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2017年2月 4日 (土)

時代の英雄とは大量殺人者なり!?

 私の嫌いな言葉に、「勝てば官軍、負ければ賊軍」がある。私の亡き祖父母は会津出身なので、江戸時代末期に、薩摩の寝返りによって「薩長連合」が成立。その西軍に滅ぼされた徳川幕府。その最後の砦として勇ましく戦い、散っていった会津藩士たち。多くの犠牲を払って、今の日本が確立されたことを忘れてはならない。

 「歴史は繰り返される」というが、21世紀の現代でも世界各地で紛争が勃発し、テロが横行しているご時勢になんら変りが無い。いつの時代も「戦争」には「殺戮」や「迫害」が付いて廻り、多くの尊い命が犠牲にされる構図は旧態依然のまま。戦争も知らない幼い命が、テロで失われ、本来なら死ななくて良かった人が犠牲になっているのが、現代社会、そして国際情勢の現実なのだ。

 では今回のテーマに移るが、過去、歴史の大転換期や時代を変える革命的な事象の際には、独裁者なる者が登場し、大量殺人を働き、権力の座におさまった者が「英雄」として崇められている。そんな今は英雄、されどかつては大量殺人者たちを取り上げたい。ただし、過去の事実的歴史であり、彼らを非難したり、侮蔑するものではないのであしからず。

 ナポレオン

 フランスの皇帝と呼ばれ、フランス革命後の混乱を収拾して、軍事独裁政権を樹立した。その主役となったナポレオン。「我輩の辞書に不可能という文字はない」とまで言わしめた自信家の英雄だ。
 しかし、砲兵将校としてフランス革命に参加。イタリア派遣軍司令官として勝利を得、1799年のクーデターで執政、1804年皇帝となるも、その間、ありとあらゆる軍事手法で、直接手を下さなかったとしても、命令で多くの兵士を死に追いやったことは事実だ。
 革命には戦が不可欠だったし、その実現のためには多くに血を流さざるを得なかった。

 三国志の英雄たち(劉備、曹操、関羽、張飛、諸葛孔明など)

 中国統一のために、一体何百万人の人間が犠牲になったことか。赤壁の戦いひとつをとっただけで魏軍と呉軍合わせて数万人が戦死した。

 中国の歴史は「戦の歴史」と言って過言ではない。同時にその歴史は「人殺しの歴史」でもある。今でも中国が世界一の死刑執行数を誇る。麻薬は重罪。姦通罪も死刑。偽物と知っていながら物品を販売した者への罰則も厳しい。10億人を超える人口を抱える中国は、人命を軽視している傾向がありありだ。まるで「代わりは五万といる」という安易な発想で・・・。

 織田信長

 日本人が好きな歴史上の人物で1位の織田信長。戦国時代に天下統一を夢見てそれは戦だらけの一生を過ごした。私は彼は三国志の曹操とダブる。「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」の形容詞がピッタリだ。
 OKWAVEの回答によれば、単純に合戦での戦死者ということで、戦国時代での戦での死者、それほど多くはないです。鉄砲が使われるようになって増えてはいますが、数%程度と言われています。記録によっては戦死者数は違いが結構あり、一桁違うことさえあります。ただ、現在の戦争ほど多くはないです。少ない方で考えると1%以下になります。
 あとは、たとえば信長公の指示でどれだけの戦が行われたか、ですね。
仮に2万人の兵を動員した戦が25回、とすると延べ50万人。その3%は1万5千人、となります。しかし、現代ではひとり殺しても重罪なのに、昔は天下とりのために数万人規模で殺し合いを行った。これらは犯罪行為に当たらず、時代が変る節目としては当然の成り行きだった。戦国時代、幕末、また「○○の乱」と名が付くものは、多くの犠牲者があったことを私たちは忘れてはならない。

 伊達政宗

 出羽国と陸奥国の戦国大名・伊達氏の第17代当主。 仙台藩初代藩主。奥州を治め、「独眼竜」の異名をとった。彼の殺戮で有名なのは、「800人なで斬りで、政宗は大内定綱の支配する小手森城を包囲して攻め落とし、見せしめのために城中の人間を皆殺しにするという過酷な措置を取りました。犬猫、女、子供にも容赦なく切り殺すという非情者だった。

 新撰組(近藤勇・土方歳三・沖田総司など)

 京都守護職だった会津藩お抱え見回り組として、討幕を叫ぶ浪士たちに敢然と立ち向かった。もっとも有名な事変は「池田屋騒動」で、長州藩を中心とする勤王の獅子たちを皆殺しにした。

 徳川家康

 豊臣家を滅亡させ、天下統一の座に収まり、江戸幕府を開いた初代将軍。天王山夏の陣など、多くの犠牲者を出した。小早川秀秋の寝返りによって、関が原で20万もの軍勢が戦い、東軍が勝利したが、僅か一日の戦闘のみで戦死者は8千人とも言われている。

 書きたくもないが、中韓では、日本の初代総理大臣の伊藤博文を暗殺した殺人者が英雄として奉られている。

 以下は「世界史虐殺者ランキング」の記事を部分的に引用させていただきました。

 ポル・ポト(カンボジア)

 「文化大革命」に影響を受けた「ポル・ポト」が実行した大粛清により、1975年から1979年の間の死者数が300万人にものぼったとされている。当時のカンボジアの人口が800万人程度だったことを考えると、とてつもない大虐殺だったことがわかる。

 アドルフ・ヒトラー

 ポーランドでは、ユダヤ人総人口の9割がホロコーストで死滅したとされており、「劣等民族」または「不穏分子」として、ユダヤ人(600万人)、シンティ・ロマ人(約20万人)、ポーランド人、セルビア人(50万から120万人)、ロシア人、スラブ人、知的障害者、精神病者、同性愛者、黒人、エホバの証人、共産主義者、無政府主義者、反ナチ運動家なども殺害したとされ、殺害されたこれらマイノリティーの合計は、900万人とも1100 万人とも言われていまる。
 時代が産み落とした悪魔であるが、こうした独裁者に乗せられ、大量殺戮を行った旧ドイツ兵士も同じ罪を背負っている。

 ヨシフ・スターリン(旧ソ連) 

 レーニンの後継者争いでトロツキーを殺したことに始まり、ブハーリン、ルイコフなど幹部を処刑。1937年から1938年までに、134万4923人が即決裁判で有罪に処され、半数強の68万1692人が死刑判決を受け、63万4820人が強制収容所や刑務所へ送られた。
 赤軍も5人の元帥の内3人、国防担当の人民委員代理11人全員、最高軍事会議のメンバー80人の内75人、軍管区司令官全員、陸軍司令官15人の内13人、軍団司令官85人の内57人、師団司令官195人の内110人、准将クラスの将校の半数、全将校の四分の一ないし二分の一が「粛清」され、大佐クラス以上の将校に対する「粛清」は十中八九が銃殺。
 さらに、人民をこぞってシベリア流刑、強制収容所送り。何人殺されたのかもはや調べがつかず、50万人から2000万人まで諸説ある。

 毛沢東(中国)

 毛沢東は、中華人民共和国を成立させた後、農業・工業を振興するため、大躍進政策を実施しますが、結果は中国経済の大混乱と、推計2,000万人から5,000万人の餓死者を出す大失敗に終わり、毛沢東は生涯でただ一度の自己批判を行って、国家主席を辞任した。しかし、その後、文化大革命を実施。一気に反撃に出て、重要な文化財などは徹底的に破壊され、各地で大量の殺戮が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。

 記事作成:1月10日(火)

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