げ、比較したい。

1番センター 柴田勲 スイッチヒッターで俊足、2,000本安打を達成した理想の先頭打
             者  残念ながら、監督としては招聘されなかった。

2番セカンド 土井正三 小技が利く頭脳派の二番打者 守備の名手でもあった。故人

 監督としての戦績  390試合195勝183敗12分 勝率.516 オリックス3年 

3番ファースト 王貞治 世界のホームラン王 一本足打法。敬遠も多かった。

 監督としての戦績  630試合327勝264敗39分 勝率.553  巨人5年
            1,877試合988勝854敗35分 勝率.536 ダイエー14年

 王が現役を引退してもすぐに監督就任とはいかなかった。王には長期政権を期待した結果、長嶋の失敗の二の舞を避け、助監督として藤田監督の下で采配を学ばせた。V9時代の名参謀役だった牧野茂を招聘し、ヘッドコーチを任せ、徹底的に監督業を学ばせた。トロイカ体制とも呼ばれた新たな采配方式を確立した。しかし、藤田が3年契約で2度の日本一という戦績を残した後を引き継いだ王は、采配が空回り、クロマティーと鹿取を酷使したものの、就任5年で成績不振を理由に解任されてしまう。「世界の王」を持ってしても監督は別世界というのを強く印象付けた。しかし、巨人一筋を貫いた長嶋とは異なり、彼は捲土重来の機会を別チームに求めた。ダイエーとソフトバンクの監督に就任し、リベンジを果たそうと試みた。ダイエー就任後は負けが込み、ファンからは心無い野次や「辞めろコール」を浴び、外野スタンドには「腹を切れ」という横断幕まで掲げられたこともあった。

4番サード 長嶋茂雄 ミスタープロ野球

 監督としての戦績 1,982試合1,034勝889敗59分 勝率.538 巨人15年

 長嶋は現役引退の翌年、川上監督からバトンを渡され、監督に就任した。その1年目は球団創設初となる最下位転落という散々たる結果だった。自身が引退し、頼みの王貞治も35歳を過ぎ、ピークを越えていた。投手陣もWエースの堀内や高橋一三を始め高齢化が進んだ。そこで複数の大型トレードを敢行し、日本ハムから安打製造機の異名をとった張本勲を獲得し、新生OHを結成。打線のテコ入れに成功した。翌年は王のホームラン世界一フィーバーも手伝い、最下位から見事、奇跡の優勝を果たした。ド派手な長嶋野球らしかった。しかし、その2年後には主砲の王がシーズン30本塁打を放ちながら現役を退き、長嶋も成績不振を理由に電撃解任に追い込まれた。
 長嶋は長い浪人生活を送った末に巨人の監督に復帰。再び背番号3を身に纏い脚光を浴びたが、監督が偉大すぎて、あるいは目立ちすぎて選手が萎縮。結果、ドラフト改革で逆指名によって上原、高橋由、仁志、二岡らを獲得、さらには大型トレードやFA導入で根こそぎ他球団の主砲やエース級を強奪するという荒療治に出た。その場しのぎの付け焼き刃的な発想で補強に次ぐ補強を敢行。生え抜きの若手を育てるといった「巨人愛」は影を潜めた。それだけ球界の盟主として、常勝を義務付けされた人気球団の宿命だった。清原、石井、蓑田、加藤英、広沢、江藤、マルチネス、ペタジーニ、ラミレス、落合、ローズ、小久保、小笠原、村田などを入団させた。投手もグライシンガー、川口、工藤、杉内、ゴンザレスなどを獲得するまでに至った。外国人助っ人の獲得はことごとく失敗に終わった。

5番ライト 末次利光 コーチ経験はあるが、監督にはならなかった。 

6番ショート 黒江修 彼も巨人や西武でコーチを長く務めたが、監督にはならなかった。

7番レフト 高田繁

 監督としての戦績 854試合385勝433敗36分 勝率.471

  明治大学時代は主将として抜群の統率力を発揮したが、日本ハム4年ヤクルト3年弱ですべて3位以下に低迷。3年目にはペナント途中で休養に入ることとなった。事実上の解任だ。そんな実績のない彼がなぜDeNAのGMをやっているのか不思議でならない。

8番 キャッチャー 森昌彦(監督時代は祇晶に改名)

 監督としての戦績 1,436試合785勝583敗68分 勝率.574 10年 

 広岡監督の後を引き継ぎ、西武の黄金時代を築き上げ、盤石だった。秋山、清原のAK砲に加え、デストラーデ、平野、辻、石毛などのスターを揃え、投手陣も松沼兄弟、森、工藤、渡辺久信、郭、潮崎など完璧な布陣だった。8年間で7度のリーグ優勝、6度の日本一に輝いた。その実績を買われて横浜の監督に招聘されたが、結果を出せず解任となった。

 その他

 広岡達朗

 監督としての戦績 966試合498勝406敗62分 勝率.551  

 8年間でリーグ優勝4度、3度の日本一に輝いた。強い川上野球を間近で見ていた彼は、他チームでもその手法を活かし、セ・リーグのお荷物球団だったヤクルト、そしてパ・リーグでも球団売却で実績が出せなかった西武を率いて共に優勝を浚った。しかも巨人が倒せなかった当時最強だった阪急を倒して日本一の栄冠に輝き、西武では宿敵巨人に競り勝って日本一になった。早稲田卒の頭脳明晰、知性派の監督となった。 

 投手出身の巨人監督

 藤田元司

 監督としての戦績  910試合516勝361敗33分 勝率.588 7年間で優勝4回 

 彼は川上野球の継承者ではないものの、管理野球+温情采配の持ち主だった。V9の初期に現役を引退した。慶應出身のエリート投手の彼は、短命だったが8年間の現役ながら119勝を上げた。シーズン29勝という戦績も残した。監督としてはONの後の尻拭い約だったが、紳士的な立ち居振る舞いを徹底し、2度共に見事チームを立て直した。そその藤田野球の影響を受け、継承したのが原監督だった。

 堀内恒夫

 監督としての戦績 284試合133勝144敗7分 勝率.480 

 巨人監督として唯一負け越している監督だ。原監督が電撃辞任し、コーチも決まらない中で、後を引き継いだ。しかし、現役時代の天狗状態は成りを潜め、全く奮わなかった。そんな彼が、呑気に専門家気取りで解説などよくできると思ってしまう。理論は一流でも実践が伴わなかった典型。今では参議院議員とはいい身分だ。 

 宮田征典 

 リリーフエースとして活躍したご存知「8時半の男」。セーブという制度が無かった時代に大活躍したセットアッパー兼クローザー。故人
 試合の終盤、7回頃に登場すると、時間が20時半頃だったことからそう呼ばれた。267試合に登板し、45勝30敗の成績だった。残念ながらコーチ経験はあるものの、監督としてはお呼びがかからなかった。

 さていかがでしたか?冒頭で「名選手は名監督に非ず」という言葉の意味を理解できたと思う。自分自身が選手として華々しい活躍をしても、人間を観察し、適材適所や調子の良し悪しを見極め、人を配置して使う能力は別物だということがわかる。

 しかし、1980年代以降、不思議なことがある。V9戦士以外の生え抜きの巨人の選手で監督をしたのは、原辰徳、中畑清(DeNA)、高橋由伸しかいない。江川、桑田、松井秀喜らは監督に就いていない。やはり現役時代にどんな名選手でも、記憶に残る活躍をした選手でも、人を使いこなす監督業はやはり違うのだ。

 記事作成:10月4日(火)

2016年10月22日 (土)

郡山富田駅工事進捗リポート(10月22日現在)

 郡山富田駅の開設が発表されて以降、設置場所から半径500m以内に住む私は、その進捗状況が気が気ではない。前回は4か月前の6月20日付の当ブログ「郡山の公共施設工事進捗状況(2016.6)」という記事でも、工事の進捗状況を紹介した。
 今日は、その続編とばかりに来春の開業に向け、急ピッチで工事が進む「郡山富田駅」について、10月22日(土)時点での工事の進捗状況を報告したい。撮影はこの日の朝7時15分頃。

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プラットホームは6両編成の車両対応のため長い。ほぼ下工事が完了して
いるように見える。

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上の2枚は喜久田街道の北側セブンイレブンの駐車場に建設中の橋脚の
柱部分。まだ土台の工事のみ。光建工業が請け負っている。

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     雑誌「aruku」のオフィスが入るマンションの3階から撮影

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南側のアクセス道路設営はノウチ工業が担当。旧農地試験場の鶏舎土手と
雑草だらけだった線路沿いの場所がガラリと様相を変えた。医療機器開発支
援センターの外観はほぼ完工している。

 プラットホーム設営は全容が見えたが、喜久田街道を跨ぐ跨線橋やセブンイレブン側の出口の階段などはまだ土台建造のための土木工事のみ。鉄筋であんなに奥までアンカー工事をするものなのだ。セブンイレブンが半分隠れてしまうほどの大掛かりな工事だ。また、南側は道路もまだ鉄板が敷かれているだけで未完の状態。完成予想図からは程遠いし、駅舎もまだ着工すらしていない。看板記載のようにあと5か月後の3月17日までに完工するのだろうか?

 この地域に住む住民にとって駅の招致は悲願だった。私が八山田界隈に引っ越した平成7年には、付近は田んぼだらけで何もなかった。それがベニマル、カインズ、多くの病院、メガネ屋、ケーキ屋、コンビニ、GSなど、住民にとって願ったり叶ったりの利便性溢れる有益な街になった。家電量販店も出店し、農家直売の野菜もお手ごろ価格で購入できる。本当にありがたいし、都市整備は着々と進み、まるでモデル都市のようだ。あとは駅の建設が待たれるだけで、私が町内会長を務めた平成17年には、市に陳情に訪れたこともあったし、JRとの懇談会にも参加し、実情を訴えたものだ。付近には工業高校や大学があり、劇的に商業施設やベッドタウン化した喜久田街道沿線には、駅さえあれば、中心市街地への交通も良くなり、飲んでも最終で帰れるだけに嬉しい悲鳴の連続だった。

 しかしながら、実情を見れば、下記の郡山市の公式HPに掲載されているレイアウト図や完成予想図とは程遠い状況で、一時、品川郡山市長の横槍で開成山屋内プールの建設と同様、建設の見直しなどで、工期が大幅に遅れている。本当に4月1日に間に合うのだろうか?

 平面図はコチラをクリック

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 上の図の左側が医療機器開発支援センターで右側がセブンイレブン

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 セブンイレブンの丁字路の真正面が無人の駅舎。でも自動改札でsuicaが使える。

 郡山市の公式HPによる記載

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 利用見込み者数 約1,000人
 駅舎 待合室、駅倉庫、自動券売機、Suica対応改札機
 ホーム 1面、130m、6両編成対応
 トイレ 男子(小2・大1)、女子(大2)、多目的(大1)※オストメイト対応
 跨線橋(人道橋自由通路) 車いす及び自転車通行可、エレベーター2基

 駅前広場 車寄せ(乗降場)、ロータリー
 駐輪場 約200台収容

 実際、郡山駅から隣りの駅が喜久田駅など遠すぎて話にならない。バスとマイカーでしか足がないなんて不便極まりない土地柄だった。それがこの20年で劇的に変った。私は高校生までさくら通りの虎丸町という繁華街に住んでいたので、住所に「字」がつくような外れの場所に住んだのも初めてだったし、幼稚園、小学校、中学校が半径500m以内にすべて揃っているというだけで、店は無かったし道路は良くないしで大変だった。それがあれよあれよといいう間に、あちこちで工事が始まり、劇的に変貌を遂げたのだった。

 さて、駅が出ることによって、駅前の商業施設への買い物がし易くなる。車で行くと、駐車料金が気になって、落ち着いてショッピングが出来ない。また、駅前のオフィスや駅周辺の工場に勤務しているサラリーマンやOLは通勤に電車を使えるため、その分、車の利用が減り、朝夕の通勤ラッシュが緩和されるかもしれない。かくいう私も、今転勤希望を出しており、もし駅前のオフィスビルに異動となれば、自宅から800m、徒歩10分、自転車4分の郡山富田駅からひと駅乗って通勤したい。SUICAや定期券での電車通勤が私の夢でもあった。そして21時まで残業して、その後、毎食を駅前の居酒屋でひっかけて、最終で帰ればバッチリだ。1時間程度なら、悪酔いもしないだろう。快適な毎日を過ごせる。いいこと尽くめの新駅建設。早い完成が待たれる。

 しかし、一方では懸念材料もある。快速は止まるのか?という点と郡山駅から来た電車が富田駅のホームに入ると、その時点でその西側にある北向踏切が遮断機が下りてしまい、ホームに入るまでに30秒、停車して扉が開き、乗降に1分30秒、発車後にゆっくり加速して踏み切りを通過するまで1分以上で、合計3分以上で、今以上に踏み切りの待ち時間が長くなるのでは?そうするとベニマル側からの長蛇の踏み切り待ちの渋滞が出来てしまう。できれば、発車のベルが鳴った時から遮断機を下ろしてほしい。

 次回のレポートは約50日後の12月中旬頃を予定している。

 

 記事作成:10月22日(土)

2016年10月21日 (金)

歌舞伎座改築の呪い、いつまで・・・

 今年も歌舞伎界に激震が走った。2013年に旧劇場が表構えだけを残して解体され、2013年に歌舞伎座が現在の姿に改築されて、高層ビルと併設されてから、歌舞伎俳優に立て続けに不幸が訪れているのは周知の事実だが、これを怨念や祟りと呼ばずして何と言う。これまで大御所の人気歌舞伎俳優が立て続けに急死したり、舞台から奈落に転落して大怪我を負ったりと、まるでツタンカーメンの呪いの如く不幸が相次ぎ、歌舞伎関係者に衝撃を与え、震わせている。また、今年はスキャンダルと祝い事が交互に訪れた。真面目で誠実な人柄で通っていた阪東のまさかの不倫、歌舞伎界の汚点を払拭のため気丈に振舞っていた妻の三田寛子が健気で不憫に思った。梨園の妻になった藤原紀香にも何か起きやしないかと老婆心ながら心配してしまう。



 ではこれまでに起きた奇妙奇天烈あるいは不穏な出来事をまとめてみたい。

 <一連の発端となった出来事>

 歌舞伎座の施設老朽化に伴い、建て替えが2008年(平成20年)10月に正式に発表され、翌年8月26日には松竹と歌舞伎座により建て替えの具体的な計画が発表された。

 この直後から得体の知れない災難が連続して降りかかることとなった。

  2010年4月、旧歌舞伎座を閉場した翌11年1月に中村富三郎が死去(81歳)

 2010年11月25日 市川海老蔵暴行事件発生

 午前5時5分から55分頃、海老蔵は西麻布の飲食店(バー)で暴走族グループ・関東連合元リーダーの石元太一と同席中にトラブルに巻き込まれる。石元が連れてきた当時26歳の元暴走族の男から暴行を受け、左頬を陥没骨折、さらに前歯の損傷、鼻の腫れなど顔面全体に大ケガを負った。そして顔面整復手術を受けるほどの重傷だった。
 2010年12月7日 - 海老蔵が記者会見を行う。この席上で無期限の歌舞伎出演自粛が発表された。
 2010年12月8日 - 13日ぶりに海老蔵が自宅に帰宅。その後、妻麻央も帰宅し麻央は自宅前に集まっている報道陣を通し謝罪した。

  2010年11月には中村芝翫が死去 83歳

 中村富三郎と中村芝翫が亡くなった際には、両者とも高齢だったため、原因は病死ということであまり話題にもならなかった。

 2012年2月には中村雀右衛門も死去

 2010年(平成22年)1月19日、歌舞伎座さよなら公演 壽初春大歌舞伎『春の寿』の女帝役で1日だけ出演したのが最後の舞台となった。2012年(平成24年)2月23日肺炎のため死去。91歳の大往生だった。

  2012年8月には市川染五郎が奈落へ転落事故

 2012年8月で、舞踊劇に出演中の染五郎が舞台の迫(せり)から奈落に転落し、右手首複雑骨折などの大けがを負った。この負傷により、しばらく休業を余儀なくされたが、同年10月には復帰会見を行い、翌2013年2月に日生劇場で行われた2月公演で歌舞伎舞台に復帰した。

https://www.youtube.com/watch?v=bD9Mq2cKpf0

 2012年12月には中村勘三郎が死去

 2013年(平成25年)4月には新生・歌舞伎座こけら落としを控えていた歌舞伎界に在って、その牽引役の一人と目されていた十八世勘三郎が57歳の若さで世を去ったことは梨園にとどまらず、各界各方面から「大きな損失」と大変に惜しまれた。

https://www.youtube.com/watch?v=QU0cY5qqfxM

 2013年2月には市川団十郎が死去

 白血病を患っていたが、骨髄移植手術に成功し、回復したかに見えたが、肺炎のため亡くなった。66歳だった。市川海老蔵は実の息子。

  「今ある新しい歌舞伎座は、以前の劇場脇にまつっていた『歌舞伎稲荷』の上に高層ビルを建ててしまいました。ビルが邪魔でお社に降りられず、お稲荷さまが怒っているのでは、という声もあがっています」

 かつて、新歌舞伎座に対して市川海老蔵は、「歌舞伎座の上には守り主がいる。後ろにあんな高いビルができたら、舞台の神様も降りてこないよ」と語っていたが、そんな海老蔵の暴行事件も旧歌舞伎座を閉場した7カ月後のことだった。

 2015年2月21日には坂東三津五郎がすい臓がんで急死

 2013年8月、膵臓に腫瘍が判明し手術・治療のため入院。これにより「九月大歌舞伎」並びに「歌舞伎座特別舞踊会」を休演することになった。2015年2月21日、膵臓癌の治療を続けていたが59歳で死去。歌舞伎座の建設に絡む祟りが叫ばれる中でのガン発覚そして訃報だった。

 2016年 中村橋之助が不倫報道

 京都の芸妓との不倫が明らかになり、記者会見では「不徳の致すところ」を連発し、疑惑を否定しなかった。妻の三田寛子が事態の収拾に走るという本末転倒の所作が明らかに。歌舞伎界は男尊女卑が甚だしい。夫の不始末を被害者である妻が尻拭いをする不可解な世界。

 とにかく歌舞伎界は、新歌舞伎座建設、開場以降、スキャンダル事件が続発している。今年も信じがたいニュースが歌舞伎界に衝撃を走らせた。

 2016年9月 小林麻央を襲った病魔

 市川海老蔵が殴られ、大怪我を負った際にも、陰で支え続けた小林麻央にも病気の魔の手が忍び寄り、まさかの重病。乳がんに端を発した病は、若さゆえに進行が早く、10月初旬にはステージ4であることが明らかになった。ステージ4は末期がんで、5年生存率はわずか11%しかない。手術をした場合でも22%と極めて低い。すでに手遅れの危機的状況で、死に直面する最悪の状態。痛みを和らげる手術をされたようだが、深刻な状態。もしかすると近親者には、余命数ヶ月という過酷dで衝撃的な告知されているかもしれない。それでも闘病生活をしながら、ブログにその病状をファンに発信し続け、同じ病気で苦しむ方々にエールを送り続けている。
 あんなに美人で夫のために身を尽くした彼女が、なにゆえこのような試練と向き合う羽目に陥れられるのか?ひょとして、「歌舞伎の世界に身を投じなければ、梨園の妻にならなければ、このような不幸に遭うこともなかったのではないのか」とさえ感じる。

 歌舞伎役者だけでなく、その家族にも不幸や災難をもたらすこの「歌舞伎座の呪い」。お稲荷様の祟りであるのは明らかで、今後もこうした不可解な出来事は続くに違いない。

 記事作成:10月4日(火)

 追記(平成29年5月18日)

 この日、歌舞伎界にまたまた悪雲垂れ込めるニュースが流れた。若手歌舞伎人気俳優の中村獅童が初期の肺せんがんを患っていることを公表したのだ。幸い早期発見だったため、手術をすれば完治できる見込みだが、非喫煙者である彼が、肺のがんを発症するとは、つい「歌舞伎座の呪い」との関連性を疑ってしまう。
 歌舞伎座の改築以降、これだけの不幸が立て続けに関係者に起きている現状を考えれば、何者かの目には見えない何かの力が働いていると考えてもいたし方あるまい。

 追記(平成29年6月26日)

 私がもっとも恐れていたことが現実になってしまった。市川海老蔵の妻で、フリーアナウンサーの小林麻央さんが乳がんのためにお亡くなりになった。34歳という若さと幼いふたりの子供を残して・・・。さぞかし無念だったに違いない。がんを公表して、それでも情報をブログという手段で発信続け、生きる希望を多くの人たちに与えた。訃報が流れた23日、日本全体が悲しみに暮れた印象だった。
 もしかして歌舞伎に身を投じなければ、このような病気に襲われることもなかったのではないか、こんな目に遭わずに済んだのではないかと思ってしまう。
 彼女の死に際して、献身的な看病の末に亡くなられた長井ひとみさんを思い出してしまった。小林さんと長井さんは同じA型で、清楚で一途で、ピュアな印象までそっくりだった。
 最後に、あの美しい笑顔を私は忘れたくはない。

 追記(平成29年10月9日)

 新橋演舞場で「ワンピース」を歌舞伎化した演目の稽古中、人気歌舞伎俳優の市川猿之助が機械装置に着物を巻き込み、腕を骨折する重傷を負った。これも歌舞伎界に起きた不幸で、一体このような不測の事態はいつまで続くのか?

2016年10月19日 (水)

2016年ぶらり ③~山形&二本松菊人形~

 今日の掲載記事は、旅行と呼ぶには不相応な二カ所の訪問と言える。初めにそれをご了承ください。

 1 山形県鶴岡市(10月13日~15日)

 先週3日間に渡り、初めて山形県鶴岡市を訪れた。仕事(出張)のついでに、空き時間を利用して鶴岡公園内やその周辺に点在する主要な名所を見て歩いたのだった。「藤沢周平記念館」、「大宝館」、「致道館」が主な訪問地だ。ゆったり&まったりな山形新幹線「つばさ」に揺られて、郡山市から4時間近くかけてたどり着いた日本海側の地方都市。海釣りでも足を踏み入れていない私にとって未踏の土地だった。

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 新庄駅を終着とするこの山形新幹線だが、時速70km程度で、隣りを並行する国道13号線を走る軽自動車に抜かれたのにはただただ驚き・・・。

 ① 藤沢周平記念館

 「蝉しぐれ」、「刺客」など時代小説で一世を風靡した藤沢周平。彼の生まれ故郷がここ鶴岡だった。重厚感あふれる作風が魅力。ここには彼の直筆の原稿や彼の執筆していた部屋を再現してある。昭和の香りを感じながら、彼の偉大過ぎる人生の歩みに触れることができた。
 なお、自由帳に私のネーム「時遊人SUZU」で、メッセージをノートに書き記すことで足跡を残した。内部はすべて写真撮影不可。

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 ② 大寶館

 郷里出身の偉人たちのゆかりの品々やその足跡を振り返る展示物が並ぶ。そして鶴岡の文化や地元産業の今昔に触れられる価値ある資料が展示されていた。そして安積高校ゆかりの高山樗牛の資料や生家の一部を移築したジオラマが室内に展示されていた。鶴岡は昭和の名横綱・柏戸を始め、有名な方々の故郷であることを知れただけでも収穫だった。

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 旧西田川郡役所 (レトロな時計台調)

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 現在、北隣りの「致道博物館」が大規模改築中。入場料が700円と少し高い気がするが、中に入らなかったのでどんな建物なのかは不明。東大の赤門のような門がある。

 ③ 致道館

 かつての藩校。会津でいう日新館のような建物。超近代的な建造物である文化会館がそ裏手にどーんと建設中だが、無料で見学でき、その歴史や当時の教育の様子を偲ぶことができる施設だ。孔子廟や当時の教科書が木簡であり、精巧にできた木版であることにも衝撃を受けた。柱に備えられたボタンを押すと案内のガイダンスが流れた。記念スタンプあり。

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 アートミュージーアムも訪ねたが、生け花の展示会だった。鶴岡ゆかりの有名画家の作品が陳列されていた。ガラス張りの現代様式のその建物から、美しい紅葉を眺めることができた。

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 2 二本松の菊人形(10月18日 火曜日)

 この日は出張の代休。しかも青空快晴とあらば出かけたいということで、10月10日に開幕した「二本松の菊人形」に2年連続で出かけることにした。

  11:30 ダイソー発。ガス欠まであと目盛り3 持つか?バイパスへ 24℃
 11:39 本宮IC 11:43本宮のBIGへ 691円。
 11:52 BIG再出発ーおにぎり食いながら走行。 車多い。
 11:59 二本松分岐ー12:06 霞ヶ城公園P22.4km 空いている。700円で菊人形
      菊まだ早く咲いていない。暑い日ざし夏並み。RFCステージなし。世界に誇る偉
      人 虫飛び交う カードメモリ不足で、昔の画像を根こそぎ削除。綾瀬はるか、
      渡瀬恒彦、西田敏行似の人形 20枚は消す。平日で客少ない。
      再入場ゲートから出て、山頂を目指す。 
 12:35 笠松 息切れ 77.1kg 体重い。洗心滝 おばちゃん2人の後方
 12:45 山頂へ。曇っている。テレビカメラクルー。旅番組の先発隊?笠松 再入場
 13:09 出口 藤棚。
 13:12 霞ヶ城発 右折して亀谷坂 左折旧国道。

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 昔に比べて「菊人形」は規模が縮小した印象。昔は駐車場から入り口までの坂にも露店が並び、中腹の別棟の建物(NHK大河ドラマをモチーフにした菊人形の歴代PRポスターパネルなどを展示や団子茶屋があった)や16段返しの芝居小屋もあった。震災で倒壊し、撤去されてしまった。

 13:18 光現寺P 壁にぶつかりそう。墓参り H4とH9 南小そうじ。懐かしいBGM 
 13:27 光現寺発 プラド追い上げを振り切る
 13:50 本宮IC 日和田の交差点に白バイ待機。急ブレーキで回避。荷物飛び出す
       その後もプラドと無法トラックを振る切る。 
 14:03 BIG喜久田 646円。
 14:13 ヤマダ 50枚入りのブルーレイディスク3,880円+不織物布ケースで4,592
       円。10pt カラリオインクは標準の80で3,980円は高い・・・。
15:06 GS給油 1L=119円
15:12 帰宅 

 帰宅後、夕方の「ゴジてれchu!」のニュースで、一昨日、霞ヶ城の頂上のベンチで、何者かがバーベキューを行い、付近にごみを散乱させて行った不届きものがいたらしい。神聖な場所で一体何をしてくれるんだ!あのテレビクルーの意味が判明した。

 さて、今年は旅好きの私でも、仕事があまりにも忙しく、遠出の旅行は出来ずにいた。退職まであと8年足らず。退職したら国内、海外ともにいろいろな場所に出かけたいと思う。一番行きたいのは長崎と倉敷で、錦帯橋や一度も行ったことのない山陰地方にも足を運んでみたい。そう考えれば、歳をとるのも悪くはない。

 記事作成:10月18日(火)

2016年10月18日 (火)

福島県の地酒CM

 福島県を代表するものに地酒がある。今年で、全国新酒鑑評会で4年連続日本一となる金賞受賞となり、確かな酒造りと味が改めて証明できた。そこで今回は、過去に福島県内で流れていた懐かしすぎる地酒のCMを列挙したい。

 夢心・大七

 夢心は喜多方の造り酒屋。

 大七「二人の幸せな時間」(1999.3.22)   

 「酒は大七、うまさは第一」というキャッチコピー。二本松市に居を構えるが、国道沿いや東北本線沿いのあちこちに山の中腹に「酒は大七」の文字看板が聳えている。

 https://www.youtube.com/watch?v=5SLG-z9Ul4o

 「♪君も一杯やらないか~ハイハイハイセブン~こんなに美味い酒なんだ~ハイハイハイセブン」という軽快な歌のバージョンもあった。

 「退屈で退屈で・・・何よりですね」という「大七生元バージョン」はコチラ

 https://www.youtube.com/watch?v=GsUKTbVfmtw (1分39秒~)

 https://www.youtube.com/watch?v=VHavUr4hdfA

 会津ほまれCM

 民謡「会津磐梯山」の歌に乗せて流れた懐かしいCM。実は「サンデーモーニング」でアシスタントを務める「唐橋ユミ」アナウンサーの実家だ。最近はあまり放送されていないのが寂しい。

 末廣

 今は亡き春日八郎が出演した。末廣酒造は老舗中の老舗で、「野口英世青春通り」の「博士蔵」と嘉永蔵があり、毎年、全国新酒鑑評会の金賞受賞の常連だ。

 花春

 「会津の良さは酒の良さ」というコピーが長らく使われた。この和服が素敵な美人女優は若い頃の根本りつ子さんだと思う。1980年代には毎日流れていたCMで、後楽園球場にも看板が出ていたほど。会津を代表する酒蔵だったが、今年、多額の負債を抱え、経営陣を入れ替え、民事再生により、幸楽苑グループの傘下に。

https://www.youtube.com/watch?v=XZYWWC_JXY0

https://www.youtube.com/watch?v=VBQAjE-YllQ

https://www.youtube.com/watch?v=OC_um0MJLzw

 奥の松

 こちらも全国では高評価の地酒だ。新酒鑑評会では毎回入賞している。これも二本松にある。奥の松酒造は創業300年の歴史と最新の設備を併せ持つ福島県の酒蔵です。
創業は古く亨保元年(1716年)に遡ります。東北は福島の地酒として誇りを込めて、奥州二本松の「奥」と「松」から命名されました。300年の長い歴史を積み重ねられたのはお客様との信頼の証だと考えます。「伝統と革新」を信条に常に新しい日本酒造りを目指します。

 榮川

昭和50年代後半から60年代前半にかけて福島県内で流れていた懐かしいCMです。出演は女優の竹村淳子さんです。

https://www.youtube.com/watch?v=HiNOZma46-s

 入江繭子バージョンはコチラ

https://www.youtube.com/watch?v=NH6CP87BGY8

 榮川も花春と同様、会津を代表する酒で、1980年代頃は、ひっきりなしにテレビCMに登場した。花春と同じで和服美人を起用し、40代以上の男性諸氏の注目の的となった。現在は「榮四郎」が最高峰だ。この酒は通好みでとにかく旨い。

 その他

 笹の川 https://www.youtube.com/watch?v=v4U33xvaOJI

 福島県民には見慣れた、あるいは懐かしいCMだが、県外の方々は初めて見るCMだと思う。我が福島県はいわれのない風評被害で、未だに農産物や水産業は復興を遂げていない。地酒の躍進はこうした福島県の産業に一筋の光明を与える。

 最後に「福島の地酒」をPRするPVをどうぞ!

 ふくしまの銘酒グループにお寄せいただいた投稿から福島の自然の美しさと会津のお酒のおいしさをご紹介します。

 記事作成:10月2日(日)

2016年10月16日 (日)

世界に誇れるメイド・イン・ジャパン

 私が好きだった「所さんのニッポンに出番」は放送を終了してしまったが、「ニッポンへ行きたい人応援団」や「メイドインJAPAN」という番組は、いかに日本や日本製品が世界中で高い評価を受けているかがわかる。日本では当たり前のように一般家庭に普及しているのに、世界には無いものがたくさんある。日本人にはなかなか実感がないのに、世界では重宝される「メイドインジャパン」。今回は、世界でありがたがられている日本製品を取り上げたい。

 シャワートイレ&暖房便座

 排泄には金をかけないというのが世界の常識だが、きわまて潔癖で衛生には気を遣う日本人ならではの製品がこれ。お尻を洗うという発想はなかなかできない。我が家でも10年ほど前に全自動のシャワートイレを導入した。蓋の開閉から洗浄、水洗まですべて自動。暖房便座はもちろんだが、乾燥機能までついている。
 一方、海外のトイレ事情はすこぶる悪く、インドや中国の地方に行くと、道端で用を済ませたり、公衆トイレなどは無く、トイレに仕切りがないところが大多数。プライバシーも無い。日本は公衆トイレも水洗が完備。そしてトイレットペーパーも備えていることに外国人は一様に驚く。

 電動アシスト自転車

 これまでは急勾配や長い坂道は自転車を降りて押して歩かなければならなかった。高齢者にはきつい自転車漕ぎだ。それを解消したのが電動自転車。足腰が弱い方でもスイスイ坂道を登る。重たい荷物でもへっちゃら。発売当初は10万円前後と高価だったが、普及率の上昇と共に価格が下がり、今では5万円以下で買えるまでに。坂の多い場所での威力は絶大。

https://www.youtube.com/watch?v=zWW_aFyQD-Q

 紙おむつ

 中国人がバク買いして買占め、ドラッグストアの店頭から商品(パンパース・ムーニーちゃんなど)が無くなるという品切れ状況を招くほど、使い捨てできる紙おむつは大ヒットしている。昔は布切れで赤ちゃんの下半身を巻き、洗濯して何度も使いまわしたが、その手間も不要。オムツ替えも簡単だし、おむつかぶれも解消。常に赤ちゃんのおしりは清潔を保てる。

 青色LED

 これも実現不可能といわれていた発明。これによって信号の青信号が緑色から青色へと変った。ノーベル賞を受賞した赤崎勇(名城大教授)、天野浩(名古屋大学教授)、中村修二(米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授)の共同開発だ。

 和紙

 障子に使われる障子紙は昔は和紙で、行灯などにも用いられた。障子は光を通し、プライバシーは保つ優れもの。白さが際立ち、清潔感に溢れる。外国でもメイドインジャパンブームで、これを通販で取り寄せ、明かり取りに使う外国人が多い。また、墨絵や版画に高級越前和紙を使う人も世界中には多いという。

 インスタントラーメン

 日本で生まれた食品であるが、日本国外に多数輸出されて多く食べられている。日清食品によれば、インスタントラーメンは1958年に同社創業者の安藤百福が発明したとしている。また、海外でもそう認める報道が多い。安藤百福が発明した瞬間油熱乾燥法を含むインスタントラーメンの基本的な製法は1962年に「即席ラーメンの製造法」として特許登録されており、発明協会の戦後日本のイノベーション100選のトップ10にも選定されている。これについては「瞬間油熱乾燥法、またはフリーズドライによって製造された即席麺」を「インスタントラーメン」と定義するなら「チキンラーメン」が「世界初のインスタントラーメン」である。

 折り紙

 手先が器用な日本人の昔ながらの遊び。鶴を折れる日本人は70%以上にも上るといわれている。他にも兜や袴、やっこさん、鞠、器、手裏剣などいくらでも応用できる。千羽鶴は激励や応援、お守りとしても重用される。

 カラオケ

 日本で生まれたもので、カラオケの仕掛け、つまり、歌を歌うための装置、さらにはその装置を使って歌うことだけでなく、歌うための場所を提供している店(カラオケボックス)のことなどを、カラオケと略して指すようにもなっている。これは、カラオケがそれだけ一般化していることの証でもある。

 スーパーカブ

 世界中で販売されているホンダのスーパーカブ。累計生産台数が9000万台を超え、あと数年で1億台を突破しそうだ。50年以上前に発売されたスーパーカブは、主に東南アジアの国々で持て囃されている。台湾やベトナム、タイでは車以上にバイクが街を独占している。

 100均

 100円ショップ(ひゃくえんショップ)とは、店内の商品を原則として1点100日本円均一で 販売する形態の小売店。別名「100円均一」および略した「100均」(ひゃっきん)と 呼ばれることもある。 販売商品は、加工食品や化粧小物、食器や調理道具、乾電池などの日用品、文房具が多く、ほとんどの場合、大量の店舗(チェーンストア)を保有している。

 電卓

 手のひらに乗る小型の電機計算機を開発したのは日本。1970年代頃から一般家庭にも普及し、今では名刺サイズの電卓が100均ショップでも売られるほど。また、1980年代からインドで電卓を販売していたが、値段が高いため知名度の割に売れていなかったカシオ。しかし2010年発売の新商品が大ヒット、以来インドでの売れ行きはずっと好調だという。

  電子炊飯器(IHI)

 まるで竃で炊いたかのようにふっくらと仕上がるご飯。米の一粒一粒がつやつやと美しく立つ。電子制御によって、お米の持つ旨味を最大限に引き出す。米飯民族の日本ならではの発想で、どこの国にも真似が出来ない。

 新幹線

 1964年(昭和39年)10月1日に東京駅 - 新大阪駅間に開業した東海道新幹線に始まり、国鉄時代には山陽・東北・上越の各新幹線が開業した。JR化後も、従来のJR線(在来線)と新幹線とで直通運転を行うミニ新幹線として山形・秋田の2路線が開業し、高速運転が可能な本来の新幹線規格(フル規格)でも北海道・北陸・九州(鹿児島ルート)の3路線が開業に至るなど、新幹線網の拡大は半世紀にわたって続けられている。

 「よくぞ日本人に生まれけり」だ。日本人は頭脳明晰で、島国ならではの独特な発想を有している。それに加えて勤勉な民族だ。細かい作業にも強い。今年もノーベル賞を受賞し、アジアのけん引役になっているし、秀才振りを発揮している。日本初の製品や商品が世界中を席巻している事実は揺るぎが無く、日本人ならではの発想やあったら便利を実用化するユニークで柔軟な思考力が、こうしたメイドインジャパンを生み出す原動力となっているのは言うに及ばない。人生50年を過ぎ、今さらながらだが、日本人に生まれたことを改めて誇りに思う。

  記事作成:9月下旬

2016年10月14日 (金)

イメージが重なる芸能人

 今年1月に掲載した記事「イメージがダブる有名人」が今でも反響が大きい。私が思うに、血液型が同じだと、顔や性格はもちろん、存在自体も似た雰囲気を醸す。今日は、昔活躍した芸能人と最近の方を比較し、同じ類や種に属しそうな方々を検証したい。

 特にイメージが重なるタレントや女優を取り上げたい。

 夏目雅子(故人)と綾瀬はるか

 両者共にB型。少し天然が入った性質だが、演技力があって、ストイックなまでにのめり込む感じは一緒。

そして我が福島県には女子アナで綾瀬はるかに似ている人がいる。それはFTVの寺本緒麻里アナだ。

 相田翔子と笛木優子

 両者共にB型 グラビアタレントの祥子も同じ匂いを感じるが彼女はA型。

 橋本マナミと

 戸田恵梨香と志田未来

 両者共にAB型 AB型は黒のストレートロングヘアーという印象が強い。手塚さとみ、浅野ゆう子、香坂みゆきがその典型。

 富田靖子と広瀬すず

 両者共にAB型

 他にも似ている芸能人は大勢いるが、それは1月掲載した当ブログ記事をご覧ください。血液型が同じ=似ている、雰囲気が同じという構図となっている。それが私の人を見る際のものさしというか基準だ。もちろん育った環境も異なるし、どの血液型の親から生まれ、どういう育てられ方をしたのかというのも人間形成ではポイントになる。まぁいずれにしても私の意見をどのように判断するのかはあなた次第です。

 記事作成:9月下旬

2016年10月12日 (水)

福島県内のロングランCM

 今日は、ご当地・福島県内で長きに渡って放送されているテレビCMを話題にしたい。もう10年以上繰り返し放送されているであろう、福島県民には愛着があり、慣れ親しんだCMだ。選りすぐって5本お送りしたいと思う。

 星総合印刷

 朝の情報バラエティ番組や夕方の県内のニュースの合間に流れることが多い。福島県民にはお馴染みのCM。このBGMも聞きなれているし、いったん伏し目にし、カメラ目線で「プリンティングメッセージ・・・」というのも

 阿部紙工

 これも彩り鮮やかで、主に朝の情報バラエティか夕方の県内ニュースの最中に流れる。

 ヨークベニマル1・2・3の市

 ベニマルは郡山市に本社がある大手スーパーだ。宮城や栃木、山形など店舗を拡大中。毎月1日~3日の「いちにさんの市」や「どまんなか得の市」などを実施。駐車場は満車となる。

 現在は放送されていないが、かつてよく放送されていたCM

 アサカヤの磐梯そば

 こおりやま躾会館

 飯坂温泉ホテル聚楽

 うすい(アヒル)

 幸楽苑(会津っぽ)

 大七酒造(1999年)

 記事作成:9月28日(水)

2016年10月11日 (火)

今見ても美しい女性タレント

 20年以上も前のCMや映像を見ても、綺麗な女性というのは古さを感じないし、その美しさは変わらない。もちろん20年前に20代だった方は、現在は40代になっているが、特に女優さんや芸能人、モデルの方々は美しい歳の重ね方をしていて、今見ても当時とあまり変わらないお姿で嬉しくなる。

 今回のテーマは、20年も前の映像を見ても、古さを感じず、やはり美人は20年たっても、その当時のお姿は色あせることなく綺麗のままでいるということを証明したい。ヘアスタイルや化粧、ファッションの流行は大きく変わっても、地が良い人は、やはり美しいままなのだ。そういう美しき女性を3人取り上げたい。

 三浦智子

 1960年10月25日生まれの55歳。兵庫県神戸市出身のファッションモデル。所属事務所はアン・カンパニー。身長162cm、B82 W59 H85、靴の サイズは23.5cm。血液型はA型。
 17歳からモデルを始める。「CanCam」の初代専属モデルとして活躍。1983年には表紙を飾る。 日本生命のCMで『ニッセイレディ、友子さん』として長年にわたり出演して親しまれたほか、ハウス食品の『♪あらこんなところに牛肉が』(『オクラホマミキサー』の替え歌)というハッシュドビーフのCMでもお馴染み。モデル活動以外にも、『さすらい刑事旅情編』などドラマ・舞台への出演経験もある。

 主に1990年代に、CMで活躍された。出演作品は以下の通り。

  • 日本生命(1989年-)、ドクターシーラボ(2013年-)、ハウス食品 ハッシュドビーフ(1991年)
  • 森永製菓、日本コカ・コーラ、日本マクドナルド、日本ケンタッキーフライドチキン
  • トヨタ カローラ、日産自動車、三菱自動車、花王、オッペン化粧品、セブン・イレブン
  •  では1990年代に放送され、今でも私が大好きで、つい見とれてしまう「ニッセイレディ
    ー・友子さん」のCMをどうぞ!
  •  彼女は私よりも4歳年上だが、今から27年ほど前、竹下景子さんと共に、大好きなモデルさんだった。知性が滲み出る大人の女性という印象だった。

     久保田早紀

     シンガーソングライターブームで沸いていた1970年代後半、「異邦人」で衝撃的なデビューを飾った彼女。ピアノの弾き語りであの美しい容姿は、当時の男性諸氏を虜にした。あの斬新なソバージュも初めて見たし、少しハスキーがかった甘ったるい歌声もベストマッチだった。その後、彼女は表舞台から姿を消していたが、音楽活動は継続し、今では本名の久米小百合名義で歌い続けている。

     確かこの曲は化粧品のキャンペーンソングに使われ大ヒットしたが、名曲は時代と世代を越えて歌い継がれるようで、その後、坂井泉水やMay.Jなど多くのシンガーがカヴァーしている。
     また、この曲のカラオケが動画サイトにアップされているが、ここに登場する女性が可愛い!誰なのかわからないがとにかく気になる存在だ。

     坂井泉水

     1990年代に最も輝いた女性アーティスト。私は3年前に彼女のお墓参りに行ったほどの筋金入りのファンで、今でも通勤時やドライブのBGMは彼女のCDを聴いている。彼女の出世作となった「揺れる想い」、彼女の乙女心をストレートに表現した詩作の中で、負けないで、心開いてと共に大好きな一曲だった。ポカリスエットのCMに使われて大ブレイクした。血液型はA型。彼女の一生については当ブログ記事の「坂井泉水forever」で記載しているので、そちらをご覧ください。

     松嶋菜々子

     彼女の美貌は語るに及ばないというかもう言わずもがなだが、彼女が20代でスクリーンに登場したときには、息を呑むような容姿にうっとりした男性諸氏が多かったに違いない。あの端正な目鼻立ちでややベビーフェイス系のお顔は、男心をくすぐり、虜にする雰囲気を醸し出していた。

     私が特に彼女の出演作品で好きなのは、映画が「ホワイトアウト」と「犬神家の一族」、「ゴースト」、ドラマが「魔女の条件」、「百年の物語」、「やまとなでしこ」、CMが「生茶」と「綺麗なお姉さん」、「マックスファクター」だ。いずれも彼女の美しさが際立っている。

     彼女は1973年10月13日生まれの43歳。血液型はA。身長172cmで、ファッションモデルとしても活動していただけあって、プロポーション抜群。小顔なので余計にスタイル良く見える。

     では私が絶賛する、彼女の飛びっきり美しい映像をお送りしたい。

     https://www.youtube.com/watch?v=U64R7Y3xgs8

     

     さて、いかがでしたか?私が今回、このテーマでお送りした意図を汲んでいただけたら嬉しく思う。女性は20代がもっとも輝いて美しい時期といわれる。通常は「お肌の曲がり角」などと呼ばれ、小じわが増えて、急速に衰えることが多いのが一般的だが、女優さんは、その人生をスクリーンで見て取れるだけに、常に紫外線対策や肌に良い食品を摂取したり、健康サロンに通ったり、普段から肌のケアに気遣っている。だから美肌を持続できるのだろう。大女優の吉永小百合さんは、いつまでも若々しい美しさを保っている。
     しかし、女優の役どころで、子役から始まった芸能人生も、トレンディドラマの主役で恋愛世代を演じ、母親役になり、さらにはおばあちゃん役へと移り変わることで、その人の人生を感じる。本日見ていただいたお二人の20代の輝いていた頃の映像を見ても、やはり美人は30年近い年月を超えても変らないという感想を持つ。「美人薄命」はごもっともだが、一番輝ける時の美しい姿を残せる20代女性が、人生の中で貴重な時期というのは間違いないと思う。

     記事作成:9月24日(土)
     

    2016年10月10日 (月)

    ふくしまの心の風景10

     我が福島県は、5年前の東電の原発事故のせいで、大打撃を被った。今でも農産物はその風評被害を受け、水産業は遠洋漁業を除いて再開の目処が立たない。港でも釣り人の姿はめっきり減った。この先10年でも収束しない原発事故の悪影響は福島県の産業を大きく変える結果となった。
     そんな福島県はもともと大自然豊かな地形に恵まれ、観光地としても収益を上げてきた。浜通り、中通り、会津と三つに分かれた地方で、それぞれに違う表情をみせていた。日本人の心のうた「ふるさと」にマッチした田舎の風景や田畑や山々の田園地帯が広がる、それは長閑な土地柄でもあった。そこで今回は、地元在住の私が考える「ふくしまの心の風景」を10箇所に絞ってお送りしたい。

     猪苗代湖と磐梯山

     秋晴れの日に湖南からみた猪苗代湖越しの磐梯山と、国道49号線の上戸の短いトンネルを抜け右にカーブした時、志田浜越しに聳える磐梯山が最高。

     大内宿・塔のへつり

     江戸時代にタイムスリップしたような茅葺屋根の宿場町。昔の会津への街道途中にあり、大名や旅人が宿泊したであろう駕籠屋などの民宿。ここの名物はなんと言っても、曲がりねぎ一本を箸代わりにして食べる高遠そば。縁側で日向ぼっこしながら食べたい逸品。
     塔のへつりは、大内宿から大川を挟んだ対岸にある川べりに突き出した奇岩群と緑が織り成す自然美が売り。吊り橋で対岸に渡り、自然遊歩道を行くのだが、震災でそれが崩れてしまい、途中までしか行けなくなった。ここではレストハウスで塩焼きの鮎が名物。全国的にも珍しい茅葺屋根の駅舎「湯野上温泉駅」も必見!

     只見線橋梁

     会津柳津から金山方面に向かうと、三島という町がある。国道沿いのトンネルを抜けた先に「道の駅みしま」がある。そのトンネルのわき道の遊歩道を10分ほど登山すれば、グラビアを飾る大パノラマが開ける。いつ行ってもカメラマンが居並ぶ景勝地で、そこからは只見線の橋梁が大川の皆も二映り、二重橋のように見える。そこをディーゼル車やSLが渡る様は、プロのカメラマンの絶好の被写体で、憧れの光景だ。春夏秋冬、それぞれの表情や美しさに見とれてしまう絶景だ。

     左下観音堂

     会津美里町にある、珍しい懸け造り構造のお堂。京都の清水寺のミニチュア版のような舞台。岸壁にへばりつくように木造のお堂が聳え立つ。今年、ようやく福島県の天然文化財に認定され、ようやく日の目を浴びることになったが、周囲にはこのお堂の在り処を示す標識が少なく、しかも山の中にあるため、素通りして気づく人も少ない。とにかく訪れて、自分の眼で見て驚いて欲しい建造物だ。

     五色沼

     磐梯山の噴火で堰き止められ大小多くの群沼地帯が誕生した。五色沼は文字通りカラフルな色彩の沼があちらこちらに点在し、そこを遊歩道で散策する。季節によって様々な表情を見せる。新緑か紅葉の時期に訪れたい名勝。特にマイカー横付けで土産屋も多い毘沙門沼では、ボート漕ぎが出来、しかもハート型模様の錦鯉を探すのも一興。

     檜原湖から見た裏磐梯

     檜原湖は裏磐梯最大の湖で磐梯山の噴火で堰き止められたカルデラ湖。遊覧船が湖内を一周し、表磐梯とは全く異なる磐梯山の険しく雄雄しい姿を拝める。激しい噴火と爆発で山体崩壊して赤茶色にぱっくり割れた噴火口が見渡せる。檜原湖の固定には旧檜原村があり、渇水時には鳥居などが湖面から姿を現す。また、冬はワカサギ釣り、夏も小型ボートでのバス釣りのメッカとなる。

     吾妻小富士・浄土平

     磐梯吾妻スカイラインが無料化となり、気軽に行けるようになった。一切経山から現在も立ち上る噴煙や湯煙、そして1時間程度で噴火口を歩いて一周できる吾妻小富士。福島市からは富士山の小型版のように見渡せるし、春先にはその中腹に雪解けで姿を現す「泣きウサギ」が眺望できる。浄土平からは紅葉シーズンには多数の登山客やハイキングウォーカーで賑わう。

     尾瀬

     郡山からはあまりにも遠いため、私は一度も行ったことがないが、大自然の美が織り成す景勝地。群馬県にまたがっているが、水芭蕉で有名。一本橋で遊歩道が築かれ、季節折々の花々が咲き誇り、大平原を散策する多くのハイカーで賑わう。

     布引高原とひまわり畑

     8月から9月にかけて咲き誇るひまわり。その山頂部に広がる畑一面、ひまわりの黄色一色となり、それを見下ろすかのように数多くの風車が回転する。それが布引高原の風景だ。今年、めざましテレビでもその絶景が生放送された。晴れた日は青空に黄色一面のひまわりが映え、そのコントラストは最高。辿り着くまでに時間を要するが、遠足の昼食場所などに最適。また、山頂からは青い猪苗代湖の湖面越しに見渡せる磐梯山が息を呑むほど美しい。ひまわりが終わった後は、一面の秋桜畑と化す。

     安達太良山

     かつて高村光太郎の妻だった智恵子が毎日見上げ、本当の空と語り感慨に浸ったのが安達太良山。私は二本松ではなく、ここ郡山市から眺望する安達太良山の稜線がとても綺麗で一番好きだ。見慣れた風景だが、時々ハッとするような美しさに見とれることがある。

     さて、これまでも当ブログで我がふるさと「福島県」の魅力を紹介してきたが、それほど福島県は大自然が創出する美しい田園風景や山岳風景画数多くある。日本三大巨桜の「滝桜」もそうだし、花見山の美しい花々も捨てがたい。とても10個では語りつくせないので、その中でも特に見ていただきたい名所を紹介した次第だ。

     記事作成:9月25日(日)

    2016年10月 9日 (日)

    THE 電撃結婚発表会見!

     芸能人同士のビッグカップルはそんなに珍しくはないが、いきなりの婚約発表や結婚発表はファンにとってはショッキングで、ワイドショーや週刊誌が飛びつく格好のネタとなる。今日はあまり報道されなかったのに、水面下で交際を深め、電撃的に記者会見で「結婚(婚約)発表」となったスクープ的映像やビッグカップルの結婚報道をお送りしたい。

     長渕剛・石野真子

     石野真子(20)が81年8月で引退して、9月頃にあった婚約記者会見。結婚式は82年1月15日ロスでとなっていたが、長渕剛の母の体調が悪く延期になったが、石野真子が二十歳の花嫁へのあこがれがあり石野真子の誕生日1月31日ギリギリでハワイで吉田拓郎、浅田美代子(当時夫妻)の仲人で無事、結婚式を挙げたが、83年若さゆえ離婚。A型同士。

     石橋貴明・鈴木保奈美

     交際僅か3か月で電撃入籍。両者とも離婚歴があり、再婚同士。しかも妊娠3か月と計算が合わないが、いきなりの会見となり、マスコミは騒然とした。
     当時石橋はとんねるずが人気絶頂で、ハリウッド映画に出演したり、冠番組を複数持つ売れっ子だった。一方の鈴木保奈美は「東京ラブストーリー」以降、月9ドラマで主演を務めるなど超人気女優だった。A型同士。

     唐沢寿明・山口智子 1995年

    Karasawa_yamaguchi

     1988年放送のNHK連続テレビ小説「純ちゃんの応援歌」の共演が交際のきっかけ。唐沢は山口の第一印象を「デカイ女」と思ったとのこと。また、山口は唐沢の第一印象を「日本一、顔の小さい男だと思った。握り拳くらいしかない」と結婚後に雑誌インタビューで語っている。
     そんな二人だが、1995年に結婚し、仮面の夫婦などと呼ばれたが、実はアツアツ夫婦で、20年が経過した今でも手をつないで寝ているなど、仲睦まじい生活をカミングアウトした。山口智子は一貫して子供は不要と主張し、新しい夫婦のライフスタイルを築き、カリスマ夫婦とも言われている。残念ながら映像は動画サイトにはアップされていません。あしからず。A型同士。

     江口洋介・森高千里 1999年

    Eguchi Eguchi_moritaka

     森高千里のラジオ番組「千里の道も一歩から」に、ゲストとして江口洋介が出演 したことがきっかけで知り合う。その後、急激に距離を縮め、99年6月に結婚。結婚時には森高千里のおなかの中に子供がいたようなので、今でいう「できちゃった婚」だった。O型同士。

     反町隆史・松嶋菜々子 2001年

     ドラマ『GTO』で共演した反町隆史と松嶋菜々とは、『GTO』撮影終了から約1年後の1999年11月に交際スタートし、2001年2月21日ZEPP TOKYOでのライブ(国内最後のライブとなっている)を終えた後に結婚。2月22日に、反町隆史自身の公式サイトでファンに報告し、フジテレビのスタジオで、反町隆史、松嶋菜々子2人揃って会見を開いた。2人の人気は当時絶頂であり、ビッグカップル誕生と騒がれた。反町はAB型で松嶋はA型。おしどり夫婦の三浦友和と山口百恵と同じ型。

     水嶋ヒロ・絢香 2009年

     2009年4月3日、俳優・水嶋ヒロと結婚予定であるとの報道を受けて記者会見を開き「2009年2月22日に入籍。この時、絢香はデビュー翌年からバセドウ病を患っていて治療に専念するため、歌手活動を年内で休止する」と述べる。水嶋ヒロはABで絢香はO型。

     福山雅治・吹石一恵

     歌手で俳優の福山雅治さん(46)と女優の吹石一恵さん(33)が吹石さんの誕生日の28日、結婚を発表しました。友人関係だった2人は数年前から交際するようになったということです。福山雅治はO型で吹石一恵はA型

     DAIGO・北川景子

     歌手のDAIGOと(37)と女優の北川景子(29)が1月11日に会見し、婚姻届を同日に提出したことを報告した。2人は2011年にドラマで共演し、3年後の1月11日にバラエティー番組で再会。その後、交際をスタートさせた。北川は「好きな数字が1なんです。(再会した)記念日のきょう11時11分に婚姻届を提出しました」と明かし、続けてDAIGOが「ゾロ目婚です」とコメント。仲むつまじい様子で、息がピッタリの掛け合いを見せていた。プロポーズは、DAIGOが「24時間テレビ」(日本テレビ系)の企画で100キロマラソンを完走した直後。北川に指輪を渡して「K(結婚)S(して)K(ください)」と「DAI語」で伝えたという。挙式について聞かれた北川が「考えたことがなかった…。私は何をすればいいかな?」とDAIGOに声を掛けると、「俺の隣にいてくれればいい」との答え。2人は見詰め合い、ラブラブぶりを見せつけた。DAIGOはAB型で北川はO型。水嶋ヒロと絢香と同じ型。

     さて、7組の芸能人ビッグカップルの電撃結婚会見の模様をお送りしました。前触れもなくいきなり入籍しましたというのも驚きで、最近ではカーレーサーの山本尚紀さんとテレビ東京の狩野恵里アナが電撃入籍した。どうも交際を隠す隠密行動が多く、週刊誌もかぎつけず、唐突感が半端ないサプライズ発表が多くなった。
     芸能人は応援してくれるファンにどう発表するかを想いをめぐらすと思うが、幸福になる権利はある。ファンなら、お二人の門出を心から祝福するのが、本当のファンだと思う。

     記事作成:9月24日(土)

    2016年10月 7日 (金)

    年度別歴代CM女王

     最近のテレビCMを見ていると、有村架純と広瀬すず、高畑充希の露出度がダントツに多い。もちろんローラも多い。彼女たちをCMで見ない日はないといって過言ではない。少し前までは武井咲と上戸彩、そして能年玲奈や長澤まさみ、もっと前は松嶋菜々子と広末涼子、昭和の時代には宮沢りえ、後藤久美子、小泉今日子がCMクィーンの座に君臨していた。ではどんな方々が歴代のCM女王に輝いていたかを調べてみた。この30年について発表したい。なお、2名いる場合は、上半期と下半期で異なるからだ。

     まず「日本を代表する女性人気タレントCM集12名」をどうぞ!

     では過去30年間のCM女王と人気CMをご覧ください。

                      CM女王         人気CM  
      
     1987年(昭和62年) 小泉今日子・松田聖子 亭主元気で留守がいい 

     https://www.youtube.com/watch?v=705OYwd-49E

     1988年(昭和63年) 菊池桃子・南野陽子   5時から男 お元気ですか~

     https://www.youtube.com/watch?v=Y6KPogtkVj0

     https://www.youtube.com/watch?v=ExvLcsH2W9c

     https://www.youtube.com/watch?v=ydfbpoZ6nxY

     1989年(平成元年) 宮沢りえ       24時間戦えますか 焼肉焼いても家焼くな

     https://www.youtube.com/watch?v=Al9l3NlJxY8

     https://www.youtube.com/watch?v=uud6K3ucCp0

     1990年(平成2年) 後藤久美子・浅野温子  バザールでござ~る 綺麗なお姉さん

     https://www.youtube.com/watch?v=1xsjqYAdhPE

     https://www.youtube.com/watch?v=B10KcWNZsK4

     1991年(平成3年) 小泉今日子・鈴木保奈美 セコムしたますか?まずいもう一杯

     https://www.youtube.com/watch?v=U7egm5zOGo4

     1992年(平成4年) 観月ありさ・安達祐美  見てるだけ~ 

     https://www.youtube.com/watch?v=yA9h9yLqT3M

     1993年(平成5年) 牧瀬里穂・和久井映見  私脱いでもすごいんです 

     https://www.youtube.com/watch?v=mu11LY_MLRU

     https://www.youtube.com/watch?v=RJku93kGzpg

     1994年(平成6年) 山口智子・安田成美   ねぇ、チューして ドンタコス

     https://www.youtube.com/watch?v=rkBGg9TE-XI

     1995年(平成7年) 内田有紀・西田ひかる アルシンドになっちゃうよ~

     https://www.youtube.com/watch?v=wBB-mBR11zk

     1996年(平成8年) 鈴木蘭々・安室奈美恵  引越しのサカイ~

     https://www.youtube.com/watch?v=nzVnNjXhmPE

     https://www.youtube.com/watch?v=DGWQujHVF-8

     1997年(平成9年) 広末涼子・森高千里   体が欲しがる

     https://www.youtube.com/watch?v=b4zJaiBkpB4

     https://www.youtube.com/watch?v=KTsest0h6WQ

     1998年(平成10年) 飯島直子・吉川ひなの そうだ、京都へ行こう。

     https://www.youtube.com/watch?v=PudKFvQS1l8

     1999年(平成11年) 藤原紀香・加藤あい  ヒューヒュー

     https://www.youtube.com/watch?v=fJtJ0GzT5KA

     https://www.youtube.com/watch?v=P5dUXBmtHAE

     2000年(平成12年) 田中麗奈・優香    芸能人は歯が命

     https://www.youtube.com/watch?v=DTdN4EQoslQ

     https://www.youtube.com/watch?v=790CazIhdE8

     2001年(平成13年) 浜崎あゆみ・松嶋菜々子 燃焼系~アミノ式

     https://www.youtube.com/watch?v=8A4x4niM6-w

     https://www.youtube.com/watch?v=HSdqEIRWupw

     2002年(平成14年) モー娘。菊川怜    もっともっとたけもっと~

     https://www.youtube.com/watch?v=obMCvyo91vQ

     https://www.youtube.com/watch?v=obMCvyo91vQ

     2003年(平成15年) 松浦亜弥・矢田亜希子 どうするアイフル~

     https://www.youtube.com/watch?v=hY8B2owfzHQ

     https://www.youtube.com/watch?v=a3BfzqV7v2k

     https://www.youtube.com/watch?v=-0lCthpKlYc

     2004年(平成16年) 上戸彩・長谷川京子 た~らこ~た~らこ~

     https://www.youtube.com/watch?v=febfqraQhcw

     https://www.youtube.com/watch?v=tk3E41t5z3M

     2005年(平成17年) 仲間由紀恵・柴咲コウ ドコモだけ

     https://www.youtube.com/watch?v=99AykF5zkCI

     https://www.youtube.com/watch?v=lGeRr_cMJRA

     2006年(平成18年) 菅野美穂・篠原涼子 予想外

     https://www.youtube.com/watch?v=gbZtLPApBLc

     2007年(平成19年) 長澤まさみ・相武紗季 噛むとふにゃんにゃん

     https://www.youtube.com/watch?v=lcBA_vxfcQY

     2008年(平成20年) 宮崎あおい・蒼井優 イインダヨ!グリーンダヨー!

     https://www.youtube.com/watch?v=Blhl0jRWgSY

     https://www.youtube.com/watch?v=_R1YFxp-ggk

     2009年(平成21年) 綾瀬はるか・ベッキー 7のチカラ リユースリチデュースリサイクル

     https://www.youtube.com/watch?v=ydShrdXjJao

     2010年(平成22年) 上戸彩・佐々木希・堀北真希 私はあなたを愛すのみ

     https://www.youtube.com/watch?v=u-Qabh8OhtU

     2011年(平成23年) 大島優子・木村文乃・吉高由里子  ホワイト家族

     https://www.youtube.com/watch?v=DSqLgdv6oBc

     2012年(平成24年) 篠田麻里子・板野友美  雪肌精 

     https://www.youtube.com/watch?v=yIG5bU82BmE

     2013年(平成25年) 剛力彩芽・武井咲 ワンダーコア ロト部長

     https://www.youtube.com/watch?v=FZAFxLhIT00

     2014年(平成26年) 有村架純・ローラ  au三太郎 ジューシーおいしい果汁ハイチュウ

     https://www.youtube.com/watch?v=N9K1Hhd4wYI

     2015年(平成27年) 上戸彩・北川景子 バカまじめ 結果にコミットする

     https://www.youtube.com/watch?v=4OFg_A7GqWg

     2016年(平成28年) 広瀬すず  一平ちゃん

     CMに起用されるタレントは好感度が高く、スキャンダルとは無縁な笑顔が可愛くて爽やか系の人たちが多い。そしてその時代に旬だった人気アイドルや女優を起用する傾向が強い。裏を返せば、CMの露出度=その時代の人気のバロメーターと言える。もちろん、ブレイクするきっかけはある。NHKの連続テレビ小説や大河ドラマ出演を機に人気が出た人もいる。また雑誌のグラビアから人気に火がついた方もいる。ひとたびブレイクすると、それに乗っかろうという企業のスポンサーが、こぞって起用する傾向がある。また、人気絶頂のタレントを「月9ドラマ」などに使うことも多い。現に名前が挙がった人は、人気ドラマの主演を務めている方々ばかりだ。面白いようにその傾向は顕著だ。

     記事作成:9月24日(土)

    2016年10月 6日 (木)

    アンチエイジングの女性⑧

     今世紀以降、この女性を雑誌やテレビCMで見ない日はないくらいメジャーなタレントさんはいなかったと思う。しかし、歌手や女優ではなく、専らモデル一筋に20年くらい活動されている方だ。私自身もよく見かけ、綺麗な女性と思いつつ、名前すらわからなかった。今日は、雑誌のファッションモデルやCMで今も活躍されている「五明祐子」さんをこのテーマに合致する美しい女性として取り上げたい。

     まずは彼女のプロフから。

     「五明祐子」(ごみょうゆうこ)

    Gomyo8 Gomyo2

     1973年2月9日生まれの43歳。神奈川県横須賀市出身、みずがめ座で血液型はAB型
     小顔なので大きく見えないが身長は172cmある。

     18歳で集英社の雑誌「non-no」にて応募総数5029通の中からトップで選ばれデビュー。30歳で「LEE」の看板モデルの地位を不動のものにする。以降、ファッション誌・CM等で活躍している。年齢を感じさせないキュートな若々しさで同年代の女性から支持を得ている。かつてはエナジーモデルエージェンーに所属していたが、2013年7月にranchに移籍した。
     特技はボウリングとランニング。現在は一児の母。5歳下の弟がいる。

    Gomyo4 Gomyo7

     ファッション誌の大多数に出演し、掲載されている。「non-no、、「with」、「Domani( - 2008年12月号)、「Precious(2009年1月号 - )」、「LEE」、「Grazia(2012年5月号 - 最終号)」、「ミセス」、「ESSE」、「BOAO」、「Saita」、「Style」、「Muffin」、「ELLE」、「からだにいいこと」と総なめ状態。しかも通販大手の「セシール」のモデルも務めている。

     女性なら一度は憧れる職業なのだが、彼女の場合、それらを25年の長きに渡り勤め上げている。しかも一児の母親でありながら、あまりお姿やお顔が変わっていないから驚く。

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     そして彼女がそのベビーフェイスの美貌を買われて出演したCMは23企業というから驚きだ。主な出演CMは以下の通り。 

  • 日本マクドナルド(1995)
  • 久光製薬「眼涼」(1996 - 97) 
  • 日本生命「いっぱいいちばん」(1996)
  • ネスレ日本「ネスカフェゴールドブレンド」(1996)
  • ニチレイ「アセロラドリンク」(1997)
  • 日本中央競馬会(1997)
  • キーコーヒー「ドリップオン」(1998)
  • 花王「エッセンシャル ビューティケア」(1999)
  • セガ「ドリームキャスト」(1999)
  • 三洋信販「ポケットバンク」(1999)
  • 日本IBM「ThinkPad」(1999)
  • 江崎グリコ「キスミント」(2000)
  • 日本リーバ「ポンズダブルホワイトクレンジング」(2000)
  • NTTドコモ九州(2000)
  • ヒューマンアカデミー(2002)
  • 大正製薬「デントウェル」(2002)
  • 読売新聞(2002)
  • サントリー「マグナムドライ」(2002)
  • 三井不動産(2005)
  • デビアス「トリロジー」(2005)
  • So-net(2006)
  • ジョンソン「グレード センサー&スプレー」「グレード 消臭パフパフ」「グレード グラスデコ」(2009 -)
  • ワコール「スキマフィットブラ」「おなかスッキリパンツ」「メリハリブラ」「さら肌ブラ」(2014)
  •  実に幅広い広範囲の起用だ。明るく爽やかな印象と小顔で肌がきれい、しかもベビーフェイスなので年齢を感じさせないほんわかとした雰囲気を醸し出している。とても43歳には見えない。彼女の長年にわたってのモデル生活は、多くの女性たちの希望の光でもあると思う。かつて1980年代から90年代にかけて、「コカ・コーラ」のシリーズCMで大活躍された松本孝美さんの再来かと思わせる存在だ。ぜひ今後も、あの若々しさを失うことなく、多くのCMや雑誌に登場して欲しいと思う。

     記事作成:9月22日(木)

    2016年10月 5日 (水)

    九死に一生映像集(閲覧注意)

     今日は、思わず目をそむけたくなる間一髪で事なきを得た映像をお送りします。それは人の生死にかかわる手に汗握る瞬間映像で、心臓に悪い動画だ。念のためにお断っておきますが、この映像集を見るか見ないかは自己責任でお願いします。

     1 飛び込み自殺を寸でのところで回避する映像集

      ① 警察官が飛び込み自殺を止める   

     ② 飛び込み自殺を図った女性を間一髪で救出 地下鉄の監視カメラが捉えた緊迫の瞬
      間   

       

     ③ 線路に飛び込んだ女をギリギリで救出する衝撃映像   

     自殺を決意し、それを決行しようとしている人は、自分が死んだ後のことまで考えが及ばないと思うが、自らが取った軽率な行動が一体どれだけの人の迷惑になるか考えて貰いたい。この事故で電車がストップし、ビジネスチャンスを逸したり、大事な用事に遅刻して間に合わなかったり、旅行者は、ここで緊急停車したために足止めを食い、接続の電車や飛行機に間に合わないなど。後続の列車にも多々大影響が出る。事故処理にあたる救急隊員や現場検証も行われる。偶然その場に居合わせた乗客も恐怖を味わい、精神状態を損ねる結果になる。そこまで考えが及ばずに勝手に死後の世界に行かないで貰いたい。
     また、2001年には、新大久保駅で起きた痛ましい事故があった。泥酔男性がホームから線路に転落したが、その男性を正義感で助けようとした韓国人留学生と日本人カメラマンが、入線して来た電車に撥ねられ亡くなるという痛ましい事故だった。さらには、つい3年前にも横浜線の踏切で、線路で倒れた高齢者を助けようとして踏切内に入った女性が女性が巻き添えで亡くなった。人助けのつもりが自分が犠牲になる大参事に見舞われるという不幸。この世に神など本当にいるのだろうか。それとも神は見て見ぬふりをする人たちに微笑むとでもいうのか・・・。

     2 【危機一髪】心臓に悪すぎる九死に一生動画まとめ!   

     3 生と死の境目 九死に一生を得た人々の映像コンピレーション   

     4 【世界の衝撃】まさに危機一髪!死が直前まで迫った瞬間…

     5 【海外】危機一髪とはこのこと!奇跡の瞬間をとらえたラッキー特集 2016   

     本日お送りした映像はショッキングなものばかりだが、一歩間違えば、あるいはあと一秒でもずれていたら大惨事になっていたし、対象者はこの世にいなかったと容易に想像できる場面に出くわした方たちだ。万が一とか十中八九という言葉は、ほぼ絶望的な状況にありながら、その僅かに残された可能性で運命よろしく生き残った命だ。ほんの一瞬の運命のいたずらで、運悪く失われた命もあれば、このように首尾よく生き残った命もある。いったいその差は何なのか?単に「運が良かった」だけでは済まされない。まさに天国と地獄だ。こういう映像を目の当たりにすると、ひとつしかない命を粗末には出来ないと思えてしまう。一度死んだ命と考え、今後の余生を懸命に生きてほしいの願うばかりだ。

     記事作成:9月22日(木)

    2016年10月 2日 (日)

    FCT・小野紗由利アナウンサー22

     FCTの若手女子アナウンサーの「小野紗由利」さんを応援する意味でこのシリーズ記事を始めたが、今日はその第22弾。すっかりFCTの若手の顔として頑張ってニュース報道やレポートをしている彼女。ベビーフェイスの愛くるしい顔立ちと、お嬢様風の風貌に心癒されている福島県民は私だけではないだろう。平日夕方に放送中の「ゴジてれchu !」や日曜日の「ゴジてれ×SUN」、あるいは夜半の「FCTニュース」などでお目に掛かれる。

     では今回も、主に9月期の彼女の出演番組(ゴジてれChu!!とゴジてれ×SUN)の様子を画像で紹介したいと思う。

     9月4日(日)

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     9月6日(火)福島パンマルシェ

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     9月7日(水)

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     9月11日(日)

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     9月13日(火) 大橋アナの代役でニュース読み

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     9月14日(水)

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     9月18日(日)

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     9月21日(水)

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     9月25日(日)

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     9月28日(水)

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    2016年10月 1日 (土)

    福島県の企業破綻と再生

     2016年は景気好調が持続し、雇用は有効求人倍率も高校生の新卒の場合、1.5倍と高く推移しており、売り手市場が続いている。5年ほど前とは雲泥の差になっている。しかし、そんな状況とは裏腹で、我が福島県では、9月21日(水)、目を疑うような記事が朝刊に掲載された。それは長年、福島県の地酒ブームを牽引してきた「花春酒造」が経営に行き詰まり、事業譲渡に追い込まれたのだった。昭和の頃、「花春」と言えば、毎日何度もテレビCMで見ない日はないほど、福島県でトップの売り上げを誇った。後楽園球場のアルプススタンドにもその看板広告が踊るほど、福島県の日本酒=花春という代名詞でもあった。そんな花春が経営破綻に追い込まれるとは・・・。極めて遺憾だ。理由は、福島県が4年連続で全国新酒鑑評会で金賞を受賞する背景に、他の酒蔵の台頭があった。例えば全国で大人気の「飛露喜」、モンドセレクションに出品し、グランプリを受賞したことが有る「大七」、そして毎年金賞受賞に名を連ねる「国権」などだ。そんな地酒ブームに乗り切れなかった「花春」が売り上げが減り、このたびの決断に至ったことは残念としか言いようがない。花春酒造にはぜひとも会社再建で、トップブランドだった「花春」の銘柄を堅持していただき、再び隆盛の日を迎えられるよう企業努力をお願いしたいと思う。
     そこで今回の本記事のテーマは、かつて経営危機に陥りながらも、会社更生法適用や事業移譲により、再建叶った福島県内の企業を取り上げたい。

     1 福島交通

     バブル期における無理な多角経営と、1980年代以降の赤字路線増加によって巨額の債務を抱え、1980年前半には経営不振となった。1986年に子会社の福島交通不動産と合併し、多額の債務は福島交通不動産が継承、交通事業部門を新たに設立した新福島交通に譲渡し、同年中に新福島交通は福島交通に改称した。その後の福島交通不動産はエフ・アール・イーと改称し、所有不動産の売却を行っていたが、1999年に自己破産を申請した。
     本体である福島交通自身も、近年の過疎化によるバス・電車の需要低下と、バス事業における規制緩和による競争激化により収益が悪化。さらに、中途退職者が会社の予想以上に多く出て、退職金債務が数億円に膨らみ、財務状況が悪化。2008年初頭にも法的整理に入ることが検討されたが、2月が国と県の補助金(約1億6千万円)交付決定時期であり、また、3月上旬に創立100周年記念の福島空港発着ハワイツアーを子会社が催行する予定だったため見送った。しかし、中途退職者への退職金支払い時期前にあたる2008年4月11日、東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請した。

      このニュースが流れたときは衝撃だった。県内一円を網羅し、庶民の足を支えてきた地元の雄「福島交通」がまさかの経営破たん。それだけではない。福島交通が倒産となれば、県内を隈なく走る路線バスや高速バスは運行しなくなり、庶民の暮らしに大打撃を与える。そして福島交通が運行する「飯坂線」も廃線となる恐れがあった。
     確かに路線バスは時間帯によっては乗客が誰も乗っていない、いわゆる「空バス」状態で走っている光景をよく見かける。これでは経営が成り立たない。

     2 ホテルハマツ

     1991年(平成3年)5月 - 郡山市虎丸町のさくら通り沿いの一等地にあった「郡山ザベリオ学園」の郊外移転後の跡地に建設し、ホテルハマツを開業。
     2003年(平成15年)8月に122億円の負債を抱えて民事再生法の適用を申請し、翌年には小山市の小山観光開発に営業譲渡して創業者の手を離れることになった。
     2004年(平成16年)7月 - ホテルハマツをはまつグループから小山観光開発に営業譲渡。8月に現経営会社のハマツ観光設立。10月に再オープン。また同年、ホテルオークラチェーンとの契約終了に伴い、同チェーンを脱退。
     天皇陛下や皇太子さま、安倍首相も宿泊したことのある県内一豪華ホテルと言って良い。サマービュッフェやバイキングなども好評だ。

     3 うすい百貨店 

     1662年(寛文2年)8月24日に物産問屋として創業したのが始まりである。1930年(昭和5年)に合名会社うすゐとして法人化し、1938年(昭和13年)に百貨店法に基く百貨店営業の認可を受けて正式に百貨店化した。
     1959年(昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して「第2うすい」として増床し、1965年(昭和40年)には年商33.0億円(売場面積7,565m²)を上げて福島市の地域一番店だった中合の年商24.5億円(売場面積7,028m²)を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でも仙台市の3百貨店(藤崎:43.4億円、丸光:42.3億円、三越:41.5億円)に次ぐ4番目の売上を上げるまでに成長した。
     1967年(昭和42年)には株式会社うすい百貨店として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光や地場の呉服店が百貨店化した津野本店、1969年(昭和44年)進出してきたイトーヨーカドー、1975年(昭和50年)に進出してきた西友(1年後の1976年11月6日に西友郡山西武店となる)やダイエー、丸井などの大型店と激しい競争を繰り広げた。特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。

     2000年(平成12年)7月期には年度開始後約3ヶ月で約2倍に増床して9ヶ月間新店舗で営業したにもかかわらず売上高が約155.34億円と逆に4.4%減少して22.05億円の赤字に転落し、2003年(平成15年)7月期も売上高約168.65億円で5.87億円の赤字と業績が伸び悩んで過大投資となり、借入金総額がうすい本社と合計で約155.02億円と年間売り上げの90%を超えてしまった。過大投資により業績が低迷したため、2003年(平成15年)8月にメインバンクの秋田銀行からの申請で産業再生機構による支援が決定され、再生計画が実行されることになった。

     4 水谷建設

     同社は、大手ゼネコンからダム・高速道路など大型土木工事の下請工事を請け、平成15年8月期には453億円の売上高を計上していた。しかし、朝鮮疑惑、福島県土地購入による贈賄疑惑、水谷功元会長の法人税法違反容疑での逮捕などにより、疑惑のデパートとして対外的な信用を失墜していた。小沢一郎民主党元代表の資金管理団体「陸山会」へ約1億円(5千万円×2回)の裏献金を渡したと裁判で供述。あまりの疑惑のデパートぶりに裏での司法取引の噂も流れているほど。
     98年、福島県いわき市の山林内にある土地約30万平方メートルを約1億円で購入したが、約8億円で購入したように装った。03年に同県内の建設会社に約2千万円で売却し、多額の損失が出たように見せかけて、約7億円の所得を隠した疑いが持たれている。
    (福島県発注の木戸ダム建設をめぐる汚職事件に発展。同ダムの工事を落札した前田建設工業の下請けとして、佐藤栄佐久福島県知事(当時)の実弟が経営する会社の土地を相場よりも高い価格で購入、知事側に対し利益供与を行なった疑いがもたれた。)
     東京地裁は平成19年4月、総額約11億4千万円に上る水谷建設(株)(三重県桑名市)の脱税事件で、法人税法違反罪に問われた同社の水谷功元会長に対し、懲役2年(求刑懲役3年)、元役員に懲役1年6ヶ月、執行猶予3年(同懲役1年6月)の判決を言い渡した。法人としての水谷建設(株)は罰金2億4千万円(同罰金2億6,000万円)を受けた。
     この記事は「JCnet」から引用させていただきました。

    https://www.youtube.com/watch?v=hlejBNQA17g

     5 花春酒造

     昭和の時代には、福島の酒といえば「花春」で、それは福島県を代表する清酒だった。日本酒が特級、一級酒、二級酒という分類だった頃に、売れに売れまくった。「会津の良さは酒の良さ」というCMコピーで一世を風靡し、和服美人が毎回、琴を演奏したり、艶やかな舞いを披露した。19時前時報をあらわすCMは決まって「花春」だった。何せ300年の歴史があり、今でも醸造工場があった場所は、今でも「花春町という地名が残るほどだ。

     平成28年9月21日付の「福島民報」の記事によれば、長期的な日本酒市場の縮小と東京電力福島第一原発事故の風評被害によって、売り上げが落ち込み、一億円を超える負債を抱え、現体制では完済できないと判断し、資産などを処分して会社を清算する方向となった。花春は享保3年の創業以来、約三百年の歴史に幕を下ろすが、「花春」の銘柄と従業員の雇用は守られる見通しだという。

     ↑この美人女優さんは若い頃の根本りつ子さん?

     さて、いずれも福島県に本社があったり、福島県に関する事件絡みで倒産に追い込まれた会社だが、その社会的意義や多方面への悪影響を懸念されることで、和議申請や会社更生法あるいは民事再生法が適用され、会社再建なったものだ。かつては健全経営で黒字だった企業が、事業拡大を目論み、多額の設備投資や建設費用により、赤字が膨らみ、折からの不景気によって収益が減り、赤字に転落し、改善策が見込まれないまま、多額の負債を抱えて債務超過に陥り、このような危急の措置を講じる羽目になっている。
     大勢の従業員や社員を抱える企業は、やはり10年先を見据えた経営が求められる。一時の社会情勢に身を任せ、後先考えない無謀な出資は控えたほうが賢明だ。

     記事作成:9月21日(水)~22日(木)

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