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スポーツ

2018年2月25日 (日)

冬季オリンピックをぜひ福島で!

 今年の「平昌オリンピック」は、ロシアが国家ぐるみの違法薬物問題で出場が見送られ、個人参加となったこともあり、日本勢には追い風となり、メダル獲得を量産した。羽生結弦選手の劇的な復活劇、小平奈緒選手の国境を越えた友情ドラマ、女子団体パシュートの見事なオリンピックレコードでの金、そして女子カーリングLS北見の話題など、見ごたえが存分にあった。

Figure Kodaira2

 なんでもロシア(ソチ)、韓国(平昌)に続き、次回4年後の冬季オリンピックは、またしても同じ大陸にある中国(北京)を会場に行われるという。欧州はトリノ以来、久しく開催していない。冬季五輪というと、どうしても開催国が北半球に限られてしまう。また大会運営能力のある国がどうしても優先される傾向にある。

 ここ日本では1972年の「札幌」、その26年後の1998年には「長野」を舞台に華々しく開催された。考えてみれば、「日の丸飛行隊」の表彰台独占から46年、長野からは早いもので20年が経過している。次回の2022年がすでに北京に内定していることからすれば、その次(2026年)の五輪はおそらく北米か欧州だろうが、その次の2030年は日本で開催されてもなんら不思議ではない。長野から32年が経過していることになるし、日本でなら過去の実績から考えても、十分な運営能力はある。

Sapporo Nagano_olimpics

 そこで提案したいのは、2030年は我が福島県で冬季オリンピックを開催できないものか?という点だ。

 2020年の東京オリンピックからも10年後にあたる。財源は国家予算で賄ってほしい。戦前、あれほど不況と不平が渦巻いていた平昌五輪でも、いざ開催されてみれば、世界各国から観客が詰めかけ、また観光収入は相当なものになる。また、放送権料も財源に含めれば、決して実現不可能な無謀な計画ではない。かつてオリンピック景気で沸いたように、インフラ整備が期待できるし、その経済効果は計り知れない。長野で出来たのだから福島でできない理由などない。

Olympics

 また、福島で開催したい大きな理由は、2011年3月に世界にあれほど衝撃を与えた「東京電力福島第一原子力発電所事故」に見舞われた当地で、もしオリンピックが実現したら、日本の修正力(復元力)を国内外にアピールできる絶好の機会だ。

 日本が名実共に震災や原発事故から完全に復興したと全世界に発信できると思うのだ。かつて1945年の敗戦で、打ちひしがれていた国民が、そのわずか19年後に行われた東京オリンピックで復活と復興を果たしたアピールしたことと同様、震災から19年後にあたる2030年に、原発事故に見舞われた福島がこれほどの復興を成し遂げ、世界中からの支援によって立ち直り元気になったことをアピールできる場にしたい。

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 特に福島県の隣県の海域での水産品は、海洋汚染の危惧からか、外国への輸出でいわれなき制限を受けている。特に日本海らの海産物の輸に厳しい対応をしているのは他ではない韓国だ。日本嫌いはわかるが、正当な理由もなしに、原発事故をネタにどの国よりも先陣を切って日本バッシングを繰り広げ、日本産水産物の輸入禁止措置について日本の勝訴とした世界貿易機関(WTO)紛争処理小委員会(パネル)の判断を不服として、最終審に相当する上級委員会に直ちに上訴する方針を明らかにした。
 国際司法の判断にも反旗を翻し、徹底抗戦を叫んでいる。こういうクレーマーを黙らせるためにも、自分の目で見て味わって安全性をわからせるしかない。そのためにも是非、被災県である福島県で世界的なスポーツイベントを開催する必要性があるのだ。

 幸いにして、我が福島県はハード面も充実している。フリースタイルのワールドカップ会場にも使用されている「リステル猪苗代」や磐梯山周辺には、アルペン競技も実施可能な広大なエリアのスキー場が数多くある。
 ジャンプ台は建設が必要になるが、難しい場合には、長野の白馬のジャンプ台や蔵王のシャンツェを間借りするのも一興だ。リュージュやボブスレー会場や巨大アイスアリーナ(アイスホッケー・フィギュア・スピードスケート)は建設が必要だが、これも既存の施設を利用するなど分散型にすれば何とかなるのではないか。
 それにあの白馬のノーマル&ラージヒルのジャンプ台のその後の利用価値が低く、あまりにも勿体無い状況にあるのもリカバーできる。

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 そして磐梯山エリアの点在するスキー場を、練習会場やレース会場にうまく利用できれば、大会終了後の集客にも繋がると思う。
 また、明日を担うチビッコアスリートたちのモチベーションアップにもなる。今から14年後であれば、準備も十分間に合うし、現在、小学生たちが今回のトップアスリートたちの演技や頑張りを見て、自分もいつかあの最高の舞台に立ちたいと思うだろう。選手の強化にも役立つし、スポーツ界全体のレベルアップにもひと役買うことになる。

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 そして何より訪問客や観客がツアーを組んで、冬の会津や喜多方を観光し、その魅力を存分に楽しんで欲しい。雪をかぶった大内宿や鶴ヶ城、蔵の街喜多方でラーメンを食すのも魅力的だ。猪苗代湖越しに望む磐梯山の景観は圧巻だし、檜原湖でワカサギ釣りを楽しむのもいいだろう。5年連続日本一の日本酒を始め、こづゆやてんぷら饅頭、味噌田楽、高遠そばなど外国人にもウケる食材もふんだんにある。

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 福島県民が自尊心と誇りを取り戻す契機になるものと期待できる。そして日本中がスポーツを通じて気持ちがひとつになる、そんな夢をぜひ思い描きたいと願う。

 言うに及ばないが、オリンピックはスポーツの祭典であり、全世界の人々が特別な関心を持って一堂に会するビッグイベントだ。情報発信はもとより、強大な日本の底力を全世界に向けて発信する絶好の機会になると思う。

 最後に、福島県でオリンピックを開催する場合のメリット・デメリットを挙げたい。

 「メリット」

 日本人選手の競技力向上とモチベーションアップ

 巨額な経済効果(観光収入や付加価値が見込める)

 人的交流が活性化

 福島県産品や名所のPR

 福島空港の増便(開催中の国際空港化)

 移動が楽(高速交通網が整備されている)でさらなるインフラ整備が進む

 風評被害の払拭(安全を己の目で確認してもらえる)


 「デメリット」

 大会招致や会場建設にかかる巨額の財源の確保

 開発による自然環境破壊

 最後に、私の大好きなPVをリンクして結びとしたい。福島のPRになれば幸いです。

 記事作成:2月22日(木)

 

2018年1月26日 (金)

NHKオリンピック公式テーマソング集

 今年はオリンピックイヤーだ。マイナス15℃以下になる極寒の地「平昌(ピョンチャン)」で開催される。国家ぐるみのドーピング疑惑でロシアが国としての参加が見送られ、また、チケット売れ残り問題や北朝鮮の突然の参加表明で、大会本部が右往左往している状況が見て取れる。一時期は、開催国「韓国」の財政難や大会不参加が続出し、大会そのものが中止に追い込まれる懸念さえあった。
 しかし、政治問題を排除し、純粋にスポーツの祭典としての国際舞台であることを念頭に置けば、これは平和の象徴であるし、国家間でのスポーツ対決は見ごたえがある。私は未だに韓国の日本選手に対するぞんざいな扱いや君が代演奏と日の丸掲揚に対し、反日行動に出る危惧を抱いている。まして禁止薬物を混入させ、失格に追い込む不正行為を企んだり、卑劣な手段で日本人選手を陥れるのではないか、また政治的な主張をスポーツに持ちこむ愚かな態度に出るのではないか、そういった危険を常に考えてしまう。

 そうした危惧は別として、これまでオリンピックの中継やドキュメント番組で使用されるテーマ曲は秀逸している。特にNHKは秀でている。選曲が抜群にいい。リオの際は安室奈美恵の「HERO」だった。必ず、オリンピックの大会が終了すると、使用されたテーマ曲が必ずといって良いほど大ヒットしてきた。2004年のアテネ五輪では「ゆず」の「栄光の架け橋」、2012年開催のロンドン五輪では、「いきものがかり」の「風が吹いている」がそうだった。

 努力に努力を重ね、練習に明け暮れた日々。やっと手にしたオリンピック代表の座。絶対にお目にかかれないアスリート達の陰での血の滲むような努力の日々をこうした曲が回顧し、その頑張りと栄誉を讃える。涙なくしては見られない裏ドラマだ。

 さて、今冬の「平昌オリンピック」でNHKが選んだテーマ曲はSEKAI NO OWARIが手がけた「サザンカ」だ。冬の厳しい寒さに赤い花を咲かせる山茶花をモチーフに、大雪に見舞われても必死で咲き誇る深紅の花々を選手にたとえたと容易に想像がつく。

 サンデースポーツで紹介された時、思わず涙が出そうになった。アスリート達の必死の練習風景や試合での真剣なまなざし、そして立ち居振る舞いに感動せずにはいられない。

 ではここでNHKのオリンピック公式テーマソングの一覧を提示したい。下記の「Wikipedia」の記事をどうぞ!→ コチラ

 冬季オリンピックはかつて札幌五輪の「虹と雪のバラード」が有名なテーマソングだが、これは大会歌であって、NHKに特化したものではなかった。

 <冬季オリンピックNHK公式テーマ曲のリストと映像>

 1994年 リレハンメルオリンピック・・・「遥かな人へ」 高橋真梨子

 1998年 長野オリンピック・・・「SHOOTING STAR」  F-BLOOD

   2002年 ソルトレイクシティ・・・「果てしなく続くストーリー」 MISIA

 2006年 トリノ・・・・「誓い」 平原綾香


 
 2010年 バンクーバーオリンピック・・・「BLESS」 L'Arc~en~Ciel

 2014年 ソチ・・・「今、咲き誇る花たちよ」 コブクロ

 1992年のアルベールビルオリンピックまでは、NHKでは特にテーマ曲は設けていなかった。
 どうです?懐かしいでしょう。その時節、活躍していた選手たちの名シーンが浮かんできそうだ。いずれも心に残る名曲揃いだ。特にサビの部分は圧巻だ。

 さて、間もなく開催される「平昌オリンピック」。関心事はメダル獲得総数と金メダル数だと思うが、あえて私はその予想を回避したい。なぜなら一生懸命頑張って来たアスリートたちにズブの素人が予測するのは失礼だと思うからだ。もちろん各代表選手は、一番いい色のメダル獲得を目指して練習に明け暮れているのは間違いないが、今回のオリンピックはメダルに関係なく、筋書きのないドラマだからこそ感動が感動を呼ぶ。選手たちの頑張っている姿をしっかりとこの目に焼き付けて心の底から大きな声で応援したいと思う。

  記事作成:1月23日(火)

2017年8月22日 (火)

美しきアスリートたち第七弾

 約1年振りにこの記事を書く。昨年オリンピックイヤーが終わり、2020年東京五輪に向けて、何かと若手アスリートが脚光を浴びる時代だ。特に、美人アスリートは注目される存在だ。今日は、私の個人的な偏見と好みで、美しきスポーツ選手を取り上げたい。

 坂本詩織里プロボウラー

 8月13日(日)夜にBS日テレで放送している番組を観てハッと来た美人プロボウラーが坂本詩織里プロだった。ショートヘアーが良く似合い、スラリと伸びた美脚と色白な肌に思わず息をのんだ。この世界には美人が多いとは知っていたが、こんなに可愛くて美人な選手がいたとは・・・。

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 <プロフ>

 1988年4月6日生まれの29歳 血液型はB
 JPBA第48 期生。ライセンスNo.529(2015年交付)。東京都出身。フリー。第2回次世代P★リーガー発掘プロジェクトに合格。Pリーグのキャッチフレーズは「ロシア帰りのプリマボウラー」。
 発掘プロジェクトの合格後に、日本プロボウリング協会のプロテストに合格してプロ入りを果たした。Pリーグは第6シーズンでデビュー、6ショット落ちでシーズン第2戦の第59戦がデビュー戦となったが、小林姉妹に勝利し、デビュー戦を飾った。 初優勝は初の6ショット落ち以外で出場停止明けの第63戦で飾った。第2次発掘プロジェクト出身者では一番乗り。プロ入り後の公式戦は、ROUND1CupLadies2015で初めて予選を通過した。
 
  公式HP http://ameblo.jp/5962314/

 その他の映像

https://www.youtube.com/watch?v=_eUbO-qhIZk

https://www.youtube.com/watch?v=ZMXNMppUmO4

https://www.youtube.com/watch?v=sxtJECDPcv0

https://www.youtube.com/watch?v=m6NOKpzz0F0

https://www.youtube.com/watch?v=Jtu-mHw5OkM&t=24s

https://www.youtube.com/watch?v=ywJmP76JAg0

 顔が福島放送アナウンサーの「猪俣理恵」さんに似ている気がする。ほかにも酒井美佳プロ、名和秋プロは美人女子ボウラーとして通っている。

記事作成:8月13日(日)

2017年2月10日 (金)

「悪たれ小僧」と呼ばれた神童たち

 「憎まれっ子世に憚る」という言葉があるが、それを地で行く者が実在する。かつて、マナーやスポーツマンシップとはおよそ無縁な立ち居振る舞いをしながら、実力が抜きん出ていたトップアスリートがいた。礼儀や行儀などの基本精神が欠如していながら、世界大会でその才能を遺憾なく発揮した選手は、固定概念や既定概念を打ち破り、マイペースでふてぶてしいまでの振る舞いで、嫌われることも多かったが、実力が半端ない。歯に衣を着せぬ言動で、しばし物議を醸すが、他人と同じことをしていては、決してトップ選手になれないことを暗に示しているようにも思える。今回はそうした「悪たれ小僧」たちを取り上げたい。

 ジョン・マッケンロー(テニス)

アメリカの男子プロテニス選手。左利き。身長180cm、体重75kg。ATPツアーでシングルス77勝、ダブルス71勝を挙げ、シングルス・ダブルスとも世界ランキング1位になった数少ない選手のひとりである。グランドスラムではシングルス優勝7回・ダブルス優勝9回・混合ダブルス優勝1回の計17回の優勝を飾った。ダブルスでは旧友ピーター・フレミングと組んで57個(うち4大大会7勝/同一ペアの優勝記録としては歴代2位)のタイトルを獲得した。マッケンローは試合中に審判の判定に納得しない場合は、判定にクレームをつけたり、審判に暴言を発する言動が頻繁にあったことから“悪童マッケンロー”と呼ばれた。
 血液型はB型

 悪ガキがそのまま大人になって、ルールもマナーも知らずにプレーしている印象だ。

 朝青龍(大相撲)

 本名は朝青龍明徳。モンゴル国ウランバートル市出身の元大相撲力士、第68代横綱

 無類の強さで横綱まで駆け上がり、優勝を25回成し遂げた。通算成績も669勝173敗。勝率は.795を誇った大横綱。しかし、土俵態度の悪さや度重なる歯に衣を着せぬ言動と横綱らしからぬ行動が相次ぎ、その都度批判を浴びた。

 2007年には「左肘内側側副靭帯損傷、左尺骨神経障害、急性腰痛症、第5腰椎疲労骨折で約6週間の休養、加療を要する」とした診断書を協会に提出、夏巡業(8月3日から20日まで)の不参加を届け出たが、当人がモンゴルで中田英寿らとサッカーをしている映像が同日報じられ、仮病疑惑が噴出。巡業部は帰国後の巡業参加を拒否する方針を固め、8月1日には日本相撲協会から2場所出場停止、減俸30%4ヶ月、11月場所千秋楽までの謹慎の処分を受けた。
 2010年には1月場所中の7日目(1月16日)未明、泥酔して暴れる騒動を起こしたと写真週刊誌に報じられ、同1月場所の千秋楽翌日の1月25日に、日本相撲協会の武蔵川理事長から厳重注意処分を受けた。
 こうした横綱の品格を汚す行動が元となり、角界を引退した。血液型はO型 

 堀内恒夫(プロ野球)

 新人イヤーに、公式戦初球をわざとバックネットにぶつけ、緊張を取り去り、その後、無傷の13連勝負けなし。天狗になり、「小天狗」とか「悪太郎」との異名をとった。寮の門限破りなどを繰り返す悪態に、王貞治さんがキレて彼をビンタしたエピソードはあまりにも有名。ろくに練習せず、才能だけでやって来たと豪語するなど、破天荒な生き方を貫いた。V9に貢献した功績は認めるが、その鼻持ちならない言い方で、解説者としても好き放題言っていた。監督としては最低の成績に甘んじた。それでも参議院議員が務まるのだから、政治も地に落ちたものだ。血液型はO型

https://www.youtube.com/watch?v=4kWf_gDS1Xg

 彼はO型の江川と同じで、ここ一番にしか燃えないタイプ。普段は手抜きで大舞台にならないと力が入らないタイプだ。

 國母和宏(ハープパイプ)

 国母は2010年のバンクーバー五輪の際、空港などで、腰パンやシャツをだらしなく出すなど服装の乱れを指摘された。その後「反省してまーす」とまったく反省の色がない小馬鹿にしたような会見をおこない非難を受けた。激怒したJOCの役員が厳重注意を行い、開会式に参加させない措置をとった。オリンピック前のW杯なんどで無類の強さを誇っていた彼だが、この騒動で実力を発揮できず、入賞すらできずに終わった。
 個性尊重のゆとり教育を受けてきた世代で、日本を代表して国際大会に臨むという意味を持たない考え方で、「強ければ格好など何をやっても許される」という甘い自己判断が招いた結果だった。血液型はAB

 亀田三兄弟

 私はどうも好かない。父親の「強ければ身なりや態度などどうでもいい」という教育方針が世間からバッシングを受けた。戦前の会見では、相手にガンを飛ばして挑発したり、とにかくやりたい放題。父親もセコンド免許剥奪やマナーが悪すぎ。
 いつも不可解な判定で王者になるなど、WBCやWBAと結託し、贈収賄でもしているのかと首をかしげる。私は歴代チャンピオンと比べても、強いという印象は無い。口ばかり達者で実力が伴わない「弱い犬ほどよく吠える」状態だと思っている。親父を含め、3兄弟ともにB型 マイペースで固定概念を嫌う典型例

 

 このような記事を書いてみたが、一見破天荒だと思うが、一般の人と同じことをしていては、絶対に日本一や世界一にはなれない。そういう意味では、子供たちのお手本にはなりにくいかもしれないが、多少マナーが悪くても、強くなるためには真面目でお坊ちゃまタイプの「A型優等生」ではダメで、「固定概念に縛られ、プレッシャーに負けてガチガチに固まってしまうよりかは結果を出せる分、スポ―ツ分野では大事かもしれない。

 記事作成:1月29日(日)

 

2016年9月23日 (金)

美しきアスリートたち第六弾

 10ヶ月ぶりにこのシリーズ記事を書くこととなった。それは今年がオリンピックなどスポーツイヤーで、美人女性アスリートたちのテレビへの露出度が高かった。近年のスポーツ界は、ビジュアル系にも、目を惹くような美しすぎる人が多く、「えっ、こんな綺麗な人がこのスポーツをやるの?」と驚かされることがある。特に、女子プロゴルフ界は美人が豊作だ。
 では、私が美人アスリートだと思う方々を5人紹介したい。

 森 美穂(女子プロゴルフ)

 1992年12月19日生まれの23歳。三重県出身。福井工大附属高校卒。京セラ所属。
 身長157cm、体重50kg。血液型はA。趣味は釣り。

 2005年、12歳で中部ジュニア(12歳~14歳の部)で優勝し、その後は同大会を3連覇。07年には14歳で国内女子ツアー「フジサンケイレディスクラシック」に出場。予選落ちとなったが、この頃から注目を浴びる選手となる。07年、08年、10年ナショナルメンバーに加わり、09年には「日本女子オープン」で23位タイに入る活躍を見せた。2011年にアマ資格を放棄してプロ宣言した。15年7月に5度目の挑戦でプロテストに合格した。

 出口クリスタ(柔道)

  1995年10月29日生まれの20歳、長野県塩尻市出身。階級は57kg級。身長160cm。血液型はO型。段位は初段。組み手は右組み。得意技は大内刈。父親がカナダ出身のハーフ。

 野瀬 瞳(競泳)

 1988年12月17日生まれの27歳。競泳選手。専門は平泳ぎ。 スポーツクラブフェニックス(大野城スイミングクラブ部門)所属。

  •  2009年、北九州市の九州共立大学経済学部に入学。直後の日本選手権では50mでは優勝(日本新記録)、100mでは2位、200mでは3位となり、世界水泳ローマ大会の出場切符を手に入れた。
  •  馬淵優佳(飛び込み)

    https://www.youtube.com/watch?v=nwIYGZyVghE

     1995年2月5日生まれの21歳。飛込競技選手(JSS宝塚所属)。 兵庫県宝塚市出身。 両親は中国出身。父は寺内健を育てた馬淵崇英。身長163cm
     3歳で水泳を、6歳から飛込競技を始めた。
     2012年、インターハイの板飛び込みで3連覇を果たす。
     立命館大学スポーツ健康科学部4回生。

     藤田光里(プロゴルファー)

     1994年9月26日生まれの21歳。身長165cm、体重56kg、血液型はO型
     飛鳥未来高校卒業。レオパレスリゾート・グアム所属。趣味は音楽鑑賞とショッピング。

     グアム島にあるレオパレス21所有の施設レオパレスリゾート・グアムを練習の場としている。2015年1月からはレオパレスリゾート・グアムに所属先を変更したが、レオパレス21が所有する、ゴルフ場、ホテル、コンドミニアム、スポーツ施設を持つ、総合リゾート施設であり、練習の場としても最高の環境である。実妹(藤田美里)もゴルフ経験があり、ファッションモデルとして活動していて姉の試合にはキャディーを務める時もある。
     2015年4月のフジサンケイレディスクラシックでは最終日最終組で回り、6人が通算6アンダーで並ぶという混戦の中、最終18番ホールでのグリーンエッジからの第3打をパターで打ち、バーディーを獲って通算7アンダーとしてツアー初優勝を果たした。

     美人の妹「美里」はコチラ

     さて、今回も懲りもせずにこのテーマで記事を書いたが、最近日本では、男性アスリートよりも女性アスリートが国際大会で好成績を挙げるケースが多い。それだけ注目度も増すのだが、それが美人という付加価値が付くと大注目で、その競技自体が脚光を浴びることとなる。今年のリオ五輪でも、競泳の池江選手や新体操の畠山選手のように、美人というだけで話題を独占してしまう。かつてもバドミントンの潮田玲子やシンクロの青木愛、体操の田中理恵、ビーチバレーも浅尾美和などが注目された。どうやら美人は徳らしい。

     記事作成:9月18日(日)

    2016年8月23日 (火)

    記憶に残るリオ五輪名場面ベスト10

     大きな感動を残してスポーツの祭典「リオオリンピック」は幕を下ろした。17日間にも渡る熱戦の中で、毎日深夜まで応援し、昼夜逆転で時差ボケや睡眠不足に陥った日本人は数多いと思う。前回のロンドン大会を凌ぐメダル獲得の快挙に、連日絶叫していたのは私だけではないだろう。4年後の東京オリンピックに繋がる日本勢の活躍にはまこと見ごたえがあった。そんなリオ五輪を振り返り、私が個人的に感動した記憶に残ったシーンをランキング形式で取り上げたい。

     1位 内村航平、大逆転の体操個人総合

     完璧な演技をしてもウクライナのオレグ・ベルニャエフ選手がその上を行く安定した演技で首位に立ち、最終の1種目を残して、逆転は絶望的と思われる0.9の差の2位。世界選手権6連覇中の絶対的エースの内村は、緊迫した場面でも動じず、最後の鉄棒で完璧な演技で3つの離れ業をすべて成功。着地も「王者の着地」と実況に言わしめたように、ピタリと止め、最終演技者のベルニャエフ選手の演技を待つ。そのベリニャエフは、守りに入って業の難易度を下げ、結果着地も乱れた。14.868をマークすれば優勝だった場面で14.800と伸びず、その瞬間、奇跡の大逆転金メダルを獲得することになり、オリンピック連覇を達成した。
     そして、話題となったのが、息子を溺愛する内村のお母さんの応援パフォーマンスや妻・千穂さんの美しさも際立っていた。

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     2位 卓球女子、苦しみながら銅メダル獲得

     日本のエース石川佳純が太腿を痛め、個人でまさかの初戦敗退。準決勝のドイツ戦でリードしながらまさかの逆転負けで、キャプテンとしての重責に押しつぶされていた福原愛。敗戦後は放心状態で、大丈夫かと心配させたが、その後、「先輩たちを手ぶらで帰すわけにはいかない」とまで言い放った、大舞台にも物怖じしない15歳の伊藤美誠の活躍とエース石川の復活もあり、3位決定戦でシンガポールを倒して銅メダルを死守。2大会連続でのメダル獲得の快挙に日本中が沸いた。
     それにしても、予選で戦ったポーランドにしてもドイツにしても、さらには3位決定戦で戦ったシンガポールにしても、ほとんどが中国選手が帰化しての上位進出。結局は母国ではレベルが高い激戦なので代表入り出来ず、外国に帰化して活路を見出しているだけ。また、福原愛選手は台湾選手との結婚も可能性が高いので、今後の動向が注目される。私は、今回のメダルを土産に現役引退する気がしている。
     そして2020年の東京オリンピックでは、石川が27歳で伊藤が19歳。実は伊藤美誠の世代は怪物世代と呼ばれ、凄い選手が五万といて、伊藤でも団体戦メンバーに残れるかという強豪ぞろいだそうだ。これも幼い頃の愛ちゃんを見て、彼女に憧れて卓球を始めた世代だけに、彼女の存在や頑張りが卓球界に与えた影響は計り知れないのである。

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     3位  バドミントン女子、タカマツペアの抜群のコンビネーション

     聖ウルスラ学院時代からのペア。なんと余り物同士で組ませたというから驚き。ひとつ年上で姉御肌の高橋と長いものに巻かれるタイプの松友の抜群のコンビネーションが冴え渡り、横に並ばず、くるくるめまぐるしくポジションを入れ替えてショットを繰り出す日本勢に相手ペアは翻弄された。安定した試合運びで終始リードし、あれよあれよという間に決勝進出。決勝ではデンマークのペア相手に苦戦するも、16対19の劣勢から粘りの5pt連取で大逆転V。ロンドン大会で日本人ペアが銀メダルを獲得した実績がここでも生きた。

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     4位 卓球男子団体、悲願のメダル獲得

     波田陽区そっくりの日本のエース水谷準の大活躍で、見事銀メダルを獲得。同じく準決勝で敗れた女子団体のドイツ戦の雪辱を見事果たしてくれた。
     これは男子卓球界においては、オリンピックでのメダル獲得も初の快挙で、東京オリンピックに弾みがつくものと期待される。20種類もあるという変幻自在のサーブで相手を翻弄。粘り強いラリーを制し、強豪を撃破して行った。派手なガッツポーズや大の字に倒れこんで、張本からクレームがついたが、ギリギリのところでやっている選手たちに、ケチをつけず「あっぱれ」を挙げて欲しいものだ。

    Pingpon_boy

     5位 体操団体、復活の金メダル

    こちらも前半は劣勢だった。予選で失敗やミスを連発し、4位で決勝に残ったものの、苦手のあん馬から演技スタートした日本。いきなり山室が落下し、まさかの6位スタート。しかし、失敗しない加藤やキーパーソンといわれた田中佑典が完璧な演技で巻き返し、全員のチームワークで巻き返し、最終種目の床の前にロシアに次いで2位に順位を上げ、最終種目で逆転して金メダルを獲得したのだった。アテネ以来、12年ぶりの王座奪還だった。

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     6位 女子レスリング、登坂、伊調、土性、終了間際に逆転金メダル

     リオオリンピックも終盤に入った8月18日の早朝、日本人3人が、相次いで残り数秒のギリギリのところで逆転し、金メダルを獲得した。追い詰められた瀬戸際の局面でも決して諦めずに攻め続け、三者共に対戦相手のバックをとり、2ポイント追加で3対2、2対2と逆転した直後にタイムアップ。
     伊調馨はアテネ、北京、ロンドンに続きオリンピック4連覇の大偉業なる。天国の亡き母親に捧げる涙の金メダルだった。これで柔道で3連覇した野村忠宏選手ですら獲れなかった国民栄誉賞は間違いないだろう。
     そしてその歓喜の翌日、信じられない出来事が。霊長類最強とまで言われ、金メダル大本命だった吉田沙保里選手が、決勝でアメリカ選手に敗れた。誰もが目を、そして耳を疑った筈だ。しかし、過去3連覇し、今大会は日本選手団の主将を務め、過度の期待を背負わせすぎた。反対に吉田を倒したアメリカの選手のコメントが泣かせた。「彼女は私の中ではヒーローだった。彼女に憧れ、彼女と対戦するのを夢見てレスリングを続けてきた。」と述べ、感動を誘った。私たちはたとえ銀メダルでも、彼女が「すみません」と謝罪したことに、何の恥ずべきことはないと思っている。彼女が日本のレスリングを建て直し、女性でもこんなに強くなれることを身を持って証明した第一人者だからだ。感謝しても仕切れない。堂々と顔を上げ、胸を張って帰国して欲しいし、私たちは彼女の頑張りや労苦を讃えたい。そしてその敗戦の1時間後には、初出場となった川井梨紗子選手が金メダルを獲得した。東京五輪に向けて若い世代が育ったのも、吉田選手というお手本や目標があったからだ。世代交代ではなく、若手とベテランの融合で、五輪でまた金メダルを目指して頑張って欲しいと思う。

    Riowrestling

     7位 男子100m×4リレー、アジア新記録で初の銀メダル

     末続、高原などのスター選手に加え、朝原がアンカーを務めるなどして初めてリレーで銅メダルを獲得した北京五輪以来、8年ぶりにメダルを獲得する快挙を成し遂げた。サムライのパフォーマンスで入場した4人のアスリート(山県、飯塚、桐生、ケンブリッジ飛鳥)。大観衆、大歓声の中、プレッシャーをはねのけ、絶妙のアンダーハンドパスのバトン受け渡しの技術が生きた。準決勝の1組を1位通過した日本だったが、決勝はあのジャマイカの隣りのレーンを走り、なんとガトリンやタイソン・ゲイなどスター選手をそろえたアメリカよりも先にゴールに駆け込んだ。金メダルのパウエルやボルトを擁するジャマイカに敵わなかったが、東京五輪に弾みをつける銀メダルだった。しかもそのタイムは中国越えの37秒60。北京の銅メダルが38秒15だったことを考えれば、0秒55短縮したことになる。100m9秒台が一人もいない日本が、37秒6なのは、絶妙のバトンパス技術の成果だと思う。

    Riorelay

     8位 萩野、日本勢初の金メダル 400m個人メドレー

     日本競泳陣を奮い立たせる起爆剤となった彼の力泳だった。幼少期からのライバルだった瀬戸公也も銅メダルに輝き、日の丸が日本、掲揚台に昇った。今大会はロシア勢が国家ぐるみのドーピング疑惑で出場停止を余儀なくされ、多数が不出場という状況下だったが、それでもこの快挙は凄かった。

    Haginoseto

     9位 金藤、200m平泳ぎ金メダル

     ロンドン五輪では代表落ちし、一時は引退を本気で考えたが、家族の支えや師事する加藤コーチの激励により、現役続行。
     今大会では、競泳陣の応援団長的な存在で、指揮を鼓舞し、自身も金メダルという快挙を達成し、日本中を感動の嵐に巻き込んだ。
     彼女自身はサッカーの澤穂希さんにそっくりで、その個性的な風貌とキャラクターで人気者となった。

    Kaneto

     10位 柔道男子、全階級でのメダル獲得

     井上監督が「選手を信じて良かった」という発言の通り、お家芸の柔道ニッポン復活の威信をかけて、この4年間、死に物狂いで稽古に励んできたその苦労が報われた。ポイントを獲ると、逃げ回る外国勢の汚い姿勢に対し、日本は美しい一本を目指し、正々堂々と戦った。その違いがこの結果に結びついた。北京、ロンドンは女子柔道が圧倒的に強かったが、ようやく東京に繋がる結果を残してくれた。

    Jyudo

     11位 19歳の白井健三、新技を種目別で繰り出し、銅メダル

     次世代エースとも内村航平の後継者とも呼ばれながら、全くプレッシャーなど微塵も感じない堂々とした演技を披露。実は練習では一度も成功したことのない自らの名前がついた大技をさらに進化させ、五輪の場で攻めの境地を貫き、本番で成功させた。ユルチェンコ3回転捻りをさらに進化させ、もう半回転。ロンダードで後ろ向きに踏み切り、3回転半ひねって、さらに回転中に着地点が見えない前向き着地という難関の業だった。演技点は最高点の6.40であえて最高の舞台の五輪でチャレンジし、成功させただけにそのインパクトは大きかった。彼も内村と同様、両親が体操一家で、幼少の頃から自宅にあった長い特製のトランポリンで業を磨いた。やはりスポーツは卓球もそうだが、幼少期からの英才教育と環境とがものを云うようだ。彼は精神的にも強く、いいキャラだ。団体の表彰式の際に、メダルホルダーを受け取り、「これ何ですか?」「歯ブラシ立て?」とチームメイトに聞くなどムードメーカーになるとともに、プレッシャーを感じず、堂々とした態度に驚かされた。東京五輪では、間違いなく、日本のエースになっていることだろう。

    Shirai

     12位 女子柔道・田知本、姉に捧げる金メダル

     オリンピック代表選考会で破れ、出場を逃した姉妹の姉に捧げる金メダルをゲット!押さえ込みで25秒経過し、勝利した直後に顔を上げた田知本選手の達成感の表情は鳥肌が立った。山口百恵さんに似ていると思ったのは私だけだろうか?表彰式後、メダルを姉に掛けてあげたシーンを感涙もの。

    Tachimoto_sister

     13位 錦織圭、日本人初のメダル獲得!

     3位決定戦で圧倒的に対戦成績の悪かったナダル選手を破り、銅メダルに輝いた。

    Nishikori

     以上が、私が独断と偏見で選んだ感動名場面だ。他にも探せばいくらでもあるが、あえてこれらを選出させていただいた次第だ。

     日本人選手以外で、私が思う名場面は・・・

     第1位 中国人の飛び込み選手、表彰後にプロポーズ

    Rio_propose

     リオ五輪で銀メダルに輝いた中国選手が、表彰式でチームメートの男子選手に プロポーズされた。女子3メートル板飛び込みに出場し、銀メダルを得た中国の何姿選手がチームメートの男性選手秦凱氏にプロポーズされたのは14日だった。そのやり方が実にドラマチックだった。秦選手は男子シンクロ3メートル板飛び込みで、前の週に銅メダルを獲得している。14日、何選手が銀メダルを首にかけた直後、そばに寄ってきたのが秦選手。ダイヤモンドの指輪が入った赤いケースを手にした秦選手は、何選手を抱きしめて耳元に向けて言葉をつぶやいた。「何かが起きるぞ!」会場の聴衆は二人から目を離せない。秦選手は何選手から体を離し、肩膝をついた状態でプロポーズの言葉を語り出す。まるで映画の一場面だ。何選手は、秦選手と向かい合って一言一言を聞きながら涙をためてゆく。秦選手が最後の言葉を言い終わって、赤いケースを高く掲げると、何選手はうなずいた。聴衆から歓声が上がる。指輪を箱から取って何選手の指にはめてあげる秦選手。歓声がさらに大きくなる。思わず胸が熱くなるような感動的な光景である。
     会場内の大きな歓声に包まれる二人。「なんてロマンチック!」「おめでとう!」-この場面をテレビで見ていた多く人もそう思ったに違いない。 (Yahoo!ニュースより)

     第2位 執念のヘッドスライディング金メダル

    Head_sliding

     女子400メートル決勝を 行い、バハマのシャウナ・ミラーがゴール直前で豪快なヘッドスライディングを披露。 デッドヒートを演じた米国のアリソン・フェリックスとの勝負で優勝を勝ち取った。

     第3位 ボルト、特例で五輪出場。でも強かった・・・100m3連覇の偉業なる

    Bolt

     ジャマイカの国内予選を欠場し、特例措置で出場が認められたボルトは、やはり強かった。100mに続き、200m、100m×4リレーも制し、3大会連続3種目3連覇の偉業を成し遂げた。 

     第4位 陸上女子5000メートル予選、接触手転倒した2選手に特例措置

     16日に行われたリオ五輪の陸上女子5000メートル予選で、レース中に転倒するアクシデントに襲われながらも、助け合ってゴールした2人の選手が決勝進出を認められた。同日、大会主催者が発表した。スポーツ選手らしい振る舞いで称賛を集めたのは、女子5000メートルに出場したニッキ・ハンブリン(ニュージーランド)とアビー・ダゴスティーノ(米国)の2人。ドラマが起こったのは、ゴールまで残り2000メートルほどの地点だった。
     ダゴスティーノの足がハンブリンの足と接触すると、2人はもつれあうようにして転倒。メダル獲得の夢がついえたと思ったハンブリンは、がっくりとトラックに倒れ込んでいたが、その彼女に立ち上がるよう優しく声をかけ、完走を促したのがダゴスティーノだった。 ダゴスティーノは接触で足首を痛めていたが、ハンブリンはあえて彼女を待つようにして走り、励ましながら2人は完走を果たした。
     当初はどちらも予選敗退に終わったかに思われた2人だが、大会主催者は後に19日の決勝進出を認める判断を下した。オリンピック精神のお手本の行為に大岡裁きとも言うべき特別措置が取られ、両者は決勝進出を果たした。

    Rio_spirit

     第5位 ブラジル、男子サッカーで悲願の金メダル

     信じられないが、今までブラジルの男子サッカーは、オリンピックで一度も金メダルを獲得したことがなかった。ワールドカップでは最多の5度の優勝を飾っているサッカー最強国が、母国開催での至上命題を達成するために、オーバーエイジで白羽の矢を立てたのが英雄・ネイマールだった。日本時間8月21日に行われた決勝のドイツ戦では、延長戦でも決着がつかず、ついにPK戦へ。5人目でドイツのシュートをGKが止め、最終的にネイマールがゴールを決めて初の栄冠をブラジルにもたらした。スタジアムは狂喜乱舞の大騒ぎだった。
    Rio_soccer

     第6位 競歩で諦めない男!2回倒れても歩き続けた

    男子50km 競歩で序盤、トップを“独歩”したフランスのヨハン・ディニズ選手 。スタートから2時間が過ぎて失速。その後、フラフラになりながらも、倒れても、歩き続けた。そしてゴールにたどり着いたとき、なんと順位は8位入賞!最後まで歩き続けたディニズ選手。

      残念だったニュース

     1 施設が未完成だったり、移動撮影用のカメラが落下し、観光客が負傷した事故

     2 アメリカの競泳金メダリストが、強盗に襲われた。しかし実際には酒に酔って器物損
      壊を隠蔽するための狂言だった。

     3 飛び込みのプールが一夜にして緑色の藻だらけに!

     そして大会をいっそう盛り上げたNHKの「オリンピックハイライト」のテーマ曲がこれ!

     安室奈美恵が歌う「HERO」。荘厳な雰囲気が漂い、オリンピックの名シーンが次々浮かび上がってきそうで、全身を感動が包み込む。今夏、一番耳と記憶に残る一曲になった。

     さて、毎回オリンピックの度に思うことは、スポーツは感動を与えてくれる存在だということ。日本人アスリート達の頑張りや活躍を見て、そのスポーツに関心が高まり、競技人口が増えることもあるだろうし、それを引き継ぐジュニア世代のモチベーションアップに繋がると思う。しかもメダル獲得数は前回のロンドン大会を超える41個と過去最多。これは世界第7位の好成績。ロシアが国家ぐるみのドーピング疑惑で不出場だったことを差し引いても、その活躍ぶりは顕著だった。
     そして地球の裏側であっても、連日報道され、その熱戦振りが伝えられ、日本人は興奮の坩堝と化し、感激する。それはやはり、国を背負い、母国の名誉のため頑張り抜く、スポーツ特有の筋書きのない正々堂々とした戦いだからに他ならない。彼らの陰の汗と涙の努力に思いを馳せる時、涙を禁じえない。本来のスポーツの意義を実感する、それがスポーツということになる。

     さて、2020年の自国開催となる東京オリンピックではどんな物語が見られるのだろうか?おそらくは体操は白井健三が中心、卓球女子は伊藤美誠と平野美宇、陸上は今回出場がならなかったサニブラウン・ハキームも出場していることだろう。そして野球とソフトボールが復活し、オールプロ+メジャーリーガーでのドリームチームが編成されるだろう。自国開催で予選免除なので、全種目出場できる。そのために国家ぐるみの強化策が敷かれ、各競技のレベルアップは間違いない。楽しみは尽きない。そして、毎回、オリンピックには意外なホープやスターが誕生する。4年後はどんな新星が登場するのだろうか?今からそれを楽しみにしつつ、今回の記事を閉じたい。

    <次回の東京五輪をPRするPVも流れた閉会式の模様>

     記事作成:8月17日(水)~22日(月)

    2016年8月18日 (木)

    劇的な幕切れ

     スポーツは真剣勝負で筋書きのないドラマと実感できる映像を紹介したい。最後まであきらめないで頑張れば何かあることを実感でき、ドラマ以上にドラマティックというのがよく理解できると思う。

     横澤由貴 アテネ五輪女子柔道

     アテネオリンピック準決勝。相手は世界女王のキューバ人のサボン。先にポイントを奪われ、敗戦確定的の中で迎えた残り10秒。最後の捨て身の一発を狙い、組み合ったのが残り3秒前。そして袖釣りこみ腰の技をかけたのが、残り1秒前だった。相手を回転させ、畳の上に背中から投げ下ろした。その瞬間、実況の三宅アナは大絶叫、会場は大騒ぎとなった。横澤選手が見せた執念の奇跡の大逆転劇は、人々を感動させた。「諦めなければ何とかなる」を身を持って示してくれた劇的勝利だった。

     残り0.9秒の奇跡 バスケ

     それはインターハイの山口県大会決勝戦。徳山商工高校VS誠英高校の一戦だった。最後、残り1秒未満という絶体絶命の中で、一か八かで遠投したボールが、まるで魂が乗り移ったかのように、ゴールネットに吸い込まれていった。これは練習の賜物ではなく、運命の一投であって、それを神様が導いてくれたような劇的な逆転だった。努力を重ね、最後まで勝利を信じ粘って行けば、勝利の女神が微笑むことがあるという運命的なシーンだと思う。地獄から天国。誰もが諦めかけた場面で起死回生のショットだ。会場は狂喜乱舞の大騒ぎ。

     小学生のミニバスケットボール決勝で起きた奇跡の一投はコチラ

     ゴール前の油断 スノーボードクロス

    https://www.youtube.com/watch?v=LZR91ogniVE

     トリノ五輪でそれは起きた。アメリカのジャコベリスは独走状態であったにもかかわらず、最後の油断で金メダルを逃す事態に。彼女は圧勝ムードでゴール手前の山へ。そこで普通にゴールすれば金メダルだったのに、観衆にアピールしようとボードに手を当てて、カッコよく決めようとしてバランスを崩し、着地に失敗して転倒。その脇を2位の選手がすり抜け、ゴール。気づいたときには後の祭りの結末となってしまった。まさにゴール3m直前での悲劇であった。後悔してもしきれないワンシーンとなった。この日のために猛練習を重ねてきたのに、ほんの一瞬の気の緩みや油断で、手中の金メダルを逃してしまった。

     棚ぼたの金 オーストラリアのショートトラック選手

     2002年のソルトレイクシティ五輪で起きた世界一幸運の持ち主。オーストラリアのショートトラック選手のブラッド・バリーは幸運に恵まれすぎた選手だ。最終ラップで前を行く4人の選手が相次いで接触して転倒。最後尾を滑っていた選手が悠々とゴールして金メダル獲得。こんな嘘のようなシーンが現実に起きてしまった。これは決勝だけでなく、準決勝でも同じことで棚ボタで決勝に残り、最大の見せ場の決勝でも再現された。このオーストラリアの選手は神様の手厚いご加護で守られているようだ。ありえないことが実際にオリンピックという最高の舞台で2度も起きてしまったのだから。

     シティ、大逆転優勝

     それはイギリスプレミアムリーグ最終決戦で起きた奇跡。優勝を争う相手マンチェスターユナイテッドは、すでに勝利を収め、負ければ優勝を逃す極限まで追い詰められた局面で地獄から天国へのシーンが展開された。ロスタイム、2点リードされたシティ。観客も諦めムードを一変させた。勝つか引き分けでシーズン優勝がかかる最終試合で、2点差を追いつき、劇的な優勝を成し遂げたのだった。この最終試合までもつれ込み、1点勝負でロスタイムまで運命を託したゲームは日本でもあった。横浜マリノスだった。最終節で4チームに優勝の可能性がある緊迫した状況。3位のマリノスは負ければ優勝どころか4位に叩き落ちるゲームで、ロスタイムでゴールし、他球場の結果を待つ。首位に立った鹿島がロスタイムで同点ゴールを奪われ、優勝をもぎ取った。

     星稜高校、9回、8点差を逆転し、甲子園出場

     これを魔物と言わず何と言うのか?誰も予想しないことが起きた。野球の世界で9回ウラで8点差なら、誰の眼にも敗色濃厚で、逆転できる可能性は1%もなかった筈だ。それを最後まで諦めず、繋いで繋いで、ランナーを溜め、打者一巡の猛攻で大逆転劇をやってのけた。一回でも負ければそこで終戦となる切羽詰った状況下で、誰もが目を疑う大殊勲。これを奇跡と言わずして何と言う。

     

     さて、こういう奇跡のシーンを見ていると、何事も最後の最後まで諦めてはいけないということが理解できる。「勝負は下駄を履くまでわからない」という言葉があるが、それはこういう奇跡が現実的に起こり得ることを示唆しているのだろう。

     記事作成:8月13日(土)

    2016年7月14日 (木)

    衝撃の世界新記録達成の瞬間

     何のスポーツ競技であっても、世界一になることは至難の業だ。その頂点に立てるのは世界でたったひとりだからだ。まして世界新記録を樹立することなど、並大抵のことではなし得ないからだ。世界新記録を達成する瞬間。それは歴史を塗り替える瞬間でもある。今日はそんな歴史的な一ページに立ち会っていただきたい。

     200m平泳ぎ 

     岐阜国体競泳競技第1日にとびだした、高校生山口観弘による男子200m平泳ぎ世界新記録のワンシーン。主役は北島康介ではない。なんと国内で行われた国体で、しかも高校生が屋外プールで樹立したのだからこれは大殊勲だ。その達成の瞬間の観客の総立ちの大興奮をどうぞ!
     インタビューでは「正直狙っていたのは2分6秒台だった」とさらりと言ってのけるのは超大物の片りんをのぞかせる。

     2009年世界陸上男子100m 驚異のタイム

     ベルリン世界陸上の男子100m決勝でウサイン・ボルトが驚愕の世界新記録9"58で金メダルを獲得しました。黒褐色の筋肉が盛り上がる肉体がまるで弾丸のように疾走する。実況アナの興奮がすべてを物語っている。この映像は7年前のものだが、未だに破られていない。それもそのはず、この記録が樹立される前は、ボルト本人が出した7秒73だった。それを0秒15も縮めたのだから凄い。9秒6台を一気に超えて9秒5台に突入した。「人類は一体どこまで速くなるのか」という絶叫がすべてだ。

     池江璃花子 中学3年生が100mバタフライで日本新記録、世界ジュニア新で優勝

     今年のリオオリンピック代表に選ばれた天才高校1年生スイマー・池江璃花子選手が、中学生時代の僅か15歳にしてW杯東京大会にてジュニア世界新記録を打ち立てた。

     ダイナミックなフォームと、腕の両翼の角度や指先の角度が他の選手と全然違う。

      世界選手権フライングヒルで驚異の世界新記録250mの瞬間

     2015,2,15 ノルウェー・ビケルスン
    スキージャンプ フライングヒルでペテル・プレヴツが250mの大ジャンプ。通常スキーのジャンプ競技と言えば、ラージヒルを思い浮かべる。昔でいう90m級ジャンプだ。そこでは130mも飛べばK点(これ以上飛ぶと危険)を超える大ジャンプとなるが、世界最大のノルディックスキーの種目がこのフライングだ。しかもラージヒルの平均的飛躍の約二倍もの距離を稼ぐのがこのフライングだ。その距離、実に250m。素人の私から見れば、飛ぶというより、100km/h前後のスピードで、生身の人間が崖から落ちていく印象。もちろん転べばただでは済まない。日々の鍛錬と精巧な技術が兼ね備わって初めて成功する世界だ。まさに超人(鳥人)と形容するに相応しい競技だ。

     王貞治、世界新記録の756号を放った瞬間

     昭和52年9月3日、後楽園球場でその瞬間は訪れた。この年、列島は巨人軍の王選手のホームラン記録一色となった。その前日も放送時間を延長して彼の打席を追いかけた。列島中が新記録への期待が注がれるプレッシャーの中、フランチャイズの後楽園のヤクルト戦で鈴木康二朗投手から放った一打はライナーでライトスタンドに吸い込まれた。大殊勲となるホームランに列島中が大フィーバーに包まれた。大ジャンプして祝福する張本勲選手の姿やセレモニーでは王選手のご両親が登場し、感謝を示すシーンも繰り広げられた。歴史に名を残すことを嫌い敬遠の四球に逃げた投手もいる中で、鈴木投手は真っ向勝負で立ち向かった。その姿勢も賞賛に値する。その証拠にこの年彼はチーム一の14勝(9敗)を挙げ、その翌年も13勝(3敗)を挙げる活躍を残した。

     2008年北京五輪100m平泳ぎ 世界新記録達成

     オリンピック2冠のプレッシャーとレザーレイサーという特殊素材の水着導入に翻弄されたこの年のオリンピック。従来型の水着で勝負し続けた北島康介は大スランプに陥っていた。Tシャツにプリントされた文字「泳ぐのは僕たちだ」という無言のアピールを打ち出した彼は、B型らしく反骨精神の塊であった。静かに闘志を燃やす彼は、本番でその力量をいかんなく発揮し、見事世界新記録となる58秒91で優勝したのだった。ゴール直前、強敵のオウエンやブレンダン・ハンセン選手を交わし、先頭でゴールタッチしたその姿は日本全国を感動の嵐に巻き込んだ。従来の世界記録59秒13を0秒22も短縮する快挙だった。両手を突き上げて喜びを爆発させる彼の姿がそれまでの苦労のすべてを物語っていた。

     記事作成:7月4日(月)~

    2016年1月17日 (日)

    「○○ジャパン」

     かつて、札幌オリンピック(1972年)で活躍した日本純飛躍団体。表彰台を独占し、日の丸が3本並んだ快挙は記憶に新しい。人は彼ら(笠谷・金野・青地)を「日の丸飛行隊」と呼び、一大ブームを巻き起こした。
     現代のスポーツ競技は、以前は体格に勝る外国人アスリートとの差が大きく、国際大会では太刀打ちできない状況が長く続いた。しかし、最近は、体格差が減り、科学的トレーニングや筋トレによって、互角以上に戦えるまでになった。
     日本人として、喜ばしい限り出し、衛星放送でテレビ画面の前で応援のし甲斐もあるようになった。そして、日本人の意識として、親近感がある競技ほど応援にも熱が入るというのがある。古来から日本で人気がある「野球」に加え、Jリーグ発足に伴い、サッカー熱が過熱した。そしてW杯や世界選手権、オリンピックでの、日本人アスリートの活躍でさらにスポーツ人気が高まった。そしてさらに、日本人特有の発想として、親しみを覚えるネーミングで呼ぶ風習が、スポーツ界にも及んだ。すでにご存知のことだが「○○JAPAN」という愛称だ。これによって、選手自身も日本代表としての自覚やプライドが芽生え、古臭い言い方だが、日の丸を背負って頑張れるように思う。私たちも応援に熱が入るというものだ。それでは、この「○○ジャパン」という言い方が広まった2000年以降、どのようなスポーツ競技が何という愛称で呼ばれているのかを列挙してみたい。

     1 野球・・・「侍ジャパン」 

     かつては王ジャパンという表現だったが、原監督の頃から、主役は選手という観点から、このように呼ぶようになった。

     2 野球女子・「マドンナJAPAN」

     2014年現在の愛称は、「マドンナジャパン」または男子の野球日本代表と同じ「侍ジャパン」(女子であることを強調するため「侍ジャパン女子代表」と表記される場合もある)。

     3 サッカー女子「なでしこJAPAN」

     澤を中心にW杯ドイツ大会を勝ち進み、一度も勝ったことのない強敵アメリカにPK戦の末に倒し、見事初優勝を成し遂げた。その後のロンドン五輪、W杯でも準優勝という快挙を成し遂げ、その実力を不動のものとした。澤が引退し、今後、どのように進化するのか、不安と期待が入り混じる。

    Samurai Nadeshiko

     4 カーリング女子「クリスタルJAPAN」
     
     長野五輪でこの競技が注目され、「チーム青森」や「長野」がブームを牽引し、その後、オリンピック強豪の次々と北欧諸国チームを撃破。この活躍でメジャーになり、また若き美人選手が数多くいたことでも華やかさを添えた。当初は「カーリング娘」という愛称だったが、
    小笠原(旧姓小野寺)歩さん&船山(旧姓林)弓枝さん、アイドル的存在だった本橋麻里さんや市川美余さんなど美人選手がこのブレイクを支えた。

     5 競泳・・・「トビウオJAPAN」

     かつてはアメリカや豪州勢、そして欧州選手の独壇場だった。中国の魚群団がまず覚醒し、日本人スイマーも科学的トレーニングを導入し、記録も飛躍的に伸びた。世界と渡り合える若手選手が台頭し、14歳で金メダルを獲得した岩崎恭子選手や北島康介選手のオリンピック2連覇はその強化が結実した結果だった。女子は体型的に見ても中学生くらいが
    一番ピークかもしれない。あとは筋肉をどれだけ強化し、体重を維持できるかだろうと思う。 彼らを讃える音楽「水夢」もなかなかいい。

     6 シンクロ・・「マーメイドJAPAN」

     一時は中国の代表コーチを務めた飯村コーチがナショナルチーム監督に戻り、再スタートを切った。しかし、団結力が秀でている日本の女性陣を持ってしても、どんなに練習を頑張ってもロシアには敵わない。この牙城を崩せるかが大きな鍵となっていることは言うまでもない。

    Crystal Mermaid

     7 ホッケー・・・「さくらジャパン」

     全国から寄せられた651通、493種類の案から「親しまれ、愛され、気品と優しさを持つ チームになれ」などの願いを込め、日本を代表する花「さくら」の名にちなみ「さくら ジャパン」に決定した。

     8 ハンドボール・・・「ムササビJAPAN」

     イケメン選手の宮崎が登場した際には、このスポーツも脚光を浴びたが、日本では野球やバレーほどメジャーになりきれない。ルールがわかりづらいことと、今一つ、心を合わせた応援がしにくい点がその理由だ。

     9 ハンド女子・・・「おりひめジャパン」

     女子チームの愛称は、1チーム7人でプレーすることから「七夕」にちなんで名付けられ、公募で決まった。

    10 バスケットボール・・・「隼JAPAN」

     日本では競技人口は多く、学校の体育の時間や部活動でも好んで行われるのだが、ことプロリーグとなると、試合の放送が極端に少ない。アメリカNBAのようなスーパー人気には至らない。「スラムダンク」などの人気漫画で脚光を浴びたものの、国民的な支持を取り付けたとは言い難い。

    Orihime Hayabusa

    11 ボート・・・「クルーJAPAN」

     早慶レガッタのような大学対抗はある程度盛り上がると思うが、はっきり言ってマイナー競技。ルールを知っている人や国民的認知度は10%くらいではないか。高校生は入学後、弓道部を選ぶ者は多いが、ボート部は限られた学校にしかない。よって、もとより競技人口が少ないと思われる。

    12 空手・・・「雷神JAPAN」

     近年、美人空手家が登場し、マスコミの注目を浴びているが、日本発祥の武道でありながら、イマイチ人気がない。少年たちの心身の鍛錬に習わせる家庭があるが、競技人口は日本よりもフランスなどの欧米に多いように思う。

    13 ボブスレー「DANGAN JAPAN」

     冬季限定の競技で、なかなか認知度は低い。一体どうすればこのスポーツに親しめるのか。特定の者しか体験できない分野というイメージで、一般的に普及しないと思う。

    14 アイスホッケー女子「スマイルJAPAN」

    15 飛び込み・・・「翼JAPAN」 

    こちらもスポ少など特別な団体しか競技として行われない。もとより高所恐怖症の人は無理。しかも高さ10mもの場所から、何回転もしながら飛び降りるなど、並の心臓ではできない。相当の覚悟と痛みに耐えられる強い精神力が求められる。
     

    16 水球・・・「ポセイドンJAPAN」

     今年、19年振りにオリンピック出場を果たし、俄かに注目されつつある。昔は「水中の格闘技」と言われるほど、ハードなスポーツだった。逆三角形の鍛え抜かれた筋肉美で、激しくボールを奪い合い、鋭い腕振りでシュートを放ち、相手ゴールに迫る。かつて吉川晃司がその選手だったことで注目度が上がったが、誰でもやれる訳ではなく、ボールが来なくても、ずっと足をバタバタさせて立ち泳ぎしないと沈むため、半端ない体力を使う。

    17 新体操・・・「フェアリーJAPAN」

     新体操=美人女子の競技というイメージから、この愛称がついたと想像できる。ボールやリボンなどを使った個性的な技や、時には離れ業を醸す。柔軟性と瞬発力が求められ、見た目の華やかさとは裏腹に、激しい練習の賜物であのような美しい演技(パフォーマンス)ができるのだ。

    Smile_japan Poseidon

    18 バレーボール「火の鳥NIPPON」

    バレーボールというと、男子より女子の方が強い時代が長く続いている。前回のロンドン五輪でも、女子はロス以来の銅メダルを獲得した。男子は、五輪出場もできない暗黒の時代が続いたが、救世主として中央大学の石川佑希が新風を吹き込んでくれ、新しい未来を感じさせてくれた。

    Hinotori

    19 サッカー「ハリルJAPAN」

     サッカーは、Jリーグ発足時から日本代表の試合も注目され、オフトジャパンくらいから監督の名前が接頭辞につくJPANAN名で呼ばれるようになった。岡田ジャパンとかジーコジャパン、ザックジャパンなどというようにだ。

    20 7人制ラグビー 「セブンジャパンズ」

     今年、活躍したラグビー日本代表は、海外からは「サムライズ」と呼ばれ、恐れられ、同時に賞賛された。時にWカップイングランド大会において、初戦で強豪で優勝候補の南アフリカを破り、一躍脚光を浴びた。しかし、不可解なポイント制により、3勝1敗の好成績にもかかわらず、予選敗退という憂き目に遭った。
     
     しかしながら、過去50年を振り返れば、日本人選手たちの国際大会での活躍は目覚しいものがある。冒頭で述べたように、種目によっては表彰台も決して夢ではないレベルまで達している日本人の競技力。とりわけ女子に比べて男子の活躍が寂しいものがあるが、バレーの石川祐希のようなイケメン救世主が登場するため、女性ファンの黄色い歓声が選手を後押しするのは間違いない。
    また、グラチャンバレーやWBC予選など、決まって日本が会場になることが多く、それがずっと疑問だったが、日本ほど安全で宿泊施設が整い、そして何より大会運営や試合の進行が完璧に行き届いている国は、日本をおいてほかにないことを知り納得した。

     さて、今日は「○○ジャパン」というテーマだったが、愛国心や宗教心が薄い日本人ではあるが、国を挙げて行うスポーツでは、途端に一致団結し、応援する性質がある。サッカーでは勝つと渋谷のスクランブル交差点で大騒ぎ、大阪では道頓堀川にダイブする若者が多く存在する。交通の妨げにならない範囲、ゴミを散らかすなど他人に迷惑をかけないならば、ある程度は許されていいと思う。そういう発散の場を提供するのも、行政の役目だと思う。盛り上がった後は、切り替えてまた平常の生活に戻ればいいのだ。

     最後に、「○○ジャパン」という愛称は、時に日本人の心をひとつに結びつける役目を果たしているように思えるのだ。
     来年はいよいよオリンピックイヤー。私たちにどんな感動を与えてくれるのか、「○○ジャパン」の活躍を心待ちにしたいと思う。

     記事作成:12月25日(金) 

    2015年12月16日 (水)

    スキーに行きたくなる動画集

     1980年代から1990年代にかけて、私は20代を過ごした。その頃ハマっていたのはスキーだった。映画「私をスキーに連れてって」とバブル景気によるクロカンRVブームも相まって、ゲレンデはどこかしこも人の波だった。オシャレなウェアに身を包んだギャルたちが大挙してスキー場に押しかけ、それは映画さながらのひと冬の恋物語を期待したものだ。
     若者の聖地と化したスキー場は、首都圏発のスキーツアーによって、シンデレラストーリーを夢見たギャルたちのトレンドとして賑わい、それは一大ブームを巻き起こした。リフト待ちは優に30分以上。レストハウスの席取り合戦は困難を極めた。かくいう私も、1シーズン30回はゲレンデにいた。友人とスキーに行った回数を競い、人知れず仕事終わりにナイターへ繰り出しては秘密練習を重ね、上達してお披露目して友人たちを驚かしたい一心での猛特訓だった。地元郡山市にも「ビクトリア」や「アルペン」などのスキー専門店が進出したし、既存の「ワタナベスポーツ」や「ゼビオスポーツ」と販売合戦を繰り広げたものだ。私も、毎シーズンのようにスキーを買い替え、ウェアーも5回も新調した。
     ダイナスター、ロシニョール、ニシザワ、サロモンと渡り歩いた。ブーツもテクニカやノルディカ、サロモンを履いた。ビンディングはルックとチロリアを交互に使用。ウンチクも上手くなった。
     それが、いつからか若者が次第にゲレンデを離れ、閑古鳥が鳴くようになった。今やゲレンデは20代の若者が中心で、8割方はスノボで、スキーは年々減少の一途を辿った。

     そんなスキーブームの時代を過ごした私だが、30前に結婚してからは、めっきりゲレンデに立つ回数が激減した。まったく行かないシーズンも多くなったし、行っても1~2回となった。しかし、子育てがひと段落し、リフト代にシニア料金が設定されるようになり、徐々にバブルで燃えた世代がゲレンデに回帰するようになってきた。体力を考え、昔のように「リフト代の元を取るまで滑る」という発想はなく、落ちゆく体力を促進しようという目的で、再びスキーに行くことを目指し、密かにストレッチや柔軟を繰り返してきた。そこで残すは自身の意欲喚起だけだと考え、今回、スキー場へ誘(いざな)うための意識を高めるために、スキー再燃を意図した動画を取り上げたい。

     こうした動画を見ると、若い頃の自分をオーバーラップしてしまう。1回で50回リフトに乗った若い時分、ナイターのカクテル光線に映し出された自身の影を見て、ステップやターンの練習を試行錯誤していた。あの頃の若き感性が蘇ってきた。私は、 スキーもより短いカービングの登場はあったものの、私は一度もそれで滑った為しがない。未だに身長+15cmの長いスキー板と重いブーツを使用している。すでに流行遅れだし、ウェアも年相応の地味な配色のものにしたが、滑りで誰よりも目立ちたいと思っている。髪の毛は真っ白で、下手するとおじいさんに間違われそうだが、もし、おじいさんのような様相のスキーヤーが、急斜面をバリバリのウェーデルンでかっこよく滑り降りてきたら、拍手ものかもしれない。そんなシーンを夢見て、今冬、私は再びゲレンデに立つ!

     最後に、私がスキーにハマっていた頃のCMと最近のスキーに関するCMを取り上げたい。



     さて、ゲレンデが恋しくなるような動画だったのではないでしょうか?今から四半世紀前、私は20代で、ウィンターシーズンになると、炬燵で丸くなっていることは皆無だった。四六時中、スキーのことを考えていたように思う。どうやったらうまく滑れるのかストイックなまでに研究し、そしてどうしたら女の子にモテるのか?(まったくダメだったが)
     27歳でSAJで1級を取得し、やり遂げた感もあったし、スキーからスノボに取って代わられた頃から、急速に熱が冷めてしまった。それは結婚して子供ができて、家内に気を遣うようになったこともある。
     でも子供が大きくなり、親の手を離れた今、また、昔のようにゲレンデ回帰を果たしたいと思うようになった。でも昔ほど体力はないので無理はせず、マイペースでいきたい。リフト代はシニア料金だが、いずれ昔の滑りに近づけるようにしたいと思う。果たして、今冬は若い頃の自分を取り戻すことができるのだろうか?

     記事作成:12月5日(土)

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