名球会入りしていない名選手
投手は200勝以上、打者なら2,000本安打がその加入条件となるNPBの名球会。最近は分業制が常態化しているため、250セーブが付加された。そして日米通算での記録達成でも加入が認められるようになった。
一方では、いずれの条件も満たしていながら、入会を拒否したり、脱退する方も見られるようになった。一流プロ野球選手の称号とは言えなくなった名球会だが、私達の記憶に残る名選手でありながら、惜しくも名球会に入っていない選手がわんさかいる。
本日はそうした「名球会入りしていない名選手」をセレクトしてお送りしたい。
まずは名球会入りの条件を満たした選手を一覧で紹介し、惜しくもあと僅かのところで引退した選手を続けたい。
<先発投手>
1 | 400 勝 | 金田 正一 | 1950-1969 |
2 | 350 勝 | 米田 哲也 | 1956-1977 |
3 | 320 勝 | 小山 正明 | 1953-1973 |
4 | 317 勝 | 鈴木 啓示 | 1966-1985 |
5 | 310 勝 | 別所 昭(毅彦) | 1942-1961 |
6 | 303 勝 | V.スタルヒン(須田 博) | 1936春夏-1955 |
7 | 284 勝 | 山田 久志 | 1969-1988 |
8 | 276 勝 | 稲尾 和久 | 1956-1969 |
9 | 254 勝 | 梶本 隆夫 | 1954-1973 |
10 | 251 勝 | 東尾 修 | 1969-1988 |
11 | 237 勝 | 若林 忠志 | 1936春夏-1953 |
11 | 237 勝 | 野口 二郎 | 1939-1953 |
13 | 224 勝 | 工藤 公康 | 1982-2010 |
14 | 222 勝 | 村山 昌史 | 1959-1972 |
15 | 221 勝 | 皆川 睦男(睦雄) | 1954-1971 |
16 | 219 勝 | 山本 昌広(山本昌) | 1984-2015 |
17 | 215 勝 | 杉下 茂 | 1949-1961 |
17 | 215 勝 | 村田 兆治 | 1968-1990 |
19 | 213 勝 | 北別府 学 | 1976-1994 |
20 | 209 勝 | 中尾 輝三(碩志) | 1939-1957 |
21 | 206 勝 | 江夏 豊 | 1967-1984 |
22 | 203 勝 | 堀内 恒夫 | 1966-1983 |
23 | 201 勝 | 平松 政次 | 1967-1984 |
24 | 200 勝 | 藤本 英雄 | 1942-1955 |
日米通算で野茂英雄も条件を満たしている。
惜しかった投手
長谷川良平 197勝 あと3勝
秋山 登 193勝 あと7勝
松岡 弘 191勝 あと9勝
一方、一時期エース級の活躍をしながら、名球会に届かなかった投手は・・・
桑田真澄 173勝 ダイビングキャッチして肘を負傷したことが悔やまれる
高橋直樹 169勝 東映・日本ハムのエース
杉浦 忠 187勝 南海のスーパーエース
江本孟紀 113勝 南海時代、野村とバッテリーを組み、エースとして活躍 阪神移籍
高橋一三 167勝 V9時代の左のエース 堀内とともに巨人を支えた
西崎幸広 127勝 日本ハムのハンサムエース
阿波野秀幸 75勝 近鉄のエースとして君臨したが、僅か75勝しかしていない驚き
渡辺久信 125勝 西武のエースとして黄金時代を築いたメンバーのひとり
川口和久 139勝 広島のエース
山口高志 50勝 44セーブ 阪急のストッパーとして黄金時代を築いた
齋藤雅樹 180勝 巨人のエース スリークォーター投で鋭く曲がるスライダーが武器
西本 聖 165勝 江川と並び、80年代の巨人を支えた
江川 卓 135勝 鳴り物入りで入団。実働9年で引退 オールスター8者連続三振
西口文也 182勝 西武のエース ノーヒットノーランをあと一人で2回逃す
星野仙一 146勝 巨人への対抗意識が強く燃える男だった。
今中慎二 91勝 1990年代の中日のエース 細身から鋭い速球と球速差50キロも
あるスローカーブで打者を翻弄した
<リリーフエース>
1 | 404 セーブ | 岩瀬 仁紀 | 1999- |
2 | 286 セーブ | 高津 臣吾 | 1991-2007 |
3 | 252 セーブ | 佐々木 主浩 | 1990-2005 |
セーブポイントでは、たった3人しか名球会入りしていない。
惜しい選手はコチラ(外国人助っ人を除く)
小林 雅英 228セーブ あと22
藤川 球児 223セーブ あと27 現役なので達成可能
江夏 豊 193セーブ
馬原 孝浩 182セーブ
往年の名選手でリリーフといえば、宮田征典、山口高志、大野豊、潮崎哲也などがいる。
宮田はセーブという概念が確立する前のオールドプレーヤーだし、山口の剛速球は今では伝説だが、長く活躍できたわけではない。大野は晩年に抑えに転向したが、148勝138セーブ止まり。私が尊敬する津田恒美は90セーブだ。
<打者>
1 | 3085 安打 | 張本 勲 | 1959-1981 |
2 | 2901 安打 | 野村 克也 | 1954-1980 |
3 | 2786 安打 | 王 貞治 | 1959-1980 |
4 | 2566 安打 | 門田 博光 | 1970-1992 |
5 | 2543 安打 | 衣笠 祥雄 | 1965-1987 |
5 | 2543 安打 | 福本 豊 | 1969-1988 |
7 | 2539 安打 | 金本 知憲 | 1992-2012 |
8 | 2480 安打 | 立浪 和義 | 1988-2009 |
9 | 2471 安打 | 長嶋 茂雄 | 1958-1974 |
10 | 2452 安打 | 土井 正博 | 1961-1981 |
11 | 2432 安打 | 石井 忠徳(琢朗) | 1989-2012 |
12 | 2371 安打 | 落合 博満 | 1979-1998 |
13 | 2351 安打 | 川上 哲治 | 1938春-1958 |
14 | 2339 安打 | 山本 浩司(浩二) | 1969-1986 |
15 | 2314 安打 | 榎本 喜八 | 1955-1972 |
16 | 2274 安打 | 高木 守道 | 1960-1980 |
17 | 2271 安打 | 山内 和弘(一弘) | 1952-1970 |
18 | 2228 安打 | 大杉 勝男 | 1965-1983 |
19 | 2204 安打 | 大島 康徳 | 1969-1994 |
20 | 2178 安打 | 新井 貴浩 | 1999- |
21 | 2173 安打 | 若松 勉 | 1971-1989 |
22 | 2167 安打 | 稲葉 篤紀 | 1995-2014 |
23 | 2157 安打 | 広瀬 叔功 | 1955-1977 |
23 | 2157 安打 | 秋山 幸二 | 1981-2002 |
25 | 2133 安打 | 宮本 慎也 | 1995-2013 |
26 | 2122 安打 | 清原 和博 | 1986-2008 |
27 | 2120 安打 | 小笠原 道大 | 1997-2015 |
28 | 2119 安打 | 前田 智徳 | 1990-2013 |
29 | 2108 安打 | 谷繁 元信 | 1989-2015 |
30 | 2101 安打 | 中村 紀洋 | 1992-2014 |
31 | 2097 安打 | 古田 敦也 | 1990-2007 |
32 | 2095 安打 | 松原 誠 | 1962-1981 |
33 | 2084 安打 | 松井 稼頭央 | 1994- |
34 | 2081 安打 | 山崎 裕之 | 1965-1984 |
35 | 2064 安打 | 藤田 平 | 1966-1984 |
36 | 2062 安打 | 谷沢 健一 | 1970-1986 |
37 | 2057 安打 | 江藤 慎一 | 1959-1976 |
37 | 2057 安打 | 有藤 通世(道世) | 1969-1986 |
39 | 2055 安打 | 加藤 秀司(英司) | 1969-1987 |
40 | 2050 安打 | 和田 一浩 | 1997-2015 |
41 | 2041 安打 | 小久保 裕紀 | 1994-2012 |
42 | 2038 安打 | 新井 宏昌 | 1975-1992 |
43 | 2036 安打 | 阿部 慎之助 | 2001- |
44 | 2023 安打 | 荒木 雅博 | 1996- |
45 | 2020 安打 | 野村 謙二郎 | 1989-2005 |
46 | 2018 安打 | 柴田 勲 | 1962-1981 |
47 | 2017 安打 | A.ラミレス | 2001-2013 |
48 | 2015 安打 | 鳥谷 敬 | 2004- |
49 | 2012 安打 | 田中 幸雄 | 1986-2007 |
50 | 2006 安打 | 駒田 徳広 | 1981-2000 |
日米通算でイチロー、松井秀喜も条件を満たしている。投手に比べ倍以上の選手が名を連ねる現状を鑑みれば、打者の2,000本安打のほうが達成しやすいと言える。昔の選手は、先発なら40試合以上登板などザラだったが、今では分業制が進み、先発完投は少ないし、登板数も1シーズンで30試合程度だ。10勝を20年間続けてやっとなのに、そこまでたどり着くのは至難の業だ。
惜しかった選手は・・・
飯田徳治 1978安打 あと22本 名球会という組織が出来る前の選手
毒島章一 1977安打 あと21本 名球会という組織が出来る前の選手
内川聖一 1975安打 あと25本 現役(今季達成濃厚)
小玉明利 1963安打 あと37本 名球会という組織が出来る前の選手
福浦和也 1962安打 あと38本 現役(今季達成濃厚)
谷 佳知 1928安打 あと72本 かつてはオリックスで首位打者を獲得 右打者
井端弘和 1912安打 あと88本 高橋由伸の引退に感化されてユニホームを脱ぐ
松永浩美 1904安打 あと96本 オリックスの核弾頭
記憶に残る名球会に届かなかった名選手
高田 繁 1384安打 柴田は名球会入りしているが、彼は13年で現役を終えた
高橋由伸 1753安打 腰痛に苦しんだ まだまだやれたが、巨人監督就任で引退
新庄剛志 1524安打 阪神、メッツ、ジャイアンツ、メッツ、日本ハムと渡り歩いた
原 辰徳 1675安打 若大将もスランプに苦しんだ 巨人の4番の重責と闘い続けた
篠塚利夫 1696安打 巧みなバットコントロールと広角打法で安打を稼いだが、腰痛
真弓明信 1888安打 ナイスガイ 阪神の監督に就任したが結果出せず
掛布雅之 1656安打 ミスタータイガースも2千本には遠かった 監督向きではない
岡田彰布 1520安打 バックスクリーン三連発 阪神・オリックスの監督を歴任
石毛宏典 1833安打 原や岡田と同年代で、共に凌ぎを削った
池山隆寛 1521安打 ブンブン丸の愛称でヤクルトの黄金時代を支えた
杉浦 亨 1434安打 若松一緒にヤクルトの功労者 長打力は凄かった
高橋慶彦 1826安打 広島の俊足巧打の一番打者 遊撃手として守備も上手かった
田淵幸一 1532安打 ホームランアーチストだったが、死球が選手寿命を縮めた
大石大二郎 1824安打 近鉄の俊足巧打の一番打者 江川の三振記録を阻んだ
松中信彦 1767安打 日本人で最後に三冠王を獲得したダイエーのスラッガー
高木 豊 1716安打 俊足巧打 篠塚とタイプが似ていた スーパーカートリオ
宇野 勝 1620安打 中日のショート 池山や山田タイプ 細身で長距離砲
田代富雄 1321安打 中日の大島と似たスラッガー 大洋のオバQ
島田 誠 1504安打 日本ハムの俊足巧打の中堅手 2074塁打
柏原純一 1437安打 日本ハムの4番 お腹が出てホームランをかっ飛ばす
落合にタイプが似ていた
コメントはあくまで個人の感想です。
さて、こうしてみると、一時期は大活躍しながら、ケガや故障、不調などで名球会に入れなかった名選手は大勢いる。記憶に残る名勝負を展開してくれたこうした選手達。これからも子ども達に夢や希望を与える存在であってほしい。
記事作成:3月20日(火)
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