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2018年3月11日 (日)

震災の記憶(7周年)

 今日であの未曾有の大災害をもたらした「東日本大震災」から丸7年が経過し、8年目を迎えることとなった。2万人近い人々が地震や津波によって命を落とした。街を見渡せば、未だに瓦屋根があの日のまま放置されていたり、ブルーシートがかけられたままの光景があちこちに見られる。一見、表面上は平静を取り戻したかのように見えるが、主な施設や公園には忌々しい放射線値を測るモニタリングポストが立ち、未だに農業・水産業は大打撃を受けたままである。外部&内部被曝によって、いつ甲状腺がん発病するかわからない状況下で、我が故郷・郡山は、あまりニュースで取り上げられなくなった「原発」の見えない恐怖と背中合わせの中で、生活しているのである。今日は、丸7年を迎えた震災記念日にあたることから、早く忘れたい記憶ではあるが、決して忘れてはならぬあの日の出来事を記憶の中に残すべく、震災の日のことを回顧し、亡くなられた方々のご冥福を祈り、合わせて黙祷を捧げ、追悼も行いたい。

 平成23年3月11日(月)午後2時46分

 その日は休暇を貰い、午前中、息子の中学校の卒業式に参列した。その後、和風レストラン「まるまつ」で昼食をとり、その後、「K'sデンキ」でブルーレイデッキの商談をし、時間潰しに思いつきで「ブックマート」に立ち寄り、立ち読みをしていたのだった。

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左上の場所で携帯の「緊急地震速報」が鳴り、急いでカウンター左側の出口へ駆け足。

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間髪入れずに体験したことがないような大きな揺れが襲いかかった。外では車が前後に激しく揺れ、今にも飛び出しそうだった。大きなガラスにヒビが入った。長くてなかなか収まらなかった。

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この外灯が倒れてきそうな感じだった。ほどなく入口から次々と人が外へ飛び出してきた。車に飛び乗り、車が前に飛び出ないように必死でブレーキペダルを踏み続けた。

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  車内から見ると、目の前の4階建てマンションが前後に傾くように大きく揺れ、隣りの和風レストランの瓦屋根が次々と落下。運転席で必死にブレーキをかけながら「早くおさまれ!」と祈りながら「うわっうわっ!」としか言葉が出て来なかった。この時、とんでもない大変な出来事が起こってしまったことを悟った。

 そして突如周辺は猛吹雪に・・・。この世の終わりを思わせるような長くて激しい揺れが続いた。3分くらい大きな揺れが続いた後、ようやく収まってきたところで、自宅や実家の状況が気になり、ひとまず自宅へ向かう。信号が消え、かっぱ寿司の東側の狭い通路を迂回した。ファミマの交差点から左折し、R49に入り、バイパスを駆け上がってとにかく自宅まで飛ばして帰った。すると幸いにも自宅は崩れてはいなかった。断続的に大きな揺れが襲いかかり、自宅前の電柱が大きく揺れる余震が続いた。家具が倒れ、玄関から容易に室内に入れない状況だった。やがて昼食から息子たちが帰宅し、家族の無事を確認した。更にワンセグで状況確認。次々飛び込んでくる情報で、災害の状況が明らかに。「大津波警報」という聞きなれない文言がテロップで流れ、アナウンサーの必死の形相で事の重大さを認識したのだった。幸い自宅は停電は免れたが、水道がストップした状態だった。電話は震災直後からまるで通じず、実家の安否は不明だった。

 動画で振り返る福島県(郡山中心)の状況

 ① ラジオ福島(2分41秒から)

 スタジオの物音から判断すると、2分41秒から5分24秒までずっと大きな揺れが続いていたことが解る。つまり2分43秒もの長い間、震度6クラスの大地震が継続して発生していたことになる。深作アナウンサーは努めて冷静に身の安全の確保を訴え続けた。一切取り乱すこともなく、アナウンサーの鑑だ。

 ② 郡山市内の店舗のカメラ

http://www.youtube.com/watch?v=iuL5szlZIkY

http://www.youtube.com/watch?v=RAA18wCKpzw

http://www.youtube.com/watch?v=FX7l1-0CXRc

http://www.youtube.com/watch?v=w3dy4DUPH88

 ③ 堂前の小料理屋の客が撮影した動画

http://www.youtube.com/watch?v=FqQIc0Jic0g

 ④ アミューズパーク郡山(旧郡山スケートセンター)

http://www.youtube.com/watch?v=DwP5VLVonJ4

 ⑤ FTVの社内カメラ

http://www.youtube.com/watch?v=bAlrizLNN9M

 ⑥ 4号バイパス(日和田のJUSCO前付近)

http://www.youtube.com/watch?v=hJvidAganrc

 ⑦ うすい百貨店周辺

http://www.youtube.com/watch?v=J7yubGtkKMQ

http://www.youtube.com/watch?v=QK2O5lrRurk

 ⑧ 郡山駅

http://www.youtube.com/watch?v=NWuwHtZtHfY

http://www.youtube.com/watch?v=emyJZTklhhs

 ⑨ 富田町界隈(カインズホーム)

http://www.youtube.com/watch?v=RUY5buYYLWM

 ⑩ 震災後の状況(外国人撮影)

http://www.youtube.com/watch?v=zUGs3V85uAo

http://www.youtube.com/watch?v=jWfNct5imr8

 ⑪ 福島第一原発の水蒸気爆発

http://www.youtube.com/watch?v=r3tG_E0XGck

http://www.youtube.com/watch?v=eLr5_UxhoTA

http://www.youtube.com/watch?v=7V-0XBdS86A&list=PLD19730E43CC6D63F

 「東日本大震災120秒で振り返る衝撃映像集」 *閲覧注意

 「東日本大震災」国家存亡の危機180秒映像! *閲覧注意

 「1000年後に残したい映像」

http://www.youtube.com/watch?v=dkdHZKefQOI

 「MIRAI2061」

 これは私の中学の同級生(同じクラスだった)箭内道彦がプロデュースしたムービーだ。私の好きな清野菜名さんが出演している。

 今も放射線被害が続き、風評被害にも苛まれている状況が続いている。農業、水産業は再開の目処が立たない状況が続いている。原発周辺の町(大熊・双葉・浪江・富岡)は未だに立ち入り制限されたままで、誰も住めない状態である。避難所生活や仮設住宅に移住したままである。県外に散らばった県民は、一体いつになれば故郷に戻れるかわからない。この2年、未曾有の災害だったこともあり、政府の対応は後手後手で、未だに私が暮らす郡山市は除染が進まないでいる。いつになったら元の平穏な生活に戻れるか先が見えないが、福島県民としてプライドを失わず、前を向いて協力しながら一歩ずつ前進していきたい。

 今、あの日から6年たっても未だに疑問に思うことがある。それは2,556人もの人たちが津波で行方不明になっているが、海沿いに住んでいた人たちは、あれほどの体験したことがない巨大地震に襲われ、「大津波警報」が出されていたにもかかわらず、なぜ津波の犠牲になったのか?津波の襲来まで20~30分は逃げる時間があった筈だ。津波に対しての過信があって逃げなかったのか?それとも逃げるための足が無かったのか?みすみす津波が来るのを傍観していたのか?家族の安否を気遣い、自宅に戻る途中で巻き込まれて犠牲になったのか?防波堤を越えて、まさかここまでは津波がやって来ないだろうという油断があったのか?
 私だったら、海釣りをやる身として、海の近くに住んでいる方々というのは、私以上に、地震や津波に対する備えや気構えはあったと思うのだが・・・。
 犠牲になられた方には不謹慎かもしれないが、逃げずしてみすみす命を落とした人も多いのではないだろうか?

 最後に被災者の皆さんに激励のソングをお届けしたいと思います。

  門馬よし彦 「願い」

https://www.youtube.com/watch?v=KQP9WIPRwHc

 震災からの記録「願い」」が完成しました。写真は、3月11日の東日本大震災以来、ラジオ福島の大和田新アナウンサーが報道取材時に撮影したものです。写真一枚一枚に人々の苦悩や悲しみを感じ、復興への道を力強く歩まなければならないことを再認識させられます。まだまだこれからです。私たちは歩み続けます。子どもたちの未来のために・・・・

 群青

 福島県南相馬市小高区。東京電力福島第一原子力発電所から20キロ圏内に位置し、原発事故後に「警戒区域」に指定された。今もおよそ1万2000人の住民が避難生活を送っている。その小高区で唯一の中学校だった小高中学校は、現在、原発から北に37キロ離れた鹿島小学校の一角に建てられた仮設校舎で授業を行っている。

 <普天間かおり 「Smile Again」

  ♪負けないで 負けないで 生きてゆくこと あきらめないで

           がんばって がんばって たくさんの愛が見守っているよ♪

  福島県で亡くなられた方、1,612人、行方不明者202名 

 また東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。合掌

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