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スポーツ

2018年2月22日 (木)

素晴らしき日本人アスリートたち

 「スポーツは筋書きのないドラマ」というのは私のゆるぎない見解だが、オリンピックと言う最高の舞台で己のパフォーマンスを最大限に引き出し、世界中の人に感動を与えることはアスリート冥利に尽きると思う。

 私は韓国で開催される今回のオリンピックは、その準備の遅れや財政難で盛り上がりに欠ける大会になるのではないかと危惧していた。まして大嫌いな日本人選手への風当たりが強く、不可解な判定にも悩まされるのではないかとさえ思えた。
 しかし、蓋を開けてみれば、日本人アスリートたちの正々堂々とした戦いぶりや真摯な態度が全世界に感動を巻き起こしているし、不安視された「君が代」や「国旗掲揚」にも妨害行為などは起きていない。スポーツは政治や人種差別、身分や地位などは無縁の存在であることを再認識させられた。

 そこで今回は、これまでの名場面を振り返り、特に心に残った出来事を取り上げたい。

 1 友情は国境を越えて ~小平奈緒とイ・サンファ~

 スポーツマンシップの極みを見た気がした。それはバンクーバー、ソチと2大会連続で金メダルを獲得した韓国のトップアスリート「イ・サンファ」と日本の小平の熱い友情物語に誰もが感動し、涙した。

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 2月18日(日)、小平奈緒はそれまで500mではW杯15連勝中という圧倒的な強さを引っ提げて平昌オリンピックに乗り込んだ。しかし、その前の1,000mでは金メダルにはあと一歩手が届かず銀メダルに終わっていた。リベンジに燃える彼女の最大のライバルは大会3連覇を狙う「イ・サンファ」だった。
 プレッシャーがかかる中、彼女は韓国人スターターの時間差ピストルにも動じず、インスタートでロケットスタートからグングン加速し、一気にトップスピードに。そして最終コーナーを抜けるとそのまま疾風の如くゴールラインを駆け抜けた。なんとオリンピックレコードを更新する圧巻の記録。
 実は集中し過ぎてサングラスを忘れてしまい、透明のレンズでレースに臨んだと後から炉辺談話として判明した。
 この後、小平の人間性溢れる行動が賞賛を得た。次のレースに地元韓国のイ・サンファが出場することから、親友を気遣って騒然とする観客に向けて、口に手を当てて鎮まるようなジェスチャーを行った。
 そして大親友の「イ・サンファ」が2位に終わると、彼女を気遣い、彼女に向かって歩み寄る抱き合ったのだった。そして2人が国旗を背負ってのウィニングラン。彼女は最大のライバルにして背中を追いかけてきた「イ・サンファ」にリスペクトしていることを告げたのだった。この国境を超えた微笑ましい光景に大観衆の鳴りやまない拍手がスタジアムを包み込んだ。観衆の誰もが感動し、涙した。

https://www.youtube.com/watch?v=BrMGAf_y0VU

https://www.youtube.com/watch?v=qoAvQ4d5nbc

https://www.youtube.com/watch?v=CpTp_sk9Jes

https://www.youtube.com/watch?v=or4c2Igs5mU

 その後、2人並んでの記者会見で、小平が結果が出せず、ロッカールームで泣いていたときに、彼女が寄り添って一緒に泣いてくれたことを明かした。そして初めてW杯で優勝した小平に、悔しいはずなのにイ・ソンファはお祝いに「空港までのタクシー代を出してくれた」そうだ。それほどお互いをリスペクトし、親交を温めていた。政治問題では何かといがみ合う両国だが、スポーツは国境を越えることを教えてくれた。

 オランダ語でインタビューに答える小平奈緒はコチラ

 https://www.youtube.com/watch?v=QPL0pB2rKYs

  小平奈緒の人間性が素晴らしいのはこれだけではない。1月に最大の親友だった住吉都選手を病気で失った。その深い悲しみが癒えないまま突入した平昌五輪。悲しみのどん底にいた彼女を救ったのは、亡き友が遺した言葉だった。「奈緒が金メダルを獲ったら私が獲ったのと同じ」。この言葉を胸に、小平は彼女と一緒に戦ったに違いない。しかし、彼女はこのことに一切触れず、天国の友に金メダル獲得を誓い、レースに挑んだのだった。

 見事にコースレコードで金メダルを見事に獲得した後のインタビューで、アナウンサーから住吉さんのことを聞かれ、彼女は初めて大粒の涙を流した。イ・サンファとの友情に加え、亡き友に約束した金メダル。しかしそれを黙して語らず、内に秘めた闘志で叶えた彼女の人間性は、日本人の誇りでもある。

 2 大怪我から僅か90日の復活劇

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 今大会で羽生結弦がメダルを獲得するなど、誰も期待できなかったに違いない。本大会の3か月前の昨年11月、NHK杯に向けての練習中に、4回転ループに挑み転倒。右足を痛打し、診察の結果「右足首靭帯損傷」だった。靭帯損傷は、骨折よりも治癒が長引くこともある。その間、公式の大会はすべて欠場し、ぶっつけ本番で平昌入りした。誰もが練習不足を懸念し、本当に羽生は出場できるのかと危ぶまれた。

 ところが、彼は冷静だった。全大会のソチの王者は、周囲の不安を寄せ付けず、大きな仕事をやってのけた。2月16日(金)のSPでいきなり4回転サルコーを完璧に成功させ、詰めかけた多くの日本人ファンの前で完全復活を印象づけるスケーティングを披露した。ノーミスで111点を超える得点を獲得し、SPでダントツの首位に立った彼は、翌日のフリーでも4分半を堂々たる演技で終え、見事2大会連続の金メダルを獲得した。ファンの熱狂はもちろん、号外も出るなど、彼の復活劇は伝説となった。列島は大興奮に包まれた。これが今大会で日本人初の金メダルだったことで、大熱狂となった。しかも銀メダルが宇野翔馬で、表彰台の1位2位を独占する快挙を達成した。日本人が夢見ていたシーンが正夢となった瞬間だった。
 彼の演じた陰陽師の「SEIMEI」(安倍清明)はまるで彼に乗り移ったかのように結界に守られ、リンクを縦横無尽に駆け巡り、それは神がかっていた。演技中も表彰式の身のこなしも、さらには優勝者インタビューでも彼はかっこよすぎた。

 3 みんなで掴んだ銅メダル

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 4年前のソチ、弱冠17歳で臨んだ女子ジャンプの高梨沙羅。W杯で無敵の強さを誇った彼女が初めて味わう重圧。そして背負ったものの大きさに圧倒され、実力を発揮できずメダルは愚か4位に沈んだ。
 悔しい思いのまま迎えた今シーズン。昨年までダントツでW杯の優勝数を誇った彼女の前に、大きな壁が立ちはだかった。身長差がある外国勢のライバルたちが台頭し、五輪までW杯で一勝もできないまま本大会へ突入した。
 平昌特有の強風に悩まされ、それでも初の銅メダルを獲得した。共に出場した同僚の伊藤有希がすかさず彼女の元へ駆け寄り、抱き合って喜びを分かち合い泣いたのだった。
 伊藤は自分も出場し、8位に終わったことで、悔しいはずなのに、誰よりも沙羅の銅メダルを祝福した。それは、4年前に一緒に臨んだソチで悔し涙に暮れた彼女を一番近くで見ていたから、涙が出るほど嬉しかったという。
 沙羅自身も「これは私が獲ったメダルではない。一番いい色のメダルには届かなかったけれど、チームのみんなで勝ち獲ったメダルです」と言い、日本人の感動を誘った。

 4 カーリング娘たちの奇跡のショット連発に世界中から賞賛の声

 本橋麻里が作ったLS北見。全員が北海道北見市出身。「ロコ・ソラーレ」は「常呂の子」の「ロコ」を取り、ソラーレは「太陽」の意味。
 チームのエース格でスキップの「藤澤五月」は、前所属の中部電力時代、ソチを目指した国内予選で敗れ、意気消沈し、カーリングへの意欲を失いかけていた。そんな時、同郷である本橋が「故郷の仲間たちと一緒にやろう」と声を掛け、「まだ自分を必要としてくれている人がいる」と一念発起。
 また、同じ北見市出身の吉田知那美もまた、前所属チームを戦力外通告。路頭に迷っていたところ、声を掛けてきたのが本橋だった。
 彼女達は、試合中もとにかく明るく、笑顔を絶やさない。失うものは何もないという開き直りもあるのか、プレッシャーを感じさせないほどカーリングを楽しんでいる。
 このLS北見が素晴らしいのは、どこにストーンを投げるか、あるいはどこに置くかをワンショットごとにチームで話し合って決めている。そして北海道弁の「そだね~」は流行語になってもおかしくないほどで、あれに癒されている男性諸氏も多いだろう。試合中も無邪気に笑う様子は、韓国国内でも爆発的な人気を得ていた。一方の韓国は、予選リーグトップの成績ながら、試合中は常に厳しい顔つきで相手を威圧し、笑顔を一切見せない戦闘モード。日本チームとのギャップは凄い。

 ところで全部で10チームで総当りで9戦する一次リーグ。そこで、たとえ劣勢でも最終エンドや延長戦にもつれ込んでも最後まで決して諦めない姿勢と、挫折を味わいながらも身につけた経験豊富なその卓越した頭脳は、このオリンピックという大舞台で大きく開花した。そして2月20日までに一次リーグ勝ち越しを決め、日本勢初の準決勝進出を果たした彼女達の頑張りは、日本中にしっかりと届いているし、大きな感動を与えている。 

 

 藤澤五月 https://www.youtube.com/watch?v=zt91dO0tH-M

 吉田知那美 https://www.youtube.com/watch?v=WD2b-Ik-bcw

 「日本代表ロコ・ソラーレ」本橋麻里の決断!
 
 

 ロコ・ソラーレ誕生から平昌オリンピック出場までの軌跡を追った感動ドキュメンタリーです。

 さて、今回は礼儀正しく真摯に己の種目と向き合い、ひたむきに挑戦を続ける日本人アスリート達の生き様や横顔に触れた。感動して涙したファンも多かったに違いない。
 私たちは、アスリート達のひたむきな努力を賞賛するとともに、今後も継続して激励していかなければならないように感じた。

 <アクシデント・トラブル篇>

 開会式に乱入者(セレモニー中、ステージ中央に赤い衣服の侵入者 警備体制不備)

 金正恩とトランプのそっくりさんが登場 観戦して警備員に追い出される

 韓国人選手の対戦相手(カナダ人)のSNSに韓国人が誹謗中傷攻撃 正々堂々と戦えない韓国

 政治色が濃い大会(朝鮮統一チーム結成で南北融和ムードだが、一方では韓国人選手が出来ず不満噴出)

 大会を盛り上げた北朝鮮美女応援団 (韓国側が滞在費用を全額肩代わり) 

 想像を超える低温、そして暴風で大会延期続出

 ショートトラックの日本人選手が初のドーピング陽性反応で出場資格停止措置

 男子フィギュアで中国人女性審判が金選手有利の異様に高い得点を付け批判を浴びる

 韓国人選手、女子パシュートで置いてけぼりはいじめが原因 国内から批判続出で資格はく奪の措置を求める署名運動始まる 断罪国家の韓国がよってたかって誹謗中傷し、自殺に追い込む理由はこれ

 記事作成:2月19日(月)

 

2018年1月28日 (日)

THE 名対決回顧 ① (長嶋VS金田)

 今回から不定期ではあるが、スポーツでの名対決を回顧する記事を掲載したい。今年はオリンピックイヤー、サッカーW杯イヤーということもあり、何かとスポーツが脚光を浴びる年回りだ。
 スポーツは筋書きのないドラマだけに、ライバル同士が鎬を削って闘う真剣勝負だ。それだけに観る者を魅了し、感動を誘う。
 初回の今日はやはり私が学生時代に嗜んだ野球。野球といえば「ミスタープロ野球」と呼ばれた長嶋茂雄。彼ほどファンに愛された選手はいないだろう。彼に纏わる名対決といえばもちろん、デビュー戦の球界の大エースとして君臨していた金田正一との対決である。

 それは大学野球がプロ野球よりも人気があった時代の話だ。立教大学に在籍当時、「東京6大学リーグ戦」で通算8本塁打を放ち、鳴り物入りで巨人に入団したゴールデンルーキー・長嶋茂雄。
 プロ入り後、初打席が当時、剛腕投手として名を馳せていた国鉄の金田正一。後の400勝を挙げた名投手だ。
 その初対戦で、金田は速球で長嶋を空振り三振に仕留めた。物語はそれだけではない。その後、第二、第三、第四打席といずれも空振り三振に押さえ、デビュー戦でプロの実力とレベルの高さをまざまざと見せつけたのだった。

 実は、次の5度目の対戦も長嶋は空振りの三振に倒れていた。したがって、デビュー戦での4打席連続三振ばかりが神話になって語り継がれているが、試合日こそ違うが、5打席連続三振というのが正しい。

 ここまでを見ると、現役時代の長嶋は金田には切りきり舞いの連続でまったく歯が立たなかったと思うだろうが、それは早計。
 デビュー戦で対戦した当の金田は、長嶋のスイングを目の当たりにし、新人とは思えぬスイング速度の速さに言い知れぬ戦慄を覚えたという。

 それが証拠に長嶋は徐々にプロの水に慣れ、次第に実力を発揮し、金田との対戦でも決して引けを取らない結果を残している。

 具体的な生涯対戦成績は以下の通りである。

 211打数66安打 打率.313  18本塁打 35打点 31三振

 金田は日本一の最多勝投手であるが、個人でもっとも多くホームランを浴びたのは長嶋で、あの豪腕で鳴らした金田が、内心もっと恐れ、そして実力を認めていたのが長嶋茂雄だったという。長嶋と対戦する際は、特に力を込めて投げていたと述懐している。

 それが証拠に、デビュー時の5打席連続三振を除けば、長嶋は金田に206打数で26三振しかしていない。これは8回打席に立って三振1回という数字だ。
 現役時代の長嶋は、いかに優れた投手が相手でも、本能的に対処する適応力があって、楽観的な性格に加え、動物的勘が冴え、苦手を作らなかったかが窺い知れる。これはやはり天性のものだったと思う。

 長嶋の名対決と言えるものには、ほかにも阪神のエースだった村山実との対戦が挙げられる。
 昭和34年の天覧試合での劇的なサヨナラホームランが印象的だが、村山は終生、「長嶋にだけは負けたくない」とライバル心むき出しで闘志を燃やした名投手だった。
 やることなすことすべてが派手で、何をやっても華麗で絵になるスター選手だった長嶋とは対照的に、村山は黙して語らずが似合う投手で、内に秘めた闘志と寡黙ながらも人一倍熱心な練習スタイルは他の手本として賞賛に値した。

 背負い投げのように全身をばねにして大きなモーションから投げ下ろす「ザトペック投法」で、剛速球を投げ込み、相手打者のバットはことごとく空を切り翻弄しまくった。

 村山は天覧試合での借りを返したいとリベンジを誓い、「1,500奪三振、2,000奪三振」を長嶋から奪うと宣言し、その通りにやってのけた野武士のような選手だった。

 村山実は引退後、阪神の監督を経た後、すでに亡くなられてしまったことが残念でならない。

 話を「長嶋VS金田」に戻すが、この両者は共にB型だ。どちらも典型的だ。自分が一番好きなB型にとっては、他人の才能を認めたがらないが、唯一B型はB型しか認めない部分がある。同じB型に対しては、その高い才能を褒めちぎる点がある。

 野球界ではイチロー、清原、野茂、野村、福本、大谷など超一流選手は大部分がこの型で、やることなすことが派手で独自スタイルを追求する。イチローは「振り子打法」に加え、ボックスでのバットを立てる独特なパフォーマンスでえ日米の野球ファンを虜にした。野茂は熱狂的な「ノモマニア」を創出するほど「トルネード投法」という超個性的な投球フォームを編み出した。フォームを修正しようとした鈴木監督と衝突してメジャーに移籍したが、結果的にこれが日本人のメジャー挑戦の契機になったという点で、その貢献度は大きい。
 福本は自慢の俊足で世界一の盗塁記録を樹立した。足に当時としては破格の1億円
の保険をかけた。また、国民栄誉賞を打診された際には、「そんなもんもろたら立ちションもできへん」と辞退したのは有名な話だ。
 
 イチローもまた授章を二度打診されながら二度とも断っている。 また、清原は高校1年次から名門PL学園で4番を打つほどの天賦の才能を発揮した。B型は型にはまらないので、早熟で年齢不相応の活躍を見せるのが、ファンをひきつける要因になる。
 野村克也はプレーイングマネージャーとして南海時代に得意のつぶやきで相手打者を翻弄。心理戦で手玉に取った。監督ではデータ野球で何度も優勝し、個性を生かす指導で伸ばし、選手の育成も上手い。その後継者は同じ捕手でB型の古田に徹底的に叩き込んだ。彼も大卒捕手ながら2,000本安打を達成するまでに成長した。

 今季からメジャーに挑戦する大谷翔平は、NPB初の「二刀流」を実現させた。何かB型は過去にこだわらず世にないものを生み出す活力と原動力に満ちている。

 B型が活躍できる要素は、肉がつきにくい細身体型に加え、骨が丈夫な選手が多く、ストイックな練習を行うため、ケガや故障が極端に少ない。だから長く現役を続けられる。そしてマイペースで楽天的発想の持ち主で、プレッシャーを楽しむことができるため、長嶋・清原もそうだったが、大舞台にめっぽう強い。
 個性的なスタイルもファン心理をガッチリ掴み、カリスマ化するのもわかる。 

 往年の名対決として今回は「金田VS長嶋」を取り上げたが、何を隠そうその対決が行われた昭和33年は私はまだ生まれていない。父親の話や過去、何度も名勝負として語り継いできたTV放送によって、この名勝負があったことを知った口だ。

 しかしながら語り継がれる理由はわかる気がする。戦後復興で力道山が日本のシンボルや打ちひしがれた日本人の心に植えつけられたヒーローになりえたのと同様、国民的スポーツとなりつつあった日本のプロ野球においてこの燃える男の入団は、次代のヒーローをその時代の人々が待ち望んでいた機運と見事に合致した。
 そして日本一の豪腕投手として名を馳せていた金田との初対決はもはや国民的行事として注目の的だったに違いない。

 私はライブで見ることは叶わなかったが、こうして語り継ぐことは出来ると思い、栄えある今シリーズ記事の第1回目としてお送りした次第だ。

 第2回目は「野茂VSイチロー」をお送りしたい。

 記事作成:1月24日(水)

2018年1月26日 (金)

NHKオリンピック公式テーマソング集

 今年はオリンピックイヤーだ。マイナス15℃以下になる極寒の地「平昌(ピョンチャン)」で開催される。国家ぐるみのドーピング疑惑でロシアが国としての参加が見送られ、また、チケット売れ残り問題や北朝鮮の突然の参加表明で、大会本部が右往左往している状況が見て取れる。一時期は、開催国「韓国」の財政難や大会不参加が続出し、大会そのものが中止に追い込まれる懸念さえあった。
 しかし、政治問題を排除し、純粋にスポーツの祭典としての国際舞台であることを念頭に置けば、これは平和の象徴であるし、国家間でのスポーツ対決は見ごたえがある。私は未だに韓国の日本選手に対するぞんざいな扱いや君が代演奏と日の丸掲揚に対し、反日行動に出る危惧を抱いている。まして禁止薬物を混入させ、失格に追い込む不正行為を企んだり、卑劣な手段で日本人選手を陥れるのではないか、また政治的な主張をスポーツに持ちこむ愚かな態度に出るのではないか、そういった危険を常に考えてしまう。

 そうした危惧は別として、これまでオリンピックの中継やドキュメント番組で使用されるテーマ曲は秀逸している。特にNHKは秀でている。選曲が抜群にいい。リオの際は安室奈美恵の「HERO」だった。必ず、オリンピックの大会が終了すると、使用されたテーマ曲が必ずといって良いほど大ヒットしてきた。2004年のアテネ五輪では「ゆず」の「栄光の架け橋」、2012年開催のロンドン五輪では、「いきものがかり」の「風が吹いている」がそうだった。

 努力に努力を重ね、練習に明け暮れた日々。やっと手にしたオリンピック代表の座。絶対にお目にかかれないアスリート達の陰での血の滲むような努力の日々をこうした曲が回顧し、その頑張りと栄誉を讃える。涙なくしては見られない裏ドラマだ。

 さて、今冬の「平昌オリンピック」でNHKが選んだテーマ曲はSEKAI NO OWARIが手がけた「サザンカ」だ。冬の厳しい寒さに赤い花を咲かせる山茶花をモチーフに、大雪に見舞われても必死で咲き誇る深紅の花々を選手にたとえたと容易に想像がつく。

 サンデースポーツで紹介された時、思わず涙が出そうになった。アスリート達の必死の練習風景や試合での真剣なまなざし、そして立ち居振る舞いに感動せずにはいられない。

 ではここでNHKのオリンピック公式テーマソングの一覧を提示したい。下記の「Wikipedia」の記事をどうぞ!→ コチラ

 冬季オリンピックはかつて札幌五輪の「虹と雪のバラード」が有名なテーマソングだが、これは大会歌であって、NHKに特化したものではなかった。

 <冬季オリンピックNHK公式テーマ曲のリストと映像>

 1994年 リレハンメルオリンピック・・・「遥かな人へ」 高橋真梨子

 1998年 長野オリンピック・・・「SHOOTING STAR」  F-BLOOD

   2002年 ソルトレイクシティ・・・「果てしなく続くストーリー」 MISIA

 2006年 トリノ・・・・「誓い」 平原綾香


 
 2010年 バンクーバーオリンピック・・・「BLESS」 L'Arc~en~Ciel

 2014年 ソチ・・・「今、咲き誇る花たちよ」 コブクロ

 1992年のアルベールビルオリンピックまでは、NHKでは特にテーマ曲は設けていなかった。
 どうです?懐かしいでしょう。その時節、活躍していた選手たちの名シーンが浮かんできそうだ。いずれも心に残る名曲揃いだ。特にサビの部分は圧巻だ。

 さて、間もなく開催される「平昌オリンピック」。関心事はメダル獲得総数と金メダル数だと思うが、あえて私はその予想を回避したい。なぜなら一生懸命頑張って来たアスリートたちにズブの素人が予測するのは失礼だと思うからだ。もちろん各代表選手は、一番いい色のメダル獲得を目指して練習に明け暮れているのは間違いないが、今回のオリンピックはメダルに関係なく、筋書きのないドラマだからこそ感動が感動を呼ぶ。選手たちの頑張っている姿をしっかりとこの目に焼き付けて心の底から大きな声で応援したいと思う。

  記事作成:1月23日(火)

2017年9月22日 (金)

そのスポーツに付き物のテーマソングとマンガ

 高校生と言えば青春ど真ん中の世代。人生で一番光り輝く時期だと思う。その多感な思春期の年代に、情熱的にスポーツにひたむきに打ち込む姿は見ていて気持ちがいいものだ。照付ける太陽の下、泥と汗にまみれながら白球を追いかける姿は美しい。
 今年、本県では、夏に全国高校総体が共同開催された。柔道や卓球、テニスを始め、多くの競技がが県内各地で行われ、若い力が躍動した。すがすがしい気持ちにさせられると共に、それをマスコミ各社がこぞって取材し、結果は連日テレビや新聞などで報道された。
 そこで今日は、そのスポーツに付き物のテーマソングとマンガを取り上げたい。

 1 野球(全国高等学校野球選手権大会)

 もちろんテーマソングは「栄冠は君に輝く」だ。

 甲子園の入場行進曲、そして閉会式後の場内一周の際に流れる。福島県出身の作曲家、古関裕而の功績を讃え、福島駅の新幹線の発着メロディーはこの曲が使われている。

 高校野球を描いた漫画は「ドカベン」「プレイボール」「しまっていこうぜ」「風光る」などがある。「MAJOR」も高校野球を一部描いている。影響を受けた人も多いだろう。

 2 サッカー

 定番のテーマソングは「ザ・バード」の「ふり向くな君は美しい」だ。

 私が高校生の頃からこの曲がてっぱんソングだった。スクールメイツ張りの超ミニスカートで歌って踊る「ザ・バーズ」に目のやり場に困った想い出がある。

 高校サッカーを取り上げたマンガは少なく、「キャプテン翼」の独壇場だろう。このアニメ漫画は欧州でも人気が高い。

 野球とサッカーは高校生の部活動の人気1・2位を争うほどで、所属人数も多い。だからこの二つは公式のテーマソングらしきものがあっても何ら不思議ではない。

 3 バスケットボール

 高校生のバスケの大会の公式テーマソングは無いので、やはりもっとも影響を受けたアニメは「SLAM DUNK」だろう。日本だけでなく、外国でも人気が高い。

 このオープニングは大反響を呼び、台湾でも大人気。江ノ電の鎌倉学園高校前駅の手前にある踏切が観光名所として「聖地」となった。何を隠そう2年前の1月に私もここを訪れたが、台湾人観光客が10人以上陣取っていた。エンディングの「WANDS」の「世界が終わるまでは」もカッコ良かった。

 4 テニス

 この競技のテーマソングは無く、人気があるのはテレビアニメ「テニスの王子様」で、このオープニングテーマ曲をリンクしたい。

https://www.youtube.com/watch?v=5YTXnTRWOQ8

https://www.youtube.com/watch?v=x62aGF9Ft-k

https://www.youtube.com/watch?v=eCy1xQwOA4E

 アニメ漫画と言えば「エースをねらえ」が定番。

 5 バレーボール

 過去、「アタックNo.1」や「サインはV」でテレビ化されるなど、スポ根モノの代表だったバレーボール。東京オリンピックの「東洋の魔女」やミュンヘン五輪での男子バレーボールの活躍などで、かつては人気No.1のスポーツだった時期があった。しかし、不思議と公式テーマソングや定番の応援ソングらしきものはない。「ALL for ONE」や「ONE for ALL」という言葉がピッタリの競技がバレーボールだろう。
 唯一あるとすれば「春高バレー」のテーマソングになったこれ!

 さて、日本で特に人気が高いとみられる競技を5つ取り上げたが、やはり野球とサッカーは別格だ。チームプレーの最たるものがこの5つだが、最近はバドミントン人気も沸騰中だ。しかし、なぜか応援ソングやテーマソングは制作されない。確かに野球は高体連ではなく高野連という別組織。インターハイには含まれないし、しかし甲子園大会は人気度はまるで違うし、全試合テレビ中継される熱の入れようを見ると国民的スポーツはやはり今も野球でしかないのか・・・。

 記事作成:9月9日(土)

2017年8月22日 (火)

美しきアスリートたち第七弾

 約1年振りにこの記事を書く。昨年オリンピックイヤーが終わり、2020年東京五輪に向けて、何かと若手アスリートが脚光を浴びる時代だ。特に、美人アスリートは注目される存在だ。今日は、私の個人的な偏見と好みで、美しきスポーツ選手を取り上げたい。

 坂本詩織里プロボウラー

 8月13日(日)夜にBS日テレで放送している番組を観てハッと来た美人プロボウラーが坂本詩織里プロだった。ショートヘアーが良く似合い、スラリと伸びた美脚と色白な肌に思わず息をのんだ。この世界には美人が多いとは知っていたが、こんなに可愛くて美人な選手がいたとは・・・。

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 <プロフ>

 1988年4月6日生まれの29歳 血液型はB
 JPBA第48 期生。ライセンスNo.529(2015年交付)。東京都出身。フリー。第2回次世代P★リーガー発掘プロジェクトに合格。Pリーグのキャッチフレーズは「ロシア帰りのプリマボウラー」。
 発掘プロジェクトの合格後に、日本プロボウリング協会のプロテストに合格してプロ入りを果たした。Pリーグは第6シーズンでデビュー、6ショット落ちでシーズン第2戦の第59戦がデビュー戦となったが、小林姉妹に勝利し、デビュー戦を飾った。 初優勝は初の6ショット落ち以外で出場停止明けの第63戦で飾った。第2次発掘プロジェクト出身者では一番乗り。プロ入り後の公式戦は、ROUND1CupLadies2015で初めて予選を通過した。
 
  公式HP http://ameblo.jp/5962314/

 その他の映像

https://www.youtube.com/watch?v=_eUbO-qhIZk

https://www.youtube.com/watch?v=ZMXNMppUmO4

https://www.youtube.com/watch?v=sxtJECDPcv0

https://www.youtube.com/watch?v=m6NOKpzz0F0

https://www.youtube.com/watch?v=Jtu-mHw5OkM&t=24s

https://www.youtube.com/watch?v=ywJmP76JAg0

 顔が福島放送アナウンサーの「猪俣理恵」さんに似ている気がする。ほかにも酒井美佳プロ、名和秋プロは美人女子ボウラーとして通っている。

記事作成:8月13日(日)

2017年8月14日 (月)

華麗なる転向?それとも・・・

 今年の世界陸上を最後に現役引退を発表しているウサイン・ボルトは引退後のことを聞かれ、昔からの夢だった「サッカー選手」を目指すという。彼はすでに30歳だが、そのスピードを活かしてサッカーにチャレンジしたいという。一世を風靡し、その道で一時代を築いたスポーツアスリートが、引退後、思い寄らない他競技や別の職業にに転向や転身したことがあった。そんなに簡単に成功するとは思えないが、ラグビーからアメフトなど似ている競技は比較的可能性は高し、実際にチャレンジした人がいるのも事実だ。今日はそれを題材にしたい。

 曙(大相撲横綱)→→→ K1ファイター

 ご存知日本人以外で初めて横綱になった。通算654勝232敗で幕内優勝11回を数える。
 曙貴時代を築いた。現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に記者会見を開き格闘技K-1参戦が発表された。
 2003年12月31日、デビュー戦となった「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)でボブ・サップと対戦、1ラウンドKO負け。

 ウォーレン・クロマティ(プロ野球選手)→→プロレスラー→→バンドマン(ドラマー)

 1980年代、篠塚、原と共に7年間在籍し、巨人のクリーンアップを務めたスラッガー。2007年6月1日、プロレスラーとしてデビューすることを、プロレスイベント「ハッスル」を主催するハッスルエンターテインメントが発表。6月17日に「ハッスル・エイド2007」(さいたまスーパーアリーナ)でタイガー・ジェット・シンと対戦し勝利を飾った。この試合ではかつて試合中に殴打した宮下昌己が来場し、クロマティを応援した。

Cromaty

 マイケルジョーダン(NBA選手)→→→メジャーリーガー

 NBAのシカゴ・ブルズ、ワシントン・ウィザーズでプレーした。その実績から「バスケットボールの神様」とも評される。
 15年間の選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。また、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表(ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得した。

 ジョーダンは引退後、突如として野球への転向を表明。家族が住む地元シカゴのシカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加した。多くのファンはマイケルが父親を殺害された悲しみを紛らわせるため子供の頃のもう一つの夢を追求したのだと解釈し、ジョーダン自身も「最初の優勝の後に父親と約束した夢」だと述べている。
 ジョーダンは1993-94年のNBAシーズン開幕2日前にMLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミンガムに入団した。専門家はプロレベルの変化球を打つのは困難だろうと予測し、権威あるスポーツ誌18歳以来10年以上ぶりの野球、しかも当時はピッチャーであった彼はほとんどバッティング経験がないと言うに等しく、その成績は特に春のうちは惨憺たるもので、最終的にも127試合の出場で打率2割0分2厘・11エラーとメジャーリーグに昇格することは出来ない成績だった。

 橋本聖子(スピードスケーター)→→→自転車選手→→→政治家

 スピードスケートおよび自転車競技の元選手でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、自民党実施本部本部長。現在は自由民主党所属の参議院議員(4期)。自由民主党参議院議員会長。公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長。公益財団法人日本オリンピック委員会常務理事。

https://www.youtube.com/watch?v=NR6Nyp1GYQQ

 ディエゴ・マラドーナ(サッカー)→→→ボクシング

 アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー。ワールドカップでは伝説の5人抜きや神の手と称される荒業を披露し、観客の度肝を抜いた。
 現役引退後は薬物依存や不摂生による体重増加などが原因で入院・手術などを繰り返し、必ずしも健康体とは言えない状態であった。2004年4月にはボカの試合観戦中に突然倒れ、集中治療室で生死の境をさまよった。
 生還後、整形やボクサー転向などさまざまな噂や話題を振りまいた。

 今後の私の予想

 長谷川滋利(プロ野球投手)→→→プロゴルファー?

 プロ野球選手はオフシーズンになるとこぞってゴルフで体力保持を実施する。あの体格と体力は飛ばし屋そのもので、プロ顔負けの飛距離とパワーで引退後はその転身はありえると思っていた。

 記事作成:8月4日(金)

2017年4月26日 (水)

早くも今年引退を表明したアスリート

 まだ上半期も終わっていない4月の時点で、大物のアスリートが複数、引退を表明し、世間を驚かせた。まだ年齢的に限界を迎えたとは言い難い面々だが、第一線から身を引く決断を下には、それは本人にしかわからないそれ相応の苦悩があったのだろうと思う。精神的にも体力的にももう無理と悟ったため、潔く引退したのだろうから、もったいないと思いつつ、彼らの決断を尊重したい。では、4月の時点で現役を引退したアスリートを列挙したい。

 1 柏原竜二

 ご存知「二代目山の神」として箱根の剣に挑んだランナー。我が福島県出身で、酒井監督に素質を見出され、東洋大学入学してからめきめき力をつけ、頭角を現した。特に山登りの5区で、4年連続で往路のゴールテープをトップで切った。3年次まではいずれも山登り区間で逆転した。4年次は震災で苦しむ人々に希望を与えた。4年のうち、3回自己記録を更新し、同じ福島県出身で、順天堂大学の今井正人に続き、「山の神」とか「神童」と呼ばれた。苦しそうな表情を浮かべながらも、自分のペースを乱すことなく、がむしゃらに走った。沿道には彼を見たさに多くの駅伝ファンが詰めかけ、雄姿を見守った。
 その後、同じ郷里の英雄「藤田敦史」に憧れて、「富士通」に入社し、実業団ランナーとしても期待されたが、相次ぐ怪我に悩まされ、今年4月3日に、27歳で引退を決意した。
 今後は富士通は退社せず、社業に専念する。引き続き陸上教室やゲストランナーなども、依頼があれば可能な限り対応する。

https://www.youtube.com/watch?v=hjH_ycq1Ov0

 2 立石諒

 神奈川県藤沢市出身。湘南工科大学附属高等学校卒業。AO入試を経て慶應義塾大学環境情報学部に入学。ロンドン五輪に備え休学していたが、2012年9月に復学。2013年3月卒業。左利き。
 2010年の競泳の日本選手権で、50m平泳ぎ・100m平泳ぎ・200m平泳ぎで3冠を達成し、ポスト北島康介として注目を集めた。
 2011年の国際大会選考会で、50m平泳ぎ・100m平泳ぎでは共に2位で、200m平泳ぎでは4位というまさかの結果になった。
 2012年のロンドンオリンピック代表選考会では100m平泳ぎと200m平泳ぎは共に2位で、派遣標準記録を突破し、日本代表に選ばれた。
2012年8月1日のロンドンオリンピック男子200m平泳ぎ決勝では隣のレーンを泳いだ北島をピタリ追泳し、ゴール前でわずか0.06秒交わして3位に入着し、銅メダルに輝いた。
 2017年の4月13日に行われた第93回日本選手権水泳競技大会、競泳競技後に現役引退を表明。

 3 浅田真央

 今年一番の衝撃的なアスリートの引退表明となった。国民的な人気を誇り、B型らしく、幼少の頃からその実力を発揮した。真央ちゃんスマイルに誰もが癒された。彼女のピークは14~17歳頃で、僅か数日足りず、年齢制限でトリノ五輪に出場できなかった。続く、バンクーバー五輪では、周囲の期待があまりにも大きく、ガチガチに緊張し、思うようなスケーティングが出来ず、同世代対決となったキム・ヨナに敗れ、銀メダル。続くソチでも表彰台に上れず、1年間の休養。現役を続行するか迷った末に、復帰を決意。しかし、こだわり続けた「トリプルアクセル」が思うように飛べず、今年4月にブログで引退を表明した。
 私は彼女の演技で好きだったのは難易度の高い「片手ビールマンスピン」。柔軟性があって、頭の上に片足を上げ、しかも片手保持でスピンを行う。
 彼女は年齢を重ねても細身のスタイルを維持し続けた。普通、女性アスリートのピークは10代までで、それ以降は女性ホルモンの働きで、ふっくらと肉がつきやすく、体重も増えて動きが悪くなって引退というケースが多いが、彼女の場合、細身を維持したことで怪我が少なく、ジャンプにこだわり続けた要因だと思う。

 4 岩村明憲

 プロ野球ヤクルトや米大リーグなどで活躍し、独立リーグ、ルートインBCリーグの福島で兼任監督を務める岩村明憲(いわむら・あきのり)内野手(38)が10日、東京都内のホテルで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。愛媛・宇和島東高からヤクルト入り。2007年に大リーグ、デビルレイズ(現レイズ)に移籍し、08年にはワールドシリーズに進出。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では第1回大会から日本代表の2連覇に貢献した。11年から日本球界に復帰し、楽天、ヤクルトを経て、15年に福島に入った。
  えっ!まだ現役選手だったの?という驚きが聞こえてきそうだが、NPBを退いた彼は、我が福島県に籍を置く「福島ホープス」で、プレイングマネージャーを務めていた。つまり、監督兼任選手だ。かつて南海の野村克也やヤクルトの古田敦也、中日の谷繁などもそうだった。
 しかし、今年3月に自らユニホームを脱ぐ決断をし、今季からは監督業に専念することとなった。

 5 エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ

 、ロシアの男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック金メダリスト。2002年ソルトレイクシティオリンピック及び2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。2014年ソチオリンピック団体戦金メダリスト。世界選手権優勝3回、欧州選手権優勝7回、グランプリファイナル優勝4回。グランプリシリーズ通算22勝。ロシア連邦功労スポーツマスター。
 2015-2016シーズンは背中の怪我のために欠場を余儀なくされた。
 2017年3月31日、健康上の理由により引退を表明。今後は後進の指導にあたる為にモスクワ市内にスケート学校を開校し、才能や将来性を認めた若者は無料で受け入れるという。34歳での引退決断となった。

  6 村上佳菜子

 この記事を書いた直後、またしてもひとりのアスリートがスケート靴を脱ぐ決断をした。
この時期にシーズンを終えるのはフィギュアスケートのため、このスポーツの進退が堅調になる。彼女は、浅田真央引退後、宮原と共に次世代日本のエースと期待されていただけに、22歳での引退表明は意外だった。女子のアスリートは前述したように10代後半でピークを迎えるようで、22歳での引退は早いように思えるが、実はそうでもないことがわかる。
 彼女はソチ五輪代表で、四大陸選手権優勝、全日本選手権2位などの実績を持っている実力派だが、23日、世界国別対抗戦のエキシビションにゲストスケーターとして参加し、現役引退を表明した。

 おそらくは、本田真凛や三原舞依、樋口新葉などの後継者と目される若手が育ってきたことで、彼女も踏ん切りがついたのではないかと思う。

 記事作成:4月22日(土)

2017年2月20日 (月)

長く世界を制したアスリートたち

 昔、当ブログで「その道の第一人者」というタイトルの記事を書いたことがある。各スポーツの競技ごとに、プロフェッショナルとして君臨し、その競技名を挙げればその人というような顔を紹介した。その際には、日本人限定だったが、今回は、長く世界を制したアスリートを競技別に取り上げたい。

 1 マルチナ・ナブラチロワ

  、チェコスロバキア・プラハ出身の女子プロテニス選手。ウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録(9勝)、WTAツアーの最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)など、数々の歴史的な記録を樹立した名選手である。4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのクリス・エバートと並ぶ女子歴代4位タイ記録。左利きの選手で、ネット・プレーを最も得意にしている。

 2 セルゲイ・ブブカ

 ウクライナの元陸上競技選手。男子棒高跳の元世界記録保持者で、 「鳥人」と呼ばれた。10歳で棒高跳を始め、ソビエト連邦の支援のもと幾度となく世界記録を塗り替えた。現役選手時代に世界記録を35回(屋外17回・室内18回)も更新している。
 1985年7月13日に世界で初めて6mを突破したのちも記録を更新、ブブカが保持している世界記録は屋外の6m14cmであった。

 3 中野浩一

 1977年から1986年まで世界選手権個人スプリント10連覇、特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。2006年春に競輪選手出身者では初の紫綬褒章受章。血液型・B型 身長:172cm 体重:85kg。夫人は歌手の NAOMI(小久保尚美)。

 4 具志堅用高

 沖縄県石垣市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。ニックネームは「カンムリワシ」。生来のサウスポー(ただし、書き手は右手)。ボクシングスタイルはファイタータイプ。血液型A型。トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。
 1976年10月10日、山梨県にてWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に9戦目で挑戦し、KO勝ちで初タイトルを奪取。
 1980年10月12日には石川県金沢市に於いてペドロ・フローレス(メキシコ)を苦戦しながらも15回判定に降し、13度目の防衛にも成功した。

 5 ビョルン・ボルグ

 スウェーデン出身の元男子プロテニス選手。ジミー・コナーズ(アメリカ)やジョン・マッケンロー(アメリカ)らと並んで、男子テニスの黄金時代を築いた名選手のひとりである。全仏オープンに4連覇を含む6勝、ウィンブルドン選手権で1976年から1980年まで5連覇を達成した。4大大会通算「11勝」は、ロッド・レーバー(オーストラリア)と並ぶ男子歴代4位タイ記録。

 6 ジャック・ニクラウス

 1970年代、圧倒的な強さで「帝王」と呼ばれたアメリカゴルフ界のカリスマだった。以下は「GDOニュース」のプロフィールより抜粋。

 1959、61年の「全米アマチュア選手権」を制し、プロ転向したのは61年末のこと。翌年の「全米オープン」で初優勝を果たしたのを手始めに、メジャーで史上最多の通算18勝(マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロ5勝)をマークする。また、2位が19度、3位が9度という数字が“帝王”たる所以だ。80年の全米オープンでは青木功と死闘を繰り広げ、日本勢初のメジャー優勝を阻んだ。86年のマスターズでは46歳2か月で優勝し史上最年長記録を樹立。2005年にセントアンドリュースで行われた「全英オープン」を持って、キャリアにピリオドを打った。なお、チャンピオンズツアーでも全メジャーを制覇している唯一の選手でもある。

 7 マイケル・フェルプス 

 アメリカ合衆国の競泳選手。身長193センチ。体重91キロ。オリンピックと世界水泳 選手権の金メダリスト。2013年7月現在、100m、200mバタフライ、400m個人メドレーの世界記録保持者であり、“水の超人”イアン・ソープ(オーストラリア)に代わり、世界の頂点に昇りつめた「水の怪物」。自由形でも世界トップレベルの実力を誇り、一大会で複数の種目を制する体力を活かして、オリンピックメダル獲得数史上1位の記録も打ち立てた。史上最強のスイマーとの呼び声も高い。
 アテネで6個、北京で8個、ロンドンで4個、リオで5個の金メダルを獲得し総なめ状態。最強のゴールドホルダーだ。世界水泳でも金メダルを26個獲得しているから凄すぎ。

 何でもそうだが、「何かを極める」というのは大変なことで、しかも長らく世界王者に君臨するからには並大抵のことでは成し得なかったに相違ない。華々しいスポーツイベントで最高のパフォーマンスを披露し、世界記録を樹立したり、チャンピオンになるのは天賦の才能はもちろん、血の滲むような努力があってこそだと思う。我々は、そうした裏側の世界を垣間見ることは出来ないが、おそらくは相当の労苦があったと容易に想像がつく。
 今回の記事を通して、彼らの功績を称えると共に、彼らを手本とし、憧れて第二第三のスーパーアスリートが誕生してくれることを願いつつ、この記事を閉じたい。
 

 記事作成:1月23日(月)~2月10日(金)

2017年2月10日 (金)

「悪たれ小僧」と呼ばれた神童たち

 「憎まれっ子世に憚る」という言葉があるが、それを地で行く者が実在する。かつて、マナーやスポーツマンシップとはおよそ無縁な立ち居振る舞いをしながら、実力が抜きん出ていたトップアスリートがいた。礼儀や行儀などの基本精神が欠如していながら、世界大会でその才能を遺憾なく発揮した選手は、固定概念や既定概念を打ち破り、マイペースでふてぶてしいまでの振る舞いで、嫌われることも多かったが、実力が半端ない。歯に衣を着せぬ言動で、しばし物議を醸すが、他人と同じことをしていては、決してトップ選手になれないことを暗に示しているようにも思える。今回はそうした「悪たれ小僧」たちを取り上げたい。

 ジョン・マッケンロー(テニス)

アメリカの男子プロテニス選手。左利き。身長180cm、体重75kg。ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。マッケンローは試合中に審判の判定に納得しない場合は、判定にクレームをつけたり、審判に暴言を発する言動が頻繁にあったことから“悪童マッケンロー”と呼ばれた。
 血液型はB型

 悪ガキがそのまま大人になって、ルールもマナーも知らずにプレーしている印象だ。

 朝青龍(大相撲)

 本名は朝青龍明徳。モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱

 無類の強さで横綱まで駆け上がり、優勝を25回成し遂げた。通算成績も669勝173敗。勝率は.795を誇った大横綱。しかし、土俵態度の悪さや度重なる歯に衣を着せぬ言動と横綱らしからぬ行動が相次ぎ、その都度批判を浴びた。

 2007年には「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、11月場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。
 2010年には1月場所中の7日目(1月16日)未明、泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、同1月場所の千秋楽翌日の1月25日に、日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分を受けた。
 こうした横綱の品格を汚す行動が元となり、角界を引退した。血液型はO型 

 堀内恒夫(プロ野球)

 新人イヤーに、公式戦初球をわざとバックネットにぶつけ、緊張を取り去り、その後、無傷の13連勝負けなし。天狗になり、「小天狗」とか「悪太郎」との異名をとった。寮の門限破りなどを繰り返す悪態に、王貞治さんがキレて彼をビンタしたエピソードはあまりにも有名。ろくに練習せず、才能だけでやって来たと豪語するなど、破天荒な生き方を貫いた。V9に貢献した功績は認めるが、その鼻持ちならない言い方で、解説者としても好き放題言っていた。監督としては最低の成績に甘んじた。それでも参議院議員が務まるのだから、政治も地に落ちたものだ。血液型はO型

https://www.youtube.com/watch?v=4kWf_gDS1Xg

 彼はO型の江川と同じで、ここ一番にしか燃えないタイプ。普段は手抜きで大舞台にならないと力が入らないタイプだ。

 國母和宏(ハープパイプ)

 国母は2010年のバンクーバー五輪の際、空港などで、腰パンやシャツをだらしなく出すなど服装の乱れを指摘された。その後「反省してまーす」とまったく反省の色がない小馬鹿にしたような会見をおこない非難を受けた。激怒したJOCの役員が厳重注意を行い、開会式に参加させない措置をとった。オリンピック前のW杯なんどで無類の強さを誇っていた彼だが、この騒動で実力を発揮できず、入賞すらできずに終わった。
 個性尊重のゆとり教育を受けてきた世代で、日本を代表して国際大会に臨むという意味を持たない考え方で、「強ければ格好など何をやっても許される」という甘い自己判断が招いた結果だった。血液型はAB

 亀田三兄弟

 私はどうも好かない。父親の「強ければ身なりや態度などどうでもいい」という教育方針が世間からバッシングを受けた。戦前の会見では、相手にガンを飛ばして挑発したり、とにかくやりたい放題。父親もセコンド免許剥奪やマナーが悪すぎ。
 いつも不可解な判定で王者になるなど、WBCやWBAと結託し、贈収賄でもしているのかと首をかしげる。私は歴代チャンピオンと比べても、強いという印象は無い。口ばかり達者で実力が伴わない「弱い犬ほどよく吠える」状態だと思っている。親父を含め、3兄弟ともにB型 マイペースで固定概念を嫌う典型例

 

 このような記事を書いてみたが、一見破天荒だと思うが、一般の人と同じことをしていては、絶対に日本一や世界一にはなれない。そういう意味では、子供たちのお手本にはなりにくいかもしれないが、多少マナーが悪くても、強くなるためには真面目でお坊ちゃまタイプの「A型優等生」ではダメで、「固定概念に縛られ、プレッシャーに負けてガチガチに固まってしまうよりかは結果を出せる分、スポ―ツ分野では大事かもしれない。

 記事作成:1月29日(日)

 

2017年1月24日 (火)

伝説の一戦

 スポーツは筋書きの無いドラマである。そこに至るまで血の滲むような努力や膨大な練習量がある。そして華やかな大舞台で繰り広げられる熱戦の中で、名勝負が生まれる。振り返れば、過去に「世紀の大勝負」とか「伝説の一戦」とか呼ばれる試合が幾多もあった。今日は、私がセレクトした、伝説と呼ぶに値する一戦を紹介したい。

 <プロレス>

 アントニオ猪木対モハメドアリを誰もが思い浮かべるが、私はこの一戦を小6の時にLIVEで見たが、期待はずれだった。アリ圧倒的有利のルールの中、猪木がとった作戦は、マットに仰向けに寝そべって、組み合うことが無い超消極的戦法。そしてアリキックという言葉が誕生した通り、相手の脚を集中して狙うキック。私はこれを伝説とは思わない。逆に、日本のプロレスが分裂する前、猪木とジャイアント馬場がタッグを組み、メキシコの空中殺法ミル・マスカラス&アリオン戦いで、マット上で卍固めとコブラツイストを並列でかけた瞬間のひとコマだ。

 <キックボクシング>

 沢村忠の真空飛び膝蹴りも伝説だが、私は東洋ウェルター級チャンピオンで必殺の回し蹴りで相手をマットに沈めた富山勝治と花形満の戦いを挙げたい。1972年 日本ウェルター級王座決定戦でのひとコマで、名試合との呼び声の高い一戦だ。

 1970年代は大相撲、プロレス、キックボクシングが三大格闘技だったように思う。

 <柔道>

 山下対ラシュワンも捨てがたいが、私は敢えてバルセレナオリンピックの古賀稔彦を挙げたい。バルセロナ入りしてから、吉田秀彦との稽古中、足に重傷を負った。出場が危ぶまれたが、強行で出場し、吉田の声援を受けながら逆境からの金メダルを獲得したシーンだ。

 <プロ野球>(巨人・阪神戦)

 V9がかかった甲子園球場での巨人阪神戦。前日、ナゴヤ球場で阪神が中日に敗れたことで、巨人が最終戦で阪神に勝てば優勝、V9達成という試合になった。前日、試合を行っていたナゴヤ球場のレフトスタンドのすぐ先を、新幹線で移動中の巨人ナインが素通りして行った。そして明けた決戦結果は予想外の一方的な展開。先発堀内は、阪神に二塁を踏ませない完璧な内容でリリーフした高橋一三の力投もあって完封継投。巨人がV9の大金字塔を樹立した。
 私は当時、小学生で、生放送の画面を食い入るように見ていた記憶がある。

 ほかにも楽天が日本一に輝いた2013年の田中将大のリリーフシーンが忘れられない。

 <ボクシング>

 私が真っ先に挙げたい日本人の世界チャンピオンは、ファイティング原田でも具志堅用高でもない。伝説のチャンピオンと呼ばれた「大場政夫」だ。大場はタイの挑戦者・チャチャイチオノイとの5度目の防衛戦に臨み、1Rにダウンを奪われ、右足をねん挫し、劣勢に立たされながらも、不屈の闘志で12Rに逆転KOでタイトルを防衛した。その三週間後、彼は自慢のスポーツカーで首都高速を走行中、スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れず外壁に激突し、反対車線に飛び出し大型トラックと正面衝突し、即死でこの世を去った。

彼の人生は波乱に富んだもので、輝かしさとともに事故で無くなった悲劇のヒーローという印象が濃い。太く短く駆け抜けた人生だった。

 <大相撲> 北の湖vs貴ノ花 (昭和50年三月場所・優勝決定戦)   

 私が伝説の一番だと今でも思っているのは、初めて国技館(あの頃は蔵前)に座布団が舞った伝説の一戦だ。それは当時最強横綱の名声を欲しいものにしていた大横綱。北の湖と小兵ながら人気抜群の大関の貴ノ花の一戦だ。実は千秋楽までもつれこんだ優勝争いで、本割で貴ノ花は北の湖に敗れた。そして優勝決定戦となった。この大一番に勝った貴ノ花は初優勝を遂げた。強すぎて嫌われることの多かった北の湖を下しての悲願の優勝に、日本中が沸き返った瞬間だった。

 さて、私が記憶しているのは昭和の名勝負が多い。冒頭でも書いたが、スポーツは筋書きのないドラマなので、何が起きるかわからないわくわく感と、勝利のために真剣に取り組む姿勢が人を惹きつけ、感動を巻き起こす。今日挙げたのは、ほんの一部であり、機会があれば、他のスポーツ、例えばバレーボール、スキーのジャンプ、競泳、テニスなど多種多様にある伝説の一戦を続編としてお送りしたい。

 記事作成:1月7日(土)

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