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スポーツ

2017年9月22日 (金)

そのスポーツに付き物のテーマソングとマンガ

 高校生と言えば青春ど真ん中の世代。人生で一番光り輝く時期だと思う。その多感な思春期の年代に、情熱的にスポーツにひたむきに打ち込む姿は見ていて気持ちがいいものだ。照付ける太陽の下、泥と汗にまみれながら白球を追いかける姿は美しい。
 今年、本県では、夏に全国高校総体が共同開催された。柔道や卓球、テニスを始め、多くの競技がが県内各地で行われ、若い力が躍動した。すがすがしい気持ちにさせられると共に、それをマスコミ各社がこぞって取材し、結果は連日テレビや新聞などで報道された。
 そこで今日は、そのスポーツに付き物のテーマソングとマンガを取り上げたい。

 1 野球(全国高等学校野球選手権大会)

 もちろんテーマソングは「栄冠は君に輝く」だ。

 甲子園の入場行進曲、そして閉会式後の場内一周の際に流れる。福島県出身の作曲家、古関裕而の功績を讃え、福島駅の新幹線の発着メロディーはこの曲が使われている。

 高校野球を描いた漫画は「ドカベン」「プレイボール」「しまっていこうぜ」「風光る」などがある。「MAJOR」も高校野球を一部描いている。影響を受けた人も多いだろう。

 2 サッカー

 定番のテーマソングは「ザ・バード」の「ふり向くな君は美しい」だ。

 私が高校生の頃からこの曲がてっぱんソングだった。スクールメイツ張りの超ミニスカートで歌って踊る「ザ・バーズ」に目のやり場に困った想い出がある。

 高校サッカーを取り上げたマンガは少なく、「キャプテン翼」の独壇場だろう。このアニメ漫画は欧州でも人気が高い。

 野球とサッカーは高校生の部活動の人気1・2位を争うほどで、所属人数も多い。だからこの二つは公式のテーマソングらしきものがあっても何ら不思議ではない。

 3 バスケットボール

 高校生のバスケの大会の公式テーマソングは無いので、やはりもっとも影響を受けたアニメは「SLAM DUNK」だろう。日本だけでなく、外国でも人気が高い。

 このオープニングは大反響を呼び、台湾でも大人気。江ノ電の鎌倉学園高校前駅の手前にある踏切が観光名所として「聖地」となった。何を隠そう2年前の1月に私もここを訪れたが、台湾人観光客が10人以上陣取っていた。エンディングの「WANDS」の「世界が終わるまでは」もカッコ良かった。

 4 テニス

 この競技のテーマソングは無く、人気があるのはテレビアニメ「テニスの王子様」で、このオープニングテーマ曲をリンクしたい。

https://www.youtube.com/watch?v=5YTXnTRWOQ8

https://www.youtube.com/watch?v=x62aGF9Ft-k

https://www.youtube.com/watch?v=eCy1xQwOA4E

 アニメ漫画と言えば「エースをねらえ」が定番。

 5 バレーボール

 過去、「アタックNo.1」や「サインはV」でテレビ化されるなど、スポ根モノの代表だったバレーボール。東京オリンピックの「東洋の魔女」やミュンヘン五輪での男子バレーボールの活躍などで、かつては人気No.1のスポーツだった時期があった。しかし、不思議と公式テーマソングや定番の応援ソングらしきものはない。「ALL for ONE」や「ONE for ALL」という言葉がピッタリの競技がバレーボールだろう。
 唯一あるとすれば「春高バレー」のテーマソングになったこれ!

 さて、日本で特に人気が高いとみられる競技を5つ取り上げたが、やはり野球とサッカーは別格だ。チームプレーの最たるものがこの5つだが、最近はバドミントン人気も沸騰中だ。しかし、なぜか応援ソングやテーマソングは制作されない。確かに野球は高体連ではなく高野連という別組織。インターハイには含まれないし、しかし甲子園大会は人気度はまるで違うし、全試合テレビ中継される熱の入れようを見ると国民的スポーツはやはり今も野球でしかないのか・・・。

 記事作成:9月9日(土)

2017年8月22日 (火)

美しきアスリートたち第七弾

 約1年振りにこの記事を書く。昨年オリンピックイヤーが終わり、2020年東京五輪に向けて、何かと若手アスリートが脚光を浴びる時代だ。特に、美人アスリートは注目される存在だ。今日は、私の個人的な偏見と好みで、美しきスポーツ選手を取り上げたい。

 坂本詩織里プロボウラー

 8月13日(日)夜にBS日テレで放送している番組を観てハッと来た美人プロボウラーが坂本詩織里プロだった。ショートヘアーが良く似合い、スラリと伸びた美脚と色白な肌に思わず息をのんだ。この世界には美人が多いとは知っていたが、こんなに可愛くて美人な選手がいたとは・・・。

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 <プロフ>

 1988年4月6日生まれの29歳 血液型はB
 JPBA第48 期生。ライセンスNo.529(2015年交付)。東京都出身。フリー。第2回次世代P★リーガー発掘プロジェクトに合格。Pリーグのキャッチフレーズは「ロシア帰りのプリマボウラー」。
 発掘プロジェクトの合格後に、日本プロボウリング協会のプロテストに合格してプロ入りを果たした。Pリーグは第6シーズンでデビュー、6ショット落ちでシーズン第2戦の第59戦がデビュー戦となったが、小林姉妹に勝利し、デビュー戦を飾った。 初優勝は初の6ショット落ち以外で出場停止明けの第63戦で飾った。第2次発掘プロジェクト出身者では一番乗り。プロ入り後の公式戦は、ROUND1CupLadies2015で初めて予選を通過した。
 
  公式HP http://ameblo.jp/5962314/

 その他の映像

https://www.youtube.com/watch?v=_eUbO-qhIZk

https://www.youtube.com/watch?v=ZMXNMppUmO4

https://www.youtube.com/watch?v=sxtJECDPcv0

https://www.youtube.com/watch?v=m6NOKpzz0F0

https://www.youtube.com/watch?v=Jtu-mHw5OkM&t=24s

https://www.youtube.com/watch?v=ywJmP76JAg0

 顔が福島放送アナウンサーの「猪俣理恵」さんに似ている気がする。ほかにも酒井美佳プロ、名和秋プロは美人女子ボウラーとして通っている。

記事作成:8月13日(日)

2017年8月14日 (月)

華麗なる転向?それとも・・・

 今年の世界陸上を最後に現役引退を発表しているウサイン・ボルトは引退後のことを聞かれ、昔からの夢だった「サッカー選手」を目指すという。彼はすでに30歳だが、そのスピードを活かしてサッカーにチャレンジしたいという。一世を風靡し、その道で一時代を築いたスポーツアスリートが、引退後、思い寄らない他競技や別の職業にに転向や転身したことがあった。そんなに簡単に成功するとは思えないが、ラグビーからアメフトなど似ている競技は比較的可能性は高し、実際にチャレンジした人がいるのも事実だ。今日はそれを題材にしたい。

 曙(大相撲横綱)→→→ K1ファイター

 ご存知日本人以外で初めて横綱になった。通算654勝232敗で幕内優勝11回を数える。
 曙貴時代を築いた。現役引退後は曙親方として東関部屋で後輩の指導をしていたが、2003年11月5日、日本相撲協会に退職願を提出し受理され、翌11月6日に記者会見を開き格闘技K-1参戦が発表された。
 2003年12月31日、デビュー戦となった「K-1 PREMIUM 2003 Dynamite!!」(ナゴヤドーム)でボブ・サップと対戦、1ラウンドKO負け。

 ウォーレン・クロマティ(プロ野球選手)→→プロレスラー→→バンドマン(ドラマー)

 1980年代、篠塚、原と共に7年間在籍し、巨人のクリーンアップを務めたスラッガー。2007年6月1日、プロレスラーとしてデビューすることを、プロレスイベント「ハッスル」を主催するハッスルエンターテインメントが発表。6月17日に「ハッスル・エイド2007」(さいたまスーパーアリーナ)でタイガー・ジェット・シンと対戦し勝利を飾った。この試合ではかつて試合中に殴打した宮下昌己が来場し、クロマティを応援した。

Cromaty

 マイケルジョーダン(NBA選手)→→→メジャーリーガー

 NBAのシカゴ・ブルズ、ワシントン・ウィザーズでプレーした。その実績から「バスケットボールの神様」とも評される。
 15年間の選手生活で得点王10回、年間最多得点11回、平均得点は30.12点でNBA歴代1位、通算得点は32,292点で歴代4位。1990年代にシカゴ・ブルズを6度の優勝に導き、5度のシーズンMVP、6度のNBAファイナルMVP受賞。また、1984年のロサンゼルスオリンピックと、1992年のバルセロナオリンピックにおいてアメリカ代表(ドリームチーム)の一員として2度にわたり金メダルを獲得した。

 ジョーダンは引退後、突如として野球への転向を表明。家族が住む地元シカゴのシカゴ・ホワイトソックスのキャンプに参加した。多くのファンはマイケルが父親を殺害された悲しみを紛らわせるため子供の頃のもう一つの夢を追求したのだと解釈し、ジョーダン自身も「最初の優勝の後に父親と約束した夢」だと述べている。
 ジョーダンは1993-94年のNBAシーズン開幕2日前にMLBのシカゴ・ホワイトソックス傘下AA級バーミンガムに入団した。専門家はプロレベルの変化球を打つのは困難だろうと予測し、権威あるスポーツ誌18歳以来10年以上ぶりの野球、しかも当時はピッチャーであった彼はほとんどバッティング経験がないと言うに等しく、その成績は特に春のうちは惨憺たるもので、最終的にも127試合の出場で打率2割0分2厘・11エラーとメジャーリーグに昇格することは出来ない成績だった。

 橋本聖子(スピードスケーター)→→→自転車選手→→→政治家

 スピードスケートおよび自転車競技の元選手でオリンピック日本代表として出場。アルベールビル冬季オリンピックスピードスケート女子1500m銅メダル。2020年東京オリンピック・パラリンピック組織委員会理事、自民党実施本部本部長。現在は自由民主党所属の参議院議員(4期)。自由民主党参議院議員会長。公益財団法人日本スケート連盟会長、公益財団法人日本自転車競技連盟会長。公益財団法人日本オリンピック委員会常務理事。

https://www.youtube.com/watch?v=NR6Nyp1GYQQ

 ディエゴ・マラドーナ(サッカー)→→→ボクシング

 アルゼンチン・ブエノスアイレス州ラヌース出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワードまたはミッドフィールダー。ワールドカップでは伝説の5人抜きや神の手と称される荒業を披露し、観客の度肝を抜いた。
 現役引退後は薬物依存や不摂生による体重増加などが原因で入院・手術などを繰り返し、必ずしも健康体とは言えない状態であった。2004年4月にはボカの試合観戦中に突然倒れ、集中治療室で生死の境をさまよった。
 生還後、整形やボクサー転向などさまざまな噂や話題を振りまいた。

 今後の私の予想

 長谷川滋利(プロ野球投手)→→→プロゴルファー?

 プロ野球選手はオフシーズンになるとこぞってゴルフで体力保持を実施する。あの体格と体力は飛ばし屋そのもので、プロ顔負けの飛距離とパワーで引退後はその転身はありえると思っていた。

 記事作成:8月4日(金)

2017年4月26日 (水)

早くも今年引退を表明したアスリート

 まだ上半期も終わっていない4月の時点で、大物のアスリートが複数、引退を表明し、世間を驚かせた。まだ年齢的に限界を迎えたとは言い難い面々だが、第一線から身を引く決断を下には、それは本人にしかわからないそれ相応の苦悩があったのだろうと思う。精神的にも体力的にももう無理と悟ったため、潔く引退したのだろうから、もったいないと思いつつ、彼らの決断を尊重したい。では、4月の時点で現役を引退したアスリートを列挙したい。

 1 柏原竜二

 ご存知「二代目山の神」として箱根の剣に挑んだランナー。我が福島県出身で、酒井監督に素質を見出され、東洋大学入学してからめきめき力をつけ、頭角を現した。特に山登りの5区で、4年連続で往路のゴールテープをトップで切った。3年次まではいずれも山登り区間で逆転した。4年次は震災で苦しむ人々に希望を与えた。4年のうち、3回自己記録を更新し、同じ福島県出身で、順天堂大学の今井正人に続き、「山の神」とか「神童」と呼ばれた。苦しそうな表情を浮かべながらも、自分のペースを乱すことなく、がむしゃらに走った。沿道には彼を見たさに多くの駅伝ファンが詰めかけ、雄姿を見守った。
 その後、同じ郷里の英雄「藤田敦史」に憧れて、「富士通」に入社し、実業団ランナーとしても期待されたが、相次ぐ怪我に悩まされ、今年4月3日に、27歳で引退を決意した。
 今後は富士通は退社せず、社業に専念する。引き続き陸上教室やゲストランナーなども、依頼があれば可能な限り対応する。

https://www.youtube.com/watch?v=hjH_ycq1Ov0

 2 立石諒

 神奈川県藤沢市出身。湘南工科大学附属高等学校卒業。AO入試を経て慶應義塾大学環境情報学部に入学。ロンドン五輪に備え休学していたが、2012年9月に復学。2013年3月卒業。左利き。
 2010年の競泳の日本選手権で、50m平泳ぎ・100m平泳ぎ・200m平泳ぎで3冠を達成し、ポスト北島康介として注目を集めた。
 2011年の国際大会選考会で、50m平泳ぎ・100m平泳ぎでは共に2位で、200m平泳ぎでは4位というまさかの結果になった。
 2012年のロンドンオリンピック代表選考会では100m平泳ぎと200m平泳ぎは共に2位で、派遣標準記録を突破し、日本代表に選ばれた。
2012年8月1日のロンドンオリンピック男子200m平泳ぎ決勝では隣のレーンを泳いだ北島をピタリ追泳し、ゴール前でわずか0.06秒交わして3位に入着し、銅メダルに輝いた。
 2017年の4月13日に行われた第93回日本選手権水泳競技大会、競泳競技後に現役引退を表明。

 3 浅田真央

 今年一番の衝撃的なアスリートの引退表明となった。国民的な人気を誇り、B型らしく、幼少の頃からその実力を発揮した。真央ちゃんスマイルに誰もが癒された。彼女のピークは14~17歳頃で、僅か数日足りず、年齢制限でトリノ五輪に出場できなかった。続く、バンクーバー五輪では、周囲の期待があまりにも大きく、ガチガチに緊張し、思うようなスケーティングが出来ず、同世代対決となったキム・ヨナに敗れ、銀メダル。続くソチでも表彰台に上れず、1年間の休養。現役を続行するか迷った末に、復帰を決意。しかし、こだわり続けた「トリプルアクセル」が思うように飛べず、今年4月にブログで引退を表明した。
 私は彼女の演技で好きだったのは難易度の高い「片手ビールマンスピン」。柔軟性があって、頭の上に片足を上げ、しかも片手保持でスピンを行う。
 彼女は年齢を重ねても細身のスタイルを維持し続けた。普通、女性アスリートのピークは10代までで、それ以降は女性ホルモンの働きで、ふっくらと肉がつきやすく、体重も増えて動きが悪くなって引退というケースが多いが、彼女の場合、細身を維持したことで怪我が少なく、ジャンプにこだわり続けた要因だと思う。

 4 岩村明憲

 プロ野球ヤクルトや米大リーグなどで活躍し、独立リーグ、ルートインBCリーグの福島で兼任監督を務める岩村明憲(いわむら・あきのり)内野手(38)が10日、東京都内のホテルで記者会見し、今季限りでの現役引退を表明した。愛媛・宇和島東高からヤクルト入り。2007年に大リーグ、デビルレイズ(現レイズ)に移籍し、08年にはワールドシリーズに進出。ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では第1回大会から日本代表の2連覇に貢献した。11年から日本球界に復帰し、楽天、ヤクルトを経て、15年に福島に入った。
  えっ!まだ現役選手だったの?という驚きが聞こえてきそうだが、NPBを退いた彼は、我が福島県に籍を置く「福島ホープス」で、プレイングマネージャーを務めていた。つまり、監督兼任選手だ。かつて南海の野村克也やヤクルトの古田敦也、中日の谷繁などもそうだった。
 しかし、今年3月に自らユニホームを脱ぐ決断をし、今季からは監督業に専念することとなった。

 5 エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ

 、ロシアの男性フィギュアスケート選手(男子シングル)。2006年トリノオリンピック金メダリスト。2002年ソルトレイクシティオリンピック及び2010年バンクーバーオリンピック銀メダリスト。2014年ソチオリンピック団体戦金メダリスト。世界選手権優勝3回、欧州選手権優勝7回、グランプリファイナル優勝4回。グランプリシリーズ通算22勝。ロシア連邦功労スポーツマスター。
 2015-2016シーズンは背中の怪我のために欠場を余儀なくされた。
 2017年3月31日、健康上の理由により引退を表明。今後は後進の指導にあたる為にモスクワ市内にスケート学校を開校し、才能や将来性を認めた若者は無料で受け入れるという。34歳での引退決断となった。

  6 村上佳菜子

 この記事を書いた直後、またしてもひとりのアスリートがスケート靴を脱ぐ決断をした。
この時期にシーズンを終えるのはフィギュアスケートのため、このスポーツの進退が堅調になる。彼女は、浅田真央引退後、宮原と共に次世代日本のエースと期待されていただけに、22歳での引退表明は意外だった。女子のアスリートは前述したように10代後半でピークを迎えるようで、22歳での引退は早いように思えるが、実はそうでもないことがわかる。
 彼女はソチ五輪代表で、四大陸選手権優勝、全日本選手権2位などの実績を持っている実力派だが、23日、世界国別対抗戦のエキシビションにゲストスケーターとして参加し、現役引退を表明した。

 おそらくは、本田真凛や三原舞依、樋口新葉などの後継者と目される若手が育ってきたことで、彼女も踏ん切りがついたのではないかと思う。

 記事作成:4月22日(土)

2017年2月20日 (月)

長く世界を制したアスリートたち

 昔、当ブログで「その道の第一人者」というタイトルの記事を書いたことがある。各スポーツの競技ごとに、プロフェッショナルとして君臨し、その競技名を挙げればその人というような顔を紹介した。その際には、日本人限定だったが、今回は、長く世界を制したアスリートを競技別に取り上げたい。

 1 マルチナ・ナブラチロワ

  、チェコスロバキア・プラハ出身の女子プロテニス選手。ウィンブルドン選手権の大会史上最多優勝記録(9勝)、WTAツアーの最多優勝記録(シングルス167勝、ダブルス177勝)など、数々の歴史的な記録を樹立した名選手である。4大大会シングルス通算「18勝」はライバルのクリス・エバートと並ぶ女子歴代4位タイ記録。左利きの選手で、ネット・プレーを最も得意にしている。

 2 セルゲイ・ブブカ

 ウクライナの元陸上競技選手。男子棒高跳の元世界記録保持者で、 「鳥人」と呼ばれた。10歳で棒高跳を始め、ソビエト連邦の支援のもと幾度となく世界記録を塗り替えた。現役選手時代に世界記録を35回(屋外17回・室内18回)も更新している。
 1985年7月13日に世界で初めて6mを突破したのちも記録を更新、ブブカが保持している世界記録は屋外の6m14cmであった。

 3 中野浩一

 1977年から1986年まで世界選手権個人スプリント10連覇、特別競輪12勝(GP1勝、GI11勝)、賞金王6回(歴代最多)を達成している。2006年春に競輪選手出身者では初の紫綬褒章受章。血液型・B型 身長:172cm 体重:85kg。夫人は歌手の NAOMI(小久保尚美)。

 4 具志堅用高

 沖縄県石垣市出身。元WBA世界ライトフライ級王者。ニックネームは「カンムリワシ」。生来のサウスポー(ただし、書き手は右手)。ボクシングスタイルはファイタータイプ。血液型A型。トレードマークは独特のアフロヘアー(天然ではない)と口髭。
 1976年10月10日、山梨県にてWBA世界ライトフライ級王者ファン・ホセ・グスマン(ドミニカ共和国)に9戦目で挑戦し、KO勝ちで初タイトルを奪取。
 1980年10月12日には石川県金沢市に於いてペドロ・フローレス(メキシコ)を苦戦しながらも15回判定に降し、13度目の防衛にも成功した。

 5 ビョルン・ボルグ

 スウェーデン出身の元男子プロテニス選手。ジミー・コナーズ(アメリカ)やジョン・マッケンロー(アメリカ)らと並んで、男子テニスの黄金時代を築いた名選手のひとりである。全仏オープンに4連覇を含む6勝、ウィンブルドン選手権で1976年から1980年まで5連覇を達成した。4大大会通算「11勝」は、ロッド・レーバー(オーストラリア)と並ぶ男子歴代4位タイ記録。

 6 ジャック・ニクラウス

 1970年代、圧倒的な強さで「帝王」と呼ばれたアメリカゴルフ界のカリスマだった。以下は「GDOニュース」のプロフィールより抜粋。

 1959、61年の「全米アマチュア選手権」を制し、プロ転向したのは61年末のこと。翌年の「全米オープン」で初優勝を果たしたのを手始めに、メジャーで史上最多の通算18勝(マスターズ6勝、全米オープン4勝、全英オープン3勝、全米プロ5勝)をマークする。また、2位が19度、3位が9度という数字が“帝王”たる所以だ。80年の全米オープンでは青木功と死闘を繰り広げ、日本勢初のメジャー優勝を阻んだ。86年のマスターズでは46歳2か月で優勝し史上最年長記録を樹立。2005年にセントアンドリュースで行われた「全英オープン」を持って、キャリアにピリオドを打った。なお、チャンピオンズツアーでも全メジャーを制覇している唯一の選手でもある。

 7 マイケル・フェルプス 

 アメリカ合衆国の競泳選手。身長193センチ。体重91キロ。オリンピックと世界水泳 選手権の金メダリスト。2013年7月現在、100m、200mバタフライ、400m個人メドレーの世界記録保持者であり、“水の超人”イアン・ソープ(オーストラリア)に代わり、世界の頂点に昇りつめた「水の怪物」。自由形でも世界トップレベルの実力を誇り、一大会で複数の種目を制する体力を活かして、オリンピックメダル獲得数史上1位の記録も打ち立てた。史上最強のスイマーとの呼び声も高い。
 アテネで6個、北京で8個、ロンドンで4個、リオで5個の金メダルを獲得し総なめ状態。最強のゴールドホルダーだ。世界水泳でも金メダルを26個獲得しているから凄すぎ。

 何でもそうだが、「何かを極める」というのは大変なことで、しかも長らく世界王者に君臨するからには並大抵のことでは成し得なかったに相違ない。華々しいスポーツイベントで最高のパフォーマンスを披露し、世界記録を樹立したり、チャンピオンになるのは天賦の才能はもちろん、血の滲むような努力があってこそだと思う。我々は、そうした裏側の世界を垣間見ることは出来ないが、おそらくは相当の労苦があったと容易に想像がつく。
 今回の記事を通して、彼らの功績を称えると共に、彼らを手本とし、憧れて第二第三のスーパーアスリートが誕生してくれることを願いつつ、この記事を閉じたい。
 

 記事作成:1月23日(月)~2月10日(金)

2017年2月10日 (金)

「悪たれ小僧」と呼ばれた神童たち

 「憎まれっ子世に憚る」という言葉があるが、それを地で行く者が実在する。かつて、マナーやスポーツマンシップとはおよそ無縁な立ち居振る舞いをしながら、実力が抜きん出ていたトップアスリートがいた。礼儀や行儀などの基本精神が欠如していながら、世界大会でその才能を遺憾なく発揮した選手は、固定概念や既定概念を打ち破り、マイペースでふてぶてしいまでの振る舞いで、嫌われることも多かったが、実力が半端ない。歯に衣を着せぬ言動で、しばし物議を醸すが、他人と同じことをしていては、決してトップ選手になれないことを暗に示しているようにも思える。今回はそうした「悪たれ小僧」たちを取り上げたい。

 ジョン・マッケンロー(テニス)

アメリカの男子プロテニス選手。左利き。身長180cm、体重75kg。ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。マッケンローは試合中に審判の判定に納得しない場合は、判定にクレームをつけたり、審判に暴言を発する言動が頻繁にあったことから“悪童マッケンロー”と呼ばれた。
 血液型はB型

 悪ガキがそのまま大人になって、ルールもマナーも知らずにプレーしている印象だ。

 朝青龍(大相撲)

 本名は朝青龍明徳。モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱

 無類の強さで横綱まで駆け上がり、優勝を25回成し遂げた。通算成績も669勝173敗。勝率は.795を誇った大横綱。しかし、土俵態度の悪さや度重なる歯に衣を着せぬ言動と横綱らしからぬ行動が相次ぎ、その都度批判を浴びた。

 2007年には「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、11月場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。
 2010年には1月場所中の7日目(1月16日)未明、泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、同1月場所の千秋楽翌日の1月25日に、日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分を受けた。
 こうした横綱の品格を汚す行動が元となり、角界を引退した。血液型はO型 

 堀内恒夫(プロ野球)

 新人イヤーに、公式戦初球をわざとバックネットにぶつけ、緊張を取り去り、その後、無傷の13連勝負けなし。天狗になり、「小天狗」とか「悪太郎」との異名をとった。寮の門限破りなどを繰り返す悪態に、王貞治さんがキレて彼をビンタしたエピソードはあまりにも有名。ろくに練習せず、才能だけでやって来たと豪語するなど、破天荒な生き方を貫いた。V9に貢献した功績は認めるが、その鼻持ちならない言い方で、解説者としても好き放題言っていた。監督としては最低の成績に甘んじた。それでも参議院議員が務まるのだから、政治も地に落ちたものだ。血液型はO型

https://www.youtube.com/watch?v=4kWf_gDS1Xg

 彼はO型の江川と同じで、ここ一番にしか燃えないタイプ。普段は手抜きで大舞台にならないと力が入らないタイプだ。

 國母和宏(ハープパイプ)

 国母は2010年のバンクーバー五輪の際、空港などで、腰パンやシャツをだらしなく出すなど服装の乱れを指摘された。その後「反省してまーす」とまったく反省の色がない小馬鹿にしたような会見をおこない非難を受けた。激怒したJOCの役員が厳重注意を行い、開会式に参加させない措置をとった。オリンピック前のW杯なんどで無類の強さを誇っていた彼だが、この騒動で実力を発揮できず、入賞すらできずに終わった。
 個性尊重のゆとり教育を受けてきた世代で、日本を代表して国際大会に臨むという意味を持たない考え方で、「強ければ格好など何をやっても許される」という甘い自己判断が招いた結果だった。血液型はAB

 亀田三兄弟

 私はどうも好かない。父親の「強ければ身なりや態度などどうでもいい」という教育方針が世間からバッシングを受けた。戦前の会見では、相手にガンを飛ばして挑発したり、とにかくやりたい放題。父親もセコンド免許剥奪やマナーが悪すぎ。
 いつも不可解な判定で王者になるなど、WBCやWBAと結託し、贈収賄でもしているのかと首をかしげる。私は歴代チャンピオンと比べても、強いという印象は無い。口ばかり達者で実力が伴わない「弱い犬ほどよく吠える」状態だと思っている。親父を含め、3兄弟ともにB型 マイペースで固定概念を嫌う典型例

 

 このような記事を書いてみたが、一見破天荒だと思うが、一般の人と同じことをしていては、絶対に日本一や世界一にはなれない。そういう意味では、子供たちのお手本にはなりにくいかもしれないが、多少マナーが悪くても、強くなるためには真面目でお坊ちゃまタイプの「A型優等生」ではダメで、「固定概念に縛られ、プレッシャーに負けてガチガチに固まってしまうよりかは結果を出せる分、スポ―ツ分野では大事かもしれない。

 記事作成:1月29日(日)

 

2017年1月24日 (火)

伝説の一戦

 スポーツは筋書きの無いドラマである。そこに至るまで血の滲むような努力や膨大な練習量がある。そして華やかな大舞台で繰り広げられる熱戦の中で、名勝負が生まれる。振り返れば、過去に「世紀の大勝負」とか「伝説の一戦」とか呼ばれる試合が幾多もあった。今日は、私がセレクトした、伝説と呼ぶに値する一戦を紹介したい。

 <プロレス>

 アントニオ猪木対モハメドアリを誰もが思い浮かべるが、私はこの一戦を小6の時にLIVEで見たが、期待はずれだった。アリ圧倒的有利のルールの中、猪木がとった作戦は、マットに仰向けに寝そべって、組み合うことが無い超消極的戦法。そしてアリキックという言葉が誕生した通り、相手の脚を集中して狙うキック。私はこれを伝説とは思わない。逆に、日本のプロレスが分裂する前、猪木とジャイアント馬場がタッグを組み、メキシコの空中殺法ミル・マスカラス&アリオン戦いで、マット上で卍固めとコブラツイストを並列でかけた瞬間のひとコマだ。

 <キックボクシング>

 沢村忠の真空飛び膝蹴りも伝説だが、私は東洋ウェルター級チャンピオンで必殺の回し蹴りで相手をマットに沈めた富山勝治と花形満の戦いを挙げたい。1972年 日本ウェルター級王座決定戦でのひとコマで、名試合との呼び声の高い一戦だ。

 1970年代は大相撲、プロレス、キックボクシングが三大格闘技だったように思う。

 <柔道>

 山下対ラシュワンも捨てがたいが、私は敢えてバルセレナオリンピックの古賀稔彦を挙げたい。バルセロナ入りしてから、吉田秀彦との稽古中、足に重傷を負った。出場が危ぶまれたが、強行で出場し、吉田の声援を受けながら逆境からの金メダルを獲得したシーンだ。

 <プロ野球>(巨人・阪神戦)

 V9がかかった甲子園球場での巨人阪神戦。前日、ナゴヤ球場で阪神が中日に敗れたことで、巨人が最終戦で阪神に勝てば優勝、V9達成という試合になった。前日、試合を行っていたナゴヤ球場のレフトスタンドのすぐ先を、新幹線で移動中の巨人ナインが素通りして行った。そして明けた決戦結果は予想外の一方的な展開。先発堀内は、阪神に二塁を踏ませない完璧な内容でリリーフした高橋一三の力投もあって完封継投。巨人がV9の大金字塔を樹立した。
 私は当時、小学生で、生放送の画面を食い入るように見ていた記憶がある。

 ほかにも楽天が日本一に輝いた2013年の田中将大のリリーフシーンが忘れられない。

 <ボクシング>

 私が真っ先に挙げたい日本人の世界チャンピオンは、ファイティング原田でも具志堅用高でもない。伝説のチャンピオンと呼ばれた「大場政夫」だ。大場はタイの挑戦者・チャチャイチオノイとの5度目の防衛戦に臨み、1Rにダウンを奪われ、右足をねん挫し、劣勢に立たされながらも、不屈の闘志で12Rに逆転KOでタイトルを防衛した。その三週間後、彼は自慢のスポーツカーで首都高速を走行中、スピードを出し過ぎてカーブを曲がり切れず外壁に激突し、反対車線に飛び出し大型トラックと正面衝突し、即死でこの世を去った。

彼の人生は波乱に富んだもので、輝かしさとともに事故で無くなった悲劇のヒーローという印象が濃い。太く短く駆け抜けた人生だった。

 <大相撲> 北の湖vs貴ノ花 (昭和50年三月場所・優勝決定戦)   

 私が伝説の一番だと今でも思っているのは、初めて国技館(あの頃は蔵前)に座布団が舞った伝説の一戦だ。それは当時最強横綱の名声を欲しいものにしていた大横綱。北の湖と小兵ながら人気抜群の大関の貴ノ花の一戦だ。実は千秋楽までもつれこんだ優勝争いで、本割で貴ノ花は北の湖に敗れた。そして優勝決定戦となった。この大一番に勝った貴ノ花は初優勝を遂げた。強すぎて嫌われることの多かった北の湖を下しての悲願の優勝に、日本中が沸き返った瞬間だった。

 さて、私が記憶しているのは昭和の名勝負が多い。冒頭でも書いたが、スポーツは筋書きのないドラマなので、何が起きるかわからないわくわく感と、勝利のために真剣に取り組む姿勢が人を惹きつけ、感動を巻き起こす。今日挙げたのは、ほんの一部であり、機会があれば、他のスポーツ、例えばバレーボール、スキーのジャンプ、競泳、テニスなど多種多様にある伝説の一戦を続編としてお送りしたい。

 記事作成:1月7日(土)

2017年1月22日 (日)

期待の若手① 「大相撲の救世主」

 当ブログでは、これまで「伝説の男」というシリーズ記事を不定期に掲載してきたが、今回は「期待の若手」と題し、今後、絶対人気が出るであろうアスリートや注目株の俳優(女優)をクローズアップしてお送りしたい。

 今回は、来場所、新入幕が予想される「宇良」という力士を取り上げたい。彼は小柄ながら、土俵際の粘り腰やかつて「技のデパート」と言われ、超人気者だった「舞の海」を髣髴させるような力士だ。

 まず、私が彼を取り上げた理由がよくわかる動画をどうぞ!

 バック転や首で前転を繰り返しできる相撲取りなんて初めて見た。土俵際にめっぽう強く、スゴ技を連発する。

 驚異の粘り腰

 土俵際、追い詰められてえび反り状態になりながらも、寸でのところで踏みとどまり、逆襲をかけ、見事「渡し込み」で勝利。驚異の粘り腰は、舞の海とか智ノ花を彷彿させる。

 小兵が巨漢力士を倒す醍醐味が大相撲であり、様々な技を繰り出し、土俵になぎ倒す様は圧巻。そんなスケールの大きい相撲が真骨頂の小柄力士が「宇良」だ。彼のプロフを見てみたい。

 <宇良>

Ura 本名:宇良和輝(うら かずき)1992年6月22日生まれの24歳。大阪府寝屋川市出身。木瀬部屋所属。最高位は東十両筆頭(2016年9月場所)。血液型はB型。
 結構、歳が行ってると思ったら、学生相撲出身。推薦で関西学院大学教育学部に進学し、1年時に全国学生相撲個人体重別選手権65kg未満級で優勝、3年時から肉体改造に取り組んだこともあって、4年時に無差別級で3位に入った。
 2013年にはロシアで開催された第2回ワールドコンバットゲームズ相撲軽量級で世界一になった逸材。
 レスリングの経験を活かした撞木反り、居反り、足取りなどの珍しい技を繰り出す取り口の相撲は“アクロバット相撲”と評され入門前から注目されていたことから、入門記者会見では報道陣100人が詰めかけた。

 デビューは2年前の2015年5月場所。序の口でいきなり全勝優勝し、その大物ぶりを発揮。
続く夏場所でも7戦全勝。僅か2場所で三段目昇格。9月場所でも5勝2敗で勝ち越し、すぐに幕下昇進。11月場所では7戦全勝した。
 さらに2016年1月の初場所でも幕下8枚目で6勝1敗、続く春場所で幕下2枚目で6勝1敗で関取(十両)昇進を果たした。幕下通過までデビューから38勝4敗の圧倒的な強さで、番付をみるみる上げた。
 そして翌5月場所では、いきなり二桁勝利となる10勝(5敗)をマークして大器をうかがわせる。
 翌7月場所も十両8枚目で11勝4敗の好成績。しかし幕内入りのかかった翌9月場所で6勝と初の負け越しを経験。番付を十両五枚目に下げたが、年末の九州場所で8勝7敗と再び勝ち越しを決めた。
 2017年初場所(今場所)でも好成績を収め、来場所は待望の中入りを果たすだろう。

 彼は「相撲道」の固定概念を覆すような取り組みが持ち味なのは、「舞の海」と同様、血液型がB型だからだ。この型は、型にはまったオーソドックな相撲を嫌い、オンリーワンを追求し、自分スタイルを築く。奇襲戦法などセオリー無視で、ゆえに見ていて面白いし、相手は何を仕掛けて来るかわからない不安に駆られる。毎日、決まり手が違うので、わくわく感は半端ないし、人気が出る。若くして才能を発揮し、プレッシャーを楽しみに変えてしまう天賦の才能の持ち主。

 続いて、実際のB型らしい彼のユニークな取り口と珍しい決まり手を幾つか動画で紹介したい。たぶん、この映像を見ただけでも個性的で、ファンが増えるに違いない。

  <腰投げ>

 【土俵際の魔術師 宇良】2016大相撲夏場十日目 十両、宇良対出羽疾風戦 宇良は大技の「居反り」が失敗するが瞬時の切返しで十両では6年ぶりの腰投げで土俵際の大逆転勝利!

  <たすき反り>

 立ち合い、天風、左が入り、一気に押す!宇良、天風のわきの下をくぐり、反る!一瞬、居ぞりが決まったかと思ったが、場内のアナウンスは「たすき反り」!

 首ひねり、ひっかけ、渡し込み

 

 どーです?魅力いっぱい夢いっぱいの「舞の海」以来の待望の期待大の力士という意味がわかったでしょうか?
 特に、私が彼を推したい理由は、番付最上位を望めるだけの素質がある彼は、モンゴル出身ではない、純国産力士という点だ。生粋の関西人で、才能とぜひ、大成してほしい。今後、テレビ各局のスポーツ番組では、ぜひ「今日の宇良」という特集コーナーを組んでほしいくらいだ。ますます彼の一挙手一投足から目が離せない!

 今回のテーマ記事ですが、これからも不定期ながら、期待の若手を見つけ、シリーズ化してお送りしたいと思います。

 記事作成:1月16日(月)

 

2016年12月 1日 (木)

スポーツ大会最多優勝者(チーム)ランキング

 スポーツは健康の増進につながり、運動不足解消や肥満予防のためにも最適だ。その種類は多種多様。そして様々な場所でその技を競う競技大会も催されている。その最高峰はオリンピックで、各国から選りすぐりの選手が一堂に会し、その技術力を競い合う。
 私はスポーツは見るのもやるのも好きだが、これまでいろいろなプロのスポーツに接してきて、果たしてそのNo.1は誰なのか、あるいはチームはどこなのか気になっていた。そこで今回は、有名な国内、そして主要な国際大会での最多優勝回数ランキングで表してみた。

 1 センバツ高校野球 最多優勝校

 1位 中京大中京(愛知) 4回
 1位 東邦(愛知)      4回
 3位 県岐阜商(岐阜)   3回
 3位 広陵(広島)      3回
 3位 PL学園(大阪)    3回
 3位 横浜(神奈川)    3回
 3位 箕島(和歌山)    3回

 2 夏の甲子園 最多優勝校

 1位 中京大中京(愛知) 7回
 2位 広島商(広島)    6回
 3位 松山商(愛媛)    5回
 4位 PL学園(大阪)    4回
 4位 大阪桐蔭(大阪)   4回
 6位 龍谷大平安(京都) 3回

 センバツも夏の高校野球も古豪と呼ばれる学校が上位を独占。中京大中京は、前身が中京商業だった。やはり甲子園は伝統あるチームが多く出場している。

 セ・リーグ 最多優勝チーム

 1位 巨人  36回
 2位 中日   9回
 3位 ヤクルト 7回   

 伝統の巨人・阪神戦というが、歴史が古いというだけ。強豪同士という意味ではなくなった。
現に広島が6回、阪神はたったの5回しかリーグ優勝していない。つまりセ・リーグでは5番目。阪神ファンは期待を裏切られても根気強く応援している。もう少し優勝を本気で目指してほしい。

 パ・リーグ 最多優勝チーム(前身を含む)

 1位 西武     21回
 2位 ソフトバンク  17回
 3位 オリックス  12回

 西武は前身の西鉄時代から最強だった。広岡監督が立て直し、同じ巨人OBの森監督が盤石なものにした。ソフトバンクは南海・ダイエーが強かった。また、オリックスはイチローの影が濃いが、やはり昭和の頃の阪急が回数を稼いだ。福本、長池、加藤、山田、足立、山口、マルカーノ、ウィリアムスなど最強軍団で、黄金時代を築いた。

 日本シリーズ制覇

 1位 巨人  22回(あくまで昭和時代の貯金がものを言っているだけ)
 2位 西武  13回(1980年代以降は、最強チームでスター選手揃い)
 3位 ソフトバンク 7回(鶴岡南海時代、ダイエー、ソフトバンクと常勝チームを築いた)
 4位 ヤクルト 5回(やはり広岡監督が強くし、野村監督が盤石にした)
 5位 オリックス4回(上田阪急、仰木監督)
 5位 ロッテ   4回(金田・バレンタイン監督)

 ドラフト制度の導入により、戦力の均衡化が図られて以降、巨人の優勝はめっきり少なくなった。いかに原監督が頑張ったかがわかる。また、他球団では、落合、星野、ヒルマン、秋山監督は名監督の部類に入ると思う。

 ワールドカップ男子サッカー優勝国

 1位 ブラジル   5回
 2位 イタリア    4回
 2位 ドイツ      4回 
 4位 ウルグアイ  2回(第1回・第2回開催のみ優勝で出場国が少なかった)
 4位 アルゼンチン   2回

 ブラジル、イタリア、ドイツはW杯常連。やはりプロサッカーリーグがある国は強い。

 バレーボールW杯優勝国

 男子                女子
 1位 ロシアソ連  6回     1位 中国   4回 
 2位 アメリカ   2回      1位 キューバ 4回
 2位 ブラジル   2回      3位 イタリア 2回

 ウィンブルドン(テニス)最多優勝者

 男子                女子
 1位 フェデラー 7回     1位 ナブラチロワ  9回 
 2位 サンプラス  7回     2位 グラフ      7回
 3位 レンショー  6回      2位 セリーナウィリアムス 7回
 4位 ドハティー  5回      4位 ビリージーンキング 6回
 5位 ボルグ   5回        4位 スザンヌ・ランラン  6回

 マスターズ(ゴルフ)最多優勝者

 1位 二クラウス    6回
 2位 パーマー      4回
 2位 タイガーウッズ 4回
 4位 ゲーリープレイヤー 3回
 4位 デフレー     3回
 4位 サムスニード   3回
 4位 ニックファルド  3回
 4位 フィルメケルソン    3回

  往年の名選手が上位を独占。ウッズも最近優勝回数がめっきり減った。離婚調停や訴訟などプライベートでのゴタゴタが痛い。

 オリンピックサッカー最多優勝国

 1位 ハンガリー   2回
 2位 イギリス    2回
 2位 ウルグアイ    2回
 2位 ソ連ロシア   2回
 2位 アルゼンチン  2回 

 女子は5大会のみ実施でアメリカが4回優勝

 夏季オリンピック最多金メダル獲得者 

 1位 フェルプス   23個(米国) 競泳
 2位 ラリサ・ラチリナ 9個(ソ連) 体操
 2位 バーヴォ・ヌルミ  9個(フィンランド)陸上
 2位 マークスピッツ  9個(米国) 競泳
 2位 カール・ルイス  9個(米国) 陸上
 2位 ウサイン・ボルト 9個(ジャマイカ)陸上

 夏季オリンピック日本人最多金メダル獲得者

 1位 加藤沢男  8個 体操     8位 監物泳三  3個 体操
 2位 中山彰規  6個 体操     8位 内村航平  3個 体操
 3位 小野 喬   5個 体操     8位 野村忠宏  3個 柔道
 3位 遠藤幸雄  5個 体操     8位 吉田沙保里 3個 レスリング
 3位 塚原光男  5個 体操
 6位 北島康介   4個 競泳
 6位 伊調 馨   4個 レスリング

 冬季オリンピック最多金メダル獲得者

 1位 ビョルン・ダーレン  8個  ノルウェー バイアスロン
 1位 ビョルン・ダーリ  8個  ノルウェー クロスカントリー
 3位 マリット・ビョルゲン    6個  ノルウェー クロスカントリー
 3位 エゴロア      6個  ロシア    クロスカントリー
 3位 ヴィクトル・アン  6個  ロシア    ショートトラック
 3位 ソディア・スコブリコーワ 6個  ソ連      スピードスケート
 7位 クラウディア・ペレーシュタイン 5個 ドイツ   スピードスケート
 7位 ラリサ・ラズチナ   5個  ロシア    クロスカントリー
 7位 クラス・ツンベルグ 5個  フィンランド スピードスケート 
 7位 トーマス・アルスゴール 5個  ノルウェー  クロスカントリー
 7位 ボニー・ブレア   5個  アメリカ    スピードスケート
 7位 エリック・ハイデン 5個  アメリカ    スピードスケート

 冬季オリンピック日本人最多金メダル獲得者

 1位 荻原健司 2個 ノルディック複合
 1位 河野孝典 2個 ノルディック複合

 3位は以下の12人で各1個

 笠谷、三ヶ田、阿部、清水、里谷、船木、岡部、斉藤、原田、西谷、荒川、羽生

 さて、長々と書き綴ったが、各スポーツにおいて、優勝者のリストをまとめてお送りしてみた。本日挙げた選手やチームは、全国大会や国際大会において頂点を極めたトップアスリートであり、 最高の賛辞を持って受け止められるべきヒーローだ。
 先駆者がいて、それらをリスペクトし、彼らを目標に頑張っている選手がいるということも事実だ。こういう記事を書くと、そのアスリートの偉大さが身にしみて感じる。
 今、日本で注目のアスリートとなれば、錦織圭、大谷翔平、内村航平、松山英樹、高梨沙羅、羽生結弦らが真っ先に思い浮かぶ。国際大会で活躍できる日本を代表するアスリートと言える。ぜひ、少年少女に夢を与え続ける存在であってほしいと願う。

 記事作成:11月15日(火)  

2016年9月23日 (金)

美しきアスリートたち第六弾

 10ヶ月ぶりにこのシリーズ記事を書くこととなった。それは今年がオリンピックなどスポーツイヤーで、美人女性アスリートたちのテレビへの露出度が高かった。近年のスポーツ界は、ビジュアル系にも、目を惹くような美しすぎる人が多く、「えっ、こんな綺麗な人がこのスポーツをやるの?」と驚かされることがある。特に、女子プロゴルフ界は美人が豊作だ。
 では、私が美人アスリートだと思う方々を5人紹介したい。

 森 美穂(女子プロゴルフ)

 1992年12月19日生まれの23歳。三重県出身。福井工大附属高校卒。京セラ所属。
 身長157cm、体重50kg。血液型はA。趣味は釣り。

 2005年、12歳で中部ジュニア(12歳~14歳の部)で優勝し、その後は同大会を3連覇。07年には14歳で国内女子ツアー「フジサンケイレディスクラシック」に出場。予選落ちとなったが、この頃から注目を浴びる選手となる。07年、08年、10年ナショナルメンバーに加わり、09年には「日本女子オープン」で23位タイに入る活躍を見せた。2011年にアマ資格を放棄してプロ宣言した。15年7月に5度目の挑戦でプロテストに合格した。

 出口クリスタ(柔道)

  1995年10月29日生まれの20歳、長野県塩尻市出身。階級は57kg級。身長160cm。血液型はO型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は大内刈。父親がカナダ出身のハーフ。

 野瀬 瞳(競泳)

 1988年12月17日生まれの27歳。競泳選手。専門は平泳ぎ。 スポーツクラブフェニックス(大野城スイミングクラブ部門)所属。

  •  2009年、北九州市の九州共立大学経済学部に入学。直後の日本選手権では50mでは優勝(日本新記録)、100mでは2位、200mでは3位となり、世界水泳ローマ大会の出場切符を手に入れた。
  •  馬淵優佳(飛び込み)

    https://www.youtube.com/watch?v=nwIYGZyVghE

     1995年2月5日生まれの21歳。飛込競技選手(JSS宝塚所属)。 兵庫県宝塚市出身。 両親は中国出身。父は寺内健を育てた馬淵崇英。身長163cm
     3歳で水泳を、6歳から飛込競技を始めた。
     2012年、インターハイの板飛び込みで3連覇を果たす。
     立命館大学スポーツ健康科学部4回生。

     藤田光里(プロゴルファー)

     1994年9月26日生まれの21歳。身長165cm、体重56kg、血液型はO型
     飛鳥未来高校卒業。レオパレスリゾート・グアム所属。趣味は音楽鑑賞とショッピング。

     グアム島にあるレオパレス21所有の施設レオパレスリゾート・グアムを練習の場としている。2015年1月からはレオパレスリゾート・グアムに所属先を変更したが、レオパレス21が所有する、ゴルフ場、ホテル、コンドミニアム、スポーツ施設を持つ、総合リゾート施設であり、練習の場としても最高の環境である。実妹(藤田美里)もゴルフ経験があり、ファッションモデルとして活動していて姉の試合にはキャディーを務める時もある。
     2015年4月のフジサンケイレディスクラシックでは最終日最終組で回り、6人が通算6アンダーで並ぶという混戦の中、最終18番ホールでのグリーンエッジからの第3打をパターで打ち、バーディーを獲って通算7アンダーとしてツアー初優勝を果たした。

     美人の妹「美里」はコチラ

     さて、今回も懲りもせずにこのテーマで記事を書いたが、最近日本では、男性アスリートよりも女性アスリートが国際大会で好成績を挙げるケースが多い。それだけ注目度も増すのだが、それが美人という付加価値が付くと大注目で、その競技自体が脚光を浴びることとなる。今年のリオ五輪でも、競泳の池江選手や新体操の畠山選手のように、美人というだけで話題を独占してしまう。かつてもバドミントンの潮田玲子やシンクロの青木愛、体操の田中理恵、ビーチバレーも浅尾美和などが注目された。どうやら美人は徳らしい。

     記事作成:9月18日(日)

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