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2018年2月20日 (火)

福島県民には懐かしいモノたち

 このブログもあと僅かで終了になるが、その前に、思いの丈を述べておきたい。それは永久保存版にしたいくらいだが、私が福島県で過ごした約半世紀の中で、想い出深い懐かしい物たちをこぞって紹介し、自らの備忘録としたい。

 福島県民の歌

 震災で福島県を離れた方々もぜひこの曲を聴いて郷土愛を再び抱いてほしい。

 CM曲「エンドーチェーン」https://www.youtube.com/watch?v=dCpS7qIVy5o&t=27s

 CM曲「丸光」 https://www.youtube.com/watch?v=C3YX63aNvtE
 
 CM曲「赤トリヰ」https://www.youtube.com/watch?v=jd2pRSQfRos

 CM「ハマツグループ」 https://www.youtube.com/watch?v=gr7hudWMLbU

 ふくしま国体テーマソング「アルフィー」の「JUMP!」

 平成7年に開催された「友よ、ほんとうの空に飛べ」のキャッチフレーズで行われた「ふくしま国体」。県内のあちこちに全国からアスリートたちが訪れ、連日熱戦を繰り広げた。国体では、開催県が優勝しなければ面子が立たないとばかりに、よその県のトップアスリートをかき集め、天皇杯(男子)皇后杯(女子)を獲得するのに躍起だった。福島県も御多分に漏れず、他県出身のアスリートたちが、この年ばかりは福島県代表で出場し、ポイントを稼いだ。不思議な慣習だ。

 うつくしま未来博

 「うつくしま未来博」は今から17年前の2001年7月7日から9月30日までの2か月半に渡って繰り広げられた一大イベント。
 須賀川と玉川村にまたがる山中を開拓し、一大博覧会会場を築き上げた。日本全国から一流企業がスポンサーがパビリオンを出店し、最先端技術や科学の粋を集めた催しものがあった。山を潰し、広大な敷地面積を誇る場所に大きな池や階段式で底にステージがあるイベント会場、3Dシアター、民芸茶屋、そして各パブリオンを繋ぐ、ゴンドラケーブルがあった。



 福島県民はなぜか複数回、ここを訪れる仕掛けになっていて、幼稚園から高校までの学校は必ず遠足で訪れるようお達しがあった。私は確か3回ここを訪れた。
 今も「昆虫のミュージーアム」が残っているが、小高い丘の分譲地になっているが、市内からやたら山奥で遠すぎて、あまり売れ行きは良くない。

 うつくしま未来博イメージソング「永遠の心」 by岩崎宏美

 福島空港が開港した日

 福島県民待望の空港が玉川村に開港したのは1993年(平成5年)3月20日だった。当時、私は28歳だった。勿来に職場があった私は、毎週末、郡山の実家に帰る度、国道118号線を通り、空港へのアクセス道路入口に「開港まで○○日」という電光掲示板を横目で見ながら車を100回往復以上走らせたものだ。
 開港当初は、札幌便、函館便、大阪便、帯広便、名古屋便、沖縄便、福岡便などと勢いがあった。そして上海便やソウル便などの国際線も開設され、滑走路も2,000mから2,500mへと延長され、活気があった。そして佐藤栄佐久元知事が首都機能移転の招致に乗り出し、最有力候補にもなった。港は小名浜、空港、そしてトライアングルハイウェイ計画と、飛ぶ鳥を落とす勢いでインフラ整備が進んだが、石原東京都知事就任で鶴の一声で移転計画はとん挫してしまった。
 震災の影響もあって客足は遠のき、今では札幌便と大阪便が就航しているのみだ。 ア 開港の3月20日、私はマチュアバンドレシーバーでエア無線で機長と管制官との英語でのやり取りを聴き、福島にも空港が出来たことを実感したものだ。

 https://www.youtube.com/watch?v=48zDTeGPqxI&t=25s

 乙字ヶ滝にゴジラの卵があった時

 昭和末期の頃、須賀川市出身の映画監督・円谷英二氏の功績を讃え、町おこしの一環で、須賀川市の東部の山肌に電飾でゴジラを描いたり、名勝・乙字ヶ滝のほとりに岩を削って広場を作り、そこに直径5m高さ3mほどの巨大な卵(モニュメント)が出現した。その名も「ゴジラの卵」。私は大学生の頃にバイクで何度か訪れたことがあった。またその付近には「ゴジラの足跡」も築かれた。客集めのためとはいえ、ついつい訪ねてしまう代物だった。
 しかし、残念ながらその数年後に不審火が原因で火災に見舞われ、撤去されてしまった。

 https://www.youtube.com/watch?v=0dos0CHyJmc

 他にも以下のことを鮮明に覚えている。

 ① 郡山の上空を飛行船&零戦が飛んだ日

   私が高校生くらいの時に、シルバーで魚の目のようなデザインの飛行船がゆったりと
  郡山市上空を遊覧飛行したのを覚えている。何かのイベント(こどもまつり?)の宣伝を
  兼ねて飛行船を飛ばしたのだと思う。結構、巨大物体だった。
   また、郡山市内の上空を「零戦」が飛び回ったことがあった。緑色の機体で両翼に日
  の丸があしらわれていた。「ブーン」という独特なプロペラ音が郡山上空にこだました。
  たぶん1970年代から1980年代にかけての頃の出来事だった気がする。

 ② ワンステップフェスティバル(1974年)

   日本のトップミュージシャンや人気ロックバンドが郡山市開成山競技場に一堂に会
  し、5日間、音楽の祭典で盛り上がった。日本中からロックファンが詰めかけ、その後の
  嬬恋や中津川フォークジャンボリーの礎となったビッグイベントだった。矢沢永吉、沢田
  研二はもちろん、あのオノ・ヨーコまで来日して出演した。今では伝説となっている。

 

 さて、今から30年前くらいの映像などを紹介しましたが、懐かしんで貰えたでしょうか。こうして映像で当時を振り返るなんて夢のようだが、まだまだ記憶を掘り起こさないといけない部分は多い。ぜひ、コメント欄などで懐かしい話題や取り上げてほしい話題があればお知らせください。

 記事作成:2月6日(火)

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コメント

こんにちは。
今回も懐かしい出来事をたくさん掲載頂きありがとうございます。
読みながらあの当時を思い出していました。

私が懐かしいと思うのは、福島輸入博です。
記憶が定かではないのですが、卸団地の辺りで毎年開催されていたと思います。
覚えているのは竹本孝之がちょうどイベントに来ていて歌を聴いたことです。
あの頃はもしかすると「陽あたり良好」のドラマをしていた頃かな?
輸入博と言うだけあって、外国の食べ物などがたくさん販売されていました。
どんな商品か良く分からず、黒スグリのジャムを買ってきて家族みんなでパンに塗って食べた記憶があります。

・・・・めぐみさん、コメントありがとうございます。竹本孝之って懐かしいですね。「陽あたり良好!」大好きなドラマでした。「てれてZINZIN」でしたっけ?私は「伊藤さやか」さんのファンでした。
 大学生で東京に住んでいた時に、線路沿いのあの下宿先(確か「陽だまり荘」)が本当にあるのかバイクで探しにいったほどです。

 「輸入博」は喜久田町の南東北卸センターで開催していたイベントですかね?大きな駐車場にテントを張り巡らして外国の物品を一堂に集め、展示や販売していた・・・。1980年代に始まって90年代頃まで毎年やっていたのに、いつの間にかやらなくなってしまいましたね。確かここで私は、外国人作家が海を描いた小さな油絵を500円で購入した記憶があります。詳しくは下の記事をどうぞ!

 http://tsuri-ten.cocolog-nifty.com/blog/2016/02/30-436e.html
 

 もっと懐かしい話をしたいところですが、当ブログは今年の4月27日を持って終了する予定です。終了する前に、いろんな懐かしい話をぜひお聞かせください。(SUZU)

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