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2017年8月27日 (日)

謎の死を遂げた有名人(外国人スター編)

 なぜか大スターの中には不可解な亡くなり方をしている人が多いのをご存知でしょうか。JFKやジョン・レノンなどは暗殺されているし、ダイアナ元皇太子妃はパパラッチの追跡が原因で事故死した。彼らの死亡の知らせは世界中を駆け巡り、世間を騒がせるとともに大きな失望を与え、影響があったことは言うに及ばない。
 今日は、そうした大スターたちの奇妙な最期を取り上げたい。彼らの名誉を傷つけたり、ファンの感情を逆撫でする意図はまったくないことを予めお断りしておきます。

 <外国人編>

 マリリン・モンロー

 1926年6月1日ロサンゼルス生まれ
 1953年までに、モンローは、彼女の性的魅力に焦点を当てたノワール「ナイアガラ」と、「紳士は金髪がお好き」、「百万長者と結婚する方法」の3つの映画で主役を演じ、「頭の悪い金髪女性」というスターイメージを確立。ハリウッドの最も有名なスターの1人となった。
 モンローの悩ましい私生活は大きな注目を集めた。彼女は薬物乱用、うつ病、不安に苦労した。野球のスター選手だったジョー・ディマジオと劇作家のアーサー・ミラーと結婚した。

1962年8月5日、彼女はロサンゼルスの自宅でバルビタールの過剰投与により36歳で死亡。モンローの死には、陰謀論が提唱されている。彼女の突然の死は世間を驚かせ、ファンを嘆き悲しませた。彼女の死後、彼女の死因を巡ってマスコミが騒いだ。他殺説や自殺説など多くの憶測を生んだ。
 とにもかくにも彼女は1950年代、プレスリーと並ぶ欧米を代表するトップスターで、世の男性の熱視線を浴び、セックスシンボルとしての地位を確立した。

 エルヴィス・プレスリー

 1950年代にチャック・ベリーやファッツ・ドミノ、リトル・リチャード、バディ・ホリーらと共にロック・アンド・ロール(ロックンロール)の誕生と普及に大きく貢献した、いわゆる創始者の一人であり、後進のアーティストに多大な影響を与えた。その功績からキング・オブ・ロックンロールまたはキングと称され、ギネス・ワールド・レコーズでは「史上最も成功したソロ・アーティスト」として認定されている。1950年代に、アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、それは20世紀の音楽の中でも最大級のムーブメントを引き起こした。また、極貧の幼少時代から一気にスーパースターにまで上り詰めたことから、アメリカンドリームの象徴であるとされる。

 1977年8月16日にテネシー州メンフィスの自宅、グレイスランドで没した。ガールフレンドのジンジャー・アルデンによって寝室のバスルームの床に倒れているところを発見され、バプテスト記念病院へ搬送されたが、医師は午後3時30分、プレスリーの死亡を確認した。42歳没。検視後、死因は処方薬の極端な誤用による不整脈と公式に発表された。
 晩年、プレスリーはストレスからくる過食症に陥ったことが原因で体重が激増したことに加え、1975年くらいからは主治医だったジョージ・ニコポウラスから処方された睡眠薬などを「誤った使い方」で服用していた。

  ジミ・ヘンドリックス

 ギタリストとして多くのミュージシャンに多大な影響を与えたロックミュージックのパイオニアの一人。右利き用のギターを逆さまにして左利きの構えで演奏するスタイルで知られる。ギターを歯や背中で弾いたり、火を放ったり、破壊したりするパフォーマンスでも有名。
 「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第1位、2011年の改訂版でも第1位に選ばれている。2008年5月にブラジルのメタル専門誌『ROADIE CREW』が行った「HR/HM系ミュージシャンが選ぶギタリスト・ランキング」、『ギター・マガジン』2010年12月号の「ギター・マガジンが選ぶ! 史上最も偉大なギタリスト100人」で1位となっている。
 また、「ローリング・ストーン誌が選ぶ歴史上最も偉大な100組のスター」においては第6位に選ばれている。



 1970年9月18日未明(深夜から早朝)、モニカ・ダンネマンという女性と2人でロンドンのホテルに滞在中に急逝。死亡時は27歳。デビューからわずか4年ほどでの死だった。
 死亡原因は、睡眠前に酒とバルビツール酸系睡眠薬を併用し、睡眠中に嘔吐したことによる窒息死とされる。「自殺したのでは」等の憶測も飛んだが、現在では否定されている。

 テレサ・テン

  1953年1月29日、中華民国(台湾)雲林県出身。台湾のみならず日本、中国大陸、香港、タイ、マレーシア、シンガポール、北朝鮮等で人気を誇り、「アジアの歌姫」と呼ばれた。
 1974年、21歳の時に日本での歌手活動を開始する。すでにアジアのスターだった彼女は、アイドル歌謡曲路線の「今夜かしら明日かしら」により鳴り物入りで日本デビューを果たすが、売れ行きは思わしくなく、不発に終わった。そこで演歌歌謡曲路線に転向したところ、日本でのデビュー2作目となる「空港」が大ヒットする。第16回日本レコード大賞新人賞を獲得して日本でもトップ・スターの仲間入りを果たし、歌手活動も軌道に乗った。その後も香港を拠点に台湾や日本などアジア各地を行き来する多忙な日々を送る。
 1984年、日本の音楽ファンの強い要望もあって、再来日が許可される。レコード会社もポリドールからトーラスレコードに移籍、「つぐない」で日本再デビューを果たす。「つぐない」は有線放送を通じてじわじわと人気に火が付いて大ヒット、日本有線大賞など数々の賞を受賞する。
 翌1985年にリリースした「愛人」も大ヒット。この曲で第36回NHK紅白歌合戦に初出場を果たす。「愛人」有線放送のリクエストチャートで14週連続1位。1986年、荒木・三木コンビによる三曲目となる「時の流れに身をまかせ」をリリース。これも大ヒットとなり、紅白に二年連続出場する。「つぐない」と「愛人」は、それぞれ日本で150万枚、『時の流れに身をまかせ』は200万枚を売る大ヒットとなる。
 1984年から1986年にかけ、『日本有線大賞』および『全日本有線放送大賞』の東西有線大賞で史上初の3年連続大賞・グランプリを受賞。

 1995年5月8日、静養のためたびたび訪れていたタイ・チェンマイのメイピンホテルで気管支喘息による発作のため死去。42歳だった。富と名声を得ながらも、晩年は孤独な独身生活を送っていた。同月28日に台北で国葬が執り行われ、世界各国から3万人ものファンが詰め掛けた。彼女の棺は中華民国の国旗と国民党党旗で覆われ、台湾での国民的英雄ぶりがうかがえた。
 1990年代にアジア各国で二回ほど彼女の死亡説が流布している。一度目は1990年5 - 6月に父親の葬儀への欠席をきっかけとした病死説、二度目は翌1991年4 - 5月に病死説・暗殺説が流れ、それを否定する本人のコメントが新聞記事などに取り上げられた。

 マイケル・ジャクソン

  1958年8月29日、アメリカ合衆国 インディアナ州ゲーリー出身
 1968年1月、スティールタウン・レコードから「Big Boy」でデビュー。
 1969年10月、「I Want You Back」でジャクソン5としてメジャーデビュー。デビュー曲でありながらいきなり全米チャート1位に登り詰めた。
 1971年10月、「Got To Be There」でソロデビュー。
 1983年1月、のちに自身最大のヒットシングルとなる「Billie Jean」を発表。5月にはモータウン25周年記念に出演しムーンウォークを初披露する。続けて革新的なミュージック・ビデオを次々と発表。中でも「Thriller」はギネス記録に「史上最も売れたアルバム」として認定されている。
 1985年、アフリカ飢餓救済のためのプロジェクト「USA for Africa」に参加。ライオネル・リッチーと共に作詞作曲を手掛けた。

 2009年6月25日、マイケルが自宅にて心停止・呼吸停止状態に陥り、マイケルのボディーガードが救急隊に通報。12時26分に救急隊が到着。13時14分にカリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) 付属病院へ救急搬送される。約42分間に及ぶ蘇生活動を行うも、カルフォルニア時間14時26分に死亡が確認された。
 7月11日、ロサンゼルス市警察は、プロポフォールの不適切な使用が死因である疑いは強く、処方医による重過失致死の可能性がある、と表明した。
 7月22日、ロサンゼルス市警察は、マイケル死亡時に心肺蘇生を行ったとされる心臓内科医専属医のオフィスを家宅捜索。
 7月28日には元主治医の自宅と診療所が捜索を受け、8月2日には元主治医に77万ドルの借金があることが明らかになった。元主治医がマイケルの治療を月額15万ドルで請け負った背景にはこの金銭状況があった、とAFPは指摘している。
 8月24日、警察の事情聴取に対する元主治医の宣誓供述書とされるものが報道された。その宣誓供述書によると、元主治医はマイケルの不眠治療のため、6週間にわたって毎晩プロポフォールを投与したという。依存症になることを懸念して、6月22日には処方はプロポフォールから催眠鎮静剤であるロラゼパムとミダゾラムへと切り替えられた。
 ところがその後マイケルは不眠の状態に陥り、死の当日である6月25日には深夜から早朝にかけてロラゼパム、ミダゾラムやジアゼパムを断続的に投与するも眠りにつかせることができず、10時40分頃にはマイケルの度重なる要求により25mgのプロポフォールが点滴投与された。それによりマイケルが眠りに就いた後、元主治医はトイレのため2分ほどマイケルの元から離れたが、トイレから戻った時にはすでにマイケルの呼吸は停止していたという。
 8月28日、ロサンゼルス検視当局が死因を公式発表。急性プロポフォール中毒とした上で、第一の死因はプロポフォールとロラゼパムの複合使用と指摘した。故殺であることも断定した。
 裁判の結果、2011年11月に元主治医は過失致死罪で禁錮4年の有罪判決を言い渡された。

 さて、今日お送りした世界的に有名なスターの死に様はどれも自殺を想像させる不可解な死に方だが、故人の名誉と生前の活躍に対するファンへの影響を考え、事故死と発表したのかもしれない。

 記事作成:8月14日(月)

 

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