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2018年2月

2018年2月28日 (水)

2017年2月期のCMベスト5

 一昨年から2か月に一度ずつお送りして来た、その時期に流行ったり、何度も繰り返し放送され、注目を浴びた見慣れたCMを特集して掲載しているこの記事。しかし、あまりにも秀作が多いため、昨年からは毎月末に傑作CMを紹介しています。今回もこの2月に放送されたCMから気に入っているCMを5作品お送りします。

  1位 サカイ引越センター

2位 東海住宅CM 「成人式」篇 30秒

 「20年後のありがとうを目指して」という企業スローガンを “成人式を迎えた娘”と両親の姿に投影し、20年という歳月がもたらすものの価値・尊さを象徴したCMです。

出演:中尾百合音(東海住宅2代目イメージガール)、横堀秀樹(父親)、末広響子(母親)、中江杏(幼少期)

 私の娘も今年、成人式を迎えた。親元を離れ、大学に通っていたが、地元で成人式を挙げた。着物姿を見てハッとしたが、このCMと同じ感慨を持った。

3位 不器用な放課後篇(30秒)   

 お部屋探しは“お部屋探し、ひとすじ。”のミニミニで!ミニミニのテレビCM “不器用な放課後篇” 30秒バージョン

4位 JAL 日本航空 カーリング   

 平昌オリンピックで快進撃を見せ、ベスト4入りを果たしたLS北見カーリングチーム。明るく笑顔が絶えないチームワークの良さや「そだね~」が流行語となるほどの話題性。ほのぼのするおやつタイム。この冬、話題を独り占めした感が強い。スキップ藤澤は韓国女優に似ているし、サードの吉田知那美もまた注目を浴びた。

5位 若者よ…これがバブル時代のドラマだ

 2000年代生まれの若者たちは、かつてこの国にトレンディードラマなるものが存在したことを知っているだろうか?「東京ラブストーリー」、「男女7人夏物語」、「抱きしめたい!」などなど、バブル景気時代に作られた日本のテレビドラマの数々……。今回、当時を知る者には懐かしく、知らない者には新鮮な、トレンディードラマの「あるある」をまとめた動画が公開されました。BGMが当時大ヒットした、石井明美の「CHA-CHA-CHA」というのも泣かせます。

 この毎月話題になったCMをお送りしてきました本シリーズ記事ですが、4月27日で当ブログが終了となるため、この記事の連載は次回で終了させていただきます。ご了承ください。

2018年2月27日 (火)

福島のソウルソング(再掲)

 今日は2015年に作成した記事を多少改良した記事を再掲したい。

 福島県の有名観光地を題材にした歌は数多い。たとえば美空ひばりの「みだれ髪」や春日八郎の「別れの一本杉」、民謡の「会津磐梯山」、岡本敦郎の「高原列車は行く」、そしてご当地アイドルたちが歌うご当地ソングもある。

 しかし、福島県を感動の渦に巻き込む歌があるのをご存じだろうか。おそらく、福島県民すら知らないであろう「福島県の歌」があるのだ。それは「こめら」という曲だ。普通の暮らしが出来ていた頃(2001年頃)の福島県です。応援歌でもなければプロの­方が歌っているのでもありません。
ふるさとを愛する皆が自分の言葉で気持ちを込めて未来の子供たちに残したい故郷を歌っ­ています。一度聞いただけ耳から離れない感動の曲です。では論より証拠。まずは聞いていただきたいと思う。

 この曲に登場する「こめら」とは、 福島県の方言で 「子供たち」 の意味。何かメッセージソングとして強い息吹と確かな絆を感じさせる。
 実はこの曲、NHK・BS「おーい、ニッポン」の「あなたが歌う県のうた」として、秋元康が各都道府県ごとにその県の歌を プロデュースし、その都道府県の県庁所在地のNHK放送局で一般参加者の中からオーディションを行い、最終選出された参加者がその県の歌を歌うというプロジェクトを敢行した。番組内でオーディションの模様などが紹介された後、当日生中継で歌が発表されるというものだった。全曲とも秋元が作詞し、後藤次利が作曲を担当、全49曲が製作された。福島県の歌は「HAPPY ISLAND」が歌う、この「こめら」だった。2001年2月に発売されたが、当時は全く知られていなかった。

 しかし、震災を経験した私たちが聞くと、故郷愛がビンビンに伝わってくる。福島県の豊かな風土、郷愁漂うのどかな風景、そしてそこに暮らす人情味あふれる県民性、福島県民には大切な目に見えない絆が備わっている。

 サビの部分を聞くと、放射線被害のために福島県を離れた方々へのメッセージとして聞こえて来る。

♪こめら いがっせ 明日へ明日へあきらめないで
 未来の福島は みんなの愛でひろがる

 こめら いがっせ ずっとずっと塩屋の岬
 心の灯台を忘れず 迷わず行くんだ

 こめら 集まれ ここがここが約束の地だ
 おめぇの故郷に 自分の足で立つんだ

 こめら 集まれ はるかはるか磐梯山に
 背中を向けないで 真っすぐ歩いて行くんだ♪

 秋元康が、代表一人に絞るより、全員の合唱曲にしたほうがいいと、それが福島らしいと­、例外的な扱いになりました。この姿が福島県の姿です。

 「予定~福島に帰ったら」 CMで流れている曲です!

 みんなが福島を思い、そして自分の故郷を思う。そのきっかけになるために。
そして、風評撲滅のために。皆さんも故郷の好きな風景や好きな人の写真を使ってオリジナルのPVをつくってみてください。美しい福島の写真は、福島民報社と財団法人福島県観光物産交流協会にご提供いただきました。

 この曲を聴いた方のコメント

 福島に生まれてよかったぁ。俺は何があっても福島から離れないぞ!福島県民であることを誇りにおもう。放射能がなんだ!

 何故か涙が出ます。 泣きたいときにストレス発散になります。

 変わらないでいて欲しい場所・・・(;ω;

 私の故郷はいわき。 いわきに帰ったら、たまごやの相馬きゅうりとレーズンココが食べたいw

 私は東北の出身ではありませんが聞いてて泣けました~ 全ての福島の方々が故郷に帰られる日が近いことを 祈るしかありません~ なんて美しい福島でしょうか!

 

 最後に、福島県民には切っても切り離せない「福島県民の歌」もリンクしておきたい。県外の方は知らないだろうが、こちらも名曲だと思う。

  1. しゃくなげ匂う山なみに
    呼びかけよう若い理想をかざして
    あしたの夢がはてなく伸びる
    明るいふるさと福島をつくろう
    みどりひかる この空いつまでも
    ああ 福島県
  2. けやきの樹にしあわせの
    虹かけよう若い血汐を燃やして
    嵐をこえて雪崩に耐えて
    豊かなふるさと福島をつくろう
    ちから満ちる あしおと高らかに
    ああ 福島県
  3. きびたき歌う尾根を背に
    手をつなごう若いあこがれむすんで
    町から村へ ひとつにみのる
    楽しいふるさと福島をつくろう
    こころあわせ つち音絶やさずに
    ああ 福島県

 「県民の歌」制定を望む県内の意見に呼応する形で歌詞と曲の一般公募を実施して1967年(昭和42年)に制定され、2月11日に福島市公会堂で歌手の立川澄人を招いて発表会が行われた。

 

 さて、我が福島県は、郷土愛に満ち溢れた土地柄だ。西側の会津地方は雪深く、人情が厚い。酒どころにして米どころ。中通りは交通や物流の中心、そして東側の浜通りは太平洋が連なる温暖な土地柄で、漁業の町が点在していた。
 今、福島は震災の原発事故から4年半以上が経ち、少しずつではあるが、昔の平穏な暮らしを取り戻しつつある。まだ復興の道半ばだが、着実に美しい故郷の風景を取り戻している。被災者を始め、頑張っている方々に励ましのエールを送る、そんな歌がこの「こめら」のように思えてならない。

 記事作成:2015年11月8日(日)

2018年2月25日 (日)

冬季オリンピックをぜひ福島で!

 今年の「平昌オリンピック」は、ロシアが国家ぐるみの違法薬物問題で出場が見送られ、個人参加となったこともあり、日本勢には追い風となり、メダル獲得を量産した。羽生結弦選手の劇的な復活劇、小平奈緒選手の国境を越えた友情ドラマ、女子団体パシュートの見事なオリンピックレコードでの金、そして女子カーリングLS北見の話題など、見ごたえが存分にあった。

Figure Kodaira2

 なんでもロシア(ソチ)、韓国(平昌)に続き、次回4年後の冬季オリンピックは、またしても同じ大陸にある中国(北京)を会場に行われるという。欧州はトリノ以来、久しく開催していない。冬季五輪というと、どうしても開催国が北半球に限られてしまう。また大会運営能力のある国がどうしても優先される傾向にある。

 ここ日本では1972年の「札幌」、その26年後の1998年には「長野」を舞台に華々しく開催された。考えてみれば、「日の丸飛行隊」の表彰台独占から46年、長野からは早いもので20年が経過している。次回の2022年がすでに北京に内定していることからすれば、その次(2026年)の五輪はおそらく北米か欧州だろうが、その次の2030年は日本で開催されてもなんら不思議ではない。長野から32年が経過していることになるし、日本でなら過去の実績から考えても、十分な運営能力はある。

Sapporo Nagano_olimpics

 そこで提案したいのは、2030年は我が福島県で冬季オリンピックを開催できないものか?という点だ。

 2020年の東京オリンピックからも10年後にあたる。財源は国家予算で賄ってほしい。戦前、あれほど不況と不平が渦巻いていた平昌五輪でも、いざ開催されてみれば、世界各国から観客が詰めかけ、また観光収入は相当なものになる。また、放送権料も財源に含めれば、決して実現不可能な無謀な計画ではない。かつてオリンピック景気で沸いたように、インフラ整備が期待できるし、その経済効果は計り知れない。長野で出来たのだから福島でできない理由などない。

Olympics

 また、福島で開催したい大きな理由は、2011年3月に世界にあれほど衝撃を与えた「東京電力福島第一原子力発電所事故」に見舞われた当地で、もしオリンピックが実現したら、日本の修正力(復元力)を国内外にアピールできる絶好の機会だ。

 日本が名実共に震災や原発事故から完全に復興したと全世界に発信できると思うのだ。かつて1945年の敗戦で、打ちひしがれていた国民が、そのわずか19年後に行われた東京オリンピックで復活と復興を果たしたアピールしたことと同様、震災から19年後にあたる2030年に、原発事故に見舞われた福島がこれほどの復興を成し遂げ、世界中からの支援によって立ち直り元気になったことをアピールできる場にしたい。

Fukushima_bomb2 Fukushima_bomb

 特に福島県の隣県の海域での水産品は、海洋汚染の危惧からか、外国への輸出でいわれなき制限を受けている。特に日本海らの海産物の輸に厳しい対応をしているのは他ではない韓国だ。日本嫌いはわかるが、正当な理由もなしに、原発事故をネタにどの国よりも先陣を切って日本バッシングを繰り広げ、日本産水産物の輸入禁止措置について日本の勝訴とした世界貿易機関(WTO)紛争処理小委員会(パネル)の判断を不服として、最終審に相当する上級委員会に直ちに上訴する方針を明らかにした。
 国際司法の判断にも反旗を翻し、徹底抗戦を叫んでいる。こういうクレーマーを黙らせるためにも、自分の目で見て味わって安全性をわからせるしかない。そのためにも是非、被災県である福島県で世界的なスポーツイベントを開催する必要性があるのだ。

 幸いにして、我が福島県はハード面も充実している。フリースタイルのワールドカップ会場にも使用されている「リステル猪苗代」や磐梯山周辺には、アルペン競技も実施可能な広大なエリアのスキー場が数多くある。
 ジャンプ台は建設が必要になるが、難しい場合には、長野の白馬のジャンプ台や蔵王のシャンツェを間借りするのも一興だ。リュージュやボブスレー会場や巨大アイスアリーナ(アイスホッケー・フィギュア・スピードスケート)は建設が必要だが、これも既存の施設を利用するなど分散型にすれば何とかなるのではないか。
 それにあの白馬のノーマル&ラージヒルのジャンプ台のその後の利用価値が低く、あまりにも勿体無い状況にあるのもリカバーできる。

Listel_inawashiro Nagano_jump

 そして磐梯山エリアの点在するスキー場を、練習会場やレース会場にうまく利用できれば、大会終了後の集客にも繋がると思う。
 また、明日を担うチビッコアスリートたちのモチベーションアップにもなる。今から14年後であれば、準備も十分間に合うし、現在、小学生たちが今回のトップアスリートたちの演技や頑張りを見て、自分もいつかあの最高の舞台に立ちたいと思うだろう。選手の強化にも役立つし、スポーツ界全体のレベルアップにもひと役買うことになる。

Alts

 そして何より訪問客や観客がツアーを組んで、冬の会津や喜多方を観光し、その魅力を存分に楽しんで欲しい。雪をかぶった大内宿や鶴ヶ城、蔵の街喜多方でラーメンを食すのも魅力的だ。猪苗代湖越しに望む磐梯山の景観は圧巻だし、檜原湖でワカサギ釣りを楽しむのもいいだろう。5年連続日本一の日本酒を始め、こづゆやてんぷら饅頭、味噌田楽、高遠そばなど外国人にもウケる食材もふんだんにある。

Ouchijyuku Tsurugajyo

 福島県民が自尊心と誇りを取り戻す契機になるものと期待できる。そして日本中がスポーツを通じて気持ちがひとつになる、そんな夢をぜひ思い描きたいと願う。

 言うに及ばないが、オリンピックはスポーツの祭典であり、全世界の人々が特別な関心を持って一堂に会するビッグイベントだ。情報発信はもとより、強大な日本の底力を全世界に向けて発信する絶好の機会になると思う。

 最後に、福島県でオリンピックを開催する場合のメリット・デメリットを挙げたい。

 「メリット」

 日本人選手の競技力向上とモチベーションアップ

 巨額な経済効果(観光収入や付加価値が見込める)

 人的交流が活性化

 福島県産品や名所のPR

 福島空港の増便(開催中の国際空港化)

 移動が楽(高速交通網が整備されている)でさらなるインフラ整備が進む

 風評被害の払拭(安全を己の目で確認してもらえる)


 「デメリット」

 大会招致や会場建設にかかる巨額の財源の確保

 開発による自然環境破壊

 最後に、私の大好きなPVをリンクして結びとしたい。福島のPRになれば幸いです。

 記事作成:2月22日(木)

 

2018年2月23日 (金)

郡山のなぜ

 郡山はもとより福島県内にはなぜ屋台がないのか?

 東京や大阪、福岡にはラーメン屋、おでん屋、そば屋などの屋台がある。テレビドラマにもお笑い番組でもよく見かけるこの屋台、なぜか福島県にはそれが無い。それはなぜなのか?

Yatai Yatai1

 もし、郡山の駅前広場やアーケード周辺でやっていれば、珍しさと季節の風物詩として持て囃されるだろうし、2次会終了後の「最後の締めは屋台で・・・」となるように思えるし、郡山の新たな名物や名所にもなり得る。「福島県で屋台を楽しみたかったら、郡山へ行け」となるはずだ。
 当然、「屋台村」という屋内に屋台を模した造りの飲み屋街はあるが、リヤカーで神出鬼没状態の純粋な屋台は皆無だ。
 それは食中毒など衛生上の問題で保健所が許可を出さないのか?それとも治安や風紀上の問題か?それともかつて郡山は「ヤクザの街」として悪名が高かっただけに、シャバ代請求など暴力団の資金源となる危惧や犯罪の温床になる危険があるからだろうか?

 そこで福島県のホームページで、露天営業をするのはどういう手続きが必要かを調べてみた。これは「綿あめ」や「金魚すくい」、「射的」など祭事の露天や的屋などが該当するかもしれないが、県ではこのように定めている。

  営業許可には、露店営業臨時営業の2種類あります。

 (1)露店営業
    営業許可期間は5年間です。
    設備に破損や大幅な変更が無い場合、許可期間が満了する前に許可の継続申請を行うことで、引き続き営業することも出来ます。
    福島県(郡山市及びいわき市以外)の保健所で許可を取得した場合、福島県内全域(郡山市及びいわき市以外)で営業することが出来ます。

 (2)臨時営業
    1回のイベント毎に申請する許可です。
    イベント等の期間により、次の3種類に分類されます。
    (ア)8日未満
    (イ)8日以上1月未満
    (ウ)1月以上6月未満(テント等の簡易な施設ではなく、固定店舗と同等の施設が必要です。)

許可を取得する場合は、事前に管轄保健所へ「営業許可申請書」を提出し、現地確認を受ける必要があります。
 なお、申請には、所定の手数料がかかります
 提供出来る品目が限られるほか、必要な設備の基準(施設基準)がありますので、お早めにご相談ください。 

 (1)事前相談
    事前に管轄保健所の窓口で営業許可申請書の用紙等を受け取り、営業許可の種類や施設基準等について確認してください。
    ↓
 (2)営業許可申請書の提出
    必要事項を記入し、管轄保健所に提出してください。この際、手数料がかかります。
    後日、保健所の職員が現地確認のため伺いますので、日程について打合せを行ってください。
    ↓
 (3)保健所職員による現地確認
    実際に機材をセッティングし、保健所の職員の確認を受けてください。
    ↓
 (4)営業開始
    営業する際は、露店営業の場合は許可標識、臨時営業の場合は許可指令書(許可証)を、出店施設の見やすいところに掲示してください。

 【営業許可手数料】

 (1)露店営業
    (ア)飲食店営業 新規申請:16,000円 継続申請:12,800円
    (イ)喫茶店営業 新規申請: 9,600円 継続申請: 7,700円
    (ウ)菓子製造業 新規申請:14,000円 継続申請:11,200円
    (エ)乳類販売業 新規申請: 9,600円 継続申請: 7,700円

 (2)臨時営業
    (ア)飲食店営業 8日未満:4,000円 8日以上1月未満:5,600円 1月以上:8,000円
    (イ)喫茶店営業 8日未満:2,400円 8日以上1月未満:3,400円 1月以上:4,800円
    (ウ)菓子製造業 8日未満:3,500円 8日以上1月未満:4,900円 1月以上:7,000円
    (エ)乳類販売業 8日未満:2,400円 8日以上1月未満:3,400円 1月以上:4,800円

 【提供できる品目(メニュー)】

(1)飲食店営業
    煮  物 : おでん、玉こんにゃく、煮込み
    汁  物 : 豚汁、けんちん汁
    焼  物 : 焼きとり、焼きそば、たこ焼き、お好み焼、大阪焼き、フランクフルト、いか焼き、焼きぎょうざ、鮎の塩焼き、うにの貝焼き
    蒸  物 : じゃがバター、蒸しぎょうざ、蒸ししゅうまい
    揚  物 : から揚げ、フライドチキン、フライドポテト、アメリカンドッグ、串かつ
    酒  類 : 生ビール、日本酒、焼酎等
    その他 : 即席カップ麺にお湯を入れたもの

 (2)喫茶店営業
    かき氷、清涼飲料水、コーヒー、紅茶、甘酒、ところてん、アイスクリーム類小分け
    ※喫茶店営業では、酒類の提供は出来ません。酒類の提供を行う場合は、飲食店営業の許可を取得してください。
    ※かき氷に使用する氷は、許可施設で製造された氷に限ります。
    ※生もの(生の果物をその場で絞った生ジュース等)の提供は出来ません。
    ※缶やペットボトルに入った清涼飲料水(乳類以外)を、開封せずにそのまま販売する場合、許可を取得する必要はありません。
    ※アイスクリーム類小分けについては、カートリッジ式のアイスクリーム類を押出式のソフトクリームマシンで盛り付けたものに限ります。

 (3)菓子製造業
    焼菓子 : 大判焼き、クレープ(生クリームは不可)、ベビーカステラ、焼き団子、五平餅
    揚菓子 : ドーナツ、チュロス、芋けんぴ
    あめ類 : 果実あめ(りんごあめ等)、べっこうあめ、カルメ焼
    その他 : 果実チョコ(チョコバナナ等)
    ※綿あめに関しては、許可を取得する必要がありません。

 (4)乳類販売業
    牛乳、加工乳、乳飲料等
    ※乳類に関しては、販売するだけで許可が必要です。

 なお、具体的な店構え例や給水設備などにも細かい規定がある。詳しくは下記へ

 https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/21045e/roten-rinji.html

 なお、郡山市といわき市のような中核市は、直接保健所へ問い合わせするように指示している。

 ここで不思議なのは、場所に関する記載が見当たらないことだ。路上販売の規制区域や営業可能箇所などの記述が無い。まして移動式に対する許可や規制の文言もない。もしかすると各市町村の条例や規約、例規集にあるのか?それとも警察が規制をかけているのか?

  職場の法律に詳しい(私もK大の法学部で学んだ身だが・・・)人に聞いたところ、福島県に屋台が無いのは、保健所の許可が下りないからであって、それはやはり食中毒に対する懸念が大きいからだと言う。使用する水はもちろんだが、調理法を含め、もし菌が蔓延したら、防ぐことが難しくなる。つまり、衛生的に厳しいのと、やはり、移動式となると、いつ、どこで何をどれくらいの量販売しているのか、保健所で掌握するのが難しい。まして病気が発生したら、原因の究明が難しく、また店舗型なら営業停止に出来るが、発生場所の特定や感染経路の特定が困難になるかららしい。責任の所在が明確にならないものに許可は出せないというのが通例だ。

 それにしても不明なことだらけなので、引き続き調査を継続したい。

 記事作成:2月16日(木)

2018年2月20日 (火)

福島県民には懐かしいモノたち

 このブログもあと僅かで終了になるが、その前に、思いの丈を述べておきたい。それは永久保存版にしたいくらいだが、私が福島県で過ごした約半世紀の中で、想い出深い懐かしい物たちをこぞって紹介し、自らの備忘録としたい。

 福島県民の歌

 震災で福島県を離れた方々もぜひこの曲を聴いて郷土愛を再び抱いてほしい。

 CM曲「エンドーチェーン」https://www.youtube.com/watch?v=dCpS7qIVy5o&t=27s

 CM曲「丸光」 https://www.youtube.com/watch?v=C3YX63aNvtE
 
 CM曲「赤トリヰ」https://www.youtube.com/watch?v=jd2pRSQfRos

 CM「ハマツグループ」 https://www.youtube.com/watch?v=gr7hudWMLbU

 ふくしま国体テーマソング「アルフィー」の「JUMP!」

 平成7年に開催された「友よ、ほんとうの空に飛べ」のキャッチフレーズで行われた「ふくしま国体」。県内のあちこちに全国からアスリートたちが訪れ、連日熱戦を繰り広げた。国体では、開催県が優勝しなければ面子が立たないとばかりに、よその県のトップアスリートをかき集め、天皇杯(男子)皇后杯(女子)を獲得するのに躍起だった。福島県も御多分に漏れず、他県出身のアスリートたちが、この年ばかりは福島県代表で出場し、ポイントを稼いだ。不思議な慣習だ。

 うつくしま未来博

 「うつくしま未来博」は今から17年前の2001年7月7日から9月30日までの2か月半に渡って繰り広げられた一大イベント。
 須賀川と玉川村にまたがる山中を開拓し、一大博覧会会場を築き上げた。日本全国から一流企業がスポンサーがパビリオンを出店し、最先端技術や科学の粋を集めた催しものがあった。山を潰し、広大な敷地面積を誇る場所に大きな池や階段式で底にステージがあるイベント会場、3Dシアター、民芸茶屋、そして各パブリオンを繋ぐ、ゴンドラケーブルがあった。



 福島県民はなぜか複数回、ここを訪れる仕掛けになっていて、幼稚園から高校までの学校は必ず遠足で訪れるようお達しがあった。私は確か3回ここを訪れた。
 今も「昆虫のミュージーアム」が残っているが、小高い丘の分譲地になっているが、市内からやたら山奥で遠すぎて、あまり売れ行きは良くない。

 うつくしま未来博イメージソング「永遠の心」 by岩崎宏美

 福島空港が開港した日

 福島県民待望の空港が玉川村に開港したのは1993年(平成5年)3月20日だった。当時、私は28歳だった。勿来に職場があった私は、毎週末、郡山の実家に帰る度、国道118号線を通り、空港へのアクセス道路入口に「開港まで○○日」という電光掲示板を横目で見ながら車を100回往復以上走らせたものだ。
 開港当初は、札幌便、函館便、大阪便、帯広便、名古屋便、沖縄便、福岡便などと勢いがあった。そして上海便やソウル便などの国際線も開設され、滑走路も2,000mから2,500mへと延長され、活気があった。そして佐藤栄佐久元知事が首都機能移転の招致に乗り出し、最有力候補にもなった。港は小名浜、空港、そしてトライアングルハイウェイ計画と、飛ぶ鳥を落とす勢いでインフラ整備が進んだが、石原東京都知事就任で鶴の一声で移転計画はとん挫してしまった。
 震災の影響もあって客足は遠のき、今では札幌便と大阪便が就航しているのみだ。 ア 開港の3月20日、私はマチュアバンドレシーバーでエア無線で機長と管制官との英語でのやり取りを聴き、福島にも空港が出来たことを実感したものだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=48zDTeGPqxI&t=25s

 乙字ヶ滝にゴジラの卵があった時

 昭和末期の頃、須賀川市出身の映画監督・円谷英二氏の功績を讃え、町おこしの一環で、須賀川市の東部の山肌に電飾でゴジラを描いたり、名勝・乙字ヶ滝のほとりに岩を削って広場を作り、そこに直径5m高さ3mほどの巨大な卵(モニュメント)が出現した。その名も「ゴジラの卵」。私は大学生の頃にバイクで何度か訪れたことがあった。またその付近には「ゴジラの足跡」も築かれた。客集めのためとはいえ、ついつい訪ねてしまう代物だった。
 しかし、残念ながらその数年後に不審火が原因で火災に見舞われ、撤去されてしまった。

 https://www.youtube.com/watch?v=0dos0CHyJmc

 他にも以下のことを鮮明に覚えている。

 ① 郡山の上空を飛行船&零戦が飛んだ日

   私が高校生くらいの時に、シルバーで魚の目のようなデザインの飛行船がゆったりと
  郡山市上空を遊覧飛行したのを覚えている。何かのイベント(こどもまつり?)の宣伝を
  兼ねて飛行船を飛ばしたのだと思う。結構、巨大物体だった。
   また、郡山市内の上空を「零戦」が飛び回ったことがあった。緑色の機体で両翼に日
  の丸があしらわれていた。「ブーン」という独特なプロペラ音が郡山上空にこだました。
  たぶん1970年代から1980年代にかけての頃の出来事だった気がする。

 ② ワンステップフェスティバル(1974年)

   日本のトップミュージシャンや人気ロックバンドが郡山市開成山競技場に一堂に会
  し、5日間、音楽の祭典で盛り上がった。日本中からロックファンが詰めかけ、その後の
  嬬恋や中津川フォークジャンボリーの礎となったビッグイベントだった。矢沢永吉、沢田
  研二はもちろん、あのオノ・ヨーコまで来日して出演した。今では伝説となっている。

 

 さて、今から30年前くらいの映像などを紹介しましたが、懐かしんで貰えたでしょうか。こうして映像で当時を振り返るなんて夢のようだが、まだまだ記憶を掘り起こさないといけない部分は多い。ぜひ、コメント欄などで懐かしい話題や取り上げてほしい話題があればお知らせください。

 記事作成:2月6日(火)

2018年2月19日 (月)

郷土愛ソング 「好きです こおりやま」

 私の「郡山熱」は相当だと自負しているが、この動画にはしてやられたし、正直参った。私の上手を行く人がまだまだいるようだ。それは自らが作詞作曲して「郡山愛」を表現している方が、ここ郡山にいたということが何より嬉しい。
 我が街「郡山」には「郡山市民の歌」という少年時代から歌い継がれている愛すべきシンボル歌があるのだが、世間体にはイマイチ認知度が低いし、あまり歌う機会がないのが現状だ。
 しかし、私は個人で作られたこんなオリジナル歌があることなど全く知らなかった。誰が何の目的で動画サイトにアップしたかは不明だが、何か郡山市民の心にグイグイ入って来る。ではさっそくお聞きください。

 「Youtube」のこの動画の説明によれば、下記のような記載がある。

福島県郡山イメージソング「好きです こおりやま」。作詞 / 三田公美子 作曲 / 本名康友 唄 / 本名康友。
 誰だ?本名さんって?気になって調べて見たら、どうやら郡山市内でデザイン関係を手掛ける会社「本名企劃事務所」の代表の方だと判明した。

 ご本人のHPはコチラ http://www.honna.com/

 懐かしい70年代フォークを思い起こさせるアコースティックギターの曲調、松山千春を意識したかのような歌い方、加山雄三じみたくさいセリフ回し。でもどこか郷愁を誘う。
 でもこの曲は、郡山市民が歌うというよりも、個人の想い出話を歌にしたという類のものであることが判明。
 どことなく懐かしい曲調に歌唱法。私が中学生時代に流行ったような歌に郷愁を感じた。
 
 このお方はこの曲だけでなく、安達太良高原・岳温泉・ニコニコ共和国イメージソング「また会おう」なども動画サイトにアップされている。

 では最後に、郡山市の広報無線で正午に流れる正真正銘、郡山のシンボル歌「郡山市民の歌」をどうぞ!

 広報はコチラ

 ちなみに朝7時は「野ばら」、夕方6時は「夕焼け小焼け」が流れている。

 

 記事作成:2月12日(月)

 

2018年2月17日 (土)

第69回全国植樹祭ふくしま2018大会テーマソング【GReeeeN/福ある島】

 今年6月、我が福島県で全国的なイベントが開かれる。それは南相馬市で開催する「第69回全国植樹祭ふくしま2018」だ。
 原発事故以降、我が福島県は復興とは名ばかりで、林業や水産業は最盛期の10%程度にしか満たない散々な有り様だ。風評被害は少しずつ払拭されつつあるが、それでも震災前に比べたらまだまだだ。
 そんな中、全国植樹祭がここ福島県で開かれることは喜ばしく、大変意義深い。県民は、復興の旗印の下、普段の生活を取り戻すために並々ならぬ努力をしてきた。もちろん全国、いや世界中の方々の善意の輪の中で、支援を無くしては、ここまでの生活は成し得なかった。
 その方々へのお礼や感謝の気持ちを示す格好の舞台を用意してくれた。
 その後押しをしてくれているのが、我が福島県郡山市にyかりのあるバンド「GReeeeN」だ。今大会のテーマソングの楽曲を提供してくれた。かつて平成7年に開催された「ふくしま国体」のテーマ曲「JUMP!」を「アルフィー」が歌い、大いに大会を盛り上げてくれたように、今年もこの曲が福島を元気づけ、そして世界中の人々に「福島は元気です」とPRすることになるだろう。

 第69回全国植樹祭ふくしま2018大会テーマソング【GReeeeN/福ある島】

 全国植樹祭(ぜんこくしょくじゅさい)は、国土緑化運動の中核的な行事として、1950年に 山梨県で第1回が開催されて以来、毎年春に開催されている。
 大会の前身は、「愛林日植樹行事」に遡り、1950年からは、山梨県で「植樹行事並びに国土緑化大会」として第1回が開催された。1970年の第21回(福島県)から現在の名称になり、今日に至る。かつて参加者の規模が1万人を超えることは珍しくなく、平成14年に山形県金山町で開催された会場では12,000人を数えたが、2000年代にはいると地方自治体の資金難や広い植樹会場を設営することが困難などの理由で縮小傾向となり、平成25年の鳥取県南部町の会場ではスタッフを含めて7,000人規模となっている。

 大会式典では、天皇の「おことば」、天皇・皇后による「お手植え・お手まき」行事、県内外の参加者による記念植樹、国土緑化運動ポスターコンクール等の表彰行事、大会宣言が行われることが恒例となっており、国民体育大会・全国豊かな海づくり大会と並び「三大行幸啓」の一つに位置付けられている。しかし、2009年の第60回(福井県)からは天皇の公務負担軽減策の一環として植樹祭式典での「おことば」は取りやめになった。

 1977年の第28回(和歌山県)からは、秋に過去の植樹祭での手植え・手まきにより成長した木の手入れ(枝払いなど)を行う全国育樹祭が行われている。これは皇太子・皇太子妃が出席するものとされ、現在は皇太子徳仁親王と雅子妃が出席している。

 私の姉夫婦は現在、南相馬市に居住を構えている。しかも、今年のこのビッグイベントは直接指揮する立場にある。ぜひ成功を願っている。

 記事作成:2月6日(火)
 

2018年2月16日 (金)

昔の郡山を知る映像集

 最近、「郡山の昔話」の記事を複数書いたが、映像で懐かしむことは出来るかと思い、本日、その貴重なものを蔵出ししたい。

 1 郡山機関区の白黒映像

 

 1958年(昭和33年)郡山機関区と磐越東線でロケが行われました。私が生まれる6年前の白黒フィルム映像だ。当時のSLの運転や街並みから当時の時代背景が偲ばれる。

 2 D51498号の復活運転に思いを込めて

 去る昭和43年郡山地区からSLが消え23年を経過した 平成2年、磐越西線復活に思いを寄せた時代、今は亡き旧友の柳沼さんはじめ渡辺さんたちの苦労が改めて思い出される画像です。
 私が好きだったKFBの羽藤淳子アナのリポート。土曜日の朝に放送していた「あいうえお天気目玉焼きLサイズ」を毎週見ていたし、ニュースキャスターに転身した後も、福島Jチャンネルを見ていた。確か実家は久留米にあったが、結婚されて他県へと嫁いでしまった。時々SNSに近況を報告している。

 3 磐光パラダイス火災

 昭和44年2月に発生した火災映像。福島県郡山市熱海の「磐光ホテル」から火を出し、瞬く間に燃え広がり、宿泊客ら30名が焼死した。
 当時、私は5歳で、夜に多くの消防署がけたたましくサイレンを鳴らしながらさくら通りを西に向かって列をなして走って行ったのを見た。

 4 東北のウィーン

 昭和37年12月の中日ニュースの映像。郡山市が中央の文化を取入れ、音楽による町づくりを進めていることを報道。これが今の合唱王国・郡山の礎となった。わざとボカシが入っているのが残念だ。

 記事作成:1月31日(水)

2018年2月14日 (水)

郡山の魅力再発見!53 ~郡山の地酒と酒蔵~

 我が福島県は毎年5月に開催される「全国新酒鑑評会」で、5年連続金賞獲得数日本一を記録するほどの酒どころとして有名だ。特に、米どころでもある会津地方の厳しい気候は、清冽な伏流水とあいまって酒づくりには格好の環境だ。
 そして、福島県の中央に位置する郡山市もまた有名ブランド「あさか舞」を始め、美味しい米の穫れる産地となっており、酒づくりに適した気候風土を備えた土地柄といえる。
 ゆえに「商都」として発展を続ける中核都市でありながら、ここ郡山には複数の酒蔵が点在する。今日は、それらの酒蔵とその代表銘柄を紹介したい。

 笹の川酒造

Sasanokawa_2 宝永7年(1710)創業の老舗で、郡山の酒蔵としては最も大きい。市内南部の安積町笹川地区の阿武隈川沿いにある。所在地からネーミングした「笹の川」が主力商品となっている。他にも「ほろ酔い」や「すべて山田錦」など個性ある酒づくりを展開している。
 私の中では、会津の「花春」、「栄川」と並ぶ三大酒造メーカーという印象が濃い。
                                                      
 また、「笹の川酒造」では、結婚式など何かの記念日に使える、自分だけのオリジナルラベル入りの日本酒も作れるから嬉しい。
 この「笹の川酒造」は、日本酒だけでなく合成酒、甲類焼酎、乙類焼酎、ウイスキー、スピッツ、リキュールなどを製造している会社だ。
 銘酒「笹の川」は、平成23酒造年度、平成26酒造年度で「全国新酒鑑評会」で金賞を受賞している。
Sasanokawa_2

 大吟醸原酒「袋吊り」 6,480円
 特撰純米 「笹の川」 3,240円
 「すべて山田錦」 2,376円
 純米吟醸「桃華」(500ml) 1,234円  

 蔵元のHPはコチラ http://www.sasanokawa.co.jp/

 

 若関酒造

Wakazeki 郡山の市街地から南の方に行くと、「久留米」や「山崎」という地名があり、近くにはバードウォッチングや桜の名所として知られる「五百渕」という広大な公園が鎮座する。その池の南側にあるのが「若関酒造」だ。
 
 文久年間創業の老舗で、昭和36年に福島県中通りの歴史ある 蔵元3社が瓶詰め部門を協業化したことにより、現在の形態を設立されました。
 銘柄「若 関」は、いつまでも若々しく雄々しく酒造業界に躍進することを念願して命名されました。 平成14年の全国新酒鑑評会で入選した実績を持つ蔵元でもあります。阿武隈山系の 自然に恵まれた風土の蔵元では、じっくりと仕込んで酒造りを行っています。
 特に、「純米 大吟醸・さかみずき」は福島県が開発した「うつくしま夢酵母」を使用しており、香りの高いフルーティーな味に仕上がっており、kつてない芳醇さを醸しています。(郡山協同酒造組合のHPより抜粋)

Sakamizuki

 

 純米大吟醸「さかみずき」(720ml) 3,144円
 大吟醸「さかみずき」(720ml) 2,621円
 吟醸「さかみずき」(500ml) 1,519円

 

 なお、郡山市田村町谷田川地区に「たに川酒造」という蔵元があるが、ここは若関酒造の製造元と同一で、ここでも銘酒「さかみずき」を醸造している。

 

 有限会社佐藤酒造

Satosyuzou 郡山駅から北へ約1km、逢瀬川(旧名大重川)を渡り、磐越西線のガードを潜って100mほど北進すると、旧国道4号線沿いに歴史のありそうなレンガ造りの塀に囲まれた場所にたどり着く。そこに「佐藤酒造」はある。

 宝永7(1710)年創業当時は藤屋本店と称し、奥州街道筋に上質の井戸があり、藤の枝が豊かなるを見て、二本松藩主丹羽公より「藤乃井」の銘を授けられ、本日に至る。

 昨年、FTV「みんなのニュース」の「500mの小さな旅」というコーナーで、寺本緒万里アナが訪ね、そこから酒づくりのあらましをリポートした。 
                                
Fujinoi

 

 「藤乃井 大吟醸」 4,500円、5,000円
 「藤乃井 純米大吟醸」 4,500円
 「みちのくの地酒 純米酒」 1,450円  

 蔵元のHPはコチラ https://satoushuzouten.jp/product.html

 

 仁井田本家

Niidahonke_2 中心市街地から国道49号線をいわき方面に向かっていくと、田村地区に「大安場古墳」や「東山霊園」への入口がある。そこを左に折れ、巨大古墳を横目に通り過ぎ、霊園内を周回道路に沿って進み、事務所に行く道と分かれる十字路分岐に出る。そこを右折し、下り坂の途中、佐藤石材店の前の丁字路を左に入ると「仁井田本家」がある。 
 1711年の創業から300余年「酒は健康に良い飲み物でなければならない」という信条を代々受け継ぎ、日本で最初の自然酒を醸した仁井田本家は、自然米100%、純米100%、天然水100%、の酒造りをしています。 仁井田本家は日本の美しい田んぼを守る酒蔵でありたいと思っています。 (蔵元のHPより)
 歴史のある「金寶自然酒」、田村地区の特定特約店でしか販売していない幻の酒「田村」、そして主力である「穏(おだやか)」など充実したラインナップが目につく。この蔵は「全国新酒鑑評会」の金賞受賞の常連である。この10年間を見ただけでも「穏」は5回金賞に輝いた。

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 「にいだしぜんしゅ純米吟醸」 3,240円
 「穏(おだやか)純米大吟醸」  5,940円
 「穏 純米吟醸」          3,024円
 「田村」               3,672円(特定特約店のみで販売)
 

 蔵元のHPはコチラ https://www.kinpou.co.jp/

 

 渡辺酒造本店

Watanabesyuzou 郡山の市街地北西に約10km、阿武隈川にかかる小和滝橋を渡り、剣道を三春方面に行くと、「木村公民館」の十字路にぶつかる。そこを左折し、農免道路の坂を上った道路沿いの左手(西側)にある。ただし、道路からは土手の上の奥にあることから、酒蔵自体は急坂を上らないと見えない。

 明治4年に地元向けの御神酒酒屋として創業し、これまでに全国新酒鑑評会で金賞を7回受賞、入賞2回した輝かしい受賞歴を誇る酒蔵。東北清酒鑑評会でも通算19回、福島県の金賞を24回(うち最高賞の県知事賞を6回)も獲得している実力のある蔵元。

 緑豊かな風土の中で、酒造好適米の生産に精力を注ぎ込み、地元産の酒米を自社田と契約農家で栽培している。その酒米の特性を活かしながら、高品質かつオリジナリティー溢れる大吟醸、吟醸、純米、本醸造を中心に醸造し、日本酒文化を伝承でき得る日本酒ワイナリーを目指しています。仕込み水には、あぶくま鍾乳洞由来のミネラルが溶け込んだ中硬水を使用。蔵人が一丸となって、しっかりとした味わいの中にやわらかさを持たせた日本酒造りに邁進している。オリジナルの「雪小町」は、北国の「雪」と美酒=美人の「小町」から命名し、東北・福島の美味しいお酒であるようにと祈りを込めた銘柄だ。

 私は2年ほど前、酒好きが興じてこの酒蔵を見学させていただいた。個人で飛び込みで行ったにもかかわらず、杜氏でもある気さくな社長さんが蔵内を隅々まで案内してくれて、酒づくりの行程をこと細かく説明してくれた。
 階段を上り、何と最上部から熟成段階の貯蔵タンクの中を覗き、ポツポツと泡を噴いているところまで見学させていただいた。温度管理が徹底されていて、愛飲家を唸らせる名酒というのは、細心まで気を配る地道、かつ酒を我が子同然に大切に扱う蔵元でしか造り出せないことを実感した。

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 「雪小町 大吟醸蔵元入魂の雫」 11,880円

 「雪小町 純米大吟醸生原酒」    3,240円

 「雪小町 大吟醸美山錦造り」     3,240円

 「雪小町 純米大吟醸美山錦」    3,290円

 また、西田行政センターがある交差点の南東側の角に直系の販売所である「櫻家」という酒屋があり、そこで渡辺酒造本店の地酒を買い求めることが出来る。

 さて、私の酒好きは今に始まったことではないが、日本酒については知識が疎かった。それもそのはず、かつては二級酒、特級酒という区分だった。二級酒は醸造用アルコールをふんだんに入れてしまい、味わいを楽しめる代物ではなく、単に酔っ払うための酒という認識だった。アルコール臭が酷く、若い頃は好まなかった。
 しかし、政府が重い腰を上げ、日本の宝である清酒を擁護しようという動きが平成に入ってから急に加速した。分類も精米歩合によって本醸造、純米酒、純米吟醸、吟醸酒、大吟醸、純米大吟醸などに分かれ、日本酒度や酸度によって甘口、辛口、淡麗、芳醇に区分けされる。また、酒適合米(山田錦・美山錦・五百万石など)によっても味は異なるし、使用する酵母によっても味がガラリと変わる。実に奥が深い飲み物で、それだけ手間がかかっている。
 愛飲家は、自分好みの酒を自分の舌でじっくりと味わうことが可能となった。
                                                     
 私自身は20代は「イッキ!」が流行った頃で、ビールとカッコつけで飲んだウィスキーの水割りが主流。30代は焼酎、40代以降は日本酒に転換した。いくら日本酒が好きと言っても大量にがぶ飲みするほど愚かではない。本当に好きな酒をチビリチビリ、酒の肴と一緒にいただくことが何よりの楽しみになった。冬場は純米酒をぬる燗でいただくのが堪らない。

 こんな記事を書いていると、今宵も一杯飲みたくなってきた・・・。

 記事作成:2月1日(木)

2018年2月11日 (日)

郡山の魅力再発見!52 ~郡山三大○○~

 郷土愛から始めたこのシリーズ記事もあと書くのは数回限りだろう。4月下旬の閉鎖に向け、何を残し、何を削除するか迷っているが、旅行記、釣行記とこの「郡山」に関する記事は残す方向で考えたい。
 この記事はもう52回目だが、書いている私自身も気づかずに「へぇそうなんだ」と驚くことがある。それくらい我が街・郡山は知らないことだらけで奥が深い。だから「魅力再発見」なのだ。

 さて、今日のテーマはかつて「日本三大○○」という記事を書いたことがあったが、その地元版と言える内容だ。私が個人的興味と偏見で選んだ郡山に纏わる「三大○○」を列挙したい。

 1 郡山三大スィーツ ①薄皮饅頭 ②ままどおる ③ゆべし  檸檬やエキソンパイも

 2 三大老舗デパート ①うすい百貨店 ②丸光デパート ③津野デパート

 3 撤退した三大大型店 ①西友(西武) ②丸井 ③ダイエー(スーパー)

 4 撤退した三大家電量販店 ①いせや ②そうご電器 ③第一家電  電激倉庫も
   そうご電器はイオンフェスタ店の2Fには残ってはいるが・・・ 

 5 三大ホームセンター ①ダイユー8 ②カインズ ③ビバ

 ビバは安積町、横塚、喜久田にもあったが、今は桑野と針生にしかなくなった。
 ケイヨーD2やジョイフル山新もあるがそれぞれ1店舗しかない。

 6 今は無き三大ホームセンター ①ジャンボエンチョー ②カンセキ ③ユアファクトリー

 6 三大ディスカウント ①トライアル ②ドン・キホーテ ③THE BIG(スーパー)

 7 三大ドラッグストア ①ツルハ ②カワチ ③マツモトキヨシ

 8 三大パン店 ①大友パン ②ガトーナカヤ ③杜のくまさん(三春町)

 9 三大酒屋 ①伊勢屋(大島) ②鎌田屋(本町・安積) ③平野屋(清水台)

   日本酒では ①和泉屋 ②会津屋 ③寿屋酒店が品揃えNo.1だと思っている。

10 三大公園 ①開成山公園 ②平成こどもの森公園 ③逢瀬公園   

   歴史的には「麓山公園」も捨てがたい。五百渕や荒池公園、大槻公園も大きい

11 三大神社 ①開成山大神宮 ②安積国造神社 ③日吉神社

12 三大旅館 ①華ノ湯 ②四季彩一力 ③八景園

13 三大ホテル ①ハマツ ②郡山ビューホテル ③ダイワロイネット

14 都市型シティホテル ①東横イン ②ルートイン ③アパホテル

  他にもワシントンホテルやα1などもある

15 郡山本社の三大企業 ①ベニマル ②ゼビオグループ ③幸楽苑 

16 三大お気に入り神社 ①菅船神社 ②王宮伊豆神社 ③高屋敷稲荷神社

17 三大奇物 ①ペグマタイト岩脈 ②大安場古墳 ③浄土松公園きのこ岩

18 三大夜景 ①ビッグアイ24F ②あぶくま支援の下行合の坂 ③逢瀬公園展望台

19 ミステリースポット ①河鹿荘 ②磐光グランドホテル跡地 ③東山霊園

20 郡山三大温泉 ①磐梯熱海 ②采女温泉 ③休石温泉

21 三大レジャーランド ①カルチャーパーク ②ペップキッズ郡山 ③ラウンド1

22 今は無きレジャーランド
   ① 郡山レジャーセンター ②アミューズパーク ③磐光パラダイス
 
   社会保険事務所の北隣りにあった「巨大迷路」も今となっては懐かしい。

23 三大寺院 ①如宝寺 ② 善導寺 ③大慈寺

24 今は無き娯楽場 ①ミナミボウル ②郡山スケートセンター ③セントラルホール

25 震災崩落した三大建造物 

   ①かっぱ寿司長者店 ②ブックオフさくら通り店 ③きしもとのマンション 

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26 今は無きレンタル店 ①ビデオボーイ ②創夢館 ③ビデオフォーラム

   「見聞録」もあった

27 ブームが去って消えた店 
   ①KWAN(プールバー)  ②カラオケヒットスタジオ ③One Day (カラオケスナック)  

28 今は無きスポーツ店 ①アルペン ②ビクトリア ③村上スポーツ    

29 おしゃれ店 ①Bar Watanabe ②ラストワルツ ③カフェ・ド・カフェ

   カフェレストラン「四季」も素敵だ

30 今は無きおしゃれレストラン 

  ①飛行船(再オープン) ②ワンス・アポン・ナ・タイム・インアメリカ ③ぽえむハウス 

31 三大ファミレス ①デニーズ ②ロイヤルホスト ③ガスト

  「びっくりドンキー」や「まるまつ」もある。「半田屋」は郡山から撤退してしまった。

32 三大かくれ家的スポット ①緑水苑 ②21世紀記念公園内茶室 ③にしのみや

33 三大学びスポット ①開成館 ②郡山市立美術館 ③こおりやま文学の森資料館

34 三大ストア ①ブイチェーン ②シミズストア ③鎌倉屋

35 今は無きストア ①イゲタストア ②マルエー(虎丸) ③トキワスーパー

36 三大書店 ①岩瀬書店 ②ジュンク堂 ③みどり書房

37 三大総合病院 ①太田綜合 ②星総合 ③ 寿泉堂

   南東北病院も巨大病院だ

38 三大大学 ①日本大学工学部 ②郡山女子大学 ③奥羽大学(旧東北歯科大学)

39 三大団地 ①柴宮団地 ②日吉ヶ丘団地 ③希望ヶ丘団地

40 三大コンビニ ①セブンイレブン ②ファミリーマート ③ローソン

   いつの間にかハローショップとセーブオンは無くなってしまった

41 郡山三大工場 ①JR郡山総合車両センター ②日本全薬 ③保土ヶ谷化学

42 三大ノッポビル ①ビッグアイ ②D’グランフォートザ・タワー  ③寿泉堂病院

43 今は無き麓山憩いの場 ①遊園地 ②市民会館 ③児童文化会館

44 郡山を通る三大国道 ①4号線 ②49号線 ③288号線

45 三大幼稚園 ①ザベリオ学園 ②郡山女子大幼稚園 ③若竹保育園

46 三大公共建造物 ①ビッグアイ ②ビッグパレット ③開成山屋内水泳場

47 地元密着三大老舗企業 ①小田原屋 ②宝来屋 ③コマツ醤油屋

48 三大レアな店 ①メヒコ ②開成館 ③猛禽類カフェ ファルコン  

49 市民に愛された店 ①ひまわり(営業中) ②ピノキオ(閉店) ③樽川模型(移転)

50 三大蔵元 ①笹の川酒造 ②仁井田本家 ③渡辺酒造本店 

51 三大レアな遊び場スポット ①緑水苑 ②イワナの里 ③アルパカ牧場(②と同じ)

52 三大自慢 ①鯉の産地 ②合唱王国 ③安積疎水

53 三大有名人 ①西田敏行 ②市川昭介 ③湯浅譲二

54 三大プロチーム ①ファイヤーボンズ ②ホープス ③フリーブレイズ(八戸市)

55 三大功労者 ①大高善兵衛 ②太田緑子 ③関口富佐   丹治一郎も功績大

56 三大歴代市長 ①秀瀬日吉  ②和田潤 ③丹治盛重

57 三大ソウルフード ①酪王カフェオレ ②クリームボックス ③グリーンカレー

58 三大カジュアル店 ①Avail  ② gu  ③ユニクロ

59 三大衣料品店 ①しまむら ②サンキ ③シャンブル

60 花見スポット ①開成山 ②花木団地 ③藤田川

61 今は無き三大テイクアウト店 ①小僧寿し ②小銭寿司 ③ほっかほっか亭

62 今は無き三大名店 ①角海老(中町) ②女鳥羽そば(清水台) ③大野屋

63 三大和菓子処 ①愛宕屋 ②丹波屋 ③よしだや  (松風堂もあった)

64 三大殺人事件 ①広域118号 ②大久保川(未解決) ③町東看護師殺害

65 三大恐怖事件 ①大平町民家立て篭もり ②アーケード銃撃 ③集団暴行事件

66 三大歴史的建造物 ①公会堂 ② 安積歴史博物館 ③金透記念館  (開成館)

67 今は無き三大レア建造物 

   ①今泉学園五重塔(長者) ②飛行場(田村工業団地) ③巨大迷路(朝日)

68 三大タウン誌 ①こおりやま情報 ②街こおりやま(廃刊) ③リビング郡山

69 三大廃墟 ①太田記念病院(中町) ②寿泉堂病院(駅前) ③星総合病院(大町) 

70 三大危険個所 

   ①銚子ヶ滝(熊出没) ②東山霊園(フレコンバックだらけ) ③芳賀(冠水被害)

71 三大ミステリー ①郡山城の在り処 ②陣屋の在り処 ③咲田にあった屠殺場

72 三大好奇心 ①芭蕉が泊まった宿 ②静御前終焉の地 ③赤木遊郭

73 三大オブジェ 

   ①歩き出す街へ(清水台) ②駅前大通りの楽器のベンチ ③自由の女神(富久山)

74 虎丸のシンボルだった場所

   ①ベニマルさくら通り店 ②野替薬局ビル ③常盤湯(銭湯)  虎丸卓球場も

75 三大残念な店

   ①半田屋(閉店) ②まるまつ(営業時間が10時に変更 朝定食廃止) ③ビバ横塚

 記事作成:1月25日(木)~

2018年2月 3日 (土)

郡山の昔話(今は無き遊び場編)

 本日は昔話として「今は無き郡山の遊び場(プレイスポット)」を回顧したい。子どもの頃に私がよく遊んだ、懐かしい想い出がたくさん詰まった場所たちだ。

 「郡山レジャーセンター」

 昭和50年代まで、安積町の国道4号線に面し、現在は結婚式場がある辺りにあった遊園地。
 国道沿い側がガラス張りの建物で、世界中の国旗(万国旗)が張り巡らせてあった。中は南国を思わせる椰子の木などが置かれていたと思う。100円で動く遊具やゲームコーナーなどがあった。その建物の西側の奥が屋外遊園地と動物園で、回転飛行機やコーヒーカップ、園内を巡るミニSL、私は幼少の頃、3~4回訪れているのだが、あまりよく覚えていない。 
 私は怖くて近づけなかったが、ライオンなどの猛獣が檻に入っていた記憶がある。しかし、小学生の女の子が熊の檻に手を伸ばし、腕から下を噛みちぎられるというショッキングで痛ましい事故が起きた。

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 「磐光パラダイス」

 磐梯熱海駅の北側に広がる広大な敷地にかつてあった建物。隣りが「磐梯グランドホテル」だった。旧磐光ホテルは、昭和44年の2月の寒い夜に火災に遭い、宿泊客ら大勢の方が犠牲(使者30名)になった。その跡に再建された大型リゾートホテルだ。
 ホテルの西側に隣接していたのが「磐光パラダイス」だった。3階建てて、エスカレーターで上がると畳敷きの大宴会場になっていて、ここで売りの「金粉ショー」を始め、大物歌手などが興行で来ていろいろなショーやリサイタルを行った。周囲には2階席もあった。
 
 私はその頃、人気絶頂だった「フィンガー5」のショーを見た。その後を追いかけて、ゲーセンで遊ぶ玉元妙子を目の前で見たし、ホテルに忍び込み、探検していて、メンバー5人がエレベーターから出て来たところに出くわしたこともあった。確か1階はホテルと繋がる長い通路(廊下)があった。

 とにかく想い出深い場所だ。5~6回は遊びに行ったと思う。

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 ホテルの懐かしいCMはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=VHavUr4hdfA

 火災のニュース映像はコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=L6xM5Noeb5g

 磐光パラダイス関連の記事(本宮映画劇場さんのTwitter)はコチラ

 

 「郡山スケートセンター」

 昭和50年代に市民のオアシスとしてオープンした本格的な屋内リンク。それまではスケートと言えば、郡山駅前にあった狭い「中央スケートリンク」しかなかった。
 そこは阿武隈川沿いのR49の金屋橋の北側、東部幹線沿いにあった。確か二中の後輩にあたる本田武史の本拠地で練習場でもあった。
 その後、ここが潰れ、「アミューズパーク」として生まれ変わり、ゲームセンターと化した。ゴーカートのレーシングカート場になった時期もあった。また隣りには釣り堀やパターゴルフ場などが併設され、何度か遊びに行った記憶がある。

Amusepark

 「大島バッティングセンター」

 10年前くらいまで今のKFB(福島放送)の東隣りにあった。オートテニスや卓球場、ゲーセンも併設されていた。ここでバッティングの腕を磨いたし、スピードガンやソフトボールのマシンもあったと思う。よく姉とテニスをやりに行った記憶がある。
 昭和の時代、バッティングセンターは郡山市内のあちこちにあった。安積町の坪井病院近くの山にもあったし、本町の旧国道沿いにもあった。小学生の頃、よく遊びに行ったものだ。

 釣り堀(長者・菜根)

 郡山は海が無い。猪苗代湖へも自転車で行くのには遠く、小学生の頃は専ら近くの荒池や釣り堀で魚釣りをした。友人は雷魚を釣り上げ、芳山小学校のプールで放し飼いした。冬まで生きていたから、雷魚の生命力は凄まじかったことを覚えている。
 また、私が通った芳山小学校の北側には、小さな屋外釣り堀があった。ビニールハウスと併設されていたが、そこで初めて釣りをやった。鮒しかいなかったと思う。どぶ臭いにおいが周辺に漂っていたと思う。また、そのずっと後になるが、「ベニマル菜根店」の北側にあった室内釣り堀にも2回くらい遊びに行った記憶がある。

 「アミューズメントパーク」

 あさか野バイパス下に3年前まで営業していたが、急に閉店した。バッティングセンターやゲーセン、バスケットのフリースロー、ストラックアウト、チョーザメがいる室内釣り堀があった。採算が合わなくなってなのか、遊び場が減っていくのが残念でならない。

Superfishing

 「巨大迷路」

 平成2年~3年頃まであったと思うが、作られてから1年くらいで無くなった。男女七人秋物語で登場したように、バブル以降は、このような遊び場が多く建設された。場所は郡山市の「こおりやま会館」(今は「ニコニコこども館」)の北側の空き地。そこに東西に縦長で木製の巨大迷路が作られた。確か1回500円だった気がする。元カノと遊んだし、グループで遊びに行った記憶もある。ブームに乗って市街地のど真ん中に出来たが、客の入りはさほどではなく、1年も持たずに解体されたと記憶している。

 「開成山公園にあったジェットコースター」

 これは覚えている人は少ないかもしれないが、1972年頃、郡山の開成山周辺では人気版づを多数招いての「ワンステップフェスティバル」や子どもを楽しませるために「子ども祭り」のイベントが行われた。開成山公園をメイン会場に多くの遊園地が作られた。五十鈴湖では、軍艦のラジコンの競走があったり、のど自慢大会もあって、私も友達3人と「母に捧げるバラード」を歌った。しかし、いざステージに上がると、あまりにも聴衆の人が多く、足がすくみ、緊張であまり声が出なかった。
 また、今のバラ園の近くには大掛かりなジェットコースターが建造され、郡山初上陸のコースターに市民は大興奮で、観客は大いに楽しんだ。確か滝が流れていて、短いトンネルを潜る際、その滝の水が止まった。また、市役所側では、自衛隊のヘリコプターが市街地の上空を飛び回る遊覧飛行が出来た。

 「麓山公園」

 これは知る人は少ないだろう。私も知らない。たぶん70代以上の方しか体験していないだろう。麓山公園の敷地内に線路を張り、人を乗せて園内を走るミニ列車があったらしい。
 私はここは怖くて嫌な想い出しかない。探検ごっこをして慰霊塔の裏手の階段を下りたらドアがあって、鍵穴から中をのぞき込んだら、奥の棚に数多くの位牌が並んでいた。ぞっとした。おそらくは戦争で犠牲になった方の身元不明者や無縁仏の位牌を収めてあったのだ。ここで私は右足を5針縫う大けがを負ったが、その罰が当たったとしか思えない。そしてここの小高い丘にある神社がまた不気味で、ここで首吊りがあったとか物騒な噂が流れた。
 そして塾で一緒だった可愛い女の子と初デートをしようと、ここで待ち合わせをしたら、当時は携帯などない時代で、うっかり私が時間を間違えて会えなくなり、それ以来、疎遠になってしまった苦い想い出がある。どうやらこの公園は、私にとっては鬼門と言える。

Hayamapark

 麓山公園の紹介PVはコチラ→ https://www.youtube.com/watch?v=xRgdeu-jG4o

 「児童文化会館」

 現在の郡山中央図書館(麓山)がある場所は、児童文化会館があった。二階建てで、1階は学習体験のためのフロア、2階は展示やなぜかゲームがあった。ドライビングゲームは作りが雑で、それでも子供の頃は夢中になって遊んだ。宇宙をモチーフにした展示物などもあったと思う。天体望遠鏡もあったとは思うが、利用したためしがない。また、その建物は通路で別館に繋がっていて、確か工作室のような造りで、長机で粘土細工を作ったりした記憶がある。NHKの西隣りは現在は駐車場になっているが、ここに昔は郡山市民会館があった。のど自慢(ゲストに榊原郁恵)やスター誕生(ゲストは西城秀樹)、笑点の公開収録を見に行った記憶がある。 

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 訂正

 少年時代に何度も遊んだ「児童文化会館」の名称をド忘れしてしまい、思い出せずに3日間ずっと悩んでいたところ、少年ではなく「児童」であることを思い出させてくれるコメントをいただきました。ありがとうございます。訂正させて頂きます。

  「イオンフェスタ大観覧車」

 昨年、老朽化のために解体され、今は跡形もない。どこかで開催された「万博」の払い下げで、日和田の「ケーズデンキ郡山北店」の東側にどでかく聳え立っていた。郡山市内の夜景や安達太良山を一望できる絶好のロケーションだったが、ここは強風が吹き荒れる場所で、しばし営業停止になることが多かった。1回500円は高かったかもしれない。私は一度も乗ったことが無いが、新幹線からも見えたし、ビッグアイと同様、ラウンドマーク的な役割を担っていた。福島方面から車で走ると、これが見えると郡山に帰ったことを実感したものだった。

Ferris_wheel

 解体の様子を撮影した映像はコチラ↓

 https://www.youtube.com/watch?v=89v6FyIeBZM

 さて、今思えば、無くなる前にたくさん写真を撮っておけばよかったのにと思う。学生時代からずっと想い出を刻んできた場所が無くなってしまうのは本当に惜しい。時が経てば、ここに何があったのかさえ忘れてしまいがちだ。郡山市はここ30年で劇的に変わったし、今でも発展を続ける都市だ。震災を契機に無くなってしまったものも多いが、新たに生まれ変わって新しい郡山のシンボルになっているものも多い。
 あと何年生きられるかわからないが、幼少期からの想い出と共に、郡山を愛し、過ごしていきたいと思う。ここは私のたったひとつの故郷なのだから。

 記事作成:1月30日(火)

 

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