世紀の脱出王日米対決
あなたは「スーパーマジシャン」と聞いて誰を想像しますか?
1970年代の日本を超能力ブームに陥れた「ユリ・ゲラー」?それともサイキックエンターティナーとして1980年代後半から華々しく登場し、「超魔術」の世界を確立した「Mr.マリック」?はたまた異次元の奇才「セロ」?私なら迷わず2人の魔術師を挙げる。魔術師と言っても手品やマジックのような生易しい類ではなく、命を張った脱出劇を演じたスパーエキセントリックなHEROだ。ひとり目は、オーストリアが生んだ脱出王の「ハリー・フーディーニ」だ。彼は欧州出身だが米国で名声を挙げたため、アメリカ人として扱いたい。
ハリー・フーディーニ
1874年生まれの彼は、「脱出王」の異名を取った、オーストリア=ハンガリー二重君主国ハンガリー王国ブダペスト市七区(エルジェーベト町)出身のユダヤ人で、アメリカ合衆国で名を馳せた奇術師。本名ヴェイス・エリク (Weisz Erik) [ˈvæjsˌerik](ハンガリー人は姓を先に、名を後に表記するので、ヴェイスが姓)。「現在でもアメリカで最も有名な奇術師」と呼ばれるほど認知度は高く、奇術師の代名詞ともなっている。
飛行機や陸上競技への造詣が深かった。超能力や心霊術のいかさまを暴露するサイキックハンターとしても知られる。
脱出術を得意とし、各国の警察の留置場や刑務所に収監されての手錠外しによる脱出や、また凍った運河やミルク缶からの脱出を行い、話題となった。「フーディーニに脱出できない所は無い」「不死身の男」「脱出王」と大規模に宣伝するなど、マスコミを利用した売り込み技術はずば抜けた才能があり、当時のアメリカのトップスターとなった。 また、それまであったトランクからの脱出を、助手と奇術師が一瞬で入れ替わるトリックへと進化させ、奇術にスピード性と鮮やかさをもたらした。妻のベアトリス(ベス) と行ったこの入れ替わりマジックは「メタモルフォーゼ(完全変態)」と呼ばれる。
https://www.youtube.com/watch?v=TFMngeJ8IHs
https://www.youtube.com/watch?v=KrnCPoTky9s
https://www.youtube.com/watch?v=iKG_S-nKu0I
しかし1926年、楽屋に訪れた大学生のホワイトヘッドに「腹部を強く殴られても平気」という芸を見せる際、フーディーニが準備していない段階で殴られたことが原因の急性虫垂炎で10月31日に死亡した。葬儀に参列したフローレンツ・ジーグフェルドは、棺の前で「賭けても良いが、彼はこの棺の中にもういない!」と言ったという。フーディーニは死の直前、妻ベスに対して「死後の世界があるのなら、必ず連絡をする」と伝えたが、その後何のコンタクトも無かったとベスは語っている。
彼の死に様もまだ予期せぬものだった。誰にも死を予感させず、急に逝った。
引田天功(初代)
水中や爆発などの極限状態からの脱出マジックを得意とし、「日本の脱出王」の異名を取った。また催眠術にも長けていた。
1968年から1975年まで7回にわたって日本テレビの特番(主に木曜スペシャルの枠内)として放送された脱出イリュージョンは「死のジェットコースター大脱出」、「死の火煙塔大脱出」「死の水道管大脱出」「油地獄水面炎上大脱出」といった従来のマジックからは考えられないほどのスケールの大きさで毎回高視聴率を記録し、日本中に脱出ブームを巻き起こした。脱出のアイディアは自身が尊敬する“脱出王”ハリー・フーディーニの脱出劇にヒントを得たものであり、大量の火薬をセッティングした大掛かりなパフォーマンスであった。彼はこれらの脱出を成功させるため、練習中に瀕死のアクシデントを経験している。脱出の際の爆薬の威力は凄まじく音と熱と煙に相当悩まされたとも自身の著書に記している。
テレビメディアと組んだ大規模な脱出イリュージョンの日本におけるパイオニアとして、日本のマジック界をリードする存在だったが、中年期より心筋梗塞など重度の心臓疾患に苦しんだ。しかし、自身の病状の進行等の事情から果たせず、1979年大晦日に死去。45歳没。「引田天功は脱出マジックに失敗して命を落とした」「煙を吸い込んで、肺を痛めたのが早世につながった」との噂もたったが、公式の死因発表は心臓病死である。
一世を風靡した世紀の大脱出
1.ダイジェスト
2.「死のジェットコースター大脱出」(昭和48年3月)
3.「死の火煙塔大脱出」(昭和50年4月)
4.「油地獄水面炎上大脱出」(昭和50年10月)
この油壺の脱出については、彼の死後、今から25年ほど前に彼がどのようにしてこの脱出を成功させたか、事細かに検証する番組を放送した。福留功男アナのナレーションで、いかに緻密に仕組んだ計画だったかを逐一解説して行った。私は当時VHSビデオに録画し、繰り返し何度も見て、彼の天才ぶりを賞賛した覚えがある。また、初期の「死の水道管大脱出」については映像がないので、こちらのHPをどうぞ!(削除の場合あり)
http://homepage3.nifty.com/arb/subpage4-03.htm
フーディーニに憧れて脱出マジックを考案し、世間に衝撃を与えた彼は、奇しくも同じような境遇を辿り、早世してしまった。
私は当時、小学生だったが、彼の織り成すスペクタクルな脱出劇にテレビの前でハラハラドキドキしながら手に汗握って固唾を呑んで見ていたのを覚えている。彼の急死の知らせもまた衝撃的だった。マジシャンの彼が病気で死ぬなどと思わなかったからだ。
彼の壮大な計画の下で繰り広げられた世紀の脱出劇は、死後、彼の弟子だった2代目引田天功(現:プリンセス天功)に引き継がれた。
あまりにも突然に死の報に、当時私は悲しみに暮れた覚えがある。今も存命ならば、その後も壮絶な脱出劇を見せていたに違いない。いや、逆に彼は早世したからこそ、伝説になっているのかもしれない。
<参考資料>
当ブログで掲載した記事「引田天功の「世紀の大脱出」」はコチラ
記事作成:3月12日(月)
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